ハプログループD1a2aは渡来人の可能性が高い
現代日本人で多数派のYHD1b1がD1a2aに変更されています。「縄文人」で確認されているD1b2はD1a2b(アンダマン人と同じ)に変更されています。なお「縄文人」では、現代日本人で多数派のD1a2a(旧D1b1)はまだ確認されていませんこれは、現代日本人のD1a2aが弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した可能性を示唆します(関連記事)。もちろん、現時点では東日本の「縄文人」でしかYHgは確認されていないので、今後西日本の「縄文人」でD1a2aが確認される可能性は低くないでしょう。しかし現時点では、現代日本人のD1a2aが「縄文人」ではなく弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した集団に由来する、という想定も有力な仮説の一つとして扱われるべきだと思います。
https://sicambre.seesaa.net/article/201909article_24.html >>392
これも国立歴史民俗博物館の放射性炭素年代測によって、数百年前倒しに操作されてるから、実際は2300~2100年前頃だろう >>390
だから弥生人の故郷が中国の遼寧省なら何で縄文末の渡来人は遼寧系土器を
伝えずに沿海州系土器なんか伝えてるの?
その説は出た瞬間に破たん済み
>>391
アイヌは樺太経由の旧石器人が祖先の縄文人が祖先で、東北を除く本州人は
朝鮮半島経由の旧石器人が祖先の縄文人が祖先
で、東北は両者の交雑地帯
樺太経由の旧石器人の入植は朝鮮半島経由の旧石器人より
18000年くらい後だから朝鮮半島経由の旧石器人が祖先の縄文人が祖先の
大和民族が日本列島の本家本元なんだよ 日本に来た江南人は、呉人より越人の方が多かった
先に来た呉人は北部九州中心に定住し銅矛文化圏を形成、
後から来た越人は近畿周辺に移住して銅鐸文化圏を形成した 稲作渡来民が日本で縄文土器を取り入れる方が、縄文人が朝鮮半島から水田稲作と太陽神を取り入れるよりも、ずっとハードルが低くて現実的だよ。
替えの効かなさでは、信仰神話神様>>>生活用品、だからね。
ユダヤ人、ピューリタン、チベット人など政治的事情で祖国を離れても頑なに信仰は守ってる。
信仰や神様をアッサリ捨てて、炊飯器に異常にこだわる部族なんかとても想像出来ない。 >>392
弥生前期末の2500年くらい前から渡来系人骨が北部九州で大量に増えたのは
単に甕棺墓時代に入ったからで、そこに新たな外来人が入植した痕跡など一切ない
だいたい外来人あらば甕棺墓に朝鮮土器の甕の一つくらい使われてるはずだろうに
九州北部は半島と頻繁に交流してたんだから新しい技術があれば、その都度、
逐次的に取り入れて自分たちの水田に付け加えていっただけの話
短絡的な妄想で暴走しないように >>389
>>397
無文土器時代の朝鮮半島は陸稲であって、高度な灌漑施設なんか見つかってませんね。
読解力ないのかな、ネットヲタは
(大爆笑) >>401
水田稲作に関しては朝鮮半島南部では、3100年前の水田跡が
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡から、2500年前の水田跡が松菊里遺跡で
見つかっている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E4%BD%9C
. >>402
そのウィキペディアの記事、ソース付いてない 最近の学説では、弥生時代の稲作伝来ルートは江南地方由来の方が有力になって来てる。
温帯ジャポニカ米は遼東半島・朝鮮経由では寒過ぎて栽培は無理。
1910年代の朝鮮総督府「気候の違いから、朝鮮半島の水田は少なく、灌漑設備も備わってない」 と記録されてる。 >>404
で、弥生時代の稲作伝来ルートが江南地方由来の方が有力になったという
中卒ギャグのソースは? 金属加工の熟練職人を育成するのに、最低でも5年かかる。
在来人がちょっと大陸行って学べるような生易しい技術じゃない。 >>390
またコピペ荒らしか
マトモに会話出来ないし >>407
補足
現代でも製造業のエンジニア育成に5~6年かかる。
それと同じ事が古代にも言える >>410
ハイ、ソースなし
やっぱりいつもの個人的願望なだけでした(ウルトラ嘲笑 かつて継体天皇は、長江中下流域や江南地方から来た渡来人に、越前の潟湖の治水工事をさせ、耕地面積を増やした、と地元県民に伝えられてる。
古朝鮮に高度な灌漑技術がなかったのは明白。(爆 古墳時代中期の越前には、紙すき・漆器・養蚕/絹織物の技術者が百済から大量に来てるが、
柔らかい地盤に堤防を築く干拓技術は江南人しか持ってなかった。 >>410
古事記の応神天皇記によれば、百済の王から韓鍛冶卓素(鍛造技術者)が派遣された。
倭鍛冶もいた事はいたが、高度な技術は常に大陸からの渡来人に頼っていたんだよ(大笑い 朝鮮半島出身の渡来人で繁殖力が凄いのが秦氏。
6世紀中頃には10万人いたとされる。
地方に散らばっていた為に政治力はなかったが、畑作や機織の発展に貢献したので、ハタ(畑、機)と呼ばれる様になる。それほど産業に貢献したのに地方豪族にこき使われていた。それを不憫に思った天皇が秦氏に姓を与えて太秦で養蚕を始めた、と言われている。それだけ渡来人は立場が弱かった
また秦氏が稲荷神社をつくった。稲荷信仰は日本神話にインドのダーキニーが結合して生まれたが、こちらは陸稲がベース。天皇の祭祀は水稲がベースで南方系。だから北方からの文化も日本に根付いている。
南方系 水稲 日本文化の主流
北方系 陸稲 日本文化の傍流 インドのダーキニーが結合するなら南方系だろう。
稲荷信仰ももちろん水稲。 陸稲は6000年前に岡山で始まったとされるが、実際は縄文後期にズレる可能性ある。
放射性炭素年代測定に疑いが持たれており、そこの土器は縄文後期のものではないか?と言われてる 日本最古のイネの現物(稲籾、籾殻、炭化米)は2930年前のもの
前10Cより前に稲作はない 日本に野生稲は無いから稲が見つかったら育てていたということ。
しかも岡山など各種イネ科穀物が一緒に見つかってるから、
災害対策や年中収穫のために複数種類のイネ科穀物を畑作していた。 未だに縄文稲作を否定してる負け組がいるんだなw
現実世界で相手にされないからここで愚痴ってるんだろうけどw >>421
では前10Cより前に稲作があったと中卒ギャグ飛ばしてる論文は? 10年ほど前の学説だと、
○縄文時代の陸稲は4000年前に開始、
○弥生時代の水田稲作は2400~2500年前に開始、
がそれぞれの通説だった。
それらが土器に付着した炭化物分析によって大幅に前倒しになった為、
韓国側でも慌てて、朝鮮最古の水田跡を3100年前に前倒しして、対抗してますが、
3000~2500年前の朝鮮南部水田はどれも、九州方式とそっくり同じであり独自性がなく、むしろ北部九州から朝鮮南部に稲作が伝来した可能性高い、と日本側研究者は反論、
日韓双方とも年代測定そのものが信用されてない。 >>423
で、その10年ほど前の学説の縄文時代の陸稲が4000年前に
開始したという中卒ギャグ論文は?
で、むしろ北部九州から朝鮮南部に稲作が伝来した可能性高いと
日本側研究者が反論している中卒ギャグ論文は? >>423
今では、
縄文時代の陸稲は6000年前に開始、になってるね。
水田についてはどちら側で開始されたか、ではなく、
対馬海峡を保有する勢力が、それぞれの対岸領土で開始した、
ということだろうね。 古墳時代になっても韓鍛治と倭鍛治では作るモノのレベルが違うからな
包丁レベルなら倭鍛治でも良いが飾太刀のような高級品はジャップには作れなかったし韓鍛治の技術は倭鍛治の職人が一見して真似できるようなものではない
模倣は簡単と思ってるネトウヨはモノづくりを舐めているな 燕〜遼西勢力:青銅器を売りたい
倭:絹と米を売りたい
両者の間の地域にそれらが見つかってるだけ >>425
中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ一人の中だけでな(嘲笑
で、その10年ほど前の学説の縄文時代の陸稲が4000年前に
開始したという中卒ギャグ論文は?
で、むしろ北部九州から朝鮮南部に稲作が伝来した可能性高いと
日本側研究者が反論している中卒ギャグ論文は?
早く出せよ南支那ブタチック広鼻ブラック >>425
中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ一人の中だけでな(嘲笑
で、陸稲が6000年前に開始したという中卒ギャグ論文は?
早く出せよ南支那ブタチック広鼻ブラック 沿海州ウラジオストク北部では、7700年前の人骨から、Y染色体C2とミトコンドリアD4が検出されてて、明らかにツングース系の祖先。
中国でY染色体O2は下層農民が多かったから、O2のペアがミトコンドリアD4じゃないかな? 本来ツングース系はC2とO2の混血、言語はモンゴル語に近い 12000人前のスンダランド系人骨が韓国でも見つかってる。
朝鮮半島では先に南方系民族が流入して、数千年後に北方系民族と混じり合った。 14000年前にO1b2が日本と朝鮮半島の両方に流入したと考える研究者もいる 海人族のO1b2が北九州に来て、朝鮮には来なかったら不自然 縄文草創期に朝鮮半島に来たのは、肌が浅黒く丸っこい顔の南方モンゴロイド系であって、古モンゴロイド的な港川人とは形質が違うそうです D1a2aの縄文人骨が見つかってるのは東日本ばかりです。西日本では皆無 >>456
縄文後期の寒冷化に伴って西日本に移ったに過ぎない。
それがバレたら、近隣諸国の領土問題に発展しそうだから、政府は隠したがってる 韓国側は対馬を自国領土に編入したがってる
中国側は沖縄を自国領土に編入したがってる 韓国側は出雲王国や大和朝廷を扶余族が建てた王朝と見てる
中国側は九州倭国を江南人が建てた王朝と見てる キリシタン大名が邪馬台国連合の末裔
宮内庁も感づいてる 円筒土器の担い手の基層言語が、ズーズー弁として残った >>456
佐賀の縄文時代早期男性のY染色体ハプログループはD1b(D1a2a)
D1a2a2を定義するSNPでD1a2a2型のヴァリアントが見つからなかったので多分D1a2a1
https://doi.org/10.1537/ase.2012132 2万年前の沖縄にはY染色体R・ミトコンドリアB4も来てた。 >>463
それって8000年程前の東名遺跡の人骨じゃね? O1b2a1a1が2100年前の遼寧省である訳ない。
弥生早期には長崎県佐世保にO1b2a1a1が来てるだろ 日本人男性のコアタイプO1b2a1a1-CTS713(日本男性の4分の1を占める父系)が縄文系であるはずがなく、中国人と共通の祖先を持つ年代は2100年前頃の例が多くて、パターンも多いです。CTS713中国で最も比率が高いのは遼寧省であり、共通祖先関係は2100年頃のCTS203で、割合が最も高い地域も遼寧省である。
https://x.com/C1a1_M8/status/1769426187636572399 少数の渡来人が天水農業を導入し人口急増、弥生前期末には縄文人との混血も進み、後の日本人の原型となった。 雑穀焼き畑農法は縄文時代から有ったことは学者たちもほぼ認めてる
その雑穀のなかに稲も有ったことも、籾痕土器で証明済。 仮に渡来人が日本に辿り着いたとしても、食糧が底をつけば生存出来ない。
適度に寒い韓国・日本より、農業生産性の高い東南アジアに移住したがる中国人が圧倒的に多かった。
6000年ほど前に熱帯ジャポニカ米を岡山に持ち込んで陸稲栽培を始めたのは、明らかにスンタランド人。スンタランドは6000年前に水没してる。
O1b2aがインドネシア西部に16%、ベトナムに4.3%ほど残存しており、O1b2a1a1は縄文前期までにベトナム辺りから船で直接、北上して日本に上陸した可能性高い。
それに対し、7000年前の江南地方に水田稲作を普及させたのがO1b2a1a2。山東省・遼寧省や朝鮮半島を経て、4000年かかってようやく北部九州に伝播してる。
その証拠に日本におけるO1b2a1a2とO1b2a1a3の割合は、北海道で最も多い。
O1b2a1a2aは6000年前に北海道で発生し、サハリン経由で大陸に渡って、朝鮮半島や満州に広まった可能性大。 >>471
O1b2a1a2aの比率は関東・東北地方で低い。弥生時代に来た渡来系。 >>471
6000年前に稲作の痕跡なんかないぞ南支那セローイブタロプス中共工作員(嘲笑 >>471
湖北・湖南省にO1b2a1a2bが数%ずつ確認出来る。
ベトナムから陸路で北上したのがO1b2a1a2、海路で北上したのがO1b2a1a1かな? >>471
湖北・湖南省にO1b2a1a2bが数%ずつ確認出来る。
ベトナムから陸路で北上したのがO1b2a1a2、海路で北上したのがO1b2a1a1かな? >>471
考古学・考古遺伝学的に論証が存在しない事ってのはどれだけの範囲の想像を許す事になるのだろうか
O1b2は古人骨では明らかに弥生時代にしか存在しないハプロでしょ?最古のもので2500年前ほどだったと記憶してるが
しかし弥生時代の渡来人で代表的に語られるサブグループでもあり、弥生時代の開始を前進させる解釈が主流になりつつある昨今では
状況証拠的に少なくとも3000年前から存在してる事になる
他に発生と分岐を見れば分子時計の概念からして縄文時代のかなり古い時期、
鬼界カルデラ噴火時には既にいた可能性も出てくると某スレで議論中 O1b2a1a1-CTS713は47zの下の重要な分岐で、このタイプは3500年~3000年前に連続して分化し、その中のY130364は明らかな人口爆発があった。日中韓の祖先を共にする年代は3400年前。中国では主に漢族に集中しており、近代的に中国に移った朝鮮族を除いた統計では、遼寧省のCTS713の割合が最も高かった。
https://x.com/C1a1_M8/status/1725522768488493468 O1b2a1a1-CTS713、O1b2a1a2-F2868(K4)は日本渡来系の主なタイプで、この二つのタイプの中国での割合が最も高かったのは遼寧省で、O1b2-P49の割合が最も高かったのも遼寧省だった。中国朝鮮族を除いた統計だ。ちなみに、C1a1-M8も遼寧省の割合が最も高いです。
https://x.com/C1a1_M8/status/1408280589938032642 >>477
ウィキペディアの新しい記事を読みましたが、
O1b2a1a1とO1b2a1a2の分岐年代が5208~6060年前と前倒しになってて、従来説の8000年ぐらい前と比べて相当な開きがある。
そのソースの信憑性がちょっと疑問に感じます。 アイヌ人のY染色体ハプログループ
D1a2a 75%
C2a2 25% 韓国人のY染色体ハプログループ
O2 40%
O1b2a1a2a 33.3%
C2b 9.3%
D1a2a 4%
O1b2a1a1 4%
O1a 2.7%
N 2.6%
O1b1 2.6%
R 1.3% インドネシア西部のY染色体
O2 36%
O1a 20%
O1b1 12%
O1b2a1a1 8%
O1b2a1a2 8%
R 4%
その他 インドネシア・ボルネオ島のY染色体ハプログループ
C系統 5%
K系統 10%
O1a 15%
O1b系 37.5%
O2 17.5% >>483
戦前のインドネシア駐留日本陸軍23万5800人
1950年のインドネシアの人口7700万人
O1b2の16%が日本軍兵士の産ませた子孫だとすると、数百万人の子孫になってしまい、ちょっと多過ぎる。 それだったらオランダ軍兵士の子孫も混じってないとおかしい。 >>483-484
ベトナム人のY染色体ハプログループ割合
O2 40%
O1b1 27.1%
O1a 5.7%
C2 4.3%
D1b1 2.9%
N 2.9%
O1b2a1a1 2.9%
O1b2a1a2 1.4%
他 >>487
ベトナム人Y染色体ハプロの続き
Q 7.1%
R 1.4% >>487
O1b2が旧日本軍兵士の子孫なら、D1a2aも同じように出て来ないのは矛盾する。 >>483
37人中の3人で8%だから、たまたま日本人子孫の家族に当たったのでは?
江戸時代初期には山田長政やら侍傭兵やらが活躍していたらしいし。 5900年前の埼玉人骨のY染色体ハプログループはオーストロネシア系E1a1a
ミトコンドリアDNAの遺伝子配列は現代マレーシア・インドネシア人と酷似