伊都国東遷スレ 8
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0001岡上 ◆Lv09mLa3HM
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2018/07/16(月) 20:56:26.45
1、魏志にある邪馬台国は「ヤマト」であり、倭王権の基礎となった。
2、ただし、その女王、「ヒミコ(日巫女)」とは伊都国の関係者である。
3、平原一号墓の巫女王は、東遷前の先代のものであり、銅鏡による太陽祭祀を主宰する「日巫女」の墓として、最もふさわしい。

<ポイント>
・記紀の伝承がおおむね歴史的事実の反映であることが視野に入ってくる
・唐古、鍵と纏向の間にある文化的断絶(銅鐸祭祀断絶と銅鏡祭祀開始)を伊都国勢力の進入から説明できる

柳田康雄先生の考え方(仮説)に基本的に一致しています。
<参考 URL >
歴史秘話ヒストリア 「女王卑弥呼はどこから来た?」
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/204.html
柳田康雄 「伊都国を掘る」2000年
http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784479840541
柳田康雄 「 弥生王権論 伊都国からヤマト国へ」 2016年
http://www.city.itoshima.lg.jp/m043/010/040/070/030/kankotosyo.html
0002岡上 ◆Lv09mLa3HM
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2018/07/16(月) 20:58:20.70
Part 1
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1515402057/
Part 2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1525042172/
Part 3
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1526223134/
Part 4
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1527047330/
Part 5
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1528119763/
Part 6
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1528806114/
Part 7
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1529795681/
0003岡上 ◆Lv09mLa3HM
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2018/07/16(月) 20:58:49.45
森浩一
「中国では連弧文鏡と呼んでいる内行花文は、花の文様ではなく、
太陽の輝きを捉えた文様だと推測されており、 天照大神そのものにふさわしい。
八咫鏡の有力候補が内行花文鏡であるということに、私は知的興奮を覚える。」

北條芳隆
「ヤマト土着の弥生文化の勢力が独自に邪馬台国の主体をになったというのはありえない。
纏向の建物の配列の仕方などは、ヤマト在地の弥生文化とは異質で九州北部の強い影響を受けていることは明らかです。
(中略) 言ってみれば、「邪馬台国東遷説」に近い考え方かもしれません」(歴史REAL抜粋)

寺澤薫
「平原一号墓の鏡はそれまでの弥生時代の王墓の副葬鏡とは大きく性格が違う。(中略)首長霊継承の秘儀には本来、
太陽の力によって首長霊を鼓舞する女性最高祭司と内行花文鏡が欠かせない存在だったという考えもある。
比類ない倭製の大鏡が内行花文鏡で、後の前期古墳にも引き続き特別扱いされていることは、その可能性を強く示している。」
(王権誕生 p249抜粋 連弧文鏡は、内行花文鏡と表記を改めました。)
0004岡上 ◆Lv09mLa3HM
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2018/07/16(月) 20:59:19.33
伊都国東遷に親和的な考古学者の見解抜粋です。その2

寺沢知子
「初めて国産オリジナルブランドの超大型内行花文鏡を制作した糸島平野の勢力の意図は、
初期ヤマト王権成立期に吉備や出雲主要な要素に加えて受け継がれた。
特にその初期には、王権の伝統生徒独自性を主張しうる祭祀具として、中国製ではない国産の超大型内行花文鏡が王権中枢部で作り出され、政治性が付加されて分有された。 」

福永伸哉
「やや単純化して言えば、弥生後期段階に内行花文鏡を重視した集団のネットワークの中から、古墳成立期の中央政権主流派を形成する動きが展開して言った。 」

高橋徹
「現時点において平原遺跡にその最古例を知り得る特大、大型倣製内行花文鏡は、
大和の古式の前期古墳に形式的連続性を保って連綿として用いられている。」
0005岡上 ◆Lv09mLa3HM
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2018/07/16(月) 21:00:41.55
伊都国東遷に親和的な考古学者の見解抜粋です。その3

今尾文昭
「前期古墳に出土の大型長宜子孫銘内行花文鏡の日本列島内への伝来と、
大型倣製内行花文鏡の製作開始時期に大きな隔たりをみる必要はないと考える。
具体的には、大型倣製内行花文鏡の製作開始時期は古墳時代前期前葉の桜井茶臼山古墳の出現以前に設定できるのではないだろうか。
平原墓出土鏡と古墳出土鏡に間隙を設ける必要はなくなる。」

清水康二
「柳本大塚、下池山古墳出土の大型内行花文鏡が含まれる大型鏡は、
王権の強い規制の元で製作され王権の意思によって被葬者の手元に届いたものと考えらえる。
その場合、当然のことながら面径30cmを超える極端な大型鏡は、中型鏡、小型鏡と比べて付加された権威はさらに大きかったものと思われる。」

辻田淳一郎
「奈良盆地の東南部に内行花文鏡系の超大型倭製鏡が集中する事実は重要である。
これは具体的には、舶載三角縁神獣鏡の配布主体と想定される。
奈良盆地東南部に墓域を営んだ初期ヤマト政権を構成した上位層が、
各地で共有される舶載三角縁神獣鏡や中国鏡とは異なる自らのアイデンティティの表現形態として
内行花文鏡系の超大型鏡を採用したものと考えることができる。」
0006岡上 ◆Lv09mLa3HM
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2018/07/16(月) 21:01:19.63
コラムとして、「魏略と伊都国」を書きましたので公開いたします。
「平原一号墓」が女王墓であったという考古学側からの知見に対して、あくまで邪馬台国畿内説を維持しつつ、それが中国側文献に残っている痕跡はないか、という着眼点から考えました。
特に魏志の旅程記事解読において、女王国に至る「万二千里」は九州北部まででその大半を消費しているため、従来の単純な畿内説の立場では、どうしても納得的な説明を与えることができず、
「万二千里」は単なる文飾として無視する以外ないと感じていましたが、それがこの小論において、随分とスッキリしたのでは思います。これはある意味、旅程記事の解釈の大きな比重において、九州北部説側の説明に合理性を認めたという事でもあります。
(もちろん純粋な九州北部説で魏志が全て綺麗に説明されていると認めているわけでありません)
少々自身を込めて表現するなら、この小論において、共立された女王としての平原墓を文献的にも発見すると同時に、旅程記事の里程の矛盾が解けた、と言うことができるでしょう。
「膝に手を打つほどに明快」とまで感じるは人に依るところはあると思いますが、個人的には、なかなかの自信作というところでしょうか。是非ご一読ください。

http://fast-uploader.com/file/7083675628950/
0007岡上 ◆Lv09mLa3HM
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2018/07/16(月) 21:01:56.74
魏略との一致状況の点数表です。 平原王墓に減点要素ゼロですね。

          【平原一号墓】
被葬者が女性      : ◎(2点)
王墓である       : ◎(2点)
鏡が出土        : ☆(3点) *日本最大、最多
年代....         : ○(1点)
漢との交流       : ◎(2点)
万二千里におさまるか? : ◎(2点)
-----------------------------------------------------------
合計             12点

【箸墓】
被葬者が女       : ○(1点) *モモソヒメ伝承から
王墓である       : ☆(3点) *古墳時代への画期を成す
鏡が出土        : ?
年代....         : X (0点)
漢との交流       : ?
万二千里におさまるか? : X X(-1点)
-----------------------------------------------------------
合計            3点 + α

以上でテンプレ終わりです。
0008岡上 ◆Lv09mLa3HM
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2018/07/16(月) 21:05:06.81
アマゾンの電子書籍「継続としての日本古代史」を出しましたので、
岡上説として纏まったものは、そちらを参照いただけると幸甚です。
ちょっとした広告用ポスターも自作しました。

詳細はブログ( http://aroomofwisdom.blogspot.jp/ )の方をどうぞ
また、付論を一部、リバイズしましたので、公開しております。よろしければどうぞ。

http://fast-uploader.com/file/7086948633981/
0009日本@名無史さん
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2018/07/16(月) 23:02:40.33
【八咫鏡】

平原遺跡から出土した5枚の超大型内行花文鏡の直径は46.5cmであり、史上最大の銅鏡である。
径1尺の円の円周が4咫であり、これらの鏡は直径2尺、円周が8咫であることから三種の神器の一つである八咫鏡と考えられる。
神道五部書等によれば八咫鏡は八葉という。
伊勢二所皇御大神御鎮座傳記は伊勢太神宮の宝鏡について「八頭花崎八葉形、圓外日天八座」とある。
八葉とは、鈕孔を巡る八葉座のことであるが、通常の内行花文鏡は四葉座であり、平原から出土した超大型内行花文鏡の八葉座は他に例がないことから、これが伊勢にある八咫鏡と同汎鏡と考えられる。

内行花文鏡は、前漢時代の日光鏡や清白鏡の系譜上にある太陽を象った太陽信仰の象徴である。
伊都にある王墓の代表である三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、内行花文鏡が太陽光を象った鏡であることがわかる。
内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国は内行花文鏡を王権の象徴として漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていたことになる。
八咫鏡はニニギら日向王家の象徴であるが、それが日向峠のある高祖山周辺にあったことで、伊都が記紀に伝えられる倭国の旧都、筑紫の日向であったことがわかる。

石凝姥命が八咫鏡に先立って鋳造した同等の鏡として、紀国一宮である日前宮(ひのくまみや)の日像鏡、國懸宮(くにかかすみや)の日矛鏡がある。
伊勢が大和の東の出口、日前は西の出口にあり、伊勢とほぼ同等の力を持っていたといわれている。
筑前国風土記では、沖ノ島辺津宮の神宝も八咫鏡と記録されている。
これらを含めると、八咫鏡の総数は、伊勢内宮、宮中賢所、日前宮、國懸宮、辺津宮、伊都に5枚で、最低でも10枚は存在していたことになる。
この他に日本書紀では筑紫の帥である神夏磯姫が所有していたことが記録されているが、顛末は記録されていない(上記のいずれかと重複している可能性がある)。
0011日本@名無史さん
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2018/07/17(火) 08:19:58.04
謎を解決する人には、つい期待してしまう。
0012日本@名無史さん
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2018/07/17(火) 08:24:25.87
【卑弥呼の王宮の候補】

・高祖宮
魏志に伊都国と記された糸島市にある。
糸島平野と福岡平野の間にあるクシフル山があり、福岡に通じる峠を日向峠と呼ぶことから、高祖宮は記紀にある筑紫の日向の高千穂宮に比定できる。
高千穂宮は天孫ニニギが八咫の鏡を伴って筑紫の王として即位した宮であり、神武天皇が東征に出発した宮でもある。
後にこの地に建設される怡土城、高祖城はクシフル山の山頂を含む中国式山城であり、高千穂宮の名にふさわしい。
糸島平野にある三雲南小路遺跡はニニギと木花咲耶姫の墓と伝えられる。
高祖宮の目の前の平原遺跡からは、ニニギ王家の家宝である神宝八咫の鏡が出土している。
伊都高祖宮こそ倭国の王都であり、平原遺跡は倭国女王卑弥呼が被葬者の最有力候補である。

・橿日宮
現在の香椎神宮。
卑弥呼の後継者となる筑紫の女王の一人として、景行天皇の時代に筑紫の梟帥の称号と八咫の鏡を持つ神夏磯姫(神橿日姫)がいて、その名からはおそらく橿日宮に住んでいたと思われる。
景行天皇の孫の仲哀天皇も橿日宮を拠点としており、代々の筑紫の王宮として用いられていたと考えられる。
魏志では不弥国に比定されることが多く、ここまでは距離が明記されているので郡使が往復したことは確実である。何のために往復したのかと言えば、卑弥呼に会いに行った可能性がある。

・高良宮
筑後一宮。高良大社や高良玉垂宮などからなる複合施設だが、後世の仏教との習合や神仏分離などの影響による。
近隣には卑弥呼もしくはそれに近い人物の墓と言われる祇園山古墳がある。
卑弥呼が筑後出身ならば、高良宮が元宮だったかもしれない。
郡使が滞在した伊都国までやや遠いのと、魏志倭人伝に該当する記事もないのが不利。
すると祇園山は壹與の墓か?

いずれの宮も聖地である山の西の麓にあり、王は太陽を背にして君臨したと考えられる。
これは倭国が太陽信仰をもとにした祭政一致体制であったためである。
その象徴となるのが王位の証である八咫の鏡などの内行花文鏡である。
平原遺跡に見られる鳥居や御柱などは、3世紀において神道が成立していたことを示す。
卑弥呼が用いたと記録された鬼道も、三種の神器や榊を用いた神道の儀式であったはずである。
0013日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/17(火) 09:44:33.17
で、3世紀に「肥溜めの蓋」がなかったことは、いつ証明してもらえるんだ?
0014日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/17(火) 10:24:10.04
前スレ>997
>もう病院行ってきた方がいいぞ。マジレス。
>親切心だぞ。感謝しろよ。

畿内説スレPart362 >290
>これも何度も書いていることなんだけど

>そろそろ頭の病院に行くか、
>刑務所(死刑)にでも行ったほうが良いぞ

同じ人?
例のつぶやき荒らしの人で、連続句読点とも同一人物?
0015日本@名無史さん
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2018/07/17(火) 10:29:11.69
>>14
別人

>畿内説スレPart362 >290
>これも何度も書いていることなんだけど

>そろそろ頭の病院に行くか、
>刑務所(死刑)にでも行ったほうが良いぞ



これは、もれ(仮)の書き込み
0016日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/17(火) 10:30:27.70
「畿内説スレPart362 >290 」は、つぶやき荒らし宛の書き込みだね
了解しました
0017日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/17(火) 10:31:36.97
他のスレ(つーちゃんえる、現在5ちゃんねる?)
にも書いていることなんだけど


そろそろ頭の病院に行け
0019日本@名無史さん
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2018/07/17(火) 10:45:01.94
これも昔から有名な話なのかな、グーグルなどで検索してみて

『ワイ(神)によって助けられるもの』
0020日本@名無史さん
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2018/07/17(火) 10:52:11.77
『濊』
(ワイ)と読むみたいなんだけど、どの国も同じじゃない?

ヤハ神の意味?
0021日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/17(火) 10:57:22.69
実際は、どこの国の人間だったんだと思う?

『聖化 日霊 日神 津』関係でしょ?
0022日本@名無史さん
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2018/07/17(火) 11:05:19.41
現在の話をしているわけではなくて、
その当時、書や記事などに書かれている人物などの話
0023日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/17(火) 14:30:25.94
>いやいや、福岡平野側の奴国勢力を抑えて、天孫は高天原(詳細不明)から来たんだよ。
>須玖岡本は猿田彦のような人物なのではないか?

福岡平野側の奴国勢力を抑えたら、奴国に入ればいいとは思わないかね?
糸島平野より福島平野の方が広いし、人口も多い
奴国勢力が抑えられるのであれば、抑えを利かせる意味でも奴国に天孫降臨しないとおかしくないか?

>戻って来るって何のことだ?
>奴国は天孫族じゃないぞ。
>天孫族は卑弥呼の前の男王70-80年の三代だろうね。

伊都国説の主張では、平原1号墓が卑弥呼の墓という「設定」なんだろ?
ならばなぜ、前スレ>974は「三雲の天孫族から八咫鏡とともに太陽信仰を継承」と
いうことになるんだ?

三雲・奴国が天孫族だったりなかったりするのは、不統一だから何とかしてくれないかね?
0024日本@名無史さん
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2018/07/17(火) 18:43:58.65
>>23
>福岡平野側の奴国勢力を抑えたら、奴国に入ればいいとは思わないかね?
>糸島平野より福島平野の方が広いし、人口も多い

多すぎて良くなかったんだろう。
ある程度の静謐さと保安上の観点からは、王宮を繁華街から遠ざけるだろう。

>奴国勢力が抑えられるのであれば、抑えを利かせる意味でも奴国に天孫降臨しないとおかしくないか?

高祖山の日向峠なら、奴国にも抑えが効く。
だから、墓は三雲だけど、宮城の城域は高祖山にかかっていたのだろうね。
奈良時代の怡土城は、山頂と山麓をたすき掛けしたような中国式山城であったことがわかっている。
クジフル山は高祖山の最高峰だが、そこに陣取れば奴国にも博多湾にも睨みが効く。
しかも三雲の行政地区からは東の日の出を望む方向の山上に宮があり、「天の子は太陽を背にするべきである」(神武が熊野に向かう時の台詞)という神仙思想にも合致する。
筑紫の日向のクジフル峰の高千穂宮という名称に相応しいのではないかな?

>三雲・奴国が天孫族だったりなかったりするのは、不統一だから何とかしてくれないかね?

奴国は天孫族ではないと思うよ。
三雲だけが天孫族(男王70〜80年、日向三代)。
平原も違うだろう。
0025日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/17(火) 19:05:26.66
>>24
>クジフル山は高祖山の最高峰だが

これが確認できる資料が一切ないんだが?
人によってクシフル岳の位置が違うし

日向峠という小さな地名一つで、伊都国周辺を日向だと言い張るのは
無理があるんじゃないか?
0026日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/17(火) 19:06:21.94
>>24は前スレ>974で「三雲の天孫族から八咫鏡とともに太陽信仰を継承」と
書いた人とは違うのか?
0027日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/17(火) 19:28:22.48
>>25
以前は国土地理院の地図にも記載されていたらしい。
みんなほぼ同じ位置を示していて、大きな違いは見たことがない。
0028日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/17(火) 19:29:34.09
>>26
三雲は奴国ではないよ。
0030日本@名無史さん
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2018/07/17(火) 19:35:08.05
>>27
>以前は国土地理院の地図にも記載されていたらしい。

これが本当なら、比較的簡単に資料として見つかるはずなんだが、見つからない
多分ガセネタ

>みんなほぼ同じ位置を示していて、大きな違いは見たことがない。

そんなことはない
>>24は「クジフル山は高祖山の最高峰」というが、人によっては
高祖山の須俱隣のピークだというし、別のピークをあげる人もいる
0031日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/17(火) 19:36:38.52
>>28
>三雲は奴国ではないよ。

ごめん、これは勝手に、三雲→須玖岡本に脳内変換してた
こっちのミスで、変な言いがかりになってしまって申し訳ない
この件は了解
0032日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/17(火) 19:39:34.79
クシフル山については、怡土郡誌か何かに、高祖山のふもとに椚とあるのが
クシフル山の転訛したものだろうとあるのを示した人がいるが、どうやらそれが精一杯らしい
0033日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/17(火) 20:43:48.24
http://maps.gsi.go.jp/#13/33.541752/130.280342/&;base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
高祖山連峰の
第二峰 416ピーク 高祖山
第一峰 419ピーク くしふる岳

一番高い峰を高祖山と呼ばないことが混乱の原因かもね。
表現が違うだけで、紹介されている写真などを見ると、上記の位置を示しているみたい。
0034日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/17(火) 21:07:20.62
前スレ、900あたりより、この流れ惨すぎる
『他の鏡種ではなく内行花文鏡こそが、太陽信仰を象徴するって いう論文があるなら出してごらん?』
「いや、普通に考えればなにも内行花文だけが独占的に太陽を象徴している必要はないわけで、おまえは何に見えるの?」
『そっちが答えないのに、こちらが答える道理はないだろ? そしてこっちの要求は、日本史板の趣旨に合うが、そちらの要求はただの難癖 レベルの低いやつはこれだから困るww」
「(難癖?レベルが低い?ただの質問なんだけど?)日本語わかりますか?何に見えるの?』
『マンホールの蓋』
「(は?突然何を言い出すの?)いや、マンホールの蓋って、弥生時代にはないよね?」
『太陽に見えるから太陽の象徴というマイルールを認めろというなら、マンホールに見えるからマンホールの象徴という主張と差異はまるでないことに 気がつかないとww 』
「いやいやいや、だからそもそもマンホールの蓋って、弥生時代にはないよね?そこが既におかしいよね?」
『マンホールというのは外来語だから、3世紀の人間がマンホールという用語そのもので 考えていた可能性は否定できるが、
ここでマンホールというのは、暗渠や水路などの蓋という 機能面について(以下略)』
「(だめだコイツとは会話が成り立たないわ)」
0035日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/17(火) 21:32:35.22
多くの人が、「これは八咫鏡だ」と納得すれば、細かい数字はともかくとして八咫鏡になってしまう。
八咫の大きさから程遠いのに八咫鏡と呼ばれている伊勢の鏡がその代表だ。
つまり、平原の鏡が八咫鏡であることを否定する材料は皆無なんだよ。
いやむしろ、これまで知られているどの鏡よりも八咫鏡にふさわしい。
0036日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/17(火) 21:40:14.89
高千穂と呼ばれる地名は多い。
しかし宮があり城があり王墓を備えた土地は伊都しかない。
まして固有名詞で筑紫と呼ばれるのは古代においては筑前の中でも博多湾沿岸のみ。
筑紫の日向の高千穂宮を、伊都以外のどこに求められるというのか。
考古学的に弥生時代最高の文化的水準を達成していたことが明らであり、魏志倭人伝にも郡使が滞在し大率が置かれた外交と政治の中心地となっている。
神代(古墳時代より前、弥生時代)における倭国の都は伊都しかあり得ない。
0037日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/17(火) 22:15:38.19
>>33
>一番高い峰を高祖山と呼ばないことが混乱の原因かもね。

ピーク自体はあるけれど、そこが「クシフル岳」と呼ばれていたことを示す資料がないんだよ

ネット上ではいろいろ書いている人がいるけれど、昭和の頃に伊都国説を言う人が出てからの
ものしかない
0038日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/17(火) 22:20:09.10
>>35
>つまり、平原の鏡が八咫鏡であることを否定する材料は皆無なんだよ。

逆だよ

「否定できなければいい」、ではなく>>35自身が書いているように
「多くの人が、「これは八咫鏡だ」と納得」する必要があるんだよ

しかし、平原に八咫鏡があったという伝承の痕跡すらない
八咫鏡とされる理由がないんだよ

太陽に見える、と1800年もあとの人間がいくら思っても、論証には全くの無益だよ
0039日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/17(火) 22:25:19.28
>>34
本当に情けないやつだな

前スレ
>990で
「で?弥生時代にマンホールがあった証拠は? 」
>992で
「文脈無視の××は弥生時代にマンホールがあった証拠を持ってこい、話はそれからだ。 」って
いきってたのは>>34だろ?

勝てると思ったときには立て続けに、差別用語を交えて畳みかけておきながら、
3世紀に肥溜めの蓋がなかったことを論証してね、と言われたら、逃げる逃げるww

本質はここだよ
「主観で科学を語るのがダメだって話
 日本史も人文科学だよ

 科学の手続きから外れた論証はトンデモ」
0040日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/17(火) 22:42:58.37
>>39
肥溜め好きは巣に帰れよ。
新しく出来ただろ。
0041日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/17(火) 22:48:14.98
大正時代の郡誌までは確認できるらしいよ。

「高祖村、椚 二十四戸。慶長の頃、黒田長政、村の南の、野地を開き、田地とすべしと、手塚水雪に命ぜられし書状、今も、農民、田中が家にあり。
 其書に、五郎丸の内、日向山に、新村押立とあれば、椚村は、此時立しなるべし。
 民家の後にあるを、くしふる山と云、故に、くしふると、云ひしを訛りて、[木毛]と云とぞ。
 田中は、元亀天正の間は、原田家より与へし文書、三通を蔵す。」
(福岡県地理全誌抜萃目録、恰土郡之部。大正二年五月発行、『怡土志摩郡地理全誌』東京糸島会発行所収)
0042日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/17(火) 23:28:06.79
古事記
故爾詔天津日子番能邇邇藝命而、離天之石位、押分天之八重多那(此二字以音)雲而、
伊都能知和岐知和岐弖(自伊以下十字以音)、
於天浮橋、宇岐士摩理、蘇理多多斯弖(自宇以下十一字亦以音)、
天降坐于竺紫日向之高千穗之久士布流多氣。(自久以下六字以音)。
0043日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 02:41:19.33
>>41
民家の後とはあるが高祖山のことだとはどこにも書かれてないよね
その同じ本の高祖山の項目にはなんて書いてあるんだろうねぇ
0044日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 06:31:38.33
高祖山の麓の民家なんだけどね。
椚は今でもある集落だよ。
http://maps.gsi.go.jp/#13/33.541752/130.280342/&;base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
の地図をその位置で+ボタンで拡大すると見える。
0045日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 06:44:23.39
高祖山には416と419(クシフル)の2つのピークがあるので、二上山とも言える。
古事記ではクシフル山だが、日本書紀では高千穂の二上山とある。
どちらでも高祖山のことで良い。
0046日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 06:52:33.84
まだ 続いてんのクソスレ

伊都国(卑弥呼)が東遷なら
3世紀畿内が文明的に九州に比べ劣っていたのは何故?
この疑問に答えるべきだね
0047日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 07:23:37.46
>>46
個人的に邪馬台国の東遷はなかったという立場なのだが、たまたま賑わっていたスレなので使っている。
東遷があったとすれば、出発地の筑紫の日向の高千穂宮は必然的に伊都国高祖宮になる。
でも移動したのは天孫族だけで、倭の王都である邪馬台国は移動しなかったとも考えられる。
それなら、天孫族の歴史書である記紀の話題が大和に移っても、卑弥呼がいた邪馬台国は伊都国のまま。
もっとも、記紀も東遷ではなく東征と表現しているので、実は記紀でも倭の王都が筑紫の伊都のままでも構わないんだよね。
記紀は倭の中の大和ローカルの歴史書になる。
0048日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 07:25:38.38
>>42
>伊都能知和岐知和岐弖(自伊以下十字以音)、

この部分はストーリーに関係ない修飾語なのだが、わざわざ伊都の文字を入れて掛詞にでもなっているのかな?
0049日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 07:49:08.45
>>41

訓読み
1.へる 2.うつぎ
音読み
1.ボウ 2.モウ

「椚(くぬぎ)」にしても「枆」にしても、どう読んだら
「民家の後にあるを、くしふる山と云、故に、くしふると、云ひしを訛りて、[木毛]と云とぞ。 」に
なるのかが分からない

またこの郡誌では、「日向山」となっているし、高祖山、クシフル岳との関係が不詳

もう少し検討してもらえるかな
と言いつつ、これ以上の資料はないんだよな
伊都国説にはきびしいところ
0050日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 07:54:06.85
>>44
>高祖山の麓の民家なんだけどね。
>椚は今でもある集落だよ。

民家と集落は違うw、のは置いておいて、
高祖山と名前のついているピークからは結構南に離れた位置にあるし、
>>33のいう「第一峰 419ピーク くしふる岳 」は、椚からみて山塊の向こう側になる
いずれにしても椚と特定のピークを関連づけるのは無理だし、
クシフル岳の名前が残っていないことには変わりがない
0051日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 07:58:25.98
伊都(いつ)は、重要な概念だね。
いづも とも関係あるんじゃないかな?
0052日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 07:58:55.76
文献には、「椚(クヌギ)〜、民家の後ろにあるをクシフル山と云ひしを誤りて椚と云ふに至れり」とある
0053日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 08:03:48.48
古事記
故爾詔天津日子番能邇邇藝命而、
離天之石位、押分天之八重多那(此二字以音)雲而、
伊都能知和岐知和岐弖(自伊以下十字以音)、
於天浮橋、宇岐士摩理、蘇理多多斯弖(自宇以下十一字亦以音)、
天降坐于竺紫日向之高千穗之久士布流多氣。

日本書紀本文
皇孫乃離天磐座、(天磐座、此云阿麻能以簸矩羅)。
且排分天八重雲、稜威之道別道別而、天降於日向襲之高千穗峯矣。
既而皇孫遊行之狀也者、則自槵日二上天浮橋立於浮渚在平處、
(立於浮渚在平處、此云羽企爾磨梨陀毗邏而陀陀志)。

書紀の一書はあとで
0054日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 08:05:45.10
>>52
この音節の変化には懐疑的な意見が多いし、個人的にも意味がないと思う。
ただ、高祖山416メートルは高祖神社の上だが、クジフル山419メートルに登ろうと思ったら、日向峠に面した椚の方が近いだろう。
双方のピークを合わせて山城としたなら、正門が高祖神社の参道で、裏門が椚だね。
0055日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 08:19:08.67
別の説として、天浮橋を志賀島の海ノ中道、串日(略字にて御免)を橿日(香椎宮)に充てることも提案したい。
この場合、郡使が留まるのは伊都だが、王宮は香椎宮(不弥国)となる。
二上山は立花山(ピークが二つある)となる。
立花の名前は筑紫の日向の橘にも通じる。
伊都国から不弥国までは魏志倭人伝に里程も掲載されているので、郡使が往復したことは間違いない。

伊都高祖宮にしても筑紫香椎宮にしても、筑紫の中の博多湾沿岸であり、この一帯を女王国(邪馬台国)としていたのだろう。
0056日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 09:02:12.52
地形図みたらわかるけど椚の民家からすぐに小さな尾根があるんだよ
高祖山の説明には全くクジフルとか出てこないし、民家の後ろってのはこっちのことだろ
0057日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 10:03:23.34
>>48
稜威も辞書的に解説されるけど、何故そういう意味なのかは不明だと思うけどね。

地名と役割からかなり意訳して稜威になってると思えば、伊都は権威者の象徴だったんだろうね。
伊の字がそもそも特殊な字だ。

神をいつく
イチキシマヒメも
ヤマイチも

イツという音がどういうわけかつきまとう。
0058日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 12:56:33.05
>>56
>高祖山の説明には全くクジフルとか出てこないし、民家の後ろってのはこっちのことだろ

だけど、椚の集落は、あくまで高祖山の方のふもとにある
今問題にしている419メートルのピークは、「今宿上の原」に抜ける峠よりも南で
椚から見たら別の山に見える

その意味で、多くの素人さんのページで高祖山のすぐ南のピークをクシフルに
当てていることの方が、怡土志摩郡地理全誌の記述には合う

国土地理院のウェブ地図で、右上の「機能」というボタンから3D地図が作れるから
確認してみて
0059日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 12:56:52.28
>>56
小さな尾根ではクジフル山とは呼ばれないだろ。
高祖山の説明で出てこないということは、高祖山416メートルとクジフル山419メートルは別の山の扱いというだけ。
表参道は高祖山の方だろう。
ちなみに怡土城の城域は280ヘクタールある。
中心となる施設が高祖神社だね。
0060日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 13:05:46.38
それから、地図をきちんと見て気づいたんだが

>>33
第二峰 416ピーク 高祖山
第一峰 419ピーク くしふる岳
と書いてくれているけれど、これは測量点の高さで、
国土地理院の地図で等高線を確認すると
高祖山のピークは420メートルの等高線よりも高いね
416メートルのポイントは、410メートル等高線と420メートル等高線の間にある

高祖山の方が、最高峰だよ

ちなみに、この二つのピークの間の鞍部(峠)は、
260メートルくらいまで下がってる

高祖山そのものがクシフル山だという方が、まだ分かりやすいかもしれない
0061日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 13:13:30.44
>>59
>高祖山416メートルとクジフル山419メートルは別の山の扱いというだけ。

別の山の扱いだとすると、クヌギの集落の背後にあるのはあくまで
高祖山ということにしかならない

高祖山そのものをクシフル山というなら分からないでもない
0062日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 16:46:52.52
詳細な評価をありがとうございます。
自分でも地図を見直しました。
ブログなどで紹介されている写真と比較すると、高祖山のピークの400メートルほど南東にある、標高400メートルほどのやや平らな峰をクジフル山としているようです。
高祖神社からと椚からは別々の登山道があり、椚からの登山道は高祖山とクジフル山の中間の尾根に出るようです。
0063日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 17:40:36.18
>>62
>標高400メートルほどのやや平らな峰をクジフル山としているようです。

現在、ブログなどでクシフル山の位置に言及している人は、そこを指している人が
多いようだね

ただ、そこだと>>59のいうように
「小さな尾根ではクジフル山とは呼ばれないだろ。
 高祖山の説明で出てこないということは、高祖山416メートルとクジフル山419メートルは
 別の山の扱いというだけ。」
という批判に耐えられない

それと、クシフル山と表記しているけれど、古事記では「久士布流多氣」、
日本書紀の一書では「槵觸之峯」という表記をしていて、「岳」も「峰」も
「山」よりは険しい山塊に使われる文字だというのも気になる
0064日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 17:48:37.52
小さな尾根では〜とか結論ありきかつ主観でしかない

民家の立地するあたりから高祖山は標高差がかなりあるが、
これを「民家の後ろ」としか表現せず、高祖山の名をださないのは不自然極まりない
また、地誌の類いでの高祖山についての項目にクジフル山のことが全く触れられていないのも不自然

チェリーピックとはまさにこのこと
0065日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 18:31:52.65
>>63
>日本書紀の一書では「槵觸之峯」という表記をしていて、「岳」も「峰」も
>「山」よりは険しい山塊に使われる文字だというのも気になる

それは尊称というか誇張表現なんでしょう。
0066日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 19:14:36.92
>>65
>それは尊称というか誇張表現なんでしょう。

でも、里山レベルの山に「天孫降臨」ってスケールが合わないと思わないかい?

「神話だからどうでもいい」というならそれでもいいけれど
0067日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 19:22:52.30
実在したかどうかすら怪しい地名なのに
>椚の語源とされるクジフル
0068日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 19:49:56.12
語源云々が後付けの説明なのであり、くしふるの地名そのものは昔からあったのだろう。
ただし椚の集落が慶長年間にできたことはわかるが、名前がいつ成立したかは不明。
大正の文献で確認できるので、昭和の九州説とは関係ない。
0069日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 20:34:15.99
>>68
>語源云々が後付けの説明なのであり、くしふるの地名そのものは昔からあったのだろう。

クシフルの地名は、記紀では確認できる(昔からあった)が、
それが高祖山周辺の地名としては(古くからあったことが)確認できない
という話だよ

地名説話が後付なのはいいが、その地名説話が説かれた時には、当たり前の
誰もが知る地名でないといけない
高祖山周辺のクシフルは、「誰も知らない地名」なんだよ
そこが問題
0070日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 20:54:54.16
>>68
>大正の文献で確認できるので、昭和の九州説とは関係ない。

その大正の文献を、昭和の初期だと思ってた
修正ありがとう

「福岡県地理全誌」は明治5年、陸軍省の「全国地理図誌」編集の命を受け、
旧福岡県(筑前15郡)が明治5年から7年にかけて調査し、5年から13年にかけて
編集した郡村地誌である。
第六巻は早良・怡土・志摩の各郡を収めた。

これがもと本のようだね
0071日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 21:05:20.22
http://fujikoubou.html.xdomain.jp/yamatabi/takasuyama/takasuyama.html
ここに怡土城の平面図やら楼閣のあとやらが紹介されているのだが、すこしおかしいなと感じた。
城域の南縁は、高祖神社からの登山路に入っているが、この線より北あるいは西を城域とすると、先ほど求めたクジフル山が含まれない。
城域の北縁は楼閣跡があるので間違いないが、南縁はこの図の位置ではないはずだ。
そもそも、この城は福岡と糸島を結ぶ日向峠を守る必要があるので、南縁は日向峠まで届かなくてはいけない。
そうすれば、クジフル山も自然と城域に含まれる。
クジフル山の頂上が平らなのも、そこに何か構造物があったのではないかと疑う根拠となる。
後世の高祖城の遺構とも読めるが、定かではない。
魏志倭人伝には卑弥呼の宮城は楼閣が高く兵が厳しく守っていたとあり、高祖宮を囲むように石塁や山上の楼閣が連なる様子はまさにそのままの光景だったろう。
別名を高千穂宮というのもピッタリだ。
0072日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 21:13:01.69
>>70
すばらしい。
これで高祖山をクジフル山と呼んでいたのは、少なくとも明治5年まで遡り、すでにその時点で古伝だったようですね。
0073日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 21:26:52.68
>>72
>これで高祖山をクジフル山と呼んでいたのは、

呼んでないよ
出てくるのは日向山
0075日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 21:44:36.31
>>73

>>41
> 民家の後にあるを、くしふる山と云、故に、くしふると、云ひしを訛りて、[木毛]と云とぞ。

くしふる山も出てきますよ。
0077日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 22:44:32.35
訛りは推量だが、くしふる山の名前は昔から言われていたんだよ。
0079日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 22:55:00.62
>>75
この辺のところが「本当はどう書いてあるのか」、確認したいんだよね
古田史学の会の情報は、正直信用していない

チェリーピッキングか、都合のよい切り抜きなんじゃないかという疑念が
拭えない
0081日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 23:26:35.58
出典が明記してあるんだから、自分で国立国会図書館にでも行けよ。
自分で何も示せないなら黙ってろ。
0082日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 23:29:06.88
捏造は畿内説の十八番だろ。
0083日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 23:31:48.41
示してないのは伊都クズの方じゃんか
その本の高祖山の項目にはなんて書いてあるんだ?
0084日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 23:33:28.86
もったいぶらずに自分で書けよ。
0085日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 23:40:10.45
>>66
>でも、里山レベルの山に「天孫降臨」ってスケールが合わないと思わないかい?

君はいつも過小評価というか蔑むのが好きな、ひねくれた性格をしているね。
大事なのは、そこが伊都国と奴国と博多湾を見下ろすことができる要害の地であり、無数の倭王の弥生王墓に囲まれた、王都の中心にふさわしい場所だということ。
0086日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/18(水) 23:59:07.52
結局、誰も高祖山の峰のひとつがクジフル山と呼ばれていたという確実な根拠は示せなかったな
0087日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 00:05:46.78
明治5年までは遡れるようだね。
0088日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 01:23:18.54
怡土志摩郡地理全誌は大正二年に大日本国体擁護団の三塩熊太が書いた本だろう
0090日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 07:40:40.72
>>88
>怡土志摩郡地理全誌

>>41が書いてくれているように
(福岡県地理全誌抜萃目録、恰土郡之部。大正二年五月発行、『怡土志摩郡地理全誌』東京糸島会発行所収)ということらしい

つまり、明治年間に発行された福岡県地理全誌の内容から、怡土志摩郡の分を「東京糸島会」の人が
抜粋編集したものだと思うが?
三塩熊太はその編集に当たったってことだろう

「福岡県地理全誌」は電子図書で買えるみたいだから、誰か確認してよ
0092日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 08:20:55.66
>>90
疑義があるなら自分で買えよ。
0093日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 08:31:08.90
>>92
中高年ヒキだから金がないのだろう
0094日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 08:54:05.83
誰かが掲示板に「買ったらちゃんとその通りに載っていた」と書けば信用するのかな?
すでに出典が記載されているということは同じことだと思う。
出典付きのレスが信用できないなら、掲示板などはじめから覗かなければいい。
明治まで遡れば古田とか関係ないし。
0095日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 10:03:38.06
大正二年の伝聞までしか遡れてないわけだろ?
0097日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 10:56:26.40
>>96
>明治8〜13年だろ

ネット上の伝聞の
「福岡県地理全誌」は明治5年、陸軍省の「全国地理図誌」編集の命を受け、
旧福岡県(筑前15郡)が明治5年から7年にかけて調査し、5年から13年にかけて
編集した郡村地誌である。
は信用するんだ
まあ、ぐぐればそのまま出てくるからなw

でも、古田史学の会は信用ならないだろ?
東日流外三郡誌を偽書と認めないんだからw
0098日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 10:57:44.07
>>94
>明治まで遡れば古田とか関係ないし。

その明治の情報を、古田史学がどのようにアレンジしてるか
分からないって言ってるんだよ
0100日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 11:08:39.50
このスレでは、連弧文鏡が太陽に「見える」っていう主観が、議論のベースらしいから
主観や感想は、ものすごく大事にしてくれるよ
0101日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 11:14:50.89
たとえばさ、伊都国説の連中はよく
「大作冢」は、「大いに冢を作る」であって「大きな冢を作る」ではないって
うれしそうに書いてるけどさ、
でも「径百歩」なのは変わらないよね?

伊都国のどこにも径百歩の墓がないのに、
それでよく伊都国説なんてやってられるね?
0102日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 11:26:02.23
古代の単位系を新たに創作するのは九州説の伝統芸
0103日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 11:34:53.63
>>97
>でも、古田史学の会は信用ならないだろ?

このスレにもその文献にも、明らかに関係ないだろ。
ここは古田説のスレでさえないし。
コンプレックスでもあるの?
0104日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 11:36:34.63
>>101

ここは伊都国説のスレでもないし。
伊都国からの文化の継承を重視した畿内説なんだろ?
0106日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 11:45:38.27
>>103
>このスレにもその文献にも、明らかに関係ないだろ。

それがな、その文献自体は発行部数も少ないし、自分の目で見ている人がほぼいないんだ

で、ネット上では、『怡土志摩郡地理全誌』のことが検索できるんだが、それが、
「古田史学の会」の引用情報の孫引きしかない

畿内説スレで、寺澤論文「大和弥生社会の展開とその特質(再論)」
http://www.makimukugaku.jp/pdf/kiyou-4.pdf を引用しながら、
切り貼りで「畿内が征服対象の滅ぼされた地域」みたいな印象操作を
使用としていたやつがいるのは知ってるか?

一部の言葉だけ抜き出すことで、いくらでも情報を曲げられるんだよ
で、出所が「古田史学の会」しかないのでは、クロスチェックすらできない

孤立情報は、外れ値かどうかの判断もできないから、参考情報にしかならないんだよ
その辺が、九州説の議論は甘すぎて、科学になっていない
0108日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 11:54:05.37
>>105
違うと言い張るのは勝手な論理だな。
邪馬台国が畿内にあるのなら、全て畿内説だよ。
他のスレでも葛城だ京都だといろいろあるが、畿内なら全て畿内説だ。
0109日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 12:04:19.26
貝原益軒の筑前続風土記に高祖古城を
「高祖山頂に在」「本丸の址南に在。尤高し。」
「本丸の南三四町に、鬼が城とて高き山有。本丸よりはひきし」
とある
椚の地名は記載あるが、由来は書かれていない

江戸時代には「クシフル」という地名は無かった可能性が高い
0110日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 12:12:49.21
>>108
もう、東遷説だ、畿内説だと言い争いしている場合じゃないだろに。  @阿波 
0111日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 12:15:36.82
>>108
畿内ならどこでもいいというなら、それはトンデモ説だな
所在をちゃんと特定できてないからね
日本説というのと変わりない
0112日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 12:16:59.76
>>110
ゴミと有価物の分別は必要
0113日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 12:27:53.79
>>112
両方ともゴミのようだよ。  @阿波
0115日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 13:29:46.83
>>114
>福岡県地理全誌(明治8〜13年進達)

福岡県地理全誌や、怡土志摩郡地理全誌の存在を争ってるわけじゃなくて、
「古田史学の会による『部分引用』しかない」状況では、まともな議論が
できないって話

二次資料ではなく、一次資料を調べたいっていうことだよ
0116日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 13:32:43.06
とりあえず、図書館レベルでの「怡土志摩郡地理全誌」の所蔵館は以下の6ヶ所

九州大学 附属図書館 図

九州大学 附属図書館 文

九州大学 附属図書館 経済

東京大学 史料編纂所 図書室 図書

花園大学 情報センター(図書館)

福岡教育大学 学術情報センター 図書館 図

これらの大学の学生さんがいたら、見てきてくれんかね?
0117日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 13:42:04.72
>>116
自分でいけよ、カス
0118日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 14:01:38.07
>>117
>自分でいけよ、カス

大学図書館というのは、基本的にその大学の教職員・学生じゃないと利用できないんだ
日本のシステムには暗いようだねw
0119日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 14:05:08.17
>>117
お前はこいつだろ?w

前スレ>991
>文脈無視の××は弥生時代にマンホールがあった証拠を持ってこい、話はそれからだ。
0120日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 14:10:05.11
あんたら、江戸時代の文献にはまだ出てきてないような情報つかって何を語る気なんだ?
0121日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 14:13:27.73
>>119
事実、発見されてるんだ
事実に証拠は要らない
と言ってみるテスト
0122日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 14:17:37.69
平原1号墓から、「鋳上がりの悪い、伝統の文様・作図法を無視した
やたらでかい破砕された仿製鏡が5枚出土した」のは事実

でも、6枚目があった、とかいうのは憶測か妄想

「あったらいいな」で歴史を語るのが、伊都国説のデフォ
0123日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 16:02:35.14
>>122

そんなに平原の鏡の意味が怖いのか…
特別感を増してるだけだろ、それ

同時期の国産の鏡と比べた?
伝統?
3世紀前半、国産の鏡でこのレベルがゴロゴロあるのなら、伝統云々はわかるが
0124日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 18:30:19.21
>>123
つまり伝統とは縁がない
王権の象徴でもない

ということは、東遷説には使えない
0125日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 18:31:56.14
>>111
>畿内ならどこでもいいというなら、それはトンデモ説だな

畿内説そのものがトンデモであり、詐欺のようなもの。
大和とか纒向とか特定するならともかくね。
あそこかもしれない、ここかもしれない。
消防署の方から来ました、みたいなものだよ。
0126日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 18:33:17.58
>>124
何をもって「つまり」なのかさっぱりわからない。
平原遺跡の鏡が特別な一品であるということだろ?
むしろ王権の象徴として最適だよ。
0127日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 19:12:29.15
>>125
女王の都は纏向と特定しているが?
0128日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 19:17:40.86
>>126
わからない?

>伝統?
>3世紀前半、国産の鏡でこのレベルがゴロゴロあるのなら、伝統云々はわかるが

って書いた人と別人?


なんで「むしろ王権の象徴として最適」なの?
理由は?
0129日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 19:36:21.50
王権の象徴を叩き割って埋めてたら
その国は滅亡したってことだよな
末代女王の墓か
0130日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 19:44:59.85
>>124
それには同意
自分も東遷説ではないので

東遷的な事があったとしても、卑弥呼やイヨの後だと思うね
やはり、鉄物資の拡がりや大陸との関係性が重要と考えているので、畿内では3世紀中頃まではちょっと無理があるかと

どちらかというと、後の時代に東征に近いものがあり、その勢力の連合国が本家をしのぎ、力が強くなった?ぐらいに考えている
なぁんも根拠はないがな

あえてあげるとすれば、神武の逸話や鏡副葬文化が根付いた事ぐらいだが、鏡はただの思想の流行とも考えられるから根拠にはできない
まぁ影響は与えているとは思うが
0131日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 19:53:02.62
畿内や西日本に大きな動きがあるのは、卑弥呼の死後くらいからだね。
だからいつも畿内説は年代比定が前倒し気味になっている。
0132日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 19:57:46.73
>>124
当時においては、王権の象徴かどうかはわからないが、鏡副葬文化地域においては権威的に頂点に位置するなのは間違いない

鏡副葬文化地域のそれを倭国とするなら、平原は王墓の可能性が高い。
0133日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 20:03:47.88
>>130
>あえてあげるとすれば、神武の逸話や鏡副葬文化が根付いた事ぐらいだが、鏡はただの思想の流行とも考えられるから根拠にはできない

畿内は銅鐸を捨ててまで銅鏡を取り入れている。
0135日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 20:08:54.63
つまり東遷か?
0136日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 20:12:47.83
>>123
>3世紀前半、国産の鏡でこのレベルがゴロゴロあるのなら

鋳上がりが悪くて、連弧文の領域が他の内向花文鏡より目に見えて小さくて、
連弧文の中に描かれる模様がない、大きくすることだけが目的(割るときの
見栄え重視?)の粗製鏡という点で、他に比類のない鏡だと思うよ

だが、日本人の感性だと大事な鏡なら、大きくするだけではなく細部まで
こだわるものだがな

連弧文鏡
http://www001.upp.so-net.ne.jp/wi12000/img/ren_seihaku.htm
内行花文鏡
http://www001.upp.so-net.ne.jp/wi12000/img/8ko4yo.htm

内向花文鏡のもとの形は連弧文鏡だが、例えばこの鏡とか、太陽に見えるかい?
https://lh3.googleusercontent.com/-JkoRaOL6zWE/VquP-1b7IqI/AAAAAAAADNs/oeMTR7-sBtk/s2600/rak_thk24.gif
0137日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 20:15:51.67
>>125
>あそこかもしれない、ここかもしれない。
>消防署の方から来ました、みたいなものだよ。

それ、九州説ww
ここには伊都国推しが多いけれど、筑紫平野という九州説も多い

畿内説は基本的に邪馬台国=ヤマト国だし、
王都の候補地は纏向遺跡だよ

最近、畿内説スレでわざと京都説推しをしている九州説の
頭のおかしいのがいるけどね
0139日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 20:19:19.28
>>131
>畿内や西日本に大きな動きがあるのは、卑弥呼の死後くらいからだね。
>だからいつも畿内説は年代比定が前倒し気味になっている。

それが、情報古いんだってば!

畿内説スレでたくさん貼られてた、これを一度きちんと読んでごらん
「大和弥生社会の展開とその特質(再論)」
http://www.makimukugaku.jp/pdf/kiyou-4.pdf

畿内の画期は、畿内第V様式が始まるときと、庄内期に入るときだよ
さすがに、畿内第V様式の始期が卑弥呼の死後とは言わないだろ?
0140日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 20:20:25.24
>>132
>鏡副葬文化地域においては権威的に頂点に位置するなのは間違いない

権威の頂点が割られるという論理が理解できないんだが?
0141日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 20:24:27.52
>>139
>畿内の画期は、畿内第V様式が始まるときと、庄内期に入るときだよ

その画期は倭国(阿波)を発った忌部一族が持ち込んだ「東阿波型土器」の製法によるんだよ。  @阿波
0142日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 21:07:48.94
>>139
>畿内の画期は、畿内第V様式が始まるときと、庄内期に入るときだよ

九州邪馬台国と関係ないね。

>さすがに、畿内第V様式の始期が卑弥呼の死後とは言わないだろ?

根拠なし。
0143日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 21:08:29.93
>>140

偉人が亡くなった時に形見分けする破鏡なのでは?
0144日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 21:12:06.82
>>142
>九州邪馬台国と関係ないね。

九州は邪馬台国と関係ないね。  @阿波
0146日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 21:50:21.58
>>142
>>さすがに、畿内第V様式の始期が卑弥呼の死後とは言わないだろ?

>根拠なし。

あきれたな
ここまでバカだったか

畿内第V様式は、九州でも出てるから、九州編年との対応も付けられるんだよ
九州編年の高三瀦式から、下大隅式の頃にあたる
西暦で言えば1世紀の末ぐらい
卑弥呼の頃よりずっと前だろ

根拠なしっていうのは>>142がもの知らずで何もかも否定しないと九州説が保て
ないからっていう私的な理由だなww
0147日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 21:50:56.03
>>143
>偉人が亡くなった時に形見分けする破鏡なのでは?

分けずに埋めてるんですが、それは?
0148日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 21:53:20.81
>>146
>畿内第V様式は、九州でも出てるから、

つまり、九州と畿内は無関係っていうのも、考古遺物からも否定されてるんだよ
ソースも付けとくよ
九州説と違って、ちゃんと根拠があるからさ
「古墳出現前後における畿内型甕形土器の西方拡散に関する研究」佐々木憲一(2010)
明治大学人文科学研究所紀要 第66冊 (2010年3月31日)251−312
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/10881/1/jinbunkagakukiyo_66_251.pdf
0149日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:03:43.12
>>147
いやいや、破片は全部が揃っていないのだよ。
つまり、持ち去られた破片がたくさんある。
0150日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:04:34.21
九州邪馬台国には、西日本各地から土器が集まっていたんだね。
0152日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:06:51.51
奈良盆地はおろか畿内において前段 階(第VI –2 以前)に前方後円墳築造に直接繋がる要素はほとんどない。
このことはヤマト王権の権力母体が大 和(とりわけ「ヤマト国」)ないしは畿内唐直接引き継がれたとする第一の道論にとっては決定的な弱点となる。
つまり、畿内や大和ではその直前まで首長墓を含む一般 的墓制は方形墓なのであって、しかも王権を構成した主 要地域に比べると、墓に反映されるほどの階級的に隔絶 した首長権力が存在した形跡は微塵もないのである。
首長層の権力の動向が如実に墓制に反映される社会であるからこそ、大和弥生社会と纒向遺跡の前方後円墳の出現 にみる権力者(集団)の断絶と異質性は重要な意味を持つのである。

どう見ても東遷です。有難うございました。
0154日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:12:34.79
>>152
先入観で読みすぎ
0155日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:12:38.04
平原は古墳時代に繋がる要素ばっかりだね。
0156日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:18:46.29
>>152
まるまる引用長々とかいて
一行だけ「どう見ても」って脈絡ナシ感想添えるって
どんだけ思考停止してんだか
0157日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:22:57.31
>>155
ほら、具体的なこと何も言わないのが
トンデモ説な証拠


ww
0160日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:28:24.51
>>153
>九州にも前方後円墳築造に直接つながる要素はないぞ

前方後円墳築造に直接つながる要素があるのは、唯一倭国(阿波)だけ。  @阿波
0161日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:29:23.18
そもそも私は、橿原考古学研究所に入所し自らこのテー マを追い始めた1976 年頃から、
大和弥生社会の自然的、 社会的、そして文化的安定性とそれゆえの緊張関係の欠除、
いわば内陸後背地の保守的地域がそうした王権機構を生成するような母胎にはたしてなりえたのか、
というこの疑問が終始脳裏を離れることがなかった。

畿内自生だけはないと断言して、根っからの東遷論者とカミングアウトしてるわけだ。
おつかれ。
0163日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:31:46.30
>>156
どう読んでも、違う権力者が入って来たということが書いてあるように思えるけど?
0165日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:32:15.85
そう書いてるじゃん。
都合の悪いことが見えない文盲の人??
0166日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:33:57.01
>>163
「どう読んでも」「どう見ても」は
思考停止のあかし
0167日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:34:09.02
大和弥生社会がこの時期により大き な別の権力主体によって征服、あるいは包括、
刷新されるという苛酷な道であり、そこでは農業共同体構造の再 編は外的強力によって強制的に達成されたことになる。
旧稿において私は、(中略)第二の道を主張した。

東遷ですね。
0168日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:35:00.18
そう読みたくないのは、第一の道の自生説にすがるアホだけ。
0170日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:36:47.43
寺沢先生はごっこ扱いw
0171日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:38:11.57
都合の悪いことだけ読めない文盲wwww
0172日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:38:44.01
本人は「東遷説と誤解された」と明言してるのに都合が悪い事実はガン無視
0173日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:39:46.73
>>156
ちゃんとじっくり読みなよ。
大和は外部からの権力者により変化を生じたということだろ?
0175日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:40:31.64
>>172
都合のいいところだけ抜き出すなよ。
全体の文脈を読めよ。
0177日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:43:05.94
>>175
東遷説なら、誤解されたなんて表現しない
日本語に不自由なんじゃないですか
0179日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:44:15.08
本論の主旨や 記述も第二の道論であるとはいえ、こうしたなかば
大局的・協調的・妥協的な路線に沿って行われたものと考えている点を再度、明言しておきたい。

東遷は東遷。それが単に「大局的・協調的・妥協的な路線に沿って行われたもの」というだけ。
文盲乙
0180日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:44:54.67
>>165 >>167

都合の悪いことが見えない文盲の人が
侮蔑を込めて
東遷厨と呼ばれている

なぜなら文章は

>しかし、征服な ど物理的強力を前提とした「東征論」や北部九州や吉備 勢力を念頭においた政治権力の直接的移動を想定した「東 遷論」に与するものではない。

と続いてるから
0181日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:46:09.14
ま、畿内自生だけはない。
おつかれ
0182日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:46:36.04
>>177
東遷を唱えると攻撃されるからお断りをしただけだろ。
でも本音はかなり東遷に近いようだ。
0184日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:50:12.30
>>183
お前みたいのに非難されるのが嫌だから、形式上言ってるだけ。
寺沢の結論は、「妥協的になされた東遷」だよ。
0185日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:50:41.02
森浩一の教え子がいかに洗脳から脱会して行ったか
というプロセスをちゃんと理解しないと
東遷厨らしいトンデモに堕ちる
0186日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:51:18.00
>>180
権力が移動せずに分家が入り込んだ程度という意味だろう。
外部からの影響は確実なわけで、それが単純な武力征服ではないというだけ。
饒速日を神武が迎え入れたという政治的な取り引きの末に、九州倭国の本国はそのままに、大和がより強く筑紫の影響下に組み込まれていったということだな。
少なくとも、記紀の「東征」をまったく否定していない。
大和で畿内政権が誕生したという自生説はキッパリ否定しているのにね。
0187日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:51:21.40
なんだそりゃ。本人に対する侮辱もんだろ。
0188日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 22:54:28.66
>>185
東遷はトンデモだが、東征は記紀に書かれている。
なぜかそれを東遷と勘違いして1000年以上もこの国の国体と基礎として来たのだが、それをトンデモと呼ぶのはいささか抵抗があるよ。
論理的な批判になっていない。
感情的な否定しかない。
東遷を一番非難しているのは九州説だというのは皮肉だよ。
0189日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 23:03:50.83
>>182
本人は否定してるが、オレ様にはワカル


これが九州イタコ説
0190日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 23:05:44.76
大和にとっての外的強力とはいかなる地域のいかなる集団であったか(権力中枢の系譜)、

これはどう解釈するんだ?
先生はなんと結論づけているんだ?
0191日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 23:06:47.47
>>189
論旨がどうしても読み取れない文盲
0192日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 23:08:04.59
>>179
>東遷は東遷。それが単に「大局的・協調的・妥協的な路線に沿って行われたもの」というだけ。

わかります。
記紀の通りですから。
0193日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 23:16:03.58
大和弥生社は、大きな別の権力主体によって征服、あるいは包括、 刷新されるという苛酷な道を歩んだ
By 寺沢
0194日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 23:22:44.58
>>193
東遷説には与しない
by 寺澤 薫
0195日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 23:29:24.85
>>194
それは安物と一緒にしないでってだけ。
本音は、コチラ。

大和弥生社会は、大きな別の権力主体によって征服、あるいは包括、 刷新されるという苛酷な道を歩んだ
By 寺沢
0197日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 23:37:14.95
勝手に捏造も何も、本人の文章だろう
0198日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 23:40:02.43
東遷は否定するけれど、東征は否定しないんだろ?
大局的な動きとしては、筑紫の勢力が大和を征服したと見ているわけだ。
つまり、東征は否定していないんだよ。
直接的な武力衝突ではなく、神武と饒速日の会談のような、政治プロセスによる統合は、細かい年代や人物に相違はあるかもしれないが、大局的には存在し得ただろうということなんだよ。
0199日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 23:42:12.51
大和にとっての外的強力とはいかなる地域のいかなる集団であったか(権力中枢の系譜)、

これはどう解釈するんだ?
先生はなんと結論づけているんだ?
内行花文鏡を副葬する権力の系譜はいかなる地域のいかなる集団か?
紀元前から博多湾沿岸にあった倭国王家そのものではないか。
0200日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 23:45:14.30
>>199
寺沢からすれば、皆まで言わせんなよ、恥ずかしい ってところだろうな。
0201日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 00:05:50.96
>>179>>191
非識字者と書きなさいと何度言えば!

これだけで最大限の軽蔑の対象だ
日本人じゃないのか?
0202日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 00:18:58.89
寺澤先生のいう第二の道の本質はこれだよ

「歴史に残るほどの大事件を想定せずおれないであろう。
 それは、今までみてきた古い大和弥生社会が、新たな
 より巨大な歴史的運動によって呑みこまれていくという
 ストーリーでしかない。」

東遷論ははっきり否定
「私があたかも北部九州勢力の東遷論者であるかに評価
 されることとなり、5年後に刊行された橿原考古学研究所
 論集では改めて、いわゆる「東遷論」一般には与するもの
 ではないことを明記した。」

具体的には
「私は北部九州(2世紀までの倭国中枢であった、私の
 言う「イト倭国」勢力)や2世紀以降とくに強大な勢力
 として新興してきた吉備を中心とした瀬戸内海勢力を
 維新主要勢力とした政治的談合による倭国の再編成(私の
 言う「新生倭国」の誕生)と考えている。本論の主旨や
 記述も第二の道論であるとはいえ、こうしたなかば大局的・
 協調的・妥協的な路線に沿って行われたものと考えて
 いる点を再度、明言しておきたい。」

伊都国が中枢だったのは2世紀までって明記されてるね
3世紀の卑弥呼の時代には辺縁だってことだ
0203日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 00:21:50.09
このように典拠を明記しても、九州説は牽強付会な引用で内容をねじ曲げるだろ?

だから『怡土志摩郡地理全誌』の情報が「古田史学の会」の孫引きしかない状況では
内容もそのままでは信用できないんだよ
0204日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 00:32:18.70
最終的にその再編がいつ行われたかについては言を濁しているじゃないか。
私が畿内説を信用できないのは、畿内に邪馬台国があったと言うならそれは必然的に東遷説であるはずなのに、非科学的な年代詐欺のようなことを重ねて、文献の都合の悪い部分は無視した挙句、一部分だけ牽強付会のようなことを繰り返しているからなんだよ。
0205日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 00:34:48.69
>>202
>伊都国が中枢だったのは2世紀までって明記されてるね
>3世紀の卑弥呼の時代には辺縁だってことだ

この二行の間には飛躍がある。
誰も纒向が中心となって伊都が中心でなくなったなどとは書いてないことだ。
ただ倭国の東側が際限なく拡大再編成されていく中で、筑紫にいた卑弥呼の目の届かない部分が出てきたと言うことだろう。
0206日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 00:44:19.80
762 名前:日本@名無史さん 2018/07/19(木) 23:29:39.43
寺澤説を要約すると

古墳時代社会への移行は、大和での純粋な内的発展や大和が主導的立場となる外部勢力との連合などによるものではなく、
大和が外部から圧力を受けることによって客体的に成し遂げられたものだが、ここでいう外部からの圧力とは移住によるものではない

てなとこだな
伊都クズには理解できないだろうがなw
0207日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 00:47:31.86
>>205
つ「2世紀までの倭国中枢であった」

はっきり、バッチる書かれているねぇ
2世紀「まで」って
0208日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 00:54:41.60
>>204
>最終的にその再編がいつ行われたかについては言を濁しているじゃないか。

論文きちんと読んでないだろ?
「後期2から庄内様式への変遷、つまりは弥生時代から古墳時代への変化は、
 集落と遺跡群(小地域)の動態上じつに画期的である。第Y様式の集落は
 盆地各所においてその消長が顕著であり、同時に庄内様式の遺跡の新たな
 出現も各所で顕在化する。」

これが、その再編の奈良盆地内での結果だよ
庄内様式への変化の時が、再編=新生倭国の誕生の時で、寺澤先生を始めとして
纒向学の考え方では、庄内期の初めが古墳時代の始まりとしている
0209日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 01:01:17.09
その絶対年代が卑弥呼より前か後かは明示されてないだろ。
しかもあくまでも奈良盆地内の話であって、盆地の外の勢力によって急速に庄内式に塗り替えられたと言うのが寺沢氏の意見なんだよ。
0210日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 01:51:07.67
東遷というと権力主体がうつったように思われるけどそうではないってことでしょう

記紀のとおりの正しく東征があったというのも
記述実態として、高だか10代ちかくかけないと大和盆地を制覇できていない。征服行動にはふさわしくない。

群雄割拠の草刈場だったわけだな。
0211日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 06:28:23.28
>>210
そう思う理由は?
0212日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 06:38:08.89
>>211
理由が書いてあるのに読み取れないコミュ障
0213日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 06:47:02.18
>>212
自分の考えを説明もできない人を、世間はコミュ障と呼ぶんじゃないの?
0214日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 06:55:04.24
>>208
「後期2から庄内様式への変遷、つまりは弥生時代から古墳時代への変化は、
 集落と遺跡群(小地域)の動態上じつに画期的である。第Y様式の集落は
 盆地各所においてその消長が顕著であり、同時に庄内様式の遺跡の新たな
 出現も各所で顕在化する。」


つまり、忌部一族の入植の状況説明ですよ。  @阿波
0215日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 06:59:11.38
寺澤 薫氏も「谷町」に気苦労していますな。  @阿波
0216日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 07:01:48.05
>>208
>庄内様式への変化の時が、再編=新生倭国の誕生の時で、寺澤先生を始めとして
纒向学の考え方では、庄内期の初めが古墳時代の始まりとしている<


だからその変化=再編が、卑弥呼時代の卑弥呼勢力による事変であったと強力に主張してきたのが、従来の畿内説だったんだろ。
それが、実際に卑弥呼指揮する卑弥呼軍勢だったのか、そうでなかったのか・・・だ。
上の文では、そこんところに言及していない。
というより、卑弥呼時代ではなかった可能性を示唆しているように読める。
0217日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 07:06:51.93
「あの有名人はほんとは俺と同じ考えなんだ。諸般の事情でハッキリ言えないだけなんだ」
というイタコ口寄せ思考が、素人トンデモさんのよく罹る病気
0218日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 07:06:52.32
「あの有名人はほんとは俺と同じ考えなんだ。諸般の事情でハッキリ言えないだけなんだ」
というイタコ口寄せ思考が、素人トンデモさんのよく罹る病気
0219日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 07:11:46.95
>>216
なんで言及してないと思うの?

そんなふうに読める理由は?

「事変」とか「軍勢」とか、どこから湧いてきた単語?
0220日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 07:19:03.61
>>213
君以外の他の人達(例えば私)は読み取れて納得していると思う。
0221日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 07:21:15.84
思う理由は?
0222日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 07:21:58.29
>>216
そうだね。
しかもその奈良盆地内の変化は奈良盆地の外の勢力によると書いているので、卑弥呼勢力が関与したとしても、それは奈良盆地の外にあったことになる。
つまり寺沢氏は奈良盆地におけるヤマト王権自生説も東遷説も否定している。
では倭国王権はどこにあったのか?
0223日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 07:24:07.91
>>209
>その絶対年代が卑弥呼より前か後かは明示されてないだろ。

畿内第V様式土器は九州でも出てるから、九州編年との突き合わせもできてるんだよ
九州の高三瀦式から下大隅式に変わる頃だよ
西暦で1世紀終わりから2世紀初頭
さすがにこれが卑弥呼よりあとだとは言わないだろ
庄内式は西新式と同時に出るからこの編年もはっきりしている

ソースも付けとくよ
「古墳出現前後における畿内型甕形土器の西方拡散に関する研究」佐々木憲一(2010)
明治大学人文科学研究所紀要 第66冊 (2010年3月31日)251−312
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/10881/1/jinbunkagakukiyo_66_251.pdf

結局、九州説は古い又聞きの情報だけで、凝り固まってるだけなんだよな
そして、新しい情報は、「見ない・聞かない」「ウソだ・間違ってる」で押し通そうとするだけ

説得力で差がつくのは当たり前
0224日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 07:25:46.18
>>222
>では倭国王権はどこにあったのか?

倭国(阿波)以外にないでしょ。  @阿波
0225日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 07:30:37.46
>>219
>そんなふうに読める理由は?

伊都国説では
「内行花文鏡が太陽信仰の象徴、理由が『太陽に見える』から」が通るんだから、
>>219の主観、心の中ではそれが真実なんだろうねw
0226日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 07:32:40.92
古い又聞きの情報の、しかも結論部分だけで脳が凝り固まってるから
理由を聞かれると答えられない
答えられないから、聞かれるとキレる
キレるから会話を続けられない
コミュ障がひどくなる
そして逆ギレして、相手をコミュ障と叫ぶ

転落の一途
0227日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 07:41:03.80
>>223
邪馬台国との関係は?
0228日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 07:43:17.05
>>227
イコール畿内
0229日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 07:51:03.12
>>
日本語は正確に使うべきだ。

「(太陽を象徴した銅鏡の中でも特に)内行花文鏡は太陽を模したように見え、そのなかでも
最大のものが5枚も出来てきたから」

だろ。
0230日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 07:54:49.43
>>229
誰に言ってんの?
0231日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 07:57:39.61
>>229
「私には見える」
by 丹波哲郎
0232日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 08:15:20.55
>>228
イミフ
0233日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 08:16:17.99
>>223
>西暦で1世紀終わりから2世紀初頭

年代詐欺ですね。
0234日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 08:25:09.73
>>223
>「古墳出現前後における畿内型甕形土器の西方拡散に関する研究」佐々木憲一(2010)
>明治大学人文科学研究所紀要 第66冊 (2010年3月31日)251−312
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/10881/1/jinbunkagakukiyo_66_251.pdf

また畿内説は文献詐欺だな。
全然中身が違う。
この論文を飛ばし読みしただけだが、ざっと見ても、
前方後円墳は3世紀中頃以降(卑弥呼の死後)、
畿内式土器の流通は前方後円墳とは関係ない
その流通の主体は福岡
などなど、九州説の主張を裏づけるものばかりだ。
0235日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 08:34:16.35
>>234
>その流通の主体は福岡
などなど、九州説の主張を裏づけるものばかりだ。

それはない。  @阿波
0236日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 08:45:29.55
>>234
現代人の書いた文章もろくに読めない人が
古代の文献解釈とか絶対無理だから
諦めなさい
0237日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 10:46:40.28
九州説は、九州説を唱える人の数だけあるんですよ
ただ九州説と言われても、どの九州説かわかりません
0238日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 10:57:16.03
>>233
詐欺よばわりする理由は?
0239日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 11:32:29.16
>>223
筑紫に倭国があったけれども、学会の空気を読んでそうは言えずにいる苦悩が滲んだ論文だった。
0240日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 11:46:49.93
>>239
どこまでも夢を見るモーロック族
0241日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 15:00:01.49
>>234
また、「見ない聞こえない」「うそだ間違ってる」かよww

>この論文を飛ばし読みしただけだが、ざっと見ても、

ざっと見るんじゃなくて、きちんと読みなよ
先入観の色眼鏡で、自分の気に入ったところだけ拾い読みしてるんだろ?

>前方後円墳は3世紀中頃以降(卑弥呼の死後)

それが箸中山古墳以降だろ?
纏向古墳群の纏向型前方後円墳から古墳時代とするのが有力になってきている

だいたい、
纏向遺跡の建設開始 纏向型前方後円墳 庄内式期 古墳時代の始まり(有力説)
箸中山古墳     定式化前方後円墳 布留式期 古典的な古墳時代の始まり

佐々木憲一(2010)だから、布留式期からを古墳時代と呼んでいるだけで、寺澤薫(2016)と齟齬はまったくないぞ

>その流通の主体は福岡

ちゃんと読んだか?
比恵・那珂遺跡群が、畿内の出先として九州胎土の畿内容式土器の生産をしていて、そこから九州に広がっていった(畿内の影響圏に入った)という話だぞ
伊都国が「中心でも、王都でもない」ことは確認できるな?

そして、伊都国内で1ヶ所突出して早い時期から畿内様式土器が出る地点があって、そこに一大率がいたと考えると、整合的な説明がつく

>九州説の主張を裏づけるものばかりだ。

「九州説に都合のいい読み替えをすると」、だろ
魏志倭人伝の曲解アクロバット読みと同じ
今どき九州説を信じている人に、論理性を期待するだけ無駄だねぇ、こんな有様では
0242日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 15:01:51.11
>>239
>筑紫に倭国があったけれども、学会の空気を読んでそうは言えずにいる苦悩が滲んだ論文だった。

筑紫は倭国の一部だけれど、それだけのことが認められずに、山陰とも瀬戸内とも畿内とも没交渉の
九州だけの倭国を夢想するのってむなしくないか?
0243日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 15:29:37.87
>>229
>日本語は正確に使うべきだ。

>内行花文鏡は太陽を模したように「見え」

結局、「見える」だけしか理由がないんじゃん
>>225
「内行花文鏡が太陽信仰の象徴、理由が『太陽に見える』から」は
日本語としては、とても正確だと思うが?ww
0244日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 15:39:34.00
問題は、でかいだけで、鋳上がりも悪く、作図法も伝統の意匠も無視した鏡で、
割るのが目的の粗製鏡ってところなんだよ

そんなのが、倭王のレガリアとか言われても、そんな訳ないだろとしか
0245日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 17:54:26.63
>>241

ちゃんと読まずに、自分の頭の中の教条を述べているのではないか?
また、相手のレスも色眼鏡で曲解していないか?
誰が伊都が中心と書いた?
原文に沿って福岡が中心と書いたはずだよ?
0246日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 18:34:39.52
>>245
九州説仲間からも見捨てられる

お荷物伊都説
0247日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 19:39:20.21
王都は伊都、物流センターは博多でいいだろ。
それを含めて、福岡が中心ということだ。
伊都国と奴国はあわせて女王国なんだから。
0249日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 20:44:03.66
>>247
めぼしい遺跡がないねぇ、九州も。  妄想は立派だけどw   @阿波
0250日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 21:56:57.84
「古墳出現前後における畿内型甕形土器の西方拡散に関する研究」佐々木憲一(2010)
明治大学人文科学研究所紀要 第66冊 (2010年3月31日)251−312
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/10881/1/jinbunkagakukiyo_66_251.pdf

3世紀中葉から後半にかけて日本列島各地で出現した前方後円墳は,弥生時代後期後葉の様々な地 域の交流の所産という考えが日本考古学界で広く受け入れられている。
しかし古墳の出現は首長間交流の所産であるのに対し,集落から出土する土器は一般庶民の生活を 反映している。したがって,両者の関係をそう単純には結びつけることはできない。
纒向遺跡での搬入土器の主体は東海系であるのに対し,河内平野では吉備系土器が主体である。纒向遺跡では北陸系や近江系といった河内には 流入しない土器群がみられる。
前方後円墳で象 徴されるネットワークは恐らく大和が中心で,そしてそれは祭祀,あるいは政治的な意味合いも含めたネットワークであろう。
それに対して,畿内型(系)土器の拡散で象徴されるネットワークは大和や河内が必ずしも中心ではなく,場合によっては交易の所産である可能性も高い。
特に重要なのは, 福岡平野の比恵・那珂遺跡群で,一度畿内型土器が搬入され,模倣製作されたのち,在地の土器製作者がそれらを我流の技術で生産し,豊前,豊後の一部地域はもちろん,壱岐や遠く朝鮮半島南部に搬出するという現象である。
これは福岡平野の在地社会が大和から独立して,自律的に機能していたことを示すものであろう。
中央(最高首長)の意思決定行為は内的に細分化・専門化されておらず(官僚機構の不在),支配能力が高くなく,したがって地方首長は自分の支配地域の維持運営にさまざまな責任を負っているため,地方は中央の意思とは別に,独自の行動をとることが可能である。
古墳出現期の福岡平野がまさに,独自の行動をとっている地方の実例である。古墳時代を国家段階と捉えた時期もかつてあったが,この研究の成果が示すように,少なくとも古墳時代初頭は国家段階にまったく達していないことが推測できるのである。
0251日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 22:01:17.11
>>241
>ちゃんと読んだか?
>比恵・那珂遺跡群が、畿内の出先として九州胎土の畿内容式土器の生産をしていて、そこから九州に広がっていった(畿内の影響圏に入った)という話だぞ
>伊都国が「中心でも、王都でもない」ことは確認できるな?

自分こそちゃんと読んだか?
論文を紹介するふりして自論を振り回しているだけじゃないか。

>そして、伊都国内で1ヶ所突出して早い時期から畿内様式土器が出る地点があって、そこに一大率がいたと考えると、整合的な説明がつく

それはあなたの勝手な妄想。
他人の権威を借りて好き勝手を書いている。
これだから畿内節の主張は信用ならない。
0252日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 00:05:22.47
ほらな、なにも証拠を出さない
言い張るだけ

これが九州説です
0253日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 00:10:17.15
>>252

ほら、根拠だ。

>>250
0254日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 00:13:01.20
根拠を目の前にして、根拠は?という。
それをコミュ障化という。
0255日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 00:15:12.79
>>254
どれが根拠?
0256日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 00:26:23.26
>>255

>>250
>これは福岡平野の在地社会が大和から独立して,自律的に機能していたことを示すものであろう。
0257日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 00:26:58.80
>>251
>自分こそちゃんと読んだか?
>論文を紹介するふりして自論を振り回しているだけじゃないか。

反論するなら「具体的に指摘」と何度言えば!
具体的な各論になると、常に矛盾だらけになるのが九州説の常w

短里しかり、八咫鏡しかり
内行花文鏡が太陽信仰の象徴とかいうのもそうだ(new)

根拠なしの思い込みを基礎にして立論してるんだから当然の帰結だけどなw
0258日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 00:27:58.21
>>148
>>146
>>畿内第V様式は、九州でも出てるから、

>つまり、九州と畿内は無関係っていうのも、考古遺物からも否定されてるんだよ
>ソースも付けとくよ
>九州説と違って、ちゃんと根拠があるからさ
>「古墳出現前後における畿内型甕形土器の西方拡散に関する研究」佐々木憲一(2010)
>明治大学人文科学研究所紀要 第66冊 (2010年3月31日)251−312
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/10881/1/jinbunkagakukiyo_66_251.pdf

おーい、息してるか〜
0259日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 00:29:14.23
「大和弥生社会の展開とその特質(再論)」
http://www.makimukugaku.jp/pdf/kiyou-4.pdf

もともと第一の道論は、奈良盆地の自然環境の卓越性を根拠に、生産力の先 進性をことさらに高く見積もり、前期古墳に見る隔絶性から前段階の強力な権力の存在を推定するという本末転倒の論理によって説明されてきた感が強い。
以降、第一 の道論は吉備連合論、河内(大和川水系)連合論、鉄ルート開発 ・ 確保論、倭国乱での巻き返し論等々を巻き込み、 修復を繰りかえしながら多くの論者によって支持され続 けてきた。
しかし証明のための論理や手法に根本的な改 善は見られない。
私は第一の道を否定する立場である。
第二の道とは、(中略)大和弥生社会がこの時期により大き な別の権力主体によって征服、あるいは包括、
刷新されるという苛酷な道であり、そこでは農業共同体構造の再 編は外的強力によって強制的に達成されたことになる。
旧稿において私は、(中略)第二の道を主張した。
しかしこのことが、私があたかも北部九州勢力の東遷論 者であるかに評価されることとなり、
5年後に刊行された橿原考古学研究所論集では改めて、いわゆる「東遷論」 一般には与するものではないことを明記した。

こうした小共同体の安定した強固にすぎる程の紐帯とそれを安住させ得る自然条件の卓越性、それゆえの保守的基盤と非闘争性をもつ大和の弥生社会が、
いわゆる「ヤマト王権」と呼ばれる政治的連合体の権力中枢を内的に生成させ、国家形態を「王国」にのし上げ得るだけの母胎にはたしてなりうるのだろうかという疑問をもつにいたった。
そもそも私は、橿原考古学研究所に入所し自らこのテーマを追い始めた1976 年頃から、大和弥生社会の自然的、社会的、
そして文化的安定性とそれゆえの緊張関係の欠除、いわば内陸後背地の保守的地域がそうした王権機構を生成するような母胎にはたしてなりえたのか、というこの疑問が終始脳裏を離れることがなかった。

(一)大和にとっての外的強力とはいかなる地域のいかなる集団であったか(権力中枢の系譜)、
(二)彼らの征服活動に興ずる必然性とその対象としての大和とりわけ東南部の重要性、
(三) 農業共同体再編の具体化と階級的支配関係の実体については、その後の論攷で私なりの一応の答えは用意することができた。
0260日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 00:30:24.63
>>256
それがなんの根拠なの?
0261日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 00:36:21.58
>>148
>九州説と違って、ちゃんと根拠があるからさ
>「古墳出現前後における畿内型甕形土器の西方拡散に関する研究」佐々木憲一(2010)

なんの根拠のつもりで出したの?
0262日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 00:37:29.08
>>250
>特に重要なのは, 福岡平野の比恵・那珂遺跡群で,一度畿内型土器が搬入され,模倣製作されたのち,在地の土器製作者がそれらを我流の技術で生産し,豊前,豊後の一部地域はもちろん,壱岐や遠く朝鮮半島南部に搬出するという現象である。
>これは福岡平野の在地社会が大和から独立して,自律的に機能していたことを示すものであろう。
>中央(最高首長)の意思決定行為は内的に細分化・専門化されておらず(官僚機構の不在),支配能力が高くなく,したがって地方首長は自分の支配地域の維持運営にさまざまな責任を負っているため,地方は中央の意思とは別に,独自の行動をとることが可能である。

これは単に、国家の発展段階論だろう
ある程度の中央集権が確立したものを国家とする、という定義からすればこうなる、という立場の表明だ

一方で、「前方後円墳で象徴されるネットワークは恐らく大和が中心で,そしてそれは祭祀,あるいは政治的な意味合いも含めたネットワーク」の成立をもって、国と認めるという立論もあり(広瀬和雄 前方後円墳国家)、これまでこの立場で主張してきたんだがな

卑弥呼の共立は、彦姫制のヒメ王=祭祀王の統一であり、ヒコ王=政務王の職掌は各地の首長が自立的に保持し続けており、それがのちの豪族にそのまま繋がる

邪馬台国の位置論は、祭祀王の統一について考えるのが基本であり「祭祀,あるいは政治的な意味合いも含めたネットワーク」が確認できればそれでことが足りる

そもそも「畿内型甕形土器の西方拡散」の論文は、九州が畿内とは没交渉で、九州だけの倭国があったとかいう捏造・詭弁に対する反論で、在地主張の自立性を全否定するものではない

結局、論点をずらして反論した気になっているだけ
いつもの九州説のやり口そのままだよ
0263日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 00:38:34.26
九州説じいさんって???

他人と会話する能力さえ失ってるのか????
0266日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 00:53:56.29
>>262
>そもそも「畿内型甕形土器の西方拡散」の論文は、九州が畿内とは没交渉で、九州だけの倭国があったとかいう捏造・詭弁に対する反論で、在地主張の自立性を全否定するものではない

君こそ相手の説を捏造するなよ。
九州と畿内が没交渉だなどと書いてはない。
九州は西日本全域と交流があったと書いている。
その中で福岡が独自に意思決定して朝鮮半島と交流するが、大和がそれに参加できていなかったなら、帯方郡が倭と呼んだのはどのような勢力のことだったのか?
九州説では卑弥呼の直接支配は九州北部と対馬海峡であり、本州は交流相手の倭種だよ。
佐々木氏の唱えるモデルに近いと言える。
福岡は倭国として倭人を代表して対外交渉にあたっており、そのトップが卑弥呼なんだよ。
0268日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 00:59:45.16
佐々木氏は、筑紫が大和から独立していたと言う。
寺沢氏は、大和は外部からの力で征服されたと言う。
大和を征服した外部の力とはどこのどんな勢力だったんだ?
0269日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 01:05:18.40
>>262
>卑弥呼の共立は、彦姫制のヒメ王=祭祀王の統一であり、ヒコ王=政務王の職掌は各地の首長が自立的に保持し続けており、それがのちの豪族にそのまま繋がる

そんな制度があったと言う根拠は?

>邪馬台国の位置論は、祭祀王の統一について考えるのが基本であり「祭祀,あるいは政治的な意味合いも含めたネットワーク」が確認できればそれでことが足りる

勝手な理屈だし、全く根拠がないね。
0270日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 04:10:04.59
>>269
邪馬台国の位置論ではなく
ヤマト王権論の間違いだろう。
0271日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 06:11:36.24
>>268
> 大和を征服した外部の力とはどこのどんな勢力だったんだ?

大和は征服なんてされてはいないよ。 忌部によって拓殖されていっただけ。  妄想し過ぎ。  @阿波
0272日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 06:37:58.62
>>270
>>269
>邪馬台国の位置論ではなく
>ヤマト王権論の間違いだろう。

困ったことに、畿内説はこの両者をしばしば混同しているんだよ。
0273日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 06:50:13.16
九州説とわたしの説は田舎者の願望なんで大目に見て @阿波
0274日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 07:27:16.11
岡上さんの問題なのです
伊都からの文化を継承したのが畿内ならば、
畿内は北部九州と一緒かもっと発展した遺物が必用だが無いです

卑弥呼が居た時代 畿内の文化文明は北部九州より遅れているとしか思えない
遷都するたびに文化文明は発展していくのが普通ですが
0275日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 07:30:17.87
まあ岡上さんだけでなく、畿内説全てが文化的後進地域を王都と言い張っているからね。
0276日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 07:32:43.82
畿内にあったのは、邪馬台国でなく
京都を中心とした豪族の連合体
奈良は墓地
0277日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 08:19:50.01
>>272
困ったもんだね。
0278日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 09:53:17.34
>>268
本人の言ってることと正反対を捏造する人々が
古文献を読んだら、どうなるか・・・


明らかですね

それが九州説です
0279日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 10:21:12.00
>>278
では上記の文献を自分で一レスでまとめてみなよ。
ただし本文に書かれていない語句を勝手に補完しないように。
畿内説はすぐ脳内補完するからね。
0280日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 11:22:22.62
>>266
>九州は西日本全域と交流があったと書いている。
>その中で福岡が独自に意思決定して朝鮮半島と交流するが、大和がそれに
>参加できていなかったなら、帯方郡が倭と呼んだのはどのような勢力のことだったのか?

そのような状態で、各地に各地の首長がおり、
北部九州で12メートルの方形周溝墓を作っているときに、
出雲、吉備、丹波、大和で50メートル級の大墳墓を作る権力者がいる

その状況で、北部九州の首長が倭国を代表する倭王と認められる、なんていうのは、
夢物語の妄想だって早く気づけるといいね

なんのために、魏朝が答礼使を派遣するのかって話が出てたのは、他のスレだっけ?
そこらのしょぼい田舎首長を倭王に任じたら、魏皇帝の権威に障るから、確認が必要なんだよ
同時に、倭国の情勢調査も兼ねているから、最短ルートではなくても、倭国第二の大国の
投馬国を通るのも必然のルートと言える

帯方郡が倭と呼んだのは、卑弥呼の共立に参加した首長たちの範囲であり、
最初期から古墳を作り始める範囲だよ
ただ、面的な領邦国家ではなく、各首長の個人的紐帯による点と点を結ぶ関係であり
単に宗教面の統一に過ぎない
0281日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 11:24:27.28
>>276
>京都を中心とした豪族の連合体
>奈良は墓地

最近これがお気に入りの九州説の人(キナイコシ連呼厨の人かな)がいるけど
巨椋池って知ってるのかなぁ?
0282日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 11:28:35.29
>>280
>同時に、倭国の情勢調査も兼ねているから、最短ルートではなくても、倭国第二の大国の
>投馬国を通るのも必然のルートと言える

投馬国を通過したなんて書いてない。
ただおよその日程が書いてあるだけ。
奴国の大集落だけで充分だし、奴国までは細かい里程が書かれているので、使いが来たのは間違いない。

>ただ、面的な領邦国家ではなく、各首長の個人的紐帯による点と点を結ぶ関係であり
>単に宗教面の統一に過ぎない

根拠がないし、畿内説につながる考え方でもない。
0283日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 11:29:06.21
>>281
どう見ても畿内説です。
0284日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 11:37:12.50
>>282
>奴国の大集落だけで充分だし、

その奴国の大集落跡がないというお粗末。  @阿波
0285日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 11:37:44.28
>>268
>佐々木氏は、筑紫が大和から独立していたと言う。

その佐々木氏の論考は詳しくないから、典拠論文をいくつか挙げてくれ
正しくレビューしてあげるよ

>寺沢氏は、大和は外部からの力で征服されたと言う。

また捏造してる
「しかし、征服など物理的強力を前提とした「東征論」や
 北部九州や吉備勢力を念頭においた政治権力の直接的
 移動を想定した「東遷論」に与するものではない。」

「本論の主旨や記述も第二の道論であるとはいえ、こうした
 なかば大局的・協調的・妥協的な路線に沿って行われたものと
 考えている点を再度、明言しておきたい。」

大和の内的発展とは考えられないが、武力による征服や、権力中心の移動は考えない
東征論や東遷論と一緒にするな、と繰り返し書いてある

>大和を征服した外部の力とはどこのどんな勢力だったんだ?

誰も征服なんてしてないんだって!
卑弥呼の共立は「政治的談合」の結果

いい加減に、誤読による捏造や、単語だけ拾うチェリーピッキングはやめな!
0286日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 11:45:24.93
>>266
>九州説では卑弥呼の直接支配は九州北部と対馬海峡であり、

だったら、「一大率はどこに置くんだ?」
直接支配地には置く必要がないだろう?

九州説は、古代国家を軍事支配の中央集権国家のように考えているのが、
そもそもおかしい
だから、「支配」とか「征服」とかの用語が多用される
卑弥呼は共立であって、武力行使による支配や征服ではない

>本州は交流相手の倭種だよ。

だから、九州と本州の間は「渡海千余里」にはどうやっても当たらないと何度言えば?
平原1号墓がどうやっても径百歩にならないのと一緒

1里60センチの超短里や、1歩12センチの長短補でも主張するかい?
0287日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 11:48:11.53
>>285
>その佐々木氏の論考は詳しくないから、典拠論文をいくつか挙げてくれ
>正しくレビューしてあげるよ

上にリンクがあるのでよろしく。

>誰も征服なんてしてないんだって!
>卑弥呼の共立は「政治的談合」の結果

征服という単語をうっかり持ち出して使ったのは寺沢氏の方なんだけどな。
0288日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 11:51:02.35
>>269
>そんな制度があったと言う根拠は?

彦姫制は、確定的な論証ができるような事柄ではないが、畿内説とは無関係に
広く一定の妥当性が認められている説だよ
彦姫制またはヒメヒコ制でググって見れば多くの論説が見つかる
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ヒメヒコ制
魏志倭人伝の、倭王がヒメ王卑弥呼で、佐治國の男弟=ヒコ王を記した記述も
彦姫制の傍証の一つ
0289日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 11:53:58.24
>>286
>だったら、「一大率はどこに置くんだ?」
>直接支配地には置く必要がないだろう?

魏志倭人伝によると、大率は伊都に置かれており、女王国から北の国、つまり対馬海峡を監視する役割だったようだ。
畿内説だと、伊都に置かれているのに、女王国から北を支配したことになるのだが、どこのことになるんだ?
それに畿内説だって支配という言葉を使ってあるではないか。

>卑弥呼は共立であって、武力行使による支配や征服ではない

それはいいとして、畿内と筑紫の関係を支配として説明しているのは畿内説の方だろう。
九州説では畿内を支配する必要はなく、緩やかな交流でいい。
0290日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 11:54:22.27
>>288
つまり証拠がない。
0291日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 11:57:14.31
>>285
>大和の内的発展とは考えられないが、武力による征服や、権力中心の移動は考えない
東征論や東遷論と一緒にするな、と繰り返し書いてある


つまり、要は倭国(阿波)を発った忌部一族による、平和的大和地開拓を書いているってこと。  @阿波
0292日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 11:57:55.75
>>269
>勝手な理屈だし、全く根拠がないね。

「祭祀,あるいは政治的な意味合いも含めたネットワーク」って書いたのは>>269じゃないのか?

古代においてマツリゴトは「政治」であり「祭祀」なのは常識以前なんだから、
「祭祀,あるいは政治的な意味合いも含めたネットワーク」の中心に倭王があったというのは、
勝手な理屈でもなんでもないし、その祭祀ネットワーク=前方後円墳秩序の秩序の中心が
畿内纒向なのはいくらでも根拠があるだろ?

相変わらず的外れな言いっ放ししかしないな
この人に誰か通称を付けて上げてよ

自分でコテハンを付けてくれてもいいけどさ
0293日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 12:00:32.69
>>287
>征服という単語をうっかり持ち出して使ったのは寺沢氏の方なんだけどな。

その単語一つを頼りに、論旨をねじ曲げるチェリーピッキングをしてることが
批判されているのに反省がないな

本当に九州説の連中は、捏造体質が浸みついてる
0294日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 12:05:26.63
>>292
>その祭祀ネットワーク=前方後円墳秩序の秩序の中心が
畿内纒向なのはいくらでも根拠があるだろ?


だから、その前方後円墳は忌部が持ち込んだもの。 その助走もなく、突然出現してるでしょ?  @阿波
0295日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 12:16:07.45
>>287
>上にリンクがあるのでよろしく。

いや、そのリンク貼ったの私だし

まったく、読めてないのは>>287

この論文の303ページ(論文内での53枚目)の「図14 古墳出現期の社会構造モデル」と
いう図を見れば、佐々木先生も大和が当時の倭国のネットワークの中心としていることが
明らかだろ?

単に、まだ中央集権的な、一人の王に最終決定権が集約された国家段階にはないと言っているだけ

「中央(最高首長)の意思決定行為は内的に細分化・専門化されておらず(官僚機構の不在),
 支配能力が高くなく,したがって地方首長は自分の支配地域の維持運営にさまざまな責任を
 負っているため,地方は中央の意思とは別に,独自の行動をとることが可能である。
 古墳出現期の福岡平野がまさに,独自の行動をとっている地方の実例である。古墳時代を
 国家段階と捉えた時期もかつてあったが,この研究の成果が示すように,少なくとも古墳時代初頭は
 国家段階にまったく達していないことが推測できるのである。本研究は,土器と言う社会の
 小さな一側面を対象としたが,その成果は,国家形成過程理解に迫ることを可能としたものである。」

それに対して、広瀬和雄先生は広範な首長同盟=前方後円墳祭祀ネットワークの構築をもって
国家と認めるという立場
0296日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 12:18:36.63
東遷論でも東征論でもなければ何論なのか?
談合論と呼べばいいのか?
こういう基本的な概念に名前をつけないから
論証が筋悪になる。

畿内自生でないなら
談合せざるを得なかった状況とは何か?

政治的談合は王権と結びつくことは認めて良い。
ただしその王が
冊封された倭王かどうかは別の論証であって自明ではない。

そして畿内に倭人伝記述に合致する内容は九州よりもきわめて薄い
岡上氏も指摘している通りだね。
0297日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 12:19:20.13
国家とは何かね?
0298日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 12:19:28.41
>>290
>つまり証拠がない。

確定的な論証ができるような性質のことがらではない、というだけのことだよ
根拠は先に挙げたWikipediaのページにもたくさん挙げてあっただろ?

「内行花文鏡だけが太陽祭祀の象徴と」かいうのより、よほど広く認められてるよ
0299日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 12:23:22.65
>>295
>それに対して、広瀬和雄先生は広範な首長同盟=前方後円墳祭祀ネットワークの構築をもって
国家と認めるという立場

前方後円墳祭祀も軽量薄型土器も忌部一族が日本全国へ広めただけのこと。 簡単明瞭なお話。  @阿波
0300日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 12:24:47.73
>>295
畿内説を前提とするからチグハグなことになるのがわからないかなあ。
少なくとも、畿内説がよく主張するように、畿内が一大率を置いて伊都を支配したなんてことはないわけだよ。
ならば、伊都に駐在する魏の使いが倭王と認めた卑弥呼はどこにいた?

畿内説は大和における勢力の成長と、筑紫における倭国をごちゃ混ぜにしている。
0301日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 12:24:53.60
>>296
>東遷論でも東征論でもなければ何論なのか?
談合論と呼べばいいのか?


忌部拓殖論!!  @阿波
0302日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 12:26:55.90
>>295

佐々木氏の
> 国家段階と捉えた時期もかつてあったが,この研究の成果が示すように,少なくとも古墳時代初頭は
> 国家段階にまったく達していないことが推測できるのである。

と、

>それに対して、広瀬和雄先生は広範な首長同盟=前方後円墳祭祀ネットワークの構築をもって
>国家と認めるという立場

はかなり食い違っているが、両者をつまみ食い的に両方紹介している何が言いたいの?
0303日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 12:30:44.46
>>295
>「中央(最高首長)の意思決定行為は内的に細分化・専門化されておらず(官僚機構の不在),

中央がどこかが決まる前からこの議論は不毛だけど、畿内説を前提としたミスリードに思えるね。
必要なのは列島を代表して帯方郡や魏と交流したのはどこの勢力かという問題だよ。
ならば、対外交流の痕跡が薄い畿内は失格だ。
0304日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 12:43:33.78
>>303
>必要なのは列島を代表して帯方郡や魏と交流したのはどこの勢力かという問題だよ。

倭国(阿波)に決まってるでしょ。  @阿波
0305日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 12:44:33.55
佐々木氏が畿内説がどうかは知らないが、彼の検討は結果として、筑紫が大和の支配下にはなく独立していたことを証明している。

>>250
>3世紀中葉から後半にかけて日本列島各地で出現した前方後円墳は,弥生時代後期後葉の様々な地 域の交流の所産という考えが日本考古学界で広く受け入れられている。
>古墳出現期の福岡平野がまさに,独自の行動をとっている地方の実例である。古墳時代を国家段階と捉えた時期もかつてあったが,この研究の成果が示すように,少なくとも古墳時代初頭は国家段階にまったく達していないことが推測できるのである。

しかも、前方後円墳による支配があったとしてもそれは卑弥呼の死後なのである。
つまり、纒向の土器は九州に流入しても、九州の土器は纒向に流入せず、筑紫が一方的に大和を搾取して、大和は鉄器も文字もなく、低い文化水準に甘んじていた。
その後に大和は外的圧力(征服と呼ばなければいいんだよね)で強制的に変革が訪れることになる。
0307日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 12:51:37.86
>>295
チェリーピッキングの典型
論者の視点が欠けてるからそうなる。
0308日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 12:53:10.19
>>301
阿波さんや、ぜひそれで論陣をひき続きよろしく。
0309日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 12:59:54.57
>>300
>ならば、伊都に駐在する魏の使いが倭王と認めた卑弥呼はどこにいた?

はい捏造 「伊都に駐在する魏の使い」

答礼使はヤマト国まで行ってるよ
そこで倭王と認めた卑弥呼は、大和にいるに決まってるじゃないか

伊都国から、水行、陸行合わせて2ヶ月の遠地であることをいつも無視する
0310日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 13:03:36.15
>>305
畿内説は、筑紫が大和の支配下なんて言ってないから
0311日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 13:04:01.69
>>309
失読名人三段を授与。
0312日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 13:32:48.46
>>310

言っているよ。

>>286
>だったら、「一大率はどこに置くんだ?」
>直接支配地には置く必要がないだろう?
0313日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 13:36:56.92
>>302
>はかなり食い違っているが、両者をつまみ食い的に両方紹介している何が言いたいの?

相変わらず、理解が足りないまま印象操作のミスリードに走ってるなww

佐々木先生も広瀬先生も、「大和を中心(あるいは盟主)とした祭祀,あるいは
政治的な意味合いも含めたネットワーク」の成立を認めている
この部分は、研究者の世界では共通認識になっている

それを、佐々木先生は国家段階とは認めないという立場で、広瀬先生は
ヨーロッパ的な武力統一を基礎に置く国家発展論からすれば国家の定義に合わなくとも、
日本社会の発展段階としての国家形成と認めるという、「国家」という用語についての
見解の違いだよ

広瀬先生自身も、世界史的な国家形成論から一線を引くという意味で「前方後円墳国家」と
いう言い方をしている

佐々木先生は土器が専門、広瀬先生は墓制が専門で、広瀬先生の方が権力と直結する王墓を
研究の中心としている分、国家について深く考えているという違いもある

アマチュアの書いた邪馬台国九州説の文ばかり読んでないで、もっと広く古代史について
たくさんの本を読めば、九州説なんてやってられないと思うよ

要するに知識が偏ってる上に不足してるんだよ、九州説は!
0314日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 13:40:40.04
>>313
>広瀬先生自身も、世界史的な国家形成論から一線を引くという意味で「前方後円墳国家」と

ご都合主義の定義かよ。
しかも前方後円墳なら卑弥呼より後になる。
0315日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 13:42:04.57
>>250
>3世紀中葉から後半にかけて日本列島各地で出現した前方後円墳は,弥生時代後期後葉の様々な地 域の交流の所産という考えが日本考古学界で広く受け入れられている。
0316日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 13:43:32.05
>>296
>談合論と呼べばいいのか?

談合共立論で、特に問題はないと思うよ

その談合の場が、伊勢遺跡でも問題ない

そして談合により共立された卑弥呼の王都が大和纒向の地に「新しく作られた」
問題ないだろ?
0317日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 13:45:33.70
>>314
ほら、知識が偏ってる上に不足してる
0318日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 13:48:13.19
>>296
>畿内自生でないなら
>談合せざるを得なかった状況とは何か?

魏志倭人伝の記事を信じるなら、倭國亂で疲弊したからだろ
その収拾のための談合であり共立だ

寺澤先生の論文では、特に北部九州の守旧派と吉備・瀬戸内の新興勢力の妥協が
必要だったという立場だね
0319日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 13:51:20.44
>>318
はあ?
寺沢氏は吉備連合論は否定しているよ。

>>259
>以降、第一 の道論は吉備連合論、河内(大和川水系)連合論、鉄ルート開発 ・ 確保論、倭国乱での巻き返し論等々を巻き込み、 修復を繰りかえしながら多くの論者によって支持され続 けてきた。
>しかし証明のための論理や手法に根本的な改 善は見られない。
>私は第一の道を否定する立場である。
0320日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 13:56:00.55
>>296
>政治的談合は王権と結びつくことは認めて良い。

進歩したじゃないか!
もうちょっとだな

>ただしその王が
>冊封された倭王かどうかは別の論証であって自明ではない。

北部九州もその談合に参加してるんだよ
その上で、北部九州より大きな勢力があり、盟主と認めているのに
独自外交で倭王になったって考えるのが夢物語の妄想だって言ってるんだよ


>そして畿内に倭人伝記述に合致する内容は九州よりもきわめて薄い
>岡上氏も指摘している通りだね。

だから、それは「倭国の記述」であって、邪馬台国の記述ではないと何度言えば

東京に野生のニホンカモシカがいなくても、ニホンカモシカが日本にいるっていうのは
間違ってないだろ?

北部九州も倭国の一部ってだけだよ
0321日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 13:57:36.31
>>296
筋悪のトンデモさんが何か指摘しても、的外れなんじゃないの?
0322日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 14:06:59.29
>>303
>必要なのは列島を代表して帯方郡や魏と交流したのはどこの勢力かという問題だよ。

共立された卑弥呼の名前で行うに決まってるだろ?

>ならば、対外交流の痕跡が薄い畿内は失格だ。

そう思っているのは九州説の情弱だけだって
三角縁神獣鏡を魏との交流の記念として作る必要があったのがどこかと考えれば、
魏鏡であれ仿世鏡であれ、魏との交流主体以外には考えられない
0323日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 14:11:16.30
>>320
>その上で、北部九州より大きな勢力があり、盟主と認めているのに

考古学的に明らかな最大の国邑は福岡だと思うのだが?
他は墓が大きいだけ。
おっと、前方後円墳は持ち出すなよ。
あれは卑弥呼の死後になるから。
0324日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 14:11:53.91
>>322
>三角縁神獣鏡を魏との交流の記念として作る必要があったのがどこかと考えれば、

根拠なし。
0325日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 14:13:32.19
倭人伝が最大のテーマにしているのは、
邪馬台国でなく、
倭女王、及び魏から信任された親魏倭王だ。つまり倭国に君臨した女王卑弥呼のことだ。
0326日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 14:16:23.86
>>305
>しかも、前方後円墳による支配があったとしてもそれは卑弥呼の死後なのである。

卑弥呼の死後でなければ、卑弥呼の墓は作られない
それは当たり前

だが、倭王たる卑弥呼の共立をもって新しい秩序体制に入る
それを寺澤先生は「新生倭国」と読んでいるし、纒向学では卑弥呼の共立をもって
古墳時代の始まりとしている

奴国の中心である比恵那珂遺跡の首長の墓は、箸中山古墳以前の纒向型前方後円墳だが
すでに前方後円墳体制の内部にある

「前方後円墳による『支配』」
本当に九州説は強権的な「支配」とかいう言葉が好きだよな

前方後円墳体制のネットワークはもっと緩いものだというのはコンセンサスなんだが、
「自分の想定する強権的な『支配』じゃないから違う」とか、
どんだけ「オレ様だけが正しい理論」なんだよww

九州説は、恥ずかしいなw
0327日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 14:20:38.12
>>312
>>直接支配地には置く必要がないだろう?

また捏造してる
いい加減にしなよ

この>>286の書き込みは>>266
「九州説では卑弥呼の直接支配は九州北部と対馬海峡であり、」の引用だろ?
書いてるには九州説に情弱の人だよ

畿内説は北部九州を支配しているとは言っていない
0328日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 14:23:03.47
で、倭国はどこにあったのかといえば、いうまでもなく倭地、つまり九州地方のことだ。
0329日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 14:27:52.64
>>326
>だが、倭王たる卑弥呼の共立をもって新しい秩序体制に入る
>それを寺澤先生は「新生倭国」と読んでいるし、纒向学では卑弥呼の共立をもって
>古墳時代の始まりとしている

根拠のない妄想だよね。
0330日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 14:28:13.39
>>319
>寺沢氏は吉備連合論は否定しているよ。

もう、思い込みで訳の分からないことを書くのはいい加減にしてくれよ

寺澤先生の否定している吉備連合論は、「吉備と大和の連合」のこと
さらにいえば「吉備が主体となる纒向」であり「吉備による東遷」の否定だよ

寺澤先生の書いた文章
「私は北部九州(2世紀までの倭国中枢であった、私の言う「イト倭国」勢力)や
 2世紀以降とくに強大な勢力として新興してきた『吉備を中心とした瀬戸内海勢力』を
 維新主要勢力とした政治的談合による倭国の再編成(私の言う「新生倭国」の誕生)と
 考えてい。」
『 』は私が付けた

吉備を中心とした瀬戸内海勢力が談合の主体の一つって書いてあるだろ?
0331日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 14:29:05.16
畿内説は、あちこちの学説の都合の良いところをつまみ食いして繋げただけだな。
0332日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 14:31:00.31
東遷と瀬戸内連合のハイブリッド
0333日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 14:32:03.50
東遷と聞くと無条件に叩く阿呆のために、まともな学者が変節してしまったのだね。
0334日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 14:32:34.57
>>323
>考古学的に明らかな最大の国邑は福岡だと思うのだが?

それはない。  @阿波
0335日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 14:35:45.45
>>316
>談合共立論で、特に問題はないと思うよ

問題ばかり。 
それは忌部拓殖論と呼ぶべき。  @阿波
0336日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 14:37:31.97
>>323
>考古学的に明らかな最大の国邑は福岡だと思うのだが?

魏志倭人伝の記載で
奴国   二萬餘戸
投馬国  五萬餘戸
邪馬台国 七萬餘戸

これが実数だと主張する気はないが、この三国は
ある程度の範囲を想定していると考えてよい
比恵那珂遺跡にはどう考えても萬戸は入らないだろ
福岡平野全体を想定すればよいだろう

その上で、北部九州に奴国の3.5倍の国は入らない

投馬国五萬餘戸として出雲の平野部全体を考えれば、福岡以上と見てよいし
邪馬台国七萬餘戸は何度も書いているが、大和+河内〜環大阪湾の畿内第V様式の範囲

邪馬台国七萬餘戸は、九州説では説明できないんだよなw
0337日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 14:38:57.91
>>328
>で、倭国はどこにあったのかといえば、いうまでもなく倭地、つまり九州地方のことだ。

いや、「倭大國魂神社」「倭大國敷神社」が唯一ある倭国(阿波)。  @阿波
0338日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 14:39:25.85
>>328
>で、倭国はどこにあったのかといえば、いうまでもなく倭地、つまり九州地方のことだ。

ではそれを、「具体的に根拠をあげて」論証してくれ
逃げてばかりのくせにww
0339日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 14:39:28.90
>>313
言葉は研究者によって用例用法が違うことがあり得るだからある人は国家だといい違う人は国家でないという。当然ね。古墳時代の定義と同じ。

他人の見解を紹介するのではなく、
自説の国家の定義あるいは見解を述べよということよ。そうでない限りはチェリーピッキングの典型にとどまるだけ。
0340日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 14:41:31.49
>>316
おおいいよ。
では、畿内説という曖昧な言葉はなしにして
ヤマト王権談合共立論でスレ立てしてそこで話を続けてね。
0341日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 14:41:49.40
>>324
>根拠なし。
>>329
>根拠のない妄想だよね。

相変わらず、「具体的な指摘一つできない」一言レスだなww
「根拠なし」というのにも、具体的な根拠が必要だと何度言えばw
0342日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 14:43:04.83
>>330
>2世紀以降とくに強大な勢力として新興してきた『吉備を中心とした瀬戸内海勢力』を

その『吉備を中心とした瀬戸内海勢力』とは、
倭国(阿波)を中心とした瀬戸内海勢力や伊勢・東海勢力である。  @阿波
0343日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 14:45:03.15
>>318
>>>296
>>畿内自生でないなら
>>談合せざるを得なかった状況とは何か?
>
>魏志倭人伝の記事を信じるなら、倭國亂で疲弊したからだろ
>その収拾のための談合であり共立だ

ここまでは良い

>寺澤先生の論文では、特に北部九州の守旧派と吉備・瀬戸内の新興勢力の妥協が
>必要だったという立場だね

九州ときび瀬戸内が妥協してなんで纏向を開発したのかの説明になってない。
0344日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 14:45:37.98
>>339
>自説の国家の定義あるいは見解を述べよということ

「祭祀,あるいは政治的な意味合いも含めたネットワーク」である
前方後円墳体制の成立をもって国家とみるという広瀬先生の論に同意

まあ、これは私の個人的見解だがね

再掲
佐々木先生も広瀬先生も、「大和を中心(あるいは盟主)とした祭祀,あるいは
政治的な意味合いも含めたネットワーク」の成立を認めている
この部分は、研究者の世界では共通認識になっている
0345日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 14:47:44.01
>>343
>九州ときび瀬戸内が妥協してなんで纏向を開発したのかの説明になってない。

当事者じゃない最大勢力だから、だろうね

纒向遺跡があるのは事実、でいいんだっけ?
論証の仕方としては?ww
0346日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 14:48:49.77
>>344
>佐々木先生も広瀬先生も、「大和を中心(あるいは盟主)とした祭祀,あるいは
>政治的な意味合いも含めたネットワーク」の成立を認めている

大和を中心(あるいは盟主)
じゃなくて、倭国(阿波)を中心(あるいは盟主)だね。  @阿波
0347日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 14:50:08.53
>>343
>>魏志倭人伝の記事を信じるなら、倭國亂で疲弊したからだろ
>>その収拾のための談合であり共立だ

>ここまでは良い

だいぶ進歩したじゃないか!
この共立談合に、北部九州も参加していることも認めるんだろ?

だったら、この共立範囲で最大の勢力を探すだけだ

そしてそれは、北部九州ではない

それだけなんだよ
単純な話だ
0348日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 14:53:05.30
>>330
>2世紀以降とくに強大な勢力として新興してきた『吉備を中心とした瀬戸内海勢力』を

その『吉備を中心とした瀬戸内海勢力』とは、
倭国(阿波)を中心とした瀬戸内海勢力や伊勢・東海勢力である。  @阿波
0349日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 15:08:18.18
>>331
>畿内説は、あちこちの学説の都合の良いところをつまみ食いして繋げただけだな。

あちこちの学説がすべて、畿内説が前提になってるんだよ
すでに学究畑では決着済み

だから、都合のいいところをつまみ食いしてるんじゃなくて、
説明として分かりやすいところを引用しているだけ

九州説のように、旧稿の紹介部分を切り出して寺澤先生の意見のように言ったり、
征服とか支配とかの単語だけにこだわったりするのがチェリーピッキングなんだよ
0350日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 15:11:15.63
>>336
>奴国   二萬餘戸
>投馬国  五萬餘戸
>邪馬台国 七萬餘戸

奴国は国邑だけど、他の2つは領域だろ。
違うものを並べるなよ。

>その上で、北部九州に奴国の3.5倍の国は入らない

筑紫平野、筑後平野、佐賀平野で可能じゃないかな。

>投馬国五萬餘戸として出雲の平野部全体を考えれば、福岡以上と見てよいし

出雲ではそれだけの人口は支えられないよ。
0351日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 15:13:14.73
>>344
>この部分は、研究者の世界では共通認識になっている

根拠は?
0352日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 15:14:03.10
>>347
>だったら、この共立範囲で最大の勢力を探すだけだ

福岡ですね。
0353日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 15:16:53.41
>>349
>あちこちの学説がすべて、畿内説が前提になってるんだよ
>すでに学究畑では決着済み


若杉山遺跡や加茂宮ノ前遺跡、黒川谷郡頭遺跡、矢野遺跡、芝遺跡 等々
こんな遺跡が畿内にあれば、たぶん大騒ぎするんだろうね。
それにしても、九州も畿内も目ぼしい集落遺跡、ほんと無いねぇ。
無いから、妄想ばかり募るんだろうが。  @阿波
0354日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 15:18:27.53
>>352
若杉山遺跡や加茂宮ノ前遺跡、黒川谷郡頭遺跡、矢野遺跡、芝遺跡 等々
こんな遺跡が九州にあれば、たぶん大騒ぎするんだろうね。
それにしても、九州も畿内も目ぼしい集落遺跡、ほんと無いねぇ。
無いから、妄想ばかり募るんだろうが。  @阿波
0355日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 15:19:29.84
おーい
九州最大の農業県は熊本だ、
広大な熊本平野一帯を忘れてもらっては、解決しないぞー
0356日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 15:22:52.68
熊本は狗奴国だから。
0357日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 15:25:38.13
>>349
>九州説のように、旧稿の紹介部分を切り出して寺澤先生の意見のように言ったり、

多少齟齬はあるかもしれないが、紹介した責任はあるだろう。
で、抄録に不満があるなら、自分でまとめればいい。
ただし1レスでよろしく。
畿内説のテンプレみたいなのは誰も読まないからね。
まとめる能力というのも大事だよ。
0358日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 15:52:48.13
>>357
読まないのは知性のないお前独特の事情ではないのかな
0359日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 16:42:55.73
>>350
>奴国は国邑だけど、他の2つは領域だろ。
>違うものを並べるなよ。

奴国こそ国邑じゃないだろ
奴国も福岡平野全域くらいで考えないと、
とてもじゃないけど二萬餘戸にはならないぞ

とにかく反論すればいい、じゃなくて「具体的に」書けと何度言えば

>筑紫平野、筑後平野、佐賀平野で可能じゃないかな。

そんな広域の国の存在は、それこそ遺跡で裏付けられていないねぇ
土器形式の統一とかあるかい?

>出雲ではそれだけの人口は支えられないよ。

出雲は、四隅突出墓という共通の祭祀圏が確認できる
その広がりに対する評価が五萬餘戸なんだよ
0361日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 16:45:37.63
>>352
>福岡ですね。

そういう根拠のない一言レスでは無意味だというのに
具体的に根拠を挙げて論証しなさい

那珂八萬古墳は、弥生終末期の福岡の実力(人的動員力)を端的に示しているが、
吉備、丹波、出雲、畿内と比べて明らかに見劣りするぞ
0362日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 16:48:22.41
>>357
はっきり言って、>>357は頭悪いと思うよ
まとめるも何も、きちんと読めばこの一言に気がつくだろ?

「私はこの仮称「ヤマト」国こそが『魏志』倭人伝に記された「邪馬台国」であろうと考えている。」
0363日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 16:48:28.86
>>359
>出雲は、四隅突出墓という共通の祭祀圏が確認できる
>その広がりに対する評価が五萬餘戸なんだよ

そんな広さも収穫高も遺跡の数もないだろ。
いい加減なことを書くな。
0364日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 16:49:40.11
>現役のプロの研究者で、九州説は一人もいない

現役の(忖度に長けた)プロの研究者で、九州説は一人もいない
0365日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 16:56:45.32
>>361
>吉備、丹波、出雲、畿内と比べて明らかに見劣りするぞ

人口は遺跡の住居跡などからわかるだろ。
どこも福岡より弱小だよ。
墓が大きいだけ。
0366日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 16:57:08.29
>>362
「私はこの仮称「ヤマト」国こそが『魏志』倭人伝に記された「邪馬台国」であろうと考えている。」

そのカタカナ書きの仮称「ヤマト」国こそが『魏志』倭人伝に記された倭国(阿波)「邪馬台国」である。  @阿波
0367日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 16:57:29.94
田舎の方が家屋敷は大きいが、だからと言って田舎が東京より栄えていたとは言わない。
0368日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 17:01:03.75
>>365
>人口は遺跡の住居跡などからわかるだろ。
どこも福岡より弱小だよ。

福岡の住居跡って弥生中期以前がほとんどだっけ?
どこも倭国(阿波)より弱小だよ。  @阿波
0369日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 17:39:36.49
>>364
>(忖度に長けた)

こういう、想像を付け加えないと何もいえないのが九州説w
0370日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 17:48:03.95
>>363
>そんな広さも収穫高も遺跡の数もないだろ。
>いい加減なことを書くな。

つ 四隅突出墓を作る範囲
https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-5b-21/shigechanizumo/folder/757235/54/54942854/img_0?1507961269

つ 出雲平野の一角の遺跡分布
http://sanbesan.web.fc2.com/shimane_library/img/yano_fig1.gif

遺跡の数から収穫高が分かるなら、これで十分だな
0371日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 17:51:14.41
>>367
>田舎の方が家屋敷は大きいが、だからと言って田舎が東京より栄えていたとは言わない。

巨大墳墓は、権力誇示のモニュメントであるというのは動かない
大土木工事が必要であり、巨大な労力を動員しなければ実現できないからな

成人男子が10人もいれば、1週間で作れるような小さな方形周溝墓が
倭王の墓だと主張できる面の皮の厚さはたいしたものだと思うよ
0372日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 17:54:23.22
北部九州は、卑弥呼の共立に参加したと認めたら、その時点で無理なんだよ

吉備とも出雲とも畿内とも没交渉で、九州のみの倭国を想定して、その範囲で
中国に朝貢したと言い張らない限り、どうやっても矛盾する

きちんと最新の情報を精査できる立場の研究者が、一人も九州説を採らない時点で
分かりそうなものだがな

他人と意見が異なる場合の主要因は、手に入る情報の多寡だ

九州説は、九州説の古い論説の外側をあまりにも知らなさ過ぎる
0373日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 17:58:43.18
すぐに「根拠なし」の一言レスに逃げる人は
とりあえず暫定的に「根拠なし連呼の人」って呼ぶことにするよ
0376日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 18:27:32.72
>>375
専門外だろ
0377日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 18:40:04.99
倉本一宏先生のこと?
弥生時代、古墳時代の論文はないようだけれど?
0378岡上 ◆Lv09mLa3HM
垢版 |
2018/07/21(土) 18:49:18.68
http://fast-uploader.com/file/7087721936368/

八寸と八咫という小論を作りましたので、どうぞ。
参照元の時点で、話として完結しているので、私のものはどうもちょっと蛇足だったみたいです。
けどまぁ、せっかく書いたのでアップしておきます。
0380日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 19:13:55.40
>>1
お前はアホか
奈良のド田舎に遷都して、北部九州の優れた文明も移入せず
卑弥呼の晩年は墓づくりに専念した

ハァ−−−−−−−−−−−−−−−−
0381日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 19:14:46.16
>>1
お前はアホか
奈良のド田舎に遷都して、北部九州の優れた文明も移入せず
卑弥呼の晩年は墓づくりに専念した

ハァ−−−−−−−−−−−−−−−−
0382日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 19:15:02.97
>>1
お前はアホか
奈良のド田舎に遷都して、北部九州の優れた文明も移入せず
卑弥呼の晩年は墓づくりに専念した

ハァ−−−−−−−−−−−−−−−−
0383日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 19:15:18.59
>>1
お前はアホか
奈良のド田舎に遷都して、北部九州の優れた文明も移入せず
卑弥呼の晩年は墓づくりに専念した

ハァ−−−−−−−−−−−−−−−−
0384日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 19:15:54.82
>>1
お前はアホか
奈良のド田舎に遷都して、北部九州の優れた文明も移入せず
卑弥呼の晩年は墓づくりに専念した

ハァ−−−−−−−−−−−−−−−−
0385日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 19:16:06.15
私は、本論序文にて平原大鏡について、八咫の長さの円周を持つ鏡であり、それは記紀
でいう「八咫鏡」に他ならず、二つを関連づけて考察することによって、日本古代史の迷
宮から抜け出すことができたとの自負を示した。

これが間違っているって言われて、丈夫が普通の成人男子の身長とも認められずに
駄々を捏ねてる人が何を言うんだかww

結局、東周銅尺を、周尺だと思ってるのが間違いなんだよ
あれは、事実上「秦尺」につながる戦国時代末期の尺
その辺の検討が甘いんだよ
0386日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 19:19:25.33
>>377
もうすぐ出るよ
日本史の論点-邪馬台国から象徴天皇制まで (中公新書) 8/17日発売
執筆分担:古代・倉本一宏(国際日本文化研究センター教授)、中世・今谷明(帝京大学特任教授)、
近世・大石学(東京学芸大学教授)、近代・清水唯一朗(慶應義塾大学教授)、現代・宮城大蔵(上智大学教授)
https://www.amazon.co.jp/dp/4121025008/ref=pe_492632_159100282_TE_item
0387学術
垢版 |
2018/07/21(土) 19:25:09.08
近現代史まで急いでよ。途中からでもいいよ。最近からでも。平成史も振り返って
見るべきだろう。
0388日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 19:28:05.11
>>384
賛成
東遷は卑弥呼の時代という根拠にヤマトの地の物証的が少なすぎる
私が考えるのは
九州邪馬台国OR其の後 邪馬台国に変わって倭国を率いた九州勢力が東遷したと考える
0389日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 19:49:26.35
倉本説
・邪馬台国は伊都国から南に千数百里で、50kmくらい、久留米市、八女市あたりになるだろう
・「水行十日、陸行一月」は帯方郡からの行程
・邪馬台国のヤマトは「大和」ではなく、「山門」にもとづく
・九州の邪馬台国連合と畿内の倭王権が並立していた
・九州勢力は魏、畿内の倭王権は呉と外交関係を結んでいた
・倭国は畿内と吉備の連合王国
・北部九州は独立した政権であり続けた、太宰府は法制的にももうひとつの朝廷
0390日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 19:55:24.90
関川尚功(邪馬台国大和説と箸墓古墳・纏向遺跡、2017)
「大和の弥生遺跡と纏向遺跡をみても、邪馬台国のあった地域の遺跡とは思えない。大陸系の遺物もほとんど出ないし、
古墳の起源になるような墳丘墓もみられない。
このようなところに北部九州の「奴国」や「伊都国」を統属して、中国王朝と盛んに交流を行ったという邪馬台国があったは
ずはないし、またこのような国が大和において自然に現れてくるということは、まず考えられない。
また、箸墓古墳の土器や埴輪も布留式の時代ですから3世紀まで行くものではない。纏向遺跡のピークもこのころだから、
やはり邪馬台国の時代よりあとのことで、纏向遺跡はむしろ大和政権の確立期の遺跡であろうと思われる。」
0391日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 20:25:57.52
>>370
>遺跡の数から収穫高が分かるなら、これで十分だな

わからないだろw
それより集落の遺跡や墓の遺跡でも探せよ。
でも弥生時代の島根では無理だろう。
0393日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 21:00:58.63
石野博信や関川尚功も
過去の人物になってしまったね
纏向の調査の大半を桜井市に移管してしまったのが問題
石野とコバンザメ寺澤の距離感も微妙だなwww
0395日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 21:20:15.60
>>386
こういうときの古代って、飛鳥時代から平安時代を指すんだけどね
蔵本先生の守備範囲ってまさにその辺でしょ?
0396日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 21:23:44.40
>>388
>東遷は卑弥呼の時代という根拠にヤマトの地の物証的が少なすぎる
>私が考えるのは
>九州邪馬台国OR其の後 邪馬台国に変わって倭国を率いた九州勢力が東遷したと考える

それじゃ間に合わないんだよ
古墳時代は3世紀には始まっているし、古墳時代の直前・弥生終末期と古墳時代の間には
大きな社会変化はない

編年研究を無視し続けながら、寝言を垂れ流してるだけ
0399日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 21:50:22.35
>>395

邪馬台国の時代が入ってない!
0400日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 21:51:21.82
>>396
>古墳時代は3世紀には始まっているし、古墳時代の直前・弥生終末期と古墳時代の間には

3世紀の後半からだろ。
大差がないならいっそ古墳時代なんて使うのをやめてしまえ。
0401日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 21:53:36.76
東遷説の年代観は論外だが、倭人伝の共立でようやく西日本がまとまり始めるという畿内説の年代観でも十分遅すぎる
0402日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 21:55:49.65
>>401
それ、東遷説だろ。
直前の2世紀までは金印があった博多湾沿岸が倭国なんだろ?
0403日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 22:15:08.05
>>400
トンチンカンな主張だな
三世紀前半の弥生終末が事実上もう「古墳時代」だという認識が広まって来てるだけなのに
0405日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 22:42:43.54
>>400
>3世紀の後半からだろ。
>大差がないならいっそ古墳時代なんて使うのをやめてしまえ。

定式化した最初の古墳、箸中山古墳の造営からとするなら3世紀後半から
しかし、いきなり定式化した古墳ができる訳ではないので、そこに向かう秩序の成立の
時点から古墳時代と認めるという考え方が有力になってきている

それだと古墳時代は3世紀初頭から

卑弥呼の時代はもう、古墳時代なんだよ

そして古墳時代の秩序の中心は「畿内」でまったく問題がない
0406日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 22:42:52.04
>>398
「古代史から読み解く「日本」のかたち(倉本一宏・里中満智子)<祥伝社新書>」
0407日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 22:47:32.85
筑紫の卑弥呼と並行してその萌芽が西日本のどこかにあっただけ。
しかも纒向ではない。
0410日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 23:01:08.01
キナイコシが、また、勘違いしているな。。
0411日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 23:01:18.92
>>405
>しかし、いきなり定式化した古墳ができる訳ではないので、そこに向かう秩序の成立の
>時点から古墳時代と認めるという考え方が有力になってきている

じゃあ、古墳時代は倭国(阿波)の萩原墳丘墓からだね。  @阿波
0412日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 23:15:15.48
>>404
>「邪馬台国から象徴天皇制まで」

あー、専門外のことを書くのかなぁ
まあ、プロとしての責任において書くんだろうけれど

ここで九州説で書くようなら、大論争になるだろうね
そうなったら、その論争の過程で決着が付くんじゃないかなw
0413日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 23:17:24.61
>>407
>筑紫の卑弥呼と並行してその萌芽が西日本のどこかにあっただけ。

那珂八幡古墳が奴国の首長墓、端山古墳が伊都国の首長墓
ここ状況でどこに筑紫の卑彌呼がいるんだい?
0414日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 23:19:58.67
奴国の首長?
なんじゃそりゃ。
そんなものが仮にいたとしても、平原の倭国女王よりはるかに格下だろ。
0415日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 23:28:08.81
>>414
平原は金貸しの老婆の墓
0416日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 23:36:49.48
>>378
読みました。

平均身長のくだりは唐突に感じました。
論旨がうねってるように感じるので
少し段落構成を論証に合わせて構成してもらえると理解に助かります。

17cm
22.5cmというのは違う時代の考古尺に近いので

21cmの考古遺物としての尺が見つかっていない
不自然さを合わせて考えると
岡上氏の推測推論はほぼ妥当なものと思います。
0417日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 23:41:38.70
平原は伊都国の仿世鏡作りの家系の家族墓で、そこから伊都国の首長の妃が出て、
それが1号墓の被葬者なんじゃないかと思う

曽根遺跡群と三雲遺跡群とは、墓の主の家系が別だろう
0418日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/21(土) 23:55:00.53
>>414
>奴国の首長?
>なんじゃそりゃ。

なんじゃそりゃ、とか言っちゃう知識量で、自分が正しいと思ってるんだから、
まともに相手にするのもバカらしいんだけどな

「根拠なし連呼厨の人」だろ?

弥生時代終末期の福岡平野の中心遺跡は、比恵那珂遺跡郡で、そこを母集落とする
古墳時代最初期の古墳が那珂八幡古墳

この被葬者が比恵那珂遺跡の首長でなかったら、誰なんだい?

>そんなものが仮にいたとしても、平原の倭国女王よりはるかに格下だろ。

伊都国は戸数千餘戸の小国
無良田で南北市糴が必要な対馬国と同レベル

奴国は戸数二萬餘戸の倭国第三の大国

平原1号墓は径百歩にどうやっても届かない12×8メートルの方形周溝墓
那珂八幡古墳は、墳丘長75メートルの初期古墳としては九州でも最大級

冷静に見れば、平原1号墓の方が格下だろうに
0419日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 00:07:53.47
畿内説って、自分たちの妄想を本気で信じているの?
鏡作りの家系って何だよ。工房の職人か?アホだろ。
根拠なし、は畿内説の得意技だろ。
伊都国の人口が少なくても、遺跡や魏志倭人伝からは外交の中心であったことが明白だろ。
倭王の歴代の墓は多くが方形周溝墓だし、平原一号墓はその伝統に則っている。
畿内説は平原遺跡が怖すぎる事実を直視できなくなっているだろ。
わざと事実無根の中傷を続けるうちに、それを自分で信じてしまったパターンかな?
0420日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 00:20:30.41
>>419
>魏志倭人伝からは外交の中心

魏志倭人伝に記された、臨津搜露の主体は伊都国じゃなくて一大率だよ
入国ゲートのある成田空港が日本の外交の中心ってことはないだろ?

あくまで伊都国は邪馬台国の派遣官である一大率の治所ってこと

「根拠なし連呼厨の人」は、まともに反論する内容がないときに
「根拠なし」でごまかしてるだけじゃんw

畿内説側からの指摘は、ただの妄想で根拠がないっていうときだよ
「どっちもどっち」論で逃げようとしても無駄

こっちはいちいち具体的に指摘してるからね
0421日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 00:24:36.52
伊都国妖怪博物館!
0422日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 00:31:24.44
漢委奴國王時代の王墓でも、墳丘サイズが30メートル超の規模があるし、
倭王とはされていない吉野ヶ里遺跡の北墳丘墓でも南北約38m、東西25m の大きさがある

どうして平原1号墓をそんなに重要視できるのかが不思議
0423日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 05:44:13.47
金印もらうほど偉い国w
0424日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 06:29:49.60
>>423
その通り。
だから福岡(筑紫)が倭国の王都。
伊都がその中核。
0426日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 06:39:41.74
>>424
>だから福岡(筑紫)が倭国の王都。

と、言い切れる遺跡があまりにも貧弱でお粗末。  倭国(阿波)の比ではない。  @阿波  
0427日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 07:00:04.71
都庁が有楽町から西新宿に移転したら東京都が別の国に変わってしまったかのような言いがかりだな。

(金印は伊都の細石神社に保管されていたという話もあるけれど、今は置いておこう)
0429日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 07:11:53.77
頭が固く思い込みの強い人にとって
あらゆる異論は「言いがかり」
0430日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 07:15:29.35
>>427
>金印は伊都の細石神社に保管されていたという話もあるけれど

これがまた、小さな神社なんだわ

平原1号墓も小さいし、小さなもの、つまり巨大な権力の所在の反映を
今に伝えていないものを、想像、憶測で補っているだけ

伊都国には「都」の字が使われているから王都だっていうのも恥ずかしい主張だし
0431日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 07:21:26.31
>>427
>都庁が有楽町から西新宿に移転したら東京都が別の国に変わってしまったかのような

有楽町も西新宿も、どちらも東京都だろ?

でも、奴国と伊都国は、魏志倭人伝でも別の国として書かれているし、
奴国は筑紫国造になり、伊都国は怡土縣主になるのであって、終始、
別々の首長による統治が想定できる

自説の都合による勝手読みってのが、九州説のデフォルトなんだよなww
0432日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 07:38:46.35
>>431
>でも、奴国と伊都国は、魏志倭人伝でも別の国として書かれているし、

国邑が違うだけで、どちらも倭国だね。
0433日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 07:44:06.02
>>430
>平原1号墓も小さいし、小さなもの、つまり巨大な権力の所在の反映を

倭国という王権だろ。
伝わっているじゃないか。
有楽町に都庁があった痕跡だって小さな碑くらいしか残ってないからな。
弥生時代という背景を考えると、小さすぎるということもない。
そこから千数百年も残っていたことは重要だし、戦国時代くらいまではかなりの規模の神社だったらしい。
戦国時代と明治維新に日本はかなりの歴史と伝統を失っているんだよ。
0434日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 07:44:19.05
他説は憐れだなあ。
倭国=福岡県北部九州を中心とする九州国家
その中に、伊都や奴国などの都府県があっただけのこと。

国がかぶるのは、日本国の中に武蔵国や山城国、筑前国などがあったのと同じで
倭国の中に伊都国や奴国などがあっただけ。
0435日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 07:48:16.93
>>431
>奴国は筑紫国造になり、伊都国は怡土縣主になるのであって、終始、
>別々の首長による統治が想定できる

千代田区長と新宿区長が違うから何だ?
そりゃ別々に首長はいるだろ。
畿内説はいちいちこういう言いがかりが多いな。
伊都国や奴国がその時代に独立国としてあったわけではないのだから、無意味だね。
畿内は大和も河内もまとめるくせに、九州はほんの数キロ先も別の国だなんて、ナンセンスだろ。
畿内説はこういうところが詐欺っぽい。
0436岡上 ◆Lv09mLa3HM
垢版 |
2018/07/22(日) 08:04:26.34
>>416 さん
お読みいただいて、有難うございます!

既存の議論・知見の再確認みたいな文ですので、硬いとは思いますが、
岡上オリジナル部分を入れようとして詰め込みすぎましたかね。
歩の解釈を抜いてしまうと、奄の解釈ぐらいしか無くなってしまいますので。
0437日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 08:28:06.57
伊都国妖怪博物館。
伊都国王だとか奴国王だとかの議論主張はナンセンスの極み。

倭女王と書かれているように、
卑弥呼の時代は「倭国」の時代であり、各国邑は官が治めていたのだ。
0438日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 08:44:33.76
>>433
>弥生時代という背景を考えると、小さすぎるということもない。

吉備の楯築墳丘墓は二つの方形突出部を入れて墳丘長72メートル
出雲の西谷9号墓は四隅突出墓でその突出部まで入れるとおよそ60×50メートル
丹波の赤坂今井墳丘墓は東西36m、南北39m、高さ3.5mの墳丘部に加え四方に5〜9mの平坦部
てなサイズがある

纏向型前方後円墳は、弥生墳丘墓に入れる立場だけれど、
纒向石塚古墳で全長96メートル、
東田大塚古墳で墳丘長120メートルある

これ全部、弥生時代だよ

北部九州でも200年前の
須玖岡本遺跡D地点も三雲南小路遺跡も30メートル超の墳丘があったとされている
王墓ではないとされている吉野ヶ里遺跡の北墳丘墓も南北約38m、東西25m の大きさ

12×8メートルの方形周溝墓は、同じ時代同じ地域と比べてもはっきりと「小さい」だろ?

現実を見ろよ!
径百歩と記されてもおかしくない墳丘墓が倭国の各地にある中で、
長辺で「径十歩に満たない墓」を、割られた仿世鏡がたくさんあるからといって
卑弥呼の墓だと主張するのが図々しいんだよ
0439日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 08:46:21.14
>>435
>千代田区長と新宿区長が違うから何だ?
>そりゃ別々に首長はいるだろ。

その千代田区長を都知事だって言ってるやつがいたら、
頭おかしいと思うだろ?

伊都国説の主張はそんな程度だw
0440日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 08:47:06.13
>>435
倭人伝の一般的な解釈を言いがかりと決めつけるところが、実にトンデモ説らしいよ
0441日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 09:09:16.17
>>439
>その千代田区長を都知事だって言ってるやつがいたら、
>頭おかしいと思うだろ?

ごちゃ混ぜにしているのは畿内説だろ。
0443日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 09:14:04.45
>>436
>岡上オリジナル部分を入れようとして詰め込みすぎましたかね。
>歩の解釈を抜いてしまうと、奄の解釈ぐらいしか無くなってしまいますので。

いえ、詰め込みとも思わないし
奄の解釈もいいと思うんです。

原文、
原文の解釈が何通りあるか
各々の解釈の当否

平原の評価のようにですね各々の解釈で
どれくらい丸バツになるか といった感じで読んで見たいなぁと思ったのです。
0444日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 09:16:23.95
補足、内容の多寡ではなく内容の順序がもちょっと整理されててホスィ、という趣旨でした。失礼しました。
0445日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 10:00:20.86
仿世鏡のゴミ捨て場

せいぜい、鏡職人の頭領を葬ったんだろ
0446日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 11:15:28.47
中国古代の長さについて論じるなら、
『考工記』の尺度について  新井宏
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10631904

中国人のはかり方 藤堂明保
https://www.jstage.jst.go.jp/article/chuugokugogaku1955/1955/38/1955_38_105/_pdf/-char/ja

中国計量史話(5)関増建* * 著  加島淳一郎* * 訳
http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10632073_po_ART0006283764.pdf?contentNo=1&;alternativeNo=

くらいは読んでほしいけれど、結局自説に合うのを一生懸命探して
チェリーピッキングしただけだろ

丈夫の議論に大夫を絡ませる辺りがせこすぎる
威丈夫や大丈夫の検討はしていないし

お鏡さんのやることに期待はしてないけどさ
0447日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 11:40:43.44
ここには方法論に従った論証と単なるいいとこ取りが区別できないアホがいますね
0448日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 12:50:54.65
>>445
伊都説憎しとは、ここまで言うかねぇ。
もう学問やめたら?
0449日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 12:52:30.47
>>445
君には日本史は理解できないよ。
諦めたほうがいい。
0451日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 13:25:24.39
日本史の方法論を無視しまくってる糸厨がなにかほざいてるな
0452日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 16:13:48.06
>>448
>伊都説憎しとは、ここまで言うかねぇ。

「ここまで」とはどこまでだ?
「具体的に指摘」してみてくれ

破砕供献なんだから、鏡としてもう使わないという意味で廃棄と言えるし
40枚中38枚が仿世鏡なのも間違いない

割るためだけに38枚の仿世鏡を用意した辺りで鏡作りの家系という推測もあり得る
威信材を作る家系は、重要家系だよ

>もう学問やめたら?

伊都国説は学問になってないと思うがね
十分な論証抜きで短里があるとか、水行の起点は帯方郡だとか、
伊都国と邪馬台国は別の国として魏志倭人伝に書いてあるのをガン無視するとか
0453日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 17:09:26.88
最近、畿内説の連投キチガイが消えたな
死んだのか・・・
0455日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 20:11:23.72
>>452
妄想を並べ立ててよく言うよ。
0456日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 20:27:42.41
五十迹手(いそとて)は高麗国意呂山より天降って来た日拝の苗裔であると筑前風土記に書いてある。

筑前国風土記逸文に、「五十迹手(いそとで)奏ししく、高麗の国の意呂山に、天より降り来し日桙の苗裔、五十迹手是なり。」
「天皇、即ち五十迹手を美めたまいて伊蘇志(いそし)と曰う。故れ、時の人五十迹手が本土を号けて伊蘇(いそ)国と曰う。
伊覩(いと)と謂うは訛れるなり」と紹介されているように、天日槍の子孫が伊蘇国と名づけ、それが訛って、伊都国になったという
0457日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 20:52:48.53
いやまあ、日本書紀がわざとらしく語源の説明をする訳だけれど、神功皇后の方が後の時代なわけで、嘘をついているわけだ。
どうしても卑弥呼の存在を隠したかったと言うことだよね。
0458日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 20:53:38.06
>>455
>妄想を並べ立ててよく言うよ。

だから「具体的に指摘」しなければ、ただの難癖だっての

「根拠なし連呼厨の人」は、能力の低さを一言レスでごまかしてるだけ

40枚中38枚が仿世鏡なのも、破砕供献なのも単なる事実だろ?
0459日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 21:02:46.97
>>456
>日拝の苗裔であると

これは意図的な誤記なのか?
自分で引用している部分に「天より降り来し日桙の苗裔」って書いてあるじゃないか

天日槍だろ? 
古事記では、神功皇后の祖先の扱いだから、神功皇后の事跡のあるところでは
よく祖先として仮冒されている名前だ
0460日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 21:09:07.58
>>457
>いやまあ、日本書紀がわざとらしく語源の説明をする訳だけれど、神功皇后の方が後の時代なわけで、嘘をついているわけだ。
>どうしても卑弥呼の存在を隠したかったと言うことだよね。

地名説話が実話だと思ってるのか?
基本的に語呂合わせみたいなもので、登場人物もその地に縁の有名人ってだけだぞ?

それに「筑前国風土記逸文」ってことで紹介しているけれど、これは日本書紀の仲哀紀そのものだろ?


又筑紫伊覩縣主祖五十迹手、聞天皇之行、拔取五百枝賢木、立于船之舳艫、
上枝掛八尺瓊、中枝掛白銅鏡、下枝掛十握劒、參迎于穴門引嶋而獻之、
因以奏言「臣敢所以獻是物者、天皇、如八尺瓊之勾以曲妙御宇、
且如白銅鏡以分明看行山川海原、乃提是十握劒平天下矣。」

天皇卽美五十迹手、曰「伊蘇志。」
故、時人號五十迹手之本土曰伊蘇國、今謂伊覩者訛也。
0461日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 21:13:14.21
>>457
>五十迹手(いそとて)

それから普通、五十迹手は「いとで」と読むのが普通
(いそとて)なんてどこから出てきた?
0462日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 21:27:54.94
>>458
「ここまで」とはどこまでだ? 「具体的に指摘」してみてくれ

>仿世鏡のゴミ捨て場

被葬者に対する尊重の念がないね。
こんなことも言われないと分からないコミュ障は、
さっさと学問版から出てけ。
0463日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 21:32:37.42
>>461
十を飛ばして読むなんて、伊都国を引き出したい誰かのだましだろ

五十迹手(いそとて)ゆえに、伊蘇志(いそし)→伊蘇国(いそ国)と名付けられ、→後世これが訛ってイトと呼ばれるようになっただけ、というではないか。
0464日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 21:39:04.62
記紀では「五十」は「い」と読む例が多い
五十狭城入彦→いさきいりひこ
五十瓊敷入彦→いにしきいりひこ

おまけ
五十鈴川→いすずがわ
0465日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 21:53:26.01
>>464
五十迹手(いそとて)ゆえに、伊蘇志(いそし)→伊蘇国(いそ国)と繰り返し念をおしているのだから、>464は成り立たぬ。
なお
五十狭城入彦→いそさきいりひこ
五十瓊敷入彦→いそそにしきいりひこ、、、でも良かろう。
おまけ
五十鈴川→いすずがわも、いそすずがわが後世訛っただけじゃないの。
○○時代、○○方言、○○弁と共に、発音はへんどうするものよ。
0466日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 22:09:35.52
>>462
>被葬者に対する尊重の念がないね。

尊重の念?
日本人が選ぶ単語じゃないぞ?
この文脈で使うなら「崇敬」の念だ

それにそもそも、平原1号墓を軽んじているのは、周溝が埋まる程度の時間が経った頃に
墳丘本体に穴を空けて土壙墓を作っている地元民だろ?

そんな倭王はいないよ
0467日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 22:20:13.29
バツの悪いキナイコシは話題をそらして非を認めないようだ。
0469日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 22:27:40.46
>>467
非って、何?
0470日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 22:29:16.58
>>466
お前が死者への冒涜をなしたのは事実。
学問板以前の問題。人間性に問題あるから、ささっと消えろ。
0471日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 22:32:31.06
嘘をつき、嘘スレや偽情報スレを立てまくる、連投荒らしを重ねるのも学問板以前の問題
人間性に問題あるから、ささっと消えて欲しいですよね
0474日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 22:41:19.16
>>460
>地名説話が実話だと思ってるのか?

思っているわけないだろ。
だから日本書紀の編纂者の創作・捏造だと言っている。
0475日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 22:43:16.64
>>466
どんな言い繕っても、お前が死者の墓に対して、酷い侮辱した事実は変わらないし、
指摘されても尚、言い繕いを重ねる心性は、心が汚れていると言わざるを得ない。

まさしく汚物。マンホールスレにでも、引きこもっておけ。
0476日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 22:44:08.82
だいたい、鏡は被葬者である貴人のために作るものであって、職人の墓に副葬するなんて聞いたこともない。
キナイコシはわかって言っているのだろうが、品性を疑うね。
こんなことで畿内説に支持が集まると思っているのなら、よほどおめでたいな。
0478日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 22:47:44.09
内行花文鏡を副葬されるのは、歴代の倭王とその一族と決まっているわけで。
もちろん畿内でも例外ではなく、ヤマト王権は筑紫(博多湾沿岸)の倭国の権威を継承している。
その中でも最大の内行花文鏡「八咫鏡」を副葬されたのは、太陽信仰による鬼道を司る卑弥呼(日の巫女、日御子)以外にない。
0480日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 22:50:17.60
>>478
>内行花文鏡を副葬されるのは、歴代の倭王とその一族と決まっているわけで。

勝手に決めるな
0481日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 22:52:33.89
>>465
>五十狭城入彦→いそさきいりひこ
>五十瓊敷入彦→いそそにしきいりひこ、、、でも良かろう。

よくないよ
もともと「やまとことば」の名前があって、それに当て字で記載されているだけだからね
古事記と日本書紀の記載を比べることで、読みが分かるんだよ

御眞木入日子「印恵」
御間城入彦「五十瓊殖」 イソニエと読む余地はない

伊久米伊理毘古「伊佐知」
活目入彥「五十狹茅」  イソサチと読む余地はない

「印色」之入日子
「五十瓊敷」入彥    イソニシキと読む余地はない

さらに言えば、記紀が書かれた当時はすでにあくまで「イト」縣だったということ
だから「伊蘇國、今謂伊覩者訛也」と書かれているわけだ

「伊蘇國」の方が、どこから出てきたのか謎、というか、無理やりなこじつけだよ
0482日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 22:59:17.80
>>476
>職人の墓に副葬するなんて聞いたこともない

「職人」っていうのが、無知から来る侮蔑
>>452の「威信材を作る家系は、重要家系だよ 」を無視してるだろ?

記紀でも、八咫鏡を作った石凝戸邊命は神様だよ

「鏡作を職掌とする重要家系の家族墓地が平原遺跡」っていうのは、
「1号墓が卑弥呼の墓」ってのよりよっぽど蓋然性が高いぞ
0483日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 23:06:10.28
>>470
>お前が死者への冒涜をなしたのは事実。

また、相手が二人居るのに気づいてないだろ?
>>445>>452は別人だよ

私は>>452
「根拠なし連呼厨の人」は、能力が足りなくて、議論で不利になるとキレ芸に走るよなw
汚い罵り言葉を多用しているのはむしろ>>470だろ?

本当に日本人か?
ちょいちょい、おかしな日本語を使うだろ?
「死者に対する『尊重』の念」とかw

平原1号墓が径百歩って言ってたのも「根拠なし連呼厨の人」だろ?
0484日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 23:09:14.44
鏡を作る尊い家系の人と書かずに
職人と書いたのはやはり死者を冒涜する意図だったんだな、なんて下品なやつ。
0486日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 23:48:35.37
>>478
>内行花文鏡を副葬されるのは、歴代の倭王とその一族と決まっているわけで。

前から気になっているんだが、連弧文鏡と内行花文鏡の区別は付いているのか?
三雲南小路遺跡や須玖岡本遺跡D地点甕棺墓からは連弧文鏡は出ているが
内行花文鏡は出ていないぞ?

逆に唐津の中原遺跡からは内行花文鏡が出ているが、王墓とはされていない

「内行花文鏡を副葬されるのは、歴代の倭王とその一族」って、実は根拠がないって
理解できるか?
0487日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 23:52:51.22
>>476
「職人の墓に副葬するなんて『聞いたこともない』」の
『聞いたこともない』には職人を低く見る意識が現れているよね?

古代の鏡作(銅矛作り、銅鐸作りも同様)が、重要家系、有力者ってのも
最初から頭になかったようだし

どっちがバカにしてるかは明白だよな
「根拠なし連呼厨の人」は、自分に根拠がないのをいつもごまかそうとしている
0488日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 23:53:22.89
墓域をゴミ捨て場よわばりするくらいだからねぇ。鏡も鏡職人も劣位に置く意図まみれの表現だからなぁ。日本人離れした感性だねぇ。
0489日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 23:57:09.64
キナイコシ連呼厨=連続句読点=伊都クズ=「根拠なし連呼厨の人」new

なんてことはないな
日本史板の荒らし屋さんだww
0490日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 00:00:07.30
芸風面白くないねぇ
0491日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 00:00:38.89
>>488
>鏡職人も劣位に置く意図まみれ

>>476の九州説キナイコシ連呼厨の人のことを言ってるんだね

>日本人離れした感性だねぇ。

>>486>>476だろ?
ブーメランもいいとこww
0493日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 00:03:51.47
そうそうキナイコシってほんと日本人離れしてるよな。
0494日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 00:05:24.12
ふーん、畿内説では三雲南小路の被葬者も鏡作り職人なんだ。
珍説だね。
0495日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 00:06:11.34
だって畿内は半島の遺伝子が一番濃いところだもの。
0496日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 00:06:59.49
>>486
>逆に唐津の中原遺跡からは内行花文鏡が出ているが、王墓とはされていない

王族がいたんじゃないの?
0497日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 00:10:29.28
畿内説はしょっちゅう根拠根拠と叫ぶけど、自分たちが一番根拠のない決めつけをしていることを理解してほしいね。
平原遺跡が鏡作り職人の墓?
玉もたくさんあったから、玉造職人でもあったのかな?
中国と同じ耳璫も出たから、それも作っていたのかなw
剣も出ていたから、鍛冶屋でもあったのかな?
0498日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 00:29:16.73
>>481
>さらに言えば、記紀が書かれた当時はすでにあくまで「イト」縣だったということ
だから「伊蘇國、今謂伊覩者訛也」と書かれているわけだ<

>「伊蘇國」の方が、どこから出てきたのか謎、というか、無理やりなこじつけだよ<


記紀が書かれた当時は・・・、って、そりゃ八世紀だろ。
だから、(三世紀の)伊蘇イソが、(八世紀には)訛って伊覩イトというようになってましたー。
つまり、(記紀上の)三世紀にイトといってたわけじゃないの、と補説してるわけさ
0499日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 00:33:06.00
>>494
>ふーん、畿内説では三雲南小路の被葬者も鏡作り職人なんだ。
>珍説だね。

またごまかしに入っている

平原1号墓は、仿世鏡がメイン
三雲南小路遺跡は、舶載鏡がほとんど、というか仿世鏡はないんじゃなかったか?

仿世鏡なしなら鏡作が出る幕はないだろ?

そして、三雲南小路遺跡から「内行花文鏡が出ていない」ことから目をそらすなよ?
今、「内行花文鏡があるから平原1号墓は倭王の墓」ってのの、
根底が崩れているところなんだから

平原1号墓以外の、北部九州で「王墓級と認定」されている墓で、
「内行花文鏡が副葬されている墓はない」
連弧文鏡はある

この辺をまず、整理して見せてくれ!
0500日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 00:36:24.79
>>498
>(三世紀の)伊蘇イソが、

これが無根拠
記紀以前の日本の古文献はない

3世紀の音訳と思われる魏志倭人伝の表記は「伊都国」
3世紀の大陸文献と、8世紀の日本の文献が「イト」で一致しているのに
間に「イソ」があったと考える方がおかしい
0501日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 00:50:03.49
>>498
>平原遺跡が鏡作り職人の墓?

根拠 つ「出土40面中38面が仿世鏡」
副葬品の大部分が鏡作の手によるものだぞ?
そして、平原1号墓の王墓主張の力点が破砕供献の
鋳上がりの悪い、本来の作図法や伝統の文様を無視した大鏡に
あるって言うんだから、鏡作が最重要人物だろ?
平原1号墓にとっては?
王墓には小さすぎる規模も、鏡作の有力家系墓としてはふさわしい大きさだ

耳璫も倭国製だと主張するなら、耳飾り職人の墓でもいいけれど
そうするとますます大陸との交渉の形跡が薄くなるな

そもそも墳丘に土壙墓を掘られるような径十歩に満たない墓ってのを、
人間性がどうのこうので話をそらしてごまかそうとしているだけ

賢い人間はそう簡単にごまかされないからw
0502日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 01:17:45.89
賢い?
0503日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 01:18:37.71
鏡を持っていたから鏡職人って、短絡すぎて話にならんわ。
0504日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 06:13:32.02
>>503
>鏡を持っていたから鏡職人って、

持っていたから、じゃなくて、作ったから、だろ?
しかもかなりいい加減

そして、「墳丘に土壙墓を掘られるような、径十歩に満たない墓」は、
卑弥呼の墓も倭王の墓もないよ
0505日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 06:19:11.26
平原遺跡の被葬者が自分で鏡を作ったという証拠は?
0506日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 06:19:48.25
連弧文鏡ってのは時代区分などでの名称分類上の問題だけであって、
連弧文鏡と内行花文鏡は系統としては同じものだろ。

仿世鏡が増えていくのは、伊都王支配下に鏡作職人が増えたのと、
中国動乱、公孫氏の台頭、などによって、舶載鏡が手に入りにくくなったから
まさに卑弥呼の墓である証左とも言える。
0507日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 06:27:15.96
鏡を持っていたら鏡職人
土を盛っていたら?
0508日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 06:36:32.19
畿内説は一人だけになったから勢いイチャモンのレベルも低くなってなんだかかわいそうだね。
0509日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 07:16:31.84
>>506
卑弥呼が鏡をもらう前に死んだ人の墓だよ
0510日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 07:38:46.23
>>509
年代比定の根拠は?
0511日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 07:44:09.51
>>510
舶載鏡が手に入りにくくなった頃の墓なんだろ?
卑弥呼は生前に舶載鏡を手に入れてる
0513日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 07:47:27.87
>>500
>3世紀の音訳と思われる魏志倭人伝の表記は「伊都国」

だからそれが誤ってるといってるんだよ
伊都国は、伊蘇志又は伊蘇国ではなかった、つまり今の糸島ではなかったのだよ

よくよく読んでみろ、末蘆国の東南方向へ陸行五百里到る伊都国は、誰がどう読んでも佐賀平野だろ。
0514日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 08:15:51.91
>>511
後漢と倭の交流が一時途絶えており、その頃に卑弥呼が即位している。
卑弥呼の治世の大部分は、公孫氏との交流となる。
魏との国交再開は卑弥呼の治世の末期。
0515日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 08:17:13.37
>>512
作らせたのであり、自分で工房に入ったわけはない。
弥生時代でおそらく最高レベルの宝飾品を保有した貴人中の貴人だからね。
まさしく女王にふさわしい。
0516日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 08:22:10.34
>>513
>よくよく読んでみろ、末蘆国の東南方向へ陸行五百里到る伊都国は、誰がどう読んでも佐賀平野だろ。

それ、そもそも「末蘆国」の比定地自体が間違いだよ。  @阿波
0517日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 08:38:17.15
>>516
そうだったな
末路国は阿波だったそうだ
0518日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 08:44:20.03
>>514
だから何だ?

卑弥呼の墓を作った時点で、倭には豊富に魏鏡がある

「中国動乱、公孫氏の台頭、などによって、舶載鏡が手に入りにくくなった」
頃の墓は
まさに卑弥呼のまだ生前に死んだ人の墓な証左であるのだな
0519日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 09:07:11.43
>>506
>まさに卑弥呼の墓である証左とも言える。


卑弥呼の墓が暴かれたと?  お粗末な話ですね(笑)。  @阿波
0520日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 09:09:50.22
いや、ちっちゃいのが卑弥呼の墓だって言って暴れてる人がいるだけ
0521日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 10:02:03.04
>>505
>平原遺跡の被葬者が自分で鏡を作ったという証拠は?

すぐ飛躍するww
「鏡作りの有力家系から、伊都国首長妃が出たから、一族の総力を上げて
 たくさん仿製鏡を副葬した」
くらいが、一番ありそうなところってだけ
たくさん仿製鏡を副葬した王墓なんて、他に一例たりともないだろ?

そして、「墳丘に土壙墓を掘られるような、径十歩に満たない墓」は、
卑弥呼の墓も倭王の墓もないよ
0522日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 10:06:09.82
>>506
>連弧文鏡ってのは時代区分などでの名称分類上の問題だけであって、
>連弧文鏡と内行花文鏡は系統としては同じものだろ。

では、連弧文鏡は、太陽信仰の象徴に当たるのかね?
そして、>>478の「内行花文鏡を副葬されるのは、歴代の倭王とその一族と決まっている」は
内行花文鏡(連弧文鏡を含む)とでも修正するのかい?

連弧文鏡を副葬している弥生墳墓は、結構たくさんあるけど、それも全部王族なのかい?

グダグダだろ?
おかしな主張をしていることに早く気づけるといいね!

そして、「墳丘に土壙墓を掘られるような、径十歩に満たない墓」は、
卑弥呼の墓も倭王の墓もないよ
0523日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 10:08:40.75
>>506
>仿世鏡が増えていくのは、伊都王支配下に鏡作職人が増えたのと、
>中国動乱、公孫氏の台頭、などによって、舶載鏡が手に入りにくくなったから
>まさに卑弥呼の墓である証左とも言える。

しかしその後、卑弥呼が遣使して、大陸王朝との交渉が復活して、銅鏡100枚を
下賜されてるんだよねww

魏鏡はおろか新しい後漢鏡すら1枚も副葬されていない平原1号墓は、それだけで
卑弥呼の墓の候補から除外できる

そして、「墳丘に土壙墓を掘られるような、径十歩に満たない墓」は、
卑弥呼の墓も倭王の墓もないよ
0524日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 10:33:08.16
そもそも、卑弥呼のような大王は、平原のような平地には埋葬されないんですよ。

初期の天皇陵は、山の尾根や丘を利用して築かれた。

初代〜第五代天皇の陵墓の記事(『古事記』『日本書紀』『延喜式』)には
まず、初期の天皇陵は、神武陵が畝火山の北方白檮尾上、綏靖陵は衝田岡、懿徳陵は畝火山の真名子谷上、孝昭陵は掖上の博多山上とあるように、
山の尾根や自然の丘陵の一部を利用して築かれている。  @阿波
0525日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 13:04:05.72
逆立ちしても無理な平原一号=卑弥呼の墓を
言い張らねばならない九州説の窮状を
ただただ哀れに思う
0526日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 13:51:31.48
>>522
>連弧文鏡を副葬している弥生墳墓は、結構たくさんあるけど、それも全部王族なのかい?

王族はどんどん増えるからね。
0527日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 14:30:08.50
>>513
>伊都国は、伊蘇志又は伊蘇国ではなかった、つまり今の糸島ではなかったのだよ

これはまた異なことをおっしゃるww
ならば、最初から日本書紀の記述がイトだろうとイソだろうと、
魏志倭人伝の記述とは関係ないってことにしかならないだろ?ww

>よくよく読んでみろ、末蘆国の東南方向へ陸行五百里到る伊都国は、誰がどう読んでも佐賀平野だろ。

だから、別の場所に行く記述が、混同されてるんだよ
佐賀の方だったら、常治伊都國で臨津搜露はできないだろ?

伊都国は、現在の比定で動かない
けれど、末慮国(唐津)から内陸に向かう古い記録が、
伊都国行きの旅程と混同されている

魏志倭人伝の旅程記事の精度は、その程度なんだよ
0528日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 14:33:10.95
>>514
>魏との国交再開は卑弥呼の治世の末期。

末期であっても、生きてるんだから、その死後の墓には当然に
魏からの下賜の舶載鏡があるはずだよな?

魏鏡はおろか新しい後漢鏡すら1枚も副葬されておらず
墳丘に土壙墓を掘られるような、
径十歩に満たない墓は、
卑弥呼の墓も倭王の墓もないよ
0529日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 14:35:33.63
>>527
>魏志倭人伝の旅程記事の精度は、その程度なんだよ

糸島や佐賀のトンデモだから、そういう見解になるんだよ。  @阿波
0530日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 14:38:09.80
>>515
>最高レベルの宝飾品

それが誤解なんだってばさ
耳璫一個でそんなに威張るなよ

ガラス管玉その他の宝飾品では、
丹波の赤坂今井墳丘墓や大風呂南墳丘墓の方が豪華で立派

伊都国説の人は、伊都国のことしか知らないから、見当違いのことばかり書いている

この、丹波も王墓近くも、出雲(投馬国)経由の日本海経路では、
ヤマト国(邪馬台国)への陸行一月の途中で経由することになる

北部九州から、水行20日で出雲(投馬国)、水行10日で丹波、
そこから陸行一月で大和という経路は、私としては残念だけれど、
お鏡さんと意見の一致を見ているw
0531日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 14:40:47.53
>>517
>末路国は阿波だったそうだ

違うよww
阿波説では、万津浦が末慮国なんだそうだ
北部九州の福津市あたりの海岸をそう呼んだという神社の文書があるそうな
そんな地名、今の九州にはないんだけどね
0532日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 14:44:53.46
>>526
>王族はどんどん増えるからね。

じゃあ、連弧文鏡や内行花文鏡があるからといって、ただの王族か
ただ一人の倭王かは分からないってことになるね?

つまり、内行花文鏡が王の象徴というのは大間違いで、
王族だったらどこでも出るから、それで王の所在は特定できないってことだ

つまり、これまでの伊都国説の「内行花文鏡が出たから平原1号墓が倭王の墓
つまり卑弥呼の墓」というのは、意味がないってことだな

そもそも
魏鏡はおろか新しい後漢鏡すら1枚も副葬されておらず
墳丘に土壙墓を掘られるような、
径十歩に満たない墓は、
卑弥呼の墓も倭王の墓もないんだけどさ
0533日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 14:46:28.83
>>527
>けれど、末慮国(唐津)から内陸に向かう古い記録が、
>伊都国行きの旅程と混同されている

それはおかしい。
里程が示されているのは、郡使が実際に通過した道程であり、縮尺に問題はあれど、大きくは誤っていないはず。
0534日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 14:47:24.57
>>532
>つまり、内行花文鏡が王の象徴というのは大間違いで、
>王族だったらどこでも出るから、それで王の所在は特定できないってことだ

大きさと枚数が違うよ。
0535日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 15:56:14.86
>>533
>里程が示されているのは、郡使が実際に通過した道程であり、縮尺に問題はあれど、大きくは誤っていないはず。

でも、伊都国の位置は動かさないんだろ?
三雲遺跡群の辺りが伊都国ってのはいいな?

で、そこから末慮国からの東南陸行五百里を逆算すると、
めでたく玄界灘の海上にしか着かない訳だ

九州説の捏造の短里だか東夷伝里だかの、1里=76メートルを使うと
五百里で38キロ
三雲遺跡群というか、三雲南小路遺跡の王墓から、北東に38キロ行くと
壱岐空港の真東13キロ地点くらいになるね

そこに末慮国はどうやってもないだろ?
陸行にもならないし

「郡使が実際に通過した道程」だから「大きくは誤っていない『はず』」ってのは
実証に耐えないんだよ

要するに、間違ってるってこった
0536日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 15:58:00.86
>>534
>大きさと枚数が違うよ。

では、内行花文鏡一般は、王の所在を示さないってことでいいな?
これまでの伊都国説側の言い分とは大きく異なることになるが?

そして、大きさと枚数がどうだろうと
魏鏡はおろか新しい後漢鏡すら1枚も副葬されておらず
墳丘に土壙墓を掘られるような、
径十歩に満たない墓は、
卑弥呼の墓も倭王の墓もないんだがなww
0537日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 22:16:57.67
連弧文鏡など内行花文鏡一般は、王族あるいは高位の臣下を示すだろ。
その世界最大のものが女王卑弥呼だ。
0538日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 23:05:10.33
そもそも内行花文鏡は、中国の皇帝が王侯に下賜した様式だから、倭王の象徴とするのは当然だ。
それを知らない畿内厨が無知なだけ。
それに八咫鏡は日本でも天皇位の象徴とされてきた。
それが内行花文鏡であったというのは、非常に合理的な説明だよ。
他の鏡では、それが権威の象徴となる根拠がまったく不明になってしまう。

まあ、天皇位がそもそもは中国の皇帝から冊封された倭王に由来するというのは、一部の狂信者には受け入れがたいことなのだろうけれどね。
でもそれが歴史的事実なんだよ。
0539日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 23:18:46.56
これから逃げ続けてるな

大きさと枚数がどうだろうと
魏鏡はおろか新しい後漢鏡すら1枚も副葬されておらず
墳丘に土壙墓を掘られるような、
径十歩に満たない墓は、
卑弥呼の墓も倭王の墓もないんだがなww
0540日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 23:59:16.14
方形周溝墓は弥生時代の倭王の代表的な墓制だよ。
0542日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 06:53:20.49
>>540
>方形周溝墓は弥生時代の倭王の代表的な墓制だよ。

これを見るたびに、こいつ分かってないんだな、って思う

弥生時代の後半の墓制が、広い範囲で方形周溝墓なんだよ
庶民だろうが首長だろうが、方形周溝墓

方形周溝墓は、王墓や首長墓であることを意味しない

庶民の方形周溝墓は家族墓の形を取り、一つの周溝墓に順に追葬していく
案外これが殉葬百人の誤解のもとじゃないかと思っている

首長墓・王墓のばあいは、単に方形周溝墓というのではなくそこに大きな墳丘を作る
須玖岡本D地点甕棺墓も三雲南小路遺跡も30メートル四方を超える墳丘を持っているし
吉野ヶ里遺跡の北墳丘墓は南北約38m、東西25m の大きさの墳丘が作られている

吉野ヶ里の北墳丘墓は、追葬されていく点では庶民の家族墓と共通している

ということで、平原1号墓は、方形周溝墓だからといって王墓であるとはまるで言えない
大きな墳丘を持たない点で王墓であるという主張は否定できる

墓制、墳墓の様態から言えるのはこの程度だな
0543日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 06:53:54.25
魏鏡はおろか新しい後漢鏡すら1枚も副葬されておらず
墳丘に土壙墓を掘られるような、
径十歩に満たない墓は、
卑弥呼の墓も倭王の墓もないんだよ
0544日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 07:19:17.23
>>537
>連弧文鏡など内行花文鏡一般は、王族あるいは高位の臣下を示すだろ。
>>538
>内行花文鏡は、中国の皇帝が王侯に下賜した様式だから、倭王の象徴とするのは当然

まずこれをきちんと論証してもらおうか?

とりあえずこちらからは既に、
「倭王とは関係ない墓からも普通に出土していて
 連弧文鏡・内行花文鏡が王の所在を示す訳ではない」
というには指摘している
副葬品としては、普通物だよ

さあ、論証してごらん

「王墓は伝統的に方形周溝墓」
⇒「庶民の墓も方形周溝墓」
と同じ論理だよ

「内行花文鏡は王の象徴」
⇒「王墓以外でも普通に副葬されている」

でもまあそれがどうであれ
魏鏡はおろか新しい後漢鏡すら1枚も副葬されておらず
墳丘に土壙墓を掘られるような、
径十歩に満たない墓は、
卑弥呼の墓も倭王の墓もないんだけどねぇ
0545日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 07:44:08.18
>>542
>方形周溝墓は、王墓や首長墓であることを意味しない

そんなことは誰も言っていない。
本当にコミュ障だな。
王墓も方形周溝墓だしそれ以外も方形周溝墓なんだろ。
0546日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 07:45:55.42
>>544
>⇒「王墓以外でも普通に副葬されている」

倭王と王家の関係者(または王族)と書いているはずだけど?
勝手に読み替えるなよ。
0547日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 07:46:12.55
>>538
>それに八咫鏡は日本でも天皇位の象徴とされてきた。

これは正しい
しかし、逆に皇室の権威によって、八咫鏡が神聖性を帯びたというのもある
豪族同士の手打ちに八咫鏡が贈られる記事が雄略紀にあるし、
「普通名詞としての八咫鏡という呼称」が存在したことが確認できる

>それが内行花文鏡であったというのは、非常に合理的な説明だよ。

これは飛躍
伊勢のご神鏡が内行花文鏡というのは確認されていないし、
確認のしようがない

>他の鏡では、それが権威の象徴となる根拠がまったく不明になってしまう。

天照大神が「此之鏡者、專爲我御魂而、如拜吾前、伊都岐奉。」と言ったからだよ
何をとち狂ったことを言ってるんだか
0548日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 07:50:12.29
>>545
>王墓も方形周溝墓だしそれ以外も方形周溝墓なんだろ。

つまり、「平原1号墓は方形周溝墓だからー」というのは
「平原1号墓は倭王墓」という主張と『一切何の関係もない』ってことが
確認できたってことでいいな?

無駄なことを何を一生懸命何度も書いてるんだろうね?ww

でもまあそれがどうであれ
魏鏡はおろか新しい後漢鏡すら1枚も副葬されておらず
墳丘に土壙墓を掘られるような、
径十歩に満たない墓は、
卑弥呼の墓も倭王の墓もないんだけどねぇ
0549日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 07:54:49.29
>>546
>倭王と王家の関係者(または王族)と書いているはずだけど?

王家の関係者なんて5代も遡れば、等比級数で増えるんだから、王家関係者の墓ってのは
「王墓を探す上ではほとんど何の役にも立たない」ってことが確認できたな

平原1号墓は伊都国王家の関係者の墓で問題ないよ
伊都国首長家に妃を出した伊都国有力家系の墓ってのが相当だ

まあそれがどうであれ
魏鏡はおろか新しい後漢鏡すら1枚も副葬されておらず
墳丘に土壙墓を掘られるような、
径十歩に満たない墓は、
卑弥呼の墓も倭王の墓もないんだけどねぇ
0550日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 08:16:52.98
>>547
>伊勢のご神鏡が内行花文鏡というのは確認されていないし、
>確認のしようがない

もし内行花文鏡でなかったら、どこかで入れ替わった可能性が高いよ。
0551日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 08:18:02.71
>>547
>天照大神が「此之鏡者、專爲我御魂而、如拜吾前、伊都岐奉。」と言ったからだよ

畿内説は記紀を信用しなかったのでは?
真実を伝えているかどうかを検証せずに神勅を信用するのかい?
0552日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 08:21:30.90
>>549
>王家の関係者なんて5代も遡れば、等比級数で増えるんだから、王家関係者の墓ってのは

内行花文鏡の所有者が王家の関係者というところはいいんだな?

>伊都国首長家に妃を出した伊都国有力家系の墓ってのが相当だ

アマテラスの神勅が根拠なら、太陽を象った内行花文鏡の所有者は、いわゆる天津神、天神の子だよ。
だからたくさんいるのも納得できる。
伊都国首長なんて、存在したかどうかもわからないものを捏造するなよ。
0553日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 08:23:42.82
伊都国首長だとか、財宝をザクザク保有している鏡職人の一家だとか、畿内説は妄想を並べ立てるばかりで、まるで学問の域に達していないよ。
0554日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 08:46:28.64
神勅の「いつき奉れ」の「いつ」は伊都と書くんだね。
偶然だろうけど。
それとも縁語なのかな?
その内行花文鏡を持って邇邇芸が降臨したのが筑紫の日向、伊都国だもんな。
0555日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 09:20:44.26
倭国はそのまま大和国
九州なわけないw どんだけ捻じ曲げんだよ
0556日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 09:28:30.19
ザラコクの捏造 @阿波
0557日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 09:44:53.08
邇邇芸が降臨したのは筑紫日向だよ。
畿内大和ではない。
0558日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 10:05:03.56
>>551
>畿内説は記紀を信用しなかったのでは?
>真実を伝えているかどうかを検証せずに神勅を信用するのかい?

コミュ障連呼するくせに、文脈を読まないなぁ
八咫鏡に権威と神聖性があるのは、日本国内の事情であり、
それを神話の形にまとめたのが記紀だったことだよ

記紀に書いてあることが事実かどうかに関わりなく、
八咫鏡に権威と神聖性の根源は、皇室の皇祖神とされている
天照大神の「此之鏡者、專爲我御魂而、如拜吾前、伊都岐奉。」がその淵源というのは
日本の古代社会の事実だってこと
0559日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 10:07:01.83
もう一つの神勅を受けた宗像三女神は言うまでもなく福岡県の宗像大社に祀られている。
現在では交通安全の神様となっているが、本来の役割は対馬海峡の鎮守(防衛)であったと考えられる。
その役割は伊都に置かれた大率と共通であり、博多湾沿岸と対馬海峡が倭国の中心を形成していたことがわかる。
三女神の中でも重要なのは市杵島姫だが、「いつく」(祭る)という言葉にここでは市という文字を当てていることから、音が先にあり漢字を当てていることがわかる。
市杵島姫は神仏習合により弁財天として知られており、全国の弁財天では必ず福岡の沖ノ島に見立てた島があり、そこに祠(宮)を立てる。
宗像大社の分社として安芸の厳島神社や琵琶湖の竹生島弁財天、湘南の江島神社があり、三大弁財天として知られる。
都内では上野の不忍池にある弁財天が有名である。
このように福岡を起源とする信仰は全国に波及している。
逆に、純粋に畿内を起源とする信仰は稀である。
0560日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 10:07:02.78
>>550
>もし内行花文鏡でなかったら、どこかで入れ替わった可能性が高いよ。

それは、「もとが内行花文鏡だったに『違いない』」という、まったく
根拠のない思い込みが前提になってるんだよ

根拠のないものを前提に論を立てても無駄だ、と何度言えば理解できるんだろうねw
0561日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 10:07:57.34
>>558
>天照大神の「此之鏡者、專爲我御魂而、如拜吾前、伊都岐奉。」がその淵源というのは
>日本の古代社会の事実だってこと

根拠が記紀の神勅w
0562日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 10:08:46.07
>>552
>内行花文鏡の所有者が王家の関係者というところはいいんだな?

王家の関係者なんて、無数にいるから、
「何も言ってないのに等しい」ってところに早く気づけやww
0563日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 10:10:22.17
>>558
>八咫鏡に権威と神聖性があるのは、日本国内の事情であり、

だからさ、もともと漢による冊封の証であった倭王の象徴である内行花文鏡が、漢の滅亡後の卑弥呼の時代に国産の内行花文鏡である八咫鏡による権威に変化したと考えれば、実に合理的だろ?
0564日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 10:12:44.79
>>552
>アマテラスの神勅が根拠なら、
 ↑
これとこれに、まったく繋がりがないんだけど?
    ↓
>太陽を象った内行花文鏡の所有者は、いわゆる天津神、天神の子だよ。

「太陽を象った内行花文鏡」って時点で既に根拠なしの思い込み

ああ、根拠はあったっけ?
「オレが見たら太陽に『見える』から」っていう、客観性の欠片もない根拠がww

さらに、天照大神が持たせた八咫鏡が内行花文鏡だという根拠もない

思い込みだけを繋いで論立てしてるだけ
だから、科学にならないのが九州説
0565日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 10:12:51.55
>>562
そうでもないよ。
筑紫の王家の末裔が西日本に広域に拡散して支配地域を広げたことの証左だからね。
筑紫の出身である神武の言葉を借りるなら、「天神の子は多く、人とは違うのだ」。
0566日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 10:13:22.87
>>564
では、八咫鏡はどのような様式なのか?
0567日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 10:13:55.25
>>561
>根拠が記紀の神勅w

そうだよ?
日本の古代社会において、そういう神話、口伝があって、
それが八咫鏡の権威のバックボーンだ
0568日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 10:14:40.02
また、話をそらし始めたから、きっちり貼っとくww

魏鏡はおろか新しい後漢鏡すら1枚も副葬されておらず
墳丘に土壙墓を掘られるような、
径十歩に満たない墓は、
卑弥呼の墓も倭王の墓もないんだけどねぇ
0569日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 10:17:01.92
>>551
>伊都国首長なんて、存在したかどうかもわからないものを捏造するなよ。

つ「東南陸行五百里、到伊都國。(中略)『世有王』、皆統屬女王國。」
ってはっきり書いてあるねぇ

この人だよ、「伊都国首長」は
0570日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 10:48:52.01
>>554
>神勅の「いつき奉れ」の「いつ」は伊都と書くんだね。
>偶然だろうけど。
>それとも縁語なのかな?
>その内行花文鏡を持って邇邇芸が降臨したのが筑紫の日向、伊都国だもんな。

これは、古事記の記述だけれど、例えば古事記の上卷-2「別天~五柱〜~世七代」で
「都」の検索をかけると
大宜都比賣  此四字以音
天比登都柱。 自比至都以音
志那都比古~ 此~名以音 自志那都比古~至野椎、幷四~
大宜都比賣~。此~名以音
彌都波能賣~
建布都~   布都二字以音下效此、亦名豐布都~
伊都之尾羽張。伊都二字以音
豫母都志許賣 此六字以音
後手布伎都都 此四字以音
宇都志伎   此四字以音
伊都久~也。 伊以下三字以音
宇都志日金拆命之子孫也。宇都志三字、以音

が全てで、「都」は「つ」の表音(以音)表記だと分かる
偶然というか、表音文字としての「都」ってことだよ

「伊」はもっと多いけれど
伊邪那岐~、次妹伊邪那美~。此二~名亦以音如上
と見れば、これも同じく「い」の表音文字だと分かるだろ?

縁語でもなんでもないよ
0571日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 11:09:14.48
>>568
>魏鏡はおろか新しい後漢鏡すら1枚も副葬されておらず

つまり、漢の滅亡後の卑弥呼の時代の墓なんだよ。
0572日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 11:13:09.06
>>570
伊と都が表音文字として使われているのを知った上で、その偶然に縁を感じるのが日本人の感性なんだよ。
記紀は文学でもあるわけだからね。
0573日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 11:54:42.72
畿内説論者には、しばしば高天原が大和のどこそこだとか、日向は宮崎県だとかいう者がいるが、それでは高天原から筑紫日向への降臨を守護するのが宗像である必然性が理解できない。
天孫降臨が対馬海峡から福岡県の筑紫日向すなわち伊都高祖宮への降臨であるからこそ、宗像が鎮守の拠点となる。
また、「伊都にいた」という王の権威が、伊都にとどまるのではなく、少なくとも宗像を含む博多湾沿岸や、おそらくは対馬海峡に及んでいたことになる。
その支配機構が魏志倭人伝では大率となる。
すなわち、伊都にいた王とは、倭王のことである。
伊都の首長としては、別に禰宜という官が記録されている。
もっとも、この名前は神道の祭祀の中心であり、邇邇芸にも通じる名前であることから、もともとは伊都国の官も天孫族の一員であることが想定できる。
倭は古の倭奴国であるという。
つまり、福岡を中心とする博多湾沿岸と対馬海峡が倭なのである。
その王都は筑紫の日向、今日では高祖山と呼ばれるクシフル山にあり、魏志倭人伝では伊都と呼ばれ、倭王は内行花文鏡を太陽信仰のシンポルとする神勅を発し、魏代においては女王が君臨していたことになる。
0574日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 12:10:15.85
>>571
>つまり、漢の滅亡後の卑弥呼の時代の墓なんだよ。

漢の滅亡後だと、漢の鏡が副葬されない理由は何だい?
というか、平原1号墓には舶載鏡が2枚だけあって、
16号鏡 18.8センチ 雲雷文長宜子孫銘内行花文鏡 漢鏡5期(後漢鏡)
17号鏡 16.5センチ 四螭二朱雀龍虎鏡 虺龍鏡  漢鏡3期(前漢鏡)
で、古い時代の漢鏡は出てるんだがな?ww

で、魏志倭人伝に明記された
「今以絳地交龍錦五匹、絳地縐粟罽十張、蒨絳五十匹、紺青五十匹、答汝所獻貢直。
 又特賜汝、紺地句文錦三匹、細班華罽五張、白絹五十匹、金八兩、五尺刀二口、
 『銅鏡百枚』、真珠、鉛丹各五十斤。」
が、1枚たりともない理由は?
0575日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 12:13:22.08
>>553
>鏡職人の一家だとか

まだ言ってる
威信財である鏡作りの一族は、有力家系だって教えただろ?

そんなんだから、伊都国説は学説にならないし科学じゃないんだよ
伊都国以外の論文や文物をきちんと見て判断しなよ

もう一回貼ってあげるから
連弧文鏡
http://www001.upp.so-net.ne.jp/wi12000/img/ren_seihaku.htm
内行花文鏡
http://www001.upp.so-net.ne.jp/wi12000/img/8ko4yo.htm

内向花文鏡のもとの形は連弧文鏡だが、例えばこの鏡とか、太陽に見えるかい?
https://lh3.googleusercontent.com/-JkoRaOL6zWE/VquP-1b7IqI/AAAAAAAADNs/oeMTR7-sBtk/s2600/rak_thk24.gif
0576日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 12:19:25.18
例えば、
https://lh3.googleusercontent.com/-JkoRaOL6zWE/VquP-1b7IqI/AAAAAAAADNs/oeMTR7-sBtk/s2600/rak_thk24.gif
を見れば、連弧文鏡では、連弧文の内側の図像が重要だって分かるだろ?

平原1号墓の巨大鏡は、その連弧文の内側の図像を無視して、無視してるが故に
連弧文領域の大きさが、面径に対して極端に小さいという状況になっている
連弧文鏡〜内行花文鏡の図像の持つ意味を無視して、とにかく大きくした鏡だよ

内行花文鏡の、八連弧文が太陽に見えるから、太陽信仰の象徴だというなら、
なぜ、平原1号墓で5枚割られた巨大鏡では、その太陽に見える部分を
むしろ小さく作っているんだ?
太陽の象徴を意味するなら、最大限強調するのが筋じゃないのか?

いろいろつじつまが合わないねぇ

で、>>544での
「>内行花文鏡は、中国の皇帝が王侯に下賜した様式だから、倭王の象徴とするのは当然

 まずこれをきちんと論証してもらおうか?」
に対する、回答はまだかな?

まあ、いずれにしても
魏鏡はおろか新しい後漢鏡すら1枚も副葬されておらず
墳丘に土壙墓を掘られるような、
径十歩に満たない墓は、
卑弥呼の墓も倭王の墓もないんだけどねぇ
0577日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 12:21:20.75
>>557
>邇邇芸が降臨したのは筑紫日向だよ。
>畿内大和ではない。

筑紫日向が、糸島を意味する訳ではない
日向は「ひゅうが」であって、「ひなた」だとする理由はない
0578日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 12:23:07.38
>>563
>だからさ、もともと漢による冊封の証であった倭王の象徴である内行花文鏡が、

だから、これ「漢による冊封の証であった倭王の象徴である内行花文鏡」をきちんと
論証してくれって言ってるじゃないか
0579日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 12:44:39.68
>>572
>伊と都が表音文字として使われているのを知った上で、その偶然に縁を感じるのが日本人の感性なんだよ。
>記紀は文学でもあるわけだからね。

いくら無関係な「伊」「都」の使い方があっても、伊都の縁語に決まってるという、
前もって結論が決まっている人の物言いですね

何言っても無駄だなw
0580日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 12:44:52.25
>>576
>なぜ、平原1号墓で5枚割られた巨大鏡では、その太陽に見える部分を
>むしろ小さく作っているんだ?
>太陽の象徴を意味するなら、最大限強調するのが筋じゃないのか?

アマテラスの威信がより広くまであまねく及ぶように、八紘一宇だろ。
0581日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 12:47:26.01
>>577
理由をたくさん説明したのに。
宮崎県では、宗像が守護役となる意味がないんだよ。
そもそも魏志倭人伝も記紀も、同じ倭国の歴史なんだよ。
どちらも説明つけるためには、倭国の王都が福岡とするしかない。
0582日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 12:48:21.75
>>579
>前もって結論が決まっている人の物言いですね

合理的な理由ではなく、語呂合わせに対する説明だよ。
0583日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 12:56:36.93
記紀の神代は、現代の理屈を通すだけではなく、神道の基礎が成立しつつある弥生時代の人達の理解と思想というフィルターを通した記録であることを考慮しないといけないよ。
内行花文鏡をシンボルとする天津神の一族が博多湾沿岸に倭国を成立され、倭奴国と呼ばれた。
倭の領域が拡大してからは、王都である倭奴国は伊都国と名前を変え、記紀では筑紫の日向と呼ばれ、王宮である高祖宮は高千穂宮と呼ばれた。
これだけですべてシンプルに説明できるんだよ。
それ以外の説明では、記紀の内容と魏志倭人伝の内容がてんで矛盾することとなってしまい、つまりは仮定が誤りであることがわかる。
0584日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 13:30:16.03
気持ち悪いこじつけばかりだね

倭国はそのまま大和国で
邪馬台国は大和国のことだよ。

九州が倭国だったとか
僕でも嘘か頭おかしいのかなと思います

小学生より
0585日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 13:34:15.24
魏志倭人伝の
倭人は大和の人のことだよ。

九州が倭=和と呼ばれたことなんて
一度もないよ。嘘つきはみっともないよ。
0586日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 13:34:32.30
大和の前には筑紫、その前は出雲が倭国を代表していたんですよ。
0587日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 13:36:27.24
>>583
なかなか優秀なストーリーではないか

ただし、倭の領域が拡大してからは、王都である倭奴国は(×伊都国)→邪馬台国と居所と名前を変え、記紀では筑紫の日向と呼ばれ、王宮(である×高祖宮)は、日向の高千穂宮と呼ばれた。そして卑弥呼の塚の前には高千穂宮の新本殿が造営された。

これだけですべてシンプルに説明できるんだよ。
0588日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 13:56:01.06
>>587
ありがとう。
高千穂宮に新旧を区別する意味はあるだろうか。
怡土城(伊都城?筑紫城?)は高祖山山頂や日向峠を含む広大な山城で、現在の高祖宮はその中心地に位置している。
平原も三雲もその前にあるので、移動を想定する必要はないと思う。
0589日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 14:04:20.37
じゃあ神話と倭人伝合わせて考えると
高千穂が邪馬台国だったの?
0590日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 14:20:46.04
どちらも倭国の王都という点で一致しています。
考古学的には、糸島平野の一連の弥生王墓が相当すると考えられます。
0591日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 14:48:09.46
>>589
神話と倭人伝を合わせて考えると、
不彌国の南至の阿蘇高千穂が女王の都するところ
邪馬台国は、阿蘇+肥後平野一帯の7万戸で、もちろん女王の所都を含む
其の政治経済的主邑が邪馬嘉国(山鹿)、宗教的主邑が阿蘇高千穂という構図だな
0592日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 14:50:24.08
それでは狗奴国が宙ぶらりんですよ。
筑紫が倭国だからこそ、南に狗奴国熊本を想定することができます。
0594日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 15:18:06.55
>>592
狗奴国はもと熊本平野にいた先住民族だな

それが、大陸から鉄器を携えてやってきた新参肥国勢力に追っ払われて、人吉・大口辺りまで南下した。その頭目がくくち彦

女王国と狗奴国は素より不和、とはそういういきさつだったのだろう。
ただし、女王の邪馬台国はまもなく東遷したので、狗奴国は元の山鹿・菊池に返り咲いた、というわけだ。
0596日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 15:44:04.10
>>566
>では、八咫鏡はどのような様式なのか?

これは、伊勢のご神鏡は実見記録がないから分からないとしか言いようがない

ただ、御鎭座傳記の注釈に
「一名日像八咫鏡是也。八咫。古語八頭也。八頭花崎八葉形也。
 故名八咫也。中䑓圓鏡形座也。圓外日天八座。」
と書かれている
内宮の火事で、御神体が焼け出されたときに、見た人がいるのでは、ともされている
が、どこまで信用できるかは分からない

これによると、八咫というのは「古語でいう八頭」と書いてあって
周尺八寸の「咫」とは関係ないことが書いてあるww

「八頭花崎八葉形」がどんな形か、ということだけれど、
「中䑓圓鏡形座也。圓外日天八座。」とあるので
「中に円形の台上の部分があり、その円外に日天が八座ある」

まあ、これだけの情報では何とも言えない
これだけの情報から、こんな図を書いた人もいるけれどね
http://sintengengakukai.blog.fc2.com/img/jpegOutput3-2-1.gif/

そして、太陽のようだという記述はない
0597日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 15:45:59.71
>>583
>内行花文鏡をシンボルとする天津神の一族

これを、論証抜きで使わないでって言ってるんだよ
きちんと論証してからならいいけれど
0598日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 16:11:04.68
>>596
思った以上に太陽でワラタ
0599日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 16:17:56.01
>>589
邪馬台国は筑紫
南に行って高千穂へ
そこから東征
0600日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 16:42:09.81
>>597
畿内の籠神社の饒速日の神宝の鏡は内行花文鏡だった。
筑紫のニニギの墓が三雲南小路遺跡だとすると、やはり連孤紋鏡が多数である。
興味深いことに、王妃とされる2号墓で「日光」銘が多く見られる。
つまり、天孫二人がどちらも内行花文鏡(連孤紋鏡)を用いており、特に女性は日光銘を用いていたことになる。

いくつかの仮定を飲み込んでしまえば、すべては調和的に整合性を示すのである。
博多湾沿岸に中心を持つ銅鏡文化が全国を席巻することになるが、それは天皇家が筑紫を起源とするという記紀神話そのままなのである。
0601日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 16:44:14.36
>>599
高千穂は筑紫の日向にあるので、筑紫から南に行ってはいけない。
筑紫の日向はイザナギが禊を行なった小戸神宮などがある博多湾沿岸西部のこと。
0602日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 17:01:26.97
>>601
おい、筑紫から南に行ってはいけないってか。

オマイも倭人伝無視、×南→東のうそつきだましかい
0603日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 17:02:09.81
>>599>>601
結局、神話解釈に行ってしまうんだな

>>561
>根拠が記紀の神勅w

と、よく相談してね

伊都国説では、都合のいいところは記紀に依存しますって
0604日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 17:10:30.45
>>600
>畿内の籠神社の饒速日の神宝の鏡は内行花文鏡だった。

連弧文鏡と内行花文鏡だな

辺津鏡が前漢鏡( 95φ)で連弧文銘帯鏡(昭明鏡)
息津鏡が後漢鏡(175φ) で長宜子孫銘内行花文鏡

これが、大陸王朝から王に対して下賜されたっていう情報はないんだな?
聞きたいのはそこなんだが?

>饒速日の神宝の鏡

籠神社の伝世鏡が、饒速日の神宝と名前が同じ、まではいいが、
これが「饒速日の神宝そのもの」かどうかはまた、別の論証が必要

籠神社のご祭神の彦火明命を饒速日にしてしまえばよいということになっているが
歩明命は以外に難しい神様
0605日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 17:20:25.93
>>604
>これが、大陸王朝から王に対して下賜されたっていう情報はないんだな?

下賜されたからこそ中国の鏡が国内にあるわけですよ。
しかも埋められたこともなく当時から神宝として祭られ、祭った一族の今日までの家系も揃っています。
いわゆる神代というものの実年代が後漢代を含む年代であることがわかります。

>籠神社のご祭神の彦火明命を饒速日にしてしまえばよいということになっているが
>歩明命は以外に難しい神様

火明命が難しいのは同意。
しかし祭神は容易にすげ替えられてしまう。
0606日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 17:22:51.36
>>603
>結局、神話解釈に行ってしまうんだな

記紀を無碍に否定する根拠もないと思いますよ。
記紀を全面否定すると7世紀以前の日本の歴史は暗黒になってしまいます。
0607日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 17:32:33.16
リアルタイムの文献がないなら真っ黒で普通だろう
なにが悪い
0608日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 17:36:49.22
ちょっと、三雲南小路遺跡と須玖岡本遺跡D地点の出土鏡を確認しておくよ

三雲南小路遺跡
http://www001.upp.so-net.ne.jp/wi12000/forGmap/html/mikumo_iwara_minamisyouzi_et_yarimizo.html
1号甕棺墓(王墓)
重圏彩画鏡 273φ
四乳羽状雷文鏡(羽状地文鏡) 193φ 破片
重圏銘帯鏡 清白銘 180φ 欠損
重圏銘帯鏡 清白銘 160φ 欠損
重圏銘帯鏡 清白銘 160φ 欠損
連弧文銘帯鏡 清白銘 188φ 破片
連弧文銘帯鏡 清白銘 182φ 欠損
連弧文銘帯鏡 清白銘 180φ 破片
連弧文銘帯鏡 清白銘 180φ 破片
連弧文銘帯鏡 清白銘 170φ 破片
連弧文銘帯鏡 清白銘 167φ 完形
連弧文銘帯鏡 清白銘 164φ 完形
連弧文銘帯鏡 清白銘 164φ 欠損
連弧文銘帯鏡 164φ 破片
連弧文銘帯鏡 清白銘 164φ 破片
連弧文銘帯鏡 清白銘 164φ 破片
連弧文銘帯鏡 清白銘 - 破片
連弧文銘帯鏡 - 破片
鏡式不明 清白銘 163φ 破片
鏡式不明 清白銘 160φ 破片
鏡式不明鏡 -     破片
鏡式不明鏡 -     破片 10
0609日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 17:37:36.14
三雲南小路遺跡
http://www001.upp.so-net.ne.jp/wi12000/forGmap/html/mikumo_iwara_minamisyouzi_et_yarimizo.html
2号甕棺墓(王妃墓)
重圏銘帯鏡 114φ 破片
連弧文星雲鏡 74φ 欠損
連弧文銘帯鏡 昭明銘 83φ 欠損
連弧文銘帯鏡 昭明銘 83φ 欠損
連弧文銘帯鏡 昭明銘 80φ 欠損
連弧文銘帯鏡 昭明銘 62φ 破片
連弧文銘帯鏡 75φ 破片
連弧文銘帯鏡 日光銘 74φ 破片
連弧文銘帯鏡 日光銘 72φ 欠損
連弧文銘帯鏡 日光銘 65φ
連弧文銘帯鏡 日光銘 65φ 欠損
連弧文銘帯鏡 日光銘 65φ 欠損
連弧文銘帯鏡 日光銘 64φ 破片
連弧文銘帯鏡 日光銘 64φ
単圏銘帯鏡 日光銘 65φ 破片
単圏銘帯鏡 日光銘 65φ 破片
単圏日光銘鏡系 82φ 破片 昭明銘鏡?
単圏日光銘鏡系 76φ 破片
単圏日光銘鏡系 70φ 破片
単圏日光銘鏡系 70φ 破片
単圏日光銘鏡系 65φ 破片
単圏日光銘鏡系 60φ 破片
0610日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 17:38:52.01
須玖岡本遺跡D地点
http://www001.upp.so-net.ne.jp/wi12000/forGmap/html/sugu_okamoto.html
草葉文鏡 234φ 破片
草葉文鏡 234φ 破片 銘文なし
草葉文鏡 130φ 破片 銘文なし
星雲鏡     165φ 破片 銘文不明
星雲鏡     156φ 破片 銘文不明
星雲鏡     156φ 破片 銘文不明
星雲鏡     156φ 破片 銘文不明
星雲鏡 -     破片 銘文なし
連弧文銘帯鏡 ?昭明銘 - 破片
連弧文銘帯鏡 - 破片
連弧文銘帯鏡 清白銘 -
連弧文銘帯鏡 - 銘文不明
連弧文銘帯鏡 - 銘文不明
重圏銘帯鏡 清白銘 173φ 破片
重圏銘帯鏡 清白銘 167φ 破片
重圏銘帯鏡 清白銘 167φ 破片
重圏銘帯鏡 清白銘 - 破片
重圏銘帯鏡 清白銘 - 破片
重圏銘帯鏡 日光銘 150φ 破片
重圏銘帯鏡 日光銘 - 破片
単圏銘帯鏡 日光銘 - 破片
幡璃文鏡 - -
夔鳳鏡 136φ
0611日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 17:43:35.66
>>600
>興味深いことに、王妃とされる2号墓で「日光」銘が多く見られる。
>つまり、天孫二人がどちらも内行花文鏡(連孤紋鏡)を用いており、特に女性は日光銘を用いていたことになる。

日光銘をあまり重視するのもいかがなものか?
基本的には吉祥句だし、内行花文鏡と特に相関する訳でもない
重圏銘帯鏡 日光銘 - 破片
単圏銘帯鏡 日光銘 - 破片 も多く出ている

それに、須玖岡本遺跡D地点は特に女性ということはないが、普通に
日光銘の鏡が多く出ている
0612日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 17:53:31.03
それから、連弧文鏡というのは星雲鏡や草葉文鏡も含む結構広い概念だから、
その辺もきちんと考えて

http://www001.upp.so-net.ne.jp/wi12000/forGmap/html/zenkankyo.htm

八連弧文鏡の中には、弧の曲率が小さくて、太陽というよりは広げた傘のような
形状のものもある
のちの夢殿のような八角堂とつながる概念が底にあるのかもしれない
見た目で論じるなら、そんなことも言える
0613日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 18:04:46.71
>>600
>筑紫のニニギの墓が三雲南小路遺跡だとすると、やはり連孤紋鏡が多数である。

「ニニギの墓が三雲南小路遺跡」これは根拠がないねぇ
伊都国説の人がそう言っているだけで
神話を史実のように語るのはやめようよ

それはそれとして
重圏銘帯鏡または連弧文銘帯鏡が多い、の方が正しいと思わないかい?
http://www001.upp.so-net.ne.jp/wi12000/forGmap/html/mikumo_iwara_minamisyouzi_et_yarimizo.html
を見てもらえば分かると思うが、重圏銘帯鏡も連弧文銘帯鏡も同じ清白銘の銘帯になっている
0614日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 18:07:53.19
ごもっともです。
しかし鏡の種類の使い分けになんらかのルールはあったはず。
女性は太陽、みたいな感覚がなかったとは言えません。
須玖岡本で台無しになってしまいますけどね。
とりあえず、もっと鏡の編年や意味は考えるに値すると思います。
土器だけを見ていては、支配層である王族の歴史はわからないでしょう。
0615日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 18:08:08.23
>>605
>下賜されたからこそ中国の鏡が国内にあるわけですよ。

こんな論証でいいのなら、日本国内にある舶載鏡はすべて、
倭王に対する下賜鏡ということになって、
「『内行花文鏡(連弧文鏡)』が王に対する下賜鏡で倭王の権威を示す」という主張が
無効化されるんだが、それでいいんだな?
0616日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 18:10:47.58
>>614
>鏡の種類の使い分けになんらかのルール

とりあえず、三雲南小路遺跡の1号甕棺墓と2号甕棺墓を見る限り
2号の方が小さい鏡ってのはあるんだろうね

2号甕棺墓では一番大きいもので
重圏銘帯鏡 114φ 破片  と10センチちょい
残りは径6〜8センチの小さな鏡ばかり
0617日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 18:14:47.61
「三脚日足」と「鳥のよう」な文様を、伊都国説の人が軽視しすぎているのが気になる
0618日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 18:33:59.31
いずれにしても
魏鏡はおろか新しい後漢鏡すら1枚も副葬されておらず
墳丘に土壙墓を掘られるような、
径十歩に満たない墓は、
卑弥呼の墓も倭王の墓もないんだけどねぇ
0619日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 18:40:16.83
>>615
>無効化されるんだが、それでいいんだな?

意味不明です。
倭王がさらに親族や部下に分け与えていくので、権威なんですよ。
0620日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 18:44:54.59
>>619
つまり、それをやらなかった平原1号の被葬者は倭王ではないわけだね


w
0621日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 18:58:04.39
>>620
やらなかったという根拠は?
0623日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 19:08:24.61
>>619
>意味不明です。

どうしてこんな簡単な論理も分からないかな?

国内にある舶載鏡はすべて下賜されたから国内にあるってことなら、
「内行花文鏡(連弧文鏡)に限らず倭王への下賜品」ということになって、
「内行花文鏡こそが王侯に下賜される権威の源泉」という主張が意味を持たなくなるだろ?

三雲南小路遺跡2号甕棺墓から出た直径6センチの小さな単圏日光銘鏡も、
国内にあるのは大陸王朝から下賜されたものだから、倭王のものであり、
倭王の地位を示すものってことになるだろ?

>倭王がさらに親族や部下に分け与えていくので、権威なんですよ。

さらにこれを言ってしまったら、出てくる鏡が王の手元にあったものか、
親族や部下に分け与えられたものか区別がつかないから、鏡が出たところで
それが王の所在とはまったく無関係ってことになる

無効化されちゃってるだろ?
0624日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 19:10:31.55
大きいのをたくさん持っていれば倭王。
三雲の2号墓は王妃だから、持っていて当然。
0625日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 19:11:33.31
>>622
>自分が中国製の鏡を持ってない

平原1号墓出土鏡40枚のうち、仿製鏡が38枚
舶載鏡は
16号鏡 18.8センチ 雲雷文長宜子孫銘内行花文鏡 漢鏡五期
17号鏡 16.5センチ 四螭二朱雀龍虎鏡 虺龍鏡  漢鏡三期
という古いもの

卑弥呼が魏の皇帝からもらった銅鏡百枚を平原1号墓被葬者は持っていなかった
0626日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 19:13:02.49
そんな鏡は無いと言ってるんだよ、頭の病院に行け
0627日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 19:14:12.05
つまり中国製大型鏡を入手できなくなったことは北部九州の凋落を意味する
伊都国の権威は失墜した
0628日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 19:14:58.81
>>624
>大きいのをたくさん持っていれば倭王。

またポイントをずらしている
>>615で言っているのは
「『内行花文鏡(連弧文鏡)』が王に対する下賜鏡で倭王の権威を示す」という主張が
 無効化される

内行花文鏡(連弧文鏡)を倭王の鏡だとして特別視する根拠がなくなるって言ってるんだよ
大きさの問題じゃない

籠神社の辺津鏡は前漢鏡の連弧文銘帯鏡(昭明鏡) で直径( 95φ)しかない
これを、王の鏡だって言っていたのが、意味がなくなるってこと
0629日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 19:16:51.63
松傾の家には、何かが?あったという話

老婆も言っていたし、
クラ(蔵、倉のどちらか)の中に刀なんかが沢山あったんだけど、
売ったり、あげたり、

掛け軸、壺なんかもあったとか
0630日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 19:19:56.16
伊都厨の態度って、警察の取り調べで言を左右していい逃れしようとする容疑者みたいだな
0631日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 19:20:34.00
いま小手子の像というものが建てられてところがあるんだけど、
そういうところの話をしていたり
0633日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 19:23:55.79
>>628
>籠神社の辺津鏡は前漢鏡の連弧文銘帯鏡(昭明鏡) で直径( 95φ)しかない
>これを、王の鏡だって言っていたのが、意味がなくなるってこと

同年代の畿内では卓越した存在であっただろう。
0634日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 19:24:39.30
畿内説が追い詰められる→呟き登場
0635日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 19:25:05.83
「松傾」は、どのような系統の家なの?
0636日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 19:28:11.96
>>634
畿内説が追い詰められたことはないよ
そういうウソをつくから正体がバレる
0637日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 19:30:09.45
>>633
>同年代の畿内では卓越した存在であっただろう。

籠神社は丹後半島の付け根で丹後の国、広い意味では丹波

いずれにしても、畿内(山城・大和・河内・和泉・摂津)じゃないよ
畿内には八咫鏡や、日像鏡があったから、辺津鏡が卓越していたとも思わない
0638日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 19:30:34.34
本当に、
物語(伝説)でいうと最後のほうの出来事なんだと思うんだけど、
家のなかに飾ってあったという刀は盗まれた?
畳、床下の土まで掘り起こされていた


よくわからないけど凄い刀だったと言っていた
0639日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 19:30:48.30
キナイコシ連呼厨=連続句読点=伊都クズ=「根拠なし連呼厨の人」=つぶやき荒らしww
0640日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 19:31:43.03
>>637
>畿内には八咫鏡や、日像鏡があったから、辺津鏡が卓越していたとも思わない

時代が違うということだよ。
いずれにしても、筑紫の倭国からの分家だろうけど。
0641日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 19:33:52.47
wwww(笑い)となるはず

時代的には最近の話なんじゃないのか?とか
0642日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 19:35:52.11
呟き荒らしが出てきたってことは、
「内行花文鏡(連弧文鏡)を倭王の鏡だとして特別視する根拠がなくなる」ってのが
理解できたんだなww

めでたしめでたしw
0643日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 19:37:13.33
>>640
>時代が違うということだよ。

>>637は、神話を根拠にするなら、何だって言えるっていう
皮肉のつもりで書いたんだけど、通じなかったかな?w
0644日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 19:38:39.96
なぜか信onというゲームのスレがあるんだけど、
そこでも言ってる人がいたり

明治時代頃の話だろ、
刀狩り(集めたり)のようなことをしていた人物がいたとか
0645日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 19:42:02.45
『刀語』という作品の話だったかな
0646日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 19:43:48.48
>>378
八尺が23mmx10=184mmで計算間違いしてるよ。23mmx8じゃない?
0648日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 20:03:04.65
このスレではもう、平原1号墓出土の大鏡は八咫鏡ではない、で決着してるんだけどな

丈夫が、普通の成人男子ってのが認められなくて、でもここで議論すると論破されるから
反論はしましたっていうアリバイ作りのために人目につかないようにアップしたっていう文書なんだろ
0649日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 20:04:50.33
>>643
「神話」という言葉を持ち出して煙に巻こうとしていたわけだ。
畿内説にとっては不利だもんな。
紀元前後から2世紀くらいまでの筑紫の倭奴国などの時代がそのまま神代になると、2世紀末に即位した卑弥呼が畿内というのは難しいもんなw
0650日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 20:06:53.22
>>648
お前が言い張っているだけだろw
0651日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 20:21:54.34
どう頑張っても、紀元前から福岡にある銅鏡文化が畿内を塗りつぶしたことは間違いなく、その主役はおそらく饒速日や神武などの天津神だよな。
で、征服された植民地のヤマトに卑弥呼がどう関係したって?
筑紫の王都にいた卑弥呼は自分の影響が畿内まで波及していたことすら自覚していなかっただろうね。
0653岡上 ◆Lv09mLa3HM
垢版 |
2018/07/24(火) 20:47:33.98
>>652
あなたの脳内だけでしょ(笑)

PDFの件は、5ちゃんに書くより、流れてしまわないし、まとまったことが書けますし、そもそもとして、ここに書き込むと著作権を放棄?に同意みたいな警告が出るのが気に食わないので、岡上オリジナル説はあまり書かないようにしています。

>>646
ご指摘有難うございます。

あと、前回コメントくださった方。
今回は大幅な書き換えはしませんが、また何か書きたくなった時の参照とさせていただきます。有難うございます。
0654日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 20:57:38.03
>>652
いや、倭国での八咫の意味を考察できていないので、完全否定はないよ

伊勢の内宮は何度も火災もあってるし
黄金桶記述の時代まで鏡がまともに残ってるか定かではない
そもそも、伝承の記述では黄金桶は出てこないからね

今のところ"八咫"は"長さ"を示す以外、他の解釈を示せない時点で、やはり平原の鏡は現時点の出土鏡の中では有力候補ではある
0655日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 20:59:35.49
>>649
>「神話」という言葉を持ち出して煙に巻こうとしていたわけだ。
>畿内説にとっては不利だもんな。

そう思いたい君に、古いスレの言葉を教えて上げよう

「そう、だから東遷説にも何種類もあるのだよ
 東遷の時期の範囲を不明にすれば
 畿内説だって九州説だって東遷説の一種になってしまう
 つまり、東遷した時期をある特定の時期の範囲の中に設定する説が「東遷説」なのであり
 遅すぎるとありきたりの九州説になってしまい
 早すぎるとごくふつうの畿内説になってしまう」

>紀元前後から2世紀くらいまでの筑紫の倭奴国などの時代がそのまま神代になると、

これが間違い
筑紫の漢委奴國王や帥升等は、西暦107年の朝貢以降、漢鏡もまともに手に入れられず、
没落するんだよ

その後、各地で地域王権が伸張し、巨大な王墓級弥生墳丘墓が作られる中、
北部九州は取り残され、畿内を中心とする勢力の秩序の下部に位置づけられることになる

130年もあれば十分だろ
神武の東征が事実の反映だとした場合、神武から崇神まで5世代(天皇の代数ではなく、
生物学的な世代数)だから、1世代25年で125年、末子相続を仮定して1世代30年とすれば
150年、纏向遺跡の崇神の時代から遡ることになる

日向三代が筑紫でも構わないけれど、その場合は、神武からさらに前だから、
紀元前くらいになるよ
0656日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 21:02:57.21
>>654
>今のところ"八咫"は"長さ"を示す以外、他の解釈を示せない時点で、

渡会神道の、神道五部書では、>>596でも書いたけれど
「八咫というのは「古語でいう八頭」と書いてあって
 周尺八寸の「咫」とは関係ないことが書いてあるww 」だそうだ

「"八咫"は"長さ"を示す」以外の他の解釈、既に示してあるだろ?
大きさは関係ないってさw
0657日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 21:04:20.39
で、お鏡さんは、この辺は読んでいるのかね?

『考工記』の尺度について  新井宏
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10631904

中国人のはかり方 藤堂明保
https://www.jstage.jst.go.jp/article/chuugokugogaku1955/1955/38/1955_38_105/_pdf/-char/ja

中国計量史話(5)関増建* * 著  加島淳一郎* * 訳
http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10632073_po_ART0006283764.pdf?contentNo=1&;alternativeNo=
0658日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 21:05:04.30
丈夫が、普通の成人男子だってのを認められない限りは、軽蔑し続けるからね!
0660岡上 ◆Lv09mLa3HM
垢版 |
2018/07/24(火) 21:10:12.41
読みましたが、それがどうかしましたか?
0661日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 21:15:13.06
お鏡さんは畿内説だから、これには同意できるのかな?

魏鏡はおろか新しい後漢鏡すら1枚も副葬されておらず
墳丘に土壙墓を掘られるような、
径十歩に満たない墓は、
卑弥呼の墓も倭王の墓もないよ
0662岡上 ◆Lv09mLa3HM
垢版 |
2018/07/24(火) 21:19:11.14
>倭王の墓もないよ

ここは完全に同意出来ませんね。
0663日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 21:20:48.40
それで東周銅尺が、周尺だとか考えてるんだったら、どうしようもないよ?
0664岡上 ◆Lv09mLa3HM
垢版 |
2018/07/24(火) 21:22:06.75
>>663
私のPDFの参照論文を読んでみてくださいね。
0665日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 21:24:33.99
>>662
>ここは完全に同意出来ませんね。

「墳丘に土壙墓を掘られる」ような、
つまり1世代程度で忘れ去られてしまう人物が倭王だと想定するのですね?

「径十歩に満たない墓」
成人男子が10人もいたら、1週間で作れるような墓が、倭王の墓だと想定するのですね?

びっくりするほど、権力基盤が脆弱で小さい倭王を想定しているのですね?
お鏡説では?

できれば、「具体的な指摘」つきで、同意できない理由を説明していただけますでしょうか?
0666日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 21:27:31.58
>>656
八咫は古語でいう八頭ていう八頭はどういう意味?
発音が八頭だったのか意味が八頭だったのか?
そこを説明しないと意味のない引用だろ?

予想では、八つに分かれている、くらいの意味かな。ヤマタノオロチも八頭、ヤアタと発音も近い。ヤアタマ?がつづまってヤアタ=八-咫と言うことか

むしろこの記述は八咫の表現が新しい、という情報と見る方が重要だろう。
0667岡上 ◆Lv09mLa3HM
垢版 |
2018/07/24(火) 21:29:08.48
>「具体的な指摘」つきで、同意できない理由を説明していただけますでしょうか?
お断りします。別に私の独自説でもないので、ご自分で勉強してくださいね。
まずは「王権誕生」でも読んでみれば?
0668日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 21:30:23.60
>>653
岡上氏のファンの1人です。

細かいことですが
単位のある計算は八尺=8x23mmなど順序を揃えてほしいなぁと思いました。脳が少しびっくりするので。
0669岡上 ◆Lv09mLa3HM
垢版 |
2018/07/24(火) 21:35:13.26
>>668
やや、これは奇特な方が出てきましたね。
有難うございます。

ご指摘の件は、後ほど修正させていただきますね。
0670日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 21:39:00.54
>>666
>八咫は古語でいう八頭ていう八頭はどういう意味?
>発音が八頭だったのか意味が八頭だったのか?
>そこを説明しないと意味のない引用だろ?

「八頭花崎八葉形」とセットで出てくるから、花の花弁または八葉の先端を
八頭と表したと考えるのが合理的

ただ、神道五部書の成立が鎌倉時代だから(記述では奈良時代以前と
いうことになっている)、実際に上代に八頭⇒八咫だったのかどうかは
実は疑問といえば疑問
0672日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 21:40:26.93
>>669
まま、お時間のある時で。どうぞ〜。
0673日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 21:42:23.84
>>670
「神道五部書」の『豊受皇太神御鎮座本記』の内容を「国史大系」の第七巻から見てみると
「天村雲命伊勢大神主上祖也。神皇産霊神六世之孫也。阿波國麻植郡座忌部神社、天村雲神社、二座是也」

阿波國に座す二社(忌部神社、天村雲神社)が皇祖皇統の正統なる末裔であると記している。
阿波忌部が伊勢神宮(少なくとも外宮の)の正統なる祭祀者であり、伊勢神宮は阿波忌部の上祖(天日鷲命)を祀っているのである。

内宮、外宮、両宮の御鎮座当初より忌部氏が祭祀を司っていたのはまぎれもない事実であり、6世紀に中臣氏に取って代わられるまでその地位は安泰だった。
その御鎮座時を記録するために度会氏が14世紀になってこの『豊受皇太神御鎮座本記』を記したのであろう。  @阿波
0674日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 21:44:14.72
>>670
八つの頭という時点で内行花文鏡の意匠だわね。

アタマって発音は大和言葉かな、知らんけど。
0675日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 22:02:49.25
>>655
他の畿内説のスレからコピペするよ。

応神天皇元年を390年と考え、そこからの平均在位を計算できる。

​平均在位と言っても短すぎるのも長すぎるのも、
正確な数値が出ないと思われるので、
30代を基準に25代〜35代をランダムに採って見た。

・25代平均  応神天皇390年〜39代弘文天皇没672年  11,28年
・28代平均  応神天皇390年〜42代文武天皇没707年  11,32年
・30代平均  応神天皇390年〜44代元正天皇没724年  11,13年
・33代平均  応神天皇390年〜47代淳仁天皇没764年  11,33年
・35代平均  応神天皇390年〜49代光仁天皇没781年  11,17年

11年弱が平均在位。
さらに古くなると若干在位が短くなると考え、

「11年」で計算してみる。
ただし神功皇后は確実な一代と見なし、15代遡ってみる。

11年×15代=165年。
応神天皇390年ー165年=225年。

神武元年は3世紀前半。
卑弥呼の時代である。
0676日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 22:04:40.73
つまり、神武と卑弥呼は同世代で、卑弥呼の前の男王が日向三代になる。
これは帥升も含むだろう。
神武が筑紫を出た後の歴史は記紀に伝えられていないから、そこで卑弥呼が即位していたのだろうね。
0677日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 22:15:51.76
>>655
>筑紫の漢委奴國王や帥升等は、西暦107年の朝貢以降、漢鏡もまともに手に入れられず、
>没落するんだよ

嘘をつくな。
井原鑓溝などに後漢鏡があるから没落などしていない。
そして後漢滅亡後は、冊封に頼ることなく自ら最大の銅鏡を作り上げて、王位の象徴としたのだよ。
卑弥呼は弥生時代最後の倭国女王として伊都に君臨した。
続く壹與からは、筑紫だけでなくより広域化した倭国を統治することになる。
0679日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 22:40:55.23
>>673
>神皇産霊神六世之孫也。

神皇産霊神は、記紀神話では出雲系だよ?

「皇祖皇統の正統なる末裔である」と主張するなら、
高皇産霊尊の系統じゃないと
0680日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 23:30:02.50
>>677
そうだね。
蝙蝠鈕座内行花紋鏡も平原周辺の三雲や潤地頭給から出てるし。
後漢鏡が無かったわけじゃないんだよね

平原の主は副葬に使う鏡の種類にこだわっていたのか、もしくは副葬のためだけに作成したか、だね
0681日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 23:44:00.48
>>678
前もそう行っていた人いたけど、
ますます内行花文鏡にしか思えないんだよね

特に平原の八葉座なんて八葉蓮華を彷彿させる文様だし
0682日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/24(火) 23:50:20.09
>>681
八葉文がどんな紋様か調べてみたら?
個人的思い込みに学問的価値はない
0683日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 00:35:48.09
>>677
>井原鑓溝などに後漢鏡があるから没落などしていない。

井原鑓溝の王墓と呼ばれる9号木棺墓からは、内行花文鏡が出てないんだがいいのか?
0684日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 00:39:03.74
ごめん(>_<)訂正
× 9号木棺墓
○ 9号甕棺墓
0685日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 06:14:30.05
>>679
>神皇産霊神は、記紀神話では出雲系だよ?

出雲系???  出雲だろうが伊勢だろうが神皇産霊神だろうが、すべて「忌部系」だって言ってるでしょ。  @阿波
0686日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 08:15:26.30
>>682
八葉蓮華でしょ?
八葉座の文様と似てると思うが

八葉の解釈にはいろいろあるけどさ、一般的に

はち‐よう【八葉】

1??8枚の葉、または紙。
2??8枚の花弁。特に、ハスの花の8枚の花弁を放射状に並べた形。また、その文様。
3??紋所の名。2を図案化したもの。

コトバンクより

何も問題なくね?
0687日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 08:27:16.40
八頭と八葉の2つが混在するには各々が違うものを意味してるからだろう

改めて内行花文鏡みると検索ででてくる内行花文鏡はほとんど鈕座が四葉だな。
平原だけが八葉というわけでもあるまいに。
0688日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 08:41:57.23
平原だけが八葉らしいよ。
でも、八頭と併記されているということは、八葉は内行花文鏡を意味しているのかも。
0689日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 10:03:43.77
>>675
>30代を基準に25代〜35代をランダムに採って見た。

これ、前にもインチキだって書いておいたんだけれど、
ランダムといいつつ、25代分は共通だから、ランダムでもなんでもない
25代分が定数として置かれていて、それに数代付けても数字は大きく動きようがない

統計として無意味だよ
允恭〜安康天皇のあたりで、日本書紀の暦が、元嘉暦から儀鳳暦に切り替わる
この允恭天皇以前は、春秋年で年次が2倍で記録されている可能性もよく示唆されている

いろいろと、恣意的に自説に都合のいい数字を作っているだけだよ
0692日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 10:15:08.93
せっかくだから、神道五部書、伊勢二所皇太神御鎮座伝記の
~鏡座事の前文を載せておくよ

一面者。從月天顯現之明鏡。
 圓形座。三光天衆五飛龍守護~五座。是天鏡尊之鑄造白銅寶鏡也。
 月天所作三面之内也。
崇祭止由氣宮是也。

大田命曰久。崇~天皇御宇止由氣皇太~天降坐弖。天照皇太~與一處雙坐。
于時從天上御隨身之寶鏡是也。~代天御中主~所授白銅鏡也。
是國常立尊所化~天鏡尊。月殿居所鑄造之鏡也。三才三面之内。一面是也。
今二面者。天鏡尊子天萬尊傳持給是。次沫蕩尊。次伊弉諾伊弉冉傳持給天。
~賀吉詞白賜弖。日~月~所化乃眞經津鏡是也。天地開闢之明鏡也。
三才所顯之寶鏡也。當受之以清浄。面求之以~心。視之以無相無位。
因以爲~明之正躰也。今崇祭一面荒祭宮御靈。一面多賀宮御靈坐。
已上三面辭竟奉支。

一面者。八百萬~等以石凝姥~奉鑄寶鏡是也。是則崇祭伊勢太~宮也
 一名日像八咫鏡是也。八咫。古語八頭也。八頭花崎八葉形也。故名八咫也。
 中䑓圓鏡形座也。圓外日天八座。
一面者。日前宮座也。石凝姥~鑄造鏡也。初度所鑄不合諸~意。紀伊國日前~是也。
已上。~代寶鏡是也。

原文を確認したい人は
http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&;C_CODE=0357-001413
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991097/231?tocOpened=1
0693日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 10:23:55.41
× 前文
○ 全文

渡会神道(伊勢外宮神官)では、神代に天鏡尊が作った宝鏡が3面あって、
うち一つが止由氣宮(伊勢外宮)、残り2面が荒祭宮と多賀宮に祭られているとしている
この3面が「月の鏡」

これとは別に石凝姥~が作った「日の鏡」の宝鏡が2面あって、
伊勢太~宮(伊勢内宮)と紀伊日前宮にあることになっている
0694日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 11:30:15.74
>>692
神道五部書を記した度会氏が忌部の末裔であることを押さえておいてね。  @阿波
0695日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 12:42:17.25
>>689
文句は葛城スレでどうぞ。
いろいろ個人的には不満もあるが、結論はそう大きくは変わらないと思うよ。
神武の時代は卑弥呼とそれほど違わなく、被っているだろう。
(どちらもわりと長く生きているせいもある)
そうすると、さまざまなことがうまく説明できる。
0696日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 12:52:50.03
>>695
>そうすると、さまざまなことがうまく説明できる。

九州説の人はよくこれをおっしゃいますけれど、これって
「結論ありきの逆算」に過ぎないんだよね

論証法としてはクロスチェックを最初から放棄した邪道
0697日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 12:54:27.47
神武の実在を認めるなら、宝賀寿男氏の系譜研究からの
「神武から崇神まで5世代」の方がまだ根拠がある

宝賀氏は九州説だけどね
0699日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 14:56:18.77
>>698
>九州説:「説明できる」ことが大事

まさにこれ!

「理屈と膏薬はどこにでも付く」って言葉があるくらい、
どんなことでも「説明は付く」んだよね

それを、きちんと論証するのが科学なのだが、そうは考えていないらしい
0700日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 14:57:45.89
説明できてない畿内説は論外だけどな。
0701日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 15:03:46.14
pdfを読んでいないやつは文句を言うなという言い逃れができると思っているんだろうけれどww

論文ではないから、いいと言えばいいのだけれど、参照論文の体を為していない

そして、
「(*4)七尺を成人男性の一つ基準として 用いてたことがわかる。」
「(*5)成人の基準として七尺であった文献的資料を考えれば、
     162cm 程度が成人の基準とされていたと考えられ、合致的である。」
と自分で書いているのに、「丈夫=成人男子」が「大男ではない普通の男」と
認められないって言うんだから、もう拗らせてるとしか言いようがない

「間違いを認めたら負け」教の信者なのかね? お鏡さんは?
0702日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 15:04:42.64
>>700
>説明できてない畿内説は論外だけどな。

いつもの台詞

何が説明できていないのか「具体的に指摘」してくれ!ww
0703日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 15:08:53.08
>>574
>八つの頭という時点で内行花文鏡の意匠だわね。

内行花文鏡の、どこが「頭」なんだ?
連弧の合わさる尖ったところのつもりか?
鋭角に尖った部分を「頭」と表現することは、日本語的ではないだろう?
八葉文も尖ってはいないだろ?

再掲 八葉文
http://2.bp.blogspot.com/-2WH4xtuQxxU/VNMD9NLA1kI/AAAAAAAAzys/6PiJgqlZSQI/s1600/Q18-54.jpg
0704日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 15:11:07.42
>>702
スレチ。ここは畿内説の本スレではない。
0705日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 15:19:01.56
>>703
八葉は八葉で
八頭は八頭なんじゃないの?

八頭と八葉の組み合わせがある意匠のこと。
0706日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 15:20:29.83
>>704
>スレチ。ここは畿内説の本スレではない。

お鏡さんは、畿内説を名乗ってるよ?
畿内説のことを論じるのはスレチではないが?

さらに言えば、>>700がスレチって事だなww
結局「具体的な指摘」ができずに、逃げるしかないんだなww
0707日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 15:21:38.13
>>705
>八葉は八葉で
>八頭は八頭なんじゃないの?

それはそれでいいんだけれど、
「内行花文鏡のどこが八頭」なの?
0708日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 15:30:47.81
>>706
畿内説の本スレではない(再掲)

ここは地道に文献考古の仮説や検証をしてる雑談スレなんだから、邪馬台国とか卑弥呼とか興味のある人は本スレでやってちょうだい。
0709日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 15:38:15.51
>>707
外側の尖ってるとこじゃないの。
他の鏡の意匠で8+8のものは未見。
単なる八葉なら八葉文で良いからな。

菊の御紋というが実は太陽の意匠という説もあり
イラクでは由緒正しいアッシュール神の紋章だが
単なる8枚ならお花と認識する方が日本人的感覚かな。なんとなくね。
0710日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 15:56:39.29
>>696
>論証法としてはクロスチェックを最初から放棄した邪道

畿内説なんて、はじめから文献全く無視の妄想ですよ。
文献との一致があるだけ九州説の方がマシ。
0711日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 15:58:28.80
>>699
>どんなことでも「説明は付く」んだよね

畿内説は文献との整合性の説明を放棄している。
何も説明できない。
0713日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 16:00:34.38
>>706
>お鏡さんは、畿内説を名乗ってるよ?

少なくとも畿内説のスレのテンプレの意見とは異なっているよ。
そして東遷説の基本としては、2世紀の倭国の王都が筑紫にあったということになる。
0714日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 16:03:00.24
筑紫倭国の象徴は梅、畿内大和の象徴は菊。
0715日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 17:11:43.23
>>708
>ここは地道に文献考古の仮説や検証をしてる雑談スレなんだから、

ここで一番、文献考古の検討材料を提出しているのは私なんだが?(威圧)
寝ぼけたことを言ってるなww
0716日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 17:14:44.59
>>710
>畿内説なんて、はじめから文献全く無視の妄想ですよ。
>文献との一致があるだけ九州説の方がマシ。
>>711
>畿内説は文献との整合性の説明を放棄している。
>何も説明できない。

「具体的に指摘」しろと何度言えばw
反論されないための「具体論からの回避」だってのがみえみえ

文献との一致・整合性ってのは、魏志倭人伝のことか?
「短里を捏造」して、「水行20日+10日陸行1月」を無理読みで逃げている九州説が
何を言ってるんだかw
0717日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 17:24:55.25
>>709
>外側の尖ってるとこじゃないの。

日本語の「頭」には、あまり尖ったイメージがないんだ
熟語で使われるときは、端っこ、始まりのイメージ

御鎮座伝記の注記の前半部分の「八頭花崎八葉形也」ばかりが引用されるが、
後半の「中䑓圓鏡形座也。圓外日天八座。」のところは
内行花文鏡ではうまく説明できない

「中台円鏡形」という言い方は、中台八葉とのつながりがあるのではないか
御鎮座伝記が書かれたと推定される鎌倉時代は、神仏混淆が進んでいたので
仏教系のイメージの流入も考えなければならない
胎蔵界曼荼羅 中台八葉院
http://www.geocities.jp/kawai5510/IMG_3928-11.jpg

ただ、その場合、御鎮座伝記の記述の信用性も低下することになる
0718日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 17:27:17.15
>>713
>少なくとも畿内説のスレのテンプレの意見とは異なっているよ。

少なくとも伊都国に卑弥呼がいたっていう伊都国説とは意見が異なっているよ、お鏡さんは
さすがに、「水行陸行2ヶ月を無視」するのはおかしいってのは分かっているんだろう
0719日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 18:13:07.51
>>715
匿名掲示板でコテもトリップもつけないのに私とか言われても知らんわ。
0721日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 18:21:51.73
>>717
尖ってる形状はともかく八葉とは別に
端っこが8あるでいいんじゃないの。

かなり疑問符がつく、くらい。
0723日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 19:05:46.87
>>722
>なんでこんなものを八咫の鏡とか言い出したんだ

まあ、言いだしっぺはおそらく原田大六氏だな
彼が円周長が八咫だから八咫鏡って言い出したのだと思う

咫字の解釈、「中婦人手長八寸謂之。周尺也」 を整理してみよう。
1.中婦人の手長さは八寸であり、咫という。「周を計る尺である」

とかいう、誤訳をかなり信じていたやつも結構いるんだよ

明確に間違いなのに、「やはり周代の尺度と解釈する方に『分がある』と言えよう」
とか言ってる人もいるし
0724日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 19:06:18.88
>>717
>ただ、その場合、御鎮座伝記の記述の信用性も低下することになる

またお得意の「信用できない」ですか。
あえて言うなら、現在の神鏡は仏教伝来以後に製作されたものであり、上古の鏡ではなくなっているということだと思います。
0726日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 19:28:39.69
>>724
>またお得意の「信用できない」ですか。

お得意のって書くところが、印象操作だね ←具体的な指摘w

古代のことは、情報量が少ないから、その少ない情報を鵜呑みにしていたら、
トンデモ説しか出来上がらないんだよ
伊都国説はその筆頭格

>あえて言うなら、現在の神鏡は仏教伝来以後に製作されたものであり、上古の鏡ではなくなっているということだと思います。

神道五部書でも、「神代鏡」として扱ってるよ
ただ、考えなきゃいけない、というより意識して読むべきなのが、
度会神道が「外宮」の宮司家の書であるがために、
外宮の神を非常に持ち上げていること

元々、神代三面の鏡としては、内宮の鏡、紀伊の日前宮の鏡と、内侍所の鏡が
内宮の荒木田神主の太神宮諸雑事記では上げられている
これに、外宮の鏡を同列のものとする意図で書かれているのが、
度会神道の神道五部書
0727日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 19:33:53.03
>>726
>少ない情報を鵜呑みにしていたら、

鵜呑みにするだけではなく、隙間を妄想や憶測で埋めるからw
0728日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 19:54:13.79
例の文章は八頭花崎で切れるのではなく
八頭花崎八葉形まででひとつの文章なんだけどな
0729日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 20:13:11.33
>>719
>匿名掲示板でコテもトリップもつけないのに私とか言われても知らんわ

御鎮座伝記の~鏡座事(>>692)が読めるのを感謝しろよ
これ、どこにも電子テキストないからな

国文学研究資料館や国立国会図書館の写真画像から、私が
旧字も含めて文字起ししたんだから

九州説の人たちは、九州説の人が書いた現代の文書しか読んでないし
漢文が読めない人が多い(しかいない?)から、判断に使える情報が
足りないし偏ってるんだよ

「ここは地道に文献考古の仮説や検証をしてる」スレとか言ってるけど、
九州説側は、「根拠は?」と問われても、基本的には出してこないだろ?

原文や典拠を示さないと論証にならないんだよ

御鎮座伝記の八咫鏡の記述も「八頭花崎八葉形」の一言しか出回ってないし

でもこれ、注釈部分なんだよな
>>692では行頭を1文字下げているけれど、原本では文字サイズが半分で
二行が記されている部分
0730日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 20:18:03.81
>>729
コミュ障とは意思疎通が難しいという好例のレスだな
0732日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 20:20:58.28
>>727
>鵜呑みにするだけではなく、隙間を妄想や憶測で埋めるからw

隙間は想像で埋めるしかないわけだが、原文と矛盾しない範囲で補填している。
ところが畿内説は史料を無視して平気で矛盾したことを書きなぐる。
0733日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 20:44:07.84
>>732
>隙間は想像で埋めるしかないわけだが、原文と矛盾しない範囲で補填している。

埋めるしかない、が既に科学じゃないんだよ
分からないものは、分からないと認めるのが科学

想像で補填してたら、トンデモにしかならない
実際に、伊都国説はトンデモだし
0734日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 20:46:49.28
魏鏡はおろか新しい後漢鏡すら1枚も副葬されておらず
墳丘に土壙墓を掘られるような、
径十歩に満たない墓は、
卑弥呼の墓も倭王の墓もないよ
0735日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 20:50:58.30
崎が突き出ている先端の意味で
八頭花崎では?

と思ったが…崎の意味を考えるとやっぱり内行花文鏡の文様に合致しちゃうよなぁ
0741日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 23:59:52.02
>>740
>八葉座の部分でいいんじゃね?

「八頭花崎八葉形」だけならそれでもいいかもしれないけれど、
全文を見るとその後に「中䑓圓鏡形座也。圓外日天八座。 」とある
中台が円鏡の形で、その円の外に日天八座があると書いてある

この円は内行花文鏡だとどの円に当たるのか?と考えると、話が合わなくなるだろ?

典拠、原典に当たらないと間違った結論になりがちなんだよ
0742日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 00:02:20.90
>>732
>畿内説は史料を無視して平気で矛盾したことを書きなぐる。

そう主張するなら、「矛盾したこと」がどこにあるのか、「具体的に指摘」してくれ
0744日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 08:26:24.50
畿内説は、アレモチガウ、コレモチガウ、と言うだけで、何にも主張がないね。
八咫鏡が平原鏡でなくて、じゃあ何なの?
0745日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 08:33:14.72
>>744
>八咫鏡が平原鏡でなくて、じゃあ何なの?

ところで、君は「八咫鏡」見たことあるの?  @阿波
0746日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 08:46:33.70
全くその通りで、畿内説は文句はつけるけども、対案は全く考古学的に裏付けがない妄想だらけ。
0747日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 08:51:59.93
>>746

何が「全く考古学的に裏付けがない妄想」なのか、「具体的に指摘」してくれ
0748日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 12:00:59.71
>>744
>八咫鏡が平原鏡でなくて、じゃあ何なの?

八咫鏡は伊勢のご神鏡と、賢所の形代に決まってるじゃないか
賢所の方は、火事で焼損したままになっているそうだけれど

平原鏡ってどれのことだい?
割れた鏡が40面ほど出ているが、固有名詞の付いた鏡は1枚もないよw

平原に、八咫鏡があったなんていう古文書も伝承も民話も一切ない
ただの昭和の思いつきだよ
0749日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 12:02:46.11
これには一切、反論がないねww
一度も、一言もない

魏鏡はおろか新しい後漢鏡すら1枚も副葬されておらず
墳丘に土壙墓を掘られるような、
径十歩に満たない墓は、
卑弥呼の墓も倭王の墓もない
0750日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 12:05:37.56
>>743
>紐の所でいいんじゃね?

紐を台と表現しているのを見たことがないんだが?
それに、台+柿蔕文だと、面径の五分の一くらいの範囲にしかならないし、
連弧文の方が目立つのに、それには一切言及していないことになる

ちょっと解釈として無理があるだろう
0751日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 12:18:48.34
>>748
>八咫鏡は伊勢のご神鏡と、賢所の形代に決まってるじゃないか

ずっと後世にそこに落ち着いたというだけのこと。
0752日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 12:19:48.12
>>749
漢の権威は認めたけれど、魏の権威はそれほどでも無かったと。
実際、魏から援軍が来たわけでもないし。
0753日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 12:20:57.09
>>750
大きさの件も合わせると、後世に八咫の大きさではない鏡と入れ替えられたのだろうね。
0754日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 12:55:49.80
>>751
>ずっと後世にそこに落ち着いたというだけのこと。

ずっと後世の記録を、3世紀(たぶん以前)のものに「勝手に流用」
してもしょうがないだろ?

8世紀の記録で、3世紀のものがそう呼ばれていたに違いないっていうのが
科学じゃないってのは理解できるかい?
0755日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 12:58:06.39
>>752
>漢の権威は認めたけれど、魏の権威はそれほどでも無かったと。

じゃあ、なぜ魏代の年号を入れた仿製鏡をわざわざ作ったんですかねぇ?
魏との交流が誇らしかったからじゃないんですか?
0756日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 12:59:27.70
>>753
>大きさの件も合わせると、後世に八咫の大きさではない鏡と入れ替えられたのだろうね。

大きさから八咫と名付けられたという文献は昭和以降のものしかないんだが?ww
もともと「八咫の大きさ」というのが妄想なんだよ
0757日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 13:15:14.72
>>755
>じゃあ、なぜ魏代の年号を入れた仿製鏡をわざわざ作ったんですかねぇ?

それは畿内の人達が作ったんでしょ?
0758日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 13:17:57.07
>>756
>大きさから八咫と名付けられたという文献は昭和以降のものしかないんだが?ww

それまでは八咫の意味が不明だったが、昭和になって平原遺跡から八咫の大きさの鏡が実際に発掘されて、ようやく八咫が実際の大きさを意味していたことがわかったんだよ。
それまでは、八咫が大きさのことだと言っても、「そんな大きい鏡がどこにある」で終わっていた。
だからあんたの言うことは、昭和以前の水準から進歩していないんだ。
老害だ。
0759日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 13:38:00.41
古代では列島に年号がなかった時代、
年を記録するのに中国の年号を使っていたということだね。

まあ神原神社出土の三角は武内宿禰が魏に詣でた記念に作ったというし、銅を楽浪郡から仕入れる時に工人も一緒に連れてきたというから色々整合的ではある。
0760日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 13:43:20.76
>>758
八咫の大きさだって言い出したのが、また昭和の人間(大正生まれ)じゃないか
循環論法だ
0761日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 13:48:40.71
言い出す以前に
現物として八咫だから反論になってないね。
0762日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 14:32:54.40
>>757
>それは畿内の人達が作ったんでしょ?

つまり、畿内の人たちが魏朝と交流していたってことですね!
0763日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 14:35:38.47
>>761
>現物として八咫だから反論になってないね。

「現物として八咫」ってのが、単なる思い込みだからしょうがない
実際には「8.63咫」だよ
何度蒸し返しても同じww

「周を計る尺」なんてないから
0764日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 14:38:01.21
魏鏡はおろか新しい後漢鏡すら1枚も副葬されておらず
墳丘に土壙墓を掘られるような、
径十歩に満たない墓は、
卑弥呼の墓も倭王の墓もない
0765日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 14:42:09.77
>>761
結局また、理由もなく言い張るだけなんだな
0766日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 15:36:09.28
>>750
??の意味

うてな。周りを見渡せるように作られた高さのある建物。
高く平らな土地。
物をのせるもの。
基礎となるもの。
人に対する敬称。
しもべ。
数量のおおまかな範囲を表す語。
車などを数える助数詞。

現代の意味からしか推測できないが、高さのある物や基礎と考えるならば、鏡での「??」ならば紐でよさそうだが…

あくまで個人的見解なので、強弁するつもりはないのであしからず
0767日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 18:02:13.68
>>762
畿内の人達が、九州にいた卑弥呼を思いながら適当に粗製乱造した鏡。
0768日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 18:03:25.12
>>763
多少は大きさが違っても、卑弥呼様がこれが八咫と宣言すれば、そうなってしまうだろ?
当時の人達はこれで八咫という大きさだと認識したんだよ。
0769日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 18:10:17.21
ウソも1000回言い張ればホントと思ってもらえると
思ってるのは九州説だけ
0770日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 19:47:35.19
>>767
>畿内の人達が、九州にいた卑弥呼を思いながら適当に粗製乱造した鏡

卑弥呼が九州だったら、畿内の人たちが「卑弥呼を思う」理由がないのに早く気づきなよ
畿内と北部九州は無関係なんだろ? 伊都国説の設定では?
0771日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 19:48:34.41
>>768
>卑弥呼様がこれが八咫と宣言すれば、

宣言したとみなす理由がない
平原1号墓出土の大鏡を八咫だと言い出し多のは昭和になってから
0772日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 20:17:24.20
>>770
時代が違うだろ。
畿内は九州の文化で塗りつぶされるんだから。
0773日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 21:30:08.57
夏休み大企画

伊都国妖怪博物館!
0774日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 21:45:17.99
>>772
どんな九州の文化?


ww
0775日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 22:23:13.27
内行花文鏡を至高とする銅鏡文化
0776日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 22:48:38.96
>>775
>内行花文鏡を至高とする銅鏡文化

自薦できるの、たったそれだけ???  @阿波 
0777日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 22:52:29.28
九州で出る鏡が、大体破鏡なのに、畿内で出る鏡は籠の神社の伝世鏡を見ても
完鏡で出てるのが多いよね

そして、葬送儀礼用の精製器種3種を含む布留式土器の時代には、
畿内初の前方後円墳の葬送儀礼が九州を含めた広範囲でスタンダードになっている

葬送文化というマツリゴトの根幹部分まで塗りつぶされているのが北部九州だよ
0778日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 22:56:17.29
>>777
>畿内初の前方後円墳の葬送儀礼が九州を含めた広範囲でスタンダードになっている


忌部が拡めただけだよ。  @阿波
0779日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 23:01:49.69
結局、ぐだぐだ言っているだけで
「内行花文鏡(連弧文鏡)を倭王の鏡だとして特別視する根拠がなくなる」
ってのに反論できてないし、
「他の鏡種ではなく内行花文鏡こそが太陽信仰の象徴」
ってのもまったく論証できてない
0780日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 23:03:26.44
平原1号墓で一番たくさん出てるのが、方格規矩鏡の仿世鏡で32面もあるのを
伊都国説ではどう説明するんだろう?
0781日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 23:53:10.40
反論とは、矛盾を指摘したり、説明しきれない視点を指摘することを言うのであって、相手の論の土俵で話さないといけないよ。
0783日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 00:18:41.20
>>777
>葬送文化というマツリゴトの根幹部分まで塗りつぶされているのが北部九州だよ

九州北部の鏡文化のバリエーションに過ぎないわけだが?
それに破鏡は畿内にもあるだろ。
0784日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 00:20:16.77
>>780
大事ではあるけれど、一番高位にあると考えられたのは、わざわざ最大の鏡を作るときに内行花文鏡を紋様として選んだことから明らかだよ。
0785日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 00:22:45.20
畿内説に都合が悪いからなんとか事実を捻じ曲げて平原遺跡を過小評価したいだけという意図がスケスケで、まともに取り合うのがバカらしくなる。
色眼鏡でものを見る人間は信用ならん。
0786日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 07:14:18.80
>>785
畿内説は色眼鏡か知らんが、オマイはそれに輪をかけた安物の曇り破鏡。
0787日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 07:58:33.55
>>782
反論したつもりで反論になってないことに気がついてないコミュ障の人。
0788日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 08:45:33.52
>>787
まるで具体的なことが言えない人だな
よく他人からコミュ障って言われない?
0789日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 09:33:01.63
>>784
>わざわざ最大の鏡を作るときに内行花文鏡を紋様として選んだことから明らか

いやいや、連弧文鏡や内行花文鏡ををたくさん見たら、そんなことは言えなくなるよ

本来の連弧文鏡・内行花文鏡では、雲竜文になっているところをただの同心円にして
面積を稼いでいるとか、「割るためだから適当でいいや」感が強い

伊都国説では「最大だからえらい」としか言わないが
大きくすること「だけ」が目的だから、文様として単純な内行花文を選び、
しかも図像は簡略化というか手抜きをした鏡と見る方が妥当だろう
0790日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 09:34:27.69
>>785
>平原遺跡を過小評価したいだけという意図がスケスケ

過小評価ということに「したい」のが、伊都国説

実際に小さいんだよ
これに意味のある反論ができない時点でどうしようもない

魏鏡はおろか新しい後漢鏡すら1枚も副葬されておらず
墳丘に土壙墓を掘られるような、
径十歩に満たない墓は、
卑弥呼の墓も倭王の墓もない
0791日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 09:36:49.74
>>783
>九州北部の鏡文化のバリエーションに過ぎない

何を言ってるんだ?
九州では、前方後円墳は完全に「持ち込まれた文化」だろ?

さらに、そこでの供献土器も、持ち込まれた畿内様式で統一されている

九州側が、下流の受け入れる側だよ
0792日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 10:19:59.18
>>791
>九州側が、下流の受け入れる側だよ

そうだな、
つまり、邪馬台国東遷後しばらくしてからの逆輸入だったってこった
0793日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 11:41:44.94
>>789
>大きくすること「だけ」が目的だから、文様として単純な内行花文を選び、

偉大な女王のために特別大きくしたんだろ。
卑弥呼の鏡ではいいじゃないか。
0794日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 11:44:22.24
>>791
>さらに、そこでの供献土器も、持ち込まれた畿内様式で統一されている

土器よりも、祭器の中心である鏡を見ろよ。
九州北部から伝わった内行花文鏡を畿内も奉じているだろ。
土器なんてどうせ現地調達できればなんでもいい。
祭祀の中心は鏡だよ。
0796日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 12:57:27.31
葬礼や墓制は、その集団の由来を探るためには非常に重要であり、祭器の中で最も重視されていたものが銅鏡だ。
内行花文鏡が特に大事にされていたことは明白であり、文化的に畿内が平原遺跡の権威を継承していることは明らかだよ。
0797日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 14:50:59.96
>>796
無理たな
平原はいろいろ特殊で、のちの古墳時代と繋がらないものが多すぎだね
0798日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 14:55:03.80
古墳時代の畿内が筑紫からの末裔で、卑弥呼より前に袂を分かっていたなら、当然そうなる。
つまり九州説と矛盾するわけではない。
0799日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 14:57:08.37
九州における倭国大乱が西日本にも変革をもたらしたと考えるならば、3世紀からの畿内の状況の変化も説明できるよね。
0800日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 15:04:30.99
>>798
じゃあ、その九州のどこかと古墳文化で、つながってるモノって、何?
0801日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 15:21:33.13
このスレ的には、内行花文鏡を至高とする銅鏡文化だろ。
0802日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 15:26:03.53
>>801
それ、どこに存在する?
0803日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 15:46:35.66
岡上氏の文書に詳しく書いてあったな。
読めよ。
0805日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 17:16:32.67
>>792
>つまり、邪馬台国東遷後しばらくしてからの逆輸入だったってこった

庄内土器の時点で、北部九州が受け入れ側なんだが?
庄内0式は、卑弥呼の遣使より古いぞ

神武の大和入りが史実の反映だと仮定しても、邪馬台国の時代よりずっと古いし
魏志倭人伝に記された時代の倭国の中心は既に遠の昔にヤマト(=邪馬台)だよ
0806日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 17:18:09.99
>>793
>偉大な女王のために特別大きくしたんだろ。
>卑弥呼の鏡ではいいじゃないか。

伊都国の重要家系、鏡作りの一族から、伊都国首長妃が出たから、
一族の技術を結集して特別に大きな鏡を作ったんだろ?

卑弥呼の鏡とするにはお粗末過ぎるんだってば
0807日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 17:21:46.71
魏鏡はおろか新しい後漢鏡すら1枚も副葬されておらず
墳丘に土壙墓を掘られるような、
径十歩に満たない墓は、
卑弥呼の墓も倭王の墓もない
0808日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 17:21:51.30
>>806
>伊都国の重要家系、鏡作りの一族から、伊都国首長妃が出たから、
一族の技術を結集して特別に大きな鏡を作ったんだろ?


それ、筑紫忌部だよ。  @阿波
0809日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 17:25:11.41
>>794
>土器よりも、祭器の中心である鏡を見ろよ。

古墳時代に多く副葬されている鏡は、三角縁神獣鏡で
その分布は畿内が中心だな

祭器として鏡を重視したところで、古墳時代には畿内が中心というのは動かない
そして、古墳時代につながる秩序は庄内式土器の時代(卑弥呼の献使に先行する時代)に
既にその概形ができあがっている

編年研究の進展で、既に九州説の成立する時間的余地はないんだよ
0810日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 18:16:49.73
>>805
>神武の大和入りが史実の反映だと仮定しても、邪馬台国の時代よりずっと古いし

同じ畿内の葛城説は違う意見のようだが?
0811日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 18:17:21.50
>>806
>伊都国の重要家系、鏡作りの一族から、伊都国首長妃が出たから、

根拠のない思い込みを妄想と言う。
0812日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 18:25:51.05
>>809
>古墳時代に多く副葬されている鏡は、三角縁神獣鏡で

畿内説は卑弥呼より後の時代の話ばかりだな。
0813日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 18:32:29.48
あとだって決め付ける理由は?
0814日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 19:50:54.88
>>809
秩序とは?
よくわからん
その庄内期の3世紀前半、鉄の分布で北部九州の方が文化的に優位だったのは明らかだし

文化的に発展している北部九州と交流していただけだろう

交流していたのは胎土の分析から播磨や河内だね

土器ばかり見ていたら見失うよ

土器は庶民の動きでしかないから、交流のあった事だけしかわからないし、庶民の中で文化の受容があっただけ
そして、北部九州の交流中心地からそれが九州各地に一気に流行する

前方後円墳に関しては、本当に那珂八幡が箸墓より古ければ、分布開始の中心が畿内では無さそうだ

しかし、後世にあれだけの数の前方後円墳や前方後方墳が作られるから、何らかの事象があったのだろうが、まだまだ倭人伝の時代には墓の様相も文化も混沌としている

ここはまだまだ研究と考察が必要だね
0815日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 20:28:45.05
>>814
>そして、北部九州の交流中心地からそれが九州各地に一気に流行する

筑紫忌部のお陰。  @阿波
0816日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 20:30:16.36
「古墳出現前後における畿内型甕形土器の西方拡散に関する研究」佐々木憲一(2010)
明治大学人文科学研究所紀要 第66冊 (2010年3月31日)251−312
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/10881/1/jinbunkagakukiyo_66_251.pdf

3世紀中葉から後半にかけて日本列島各地で出現した前方後円墳は,弥生時代後期後葉の様々な地 域の交流の所産という考えが日本考古学界で広く受け入れられている。
しかし古墳の出現は首長間交流の所産であるのに対し,集落から出土する土器は一般庶民の生活を 反映している。したがって,両者の関係をそう単純には結びつけることはできない。
纒向遺跡での搬入土器の主体は東海系であるのに対し,河内平野では吉備系土器が主体である。纒向遺跡では北陸系や近江系といった河内には 流入しない土器群がみられる。
前方後円墳で象 徴されるネットワークは恐らく大和が中心で,そしてそれは祭祀,あるいは政治的な意味合いも含めたネットワークであろう。
それに対して,畿内型(系)土器の拡散で象徴されるネットワークは大和や河内が必ずしも中心ではなく,場合によっては交易の所産である可能性も高い。
特に重要なのは, 福岡平野の比恵・那珂遺跡群で,一度畿内型土器が搬入され,模倣製作されたのち,在地の土器製作者がそれらを我流の技術で生産し,豊前,豊後の一部地域はもちろん,壱岐や遠く朝鮮半島南部に搬出するという現象である。
これは福岡平野の在地社会が大和から独立して,自律的に機能していたことを示すものであろう。
中央(最高首長)の意思決定行為は内的に細分化・専門化されておらず(官僚機構の不在),支配能力が高くなく,したがって地方首長は自分の支配地域の維持運営にさまざまな責任を負っているため,地方は中央の意思とは別に,独自の行動をとることが可能である。
古墳出現期の福岡平野がまさに,独自の行動をとっている地方の実例である。古墳時代を国家段階と捉えた時期もかつてあったが,この研究の成果が示すように,少なくとも古墳時代初頭は国家段階にまったく達していないことが推測できるのである。
0817日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 20:31:16.00
関川尚功(邪馬台国大和説と箸墓古墳・纏向遺跡、2017)
「大和の弥生遺跡と纏向遺跡をみても、邪馬台国のあった地域の遺跡とは思えない。大陸系の遺物もほとんど出ないし、
古墳の起源になるような墳丘墓もみられない。
このようなところに北部九州の「奴国」や「伊都国」を統属して、中国王朝と盛んに交流を行ったという邪馬台国があったは
ずはないし、またこのような国が大和において自然に現れてくるということは、まず考えられない。
また、箸墓古墳の土器や埴輪も布留式の時代ですから3世紀まで行くものではない。纏向遺跡のピークもこのころだから、
やはり邪馬台国の時代よりあとのことで、纏向遺跡はむしろ大和政権の確立期の遺跡であろうと思われる。」
0818日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 20:34:36.57
長々とした引用でもない転載して何がしたいの?荒らし行為なんだけど。
0819日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 20:38:01.60
>>817
結局、庄内は畿内では弥生遺跡から出るけど
北部九州では古墳から出るから
九州の方が古墳時代に入るのが早かった。

文化は西高東低。常に低いほうへ低いほうへ。
0821日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 20:50:34.70
>>817
>纏向遺跡はむしろ大和政権の確立期の遺跡であろうと思われる。」

「大和政権の確立期」は8世紀。  @阿波
0822日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 20:58:41.82
>纏向遺跡はむしろ大和政権の確立期の遺跡であろうと思われる。」

よいか、大倭政権(大倭王権)ではないぞ。
和の字を当てるようになったのは、聖徳太子の「和を以て貴しとなす」からだからな
0823日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 21:44:40.51
>>817
考古学者失格モノだな
0825日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 22:12:16.74
>>824
言ってることが相当メチヤクチャだから職場でも老害だったんでない?
0826日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 22:26:59.79
>>814
>本当に那珂八幡が箸墓より古ければ、分布開始の中心が畿内では無さそうだ

纒向型前方後円墳Jという括りを知らないのか?
分布の中心は変わらずに畿内というか、纒向だよ
0827日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 22:31:49.80
>>816
「3世紀中葉から後半にかけて日本列島各地で出現した前方後円墳は,
 弥生時代後期後葉の様々な地 域の交流の所産という考えが日本考古学界で
 広く受け入れられている。 」
「前方後円墳で象 徴されるネットワークは恐らく大和が中心で,
 そしてそれは祭祀,あるいは政治的な意味合いも含めたネットワークであろう。 」

畿内説の考え方そのものですが、何か?
0829日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 22:51:21.02
>>822

そんなのこじつけに決まっているだろ。
0830日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 22:52:45.31
>>825
じゃあまともな学者の文献でも紹介してみろよ。
0831日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 22:54:10.21
>>827
前方後円墳と邪馬台国は関係ないってことだよ。
0832日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 22:55:10.96
>>831
ないって理由は?
0833日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 22:56:03.60
>>831
たくさんされてるが?
0834日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 22:57:30.41
>>830
関川がマトモでないことは
わかるよな?
0835日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 22:59:38.99
>>832
あるって証拠は?
0836日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 23:00:03.80
>>834
まともな学者様wを連れてこいよ
0837日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 23:24:35.65
>>831
>前方後円墳と邪馬台国は関係ないってことだよ。

>>816が紹介している論文の303ページの「図14 古墳出現期の社会構造モデル」でも、
きちんと「大和が中心で大陸・半島と交流していた」という佐々木先生の考えが明らかなんだが?

佐々木先生は卑弥呼の頃の倭国を「一人の王に権力が集中した国家段階とは認めがたい」と
言っているだけだよ

本当に話をずらした引用ばかりするよな
そういうのをチェリーピッキングっていうんだぞw
0838日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 23:25:31.03
>>835
共時性と総花性ね
0839日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 23:44:20.98
>>837
>佐々木先生は卑弥呼の頃の倭国を「一人の王に権力が集中した国家段階とは認めがたい」と
>言っているだけだよ

そのことと冊封された倭王が畿内にいた/いなかったことと
どういう関係があるの?

集中した国家段階にあってもなくても
倭王が畿内にいた可能性もあるしない可能性もある

倭国を畿内と特定できる根拠に全くなってないね。
0840日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/27(金) 23:52:40.89
>>837
じゃあ自分でその論文をまとめてみろよ。
その趣旨でまとまるかな?
条件:
原文だけを利用して、加筆・補填しないこと
1レスに収めること
さあ、どうぞ。
0841日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 00:04:46.77
筑紫が大和から独立して半島大陸と交流していたのなら、帯方郡からやって来た特使が滞在した筑紫を倭と認識していただろうね。
畿内大和が介入する余地はない。
0842日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 04:19:28.93
>>839
大和と筑紫が各々独立して半島大陸と頻繁に国家交流していた可能性はほとんどない。

当時は飛行機も動力船もなく、陸路・海路・潮路伝いの交流だったからな。
いや、天の鳥船があったか。
ま、そんな程度だ。
0843日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 07:22:16.29
つまり筑紫が倭国であり、大和は交流していなかった。
0844日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 07:23:20.81
>>837
>きちんと「大和が中心で大陸・半島と交流していた」という佐々木先生の考えが明らかなんだが?


卑弥呼の時代、「大陸・半島と交流していた」のは、倭国(阿波)だけ。  物証で証明済み。  @阿波
0845日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 07:37:22.76
詳しく
0846日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 07:46:48.17
>>845

魏の水銀朱が使われた萩原古墳群出土の画文帯神獣鏡
同じく魏の水銀朱が使われた天河別神社古墳群出土の斜縁二神二獣鏡   @阿波
0848日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 07:48:52.51
>>845

倭国(阿波)では、大陸から鍛冶素材を入手して鉄鍛冶を大々的に実施し、中国鏡・中国産朱も渡来している現実がある。
また、朝鮮半島で作られたと思われる青銅鏡や鉄斧も出土している。
「大陸と倭国(阿波)までの流通ルート」が確立されているのは紛れもない事実である。  @阿波
0849日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 07:55:32.72
>>839
>倭国を畿内と特定できる根拠に全くなってないね。

九州説の人は根本的にわかってないなあ

だれも倭国を畿内と特定なんてしていない
通説は筑紫も畿内も倭国だと言っている
そして佐々木は、その倭国は畿内に盟主がいるだけのゆるい連合であって統一国家という以前の段階だと考えている、という話
だって巫女さんが各国争乱状態を調停したばっかりなんだものね
普通そう思うでしょ
通説として極めて常識的なもので、畿内説スレのテンプレも同じようなスタンスだろうね
0850日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 08:02:33.54
>>849
>そして佐々木は、その倭国は畿内に盟主がいるだけのゆるい連合であって統一国家という以前の段階だと考えている、という話

佐々木氏は「畿内に盟主がいる」がいけない。  盟主がいるのは「倭国(阿波)」。 
佐々木氏は倭国(阿波)を知ってか知らずか、少しも言及がないのは考古学者として甚だ遺憾。  @阿波
0851日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 08:09:24.62
>>849
>通説は筑紫も畿内も倭国だと言っている

畿内を含めた本州は倭国ではなく、国家に統合されていない倭地だろうね。

>通説として極めて常識的なもので、畿内説スレのテンプレも同じようなスタンスだろうね

あそこのテンプレはもっと酷いよ。
そして重要なのは卑弥呼がいた倭の王都である邪馬台国がどこなのかだろ?
それは畿内であるとする証拠が皆無だ。
0852日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 08:10:33.91
畿内説・九州説の信奉者諸君!  もう、邪馬台国論争は お・し・ま・い。  @阿波
0853日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 08:22:23.29
>>849
わかってないなあ
畿内が倭国に含まれた要素がないってことよ。
0854日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 08:31:44.50
>>853
このように、結論しか言わないのがトンデモ
0855日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 09:09:30.97
>>849
>普通そう思うでしょ

思うというか、思考停止してなくないか?
0856日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 09:11:51.45
>>855
思考停止だと思う理由は?
理由が言えないなら>>855が思考停止中
0857日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 09:23:09.84
>>856
そのつまらない返しで畿内説への支持が増えると思っている?
ああ、ただの愉快犯か。
0858日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 09:33:16.78
>>857
やっぱり理由が言えない思考停止さんでしたか
これだから九州は程度が低いと言われるんだ
0859日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 09:36:38.75
>>857の書き込みが、これまた皮肉なことに
逆に>>855に九州説についてで大当たり
オウンゴール
悲惨
0860日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 09:54:48.34
>>831
>前方後円墳と邪馬台国は関係ないってことだよ。

前方後円墳は、日本の相当に広い範囲で一斉に作り始められる
倭国を帯方郡の東南海上、つまり今の日本の領域に求める以上、
邪馬台国の位置も前方後円墳が作られる範囲に求めるしかない

それを関係ないと言い張るのは、前方後円墳を作る領域の中でも、
北部九州は相対的に劣位の目立たない地域だから、関係ないことに
「したい」という科学とは関係のない恣意的な想定だなw
0862日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 10:04:44.31
>>860
>前方後円墳は、日本の相当に広い範囲で一斉に作り始められる

厳密には一斉ではないよね。
本当に一斉なら、畿内が起源とか言えないからね。
あと、その「一斉」が卑弥呼より前か後かで違うけれども、九州北部において前方後円墳が優勢となるのは卑弥呼が死んでからかなり後なんだ。
卑弥呼と関係ないところで畿内でヘンテコな墓を作っていた人達がいたというだけ。
0863日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 10:31:53.36
>>862
>卑弥呼と関係ないところで畿内でヘンテコな墓を作っていた人達がいたというだけ。


その「ヘンテコな墓を作っていた」のは、忌部さん。  君のご先祖さんだよ。  @阿波   
0864日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 10:39:15.29
>>862
また理由も言わずにきめつか・・

これだからトンデモ九州説は困る
0865日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 10:41:28.56
>>862
また理由も言わずに決め付けか・・

これだからトンデモ九州説は困る
大事なことなのて二度かきました
0866日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 10:49:51.40
>>864
決め付けという根拠は?
根拠のない中傷?
0867日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 11:19:52.25
>>866
理由を言わなきゃ「決め付け」だ
根拠ある正当な評価だな
0868日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 11:25:49.72
>>867
理由が書いてあるのに理解できないコミュ障さんなんだね。
0869日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 11:45:55.28
>>868
あ、いつもの、絶対に理由を言わない人だ
0870日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 11:49:07.61
>>866
畿内説はいつも根拠を固めてから主張するからね
そういうオウム返しなんかしても
オウンゴールになるだけだよ
0871日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 11:52:14.32
畿内説の根拠w
0872日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 12:16:09.39
あなたの言ってる根拠は辞書の用法と違うね。勉強し直した方がいいよ。
0873日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 12:17:06.62
>>871
いつも畿内説側から根拠ある指摘を受けて
グゥの音もでない九州説は
荒らすことしか出来ない

w
0874日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 12:18:22.97
>>872
誰に話しかけているのか、わからない
0875日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 13:13:30.41
>>874
その人はコミュ障だからしょうがない。
0876日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 13:47:01.12
>>839
>そのことと冊封された倭王が畿内にいた/いなかったことと
>どういう関係があるの?

魏使(答礼使)が、なんでわざわざ倭国まで来ると思ってるの?
倭王の除正が正しかったかどうかの確認のためだよ
つまり、倭国の最高権威と認められるかどうかを、魏使が確認してる

>集中した国家段階にあってもなくても
>倭王が畿内にいた可能性もあるしない可能性もある

国家段階になくても、倭国の代表であると倭国の人たちが認めていればそれで
事足りる訳だ

「図14 古墳出現期の社会構造モデル」でも、
きちんと「大和が中心で大陸・半島と交流していた」という佐々木先生の考えが明らか
「前方後円墳で象 徴されるネットワークは恐らく大和が中心で,
 そしてそれは祭祀,あるいは政治的な意味合いも含めたネットワークであろう。 」

このネットワークの中心にいる存在以上に、倭王にふさわしい者がいるなら教えてくれ

結局、古墳時代の前代に大和が中心になって以降、それ以外の地に邪馬台国の比定地を
求めようとしても無理なんだよ
0877日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 14:00:44.36
>>840
>じゃあ自分でその論文をまとめてみろよ。

お前、バカだろ?
「3世紀中葉から後半にかけて日本列島各地で出現した前方後円墳は,弥生時代後期後葉の様々な地域の交流の所産という考えが日本考古学界で広く受け入れられている。」
「古墳出現前後の時期,各地独特の土器が移動することが知られている。従来この現象は,その古墳出現と何らかの関係があるように理解されてきた。」
「北部九州において古墳出現前後に畿内系の土器が流入する地域に出現期の古墳が存在することを指摘し,弥生後期以来の伝統的でない四本柱の住居の出現と考え併せ,古墳を創出したヤマト勢力の動向を背景の一つに挙げている。」
「古墳の出現は首長間交流の所産であるのに対し,集落から出土する土器は一般庶民の生活を反映している。したがって,両者の関係をそう単純には結びつけることはできない。」
「地域間交流の在り方と古墳出現の関わりを探り,その背後にある社会構造に迫ることを最終的な目標とする。」

これが「はじめに」
次が「終章」のまとめ
「畿内,吉備,山陰,北部九州の地域を超えた首長同士の交流が規格化された前方後円墳の出現に寄与したと考えられてきた。」
「説を積極的に支持する根拠であり,筆者も否定しない。また本稿で詳しく検討した,畿内型・系甕形土器の西方拡散も,その首長同士の交流に連動するものと考えられてきた(例えば岩崎1984)。」
「前方後円墳で象徴される交流以外のネットワークの存在を強く示唆する。前方後円墳で象徴されるネットワークは恐らく大和が中心で,そしてそれは祭祀,あるいは政治的な意味合いも含めたネットワークであろう。」
「今回の研究の結果そうした前方後円墳に埋葬された首長同士とは独立して,集落同士も独自に交流の相手を選択していることがわかってきた。」

結局、首長層のネットワークだけじゃなくて、庶民の生活ネットワークも、考えないといけないと書いてあるだけで
徹頭徹尾、政治的な首長層のネットワークの中心は大和だとしている畿内説そのものだよ
0878日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 14:05:18.70
>>862
>厳密には一斉ではないよね。

前方後円墳が、墳墓だってことを忘れてないか?

各地の首長が死んだら、作られるんだよ
卑弥呼の共立に参加した首長が、既に高齢だったところはすぐに作るし
若かったところはその寿命が来てから、かなり遅れて最初の前方後円墳を作ることになる

人の寿命の一世代分くらいの幅で始まっているのだから、まさに一斉にという表現で
ちょうどだろう
0879日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 14:06:28.44
キナイコシ連呼厨=連続句読点=伊都クズ=「根拠なし連呼厨の人」=コミュ障・マイルールがお気に入り
0880日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 14:09:28.98
>>876
>魏使(答礼使)が、なんでわざわざ倭国まで来ると思ってるの?
>倭王の除正が正しかったかどうかの確認のためだよ
>つまり、倭国の最高権威と認められるかどうかを、魏使が確認してる

その通りだよ。
しかし魏使は伊都までしか来ていない。
それで卑弥呼が最高権威であることを確認し、その風貌や王宮の様子まで伝えている。
つまり畿内は関係ない。
0881日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 14:10:54.74
>>876
>結局、古墳時代の前代に大和が中心になって以降、それ以外の地に邪馬台国の比定地を

そもそも邪馬台国は古墳時代の前の弥生時代末期の話なのだが?
0882日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 14:12:55.83
>>879
全句読点病
0883日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 14:59:04.85
>>881
だれがそう決めた?

九州説は理由ナシ決め付け病
0884日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 15:00:46.24
>>882
やっぱりお前か
0885日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 15:30:39.50
>>876
>きちんと「大和が中心で大陸・半島と交流していた」という佐々木先生の考えが明らか


卑弥呼の時代、「大陸・半島と交流していた」のは、倭国(阿波)だけ。  物証で証明済み。  @阿波
0886日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 15:34:59.38
>>880
>しかし魏使は伊都までしか来ていない。

これが誤読または妄想

北部九州から、水行陸行合わせて2ヶ月の遠地まで行ってるよ
そこがヤマト=邪馬台国だよ
0887日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 15:37:37.47
>>881
>そもそも邪馬台国は古墳時代の前の弥生時代末期の話なのだが?

>>876には「結局、古墳時代の『前代』に大和が中心になって以降」って書いてあるだろ?

結局九州説は編年研究に息の根を止められたんだよ
0888日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 15:39:54.49
>>886
>そこがヤマト=邪馬台国だよ


そこがヤマト=邪馬台国=倭国(阿波)だよ  

魏使が九州で留まっていようがいまいが、「大陸と倭国(阿波)までの流通ルート」が確立されているのは紛れもない事実である。
子供みたいに延々と無意味な論争は時間の無駄。   
こういう痕跡を示せるのは、倭国(阿波)だけ。   @阿波
0889日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 18:05:09.85
>>876
大和盆地中心のネットワークと別に
独自の動きを北部九州はしてたんだから

>このネットワークの中心にいる存在以上に、倭王にふさわしい者がいるなら教えてくれ

倭王は北部九州にいて倭王に冊封された勢力とは別に
大和盆地で勢力が連合される動きがあった、
そういう可能性があるってことだから、

直ちに倭王は大和盆地の勢力だ、なんてちっとも自明ではないね。
0890日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 18:20:42.43
>>886
>北部九州から、水行陸行合わせて2ヶ月の遠地まで行ってるよ

誤読の代表だね。
0891日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 19:07:06.36
>>889
本当にバカなんだな?

>大和盆地中心のネットワークと別に
>独自の動きを北部九州はしてたんだから

>>877できちんとまとめただろうが?
大和盆地中心の「首長層の祭祀ネットワーク」と別に
「庶民の生活用具の交流」は北部九州も独自に行っていた
というのが、佐々木先生の論旨だぞ?

卑弥呼=共立倭王の所在を探るには、「首長層の祭祀ネットワーク」が重要なんだよ
0892日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 19:09:23.87
>>889
>倭王は北部九州にいて倭王に冊封された勢力とは別に
>大和盆地で勢力が連合される動きがあった、
>そういう可能性があるってことだから、

そんな可能性はないよ
北部九州の首長も参加している「首長層のネットワーク」の中心が大和盆地にあるんだから
首長の盟主が倭王だよ
0893日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 19:11:56.16
>>889
>直ちに倭王は大和盆地の勢力だ、なんてちっとも自明ではないね。

卑弥呼の共立と首長層の祭祀ネットワークの成立を切り離して考えるのは無理
切り離した時点で、古墳時代の到来が説明できなくなる

つまり、祭祀ネットワークの中心が大和にある以上、倭王の所在も自明なんだよ
0894日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 19:18:04.84
>>891
誤読。
0895日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 19:18:48.64
>>892
独自の動きという日本語を読んでない。
0896日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 19:20:05.96
>>893
したがって、自明でない。
ちょっと脳に障害があるレベルだよ。日本語まるで理解できてない。
0897日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 19:20:31.56
>>890
>誤読の代表だね。

何をもって「誤読と判断する」のか、「具体的な論拠を挙げて指摘」してくれ

「水行陸行合わせて2ヶ月の遠地である根拠」は
1.末慮国、伊都国、奴国と、投馬国、邪馬台国がそれぞれ
 「別個に旅程と戸数が記された別の国」として記載されていること
2.大陸史書の地理・旅程記事は特に断り書きがない限り、
 「今いる場所を起点」として方角と距離を示す形式であり、
 「投馬国は北部九州から」「邪馬台国は投馬国から」の旅程として書かれていること

だよ

具体的だろ?w
0898日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 19:23:28.04
>>897
使者がみたという建物がないよ。来た証拠がない。

そう読めることは認めるよ。
0899日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 19:26:58.64
>>895>>896
>独自の動きという日本語を読んでない。

単語一つ拾って無理な論立てをするな、というに

佐々木先生のいう独自の交流ってこれだぞ?

「今回の研究の結果そうした前方後円墳に埋葬された『首長同士とは独立』して,
 『集落同士も独自に』交流の相手を選択していることがわかってきた。」

首長同士のネットワークは厳然と存在していてその中心は大和

まあ、チェリーピッキングしているという自覚もないほどのバカのようだから、
しょうがねぇよなww
0901日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 19:40:28.30
>>899
あのね、ネットワークには中心という概念はないんだよ。どのノードも中心になりうる。
そんなことも理解してないんだな。

大和盆地に萌芽的国家段階の勢力がいたことを否定してるわけではないよ。

倭王に冊封されたという証拠はなんなんだい。
0902日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 19:42:25.99
>>900
畿内への使者の経路では冬に野菜は取れないからね。
0905日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 19:48:43.84
>>902
>畿内への使者の経路では冬に野菜は取れないからね。


ここでも、倭国(阿波)。  @阿波
0906日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 20:09:47.49
>>905
気候でも、四国の阿波
鉄器でも、四国の阿波
辰砂でも、四国の阿波
土器でも、四国の阿波
勾玉でも、四国の阿波
神社でも、四国の阿波
古墳でも、四国の阿波
木簡でも、四国の阿波
石器でも、四国の阿波
鯨面でも、四国の阿波
神道でも、四国の阿波
寺院でも、四国の阿波
植生でも、四国の阿波
地勢でも、四国の阿波
行程でも、四国の阿波
銅鐸でも、四国の阿波
銅剣でも、四国の阿波
銅矛でも、四国の阿波
銅戈でも、四国の阿波
銅鏡でも、四国の阿波
魏との交流でも、四国の阿波
天皇家大嘗祭でも、四国の阿波

何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着く。  @阿波
0907日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 20:10:37.94
>>901
>どのノードも中心になりうる。

そうだよ?
その数多の「あり得る」のうちで、実現されたのが「大和というノードが中心」というあり方だ

>そんなことも理解してないんだな。

理解が現実に追いついていないのが>>901だよ
0908日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 20:41:13.43
>>891
>卑弥呼=共立倭王の所在を探るには、「首長層の祭祀ネットワーク」が重要なんだよ

つまり庄内式が云々は何の根拠にもならないわけですね。
そして首長層の交流を示すものは威信財である銅鏡です。
そこでは内行花文鏡を上位とするヒエラルキーが存在し、その頂点にあるのが平原遺跡の超大型内行花文鏡です。
0909日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 20:42:36.77
>>893
>切り離した時点で、古墳時代の到来が説明できなくなる

古墳時代がなぜ成立したかの解明は不十分ですが、それを邪馬台国と結びつける理由はありません。
強引なこじつけの範囲を出ていません。
0910日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 20:45:57.41
>>907
で?倭王に冊封された証拠はなんなんだい?
それこそが中心を説明する物証な訳だが(笑
0911日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 20:47:05.26
>>897
> 「今いる場所を起点」として方角と距離を示す形式であり、

不弥国から先は距離が記載されていない。
女王国までは里程がわかるとも書いてあるのだから、女王国は伊都国や不弥国までの範囲になる。
まして、後漢書などに大倭王のいる邪馬台国まで楽浪帯方から一万二千里(そのうち狗邪韓国まで七千里、対馬海峡が三千里)と明記してある。
0912日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 20:47:47.07
>>899
>首長同士のネットワークは厳然と存在していてその中心は大和

佐々木氏のこの意見には根拠がなく、ただの妄想のようだ。
0913日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 20:49:11.21
>>907
>その数多の「あり得る」のうちで、実現されたのが「大和というノードが中心」というあり方だ

何が「実現」?
まったく意味不明。
0914日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 20:50:01.15
>>901
>あのね、ネットワークには中心という概念はないんだよ。どのノードも中心になりうる。

河内と大和が土器流通のセンターという主張はどこへ行ってしまったのか?
0915日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 21:04:15.21
>>904
あなたには長文読解は無理だね。
それでいつも長々とコピペを繰り返すんだね。ちゃんと指導教官について卒論を添削する経験をしてから書き込むようにしてくれ。あなたには人と議論する能力が決定的に欠けてるよ。
0916日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 22:18:27.53
>>909
>古墳時代がなぜ成立したかの解明は不十分ですが、それを邪馬台国と結びつける理由はありません。

定式化した前方後円墳が纒向の地で成立したのは確実
古墳時代に列島の広範囲で一斉に古墳を作り始めるのは確認できる
広範囲で作り始めるためには、その前にその広範囲で合意形成できるだけの秩序が
すでに成立している必要がある

ここまでは事実だ

そして邪馬台国がこの列島の上の歴史上の存在で、編年でもこの時期と重なるなら、
この合意形成を支える秩序の中心が女王之所都である蓋然性が高い

>強引なこじつけの範囲を出ていません。

きちんとした論理の帰結だよ
「こじつけ」というのは単なる言葉でしかない
0917日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 22:22:35.60
>>908
>つまり庄内式が云々は何の根拠にもならないわけですね。

前にも書いたんだが、庄内式土器の話は九州説側の
「畿内纒向に大勢力があっても、九州とは交流がなく独立した九州が魏と交渉した」という
戯れ言の否定が目的だよ

九州も、祭祀ネットワークの一員で、独立した存在ではないのをすでにそっちも認めてるだろ?
0918日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 22:23:36.37
>>916
>広範囲で作り始めるためには、その前にその広範囲で合意形成できるだけの秩序が
>すでに成立している必要がある

これは事実ではなく、あなたの考え。
0919日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 22:26:32.18
>>916
>この合意形成を支える秩序の中心が女王之所都である蓋然性が高い

筑紫における前方後円墳の登場以前なら、邪馬台国と関係なく関西でそんなことをやっていたんだなあ、と思うだけ。
0920日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 22:27:46.49
>>917
>九州も、祭祀ネットワークの一員で、独立した存在ではないのをすでにそっちも認めてるだろ?

土器の交流は、首長層の祭祀のネットワークと分けて考えないといけないだろ。
庄内式は根拠にならないんだよ。
0921日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 22:35:43.49
土器は単なる日用品。
畿内説にかかれば、現代日本は、中国の支配下ってことになる。
0922日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 23:07:43.00
>>920

わかってないな
庄内式で飯炊いて食うのが土器の交流
庄内式でご先祖を祀るのが首長層の祭祀のネットワークとだ
0923日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/28(土) 23:23:49.15
首長層の交流は、土器以外のことを示しているんだよ。
原文を読み直せ。
0924日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 08:06:59.37
>>918
>これは事実ではなく、あなたの考え。

1.事実ではないとする理由
2.事実でない場合に、一斉に古墳を作り始める理由

の2点について、具体的に論証してね!
0925日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 08:08:50.94
事実を辞書で引いてみろ
0926日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 08:09:24.48
>>919
>筑紫における前方後円墳の登場以前なら、邪馬台国と関係なく関西でそんなことをやっていたんだなあ、と思うだけ。

那珂八幡古墳は纒向型前方後円墳で、全国的に見ても最初期のものの一つだよ
邪馬台国(ヤマト国)に都を置いた卑弥呼の倭国の一部だね
0927日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 08:11:54.04
>>925
相変わらず「具体的に」ってのができないねぇ
討論からとにかく逃げようとするのは、敗残兵の心象だね
0928日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 08:14:59.90
>>927
あなたの教養が足りないから議論できるレベルまで這い上がって来てからでないとな。ちゃんと大学で卒論かけよ。
0929日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 08:23:53.11
体面を繕いながら、討論から必死に逃げようとするコミュ障九州説
0930日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 08:25:07.18
自分の主張を具体的にまとめて話しなさいっていうのは、
小学校の学級会で指導されることだよ

「具体的に指摘」「具体的に論証」から逃げている時点で
小学生以下

まあ、九州説の実態がどんなものから体現しているだけだから、
そのまま恥をさらし続けてくれても一向に構わないけどさw
0931日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 08:27:27.39
>>928
>あなたの教養が足りないから

そう判断する理由を「具体的に示し」てね!
0932日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 08:33:57.47
少なくとも同じ辞書で言葉の意味が共通の土俵でないと話にならない。
言葉の意味がわかってない幼稚園レベルだからねあなた。
0933日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 08:52:31.68
>>926
>那珂八幡古墳は纒向型前方後円墳で、全国的に見ても最初期のものの一つだよ


「那珂八幡古墳」の朱はまず間違いなく「若杉山産」だよ。  @阿波
0934日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 08:55:08.15
>>926
>那珂八幡古墳は纒向型前方後円墳で、全国的に見ても最初期のものの一つだよ


「那珂八幡古墳」の朱は、まず間違いなく筑紫忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  @阿波
0935日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 09:17:25.72
この流れで印象が悪いのは畿内説の方。

>>918
>>916
>>広範囲で作り始めるためには、その前にその広範囲で合意形成できるだけの秩序が
>>すでに成立している必要がある

>これは事実ではなく、あなたの考え。

>>924
>1.事実ではないとする理由
>2.事実でない場合に、一斉に古墳を作り始める理由

>の2点について、具体的に論証してね!
0936日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 09:20:01.56
>>935
なんで印象が悪いの?

理由は?
0937日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 09:23:07.72
>>932
「言葉の意味がわかってない」と
断定する理由は?
0938日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 09:28:34.91
※個人の印象です。
0939日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 09:32:23.58
>>938
っっ・・つかさー、それ「論破され、問い詰められて僕ちゃんムカ腹立つー」って悪感情じゃね?
0940日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 09:47:49.25
事実ではない個人の考えを「事実です」と言ったら、印象悪いだろう?
0943日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 10:49:46.90
畿内説はいちゃもんつけるだけか。
終わったな
0944日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 11:23:11.53
>>943
畿内説がいちゃもんつけるだけ
だって証拠は?
0945日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 11:43:15.25
夏休み特別大企画

伊都国妖怪博物館 開催中!!
0946日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 13:07:42.32
畿内説の言いがかりが酷いスレはここですか?
0947日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 13:13:44.48
そうでつ
0949日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 15:36:40.63
お前が呆れられてんじゃねーの
0951日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 15:51:09.26
ちゃんと小学校卒業しろよ。
0953日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 16:52:07.67
事実から確実に導かれる論理的帰結までは、事実の範疇だろう

「リンゴが落ちる」という現象を、
「万有引力によりリンゴと地球が引き合うためだ」と説明する部分は、事実としていいだろ?

厳密に言えば、二つ目の括弧は解釈だけれど、普通はこれを「事実とする」だろうが?

>>935他、で書いてるのはこれだけのことに文句を付けている言いがかりなんだよ
0954日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 17:14:47.10
>>953
>事実から確実に導かれる論理的帰結までは、事実の範疇だろう

誤り。

どこの星の人間なのかね?
0955日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 17:42:31.54
>>953
>事実から確実に導かれる論理的帰結までは、事実の範疇だろう

馬鹿だ
0956日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 17:46:19.70
畿内説の論理感は幼稚だなぁ
よくこれで議論の場に出てくるね
0959日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 18:29:23.97
で、いろいろ言ってるけど、事実という言葉の使い形が悪い、しか言えてない

>>909を再掲するけれど

定式化した前方後円墳が纒向の地で成立したのは確実
古墳時代に列島の広範囲で一斉に古墳を作り始めるのは確認できる
広範囲で作り始めるためには、その前にその広範囲で合意形成できるだけの秩序が
すでに成立している必要がある

ここまでは事実だ

そして邪馬台国がこの列島の上の歴史上の存在で、編年でもこの時期と重なるなら、
この合意形成を支える秩序の中心が女王之所都である蓋然性が高い
0960日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 18:33:00.18
定式化した前方後円墳が纒向の地で成立したのは確実       
 これは事実だよな

古墳時代に列島の広範囲で一斉に古墳を作り始めるのは確認できる
 これも事実 一斉にじゃないと難癖を付けたやつもいるけれど
 人の一生の一世代分くらいの幅で作り始めているから、一斉としてよい

広範囲で作り始めるためには、その前にその広範囲で合意形成できるだけの秩序が
すでに「成立している必要がある」
 
これが事実ではないと文句を言っているのだけれど、
「成立している必要がある」のはやはり事実だよ

成立していなかったら、一斉に古墳を作り始めることができないからね

結局、「具体的」で「意味のある」反論が、九州説側からは『皆無だ』と
いうことが確認できたね
0961日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 19:11:58.56
いやだから、単なる年代詐欺でしょ。ここが事実と確定しない限り。

>そして邪馬台国がこの列島の上の歴史上の存在で、編年でもこの時期と重なるなら、
>この合意形成を支える秩序の中心が女王之所都である蓋然性が高い
0962日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 19:21:31.07
>>960
>定式化した前方後円墳が纒向の地で成立したのは確実

確実かもしれんが、
そりゃ卑弥呼よりいささかのちのことだ。
卑弥呼の墓は、尖がり帽子みたいな「塚」だったのだからな。
それがみたけりゃ、阿蘇高千穂神社の本殿ご神体山をよ〜く観察してくれ。
0963日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 19:24:20.82
>>961
>単なる年代詐欺でしょ

庄内式土器をいつ頃だと思ってるんだ?

九州の試料も相当数14C年代測定が行われていて、現行の標準編年で齟齬がないんだが?
「弥生時代の開始年代―AMS −炭素14年代測定による高精度年代体系の構築―」
学術創成研究グループ 藤尾 慎一郎・今村 峯雄・西本 豊弘(2005 総研大・分化科学研究)
http://www.initiative.soken.ac.jp/journal_bunka/050509_fujio/thesis_fujio.pdf

素人が、プロが大勢でクロスチェックして確認しながら進めている仕事を、
「うそだ」、「確定してない」というだけだから、本当に負け犬の遠吠えw
0964日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 19:27:17.81
上記論文より引用
「炭素12と13の比であるδ13C値」「炭素/窒素比や窒素同位体(δ15N)の測定」を行って、
海洋リザーバ効果の影響が大きいかどうかを判定している。

その結果
「これまでに測定した弥生後期も含む九州北部地域の137点ほどの試料のなかで、
明らかに海洋リザーバー効果の影響を受けたと考えられる試料として、北九州市貫川、
菜畑、雀居、壱岐市原の辻など7点を上げることができ、その割合は全体の約5%であることを
今村が解析している。これは、秋田・岩手以北の北日本を除く縄文・弥生土器、350点余りの
土器炭化物を分析して得られた海洋リザーバー効果の出現率とほぼ同じ割合である。」
というところまで、きっちり押さえた上で、編年を行っているよ。

そしてまとめの文章を少し長めに引用
「科学的根拠を示さず疑う研究者が多い。
 もし海洋リザーバー効果が影響しているのなら、早・前期で500年、前期末で200年と
型式ごとに規則正しく古くなることはないし、考古学的に年代が確実な須玖式以降にも
海洋リザーバー効果の影響が現れるはずだが、そのような事例は得られていない。
 今回のAMS炭素14年代測定法にもとづいた弥生時代の開始年代の見直しの動きは、
これまでのような考古学者だけの内輪の論理による議論はまったく通用しない。
海洋リザーバー効果の影響をうたがうならば、それをデータを提示して科学的に証明し、
補正率の根拠を明示する必要があるし、可能性があるのなら、それを統計的に耐えうる量で
議論する必要がある。」
0965日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 19:29:16.73
>>959
使い方が悪いじゃない

事実でないものを事実と言っている。

幼稚園児は寝ておけ。
0966日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 19:29:35.70
このあたりで、海洋リザーバ効果が否定されて、
そのあと古木効果があるから信用できないに移行していたんだけれど、
古木効果が関係ない、その当年に炭素同化された炭素で成長した桃核の測定値も
今年出たし、編年がーっていうのもそろそろおしまいかねぇ

まあ、「それでも俺は信じない」って言い続けそうだけれど
0967日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 19:31:11.88
>>965
>事実でないものを事実と言っている。

何をもって「事実ではない」と言い張っているのか、
「具体的に示せ」って言ってるんだよ

小学校の学級会で習っただろ?
0968日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 19:34:24.34
>>967
辞書も引けない幼稚園児には
小学生で習うことは早すぎるね。
ちゃんと幼稚園を卒業しな。
0969日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 19:36:47.51
>>968
>ちゃんと幼稚園を卒業しな。

意味のあることを書けないやつは、議論ができないんだよなぁ

だから、逃げ続けるww

きちんとした理路で、相手の主張の間違いを指摘するっていうのが
一切できてないんだよ

まあ、九州説も伊都国説もオワコンになって久しいから、いまさら書くべきことも
見つけられないってのが本当のところなんだろうな

お鏡さんもずっと沈黙したままだしww
0970日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 19:40:01.85
バカのために辞書の記述を貼ってやろうかね

じ‐じつ【事実】の意味 出典:デジタル大辞泉(小学館)

[名]
1 実際に起こった事柄。現実に存在する事柄。「意外な事実が判明する」「供述を事実に照らす」「事実に反する」「事実を曲げて話す」「歴史的事実」

2 哲学で、ある時、ある所に経験的所与として見いだされる存在または出来事。論理的必然性をもたず、他のあり方にもなりうるものとして規定される。

[副]本当に。実際に。「事実一度もその人には会っていない」

これの、「ある時、ある所に経験的所与として見いだされる存在または出来事。」にばっちり当てはまるだろ?
辞書的意味でも、事実でいいんだよ
0972日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 19:42:57.63
アホじゃないのか?
お前は、邪馬台国の時代を生きていたのか?どんな長寿だよ。

ほんとアホだな
0973日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 19:51:18.14
>>970
バカの自己紹介はいらないよ。
0974日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 19:53:37.60
アホのテンプレとして残したいぐらいの見事なアホだな
0976日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 20:17:54.85
倭国女王卑弥呼の墓は墳ではなかった。
尖がり帽子みたいな「塚」だったのだからな。

それがみたけりゃ、阿蘇高千穂神社の本殿ご神体山をよ〜く拝むこった。ここが卑弥呼の塚墓だ。。。
0977日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 20:56:48.55
>>959
>広範囲で作り始めるためには、その前にその広範囲で合意形成できるだけの秩序が
>すでに成立している必要がある

ここは事実とは言わない。
0978日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 20:58:36.82
>>963
>素人が、プロが大勢でクロスチェックして確認しながら進めている仕事を、

クロスチェックが不十分だというのが炭素同位体による測定に対する批判じゃなかったかな。
0979日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 21:24:41.39
>【事実から確実に導かれる論理的帰結までは、事実の範疇だろう

>厳密に言えば、二つ目の括弧は解釈だけれど、普通はこれを「事実とする」だろうが?

質問自体がおかしい気がします

上の通りだとすれば、万有引力は確実に導かれる論理的帰結、となっていますが、下ではそれを解釈に過ぎない、と言っています

どちらなのですか?
0980日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 21:59:45.17
>>979
もうちょっとがんばれ

「事実から確実に導かれる論理的帰結」の「導かれる」の部分が
「厳密には解釈」なんだよ

だが、「確実に」導かれるなら事実の範疇だろう?
0981日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 22:05:45.71
>>978
>クロスチェックが不十分だというのが炭素同位体による測定に対する批判じゃなかったかな。

そんな時代はもう通り過ぎたんだよ

初期にはプロの間でも批判の声が上がっていたよ
>>963に示した論文にも「科学的根拠を示さず疑う研究者が多い。」と書いてあるとおり

でもその後も、多くの計測が行われ、論文として公表されて、公開データとして
蓄積されていく中で、互いのデータを付き合わせてクロスチェックして妥当性が検証されている

もちろん、様々な誤差はゼロにならないし不確実性は残るけれど、それでも
今後、九州説が言うように100年もずれたりはしないよ
0982日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 22:14:08.47
>>977
>ここは事実とは言わない。

「すでに成立している必要がある 」
これが成り立たなかったら、一斉に古墳を作り始めることができない

しかし、3世紀後半から1世代の間に列島の広い範囲で一斉に古墳を作り始めていることは
考古学的に確認できる

「ある時、ある所に経験的所与として見いだされる存在または出来事。」

考古学的状況が発掘成果として確認できる現時点(ある時)での日本(ある所)で、
発掘成果の結果(経験的所与)として、広範囲で合意形成できるだけの秩序が
すでに「成立している必要がある」ことが見出されるんだよ
0983日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 22:28:33.59
発掘成果の結果(経験的所与)

ここが詐欺だな
0984日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 22:29:08.97
>>976
>尖がり帽子みたいな「塚」だったのだからな。

はい、またウソつき

「冢足容棺」がよく引用されるけれど、棺を容れるに足る程度に土を盛ったものが「冢」だよ
尖り帽子みたいとか、どこから出てくるんだか

三国志魏書東夷伝韓条に「居處、作草屋土室、形如冢」とあるのを勘違いしているのかもしれないが、
冢の形が家のようなのではなくて、韓の家が(よその土地の家とは形が違って)冢のようだ、という意味だぞ
0985日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 22:32:25.86
>>983
>ここが詐欺だな

どこがどう詐欺なのか、「具体的に指摘」してくれ

まあ、どうせ「オレは認めない」以外の理由は示せないんだろうがな

どのスレでも九州説のやつはそうなんだが、理由も根拠もなしの一言レスばかり
具体的な根拠や理由は一切示さない

本当にスペックが低すぎる
0986日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 22:35:09.69
>>982
>これが成り立たなかったら、一斉に古墳を作り始めることができない

成り立たないだろ。
例えば、仮に誰かが急速に征服したら一斉に墓制が変わることはあり得る。
だから西日本の統一の年代を勝手に遡らせるなど、詐欺のようなものだ。
そしてその動機は、邪馬台国を畿内にあったことにしたいという捏造史観だよ。
0988日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 22:38:00.37
事実でないことを事実のように騙ることが詐欺であり、それを捏造と言うんだよ。
0990日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 22:47:38.14
>>986
>例えば、仮に誰かが急速に征服したら一斉に墓制が変わることはあり得る。

そう、確かに「可能性としては」あり得る
これによって「論理的必然性をもたず、他のあり方にもなりうるもの」であることが
確認できる訳だ

そして、「誰かが急速に征服した」状況は考古学的に確認できず否定される
つまり、普遍的状況ではなく「現在までの発掘成果」から経験的所与として
見出される出来事が、「卑弥呼の共立を契機とする広範囲の秩序形成」という「事実」なんだよ
0991日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 22:58:05.48
考察という過程を経ないといけないなら、それは事実ではない。
また、征服がなかったと証明することは難しい。
あったという証拠も明確ではないが、文献的には記紀は征服譚であふれていて、なかったとは言い切れない。
そのようなどちらもあり得る状態で、一方の可能性を事実と言い切るのは明確に誤りだ。
0992日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 23:03:32.94
よし、結論出たな。
畿内説は詐欺。事実の捏造。
0993日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 23:15:54.60
このスレを読んだ第三者には、一方的な決めつけで「事実」を捏造しようとしているのがどちらであるのかははっきりと認識できるだろう。
0994日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 23:25:34.26
>>993
これ、畿内説の人が書いたなら、能天気すぎ。
滑稽をすぎて、もう哀れだね。
0995日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/30(月) 05:02:54.93
おやおや
「日本語に翻訳したら史料事実じゃなくなる」という原理主義者もかくや、だね
まあ否定はしないよ
いつもデタラメな訳をトンデモな九州説おじいさんが作るからね
0996日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/30(月) 07:54:11.15
>>991
>考察という過程を経ないといけないなら、それは事実ではない。

おいおい、こっちは何度も投げかけてるだろ? 考察してみてごらん?って

広範囲で作り始めるためには、その前にその広範囲で合意形成できるだけの秩序が
すでに「成立している必要がある」
 
成立していなかった場合、「古墳を一斉に作り始める=古墳時代の到来」が説明できない
否定するならその論拠を具体的に示してごらん?

って言ってるのに、それに対して返せたことが
「仮に誰かが急速に征服したら一斉に墓制が変わることはあり得る。」だけ

自分でも「仮に」って付けているから分かっているだろうけれど、
それこそ「そんな事実はない」

本当に九州説のやっていることは、負け犬の遠吠え

畿内説スレに貼り付けに行ったやつも、完全に無視されてるしww
0997日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/30(月) 07:59:48.34
どこまでもシャドーボクサーキナイコシは無意味なこと喚いててアホだなぁ。
0998日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/30(月) 08:05:57.99
この九州説さんはシャドーボクサーと呼ばれたのがよっぽど悔しかったんだね
意味もわからず、おうむ返しを続けてる
0999日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/30(月) 08:10:58.61
事実と考察と妄想が区別できない畿内説。
1000日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/30(月) 10:05:28.65
はい、今日も
根拠一つ上げられず
理路の通った反論一つできず
言葉尻をねちねち言うだけで
伊都国説は「終了」、とww
10011001
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