邪馬台(やまと)国の卑弥呼から持統天皇までの王都は阿波であり壬申の乱も阿波で起こった事であると、とんでもない電波を飛ばす「阿波古事記研究会」等の団体があります。説を唱えるのは自由ですが徳島県では地域ぐるみで地名や伝承、神社の祭神の捏造も行っています。捏造に加担している神社も存在し、これは神社伝承学を逆手に取った悪質な犯行であると言えます。
このスレは徳島県におけるこの状況に対して深く反省を促すと共に、この捏造を周知するため悪行を晒し上げるものです。捏造の根源とも言える岩利大閑の著書「道は阿波より始まる」や徳島商工会議所青年部製作映画『少女H』などに登場する神社や捏造等についてその実態を詳しく言及します。

【阿波説完全崩壊】
王都阿波説がその根拠としている
「(論)大御和神社」神社拝殿上に「文武天皇(七〇二年)の御宇、 この閤宮より、国璽の印と国庫の鍵を差し出した」及び「(論)八倉比売神社」(徳島市国府町矢野)祭神・大日孁命。 この両神社には重大な仮冒を示す文書があり、捏造が確定しました。

『吉田東伍 大日本地名辞書 上巻 二版 1907年』
名東郡 府中 (前略)○延喜式、大御和神社今府中に在り、印鑰大明神是歟と云ふ、然れども印鑰と名つくるは、惣社にあらずや、不審、矢野の杉尾社を參考すべし。<略>
矢野 (前略)○矢野の杉尾明神は、神山に在り、相傳へて天石門別八倉比賣祠と爲すも、疑はし、 阿波志云、按するに八倉姫社は名東郡一宮なり、寛延の勸進帳序にみ江たり、先輩の説も然り、扨此社は郡中の大社なれば、郡中の第一たる社の内にて一宮といひしならむ、此矢野村杉尾社は、大御和神社なるべし、さるは杉は三輪神に因由あり。
紀州石垣庄中尾氏文書に、承平六年八月十六日、阿波國北方杉尾より、明神兄廿三才弟十九才、紀國石垣中村へ渡り、彼地にて中尾大明神と崇むる由を載せたり、此矢野の杉尾社は即其明神なるべし。一說に、杉尾社を式內天石門別豐玉姫歟と曰へど、亦臆斷を免れず、大御和神とや申すべき。

蔵玉牆神路巻 抄(岩野信太郎氏所蔵)
印鑰大明神社
名東郡府中村印鑰大明神 奉尋御神名 印鑰又名麝香童子
丁印通用金剛 本地釋迦如来也 辨財天十五童子之
第一也當社祭禮九月九日也