邪馬台国四国説 part1 [無断転載禁止]©2ch.net

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1日本@名無史さん2016/03/19(土) 21:14:14.21
今のところマイナー派ですが、神懸かりして語りましょう。

2日本@名無史さん2016/03/19(土) 21:52:53.69
「邪馬台国は徳島だった」は落ちたの?

3日本@名無史さん2016/03/20(日) 02:08:37.24
何で徳島から四国に範囲広がったんだか

4日本@名無史さん2016/03/20(日) 17:21:53.88
@畿内説に合わない倭人伝を認めない。
A畿内説に合わない記紀を認めない。
B畿内以外の考古学的出土物を認めない。
Cフルボッコされた畿内説の負けを認めない。
D無視されると勝利宣言する。
E自分で荒らして他説のせいにする。
F論を批判せずに個人を罵倒する。
G存在しない遺跡や確認できない資料を提示して煙に巻く。
H畿内説に合わない鏡を認めない。後で作り始めたことにする。
I証拠を要求するが何を出しても証拠を認めない。
J証明を要求するが畿内説自身は証明ができない。
K論破していないことを論破したと主張する。
L計算ができない。
M方位も距離も畿内に合わせて読み替える。
N川と海の区別がつかない。
O東西南北が分からない。

ことで四国説は成立しています。

5日本@名無史さん2016/03/21(月) 06:42:25.08
>>2
>>3
香川か徳島か愛媛か高知か
それはこのスレで話せばいくね

6日本@名無史さん2016/03/21(月) 10:17:23.12
四国説なんてお馬鹿の畿内説の亜流のおお馬鹿説w

7日本@名無史さん2016/03/21(月) 11:01:49.75
元々降霊厨の隔離スレだったが、本人が否定してたからなw

8日本@名無史さん2016/03/21(月) 13:50:06.54
ヤマト政権のルーツの一つが四国にあるのは間違いないので
邪馬台国が実際はどこにあろうとこういう研究は無駄にはならない

9日本@名無史さん2016/03/21(月) 16:46:08.29
壱与がイヨだからな
四国全体に広げたほうが説得力も増すというもの

10日本@名無史さん2016/03/21(月) 17:02:13.93
ここでおさらいしとこう

邪馬台国は
魏志倭人伝では邪馬壹国、新字体でかけば邪馬壱国で表記される。ヤマイと発音する。
その後の史書では邪馬臺国、新字体では邪馬台国で表記される。発音はヤマダイ、ヤマドなど諸説ある。

さて、壹と臺では発音が違うのだが

『隋書倭国伝』に「邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也」
「邪靡堆、則ち『魏志』に云うところの邪馬臺なり」

とあるのでヤマトゥアイと発音し、壹は臺の誤記ではないかとする説がある。

なお、魏志倭人伝は現存する数種の版本のうち、清の時代の19世紀の影印本「百衲本」(南宋期の版本の影印)が最も善本とされる。

11日本@名無史さん2016/03/22(火) 14:02:41.82
徳島市長選に立候補している立石って歴ヲタみたいだな

https://www.youtube.com/watch?v=pTYJGPkX19A

12日本@名無史さん2016/03/28(月) 18:50:37.00
徳島は古事記で村おこしせよ

13日本@名無史さん2016/03/28(月) 20:56:02.94
古事記に登場するポイント巡りだけでも、相当なツアーが組めるな。

なんせ、古事記のストーリーを辿れるから。

14大倭なんとやら2016/03/28(月) 23:04:34.02
邪馬台国本体はやれないが、これでがまんしなさい
http://i.imgur.com/MGptZtS.jpg

四国は全域が邪馬台国の女王の支配下
九州も四国も邪馬台国の支配域は部分的だ

つまり四国は邪馬台国の地理的中心!

15longinus_bouz ◆bq94Vh60JQ 2016/04/22(金) 08:04:30.78

16日本@名無史さん2016/06/03(金) 05:35:47.92

17日本@名無史さん2016/06/03(金) 07:20:23.73
なんで主張が画像なんだろう、気持ち悪いね
自意識過剰なのかな

18日本@名無史さん2016/06/12(日) 14:28:09.88
>>13
ブラタモリでやって欲しいな

19日本@名無史さん2016/06/12(日) 21:59:55.61
吉野川の河岸段丘  タモリもたまげるだろう。

20日本@名無史さん2016/06/12(日) 22:12:10.31
四国は侏儒国でしょ
本州のことは土地の名前も書かれずただ倭人が住んでるという描写にのみに
とどまっているのに対し、
四国は侏儒国ときちんと名前を呼ばれさらに、超小さい人間が住んでるらしいとまで
書かれているのを誇りに思うべき。
ちなみに何で体が小さいかと言うと、渡来系が少なく縄文系が多かったため。
小さい島ゆえ混血出来ず体がずっと小さいままだったんだろう

21日本@名無史さん2016/06/13(月) 13:13:58.80
>>20
ごめんね。

四国阿波国=女王国  北部九州は阿波の出先機関  南部九州は狗奴国

22日本@名無史さん2016/06/14(火) 20:31:10.80
       【黒田ショック】   マイト レーヤは崩壊が起こり、それは日本から始まると言われました。   【右翼、アベしちゃうの?】



最初になくなるのは世界の株式市場でしょう。

差し迫る株式市場の暴落は、他の人々が飢えている間にお金を儲けることの結果です。かれらは自分の財産を隠し、犯罪的雰囲気さえも創出しています。
彼らはただ座って待っているだけです。世界に振りかかる負担は莫大です。世界を餌にして生きており、社会に何も負うことなく、何も還元しません。
「これに終止符が打たれなければならない」マイト レーヤが出現されるとき、抑制のない成長に基づく現在の経済の終焉を見るでしょう。
今日の製薬産業によって「盗まれている」薬草も保護されるでしょう。来るべき株式市場の崩壊は必然的に多くの失業者を出すでしょう。



日本から始まる世界的株式市場の大暴落

ウォールストリートの大暴落(1997年)につながったプロセスが、いま日本におけるプロセスの中に写し出されており、再び株式市場の暴落につながるでしょう。
日本がアメリカ国債の25%を引き出すと世界経済が破綻し、マイト レーヤは出現するでしょう。彼は「匿名」で働いております。
彼は日本人ではありませんが、日本語で話すでしょう。彼は、非常に物静かなやり方で話します。彼の最初の控えめな態度に混乱してはなりません。
非常に間もなくマイト レーヤを、テレビで見るでしょう。マイト レーヤは毎日テレビに現れ、質問に答えるでしょう。
マイト レーヤが公に現れるにつれてUFOが、とてつもない数で姿を表すでしょう。

竹下雅敏「どうも日本人のレベルの低さというのは、ドイツはUFOテクノロジーを完成させていたのに、日本は戦艦大和で喜んでいたという感じなのです。」
矢追純一「宇宙人側からの申し入れは、核の利用と戦争をやめ宇宙人の存在を公表しなさい。ロシアという大国の首相がね、2回も言ってるんだからね。」
https://www.youtube.com/watch?v=FIRXKe tUkq8

23日本@名無史さん2016/06/19(日) 21:06:07.44
……………………
真田一門も上田で戦った天下分け目の関ヶ原
関ヶ原の戦いの古戦場(石田三成の布陣跡)から見た超高速で走行する東海道新幹線の上下線

https://www.youtube.com/watch?v=dh4RDk--K3Y

……………………

24日本@名無史さん2016/08/06(土) 22:37:26.17
天皇陛下「生前退位」で三木家がUPしてます

25日本@名無史さん2016/08/07(日) 07:12:02.23
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか


日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。

26日本@名無史さん2016/08/07(日) 08:01:45.85
>>24
URL 教えてください。

27日本@名無史さん2016/08/19(金) 19:45:39.23
もっと古墳を見つけて世界遺産に登録しようぜ

28日本@名無史さん2016/08/23(火) 19:31:24.48
古事記の絵本でも作って無償で配れ。

29日本@名無史さん2016/08/23(火) 20:06:49.01
BC3C末、徐福一行の故郷、華北では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。

30日本@名無史さん2016/09/03(土) 18:05:35.43
阿波で千年、京で千年

31日本@名無史さん2016/09/03(土) 18:36:35.86
県南部で発掘された紀元前から中世にかけての考古資料を紹介する合同企画展
「長国(ながのくに)の埋蔵文化財」

講演:「古代阿波の海洋民と大和」

講師:石野博信(兵庫県立考古博物館名誉館長)

場所:徳島県海陽町四方原海南文化館

時間:午後1時半から

講演、行ってきます。 徳島県、この頃気合入れてる。

32日本@名無史さん2016/09/03(土) 18:44:12.35
>>31

日時:H28.9.4(日)午後1時半から

33日本@名無史さん2016/09/03(土) 18:49:55.15
語り継がれて、「阿波で千年、京で千年」  よくぞ、これまで。

34日本@名無史さん2016/09/03(土) 19:15:18.55
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

35九州王2016/09/03(土) 20:59:38.78
卑弥呼は阿波踊りの名人として有名であった。

36日本@名無史さん2016/09/03(土) 22:02:03.34
卑弥呼は阿波踊りに魅了されて岩戸から出てきたこと 知らないの?

37日本@名無史さん2016/09/04(日) 20:19:26.79
>>31
石野博信氏講演要旨

@邪馬台国の時代、太平洋航路が有った(南四国の沿岸部遺跡に畿内系土器が分布する)
Aホケノ山古墳同様、箸墓古墳後円部頂(5段目最上段)と4段目斜面は、こぶし大の積石塚だった(宮内庁情報公開写真の鑑定より)
B渋谷向山古墳の頂に浜石が置かれていた 海洋有力者の墓か(独断調査 大きな声の内緒話) 
C銅鐸使用は農耕農民の祭りだけではない(漁民の地にも多数出土している)

38日本@名無史さん2016/09/05(月) 10:28:15.42
邪馬台国がヤマトになった説から好い加減離脱できれば邪馬台国四国説は全然不思議じゃないんだけどな
他の例では山戸國と山背國は全く別の國って普通に理解できるのに何で一経筋にしようとするんだろう

九州南部〜四国〜紀伊半島の南方系の権力と九州北部〜山陰山陽〜若狭の北方系の権力とが淡路島で講和してヤマトが成ったと考えると全く無理が無いのに
古代中国に珍しい自分達とは異なる別個の連中として記録が残って居るのが南方系だから北方系の連中が旧さに背乗りしようとしておかしくなっているんだろうな
記録無しでも淡路講和でそれ以前から何がしか居た事の証明にはなるのに
半島にはそこを通過すると兇悪化するパワースポットでも在るのかね?

39日本@名無史さん2016/09/08(木) 11:26:10.42
「小松島市教委 子安観音古墳 金銅装甲冑片を有形文化財指定」

小松島市田浦町の子安観音古墳で明治時代に出土したと見られる甲冑の破片4点が、金を施した希少なものであることが、同市教委の調査で分かった。
5世紀中ごろの制作と推定され、金銅製の甲冑は1872(明治5)年に国内最大の前方後円墳大仙凌古墳(仁徳天皇凌)の出土例があるだけ。
橋本達也鹿児島大総合研究博物館准教授によると、「子安観音古墳の被葬者が畿内中央政権から極めて高い地位を与えられたことを示し、
政治的連携の証しとして贈られたことが想定でき非常に重要」と分析する。

大仙凌古墳の前方部埋葬施設の副葬品は5世紀後期のものと考えられる点から、

5世紀中ごろの子安観音古墳の方が築造・副葬品とも古いと考えられる。

よって、

大仙凌古墳被葬者(阿波の出身有力者)が「倭国(阿波)政権」から極めて高い地位を与えられたことを示している。

40日本@名無史さん2016/09/09(金) 08:32:52.39
※阿波に王都が在った根拠の新しい情報

今日の徳島新聞
「美馬・中山路遺跡 青銅の鈴・椀 県内初出土 6〜8世紀 副葬品に使用」
徳島県教委と県埋蔵文化財センターは8日、美馬市美馬町の中山路遺跡から6世紀後半〜8世紀のものとみられる青銅製の鈴と椀が県内で初めて出土したと発表した。
遺跡の南東約100mには7世紀後半に建てられた国史跡の郡里廃寺跡があり、県教委などは寺に関係する建物があった可能性が高いとみている。
出土した約7千点のうち、6世紀後半の青銅製の鈴は直径約3.7pで、古墳の副葬品や儀礼用の馬の飾りに用いられた。
7世紀後半〜8世紀の青銅製の椀(直径12〜14p)の破片は全長約6pで、仏具や副葬品に使われた。
直径が約20pあるとみられる7世紀後半〜8世紀前半の陶製の円形すずりの破片(全長約5p)や、郡里廃寺跡で出土したものと同じ型枠で作られたハスの花の模様が付いた瓦の装飾部分(直径約20p)も見つかった。
郡里廃寺跡は県内最古級の寺院跡で、地元の豪族が建立したとみられている。中山路遺跡で建物の遺構は確認できなかったが、通常の集落跡では出土しない品が出ているため、寺の関連施設があった可能性があるという。

センターは「当時は権力の象徴が古墳から寺院へと移行する時期だった。古墳と寺院の両方に関係する品が1か所から見つかったことは、変遷を知る上で貴重だ。郡里廃寺跡周辺の全体像を研究する手掛かりにもなる」としている。

41日本@名無史さん2016/09/18(日) 18:37:52.17
……………………

【真田丸を楽しく見るのに参考となる歴史情報】
関ヶ原の戦いの古戦場の石田三成の陣営にある開戦陣形と戦況を説明する音声案内

https://www.youtube.com/watch?v=tdeJXvtQgL4

……………………

42日本@名無史さん2016/09/18(日) 21:33:19.28
>>40
もう律令制の時代であり、関東にだってそれくらいのものはある。

43日本@名無史さん2016/09/18(日) 21:38:19.61
ユダヤ人はまず四国へ上陸したらしいじゃん
四国には身長1mのコロボックル伝説に出てくるような部族が居たらしい(魏志倭人伝)

44日本@名無史さん2016/09/18(日) 21:43:57.04
四国説って?
言い張ってるのは阿波だけだぞ

45日本@名無史さん2016/09/18(日) 21:52:23.22
阿波説はオラが町の町おこしなんだから
他県をまきこむのはやめなさい

46日本@名無史さん2016/09/19(月) 00:18:26.90
小人族が日本のどの範囲にいたのかが次のカギになる可能性があるな
種子島にいたことはすでにわかってんだよな

47日本@名無史さん2016/09/29(木) 11:16:18.77
柿本人麻呂は阿波人や

48日本@名無史さん2016/09/29(木) 11:20:07.60
ユダヤ人は宮崎に上陸した。これは鉄板中の鉄板。しかし、四国もなんとかしないとあと10年ぐらいで終えるわな。
村お越しは必要だよね

49日本@名無史さん2016/09/29(木) 11:44:24.90
>>47
聖徳太子も藤原不比等も大伴家持も阿波人や

50日本@名無史さん2016/09/29(木) 20:26:51.06
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

51日本@名無史さん2016/12/05(月) 21:24:29.22
>>49
アハ体験

52日本@名無史さん2016/12/21(水) 07:53:34.17
徳島で国宝級の茶碗発見だと

53日本@名無史さん2016/12/21(水) 08:03:14.33
太古から徳島は国宝級。

54日本@名無史さん2016/12/21(水) 21:51:54.21
北野武(ビートたけし)のご先祖さんも徳島出身らしい。byNHKファミリーヒストリー

55日本@名無史さん2016/12/21(水) 22:25:38.15
太古から徳島は国宝級。

56日本@名無史さん2016/12/24(土) 18:46:24.98
ビートたけしの父は正瑞菊次郎
先祖は勝瑞城の武士で現在も阿南市に正瑞家が多い

たけしの祖母は北野うし
徳島市通り町生
北野家は粉屋を経営していた商家だったが明治恐慌で倒産し
うし一人で上京、義太夫として生計を立てる

57日本@名無史さん2016/12/24(土) 18:52:05.07
太古から徳島は国宝級。

58日本@名無史さん2016/12/24(土) 18:53:56.53
「阿波で千年、京で千年」

59日本@名無史さん2017/01/15(日) 17:28:13.19
元皇族?の竹田を洗脳して広報役にさせようぜ

60日本@名無史さん2017/03/30(木) 19:47:10.17
「小学生より学力が足りないで賞」受賞

「テンプレの誤字も直した方が良いで賞」受賞
↓              
「まだわからないで賞」受賞

俺は悔しくて泣いた。

だが、ボキャ貧キウスの知らない単語な線もある。

「無教養露見で賞」受賞

❓❓❓
.      /テンプレ\ 誤字ったってキウスやサイキバみたいは
     /        \   単なるタッチミスもある
.   /      (゚) (゚)  \   ❓❓❓
   |        )●(    | キウスが笑い者なだけ❓
.   \       廿   / 誤字って何❓
.   ノ            \    ❓❓❓
👆「自分で発見しないと笑いもので賞」

61日本@名無史さん2017/04/24(月) 12:48:18.21
乱立晒しあげ

62日本@名無史さん2017/04/24(月) 15:49:32.77
ドンと来い!♪

63日本@名無史さん2017/04/25(火) 20:35:47.83
90 : 日本@名無史さん2017/03/12(日)
>>88
狗邪韓國は何人の領土?

95 : 1 ◆q8leUXpsw. 2017/03/12(日)
>>90
領土といいう観念に語弊があるかとは思いますが韓人の国でしょう
金官国の全身とするのが通説です



この衝撃的な失言を落とすために
スレ乱立して板操作しておりますですよ

64日本@名無史さん2017/04/27(木) 10:05:20.71
1 ◆q8leUXpsw.
こいつは韓国びいきか?

65日本@名無史さん2017/05/10(水) 16:51:40.50
今の韓国人と当時の韓人は別だからね

66日本@名無史さん2017/05/16(火) 13:25:46.44
徳島だけで七万戸は無理だから香川や愛媛の一部も含まれるだろね。
高知は狗奴国

67日本@名無史さん2017/05/16(火) 18:11:01.39
四国に縛らなければ、淡路島や吉備も倭国に入る。
狗奴国は南部九州だろう。

68日本@名無史さん2017/05/19(金) 17:25:54.00
だったら吉備になるだろ

69日本@名無史さん2017/05/22(月) 19:30:03.92
畿内スレ232で邪馬台国の時代は関門海峡も瀬戸内海も整備されていなかったので航行が無理だと畿内説と共に論破されました。

四国説は泡(淡路)となって消えました。

以下は悪足掻きの書き込みです。

70日本@名無史さん2017/05/22(月) 22:35:04.45
>>69は、関門海峡と瀬戸内海しか海がないと信じている、奇特な御仁です。

71日本@名無史さん2017/05/22(月) 22:57:35.45
>>70
太平洋でもありえない。周防灘では都合が悪くなる。
Twitterでごめんなさいすれば?

72日本@名無史さん2017/05/23(火) 05:15:53.15
>>71
>太平洋でもありえない。周防灘では都合が悪くなる。

理由を聞こう。 なんで?

73日本@名無史さん2017/05/23(火) 14:53:28.56
>>72
周防灘では距離が合わないことは畿内説で比定されたじゃないか。お前の出した説が比定された。
太平洋を手漕ぎ船で行くとなると色々と無理があるのだよ。黒潮に乗ってしまうと陸から離れてしまう。
であるなら瀬戸内海だが当時の航行は整備されておらず無理。
整備されていないのは太平洋にも言えるし太平洋だと中継地が左手にしかなく黒潮に乗ると引き離される。

74日本@名無史さん2017/05/23(火) 16:34:25.75
>>73
>周防灘では距離が合わないことは畿内説で比定されたじゃないか。

???  なんのこっちゃ?

阿波の海人を舐めたらあかんぜよ。黒潮を操られなくて、関東へなど、進出できまっかいな。

75日本@名無史さん2017/05/23(火) 17:50:55.04
>>73
日本海しかないわけだな

76日本@名無史さん2017/05/23(火) 18:03:29.04
>>75
日本海も阿波の海人の活躍の場なんですよ。

77日本@名無史さん2017/05/24(水) 01:06:18.67
出雲忌部が阿波忌部から出たという話ですか?

78日本@名無史さん2017/05/24(水) 08:07:22.89
>>77
出雲に限らず、少なくとも越前まで忌部氏の痕跡が残っていますからね。
阿波国矢野古墳から出土した「碧玉」「管玉」の原産地を分析した資料では、「管玉」は出雲産であることが判明しています。
また、佐渡の猿八遺跡の「管玉」「碧玉」は出雲まで運搬されたことも判明しています。
つまり3世紀(矢野古墳造作時期)より日本海側に「鉄」「翡翠」「碧玉」等の運搬ルートは厳然と存在していたのです。

79日本@名無史さん2017/05/24(水) 17:25:44.14
出羽の国一之宮の大物忌神社も物部氏と忌部氏に関連するのだろうね

80日本@名無史さん2017/05/24(水) 17:51:20.96
「蘇我氏」も「物部氏」も「中臣氏」も、元を辿れば全部忌部氏一族。

ここでいう忌部氏とは、平安時代の『新撰姓氏録』以降の忌部(斎部)氏ではない。

忌部氏とは倭人(広義の忌部氏)であり、古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の総称である。

81日本@名無史さん2017/06/03(土) 21:24:34.80
捕鯨は太平洋沿いの地域でないと無理だろ

82日本@名無史さん2017/06/03(土) 22:41:59.63
Bs TBs
今のところ
同大かレベルが一段のお血て多摩大のバカが来た

ベニバナが畿内独特で出

83日本@名無史さん2017/06/03(土) 22:43:31.48
馬鹿が出てきたな

首都圏はーーーー

84YV感想2017/06/03(土) 22:51:52.13
多摩大の河合さんより、
多くの素人の方の邪馬台国の畿内説の方の方が学を積んでると思った
同じ、畿内説でも河合さんよりここにカキコム畿内説の方の方が優れてる・。

85日本@名無史さん2017/06/04(日) 01:54:03.14
>>54
邪馬台国を独自に研究してるたけしも
雑誌で卑弥呼を中心とした邪馬台国四国説を言ってた

86日本@名無史さん2017/06/04(日) 06:47:51.33
>>85
それ、マジ?
だったら、さすがたけし。

87日本@名無史さん2017/06/04(日) 07:32:55.27
今年の27時間TVの司会はたけしで
テーマは日本史らしいね

88日本@名無史さん2017/06/04(日) 07:40:29.10
阿波説(四国説)が徐々に、確実に認知され始めました。
地道な郷土史家の研究に頭が下がります。

89日本@名無史さん2017/06/04(日) 12:28:17.72
昨夜のBSTBSの邪馬台国番組で取り上げられなかったやん>四国説

90日本@名無史さん2017/06/04(日) 12:45:45.65
TBSに取り上げられるより、たけしに取り上げられた方が値打ちがあるんとちゃう?

91日本@名無史さん2017/06/04(日) 14:27:20.14
>>87
徐福、飛騨王朝、出雲王朝、九州王朝、阿波王朝、騎馬民族、日ユ同祖論
などネタはいっぱいあるぞ

92日本@名無史さん2017/06/04(日) 15:11:00.08
>>85
しかし阿波徳島に北野家の先祖のルーツがあったなんて
以外すぎてビックリした

93日本@名無史さん2017/06/04(日) 15:59:45.42
>>92
阿波には、大概の資料・物・者が揃っておりますです。 ハイ

94日本@名無史さん2017/06/04(日) 17:51:36.30
>>85
なんて雑誌よ?

95日本@名無史さん2017/06/23(金) 14:43:38.31
これだけ面白いのに徳島はなんでもっと発掘しないのよ?
音楽より考古学っしょ

96日本@名無史さん2017/06/23(金) 15:22:08.99
昔と違って、最近は少しづつ発掘が進んでいます。
若杉山遺跡は33年ぶりに再調査が始まるようです。
また、若杉山に関連する「加茂宮ノ前遺跡 水銀朱の精製工房跡」
奈良に先立つ郡里廃寺遺跡(飛鳥寺院)関連遺跡「中山路遺跡」
の発掘講演が実施されます。
まぁ、遅かれ早かれ「阿波」から真実が現れるでしょう。  @阿波
 

97日本@名無史さん2017/06/24(土) 04:18:46.98
>>36
阿波ダンスのルーツは九州の熊本の牛久。

98日本@名無史さん2017/06/24(土) 07:40:24.17
阿南市は、平成29年度から若杉山遺跡の国史跡指定を目指して、より詳細な発掘調査を計画しているとのこと。

99日本@名無史さん2017/06/24(土) 08:25:30.49
国史跡指されたらどんなメリットが?

100日本@名無史さん2017/06/24(土) 09:50:22.18
予算が上がるんじゃない?

101日本@名無史さん2017/06/24(土) 12:00:08.54
観光スポットになって、邪馬台国気運が高まるだろ? 

徳島県人さえ、「其山有丹」知らない人多いから。

102日本@名無史さん2017/06/24(土) 19:00:33.50
勝瑞城は観光スポット?

103日本@名無史さん2017/06/24(土) 19:19:58.65
三好長慶や三好三人衆の認知がいまいち。大河ドラマにでも取り上げられれば観光スポットになるんだろうが。
それと、まだ発掘中でもあり、観光スポットにはなっていない。
それより、阿波国内で古事記ツアー組むと面白いんだが。古事記ストーリーを巡るバスツアーとか。
なんせ、阿波国内を躍動した跡が至る所にあるからね。

104日本@名無史さん2017/06/24(土) 21:17:06.28
イザナギ逃避行巡りとか、出雲国譲り巡りとか、天孫降臨ルート巡りとか、神武東征ルート巡りとか
モモソ媛移動ルート巡りとか、壬申の乱移動ルート巡りとか、歴代天皇宮都・陵墓巡りコースとか
まぁ、他説では絶対無理なお話。

105日本@名無史さん2017/06/25(日) 07:12:01.62
邪馬台国とか言わずに古事記だけでやってれば
支持する人も多いだろうに

106日本@名無史さん2017/06/25(日) 08:43:41.62
>>105
古事記は仕方なく、しぶしぶ譲るが、邪馬台国だけは諦め切れない心境か?

107日本@名無史さん2017/06/26(月) 17:49:27.62
古事記の舞台が徳島って誰も知らない
徳島人ですら知らない
もっと宣伝しないと
全国テレビで特番でも作ってくれたらいいんだが
竹田あたりを呼んで

108日本@名無史さん2017/06/28(水) 00:15:54.14
何を言ってるんだ君は

109日本@名無史さん2017/06/28(水) 12:10:21.01
最後の一文が遺憾ようだ。

110日本@名無史さん2017/06/29(木) 08:00:20.61
那賀町に城跡が見つかったらしいよ

111日本@名無史さん2017/06/29(木) 09:42:13.91
>>106
いや、古事記の舞台は阿波だと思ってるからこそなんだが

112日本@名無史さん2017/06/29(木) 09:51:40.40
いや、竹田は「阿波」に関して「無知」「不勉強」 

113日本@名無史さん2017/06/29(木) 11:02:19.81
山田物語=コダマヨシオ?

114日本@名無史さん2017/06/29(木) 15:22:57.19
竹田の古事記研究会は徳島スルーされてるね
愛媛支部はあるのに

115日本@名無史さん2017/07/26(水) 09:36:51.40
☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆

116日本@名無史さん2017/07/26(水) 16:09:55.80
山口敏太郎が阿波風土記は蜂須賀家に残ってる
って日曜のイベントで言っていたな

117日本@名無史さん2017/07/26(水) 19:45:19.39
なんで山口敏太郎がそんなこと、知り得たんだろうか?

118日本@名無史さん2017/08/23(水) 19:44:16.34
対馬海流
以下の点から、末盧國側の到着地点は呼子だと確定する。

・壱岐〜呼子は23kmと短距離な上に、間に馬渡島や加唐島があって安全性が高い。
・壱岐〜呼子の潮流は、日によって方向が変わる。(下記参照)
・楽浪土器など海外土器は伊都(沿岸〜三雲)に、日本国内各地からの土器は奴国に集中。
(国内船で混雑する博多湾と、朝鮮半島からの国際線を別々に管理)

☆潮流の向きは変化する。
対馬海峡:朝鮮半島〜対馬〜壱岐〜九州北岸 は以下の部分に分けられる。

対馬海峡西水道(朝鮮海峡):朝鮮半島〜対馬、60km
対馬海峡東水道(狭義の対馬海峡):対馬〜壱岐、55km
(壱岐から九州までは近距離にて水道外:壱岐〜呼子、23km)

潮流の向きは、海底地形や気象、潮の干満によって影響されて日々変化する。

壱岐〜呼子の表層流(海洋レーダーシステム)
<2011年6月> 北東・東:3 南西・南・南東11 北8 西3 乱流4 (日)
<2012年6月> 北東・東:3 南西・南・南東10 北7 西9 乱流1 (日)
<2013年6月> 北東・東:4 南西・南・南東6 北8 西10 乱流2 (日)
<2014年6月> 北東・東:2 南西・南・南東7 北9 西10 乱流2 (日)
<2015年6月> 北東・東:1 南西・南・南東6 北19 西3 乱流1 (日)

極端に北向きの流れが多い2015年を除いて、2011年から2014年までを平均すると、
南向き34(壱岐→呼子:28.6%) 東向き12(10.1%) 
北向き32(呼子→壱岐:26.9%) 西向き32(26.9%) 乱流9(7.6%)

119日本@名無史さん2017/08/23(水) 19:48:00.30
魏使は呼子に上陸してるし
元寇も呼子・唐津を含む肥前沿岸一帯に襲来してるよ
朝鮮通信使は呼子・唐津経由してないけどこれは目的地が江戸だからだろうな。

120日本@名無史さん2017/08/23(水) 22:48:53.39
>>119
>元寇も呼子・唐津を含む肥前沿岸一帯に襲来してるよ


魏使はおろか、元寇・朝鮮通信使も一度たりとも唐津に上陸していない。   推して知るべし  @阿波

121日本@名無史さん2017/08/23(水) 22:51:17.12
>>119

よって、対馬海流に流されて、「邪馬台国は伊都と平原遺跡」は有り得ない。  @阿波

122日本@名無史さん2017/08/23(水) 23:08:51.61
文永の役(1274)
10月5日 対馬に襲来
10月14日 壱岐に上陸
10月16日 肥前沿岸の松浦郡・平戸(長崎県)・鷹島(伊万里)に襲来

松浦党一族が防戦するも全員戦死

呼子どころか
平戸や伊万里へ襲来している。

123日本@名無史さん2017/08/23(水) 23:09:06.02
対馬海流
以下の点から、末盧國側の到着地点は呼子だと確定する。

・壱岐〜呼子は23kmと短距離な上に、間に馬渡島や加唐島があって安全性が高い。
・壱岐〜呼子の潮流は、日によって方向が変わる。(下記参照)
・楽浪土器など海外土器は伊都(沿岸〜三雲)に、日本国内各地からの土器は奴国に集中。
(国内船で混雑する博多湾と、朝鮮半島からの国際線を別々に管理)

☆潮流の向きは変化する。
対馬海峡:朝鮮半島〜対馬〜壱岐〜九州北岸 は以下の部分に分けられる。

対馬海峡西水道(朝鮮海峡):朝鮮半島〜対馬、60km
対馬海峡東水道(狭義の対馬海峡):対馬〜壱岐、55km
(壱岐から九州までは近距離にて水道外:壱岐〜呼子、23km)

潮流の向きは、海底地形や気象、潮の干満によって影響されて日々変化する。

壱岐〜呼子の表層流(海洋レーダーシステム)
<2011年6月> 北東・東:3 南西・南・南東11 北8 西3 乱流4 (日)
<2012年6月> 北東・東:3 南西・南・南東10 北7 西9 乱流1 (日)
<2013年6月> 北東・東:4 南西・南・南東6 北8 西10 乱流2 (日)
<2014年6月> 北東・東:2 南西・南・南東7 北9 西10 乱流2 (日)
<2015年6月> 北東・東:1 南西・南・南東6 北19 西3 乱流1 (日)

極端に北向きの流れが多い2015年を除いて、2011年から2014年までを平均すると、
南向き34(壱岐→呼子:28.6%) 東向き12(10.1%) 
北向き32(呼子→壱岐:26.9%) 西向き32(26.9%) 乱流9(7.6%)

124日本@名無史さん2017/08/24(木) 05:24:38.20
>>122
>呼子どころか
>平戸や伊万里へ襲来している。

「相島経由」で襲来ですね。  襲来されて喜んでいてもだめですよ。

対馬海流に流されて、末羅國(呼子・唐津)は有り得ない。

魏使はおろか、元寇・朝鮮通信使も一度たりとも唐津に上陸していない。   推して知るべし  

よって、対馬海流に流されて、スレタイ「邪馬台国は北部九州に在った」は有り得ない。  @阿波

125日本@名無史さん2017/08/24(木) 06:03:41.89
文永の役(1274)
10月5日 対馬に襲来
10月14日 壱岐に上陸
10月16日 肥前沿岸の松浦郡・平戸(長崎県)・鷹島(伊万里)に襲来
10月20日 博多へ襲来

松浦党一族が防戦するも全員戦死

呼子どころか
平戸や伊万里へ襲来している。

126日本@名無史さん2017/08/24(木) 06:09:04.84
「対馬海流が壱岐九州間では日によって向きが変わる事実」から逃げ続ける阿波説

「楽浪土器が伊都までしか来ていない事実」から逃げ続ける阿波説

元寇や朝鮮通信使を持ち出して誤魔化してもだめですよ。

阿波説=事実と向き合えない嘘つき 確定

127日本@名無史さん2017/08/24(木) 06:45:39.14
>>126
対馬海流に乗って相島まで来れば、あとは沿岸航行で平戸や伊万里へ襲来。 
バカじゃね?w

魏使はおろか、元寇・朝鮮通信使も一度たりとも唐津に上陸していない。   推して知るべし  

対馬海流に流されて、末羅國(呼子・唐津)は有り得ない。

よって、対馬海流に流されて、スレタイ「邪馬台国は北部九州に在った」は有り得ない。  @阿波

128日本@名無史さん2017/08/24(木) 07:06:58.49
@そもそも相島に元寇は襲来していない

A相島は博多湾を越えた東側

そこを足場にして沿岸航行で
16日に平戸攻略
20日に博多攻略
ということは全くありえない。

完全なる阿波説のミスリード。
適当に口から出まかせの阿波説。

阿波説=事実と向き合えない嘘つき 確定


文永の役(1274)
10月5日 対馬に襲来
10月14日 壱岐に上陸
10月16日 肥前沿岸の松浦郡・平戸(長崎県)・鷹島(伊万里)に襲来
10月20日 博多へ襲来

129日本@名無史さん2017/08/24(木) 07:07:52.97
対馬海流
以下の点から、末盧國側の到着地点は呼子だと確定する。

・壱岐〜呼子は23kmと短距離な上に、間に馬渡島や加唐島があって安全性が高い。
・壱岐〜呼子の潮流は、日によって方向が変わる。(下記参照)
・楽浪土器など海外土器は伊都(沿岸〜三雲)に、日本国内各地からの土器は奴国に集中。
(国内船で混雑する博多湾と、朝鮮半島からの国際線を別々に管理)

☆潮流の向きは変化する。
対馬海峡:朝鮮半島〜対馬〜壱岐〜九州北岸 は以下の部分に分けられる。

対馬海峡西水道(朝鮮海峡):朝鮮半島〜対馬、60km
対馬海峡東水道(狭義の対馬海峡):対馬〜壱岐、55km
(壱岐から九州までは近距離にて水道外:壱岐〜呼子、23km)

潮流の向きは、海底地形や気象、潮の干満によって影響されて日々変化する。

壱岐〜呼子の表層流(海洋レーダーシステム)
<2011年6月> 北東・東:3 南西・南・南東11 北8 西3 乱流4 (日)
<2012年6月> 北東・東:3 南西・南・南東10 北7 西9 乱流1 (日)
<2013年6月> 北東・東:4 南西・南・南東6 北8 西10 乱流2 (日)
<2014年6月> 北東・東:2 南西・南・南東7 北9 西10 乱流2 (日)
<2015年6月> 北東・東:1 南西・南・南東6 北19 西3 乱流1 (日)

極端に北向きの流れが多い2015年を除いて、2011年から2014年までを平均すると、
南向き34(壱岐→呼子:28.6%) 東向き12(10.1%) 
北向き32(呼子→壱岐:26.9%) 西向き32(26.9%) 乱流9(7.6%)

130日本@名無史さん2017/08/24(木) 07:09:46.52
今さら議論する問題じゃなくって、
固定座標が決まっているから、結果も最初から決まっているでしょ。

対馬・壱岐は固定
伊都の三雲南小路遺跡も考古学的に固定

壱岐から千里という条件と
三雲南小路から五百里という条件
これも固定

地図を見たら、唐津を直角点とした、
壱岐・三雲・唐津を頂点とする、辺が2対1の直角三角形なわけで、
その固定条件を満たす場所は、唐津になる。

なんのことはない、単純明快な解答だよ。


漢と伊都の交流が密だったことは三雲の楽浪土器や硯が証明しているのだから、
三雲南小路や井原鑓溝の縮小版王墓である
宇木汲田や桜馬場の被葬者は、
漢代における唐津国際港の長官だったわけだ。

東アジアが動乱期に入ると唐津長官がいなくなるということは、
公孫氏との交流も
魏との交流も
晋との交流も
「漢代に比べると」疎だったことも考古学的にわかる。

131日本@名無史さん2017/08/24(木) 07:11:43.28
「対馬海流が壱岐九州間では日によって向きが変わる事実」から逃げ続ける阿波説

「楽浪土器が伊都までしか本格分布していない事実」から逃げ続ける阿波説

元寇も壱岐から松浦平戸伊万里へ襲来。

阿波説=事実と向き合えない嘘つき 確定

132日本@名無史さん2017/08/24(木) 08:41:06.69
>>131

魏使はおろか、元寇・朝鮮通信使も一度たりとも唐津に上陸していない。   推して知るべし  

対馬海流に流されて、末羅國(呼子・唐津)は有り得ない。

よって、対馬海流に流されて、スレタイ「邪馬台国は北部九州に在った」は有り得ない。  @阿波

133日本@名無史さん2017/08/24(木) 15:50:10.49
>>132
泡君、嘘は何回言っても嘘だよ
君の信用がなくなるだけ

134日本@名無史さん2017/08/28(月) 04:54:37.96
徳島はでっかい吉野川があるから大きな文明があったとしてもおかしくないな

135日本@名無史さん2017/08/29(火) 09:35:24.69
すいません

小野妹子がどうやってヤマトに使者を案内したか
推測してる記事を見つけたのでぺたり
https://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/55301087.html

私は
阿波=倭説を支持します!

少なくとも
隋代は倭の都は阿波にあったと。

136日本@名無史さん2017/08/29(火) 10:57:04.95
「郡里廃寺跡 (白鳳寺院)」
吉野川の北岸、扇状地上に営まれた白鳳時代創立の寺院跡である。
早くから立光寺跡として知られていたものであり、調査の結果「法起寺」式伽藍配置をとるものであることが判明した。
塔跡基壇は各辺12メートルをはかり、塔軸部初重の1辺は中の間が2.3メートル、両脇間はそれぞれ2.08メートルと復原することができる。
塔心礎は旧地表下に据えたものであり、中央に径13センチ、深さ6.5センチの舎利孔が穿たれている。
心礎上に据えた心柱は、南北径1.06メートル、東西径1.08メートルをはかる不整八角形を呈し、心柱四周を根巻板で囲むことが知られた。
金堂跡は東西18メートル、南北15メートル前後と復原される。塔、金堂間の心を東西に47メートルへだてた位置に石敷列が走り、
その下方に土塁を発見しており、また塔、金堂心より南北に60メートルをへだてた位置で同様な遺構を発見し、寺域をほぼ知ることができる。

137日本@名無史さん2017/08/29(火) 11:00:12.77
「石井廃寺跡」
石井廃寺は、南に緩く傾斜する段丘面上にある古代寺院である。
古くから瓦の出土などにより寺院の存在が推定されていた。
1957年(昭和32年)〜1959年(昭和34年)発掘調査が行われ、東に塔、西に金堂が並ぶ
法起寺式の伽藍配置であることが分かった。
また、明瞭な遺構は確認されないものの、二つの伽藍の北に講堂、南に中門が存在した
と推定されている。
出土遺物には瓦・土師器・須恵器の他に瓦塔などがある。
瓦の文様などから奈良時代前半に建立されたと考えられる。

138日本@名無史さん2017/08/29(火) 11:02:00.93
「入田瓦窯跡」 
http://goutara.blogspot.jp/2011/06/blog-post_25.html
内御田窯跡群の中のひとつであり、気延山南の東斜面にある。奈良時代に屋根瓦を焼いた
窯跡で、外に須恵器も焼かれている。
18段の小さい段状の燃焼部と煙出し部分が確認されているが、燃料を燃やす焚き口部分は
残っていない。全長10m、幅1.3m、勾配45度の瓦窯様式である。
軒丸瓦と軒平瓦が出土しており、阿波国分寺跡・阿波国分尼寺跡・石井廃寺跡などで見つ
かっていることから、瓦を供給されるために作られたことが分かる。
奈良時代から平安時代初頭と案内の看板には記されているが、石井廃寺跡出土瓦
と同形式であるならば白鳳文化と呼ばれる頃と推測される。

139日本@名無史さん2017/08/29(火) 11:03:28.32
蘇我氏の祖廟「蘇我氏神社」は、徳島県名西郡石井町城ノ内「曾我氏(そがうじ)神社」である

「曽我氏神社古墳群」
http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%C0%D0%B0%E6%C4%AE%2F%C1%BE%B2%E6%BB%E1%BF%C0%BC%D2%B8%C5%CA%AF%B7%B2

140日本@名無史さん2017/08/29(火) 11:06:56.81
奈良藤原京より先の時代、7世紀中頃の阿波の役人は木簡に習字をしていた。
徳島県国府町の観音寺・敷地遺跡から出土した7世紀中頃の論語木簡は、日本で一番古い出土木簡である。
ちなみに、同遺跡から円面硯・風字硯・須恵器蓋転用硯、上級貴族が使用する油杯(燈明)など官衙有数の資料が重要文化財に指定されている。

ではなぜ、奈良藤原京より先の時代に、阿波の地にそれらが存在したのか。

それは、7世紀末頃に阿波から奈良へ遷都(持統朝)する直前まで、阿波に倭の王権・王都があった証である。

阿波国府推定地に隣接する観音寺・敷地遺跡出土品(重要文化財指定)
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/213354

141日本@名無史さん2017/08/29(火) 23:47:18.90
ありがとう
もっと知りたいぜ

忌部氏は学術的には、太玉命が祖で
五十猛(天香山)と一緒に安芸 伊予 阿波と来たみたいね。

今日は
忙しいのでまた明日聞きます。では

142日本@名無史さん2017/08/30(水) 06:30:39.41
これまで「忌部」の研究が不足していたため、歴史の中で有名なその他の氏族のみで仮説・ストーリーが立てられてきた側面がある。

今後の研究が進み関係が明らかになることを期待する。

143日本@名無史さん2017/08/30(水) 06:32:04.39
ここでいう忌部氏とは、平安時代の『新撰姓氏録』以降の忌部(斎部)氏ではない。

忌部氏とは倭人(広義の忌部氏)であり、全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の総称である。

144日本@名無史さん2017/08/30(水) 06:46:56.29
>>143
もちろんそのつもり

忌部は新撰姓氏録では神別つまり皇別天皇家に随伴したとされる古代氏族のなかで最も全国満遍なく敷衍した族で

神話に近い時代の古族だから実態が分析しきれてないのが現状

ただわかってる範囲では
物部氏と随伴する古族ということ
安芸に繁衍する拠点があったこと
安芸から宇佐、伊予
宇佐からは筑紫忌部
伊予を経由して阿波忌部や讃岐忌部
阿波忌部から摂津三島に入った系から三上祝が
また東国房総、北上して陸奥にも一大根拠地を持ち一族は多い。

145日本@名無史さん2017/08/30(水) 07:02:10.71
>>144
>物部氏と随伴する古族ということ

日本一社 延喜式式内社 阿波國麻殖郡 伊加々志(いかがし)神社
鎮座地  徳島県吉野川市川島町桑村字大明神1635
御祭神  伊加賀志許賣命(いかがしこめのみこと) 伊加賀色許雄命(いかがしこおのみこと)

『先代旧事本紀』によれば、伊加賀色許賣命・伊加賀色許雄命 両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
また、日本書紀によると伊加賀色両神の母(『先代旧事本紀』によれば“父”)
とされる大綜杵命(饒速日命5世孫)も、隣町鴨島町の「御所神社」に祀られている。
このような人間関係から一般的には、伊加賀色許雄命から更に遡って饒速日命までを「物部氏の祖」とし、
物部なのだから、みな河内(そもそも“河内”は阿波の一般的な地名)の人間であると単純に考える人が多い。
しかし、
@ 「イカガシ」の名を冠し、「イカガシコメノミコト」を御祭神とする式内社が、全国で阿波国麻植郡のみに存在すること
A 伊加々志神社は朝廷から「大明神」の称号を送られていること
B 母神もまた同地(忌部の本拠地である)麻植郡に祀られていること
C 『阿波両国神社録』(1430)に当社が忌部神社8摂社のひとつに挙げられていること

などから、伊加賀色許賣命は阿波忌部の女性である可能性が高いと考えられる。

※同じく祭祀を司る物部氏との関係は、同族分派の可能性もあるのである。

146日本@名無史さん2017/08/30(水) 07:55:43.05
阿波から奈良大倭への遷都(7世紀後半〜710年)によって、忌部の本家は阿波に留まる一方、その一部が奈良大倭に渡り、やがて諸国の忌部を統括することになる。 これが中央忌部である。

阿波に残った忌部の本家は、同家の本源的職掌である麁布・木綿及び高天原の山の幸を由加物として、践祚大嘗祭の度ごとに新都に送った。 母国からの調進である。

忌部の本家が阿波に残った理由は、天照大神以来、天孫(天皇)の祭祀に必要な神具は「高天原で採取調整されなければならない」という、天岩屋戸神話に由来する神典を墨守したからである。

「由加物使」一行が阿波から京に向かうに、通過する国々の道路は掃き清められ、国司らが出迎えるという『延喜式』の別格規定は、高天原から新都に向かう「宗国からの使」という意味からである。

また、「麁布」がすべての貢進物の中で、唯一「神祇官扱い」になるなど、超絶した扱いとなっているのは、記紀神話で、天照大神が高天原において機織女を召して織らしめ、

また大神自らも織られたとする「神御衣」と見立てているからであり、それを忌部の本家(阿波忌部)が、畏れ多くも代行厳修し、麁布として織り上げたものを、新天皇が践祚大嘗祭に奉奠して天照大神にお示しし、

大神から、日嗣の認承を賜る「物実」(正当な皇位継承者であることを大神の御前で証明するための品)と観念されたからである。

147日本@名無史さん2017/08/30(水) 19:58:41.16
忌部氏都合よすぎワロタ

148日本@名無史さん2017/08/30(水) 20:20:56.91
都合よすぎるぐらい凄いでしょ、忌部はん(阿波では、いんべはん)。   @阿波

149日本@名無史さん2017/08/31(木) 04:30:13.55
>>144
出羽国の一宮が大物忌神社だし陸奥だけじゃなく出羽もね
大物忌神社がある鳥海山は海に近い高い山で山頂付近でのかがり火が灯台の役目を果たし日本海交易の要所だったと思われます

150日本@名無史さん2017/08/31(木) 06:58:05.46
祭物を管掌し各地で集めるのが忌部なんだから、どこにだっているだろ
うちの方にも地名が残ってるよ
服部も刑部も建部も弓削も・・・鳥取だってそうだろ
そんなことが、とにかくすごい阿波忌部氏すごいの理由になるのかよ

151日本@名無史さん2017/08/31(木) 08:39:44.45
>>150

ここでいう忌部氏とは、平安時代の『新撰姓氏録』以降の忌部(斎部)氏ではない。

忌部氏とは倭人(広義の忌部氏)であり、全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の総称である。

152日本@名無史さん2017/08/31(木) 11:23:56.51
それもう忌部氏じゃなくね?ムー的な何かだろ

153日本@名無史さん2017/08/31(木) 12:12:48.52
>>152
>それもう忌部氏じゃなくね?ムー的な何かだろ

当時の諸地域にとっては、そんな「スーパー頭脳集団」に映ったことだろう。    @阿波

154日本@名無史さん2017/08/31(木) 13:30:09.69
>>152
忌部氏は
>>151
阿波氏がおっしゃるように

中央に進出した時点の中央忌部氏が王権中枢にあって
現代に至るまで阿波に残った本家とつながりを保ってきた。

アワが古代から唯一阿波と安房 二つ国があるように 阿波土佐紀伊伊勢伊豆そして房総への太平洋ルートを長く一族のつながりを持って今に至る

物部氏との繋がりが深いことは既出の通り。

物部氏は軍事氏族の印象が強いが
物部はそもそも物実を扱う部民を構成したことからもわかるように、要するに養蚕 機織 冶金 鍛治と道具の生産技術を保っていた そのうちの
神祇儀礼品の生産部隊が忌部氏であろう。
物部氏のあるところ忌部あり。

155日本@名無史さん2017/08/31(木) 13:47:37.87
>>154
>アワが古代から唯一阿波と安房 二つ国があるように 阿波土佐紀伊伊勢伊豆そして房総への太平洋ルートを長く一族のつながりを持って今に至る

出雲、北陸への、日本海ルートも掌握しています。   @阿波


>物部氏のあるところ忌部あり。

忌部氏のあるところ物部・中臣・蘇我・葛城あり。   @阿波

156日本@名無史さん2017/08/31(木) 13:57:06.53
>>150
確かに

阿波忌部がすごいわけではないな。

ただ今回の件でいろいろ調べなおして
阿波という土地には未解明の何かがあると思う。

>>155
最近の分子遺伝学の成果によると
阿波である徳島県にはハプロNとOの祖型NOが特異的に多い。
ハプロNとOは四川省で分岐したことがわかってるそうでハプロNの人たちはおおむねウラル語族の人たちだという。

Oの人は台湾経由してそこから
オールトロネシア語族の一大分派を形成して太平洋諸島に進出したことがわかってる。

阿波の大宜津比売は南洋に同じ話があるから
たぶん、そういう古い人たちが阿波にたどり着いて生活してたんだろう。

157日本@名無史さん2017/08/31(木) 14:12:16.02
>>155
氏族系譜をみると

物部と穂積の祖が ウツシコオ。
穂積はのち臣姓、物部は一貫して連なので
血族的には穂積が本宗。

阿波近くの穂積氏の拠点がわからんけど
ヤマトの土蜘蛛に臍見の祝というものがいるから
そのあたり在地に穂積と近い地名があった可能性が残る。

阿波国になるまえには長国造がおかれたし
長国造の系譜にナガスネヒコに相当しそうな人物もいる。
ウツシコオはニギハヤヒを祖として
在地に入婿してうましまじが生まれてその後裔がウツシコオだから、いろいろ整合してるだけはある

158日本@名無史さん2017/08/31(木) 14:44:42.30
昨日調べてまたびっくりしたのは、

和邇氏の祖とされる孝昭天皇
御名 ミマツヒコカエシネ であるが
同じような名前のミマツヒコイロトを祭神とするミマツヒコ神社がなんと阿波にはある。

これは実は実に系譜として怪しいと言われる
海部氏勘中系図に
倭宿禰の系の一方でその孝昭天皇の皇后となったおきつよその妹 が出る
おきつよそは丹波与謝在地の母系であろうが
海部氏は 丹波からヤマトに来る前に東播磨を経由したとみられ
ヤマトが直接奈良盆地を指すのではなく
阿波に来たのなら

出雲口承でいう
海部氏の村雲がヤマトの初代大王で
安寧天皇までは登美家から三代続けて后妃を出したから磯城王朝と呼ばれたが
いきなり断絶してミマツヒコカエシネ孝昭天皇が
登場することと整合するのである

なんとなれば安寧天皇の子に和知津見がおり
これが「淡路宮にいた」ということとも整合する

159日本@名無史さん2017/08/31(木) 14:55:52.43
村雲の後の系は
葛城から嫁をもらって尾張氏になる。

尾張氏はヤマトにいたときは高尾張村にいたというが奈良盆地葛城山麓にはその高尾張の地名の痕跡がないのです。

まさか
阿波にあったり?

160日本@名無史さん2017/08/31(木) 15:12:04.41
>>158
それと
出雲口承では
まず出雲族本宗のクシヒカタの登美家がヤマトの開拓をし
後から丹波 播磨経由で 村雲が丹波人をヤマトに連れて来たから 登美家は 「磯城」つまり三輪山山麓にうつったという。

奈良盆地内の移動という先入観があったが
これも阿波から三輪山への移動の可能性も?

和邇氏の奈良盆地での拠点は奈良盆地の北である。孝昭天皇が宮を葛城山麓の奈良盆地西南部に置いたのと整合しないのである。そこはアジスキタカヒコネを祖神とする高鴨家がいたはずなのである。

阿波ヤマトから、両出雲族が押し出されて奈良を開拓した、という可能性が、出て来たのではと!

161日本@名無史さん2017/08/31(木) 15:15:44.68
民族の移動は常に玉突きなのであって
自ら外を求めて移動したりしない。

移動せざるを得ない状況が、あるから移動するのである。

162日本@名無史さん2017/08/31(木) 15:51:14.71
>>160
倭人伝・記紀は倭国(阿波)を記しています。 

そういった事例は阿波では珍しくありません。

阿波は実に面白い所なんですよ。   @阿波

163日本@名無史さん2017/08/31(木) 16:04:35.67
>>159
>まさか
>阿波にあったり?

まさかではありません。
徳島県阿波市土成町高尾
徳島県板野郡板野町高尾山(標高270m) 麓に特異な「黒谷川郡頭遺跡」がある。   @阿波

164日本@名無史さん2017/08/31(木) 16:45:12.85
>>163
>>>159
>>まさか
>>阿波にあったり?
>
>まさかではありません。
>徳島県阿波市土成町高尾
>徳島県板野郡板野町高尾山(標高270m) 麓に特異な「黒谷川郡頭遺跡」がある。   @阿波

おや、黒谷川郡頭遺跡。
工房あとで有名なところですな。

かつらぎ
あるいは
かずら
がないですか。

165日本@名無史さん2017/08/31(木) 16:49:34.83
>>163
高尾では少し関係が薄いキモ。

尾張は
オワリですが現代では

奈良時代にはオハリだった。

小墾田 これはオハリダですが
尾治 これでもオハリで尾張です

166日本@名無史さん2017/08/31(木) 17:07:51.57
>>165
結局は、大和も伊勢も尾張も阿波が出自ですから。   @阿波

167日本@名無史さん2017/08/31(木) 17:14:26.31
>>164
葛城神社

鎮座地 徳島県鳴門市北灘町粟田

ご祭神 葛城 一言主神 別称 言離神《ことさかのかみ》

168日本@名無史さん2017/08/31(木) 18:19:34.16
>>167
いろいろキーワード検索していたら
阿波徳島の古代に関していろいろ活動してる方がいらっしゃるんですね。

葛城は鳴門にあると。葛城も奈良に移遷できると。
すげぇなぁ。

現存系譜はうましまじの後に
おおへそきがありますが
麻植 が
実体 日鷲の後裔ということで。
物部氏と混同されてる嫌いがあると。

169日本@名無史さん2017/08/31(木) 18:46:18.03
尾張の元は河内の南部、二上、葛城山の西麓にあるのだが。
視野が狭いと九州バカと同じ間違いをするよ。

170日本@名無史さん2017/08/31(木) 18:55:55.17
>>169
>尾張の元は河内の南部、二上、葛城山の西麓にあるのだが。


河内の南部、二上、葛城山の西麓も尾張も阿波が出自ですから。   @阿波

171日本@名無史さん2017/08/31(木) 18:59:17.03
何の根拠もなく言い張るのはまるで九州バカと同じだねw
まぁ別キャラなのはバレバレなんだが。

172日本@名無史さん2017/08/31(木) 18:59:34.91
>>169
おお!今で言うとどの辺りでしょう!
石切駅あたりですか?!

173日本@名無史さん2017/08/31(木) 19:04:12.10
>>171
>何の根拠もなく言い張るのはまるで九州バカと同じだねw

君も九州バカとどっこいどっこいでしょ。   @阿波

174日本@名無史さん2017/08/31(木) 19:06:46.93
>>172
もう少し南で蘇我や物部のルーツでもある古市辺りになる。
もっと遡ってゆくと吉野山中になってゆくだろうが。

175日本@名無史さん2017/08/31(木) 19:11:46.82
江戸以前に阿波の連中が元伊勢として参っていたのは
奈良と大阪の県境にある孝霊厨いち押しの明神山だから。
ヒルメ山という名からも判るように天照大神の名が付いた山だからな。
こういう事実を見落としてはいけないよ。

176日本@名無史さん2017/08/31(木) 19:14:53.45
>>174

そんなこと言っても、蘇我や物部のルーツは忌部なんだがw   @阿波

177日本@名無史さん2017/08/31(木) 19:16:12.41
少なくとも蘇我のルーツではないよw

178日本@名無史さん2017/08/31(木) 19:35:17.22
>>175は孝霊厨

179日本@名無史さん2017/08/31(木) 19:52:40.46
>>178
残念ながら違う。

180日本@名無史さん2017/08/31(木) 19:56:38.31
孝霊厨も宗旨替えしたか?

181日本@名無史さん2017/08/31(木) 20:22:29.84
孝霊厨は最近見ないが畿内説だろう。

182日本@名無史さん2017/08/31(木) 20:22:31.25
孝霊厨ってなんですか?(笑

183日本@名無史さん2017/08/31(木) 20:38:04.43
>>174
なるほど、現地の土地勘がないので助かります。
河内は正直文献上の言及で出てこないので
出て来るときの背景がわからないんですよね。

大田田根子も河内の陶邑にいましたし。

184日本@名無史さん2017/08/31(木) 21:19:05.54
>>183
記紀には崇神紀七年、「大田田根子」を大物主大神の祭主とし、翌八年には高橋邑の「活日」を大神(オオミワ)の掌酒(サカビト)にすると記されています。

大神とは「大物大主神」を指し、祭主となった「大田田根子の祭祀場」と掌酒を分担した「活日の高橋邑」は近接していたことになりますが、

「段の塚穴」の対岸 貞光川岸に「太田」と「高橋」の地名が並んで残っております。(その他「倭大国魂神社」の存在も大きい)

「大田田根子」は「大国主命」の五世孫とされ、崇神天皇は河内の美努村(ミノノムラ)から「大田田根子」を探し求めたとされます。

ここの「河内の美努村」とは「三好郡美野郷」のことで、現在の三野町にあたります。

また日本書紀では「陶邑(スエムラ)から大田田根子を得た」とありますが、こちらは三野町の対岸の三加茂町、その下流の半田(ハンダ)町を陶邑に考えられる。

半田(ハンダ)は植田(ハニタ)が変化したもの。 これは陶器や埴輪、瓦をつくる邑の意味になります。

このように「太田田根子」にまつわる伝承は、阿波の地名や伝承、そして「倭大国魂神社」が、旧美馬郡に鎮座していることから立証することができるのである。   @阿波

185日本@名無史さん2017/08/31(木) 21:25:20.94
河内は池上曽根遺跡の存在が大きいな。
正直阿波なんかより遥かに重要だね。

186日本@名無史さん2017/08/31(木) 21:30:15.22
>>185
>河内は池上曽根遺跡の存在が大きいな。
>正直阿波なんかより遥かに重要だね。

そんなこと言ったって、そこも阿波の人たちの集落なんだからw   @阿波

187日本@名無史さん2017/08/31(木) 21:34:35.83
もはや阿波男は何の根拠も出せないのかw
やはり九州説のなりすましがバレてるぞ。

188日本@名無史さん2017/08/31(木) 21:46:00.66
>>187

讃岐女に阿波男、だって。   @阿波

189日本@名無史さん2017/08/31(木) 21:48:05.15
本当は「讃岐男と阿波女」なんだよ。   @阿波

190日本@名無史さん2017/08/31(木) 21:49:11.33
必死で調べた事を書き連ねてもダメだな。
何の整合性も示せないから相手にされないんだよ、阿波男はw

191日本@名無史さん2017/08/31(木) 22:27:59.44
>>185-186

おおそれそれ。纒向の直前に
唐子鍵とか布留遺跡があるように
河内には池上曽根遺跡があった。

河内と阿波の関係はどうだったんだろう
阿波側の弥生終末期の遺跡の情報って
断片的で遺跡相互の前後関係がよくわからないので。

192日本@名無史さん2017/09/01(金) 06:58:16.67
>>185
>河内は池上曽根遺跡の存在が大きいな。
>正直阿波なんかより遥かに重要だね。

そもそも、弥生時代中期の遺跡で、その後消滅している。 邪馬台国と関係しない。

そりゃ、「矢野遺跡」「名東遺跡」「庄・蔵本遺跡」等、鮎喰川下流域集落が遥かに重要だね。

池上曽根遺跡の朱の高坏や勾玉も阿波産だろう。   @阿波

193日本@名無史さん2017/09/01(金) 09:09:13.96
そもそも阿波に邪馬台国を思わせる物は皆無なのにねw

194日本@名無史さん2017/09/01(金) 09:13:42.42
昔の徳島の人は元伊勢として明神山へ参っていたのか。
それだけで答えは出てるよね。

195日本@名無史さん2017/09/01(金) 09:24:22.22
そんなことだけで出るんだ

196日本@名無史さん2017/09/01(金) 09:28:32.67
>>193-194
阿波説をぎゃふんと言わせる反論はないの? それとも出来ないの?  物足りないね。

そりゃ、「矢野遺跡」「名東遺跡」「庄・蔵本遺跡」等、鮎喰川下流域集落が遥かに重要だね。

池上曽根遺跡の朱の高坏や勾玉も阿波産だろう。   @阿波   

197日本@名無史さん2017/09/01(金) 09:35:25.45
>ぎゃふんと言わせる

さすが昭和の爺らしい表現だw

198日本@名無史さん2017/09/01(金) 09:37:36.44
>>197

それだけ? 阿波説をぎゃふんと言わせる反論はないの? それとも出来ないの?  物足りないね。   @阿波

199日本@名無史さん2017/09/01(金) 09:40:29.68
>>195
少なくとも聖地として見ていた事は事実だろう。
しかもその辺りは鏡でも弥生中期の物があったりするし。
当時阿波には存在しないでしょ?

200日本@名無史さん2017/09/01(金) 09:44:47.08
>>199
>当時阿波には存在しないでしょ?

なにが存在しないの?

201日本@名無史さん2017/09/01(金) 09:55:15.03
阿波男は日本語読めないのか?

202日本@名無史さん2017/09/01(金) 09:55:44.19
>>175
>江戸以前に阿波の連中が元伊勢として参っていた

そんなこと、聞いたことないが?
今でも伊勢神宮には阿波の人たち、大勢参詣しているけど、「明神山」? なにそれ?
江戸時代に参っていて、江戸以降に参っていないの? なんで?  嘘伊勢だったから?   @阿波

203日本@名無史さん2017/09/01(金) 10:03:01.79
>>201

それが精一杯? 阿波説をぎゃふんと言わせる反論はないの? それとも出来ないの?  物足りないね。   @阿波

204日本@名無史さん2017/09/01(金) 10:32:29.05
>>202
なんで阿波が邪馬台国なの?
そんな話聞いた事もないよ。
元々そんな話もない大嘘だからじゃないの?

205日本@名無史さん2017/09/01(金) 10:36:11.14
そもそも四国なんて平家の落ち武者達が隠れていった場所だからな。
地名や神社の由来もそういった連中が
持ち込んだにすぎない話。
阿波バカなんて所詮はオカルトに被れた底の浅い男なんだよw

206日本@名無史さん2017/09/01(金) 10:42:30.43
>>204

初心者?

207日本@名無史さん2017/09/01(金) 10:43:45.64
>>205

それが精一杯? 阿波説をぎゃふんと言わせる反論はないの? それとも出来ないの?  物足りないね。   @阿波

そりゃ、「矢野遺跡」「名東遺跡」「庄・蔵本遺跡」等、鮎喰川下流域集落が遥かに重要だね。

池上曽根遺跡の朱の高坏や勾玉も阿波産だろう。   @阿波  

208日本@名無史さん2017/09/01(金) 10:47:01.40
阿波は九州バカと文体が全く同じなんだよなw

もう少し学習してこいよ、アホ

209日本@名無史さん2017/09/01(金) 11:41:42.34
>>208
>阿波は九州バカと文体が全く同じなんだよなw

阿波からの攻め文体と九州からの攻め文体が同じ?

そりゃ、そうなるでしょうよ。 畿内説の妄想を突くんだから。

ところで、反論それが精一杯? 阿波説をぎゃふんと言わせる反論はないの? それとも出来ないの?  物足りないね。   @阿波

そりゃ、「矢野遺跡」「名東遺跡」「庄・蔵本遺跡」等、鮎喰川下流域集落が遥かに重要だね。

池上曽根遺跡の朱の高坏や勾玉も阿波産だろう。   @阿波  

210日本@名無史さん2017/09/01(金) 12:26:07.94
何の根拠を出せないのも全く同じな阿波男w
やっぱり九州バカのなりすましかよ。

211日本@名無史さん2017/09/01(金) 12:31:01.29
阿波説なら

倭国大乱の正体をどう見る?

私は出雲口承通りで、播磨西部に日矛族が
攻めてきて
淡路の製鉄遺跡はそのために稼働したと思う。

奈良ヤマトが主戦場ならもっと鏃がでてきてよいと思うからね。

卑弥呼共立直前の 後漢末 は
丹波の鉄生産能力も高かったはずなので。
丹波勢力がでも播磨まで出てきて戦ったとは思えないけどね。

播磨在地の伊和大神 出雲族が 対応した。

212日本@名無史さん2017/09/01(金) 12:57:56.32
>>211
>阿波説なら
>倭国大乱の正体をどう見る?


倭国(阿波)国内の争乱ですね。  県南部(長國)と県北部(粟国)の覇権争いなんですよ。

ちなみに、神武東征は阿波市→鳴門市への侵攻ですね。   @阿波

213日本@名無史さん2017/09/01(金) 13:07:21.51
>>211
倭国(阿波)から全国へ拓殖進出していますが、各拓殖先では大した抗争は無かったと考えています。

むしろ、歓迎されたのではないでしょうか。 先進文化・技術をもたらされたので。   @阿波

214日本@名無史さん2017/09/01(金) 13:25:10.11
日矛族撃退に
出雲族&海幸族は手をやいたので
九州から山幸族を招いた

海幸族が山城、丹波、伊勢、尾張に進出して戦時体制をとった。

撃退後山幸族は銅矛派なので暴れた。
この手打ちが卑弥呼共立。

215日本@名無史さん2017/09/01(金) 13:41:48.43
>>214

それもみんな倭国(阿波)国内の出来事ですよ。   @阿波

216日本@名無史さん2017/09/11(月) 18:00:50.98
>>134
当時は川の大きさ=都市の大きさ、だもの

217日本@名無史さん2017/09/11(月) 19:39:33.98
それと、貴重地下資源(辰砂・蛇紋岩・紅蓮石・緑色片岩・青色片岩)も重要ですね。

それらは、西日本各地へ倭国(阿波)から供給されています。

218日本@名無史さん2017/09/16(土) 13:32:59.25
川の無い香川は小さな都市だったの?

219日本@名無史さん2017/09/16(土) 21:11:06.82
讃岐や淡路に大きな川がなくても、どちらも倭国(阿波)だから。

220日本@名無史さん2017/09/18(月) 00:57:33.90
>>205
根拠を出せと言うわりには、そもそもの根拠を出さない。
延喜式(927年)の前に平家が落ちてるのねw

221日本@名無史さん2017/09/18(月) 08:51:40.52
裏を返せば、>>205のような者が、一番本当の阿波を恐れている。   

222日本@名無史さん2017/09/29(金) 16:45:10.12
>>66
魏にはこんな強力な同盟国が居たんだって
数字を盛った可能性ある

223日本@名無史さん2017/09/29(金) 17:15:11.75
>>222
何のために数字を盛る? 魏はすでに滅んでいるよ

224日本@名無史さん2017/09/29(金) 18:50:27.87
アゲてサゲてあげくに易姓革命に話繋げるのでは

225日本@名無史さん2017/10/11(水) 06:31:28.73
対馬海流
以下の点から、末盧國側の到着地点は呼子だと確定する。

・壱岐〜呼子は23kmと短距離な上に、間に馬渡島や加唐島があって安全性が高い。
・壱岐〜呼子の潮流は、日によって方向が変わる。(下記参照)
・楽浪土器など海外土器は伊都(沿岸〜三雲)に、日本国内各地からの土器は奴国に集中。
(国内船で混雑する博多湾と、朝鮮半島からの国際線を別々に管理)

☆潮流の向きは変化する。
対馬海峡:朝鮮半島〜対馬〜壱岐〜九州北岸 は以下の部分に分けられる。

対馬海峡西水道(朝鮮海峡):朝鮮半島〜対馬、60km
対馬海峡東水道(狭義の対馬海峡):対馬〜壱岐、55km
(壱岐から九州までは近距離にて水道外:壱岐〜呼子、23km)

潮流の向きは、海底地形や気象、潮の干満によって影響されて日々変化する。

壱岐〜呼子の表層流(海洋レーダーシステム)
<2011年6月> 北東・東:3 南西・南・南東11 北8 西3 乱流4 (日)
<2012年6月> 北東・東:3 南西・南・南東10 北7 西9 乱流1 (日)
<2013年6月> 北東・東:4 南西・南・南東6 北8 西10 乱流2 (日)
<2014年6月> 北東・東:2 南西・南・南東7 北9 西10 乱流2 (日)
<2015年6月> 北東・東:1 南西・南・南東6 北19 西3 乱流1 (日)

極端に北向きの流れが多い2015年を除いて、2011年から2014年までを平均すると、
南向き34(壱岐→呼子:28.6%) 東向き12(10.1%) 
北向き32(呼子→壱岐:26.9%) 西向き32(26.9%) 乱流9(7.6%)

226日本@名無史さん2017/10/11(水) 07:36:47.98
>>225
対馬海流に流されて、呼子(末盧國)は有り得ない。

大陸からの玄関口 末羅國は福津市( 万津浦)宗像方面
だから、世界文化遺産に選ばれたのも当然と言えば当然 

もし古代より、呼子やその周辺が大陸との文化流入の玄関口であれば、
宗像地方に替わって呼子周辺が世界文化遺産になっている。

子供みたいに何時までも空言を繰り返してるんじゃないの。    @阿波

227日本@名無史さん2017/10/11(水) 07:43:08.25
>>226
現実を直視出来ずに妄想の世界に生きる男、それが@阿波。

228日本@名無史さん2017/10/11(水) 07:46:26.35
>>227

もし古代より、呼子やその周辺が大陸との文化流入の玄関口であれば、
宗像地方に替わって呼子周辺が世界文化遺産になっている。

子供みたいに何時までも空言を繰り返してるんじゃないの。    @阿波

229日本@名無史さん2017/10/11(水) 08:06:47.57
@阿波はオウムだから脳みそが少ない。

230日本@名無史さん2017/10/11(水) 08:11:57.26
「目の上のたん瘤」でごめんね。

早くトンデモ説から覚醒してね。   @阿波

231日本@名無史さん2017/10/11(水) 18:53:50.38
×目の上のたん瘤

〇このスレはたん壺

232日本@名無史さん2017/10/11(水) 20:50:16.30
☆☆☆ @阿波は単なる荒らしです ☆☆☆

反応を釣りだすのを楽しんでいるだけで、
理をもって説き伏せても同じ内容を何度も書きこんで煽ってくるクズです。

@阿波には根拠もないし、真面目に議論する気もありません。
他説が反応しやすいコピペをひたすら繰り返すだけです。

スレ汚しになるから相手しないように。
どうしても反論したいなら、たん壺に吐き出せば@阿波は必ず目を通します。
(ageれば他の皆も見てくれます)

たん壺
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1458389654/l10

233日本@名無史さん2017/10/14(土) 16:09:43.29
箸墓が4世紀後半の古墳である事が確定しているので、箸墓やホケノ山より早く古墳の作られた阿波地方が有力でしょう。

萩原一号墳は少し形式が違いますが、間違いなくホケノ山より先行しています。

234日本@名無史さん2017/10/14(土) 17:53:43.28
萩原一号墳より萩原二号墳が古いんですよ。   @阿波

235日本@名無史さん2017/10/14(土) 17:58:00.69
:::::::::::/           ヽ::::::::::::
:::::::::::|  ば  じ  き  i::::::::::::
:::::::::::.ゝ か   つ   み  ノ:::::::::::
:::::::::::/  だ  に  は イ:::::::::::::
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   \_         ,,-'
――--、..,ヽ__  _,,-''
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/. ` ' ● ' ニ 、     ,-、ヽ|:::::::::
ニ __l___ノ     |・ | |, -、::
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====( i)==::::/      ,/ニニニ
:/     ヽ:::i       /;;;;;;;;;;;;;;;;

236日本@名無史さん2017/10/15(日) 06:59:18.45
箸墓やホケノ山より前の古墳(墳丘墓)なんて無数にあることはわかってるのか?

237日本@名無史さん2017/10/16(月) 15:25:29.30
阿波の墳丘墓が畿内の古墳のルーツだよ
確実な中国産の画文帯神獣鏡も出ているし
三角縁神獣鏡なんて中国産画文帯神獣鏡のできの悪い模造品

238日本@名無史さん2017/10/16(月) 17:13:08.46
>三角縁神獣鏡なんて中国産画文帯神獣鏡のできの悪い模造品

宮谷古墳から同笵鏡が大分(赤塚古墳)、岡山(鶴山丸山古墳)
京都(内里古墳)、奈良(黒塚古墳)、群馬(天神山古墳)で出土している。

気延山周辺で模造したのでしょうね。   @阿波

239日本@名無史さん2017/10/18(水) 14:46:00.71
徳島って偉人いるの?

240日本@名無史さん2017/10/18(水) 14:51:02.78
みんなアホウだ

241日本@名無史さん2017/10/18(水) 14:59:09.18
卑弥呼(天照大御神)

242日本@名無史さん2017/10/19(木) 12:41:07.92
卑弥呼の墓とされている八倉比賣神社は掘らないの?

徳島は古代史が面白いんだからもっと発掘すればいいのに。徳島人は歴史に興味無し?

243日本@名無史さん2017/10/19(木) 12:46:23.95
調査をさせてほしいと頼んだんだけど、気延山全体がご神体だから神社総代会がうんと言わなかったらしい。

244日本@名無史さん2017/10/19(木) 19:34:09.49
ウサンクサイ人が来たので言い訳にしたんだろう

245日本@名無史さん2017/10/19(木) 21:36:42.02
阿波から奈良へ移動したのはいつ?平城京?
藤原京は四国なのかい?

246日本@名無史さん2017/10/19(木) 22:23:21.01
持統藤原宮は阿波(麻植郡鴨島)
阿波から奈良への遷都は文武藤原京から。
持統天皇は新益京の造営が奈良盆地で進む中、
自らの治世中は皇祖神から授けられた百敷きの倭(阿波)にとどまり、鴨島の地(藤原宮地)で地鎮祭を行った。

247日本@名無史さん2017/10/19(木) 22:54:13.03
距離表S22は本スレで回答します

248日本@名無史さん2017/10/19(木) 23:15:05.44
>>247
テメー死ね
成りすましだろ
距離表S22は帝国海軍の距離表

249>>248だ2017/10/19(木) 23:19:14.08
昭和22年に公表された海軍の距離表ぐらい覚えとけ

250日本@名無史さん2017/10/20(金) 16:58:09.52
>>246
もしかして南海地震で津波が来て阿波は壊滅。
で海のない奈良盆地に引越して藤原京を作ったんかな?

>684年白鳳南海地震

251日本@名無史さん2017/10/21(土) 09:30:03.50
万葉集の前半は阿波が舞台?
海の句が多いのに奈良が舞台はおかしいわね

252日本@名無史さん2017/10/21(土) 09:49:03.08
忌部っていつから徳島にいるんだ?
いつから祭事やってる?
記録残ってるんかな

253日本@名無史さん2017/10/21(土) 10:02:13.81
崇神天皇は別名ミマキイリヒコ
ミマ=美馬
キ=城
イリ=入る
ヒコ=王子
もしかして美馬の城に入った王子、って意味かな?
1世紀あたりに徳島にやってきた?

254日本@名無史さん2017/10/21(土) 12:43:55.14
阿波国美馬(ミマ)郡美馬(ミマ)町には、延喜式内社の「倭大国魂神社」が鎮座する。

この事実は、阿波国が、かつて倭の国であり、歴代天皇が営んだ王都の地であったことを表す。

「倭大国魂神社」を祀らせた「崇神天皇」は、「初国知(はつくにし)らしし、御真木(みまき)天皇… 」と称えられ、また、和名は「御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)命」と呼ばれて、「みま(き)」との関わりを示している。

天皇の尊号に「美馬(みま)」を用いたのは、神々の母神が鎮まる美馬地方に天皇が入り込んだため、由緒あるその名を冠したものである。

255日本@名無史さん2017/10/21(土) 13:11:21.37
>>252
>忌部っていつから徳島にいるんだ?

「名曰卑彌呼事鬼道能惑衆」

卑弥呼より前から。

256日本@名無史さん2017/10/21(土) 20:01:13.53
奈良への遷都した一番の理由は何よ?
白鳳地震は関係ないの?

257日本@名無史さん2017/10/21(土) 20:50:10.61
持統藤原宮は鴨島?
なぜ発掘しない?
観光になるだろう

258名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 07:44:15.05
>>256
一にも二にも、唐軍侵攻に備えての内陸部遷都

白村江の戦いで惨敗して、強力な王朝を作る為に
奈良盆地に移動したと

飛鳥時代は全て徳島に王朝があったんだよね?
場所はどれくらい比定できる?
飛鳥ってそもそも徳島の地名?

260名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 10:18:07.07
【飛鳥の地は小松島市一帯】

小松島市嶋ノ宮神社南方の大林町は「あすか」と呼ばれていた。江戸時代まで「飛鳥神社」が鎮座していた。

舒明天皇―飛鳥岡本宮(小松島市千代松原)

香具山―小松島市日峯山・籠山(かごやま)

斉明天皇―後飛鳥岡本宮

天智天皇―後飛鳥岡本宮→近江(飛鳥嶋の宮)に遷都

天武天皇―飛鳥嶋の宮(小松島市嶋ノ宮神社)→飛鳥浄御原

持統天皇―飛鳥浄御原→藤原宮(麻植郡鴨島)に遷都

261名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 11:19:56.38
>>256
遷都理由の解明なら奈良以前にどこにいたか? だろ?
海洋防衛の完璧な奈良建設以降、九州や半島に海軍の拡充で侵攻してる。

つまり、播磨〜琵琶湖周辺から出雲のような海洋国と併合した結果
軍事拠点を沿岸や周辺都市や港湾、峠に分離して
地方豪族や貴族の都として奈良に遷都したんじゃない?

奈良って馬や武器の持ち込み制限、大阪、京都より楽だろ。
馬を禁じて牛車だぜw

>>260
松原?小松島の東部は当時海では?

天智天皇は大津宮
鳴門の大津ではないの?

持統天皇が内陸の鴨島遷都したのは684年の津波が影響してる?

継体天皇から推古天皇まではどこの宮があったんだろう

263名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 18:14:34.58
>松原?小松島の東部は当時海では?

間違いです。千代ヶ原でした。

>鳴門の大津ではないの?

私は天武天皇までは小松島と考えています。

>持統天皇が内陸の鴨島遷都したのは684年の津波が影響してる?

それも有るかと思いますが、天智・天武ともバタバタ遷都をしているところから、
やはり、唐軍の侵攻を恐れて臨海部から吉野川中流まで逃げ込んだとみています。

>継体天皇から推古天皇まではどこの宮があったんだろう

継体天皇の後を受けて、66歳にして即位した安閑天皇が阿波市土成の飛蔵山に祀られているようなので、
吉野川北岸の阿波市・板野周辺かもしれないですね。




『日本書紀』では、諱を勾大兄皇子(まがりのおおえのみこ)としている(「まがりのおいねのみこ」とも読む)。 和風諡号は、『古事記』に広国押建金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと)、『日本書紀』に広国押武金日天皇とある。

、わずか4年で崩御した。 安閑天皇の治世の出来事として『安閑記』に、関東から九州までの屯倉の大量設置と、41箇所の屯倉の名が列挙され、これに伴う犬養部の設置が記されている。(Wikipediaより)

264名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 18:29:03.30
>松原?小松島の東部は当時海では?

間違いです。千代ヶ原でした。

>鳴門の大津ではないの?

私は天武天皇までは小松島と考えています。

>持統天皇が内陸の鴨島遷都したのは684年の津波が影響してる?

それも有るかと思いますが、天智・天武ともバタバタ遷都をしているところから、
やはり、唐軍の侵攻を恐れて臨海部から吉野川中流まで逃げ込んだとみています。

>継体天皇から推古天皇まではどこの宮があったんだろう

継体天皇の後を受けて、66歳にして即位した安閑天皇が阿波市土成の飛蔵山に祀られているようなので、
吉野川北岸の阿波市・板野周辺かもしれないですね。

265日本@名無史さん2017/10/22(日) 21:42:15.25
確か、阿波には応神と言う地名があったと思うが

266日本@名無史さん2017/10/22(日) 22:09:32.72
「天皇」という地名もあります。

267日本@名無史さん2017/10/23(月) 09:00:23.00
>>266
まじ?

268日本@名無史さん2017/10/23(月) 09:49:53.29
他にも、「京都」「蘇我」「葛城」「御所」「樫原」「伊勢」「奈良」などがあります。
http://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/49133032.html

隣の讃岐には応神天皇の難波大隈宮「難波郷」もあります。
http://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/49091547.html

269日本@名無史さん2017/10/23(月) 12:10:21.70
難波は讃岐なら孝徳天皇の難波宮は香川にあったってこと?

大化の改新があった板蓋宮は小松島?

蘇我馬子、蝦夷、入鹿の墓ってみんな徳島にある?

270日本@名無史さん2017/10/23(月) 13:21:23.80
>難波は讃岐なら孝徳天皇の難波宮は香川にあったってこと?

孝徳天皇の時代まで下るとどうでしょう。 今はまだよく分かっていません。 

>大化の改新があった板蓋宮は小松島?

そうでしょう。

>蘇我馬子、蝦夷、入鹿の墓ってみんな徳島にある?

石井町に古墳時代前期の「曽我氏神社古墳群」がありますが、そこに葬られているかは分かっていません。
http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%C0%D0%B0%E6%C4%AE%2F%C1%BE%B2%E6%BB%E1%BF%C0%BC%D2%B8%C5%CA%AF%B7%B2

271日本@名無史さん2017/10/23(月) 21:19:00.91
>>269
そもそも馬子と蝦夷は日本書紀にしか出てこない人物だからね

272日本@名無史さん2017/10/24(火) 12:44:05.71
>>268
地名はあとから付けた可能性あるじゃん?
福岡にも京都あるよね

273日本@名無史さん2017/10/24(火) 20:31:40.73
>>271
物部、中臣も徳島に居たの?

274日本@名無史さん2017/10/24(火) 22:13:03.98
「物部氏」の祖神とされている伊加賀志許賣命・伊加賀色許雄命が日本で唯一、阿波國麻殖郡 伊加々志神社で祀られていることから、
物部氏の本貫地は旧麻植郡周辺の可能性が高い。

神武天皇に鳴門で敗れた長髄彦は、『古事記』では 「那賀」須泥毘古 また 「登美能那賀」須泥毘古 と表記されている。
『日本書紀』には、「ナカ」邑の地に、また「トビ」の地名が起こり、それが後に訛って「トミ」になったと書かれている。
「登美」の後裔氏族には「中臣(ナカトミ)氏」がいる。
徳島県板野郡板野町周辺は、「東中富」「西中富」「富の谷」「富の谷口」「富の谷川」など中臣の地名が多く残る遺跡の密集地である。
長髄彦の末裔 中臣氏の本貫地は徳島県板野郡板野町周辺の可能性が高い。

275日本@名無史さん2017/10/25(水) 00:31:02.73
どこにでもありそうな字ですね

276日本@名無史さん2017/10/25(水) 06:44:33.38
有りそうで、どこにも無い

277日本@名無史さん2017/10/25(水) 10:35:04.54
>>270
飛鳥の石舞台古墳に葬られている人は誰?
飛鳥寺の飛鳥仏を造らせた人は誰?
板葺宮跡に住んでいた人は誰?
6世紀の飛鳥に強大な力を持つ大王&豪族がいたことは
遺跡の上からもはっきりしてるけど

278日本@名無史さん2017/10/25(水) 15:38:20.22
>飛鳥の石舞台古墳に葬られている人は誰?

阿波の有力豪族(蘇我氏か)

>飛鳥寺の飛鳥仏を造らせた人は誰?

阿波の有力豪族(蘇我氏か)

>板葺宮跡に住んでいた人は誰?

百済などの半島渡来人
板葺宮跡はコリアタウン跡

>6世紀の飛鳥に強大な力を持つ大王&豪族がいたことは
>遺跡の上からもはっきりしてるけど

阿波の有力豪族 と 百済などの半島渡来人

279日本@名無史さん2017/10/25(水) 15:55:31.50
コリア=高麗 だぞ

280日本@名無史さん2017/10/25(水) 20:55:34.93
>>254
淡路島の三原郡(現在の南あわじ市)にも大和大国魂神社(淡路国二宮。式内名神大社(三原郡筆頭)。) が有りますよ。
奈良の大和神社の由緒正しい分社と伝承されて、
律令の下、(国衙に近いと言う事も有ってか?)一宮のイザナギ神社(現、神宮)よりお手当てが手厚かった事実も有ります。

281日本@名無史さん2017/10/25(水) 21:13:56.45
>>274
登美王家は いわゆる事代主神とされた出雲の東王家、富/向家(出雲の祖、クナト大神の直系)の八重波津身(出雲第8代副王=スクナヒコ)と摂津三島(大阪府高槻市辺り)の生玉依媛命の皇子、天日方奇日方命が大和の葛城に移住して分家独立した家系。
神話に金鵄やヤタガラス、野見宿祢、雄略天皇が出会った一言主神等重要なポジションを占める神聖な家系。

金長たぬきは等は登美王家(出雲の分家)の何方がを比喩したものか?

282日本@名無史さん2017/10/25(水) 21:27:47.24
>>281

今ある出雲は、阿波から進出した、出雲忌部のお陰。  努々忘れぬように。

283日本@名無史さん2017/11/04(土) 20:15:07.17
>>280
倭と大和の違いを知らないとだめだよ
>>281
金長たぬきは小松島と津田の争議が大本
漁業とか勝浦川の利水とか
余談だけど金長神社本宮は日峰神社の境内社なのでインチキ神社ではない

284日本@名無史さん2017/11/05(日) 10:25:38.85
「延喜式神名帳」の、大和国山辺郡条には、「大和坐大国魂神社」とある。  「大和」と付いている。

「延喜式神名帳」の、阿波国美馬郡条には、「倭大國玉神大国敷神社二座」とある。  阿波なのに「倭」とある。

285日本@名無史さん2017/11/05(日) 14:29:32.04
徳島って史学科あるんかね
もっと史学者を集めて研究しないとメジャーになれないよ

286日本@名無史さん2017/11/05(日) 15:16:04.79
史学者を集めたらメジャーになれる見込みが無いと予算のつけようもない

287日本@名無史さん2017/11/05(日) 15:29:45.47
史学者が大勢集まって喧々諤々やってても、未だに埒が明かないってのはどうなの?  予算の無駄遣い?

288日本@名無史さん2017/11/05(日) 15:56:12.96
☆☆☆ @阿波 注 意 報 ! ! ☆☆☆

@阿波は単なる荒らしです。

反応を釣りだすのを楽しんでいるだけで、
理をもって説き伏せても同じ内容を何度も書きこんで煽ってくるクズです。

@阿波には根拠もないし、真面目に議論する気もありません。
他説が反応しやすいコピペをひたすら繰り返すだけです。

スレ汚しになるから相手しないように。
どうしても反論したいなら、たん壺に吐き出せば@阿波は必ず目を通します。
(ageれば他の皆も見てくれます)

たん壺
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1458389654/l10

289日本@名無史さん2017/11/05(日) 16:00:02.80
>>288
☆☆☆ @阿波 注 意 報 ! ! ☆☆☆

ここ、たん壺なんだけど?

290日本@名無史さん2017/11/05(日) 17:35:07.75
>>286
今、古事記ブームじゃん?

291日本@名無史さん2017/11/05(日) 17:48:36.69
徳島でも最近、相当活発になってきてるね。  邪馬台国阿波説。

292日本@名無史さん2017/11/05(日) 20:24:34.83
倭人伝や記紀との一致が出発点で
調べたら面白いくらいに合致するんだよ
傍証もこれから出てくるかも

293日本@名無史さん2017/11/05(日) 20:41:58.84
ただ畿内にあんだけでかい前方後円墳を作りまくったのは謎
これだけは発掘調査必要

294日本@名無史さん2017/11/05(日) 20:51:58.34
かささぎや牛馬が居ないとか真珠と青玉の存在とか四国以外
を比定するならその場所を比定しろって話だ

295日本@名無史さん2017/11/06(月) 08:04:15.78
青玉ってなに?

296日本@名無史さん2017/11/06(月) 08:16:12.66
阿波の吉野川・穴吹川・勝浦川などで採れる「翡翠」

297日本@名無史さん2017/11/06(月) 08:58:34.40
古代人にとって、阿波ほど色んな資源(海・山・地下)に恵まれた土地はなかっただろう。

298日本@名無史さん2017/11/06(月) 10:45:22.67
大事な河川(吉野川・吉野川支流・勝浦川・那賀川等)の恵みが抜けていた。

299日本@名無史さん2017/11/06(月) 15:24:31.27
自然に恵まれているけど平野は狭いじゃん
人口飽和して畿内に屯田しにいったんだろう
白村江で惨敗をきっかけに本家も畿内へ移住

300日本@名無史さん2017/11/06(月) 15:56:18.48
奈良盆地は内陸だから、唐軍の直接攻撃を避けられるからね。

301日本@名無史さん2017/11/06(月) 20:28:51.71
>>300
山国の方が攻防共に有利だぞ
高地性集落の発生の発想が必要や

302日本@名無史さん2017/11/06(月) 20:37:37.65
津波で平地は絶滅するの古代人は何回も
経験してて高天原という思想にたどり着いたのかと

303日本@名無史さん2017/11/06(月) 20:48:28.30
九州説がありえない最大の要素は火山や温泉に
倭人伝がまったく言及してないこと

304日本@名無史さん2017/11/06(月) 20:57:07.21
いや、倭人伝だったらやっぱり最大の要因は丹山だろう。 九州はどうでもいいんだけど。

305日本@名無史さん2017/11/06(月) 21:14:16.05
>>304
そうです丹山も含めて山の調査したのなら
火山の記述が無いのが異常

306日本@名無史さん2017/11/07(火) 00:17:29.27
都合がいい記述のみを牽強付会
符合しない点は一切無視

307日本@名無史さん2017/11/07(火) 11:37:46.21
>畿内に屯田

分家のほうがどんどん巨大になっていって阿波本家は悔しくなかったんだろうか?

308日本@名無史さん2017/11/07(火) 11:40:53.79
>白村江で惨敗

分家の畿内は大勢力なのになぜ助けてくれなかったんだろうか?

309日本@名無史さん2017/11/07(火) 11:50:37.67
>>307
阿波から奈良大倭への遷都(7世紀後半〜710年)によって、忌部の本家は阿波に留まる一方、
その一部が奈良大倭に渡り、やがて諸国の忌部を統括することになる。これが中央忌部である。
阿波に残った忌部の本家は、同家の本源的職掌である麁布・木綿及び高天原の山の幸を由加物として、践祚大嘗祭の度ごとに新都に送った。 母国からの調進である。

忌部の本家が阿波に残った理由は、天照大神以来、天孫(天皇)の祭祀に必要な神具は「高天原で採取調整されなければならない」という、天岩屋戸神話に由来する神典を墨守したからである。

「由加物使」一行が阿波から京に向かうに、通過する国々の道路は掃き清められ、国司らが出迎えるという『延喜式』の別格規定は、高天原から新都に向かう「宗国からの使」という意味からである。
また、「麁布」がすべての貢進物の中で、唯一「神祇官扱い」になるなど、超絶した扱いとなっているのは、記紀神話で、天照大神が高天原において機織女を召して織らしめ、
また大神自らも織られたとする「神御衣」と見立てているからであり、それを忌部の本家(阿波忌部)が、畏れ多くも代行厳修し、麁布として織り上げたものを、新天皇が践祚大嘗祭に奉奠して天照大神にお示しし、
大神から、日嗣の認承を賜る「物実」(正当な皇位継承者であることを大神の御前で証明するための品)と観念されたからである。

310日本@名無史さん2017/11/07(火) 17:47:51.34
>分家の畿内は大勢力なのになぜ助けてくれなかったんだろうか?

遷都前の奈良は大勢力の分家じゃないから。  あくまで倭国(阿波)の直轄地のひとつ。

311日本@名無史さん2017/11/08(水) 07:58:39.70
堺の仁徳天皇陵は誰の墓?

312日本@名無史さん2017/11/08(水) 08:58:34.22
阿波の豪族

313日本@名無史さん2017/11/09(木) 16:45:36.02
阿波の本家が奈良遷都するときすんなり受け入れてあげたんだ?
力的にもう畿内にいる阿波豪族の方が上だろうに

314日本@名無史さん2017/11/09(木) 17:29:24.74
>力的にもう畿内にいる阿波豪族の方が上だろうに

まったく認識違い。 遷都前の奈良(畿内)には力の元(色々な資源)がない。 

奈良の発展には本家阿波の力が絶対不可欠だった。 

315日本@名無史さん2017/11/11(土) 19:32:26.41
☆☆☆ @阿波 注 意 報 ! ! ☆☆☆

@阿波は単なる荒らしです。

反応を釣りだすのを楽しんでいるだけで、
理をもって説き伏せても同じ内容を何度も書きこんで煽ってくるクズです。

@阿波には根拠もないし、真面目に議論する気もありません。
他説が反応しやすいコピペをひたすら繰り返すだけです。

スレ汚しになるから相手しないように。
どうしても反論したいなら、たん壺に吐き出せば@阿波は必ず目を通します。
(ageれば他の皆も見てくれます)

たん壺
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1458389654/l10

316日本@名無史さん2017/11/11(土) 19:37:34.71
そのたん壺へようこそ。

317日本@名無史さん2017/11/15(水) 19:22:17.69
対馬海流
以下の点から、末盧國側の到着地点は呼子だと確定する。

・壱岐〜呼子は23kmと短距離な上に、間に馬渡島や加唐島があって安全性が高い。
・壱岐〜呼子の潮流は、日によって方向が変わる。(下記参照)
・楽浪土器など海外土器は伊都(沿岸〜三雲)に、日本国内各地からの土器は奴国に集中。
(国内船で混雑する博多湾と、朝鮮半島からの国際線を別々に管理)

☆潮流の向きは変化する。
対馬海峡:朝鮮半島〜対馬〜壱岐〜九州北岸 は以下の部分に分けられる。

対馬海峡西水道(朝鮮海峡):朝鮮半島〜対馬、60km
対馬海峡東水道(狭義の対馬海峡):対馬〜壱岐、55km
(壱岐から九州までは近距離にて水道外:壱岐〜呼子、23km)

潮流の向きは、海底地形や気象、潮の干満によって影響されて日々変化する。

壱岐〜呼子の表層流(海洋レーダーシステム)
<2011年6月> 北東・東:3 南西・南・南東11 北8 西3 乱流4 (日)
<2012年6月> 北東・東:3 南西・南・南東10 北7 西9 乱流1 (日)
<2013年6月> 北東・東:4 南西・南・南東6 北8 西10 乱流2 (日)
<2014年6月> 北東・東:2 南西・南・南東7 北9 西10 乱流2 (日)
<2015年6月> 北東・東:1 南西・南・南東6 北19 西3 乱流1 (日)

極端に北向きの流れが多い2015年を除いて、2011年から2014年までを平均すると、
南向き34(壱岐→呼子:28.6%) 東向き12(10.1%) 
北向き32(呼子→壱岐:26.9%) 西向き32(26.9%) 乱流9(7.6%)

318日本@名無史さん2017/11/16(木) 10:28:34.70
「石井・井ノ元遺跡」
「古墳時代前期 土器群が出土」 「祭祀用など250個以上」
石井町教委は15日、石井町石井の井ノ元遺跡から古墳時代前期(4世紀前半〜半ば)の土器群が出土したと発表した。
県内で同時期の土器がまとまって出土するのは初めてで、町教委は「土器によって年代を決定する編年研究の基準資料となり得る」としている。
土器群は地下約1.8mで見つかり、南北10m、東西35mにわたって帯状に広がっていた。
完全な形を残す物だけで250個以上あり、うち7割を祭祀用と思われる小型丸底壺や高坏が占める。手ごね土器や石製小玉、鉄製鍬先なども発掘された。
町教委は、祭祀後に土器を捨てた場所と推定し、近くに祭祀が行われた遺構が存在するとみている。
南側に渡内川があることから、水の神を祭る祭祀が行われていた可能性もある。
今回照査したのは約1500m2。西側に隣接する石井幼稚園の改築工事に伴い、5月から掘削に取り掛かった。
近世(18〜19世紀)から古墳時代前期にかけての4面の遺構が確認され、土器群のほか、
江戸時代の藍商屋敷に設けられていた石組み井戸や屋敷外の水田、飛鳥〜奈良時代の素掘り墓35基なども出土した。
奈良時代の水田を形成する溝の方角が8世紀前半〜中頃の条里制と一致することから、
石井町域でも阿波国府域と同時期、条里制に基づいて開発が進められていることも分かった。
町教委の菅原康夫文化財指導員は「今回見つかった土器群は、祭祀の内容や古墳時代の土器の様相を考える上で貴重な資料となる」と話している。
2017年11月16日 徳島新聞朝刊転記   @阿波

319日本@名無史さん2017/11/16(木) 10:29:27.77
そう遠くない時期に倭国(阿波)での「祭祀場跡」が発掘されるでしょう。   @阿波

320日本@名無史さん2017/11/16(木) 16:08:54.95
>>317
壱岐〜呼子、23km は、千里か?
既に内湾で呼子〜糸島西岸船越湾周辺へは海路での航海が合理的。
王の船の母港は糸島で当然。
加唐島は出港時の潮待ちには良いだろう。

321日本@名無史さん2017/12/01(金) 18:44:58.72
>>その範囲には前方後方墳の王達がいて、攻め込まれた形跡もない。

>当然、前方後方墳も忌部一族がもたらしたもの。

>「攻め込まれた形跡もない」のも当然で、拓殖のために各地へ入植したのだから。   @阿波


阿波に前方後方墳なし。
所詮はなんの根拠もないスレ汚し説。
@阿波()失笑

322日本@名無史さん2017/12/01(金) 18:47:14.89
>>九州説も神武が倭国大乱で筑紫を去った後に卑弥呼が即位したと考えている。

>卑弥呼の時代に大軍を率いて西日本を戦い歩くことなど不可能。 あまりにも兵站を無視しすぎ。   @阿波


卑弥呼の100年以上前の107年に
倭国王帥升が160人もの生口を楽浪郡まで輸送している。

生口の監視官や護衛、
外交官達、
そして漕ぎ手もあわせると
数百人の人員を楽浪郡まで輸送しているわけだな。

ということは、
107年には既に、北部九州倭国の水軍は、
800kmほどの海上遠征を行う能力を有していたことが明らかなわけだ。

@阿波()失笑

323日本@名無史さん2017/12/01(金) 19:21:47.69
>>321
>阿波に前方後方墳なし。

無知。 前方後方墳ごときにはしゃぎすぎ。

御所神社: 全長75mの “前方後方墳”
旧三加茂町 丹田古墳: 外形はシャモジ形をした積石塚の前方後方墳で、前方後方墳のうちでも古式に属する外形をしている。
曽我氏神社古墳群: 古墳時代前期の円墳と方墳
奥谷1号墳: 前方後方墳(50m) 

324日本@名無史さん2017/12/01(金) 19:23:16.30
>>323
前方後方墳は阿波起源だと主張するんだね?

325日本@名無史さん2017/12/01(金) 19:35:38.35
なんの科学的考察も示せない

他の地域にもあるようなどうでもいい遺物を持ってきて
科学的考察を妨害するだけ

326日本@名無史さん2017/12/01(金) 19:37:15.38
阿波さん いつも忌部一族が出てきますが

読みは?意味は?
出自は?
何時の時代から文献に出てくる?
邪馬台国と忌部は大和朝廷と関係あると思いますが、邪馬台国との関連は?

阿波説は記紀から離れれば良いと思います。 地理的にも遺物的にもなるほどと思う事もあります

@それとも阿波さんは、記紀に基づく阿波説への反論を 敢えて記紀で迎え撃ってるのですか?

どうも@としか考えられないのですが

327日本@名無史さん2017/12/01(金) 19:41:01.97
全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーハー頭脳集団の総称である。

328日本@名無史さん2017/12/01(金) 19:44:24.72
全国を拓殖していった古代倭国(阿波)ヒーハー頭脳集団の総称である。

329日本@名無史さん2017/12/01(金) 20:12:00.15
「「迷惑」」って言葉は@阿波 にはないのかな?

330日本@名無史さん2017/12/01(金) 20:27:28.03
@阿波 ヒャッハー

331日本@名無史さん2017/12/01(金) 20:33:59.54
「「迷惑」」って言葉は@阿波 にはないのかな?

332日本@名無史さん2017/12/01(金) 20:39:34.76
え?

まさかそれだけ?

@阿波って名前の荒らしが荒らしまくってる根拠が

まさかまさかまさか

たったのそれだけ?

333日本@名無史さん2017/12/01(金) 20:59:21.23
徳島はなんでもっと掘らないの?
人いないんだから掘りまくれるだろう
金ないの?

334日本@名無史さん2017/12/01(金) 21:02:39.88
>土器についても阿波(東阿波型土器)
東阿波型土器が他地域にどう影響を与えているのか?

>墓制と朱についても阿波
どこにどう影響を与えているのか?

>鉄器も阿波
3世紀阿波の鉄器についての詳細は?

>中国朱も阿波
3世紀阿波の中国朱についての詳細は?

>九州にあるものは大概、阿波にも有る。   @阿波

九州にあるものが大概あるだけだと属国の証明になる

九州にあるものが九州以上にあって
その供給源についての詳細の証明は?

335日本@名無史さん2017/12/01(金) 21:28:56.57
>>333

金がないのよ。 援助して

336日本@名無史さん2017/12/01(金) 21:30:50.14
>>335
大嘗祭で中心的役割を果たしているはずだろ

金がないはずがない

337日本@名無史さん2017/12/01(金) 21:36:43.08
>>336
践祚大嘗祭は天皇家の行事なんですよ。 国から特別に援助がないから、忌部の末裔による調進です。

338日本@名無史さん2017/12/01(金) 21:40:08.79
じゃあ聞くわ

ただでさえ鉄器の乏しい@阿波だが

淡路島の鉄工房遺跡を運営した方法は?

鉄原料入手方法
鉄工房稼働の木材入手方法
などなど

具体的に答えてね〜



>卑弥呼の時代に大軍を率いて西日本を戦い歩くことなど不可能。 あまりにも兵站を無視しすぎ。   @阿波

339日本@名無史さん2017/12/01(金) 21:45:22.36
>>338
>鉄原料入手方法

魏使が倭国(阿波)へやってきたルートで鉄原料・中国朱・中国鏡などを入手したんでしょ。

>鉄工房稼働の木材入手方法

南四国は森林王国ですから、有り余るほどありますが。   @阿波

340日本@名無史さん2017/12/01(金) 21:53:04.76
>>339
だーかーら

伊都国王に匹敵する王が阿波にいないっしょ

341日本@名無史さん2017/12/01(金) 21:56:03.72
>>340
>だーかーら

>伊都国王に匹敵する王が阿波にいないっしょ

だーかーら

伊都国王?は倭国(阿波)から派遣した筑紫忌部なの。   @阿波

342日本@名無史さん2017/12/01(金) 22:03:09.76
>>341
前方後方墳もそうだが
@阿波から派遣したという考古学的根拠が無い

考古学的根拠を示せなければ
お前はただの妄想スレ荒らし

343日本@名無史さん2017/12/01(金) 22:17:45.66
>>341
根拠は?

344日本@名無史さん2017/12/01(金) 22:20:46.74
>伊都国王?は倭国(阿波)から派遣した筑紫忌部なの。   @阿波

さすがの畿内説もそこまでのトンデモは言わなかったな
俺も根拠を聞きたいわ

混じ九頭だなこいつ
全スレに書きこんで皆の議論をぐちゃぐちゃにしてやがる
なにが@阿波だよこのボケが

徳島の奴つれてこいや
万戸少なすぎていねえぜ

345日本@名無史さん2017/12/01(金) 22:35:48.10
無鉄器大物主の倉庫

346日本@名無史さん2017/12/01(金) 22:40:15.93
岡上が呟き中

347日本@名無史さん2017/12/02(土) 10:23:57.19
出真珠青玉 其山有丹其木有枏杼橡樟楺櫪投橿烏號楓香其竹篠簳桃支 有薑橘椒襄荷不知以為滋味有獮猴黒雉

@その山に丹がある、としか書かれていない。

A出真珠青玉丹と書くのではなく、出るモノと有るだけのモノをわざわざ区別してある。

B同じく有るモノである薑橘椒襄荷も、有るだけで、使っていない、とある。

>其山有丹
「倭国の山には丹がある」、としか書かれていません。

よって、「丹が採掘されているから」阿波、
という前提条件がそもそも成り立ちません。

@阿波終了

348日本@名無史さん2017/12/02(土) 10:39:38.41
>>347
もう、そんな駄々こねる時代じゃないでしょ。   @阿波

349日本@名無史さん2017/12/02(土) 10:54:24.34
議論ができずごまかすしかない@阿波アワレ

350日本@名無史さん2017/12/02(土) 10:55:32.79
>>349
議論以前   @阿波

351日本@名無史さん2017/12/02(土) 11:03:04.33
出真珠青玉 其山有丹其木有枏杼橡樟楺櫪投橿烏號楓香其竹篠簳桃支 有薑橘椒襄荷不知以為滋味有獮猴黒雉

@その山に丹がある、としか書かれていない。

A出真珠青玉丹と書くのではなく、出るモノと有るだけのモノをわざわざ区別してある。

B同じく有るモノである薑橘椒襄荷も、有るだけで、使っていない、とある。

>其山有丹
「倭国の山には丹がある」、としか書かれていません。

よって、「丹が採掘されているから」阿波、
という前提条件がそもそも成り立ちません。

@阿波終了

352日本@名無史さん2017/12/10(日) 10:20:31.09
>徳島市・犬山天神山古墳 石棺から水銀朱で彩色された女性埋葬骨を発見

>「古墳の石室には人骨が残ることが少ないので、赤く染まった人骨は甕棺(かめかん)などから出土した弥生時代のものが多く知られていますが、
>徳島市の鶴島山2号墳からは辰砂で顔面が朱に染まった人骨が出土しています

>徳島では、鶴島山古墳群(徳島市)、犬山天神山古墳群(同)、カンゾウ山古墳群(板野町)から出土した人骨が朱染めであった。

各部族の葬儀について特に興味を持って記すことの多い三国志
倭人伝において遺体や遺骨を朱で染めるなどという記載は全く無いことから、
阿波は倭人の住む場所でなく、
倭人伝とは全く関係のない辺境の未開地域であったことが明白となった。

353日本@名無史さん2017/12/10(日) 10:28:24.07
嘘つき=@阿波

いつもの手口だ

基本的に日本史版の人は文献や考古学資料を基に
議論を戦わせに来ている。
畿内説と九州説もいがみ合っているようだが、
ある意味では議論を戦わせている好敵手ともいえる。

だが、@阿波はクズだ。

真面目な人たちの良心を逆手に取って、
「釣って」真面目な解答を引き出し、
その解答を十分に引き出したところで、
全てを無視して論破されたばかりの内容を勝利宣言で書きこむ。

これの繰り返しが@阿波=嘘つきの常套手段。
ただのクズである。

354日本@名無史さん2017/12/10(日) 20:53:08.87
嘘も何も記紀に応じた式内社の神社の配置とか
祭神のストレートな名前とかちょっとヤバイぞ徳島

355日本@名無史さん2017/12/14(木) 18:09:23.73
>>335
オーケストラに10億?以上ぶちこむなら
掘削すればいいのにね、音楽より歴史っしょ

356日本@名無史さん2017/12/14(木) 18:12:26.44
>>355
畿内や九州が悲しむだろ?

357日本@名無史さん2017/12/22(金) 17:39:06.70
やけくそじゃい

358日本@名無史さん2017/12/23(土) 01:48:42.57
>>303
ん?

359日本@名無史さん2017/12/23(土) 01:57:21.26
隋書と勘違いした

360日本@名無史さん2017/12/23(土) 02:43:14.18
数年前テレビで徳島説見たけど録画してないしそれっきりで忘れてたけど
急に思い出して気になったので来た
ざっと読んだけど面白いレスもあるけど若干興味が削がれた

361日本@名無史さん2017/12/23(土) 06:58:09.97
今や、阿波説の時代。 気になるのも当然だね。   @阿波

362日本@名無史さん2017/12/26(火) 18:23:44.25
邪馬台国もいいけど、飛鳥時代は全て徳島もインパクトあるね
もっとTVとかで主張したらいい、vs東京でなくてね
飛鳥時代改め阿波時代になって教科書に載れば
徳島の人も郷土に自尊心を持てるようになるだろうな

363日本@名無史さん2017/12/26(火) 18:49:41.01
今すぐとはいかないだろうが、いずれにせよそういう時が必ず来ますよ。   @阿波

364日本@名無史さん2017/12/26(火) 19:09:35.84
>>362
>邪馬台国もいいけど、飛鳥時代は全て徳島もインパクトあるね

一見、突飛に聞こえるだろうけど、こういうことが言えるのは痕跡が残る阿波だから。   @阿波

3653602018/01/08(月) 21:22:35.29
すみません。色々調べてみたのですが、四国説はないですね。。。
初見だとおっとは思うのですけど

366日本@名無史さん2018/01/10(水) 14:57:19.71
>すみません。色々調べてみたのですが、四国説はないですね。。。

(阿波説ですが) ないという根拠は?   @阿波  

367日本@名無史さん2018/01/10(水) 19:38:45.64
物事の道理が解っていれば天皇の出自が徳島なのは明らか
倭人伝の記述に合致するのも四国だけ
文献だけで邪馬台国は四国に決定済みな上に傍証が多すぎる

368日本@名無史さん2018/01/10(水) 22:19:17.33
畿内説の酷さは文献を否定するとこから始めないと
最初から破綻していること

369日本@名無史さん2018/01/10(水) 22:25:18.62
九州説はそれより酷い
我田引水の歴史の蓄積が凄いw
文献を自分たちの都合に合わせて歪めているw

370日本@名無史さん2018/01/10(水) 22:48:49.31
徳島説の強さは文献に照らし合わせた上で
記紀や万葉集、大嘗祭での立ち位置とか傍証が強すぎる

371日本@名無史さん2018/01/11(木) 09:50:17.12
天皇陛下即位式である大嘗祭に、麁服を調進する大役を太古から担う御衣御殿人(みぞみあらかんど)の家柄である三木家は、木屋平村の三木山山頂に居を構える。
貢(みつぎ)、あるいは三ッ木とも呼ばれる地名は、深く調進に関わる為でもあろう。 南北朝時代にあっては、山岳武士の頭目として南朝に関わった。
さて、この三木山こそは、太古の高天原であると同時に、天皇家の故郷でもある。 このお山から御霊を大嘗宮へ運ぶ為には何か媒体が必要である。
つまり、依り代に付いて初めて示現されるのが神霊であるなら、「麻」こそ媒体であると云える。 古来より伊勢神宮の神札は神宮大麻と呼ばれ、御師が領布した御祓大麻を指すからだ。
後世、大麻(おおぬさ)は紙に変わってしまい、現代人は麻の持つ意味を忘れようとしている。   @阿波

372日本@名無史さん2018/01/11(木) 10:03:32.20
阿波から奈良大倭への遷都(7世紀後半〜710年)によって、忌部の本家は阿波に留まる一方、その一部が奈良大倭に渡り、
やがて諸国の忌部を統括することになる。これが中央忌部である。阿波に残った忌部の本家は、同家の本源的職掌である
麁布・木綿及び高天原の山の幸を由加物として、践祚大嘗祭の度ごとに新都に送った。母国からの調進である。
忌部の本家が阿波に残った理由は、天照大神以来、天孫(天皇)の祭祀に必要な神具は「高天原で採取調整されなければならない」という、
天岩屋戸神話に由来する神典を墨守したからである。
「由加物使」一行が阿波から京に向かうに、通過する国々の道路は掃き清められ、国司らが出迎えるという『延喜式』の別格規定は、
高天原から新都に向かう「宗国からの使」という意味からである。また、「麁布」がすべての貢進物の中で、唯一神祇官扱いになるなど、
超絶した扱いとなっているのは、記紀神話で、天照大神が高天原において機織女を召して織らしめ、また大神自らも織られたとする
「神御衣」と見立てているからであり、それを忌部の本家(阿波忌部)が、畏れ多くも代行厳修し、麁布として織り上げたものを、
新天皇が践祚大嘗祭に奉奠して天照大神にお示しし、大神から、日嗣の認承を賜る「物実」(正当な皇位継承者であることを大神の御前で証明するための品)
と観念されたからである。   

373日本@名無史さん2018/01/11(木) 19:15:08.45
邪馬台国の場所の比定はともかく
天皇の出自が徳島だということは確信がある
反論あればどうぞ

374日本@名無史さん2018/01/12(金) 14:32:02.39
神武から持統天皇までの皇居を比定してくれや

375日本@名無史さん2018/01/12(金) 21:40:29.49
>>374
比定する前にいろいろ移動させられた
明治の国家神道は日本の古代を殺してしまった

376日本@名無史さん2018/01/13(土) 13:25:54.32
該当する場所を発掘したらいいじゃん?

377日本@名無史さん2018/01/13(土) 14:47:21.89
宗像〜阿波のルートは存在したと思うんだけど
具体的に遺跡としてはどこなの?
小倉〜 宇佐〜 大分、別府〜
四国側で松山じゃ陸路が長いし、宇和島入りは違うよね?

378日本@名無史さん2018/01/13(土) 15:13:12.44
>>377
宇佐
厳島
今治
風早

379日本@名無史さん2018/01/13(土) 17:49:06.79
いちいち  ageんなカス

sage進行でやれ


ヤマタイ国とムー大陸がどこにあろうが、 どうでもええ話で糞スレ群を板のトップに並べるな

うざい

380日本@名無史さん2018/01/13(土) 18:17:12.71
>>379
大嘗祭が近いからってそんなにイラつくなよ

381日本@名無史さん2018/01/13(土) 18:27:51.68
>>380
三木家では、大嘗祭調進麁布大麻栽培の心準備 始めてるらしいよ。 三木家立ち入り制限するとか。   @阿波

382日本@名無史さん2018/01/13(土) 18:36:32.24
>>381
大麻の種とかはまだ来てないんだよね?

383日本@名無史さん2018/01/13(土) 18:41:05.30
日本で大麻が解禁出来ない理由が天皇の祭祀に関わるってこと
広まってほしいw

384日本@名無史さん2018/01/13(土) 20:28:01.06
大嘗祭のほんとの姿わかってないけど
大麻が関わってる以上大麻を用いたトランス状態で先祖霊と交感してるのは確実
忌部氏が大麻に関与してるのは歴史上明白

385日本@名無史さん2018/01/13(土) 20:29:31.64
古来より伊勢神宮の神札は神宮大麻と呼ばれ、御師が領布した御祓大麻を指すからだ。

後世、大麻(おおぬさ)は紙に変わってしまい、現代人は麻の持つ意味を忘れようとしている。  @阿波   @阿波

386日本@名無史さん2018/01/13(土) 20:39:57.02
>>385
そうなんですか
闇は深いですね

387日本@名無史さん2018/01/13(土) 21:00:55.15
物を調達するのは子会社の仕事。
部長は優雅だが、酷使される部下は悲惨なのだ。

武器の物部。

祭祀用品の忌部。

388日本@名無史さん2018/01/13(土) 21:03:42.72
生きる糧を得る労働と別の労働も課される。
苦しい役回りだよ。

389日本@名無史さん2018/01/13(土) 21:13:15.18
>>387
物部は蘇我氏と聖徳太子に排除されますよね
物部神道が仏教に敗北したと言われてるんですけど
この時代はまだ忌部神道の時代ですよね

390日本@名無史さん2018/01/13(土) 21:22:42.24
蘇我氏も物部氏も広義の忌部一族。  @阿波

391日本@名無史さん2018/01/15(月) 10:11:23.25
小松島は何にもないんだからもっと発掘しないと
奈良の明日香に全部取られてるじゃねえか

392日本@名無史さん2018/01/15(月) 17:29:36.59
旧麻植郡鴨島町・川島町、名西郡石井町辺りもね。   @阿波

393日本@名無史さん2018/01/15(月) 20:59:20.71
>>391
中田とか狭い地域に式内社二つ
豊国神社、祭神がわからなくなった東西の八幡神社
ヘビーな土地ですわ

394日本@名無史さん2018/01/15(月) 21:08:24.30
【飛鳥の地は小松島市一帯】

小松島市嶋ノ宮神社南方の大林町は「あすか」と呼ばれていた。江戸時代まで「飛鳥神社」が鎮座していた。

舒明天皇―飛鳥岡本宮(小松島市千代ヶ原)

香具山―小松島市日峯山・籠山(かごやま)

斉明天皇―後飛鳥岡本宮

天智天皇―後飛鳥岡本宮→近江(飛鳥嶋の宮)に遷都

天武天皇―飛鳥嶋の宮(小松島市嶋ノ宮神社)→飛鳥浄御原

持統天皇―飛鳥浄御原→藤原宮(麻植郡鴨島)に遷都   @阿波

395日本@名無史さん2018/01/16(火) 12:12:44.72
松西は閉校したら岡本宮跡にすればいい

396日本@名無史さん2018/01/19(金) 18:14:27.65
>>394
鴨島のどこに藤原京があったの?

397日本@名無史さん2018/01/19(金) 18:26:55.90
トイレが臭いんだがなんで?

398日本@名無史さん2018/01/19(金) 21:14:15.41
>>396
『藤原宮の役民の作る歌』この歌は柿本人麻呂の作であろう。
歌は持統天皇の宮室(おおみや)造りを称え、これに天つ神、国つ神も寄り添い、賛同し、民(たみくさ)も我を忘れて奉仕し、他国も賛意を表すという、すべてを祝詞(ことだま)でうたいあげた讃歌である。
また、この歌は、田上山から藤原宮まで宮材を運ぶ搬路が順次語られ、通過するそれぞれの土地神と民とが祝意をもって参画するという歌になっている。

「石走(いわば)る 淡海(あふみ)の」
海岸の荒磯を押し寄せる波、その波が岩の表面をさざめいて走る、その淡海の国の、という意味であろう。「石走る」という枕詞は、滋賀県の琵琶湖では生まれようがない。
「淡海」は原義どおり阿波の海のことで、東と北を海で囲まれた地形故に、海に浮かぶ国、阿波の海に囲われた国(土地)の意味である。

「衣手(ころもで)の田上山(たなかみやま)の」
『和名抄』阿波国板野郡の郷名に「田上」がある。一方滋賀県には田上の郷名はない。阿波の田上郷は鳴門市大麻町坂東に比定されている。
この郷の民の一部を記した延喜2年の「田上郷戸籍断簡」が遺っている。23氏487口の名簿である。「衣手」は地名にかかる枕詞で、衣服を織る「手」(職業集団)。
この「田上郷戸籍断簡」の中には、帰化人系の氏である「服部(はとりべ)」、「錦部(にしきべ)」、「漢人(あやひと)」、「秦(はた)」が見える。
このうち漢人を除く三氏はすべて衣手(職業集団)である。この村にある「大麻山」、「大麻比古神社」の名もこれに関係する。
田上山は、田上郷(坂東村)の背後(北)にそびえる大麻山と推定され、この山の檜を切り出したものであろう。

「眞木(まき)さく檜(ひ)の嬬手(つまで)を」
大麻山の東西の谷をめぐって坂東谷川が旧吉野川に注いでいるが、推定される当時の合流点が「檜」(旧檜村)である。
ここから川を利用し、檜を川に浮かべ、上流に運ばれたのである。嬬(つま)とは端のことで、檜の丸太の端に穴をあけ、
それに綱を通し、時には水につかりながら岸づたいに運んだと思われる。

399日本@名無史さん2018/01/19(金) 21:17:26.72
「もののふの 八十氏河(やそうじがわ)に」
これは先に挙げた阿波国田上郷戸籍がすべてを語っている。32氏のうち武人の姓をもつものとしては、「物部」「久米」「佐伯」「大伴」が確認できる。
またこの32氏には、孝元・開化・垂仁・景行・応神・仁徳・欽明の各天皇の後裔氏族や、御名代の姓のほか、倭朝廷の有力豪族の子孫の名を持つ氏人が揃っている。
まさに、阿波吉野川下流域は、八十氏の居住する地域で、そこに流れる川(吉野川下流域)を、八十氏河」と呼んだ。
対岸の吉野川南岸の徳島市に「矢三(やそ)旧矢三村」という地名が遺っているが、これも八十氏に関係すると思われる。
民(たみくさ)は、檜の丸太を川に浮かべ、綱をつけて岸辺から引き、檜村から上流へ河川を利用して泉の河まで運んだ。

「さわく御氏(みたみ)も家忘れ」
とは、流域沿いに住む民が、次々と現れ、それがいつしか大勢の民となり、誰もが我を忘れて心から奉仕し、また互いに祝詞(ことば)を交わし、大騒ぎしながら運搬に加わったさまといえる。

「鴨じもの 水に浮きゐて わが作る 日の御門(みかど)に」
この「鴨じもの(鴨自物)」は、運ぶ目的地(藤原宮造営地)の地名で、「鴨島」である。
この句の意味は、「鴨島の川岸に近い丘で、我々が川面に浮かんでいるような立派な御殿を造るのだ その御殿には異国の遣(つか)いも祝意をもって・・・」となる。
鴨島の藤原宮造営地が川原に近い丘を表しているのだろう。

400日本@名無史さん2018/01/19(金) 21:19:27.56
「あらたへの藤原かうへに」
御殿(藤原宮)は、藤原のほとりに造営されたが、枕詞からそこは「あらたへ」と関係する土地であろう。
鴨島町は和名抄にいう旧「麻植郡(おえぐん)」である。いうまでもなく麻植郡は阿波忌部の本貫地である。
紀の神代一書にも天石窟(あまのいわや)の神事に、粟国の忌部の遠祖天日鷲が作(は)ける木綿(ゆう)を懸(とりし)でて」とみえる。
この阿波忌部の職業は天皇祭祀中、最も重要な大嘗祭において如何なく発揮されており、その調進物の中で、大嘗祭内陣に奉供される「麁布」が最も重要とされている。
このように阿波麻植郡の鴨島の地は、阿波忌部が麁布をつくるまさに聖地である。この麻植郡の聖地を説明するのに、枕詞「あらたへの」が用いられたのである。
しかも天皇にとって最も神聖で、最もめでたい品、皇祖天照大神が織らしめたという衣(あらたへ)を最上の賛辞として、柿本人麻呂が持統天皇に捧げたというのがこの歌の神髄である。
持統天皇は、持統6年、新益京の造営が奈良盆地で進む中、自らの治世中は、皇祖神から授けられた百敷(ももしき)の倭(阿波)にとどまりたいと決意し、鴨島の地(藤原宮地)で地鎮祭を行った。
これを天神地祇あらゆる民がことほぎ、御殿の造営に我を忘れ奉仕した様子がこの歌である。  @阿波

401日本@名無史さん2018/01/19(金) 21:31:34.16
>>400
あらたえが何故重要なのかを理解したら天皇の出自が徳島だということが
すぐわかるんですがそれを絶対に許さない勢力がいますw

402日本@名無史さん2018/01/20(土) 01:17:45.45
恥ずかしいから学校でウ〇コを我慢する

403日本@名無史さん2018/01/22(月) 11:51:31.62
天皇の出自が徳島だが、卑弥呼の時代はもっと古いから邪馬台国は別の可能性大

404日本@名無史さん2018/01/22(月) 20:03:11.41
>>403
>卑弥呼の時代はもっと古いから邪馬台国は別の可能性大

別の可能性は極めて少ない。 なぜなら、「其山有丹」は倭国(阿波)しか該当しないから。  @阿波

405subo2018/01/22(月) 22:40:52.36
丹山は九州にありますよ

406日本@名無史さん2018/01/22(月) 23:33:14.29
>>405
九州は牛馬いっぱいおるやろw

407日本@名無史さん2018/01/23(火) 10:18:59.38
イスラエル(剣山)→邪馬台国→天皇(徳島平野)→天皇(奈良盆地)

って感じだろう
歴史は勝者のものだから前の歴史は消去していった


>>406
阿波にも牛馬は居ただろう
さすがに山上には居ないが

408日本@名無史さん2018/01/30(火) 13:55:07.96
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

OLI33

409日本@名無史さん2018/01/30(火) 23:11:03.20
邪馬台国

410日本@名無史さん2018/02/01(木) 07:45:07.15
「若杉山遺跡(阿南)坑道発見」
「辰砂採掘 弥生後期 日本最古か」

阿南市と徳島県教委は31日、弥生時代後期から古墳時代初頭にかけ、赤色顔料「水銀朱」の原料となる辰砂が採掘されていた若杉山遺跡(同市水井町)で、
辰砂を採掘していた坑道が見つかったと発表した。これまでは露天掘りなどの手法が取られていたとみられており、
より高い技術が必要な坑道で採掘されていたことは分かっていなかった。日本最古の坑道の可能性があり、今後、詳しく調べる。
遺跡は、太龍寺山(標高618m)の標高約140〜250mの地点の斜面にあり、坑道は約250mの地点で見つかった。奥行きは約14m、高さは約70〜90cmある。
市が国史跡指定に向けて昨年8月から行った調査では、入り口付近から辰砂の原石が22点、石杵が10点、内部から石杵が12点見つかった。
このため、辰砂の鉱脈を含む岩を横穴式に掘り進んだ坑道だと断定した。入り口から約50m離れた斜面では、掘削する際に出たがれきなどが捨てられた「ズリ場」も確認された。
その付近で弥生土器の破片が発見されており、坑道も弥生時代に使われていた可能性があると判断した。
市などは来年度以降、坑道内部の調査を本格化させ、時代の特定につながる土器などを探す。付近で他の坑道の有無も調べる。
現在、日本最古の坑道は奈良時代に銅を採掘していた長登銅山(山口県美祢市)とされている。
若杉山遺跡調査検討委員会の大久保徹也・徳島文理大学教授(考古学)は「この時期は、むき出しの岩を石杵で砕くなどして辰砂を採掘していたと考えられていたため、
これまでの考え方を覆すかもしれない」と指摘している。  徳島新聞 平成30年2月1日  @阿波

411日本@名無史さん2018/02/01(木) 11:34:23.87
やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci

この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです

掻い摘んで説明すると

・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
 90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた

・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
 防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった

・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
 創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
 防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった

・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
 不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった

・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
 私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
 防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
 ※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る

・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った

つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕

詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/

412日本@名無史さん2018/02/01(木) 14:53:12.69
「若杉山遺跡(阿南)坑道発見」
「辰砂採掘 弥生後期 日本最古か」

阿南市と徳島県教委は31日、弥生時代後期から古墳時代初頭にかけ、赤色顔料「水銀朱」の原料となる辰砂が採掘されていた若杉山遺跡(同市水井町)で、
辰砂を採掘していた坑道が見つかったと発表した。これまでは露天掘りなどの手法が取られていたとみられており、
より高い技術が必要な坑道で採掘されていたことは分かっていなかった。日本最古の坑道の可能性があり、今後、詳しく調べる。
遺跡は、太龍寺山(標高618m)の標高約140〜250mの地点の斜面にあり、坑道は約250mの地点で見つかった。
奥行きは約14m、高さは約70〜90cmある。
市が国史跡指定に向けて昨年8月から行った調査では、入り口付近から辰砂の原石が22点、石杵が10点、内部から石杵が12点見つかった。
このため、辰砂の鉱脈を含む岩を横穴式に掘り進んだ坑道だと断定した。
入り口から約50m離れた斜面では、掘削する際に出たがれきなどが捨てられた「ズリ場」も確認された。
その付近で弥生土器の破片が発見されており、坑道も弥生時代に使われていた可能性があると判断した。
市などは来年度以降、坑道内部の調査を本格化させ、時代の特定につながる土器などを探す。付近で他の坑道の有無も調べる。
現在、日本最古の坑道は奈良時代に銅を採掘していた長登銅山(山口県美祢市)とされている。
若杉山遺跡調査検討委員会の大久保徹也・徳島文理大学教授(考古学)は「この時期は、
むき出しの岩を石杵で砕くなどして辰砂を採掘していたと考えられていたため、
これまでの考え方を覆すかもしれない」と指摘している。  徳島新聞 平成30年2月1日  @阿波

413日本@名無史さん2018/02/03(土) 18:25:21.32
沖縄にも久米村とか久米が多いね
徳島と関係あるんかな

414日本@名無史さん2018/02/06(火) 18:17:22.34
丹山は北部九州にあるじゃん
『出真珠青玉 其山有丹』
なんだから、山に丹があるだけで倭人伝の条件を満たす

丹を採掘しているなら、
『出真珠青玉丹』
『出真珠青玉 其山出丹』
になるはずだよね。




だから阿波は真っ先に脱落。

415日本@名無史さん2018/02/06(火) 18:18:26.54
☆☆☆ @阿波 注 意 報 ! ! ☆☆☆

@阿波は単なる荒らしです。

反応を釣りだすのを楽しんでいるだけで、
理をもって説き伏せても同じ内容を何度も書きこんで煽ってくるクズです。

@阿波には根拠もないし、真面目に議論する気もありません。
他説が反応しやすいコピペをひたすら繰り返すだけです。

スレ汚しになるから相手しないように。
どうしても反論したいなら、たん壺に吐き出せば@阿波は必ず目を通します。
(ageれば他の皆も見てくれます)

たん壺
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1458389654/l10

416日本@名無史さん2018/02/06(火) 19:05:10.10
>>414
何言ってるかわからないwww

417日本@名無史さん2018/02/06(火) 19:07:50.23
@阿波はアホかw

阿波の西には
北部九州を中心とする中国朱を大量に使用していた広大な地域があるわけだぞ。

その地域を抜けて東に阿波があって、
阿波でこじんまりと阿波朱を採掘していた。

つまり
阿波は海外交易圏から外れて
自前の丹で必死に自活していた田舎ってことだ。

418日本@名無史さん2018/02/06(火) 19:15:35.19
>>417
坑道も新たに見つかって大規模だったこと知らんのかw

419日本@名無史さん2018/02/06(火) 19:17:53.25
>>418
だからこそ邪馬台国じゃない

420日本@名無史さん2018/02/06(火) 19:20:32.03
丹山は北部九州にあるじゃん
『出真珠青玉 其山有丹』
なんだから、山に丹があるだけで倭人伝の条件を満たす

丹を採掘しているなら、
『出真珠青玉丹』
『出真珠青玉 其山出丹』
になるはずだよね。




だから阿波は真っ先に脱落。

421日本@名無史さん2018/02/06(火) 19:28:29.51
158日本@名無史さん2018/02/05(月) 12:08:56.49
>>157
>末蘆國----唐津中原遺跡

魏使はおろか、元寇・朝鮮通信使も一度たりとも唐津に上陸していない。推して知るべし。

もし古代より、唐津やその周辺が大陸との文化流入の玄関口であれば、 宗像地方に替わって唐津周辺が世界文化遺産になっている。  @阿波


159日本@名無史さん2018/02/05(月) 20:10:13.88>>162
1596年の朝鮮通信使は名護屋(東松浦半島)に上陸している。
(日本往還日記)
この時点で@阿波はいつもの大嘘。


@阿波は詐欺師

422日本@名無史さん2018/02/06(火) 19:29:40.44
162日本@名無史さん2018/02/05(月)
>>159
>1596年の朝鮮通信使は名護屋(東松浦半島)に上陸している。
(日本往還日記)

その名護屋(東松浦半島)は、「往」じゃないく、「還」のはなし。

165日本@名無史さん2018/02/05(月)
>>162
「往」の旅行日誌が詳しく記されている。

末蘆国は唐津。
歴史文献上も考古学上も、定説通りで確定。


@阿波は詐欺師

423日本@名無史さん2018/02/06(火) 19:30:39.61
164日本@名無史さん2018/02/05(月) 20:37:47.07
>>160
>さらに、楽浪土器は伊都までしか到達しておらず、

当然として、楽浪土器が最も出土しているのも、末羅国の宗像方面。  @阿波

228日本@名無史さん2018/02/06(火) 19:23:01.93
@阿波は、伊都に集中する楽浪土器が、宗像から一番出てるとか嘘を平然とつく詐欺師だからな


@阿波は詐欺師

424日本@名無史さん2018/02/06(火) 19:31:27.43
史書に『出真珠青玉 其山有丹』
とあるなら邪馬台国はこの三つを産出している
と解釈しないとだめだろ
其山という書き方は邪馬台国が山国だったということ

425日本@名無史さん2018/02/06(火) 19:40:24.79
其山有丹=邪馬台国の山には丹が有りますよ

それ以上でもそれ以下でもない

むしろ
丹を採掘しているなら、
『出真珠青玉丹』
『出真珠青玉 其山出丹』
になるはず。

426日本@名無史さん2018/02/06(火) 19:47:34.13
丹が有るから採掘してるんだよ
採掘跡が無いからって酷い言いがかりだな

427日本@名無史さん2018/02/06(火) 20:19:27.25
其山有丹=邪馬台国の山には丹が有りますよ

それ以上でもそれ以下でもない

むしろ
丹を採掘しているなら、
『出真珠青玉丹』
『出真珠青玉 其山出丹』
になるはず。

428日本@名無史さん2018/02/06(火) 20:44:02.10
>>42
>其山有丹=邪馬台国の山には丹が有りますよ

分かったから、
じゃ、なんという丹山なの?  @阿波

429日本@名無史さん2018/02/06(火) 20:49:26.44
>>427
馬鹿じゃないのw
採掘されてる事実があるから
其山出丹て書くのよw
丹が有るだけなら日本の複数の地点にばらけるよ
九州説の馬鹿は早くその時代の採掘跡を見つけろよw

430日本@名無史さん2018/02/06(火) 20:52:01.01
>>429
だから其山出丹て書かれてないので、採掘されてる事実はなかった。

丹が有るだけなのだから、日本の複数の地点にばらける。

よって、阿波説は真っ先に邪馬台国候補から脱落。

431日本@名無史さん2018/02/06(火) 20:54:24.93
>>430
>其山有丹=邪馬台国の山には丹が有りますよ

分かったから、
じゃ、なんという丹山なの?  @阿波

432日本@名無史さん2018/02/06(火) 21:03:20.55
>>431
倭人伝には丹を採掘していたとは書かれていないでござる丹山

433日本@名無史さん2018/02/06(火) 21:06:45.76
>>432
馬鹿じゃないのw

434日本@名無史さん2018/02/06(火) 21:07:32.84
丹山は北部九州にあるじゃん
『出真珠青玉 其山有丹』
なんだから、山に丹があるだけで倭人伝の条件を満たす

丹を採掘しているなら、
『出真珠青玉丹』
『出真珠青玉 其山出丹』
になるはずだよね。




だから阿波は真っ先に脱落。

435日本@名無史さん2018/02/06(火) 21:11:12.27
>>434
>丹山は北部九州にあるじゃん

分かったから、
じゃ、なんという丹山なの?  @阿波

436日本@名無史さん2018/02/06(火) 21:17:35.05
>>430
話にならん
丹が有るということは採掘されてるのと同意だろ
当時、丹は重要な意味を持ってたんだから
魏志に残ってるわけだよ
中国産の丹以外にこの国でも丹は出ますよと

437日本@名無史さん2018/02/06(火) 21:26:51.07
>>436
話にならん

山に丹がある
山の丹を採掘している

ぜんぜんちがう

438日本@名無史さん2018/02/06(火) 21:27:26.71
@阿波はアホかw

阿波の西には
北部九州を中心とする中国朱を大量に使用していた広大な地域があるわけだぞ。

その地域を抜けて東に阿波があって、
阿波でこじんまりと阿波朱を採掘していた。

つまり
阿波は海外交易圏から外れて
自前の丹で必死に自活していた田舎ってことだ。

439日本@名無史さん2018/02/06(火) 21:35:51.59
>>438
中国朱を使う事と其山有丹は別の話だろ
自前の丹を使えるように採掘したのが若杉山だ
このレベルの丹山の遺跡はここ以外日本には存在しない

440日本@名無史さん2018/02/06(火) 21:43:21.66
>>439
だから何?w

倭人伝には
『出真珠青玉 其山有丹』

邪馬台国では真珠や翡翠が産出するけど、

邪馬台国の山には丹があるだけ
と書かれているだけ〜

まさかの拡大解釈してるの?w

441日本@名無史さん2018/02/06(火) 22:00:01.62
>>440
さっさと丹山の遺跡探しにいけよw
無いものが有る方にいちゃもんつけてるだけだぞw

442日本@名無史さん2018/02/06(火) 22:08:44.74
>>441
>無いものが有る方にいちゃもんつけてるだけだぞw

そうだな。
中国朱が大量消費されている北部九州を中心とする倭国地域に対して
東方倭種の属国達が
いちゃもんをつけているだけだ

443日本@名無史さん2018/02/06(火) 22:24:32.53
>>442
辰砂の発掘の歴史とかちゃんと調べてみろw
恥ずかしいわw

444日本@名無史さん2018/02/06(火) 22:35:39.41
>>440
>邪馬台国の山には丹があるだけ
>と書かれているだけ〜

じゃあ、その「丹があるだけ」の山ってなんという山? これなら答えられるかな? やっぱり無理かな?  @阿波

445日本@名無史さん2018/02/06(火) 22:37:28.73
おそらく
丹を採掘した跡は発掘される
しかし丹があることはわかっていても、必要ないから採掘されていない場合は
跡が残らないから、
そこをついているのだろう

ただそれだけ

@阿波という詐欺師が考えそうなことだ

446日本@名無史さん2018/02/06(火) 22:38:59.12
倭人伝には
『出真珠青玉 其山有丹』

邪馬台国の山には丹が有りますよ

と書かれているだけ

山に丹が有ればそれでいい

採掘していたらむしろ負けw

447日本@名無史さん2018/02/06(火) 22:43:55.50
>>445
>しかし丹があることはわかっていても、

じゃあ、その「丹があることはわかっている」山ってなんという山? これなら答えられるかな? やっぱり無理かな?  @阿波

448日本@名無史さん2018/02/06(火) 22:45:40.33
よかったじゃないか

朱儒国=丹をわざわざ自国で採掘する小さい人たちの国

とわかってw

三国志東夷伝倭人条に記載されるだけでも
すごいことだぞ!


丹なんて山にいっぱい有るけど
中国朱を大量に輸入して大量消費していた
北部九州邪馬台国なんて気にするな!

上 見て 暮らすな 下 見て 暮らせ www

449日本@名無史さん2018/02/06(火) 22:46:32.14
>>446
>邪馬台国の山には丹が有りますよ

じゃあ、その「丹が有りますよ」の山ってなんという山? これなら答えられるかな? やっぱり無理かな?  @阿波

450日本@名無史さん2018/02/06(火) 22:47:21.96
>>447
絶対答えられないから意味無いですよ
こいつら丹の重要性さえ無視したただのキチ外ですから

451日本@名無史さん2018/02/06(火) 22:47:43.78
☆☆☆ @阿波 注 意 報 ! ! ☆☆☆

@阿波は単なる荒らしです。

反応を釣りだすのを楽しんでいるだけで、
理をもって説き伏せても同じ内容を何度も書きこんで煽ってくるクズです。

@阿波には根拠もないし、真面目に議論する気もありません。
他説が反応しやすいコピペをひたすら繰り返すだけです。

スレ汚しになるから相手しないように。
どうしても反論したいなら、たん壺に吐き出せば@阿波は必ず目を通します。
(ageれば他の皆も見てくれます)

たん壺
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1458389654/l10

452日本@名無史さん2018/02/06(火) 22:48:59.33
答えられないようだね。 答えられるはずもなし。

倭国(阿波)ではね、「若杉山」っていうんだよ。 目をつぶっているから見えないかな?  @阿波

453日本@名無史さん2018/02/06(火) 22:49:32.39
>>450
詐欺師の言う丹の重要性とは
倭人伝が全て

だがその倭人伝に書かれているのは

丹山は北部九州にあるじゃん
『出真珠青玉 其山有丹』
なんだから、山に丹があるだけで倭人伝の条件を満たす

丹を採掘しているなら、
『出真珠青玉丹』
『出真珠青玉 其山出丹』
になるはずだよね。




だから阿波は真っ先に脱落。

454日本@名無史さん2018/02/06(火) 22:51:42.75
おいおい
@阿波よう

お前の頭の上に踵を乗っけて聞くわw

>倭人伝に 『出真珠青玉 其山有丹』
>なんだから、山に丹があるだけで倭人伝の条件を満たす
だろ?w

反論してみろや詐欺師w

455日本@名無史さん2018/02/06(火) 22:55:21.51
>>454
>なんだから、山に丹があるだけで倭人伝の条件を満たす

だから、「丹があるだけの山」ってなんという山? それも無いのかな?  @阿波

456日本@名無史さん2018/02/06(火) 22:55:40.03
>>454
丹はおいといてw
真珠、青玉のことで聞きたいw

457日本@名無史さん2018/02/06(火) 23:00:52.96
>>454
九州には丹山がないけど
倭国(阿波)ではね、「其山有丹」の山 「若杉山」っていうんだよ。 目をつぶっているから見えないかな?  @阿波

458日本@名無史さん2018/02/06(火) 23:03:15.50
丹山は北部九州にあるじゃん
『出真珠青玉 其山有丹』
なんだから、山に丹があるだけで倭人伝の条件を満たす

丹を採掘しているなら、
『出真珠青玉丹』
『出真珠青玉 其山出丹』
になるはずだよね。




だから阿波は真っ先に脱落。

459日本@名無史さん2018/02/06(火) 23:04:34.75
邪馬台国と丹を結びつけるのは倭人伝が根拠だろ?

その倭人伝を検討することから必死に逃げ回っているのが@阿波

つまりは 詐 欺 師 

460日本@名無史さん2018/02/06(火) 23:06:13.97
真珠は四国で取れるのは当たり前で宇和島で養殖してる
青玉が何を指すのか明確でないが青石を加工したものなら
中央構造線に沿った徳島は吉野川以外でも
海岸が青石まみれ
那賀川水系の勝浦川の海岸が青石だらけで驚くわ

461日本@名無史さん2018/02/06(火) 23:08:14.15
>>459
意味不明
おまえが詐欺師

462日本@名無史さん2018/02/06(火) 23:11:29.50
>460
吉野川支流の川田川では翡翠が取れていたらしいですよ。  @阿波

463日本@名無史さん2018/02/06(火) 23:13:13.92
あれあれ?

先進国である北部九州倭国が阿波で開発してくれた品々を
自らの功績にするつもりですか?

それでいいの?
@阿波に「誇り」は無いの?

464日本@名無史さん2018/02/06(火) 23:16:30.17
厳密に言うと北部九州倭国の産物じゃないかも?

うーん

けど、
北部九州倭国の軍隊が占領した先で
採掘したものであれば、
北部九州倭国の産物と言えるよね?
現地人を指揮して採掘していても
管理しているのは北部九州倭国人だし

ねえ、そうだよね???

北部九州倭国から下賜されないと手に入らない
中国系の銅鏡
鉄器
などなどが
まったくゼロの遺跡のものなら独自と認めよう

465日本@名無史さん2018/02/06(火) 23:18:42.11
>>463
筑紫忌部に開発されたんでしょ。 筑紫は倭国(阿波)に感謝しなきゃ。 罰が当たるよ。  @阿波

466日本@名無史さん2018/02/06(火) 23:20:45.62
>>465
筑紫忌部に開発されたんでしょ。 @阿波は倭国(筑紫)に感謝しなきゃ。 罰が当たるよ。

467日本@名無史さん2018/02/06(火) 23:20:53.54
>>464
>まったくゼロの遺跡のものなら独自と認めよう

「若杉山遺跡の丹」  @阿波

468日本@名無史さん2018/02/06(火) 23:21:27.47
>>462
はい、翡翠のことも知ってるんですけど
徳島の青石が畿内に莫大に流入しますよね
異常なくらい

469日本@名無史さん2018/02/06(火) 23:24:35.70
>>468
縄文時代から青石製の石棒や石斧が畿内などに流れ込んでいますね。  @阿波

470日本@名無史さん2018/02/06(火) 23:32:45.64
辺境は辺境なりに辺境の歴史があるのだなあ

471日本@名無史さん2018/02/06(火) 23:35:21.03
>>469
青石が豊富だった以外に葬祭に伝統的な使用例があって
阿波式石棺というものが残っています
縄文からの伝統かもしれません

472日本@名無史さん2018/02/06(火) 23:38:05.48
北部九州邪馬台国と無関係の自己レスが続きます

473日本@名無史さん2018/02/06(火) 23:44:22.93
>>472
北部九州に邪馬台国無いんだから問題無し

474日本@名無史さん2018/02/06(火) 23:49:23.15
>>473
もはや議論する内容すら持ち合わせない辺境の国が
精一杯の一言

475日本@名無史さん2018/02/06(火) 23:52:19.95
>>474
議論する内容もないくせにw

476日本@名無史さん2018/02/06(火) 23:55:19.85
>>474
議論持って来いよおらおらw

477日本@名無史さん2018/02/06(火) 23:57:53.03
議論する内容もない泡沫スレ

478日本@名無史さん2018/02/07(水) 00:00:33.40
>>477
はい終了
議論持って来い九州馬鹿

479日本@名無史さん2018/02/07(水) 00:01:27.14
丹山は北部九州にあるじゃん
『出真珠青玉 其山有丹』
なんだから、山に丹があるだけで倭人伝の条件を満たす

丹を採掘しているなら、
『出真珠青玉丹』
『出真珠青玉 其山出丹』
になるはずだよね。




だから阿波は真っ先に脱落。

480日本@名無史さん2018/02/07(水) 00:07:03.09
>>479
採掘してないところを外国が有とか記すはずないだろw
いつまでこんなことに拘ってるんだよw
さっさと九州の採掘跡探して来いよwwwww

481日本@名無史さん2018/02/07(水) 00:08:43.78
『出真珠青玉 其山有丹』

真珠青玉は出る

丹は山に有るだけ

考古学的に北部九州では中国朱が使われているのだから
その辺境でいくら採掘していようが
ド田舎の辺境である証明にしかならない

482日本@名無史さん2018/02/07(水) 00:14:01.44
>>481
ど田舎で結構だけど
徳島の古墳も中国朱使われてるぞ
問題は国産の辰砂は徳島以外その時代の遺跡が無いのよ

483日本@名無史さん2018/02/07(水) 00:37:59.33
>>481
九州が今の天皇制ではど田舎だと早く気付け
薩摩の呪縛からは逃れられないかw

484日本@名無史さん2018/03/01(木) 09:02:17.31
「四国初の並列粘土槨」
「石井の山ノ神古墳 墳丘と同時造成」 徳島新聞朝刊 平成30年3月1日

石井町教委は28日、古墳時代前期とみられる前方後円墳「山ノ神古墳」(同町石井)の後円部の墳頂で、木棺を粘土で包んだ埋葬施設「粘土槨」が2基並んだ状態で見つかったと発表した。
粘土槨が墳丘と同時並行で築かれたことも判明し、いずれも四国で初めての出土例。 専門家は「全国的にも珍しい事例で、古墳研究の基礎資料になる」としている。

粘土槨は、墳頂部の地表面から約50〜70cm下で発見された。箱形木棺(幅約1.15m)と割竹形木棺(約1.2m)とみられ、約1.1mの間隔を空けて置かれていた。
全国の豪族は長辺を南北に向ける配置が多いが、県内の他の古墳に見られる特徴と同じく、東西に向ける形で埋められていた。

先に墳丘を完成させ、後で土を掘って木棺を埋め戻す方法が一般的だが、山ノ神古墳では盛土の堆積状況から、墳丘と粘土槨が同時に造られたことが分かった。

同様の事例は国史跡の和泉黄金塚古墳(大阪府)など近畿地方にみられるが、四国では見つかっていなかった。古墳調査に詳しい兵庫県立考古博物館の石野博信名誉館長は「墓を造り、葬送儀礼をしてから墳丘を仕上げる過程が分かる珍しい事例。
徳島の古代文化の独自性や、近畿政権との関係を考える材料にもなる」としている。

山ノ神古墳は2014年に発掘調査を開始。全長57mで、前方後円墳としては県内3番目の規模であることが分かっている。17年には、前方後円墳に隣接する円墳周辺で、県内2例目となる筒型銅器が出土している。

この「山ノ神古墳」は、東隣に鎮座する「白鳥神社」と合わせて、「日本武尊」の陵墓とみられている。  @阿波

485日本@名無史さん2018/03/08(木) 23:13:09.07
不思議なんだよね。
2013年以来、学者は勿論、一般人にも、畿内説を連呼する狂人はいないのに、インタ−ネットの世界では、目立つのだよね。

486日本@名無史さん2018/03/10(土) 01:14:27.46
徳島にはユダヤ伝説もあるらしいし、
三好長慶などという基地外のような馬鹿もいる。
特殊な日本だったのかもしれない。

487日本@名無史さん2018/03/10(土) 01:19:42.78
三好か・・・幼稚園(同じクラス)にいたよ、川崎区の話だけど、
あと島津もいたw

488日本@名無史さん2018/03/10(土) 01:23:57.92
かなり多いのかな?少ないのかな

人口的な話ね

ちなみに神奈川県の川崎だよ

489日本@名無史さん2018/03/10(土) 01:28:17.37
『サイバーパンクspecial』

伝説のロトの勇者?
川崎区に住んでいるような話。

ドラクエのロトの事だと思う。

490日本@名無史さん2018/03/10(土) 08:22:59.34
県西部の急傾斜地農法 「世界農業遺産」に認定  徳島新聞朝刊 平成30年 3月10日
傾斜地農耕システムは、斜度40度にも及ぶ急斜面の畑で作物を栽培する独自の農法で、美馬・三好・つるぎ・東みよしの各市町で雑穀や野菜を生産している。
日照量に応じて作物を選び、カヤを土壌流失の防止に役立ててきた。カヤ場と呼ばれる採草地を確保し、秋にはカヤ刈り、「コエグロ」を作る。
先人たちの知恵と技術、工夫が今の剣山系の傾斜地に詰まっている。

阿波では古来より、県西部の剣山系山岳集落を指して「空・ソラ」と呼ぶ。

まさにそこは、古代高天原「空・ソラ」の地なのである。  @阿波

491日本@名無史さん2018/03/10(土) 17:45:30.66
>>484
>この「山ノ神古墳」は、東隣に鎮座する「白鳥神社」と合わせて、「日本武尊」の陵墓とみられている。  @阿波

最後の一行抜きの、事例報告(新聞発表?)だけなら面白かったのに、最後の一行の妄想で台無しww

ヤマトタケルの墓は、津堂城山古墳が一番妥当だと思うよ
まあ、景行天皇から応神天皇に繋ぐまでは、記紀の系譜もぐちゃぐちゃだから
なんとも言えないけど

景行天皇の三太子について、阿波の立場から何か言うことはあるかい?

492日本@名無史さん2018/03/10(土) 19:01:18.92
>>491
>ヤマトタケルの墓は、津堂城山古墳が一番妥当だと思うよ

理由は?  @阿波

493日本@名無史さん2018/03/10(土) 22:38:02.50
天武系は磐余系神武系だろうが、最終的に自滅したからね。
天武と天智天皇は全く別の血筋だろうし。
大津皇子が天武の子かどうかも怪しい。

大津皇子可哀想だな。
辞世の句

ももづたふ磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ

ももづたふ、敦賀や鈴。

イワレと鴨を恨んでいるのかな。
雲隠りなむ、太陽が雲に隠れるのかな。

太陽は烏。


金烏臨西舎 鼓声催短命 
泉路無賓主 此夕離家向 

金烏の家は西にあるのかな。和泉路に賓主はなし。

我こそが応神天皇の子孫だと言いたかったんだろう。
息長氏(敦賀、鈴)、神功皇后、応神天皇。

494日本@名無史さん2018/03/12(月) 12:00:25.24
2013年、畿内説は破綻しました。。。。

495日本@名無史さん2018/03/14(水) 13:39:20.39
初心者にも説明すれば、良いのではないのかな。。。
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1521001812/

496日本@名無史さん2018/03/15(木) 18:06:59.75
江戸時代、盆踊りって各藩でやってたが
治安上の理由から徳川幕府が禁止したんだってね、阿波を除いて
で阿波踊り400年の歴史に繋がる
阿波だけを特別扱いした理由って何?

497日本@名無史さん2018/03/15(木) 18:15:50.68
徳川家康が関ヶ原の戦いにて天下に名を上げるや
我が名を松平元康から徳川に改名し
阿波藩も急遽、徳島藩とするよう命じた。(「道は阿波より始まる」岩利大閑)

この「徳川」や「徳島」という名称由来は、
仏教史書である「佛祖統紀」の彦子神武が、竺紫(とくし)城にて即位という部分や
竺紫(とくし)の日向(徳島県) の橘(阿南市)の小門の阿波岐原を由来とする可能性が高い。   @阿波

498日本@名無史さん2018/03/19(月) 08:59:04.34
2013年のあの日以来、小汚く年老いた奈良の自称考古学者が、優秀な若い古代研究家たちに、無茶な自説をゴリ押すための工作やパワーハラスメントを仕掛けることが多くなってきたが、良識ある若者たちは結束して、真実を次世代に伝えようとしている。。。
すなわち、巻向は邪馬台国とは無関係であると、、、

499日本@名無史さん2018/03/19(月) 09:07:27.29
    ↑
こいつが乱立荒らしの犯人です

500日本@名無史さん2018/03/25(日) 22:17:40.60
畿内説を論破されてしまった既知害キナイコシが、必死に荒らしているね。。。

501日本@名無史さん2018/03/25(日) 23:53:49.98
既知害必死だな

502日本@名無史さん2018/03/28(水) 14:36:32.50
天皇家直近の国家機関を巻き込んだ、あの延べ何百時間にも及ぶ大規模調査が実施された2013年以来、箸墓古墳を卑弥呼の墓とは、誰も言い張らなくなってきたね。。。

503他スレをあらすな2018/04/29(日) 15:36:01.20
さらしあげ

504日本@名無史さん2018/05/01(火) 16:11:41.31
邪馬台国全解決を読んだ。でも徳島説優位の丹、青石、カササギ・牛馬なしなど
への言及が一切なく里程で解決しているのみ。魏の使いは10年で四回来たらしい。
これからは推測だが正使は伊都国までしか来ていないのではないか。阿波を守る
ためには中国の使いを本地までは連れてこないだろう。阿波王国は伊都国に一大率
を置き、使者には阿波の風俗を説明しただけじゃないだろうか。ただし壬申の乱迄
阿波が舞台というのはどうしても受け入れられない。天智天皇はやはり京都山科で
沓を残して死んでしまったのがぴったり来る。阿波→河内進出はもっと早く、奈良
で蘇我専制が始まったと考えたい。

505日本@名無史さん2018/05/01(火) 19:18:31.31
>>504
>ただし壬申の乱迄 阿波が舞台というのはどうしても受け入れられない。

それを観音寺木簡や飛鳥寺院跡や蘇我氏神社古墳群が証明している。  @阿波

506日本@名無史さん2018/05/02(水) 16:27:02.78
>>504
白鳳地震684年で阿波壊滅し
津波のこない畿内へ遷都した

507日本@名無史さん2018/05/02(水) 17:14:51.08
>>506
白鳳地震684年より、白村江の敗戦だろうね。 遷都を決断した切っ掛けは。
何故か、白村江の戦前後から、奈良方面への行幸が活発になっている。  @阿波

508日本@名無史さん2018/05/04(金) 03:35:58.94
あげ

509日本@名無史さん2018/05/12(土) 14:25:49.89
あげ

510日本@名無史さん2018/05/28(月) 16:54:20.88
温暖で住みやすかったんだろうとは思うけど、今日の四国の姿が証明しているようにわざわざそこに住む人は少ないんじゃないかな?

現代ならまだしも、橋も大型の高速船もない時代に、覇権国家の拠点があったとは考えにくい

511日本@名無史さん2018/06/08(金) 15:35:45.04
>>510
当時は川の大きさ=都市の規模

インダスにしろエジプト文明にしろ河とセットで生まれた
理由は簡単
飲み水にしろ、農作物を育てるにしろ、近辺に川がないと話にならない

古代人が豊饒な吉野川をスルーするわけがない
ここが国家の拠点だと一発で悟ったはず

512日本@名無史さん2018/06/08(金) 16:29:30.31
>>510
>現代ならまだしも、橋も大型の高速船もない時代に、覇権国家の拠点があったとは考えにくい

古代史を探求するセンスに欠けるのかな?

弥生人にとって、「阿波」はまさに理想の土地。
温暖な気候・多数の大河の恵み・大河流域の土地の恵み・黒潮流れる大海の恵み・山深い森林の恵み・多種類の希少鉱物の恵み
県北部(邪馬台国)には、銅、泥質片岩、緑色片岩、翡翠、蛇紋岩、紅蓮石
県南部(狗奴国)には、辰砂が採れる。
阿波に人が集まり、独自文化が発祥・全国展開したのは、当然といえば当然。   @阿波

513日本@名無史さん2018/06/08(金) 17:37:40.16
徳島は明治初期は日本10大都市だった
江戸時代までは交通のメインは船だったので川の多い徳島は有利だった
(船だと重い物資を大量に一気に輸送できる)
明治時代になり船から車へモーダルシフトが起こり
平野の広い場所の方が有利になり、川だらけ徳島は衰退していった

徳島の歴史は川に振り回された歴史である

514日本@名無史さん2018/06/08(金) 17:44:53.29
平成になってからは逆に川を活かした街づくり、
水都徳島で観光客を呼び込もうと努力してるがまだまだ道半ば

515日本@名無史さん2018/06/09(土) 00:19:10.63
近代化で川が国土交通省管轄になったからね、
治水に重きを置きすぎて通商としての河川利用ができなくなったから

516日本@名無史さん2018/06/09(土) 20:46:43.90
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8
https://youtu.be/-wF31xbwqPM

517日本@名無史さん2018/07/06(金) 08:49:00.86
阿南
国内最古の鉄製造工房 10軒

https://www.yomiuri.co.jp/local/tokushima/news/20180705-OYTNT50179.html

518日本@名無史さん2018/07/06(金) 09:26:52.26
「阿南・加茂宮ノ前遺跡」 平成30年7月6日 徳島新聞朝刊  
「鉄器の製造拠点か」
「住居跡の半数 鍛冶炉や道具出土」
阿南市加茂町の加茂宮ノ前遺跡で、弥生時代中期末〜後期初頭(約2000年前)の竪穴住居跡20軒が見つかり、このうち10軒では鉄器を製作した鍛冶炉や鉄器作りに用いた道具類などが出土した。
県教委と県埋蔵文化財センターが5日発表した。鉄器の製造工房としては国内最古級で、集落(ムラ)の半分が工房という特徴から、県南部に大規模な鉄器の生産拠点が形成されていたとみられる。
竪穴住居跡で最も大規模なものは直径が約7mあり、その内部に鍛冶炉が19か所あった。鍛冶炉は直径30〜40pで、鉄をやじりや小型ナイフなどの小さな鉄器に加工するためのものという。
住居跡からは鉄器に加え、鉄器の形状を整える台石、製品を仕上げる砥石などが出土した。
石のやじりや糸を紡ぐ道具の紡錘車、古代の祭祀などに使われた赤色顔料・水銀朱を生産する石杵や石臼なども確認。
さらにガラス玉や管玉など、県内で数点しか出土していない稀少な装飾品も多数含まれ、出土品は計約50万点にも達する。
集落は、鉄器以外にもさまざまな物品を製作する工房として活用され、交易拠点としても繁栄していた可能性があるという。
県教委は2016年度から、加茂宮ノ前遺跡の発掘調査を実施。
17年2月には出土品の分析などから、南西約5kmにある若杉山遺跡で採掘された原料を使い、水銀朱を製造した工房跡との調査結果を公表している。
同時期の鍛冶炉は九州や中国地方にもあり、県内では矢野遺跡、名東遺跡(以上徳島市)、光勝院寺内遺跡(鳴門市)の3か所で確認されているが、県南部では初めて。
県埋蔵文化財センターは「他の遺跡では鍛冶炉を備えた住居跡は1、2軒だが、半数もあるのは全国的にも特異だ」としている。  @阿波

519日本@名無史さん2018/07/06(金) 09:50:06.14
>>518
これが南の「狗奴国」「長国」です。 北の「邪馬台国」「粟国」に対抗する強大な勢力ですね。  @阿波

520日本@名無史さん2018/07/12(木) 13:55:54.48
とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』

L5M

521日本@名無史さん2018/07/12(木) 14:00:01.23
脳内ホルホル系です @阿波

522日本@名無史さん2018/07/12(木) 14:00:58.47
キモくてすいません これからもです @阿波

523日本@名無史さん2018/07/12(木) 17:39:17.42
まだまだ書きこみたいからゆっとくよ

ぼく思い込み激しいバカなのよ これからも注目してね  @阿波

524日本@名無史さん2018/07/13(金) 17:54:47.25
トリップつけろ阿波

525日本@名無史さん2018/09/07(金) 12:50:56.96
邪馬台国かどうかわからないけど、徳島は後のヤマト王権の礎を築き
大きな影響を与える何らかの大きな部族があったのは間違いないでしょうね。

526日本@名無史さん2018/09/07(金) 12:58:36.68
老婆が言うには菅原?
そういう話もしていたんだけど、
老婆の実家の裏のほうに、そういう神社があって・・・とか

527日本@名無史さん2018/09/07(金) 13:00:54.38
お前の家の〜〜みたいな事を言っていたりw
家は『松傾』?のような名前の家なんだけど、読み方が何やらとか

528日本@名無史さん2018/09/07(金) 13:09:46.93
発電、電気の話をしていたり、
実際に電気(普通の電気)を起こしていて、何やら様とか言われていたとか

529日本@名無史さん2018/09/07(金) 13:17:04.65
>>525
>大きな影響を与える何らかの大きな部族があったのは間違いないでしょうね。


だから、後にも先にも「忌部一族」以外の部族なんてどこにも存在しないでしょ。  @阿波

530日本@名無史さん2018/09/07(金) 13:26:43.03
老婆の旧姓:渡辺

ほとんど合致している?日本昔話みたいな話

531日本@名無史さん2018/09/07(金) 13:29:35.64
橋、牛?の話とか

532日本@名無史さん2018/09/07(金) 13:36:37.14
機織りの話とか、
本当はどういう話なんだろう

533日本@名無史さん2018/09/07(金) 13:39:20.25
橋姫関係の話?

534日本@名無史さん2018/09/07(金) 14:24:49.91
>>525
>大きな影響を与える何らかの大きな部族があったのは間違いないでしょうね。


北の「邪馬台国」「粟国」 も 南の「狗奴国」「長国」もみんな「忌部一族」だよ。  @阿波
 

535日本@名無史さん2018/09/07(金) 14:32:07.25
本当に謎の川俣町という掲示板


奈良とか平安の頃の〜話をしている人がいたり

536日本@名無史さん2018/09/07(金) 21:27:55.43
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

537日本@名無史さん2018/09/09(日) 12:30:38.25
阿波文字は忌部が作ったの?

538日本@名無史さん2018/09/09(日) 13:15:49.53
>>537
>阿波文字は忌部が作ったの?

それ以外はない。
ただし、 ここでいう忌部とは、平安時代の『新撰姓氏録』以降の忌部(斎部)氏ではない。
忌部とは倭人(広義の忌部氏)であり、全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の総称である。  @阿波

539日本@名無史さん2018/09/09(日) 13:30:33.28
「大宮八幡神社」は、徳島県佐那河内村に鎮座する神社である。
「大宮八幡神社」には神代文字である阿波文字が伝えられている。

この「大宮八幡神社」もいいが、もっと面白いのが徳島県佐那河内村「天岩戸別神社」。 こんなのばっかり。  @阿波
https://sueyasumas.exblog.jp/23490705/

540日本@名無史さん2018/10/06(土) 22:40:50.02
邪馬台国畿内教の教条

邪馬台国が畿内に確定すれば
天皇の大陸への臣従史観が証明され
日本が天皇を御旗にあげて再び大日本帝国になり
中国・韓国に侵略戦争を仕掛けるための士気を損なえる
ゆえに邪馬台国を畿内とさせなくてはならない

パヨクは頭おかしいでほんま

541日本@名無史さん2018/10/06(土) 23:01:49.82
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 

542日本@名無史さん2018/10/07(日) 22:37:07.34
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=長江+++鬲&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RimFEhQrlbtGwAJkGU3uV7?p=越式鼎&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

543日本@名無史さん2018/10/09(火) 08:07:39.86
邪馬台国は徳島だっただの、神武天皇は徳島出身だっただの、徳島県民ってどうして歴史を捏造をするの?恥ずかしくないの?

徳島なんて江戸時代以前の史料がほぼ無いに等しい県なのに。

544日本@名無史さん2018/10/09(火) 09:09:53.24
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

545日本@名無史さん2018/10/09(火) 11:40:43.57
各地の風土記のうち、「天地初発より記された」風土記は、阿波国風土記のみである。  @阿波

「阿波国風土記」    
https://sites.google.com/site/awakokufudoki/home/awa-koku-zoku-fudoki-nitsuite/2_awakoku_fudoki_towa

通説では、天皇家や建国の歴史とは何の関わりもないはずの阿波国、 何故、その地誌「阿波国風土記」で唯一、天皇の称号について書かれているのだろうか?

役人が天皇に献上する書である。 上記の天皇が阿波に関係なければ、風土記なんぞに書ける訳がないのである。 「お前、何書いとんねん!」では済まされる話ではない。 

546日本@名無史さん2018/10/10(水) 07:45:48.08
「阿南・加茂宮ノ前遺跡」 平成30年7月6日 徳島新聞朝刊  
「鉄器の製造拠点か」
「住居跡の半数 鍛冶炉や道具出土」
阿南市加茂町の加茂宮ノ前遺跡で、弥生時代中期末〜後期初頭(約2000年前)の竪穴住居跡20軒が見つかり、このうち10軒では鉄器を製作した鍛冶炉や鉄器作りに用いた道具類などが出土した。
県教委と県埋蔵文化財センターが5日発表した。鉄器の製造工房としては国内最古級で、集落(ムラ)の半分が工房という特徴から、県南部に大規模な鉄器の生産拠点が形成されていたとみられる。
竪穴住居跡で最も大規模なものは直径が約7mあり、その内部に鍛冶炉が19か所あった。鍛冶炉は直径30〜40pで、鉄をやじりや小型ナイフなどの小さな鉄器に加工するためのものという。
住居跡からは鉄器に加え、鉄器の形状を整える台石、製品を仕上げる砥石などが出土した。
石のやじりや糸を紡ぐ道具の紡錘車、古代の祭祀などに使われた赤色顔料・水銀朱を生産する石杵や石臼なども確認。さらにガラス玉や管玉など、県内で数点しか出土していない稀少な装飾品も多数含まれ、出土品は計約50万点にも達する。
集落は、鉄器以外にもさまざまな物品を製作する工房として活用され、交易拠点としても繁栄していた可能性があるという。
県教委は2016年度から、加茂宮ノ前遺跡の発掘調査を実施。17年2月には出土品の分析などから、南西約5kmにある若杉山遺跡で採掘された原料を使い、水銀朱を製造した工房跡との調査結果を公表している。  @阿波

547日本@名無史さん2018/10/10(水) 08:53:23.29
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

548日本@名無史さん2018/10/10(水) 10:50:22.79
そもそも「松浦ー唐津ー糸島ー福岡ー門司など北部九州沿岸」は「其山有丹」で即、アウト!
よって、最初から邪馬台国論争に参加する資格無し。  @阿波

549日本@名無史さん2018/10/10(水) 11:03:10.89
「神道五部書」の『豊受皇太神御鎮座本記』の内容を「国史大系」の第七巻から見てみると

「天村雲命伊勢大神主上祖也。神皇産霊神六世之孫也。阿波國麻植郡座忌部神社、天村雲神社、二座是也」

阿波國に座す二社(忌部神社、天村雲神社)が皇祖皇統の正統なる末裔であると記している。

阿波忌部が伊勢神宮(少なくとも外宮の)の正統なる祭祀者であり、伊勢神宮は阿波忌部の上祖(天日鷲命)を祀っているのである。

内宮、外宮、両宮の御鎮座当初より忌部氏が祭祀を司っていたのはまぎれもない事実であり、6世紀に中臣氏に取って代わられるまでその地位は安泰だった。

その御鎮座時を記録するために度会氏が14世紀になってこの『豊受皇太神御鎮座本記』を記したのであろう。  @阿波

550日本@名無史さん2018/10/10(水) 12:59:58.16
>>543
なんの長所もない県なんだからファンタジーや妄想に頼らないと何もないんだよ。許してくれよ。

551日本@名無史さん2018/10/10(水) 13:02:13.55
その大和には、長国(狗奴国)のような権力の元となる鉱物資源・海洋資源がないんだよ。

そんなところに有力勢力など勃興するわけないでしょ。  何を考えているんだかwww  @阿波

552日本@名無史さん2018/10/10(水) 13:18:16.67
魏志倭人伝は倭国(阿波)の事象を大変分かりやすく記述してくれている。  @阿波

・帯方郡の東南の大海の中に在る
・男子は大人、子供の別なく、みな顔面と身体にいれずみをしている。
・倭の水人は、好んで水中にもぐって魚や蛤を捕る。
・稲や貯麻を植え、桑で蚕を飼って紡績をおこない、麻糸・きぬ・綿を産出する。
・倭の土地は温暖である。
・中国で白粉を用いるように、朱や丹を身体に塗る。
・その葬儀には、「棺」はあるが、「槨」はない。盛り土をして「冢」をつくる。
・真珠、青玉を産出する。
・山には「丹」を産出する。
・生姜、橘、山椒、茗荷が採れる
・東に海が在る
・その海を渡り、1000里行くと倭国(阿波)とは別の国が在る
・倭の地は周囲5000里
・銅鏡百枚、真珠鉛丹各五十斤を与えられた
・倭王は丹を献上した
・卑弥呼が死んだ時、倭人は直径百余歩の塚を盛大に作った

553日本@名無史さん2018/10/10(水) 18:19:01.13
長野県諏訪市にある「諏訪大社」は光仁帝の宝亀10年(779年)に阿波國名方郡「多祁御奈刀弥神社 御祭神 建御名方命」から移遷された、と社伝にあるそうだ。

その頃、現在の長野県にある諏訪大社は「南方刀美(みなとみ)神社」と言われており、阿波からご祭神が移されてきたことが伝えられている。

つまり大国主命の息子神である建御名方神はここ徳島県石井町諏訪の「多祁御奈刀弥神社」に祀られ、ここから各地に広がっていった、ということである。

それにしても観光地として多くの参拝者が訪れる諏訪大社のご祭神が阿波から移遷された神様だと知っているひとはどれだけいるだろうか。  @阿波

554日本@名無史さん2018/10/10(水) 18:40:53.83
全国、広しと言えども 「倭」と明記された「物証」があるのは、唯一「阿波」だけ。

当然、倭国ではない九州にも畿内にも有りません。  @阿波

555日本@名無史さん2018/10/10(水) 18:46:23.57
魏の水銀朱が使われた萩原古墳群出土の「画文帯神獣鏡」

同じく魏の水銀朱が使われた天河別神社古墳群出土の「斜縁二神二獣鏡」

この「画文帯神獣鏡」か「斜縁二神二獣鏡」 このどちらかだろうね 魏から下賜された鏡は。  @阿波

556日本@名無史さん2018/10/10(水) 20:55:24.95
「纒向石塚古墳」朱塗の鶏形木製品の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  @阿波

557日本@名無史さん2018/10/11(木) 07:12:31.02
纏向遺跡「朱塗りの盾」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。 

箸墓古墳に日本産「朱」が使われていたら、即 倭国(阿波)で決定となるんだよ? 分かってんのかな?  @阿波

558日本@名無史さん2018/10/11(木) 08:13:47.31
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.

559日本@名無史さん2018/10/11(木) 11:59:57.11
「一貴山銚子塚古墳」の水銀朱は、まず間違いなく筑紫忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  @阿波

560日本@名無史さん2018/10/11(木) 12:12:19.68
「倭国(阿波)は鉄器王国」

倭国(阿波)では遺跡発掘が少ないにも関わらず、阿波一国だけで現在、阿波各地7か所の弥生時代鉄鍛冶炉遺構がある。  @阿波

「拝原東遺跡」・「光勝院寺内遺跡」・「矢野遺跡」・「名東遺跡」・「庄・蔵元遺跡」・「加茂宮ノ前遺跡」・「芝遺跡」

561日本@名無史さん2018/10/11(木) 12:17:36.02
「倭人伝に基づく物証」は九州にも出雲にもない。

有るのは、唯一倭国(阿波)だけ。  @阿波  

562日本@名無史さん2018/10/11(木) 12:49:05.82
古代、朝鮮半島まで進出できる航海術を持っていたのは、「阿波の忌部一族(海人族)」だけ。  

今日まで、各地に伝承・痕跡を数多く残した倭国(阿波)の「忌部一族」のように、

畿内や九州から全国へ進出した「忌部一族」に代わるような部族は認められない。  @阿波

563日本@名無史さん2018/10/11(木) 15:58:46.81
古代、朝鮮半島まで進出できる航海術を持っていたのは、「阿波の忌部一族(海人族)」だけ。  

今日まで、各地に伝承・痕跡を数多く残した倭国(阿波)の「忌部一族」のように、

畿内や九州から全国へ進出した「忌部一族」に代わるような部族は認められない。  @阿波

564日本@名無史さん2018/10/11(木) 17:25:13.62
「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」とは、徳島県阿南市橘町周辺を指している。
その証拠に、その沖合に浮かぶ伊島には「当所神社」が鎮座しており、御祭神に奥津三神(下記)が祀られている。
・奧疎神(おきざかる)
・奧津那藝佐毘古神(おきつなぎさびこ)
・奧津甲斐辨羅神(おきつかいひべら)

面白い事に、この奥津三神は、伊邪那岐が黄泉の国から帰還した際、
「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」で禊祓をした時に、最後に産まれた神々である。
しかも、この奥津三神は、日本で唯一、伊島にのみ見られる神で、
日本の他の神社で、他に奥津三神を祀る神社は、何処にもない。

「奥津三神」 なぜ、阿波のみで祀る必要があろうか? 推して知るべし  @阿波

565日本@名無史さん2018/10/11(木) 20:44:29.38
「ホケノ山古墳」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  

ホケノ山古墳の取り扱い、どうするの?  @阿波

566日本@名無史さん2018/10/11(木) 21:00:10.57
魏の水銀朱が使われた萩原古墳群出土の「画文帯神獣鏡」

同じく魏の水銀朱が使われた天河別神社古墳群出土の「斜縁二神二獣鏡」

この「画文帯神獣鏡」か「斜縁二神二獣鏡」 このどちらかだろうね 魏から下賜された鏡は。  @阿波

567日本@名無史さん2018/10/11(木) 22:08:47.83
>>543
史料が無いから怪しいんだよ
歴史は勝者のもの
都合の悪い歴史はデリートされる

568日本@名無史さん2018/10/12(金) 06:35:52.79
>>567
>史料が無いから怪しいんだよ


本当に「阿波国」は怪しい所ですね。

各地の風土記のうち、「天地初発より記された」風土記は、阿波国風土記のみである。

「阿波国風土記」  @阿波  
https://sites.google.com/site/awakokufudoki/home/awa-koku-zoku-fudoki-nitsuite/2_awakoku_fudoki_towa

通説では、天皇家や建国の歴史とは何の関わりもないはずの阿波国、 何故、その地誌「阿波国風土記」で唯一、天皇の称号について書かれているのだろうか?

役人が天皇に献上する書である。 上記の天皇が阿波に関係なければ、風土記なんぞに書ける訳がないのである。 「お前、何書いとんねん!」で済まされる話ではない。 

569日本@名無史さん2018/10/12(金) 09:43:45.07
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

570日本@名無史さん2018/10/12(金) 22:17:12.69
>>567
いくら怪しくても史料がなけりゃ妄想定期
当時の四国はただの流刑地だよ
それだけはちゃんと史料が残ってるよ
よかったな。四国の歴史が知れて。

571日本@名無史さん2018/10/12(金) 23:09:53.84
興味で立ち寄った素人の徳島人だけど
邪馬台国徳島説は昔聞いた事ある
そんときは
なにいってんだおっさん( ´_ゝ`) プッ
と思ってたけど色々知ってきたらそれもありえるかなぁと思うようになった
安徳天皇徳島(うちの近く)逃亡説とか前科があったから信じてなかったけど
興味が湧いた
関係ないけど県外に出たら色んな古墳があるよね
古墳王国の奈良や大阪、以外と九州にも多い
徳島には巨大墳墓は少ないけど銅鐸とかある
小学校で習うほど常識だが県外人はほぼ知らん
調べてみたら島根兵庫滋賀徳島和歌山で多く出土してんだって
なんで大和国を避けるように回りで発達したんだろうなぁ

572日本@名無史さん2018/10/12(金) 23:35:28.20
クマ除けだからだよ

573日本@名無史さん2018/10/12(金) 23:37:57.04
「徳島県の銅鐸出土地」
『日本古代遺跡37徳島』14ページより  後ろの数値は銅鐸の高さ(cm)
                       
1. 檜銅鐸           鳴門市大麻町檜字乾谷    90
2.神宅銅鐸         板野郡上板町神宅      41
3. 川島銅鐸          麻植郡川島町神後     45.6
4. 森藤銅鐸         麻植郡鴨島町森藤      21
5. 牛島銅鐸         麻植郡鴨島町上浦      34.7
6. 伝久勝銅鐸        阿波郡阿波町久勝   
7. 久千田銅鐸        阿波郡阿波町久勝      30
8. 伝榎瀬銅鐸        徳島市川内町榎瀬      44.5
9. 星河内美田1号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
10. 星河内美田2号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
11. 星河内美田3号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
12. 星河内美田4号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
13. 星河内美田5号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
14. 星河内美田6号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
15. 星河内美田7号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田

574日本@名無史さん2018/10/12(金) 23:38:16.70
16. 源田1号銅鐸      徳島市国府町西矢野源田   41.3
17. 源田2号銅鐸      徳島市国府町西矢野源田   41.3
18. 源田3号銅鐸      徳島市国府町西矢野源田   52.0
19. 安都真1号銅鐸     徳島市入田町安都真     29.5
20. 安都真2号銅鐸     徳島市入田町安都真     21.7
21. 安都真3号銅鐸     徳島市入田町安都真     24.6
22. 安都真4号銅鐸     徳島市入田町安都真     21
23. 名東銅鐸        徳島市名東1丁目       40
24. 多家良銅鐸       徳島市八多町多家良     90.9
25. 多家良銅鐸       徳島市八多町多家良     45.4
26. 伝福万谷銅鐸      徳島市八万町福万谷     
27. 勢合銅鐸        小松島市立江町赤石     36
28. 畑田銅鐸        阿南市下大野町畑田     54.02
29. 八貫渡銅鐸       阿南市下大野町八貫渡    
30. 才見銅鐸        阿南市才見町
31. 長者原1号銅鐸     阿南市山口町長者原     64.25
32. 長者原2号銅鐸     阿南市山口町長者原     41
33. 田村谷銅鐸       阿南市山口町田村谷     62 
34. 曲がり1号銅鐸     阿南市椿町曲り          42.4
35. 曲がり1号銅鐸     阿南市椿町曲り          31
36. 伝長生銅鐸       那賀郡長生町
37. 榎名銅鐸        三好郡西祖谷山村榎名     推定55
38. 伝吉野川沿岸銅鐸   美馬郡脇町拝原        6.2
39. 伝脇町銅鐸
40. 伝阿波銅鐸
41. 江原小銅鐸

伝脇町銅鐸というように、「伝」が付いているものは、現在は存在しなくて言い伝えが残っているものです。
残っているものは、19遺跡から32個の銅鐸が出土しています。
こんなに多くの遺跡で銅鐸が出土するのは、全国でも倭国(阿波)だけなのです。
銅鐸も倭国(阿波)発祥とみるのが自然ですね。  @阿波

575日本@名無史さん2018/10/12(金) 23:42:04.32
>>571
>調べてみたら島根兵庫滋賀徳島和歌山で多く出土してんだって

それは、倭国(阿波)を発って「島根兵庫滋賀徳島和歌山」方面へ忌部一族が進出開拓していった痕跡ですね。  @阿波

576日本@名無史さん2018/10/13(土) 00:01:07.12
>>575
阿波は徳島ではないんですか?

577日本@名無史さん2018/10/13(土) 08:35:40.34
「先代旧事本紀 巻五 天孫本紀」では饒速日命(にぎはやひのみこと)を祖神と仰ぎ、六代目にあたる伊迦賀色許売(いかがしこめ)、
伊迦賀色許男(いかがしこお)姉弟は、倭の土着豪族として朝廷に仕えた蘇我氏、葛城氏、物部氏の祖にもあたる。
伊迦賀色許男(イカガシコオ)姉弟は、

日本で唯一、忌部の郷、徳島県旧麻植郡の延喜式式内社「伊加々志神社」に祀られている。
「伊加加志」(イカガシ)を社名・御祭神とする神社は、全国でここ一箇所だけなのである。
それが、忌部の郷 麻植の地に鎮座している。
徳島の神社 延喜式式内社 伊加々志神社
http://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/44664411.html

こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)だけ。   @阿波

578日本@名無史さん2018/10/13(土) 08:47:18.64
狗奴国も強大だよ。 その源泉が、「辰砂鉱山」と「黒潮の恵み」と「海洋航行技術」。  @阿波

※南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)
【勝浦川流域勢力 弥生時代集落】
勢合銅鐸出土地・田浦遺跡・新居見遺跡

【那賀川流域勢力 弥生時代集落】
若杉山遺跡・加茂宮ノ前遺跡・深瀬遺跡・福寺山遺跡・宮ノ本遺跡          

【海部川流域勢力 弥生時代集落】
芝遺跡・大里遺跡

579日本@名無史さん2018/10/13(土) 08:52:19.24
>>570
流刑地ならなぜ四国の山奥に天皇家のお抱え業者がいるの?

580日本@名無史さん2018/10/13(土) 09:05:04.79
「践祚大嘗祭に麁服を調進する大役を太古から担う御衣御殿人(みぞみあらかんど)の家柄である三木家」  @阿波

阿波から奈良大倭への遷都(7世紀後半〜710年)によって、忌部の本家は阿波に留まる一方、その一部が奈良大倭に渡り、
やがて諸国の忌部を統括することになる。これが中央忌部である。阿波に残った忌部の本家は、同家の本源的職掌である
麁布・木綿及び高天原の山の幸を由加物として、践祚大嘗祭の度ごとに新都に送った。母国からの調進である。
忌部の本家が阿波に残った理由は、天照大神以来、天孫(天皇)の祭祀に必要な神具は「高天原で採取調整されなければならない」という、
天岩屋戸神話に由来する神典を墨守したからである。
「由加物使」一行が阿波から京に向かうに、通過する国々の道路は掃き清められ、国司らが出迎えるという『延喜式』の別格規定は、
高天原から新都に向かう「宗国からの使」という意味からである。また、「麁布」がすべての貢進物の中で、唯一神祇官扱いになるなど、
超絶した扱いとなっているのは、記紀神話で、天照大神が高天原において機織女を召して織らしめ、また大神自らも織られたとする
「神御衣」と見立てているからであり、それを忌部の本家(阿波忌部)が、畏れ多くも代行厳修し、麁布として織り上げたものを、
新天皇が践祚大嘗祭に奉奠して天照大神にお示しし、大神から、日嗣の認承を賜る「物実」(正当な皇位継承者であることを大神の御前で証明するための品)
と観念されたからである。

581日本@名無史さん2018/10/13(土) 09:11:54.47
>>570
いずれにせよ、九州説や畿内説では逆立ちしても絶対無理だということ。  @阿波

582日本@名無史さん2018/10/13(土) 09:28:11.58
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 

583日本@名無史さん2018/10/13(土) 09:50:06.55
「瀬戸内海を航行できるようになったのは、五世紀 雄略天皇の時期」  @阿波

「風待」港を造り、澪標(みおつくし)を完全に整備しないと、瀬戸内海は通し航行できなかった。

そして「それ」が整備されたのは、雄略天皇の五世紀頃だった。

瀬戸内海沿岸諸国を統制する体制が整い、そういった設備が整ったのは、雄略朝を待たなければならなかった。

584日本@名無史さん2018/10/13(土) 10:28:04.27
>>583
航行する[方法]を明らかに明記できた時期でしょ
実際は有象無象が現代では無謀と思える航行を普通に成功させてたでしょ

585日本@名無史さん2018/10/13(土) 10:30:11.02
もちろん普通に死んでただろうし

586日本@名無史さん2018/10/13(土) 12:07:35.25
「祇園山古墳」の水銀朱は、まず間違いなく筑紫忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。

「祇園山古墳」も倭国(阿波)の朱を使った「忌部はん」のお墓と何度言えばw  @阿波

587日本@名無史さん2018/10/13(土) 19:48:31.57
女王・卑弥呼のおわす《邪馬台国 阿波》到着(七万戸)

↓【東】海渡1000里 (阿波から東へ1000里渡海)

女王国(阿波)の東、海(紀伊水道)を渡る千余里、復(ま)た国(畿内)有り、皆倭種なり。

当時の畿内は文化後進国の倭種なり。  @阿波

588日本@名無史さん2018/10/13(土) 20:35:57.11
「椿井大塚山古墳」の水銀朱は、まず間違いなく山城忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  

「椿井大塚山古墳」も倭国(阿波)の朱を使った「忌部はん」のお墓と何度言えばw  @阿波

589日本@名無史さん2018/10/14(日) 08:32:52.98
「末廬国(諸説あり)」???  末廬国が未定では、伊都国以降も比定出来ない。 

大陸からの玄関口「末羅國」の痕跡 「田熊石畑遺跡」」「今川遺跡」「手光於緑遺跡」「新原・奴山古墳」  

その伊都国は千戸程度だから、感田上原遺跡や帯田遺跡だろう。 

奴国は上本町遺跡・、下伊田遺跡・五徳畑ケ田遺跡・真崎遺跡などがある「田川辺り」だね。 


不弥国は 築城五反田遺跡、上別府沖代遺跡、安武・深田遺跡、安武・土井の内遺跡、赤幡森ヶ坪遺跡
などがある「築上町辺り」だね。  @阿波

590日本@名無史さん2018/10/14(日) 09:25:48.42
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww


https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=長江+++鬲&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww


https://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2Rivcaei8JbT38AGR4dOfx7?p=越式鼎&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

591日本@名無史さん2018/10/14(日) 09:42:08.58
「黒塚古墳」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  @阿波

「黒塚古墳」も倭国(阿波)の朱を使った「忌部はん」のお墓と何度言えばw  @阿波

592日本@名無史さん2018/10/14(日) 09:44:36.62
崇神天皇陵のすぐ近くにある、「黒塚古墳」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  

「黒塚古墳」も倭国(阿波)の朱を使った「忌部はん」のお墓と何度言えばw  @阿波

593日本@名無史さん2018/10/14(日) 12:10:36.76
「天牟久怒命」=「天村雲命」を祀る、日本唯一(またまた)の式内社 阿波國麻殖郡「天村雲神伊自波夜比賣神社」が、 阿波国旧麻植郡射立郷「村雲」に鎮座する。

この天村雲神の別名がなんと、「天五多底命 ( あめのいだてのみこと )」 なのである。 御祭神の天村雲命は、「 射立神 」とも呼ばれる。 

「天村雲命は、別名「天五多底命(あめのいだてのみこと)」とも呼び、射立の神。鎮座地周囲は、湯立という字が残っているが、これは射立からの転訛。

もし、天村雲命=射立神だとすると、天村雲命=五十猛命とも考えられる。 五十猛命は、素盞嗚尊の御子神であり、伊達神。」

全国3132座ある式内社で、「天村雲」を冠する日本唯一の神社なのである。  @阿波

594日本@名無史さん2018/10/14(日) 13:01:43.62
「カネガ谷遺跡」

出土した弥生土器・石器から、弥生時代後期初頭の集落であることが分かった。

特に、注目される遺物として朝鮮半島で作られたと思われる青銅鏡や鉄斧が出土した。  @阿波

http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%CC%C4%CC%E7%BB%D4%2F%A5%AB%A5%CD%A5%AC%C3%AB%B0%E4%C0%D7

595日本@名無史さん2018/10/14(日) 14:09:18.24
「畿内から魏鏡の三角縁神獣鏡が大量に見つかる」という、

「椿井大塚山古墳」や「黒塚古墳」の水銀朱は、まず間違いなく山城忌部や大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  

「椿井大塚山古墳」や「黒塚古墳」も倭国(阿波)の朱を使った「忌部はん」のお墓と何度言えばw  @阿波

596日本@名無史さん2018/10/14(日) 14:31:55.75
九州で「丹」が見つからない

だから九州 (没)   @阿波

597日本@名無史さん2018/10/14(日) 17:23:03.22
北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)は粟国(旧吉野川流域北岸勢力・旧吉野川流域南岸勢力・鮎喰川下流域勢力)

南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)は長国(勝浦川流域勢力・那賀川流域勢力・海部川流域勢力)

こういう「邪馬台国勢力」と「狗奴国勢力」を「弥生集落遺跡」で提示できるのは倭国(阿波)だけ。  @阿波

598日本@名無史さん2018/10/14(日) 17:30:34.44
「前もって、その母体となる種族の一定の広がりがあってこそ国・王朝は成立する。」

今日まで、各地に伝承・痕跡を数多く残した阿波の「忌部一族」のように、
畿内や九州から全国へ進出した「忌部一族」に代わるような部族は認められない。  @阿波

599日本@名無史さん2018/10/14(日) 22:26:25.96
「九州からは祇園山が出て、」

その「祇園山古墳」の水銀朱は、まず間違いなく筑紫忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。 

「祇園山古墳」も倭国(阿波)の朱を使った「忌部はん」のお墓と何度言えばw  @阿波

600日本@名無史さん2018/10/15(月) 06:38:44.61
「九州には、弥生銀座を始め、大量の遺跡が十分にあるが、」

大量の遺跡が十分にあるが、取るに足らない、パッとしない遺跡ばかりなんだよね。  @阿波

601日本@名無史さん2018/10/15(月) 06:54:07.74
「黒塚古墳」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。

桜井茶臼山古墳も下池山古墳も黒塚古墳も
倭国(阿波)の朱を使った「忌部はん」のお墓と何度言えばw  @阿波

602日本@名無史さん2018/10/15(月) 07:28:17.03
阿波にわ阿波レベルのお似合いな
いにしえの阿波踊り国でも創っとけば?

603日本@名無史さん2018/10/15(月) 09:06:55.07
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

604日本@名無史さん2018/10/15(月) 18:54:54.04
纏向遺跡「朱塗りの盾」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  @阿波

纏向遺跡も倭国(阿波)の朱を使った「忌部はん」の遺跡と何度言えばw  @阿波

605日本@名無史さん2018/10/15(月) 18:59:22.88
「ホケノ山古墳」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  @阿波

「ホケノ山古墳」も倭国(阿波)の朱を使った「忌部はん」のお墓と何度言えばw  @阿波

606日本@名無史さん2018/10/15(月) 19:01:14.39
>九州には、弥生銀座を始め、大量の遺跡が十分にあるが、

大量の遺跡が十分にあるが、取るに足らない、パッとしない遺跡ばかりなんだよね。  @阿波

607日本@名無史さん2018/10/15(月) 19:35:10.87
>郡使がいた九州北部にしか邪馬台国はあり得ない。

「其山有丹」で九州北部は邪馬台国はあり得ない。  @阿波

608日本@名無史さん2018/10/15(月) 20:53:07.07
>倭国の都は紀元前から一貫して筑紫、現在の福岡県にあった。


「其山有丹」で筑紫、現在の福岡県は倭国の都はあり得ない。  @阿波

609日本@名無史さん2018/10/15(月) 21:20:51.99
>「真剣に、真剣に、広く、広く、深く、深く」考えていくと「理性的な人であれば、九州島に到達せざるを得ない」と思いますね!


「其山有丹」で、即アウト!  @阿波

610日本@名無史さん2018/10/16(火) 07:18:10.79
>今月末から宮内庁は、
>仁徳天皇陵の内堤の一部を堺市と共同で発掘調査・・・するらしいな



仁徳天皇陵も倭国(阿波)の「忌部はん」のお墓。  @阿波

「子安観音古墳」

徳島県小松島市・子安観音古墳から、金銅製の甲冑の破片4点が出土している。これは、金を施した希少なものである。

5世紀中ごろの制作と推定され、金銅製の甲冑は1872(明治5)年に国内最大の前方後円墳大仙凌古墳(旧称仁徳天皇凌)の出土例があるだけ。

大仙凌古墳の前方部埋葬施設の副葬品は5世紀後期のものと考えられる点から、子安観音古墳が大仙凌古墳より古い可能性が高い。

よって、大仙凌古墳の被葬者は、倭国(阿波)中央政権から極めて高い地位を与えられたことを示している。

こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)だけ。   @阿波

611日本@名無史さん2018/10/16(火) 07:39:21.37
>渡辺義浩・早大教授(中国古代史)は、魏の文帝が「寿陵は自然の山を利用し、樹を植えてはならない」などと定めたことを紹介し、
「魏の使者は、卑弥呼の墓を見て中国の墓制にのっとった墓だと思っただろう」などと話した。


少なくとも初期の天皇陵は、山の尾根や丘を利用して築かれた。

初代〜第五代天皇の陵墓の記事(『古事記』『日本書紀』『延喜式』)には

まず神武陵が畝火山の北方白檮尾上、綏靖陵は衝田岡、懿徳陵は畝火山の真名子谷上、孝昭陵は掖上の博多山上とあるように、

初期の天皇陵は、 山の尾根や自然の丘陵の一部を利用して築かれている。  @阿波

612日本@名無史さん2018/10/16(火) 08:13:34.68
「大仙古墳」の石棺水銀朱は、まず間違いなく和泉忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  @阿波


「大仙古墳」も倭国(阿波)の朱を使った「忌部はん」のお墓と何度言えばw   @阿波

613日本@名無史さん2018/10/16(火) 08:40:51.24
>卑弥呼の都なら、弥生銀座地域が最も可能性が高いし、


その「弥生銀座地域」は、取るに足らない、パッとしない遺跡ばかりなんだよね。  @阿波

614日本@名無史さん2018/10/16(火) 08:43:50.25
>卑弥呼の都なら、弥生銀座地域が最も可能性が高いし、


その「弥生銀座地域」は、取るに足らない、パッとしない遺跡ばかりなんだよね。  

倭国(阿波)の爪の垢を煎じて飲むとよい。   @阿波

615日本@名無史さん2018/10/16(火) 10:04:06.56
>「会稽東冶之東」一発で
>九州説が致命傷負ったから

そんなことより、九州説の致命傷は「其山有丹」。  @阿波

616日本@名無史さん2018/10/16(火) 10:07:48.65
九州説、致命傷大杉

617日本@名無史さん2018/10/16(火) 10:11:36.31
>将来を嘱望されている、有能な若手学者がフェードアウトしていく、きっかけになった

「将来を嘱望されている、有能な若手学者がフェードアウトしていく、きっかけになった」のは、
倭国(阿波)の発掘成果によるところが大きい。  @阿波

618日本@名無史さん2018/10/16(火) 11:31:20.06
>平原1号墓のガラス製品は、卑弥呼の即位後の年代のものであり、つまり平原1号墓は卑弥呼の墓のものである可能性が高い。


ガラス製品など、倭国(阿波)の遺跡からいっぱい出てるよ。

たとえば、「矢野遺跡」や「加茂宮ノ前遺跡」等々。  @阿波

619日本@名無史さん2018/10/16(火) 12:19:48.03
>平原遺跡以外の卑弥呼の墓の候補は、現状では見つかっていない。


「井の中の蛙大海を知らず」

「天石門別八倉比売神社」裏手の円墳。  

天照大神伝説の地は徳島市国府町「天石門別八倉比賣神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)」です。

御祭神は大日孁女命(おおひるめむちのみこと)こと天照大神です。

また、大宜都比売命(おおげつひめのみこと)が祀られているのが徳島の神山町にある上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)です。

大宜都比売命の別名を天石門別八倉比売命(あまのいわとわけやくらひめのみこと)と言われています。

※「大宜都比売命」=「天石門別八倉比売命」=「大日孁女命」=「天照大神」   @阿波

「八倉比賣神社」
https://bqspot.com/shikoku/tokushima/569
http://kamnavi.jp/en/awa/yakura.htm

620日本@名無史さん2018/10/16(火) 16:01:57.18
>…倭…在海中洲嶋上…周旋五千余里


まさに、倭国(阿波)だね。  @阿波

621日本@名無史さん2018/10/16(火) 16:18:48.48
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

622日本@名無史さん2018/10/16(火) 16:20:03.47
>超大型内行花文鏡は副葬品としては永久欠番となり、天皇家と伊勢神宮に継承されるだけとなったのだろう。


その九州が、宮中最高祭祀「践祚大嘗祭」でお呼びがかからないというお粗末。  @阿波

623日本@名無史さん2018/10/16(火) 18:17:02.62
>佐々木先生ははっきり書いていないけれど、畿内から派遣された一大率の居所の可能性がある


倭国(阿波)から派遣された筑紫忌部だよ。  @阿波

624日本@名無史さん2018/10/16(火) 18:26:47.90
>桜井茶臼山古墳一つで、200キロ以上の水銀朱が使われてるんだけど?


「桜井茶臼山古墳」や「下池山古墳」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  @阿波

桜井茶臼山古墳も下池山古墳も黒塚古墳も
倭国(阿波)の朱を使った「忌部はん」のお墓と何度言えばw  @阿波

625日本@名無史さん2018/10/16(火) 18:41:14.70
>大型建物群は3世紀半ば以前には解体撤去されていたとされている


倭国(阿波)の古墳造営前線基地だから。  @阿波

626日本@名無史さん2018/10/16(火) 18:59:26.22
>「内行花文鏡」39.8センチ 柳本大塚古墳出土
>「内行花文鏡」39.6センチ 下池山古墳出土

「柳本大塚古墳」と「下池山古墳」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  @阿波

「柳本大塚古墳」も「下池山古墳」も
倭国(阿波)の朱を使った「忌部はん」のお墓と何度言えばw  @阿波

627日本@名無史さん2018/10/16(火) 21:20:03.90
>そもそも、モモソ姫という人物がおったかどうか、怪しい。

「倭迹迹日百襲姫命」は徳島市国府町(旧黒田村)の第七代孝霊天皇「黒田廬戸宮跡」で幼少期を過ごし、
阿波市市場町「箸供養」からほど近い「奈良坂」より阿讃山脈を越え、讃岐地方に移動した。

そして、その類い稀な能力を駆使して水を利用した農業の神として祭祀されている。
阿讃山脈を越えて留まった地域が「水主神社(香川県東かがわ市水主1418)」付近。
「水主神社」から北上すると倭迹迹日百襲姫命が海岸に舟を留めて休息したとき、
船人が舟の艪を海岸の松にたて掛けたとの伝承がある「鱸懸神社(東かがわ市馬篠440番443番)」。
「鱸懸神社」を少し北上すれば「袖掛神社(東かがわ市小磯)」。そして西へ移動して高松市内に鎮座する「船山神社(高松市仏生山町大字百相神宮寺)」。
船岡山は倭迹迹日百襲姫命が水主神社からこの周辺に移動して来て住んでいた地。
船岡山は古く百相(もまい)郷に属し船山と称し、地名の百相(ももそ)は倭迹迹日百襲姫命の名に由来すると伝わる。
当地は田村神社の別当寺であった神宮寺(百相廃寺)のあった場所である。
次は讃岐一宮の「田村神社(高松市一宮町286)」。倭迹迹日百襲姫命、五十狭芹彦命(別名 吉備津彦命)・猿田彦大神・天隠山命・天五田根命を祭神とし、
これを「田村大神」と総称する。  @阿波

628日本@名無史さん2018/10/16(火) 21:24:30.86
倭迹迹日百襲姫命の父にあたる第七代孝霊天皇の陵墓と黒田廬戸宮跡は、旧黒田村であった徳島市国府町芝原の蔵殊院あたり、

百襲姫の弟君にあたる日子刺肩別命は、蔵殊院から東に5km隔てた徳島市不動町の式内天佐自能和気神社で祀られている。

王族らによる阿波(倭)から讃岐(山背・難波)への進出は、孝霊天皇の御子時代から盛んになり、

第十五代応神天皇の御宇に至って、ついに香川県さぬき市津田の前期難波宮」に皇居を営むことになる。  @阿波

629日本@名無史さん2018/10/16(火) 21:39:55.07
>葛城の土蜘蛛は脛が長かったと言われているね


だから、鳴門萩原のナガスネヒコと何度言えばw  @阿波

630日本@名無史さん2018/10/16(火) 21:40:44.29
葛城神社も鳴門市  @阿波

631日本@名無史さん2018/10/17(水) 07:33:49.10
>弥生時代の倭国は農業国。

「阿波の神様 大宜都比売」
大宜都比売(大気都比売神、大宜津比売神、大気津比売神)は、日本神話に登場する女神。
名前の「オオ」は「多」の意味、「ゲ」は「ケ」の食物の意味で、穀物・食物・蚕の女神である。
『古事記』においては、「大宜都比売」は国産みにおいて伊予之二名島(四国)の中の「阿波国の名前」として初めて表れる。
阿波忌部は、海部(あまべ)とともに日本各地に進出して、麻、穀を植え、農業、養蚕、織物、製紙、建築、芸能などを伝えた祭祀族、海民族、産業技術集団。

632日本@名無史さん2018/10/17(水) 07:48:33.81
阿波国一宮の「天石門別八倉比売神社」の論社の1つ[「上一ノ宮大粟神社」の御祀神は「オオゲツヒメ」という神様だが、

オオゲツヒメ=御食津神=豊受大神

豊受大神というと伊勢神宮の外宮の神様だが、じつは外宮の神官「度会氏」は「忌部氏」の末裔。

元々は内宮、外宮とも、神官は忌部氏だった。  @阿波

大宜都比売神(オオゲツヒメ)は、『古事記』に云う粟国(阿波国)の国神となる女神であり、日本の養蚕・五穀の起源神、日本の偉大なる食物の女神、かつ日本最古の農業神である。

また、焼畑農業神、稲作・畑作農業神としての顔をもつ。『古事記』にあるオオゲツヒメの死は、死と再生という自然循環思想を表す。

穀物名を国名とするのも、農業神が国神となるのも日本で阿波国のみである。

633日本@名無史さん2018/10/17(水) 09:12:37.64
>【稲作の分布】

弥生時代の稲作分布じゃないと意味ないよ。  平安時代じゃ、意味なし。

弥生時代前期末から中期初頭(2400年〜2300年ほど前)にかけて、西日本一帯で発生した大洪水を無視してはだめですよ。
灌漑水田稲作は壊滅です。 
この洪水被害は大規模かつ広域的なもので、京都盆地や奈良盆地、岡山平野、博多平野、濃尾平野など広く西日本一帯で確認されている。
その大洪水により、阿波においては弥生時代中期初頭には各集落が小規模化し、一部で大柿遺跡の棚田がみられるが、縄文的な生業と地域社会へ回帰するような様相をみせるらしい。
弥生時代前期中葉に大規模化した灌漑水田稲作経営は、災害の影響もあって一段落したものと考えられている。
土器の植物種実圧痕観察(レプリカ法)により、弥生時代終了までイネに替わり、アワ・キビ・ヒエなどが主流であったようだ。  @阿波

634日本@名無史さん2018/10/17(水) 11:59:02.79
>大きさがまちまちだから一概には言えないが、300くらいか。
>まあ、畿内では多いほうかな?

だから 「椿井大塚山古墳」の水銀朱は、まず間違いなく山城忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  @阿波

「椿井大塚山古墳」も倭国(阿波)の朱を使った「忌部はん」のお墓と何度言えばw  @阿波

635日本@名無史さん2018/10/17(水) 12:02:06.06
>大きさがまちまちだから一概には言えないが、300くらいか。
>まあ、畿内では多いほうかな?

だから 「椿井大塚山古墳」の鉄器は、まず間違いなく山城忌部が持ち込んだ「倭国(阿波)産」だよ。  

「椿井大塚山古墳」も倭国(阿波)の鉄器を使った「忌部はん」のお墓と何度言えばw  @阿波

636日本@名無史さん2018/10/17(水) 12:07:29.17
>古墳時代に大土木工事をやっているのは畿内
>古墳時代に一番鉄が出土するのも畿内


古墳時代に大土木工事をやっているのは倭国(阿波)

古墳時代に一番鉄が出土するのも倭国(阿波)  @阿波

637日本@名無史さん2018/10/17(水) 15:12:53.49
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

638日本@名無史さん2018/10/17(水) 17:51:07.28
高尾山古墳は、「蛇紋岩製勾玉」から、倭国(阿波)の「忌部はん」のお墓に決定済み。  @阿波

639日本@名無史さん2018/10/17(水) 19:57:04.11
>倭地は温暖にして、冬夏生菜を食す。
>皆、徒跣。屋室有り。
>父母、兄弟は異所に臥息す。
>朱丹を以ってその身体に塗る。
>中国の紛を用いるが如し。

まさに倭国(阿波)だね。  @阿波

640日本@名無史さん2018/10/17(水) 20:05:58.82
倭地は温暖にして、冬夏生菜を食す。
皆、徒跣。屋室有り。
父母、兄弟は異所に臥息す。
朱丹を以ってその身体に塗る。
中国の紛を用いるが如し。

女王国より以北は、特に一大率を置き検察し、諸国はこれを畏憚す。
常に伊都国に治す。国中に於ける刺史の如く有り。
王が使を遣わし、京都、帯方郡、諸韓国に詣らす、及び郡が
倭国に使するに、皆、津に臨みて捜露す。
文書、賜遺の物を伝送し女王に詣らすに、差錯するを得ず。

魏志倭人伝 普平陽侯相 陳寿撰

641日本@名無史さん2018/10/17(水) 20:10:28.20
>女王国より以北は、特に一大率を置き検察し、諸国はこれを畏憚す。
>常に伊都国に治す。国中に於ける刺史の如く有り。


その一大率は「筑紫忌部」だよ。  @阿波

642日本@名無史さん2018/10/17(水) 21:31:35.78
>忌部さんの名もみえるが、服部さんの名もみえる。


「服部さんは帰化人」だよ。

『和名抄』 阿波国板野郡の郷名に「田上」がある。 阿波の田上郷は鳴門市大麻町坂東に比定されている。
この郷の民の一部を記した延喜2年の「田上郷戸籍断簡」が遺っている。23氏487口の名簿である。
この「田上郷戸籍断簡」の中には、帰化人系の氏である「服部(はとりべ)」、「錦部(にしきべ)」、「漢人(あやひと)」、「秦(はた)」が見える。
このうち漢人(あやひと)を除く三氏はすべて衣手(職業集団)である。

この「田上郷戸籍断簡」により、倭国(阿波)に半島帰化人が来ていた事実が分かる。  @阿波

643日本@名無史さん2018/10/18(木) 07:03:20.25
「田上郷戸籍断簡」は日本で最初の戸籍。

この中に「建部」と見えますが「建部」とは景行天皇御宇に日本武尊命の功名を記録しようと定められた御名代部です。

日本武尊命の西討東伐の道筋に置かれました。

この「田上郷戸籍断簡」には11名の「建部」が見えます。

阿波に日本最古の戸籍。

阿波に「建部」

阿波ってなに?  @阿波

644日本@名無史さん2018/10/18(木) 09:26:02.09
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.

645日本@名無史さん2018/10/18(木) 16:00:19.33
「あらたへの藤原かうへに」

御殿(藤原宮)は、藤原のほとりに造営されたが、枕詞からそこは「あらたへ」と関係する土地であろう。鴨島町は和名抄にいう旧「麻植郡(おえぐん)」である。


いうまでもなく麻植郡は阿波忌部の本貫地である。紀の神代一書にも天石窟(あまのいわや)の神事に、粟国の忌部の遠祖天日鷲が作(は)ける木綿(ゆう)を懸(とりし)でて」とみえる。

この阿波忌部の職業は天皇祭祀中、最も重要な大嘗祭において如何なく発揮されており、その調進物の中で、大嘗祭内陣に奉供される「麁布」が最も重要とされている。

このように阿波麻植郡の鴨島の地は、阿波忌部が麁布をつくるまさに聖地である。この麻植郡の聖地を説明するのに、枕詞「あらたへの」が用いられたのである。

しかも天皇にとって最も神聖で、最もめでたい品、皇祖天照大神が織らしめたという衣(あらたへ)を最上の賛辞として、柿本人麻呂が持統天皇に捧げたというのがこの歌の神髄である。

持統天皇は、持統6年、新益京の造営が奈良盆地で進む中、自らの治世中は、皇祖神から授けられた百敷(ももしき)の倭(阿波)にとどまりたいと決意し、鴨島の地(藤原宮地)で地鎮祭を行った。

これを天神地祇あらゆる民がことほぎ、御殿の造営に我を忘れ奉仕した様子がこの歌である。  @阿波

646日本@名無史さん2018/10/18(木) 16:52:37.28
『藤原宮の役民の作る歌』 この歌は柿本人麻呂の作であろう。

「もののふの 八十氏河(やそうじがわ)に」

これは先に挙げた阿波国田上郷戸籍がすべてを語っている。32氏のうち武人の姓をもつものとしては、「物部」「久米」「佐伯」「大伴」が確認できる。

またこの32氏には、孝元・開化・垂仁・景行・応神・仁徳・欽明の各天皇の後裔氏族や、御名代の姓のほか、倭朝廷の有力豪族の子孫の名を持つ氏人が揃っている。

まさに、阿波吉野川下流域は、八十氏の居住する地域で、そこに流れる川(吉野川下流域)を、八十氏河」と呼んだ。

対岸の吉野川南岸の徳島市に「矢三(やそ)旧矢三村」という地名が遺っているが、これも八十氏に関係すると思われる。

民(たみくさ)は、檜の丸太を川に浮かべ、綱をつけて岸辺から引き、檜村から上流へ河川を利用して泉の河まで運んだのである。  @阿波

647日本@名無史さん2018/10/18(木) 17:38:31.34
『藤原宮の役民の作る歌』

歌は持統天皇の宮室(おおみや)造りを称え、これに天つ神、国つ神も寄り添い、賛同し、民(たみくさ)も我を忘れて奉仕し、他国も賛意を表すという、すべてを祝詞(ことだま)でうたいあげた讃歌である。

また、この歌は、田上山から藤原宮まで宮材を運ぶ搬路が順次語られ、通過するそれぞれの土地神と民とが祝意をもって参画するという歌になっている。

「石走(いわば)る 淡海(あふみ)の」

海岸の荒磯に押し寄せる波、その波が岩の表面をさざめいて走る、その淡海の国の、という意味であろう。

「石走る」という枕詞は、滋賀県の琵琶湖では生まれようがない。

「淡海」は原義どおり阿波の海のことで、東と南を海で囲まれた地形故に、海に浮かぶ国、阿波の海に囲われた国(土地)の意味である。  @阿波

648日本@名無史さん2018/10/19(金) 00:11:28.93
歴史的根拠とか全く考察してないけど
四国より九州の方が平野部が多くて生産力が高い
すると商売人が台頭する
商売人から貴族に転職するのも多い
しかし日本人の特徴として必ず上を尊重しながら出世する

649日本@名無史さん2018/10/19(金) 14:21:54.23
磯上乃古事記

阿波は磯の上にあるの?

650日本@名無史さん2018/10/19(金) 17:27:03.94
天長2年(825年)に空海が

「磯輪上乃秀真国之阿波国也」(しわがみの ほつまのくにこれあわくになり)

と断定した文章が太龍寺に修められて残っているそうだ。  @阿波

651日本@名無史さん2018/10/20(土) 07:26:20.55
416: 千葉県人:2015/02/22(日) 13:20:34.54 ID:.net  

土器のことに関心があるようなので専門家の見解を少し書き込みます

東阿波式土器とは、厚さ2〜3ミリと、他地域の土器と比べ極端に薄く材料の粘土には

細かくすり潰された阿波の青石(結晶片岩)が含まれている

桜井市埋蔵文化センター著「ヤマト王権はいかにして始まったか」(平成19年編の)の中で

「纏向では、近年阿波系の土器が調査が進むにつれ増加しておりその傾向が研究者の間で

脚光を浴びている」とされている

大阪府文化財センター技師の方が書かれた「大阪府出土の讃岐・阿波・播磨系土器」では

「淀川以北摂津東部の6遺跡で阿波系が17個、摂津中部11遺跡で阿波系16個、旧大和川

周辺沖積平野の41遺跡で阿波系208個、和泉市11遺跡で阿波系19個など」

阿波系土器が圧倒的に多いことが明かされている       千葉県人さん投稿転載  @阿波

652日本@名無史さん2018/10/23(火) 07:06:03.04
「名東遺跡(縄文時代)」

縄文時代晩期の土器「突帯文土器」が出土

1987年(昭和62)年徳島市教育委員会によって、天理教国名大教会の建設地点の調査が行われている。

調査区からは溝状の窪地が検出されており、縄文時代晩期終末の「突帯文土器」がまとまって出土している。

その他に石鏃・石棒などの石器類も出土しており、徳島の縄文時代の終末期を考える上で重要な資料である。  @阿波

653日本@名無史さん2018/10/23(火) 07:38:21.23
「芝遺跡」
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/sibaiseki.ronnbunn.html

3、旧河道出土資料について
旧河道からは弥生時代終末頃〜古墳時代前期前半頃にかけての外来系土器が多く出土した。

報告書では旧河道をそれぞれ溝12164、溝33239〜溝33241、溝33244とし、主に上層と下層に分けて、
遺物の取り上げを行った。

特に溝12164は幅5m以上、深さ1.1mを測り、大きく上層・中層・下層の3層に分層できた。

下層から布留甕1個体が出土し、上層からは東阿波型土器や布留式土器がまとまって出土しており、時期差の可能性が
考えられる出土状況が確認できた。

図3は旧河道出土土器の内、実測し、報告書に掲載している個体総数の内訳を表したものである。

この割合が遺跡全体の割合を表しているわけではないが、参考として提示した。

実測総数196個体に対して、

阿波97個体で48%、畿内39個体で20%、在地36個体で18%、讃岐7個体で4%、土佐3個体で2%、
吉備3個体で2%、産地不明が12個体で6パーセントである。

約半数が阿波(東阿波型土器を含む吉野川下流域)の土器で占めており、次いで畿内系土器、在地時の出土数が多い。

讃岐や土佐、吉備の出土数は数%に留まる状況を示している。

654日本@名無史さん2018/10/23(火) 08:11:05.04
芝遺跡では弥生時代前期後半頃には吉野川下流域や紀伊からの搬入品が認められるが、
特に吉野川下流域土器は弥生時代を通じて恒常的に出土すると考えられる。

弥生時代終末頃になると吉野川下流域時の他に、畿内・讃岐・土佐・吉備からの搬入品が認められるようになるものの、
普遍化した出土状況は見られない。

古墳時代前期前半頃になると吉野川下流域時が主体であることに変わりはないが、一定量の畿内系土器の搬入が認められる
ようになる。

以上のような搬入土器の出土状況や共伴関係の検討から、
吉野川下流域の搬入時を主体とし、複数地域からの搬入土器が混在する第一段階(弥生時代終末頃〜古墳時代初め頃)。

吉野川下流域地域の土器・畿内系土器が主体となる第二段階(古墳時代前期前半頃)に分類することができると考えられる。

第一段階は伝統的な交流からの脱却の揺籃期、第二段階は交易ルートの確立を意味し、この現象は吉野川下流域、
なかでも鮎喰川下流域集団の影響が大きく、朱を媒介として交流が盛んに行われていたものと考えられる。

朱の搬出や食料供給に阿波南部地域集団が関係(菅原1992、岡山 2002)していたことを示す資料である。

655日本@名無史さん2018/10/23(火) 08:47:37.68
吉野川下流域地域で、あまり搬入土器が見られない現段階では、吉野川下流域地域を主体とし、

間接的に阿波南部地域が関わっていた場合と阿波南部地域が直接的に交流・交易を行っていた場合が考えられる。

そして、土佐のタタキ甕や布留式土器などが本遺跡で出土したことは、吉野川下流域地域を主体とした間接的な交流・交易を行いながら、

他地域との直接的な交流・交易も行っていた可能性を示していると推定される。

656日本@名無史さん2018/10/23(火) 08:56:04.61
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

657日本@名無史さん2018/10/23(火) 09:20:55.27
4、周辺の遺跡の様相

本地域は発掘調査がほとんど行われていないため、資料数が少ないが、海部川河口砂堆に所在する大里松原神社遺跡において若干の土器が採集されている。

東阿波型土器や下川津B類時が出土しており、在地産土器と外来系土器が混在する状況を示している。

時期は大きく弥生時代後期後半と古墳時代前期初頭の2時期に分かれ、

この在地土器と外来系土器の混在する状況が、本地域の特徴であると意義付け、海人の存在が想定されている。(菅原1992)

この他、吉野川下流域地域で畿内系土器が出土しているのは黒谷川郡頭遺跡(菅原1989)や石井城ノ内遺跡(日下1999)などに限られ、

出土点数も数点しかない現状では、阿波南部地域の特異性が窺える。

658日本@名無史さん2018/10/23(火) 09:42:04.27
5、まとめ
芝遺跡は阿波南部地域で数少ない発掘調査を行った遺跡である。

県内では珍しい円形周溝墓をはじめ、竪穴住居等の遺構や弥生時代前期後半以降の土器・石器も出土し、

本地域の集落形態の一様相が確認できた遺跡である。

また、弥生時代終末頃〜古墳時代前期前半頃にかけての搬入土器がまとまって出土したことから、
出土状況・共伴関係の検討を行い、各搬入土器の搬入時期のピークを探った。

土器の搬入には鮎喰川下流域集団の関与が想定され、一連の動きに若杉山遺跡(岡山1997)の朱が関わっていると考えられる。

本地域の発掘調査事例が芝遺跡に限られる現状では、搬入土器が普遍的に出土するのか、

芝遺跡の特異性なのか、判断しがたいが、

大里松原神社遺跡においても搬入土器が認められることは、
本地域に一定量の土器が搬入される状況があったことの傍証になるものと考えられる。

芝遺跡は土佐ー阿波ー畿内を結ぶ四国東岸海岸沿いルートを想定できる遺跡であり、
海上交通に際しての人・物が集中する拠点集落であったと考えられる。

659日本@名無史さん2018/10/23(火) 10:39:55.70
「弧帯文土器」

楯築繋がりとして

徳島県内では、銅鐸埋納と相前後して、記号や絵画とは異なる思想を表現した弧帯文土器(直線と曲線の組合せにより表されている)

が矢野遺跡、黒谷川郡頭遺跡、井出上遺跡から出土した土器にみられる。

660日本@名無史さん2018/10/23(火) 11:49:30.21
「樋口遺跡」

弥生時代終末期の集落遺跡

眉山の南西の麓、園瀬川の自然堤防上に営まれた集落遺跡。1983年(昭和58年)以降数次にわたる発掘調査により、弥生時代の終末期の竪穴住居跡や奈良時代の掘立柱建物跡などが見つかっている。

竪穴住居跡からは土器や石器など多数の遺物が出土しており、中でも東阿波型土器が多く含まれる点は遺跡の大きな特徴である。

そのほか注目すべきは、赤い顔料である朱が付着した土器が多数出土していることである。これらの土器の分布範囲は広く、人々の交流が活発であった様子がわかる。

樋口遺跡の集落内には、幅広い交易に関わった人々が暮らしていたのであろう。

http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%C6%C1%C5%E7%BB%D4%2F%C8%F5%B8%FD%B0%E4%C0%D7

661日本@名無史さん2018/10/23(火) 12:40:29.96
黒谷川郡頭遺跡:東阿波型土器 弥生時代後期の土器編年の標識遺跡

庄内式、布留式土器は畿内第X期東阿波型土器(薄型軽量土器)の技法伝播を示唆する。

662日本@名無史さん2018/10/23(火) 17:58:06.06
鮎喰川下流集落群では、弥生終末期には軽量薄型の土器が生み出される。

中・東部瀬戸内から大阪湾岸地域、淀川地域・山城地域に搬出された阿波を代表する土器であり、東阿波型土器と呼んでいる。

企画性が強く、器壁内面にヘラケズリと指頭圧痕を残す製作技法に特徴がある。土器製作専業集団によるものだろう。

類似技法による土器は讃岐・吉備に拡がり、薄型土器の南北軸を形成している。

663日本@名無史さん2018/10/23(火) 18:55:14.56
全国ニュースにならないような無駄な発掘ばかりやってるね

664日本@名無史さん2018/10/23(火) 21:02:13.98
神武東征の舞台は阿波国内であり、 九州からの東征などではない。
神武軍が吉野川北岸の阿波市(西)から鳴門市(東)へ攻め下ったのが神武東征。
東征の参謀役となった速吸の門(はやすいのなと 鳴門海峡のこと)の大人・宇豆彦が「宇志比古神社(鳴門市大麻町大谷)」で祀られている。
その背後の山が宇豆彦の葬場である西山谷二号墳(円墳 出土品 圭頭形鉄鏃、やりがんな、鉄剣、鉄斧、斜線上方作銘獣帯鏡、鉄槍など)。

西山谷2号墳は 標高74mの尾根上、
南北径20m、東西径18m・高さ2mの円墳
中央に南北方向の結晶片岩石積の竪穴式石室がある。
竪穴式石室は全長4.72m、北幅1.05m、南幅0.83m
墓壙は南北6.5m、東西4.8mで全体が結晶片岩で覆われている。
石室には粘土でつくられた棺台があり、刳抜式木棺があったと考えられている。
石室の床には水銀朱が塗られていて、特に北側が多量だった。
棺内北側から鉄鏃、ヤリガンナ、鉄剣、鉄斧、鉄片、青銅鏡など多くの副葬品が出土
棺外からは鉄槍や土器が出土した
3世紀半ばの築造と推定されている。

665日本@名無史さん2018/10/23(火) 21:06:30.55
神武を佐けた霊剣・建布都神は、戦闘の地、吉野川北岸阿波市の「建布都神社」で祀られている。

一方、長髄彦の本貫地は徳島県板野郡板野町川端で、周辺には、「東中富」「西中富」「富の谷」「富の谷口」「富の谷川」など中臣の地名が多く残る遺跡の密集地である。

長髄彦と神武軍との戦いの場は、この東隣の鳴門市萩原地域。長髄彦は、この地で神武軍との戦いに敗れたのである。

666日本@名無史さん2018/10/23(火) 21:09:45.68
「天河別神社4号墳」 

以前は前方後円墳といわれていたが、径20〜25mの円墳と訂正されている。

埋葬部もほとんど消滅していたが、礫敷きの粘土槨に割竹形木棺があると考えられている。

舶載斜縁二神二獣鏡片・鉄剣・鉄槍・鉄鏃が副葬されていた。

667日本@名無史さん2018/10/23(火) 21:18:12.73
「蓮華谷古墳群(U)二号墳出土品」
当物件は、平成2年に四国縦貫自動車道建設に伴い発掘調査された板野郡板野町犬伏所在の蓮華谷古墳群(U)二号墳の出土品である。

調査により古墳時代前期(3世紀後半〜4世紀)の粘土槨を持つ円墳であることが判明し、本県の粘土槨の始原を考える上で重要な古墳である。

副葬品には銅鏡1、鉄製武器工具(鉄刀1、鉄剣1、鉄斧1、鉄鉇1)、装身具(翡翠勾玉1、碧玉管玉11)、土師器壺1があり、

徳島県立埋蔵文化財総合センターで展示されている。

前期古墳の出土資料は全国的にみても数少なく、特に銅鏡は仿製鏡の古墳への副葬開始時期を考える上で重要な資料である。

http://www.isekiwalker.com/iseki/149716/

668日本@名無史さん2018/10/23(火) 21:27:55.07
粘土槨絡みで

「四国初の並列粘土槨」  「石井の山ノ神古墳 墳丘と同時造成」 徳島新聞朝刊 平成30年3月1日

石井町教委は28日、古墳時代前期とみられる前方後円墳「山ノ神古墳」(同町石井)の後円部の墳頂で、木棺を粘土で包んだ埋葬施設「粘土槨」が2基並んだ状態で見つかったと発表した。

粘土槨が墳丘と同時並行で築かれたことも判明し、いずれも四国で初めての出土例。 専門家は「全国的にも珍しい事例で、古墳研究の基礎資料になる」としている。

粘土槨は、墳頂部の地表面から約50〜70cm下で発見された。箱形木棺(幅約1.15m)と割竹形木棺(約1.2m)とみられ、約1.1mの間隔を空けて置かれていた。

全国の豪族は長辺を南北に向ける配置が多いが、県内の他の古墳に見られる特徴と同じく、東西に向ける形で埋められていた。

先に墳丘を完成させ、後で土を掘って木棺を埋め戻す方法が一般的だが、山ノ神古墳では盛土の堆積状況から、墳丘と粘土槨が同時に造られたことが分かった。

同様の事例は国史跡の和泉黄金塚古墳(大阪府)など近畿地方にみられるが、四国では見つかっていなかった。古墳調査に詳しい兵庫県立考古博物館の石野博信名誉館長は「墓を造り、葬送儀礼をしてから墳丘を仕上げる過程が分かる珍しい事例。

徳島の古代文化の独自性や、近畿政権との関係を考える材料にもなる」としている。

山ノ神古墳は2014年に発掘調査を開始。全長57mで、前方後円墳としては県内3番目の規模であることが分かっている。17年には、前方後円墳に隣接する円墳周辺で、県内2例目となる筒型銅器が出土している。

この「山ノ神古墳」は、東隣に鎮座する「白鳥神社」と合わせて、「日本武尊」の陵墓とみられている。  @阿波

669日本@名無史さん2018/10/23(火) 21:47:02.26
「寺山3号墳は弥生の墳丘墓 邪馬台国期の特徴備える/徳島」

4世紀後半〜5世紀(古墳時代)の前方後方墳とされていた海陽町野江の寺山3号墳が3世紀初頭(弥生時代終末期)の墳丘墓とみられることが、県埋蔵文化財センターの菅原康夫専務理事の調査で分かった。

邪馬台国の時代に、県南部に大きな墓を築ける勢力があったとみられる。

寺山3号墳を含む寺山古墳群は、1977年にほ場整備計画が持ち上がり、79年の発掘調査後に水田の客土として削り取られて消滅した。

菅原専務理事は当時の写真や図面、出土品を基に、鳴門市大麻町の萩原墳丘墓に代表される弥生時代後期〜終末期の県内墳丘墓と比較した。

その結果、寺山3号墳(直径約12メートル)は規模は小さいものの、萩原墳丘墓(約20メートル)と同じ円丘で

▽頂上に石を並べて四方を囲んだ埋葬場所がある ▽墳丘の表面を積石で覆っている ▽徳島市の鮎喰川流域の集落で造られた「供献土器」が出土した−など七つの共通点を確認。「弥生墳丘墓と理解すべきであろう」と結論付けた。

破片が出土した中国鏡「内行花文鏡」の流入経路についても考察。「内行花文鏡」は萩原墳丘墓からも出土しており、「阿波枢要地域からもたらされた可能性が高い」とし、県北部の勢力とのつながりが深かったとみている。

兵庫県立考古博物館(同県播磨町)の石野博信名誉館長(81)=奈良県橿原市=は「邪馬台国の時代に、墳丘墓を造れるだけの勢力が徳島県南部にあったとは驚きだ。近畿と四国を結ぶ海路の拠点としての役割を担っていたのかもしれない」と話している。  

670日本@名無史さん2018/10/23(火) 23:03:34.55
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

671日本@名無史さん2018/10/24(水) 22:00:42.01
第10代 崇神天皇

御間城入彦五十瓊殖尊 (“みま”きいりびこいにえのすめらのみこと)

阿波には、昔、北の粟国と南の長国があったが、古代には西部にもう一つの国があった。

それが旧美馬郡(三好郡含む)の範囲で、元の「倭」国。

高天原(剣山地)から長の国に天下った天孫族が、粟の国に侵攻し(神武天皇)、

崇神天皇が初めてミマ地域に入り、磯城瑞籬宮を造営。

「ミマ城・入り彦」を名乗り、阿波国内を統一、これにより、

神武天皇は、『日本書紀』で 「始馭天下之天皇」 (はつくにしらすすめらみこと)

崇神天皇は、『古事記』で 「所知初国之御真木天皇」 (はつくにしらししみまきすめらみこと) と記された。

672日本@名無史さん2018/10/24(水) 22:08:31.51
四国説は畿内説より優位だと思う

673日本@名無史さん2018/10/24(水) 23:15:55.92
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

674日本@名無史さん2018/10/25(木) 05:56:32.81
>>672
>四国説は畿内説より優位だと思う


申し訳ないけど、倭国(阿波)は九州説よりも断然優位です。 優位というよりも、倭国(阿波)以外は有り得ません。  @阿波

675日本@名無史さん2018/10/25(木) 09:20:32.51
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


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676日本@名無史さん2018/10/25(木) 09:58:18.98
「天河別神社古墳群1号墳 県内最古の古墳を確認」

鳴門市教育委員会では県指定史跡である天河別神社古墳群1号墳の二次発掘調査を今年7月から行った結果、墳丘墓の特徴を残す県内最古の古墳であることがわかりました。

1.尾根上に青石を多用し石室を築造

大津町から板野郡板野町にかけての阿讃山脈からのびる尾根には、弥生時代末期から古墳時代前期の墳丘墓や古墳が数多くみられます。
天河別神社古墳群は、この地域の中央部にあたる大麻町池谷の低い尾根上に築造されています。
天河別神社古墳群1号墳は、以前の調査で存在が確認された11基の古墳のうちのひとつで、天河別神社本殿の背後にある直径約25m、高さ3.5m、幅4mの周壕(堀)をもつ円墳です。
昨年の調査の結果、石室には吉野川南岸で採取される結晶片岩(青石)が使われていることがわかりました。
当時、天河別神社古墳群周辺には入り江が入り込み、この石材は吉野川南岸の地域から船で運ばれてきたと考えられます。

677日本@名無史さん2018/10/25(木) 09:58:52.54
2.側壁が二重の竪穴式石室

石室は古墳の中心部に良好な状態で残っており、右の模式図のように内側の大きさは、南北に約4.9m、東西に約1.1mで高さは約1.2m。被葬者は、頭を北側に向けて埋葬されていたと考えられます。
古墳の構造は、墳丘の上半分が頂部を平坦に削りだした後、墓壙(墓穴)を堀り、平坦面から上部は盛り土を施した後に内部を被覆土で充てんしています。 
墓壙の平坦面の上には石室が築かれています。石室の底(床面)の下部構造は一番下に、断面が台形状の土の「基台」があり、それを覆い隠すように粘土に小ぶりの川原石を混ぜた礫混粘土をはり付けて、「礫床」をつくっていました。
その上の棺を置くため粘土棺床は約40cmと厚く、2回に分けられてはられていました。その上には、やや大きめの河原石を使った礫混粘土が積み上げられ「礫混粘土帯」ができていました。
上部構造としては、礫混粘土帯の上に結晶片岩(青石)の「板石積み」の側壁があり、側壁はやや内側に傾斜を持たせながら積み上げられ、持ち送り状に積まれていました。
また、側壁の外には結晶片岩と砂岩でできた石囲いが石室を囲んでおり、二重構造になっています。石囲いに接する西側には「板石敷き遺構」が見つかりました。天井は石室上面の配石状況の高さから木のふたによって閉じられていたことが想定されます。
木棺や遺骨などはすでに腐食してしまい見つかりませんでしたが、石室内からは鉄剣と古墳時代最初期に作られたとみられる土器の破片が見つかっています。

3.近畿地方の竪穴式  石室の起源とする説も

これまでは平成12年に発掘調査された大麻町大谷の西山谷2号墳が県内最古の古墳であり、国内最古級であるとされてきました。
しかし天河別神社1号墳は(1)西山谷2号墳では一部しか見られなかった石室側壁の二重構造が石室を全周していること(2)副葬品が少ないことなどから、さらに数十年古い3世紀後半に築かれたものであると推定されています。
また、この2例の築造年代は土器の破片などから近畿地方で見られる同様の竪穴式石室よりも古い時代であることがわかってきました。
これは近畿地方の竪穴式石室の起源が現在の徳島県と香川県にあたる阿讃地域にあるとする仮説を裏付ける発見であると考えられています。

678日本@名無史さん2018/10/25(木) 12:12:05.89
萩原墳墓群は古墳時代以前の築造なので「古墳」と呼ばずに墳墓群と呼ぶので、県内最古の「古墳」とはならず、天河別神社古墳群が県内最古の「古墳」となるそうです。

679日本@名無史さん2018/10/25(木) 16:42:46.07
阿波から西日本各地に文化発信が始まったのは、卑弥呼の時代より遥か昔の縄文時代晩期末から弥生時代前期初頭である。

「石棒」

石棒は縄文時代を代表する石器である。実用品ではなく儀礼に用いられたと考えられている。

縄文晩期末から弥生時代前期初頭に、島根県・愛媛県・高知県から東は京都府・滋賀県・奈良県・和歌山県

にいたるまでの今までになく広い範囲で泥質片岩製の石棒が出土する。

この石材はすべて銀色を呈する泥質片岩製であり、石棒の素材産出地で、製作遺跡でもある徳島市三谷遺跡が、その一大製作遺跡であると考えられている。   

680日本@名無史さん2018/10/25(木) 16:53:00.78
石棒の素材産出地で、製作遺跡でもある徳島市三谷遺跡・名東遺跡付近に接してそびえる眉山には、紅簾片岩の露頭が確認でき、

この紅簾片岩製石棒と神戸市戎町遺跡・同市大開遺跡・八尾南遺跡・滋賀県米原町磯山城遺跡の出土資料とを比較検討すると、それぞれが非常に類似している。

また、各地に分布する石棒の時期が、ほぼ縄文時代晩期末〜弥生時代前期初頭の土器型式で2型式間にも満たない短期間に集中することが明らかになり、

三谷遺跡・名東遺跡の存続期間とほぼ一致することが確認された。さらに、石棒が近畿地方最古の環濠集落である神戸市大開遺跡をはじめとする初期の弥生集落でも出土することをうけ、

近畿・東部瀬戸内地域における「弥生集落」の形成は、「渡来人」「移住者」のみならず、在地の人々による積極的な関与があったと考察される。

681日本@名無史さん2018/10/25(木) 17:01:57.31
石棒は縄文時代を代表する石器である。実用品ではなく儀礼に用いられたと考えられている。縄文中期の東日本において盛行し、中期末以降西日本にも流入する。

縄文後期中葉以降、新たに石刃・石剣・小型石棒などの、刀剣型石製品が盛行すると、石棒はやや衰退する。近畿地方や中国地方においても、刀剣型石製品は盛行する。

近畿地方では、概ね1県に1遺跡程度の製作遺跡が確認されている。石材は多様で、頁岩・粘板岩・フォルンフェルス・結晶片岩などが使用される。

これらは、縄文晩期の中葉〜後葉にさしかかるころ、一度衰退するが、縄文晩期末から弥生時代前期初頭に、今までになく広い範囲で泥質片岩製の石棒が出土する。

この石材はすべて銀色を呈する泥質片岩製であり、徳島市三谷遺跡が、その一大製作遺跡であると考えられている。

682日本@名無史さん2018/10/25(木) 18:39:58.56
「柱状片刃石斧」
弥生時代前期から中期のはじめにかけて、緑色片岩製柱状片刃石斧が、大阪湾から東部瀬戸内沿岸地域に流通する。

弥生中期後半、青色片岩製の柱状片刃石斧が近畿〜東部瀬戸内地域一帯に多量に流通する。

この青色片岩は、三波川帯でも、とくに眉山と高越山において、特徴的かつ大量に産出することが知られている。

この生産・使用を始めたのは、弥生中期前葉・中葉の吉野川中流北岸の河岸段丘上に住む人々である。阿波市日吉谷遺跡、同桜ノ岡遺跡、同赤坂V遺跡などで未製品が出土している。

弥生中期後葉にいたって、これらは下流域の徳島市南庄遺跡でも生産されるようになる。

南庄遺跡での生産が活発化して以降、藍閃石―塩基性片岩製の柱状片刃石斧は、広域に流通することが知られている。

東かがわ市池の奥遺跡、同成重遺跡、善通寺市旧練兵場遺跡、和泉市池上曽根遺跡などに多量にもたらされており、これらの遺跡を起点に、さらに流通していったものと考えられよう。

現時点で確認できた分布範囲は、奈良(磯城郡田原本町唐古・鍵遺跡)・大阪(茨木市東奈良遺跡、岸和田市畑遺跡、同下池田遺跡、東大阪市巨魔遺跡など)

・和歌山(和歌山市太田黒田遺跡、みなべ町青蓮谷遺跡など) ・兵庫(神戸市玉津中遺跡、同伯母野山遺跡、姫路市丁・柳ケ瀬遺跡、同大山神社遺跡、

三田市奈カリ予遺跡、同有鼻遺跡など)・岡山(赤盤市用木山遺跡など)・香川(三豊市紫雲出山遺跡)におよぶ。

愛媛県でも、点々と見かけることがある。沿岸部だけでなく、内陸部の奈良、兵庫県の三田盆地などにも流通する。

683日本@名無史さん2018/10/26(金) 09:28:52.26
徳島市は古代はすっぽり海
多くの人は住めないし
どこで農業やってたんだって話

684日本@名無史さん2018/10/26(金) 16:57:23.84
>>683
>徳島市は古代はすっぽり海

たしかに、徳島市はすっぽり海だよ。
倭国(阿波)の中心は徳島市より内陸側の国府町・石井町・板野町・鳴門市・小松島市など。
そして、倭国(阿波)の大河流域には古代集落遺跡ばかりだよ。
もうすこし、倭国(阿波)の自然・地理を勉強しようね。  @阿波

685日本@名無史さん2018/10/26(金) 17:22:02.02
「邪馬台国勢力」と「狗奴国勢力」を「弥生集落遺跡」で提示できるのは倭国(阿波)だけ。  @阿波

※北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)
【旧吉野川流域北岸勢力 弥生時代集落】
東州津遺跡・大柿遺跡・土取遺跡・昼間遺跡(正力地区)・昼間遺跡(天神前地区)・昼間遺跡(西貝川地区)・足代東原遺跡・薬師遺跡・吉水遺跡・田上I遺跡・拝原東遺跡・椎ヶ丸〜芝生遺跡
・西長峰遺跡・北原〜大法寺遺跡・天神山遺跡・金泉寺遺跡・黒谷川宮ノ前遺跡・黒谷川郡頭遺跡・桧はちまき山遺跡・光勝院寺内遺跡・カネガ谷遺跡・桧銅鐸出土地

【旧吉野川流域南岸勢力 弥生時代集落】
ウエノ遺跡・マチ遺跡・須賀遺跡・相知遺跡・井出上遺跡・稲持遺跡・貞光前田遺跡・石井遺跡

【鮎喰川下流域勢力 弥生時代集落】
樋口遺跡・延命遺跡・矢野遺跡・名東遺跡・鮎喰遺跡・庄遺跡・庄蔵本遺跡

※南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)
【勝浦川流域勢力 弥生時代集落】
勢合銅鐸出土地・田浦遺跡・新居見遺跡

【那賀川流域勢力 弥生時代集落】
若杉山遺跡・加茂宮ノ前遺跡・深瀬遺跡・福寺山遺跡・宮ノ本遺跡          

【海部川流域勢力 弥生時代集落】
芝遺跡・大里遺跡

686日本@名無史さん2018/10/26(金) 20:21:38.67
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

687日本@名無史さん2018/10/26(金) 22:20:18.48
>>683
そもそも日本は漁業の国だよ

688日本@名無史さん2018/10/26(金) 22:31:41.33
原始漁法の素潜りなどは、やはり温暖な海に限るね。  @阿波

689日本@名無史さん2018/10/26(金) 22:40:15.78
息長一族は素潜りが得意な倭国(阿波)の海人族だったんだろうね。  @阿波

690日本@名無史さん2018/10/27(土) 08:12:50.07
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 

691日本@名無史さん2018/10/27(土) 12:42:05.67
>>787
魚だけで七万戸が生活できるのか?

692日本@名無史さん2018/10/27(土) 18:05:51.13
そんなの広さによるだろ

693日本@名無史さん2018/10/27(土) 19:22:10.56
農地がほとんどないのに粟国
オオゲツヒメ(農業神)とは摩訶不思議

694日本@名無史さん2018/10/28(日) 06:35:07.14
>>693
>農地がほとんどないのに粟国
>オオゲツヒメ(農業神)とは摩訶不思議

それは、倭国(阿波)の自然・地理を知らないからくる不思議だよ。  
古代人にとって倭国(阿波)は生活する上で最良の土地なのである。  @阿波

695日本@名無史さん2018/10/28(日) 08:14:41.86
広さ的に香川も含めて邪馬台国ならわからないでもない

696日本@名無史さん2018/10/28(日) 09:01:41.46
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww


https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=長江+++鬲&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww


https://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RimVRd.tRb9nMAQCuU3uV7?p=越式鼎&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

697日本@名無史さん2018/10/28(日) 12:00:27.48
七万戸を食わすには相当食料が必要

698日本@名無史さん2018/10/28(日) 14:09:42.17
邪馬台国が阿波だとして後の阿波国と全く同じ領土と考える方がおかしい
どこからどこまでが邪馬台国なんてわかるわけがないんだから
人口的にあり得ないと考える方があり得ない

反論するならちゃんとしよう

699日本@名無史さん2018/10/28(日) 20:48:08.13
>>698
>人口的にあり得ないと考える方があり得ない

そうですね。
まぁ、倭国(阿波)にケチをつけるとしたら、人口ぐらいしか思いつかないから仕方がないんだろうがw  @阿波

700日本@名無史さん2018/10/29(月) 12:23:36.25
弥生人にとって、「阿波」はまさに理想の土地。

温暖な気候・多数の大河の恵み・大河流域の土地の恵み・黒潮流れる大海の恵み・山深い森林の恵み・多種類の希少鉱物の恵み

県北部(邪馬台国)には、銅、泥質片岩、緑色片岩、翡翠、蛇紋岩、紅蓮石

県南部(狗奴国)には、辰砂が採れる。

阿波に人が集まり、独自文化が発祥・全国展開したのは、当然といえば当然。   @阿波

701日本@名無史さん2018/10/29(月) 12:57:24.91
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

702日本@名無史さん2018/10/29(月) 13:26:22.35
◆古代中国のイネの粒種の変遷グラフ



http://www.doc88.com/p-0738740710502.html


.

703日本@名無史さん2018/10/29(月) 16:46:00.38
>>700
讃岐は当時何国?

704日本@名無史さん2018/10/29(月) 17:51:53.17
>>703
>讃岐は当時何国?

卑弥呼の時代は讃岐・淡路島ぐらいが倭国(阿波)の範疇だろう。  @阿波

705日本@名無史さん2018/10/29(月) 20:42:54.27
「土製仮面」はこれまでに全国で約120点見つかっているが、出土地点は阿波国の矢野遺跡が最西端に位置する。

同遺跡は縄文時代から中世にかけての県内有数の複合遺跡で、調査の結果、「土製仮面」は縄文時代後期(約4千年前)のものとみられる。

この「土製仮面」作成時期も国内では最古のクラスにあたる。「貝製仮面」は5000年前の物が九州からも発見されているようだが、土製のモノはこれが最古級である。

「土製仮面」の使われた時期と地域の偏りから、今の状況では四国東部から発生し、近畿・中部・東北方面へと伝播していったことが明確である。

用途としては、土偶、石棒などが同時に出土している事を考えると、祭祀の時に使われたと考えるのが妥当である。

また、仮面表面の多数の穴の跡は、後年の魏志倭人伝にも「男子無大小,皆面黥面文身」とあるように入墨(文身)を表したものであろう。

さて、神武東征の際に活躍した「大久米命(おおくめのみこと)」が黥面だったことが古事記に記載されている。 「大久米命」は神武東征に随行した久米一族の祖神にあたる。

久米一族については、石井町の久米勝夫氏による、全国の久米氏を調査した資料「久米一族の調査研究」によれば、昭和55年現在、全国の久米姓は5461戸。

一般的に言われる久米氏の本拠地は大和国久米(奈良県橿原市)であるはずだが、奈良県に在する久米姓は、わずか43戸(当時)、徳島県は540戸となっていた。

一方、徳島県内では徳島市と石井町に集中している。

さらに言えば、矢野遺跡や観音寺遺跡などのある国府町の気延山付近を「気延の庄」、気延山を挟んだ北を「久米の庄」と呼んだそうである。

まさに、全国の久米姓の本拠地は徳島県石井町近辺なのである。






「矢野遺跡」
http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%C6%C1%C5%E7%BB%D4%2F%CC%F0%CC%EE%B0%E4%C0%D7

706日本@名無史さん2018/10/30(火) 12:22:38.78
倭迹迹日百襲姫命の父にあたる第七代孝霊天皇の陵墓と黒田廬戸宮跡は、旧黒田村であった徳島市国府町芝原の蔵殊院あたり、

百襲姫の弟君にあたる日子刺肩別命は、蔵殊院から東に5km隔てた徳島市不動町の式内天佐自能和気神社で祀られている。

王族らによる阿波(倭)から讃岐(山背・難波)への進出は、孝霊天皇の御子時代から盛んになり、

第十五代応神天皇の御宇に至って、ついに香川県さぬき市津田の「前期難波宮」に皇居を営むことになる。

707日本@名無史さん2018/10/30(火) 12:49:51.15
「倭迹迹日百襲姫命」は徳島市国府町(旧黒田村)の第七代孝霊天皇「黒田廬戸宮跡」で幼少期を過ごし、

阿波市市場町「箸供養」からほど近い「奈良坂」より阿讃山脈を越え、讃岐地方に移動した。

そして、その類い稀な能力を駆使して水を利用した農業の神として祭祀されている。

阿讃山脈を越えて留まった地域が「水主神社(香川県東かがわ市水主1418)」付近。

「水主神社」から北上すると倭迹迹日百襲姫命が海岸に舟を留めて休息したとき、

船人が舟の艪を海岸の松にたて掛けたとの伝承がある「鱸懸神社(東かがわ市馬篠440番443番)」。

「鱸懸神社」を少し北上すれば「袖掛神社(東かがわ市小磯)」。そして西へ移動して高松市内に鎮座する「船山神社(高松市仏生山町大字百相神宮寺)」。

船岡山は倭迹迹日百襲姫命が水主神社からこの周辺に移動して来て住んでいた地。

船岡山は古く百相(もまい)郷に属し船山と称し、地名の百相(ももそ)は倭迹迹日百襲姫命の名に由来すると伝わる。

当地は田村神社の別当寺であった神宮寺(百相廃寺)のあった場所である。

次は讃岐一宮の「田村神社(高松市一宮町286)」。倭迹迹日百襲姫命、五十狭芹彦命(別名 吉備津彦命)・猿田彦大神・天隠山命・天五田根命を祭神とし、

これを「田村大神」と総称する。

708日本@名無史さん2018/10/30(火) 13:18:32.55
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

709日本@名無史さん2018/10/30(火) 16:27:40.23
「芝遺跡」
芝遺跡では3面の遺構面を確認した。
第1遺構面は中世にあたり、13世紀後半〜14世紀中頃にかけての屋敷境溝を持つと考えられる
掘立柱建物跡や土壙墓などを検出した。
このうち、土壙墓は屋敷墓と考えられ、海部刀短刀・土師器杯・皿が出土し、13世紀後半頃と推定できる。

第二遺構面では弥生時代後期〜古墳時代前期前半頃にかけての竪穴住居や溝、旧河道等を検出した。
旧河道からは外来系土器が多数出土している。
 
第3遺構面では弥生時代前期後半以降頃の遺構と遺物を検出した。
中期中頃〜後半にかけての円形周溝墓を4基検出し、
時期が確定できる円形周溝墓としては、県内初出となった。

この内、円形周溝墓1は直径約11メートル、溝幅が最大約2メートルを測り、陸橋を持つ。出土遺物は陸橋周辺に集中して出土しており、
結晶片岩を含む吉野川下流域産と考えられる土器がほとんどを占め、若干の在地土器が混じる。
この他、周溝墓の可能性のある溝も検出しており、この時期の集落内墓地であった可能性が考えられる。
また、弥生時代後期中頃と推定される竪穴住居では、炉跡内から鉄切片・小破片が出土し、炉跡底面に焼土面が広がっていた。
そのため、本炉跡は鍛冶炉跡と推定され、U類(村上1998)にあたると考えられる。
この他、サヌカイト片や特殊なものとして朱付着石杵も出土しており、この朱は水銀朱であることが確認されている。
したがって、竪穴住居では石器・鉄器・朱を扱う工房跡であった可能性が指摘でき、阿波南部地域に鉄・朱が伝わっていたことを実証できる好資料である。

710日本@名無史さん2018/10/30(火) 17:17:37.61
>>706
応神天皇が讃岐遷都した
都が阿波に戻ってくるのはいつ?何代天皇?

711日本@名無史さん2018/10/30(火) 18:49:12.82
>>710
>都が阿波に戻ってくるのはいつ?何代天皇?

『播磨風土記』の「志深里」の由来伝承で、履中天皇が「朕於阿波国和那散所食之貝哉」と仰せられたという話から、

17代履中天皇から。  @阿波

712日本@名無史さん2018/10/31(水) 11:51:42.63
弥生後期の予測人口で四国全部で7万人に足りない位だから邪馬台国(連合)=四国は問題ない
狗奴国も四国に含めるのは無理があるが、九州の半分くらいの甕棺地域が狗奴国ならきれいに成り立つ

713日本@名無史さん2018/10/31(水) 12:07:05.38
狗奴国も強大だよ。 その源泉が、「辰砂鉱山」と「黒潮の恵み」と「海洋航行技術」。

※北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)
【旧吉野川流域北岸勢力 弥生時代集落】
東州津遺跡・大柿遺跡・土取遺跡・昼間遺跡(正力地区)・昼間遺跡(天神前地区)・昼間遺跡(西貝川地区)・足代東原遺跡・薬師遺跡・吉水遺跡・田上I遺跡・拝原東遺跡・椎ヶ丸〜芝生遺跡
・西長峰遺跡・北原〜大法寺遺跡・天神山遺跡・金泉寺遺跡・黒谷川宮ノ前遺跡・黒谷川郡頭遺跡・桧はちまき山遺跡・光勝院寺内遺跡・カネガ谷遺跡・桧銅鐸出土地

【旧吉野川流域南岸勢力 弥生時代集落】
ウエノ遺跡・マチ遺跡・須賀遺跡・相知遺跡・井出上遺跡・稲持遺跡・貞光前田遺跡・石井遺跡

【鮎喰川下流域勢力 弥生時代集落】
樋口遺跡・延命遺跡・矢野遺跡・名東遺跡・鮎喰遺跡・庄遺跡・庄蔵本遺跡

※南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)
【勝浦川流域勢力 弥生時代集落】
勢合銅鐸出土地・田浦遺跡・新居見遺跡

【那賀川流域勢力 弥生時代集落】
若杉山遺跡・加茂宮ノ前遺跡・深瀬遺跡・福寺山遺跡・宮ノ本遺跡          

【海部川流域勢力 弥生時代集落】
芝遺跡・大里遺跡

こういう「邪馬台国勢力」と「狗奴国勢力」を「弥生集落遺跡」で提示できるのは倭国(阿波)だけ。  @阿波

714日本@名無史さん2018/10/31(水) 16:57:23.46
【飛鳥の地は小松島市一帯】

小松島市嶋ノ宮神社南方の大林町は「あすか」と呼ばれていた。江戸時代まで「飛鳥神社」が鎮座していた。

舒明天皇―飛鳥岡本宮(小松島市千代ヶ原)

香具山―小松島市日峯山・籠山(かごやま)

斉明天皇―後飛鳥岡本宮(小松島市千代ヶ原)

天智天皇―後飛鳥岡本宮(小松島市千代ヶ原) →近江(飛鳥嶋の宮:小松島市嶋ノ宮神社南方の大林町)に遷都

天武天皇―飛鳥嶋の宮(小松島市嶋ノ宮神社南方の大林町)→飛鳥浄御原

持統天皇―飛鳥浄御原→藤原宮(麻植郡鴨島:奈良藤原京は文武天皇)に遷都  

715日本@名無史さん2018/10/31(水) 18:44:03.60
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

716日本@名無史さん2018/11/01(木) 07:11:38.69
方墳墓は蘇我氏一族専用の墓型か?

蘇我氏の本拠地:徳島県石井町の曽我氏神社古墳群

先日のNHKでは、方墳は飛鳥時代蘇我稲目の都塚古墳から突然始まると放送されていたが

蘇我氏の本拠地とされる徳島県石井町の曽我氏神社古墳群にはそれに先立ち、古墳時代前期に既に10m×12mの方墳(2号墳)が確認されている。

このことから、方墳墓は蘇我氏一族専用の墓型であった可能性が高い。

また、同じ石井町には奈良の大和朝廷に先行すると思われる白鳳寺院跡および白鳳瓦窯跡が確認されている。

他にも吉野川中流域の美馬町・川島町にも白鳳寺院跡が存在する。

これらも阿波国内で頭角を現した有力豪族、蘇我氏に由来するものであろう。 

[石井町/曽我氏神社古墳群]
http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%C0%D0%B0%E6%C4%AE%2F%C1%BE%B2%E6%BB%E1%BF%C0%BC%D2%B8%C5%CA%AF%B7%B2

717日本@名無史さん2018/11/01(木) 08:18:45.87
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.

718日本@名無史さん2018/11/01(木) 12:41:11.32
>>711
17代履中天皇から41代持統天皇までずっと阿波に都?

719日本@名無史さん2018/11/01(木) 13:46:23.55
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析によると、ちょうど朝鮮人とオロチ、ギリヤーク(ニヴフ)の
中間あたりの位置を示す。

オロチ、ギリヤーク(ニヴフ)の分布位置と朝鮮半島のちょうど中間あたりはウデヘ、ナナイの
住む沿海州南部あたりで、これは弥生開始土器の示す沿海州南部と整合している。


http://web.joumon.jp.net/blog/wp-content/uploads/1-thumb.jpg
http://f.hatena.ne.jp/nyankosensee/20110813183224

720日本@名無史さん2018/11/01(木) 17:26:52.08
>>718
>17代履中天皇から41代持統天皇までずっと阿波に都?

いや、卑弥呼以前から41代持統天皇までずっと阿波に都があった。
ただし、15代 応神天皇と16代 仁徳天皇だけ、香川県さぬき市津田に「前期難波大隈宮」を構えた。  @阿波

721日本@名無史さん2018/11/02(金) 21:59:06.21
武内宿禰の鎮守社に比定される「矢武八幡神社」は、徳島県板野郡矢武字鏡松に鎮座する。

当神社で注目すべきは、「往古、嵯峨御所から額(扁額か)が寄付された」とする伝承である。

「額は今存せざるも、ご寄付状は存在せり」(名勝案内)とみえ、その文書には「阿波国板野郡矢武村者上古武内大臣為縁由地云々」とあって、武内宿禰の由縁の地が寄付の理由であったと理解される。

また、名勝案内の「船の本」条(矢武村に西接する大山村西分)には「此地武内宿禰の旧領なればその遺址存せるならむ」とあり、船の本の聖地に斎田その他を設け、慶事や祭典の折には、村民挙げて奉祭したとされている。

つまり、現在の阿波国上板町大山から板野町矢武一帯は、武内宿禰の領地、または所縁の地であったとする伝承が存在している。

722日本@名無史さん2018/11/02(金) 23:28:09.36
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

723日本@名無史さん2018/11/03(土) 06:36:37.90
神武を佐けた霊剣・建布都神は、戦闘の地、吉野川北岸阿波市の「建布都神社」で祀られている。

「建布都神」の陵墓は「阿波市 伊笠山」山頂。 

一方、長髄彦の本貫地は徳島県板野郡板野町川端で、周辺には、「東中富」「西中富」「富の谷」「富の谷口」「富の谷川」など中臣の地名が多く残る遺跡の密集地である。

長髄彦と神武軍との戦いの場は、この東隣の鳴門市萩原地域。長髄彦は、この地で神武軍との戦いに敗れたのである。

こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)だけ。   

724日本@名無史さん2018/11/03(土) 09:07:46.78
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 

725日本@名無史さん2018/11/03(土) 19:18:39.05
今日は文化の日。

親授式で渡される文化勲章は「橘」に「勾玉」をあしらったものという。

その「橘」も「勾玉」も倭国(阿波)の産物とは此れ如何に。  @阿波

726日本@名無史さん2018/11/03(土) 19:31:49.66
橘も曲玉もJapanSeaじゃね?

727日本@名無史さん2018/11/03(土) 19:35:16.64
>>726

出雲の勾玉は出雲忌部の製作。  @阿波

728日本@名無史さん2018/11/03(土) 19:43:37.53
縄文に
堕胎ありせば
曲玉や

729日本@名無史さん2018/11/03(土) 19:45:50.67
山口に
流れて来なむ
みかんかな

730日本@名無史さん2018/11/03(土) 19:47:48.84
トカラより
わかれてながる
文化かな?

731日本@名無史さん2018/11/03(土) 20:44:00.81
>>720
15と16代が讃岐進出したのは広い平野を求めて?

732日本@名無史さん2018/11/03(土) 21:07:37.86
>>731
>15と16代が讃岐進出したのは広い平野を求めて?

今でこそ、県が違っているから、遠そうに思うだろうが

讃岐の津田って鳴門の隣だから。  倭国(阿波)国内だよ。  @阿波

733日本@名無史さん2018/11/04(日) 22:23:25.73
稲持遺跡(徳島県三好郡東みよし町稲持)は、弥生時代後期の玉作遺跡として代表的である。

斉一性の強い小型勾玉の一群が阿波地域を中心に 讃岐地域・吉備地域と西縁・伊予地域・豊前、筑前、肥前地域 に点在しており、石材・色調・形状から特定の場所で作られたと考えられる。

蛇紋岩の製作遺跡 東みよし町稲持遺跡・徳島市矢野遺跡・上板町七条経塚遺跡

原石産出地 徳島県吉野川加茂谷川水系蛇紋岩

734日本@名無史さん2018/11/04(日) 22:54:50.98
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=長江+++鬲&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RimVRd.tRb9nMAQCuU3uV7?p=越式鼎&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

735日本@名無史さん2018/11/05(月) 12:05:12.79
隣でも当時、阿讃山脈の峠を越えるのは命がけじゃないの >>732

736日本@名無史さん2018/11/05(月) 12:59:59.31
>>735
>隣でも当時、阿讃山脈の峠を越えるのは命がけじゃないの

う〜ん、現地を知らないからそう思うのも仕方がないが、
サヌカイト等、縄文時代から常に通っていた通常ルートだよ。
とにかく、奈良山(平たい山)と謂われるぐらい低い山並みなんだよ、阿讃山脈って。
「倭迹迹日百襲姫命」や仁徳天皇の大后「石之日売命」、新しくは源義経軍も峠を越えて讃岐に行っている。 @阿波

737日本@名無史さん2018/11/05(月) 14:09:14.49
阿波から見て山脈の向こうが讃岐なんだから
讃岐山脈という言い方は本来ならむしろ阿波側が付けたの名称のはず
それを後から不公平と阿波側が言い出すのはおかしな話だよねえ

738日本@名無史さん2018/11/05(月) 14:26:40.16
さかきばら事件のwikiを読んでみると


ネコが何やらと書いてあったり、

739日本@名無史さん2018/11/05(月) 14:28:10.94
738

このスレじゃなかったw

740日本@名無史さん2018/11/05(月) 15:37:09.04
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

741日本@名無史さん2018/11/05(月) 17:05:02.69
>>737
>阿波から見て山脈の向こうが讃岐なんだから

阿波から見て山脈のこちら側が阿波なんだから、阿波山脈だよ。

>讃岐山脈という言い方は本来ならむしろ阿波側が付けたの名称のはず

「阿波側が付けたの名称のはず」じゃないから、不公平と阿波側が言い出すのはおかしなことではない。  @阿波

742日本@名無史さん2018/11/05(月) 22:03:49.75
俺らは地図があるから山の標準名を決めた
しかし昔の人にとっては山は自分の集落から見える姿だけで反対側の人がどう考えているなんか知らない
当然複数の名前がある
川も同じで上流中流下流で全部名前が違うしひどい場合は右岸と左岸で名前が違う
そりゃそうだ
交流が無い別の民族なんだからな
山を越えるのが普通な街道や
川を船や矢倉で渡すなど
通行が盛んな場所はそれなりに名称が統一されてただろうが
そうじゃない田舎は山や川の名前は100m離れていればバラバラだ

743日本@名無史さん2018/11/05(月) 22:05:57.29
日本海は中国から見て海の向こうが日本だから中国側が名付けた名称なのは分かりますか?

744日本@名無史さん2018/11/05(月) 22:09:34.13
>>743
>日本海は中国から見て海の向こうが日本だから中国側が名付けた名称なのは分かりますか?

じゃ、東シナ海は?  どうでもいいんだけどw  @阿波

745日本@名無史さん2018/11/05(月) 23:37:34.15
中国側から見て名付けた名前ではないでしょうね

746日本@名無史さん2018/11/06(火) 12:31:15.33
>>711
え、海鮮を食べたくて阿波に帰ってきたの?我儘天皇だな

747日本@名無史さん2018/11/09(金) 20:44:43.59
>>504
>ただし壬申の乱迄阿波が舞台

大海人皇子って奈良や京都の名前とちゃうやん
四国の南っぽい感じ

748日本@名無史さん2018/11/09(金) 22:14:22.82
>>747
>大海人皇子って奈良や京都の名前とちゃうやん
>四国の南っぽい感じ

倭国(阿波)の小松島市周辺の海人の皇子ですね。  @阿波

749日本@名無史さん2018/11/09(金) 23:19:00.07
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

750日本@名無史さん2018/11/10(土) 00:06:54.69
>>741
香川県人は讃岐山脈、徳島県人は阿讃山脈という。

751日本@名無史さん2018/11/10(土) 02:31:02.16
徳島県人全体がいちゃもん付けてるわけじゃない
阿讃山脈なんて主張してるのは徳島でも極一部だよ

発想が日本海→東海と一緒

752日本@名無史さん2018/11/10(土) 08:36:43.73
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 

753日本@名無史さん2018/11/11(日) 23:36:25.49
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%87%9C

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 

754日本@名無史さん2018/11/11(日) 23:58:28.57
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E6%B1%9F+%E9%AC%B2&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

755日本@名無史さん2018/11/12(月) 10:06:12.08
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

756日本@名無史さん2018/11/12(月) 21:57:06.50
>>748
>倭国(阿波)の小松島市周辺の海人の皇子ですね。  

【飛鳥の地は小松島市一帯】

小松島市嶋ノ宮神社南方の大林町は「あすか」と呼ばれていた。江戸時代まで「飛鳥神社」が鎮座していた。

舒明天皇―飛鳥岡本宮(小松島市千代ヶ原)

香具山―小松島市日峯山・籠山(かごやま)

斉明天皇―後飛鳥岡本宮(小松島市千代ヶ原)

天智天皇―後飛鳥岡本宮(小松島市千代ヶ原) →近江(飛鳥嶋の宮:小松島市嶋ノ宮神社南方の大林町)に遷都

天武天皇―飛鳥嶋の宮(小松島市嶋ノ宮神社南方の大林町)→飛鳥浄御原

持統天皇―飛鳥浄御原→藤原宮(麻植郡鴨島:奈良藤原京は文武天皇)に遷都  @阿波

757日本@名無史さん2018/11/13(火) 10:27:32.82
継体天皇も阿波?
徳島に越前という地名あるの

758日本@名無史さん2018/11/19(月) 11:48:01.78
阿讃山脈に大坂峠があるが、もしかして大阪のルーツなのか?

759日本@名無史さん2018/11/19(月) 12:38:10.23
>>757
古志だぞ
越前は後の時代の名前だからな

760日本@名無史さん2018/11/19(月) 19:10:13.71
古志は上板

761日本@名無史さん2018/11/22(木) 07:49:23.53

762日本@名無史さん2018/11/22(木) 08:39:27.29

他説を凌駕する、倭国(阿波)の圧倒的考古資料   @阿波

763日本@名無史さん2018/11/22(木) 08:42:06.74
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.

764日本@名無史さん2018/11/23(金) 18:01:23.69
阿波から奈良大倭への遷都(7世紀後半〜710年)によって、忌部の本家は阿波に留まる一方、その一部が奈良大倭に渡り、
やがて諸国の忌部を統括することになる。これが中央忌部である。阿波に残った忌部の本家は、同家の本源的職掌である
麁布・木綿及び高天原の山の幸を由加物として、践祚大嘗祭の度ごとに新都に送った。母国からの調進である。
忌部の本家が阿波に残った理由は、天照大神以来、天孫(天皇)の祭祀に必要な神具は「高天原で採取調整されなければならない」という、
天岩屋戸神話に由来する神典を墨守したからである。
「由加物使」一行が阿波から京に向かうに、通過する国々の道路は掃き清められ、国司らが出迎えるという『延喜式』の別格規定は、
高天原から新都に向かう「宗国からの使」という意味からである。また、「麁布」がすべての貢進物の中で、唯一神祇官扱いになるなど、
超絶した扱いとなっているのは、記紀神話で、天照大神が高天原において機織女を召して織らしめ、また大神自らも織られたとする
「神御衣」と見立てているからであり、それを忌部の本家(阿波忌部)が、畏れ多くも代行厳修し、麁布として織り上げたものを、
新天皇が践祚大嘗祭に奉奠して天照大神にお示しし、大神から、日嗣の認承を賜る「物実」(正当な皇位継承者であることを大神の御前で証明するための品)
と観念されたからである。

765日本@名無史さん2018/11/23(金) 19:14:23.13
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

766日本@名無史さん2018/11/23(金) 19:59:40.81
大麻(麻)の繊維は、日本では古くからしめ縄、祓い具(おはらい)としての神事の大麻などに用いられてきた。

また、麻から作った大麻(マリファナ)は薬理作用があり、紀元前から古代人が嗜好品、また医薬品として用いてきた。

大麻(マリファナ)は喫煙、気化、飲食により成分を摂取する。

麻といえば、阿波忌部。 

『名曰卑彌呼事鬼道能惑衆』  『名を「卑弥呼」といい、「鬼道」に仕えて人心を惑わしている』

卑弥呼は大麻(マリファナ)を利用して「鬼道」を操ったのだろう。  @阿波

767日本@名無史さん2018/11/23(金) 20:11:51.36
倭人伝にも「女王国の東、海を渡ること千余里にして、また国あり、皆倭種なり」とある。

縄文時代晩期末より、主に倭国(阿波)の海人族の大人らが東は関東、西は九州、北は北陸まで全国を移動し、

子孫や一族らによる新地開拓や移住・婚姻によって、列島全域に勢力を伸ばした。

また同時に、石器、青銅器、鉄器、朱、農耕技術や軽量薄型土器、墳墓築造などの先進文化・技術を全国に広めていったのである。  @阿波

768日本@名無史さん2018/11/24(土) 12:46:41.26
阿波忌部って大和朝廷から派遣されたんじゃないのか?
忌部のルーツが阿波の根拠は何

769日本@名無史さん2018/11/24(土) 13:17:13.48
>>768
>阿波忌部って大和朝廷から派遣されたんじゃないのか?

それは古語拾遺(斎部広成)の誤り。


>忌部のルーツが阿波の根拠は何

それは、古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団(広義の忌部一族)が「阿波」に居た痕跡から。
ここでいう忌部一族とは、平安時代の『新撰姓氏録』以降の忌部(斎部)氏ではない。
忌部一族とは倭人(広義の忌部氏)であり、全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の総称である。  @阿波

770日本@名無史さん2018/11/24(土) 13:17:42.43
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 

771日本@名無史さん2018/11/25(日) 11:45:36.33
「倭国(阿波)の最先端文化・技術」  九州や畿内などとの圧倒的な文化・技術の差ですね。  @阿波

@勾玉

A軽量薄型土器

B前方後円墳

C水銀朱

D緑色片岩製柱状片刃石斧

E泥質片岩製石棒

FT類鉄鍛冶炉

その他いっぱい

772日本@名無史さん2018/11/25(日) 12:22:59.76
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E6%B1%9F+%E9%AC%B2&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

773日本@名無史さん2018/11/25(日) 18:47:38.91
弥生人にとって、「阿波」はまさに理想の土地。

温暖な気候・多数の大河の恵み・大河流域の土地の恵み・黒潮流れる大海の恵み・山深い森林の恵み・多種類の希少鉱物の恵み

県北部(邪馬台国)には、銅、泥質片岩、緑色片岩、翡翠、蛇紋岩、紅蓮石

県南部(狗奴国)には、辰砂が採れる。

阿波に人が集まり、独自文化が発祥・全国展開したのは、当然といえば当然。   @阿波

774日本@名無史さん2018/11/26(月) 16:39:25.14
>>18
ブラタモリ
とうとう残すは徳島だけ
避けられていたのか、大トリ扱いなのか

775日本@名無史さん2018/11/27(火) 09:34:12.94
白鳳地震の記録が残ってること自体が答えじゃないの
よその国の地震の記録なんて残さないだろうし

776日本@名無史さん2018/11/27(火) 10:20:14.38
>>775
>白鳳地震の記録が残ってること自体が答えじゃないの

そうだね。東海・南海・西海諸道〔白鳳地震〕からして、九州や奈良はあえなく落選。  @阿波 

777日本@名無史さん2018/11/27(火) 10:54:08.45
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

778日本@名無史さん2018/11/27(火) 18:02:02.19
四国88か所の寺の下が怪しいわ
やばいもんでてくるだろう

779日本@名無史さん2018/12/02(日) 13:03:48.09
倭国(阿波)では、大陸から鍛冶素材を入手して鉄鍛冶を倭国(阿波)内各地で実施し、中国鏡・中国産朱も渡来している現実がある。

また、朝鮮半島で作られたと思われる青銅鏡や鉄斧も出土している。

「大陸と倭国(阿波)までの流通ルート」が確立されているのは紛れもない事実である。  @阿波

780日本@名無史さん2018/12/02(日) 13:25:07.15
『和名抄』 阿波国板野郡の郷名に「田上」がある。 阿波の田上郷は鳴門市大麻町坂東に比定されている。

この郷の民の一部を記した延喜2年の「田上郷戸籍断簡」が遺っている。23氏487口の名簿である。

この「田上郷戸籍断簡」の中には、帰化人系の氏である「服部(はとりべ)」、「錦部(にしきべ)」、「漢人(あやひと)」、「秦(はた)」が見える。

このうち漢人(あやひと)を除く三氏はすべて衣手(職業集団)である。

この「田上郷戸籍断簡」により、倭国(阿波)に半島帰化人が来ていた事実が分かる。  @阿波

781足利茶々丸2018/12/02(日) 13:38:49.66
  /_________ヽ
   ||  //||      ||
   ||//  ||    /||
   ||/    ||  //||
   ||     ||//  ||
   ||     ||彡⌒ ミ|| 札幌ひばりが丘病院を
   ||     ||(´・ω・)||  麻薬取締法違反で送検
  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
 

782日本@名無史さん2018/12/02(日) 13:43:42.96
>>781足利茶々丸

大麻(麻)の繊維は、日本では古くからしめ縄、祓い具(おはらい)としての神事の大麻などに用いられてきた。

また、麻から作った大麻(マリファナ)は薬理作用があり、紀元前から古代人が嗜好品、また医薬品として用いてきた。

大麻(マリファナ)は喫煙、気化、飲食により成分を摂取する。

麻といえば、阿波忌部。 

『名曰卑彌呼事鬼道能惑衆』  『名を「卑弥呼」といい、「鬼道」に仕えて人心を惑わしている』

卑弥呼は大麻(マリファナ)を利用して「鬼道」を操ったのだろう。  @阿波

783日本@名無史さん2018/12/02(日) 14:13:11.01
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E6%B1%9F+%E9%AC%B2&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

784日本@名無史さん2018/12/02(日) 18:17:33.75
「田上郷戸籍断簡」は日本で最初の戸籍。

この中に「建部」と見えますが「建部」とは景行天皇御宇に日本武尊命の功名を記録しようと定められた御名代部です。

「建部」は日本武尊命の西討東伐の道筋に置かれました。

この「田上郷戸籍断簡」には11名の「建部」が見えます。

阿波に日本最古の戸籍。

阿波に「建部」

阿波ってなに?  @阿波

785日本@名無史さん2018/12/02(日) 21:38:21.90
奈良藤原京より先の時代、7世紀中頃の阿波の役人は木簡に習字をしていた。

阿波国国府町の観音寺・敷地遺跡から出土した7世紀中頃の論語木簡は、日本で一番古い出土木簡である。

ちなみに、同遺跡から円面硯・風字硯・須恵器蓋転用硯、上級貴族が使用する油杯(燈明)など官衙有数の資料が重要文化財に指定されている。

ではなぜ、奈良藤原京より先の時代に、阿波の地にそれらが存在したのか。

それは、7世紀終末頃に阿波から奈良へ遷都(藤原京)する直前まで、阿波に倭の王権・王都があった証である。

阿波国府推定地に隣接する観音寺・敷地遺跡出土品(重要文化財指定)
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/213354
http://awakouko.info/modules/webphoto/index.php/photo/203/

786日本@名無史さん2018/12/06(木) 13:47:54.74
阿波って綿のことだったのか
綿花の畑が広大にあったとか
哀れみ、生口とか思ってたよ
 
綿花の方が美しくていいな

787日本@名無史さん2018/12/06(木) 15:09:27.81
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.

788某先生2018/12/06(木) 20:01:09.66
徳島の農業生産力を疑っている人がいるようだが
今年3月に四国山脈(徳島及び高知の東側)の高地農業が世界農業遺産に登録されたのを
知らないのかね? 徳島の高地集落の写真をネットで検索してごらん
30度以上の傾斜地でも作物を生産しているよ
中世に京都の食料を供給したのは徳島がダントツであるのは文献研究で確認されている
  平野部が少ないというだけで判断してたら落第点だね

789日本@名無史さん2018/12/06(木) 21:16:44.53
県西部の急傾斜地農法 「世界農業遺産」に認定  徳島新聞朝刊 平成30年 3月10日

傾斜地農耕システムは、斜度40度にも及ぶ急斜面の畑で急斜面を水平に利用するのではなく、急斜面のまま作物を育てる独自の農法で、
美馬・三好・つるぎ・東みよしの各市町で雑穀や野菜を生産している。 日照量に応じて作物を選び、カヤを土壌流失の防止に役立ててきた。
カヤ場と呼ばれる採草地を確保し、秋にはカヤ刈り、「コエグロ」を作る。先人たちの知恵と技術、工夫が今の剣山系の傾斜地に詰まっている。
急傾斜の畑は、雨などの影響で土が流出しやすいことから、カヤを土にすき込んだり、畝と畝の間に敷き詰めたりする工夫が生み出された。
大型機械は使用できないため、流れ出た土をかき上げる6本刃の鍬「サラエ」など独自の農具も開発された。
栽培されているのは、ソバやアワなどの雑穀やジャガイモ、ハクサイといった野菜のほか果物など少量多品目の作物。
シコクビエやタカキビなど地域固有の品種も生産している。 乾燥させるために刈り取ったカヤを円錐状に束ねて肥料や飼料を保存する「コエグロ」は、
「カヤグロ」とも言われ、地域の冬の風物詩にもなっている。

阿波では古来より、県西部の剣山系山岳集落を指して「空・ソラ」と呼ぶ。  まさにそこは、高天原「空・ソラ」の地なのである。  @阿波

790某先生2018/12/07(金) 16:40:58.15
福井県にある「織田剣神社」の事、知ってますか?
TVでも放映されましたが、織田信長の本家筋ですよね。信長の氏神様です。
福井県知事による当神社の由緒書には「先祖は当神社に代々奉職した神官忌部氏である」と
と書かれています。
中央忌部と阿波忌部の上下関係に誤解があるようですが記録として文書で確認できる
範囲では、阿波忌部の長の位階は中央忌部よりも上位にあります。
長い歴史の中で阿波忌部の長の最高位階は「従4位の下」のようですね。
7位までが天皇に謁見できた高位の貴族たちですが、これら貴族の人数は70〜110人ぐらいですね。
当然、阿波忌部の長は当時の阿波国に住んでいました。多い時は、阿波に住んでいた
忌部族殿上人は10人を超えてたようです。
「中央忌部」なる名称は後世の学者どもが勝手に作った造語で、歴史認識を
誤らせる所業だと思います
忌部族は四国山脈内で力を蓄えた「もともとの阿波人」ですよ。
忌部の祖先である「太玉命が忌部族を阿波に遣わした」ような構成になっていますが
四国山中(高天原)から阿波国(今の阿波市:徳島西部の狭い地域)に送り出したのであって
奈良大和から徳島全県を意味する「阿波国」へ派遣したのではありません。
騙されないように気をつけましょうね。

791日本@名無史さん2018/12/07(金) 16:50:51.60
斎部 広成のチョンボですね。  @阿波

792日本@名無史さん2018/12/07(金) 17:40:38.14
仮に奈良からの派遣だとして
四国の山奥に天皇家の重要出入り業者を置くかね?
今でこそ日帰りできるが、当時は何日もかかるし、命がけじゃないのか

793日本@名無史さん2018/12/07(金) 18:26:41.99
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

794日本@名無史さん2018/12/07(金) 22:56:24.99
阿波は粟であり大宜都、大きな2つの戸の意味で、大分・浮田・讃岐・都月・新月満月・青根・阿殘山脈・楽浪・二つの大きな波・二つの月とも言えるけど
確か、綿花裁倍も盛んだったような歌があった。眉山に干した白い衣の様子を歌った

795日本@名無史さん2018/12/08(土) 08:44:44.09
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 

796日本@名無史さん2018/12/08(土) 16:42:50.10
吉野川で翡翠が取れたんだってよ
邪馬台国に一歩近づいた

797某先生2018/12/08(土) 17:33:50.88
今年7月に、来年の新天皇即位に際しての践祚大嘗祭に供される「アラタエ」の
準備進捗状況を確認いたしたく徳島木屋平の三木氏の館を訪問しました。
三木氏は阿波忌部の直系子孫の家系の方ですね。
標高600M程の山上にあります。
新たに麻を植える畑の造成工事の最中でした。
私は県外居住の者なので県外ナンバーの車で乗りいれたのですが、作業を行っていた
方々から親しくお話を聞くことができました。
皆さん方は多分忌部族系統の人たちのようです。
その時に伺った話の一部です。
6月に皇太子殿下が徳島を訪問されていましたが、宮内庁・県庁の説明は県南にある
大津波の記念碑の視察だそうです。
然しながら、殿下は「来年の天皇即位の前に是非とも徳島を訪れたい」との強い意向にての
日帰りの訪問でした。
その近在に矢鉾神社があります。殿下が皇太子になられたとき公式訪問をされた
神社ですよね。立派な記念碑があります。
この神社にお忍びで再度訪問されたような話を忌部系統と思われる木屋平の人が教えてくれました。
矢鉾神社のご祭神はわかりますよね?
日本全国にこのご祭神を祀る神社は数多ありますが、何故わざわざ殿下が徳島の小さな矢鉾神社を
訪問されるのでしょうね。ガタイの大きい、矢鉾神を祭祀する、神社は他地域に沢山あるのにね。
公務でお忙しい身の方が、津波の記念碑視察だけを目的に日帰りで訪問されるなど考えられません。
あからさまに出来ない理由があるのでしょうね。日本にも様々な人たちがおり利害関係もありますからね。

798日本@名無史さん2018/12/08(土) 17:41:35.93
洗脳されたんだろう

799日本@名無史さん2018/12/08(土) 17:43:12.08
どこそこ、誰々は、偽の〜〜〜〜を祀っている



有名な話みたいだし

800日本@名無史さん2018/12/08(土) 17:46:33.96
そろそろ気づいただろう

頭の病院に行け

801日本@名無史さん2018/12/08(土) 17:50:20.69
テレビとか観ているの?
なぜ人(他人)の家の話を、自分の家の事かのように語っているんだ?とか

そういう話

802日本@名無史さん2018/12/08(土) 17:50:55.94
>>797
>日本全国にこのご祭神を祀る神社は数多ありますが、

「八鉾神社」は大国主神を祀る、全国唯一の延喜式内社ですよ。
この「八鉾神社」には四つの重要文化財が神宝として保管されている。
また「八鉾神社」自体も重要文化財に指定されているので、合計五つの重要文化財を持ち合わせている神社となる。
一つは「大己貴命 木造彫刻立像」
二つ目は「少彦名命 木造彫刻立像」
三つ目が「二品家政所 下文 」
四つ目が「附紺紙金泥法華経」である。

この八鉾神社、阿波では出雲の「杵築大社(出雲大社)」の元社であると伝えられている。  @阿波

【大国主神を祀る、全国唯一の式内社「八鉾神社」】   
https://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/47852915.html?__ysp=44CM5YWr6Ym%2B56We56S%2B44CN44CR

803日本@名無史さん2018/12/08(土) 17:56:27.84
まず、お前たちの言う天皇というのは何なんだ?
説明してみて

テレビに出てくる人?

804日本@名無史さん2018/12/08(土) 17:58:51.73
>>803
>まず、お前たちの言う天皇というのは何なんだ?


「忌部はん」   @阿波

805日本@名無史さん2018/12/08(土) 17:59:44.33
>>804
どこの基地外なんだ

806日本@名無史さん2018/12/08(土) 18:01:51.46
>>805
天皇は「忌部はん」   @阿波

807日本@名無史さん2018/12/08(土) 19:32:45.97
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 

808日本@名無史さん2018/12/09(日) 09:00:14.68
三木家の存在が証左だろうな
天皇は四国の山脈から降りてきた部族
かっこ悪いから天孫降臨と呼んだ

809日本@名無史さん2018/12/09(日) 12:18:35.32
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E6%B1%9F+%E9%AC%B2&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

810日本@名無史さん2018/12/11(火) 07:14:24.13
山の民と海の民との交流―水運
               三木 信夫
 道が整備されていない古代迄の交通路は,水運が徐々に発達し,すでに縄文時代には鳴門市からこの阿南市・海陽町にかけて海運交通のあったことが遺跡からみられます。
 阿南市の若杉山遺跡は,弥生時代に赤い顔料の水銀朱をつくるため,全国唯一の辰砂(しんしゃ)の原産地遺跡でした。
 辰砂=水銀と硫黄化合物の鉱石,辰砂を粉砕して水銀朱を取り出す。
 弥生時代から古墳時代を中心に,遺骸や棺に朱色を塗る風習が盛んに行われて,水銀朱は朱・丹等と呼ばれ使用流通したのです。
 

811日本@名無史さん2018/12/11(火) 07:16:47.98
この遺跡をみますと,板野郡板野町の黒谷川郡頭(こうず)遺跡や名東遺跡などから朱の精製用具等が発見されており,弥生時代終末期(西暦200年頃)の若杉山辰砂が,海や河川を利用して運ばれております。
 若杉山遺跡にある土器類も,吉野川流域土器や鮎喰川上流の結晶片岩の混在した土器,また畿内的土器など各地の土器が混在しており,河川や海を通じて運び込まれています。
すでに若杉山遺跡には,辰砂を運び出す人や食料等を運び入れる人等の組織化された海上交通に関わる集団がいたとも考えられています。
 古代に下りますと,都を起点に諸方に陸上交通である宿駅が整備され,駅路すなわち国道がつくられていきます。
 阿波でも鳴門の撫養から讃岐・伊予・土佐に抜ける南海道と呼ばれる国道があり,それ以外に阿波国から土佐国へ通じる駅路の国道が,おおよそ現在の国道55号線沿いに阿南市から海陽町までの海岸沿いを,
奈良時代初期の養老2年(718)設置され,平安時代初期の延暦15年(796)廃止されるまで,水上交通路と並行して多くの港や津を経て延びていたのです。
 「津」とは陸上交通路と水上交通路が交わる人の集まる交通の要衝に,物資の集積拠点として形成されたものです。

812日本@名無史さん2018/12/11(火) 07:18:57.30
 平安時代972年の延喜式大嘗祭式には,阿波国より麻植郡の忌部氏と那賀郡が由加物すなわちお供え物を調進する事になっていました。
この事は古代より忌部の山の世界と那賀郡の海の世界との「人・物の交流」があり,拠点が水運を利用した吉野川中流域山崎の津であったと考えられます。
 大分すたれてきましたが,吉野川中流域の人達は,南西の方角,剣山(つるぎさん)を中心とした四国山地の方向を指して「ソラ」または「ソラの人」と呼んでいました。
この場合の「ソラ」とは「山」の事です。旧麻植郡山地部の大半を占める旧種野山内にある三木山の頂上近くにある三木家周辺は,
古くより「空地(そらのち)」と呼ばれ,地名も「大字三ツ木字空地」となっていましたが,近年の国の地名編成で大字が削除され「字」が「貢」に変更された為,地名から「空地」が消えたのです。
 この「ソラノチ」への入り口が,吉野川中流域の旧忌部神社がある山崎の地で,山への入り口でもあり,古代より中世まではこのソラ(山)への交通路の起点となっていました。
その為古くからこの山崎は忌部神社の門前市(いち)を通じて吉野川を経由した海の民・平野の民とソラ(山)の民との物産の交易の場として津が形成され,ソラの世界の発展と共に成長してきております。
船を自由に操り水運にたけた海の民が,交易の場に情報や文化を共に運んで麻植の忌部やソラの民を支えてきたのかもわかりません。

813日本@名無史さん2018/12/11(火) 16:58:06.02
美馬は美しい馬
邪馬台国はよこしまな馬
に、匂うぞ

814日本@名無史さん2018/12/11(火) 17:08:41.36
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

815日本@名無史さん2018/12/11(火) 17:34:00.50
銅鐸の使用方法と銅鐸衰退の理由を述べよ
周や三国時代に海外と直接交流したと言える物証は?

816日本@名無史さん2018/12/11(火) 20:39:59.45
中国と直接交渉したのは帥升が初だろうな。

中国皇帝は謁見してくれなかったけど。

次が卑弥呼やろね。

817日本@名無史さん2018/12/11(火) 21:01:30.99
ミマキイリヒコ
に、匂うぞ

818日本@名無史さん2018/12/12(水) 05:16:11.14
おはようございます
四国って
伊都国か耶(韓国カヤ)の末裔じゃないかな
まえに韓国カヤ時代の城壁みて
どこかで見たなあと思ってたら
四国の古墳の石の積みかたと似ていた
韓国カヤ→伊都カヤ→四国かも
韓国と似た地名もある
ただし、私の妄想ですけど。

819日本@名無史さん2018/12/12(水) 06:08:46.47
>>818
>韓国カヤ→伊都カヤ→四国かも

朝鮮半島まで鉄鍛冶素材を取りに行ってるから、運搬ルートはそうだろうね。  @阿波

820日本@名無史さん2018/12/12(水) 15:11:26.53
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

821日本@名無史さん2018/12/12(水) 15:31:03.27
忌部はいつ中臣に負けたの?
んで四国で立場を失って、黒潮に乗って関東を開拓したんだ?

822日本@名無史さん2018/12/12(水) 16:29:43.72
>>821
>忌部はいつ中臣に負けたの?

中臣氏も蘇我氏も元はすべて「忌部はん」 。 「忌部はん」 の内、忌部氏が中臣氏に負けたのは中臣鎌足の頃だろう。


>んで四国で立場を失って、黒潮に乗って関東を開拓したんだ?

関東や日本海を開拓したのは、古墳時代のお話。  @阿波

823日本@名無史さん2018/12/13(木) 07:55:28.63
倭人伝にも「女王国の東、海を渡ること千余里にして、また国あり、皆倭種なり」とある。

縄文時代晩期末より、主に倭国(阿波)の海人族の大人らが東は関東、西は九州、北は北陸まで全国を移動し、

子孫や一族らによる新地開拓や移住・婚姻によって、列島全域に勢力を伸ばした。

また同時に、石器、青銅器、鉄器、朱、農耕技術や軽量薄型土器、墳墓築造などの先進文化・技術を全国に広めていったのである。

824日本@名無史さん2018/12/13(木) 21:17:34.88
まあ、いろいろあちこち読んでみると
「魏志倭人伝に書かれた邪馬台国」は
やっぱ九州だったんだろうな。
でも当時出雲から近畿
四国にもなんらかの勢力はあった。
それを全部
「ウチが邪馬台国じゃあ」って言ってるのが
邪馬台国論争。


ど素人の俺の見解w。

825日本@名無史さん2018/12/13(木) 21:39:37.78
>>824
>まあ、いろいろあちこち読んでみると
>「魏志倭人伝に書かれた邪馬台国」は
>やっぱ九州だったんだろうな。

「やっぱり九州」と思う理由、聞かせてPlease。  @阿波  

826日本@名無史さん2018/12/13(木) 22:14:11.45
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.

827日本@名無史さん2018/12/14(金) 00:39:38.99
いやそれが正論だと思う
真実はどこなのか考えるのが楽しいな

828日本@名無史さん2018/12/14(金) 00:40:23.74
>>824
あんたのコメな

829日本@名無史さん2018/12/14(金) 00:41:24.13
id無しか

830日本@名無史さん2018/12/14(金) 09:53:33.18
徳島は口ばっかり
もっと掘らないとね

831日本@名無史さん2018/12/14(金) 09:58:45.50
>>830
今でも十分だよ。 少し分けようか?  @阿波

832日本@名無史さん2018/12/15(土) 15:06:45.58
「徳島県阿南市水井町若杉山遺跡」・「丹波坑口」・「長生町奥ノ谷遺跡」
出土遺物
@石器(石臼・石杵)
A土器
 甕・広口壺・二重口縁壺、小型丸底鉢、鉢、高杯、器台=生活用具のほとんどがそろっている
 小型丸底坩(弥生X様式後半〜布留式まで)庄内式並行期がほとんど
 土器胎土(結晶片岩・石英・雲母)
B玉類
 蛇紋岩製勾玉
C鉄製品
 刀子・不明鉄製品(やりかんな?)
D自然遺物
 貝片・獣魚骨・人骨片

想定される生産形態
・土器以外の生活用具が少ないが、生活用具のほとんどが揃っている
・籾痕の付いた土器や鹿・猪・貝類=一定期間生活
・岩盤直上に営まれる→近くの集落の人間が農閑期に行う特産的生産レベルのものではなく、
 分業化された専門工人集団の生産
・ハマグリ・オキアサリの成長線分析→採取時期は夏期後半から秋期後半

 若杉山遺跡の採掘作業は、夏季後半から秋季後半に行われていた可能性
              (徳島県立博物館1997・岡山1998)

833日本@名無史さん2018/12/15(土) 15:23:26.53
鳴門・板野古墳群について    「徳島県の歴史散歩(山川出版社)」から抜粋

鳴門市大麻町の山地の麓には、弥生時代終末期から古墳時代前期にかけて、前方後円墳を核とした首長墳が集中する。総称して鳴門・板野古墳群と呼んでいる。

主な古墳は、西山谷2号墳  池谷宝幢寺古墳(県史跡)  天河別神社古墳群(6基・県史跡)  萩原1号墓(消滅)・2号墓  大代古墳(県史跡)  板野の愛宕山古墳(県史跡)

発掘調査で埋葬施設が判明した西山谷2号墳、天河別神社1・2号墳、愛宕山古墳、大代古墳は、いずれも結晶片岩板石積みの竪穴式石室を構築しており、

鮎喰川産の土器を供献するなど、気延山古墳群との親縁性を示している。

西山谷2号墳は全国最古級の竪穴式石室で、石室外周に萩原1・2号墓に類似した一種の囲み壁をつくっている。 積石木槨から竪穴式石室の成立を考える上で興味深い。

近年、東阿波型土器が大和・河内地域の遺跡から相当量出土することをふまえ、大阪府茨木市の将軍山古墳や紫金山古墳、高槻市の闘鶏山古墳を始めとする摂津

・北河内地域に点在する結晶片岩石積みの竪穴式石室について、その用材石室構築技術が、阿波地域から提供されたとみる説が定着しつつある。

鳴門板野古墳群には中国製の銅鏡の副葬がみられるのも特徴である。

板野・鳴門古墳群
http://ktmrj15.webcrow.jp/p36ts/tpx14042619maibun.htm

834日本@名無史さん2018/12/15(土) 15:41:21.79
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 

835日本@名無史さん2018/12/15(土) 21:04:39.39
阿波は状況証拠ばかりで決め手が無い

836日本@名無史さん2018/12/15(土) 21:09:19.27
俺は徳島阿波の人間なんだけど
昔から居たよ邪馬台国阿波説のオッサン
小中学生の俺は何をトンデモ説を言ってんだこのオッサンと思ってたが
知識を蓄えた上でこのスレの阿波さんの話聞いたら
教団に入会したくなった

837日本@名無史さん2018/12/15(土) 21:42:31.67
>>835
>阿波は状況証拠ばかりで決め手が無い

もしかして、その「決めて」って、みなさん得意の「トンデモ妄想」のこと? 
それにはとても太刀打ちできません。  @阿波

838日本@名無史さん2018/12/16(日) 08:22:04.68
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E6%B1%9F+%E9%AC%B2&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

839日本@名無史さん2018/12/17(月) 17:30:26.65
「蓮華谷古墳群」

当物件は、平成2年に四国縦貫自動車道建設に伴い発掘調査された板野郡板野町犬伏所在の蓮華谷古墳群(U)二号墳の出土品である。

調査により古墳時代前期(3世紀後半〜4世紀)の粘土槨を持つ円墳であることが判明し、本県の粘土槨の始原を考える上で重要な古墳である。

副葬品には銅鏡1、鉄製武器工具(鉄刀1、鉄剣1、鉄斧1、鉄鉇1)、装身具(翡翠勾玉1、碧玉管玉11)、土師器壺1があり、徳島県立埋蔵文化財総合センターで展示されている。

前期古墳の出土資料は全国的にみても数少なく、特に銅鏡は仿製鏡の古墳への副葬開始時期を考える上で重要な資料である。

蓮華谷古墳群(U)二号墳出土品
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/renge.html

840日本@名無史さん2018/12/17(月) 19:27:47.78
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

841日本@名無史さん2018/12/17(月) 21:11:36.84
「カネガ谷遺跡」

出土した弥生土器・石器から、弥生時代後期初頭の集落であることが分かった。

特に、注目される遺物として朝鮮半島で作られたと思われる青銅鏡や鉄斧が出土した。

http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%CC%C4%CC%E7%BB%D4%2F%A5%AB%A5%CD%A5%AC%C3%AB%B0%E4%C0%D7

842日本@名無史さん2018/12/18(火) 08:23:13.06
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

843日本@名無史さん2018/12/19(水) 12:10:06.83
阿波が脚光浴びないのはやっぱり宮内庁のせい?

844日本@名無史さん2018/12/19(水) 12:17:20.08
>>843
>阿波が脚光浴びないのはやっぱり宮内庁のせい?

いや、それよりも徳島県歴史教育関係機関のせい。  @阿波

845日本@名無史さん2018/12/20(木) 08:49:04.03
明治天皇が眉山に神武天皇像を作らせたってマジ?
なぜ?

846日本@名無史さん2018/12/20(木) 12:56:16.66
「眉山に神武天皇像がある理由」
http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2014/11/10/224730

847日本@名無史さん2018/12/20(木) 13:04:42.67
「私は眉山(以の山)が古代天皇、古代皇族所縁の聖なる山であるからと考えています。」


天皇家はその真実を知っているから・・・ 

因みに宮崎は個人建立の営業用だとかw  @阿波

848日本@名無史さん2018/12/20(木) 13:37:44.79
アワの得意な「踊る宗教」

849日本@名無史さん2018/12/20(木) 20:32:46.64
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.

850日本@名無史さん2018/12/21(金) 15:46:04.45
阿波は存在ごと隠さないと皇族とユダヤの関係がバレてしまう

851日本@名無史さん2018/12/22(土) 15:20:48.22
大嘗祭の三種の御前のソースって道は阿波より始まる だけ?

852日本@名無史さん2018/12/22(土) 17:21:00.16
林 博章(はやし ひろあき)
平安時代972年の延喜式大嘗祭式には,阿波国より麻植郡の忌部氏と那賀郡が由加物すなわちお供え物を調進する事になっていました。
この事は古代より忌部の山の世界と那賀郡の海の世界との「人・物の交流」があり,拠点が水運を利用した吉野川中流域山崎の津であったと考えられます。
大分すたれてきましたが,吉野川中流域の人達は,南西の方角,剣山(つるぎさん)を中心とした四国山地の方向を指して「ソラ」または「ソラの人」と呼んでいました。
この場合の「ソラ」とは「山」の事です。旧麻植郡山地部の大半を占める旧種野山内にある三木山の頂上近くにある三木家周辺は,古くより「空地(そらのち)」と呼ばれ,
地名も「大字三ツ木字空地」となっていましたが,近年の国の地名編成で大字が削除され「字」が「貢」に変更された為,地名から「空地」が消えたのです。
この「ソラノチ」への入り口が,吉野川中流域の旧忌部神社がある山崎の地で,山への入り口でもあり,古代より中世まではこのソラ(山)への交通路の起点となっていました。
その為古くからこの山崎は忌部神社の門前市(いち)を通じて吉野川を経由した海の民・平野の民とソラ(山)の民との物産の交易の場として津が形成され,ソラの世界の発展と共に成長してきております。
船を自由に操り水運にたけた海の民が,交易の場に情報や文化を共に運んで麻植の忌部やソラの民を支えてきたのかもわかりません。

853日本@名無史さん2018/12/22(土) 17:21:20.12
新天皇の即位後、最初に行う皇室の重要儀式「大嘗祭」では、阿波の氏族「阿波忌部」が麻で織った反物「麁布(あらたえ)」を調進してきた歴史がある。
阿波忌部の子孫として大嘗祭に関わった旧家の古文書や貴族の日記から、阿波と朝廷祭事のつながりを紹介する。
阿波忌部の子孫と伝わる旧家は、美馬市木屋平の三木家住宅(国指定重要文化財)当主の三木信夫さんだ。
大嘗祭の祭祀具である麁布との関りを示す古文書(県指定文化財)を所有している。
古文書からは、三木さんの先祖が13〜14世紀の亀山・後伏見・花園・後醍醐・光厳・光明の各天皇に、麁布を調進(朝廷から頼まれて作り納める意味)したとされる。
どの文書にも、天皇の命を受けた都の役所が、阿波忌部に麁布の制作を頼むため、阿波国司に天皇の使者、勅使を送るという内容が記されているそうだ。
「大嘗祭の儀式は、平安時代の法令集『延喜式』でわかる。しかし、麁布を調進する際の手順は古文書でしかわからない」と三木さん。
大嘗祭は、南北朝〜江戸時代の政情不安時は中断したほか、行われた時も阿波の麁布が調進されないことがあっという。
「そうした時は、朝廷の役人が阿波忌部の代行を務めたことを示すため、麻布に『忌部所作代』と表示した」
また、南北朝時代の光明天皇以来、577年ぶりに阿波忌部の麁布調進を復活させたのが大正天皇の大嘗祭だった。
信夫さんの祖父宗治郎さんが携わり、昭和天皇にも調進。信夫さんも1990年11月、地域住民の協力を得て今上天皇の大嘗祭で奉仕した。
阿波忌部と麁布を巡る文献では、大和朝廷の初期から51代平城天皇まで麁布を調進したと記している平安時代の「古語拾遺」(807年)もある。
「これら2点が出た後、しばらくは資料が見つからない。そして11世紀になると、貴族の日記から分かるようになる」と言うのは、中世史研究者で県埋蔵文化財センターの福家清司理事長。
後鳥羽天皇に関する「山槐紀」(1184年)には「阿波の荒妙神服(あらたえかむみそ)の事だが、平家が四国に居て交通が途絶。期限のあることについてどうするのか」などと書かれているという。

854日本@名無史さん2018/12/22(土) 17:21:48.51
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 

855日本@名無史さん2018/12/25(火) 20:40:28.41
せっかく遊びに来てやったのに、三年経って1スレ消化してないって舐めてんのかよw
マイナーっていうかトンデモだろw
畿内説カルト以下w

856日本@名無史さん2018/12/25(火) 20:44:00.93
阿波には真っ黒い顔した汚い坑夫の
寂れた集落があっただけ

857日本@名無史さん2018/12/25(火) 20:57:07.19
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

858日本@名無史さん2018/12/26(水) 10:38:28.63
徳島は78万人の割に頑張ってるよ
畿内、九州の何分の1の人口って話

859日本@名無史さん2018/12/26(水) 10:56:33.89
これだけ状況証拠が揃ってるのにスルーされてる四国は闇深い

860日本@名無史さん2018/12/26(水) 23:57:17.18
徳島は朝廷との繋がりが強いので
京都人が忘れた京都弁が多いよ
お前がつこてんの実は京都弁やで

861日本@名無史さん2018/12/27(木) 06:06:46.43
>>859
>これだけ状況証拠が揃ってるのにスルーされてる四国は闇深い

発掘数が少ないにも関わらずにね。 
いつまでスルーし続けるのか、ある意味たのしみ。  @阿波

862日本@名無史さん2018/12/27(木) 07:42:46.25
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

863日本@名無史さん2018/12/27(木) 08:55:46.57
倭では伊都國に王がいるんだから他の地に王はいない
伊都國の王以外で王を自称しているのは狗奴国の王だけ
伊都國の王が女王卑弥呼である。

864日本@名無史さん2018/12/27(木) 12:06:34.90
>>863
>倭では伊都國に王がいるんだから

伊都国では代々王(筑紫忌部)がいる。  @阿波

865日本@名無史さん2018/12/27(木) 12:30:18.26
筑紫忌部って何だw
妄想ですかwww

866日本@名無史さん2018/12/27(木) 20:30:26.74
>>863
じゃあ邪馬臺国には誰がいたん?

867日本@名無史さん2018/12/27(木) 20:33:56.70
>>863
伊都国の王は女王国に統属していると書かれている。
伊都国王が女王卑弥呼だったら、どういう意味だ?

868日本@名無史さん2018/12/28(金) 00:28:06.42
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.

869日本@名無史さん2018/12/28(金) 15:34:57.01
>>852
わざわざ阿波から海産物を運んでこなくても
伊勢や若狭湾の方が近くて新鮮なのに
阿波に拘る理由って

870日本@名無史さん2018/12/28(金) 15:44:48.26
>>867
それは誤読です
「皆統屬女王國」この皆は倭の国々のことで
倭の国々は皆、女王国に統属していると書かれているんです。

同じところが魏略では「其国王皆属女王也」
その(倭)国の王は皆、女王に属するなり。

皆は倭の国々又は倭国の王達です
魏志倭人伝では女王国だから倭の国々
魏略では女王だから倭の王達。

871日本@名無史さん2018/12/28(金) 15:56:06.60
>>870
それは「恣意的」誤読です
「皆統屬女王國」この皆は伊都国のことで
伊都国の代々の王は、女王国に統属していると書かれているんです。  @阿波

872日本@名無史さん2018/12/28(金) 16:13:22.73
>>871
三国志の魏書で世有は魏の世を指します
従って魏の世に伊都国に王が居たが本来の意味です
代々と訳しても魏の世限定です
ここで代々と訳す必要は無いんだけど
皆を伊都国の代々の王としたい人が無理に訳したのです。

873日本@名無史さん2018/12/28(金) 16:15:16.48
【憲法九条は対バカウヨ条項″だった!?】 死者600万人も、海軍と皇族は生き延び、権力も保持
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1545975199/l50

874日本@名無史さん2018/12/28(金) 16:24:02.31
>>872
>従って魏の世に伊都国に王が居たが本来の意味です

それでも別にいいんだけれど、伊都国には王がいて、邪馬台国には「女王」が居たということ。  @阿波

875日本@名無史さん2018/12/28(金) 16:39:59.64
>>874

その伊都国の王は、筑紫の「忌部はん」 なんだけどね。  @阿波

876日本@名無史さん2018/12/28(金) 17:41:27.16
卑弥呼も神武も忌部なのか?

877日本@名無史さん2018/12/28(金) 17:46:37.32
>>876
>卑弥呼も神武も忌部なのか?

もちろん、「忌部はん」 だよ。  @阿波

878日本@名無史さん2018/12/28(金) 17:47:23.17
阿波には王の存在を示す威信財がない

879日本@名無史さん2018/12/28(金) 17:50:57.03
>>878
>阿波には王の存在を示す威信財がない

で、どこにあるんだい?  @阿波

880日本@名無史さん2018/12/28(金) 18:06:21.68
忌部はユダヤの血が入ってたから賢く文明的で
パイオニア精神旺盛だった
ユダヤの血を恐れてヤマト朝廷から封印され
現代まで続く

881日本@名無史さん2018/12/28(金) 20:13:33.65
>>879
阿波に何かある?

882日本@名無史さん2018/12/28(金) 20:20:01.56
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

883日本@名無史さん2018/12/28(金) 20:20:20.90
>>881
>阿波に何かある?

なにが欲しい?

で、「阿波には王の存在を示す威信財がない」と言うが、
「王の存在を示す威信財」があるのはどこなんだい?  @阿波

884日本@名無史さん2018/12/28(金) 20:25:26.91
侯王墓に副葬されるセット品のこともしらんのか

885日本@名無史さん2018/12/28(金) 20:27:16.03
>>884
>侯王墓に副葬されるセット品のこともしらんのか

ハハハ、なんだいそれ?  @阿波

886日本@名無史さん2018/12/28(金) 20:27:59.75
徳島の米津玄師はいいけどなあ
うどん屋と他は?
四万十川で泳いでみたい
いつか

887日本@名無史さん2018/12/28(金) 20:29:10.81
>>886
>四万十川で泳いでみたい

穴吹川もお勧め。  @阿波

888日本@名無史さん2018/12/28(金) 20:42:47.03
>>885
話にならんな

889日本@名無史さん2018/12/28(金) 20:51:07.85
>>888
>話にならんな

そだね。  @阿波

890日本@名無史さん2018/12/28(金) 21:44:29.38
徳島の、穴あきレンコンと金時イモは知ってる。
あとはカワウソ

891日本@名無史さん2018/12/28(金) 21:47:53.61
徳島といえばタヌキだぞ

892日本@名無史さん2018/12/28(金) 21:52:19.77
徳島のタヌキの墳

893日本@名無史さん2018/12/28(金) 21:55:03.06
金長まんじゅうプリーズ!

894日本@名無史さん2018/12/28(金) 21:56:33.54
マジレスすると四万十川とカワウソは高知じゃきに

895日本@名無史さん2018/12/28(金) 21:56:50.76
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

896日本@名無史さん2018/12/28(金) 22:05:53.96
金ちゃんラーメンプリーズ!

897日本@名無史さん2018/12/28(金) 22:06:58.17
そうか、むかしむかし徳島にもカワウソいたと聞いたが、
あれはウソだったのか

んじゃ、近年はコウノトリかな。大群で5ちゃんとレンコン畑を荒らしとるらしいが

898日本@名無史さん2018/12/28(金) 22:23:54.62
@阿波は留守がちなのか
タヌキとカワウソの墳だらけというのに、、、

899日本@名無史さん2018/12/28(金) 22:33:52.40
>>897
カワ「ウソ」だけにw

むかしむかしなら、徳島にもたくさんいたと思うよ
カワウソが高知だっていうのは、最後の目撃場所だからだし

900日本@名無史さん2018/12/28(金) 22:41:33.99
徳島には、婦人物の高級下着メーカーかなんかあったと聞いたが、
あれもウソだったのか

901日本@名無史さん2018/12/28(金) 22:50:43.11
@阿波は「雄叫びをあげながら九州で一日中祈祷してる」www  

902日本@名無史さん2018/12/28(金) 22:51:01.75
たらいうどん

903日本@名無史さん2018/12/28(金) 23:02:07.83
土柱

904日本@名無史さん2018/12/29(土) 01:10:23.19
阿波踊り

905日本@名無史さん2018/12/29(土) 01:29:51.92
阿波おどりは一回やってみ
楽しいで

906日本@名無史さん2018/12/29(土) 03:16:50.69
かづら橋

907日本@名無史さん2018/12/29(土) 08:43:29.50
纏向遺跡から約500粒の大量の麻種子が発掘されたってホント?
麻といえば阿波やん

908日本@名無史さん2018/12/29(土) 08:44:47.91
小松島市に阿波赤石駅があるけど
赤石が海を渡って明石になったの?

909日本@名無史さん2018/12/29(土) 08:48:43.53
>>907
>纏向遺跡から約500粒の大量の麻種子が発掘されたってホント?

知らんけど、とうぜん有り得る話だよ。  @阿波

910日本@名無史さん2018/12/29(土) 08:54:43.32
大歩危・小歩危

911日本@名無史さん2018/12/29(土) 08:56:36.40
若杉山遺跡見学  @阿波

912日本@名無史さん2018/12/29(土) 10:08:51.33
古代以来、阿波は何回か南海地震と大津波に襲われたんでないの
平地の目ぼしい遺跡は、壊れて流されたんだろ

913日本@名無史さん2018/12/29(土) 10:14:54.35
特に、県南沿岸部の貴重な遺跡は、相当数流失しただろうね。  @阿波

914日本@名無史さん2018/12/29(土) 10:16:59.31
阿波さんがよそを荒らして回らず、ここで四国説を説明してくれるのが本当に嬉しいです。

915日本@名無史さん2018/12/29(土) 10:24:57.26
>>914
荒らしと取るか、新事実と取るか、そこが分かれ目。  まぁ、耳が痛くなるとは思うけれどw 阿波

916日本@名無史さん2018/12/29(土) 10:32:55.45
西暦元年頃に、超巨大津波があって、30mくらいだったそうじゃないか。
その津波の先端は、阿波市と美馬市の境くらいまで来たことになる。
その後、弥生人が復帰したとして、ま、大変だっただろう。
さらにその後も20mラインまでの津波が、2回か、3回来てるから、
残った遺跡は、北の山麓の県道と高速道路のあいだ辺りかな。。。

917日本@名無史さん2018/12/29(土) 10:42:14.37
徳島は秦の名字が多い
天皇=渡来系を隠す為に阿波は消されたんじゃないのか

918日本@名無史さん2018/12/29(土) 11:03:47.84
大雑把にいって、県道12号線は標高30mラインよりちょっと上を通っている。
この高さなら、大津波からセーフだったのだろう。
つまり古代人が選んだ安全陸行路を基礎に、後世の県道12号線ができたように見える。
吉野川の南は標高が低いので、あらかた全滅。
古代遺跡や古い神社の調査研究は、現代・将来の安全にも、大いに役に立つのだ。

919日本@名無史さん2018/12/29(土) 11:12:21.62
考えたら徳島と奈良和歌山には縄文顔が多い気がする

920日本@名無史さん2018/12/29(土) 11:22:44.18
秦氏は4世紀以降にやってきたから、大津波の伝承も恐怖感もなかったとおもう。
だから、遠慮なく平地に進出したのではないか。
山寄りに縄文顔、川筋に秦氏顔?

921日本@名無史さん2018/12/29(土) 11:41:42.11
『和名抄』 阿波国板野郡の郷名に「田上」がある。 阿波の田上郷は鳴門市大麻町坂東に比定されている。
この郷の民の一部を記した延喜2年の「田上郷戸籍断簡」が遺っている。23氏487口の名簿である。
この「田上郷戸籍断簡」の中には、帰化人系の氏である「服部(はとりべ)」、「錦部(にしきべ)」、「漢人(あやひと)」、「秦(はた)」が見える。
このうち漢人(あやひと)を除く三氏はすべて衣手(職業集団)である。

この「田上郷戸籍断簡」により、倭国(阿波)に半島帰化人が来ていた事実が分かる。  @阿波

922日本@名無史さん2018/12/29(土) 12:09:48.87
県道12号線は、坂東駅付近で北に迂回している。このあたりの12号線は標高20mライン。
しかし坂東駅一帯は標高10〜15m。
帰化人たちは津波の恐ろしさを知らなかったので、
いい土地がなんぼでも空いてるじゃん・・・、といって喜んで低地に進出したのではないかな。、、

923日本@名無史さん2018/12/29(土) 15:47:34.21
@阿波は、
正月用のアワモチ搗きと、徳島ラーメンの麺こねくりまわしと、鳴門金時を蒸かすのに忙しいのか、、、

924日本@名無史さん2018/12/29(土) 16:00:29.89
話は全然変わるが
俺徳島県人ね
徳島ラーメンなるものが発生してびっくりした
そんなもんあるかいと思ったが帰省して食ってみた
うん
不味くはないという程度だな
てかトンコツじゃん
中華そばの美味しいのが食べたい

925日本@名無史さん2018/12/29(土) 18:03:39.19
>>924
剣山!

926日本@名無史さん2018/12/29(土) 18:08:55.50
◇徳島・美馬で洋ランの逸品展(読売新聞・徳島版)
>全国の栽培家が手がけたシンビジウムの逸品展が、美馬市脇町の洋ラン展示・販売施設「あんみつ館」で開かれている。
>20回目となる今年は約200鉢を展示。同館によると品種、色合いとも変化に富み、
>葉と花のバランスがとれた作品が多いという。
>大賞に選ばれた西川園芸場(香川県)の「ウインターワルツ」は、花の形が均等に丸みを帯び、
>淡いピンクに縁取られた花びらで、愛らしい姿が際立つ。

ふーん、徳島は、ガラッパチばかりじゃないんだ、驚き・・・。

927日本@名無史さん2018/12/30(日) 06:35:31.51
>>926
>ふーん、徳島は、ガラッパチばかりじゃないんだ、驚き・・・。

君の遠いご先祖様のふるさとだよ。 敬意を払いなさい。 不届き者。  @阿波

928日本@名無史さん2018/12/30(日) 08:46:20.92
神道、神社は阿波発祥?

929日本@名無史さん2018/12/30(日) 08:59:57.56
神道、鳥居と言えばやっぱり忌部の郷でしょう。

忌部の郷 徳島県吉野川市山川町忌部山字黒岩 

「忌部神社旧社地 真立石(上古神社鳥居)」   @阿波

http://i.imgur.com/aaVKHYN.jpg

930日本@名無史さん2018/12/30(日) 12:11:45.12
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 

931日本@名無史さん2018/12/30(日) 12:14:18.63
不届き者で〜す。
今年はもう残り少ないので、
新年からは、神道の祖アワヒトには、特に敬意を表することといたしましょうぞ。

932日本@名無史さん2018/12/30(日) 13:06:22.23
良き心構えじゃ。  @阿波

933日本@名無史さん2018/12/31(月) 14:26:34.65
剣山を発掘した方が早いだろう
ユダヤ人の観光客いっぱい来るよ
テレ東あたりソロモン発掘番組やらないかな〜

934日本@名無史さん2018/12/31(月) 18:25:15.89
阿波さん、こんなとこで宣伝するよりwikiでも書きなはれ

935日本@名無史さん2018/12/31(月) 22:30:24.73
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E6%B1%9F+%E9%AC%B2&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

936日本@名無史さん2019/01/01(火) 18:20:57.23
神武の嫁はタタラ姫
多々羅川
に、におうぞ

937日本@名無史さん2019/01/01(火) 19:39:38.39
国府の道の駅は作らないんだ
あそこ矢野遺跡だよね?残念

938日本@名無史さん2019/01/01(火) 21:45:16.96
NHK紅白歌合戦、ラスト3に登場した米津玄師は徳島出身だってな
徳島にナウい有名人いるじゃないか

その中継は、あの大塚製薬の大塚国際美術館から。美術館としては、なんと日本一高い入場料だとさ。
世界の名画を写真に撮って陶板に焼き付けた、陶板複製展示館として有名らしい。
なんせ、陶板の色合いは2000年間持つという触れ込みで、
卑弥呼の柔肌の色合いも、現代に残る勘定だ。
アワヒト侮れぬと知ったこの年末。

939日本@名無史さん2019/01/02(水) 00:51:13.48
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

940日本@名無史さん2019/01/02(水) 07:08:13.79
>>937
>あそこ矢野遺跡だよね?残念

そうだね。  あの辺り一帯、目が眩む遺跡が確実に、そして無数に眠っているのにね。 残念。  @阿波 

941日本@名無史さん2019/01/02(水) 09:13:48.51
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

942日本@名無史さん2019/01/02(水) 20:43:33.18
大塚国際美術館は、標高40m余の高さにある。
巨大津波で前後の高速道路が流されても、此処だけは2000年間大丈夫だろう。
さすが超一流企業だけあって、考えるところは考え、見るところは見てるな、感心した!。

943日本@名無史さん2019/01/02(水) 20:56:47.11
事のついでに、
宮崎市の生目古墳群は標高30〜40m、西都市の西都原古墳群は50〜60mあたりだ。
南海トラフに面する大古墳群は、古代の津波伝承の上に築かれたように思える。
その割には、近辺の市街地は低地にあるな。
次の大津波で滅びる町・村邑も、少なからずあることだろう。

944日本@名無史さん2019/01/03(木) 09:32:31.01
>>705
垂仁天皇はイクメイリヒコ
クメということは石井の天皇かい?

945日本@名無史さん2019/01/03(木) 12:03:21.35
矢野や石井は卑弥呼時代前後の王都だから。  @阿波  

久米一族については、徳島県石井町の久米勝夫氏による、全国の久米氏を調査した資料「久米一族の調査研究」によれば、昭和55年現在、全国の久米姓は5461戸。
一般的に言われる久米氏の本拠地は大和国久米(奈良県橿原市)であるはずだが、奈良県に在する久米姓は、わずか43戸(当時)、徳島県は540戸となっていた。
一方、徳島県内では徳島市と石井町に集中している。
さらに言えば、矢野遺跡や観音寺遺跡などのある国府町の気延山付近を「気延の庄」、気延山を挟んだ北を「久米の庄」と呼んだそうである。
まさに、全国の久米姓の本拠地は徳島県石井町近辺なのである。

946日本@名無史さん2019/01/03(木) 18:20:17.55
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

947日本@名無史さん2019/01/03(木) 19:03:06.04
道の駅 卑弥呼の里

948日本@名無史さん2019/01/04(金) 18:10:30.33
石井には天孫降臨で登場する天津久米命を先祖とする久米族と、曽我氏の流れである
久米族が同居しているね。聖徳太子の弟君である久米王の領地伝承がやはり石井に
残っています。太子と曽我氏の関係を考慮すると曽我氏の流れである久米族の存在も
理解できます。両久米族の人たちは三好氏が阿波を支配する迄は地域の豪族でしたが、
三好氏との戦いに敗れた後、江戸時代には没落しましたが、家長的な人たちには
苗字帯刀を許された特別な人たちでした。

949日本@名無史さん2019/01/04(金) 18:46:18.40
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.

950日本@名無史さん2019/01/04(金) 19:41:43.41
>石井には天孫降臨で登場する天津久米命を先祖とする久米族と、
、、
球磨地方がルーツといわれる「久米族」とは、この天津久米命だったのではないか。
地元の人たちは、球磨地方こそ久米族の狗奴国と考えているようだが、
卑弥呼の鬼道支配に対し、卑弥弓呼は弓を匠にする種族だったと理解すれば、よく符合する。、

951日本@名無史さん2019/01/05(土) 11:49:17.46
>>940
立石が市長になったら変わるかな?
今の市長は歴史に興味あるように見えない

952日本@名無史さん2019/01/05(土) 12:55:35.31
>>951
今、阿南市や海部などの県南が力を入れてるね。  @阿波

953日本@名無史さん2019/01/05(土) 17:18:40.66
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

954日本@名無史さん2019/01/06(日) 09:43:02.61
徳島の長寿大クスノキ
>徳島県三好郡東みよし町には、1956年7月19日、文化財保護法により特別天然記念物に指定された大クスがある。
>これは樹齢数千余年と推定され、根回り19メートル、目通りの周囲約13メートル、枝張りは東西経45メートル、
>南北経40メートル、高さ約25メートルである。
樹齢数千年は驚きだなあ。阿波国より古い。

955日本@名無史さん2019/01/06(日) 09:52:39.95
>樹齢数千年は驚きだなあ。阿波国より古い。

「阿波で千年、京で千年」  @阿波

956日本@名無史さん2019/01/06(日) 10:04:37.57
>>954

徳島県三好郡東みよし町は「阿遲鉏高日子根神(別雷神)」の郷。

「阿遲鉏高日子根神」は「大国主神」と「多紀理比賣(須佐之男命の子)」の間に生まれた神で、「加茂の大御神」とも呼ばれている。    @阿波

957日本@名無史さん2019/01/06(日) 10:26:19.34
三好郡東みよし町であれば、太古の昔から津波は来たことがなかったであろうな。
格式高き古宮が、多々あって当然のこと。
阿波で千年、京で千年もうなづける。

958日本@名無史さん2019/01/06(日) 11:13:36.57
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 

959日本@名無史さん2019/01/06(日) 19:46:02.78
矢野遺跡を吉野ケ里遺跡みたいに整備すれば
観光スポットになるんじゃないの?

960日本@名無史さん2019/01/06(日) 20:46:02.28
他にもいっぱいあるよ。 例えば古事記巡りツアーとか。  実際、某古代研究会ではバス研修している。 
若杉山遺跡観光もいいね。     @阿波

961日本@名無史さん2019/01/06(日) 21:50:25.19
矢野遺跡の弥生層の上下には、
大津波に洗われた痕跡があったのではないかな。
そういうのを、展示・説明すれば、怖いもの見たさに、わんさと人は集まるぞ、ゾ、ゾ、ゾー

962日本@名無史さん2019/01/07(月) 09:07:40.75
矢野遺跡なんて誰も知らないって
徳島は観光弱いのになんでプッシュしないの

963日本@名無史さん2019/01/07(月) 10:44:02.66
>>962
徳島県人自体が無知だからw   まさか徳島にそんな大それたものが在る訳が無い、とね。 @阿波

964日本@名無史さん2019/01/07(月) 11:05:39.93
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E6%B1%9F+%E9%AC%B2&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

965日本@名無史さん2019/01/07(月) 11:32:51.17
大それたヒトが居て、大活躍してるのは確かだが・・、

966日本@名無史さん2019/01/07(月) 11:49:29.69
佐賀だって同じような民度だろう
なぜ吉野ケ里遺跡と差がついたのか

967日本@名無史さん2019/01/07(月) 13:13:25.16
年中、阿波踊りの練習に忙しいからではないかな

968日本@名無史さん2019/01/07(月) 13:36:11.10
吉野ヶ里は、戦闘用のむらであった。
しかし、やがて多くの人々は去り、打ち捨てられたが、平和がやってきたのだろう。
つまり、歴史の表の華やかなりし時代と、その裏側の両方をかいま見せた。
踊るあほうのにぎやかしばかりでは、人々は評価してくれない。

969日本@名無史さん2019/01/07(月) 21:02:18.37
吉野ヶ里が一過性のブームに終わらず観光地として生き残れたのは
福岡と長崎の中間で、観光バスが立ち寄りやすかったから
という指摘を見たことがある

970日本@名無史さん2019/01/07(月) 21:12:07.58
魏志倭人伝に記録された倭の地名のうち、
邪馬台国をはじめ、北部九州の國々などは全て倭の現地地名からの表音文字。

表意文字の地名はわずかに、朱儒國、黒歯國、裸國、のみ。

「朱」儒國の候補地って、考古学問的に、阿波一択じゃないのか?


当確おめでとう!阿波!

阿波踊りの起源が裸踊りじゃなくて本当によかったな!

971日本@名無史さん2019/01/08(火) 13:15:52.90
>>969
南環状線が完成すれば矢野遺跡までのアクセスが良くなるけど
グズグズしている
知事変えないとな

972日本@名無史さん2019/01/11(金) 01:57:20.02
なんでもかんでも阿波説があるが大丈夫なのか
キリストとかアークとか

973日本@名無史さん2019/01/11(金) 09:17:42.54
わかってるのは飛鳥時代は丸ごと四国阿波ってことぐらい
邪馬台国(以前)の世界は想像に過ぎない

974日本@名無史さん2019/01/12(土) 00:40:38.02
アスカ時代の証拠は?え

975日本@名無史さん2019/01/12(土) 07:12:09.11
>>974
>アスカ時代の証拠は?え

状況証拠のひとつ

徳島市国府町府中の式内社 大御和神社は神社拝殿上に「文武天皇(七〇二年)の御宇、この閤宮(こうのみや)より、国璽の印と国庫の鍵を差し出した」と記されています。

(国璽の印とは国家の表章として押す宮印で、帝都が阿波にあったことを証明するもの)  @阿波

http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2015/02/03/231418

976日本@名無史さん2019/01/12(土) 09:31:29.72
胡散臭い邪馬台国より確実な阿波飛鳥時代をプッシュして行った
方がいいと思うけどね
歴史の教科書はいまだに奈良
これだけは絶対変えないと

977日本@名無史さん2019/01/12(土) 09:32:45.21
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

978日本@名無史さん2019/01/12(土) 11:16:32.94
奈良藤原京より先の時代、7世紀中頃の阿波の役人は木簡に習字をしていた。

阿波国国府町の観音寺・敷地遺跡から出土した7世紀中頃の論語木簡は、日本で一番古い出土木簡である。

ちなみに、同遺跡から円面硯・風字硯・須恵器蓋転用硯、上級貴族が使用する油杯(燈明)など官衙有数の資料が重要文化財に指定されている。

ではなぜ、奈良藤原京より先の時代に、阿波の地にそれらが存在したのか。

それは、7世紀終末頃に阿波から奈良へ遷都(藤原京)する直前まで、阿波に倭の王権・王都があった証である。

阿波国府推定地に隣接する観音寺・敷地遺跡出土品(重要文化財指定)
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/213354
http://awakouko.info/modules/webphoto/index.php/photo/203/

こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。  @阿波

979日本@名無史さん2019/01/12(土) 12:14:46.80
他には?

980日本@名無史さん2019/01/12(土) 12:26:16.98
泡も金印か銀印ぐらいないのかな
福岡の金印の博物館は、金印だけでお客いっぱいだぞ
何年間も経済効果半端ないよ
 
親魏倭王の印鑑でも探しますか

981日本@名無史さん2019/01/12(土) 12:50:08.91
@阿波が偽造しそうだなw

982日本@名無史さん2019/01/12(土) 17:18:31.53
>>980
>親魏倭王の印鑑でも探しますか

たぶん、ご神体気延山の円墳に奉納されてるよ。 だから、探しても無駄。  @阿波

983日本@名無史さん2019/01/12(土) 19:18:51.23
金印が田圃から出てきたという話に如何ほどの価値があるのかね
価値ある金印が田圃の中で発見されたなどの戯言を信じるなど理解できないよ
裏があると推測するのが普通の人々だよ
徳島国府の大御和神社には「保管していた国璽を朝廷に返却した」との記録がありますね
この返却年次後、諸国に各々の国印を作るよう指令がでています
この大御和神社には奈良の大神神社の宮司さんが挨拶に来られるようです

984日本@名無史さん2019/01/12(土) 22:31:07.00
>さっきから、どこどこは低身長とかいうのがたくさんあるけど、侏儒は人長三,四尺だから
>10センチ低いとかではないんだよ
>魏晋尺は23センチだから、三、四尺なら69センチとか92センチとか、1メートル以下になる
>もっとも身長が低い短身種族のネグリロでも身長137〜159cm

・侏儒國は表意文字。(北部九州の説明は倭語に対応した表音文字)
・朱が其の山に有る、ではなく、侏儒國では朱を産出していた
・考古学的に朱を産出していたのは阿波のみ

侏儒國に阿波が含まれているのは考古学的に確定。
若杉山遺跡で見つかった朱を採取した坑道跡の大きさは、
奥行き約14メートル、高さは約70〜90センチ。

『高さは約70〜90センチ』

985日本@名無史さん2019/01/13(日) 09:52:30.92
最古の論語木簡が阿波
儒教は最初、阿波に入ってきた
朱の取れる儒教の国=侏儒國

986日本@名無史さん2019/01/13(日) 13:25:04.61
皇統の源聖地ともいうべき、高天原ってのは四国だと思う。
そこから天子の多くは中国地方に天下ったり、国譲りがあり、
特に天「子」か「孫」かわからんがニギハヤヒ系は畿内に定着し、天「孫」であるニニギ系は九州に天下って定着した。
その後の神武東征っていうのはお家騒動の話。
以降、ニニギ神武系は正統権を得て畿内の各地に勢力を広げた。
(この時点ではまだ大王レベルとはいえず将軍ランクだった)

987日本@名無史さん2019/01/13(日) 13:27:12.46
前方後円墳を一番に卒業するのは阿波
オリジナルは終わりも早い

988日本@名無史さん2019/01/13(日) 13:50:34.78
卑弥呼の時代は記紀的には崇神天皇御代前後あたりになる。
「旦那がおらず、男弟がいる」…らしい卑弥呼。
皇統系の姫なのか、豪族系の姫なのか、よくわからん。
皇統でも皇后の娘・内親王は嫁にいかず、
妃の娘・女王は嫁にいくみたいなので、前者とみるべきかもしれん。

崇神天皇の御代に天照大御神を外宮で祀るようになったのは何かを暗喩してるのかもしれん。

989日本@名無史さん2019/01/13(日) 14:16:18.13
大物主神と倭大国魂神もそうだが、崇神天皇の御代に祀るようになったらしいが、
倭国大乱の原因は遠因として出雲の国譲りがあって、代を重ねるうちにまた
四国派(天津神派)と中国派(国津神派)の内乱(各々のお家騒動も含む)になったのではないかと思う。

990日本@名無史さん2019/01/13(日) 20:30:22.34
>倭国大乱の原因は遠因として出雲の国譲りがあって、代を重ねるうちにまた

出雲の国譲りは狗奴国(長国)の征服譚なんだよ。


>四国派(天津神派)と中国派(国津神派)の内乱(各々のお家騒動も含む)になったのではないかと思う。

申し訳ないけど、倭国乱も倭国(阿波)国内でのお話なんだよ。  @阿波

991日本@名無史さん2019/01/13(日) 20:46:18.08
卑弥呼は阿波生まれだけど
死去したのは畿内

992日本@名無史さん2019/01/13(日) 21:13:39.51
>死去したのは畿内

さすがに卑弥呼女王は畿内には行っていない。 神山で隠棲していた。  @阿波

993日本@名無史さん2019/01/13(日) 22:16:56.46
卑弥呼のことは謎も多いから
わからないけど
神夏磯姫や田油津姫から解明しようよ

994日本@名無史さん2019/01/16(水) 08:23:49.18
鳴門・板野古墳群について    「徳島県の歴史散歩(山川出版社)」から抜粋

鳴門市大麻町の山地の麓には、弥生時代終末期から古墳時代前期にかけて、前方後円墳を核とした首長墳が集中する。総称して鳴門・板野古墳群と呼んでいる。

主な古墳は、西山谷2号墳  池谷宝幢寺古墳(県史跡)  天河別神社古墳群(6基・県史跡)  萩原1号墓(消滅)・2号墓  大代古墳(県史跡)  板野の愛宕山古墳(県史跡)

発掘調査で埋葬施設が判明した西山谷2号墳、天河別神社1・2号墳、愛宕山古墳、大代古墳は、いずれも結晶片岩板石積みの竪穴式石室を構築しており、

鮎喰川産の土器を供献するなど、気延山古墳群との親縁性を示している。

西山谷2号墳は全国最古級の竪穴式石室で、石室外周に萩原1・2号墓に類似した一種の囲み壁をつくっている。 積石木槨から竪穴式石室の成立を考える上で興味深い。

近年、東阿波型土器が大和・河内地域の遺跡から相当量出土することをふまえ、大阪府茨木市の将軍山古墳や紫金山古墳、高槻市の闘鶏山古墳を始めとする摂津

・北河内地域に点在する結晶片岩石積みの竪穴式石室について、その用材石室構築技術が、阿波地域から提供されたとみる説が定着しつつある。

鳴門板野古墳群には中国製の銅鏡の副葬がみられるのも特徴である。  @阿波

995日本@名無史さん2019/01/16(水) 08:43:10.57
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E6%B1%9F+%E9%AC%B2&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

996日本@名無史さん2019/01/16(水) 14:56:27.81
二重カギ括弧使うのやめないか?
松傾老婆対策で『をNG指定してる人多いはず

997日本@名無史さん2019/01/16(水) 16:44:59.12

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