邪馬台国四国説 part5
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 阿波国一宮の「天石門別八倉比売神社」の論社の1つ[「上一ノ宮大粟神社」の御祀神は「オオゲツヒメ」という神様だが、
オオゲツヒメ=御食津神=豊受大神
豊受大神というと伊勢神宮の外宮の神様だが、じつは外宮の神官「度会氏」は「忌部氏」の末裔。
元々は内宮、外宮とも、神官は忌部氏だった。
大宜都比売神(オオゲツヒメ)は、『古事記』に云う粟国(阿波国)の国神となる女神であり、日本の養蚕・五穀の起源神、日本の偉大なる食物の女神、かつ日本最古の農業神である。
また、焼畑農業神、稲作・畑作農業神としての顔をもつ。『古事記』にあるオオゲツヒメの死は、死と再生という自然循環思想を表す。
穀物名を国名とするのも、農業神が国神となるのも日本で阿波国のみである。 @阿波 ここは妄想スレですので実証的な考察を希望される方は直ちに見るのを止めて下さい >>4
もうここが、メインスレになってしまった以上、無理! わははははは @阿波 「天岩戸別神社」は徳島県名東郡佐那河内村上字牛木屋に鎮座し、ご祭神「手力男神」が祀られている。
この神(「手力男神」)は「古事記」に天岩戸を開けた神として書かれ、「佐那那縣(さなながた)に座す」と書かれている。
佐那河内村は、古く「佐那県(さなのあがた)」と称されたと「村史」に書かれ「古事記」と一致する。
その上、西に山を越えると天岩戸立岩神社があり、徳島市には式内社の天石門別矢倉比賣神社と天岩戸別豊玉比賣神社が鎮座することは、
天孫降臨の地が、阿波であると言わざるを得ない。 @阿波 「延喜式神名帳」の、大和国山辺郡条には、「大和坐大国魂神社」とある。 大和国の 「大和」である。
「延喜式神名帳」の、阿波国美馬郡条には、「倭大國玉神大国敷神社二座」とある。 阿波国なのに「倭」である。
これは、阿波国が「倭」であったことの証左である。 @阿波 倭国とは、
日本で唯一、大和朝廷から「倭大國魂神社・倭大國敷神社」と名付けることが 「許された」ところ。 @阿波 倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。
まともに反論・で・き・な・い・人・は、 罵詈雑言はい、どうぞ。 わははははは @阿波 トンデモ説は「当時」の自然環境を軽視しすぎ。 @阿波
・奈良盆地は海に面さず、発展する余地なし。
・纏向は湿地帯で王都に不適。
・対馬海流に流されて、末羅國=呼子・唐津は有り得ない。
・瀬戸内海航路は潮流対策施設不備につき、少なくとも卑弥呼時代は「通し航行」不可能。
・弥生の大洪水で稲作壊滅状態。 トンデモ説は「当時」の自然環境を軽視しすぎ。 @阿波
・奈良盆地は海に面さず、発展する余地なし。
・纏向は湿地帯で王都に不適。
・対馬海流に流されて、末羅國=呼子・唐津は有り得ない。
・瀬戸内海航路は潮流対策施設不備につき、少なくとも卑弥呼時代は「通し航行」不可能。
・弥生の大洪水で西日本一帯、灌漑稲作は壊滅状態。 「弥生人にとって、阿波はまさに理想の土地」
温暖な気候・多数の大河の恵み・大河流域の土地の恵み・黒潮流れる大海の恵み・山深い森林の恵み・多種類の希少鉱物の恵み
阿波に人が集まり、独自文化が発祥・全国展開したのは、当然といえば当然。 @阿波 西日本壊滅状態に何で阿波が入ってないんだ?最初から何も無いからだなw 「弥生時代終了までイネに替わり、アワ・キビ・ヒエなどが主流」
弥生時代前期末から中期初頭(2400年〜2300年ほど前)にかけて、西日本一帯で発生した大洪水により、灌漑水田稲作は壊滅である。
この洪水被害は大規模かつ広域的なもので、京都盆地や奈良盆地、岡山平野、博多平野、濃尾平野など広く西日本一帯で確認されている。
その大洪水により、阿波においては弥生時代中期初頭には各集落が小規模化し、一部で大柿遺跡の棚田がみられるが、
縄文的な生業と地域社会へ回帰するような様相をみせる。
弥生時代前期中葉に大規模化した灌漑水田稲作経営は、災害の影響もあって一段落したものと考えられている。
土器の植物種実圧痕観察(レプリカ法)により、弥生時代終了までイネに替わり、アワ・キビ・ヒエなどが主流であったようだ。 @阿波 弥生時代に壊滅して阿波は二度と立ち上がれなかったんだな 「東征毛人五十國西服衆夷六十六國 渡平海北九十五國」
これはずばり、四国(阿波)を中心とした東・西・北の展開記述である。
東征毛人五十五國 =近畿以東(北関東含む)
西服衆夷六十六國 =西瀬戸内・九州
渡平海北九十五國 =東瀬戸内・山陰・北陸
これは、倭国(阿波)から進出した忌部一族の開拓地域と符合する。 @阿波 .
今から約3500年前の紀元前15世紀には、朝鮮半島でも数ヘクタールという大きな畑を
作って、そこでコメや麦を栽培する生活が始まります。朝鮮半島では日本よりも
500年も前に、本格的な農耕生活に入ったのです。
紀元前11世紀になると、朝鮮半島南部で水田稲作が始まります。本格的な穀物栽培が
始まって約400年後のことになります。
こちらにある写真は韓国で最も古い水田の一つの写真です。釜山の少し北側に
位置する蔚山(ウルサン)市で見つかったオクキョン遺跡の水田跡です。
http://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=2975
. 九州か畿内か
という二択を迫ってる時点で、その二つは真実を隠すための嘘でしかない 神武東征(阿波市→鳴門市)に関わる神社で、熊野の戦いの旧跡に祀られた神社
「熊野神社」
https://sueyasumas.exblog.jp/9791934/ 神武東征説話は吉野川下流の南岸勢力が北岸勢力を従属させた歴史の記憶で、「樫原神社」の東西にその舞台が連なっている。
前に紹介した「熊野神社」もそのひとつである。
「樫原神社」の南に四国霊場九番札所「法輪寺」があり、さらにその南の吉野川の近くには式内「事代主神社」がある。
そして、さらに「事代主神社」の西には、式内「建布都神社」がある。
神武東征で熊野の神の邪気に打たれた時、高天原から建布都の霊剣が降ろされ、これによって神武天皇は熊野の邪気を払い進軍することができたという。
熊野は和歌山ではなく「樫原神社」周辺の物語だったのである。 @阿波
「樫原神社」
https://sueyasumas.exblog.jp/9839297/ 阿波市 阿波町勝命北に鎮座する「勝命神社」
御祭神は菊理媛命(くくりひめのみこと)
「阿波誌」に、「菊理祠勝命村に在り、旧事記に云ふ伊奘諾伊弉冉二尊、泉津平坂に相争ふ。菊理媛神白す事あり伊奘諾尊聞きて之を善とす」とある。
なんと、伊奘諾尊と伊弉冉尊が泉平坂で相争ったとき、二人を仲裁した菊理媛神(くくりひめのかみ)が、阿波市阿波町で祀られているのである。
なんでこんなマイナーな神様を阿波で祀る必要があるのだろうか。 後は推して知るべし。 @阿波
http://goutara.blogspot.com/2012/11/blog-post_29.html 徳島県吉野川市山川町忌部山字峯石
「稚宮(わかみや)神社」
祭神は、思兼尊・長白羽命。 長白羽命は、荒妙を織った神。 神麻績部の祖神とある。 @阿波
https://sueyasumas.exblog.jp/16991385/ 徳島県吉野川市山川町忌部山字白山
「白山(しらやま)比売神社」
石碑には「忌部社摂社 志良夜末比賣神社」とある。
「忌部神社」の七摂社の一つで、祭神は「伊佐奈美尊」である。
ここはイザナミ命の「遥拝所」。
この「白山比売神社」の南西には「高越山」があり、山頂に「イザナミ」が祀られていると言われている。
イザナミ命・イザナギ命の神号は海の霊物「イナサ(雄魚)」より名付けられたという説があり、イザナミ命の生前の名は「白山比売」であったという伝承がある。 @阿波
https://sueyasumas.exblog.jp/17016171/ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています