畠山氏って華族にはなれなかったの?
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細川と斯波はなれてるのに…
一応江戸までは旗本だったんだよね
つーかまだ家系残ってんの? >>2
ごめんそっちの方が良かった?
畠山って江戸以降どうなってんのかなってのがまず第一に疑問に浮かんで華族スレの事考え至らなかった こんなスレ建てても誰も見ないし
伸びないから廃れるだけだよ 能登畠山氏の子孫の畠山一清が荏原製作所や畠山記念館を創設している >>1
細川家嫡流は福島県の小藩の家老
熊本藩主の細川家は分家
更に言うと藩主の細川護煕家は側室の系統
正室ガラシャの系統は熊本藩の家老で子孫は政治評論家の細川 >>6
加賀藩も似たようなもので藩主は前田利家の側室の系統
正室まつの系統は前田土佐守家という家老 畠山氏は元々が有力鎌倉御家人である畠山重忠がはじまりで、足利氏の庶長子の足利太郎義純が畠山義純と名乗ったことで出来上がった家系だから、
足利氏一門の中でも、元々が有力鎌倉御家人だから、同じ有力鎌倉御家人の足利氏に次ぐ家柄なんだよな。
だから、足利氏一門の中でも畠山氏は常に別格の地位を保証されていた。
室町時代には斯波氏(ほぼほぼ足利氏)と畠山氏と細川氏という順番。
江戸時代には吉良氏と畠山氏は高家のうちでは別格。高家に2つあったのが吉良氏と畠山氏しか無い。吉良上野介の側にいた2名も畠山氏の2名。
畠山氏が常に名門としていられたのも、足利の血筋と重忠の威光という、サラブレッドの中にサラブレッドを入れた様な、
サラブレッドの中のサラブレッドの名門というブランド的なイメージがあったからだろうな。 他の足利氏一門は足利氏の単なる分家だけど、畠山氏は足利氏と同じ御家人出身だもん 江戸幕府高家は皆華族になれず士族
室町幕府平島公方は士族にすらなれず平民 加賀の斯波氏は本当は織田氏かもしれない。自称の斯波氏。 美少年だった信長の弟を射殺した叔父さんの子孫かな
加賀の斯波氏 桓武天皇ー葛原親王ー高見王ー平高望ー平良文ー平忠頼ー平将恒ー平武基ー平武綱ー秩父重綱ー秩父重弘ー畠山重能ー畠山重忠 鎌倉の鶴岡八幡宮の別当に頼朝の孫の公暁や畠山重忠の子の重慶がいた
鶴岡八幡宮の別当には園城寺出身の天台僧がなる慣しで、公暁も重慶も園城寺出身の天台僧である 其の源は弘法大師・慈覚大師・智証大師、此の三大師の御弟子にて候。山の座主、東寺・御室・七大寺の検校、
園城寺の長吏、伊豆・箱根・日光・慈光等の寺々の別当等も、皆此の三大師の嫡々なり。此の人々は三大師の如く読むべし。
(中略)
日蓮 花押
弥源太入道殿御返事 ちなみに慈光寺は畠山重忠ゆかりのお寺でもある
重忠の大叔父の厳耀や重忠の子の重慶と円耀が慈光寺の別当になっている
ちなみに日光は畠山重忠の遺児の重慶が、和田義盛の遺児の義秀など、浪人を集めて鎌倉幕府を倒そうとした拠点ともなった(と言われている。重慶に謀反の気持ちがあったのかは不明) 明治2年の版籍奉還と同日に
堂上家136家、諸侯248家、堂上格28家、藩主格15家の
合計427家が華族と称される。
明治17年には華族令が宮内省より通達されて、
公、侯、伯、子、男の五爵の格付けが行われる。
以降の授爵者を大別すれば、
旧華族として公家華族(堂上、堂上格)と武家華族(藩主、藩主格)、
新華族として賜姓降下華族、奈良還俗華族、神官華族、分家華族、勲功華族となる。
年を経る毎に華族は増え続けて、
新憲法により華族制度が廃止された昭和22年5月には913家に達した。 いまのコノエはホソカワ君であって…
所詮、マガイモノのコノエ 酒井美意子は、本物のお嬢様の条件として
「最低10代、先祖をさかのぼれる名門であること」
を挙げていた 華族って言いづらいよね
人に話しても家族の方と認識してしまうから相手がポカンとなる
へぇ家族の○○ねー >>35
それ言ったら皇室から養子に入っている時点で近衛じゃないことになるぞ? いまのサイオンジはモウリ君であって…
所詮、マガイモノのサイオンジ >>10華族になっても江戸期と変わらず体面を保つのに大変そう・・・ならなくて良かったのでは? 源頼朝の先随兵の先頭から
畠山重忠
千葉胤正
三浦義澄
佐貫広綱
葛西清重
八田朝重
榛谷重朝
加藤景廉
安達盛長
大井実春
山名重国
武田信光
北条義時
小山朝政
小山宗政
佐々木高綱 なんにせよ敗戦と民主化で華族だの貴族だのが吹っ飛んでくれて本当によかった。
あんな社会のクズみたいな連中がきれいさっぱりなくなってくれてせいせいした。 珍田のように実力でその地位を獲得した人間は評価するが、徳川だの松平だの世襲の連中は徹底的に否定する。 >>48先祖の功績が大きくて、その分を子孫が受け継いだと思えばよいよ。 大名とか封建領主って圧制者や搾取者だからなあ。功績というより罪の方が大きい。
地べたの民衆から見れば洒落にならんくらいえげつない。 一清さんは能登畠山氏の分家の方だと思うよ?
源姓畠山氏は嫡流が福島県の畠山氏
その分家が管領畠山氏
その分家が能登畠山氏 華族になれなかった旧族大名
今川・品川(高家)
大友(高家)
畠山(高家)
再興吉良(高家)・吉良(旗本)
朝倉(旗本)
最上(旗本・一代高家)
松浪・斎藤(旗本)
斯波(旗本)
龍造寺・諫早・多久(陪臣)
尼子・佐々木(陪臣)
など いまのコノエはホソカワ君であって…
所詮、マガイモノのコノエ 荏原製作所創業者の長男、畠山不器氏の妻だったのが塩月弥栄子さん。
冠婚葬祭 続冠婚葬祭など懐かしいな。NHKにもよく出ていらっしゃったが
あの上品さは別格だった。千家、京都の血はこの家には合わなかったようだね。
あの本の舞台になった畠山家「般若苑」もなくなったね。 八幡神社が後ろ盾になってんだな
八幡宮があるとこはみな源氏関係者らが神社⛩を建立した
日本でもそんな古い存在ではないが全国規模 八幡神社の祖、八幡義家の祖先と言われてるのが応神天皇
だから祭神となっている 事実上の初代は八幡神源義家のこと
それの祖先と言われてるのが応神天皇なんだね 徳川氏の祖先、松平氏なんかは美濃源氏加茂氏の氏子言われとる
氏子ってのはまあその宗教団体の神社らが始まり
つまり加茂源氏にもともとは関わりがあった存在から始まって三河に勢力伸ばしたわけさ つまりもともと神武天皇に従ったと言われてる備前賀茂氏とはまったく無関係
最初から源氏に関わりがあった氏族 美濃加茂氏の拠点と三河松平氏の拠点かなり近い
始まりは山城だしな 源氏加茂氏(足助氏)は清和源氏の浦野重任の孫、足助重長から始まる もともとは美濃を拠点とした美濃源氏土岐氏の与党的な連中ら
南北朝のときは南朝についてやがて加茂氏(足助氏)は歴史から消えた
戦国時代の足助城の足助氏は三河平氏と呼ばれた連中らのこと NHK華族に乾杯
華族の就職先NHKに
畠山っていう女のアナがいるね >>1
江戸までは旗本だったというのは、
二本松畠山氏?河内畠山氏?能登畠山氏? ★河内畠山氏→高家(旗本)
★能登畠山氏→高家(旗本)
・畠山義寧は松の廊下事件と織田秀親事件と2回の刃傷を目撃
★別家(能登上杉氏)→高家(旗本)
・上記畠山氏より養子がきてのち義が通字になり、本貫地を能登七尾に変えた
★二本松畠山氏→陪臣(上杉家臣)
・ほかに庶流が伊達家臣に見られる 斯波 細川は傍系が家族になってるけど畠山は聞かないね。 >>88 >>86
華族に列した傍系斯波氏、細川氏とは?
後者は肥後細川家だろうが、前者は? 安倍ちょん
アベノマスクの総予算:970億円
病床削減:644億円
マイナンバーポイント還元事業:2500億円
GoToキャンペーン:1.7兆円
海外へのバラマキ60兆円
子供の貧困対策(2018年):1.5億円
就職氷河期世代への支援:2億円
大学生への支援(1次補正予算):7億円 畠山氏だったら謙信の時代に畠山氏から上杉氏に養子に入っとるわ
畠山氏→上条上杉氏は畠山氏の末裔 関東管領上杉氏に古賀公方足利家より養子に入った人物もおるしな だいたい滅んだっても宗家が滅んで求心力がなくなるって話だからよ 上杉謙信てのも名門好きやったからな
名門の子息らを自分の養子に迎えてんだな
敵の北条氏からも養子を取った
それが上杉景虎、旧名北条三郎
武田の信清ってのも自分の一族の娘と結婚させて家臣とした 畠山氏ってのは滅んでも他の名門の家系を継がせるってのはよくやるから子孫らならおるの 渋川氏の末裔は毛利家臣になったらしいな
斯波義廉の兄弟の系譜 >>86
>★能登畠山氏→高家・・・・・・
能登畠山氏は戦国時代末期に越後の上杉謙信に
攻め込まれ最後の当主畠山義慶及び畠山義隆の子の
幼児春王丸が相次いで家臣に暗殺され滅亡したはず。
その江戸期高家能登畠山氏とは誰の後裔のことなの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています