邪馬台国畿内説 Part751
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現期段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。(◆2,4〜6)
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。
邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。
前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1641806948/l50
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。
2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当する。畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入していく時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大する。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階に入る。
絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
それは桜井市纒向以外にありえない。 >>931
>糸島市は、遺跡が乏しい
これ、どういう神経の発言? 近畿
https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900118039/2014no.276_97_121.pdf
考古学を基に通説ならこのくらいのデータ出せるだろー。
いっこうに出せないのは、読み方が違うのでは?
最初から答えありきだからなの? >>951
戦乱がおさまった後女王に共立された卑弥呼が仕えたのは鬼道
鬼道と呼ばれたのは神仙思想を取り込んだ初期道教の張魯の教団
神仙思想で海に浮かぶ壺形の神山の墓が前方後円墳
3世紀前半に畿内の供献土器を模倣制作し、纏向と同じ壺形の墓を築造し
葬送儀礼の影響を受けているのは博多 >>955
卑弥呼の鬼道
『名曰卑彌呼事鬼道能惑衆』 『名を「卑弥呼」といい、「鬼道」に仕えて人心を惑わしている』
大麻(麻)の繊維は、日本では古くからしめ縄、祓い具(おはらい)としての神事の大麻(おおぬさ)などに用いられてきた。
また、麻から作った大麻(マリファナ)は薬理作用があり、紀元前から古代人が嗜好品、また医薬品として用いてきた。
大麻(マリファナ)は喫煙、気化、飲食により成分を摂取する。
大麻といえば、阿波忌部。
卑弥呼は大麻(マリファナ)を利用して「鬼道」を操ったのだろう。 @阿波 >>830
>それにしても投馬国の前後と、邪馬台国の前後を
水行陸行で済まして他国名の紹介が一切無いは不審
何ら「不審」などない。
「奴國と投馬國」への移動があった事を示す文字がないから、
側副傍線行程國の説明であった事になり、
不彌國から邪馬壹國女王之所都への南の説明には、途中移動の里数が書かれていないから、
邪馬壹國女王之所都は不彌國のすぐ南(移動距離ほぼ0里)にあった事を示し、
また、郡から不彌國や邪馬壹國女王之所都への(側副傍線国説明以外の)移動里数の合計も、
萬二千余里にぴったり合っている。 近畿と九州の両方に配慮した折衷案とかそんなん要らんねん >>957
>「奴國と投馬國」への移動があった事を示す文字がないから、
>側副傍線行程國の説明であった事になり、
単なるトンデモ読みでしょ >>868
>里数から日数に変わってるのにおかしいと思わない方がおかしい
隋書に拠って、倭人は「里数」を知らず、計測も出来ず、
日数は倭人も魏の役人らも数える事が出来る。
だから、里数記録は魏の役人らの実地の見聞計測の記録であり、
日数記録は、魏の役人の計測の場合と、倭人らの計測の場合の、両方の場合がある。 >>882
>なんで謎解きを目的に陳寿が書いてると思うんだよおかしいだろ
陳寿が勘違いをしたと考えれば辻褄が合うんだよ
いや、陳寿は、魏の役人らの実地での見聞計測の記録を、転写紹介しただけ。 2018年の「伊都国は佐賀川上」の予言通り、
翌2019年から始まった佐賀市大和町川上の一部に当たる七が瀬遺跡発掘で、弥生末期の巨大墓地が出土した。
ここからは、三種の神器の祖型も発掘されている(2021年発表. 遺跡群は現状保存の予定)。
なお、伊都国官衙と目されるのは、同じ川上の大願寺廃寺跡である。
此処には、藤原氏の祖の中臣氏のそのまた祖のタケミカズチ(武御雷)を祀る太神宮もある。
しかも主祭神の武御雷の父の名は、記紀の「伊都之尾羽張」であるが、これは倭人伝の「伊都国の張(張政)」を思わせる、いかが?? >>883
>不彌国1300里ほどの所からが倭の女王国(連合)の始まり
いや、魏の役人や陳寿の説明では、
不彌國や邪馬壹國女王之所都で、萬二千余里がほぼ終わっており、
「1300里ほど」など、存在しない。 >>888
>近畿
でどこで共立されたの?
倭人伝に記載あるのか?
邪馬壹國女王之所都で共立された。 >>882
>なんで謎解きを目的に陳寿が書いてると思うんだよ、おかしいだろ
>寿が勘違いをしたと考えれば辻褄が合うんだよ
なるほど、そういう考えあるな。
ただ、キミが勘違いしたということもあり得る。その可能性の方が1000倍も10000倍も高いだろうな。 >>962
近畿
バッチリだよ。
伊都国の範囲が違うだけ。 >>889
>何度も書いてるけど邪馬台国への行程は投馬国→邪馬台国こそが正しいんだよ
だから帯方郡→水行20日で投馬国→水行10日で九州→陸行1月で大阪
何度も書いてるけど、
「邪馬台国」なんて存在もしなかった嘘つき騙文言であるから、
この男は始めからオレオレ詐欺師であり、
邪馬壹國女王之所都への行程は、
投馬國説明が側副傍線国説明になっておりだから、魏使らは通っておらず、
だから、不彌國のすぐ南で萬二千余里が終わっているから、
邪馬壹國女王之所都は、不彌國のすぐ南にある、という事になるんだよ。、
こそが正しいんだよ
だから帯方郡→水行20日で投馬国→水行10日で九州→陸行1月で大阪 >>965
説明も無いのに帯方郡に戻るとか解釈してる方がおかしいでしょ
読者に分かんない事を陳寿が書くと思う? >>890
>我国の学問では楽浪土器が集中して出る糸島東部の三雲あたり
奴国は庄内式土器が分布する博多から筑後北部くらいまでの連続した遺跡群
ちょっと違う。
奴國は、日向峠の西麓平野部〜早良平野及びその周辺丘陵地。 >>953
>考古学を基に通説ならこのくらいのデータ出せるだろー。
あなたは
>糸島市は、遺跡が乏しい
っていうセータが出せてないよ Ans.
雲クソ=大ケツ・ピットwwww あわははははは @太国 >>894
>卑弥呼が居るから女王国
じゃあその前はと言えば邪馬台国(ヤマト国)、つまり倭国
卑弥呼は倭国の女王なんだから
「邪馬台国」なんて存在もしなかった嘘つき騙し文言であるから、
この男はバツであり、
「ヤマト」説は、「南≠東」や「冢≠前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は九州」などの、
史料事実や史料実態に拠って、バツね。 >>896
>行程は投馬国→邪馬台国こそが正しいと書いてるだろ
不彌国までの行程なんか何の関係もない
邪馬台国なんて存在もしなかった嘘つき騙し文言であるから、
そんな文言を使ったこの男は、バツ男である。 >>898
>陳寿は国家である邪馬台国(ヤマト国)を不彌国や伊都国みたいな集落と勘違いしたんだよ
この男も、
邪馬台国なんて存在もしなかった嘘つき騙しのそんな文言を使ったから、
バツ男である。 >>969
そうだな、倭人や倭種にはチト無理だったか。
倭人伝は中華王朝の歴史書で、読者は頭脳明晰な洛陽の高官や貴族だ。
楽しんで謎解きしてくれる。
ま、漢字漢文読めない低知能倭種の読者は想定外。大きなお世話だ・・、 >>899
>
俺は
魏志倭人伝どうりだな
南至投馬國 不彌國から南至り(川、海の総称で水行20日
方角等が略されている)20日で投馬國、四国西部から南至り(これも略)
水行10日、陸1月は邪馬壹國を周回か?
巫女 鬼道の拠点の周回では?
生理日数、28日位 1月。
倭人が日数を数えるけど月の観念があるのか定かではない。
鬼道にはそういう観念はあるかもしれない
或いは倭人以外の交易のある人に聞いたかもしれない。
陸1月は謎、水行10日の後に「又は」がないから
連続としている。
「水行十日陸行一月」は、帯方郡から女王之所都の所要日数説明になり、
投馬國の後の所要日数にはならないから、
この男もオレオレ詐欺のバツ男。 >>976
それが帯方郡に戻る根拠か
ようそんな事言えるな >>915
>従属国は倭人伝に書いている
倭人の風習である卜骨が出るのは吉備、山陰から東
黥面土器が多いのは吉備と東海
倭人の風習が見られる地域全体で西と東の土器、墳形の境界が接するのが畿内
魏の役人たちは、四国北西部の倭種の地と、
その南の(侏儒国付近の)「裸國K齒國への船行」の出発地までしか行っていないから、
この男も、バツ男。 >>923
>>西晋代では、まだ三国時代の分裂のままであった可能性があり、
データをよく精査しなければならない。
>知りもしないで平気でそんなデタラメを言うあなたの神経がわからない
君の説明の不信点を指摘しただけ。
魏を継承した西晋の前半頃には、蜀や呉が存続していたから、
西晋役人が、敵国の「納税や兵役」義務の単位である「戸」の数を知り得たのか?、が、
不明にある。 >>941
>近畿
東南は出発方向という奴が阿保過ぎる。
旅程や行程の説明の時には「出発説明+途中説明+到着説明」の順に説明する、
という人類の常識が判らない近畿説男は、
アホ過ぎる。 >>945
>畿内説は我国の学者の考古学を根拠にした通説
「畿内」なんて存在もしなかった嘘つき騙し文言を使い、
「南→東」や「卑弥呼の冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は九州」の否定などの、
史料事実や史料実態の曲解や否定の嘘吐き騙しを根拠にする我国の、
考古学者や通説大和説学者らは、全て、
皇国史観の戦争肯定宗教に染まったオレオレ詐欺師である。 >>978
いつまでも、卑屈な東夷人や倭人や倭種のままではイカン。
魏王朝の高官や、洛陽の王族貴族や、帯方郡の太守になったつもりで読んでみろ。180度違った世界が見えてくる・・・、 >>955
>戦乱がおさまった後女王に共立された卑弥呼が仕えたのは鬼道
鬼道と呼ばれたのは神仙思想を取り込んだ初期道教の張魯の教団
神仙思想で海に浮かぶ壺形の神山の墓が前方後円墳
3世紀前半に畿内の供献土器を模倣制作し、纏向と同じ壺形の墓を築造し
葬送儀礼の影響を受けているのは博多
ちょっとおかしい。
3世紀前半の筑紫の庄内の供献土器を模倣制作し、
3世紀後半の那珂八幡などの壺形の墓を模倣築造し
葬送儀礼の影響を受けているのは大和 >>980
>>923は私の書き込みではない
しかし話題の基となった>>686は私の書き込み、問題の記事は岩波新書からの引用
問題の本質は卑弥呼の時代の九州の人口推計
wikipediaの記事では10万5千ほどとなっている
君は投馬国と邪馬台国を九州内としているがそれだとその2国の戸数だけでその数を上回ってしまう
九州内には大国、狗奴国もあった
倭国と対峙できるような規模の国
それ以外の国々も合わせれば、君の説は到底成り立たない
そのことを指摘したもの >>968の訂正
>何度も書いてるけど邪馬台国への行程は投馬国→邪馬台国こそが正しいんだよ
だから帯方郡→水行20日で投馬国→水行10日で九州→陸行1月で大阪
何度も書いてるけど、
「邪馬台国」なんて存在もしなかった嘘つき騙文言であるから、
この男は始めからオレオレ詐欺師であり、
邪馬壹國女王之所都への行程は、
投馬國説明が側副傍線国説明になっておりだから、魏使らは通っておらず、
だから、不彌國のすぐ南で萬二千余里が終わっているから、
邪馬壹國女王之所都は、不彌國のすぐ南にある、という事になるんだよ。、
これこそが正しいんだよ
だから「帯方郡→水行20日で投馬国→水行10日で九州→陸行1月で大阪」は、バツ。 >>1
( ^ω^)
/ \ ( ) 死ねって
__| | | |_ / ヽ
||\  ̄ ̄ ̄ ̄ / .| | |
||\..∧_∧ (⌒\|__./ ./
|||. ( ) ~\_____ノ| ∧_∧.
_/ ヽ は?死ねよ \| ( ´_ゝ`) 頭おかしいのか?
. | ヽ \ / ヽ.
. | |ヽ、二⌒) / .| | |
. .| ヽ \∧_∧ (⌒\|__./ ./
ヽ、___ ( ) … ~\_____ノ| ∧_∧
. _/ ヽ \| (´Д` )きめぇ
. | ヽ \ / ヽ、
. | |ヽ、二⌒) / .| | |
. .| ヽ \\ (⌒\|__./ ./
. ヽ、____ \\ ~\_____ノ|
\..∧_∧ ギャハハ泣かすなよオメーら
. ( ) \ ∧_∧
. _/ ヽ \. ( ´_ゝ`) 何言ってんだコイツ?
. | ヽ \ / ヽ.
. | |ヽ、二⌒) / .| | |
. .| ヽ \∧_∧ (⌒\|__./ ./
ヽ、___ ( ) プッ ~\_____ノ| ∧_∧
. _/ ヽ \| (´Д` )遠くて聞こえねえよ
. | ヽ \ / ヽ、
. | |ヽ、二⌒) / .| | | >>1
( ^ω^)
/ \ ( ) 死ねって
__| | | |_ / ヽ
||\  ̄ ̄ ̄ ̄ / .| | |
||\..∧_∧ (⌒\|__./ ./
|||. ( ) ~\_____ノ| ∧_∧.
_/ ヽ は?死ねよ \| ( ´_ゝ`) 頭おかしいのか?
. | ヽ \ / ヽ.
. | |ヽ、二⌒) / .| | |
. .| ヽ \∧_∧ (⌒\|__./ ./
ヽ、___ ( ) … ~\_____ノ| ∧_∧
. _/ ヽ \| (´Д` )きめぇ
. | ヽ \ / ヽ、
. | |ヽ、二⌒) / .| | |
. .| ヽ \\ (⌒\|__./ ./
. ヽ、____ \\ ~\_____ノ|
\..∧_∧ ギャハハ泣かすなよオメーら
. ( ) \ ∧_∧
. _/ ヽ \. ( ´_ゝ`) 何言ってんだコイツ?
. | ヽ \ / ヽ.
. | |ヽ、二⌒) / .| | |
. .| ヽ \∧_∧ (⌒\|__./ ./
ヽ、___ ( ) プッ ~\_____ノ| ∧_∧
. _/ ヽ \| (´Д` )遠くて聞こえねえよ
. | ヽ \ / ヽ、
. | |ヽ、二⌒) / .| | | >>1
( ^ω^)
/ \ ( ) 死ねって
__| | | |_ / ヽ
||\  ̄ ̄ ̄ ̄ / .| | |
||\..∧_∧ (⌒\|__./ ./
|||. ( ) ~\_____ノ| ∧_∧.
_/ ヽ は?死ねよ \| ( ´_ゝ`) 頭おかしいのか?
. | ヽ \ / ヽ.
. | |ヽ、二⌒) / .| | |
. .| ヽ \∧_∧ (⌒\|__./ ./
ヽ、___ ( ) … ~\_____ノ| ∧_∧
. _/ ヽ \| (´Д` )きめぇ
. | ヽ \ / ヽ、
. | |ヽ、二⌒) / .| | |
. .| ヽ \\ (⌒\|__./ ./
. ヽ、____ \\ ~\_____ノ|
\..∧_∧ ギャハハ泣かすなよオメーら
. ( ) \ ∧_∧
. _/ ヽ \. ( ´_ゝ`) 何言ってんだコイツ?
. | ヽ \ / ヽ.
. | |ヽ、二⌒) / .| | |
. .| ヽ \∧_∧ (⌒\|__./ ./
ヽ、___ ( ) プッ ~\_____ノ| ∧_∧
. _/ ヽ \| (´Д` )遠くて聞こえねえよ
. | ヽ \ / ヽ、
. | |ヽ、二⌒) / .| | | 卑弥呼の時代の人口推計から導きだされるのは
投馬国も邪馬台国も九州内にはなかったということ
投馬国は5万戸だが一戸あたり4人と仮定しても20万人の人口ということになる
いろいろ自由に発想して考察するのはいいことだが、基本的なこの人口の問題も念頭に置いてほしい 南四国に大国「邪馬臺国」・「狗奴国」・「投馬国」
「弥生人にとって、阿波はまさに常世の国・パラダイス」
南四国は、温暖な黒潮流れる太平洋に面し、漁労・航海術が発達、内陸は高温多雨による森林資源に恵まれ、
一方、「辰砂」「青玉」など希少価値の高い鉱物にも恵まれている。
また、吉野川を始めとする、いくつもの大河が流れ、大河流域には、広範に肥沃な土壌の恵みを与えている。
南四国に大国「邪馬臺国」・「狗奴国」・「投馬国」が興るのも当然と言えば当然。 @阿波 新スレ立てました。
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1642328594/l50
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
注意*本スレが終了してから書き込んでください。
なお、書き込みは
邪馬台国畿内説に関係が有って
根拠のある内容をお願いします。
畿内説以外の独自説を単独で開陳することはご遠慮ください。
本スレ終了以前の書き込みは荒らし行為と看做させて頂きます。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ >>990
>いろいろ自由に発想して考察するのはいいことだが、基本的なこの人口の問題も念頭に置いてほしい
現代人が、限られた発掘住居跡をもとに1800年前の人口を推定するのは、
闇夜に鉄砲の隣り程度だ。
正確さの問題はあるとしても、同時代の倭人伝の戸数見積もりのほうが遥かに当を得ているであろう。
騒ぐな! >>985
>・・・しかし話題の基となった>>686は私の書き込み、問題の記事は岩波新書からの引用
問題の原点は、
高名な出版社の本であるのか?や、高名な通説学者の本である、とかの、
問題ではない。
要は、自然や歴史においては、不可知部分が99.5%あるから、
我々人類は、知り得た自然や歴史の情報の、資料批判や資料事実からの帰納的でより高確率的な推論をしなければならない、という事だ。
>問題の本質は卑弥呼の時代の九州の人口推計
wikipediaの記事では10万5千ほどとなっている
君は投馬国と邪馬台国を九州内としているがそれだとその2国の戸数だけでその数を上回ってしまう
九州内には大国、狗奴国もあった
倭国と対峙できるような規模の国
それ以外の国々も合わせれば、君の説は到底成り立たない
そのことを指摘したもの
問題の本質は、「wikipediaの記事では10万5千ほどとなっている」という事を、
君は、始めから肯定し信頼している、という事だ。
そんな事は、その根拠の提示やその資料批判をせずに紹介しても、何の価値もない。
そして、倭人伝の戸数た家数記載に関しても、それの資料批判をしてその信頼性を評価して、
それと、「wikipediaの記事では10万5千」の資料批判や確率とを比べなければならない、
という事だ。 >>994
要するにzarakokuは自分が言い張ればなんでも誤魔化せると思っている >>990
>卑弥呼の時代の人口推計から導きだされるのは
投馬国も邪馬台国も九州内にはなかったということ
投馬国は5万戸だが一戸あたり4人と仮定しても20万人の人口ということになる
いろいろ自由に発想して考察するのはいいことだが、基本的なこの人口の問題も念頭に置いてほしい
この男も、「学者やWikiの書いた事は無条件の全面的に信頼し肯定する」という、
一種の痴呆の、大和説人種のようだね。
魏志倭人伝の戸数や家数記載と、岩波やWikiの「卑弥呼時代の列島各地の人口推定」論とでは、
どちらの方が信頼性や確率が高いのか?は、
その推定論理や根拠などをきちんと全部開示してくれないと、何の論拠にもならない、ではないか。 邪馬台国オナニー大好きな猿、贅六のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、贅六の先祖、クソムシが生息していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現111期段階で、健常者を中心に贅六を省いた国家規模の連合が形成され始めていた。(◆2,4〜6)
・北部九州博多湾岸地域は、既に贅六を征伐していた。贅六は雑魚。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内ではない。贅六はガイジである。
邪馬台国論争は不毛。贅六を弄り倒して皆で笑い合いましょう。
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本のどこにも影響力を持たないカルト宗教奴隷の贅六が生息していた。その劣等生物は各地の首長に嘲笑され、いたぶられた社会のクズであったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内(笑)に中国(笑)文化が急速に浸透(笑)する時期である。そもそも中国など存在しない。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物ではないし、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できない。
弥生(笑)など存在せず、そして贅六は相変わらず底辺であった。
換言すれば、弥生(笑)←ねぇよ墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生(笑)←ねぇよ社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。つまり贅六は雑魚。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当しない。畿内(笑)様式の土器が漸進的に北部九州に流入したという事実はないし、こ那珂比恵地域への人口流入もない。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人(笑)や楽浪商人(笑)と直接交渉による交易をする段階に入る。そんなものはない。贅六は雑魚。
絶域であった贅六の9cmが中華(笑)社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた場所こそが当時の贅六の海綿体である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に贅六はどこにいたであろうか?
それは糞の中以外にありえない。 邪馬台国オナニー大好きな猿、贅六のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、贅六の先祖、クソムシが生息していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現111期段階で、健常者を中心に贅六を省いた国家規模の連合が形成され始めていた。(◆2,4〜6)
・北部九州博多湾岸地域は、既に贅六を征伐していた。贅六は雑魚。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内ではない。贅六はガイジである。
邪馬台国論争は不毛。贅六を弄り倒して皆で笑い合いましょう。
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本のどこにも影響力を持たないカルト宗教奴隷の贅六が生息していた。その劣等生物は各地の首長に嘲笑され、いたぶられた社会のクズであったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内(笑)に中国(笑)文化が急速に浸透(笑)する時期である。そもそも中国など存在しない。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物ではないし、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できない。
弥生(笑)など存在せず、そして贅六は相変わらず底辺であった。
換言すれば、弥生(笑)←ねぇよ墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生(笑)←ねぇよ社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。つまり贅六は雑魚。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当しない。畿内(笑)様式の土器が漸進的に北部九州に流入したという事実はないし、こ那珂比恵地域への人口流入もない。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人(笑)や楽浪商人(笑)と直接交渉による交易をする段階に入る。そんなものはない。贅六は雑魚。
絶域であった贅六の9cmが中華(笑)社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた場所こそが当時の贅六の海綿体である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に贅六はどこにいたであろうか?
それは糞の中以外にありえない。 邪馬台国オナニー大好きな猿、贅六のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、贅六の先祖、クソムシが生息していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現111期段階で、健常者を中心に贅六を省いた国家規模の連合が形成され始めていた。(◆2,4〜6)
・北部九州博多湾岸地域は、既に贅六を征伐していた。贅六は雑魚。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内ではない。贅六はガイジである。
邪馬台国論争は不毛。贅六を弄り倒して皆で笑い合いましょう。
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本のどこにも影響力を持たないカルト宗教奴隷の贅六が生息していた。その劣等生物は各地の首長に嘲笑され、いたぶられた社会のクズであったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内(笑)に中国(笑)文化が急速に浸透(笑)する時期である。そもそも中国など存在しない。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物ではないし、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できない。
弥生(笑)など存在せず、そして贅六は相変わらず底辺であった。
換言すれば、弥生(笑)←ねぇよ墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生(笑)←ねぇよ社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。つまり贅六は雑魚。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当しない。畿内(笑)様式の土器が漸進的に北部九州に流入したという事実はないし、こ那珂比恵地域への人口流入もない。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人(笑)や楽浪商人(笑)と直接交渉による交易をする段階に入る。そんなものはない。贅六は雑魚。
絶域であった贅六の9cmが中華(笑)社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた場所こそが当時の贅六の海綿体である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に贅六はどこにいたであろうか?
それは糞の中以外にありえない。 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 3日 10時間 12分 0秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。