伊都国東遷スレ 10
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伊都国、怡土村、これが「いと」と読むのは確定なんだっけ?「いつ」「いつ(ち)」という可能性はないの? .
中国大陸には7000年前の河姆渡遺跡の時代から皿という器種がありました。
あちらで皿は盤と呼びます。
ところが、縄文末に渡来した弥生人は鬲や鼎どころか、皿(盤)の一枚さえも
伝えませんでした。
日本に皿という器種が伝わるのは4C末の古墳時代です。
中国大陸には7000年前からある皿という器種を我々の祖先は古墳時代まで
知らなかったのだ。
その時代差、約5400年。
弥生人が中国大陸から来たと吹聴しているヤツはガチで中卒です!
. >543
仲哀天皇紀に伊覩県主、五十迹手の話があるから、伊覩の表記が古いとすると、
やっぱり「いと」「いつ」が古い読みかな?
「怡土」になったのは、恐らく和銅六年の好字令からで、
本来的な読みで「いつち」というのは無さそう。 伊都
伊豆
和泉
出雲
伊勢
イs
イz
この共通性ブキミ (8)蒸して食べる
7000年前 中国に起源
最近、タジン鍋やシリコンスチーマーといった、油を使わずに調理できる蒸し調理器具が話題になっています。
モノを蒸す調理法は、形を崩さずに素材の持つ美味しさをそのまま生かせるだけではなく、お酒やお茶を
作る際にも欠かせない調理法です。
この「蒸し調理」、実は東アジアで発達した調理方法なのです。
蒸し調理の起源は、今から6000〜7000年前の中国新石器時代にまで遡り、黄河流域の遺跡から、
粘土で作った蒸し器がわずかながら発見されています。それ以前は、ゆでる、煮る、焼くといった調理法が
基本だったと考えられています。
日本へは中国東北地方、朝鮮半島を経由してこの調理法が伝わりました。最初に蒸し調理が行われたのは
3世紀頃の北部九州。福岡市の西新町遺跡から土製蒸し器が出土しています。実に4000年余りの時を経て、
ようやく日本にまで到達したことになります。
しかし、この後、日本では蒸し調理は廃れ、全国的な普及はそれから数百年後のことでした。
今では日本料理とは切っても切れない蒸し料理。普段、何気なく接している蒸し料理にも、
数千年にわたる人々の営みが隠されているのです。 http://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2014/04/tanken08.html
◆7000年前の江南の河姆渡遺跡の甑
http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html
. .
7000年前から中国では炊飯するのに、釜と竈のセットで炊く、鼎で炊く、
さらに甑を釜にセットして蒸し上げる、という3種類の炊飯方法があった。
ところが縄文末に渡来した、いわゆる弥生人は渡来時に釜も竈も鼎も甑も何一つ伝えなかった。
弥生人は弥生末の3Cに甑が半島から伝わるまで甑で蒸し上げて炊飯する事を知らなかったのだ。
中国には7000年前からある甑で蒸し上げて炊飯する方法を弥生末の3Cまで知らなかったのだ。
弥生人が中国からなんて2兆%あり得ないね。
. .
中国大陸には7000年前の河姆渡遺跡の時代から皿という器種がありました。
あちらで皿は盤と呼びます。
ところが、縄文末に渡来した弥生人は鬲や鼎どころか、皿(盤)の一枚さえも
伝えませんでした。
日本に皿という器種が伝わるのは4C末の古墳時代です。
中国大陸には7000年前からある皿という器種を我々の祖先は古墳時代まで
知らなかったのだ。
その時代差、約5400年。
弥生人が中国大陸から来たと吹聴しているヤツはガチで中卒です!
. 「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
”女王国の以北に一大率を置き特に検察す。諸国は之れを畏れ憚る。常に伊都国を治むる。國中に於ける刺史の如く有り。”
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。
(そのため)諸国(の使)は之れ(=大率)を畏れ、気を使っている。
(大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を監視している。
(大率とは)国中に束ねる(魏の)監督長官のようである。
三国志の記述では前節が後節に掛かっている。
よって諸国が畏れている(諸國畏憚之)のは前節の一大率。
監視されている伊都国(常治伊都國)は前節の諸國。
つまり女王国の北側に設置された一大率が諸国の一つである伊都国を監視しているということ。
言い換えれば伊都国は女王国に属する諸国の一つで一大率に管理されている国。 諸国の一つという部分が、魏志倭人伝にないお前の願望。 >>553
文盲過ぎる
三国志の記述では前節が後節に掛かっている。
よって諸国が畏れている(諸國畏憚之)のは前節の一大率。
監視されている伊都国(常治伊都國)は前節の諸國。 徳川家康は江戸を治めて、同時に全国を支配した。
大率は伊都を治めて、同時に対馬海峡を支配した。 伊都の大率が女王国(福岡県)の北方である対馬海峡を検察し、対馬や壱岐などいく先々で皆が大率に平伏している様子を郡使が目撃したのだろうね。
女王国の南側はというと、狗奴国(熊本県)と対立する軍事地域だったので、郡使は話だけ聞いて詳しくはない。
福岡から西や東はわざわざ行く価値もなかったので、詳細不明で済ませたわけだ。 >>557
一大率は女王国の北限に勤務
業務内容は伊都国を含む諸国の監督 伊都国に関する魏志倭人伝の解釈は↓で正解だよ
反論したけりゃ明確な根拠を示さねばならない
原文
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
読み下し
”女王国の以北に一大率を置き特に検察す。
諸国は之れを畏れ憚る。
常に伊都国を治むる。
國中に於ける刺史の如く有り。”
和訳
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。
(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。
(一大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を治めている。
(一大率とは)国中に束ねる(魏の)監督長官のようである。
根拠
三国志の記述では前節が後節に掛かっている。
よって諸国が畏れている(諸國畏憚之)のは前節の一大率。
統治されている伊都国(常治伊都國)は前節の諸國の一つ。
結論
つまり女王国の北側に設置された一大率が諸国の一つである伊都国を統治しているということ。
よって伊都ファンや糸チョン、キナイチョンが屁理屈を並べても伊都国は女王国にはなり得ない。 「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
「女王国(を含めたそこ)から北の諸国には、(女王卑弥呼が)特別に一大率を配置して検察させており、諸国は之(一大率)を畏れ憚っている。
(一大率は)伊都国で(女王国から北の諸国を)常に治めていた。
(その様子は)魏で(皇帝が)刺史(を州に派遣し検察させて洛陽で治めているの)と同じようだ」の意味となる。
女王卑弥呼が一大率を任命して治めさせているのは自女王國以北(女王国を含む)の対馬海峡の国々である。
女王国が伊都よりずっと東の畿内にあったら、一大率が支配していたのは畿内とその北である若狭湾沿岸になってしまうが、伊都に置かれていたという記述と齟齬を生じる。
つまり女王国は伊都国を含まなくてはいけない。
女王国以北はおよそ里程や概要を記すことができるとされているが、里程が記載されているのは対馬海峡と福岡県内の国だけである。
すなわち女王国以北(女王国を含む)は伊都から北であり、女王国(邪馬台国)が伊都国を含むことを示している。
倭に近い文化を持っていた百済には、大率や徳率などの中央官僚の官職があった。
邪馬台国では中央官僚は大率一つだけだったので一大率と魏志倭人伝に書かれたわけだ。
都から対馬海峡の国々を検察に出かける様子が、刺史のようだとされたのだろう。
「刺史」・・・地方を検察する官僚
「大率」・・・百済などにあった高級官僚の役職 >>559
常治伊都國の誤読ですな。
伊都國で執務していた、が正解です。
>>560
正解 >>561
理由なしで「オレ様正解」って馬鹿の見本を展示中 伊都国に関する魏志倭人伝の解釈は↓で正解だよ
反論したけりゃ感情論抜きで明確な根拠を示さねばならない
原文
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
読み下し
”女王国の以北に一大率を置き特に検察す。
諸国は之れを畏れ憚る。
常に伊都国を治むる。
國中に於ける刺史の如く有り。”
和訳
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。
(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。
(一大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を治めている。
(一大率とは)国中に束ねる(魏の)監督長官のようである。
根拠
三国志の記述では前節が後節に掛かっている。
よって諸国が畏れている(諸國畏憚之)のは前節の一大率。
統治されている伊都国(常治伊都國)は前節の諸國の一つ。
結論
つまり女王国の北側に設置された一大率が諸国の一つである伊都国を統治しているということ。
よって伊都ファンや糸チョン、キナイチョンが屁理屈を並べても伊都国は女王国にはなり得ない。 >>563
言い張っても無駄。
常治伊都國の誤読ですな。
伊都國で執務していた、が正解です。 >>564
言い張ってるのはお前だけだぞ糸チョンコwww >>565
違う違う認めないと駄々をこねているのはお前だけだぞ、キナイコシ >>567
伊都国に関する魏志倭人伝の解釈は↓で正解だよ
反論したけりゃ明確な根拠を示さねばならない
原文
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
読み下し
”女王国の以北に一大率を置き特に検察す。
諸国は之れを畏れ憚る。
常に伊都国を治むる。
國中に於ける刺史の如く有り。”
和訳
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。
(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。
(一大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を治めている。
(一大率とは)国中に束ねる(魏の)監督長官のようである。
根拠
三国志の記述では前節が後節に掛かっている。
よって諸国が畏れている(諸國畏憚之)のは前節の一大率。
統治されている伊都国(常治伊都國)は前節の諸國の一つ。
結論
つまり女王国の北側に設置された一大率が諸国の一つである伊都国を統治しているということ。
よって伊都ファンや糸チョン、キナイチョンが屁理屈を並べても伊都国は女王国にはなり得ない。 伊都国の内情
原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
書き下し文:
”官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。
千余戸有り。
世王有り。
皆女王国に統属す。
郡使往来し常に駐する所。”
現代文:
官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。
(人口は)千余戸ある。
代々の王がいる。
みな女王国に従属している。
(帯方)郡の使者が往来し、常に留まる所である。
解説:
三国志の記述では前節が後節に掛かっているので、
女王国に従属している「皆」は爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指す。
つまり、伊都国の王も役人も住民も女王国の臣民である証明である。
また三国志における魏代の刺史は官と同義であるため、すでに伊都国には爾支という官が務めているのだから
魏の刺史(=官)と同等の一大率は伊都国の役人でないことは明白。
つまり、一大率は女王国か直属の役人であり、伊都国には属していない証明である。
結論:
よって伊都キチや糸チョン、キナイチョンが屁理屈を並べても
伊都国は女王国ではなく、女王国に従属する諸国の一つであり、
一大率は伊都国には存在せず、女王国の北限で伊都国を監視する女王国の役人である。 >>569
意味不明な勝手ルール
そもそも、前から後ろにかからない文章ってなんだ?
中国人が返り点打ちながら読んでいるとでも思っているのか?
キナイコシが漢文を読めない無能だと露見したレスw 自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史
女王国よりも北と書かれているのに、北部と曲解詐欺
諸国がこれを恐れると書かれているのに、伊都国から常に動かないという、矛盾ゴリ押し詐欺
刺史の本来の姿は、首都から派遣されて諸国を検察して回ることが主目的だったし、倭人伝にもそう書かれているのに、それを吟味することなくチェリーピック詐欺 自女王國以北で論点になるのは、女王国が含まれるか含まれないかであって、
女王国よりも北方にある諸国はどちらにせよ含まれる。 >>570
反論があるなら指摘は具体的に
相手の投稿のどの箇所の何をどういう理由で批判してるか書かないと
今のままでは、ただのヤジ
>>574
相変わらず、>>572とかには反論せずに、
他愛もないレスだけチェリーピックして絡んで誤魔化してんだな惨めなキナイコシ 伊都国には官(中央から任命される支配官)の爾支が既にいるから、刺史も支配官だとバッティングしてしまう。
だからこの場合の有如刺史とは、刺史本来の検察官としての機能のことであって、書かれている業務内容もそうなっている。
中国での刺史は600石程度の地方官に過ぎず、常に伊都国を治めているのなら、刺史の機能上、他の諸国は無関係でこれを恐れる必要はない。
刺史が首都の伊都に常設オフィスを構えて(=常治伊都國)、そこから北の諸国を検察して回る本来の検察官として機能しているからこそ諸国がこれを恐れるのであって、
じゃあ伊都国より北の諸国ってどこよとなると、壱岐対馬のたった2つの監視態勢の説明のためにここまで字数は使わんだろうから、
それだと狗邪韓国などと中心とした投馬国のことになるじゃん、だから反日キナイコシは気が触れたように間違いだらけコピペを連打して精神の安定を何とか保とうとしているのだった。 >>575
>相変わらず、>>572とかには反論せずに、
? >>572って馬鹿だろ?
誰も話しかけてるのか他人に理解できない文章書いてるから相手にされないだけ >>578
そうだね。
だから、常治伊都國と刺史と若干異なる部分を説明している。 >>573など根本的な間違いに答えられないキナイコシw長文ご講釈の出だしから間違ってるじゃんw 三国志最強の男 曹操の人望力 - 12 ページ
「刺史は本来、地方行政の組織の枠に組み入れられた存在ではなかった。役職も目付のようなもので、州や郡、県の役人が政務を真面目に司っているか否かを監督し、 その成績を考察して、中央へ報告する役割を担っていた」
つまり、刺史は地方にとどまっているわけではない。
本拠地は都に置かれていた。
倭国の場合、伊都に大率がおかれ北方を検察して畏怖されており、刺史のようだと書かれている。 >>581
歪曲はダメ
そんなこと書いてないじゃね? 伊都国を政治的に支配してたら、如州牧と書くだろ。機内腰はバカだなぁ。 >>583
誰と話をしようとしてるのか不明で、内容も意味不明
コミュ障のひと? この内容で理解出来ないのが、バカの証拠だよ。刺史と州牧の差を考えろよ 無能&無知が理解できるように書き直すと
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。皆女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に留まる所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。常に伊都國を治むる。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を治めている。(一大率とは魏の)官と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指しているので、伊都国の王も役人も住民も女王国の臣民である。
そして、諸國が畏れているのは一大率の事であり、伊都國は前節の諸國の一つである。
また、三国志における魏代の刺史は官と同義なので、
伊都国には爾支という官が存在している=官と同職の一大率は伊都国の役人ではなく、外部監察官である。
結論:
伊都キチや糸クズ、キナイコシがいかに駄々をこねで強弁しようとも、
伊都国は女王国に従属する諸国の一つであり、女王国にはなりえないのは明白であり、
一大率は伊都国には存在せず、女王国の北限で伊都国を監視する女王国の役人である。 まぁ伊都国は女王国ではないにせよ、貿易入管を一手に担う国として、倭国にとって重要であることに変わりはないわな。 >>585
まったく反論できない九州説って
そこまで無能なの? >>588
理解力のなさとマトモな教育をしてくれなかった親を恨んで生きていきなよ >>589
そんなふうに、まったく反論できなくなって
相手を口不汚く罵るだけになったら
九州説は死んだってこと
皆にわかるんだよ
>>590
お前脳内お花畑で幸せそうだな。
周りからいつも半笑いで羨ましがられるだろ。 >>586
> 結論:
> 伊都キチや糸クズ、キナイコシがいかに駄々をこねで強弁しようとも、
正しくは
古田盲信者や糸クズ、キナイコシがいかに駄々をこねで強弁しようとも、
だね >>586
壊れたラジオかよ。
同じレスの繰り返し。
「魏代の刺史とは官と同じ」
ってなんだよ。漢代の刺史は官じゃないのか。バカがにじみ出てるぞ
www >>588
そんなふうに、まったく反論できなくなって
相手を口不汚く罵るだけになったら
畿内説は死んだってこと
皆にわかるんだよ >>594
質問やってるんだから、中傷に逃げずに答えてみろよ。
魏代の刺史は官だからってどういう意味だ? 漢代の刺史は官じゃないのか。? >>593
お前のようなしつこいバカを躾けるには反復調教が最も有効だからだろ >>586
>伊都キチや糸クズ、キナイコシがいかに駄々をこねで強弁しようとも、
>伊都国は女王国に従属する諸国の一つであり、女王国にはなりえないのは明白であり、
畿内説はもちろん
伊都国は女王国に従属する諸国の一つであり、女王国ではありえない
というのは定説なんだけど? ☆★☆生データ☆★☆
三国志に出てくる「治」は433文字。うち、「治+地名(A)」は24か所。
“Aに役所を置いた”の意味で使われた例 ☆22
"Aを治めた"の意味で使われた例 ★2
☆袁紹因表太祖爲東郡太守治東武陽 袁紹はそこで太祖を兗州東郡の太守に任命することを発表し、東武陽県に役所を置かせた
☆紹歎其能徙爲東郡太守治東武陽 袁紹は臧洪の能力に驚嘆し、東郡の太守に転任させ、東武陽県に政庁を置かせた
☆郡所治廣武 郡の庁舎が所在する廣武
☆治廣ィ如舊 (閻柔に)元からの如く廣ィ(上谷郡の寧城)で執務させた
☆辰王治月支國 辰王は月支國で政務を執っている。(魏志韓伝)
☆焉徙治綿竹 劉焉は綿竹県に役所を移した
☆焉徙治成都 劉焉は成都に役所を移した
☆羣下推先主爲荊州牧治公安 臣下は先主を荊州の牧に推し立てて、公安県(を州都として)で執務することにした
☆治成都 (先主は)成都に役所を移した
☆先主爲漢中王遷治成都 先主は漢中王になると、成都に役所を移した
☆移治味縣 (馬忠は)役所を味県に移した
☆州舊治壽春 揚州の役所は古くから壽春に置かれていた
☆繇乃渡江治曲阿 劉繇は長江を渡って曲阿に役所を定めた
☆權徙治秣陵 孫権は役所を秣陵に移した
☆以慈爲建昌都尉治海昬 太史慈を建昌の都尉(6県を統治)に任命して、海昬県に役所を置かせた
☆劉備以左將軍領荊州牧治公安 劉備は左将軍となって荊州牧の任務を行い、公安にその役所を置いた。
☆以普爲吳郡都尉治錢唐 程普を呉郡の都尉に任命し、銭唐に役所をおいて執務させた
☆領江夏太守治沙羨 江夏の太守になって、沙羨に役所を置いた
☆領丹楊太守治建業 (呂範を)丹楊の太守にして、建業に役所を置かせた
☆拜抗都督信陵西陵夷道樂鄉公安諸軍事治樂鄉 陸抗は都督となって、信陵・西陵・夷道・樂鄉・公安の軍事担当となり、樂鄉に役所を置いた
☆假節開府治半州 政府を開設させて、その役所は半州に置かせた
☆爲吳興郡治烏程 呉興郡を新設して、烏程に役所を置いた
★使司隸校尉留治関中 司隸校尉に関中を留守統治させる
★司隸校尉治弘農 司隸校尉に弘農郡を治めさせた 「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
女王国より北の国々に対しては、一人の大率を特設して検察している。
北の国々は大率を畏れ憚っている。
大率の役所は伊都国に常設してある。
中国本土における刺史のような「検察官の役目」を果たしている。
・里程部分で既に地方官の説明がなされている
・自女王國以北とあるので、女王国よりはもっと北の諸国に焦点がある
・大率の業務についての説明は検察官のものだけ
・三国志では「治+場所」はその場所に役所を構えるという意味が多い
女王国=邪馬台国の首都である伊都に、
邪馬台国政庁(国会議事堂:女王卑弥呼や大臣達)
伊都国都庁(都庁:都知事爾支と部下たち)
大率執務室(検察庁:検察官大率→北方諸国巡回でほとんど伊都にはいないが)
などなどの重要官庁が集中していた。
刺史は本来は領地を持たないただの「検察官」であり、
首都から派遣されて各国を巡回し、年に1回首都に戻って報告していた。
大率の職務も同じ検察官。
中国大陸は広いので、報告するに刺史本人でなく使者を立てるようになり、
本来の地方官と居座った刺史の二重権力を解消するために、結局は刺史や牧が地方官になった。
邪馬台国とその北の諸国であれば、対馬海峡を行き来するだけだから(水行10日)、
大率は伊都国に執務室を構えて、そこから各国へ行き来して検察していただけ。 >>600
>本来の地方官と居座った刺史の二重権力を解消するために、結局は刺史や牧が地方官になった。
補足
本来の地方官は郡レベル
居座った刺史は州レベルで郡県の統括者となり
軍事行動では総司令官となった >>600
>首都から派遣されて各国を巡回し、年に1回首都に戻って報告していた。
それは昔の話
後漢の頃から報告の使者を立てるだけで
刺史は完全に地方に居座るようになった
刺史治があるのは必ず地方都市である 結局、「女王の都=伊都国」説を唱える学者は誰もいない
それは伊都説が、基礎知識不足が産んだ妄想だからである >>604
根拠は明示されてるだろ
「女王の都=伊都国」説を唱える学者は誰もいない 矛盾だらけの「女王の都=伊都国」説を言い張るほどの恥は
この世にまたとなかろ >>597
伊都キチや糸クズ、キナイコシは伊都国=女王国って盲信しとるやん >>599
素晴らしい
それを踏まえた上で清書するわ! 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。皆女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に留まる所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。常に伊都國を治むる。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)常に(諸国の一つである)伊都国に役所を置いた。(一大率とは魏の)長官と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が畏れているのは一大率の事であり、伊都國は前節の諸國の一つである。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であったため、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
結論:
思考を停止させた古田信者や郷土愛に狂う糸クズ、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する諸国の一つであり、女王国にはなりえないのは明白であり、
一大率は伊都国には存在せず、伊都国に設置した役所を女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 >>613
治を役所設置とするなら
”女王國より以北に一大率を置き特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。常に伊都國を治むる。國中に於ける刺史の如く有り。”
ではなく
”女王國より以北に一大率を置き特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
のほうが適当じゃないかな? 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。皆女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に留まる所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は諸国の一つである)伊都国に役所を常設した。(一大率とは魏の)長官と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國の一つとなる。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であったため、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
結論:
思考を停止させた古田信者や郷土愛に狂う糸クズ、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する諸国の一つであり、女王国にはなりえないのは明白となり、
一大率は伊都国に常設した役所を女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 >>616
>(一大率は諸国の一つである)伊都国に役所を常設した。
( )の中が勝手な妄想。
それにより全体の解釈にも誤りを生じている。 >>617
解説読んでも理解できないならお前もキチガイ >>618
妄想を解説されても意味がない。
魏志倭人伝は伊都の重要性にかなりの文字数を割いていて、他の国邑の説明は少ない。
伊都が邪馬台国で最も重要であり、諸国から畏怖される権力の中心であったことは確かだ。
その事実から目を背けたいために詭弁を弄しても無駄だ。 >>621
>伊都が邪馬台国で最も重要であり、諸国から畏怖される権力の中心であったことは確かだ。
という理由は? >>622
>伊都が邪馬台国で最も重要であり、諸国から畏怖される権力の中心であったことは確かだ。
諸国から畏怖されていたのは、伊都国でなくて一大率だ。そこんとこ間違いなく。 なんか盛り上がっていますね。
>616
常治伊都国 は、「伊都国を治めたか」「伊都国にて」治めたか、という問題は後者でしょうね。
「刺史」としてと原文にあるのをわざわざ「(魏の)長官」と読み替えるのは、感心しませんね。
一大率は、行政官ではなく、女王国の監察官ですから。
この論点は、糸厨の皆さんの勝ちと思いますよ。
女王国=伊都国で解釈できるというのは発見だと思います。
ただ、邪馬台国=伊都国というのは無理があると思いますけどネ。。。 >>625
糸厨が言ってるのは、伊都国=「女王国(邪馬台国)の首都」 >官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國
畿内説では皆を伊都国の皆と読むようだが、その場合丗有王の王とは伊都国王ということか? >>625
>ただ、邪馬台国=伊都国というのは無理があると思いますけどネ。。。
他にロクな国邑が紹介されていない。
伊都に駐在していたはずの郡使が卑弥呼に面会している。 >>623
>諸国から畏怖されていたのは、伊都国でなくて一大率だ。そこんとこ間違いなく。
鎌倉の将軍ご畏怖されていた頃は鎌倉が権力の座だっただろ。
徳川の頃は江戸がそうだった。
いずれも任命された征夷大将軍がいたわけだけどな。
邪馬台国の時代は伊都がそうだったということ。 伊都にいた大率が女王国「から」北を検察していたのだから、伊都が女王国に含まれなければいけない。
伊都は女王国から支配される側だったという説は成り立たない。 >>630
>一般的には源頼朝(よりとも)に始まる武家政権(幕府)の首長をさすが、
本来は蝦夷(えぞ)征討のため朝廷から臨時に任ぜられた総指揮官のことをいった。
律令(りつりょう)政府は、蝦夷征討軍をしばしば派遣したが、721年(養老5)に多治比県守(たじひのあがたもり)を責任者に任命し「征夷将軍」と称した。
肝心なのは、征夷大将軍職はだれから任命されたのかだ。当然朝廷であり、つまりは天皇からだろ。
これを当てはめれば、女王国の女王から任命された一大率(征夷大将軍)は、自女王国以北の諸国を治めるため伊都国(鎌倉/江戸など)に駐在したわけだ。 だから一大率は治めとらんだろ
伊都国に庁舎を置いてただけ
どこかに庁舎を置かなければならないから、首都に置いといたんだろ >>599
ざっと見た感想だが、治するで役所を置くのは自国圏内だね。
神奈川県が治するとすれば神奈川県内。
大阪府が治するとすれば大阪府内。
だから女王国が一大率を治するのなら、女王国領内じゃないか。 >>633
天皇は京都に御所を置き、征夷大将軍は、東エビスを征伐するのに便利な鎌倉や江戸に城を置いた、
それと同じで、女王の宮殿は女王国にあり、倭の奴人どもを統治するための一大率の治所(砦)は北の伊都国にあったのではないかな、 >>621
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漢文も読めない上に歴史的背景も理解できないのに口を挟むのは馬鹿だと思いますけどネ・・・ 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。皆女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に留まる所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は諸国の一つである)伊都国に役所を常設した。(一大率とは魏の)長官と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國の一つとなる。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であったため、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
結論:
思考を停止させた古田信者や郷土愛に狂う糸クズ、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する諸国の一つであり、女王国にはなりえないのは明白となり、
一大率は伊都国に常設した役所を女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 >>643
治は自国領内だから、伊都国は女王国の内部。
×女王国の北側に一大率を置いて、
〇女王国の北側に対して、一大率を置いて、 >>643
>世王有り。皆女王國に統属す。
その王とは、伊都国王なのか?卑弥呼なのか? >>644-645
読解力がないんだったらお願いだからバカは黙ってて・・・ >>645
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1534419766/643
>女王國に従属している「皆」は爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。 >>646
>>599を見たところ、治するとは、自領内に役所を置く、という意味のようだ。
だから、女王国が伊都国に一大率を設置したのなら、伊都国は女王国の領内。
×女王国の北側に一大率を置いて、
〇女王国の北側に対して、一大率を置いて、
と思うのだが、意見を聞いている。 >>648
>>643と同一人物かな?
伊都国王が邪馬台国女王卑弥呼とは別に存在する、と理解していいのだな。 誰がどう読んだって国王以下住民全員が女王国に統属してると明記されてる国なんだから女王国とは別の国だろバカなのか??? 誰がどう読んだって国王以下住民全員が女王国に統属してると明記されてる国なんだから女王国に含まれる国だろバカなのか??? >>649
女王國自り以北に一大率を置き特に検察す。 >>652
読解力がないんだったらお願いだからバカは黙ってて・・・ >>653
女王国が伊都国に一大率を治した(自国領内に庁舎を置いた)のだから、
伊都国は女王国の領内。
よって、
×女王国の北側に一大率を置いて、
〇女王国の北側に対して、一大率を置いて、
が正しい読みとなる。 >>654
伊都国王が女王卑弥呼とは別に存在することを認めてくれただけで収穫あり。 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。皆女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に留まる所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は諸国の一つである)伊都国に役所を常設した。(一大率とは魏の)長官と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國の一つとなる。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であったため、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
結論:
思考を停止させた古田信者や郷土愛に狂う糸クズ、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する諸国の一つであり、女王国にはなりえないのは明白となり、
一大率は伊都国に常設した役所を女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 >>647
>>諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國の一つとなる。
後半が根拠のない嘘。
諸国が畏怖するのは、大率と大率が置かれた伊都。 >>658
返答に窮したからといってコピペに逃げるな。
>>599を見たところ、治するとは、自領内に役所を置く、という意味のようだ。
女王国が伊都国に一大率を治した(自国領内に庁舎を置いた)のだから、
伊都国は女王国の領内。
よって、
×女王国の北側に一大率を置いて、
〇女王国の北側に対して、一大率を置いて、
が正しい読みとなる。 >>657
いやむしろ伊都国王=女王だなんて世迷い言を言い続けてんのはキナイコシと糸厨だけだろ・ >>658
君は、伊都国王が別にいて、記紀に書かれていない女王卑弥呼に統属している、ことを明記しているのだな。 >>660
自領と自国を混同する無能は死んで下さい >>663
伊都國自体も記紀に書かれてないクニだぞ(笑) >>662
一大率は伊都国に治されているので、伊都国は女王国の領土であり、
女王国の領内の伊都国に庁舎を置く一大率が、
その北方を検察している。
困るのはその〇〇民族なのでは? >>660
> 北側に対して、一大率を置いて、
が根拠のない嘘。 >>667
根拠
>>>599を見たところ、治するとは、自領内に役所を置く、という意味のようだ。
>女王国が伊都国に一大率を治した(自国領内に庁舎を置いた)のだから、
>伊都国は女王国の領内。 >>666
君は読解力が低すぎるのか民族願望が高すぎるのか分からないけれど↓を10回くらい大きい声で音読したら理解できるようになるんじゃないかな。
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1534419766/658 >>669
自領と自国を混同する無能は死んで下さい(二度目) >>668
記紀を読んだこともないのに記紀の話を持ち出すとかお前相当イってんなw >>670
言い張るだけで、何の反論もできていないぞ。
>>599を見たところ、治するとは、自国領内に役所を置く、という意味のようだ。
女王国が伊都国に一大率を治した(自国領内に庁舎を置いた)のだから、
伊都国は女王国の領内。
よって、
×女王国の北側に一大率を置いて、
〇女王国の北側に対して、一大率を置いて、
が正しい読みとなる。 そうだな、怡土は出てくるが、「伊都国」は記紀には出てこない 倭国と女王国は違うからな。
親魏倭王になったというのは、女王国の王から倭国の王になったということ。 >>673
一大率が刺史のようだっていうのがヒントなんだよ。
刺史だから女王国内にいるわけで、伊都国に常設されたのは帯方郡のような機関ってこと。
魏の植民地経営にそっくりだったってこと。 倭国=倭人の住む土地って意味だろうな。
女王国は倭国連合の首都。 倭人伝の倭国とは、女王共立に賛成・参加した30か国のこと。 >>679
伊都国に常設されたのは一大率の詰所。
遊牧民じゃないんだからどこかに事務所がいるだろ。
治するんだから、伊都国=女王国の領内。
自女王國以北とは、女王国の領内である伊都国に治する=詰所から、
女王国よりも北の国々を検察していたということ。
刺史本来の姿に近い。 伊都国は大陸からの入国管理を一手に担う貿易港だから倭国にとって非常に重要なクニ。
だから魏の帯方郡のような役所が設置され、魏の刺史のような一大率が検察してるわけ。 >>683
君は読解力が低すぎるのか民族願望が高すぎるのか分からないけれど↓を10回くらい大きい声で音読したら理解できるようになるんじゃないかな。
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1534419766/658 >>681
倭人の住む土地=倭地
倭国王の支配する国=狭義の倭国
九州島=広義の倭国(後には倭国が九州統一したから)
女王国=邪馬台国=卑弥呼時代の倭国連合
伊都国=倭国連合の首都=倭国の旧首都 >>683
魏代の刺史は監督職ではなくなってるから植民地には出向かないよ 倭人の住む土地にあったのは、女王を共立した30国+狗奴国=31国。
この31国以外の列島各地には、倭人ではなく倭種が住んでいた・・、このような定義だな。 >>686
> 倭人の住む土地=倭地
わかる
> 倭国王の支配する国=狭義の倭国
ギリわかる
> 九州島=広義の倭国(後には倭国が九州統一したから)
言いたいことはわからんでもない
> 女王国=邪馬台国=卑弥呼時代の倭国連合
それは君の妄想が強すぎる解釈
> 伊都国=倭国連合の首都=倭国の旧首都
話にならないwww >>688
君のように読解力が低くて妄想が強すぎる輩が相手じゃ議論にならないから反復調教で理解を促す他にない
↓を10回くらい大きい声で音読したら理解できるようになるんじゃないかな。
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1534419766/658 >>687
ちゃんと歴史学として考察すればそういう理解に至れるんだが、糸厨やキナイコシはそれが出来ないから困ってしまう まぁここのスレタイが伊都国東遷スレだから何が何でも伊都国は女王国もしくは女王国の都にしたいんだよ >>691
間違いを指摘されているのに反論しないまま主張し続けても
君がいい加減な話をゴリ押ししていると皆に知れ渡るだけだが。
こっちはそれでいいけどさ。
>>599を見たところ、治するとは、自国領内に役所を置く、という意味のようだ。
女王国が伊都国に一大率を治した(自国領内に庁舎を置いた)のだから、
伊都国は女王国の領内。
よって、
×女王国の北側に一大率を置いて、
〇女王国の北側に対して、一大率を置いて、
が正しい読みとなる。 >>692
魏志倭人伝に詳しく説明されている一大率の仕事内容は、
刺史本来の検察業務そのものであり、
徴税や公共事業などの支配業務は皆無。 >>694
自領と自国を混同する無能は死んで下さい(三度目) >>695
それは君の妄想
三国志をきちんと読めない証拠
記紀ですらまともに読めないんだから歴史を語る資格がないと理解するべき >>694
君のように読解力が低くて妄想が強すぎる輩が相手じゃ議論にならないから反復調教で理解を促す他にない
↓を10回くらい大きい声で音読したら理解できるようになるんじゃないかな。
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1534419766/658 >>695
どの部分が妄想なのか説明してくれないと。
>魏志倭人伝に詳しく説明されている一大率の仕事内容は、
>刺史本来の検察業務そのものであり、
>徴税や公共事業などの支配業務は皆無。 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。皆女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に留まる所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は諸国の一つである)伊都国に役所を常設した。(一大率とは魏の)長官と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國の一つとなる。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であったため、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
結論:
思考を停止させた古田信者や郷土愛に狂う糸クズ、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する諸国の一つであり、女王国にはなりえないのは明白となり、
一大率は伊都国に常設した役所を女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 >>698
間違いを指摘されているのに反論しないまま主張し続けても
君がいい加減な話をゴリ押ししていると皆に知れ渡るだけだが。
こっちはそれでいいけどさ。
>>599を見たところ、治するとは、自国領内に役所を置く、という意味のようだ。
女王国が伊都国に一大率を治した(自国領内に庁舎を置いた)のだから、
伊都国は女王国の領内。
よって、
×女王国の北側に一大率を置いて、
〇女王国の北側に対して、一大率を置いて、
が正しい読みとなる。 >>700
ちょっと書き換えてみた
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。皆女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に留まる所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(帯方郡のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)長官と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國の一つとなる。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であったため、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
結論:
思考を停止させた古田信者や郷土愛に狂う糸クズ、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する諸国の一つであり、女王国にはなりえないのは明白となり、
一大率は伊都国に常設した役所を女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 もし伊都国が女王国に含まれないとするのならば、
例えば邪馬台国=女王国+伊都国+その他の国々として、
邪馬台国女王卑弥呼が、領内である伊都国に、一大率を設置して、
その伊都国は、女王国の北側にあった、とするなら論理的には成り立つかな。
>>700は論理的に破綻してる。
見当しなおしたほうがいい。 >>701
自領と自国を混同する無能は死んで下さい(四度目!) >>703
伊都国は女王国に皆統属してるんだから女王国ではない
伊都国は女王国「領」ではある 簡単な話です。
邪馬台国女王卑弥呼が伊都国に一大率を「治」した以上、
伊都国は邪馬台国に含まれることになる。
>>>599を見たところ、治するとは、自国領内に役所を置く、という意味のようだ。
>女王国が伊都国に一大率を治した(自国領内に庁舎を置いた)のだから、
>伊都国は女王国の領内
女王国=邪馬台国なら、そのまま伊都国は女王国=邪馬台国に内包される。
女王国≠邪馬台国とすれば、邪馬台国の中で、北の伊都国とその南の女王国ということで、
論理的には破綻しないが、
そこだけ解決しても、全体像としてもはやわけわからんくなる。 >>705
伊都国は女王国に皆統属してるんだから女王国である。 >>706-707
君のように読解力が低くて妄想が強すぎる輩が相手じゃ議論にならないから反復調教で理解を促す他にない
↓を10回くらい大きい声で音読したら理解できるようになるんじゃないかな。
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1534419766/658 >>707
自領と自国を混同する無能は死んで下さい(本日五度目!) >>707
伊都国は国王以下全住人が女王国に皆統属してるんだから女王国ではない
伊都国は女王国「領」ではある >>702
良いと思う
バカは現代文に諸国の一つと書かれると発病するみたいだしw じゃこれが最終稿ってことで
> 伊都国についての原文:
> 「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
>
> 伊都国についての書き下し文:
> ”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。皆女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
>
> 伊都国についての現代文:
> 長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に留まる所である。
>
>
> 一大率についての原文:
> 「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
>
> 一大率についての書き下し文:
> ”女王國より以北に一大率を置き特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
>
> 一大率についての現代文:
> 女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(帯方郡のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)長官と同職のようである。
>
> 解説:
> まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
> 女王國に従属している「皆」は爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
> そして、諸國が「畏れている」のは一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國の一つとなる。
>
> また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であったため、
> 伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
>
> 結論:
> 思考を停止させた古田信者や郷土愛に狂う糸クズ、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
> 伊都国は女王国に従属する諸国の一つであり、女王国にはなりえないのは明白となり、
> 一大率は伊都国に常設した役所を女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 >>706
ダメだな。逆ならまだよかった。
女王国=女王の支配する国なんだから、治する以上、伊都国は必ず女王国に含まれる。
むしろ、女王国=邪馬台国+伊都国なら成り立ったのだが。
女王国より北側という表現がある以上、
女王国に内包される伊都国は、自女王國以北には含まれない。 一大率は女王が送る文書や女王が貰う文書や贈り物も開封してチェックするんだぞ。
んなもん、地方の監督官にやらせるかいなw
一大率が伊都国王と一緒に裏切って、金印も財宝も奪われて独立したらどーすんだよw >>714
諸国に恐れられて気を使わせるほどの強面が睨みきかせてるんやぞ
伊都国王も監督官もヒヤヒヤやぞ 一大率は魏代の刺史部に相当
伊都国内に常設された役所は魏代の帯方郡などに相当
刺史部は国内に設置され、帯方郡のような役所は植民地や属国に設置される >>716
矛盾しまくりの文章だね。
伊都国内に常設された役所=一大率の役所なのだから、
伊都国=女王国内 >>717
次からは魏志をちゃんと読解できるように成長してから書き込もうな。 >>599を見たところ、治するとは、自国領内に役所を置く、という意味のようだ。
女王国が伊都国に一大率を治した(自国領内に庁舎を置いた)のだから、
伊都国は女王国の領内。
よって、
×女王国の北側に一大率を置いて、
〇女王国の北側に対して、一大率を置いて、
が正しい読みとなる。 >>719
君のように読解力が低くて妄想が強すぎる輩が相手じゃ議論にならないから反復調教で理解を促す他にない
↓を10回くらい大きい声で音読したら理解できるようになるんじゃないかな。
てか一言一句漏らさずに読めよ・・・
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1534419766/702 自領と自国を区別できない無能の糸クズは死ねってば(6度目!) >>721
で、畿内邪馬台国が伊都国に一大率を設置して監視している、女王国より北側の国々って、だいたいでいいからどこの国々なの? 倭国=日本
女王国=東京
邪馬台国=永田町
伊都国=横浜
一大率=法務省出入国在留管理庁
伊都国内に常設された役所=横浜入管 >>722
畿内邪馬台国なんてこの世界線に存在し得ないから却下 >>724
おやおや、またまた答えられない不都合な質問をしてしまったかなw
>>720
で、その世界における、
伊都国に一大率を設置して監視している、女王国より北側の国々って、だいたいでいいからどこの国々なの? >>725
一大率が設置された伊都国なんてこの世界線に存在し得ないから却下 女王国が設置した役所=一大率
一大率が設置した役所=伊都国内
>>723でだいたい合ってる >>712
>(一大率は)伊都国に(帯方郡のような)役所を常設した。
(帯方郡のような)役所という文言が、魏志倭人伝には見当たらないのだが。 >>599を見たところ、
治する場合の役所は、必ず登場人物が務める役所となっている。
ここで登場するのは一大率だけなので、
一大率が役職名であることがわかるし、
常治伊都國は一大率が役所を置いた場所である。 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。皆女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に留まる所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(帯方郡のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)長官と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國の一つとなる。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であったため、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
結論:
思考を停止させた古田信者や郷土愛に狂う糸クズ、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する諸国の一つであり、女王国にはなりえないのは明白となり、
一大率は伊都国に常設した役所を女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。皆女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に留まる所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)長官と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國の一つとなる。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であったため、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
結論:
思考を停止させた古田信者や郷土愛に狂う糸クズ、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する諸国の一つであり、女王国にはなりえないのは明白となり、
一大率は伊都国に常設した役所を女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 これが一番わかり易い例えじゃないか?
>>723
> 倭国=日本
> 女王国=東京
> 邪馬台国=永田町
> 伊都国=横浜
>
> 一大率=法務省出入国在留管理庁
>
> 伊都国内に常設された役所=横浜入管 >>733
あのー。気持ちはわかるけど。間違ってるんですけど。
>(一大率は)伊都国に(帯方郡のような)役所を常設した。
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
この文章だと、一大率が自分の勤める役所を伊都国に置いていたことが明らかで、
別の部門の役所を置くという意味には解せないので。
別に君が二転三転させて恥かき続けるだけの話だけど。 >>737
そうならないよ。
治の役所はあちこちある役所じゃなくて、本拠地の意味だからね。
一大率=法務省出入国在留管理庁なら、法務省出入国在留管理庁の庁舎が一大率の治所。
横浜入管は治ではなく、また別の表現で書かれることになる。 >>735
三国志を読んでいたら冒しようのない間違いを連発してるね。 >>738
いや一大率が設置されたのは女王国で、一大率が伊都国に帯方郡的な役所を設置して貿易や出入国を検察してたんだよ。
一大率の業務が刺史の如きって魏志に記されている以上、一大率は魏で言うところの刺史部、伊都郡治(←便宜上ね)には刺史のシステム同様に一大率の部下が配置されていたんだろうね。 >>739
違うよ。
魏志を読めば国家公務員と地方公務員の違いが理解できると思うよ。 >>741
>>>599を見たところ、
>治する場合の役所は、必ず登場人物が務める役所となっている。
>ここで登場するのは一大率だけなので、
>一大率が役職名であることがわかるし、
>常治伊都國は一大率が役所を置いた場所である。
これに対する反論は? >>740
君の読んでる三国志はパラレルワールド製だから最寄りの図書館でちゃんとした三国志を読んでみてね。 >>743
君のように読解力が低くて妄想が強すぎる輩が相手じゃ議論にならないから反復調教で理解を促す他にないんだよ?
↓を10回くらい大きい声で音読したら理解できるようになるんじゃないかな。
てか一言一句漏らさずに読もうね。
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1534419766/702 >>744
主語+治+土地名=主語が、自分の勤める役所を、土地名に置いた
の意味だからね。
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
>(一大率は)伊都国に(帯方郡のような)役所を常設した。
明らかな間違い。 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。皆女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に留まる所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)長官と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國の一つと判明する。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であったため、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
結論:
思考を停止させた古田信者や郷土愛に狂う糸クズ、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する諸国の一つであり、女王国にはなりえないのは明白となり、
一大率は伊都国に常設した役所を女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 >>746
そういう朝鮮式民族願望は不要だと何度言えば・・・ >>747
>>744
主語+治+土地名=主語が、自分の勤める役所を、土地名に置いた
の意味だからね。
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
>(一大率は)伊都国に(帯方郡のような)役所を常設した。
これは、明らかな間違い。
正しくは以下の通り。
>(一大率は)伊都国に役所を常設した。 >>739
一大率が刺史と同列と魏人が書いているのだから一大率は「治」ではなく「部」
伊都国内の役所は楽浪郡・帯方郡と同じ「治」 >>753
そういうこと。
思考を停止させた古田信者や郷土愛に狂う糸クズ、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する諸国の一つであり、女王国にはなりえないのは明白となり、
一大率は伊都国に常設した役所を女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 >>752
> 一大率が刺史と同列と魏人が書いているのだから一大率は「治」ではなく「部」
> 伊都国内の役所は楽浪郡・帯方郡と同じ「治」
補足すると、刺史部は魏国内に置かれ、楽浪郡治や帯方郡治といった治は植民地や属国に置かれるもの
女王国属の一大率が治を置いた以上、少なくとも魏は伊都国を女王国の植民地または属国とみなしていた傍証 >>747のは
>(魏の帯方郡のような)役所を常設した。
と書いてるから誤解が生じるのでは?
(魏の帯方郡治のような)役所を常設した。
と書けば誤解は生じにくいかと・・・ 女王国より以北に置かれたのは女王国直属の一大率
魏における刺史部に相当
今で言うなら国家公務員
一大率が伊都国内に常設した役所は魏における(楽浪・帯方)郡治に相当
郡治には刺史から任命された太守とその部下である官吏が務める 女王国より以北に置かれたのは女王国直属の一大率
魏における刺史部に相当
今で言うなら国家公務員
一大率が伊都国内に常設した役所は魏における(楽浪・帯方)郡治に相当
郡治には刺史から任命された太守とその部下である官吏が務める
今で言うなら地方公務員 倭国=日本
女王国=東京
邪馬台国=永田町
伊都国=横浜
一大率(部)=法務省出入国在留管理庁
伊都国内に常設された役所(治)=横浜入管 倭国=日本
女王国=東京
邪馬台国=永田町
伊都国=横浜
一大率(「部」)=法務省出入国在留管理「庁」
伊都国内に常設された役所(「治」)=横浜入国管理「局」 だからいくら屁理屈をこねようが、
主語+治+土地名=主語が、自分の勤める役所を、土地名に置いた
の意味だからね。
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率は伊都国に(一大率の執務する)役所を常設した。
これ以外に訳しようがない。 女王国=邪馬台国=北部九州
伊都国=首都
女王国=邪馬台国を日本に例えるなら、
伊都国は東京で、
一大率=法務省出入国在留管理庁も東京(伊都)にあるし、
一大率の知所=法務省出入国在留管理庁の本庁舎も東京(伊都)にある。 >>763
思考を停止させた古田信者や郷土愛に狂う糸クズ、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する諸国の一つであり、女王国にはなりえないのは明白となり、
一大率は伊都国に常設した役所を女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であり、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
加えて刺史は魏国内の刺史「部」に務め、魏の植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
結論:
思考を停止させた古田信者や郷土愛に狂う糸クズ、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 >>767
>(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。
大丈夫か?どんどん妄想が膨らんでるじゃないか。
その訳は間違ってるぞ。これは忠告だ。 最期のまとめに罵声を入れた長文を二転三転させながら発表し続ける人格w >>760
> 女王国より以北に置かれたのは女王国直属の一大率
> 魏における刺史部に相当
> 今で言うなら国家公務員
>
> 一大率が伊都国内に常設した役所は魏における(楽浪・帯方)郡治に相当
> 郡治には刺史から任命された太守とその部下である官吏が務める
> 今で言うなら地方公務員
>>762
> 倭国=日本
> 女王国=東京
> 邪馬台国=永田町
> 伊都国=横浜
>
> 一大率(「部」)=法務省出入国在留管理「庁」
>
> 伊都国内に常設された役所(「治」)=横浜入国管理「局」
これは分かりやすくて良いんじゃないか? >>768-769
お前レベルにも理解できるように改定し続けてくれてるんじゃないかw
優しさに涙して感謝しなきゃなwww 古代史関連のスレってどこも例外なく一番頭の悪そうなヤツほどこういうこと書きたがるよな
>その訳は間違ってるぞ。これは忠告だ。
何でなんだろう??? >>764
>女王国=邪馬台国=北部九州
>伊都国=首都
>
>一大率=法務省出入国在留管理庁も東京(伊都)にあるし、
邪馬台国が7万戸の領域なのだから、これが正解でしょうな。
伊都には郡使も駐在したとあるし。 >>767
これ岡上だな。
間違いを指摘されてもとぼけて繰り返す辺りが。
上の方で治めるじゃなくて役所を置くが正しいというのは認めてるし。 >>773
思考を停止させた古田信者や郷土愛に狂う糸クズ、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 >>774
岡上って誰のこと?
キナイコシ?糸クズ?古田信者? >>770
そこまで説明されても理解できないから反復調教されてるんだってば(笑) こうこれでFAで良えやん
> 伊都国についての原文:
> 「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
>
> 伊都国についての書き下し文:
> ”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
>
> 伊都国についての現代文:
> 長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
>
>
> 一大率についての原文:
> 「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
>
> 一大率についての書き下し文:
> ”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
>
> 一大率についての現代文:
> 女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
>
> 解説:
> まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
> 女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
> そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
>
> また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であり、
> 伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
> 加えて刺史は魏国内の刺史「部」に務め、魏の植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
>
> 結論:
> 思考を停止させた古田信者や郷土愛に狂う糸クズ、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
> 伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
> 一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 > 女王国より以北に置かれたのは女王国直属の一大率
> 魏における刺史部に相当
> 今で言うなら国家公務員
>
> 一大率が伊都国内に常設した役所は魏における(楽浪・帯方)郡治に相当
> 郡治には刺史から任命された太守とその部下である官吏が務める
> 今で言うなら地方公務員
意味が分からん。
都合よく条件を制限しすぎ。
それが通るなら、州治(魏国内の各州の州庁)かもしれんじゃないか。 一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に対しては、一大率を置き、
(一大率が)特に検察す。
諸國は之れ(一大率)を畏れ憚る。
(一大率は)伊都國に常治す。 ←他の主語は登場していない。
(一大率は)國中に於ける刺史の如く有り。”
どこをどう読んでも、一大率が普段自分の勤める役所を伊都國に置いていたとしか書いていない。 その前に、女王国の定義をはっきりさせろ。
それなしでは、千日手になってしまうぞ。グルグル回りの千日手は、岡上の十八番だからな。
女王国とは:
1.共立前の女王国は、即ち邪馬台国の事・・・行程記事における数か所。
2.共立後の女王国は、30国から成る共立倭国のこと・・・「女王国の東渡海千里」のくだりのみ1か所。 伊都国だけではなく北部九州の国が6つも詳しく記されている。
>>599を眺める限りでは、
女王国が伊都国に一大率のような重要庁舎を設置(治)したのなら、北部九州も女王国領内という理解になる。
さすれば自女王国以北の検察対象とは伊都国よりも北となって、
一大率の記載量からして重要部署だから壱岐対馬狗邪韓国+αだろうということにもなるし
自女王国以北がその領域だとしたらそもそも女王国って九州だけじゃんとなってしまうから
岡上氏が一念発起して長文発表したわけだな。 理解したくない糸クズ達と理解させたい奴らの不毛な争い 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であり、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
加えて刺史は魏国内の刺史「部」に務め、魏の植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
結論:
思考を停止させた古田信者や郷土愛に狂う糸クズ、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 >>783
魏志倭人伝は共立前のことなど何も書いてない。 >>784
>さすれば自女王国以北の検察対象とは伊都国よりも北となって、
>一大率の記載量からして重要部署だから壱岐対馬狗邪韓国+αだろうということにもなるし
>自女王国以北がその領域だとしたらそもそも女王国って九州だけじゃんとなってしまうから
正解 >>787
長年やってるにしては、読みが浅いねえ。
倭人伝中の、共立記事より前は共立前の出来事、共立記事より後が共立後の出来事。簡単至極。 卑弥呼共立前の「女王国」なんて魏志倭人伝に出てこないぞ。
あるのは倭のことだけだ。 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であり、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
加えて刺史は魏国内の刺史「部」に務め、魏の植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
結論:
思考を停止させた古田信者や郷土愛に狂う糸クズ、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 >>790
何をねぼけて・・、女王共立の記事はどのあたりにあるかさえ知らないのか 落だーい生ww >>791
>加えて刺史は魏国内の刺史「部」に務め、魏の植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
岡上氏の妄想はどこまで暴走するのやら。
刺史には、植民地や属国にどうこうする権限などないぞ。
一番最初の治するを間違えた時点で全てがねじ曲がって
それを取り繕うと妄想が暴走して
もう無茶苦茶w 久しぶりに長文発表した岡上氏。
埋もれていた岡上氏の東遷スレも久しぶりに浮上した。
岡上氏が論破されてから大量の畿内説スレがageられて
東遷スレでの敗北を偽装し始めた。
キチスレ連打は岡上氏なのかな? キナイコシの自作自演だろ。
もっと前から連投されていたし、キナイコシと呼びかけたら切れていたぞw >>796
ということは、やっぱり岡上の犯行だったのか 岡上さーん。また負け逃げっすか?
解釈まちがって慌てて何度も変更したけどボロが出まくって、
間違った長文を他スレに張り付けまくって
あげくにキチスレ連打して煙幕張ったからそれもあんたの仕業だと露呈して
日本史板の皆さんに
ごめんなさい、の一言くらいあってしかるべきでは? 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であり、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
加えて刺史は魏国内の刺史「部」に務め、魏の植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
結論:
思考を停止させた古田信者や郷土愛に狂う糸クズ、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 ところで岡上って誰なん?
このスレで初めて目にする名前なんやけど この板にいる主な畿内説支持者
キナイコシ
「スレ主」
岡上
鴨厨
孝霊厨 >>801
このスレのスレ立てが岡上
でもいま糸クズたちが岡上の名前を出したのは>>799に反論する術がないから >>803
他のスレで論破されたからここでだけ息巻いているんだろ? ☆★☆生データ☆★☆
三国志に出てくる「治」は433文字。うち、「治+地名(A)」は24か所。
“Aに役所を置いた”の意味で使われた例 ☆22
"Aを治めた"の意味で使われた例 ★2
☆袁紹因表太祖爲東郡太守治東武陽 袁紹はそこで太祖を兗州東郡の太守に任命することを発表し、東武陽県に役所を置かせた
☆紹歎其能徙爲東郡太守治東武陽 袁紹は臧洪の能力に驚嘆し、東郡の太守に転任させ、東武陽県に政庁を置かせた
☆郡所治廣武 郡の庁舎が所在する廣武
☆治廣ィ如舊 (閻柔に)元からの如く廣ィ(上谷郡の寧城)で執務させた
☆辰王治月支國 辰王は月支國で政務を執っている。(魏志韓伝)
☆焉徙治綿竹 劉焉は綿竹県に役所を移した
☆焉徙治成都 劉焉は成都に役所を移した
☆羣下推先主爲荊州牧治公安 臣下は先主を荊州の牧に推し立てて、公安県(を州都として)で執務することにした
☆治成都 (先主は)成都に役所を移した
☆先主爲漢中王遷治成都 先主は漢中王になると、成都に役所を移した
☆移治味縣 (馬忠は)役所を味県に移した
☆州舊治壽春 揚州の役所は古くから壽春に置かれていた
☆繇乃渡江治曲阿 劉繇は長江を渡って曲阿に役所を定めた
☆權徙治秣陵 孫権は役所を秣陵に移した
☆以慈爲建昌都尉治海昬 太史慈を建昌の都尉(6県を統治)に任命して、海昬県に役所を置かせた
☆劉備以左將軍領荊州牧治公安 劉備は左将軍となって荊州牧の任務を行い、公安にその役所を置いた。
☆以普爲吳郡都尉治錢唐 程普を呉郡の都尉に任命し、銭唐に役所をおいて執務させた
☆領江夏太守治沙羨 江夏の太守になって、沙羨に役所を置いた
☆領丹楊太守治建業 (呂範を)丹楊の太守にして、建業に役所を置かせた
☆拜抗都督信陵西陵夷道樂鄉公安諸軍事治樂鄉 陸抗は都督となって、信陵・西陵・夷道・樂鄉・公安の軍事担当となり、樂鄉に役所を置いた
☆假節開府治半州 政府を開設させて、その役所は半州に置かせた
☆爲吳興郡治烏程 呉興郡を新設して、烏程に役所を置いた
★使司隸校尉留治関中 司隸校尉に関中を留守統治させる
★司隸校尉治弘農 司隸校尉に弘農郡を治めさせた 「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
女王国より北の国々に対しては、一人の大率を特設して検察している。
北の国々は大率を畏れ憚っている。
大率の役所は伊都国に常設してある。
中国本土における刺史のような「検察官の役目」を果たしている。
・里程部分で既に地方官の説明がなされている
・自女王國以北とあるので、女王国よりはもっと北の諸国に焦点がある
・大率の業務についての説明は検察官のものだけ
・三国志では「治+場所」はその場所に役所を構えるという意味が多い
女王国=邪馬台国の首都である伊都に、
邪馬台国政庁(国会議事堂:女王卑弥呼や大臣達)
伊都国都庁(都庁:都知事爾支と部下たち)
大率執務室(検察庁:検察官大率→北方諸国巡回でほとんど伊都にはいないが)
などなどの重要官庁が集中していた。
刺史は本来は領地を持たないただの「検察官」であり、
首都から派遣されて各国を巡回し、年に1回首都に戻って報告していた。
大率の職務も同じ検察官。
中国大陸は広いので、報告するに刺史本人でなく使者を立てるようになり、
本来の地方官と居座った刺史の二重権力を解消するために、結局は刺史や牧が地方官になった。
邪馬台国とその北の諸国であれば、対馬海峡を行き来するだけだから(水行10日)、
大率は伊都国に執務室を構えて、そこから各国へ行き来して検察していただけ。 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であり、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
加えて刺史は魏国内の刺史「部」に務め、魏の植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
結論:
岡上を筆頭に思考を停止させた古田信者や郷土愛に狂う糸クズ、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 岡上
邪馬台国関連スレに出没する狂人のひとり
考古学界では全く賛同者がいない説を「考古学的に確定している」と主張し、ありもしない大規模調査をでっち上げ、
学界の多数派である邪馬台国畿内説を破綻したと主張する、ゴッドハンドも真っ青の捏造常習犯である
自分は正しく、これまでの研究者がみんな間違っていた、などと平気で主張する、典型的「六拾弐病」患者
コテ+トリと、コテの九州王、伊都国女王、卑弥呼、名無しを使い分け、自説を関連スレで書き込みまくる
糸クズ、八咫バカ、連続句読点キチともよばれる
「咫」の説明である「周尺」を「円周の尺」と読み、
伊都国を女王国であると漢文の用例を無視して誤読し、
平原遺跡出土鏡の文様には八咫烏があると現物を知らないで主張し、
魏志倭人伝中の「下戸」を「酒が飲めない人」と訳すなど、
お笑いエピソードには事欠かない
偽スレや妄想スレを立て続ける異常性に気がついていないのは本人だけ
未確定な事項であっても、自分に都合がよければ勝手に確定事項であると脳内変換し、
それを根拠として立論してしまうチェリーピッカー
日本史の方法論をまるで理解していない、自分偉い教の教祖である 岡上と糸クズってのは同一人物なのか?
糸クズと糸チョンも同一人物? ヒントもなにもない、
相手にされていないだけなんだけど。
頭が悪いんだろう? それと、なぜ知っている人がいるんだと思う?
漫画やアニメ、ゲーム(・・・創作関係)など、ほとんど家の老婆談と同じなんだけど。
いまでいう引っ越しなどをしたんだろう、
なぜか東北地方の話。 それと、お前の名前は?
どうせ聞いたこともないような人物(馬の骨)なんだろうけど。 『2ch 偉人 ダレソレ』
なぜか、ほとんど老婆談(あと、もれwの書き込み)と同じ。 「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
>>808
岡上氏の悲しい一日
「治」を誤読して、>常に伊都国を治むる と大々的に多スレ発表
>(一大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を治めている。
↓
「治」は支配する、じゃなくて、役所を置く、の意味だと指摘される。
↓
さらに勘違いして、
>(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。
と世紀の珍訳w
↓
「A治B」はAが何でもいいから役所をBに設置した、じゃなくって、
AがA自身が働く庁舎をAの自領であるBに設置した、の意味だぞと指摘される。
↓
癇癪をおこして、多スレにキチスレage連打
岡上氏は考えるのをやめた・・・
粋ってた当初の岡上氏
>伊都国に関する魏志倭人伝の解釈は↓で正解だよ
>反論したけりゃ明確な根拠を示さねばならない
>ほら、九州説がまったく反論できなくなった
>早いわー
これぞ国宝級のなんとやら 家は『王母』〜?と書いてある人物がいるでしょ、
その家と同じなんだけど、傾いた松の木。
むかーしの中国の人なのでは?という話をしている人もいるし、
それとも何やら山から来た人物? 以前から書いているはずなんだけど、
お前の名前はw >>812
呟きが出ないと指摘された途端に
呟き登場 謎の日本の文学、芸能なども同じ、
どこからか拾ってきたような作品(話)ばかりだし、時空設定? http://iup.2ch-library.com/i/i020651966915874611296
家の写真があるでしょ、松傾?
あやめ、そういう類の植物も植えてあったり。
葱の華など〜の写真も家のなんだけど。 もう、ないんだけど菖蒲?あやめ?
すとーかーがいるのかな? むかーしの芸能などがるでしょ?
そういう芸能関係の話もしていたり、・・・おかしな話ばかり。
ほとんど老婆談なんだけど。 とある都市伝説?のようなものがあるんだけど、
どこそこに某という人物がいて・・・、凄い強いとか、
チンピラのような集団も数秒?
普段は、おとなしくてw 趣味?何なんだろう、
そういう、花とか植物が好きなのw
漫画などのキャラ? 「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
>>808
キナイコシの悲しい一日
「治」を誤読して、>常に伊都国を治むる と大々的に多スレ発表
>(一大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を治めている。
↓
「治」は支配する、じゃなくて、役所を置く、の意味だと指摘される。
↓
さらに勘違いして、
>(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。
と世紀の珍訳w
↓
「A治B」はAが何でもいいから役所をBに設置した、じゃなくって、
AがA自身が働く庁舎をAの自領であるBに設置した、の意味だぞと指摘される。
↓
癇癪をおこして、多スレにキチスレage連打
キナイコシは考えるのをやめた・・・
粋ってた当初のキナイコシ
>伊都国に関する魏志倭人伝の解釈は↓で正解だよ
>反論したけりゃ明確な根拠を示さねばならない
>ほら、九州説がまったく反論できなくなった
>早いわー
これぞ国宝級のなんとやら あの日本昔話なども、ほとんど同じような?
『事代主』
このようなものを祀っていた話。 『日本昔ばなし 風呂屋の福の神』
9:30〜、あの曲の話でしょw突如、話し出した? 日本昔話などがあるでしょ、1975年〜?開始。
傾いた松の木の写真は、確実に1975年よりも前のもの。
竹の長い竿〜? >>552 >>559 で 「糸チョン」などいう差別的発言を恥と思わないレスをしたキナイコシ
「(大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を監視している。 」 ドヤッ!
しかし >>613 では、しれっと伊都国説論者の指摘通りに修正wwww
「常に(諸国の一つである)伊都国に役所を置いた。」
状況としては、漢文が読めない、差別主義者が騒いでいるだけというのが適当だな それとも、あのメタリカの曲?
『すがの湯山主』
なぜか、ほとんど同じ。 Metallica『Enter Sandman』
youtubeでも何でも良いから観てみた?おかしな話ばかり。 老婆談w
むかーし、どこかの城に行っていたとは言っているんだけど、
〜〜〜〜〜〜〜どこの学校を出てたとかは聞いたことがない。
ホンモノなんだろう? それとも他のスレの話なのかなw
オマイ(?)の好きな系統は、このような系統でしょ?
hide『DICE』 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であり、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
加えて刺史は魏国内の刺史「部」に務め、魏の植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
結論:
郷土愛に狂う岡上を筆頭に思考を停止させた古田信者や、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 ダレソレ、ダレソレ、ダレソレと言っているし。w
『2ch 偉人 ダレソレ』 >>838
まだ首を吊って死んでなかったのかよ松傾 説明不要
『日本昔話 天狗の羽うちわ』
むかーしの渡来人?日本人ではないんだろう? >柳田康雄 「 弥生王権論 伊都国からヤマト国へ」 2016年
http://www.city.itoshima.lg.jp/m043/010/040/070/030/kankotosyo.html
糸島が糸国だー、と言っていたのではいつまでたっても解けぬ。
末盧国の北東がなんで伊都国になるものか、倭人伝を捻じ曲げて保身を計る伊都国博物館一族。 「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
>>837
岡上氏の悲しい一日
「治」を誤読して、>常に伊都国を治むる と大々的に多スレ発表
>(一大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を治めている。
↓
「治」は支配する、じゃなくて、役所を置く、の意味だと指摘される。
↓
さらに勘違いして、
>(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。
と世紀の珍訳w
↓
「A治B」はAが何でもいいから役所をBに設置した、じゃなくって、
AがA自身が働く庁舎をAの自領であるBに設置した、の意味だぞと指摘される。
↓
癇癪をおこして、多スレにキチスレage連打
岡上氏は考えるのをやめた・・・
粋ってた当初の岡上氏
>伊都国に関する魏志倭人伝の解釈は↓で正解だよ
>反論したけりゃ明確な根拠を示さねばならない
>ほら、九州説がまったく反論できなくなった
>早いわー
これぞ国宝級のなんとやら 倭人伝は、末盧国の東南に「伊都国」があった、といっている。
なのに、なぜ北東の糸島ごときが「伊都国」なのか、柳田は倭人伝を自分勝手に解釈変更するな。考古学会のアベ流儀。 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であり、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
加えて刺史は魏国内の刺史「部」に務め、魏の植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
結論:
郷土愛に狂う岡上を筆頭に思考を停止させた古田信者や、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 >>844
おや?ひょっとしてキナイコシにカン違いさせてしまったか?
つか、キナイコシは原文を全然読まずに反応してるだろこれ。
>>847
>☆袁紹因表太祖爲東郡太守治東武陽 袁紹はそこで太祖を兗州東郡の太守に任命することを発表し、東武陽県に役所を置かせた
これは意訳だぞ。
袁紹が太祖に任命したという流れだから、使役形でまとめてあるだけだ。
直訳ならば、
>袁紹はそこで太祖を兗州東郡の太守に任命することを発表し、
>(兗州東郡の太守に任じられた)(太祖は)東武陽県に役所を置かせた。
となる。
袁紹因表太祖爲東郡太守 治東武陽
自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史
並べたらよくわかるが、
女王国が一大率を設置して、一大率が女王国中心の伊都国に(一大率の勤める)役所を置く。
袁紹が太祖を任命して、太祖が兗州東郡中心の東武陽県に(太祖の勤める)役所を置く。
帯方郡治などのキナイコシの個人的願望妄想が突然入る余地は無い。
あと、それくらいお前も自分で調べろよだが、治で置く役所は、自分の管轄内の中心地。
だから伊都はほぼほぼ女王国の首都。 ↓直訳に直しておく。
こうやってみると
役所を置く意味で書かれたものは、主語が自分でやっているが、
治めるで書かれたものは、使役系なのだな。
しかも司隸校尉だからこれは統治という意味ではなく、
治安を守らせたとかの意味かもしれんな。
2つしかないからなんとも言えんが。 ☆★☆生データ☆★☆
三国志に出てくる「治」は433文字。うち、「治+地名(A)」は24か所。
“Aに役所を置いた”の意味で使われた例 ☆22
"Aを治めた"の意味で使われた例 ★2
☆袁紹因表太祖爲東郡太守治東武陽 袁紹は太祖を兗州東郡の太守に任命すると発表し、太祖は東武陽県に役所を置いた
☆徙爲東郡太守治東武陽 (臧洪を)東郡の太守に転任させ、臧洪は東武陽県に政庁を置いた
☆郡所治廣武 郡の庁舎が所在する廣武
☆治廣ィ如舊 (閻柔は)元からの如く廣ィ(上谷郡の寧城)で執務した
☆辰王治月支國 辰王は月支國で政務を執っている。(魏志韓伝)
☆焉徙治綿竹 劉焉は綿竹県に役所を移した
☆焉徙治成都 劉焉は成都に役所を移した
☆羣下推先主爲荊州牧治公安 臣下が先主を荊州の牧に推し立てたので、先主は公安県に役所を置いた
☆治成都 (先主は)成都に役所を移した
☆先主爲漢中王遷治成都 先主は漢中王になると、成都に役所を移した
☆移治味縣 (馬忠は)役所を味県に移した
☆州舊治壽春 揚州の役所は古くから壽春に置かれていた
☆繇乃渡江治曲阿 劉繇は長江を渡って曲阿に役所を定めた
☆權徙治秣陵 孫権は役所を秣陵に移した
☆以慈爲建昌都尉治海昬 太史慈を建昌の都尉(6県)に任命して、太史慈は海昬県に役所を置いた
☆劉備以左將軍領荊州牧治公安 劉備は左将軍となって荊州牧の任務を行い、公安にその役所を置いた。
☆以普爲吳郡都尉治錢唐 孫策が程普を呉郡の都尉に任命したので、程普は銭唐に役所をおいた
☆領江夏太守治沙羨 江夏の太守になって、沙羨に役所を置いた
☆領丹楊太守治建業 (呂範を)丹楊の太守にして、呂範は建業に役所を置いた
☆拜抗都督信陵西陵夷道樂鄉公安諸軍事治樂鄉 陸抗は都督となって、信陵・西陵・夷道・樂鄉・公安の軍事担当となり、樂鄉に役所を置いた
☆假節開府治半州 (孫慮に)政府を開設させて、孫慮は役所を半州に置いた
☆爲吳興郡治烏程 呉興郡を新設して、烏程に役所を置いた
★使司隸校尉留治関中 司隸校尉に関中を留守統治させる
★司隸校尉治弘農 司隸校尉に弘農郡を治めさせた 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であり、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
加えて刺史は魏国内の刺史「部」に務め、魏の植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
結論:
郷土愛に狂う岡上を筆頭に思考を停止させた古田信者や、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 倭人伝は、末盧国の東南に「伊都国」があったといっている。
なのに、なぜ北東の糸島ごときが「伊都国」なのか、柳田は倭人伝を自分勝手に解釈変更するな。考古学会のアベノコミックス。 考古学的にも3〜4世紀に栄えた糸島市が邪馬台国の中心地でいいだろう。 .
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
. 現代の町おこし考古学より、
倭人伝という3世紀の「最重要証拠書類」のほうがはるかに優先順位が高い。 >>850
>考古学的にも3〜4世紀に栄えた糸島市が邪馬台国の中心地でいいだろう。
衰えてるよ >>850
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であり、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
加えて刺史は魏国内の刺史「部」に務め、魏の植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
結論:
郷土愛に狂う岡上を筆頭に思考を停止させた古田信者や、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 >>853
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であり、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
加えて刺史は魏国内の刺史「部」に務め、魏の植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
結論:
郷土愛に狂う岡上を筆頭に思考を停止させた古田信者や、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 キナイコシが考古学を無視して勝手なことをほざいても、誰も信じない。 >>857
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であり、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
加えて刺史は魏国内の刺史「部」に務め、魏の植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
結論:
郷土愛に狂う岡上を筆頭に思考を停止させた古田信者や、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 >>857
郷土愛に狂う岡上を筆頭に思考を停止させた古田信者や、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。
郷土愛に狂う岡上を筆頭に思考を停止させた古田信者や、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 >>859
漢文が読めないアホは黙っていた方がいいと思います。 天津国
記紀の国生み神話で、イザナギが矛を使って最初に得た領土である淤能碁呂島は、銅矛文化圏の中心である博多湾にある能古島のことである。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国土のうち、天の冠詞がつく隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国(海の国)の本来の領域である。
これは倭は博多湾沿岸を都として対馬海峡に広がるという後漢書の記事とよく対応している。
天津神(天皇家の祖先)が治める天津国すなわち倭国は対馬海峡にあり、王都は後漢書では倭奴国、記紀では筑紫の日向、すなわち博多湾沿岸とされている。
倭国女王であった卑弥呼の王城も筑紫に求める他ない。 >>860
郷土愛に狂う岡上なる糸クズを筆頭に、思考を停止させた古田信者や
在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり
女王国には成り得ないのは明白
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する
女王国の長官であることに疑念の余地はない。 >>861
その通り。
歴史学においても、考古学においても伊都国が女王国である可能性は皆無。 >在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも
>伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり
>女王国には成り得ないのは明白
畿内説はそう主張してるんだけど
九州説はどうして発狂するの? もともと「伊都国が女王国ニダ〜」なんて言ってるのは古田史観に毒された岡上こと糸クズか朝鮮捏造史観に冒されたキナイコシくらいだろ。
平原古墳があるから考古学的見地では女王の出生地の可能性は完全には否定できないってだけで。 >>864
九州説派だって伊都国=女王国だなんて思ってる奴はいない
自分を含め、九州派のほとんどが筑後平野と考えてる >>865
ありゃりゃ卑弥呼の墓だって言っちゃってるよこの人 >>867
考古学的には女王に関わる人物ってことになっとるやろ >>869
それはお前だけの願望であって事実ではないだろ(笑) 「なっとるやろ」がお前だけの願望であって事実ではないだけのこと 平原古墳群に関しては発掘責任者の原田でさえ被葬者は女王ではあるが卑弥呼ではないと断言してるくらいだからな。 ↑
原田は皇室史観から考古学を始めた人物だから支那史書にしか現れない人物には興味を一切示さなかったらしいな なってないニダ
彡 ⌒ ミ
〈 ´・ω・〉 ∧_∧
/ \ ( ) はぁ?てめえウンコ食い過ぎじゃね?
.__| |>>870| |_ / ヽ
||\. ∧_∧ (⌒\__./ ./
||. ( ) ~\_____ノ| ∧_∧
/ ヽ ガイジきめぇ \| ( ) 朝鮮に帰れよクソゴミカス すげぇパワーワードだな・・・
> 古田史観に毒された岡上こと糸クズ
> 朝鮮捏造史観に冒されたキナイコシ >>876
罵るだけでまったく論じられないのが
九州説の特徴だな >>877
> 朝鮮捏造史観に冒されたキナイコシ
とか言ってる時点で畿内説じゃないことが明らか キナチョン退散〜っ
バサッー バサッ
◇ ミ ◇
◇◇ / ̄| ◇◇
◇◇ \ |__| ◇◇
彡 O(,,゚Д゚) / 祓イ給エ清メ給エ〜
( P `O
/彡#_|ミ\
</」_|凵_ゝ >>881
自分の主張をまったく語れない九州説が、悲惨 >>884
三笠宮崇仁親王に贈った自著といえば分かるよな? 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であり、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
加えて刺史は魏国内の刺史「部」に務め、魏の植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
結論:
郷土愛に狂う岡上を筆頭に思考を停止させた古田信者や、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 ☆★☆生データ☆★☆
三国志に出てくる「治」は433文字。「治+地名」は24か所。
うち22例にて、"設置者(A)+治+地名(B)"は、
「Aが自らの役所を(Aの管轄域の中心地である)Bに設置した」の意味。
☆袁紹因表太祖爲東郡太守治東武陽 袁紹は太祖を兗州東郡の太守にすると発表し、太祖は東武陽県に役所を置いた
☆徙爲東郡太守治東武陽 (臧洪を)東郡の太守に転任させ、臧洪は東武陽県に政庁を置いた
☆郡所治廣武 郡の庁舎が所在する廣武
☆治廣ィ如舊 (閻柔は)元からの如く廣ィ(上谷郡の寧城)で執務した
☆辰王治月支國 辰王は月支國で政務を執っている(魏志韓伝)
☆焉徙治綿竹 劉焉は綿竹県に役所を移した
☆焉徙治成都 劉焉は成都に役所を移した
☆羣下推先主爲荊州牧治公安 臣下が先主を荊州の牧に推し立てたので、先主は公安県に役所を置いた
☆治成都 (先主は)成都に役所を置いた
☆先主爲漢中王遷治成都 先主は漢中王になると、成都に役所を移した
☆移治味縣 (馬忠は)役所を味県に移した
☆州舊治壽春 揚州の役所は古くから壽春に置かれていた
☆繇乃渡江治曲阿 劉繇は長江を渡って曲阿に役所を定めた
☆權徙治秣陵 孫権は役所を秣陵に移した
☆以慈爲建昌都尉治海昬 太史慈を建昌(6県)の都尉に任命して、太史慈は海昬県に役所を置いた
☆劉備以左將軍領荊州牧治公安 劉備は左将軍となって荊州牧を拝領し、公安に役所を置いた
☆以普爲吳郡都尉治錢唐 孫策が程普を呉郡の都尉に任命したので、程普は銭唐に役所をおいた
☆領江夏太守治沙羨 江夏の太守になって、沙羨に役所を置いた
☆領丹楊太守治建業 (呂範を)丹楊の太守にして、呂範は建業に役所を置いた
☆拜抗都督信陵西陵夷道樂鄉公安諸軍事治樂鄉 陸抗は都督となって、信陵・西陵・夷道・樂鄉・公安の軍事担当となり、樂鄉に役所を置いた
☆假節開府治半州 (孫慮に)政府を開設させて、孫慮は役所を半州に置いた
☆爲吳興郡治烏程 呉興郡を新設して、烏程に役所を置いた
★使司隸校尉留治関中 司隸校尉に関中を留守統治させる
★司隸校尉治弘農 司隸校尉に弘農郡を治めさせた >(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。
詐欺が摘発されたwww
889こーれは悔しいw >>865
>平原古墳があるから考古学的見地では女王の出生地の可能性は完全には否定できないってだけで。
平原は出生地ではなく墓だろ。
出生地が筑後で墓が平原なんだよ。
それまで倭王は伝統的に伊都に王墓を作っていたからね。
壹與からあとは祇園山あたりかもしれないが。 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であり、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
加えて刺史は魏国内の刺史「部」に務め、魏の植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
結論:
郷土愛に狂う岡上を筆頭に思考を停止させた古田信者や、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 原田が皇国史観とか、読みが浅いどころか、日本語読めないレベル 史料も考古学も完全無視したこんな説が存在するのは、どう考えてもおかしい 原田は国粋主義者
なんせ、中世のお殿様の流れだからな 糸島・高祖山城(原田城)
形態
山城(416m/380m)
歴史
建長元年(1249年)に原田種継によって築かれた。 高祖山城は怡土城の一部を利用して築かれている。
原田氏の祖は古処山城秋月氏と同じく藤原純友の乱で名を馳せた大蔵春実であり、大蔵氏は漢の高祖の子孫で阿知使主の末裔と伝わる。 福岡県の高祖山の最高峰は高地山。
古くは別名をクシフル山とも言ったとのこと。
クシフルとは、チクシのフル(村落、国邑)の意味だそうだ。
九州では、国邑の名前としてフル、ハラ、バルなどを用いる。
高祖山を夏至の日の出の方向に臨む弥生王墓である三雲南小路遺跡は随伴する細石神社の祭神が天孫ニニギの妃である木花咲耶姫であるが、三雲遺跡そのものは男女のペアであり、ニニギと木花咲耶姫かもしれない。
ニニギは筑紫の日向に降臨してからクシフル山の高千穂宮で即位したと伝えられ、後世の怡土城、高祖城に相当する高祖山の山城がそれであろう。
現在では高祖神社(高祖宮)として糸島平野を見下ろしている。
三雲遺跡は璧や内行花文鏡などが副葬された倭王の墓であり、細石神社は江戸時代まで漢委奴国王印を保管していたという。
つまり伊都は倭王ニニギの王都、筑紫の日向であった。
筑紫とは、そもそも伊都のある高千穂の日向峠周辺や博多湾沿岸のことを指す言葉であったようである。
それが勢力を拡大し、博多湾沿岸のみならず、有明海沿岸や遠賀川沿岸まで筑後や筑豊として筑紫に組み入れていくのである。
倭国は筑紫と豊国、肥国の連合国家、いわゆる邪馬台国連合であったが、次第に筑紫の一強となっていく。
後には九州全体を筑紫嶋と呼ぶ向きもあるが、これははるか後世において、筑紫から離れた畿内から見た、大変大雑把な呼称である。 13世紀の原田城主に引っ張られて、3世紀のイト国を持ち上げる忖度博物館員ww
おい、千年違うんだぞ。 郷土愛に狂う岡上を筆頭に思考を停止させた古田信者や、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。
根拠
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
解説
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であり、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
加えて刺史は魏国内の刺史「部」に務め、魏の植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。 >>901
ふむふむ。
女王国は伊都国とその周囲の南になるから、
邪馬台国は吉野ヶ里を中心とする地域だな。
やはりそうだったか。 .
◆中国の釜
中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/釜
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww
http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E6%B1%9F+%E9%AC%B2&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa
アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww
http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&aq=-1&oq=&ei=UTF-8
. 糸島が糸国だーと叫んでみたところで、迷路は迷路。
末盧国の北東の糸島が「伊都国」になるわきゃないのに、倭人伝を捻じ曲げてまで保身を計るイトコク博物館互助会。 真正の「伊都国」は、末盧国の東南にあった。
そして其の東百里が吉野ヶ里。 >>905
ってことは伊都国は吉野ケ里の西百里、つまり佐賀市なのか?! >>906
その通りだ。
倭人伝の記す通りに進めば、現在の佐賀市のどこかだ。 >>908
川上じいを覚えていてくれたか。ありがたいことだ。
だが、オレは自演はしない。そのような姑息なことは、陳寿様ほか三国志に関わった多くの歴史上の人物に対して失礼だからな。 >>910
>>901の解読・解釈で良いと思うよ、
但し、>>901は伊都国の所在場所には触れていない。
だから、倭人伝の記述通りに末盧国から東南へ進めば、それで万事解決なんじゃないの。 女王国の北側が伊都国と隣接してる
伊都国は末盧国の東南
筑後平野しか有り得んやん 西日本新聞 2020・5・19
吉野ケ里インパクト 〜史跡指定30年〜(連載1)
「邪馬台国時代のクニ」として大ブームを巻き起こした吉野ケ里遺跡(佐賀県神埼市、吉野ケ里町)は19日、
1990年に国史跡に指定されてから30年を迎えた。
91年には特別史跡に格上げされ、教科書でも紹介される遺跡となった。
当初の工業団地造成計画から一転、国営、県立公園として丸ごと残った国内最大級の弥生の環壕(かんごう)集落が、
全国に与えたインパクトは想像を超えるものだった。
その功績と、積み残された課題を探る。 (古賀英毅が担当します) 九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、 そのなかでも分かりやすいのが、
九州には自慢できる温泉が腐るほどあるのに、九州に在る温泉への天皇行幸が明治天皇行幸まで一切無いこと。
なんで九州各地の風土記に天皇の行幸記事が無いのだろうか?
九州に倭王権があれば、有り得ない話である。 @阿波 吉野ヶ里は2世紀の砦村で、
その国邑は東南接の上峰町(旧三根=彌根)に、また其の墳墓は東接の目達原にあった、これ則ち倭人伝の記す不彌国也。 九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、 そのなかでも分かりやすいのが、
九州には自慢できる温泉が腐るほどあるのに、九州に在る温泉への天皇行幸が明治天皇行幸まで一切無いこと。
なんで九州各地の風土記に天皇の行幸記事が無いのだろうか?
九州に倭王権があれば、有り得ない話である。 @阿波 >>920
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンはさっさと首を吊れって(笑) >>922
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンはさっさと首を吊れって(笑) 吉野ヶ里は女王国の衛星都市の一つじゃないかな。
糸島から遠すぎる。
大宰府が邪馬台国の後継の倭国王都だったのだろう。 >>925
そこそこ距離があるから一大率に検察させていたとも考えられる
まずは伊都国を貿易入管基地だと正確に認識しないと雑音や憶測が入りすぎる >>926
里程と日程を並記と考えるなら、水行十日で伊都国一大率。
そこから陸行一月で筑後でいいんだよね。
日程はあくまで実際にかかった時間だから、間の各傍国でそれぞれ接待やら受けながら移動したら筑後の邪馬台国まで一月くらいかかってもおかしくない。 大陸からの行きと帰りのルートは異なる。
伊都国(直方)は大陸との往路と復路の分岐点である。
だから、大陸出入りを監視出来る立地(内陸)の直方辺りに一大率(筑紫忌部)が置かれた。
伊都国は一大率(筑紫忌部)が大陸出入りを監視するための言わば、「出入国管理局」。 @阿波 >>928
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンはさっさと首を吊れって(笑) >>929
>思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンはさっさと首を吊れって(笑)
これを無視せざるを得ない九州説。 哀れ! わははははは @阿波
↓
九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、 そのなかでも分かりやすいのが、
九州には自慢できる温泉が腐るほどあるのに、九州に在る温泉への天皇行幸が明治天皇行幸まで一切無いこと。
なんで九州各地の風土記に天皇の行幸記事が無いのだろうか?
九州に倭王権があれば、有り得ない話である。 >>930
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンはさっさと首を吊れって(笑) >>931
逃げ回らずに、答えてみ、ヘタレ君! みっともないよ。 わははははは @阿波 >>932
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンはさっさと首を吊れって(笑) >>934
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンはさっさと首を吊れって(笑) .
(8)蒸して食べる
7000年前 中国に起源
最近、タジン鍋やシリコンスチーマーといった、油を使わずに調理できる蒸し調理器具が話題になっています。
モノを蒸す調理法は、形を崩さずに素材の持つ美味しさをそのまま生かせるだけではなく、お酒やお茶を
作る際にも欠かせない調理法です。
この「蒸し調理」、実は東アジアで発達した調理方法なのです。
蒸し調理の起源は、今から6000〜7000年前の中国新石器時代にまで遡り、黄河流域の遺跡から、
粘土で作った蒸し器がわずかながら発見されています。それ以前は、ゆでる、煮る、焼くといった調理法が
基本だったと考えられています。
日本へは中国東北地方、朝鮮半島を経由してこの調理法が伝わりました。最初に蒸し調理が行われたのは
3世紀頃の北部九州。福岡市の西新町遺跡から土製蒸し器が出土しています。実に4000年余りの時を経て、
ようやく日本にまで到達したことになります。
しかし、この後、日本では蒸し調理は廃れ、全国的な普及はそれから数百年後のことでした。
今では日本料理とは切っても切れない蒸し料理。普段、何気なく接している蒸し料理にも、
数千年にわたる人々の営みが隠されているのです。 http://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2014/04/tanken08.html
◆7000年前の江南の河姆渡遺跡の竈(=火へんに土)と釜と甑
http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html
. .
7000年前から中国では炊飯するのに、釜と竈(=火へんに土)のセットで炊く、
鼎で炊く、さらに甑を釜にセットして蒸し上げる、という3種類の炊飯方法があった。
ところが縄文末に渡来した、いわゆる弥生人は渡来時に釜も竈も鼎も甑も何一つ伝えなかった。
弥生人は弥生末の3Cに甑が半島から伝わるまで甑で蒸し上げて炊飯する事を知らなかったのだ。
中国には7000年前からある甑で蒸し上げて炊飯する方法を弥生末の3Cまで知らなかったのだ。
同じく中国には7000年前からある竈も釜もそれまで知らなかった。
弥生人が中国からなんて2兆%あり得ないね。
. >>939
古代倭王が、九州に居たら、絶対湯治に行くよね。 九州の風土記や万葉集などにも書くよね。
九州に居なかったから書こうにも書けないよね。 わははははは @阿波 938、939←中国から来た来た詐欺のサギー華南ブタチックボルネオチックセロイピーノwwww 西日本新聞:2020・5・20
吉野ケ里インパクト 〜史跡指定30年(連載2)
全国の遺跡を見て回ったが、専門家の注目度が極めて高い「唐古・鍵」(奈良県)などでもほとんど見学者の人影はなかった。
ほぼ唯一の例外が吉野ケ里だった。吉野ケ里は「歴史ロマンの見える化」に取り組んでいた。。
92年の見学者は100万人を超え、累計600万人に達していた。
弥生集落跡の“老舗”「登呂」(静岡市)が年間20万人程度だったことと比べると、爆発的な勢いだった。
■ ■
発掘責任者の高島忠平(80)は「盛り上がっている時に本物を見せなければいけない」と主張し、
調査を続けながら物見櫓(やぐら)や竪穴住居を再現した。その分かりやすさが見学者に好評だったのである。 >>943
>吉野ケ里インパクト 〜史跡指定30年(連載2)
そうか、佐賀県も30年前の一発芸で終わったんだね。 @阿波 吉野ヶ里は、2世紀の戦闘砦村であり、
其の国邑は南接の上峰町(旧三根=彌根)に、また其の墳墓群は東接の目達原にあった。此れ則ち倭人伝の「不彌国」である。
なおこの「不彌国」は末盧国から陸行600余里であるから、西へ100余里戻った佐賀市内に、真正の「伊都国」があったことになる。 >>943
>吉野ケ里インパクト 〜史跡指定30年(連載2)
そうか、佐賀県も30年前の一発芸で終わったんだね。
吉野ケ里遺跡だけでは致し方なし! @阿波 二発目は、佐賀市内に眠っている真正「伊都国」の発掘着手だ。
うるさい@阿波も、アワ食って逃げ出すことだろう(笑) >>944
泡チョンコはクセーから自スレに閉じ篭もって出てくるな!マヌケ >>946
泡チョンコはクセーから自スレに閉じ篭もって出てくるな!マヌケ >>947
>二発目は、佐賀市内に眠っている真正「伊都国」の発掘着手だ。
佐賀は徳島より、発掘先進県なんだろ? 吉野ケ里から30年でこの有様では、ちょっと厳しいね。
>うるさい@阿波も、アワ食って逃げ出すことだろう(笑)
うるさい@阿波があるのは、バックに「阿波の真実」が付いているからなんだよ。 わははははは @阿波 >>950
泡チョンコロの民族願望は聞き飽きたから死ね!と何度言えばwww .
中国大陸には7000年前の河姆渡遺跡の時代から皿という器種がありました。
あちらで皿は盤と呼びます。
ところが、縄文末に渡来した弥生人は鬲や鼎どころか、皿(盤)の一枚さえも
伝えませんでした。
日本に皿という器種が伝わるのは4C末の古墳時代です。
中国大陸には7000年前からある皿という器種を我々の祖先は古墳時代まで
知らなかったのだ。
その時代差、約5400年。
弥生人が中国大陸から来たと吹聴しているヤツはガチで中卒です!
. 推奨NGワード
↓
@阿波
河姆渡
良渚
木骨泥墻
鬲
釜と甑
釜と竈
氏名と所属団体
サギー
チンク
ツカポコタカ 郷土愛に狂う糸クズを筆頭に、思考を停止させた古田信者や、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。
無論だが、女王国は「九州」である。
【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。
以上。 >>954
>無論だが、女王国は「九州」である。
「丹」の採れない北部九州奴国(博多)に、卑弥呼が居るわけがない。 以上。 @阿波 >>953
ツカポコタカ♪ツカポコタカ♪セローイ!
ツカポコタカ♪ツカポコタカ♪セローイ!
ここは台湾の田舎町。どこからか南方太鼓を叩く音が聞こえてくる。
見てみると叩いているのはそう、東南アジア顔した台湾人。
ツカポコタカ♪ツカポコタカ♪セローイ!
ツカポコタカ♪ツカポコタカ♪セローイ!
半裸で意味不明の南方語の掛け声を唱えては太鼓をしきりに叩いている。
叩く。叩く。しきりに叩く黒い手。
そして黒い顔に潰れた広い鼻。突き出した口元とゴツゴツとした輪郭。
ツカポコタカ♪ツカポコタカ♪セローイ!
ツカポコタカ♪ツカポコタカ♪セローイ!
一瞬、ニューギニアの奥地に居るような感覚に私は襲われたのである。
. 西日本新聞:2020・5・21
吉野ケ里インパクト 〜史跡指定30年(連載3)
現在も年間70万人が訪れる吉野ケ里遺跡は、埋蔵文化財行政の在り方にも大きな影響を与えた。
■ ■
「大規模集落を一気にめくる調査は難しい」というのは、「唐古・鍵遺跡」(奈良県)の
発掘保存に長年かかわっている同県田原本町埋蔵文化財センター長の藤田三郎(63)。
ほとんどが私有地で、発掘作業は少しずつしか進まない。
公園こそ2018年に整備されたが、調査は1936年から断続的に128次にもわたる。
吉野ケ里と「対」で扱われることが多い「纒向遺跡」も同じで、
「ここはすごい遺跡と聞いてはいたが、吉野ケ里と比べたらこんなものか」と言われ、口惜しい思いをしたと、
纒向学研究センター所長の寺沢薫(69)は漏らす。
当初「卑弥呼の宮殿か」と話題になった大型建物跡も、近隣の一般建物群に囲まれて容易に再現できず、「見せる」点では吉野ケ里に遠く及ばない。
■ ■
再現が必ずしも人を呼ぶとも限らない。
元佐賀県文化財課長の高島忠平(80)が、吉野ケ里以上の規模と評価する平塚川添遺跡(福岡県朝倉市)も、
約12ヘクタールに再現された建物は12棟だが、公園の年間入場者は2万人程度にとどまる。
福岡県文化財保護課長などを務めた赤司は、「大テーマパークのような吉野ケ里に右へ倣えすることは、とうてい無理だ」と語る。 >>957
吉野ケ里遺跡と同様に、纏向遺跡も一発芸で終わるよ。 わははははは @阿波 広ければよい、大きければよい、高ければよい・・、というものではない。
その遺跡の歴史的な意義の偉大さ、つまり古代ロマンの魅力こそ人々を惹きつけるのだ。
吉野ヶ里がもてはやされるのは、
此が、魏志倭人伝が書き残した自女王国以北の主要国「不彌国」であるからに他ならない。 >>955
オイ、泡チョンコ!頭ン中を見せてみろ!
∧_,,∧ パカッ __,,
。゚( ゚^∀^゚)゚ 彡 ∨ ∨
/ つ#`Д´> ヤ、ヤメルニダァ
( ( つ O
し' と_)_)
アハハハハハハハハハハ
∧_,,∧ 泡チョンコの頭に人糞が詰まってんぞ!
。゚( ゚^∀^゚)゚ クサッ
/ つ#`Д´> み、見るなニダ!
( ( つ O
し' と_)_) ∧_,,∧
なっ、本当だろ!
∧_,,∧ ∧_,,∧ アハハハハハハハハハハ
。゚( ゚^∀^゚)゚ ( ゚^∀^゚)゚。 マジで人糞じゃん!クサッ
/ つ#`Д´>⊂ ヽ だから妄想しかできねぇんだw
( ( つ O ) つーかクッセーなオイ!
し' と_)_) し´ ∧_,,∧ >>958
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンはさっさと首を吊れって(笑) 西日本新聞:2020・5・21
吉野ケ里インパクト 〜史跡指定30年(連載4)
「みんなでいろいろやってお客が来て、地域が良くなると期待したんですけどね」。
佐賀県の吉野ケ里町商工会前会長、宮原荘治(81)は悔しがる。多額の整備・維持費を国に委ねたことで、吉野ケ里遺跡と地域との関係は大きく変わった。
もともとは町外れの畑。冬は狩猟の銃声が響いていた。
それが1989年2月の報道を機に、修学旅行や観光客のバスが連なった。
ガイドなどを30年以上続ける国営吉野ケ里歴史公園の職員、福田幸夫(58)は「5月の連休には渋滞ができた」と思い起こす。
■ ■
遺跡の「調査」は地元教委が、「観光」は民間が協力。地域は主役の一端を担った。
そして、国営公園の話が正式に閣議決定されたのは92年10月27日。地域の期待はますます膨らんでいった。
しかし、その思いは裏切られることになる。
■ ■
国営公園の運営は建設省(当時)の外郭団体「公園緑地管理財団」(現公園財団)と決まった。
地域との協議の場は設けられているものの、地元が優先されることはなかった。あくまで運営は「国」。
引き継がれる予定だった地元民たちのガイドも、2001年の開園直前、「不要」と方針転換され、20人のガイドのうち15人が公園を去った。
県が運営主体になった三内丸山遺跡(青森市)が、当初から地元の民間団体にガイドを委ねているのとは対照的だ。 それよりも、なぜ相手にされていないんだと思う?
悪く言うと、本来なら、どうでもいいような人間だからなんだよ。
それと、某など、なぜ一般人(?)なのに、
家などが保存されていたりするのか・・・?、そうなるでしょ。
ほんとーは何かの家なんだろうとか、
むかーしから、何かを作ったりしてきた家。 邪馬台国(ヒミコ、ヒミオでも良い)などは、
何かwてきとーに当てはめているだけだろう。
この人物(誰々さん)だというモノも何もないし、
いまの日本の天皇の家? あと偉そうなこと語っている池沼もいるけど、
お前の家?お前の家の話なの? 日本の漫画やアニメ、ゲーム、
あと、よくわらない創作など・・・、あったりするでしょ?
実際は、ほとんど家の話。 一部の芸能?の世界というのも逆を行っている。
ホンモノは『X JPN』(不明)?から、普通の人(不明)?になって行く、なって行ったんだけど。
一部の芸能の世界は、普通の人から〜突如『X JPN』化。
ホンモノは『時代に向けた服を選んだ 大人になっていた』 ほんとーに、なんで知っているんだろう(知っている人がいる)?
ホンモノは『X JPN』(不明)から〜『時代に向けた服を選んだ 大人になっていた』
少し違うけど、このような話。 一部?おかしな(べつに、おかしくはないんだけど)〜がいたり。
例えば徳永某(小椋佳でも良い)から〜突如『X JPN』化とか。 説明しても無駄なんだろうけど、例えば。
ホンモノというのは『X JPN』(不明)から〜、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜、
『時代に向けた服を選んだ 大人になっていた』
べつに小椋佳でも良いんだけど、そのように、なって行ったの。 吉野ヶ里は、2世紀の戦闘村であり、
其の国邑は南接の上峰町(旧三根=彌根)に、また其の墳墓群は東接の目達原(米多郷)にあった。此れ則ち倭人伝の「不彌国」である。
なおこの「不彌国」は末盧国・唐津から東南/東へ陸行600余里であるから、西へ100余里戻った佐賀市内に、真正の「伊都国」があったことになる。 .
最古水田菜畑に伝わった炊飯器だって当時の中国とは全く違っている。
◆菜畑遺跡に伝わった炊飯器 → 甕
◆同期する中国の炊飯器 → 鼎、鬲と甑のセット、釜と竈のセット
鼎は穀物を煮炊きする三足と直耳とフタの付いた炊飯器で日本には伝わっていない。
鬲は上に甑をセットして穀物を蒸し上げて炊く三足の袋足が付いた炊飯器で、
これも日本には伝わっていない。
甑と釜と竈が伝わったのは弥生末の3C頃。
稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!
. 研究に大きな伸びしろ 「弥生」の解明探る吉野ケ里
西日本新聞 2020/5/23 6:00
吉野ケ里インパクト 〜史跡指定30年(連載5)
吉野ケ里歴史公園を整備した国土交通省には基本的に博物館のノウハウはない。
佐賀県は、現地に独自の博物館を造ることを検討していた。
■ ■
吉野ケ里と対比される纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)は、公園化が難しい立地条件もあり、情報発信を重視した。
後に纒向学研究センター所長となる寺沢薫(69)は「一発屋みたいな形で何か造っても駄目。
100年の地道な研究の上で保存と活用を」、と意見を求められてこう述べた。
これを基に12年、センターが開設された。兼任も含め研究職員は10人。毎年「紀要」を発行する。
モモの種の年代が、卑弥呼の時代と重なるとした論文は、邪馬台国畿内説を補強するとして新聞各紙を飾った。
■ ■
寺沢は吉野ケ里にエールを送る。「専門家を10人ほど配置して、研究と発信を積み重ねないとあかん」。
「吉野ケ里なら何十年も続けられる資料があるはず」
高島の思いも同じだ。
「発掘で出たものはもちろん重要だが、その分析から何が言えるかが一番大事」。
「遺構や遺物を多様な角度から調べることで、躍動感に満ち溢れた弥生時代を解き明かすことができる」。
吉野ケ里は、まだまだ可能性を秘めている。 (敬称略)
=おわり
(この連載は古賀英毅が担当しました) 吉野ヶ里は、2世紀の戦闘村であり、
其の国邑は南接微高地の上峰町(旧三根=彌根)に、また其の墳墓群は東接の目達原(米多郷)にあった。此れ則ち倭人伝に云う「不彌国」である。
なおこの「不彌国」は末盧国・唐津から東南/東へ陸行600余里であるから、此処から西へ100余里戻った佐賀市内に真正の「伊都国」があったことになる。 >〇合計、「郡より不弥国までが万七百里で、残り不弥国から邪馬壱国まで「千三百里。」
そもそも、その加算が間違いの元! どこにも、加算して「万二千里」などとは書かれていない! すべて直線距離で表されている。 @阿波 >>979
おいおい、直線距離とどこに書いてるんだ? >>980
曲線で測るほうが不自然! わははははは @阿波 直線でも、曲線でもない。記載の道順に沿って里を積算しただろ。
アハに行くには鳴門の大渦があるから、頓珍漢な人間が育つのだろうな。 ウワハハハハ >>982
>記載の道順に沿って里を積算しただろ。
そもそも、その加算が間違いの元! どこにも、加算して「万二千里」などとは書かれていない! すべて直線距離で表されている。
なぜ魏志倭人伝で、「從郡至倭」の各道順行程記述とは別に、「自郡至女王國萬二千餘里」が ポツンと 分けて離して書かれているのだろうか?
それは、各道順行程記述とは別項目だからである。
これは、帯方郡から女王国までの距離が、「直線距離」で一万二千余里を特記したもの。
だからなおさら、各道順行程記述とは切り離して記述している。
その心は、帯方郡から女王国までの距離が、「直線距離」を言いたかったから。 @阿波 >なぜ魏志倭人伝で、「從郡至倭」の各道順行程記述とは別に、「自郡至女王國萬二千餘里」が ポツンと 分けて離して書かれているのだろうか?
そこで地理解説が終わる〆だろう。
続いて風俗解説となる。 >モモの種の年代が、卑弥呼の時代と重なる
魏志倭人伝に植生が詳しく記録されていて、そこに桃が無い。
現実を直視すべし。 >>984
>そこで地理解説が終わる〆だろう。
いや、地理解説のうち、各所要距離・日数解説の〆は、「南至邪馬壹國女王之所都」。
それに続いて、女王国周辺国のもろもろ解説があり、
「自郡至女王國萬二千餘里」が ポツンと 分けて離して書かれている。
その心は、帯方郡から女王国までの距離が、「直線距離」を言いたかったから。 @阿波 「從郡至倭」が読み解けない偏差値ゼロのアハ ウワハハハハ >それに続いて、女王国周辺国のもろもろ解説があり、
それも地理解説だね。
「自郡至女王國萬二千餘里」が地理解説が終わる〆。
以上が地理解説であり、
次から話題が完全に変わって風俗解説が始まる。 >>988
>それも地理解説だね。
地理開設のなかに、「各所要距離・日数解説」 と 各所要距離・日数解説を伴わない「女王国周辺国のもろもろ解説」の2種類存在する。
そのあと、「自郡至女王國萬二千餘里」が ポツンと 分けて離して書かれている。
その心は、帯方郡から女王国までの距離が、「直線距離」を言いたかったから。 @阿波 >>988
>それも地理解説だね。
地理解説のなかに、「各所要距離・日数解説」 と 各所要距離・日数解説を伴わない「女王国周辺国のもろもろ解説」の2種類存在する。
そのあと、「自郡至女王國萬二千餘里」が ポツンと 分けて離して書かれている。
その心は、帯方郡から女王国までの距離が、「直線距離」を言いたかったから。 @阿波 >>993
あわれなのは、まともに反論できない君だよ。 わははははは @阿波 >>981
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_,. イ! | | 「 il|ヘ | | !
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气 ` ゙r; ; 、、 ゝ‐′リii小从 |「`ヽ ヘ.{
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=彡 ''" 丶 「゙弋ー、l i 泡チョンがいるぅぅぅ!!!
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`ヽ{ レ'´ `く ヽl| |i / ″′ ヽ どうして泡チョンがいるのぉぉぉおぉぉ???
ヽ ノ ′,;ii/ /
ト- ==== ''" ,,;iill/ / } あっち行ってえええええ いやあああああああ!!!
. ノ /iilil{ / {
≧== 彡l||llx _ イ ∧ / ,勿 ヽ
 ̄`xl|i彡'´ / ハ 〈 彡'´ ノ >>983
泡チョンコロの民族願望は聞き飽きたから死ね!と何度言えばwww >>986
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンはさっさと首を吊れって(笑) このスレッドは1000を超えました。
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