【権力の】伊藤博文・山縣有朋・井上馨【亡者】
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>>470-474
戦争に負けて自分が間違っていたと反省して
原爆落としたカーチス・ルメイに勲章を与えた昭和天皇の悪口を言うんじゃねえよw 伊藤も山県も幕末を生き抜いた男達だけあって
慎重さと最善をつくすことのバランスが絶妙
日露の時ぎりぎりまで反対しててもいざ開戦となれば
金子堅太郎を米国に送ったり、全体を見て策を尽くす伊藤
ロシアを仮想敵国として軍備増強に努めてきても、開戦には慎重だった山県とか
井上は本人も言う通り政治家向きでない所もあるが、侠気のあるいい漢だよな
3人とも”明治政府を牛耳ったヤツら”だけのことはあるよ 元お殿様の世話を焼いたり鬱気味になってた木戸にも信頼されたり
仲間内(?)の面倒見るのが好きだな井上は
癇癪持ちで世話好き 親切だけど短気というのがなんとも
伊藤とは親友だし山県との関係も悪くなかったし
世間での評価と近しい人の間での評判が井上ほど違う人も珍しいような 井上は身分差別もしないし、イジメラレてる人も頻繁に庇うし
周囲の証言だけを聞くとめちゃくちゃイイ奴なんだよな
井上以外でも、後藤象二郎もそのタイプだと思う>世間と近しい人の評判が大きく違う 井上ほんと不思議だよね〜
面倒見いいっていっても我儘だし、近しい相手は必ず凝ってる割にあやしい手料理の犠牲になるしw
イジメられてる人を庇うといっても正義感じゃなく、自分の好きな奴が窮地だったら理屈抜きで庇うってことだよね
でも正義感というか変な倫理観や理屈なしに行動にでるところが頼もしいともいえるね >>88のソースが見つからん
井上の娘の千代子って母親は誰?
武子じゃないようだ
後は兄貴の五郎三郎光遠の長男の詳細キボンヌ 光遠の長男ってつまり勝之助や勇吉(博邦)のお兄さんかあ
どうしてたんだろうね
弟たちは結果として偉い人の養嗣子になったわけだけど 長男;不詳
次男:井上 勝之助
三男:森 祐三郎
四男:伊藤 博邦
五男:堀川 辰吉郎? >>478
山縣や井上は伊藤の出来ない汚れ役を全部やってる感じがするんだよね。
例えば、伊藤が金に綺麗な男だったというのも間違いでかなりの資産が妻には残されており、鉄道の株券も大量に持っていた。
明治以前の官僚特有の金の公私の区別がついていないというのは伊藤にも言えたこと。
例えば山縣が政党や議会に理解がなかったのかと言えばそうでなく、むしろ選挙制限を10円に引き下げたり反面文官任用令を議会で通したり、日清戦争の時以外成功していない安易に解散する伊藤よりも政党との距離の取り方が上手かったりする。
でも伊藤にはそういうイメージはなく、私がなく、開明的、文明的で、平和主義者というイメージが何故かある。
山縣や井上があえて悪者になって伊藤の引き立て役を引き受けていたようなそんな感じがしてしまう。 あえて悪者になってっていうのは逆に肩入れしすぎてると思うわw
伊藤の遺した資産も収入の運用範囲内で汚職してたわけじゃないのだし
金に綺麗なのが間違いとはいえないと思うよ政敵の大隈でも伊藤は私心が無いって言っているしね
まあ汚職してても特に井上の場合それすら頼もしさを感じてしまうw現代の感覚では計れない所
政権運営・対外交渉という点では3人とも現実的で大事な所では協力=妥協できるわけで大差無いかも
伊藤は議会運営は別にうまくないかもねむしろ彼の功績は議会や憲法そういう制度を作った事でしょう
そして有司専制政府で過激に近代化に邁進してた頃の伊藤の方が好きな自分としては
穏健平和主義のイメージはむしろ伊藤の魅力を減じてると思ってしまうw >>485
山縣はそんな事しないと思うw
そもそも山縣が世間から嫌悪されてる原因は議会対策やら公金やら以前に
「藩閥主義者で、しかも勲章や地位が大好き過ぎ!」という部分に有るので
伊藤の居る居ないに関わらず、悪役扱いされてるかと。
まあ「山縣の藩閥主義と並んだら、伊藤のほうが随分マシに見える」という比較対照になる事で
伊藤ageに貢献している部分は有るかも知れないけどw
井上については、確か大隈重信も「井上は伊藤が困ってると何でも引き受けてしまうから
伊藤の汚れ役になってしまった」的な発言してたので、多少は同意。
ただ井上も「あえて、わざと悪役を引き受けた」というよりは単に
「伊藤を手伝っていたつもりが、気付いたら汚職政治家になっていた」という状態かと思う。 >>487
確かに伊藤がいなければ悪役になっていないはないな。精々引き立て役って所か。
ただ一般的な学説の通説の山縣井上が政党政治に無理解だったいうのは間違ってると思うんだよな。
井上は「加藤は『英国』についてはよく知っとる」と皮肉ったりしてる辺り他国の政治形態については把握していた節があるし
山縣の地方自治政策を見るにあいつら全部知ってる上で理解を示していなかったように思えるんだよな。
昭和以降の政党政治の二大政党の混乱を見ると山縣の言ってた三党鼎立論も存外間違ってなかったのかもしれん。
軍人が国民迎合し始めたせいで泥沼のシナ事変入りと太平洋戦争に踏み入れていった側面も大きいかと思う。 >>488
山縣は原の日記における評価が全てで原のような現実主義者に権力亡者呼ばわりされるだけの人物だろ。
井上の発言は日本において政党政治は根付かない(or根付かせない)とみなす発言であり、これが
キングメーカー(首相にせよ天皇にせよ)である元老の一般的な認識だろう。
元老という制度の欠陥は結局元老当人の対人関係に全てがかかるもので法的に保証されたものでないことだ。
憲政の常道のような元老相手の寝技が大正〜昭和の議会政治に及ぼした悪影響は明白であり、
元老・西園寺という強いのか弱いのかわからないジョーカーがイニシアチブを握ったために犬飼殺害後の中間内閣のように
「国民迎合」を言い訳にした議会政治を否定したい陸軍の統制・皇道派の策動を許すことになる。 >>489
井上や伊藤は大久保の立憲政体書に関する意見書に対して否定した訳でもない。
今すぐとはいかなくても長期プランとしては国民が大きなイニシアティブを握る未来も想定していたんじゃないのか?
あと法的言うが今の日本国憲法だってそうであるように憲法に書いてないからと言って法的拘束力を持たない訳ではない。
イギリスの不文法がそうであるように、歴史的積み重ねをしていけば憲政の常道だって
法として強固なものになってた可能性はあったんだよ。
だけど、そもそも時代も悪った。当の政治家たちが普通選挙を政党政治家が甘く見過ぎていたし、社会主義も研究不足だった、
そして政党政治の頂点だった浜口内閣の時にこれまでに見ないほど経済政策で失敗してしまった。
本来であれば日本は西洋と違って議会運営なんて初めて50年足らずで、
まだまだ失敗なんて当たり前で民主主義を強固にしていくに時間が掛かるのは当たり前だった。
だけど、やり直すチャンスなんてあの時代になかったこと自体が余りに不幸なんだと思うよ >>491
ないない、己が生きている時キングメーカーから一歩も脱していな時点で
権力亡者だが政党と連携した山縣以下だよ。歴史は個人の立てたプランで
動くなんてことはありえないことは自由民権運動が証明している。
徳川が倒れた、革命が起きたから議会政治が誕生したのではない。
普通選挙で多数派を形成してもなお元老にイニシアチブが発生している状況、
憲政の常道、こんなものが法制化するなら選挙は茶番でしかないよ。
濱口の失政など問題ですらない。濱口は銃弾で倒れたが後任内閣は同じ民政系の若槻だったように
経済失政で担当する政党が変わるような「寝技」を発動させないだけの常識は元老にもあったのだよ。
その常識を覆したのが満州事変による若槻内閣の崩壊過程を見ればわかる。
結局弱すぎる議会を元老たちが散々オモチャにしたのを軍部が真似したことが全ての元凶だよ。 >>492
まずはっきりさせておきたいのが、明治・大正・昭和での元老の地位。
そもそも元老とは何かという話から始まってくるけど、政治的影響力が全然違う。
西園寺公望の時は内閣の奏選権しか実質的になかった。
そしてその権限すら彼が自由に行使出来たわけではない。
21か条の要求を行った加藤高明を奏選するのは散々嫌がったらしいが
普通選挙実現を掲げて選挙に勝った憲政会を拒否することは出来なかった
元老も一応の不文法には従う必要があったんだよ。
普通選挙実行後に未だに元老に強いイニシアティブがある?
確かにイニシアティブがない訳ではないけど、若槻→田中→浜口→若槻→犬養の流れは非常に素早かった。
奏選と言うものは人物の決定から他への根回しまで非常に時間の掛かるものだが
西園寺はほとんど時間を掛けずに奏選を行っていた。
最近の学説ではここから憲政の常道と言う不文法が成立しかかっていたとしている。
山本権兵衛などが元老になるような運動があったにも拘らずそれを阻止し、
西園寺以外に元老を置いてないことからも少なくともイギリスの不文法のような制度を作り上げようとしていた
事実はもう少し評価されても良いと思うが。
あと首相が暗殺されたら同じ政党・勢力から出すってのも原敬以来からのルールね。
これも西園寺云々じゃない。他の元老がいたころからの先例ね。
軍部が真似した?5.15後はともかく2.26なんてクーデターが起こって混乱している時期に
普通首相閣僚が短期間に何人も死んだら国なんてまともに機能しません
そんな状況下で官僚以外に主導権を握れる勢力なんていたの?だったら俺が知りたいんだけど
そして君が言っている軍部が軍部がは、具体的に陸軍なの?海軍なの?
軍部が議会をおもちゃに?反軍演説する政治家一人結局当選させてしまうあいつらにどこまで権限があったの? >>493
西園寺の秘書役の原田熊雄の日記に政党人の首相推薦の運動の記録が残されているのを知らんのか。
これでイニシアチブがないとかどういう認識なのか。「ファッショ」のレッテルを貼られて首相になれなかった
鈴木喜三郎の存在は無視かね?政党内閣を終わらしたことも大したことではないと?一体これのどこが
「首相閣僚が短期間に何人も死んだら国なんてまともに機能しません」なのか?犬飼の跡を継ぐことを
しょうとしている政党人がいてそれを抑えていることを民主主義・議会政治の退潮ととらえない見解など
歴史家から聞いたことすらないそんな歴史家がいるならこちらが知りたいんだけど?
学説など知らんな?個人の見解ぐらい引用して物を言って欲しいものだ。
御真筆とやらの権威をありがたがるお人かなw
さんざん議会に大した力などないと言っているのに何を言っているのやら。いくら反軍勢力が議会で一定数いようが
国家総動員法ひとつ廃案にできない議会など軍部のおもちゃでしかないよ。このような全体主義国家への移行という大きな反論のしようがない
事実から目をそらして、大勢に関係ない事実を羅列しても無駄だよ。そちらの言いたい陸軍だの海軍だののその場その場の
自己利益を図る行動で議会政治への親疎を計るなど全く無意味だよ。 >>494
全くないとは言ってないんだけど。
そりゃ英米協調外交と国内世論の統率を図れる人物、憲法を重視する人物であることを求めたのは事実だ。
満州事変を公然と支持し国際協調と真逆な発言を繰り返し、ファシズム的で
天皇機関説も否定するという政党政治家あるまじき行為を行った人物だから確かに西園寺が嫌がったよ
でも実際はもっと西園寺の意思以上に政局は混乱してる。
まず首相以下閣僚暗殺が是認されるような反議会反政党の国内状況。
犬養を暗殺した海軍軍人への嘆願書は多かった。
政友会が協調内閣を拒否した時政友会が選挙で負けたのは、政友会でなく協調内閣を国民が支持したことを表していまいか
次に予算を減らされたことに対する継続する陸海それぞれの反発。少なくとも一応のガス抜きは必要と考えられた。
あと、宮中、特に天皇陛下の鈴木派へのあからさまな嫌悪。
犬養暗殺後、奏選前に明言しないものの鈴木を避けるよう西園寺に言っている。
そして何より政友会自体の意思不統一。鈴木総裁一枚岩に固まってないことを軽視し過ぎでしょ。
木戸日記には書いてあってはずだが、見てないの?
床波派と鈴木派で大きな派閥抗争があり、床波派が総理大臣に平沼を推し始めるという意味不明な状況になっていた。
そのような状況で総裁である中で鈴木を首相に出来るはずがなかろう。
それでも憲政の常道を止めるのを西園寺は原田に泣くほど嫌がっていたというから、
元老の意思以上の政局混乱があって間違いない。
ファシズムのレッテル?伊藤隆を始め彼がファシズム的だったのは疑いのない事実として書いてたはずだけど、
間違いだったかね。だったら君もその根拠となるを出してくれるかな? >>494
あと議会と協力できなかった林内閣がすぐに対立総辞職したのだから議会に力がないというのは現状認識能力は
なさすぎるんじゃない?
そもそも国家総動員法自体廃案寸前に追い込まれていたのに近衛新党成立を恐れた政治家がビビッて賛同したんだから
議会というか政党政治家にプライドがなさ過ぎただけの話でしょ。
それともなに?陸軍の中央の意思が介在する中で脅されたとする新説の本でもある訳?
戦後の政治家が書いた自己正当化の本でなく、当時の日記等でそんな事書いてある本なんて見たことないんだが
その国家総動員法の審議の時だって陸軍大臣が議員に陳謝してんだぞ。
議会が崩壊する大政翼賛会成立の時ですら、自己保身ばっかりでろくに反対派を纏められてない。
そして第一次第二次護憲運動になるような運動が起こらなかったことこそ
貴方の言う軍対議会という単純な構図なんて存在しなかったことがわかる。
因みに>>493に書いた主な学説は「政党内閣制の成立 1918-27年」の村井良太の著。
西園寺の奏選決定の意義について書いた本だからぜひ見て欲しい ★2ch勢いランキングサイトリスト★
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>あと、宮中、特に天皇陛下の鈴木派へのあからさまな嫌悪。
だからこれこそが日本の政党政治とやらがおためごかしでしかないことの良い証左なのだよ。
西園寺とそのフォロワーである原田熊雄による政局への介入を
憲政の常道同様良き政治介入として歴史に定義付けようとしても無駄だよ。
政友会の意思不統一なんて問題にならない。それで政党政治を終わらせたことの
言い訳が通ると思っているのかね?こちらは歴史としての政党政治を問題にしているのに
政局で誤魔化しすぎだろ。中間内閣以降の高橋財政から2.26を経て馬場財政へいたり、
予算の軍部介入はもうだれも否定できないなど政局でなく歴史を語って欲しいね。
いくら近現代史とはいえ80年も過ぎてるのだから元老西園寺賢人イデオロギーも
レーニンを持ち上げてスターリンを落とすのと変わらないレベルの話だと
気づいて欲しいものだ。
493で軍部の「あいつらにどこまで権限があったの」が496では議会を「自己保身ばっかりでろくに反対派を纏められてない。」
とし、「挙句に軍対議会という単純な構図なんて存在しなかったことがわかる。」493で議会が軍部との対抗勢力のように
書いていたのはどういうわけか?
>陸軍大臣が議員に陳謝
佐藤賢了の「黙れ」だよね。なんで陳謝のことしか書かないの?佐藤は別になんのペナルティも科されていないことが抜けているぞ。
最初佐藤のことも書いたけど自分の論旨が弱いと思ってわざと削るなよ。バレバレだぞ。
そして結局総動員法は通ると、村井の著とやらでもこんなふうに書いているのかね? >>498
>政友会の意思不統一なんて問題にならない。それで政党政治を終わらせたことの言い訳が通ると思っているのかね?
いや、あたふたしていた田中ですら一応党をまとめていたのにそれ以下の鈴木に総理大臣が務まるとでも?
歴史で語れと言うが鈴木があの情勢を纏めれたという論理的根拠を持って来てから言ってほしいね。
君自身、自分の言ったことの根拠を全く述べてない訳だが・・・・
>中間内閣以降の高橋財政から2.26を経て馬場財政へいたり、
荒木の極端な予算の介入だって高橋に言い負かされたのもあってろくに出来てないだろ。
君の言う「軍部」という組織が一致して議会に対抗し、議会も本気で対抗した上でその介入とやらで
予算権を行使できなかったなんて歴史的事実があるなら後学の為にぜひご教授頂きたいのだけど。
>493で議会が軍部との対抗勢力のように書いていたのはどういうわけか?
ウンなこと書いてないだろ。日本語勉強してからこい。
>結局総動員法は通ると
結局、政治家自身が政局優先したからだよね?それ。
お前こそリクグンノセイデー理論は卒業しろよ。
政党政治家自身の無能と国民の大衆化にこそいい加減向き合ってくれない?
>佐藤は別になんのペナルティも科されていないことが抜けている
当時の力関係で議会が弱くなったという主張と陸海ともに無責任体質だったことの話が関係あるの? 山県って東京に出た長州人の味方であって
長州在住者にとっては仇敵ともいえる存在だよな 彼らがいなくなってから
陸軍を抑えられる人がいなくなってしまった
彼らは国家のために、自ら権力の亡者と批判される役に
なったのだろうな >>502
山縣以外は別に権力の亡者といわれてないが。
陸軍を抑えるというが参謀本部よりも軍令部のほうが暴走気味だし。 今日の朝日に山縣有朋が危険人物であるかのように半藤一利が寄稿してるが
日露戦争後伊藤山縣は満州軍政を阻止しているし大隈の強硬政策を井上山縣が批判していなかったか?もやもやするわ 伊藤は実子の男児2人がいたのになぜ養子を取ったの? >>505
元老の存在そのものが日本のガンだと手を組んだ原敬が日記に書いている。
元老が軍の暴走を阻止したというのは一面をクローズアップしたものに過ぎない。
日本は政党内閣の誕生があまりに遅すぎ、誕生した頃には議会政治、世論のすり合わせで
社会矛盾を解消するというのはもう手遅れの状態だった。元老は遅くても日露の頃には廃止しなくては
ならなかった。日露から1次大戦間の緊縮財政による不景気は戦前日本の格差社会を深化させ
ファシズムの温床になったようにそれを解消するための議会政治を阻害した元老の存在は
功罪の罪の部分が大きいのは火を見るより明らか。 元老が軍の暴走を抑えてたというよりも、軍と元老が嫌われてた為に
暴走しても国民に反発されて好き勝手出来なかっただけでしょ。
二個師団増設問題とか見ても。
あと大隅が批判されること多いけど、半隠居状態だったのを
わざわざ引っ張ってきたのも元老でしょ 中国S級トップモデル 李琳?(Lee LingYue)の流出猥褻画像が流出。
共産党幹部の肉奴隷でもある彼女のセックス写真を撮影流出させた男(元カレ?)は現在行方不明とのこと…。
(無修正なので閲覧に注意してください)
http://hatena2015.xyz/srank.html 襷掛けの日本史は面白いぞ
薩長閥で同格同タイプを見ると面白い
小松=広澤 西郷=高杉 大久保=木戸 桐野=前原
村田=山縣 篠原=伊藤 黒田=井上こんな感じだろ?
高杉が明治10年に反乱を起したら
前原、山縣、伊藤、は死んでると思う
しかし木戸と井上は生き延びたと思う 伊藤博文は日露戦争の時、アメリカのルーズベルト大統領と面識のあった金子堅太郎をアメリカに送り、味方に付ける工作をしていた。
その通り日本が有利な時にアメリカが仲介してくれたお陰で日本勝利という形で幕引きが出来た。
終わり方まで考えて戦争をした政治家・伊藤博文と、文民統制を無視して陸軍に文民統制文化を築けなかった軍人政治家・山縣有朋。
その差が日露戦争の勝利と、陸軍の暴走による太平洋戦争の敗北という違う結果になった一因と見ている。 伊藤博文暗殺の黒幕が、明石元二郎、杉山茂丸、後藤新平だったという説は
どうなのかね?
伊藤博文に命中したのは、安重根が下方から撃ったピストルの弾ではなく、
上方から撃ったカービン銃の弾という室田義文の証言とか。
ソウルの安重根記念館で伊藤博文の検視報告書のコピーを見たことあるけど、
たしかに弾は上から撃たれたように見えるんだよね。
ケネディ暗殺事件と同じで、真相は闇の中? _._..,,,,,,,,,,,,,,_
,/゙ ゙゙""''ゞヽ
/ - - ;圦ミ
i .,ー,、, ,ー. :;;沁)
i ノ-・、)i /-・ヽ ;;;州/)
{ //i i ゝー ;;;;つノ
i /,,`,,,`,\ ,,,;;;;;;ノ
皆の衆 \ 厶ii:ヽlエlエlア.i:i ;;;;iiiソ
今日はわしの命日じゃよ / 从i:i::::ヾニノ:::;ミ从ス、、
/ ヽ 从i:i:i:i:i:ii:i:i从ノ'<゙ \
〆 <⌒ 从从从;/ > / ヽ,
ノ \.ヽ ∞ ./ / / ゝ
l \./ /' ) 会津神経症
会津神経症とは、会津プロパガンダに洗脳された
者に見られる精神病の一種である。
主な症状
・誰彼長州人に見える妄想症状。
・会津プロパガンダの嘘を指摘されると起こす火病。
・会津(新撰組、奥羽北越同盟含む)を独善的に正義と発信する虚言。
・明治政府側(特に長州)に対して独善的に悪だと決めつけ、蛮行などを創作する虚言、工作。
治療方法
根気よく会津プロパガンダによる嘘を説く。
完全に完治するのは難しく、会津が悪事ばかり働いてた事は理解できても
長州に対するコンプレックスや証拠もない蛮行などは、取り除くのは難しい。
中には、まったく治療できない者もいる 。
特に年配者は治療が不可能である。
主な発症地域
福島県西部、北海道南部、青森県東部、岩手県
宮城県、新潟県、関東地方南部など。 日本政府が核兵器を製造!!!
三菱商事の核ミサイル担当重役は安倍晋三の実兄、安倍寛信 三菱重工の重役でもあるらしい
これがフクイチで核弾頭ミサイルを製造していた疑惑がある 書けばツイッターで速攻削除されている
https://twitter.com/toka iamada/status/664017453324726272
安倍晋三の兄が関与している三菱重工 核開発疑惑について いくつかツイートしたが、反応がないから変だと思って、自分のタイムラインを調べてみたら、
完全に削除されていた 私のツイートで、安倍政権に都合の悪い情報は速攻削除されている これは驚いた ここまでやるのか
https://twitter.com/toka iamada/status/664016524592574464
先ほど、まだ数分以内に、三菱重工の核開発疑惑について、いくつかツイートしたが、検索しても出てこない
多くの人のタイムラインに出てこない ツイート直後に消されてしまったようだ
https://twitter.com/toka iamada/status/664015521830952960
もう十年近く前だが、自民党関係者と軍需産業関係者が集う秘密パーティで、三菱重工幹部が「我々は三日で核ミサイルを発射できる」と豪語したと伝えられた
このことの意味は三菱重工が秘密裏に核ミサイルを開発製造し、そればかりか核弾頭まで用意しているということになる この内容は完全に消された
https://twitter.com/toka iamada/status/664014573276540928
311直前まで震源地付近にCIA直属機関といわれる笹川財団の作ったちきゅう号がいて「海洋大深度ボーリング調査」を続けていた
このとき本当に驚いたのは乗組員の大半がイスラエル人という記事だった
https://twitter.com/toka iamada/status/645081466234257408
ジョン・ハムレ リチャード・アーミテージ ジョセフ・ナイ マイケル・グリーン アーロン・フリードバーグ
ジャパン・ハンドラーズが「日米安全保障研究会」(笹川平和財団主催)に勢揃いし今後の日米安保政策を議論
http://richardk oshimizu.at.webry.info/201511/article_77.html
ロシアとドイツを繋ぐパイプラインの近くで(抜粋)爆発物を装着した無人の潜水艦をスウェーデン海軍が発見、爆破したという。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201511080000/?scid=we_blg_tw01 #r_blog >>512
山縣は悪い元老、伊藤は良い元老、システム論でなくキャラクター史観では歴史は動かんよ。
日露後の伊藤の韓国での自分の勢力作りはまさしく悪い元老の見本だがな。
このように憲法にも存在しない関白同様の「令外の官」がどうして過去はさんざん荘園を作るだけの
我田引水しかしなかったのに文民統制など敷かなければならんのか理屈に苦しむ。
日本がアメリカを味方などイギリスのロシア牽制のための戦争である本質を無視した本末転倒だよ。 はーーーーーーーーーい
会津プロパガンダを擁護してるのは
やっぱり岡山のあのオバチャンでしたーーーwww
自分から削除しろと運営に絡みついといて
今度は削除依頼を削除しろと火病wwww
名誉毀損だの郡山警察に通報しただの
星や自分達がやってる事は完全に棚上げ!wwww
皆に諌められ、削除にも金がかかると解ると
世の中金か…と愚痴り始める始末wwwwwwww
何で女ってこうなんだろうね?
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/saku2ch/1405689501/l50
喜劇!!会津プロパガンダ洗脳者の失態晒しの巻
岡山オバチャン読んでる本が反日過ぎて草生えるレベル
http://blog2.patedison.co.jp/2015/10 >>506
聞いた人はもう見てないだろうけど・・・
男子の実子ができるよりはるか前に、親友の井上の甥っ子をまだ幼児のうちに養子にした。
そもそも実子の方は梅子夫人の子どもではない。
井上馨の血筋で子どもの頃から伊藤夫妻が育てた養子と
外の女に生ませた子では、その当時では同等には考えられないでしょう。
だから伊藤公爵家を継いだのは養嗣子の伊藤博邦(井上馨の兄の子)。 確かに権力欲には執着したが、やるべき事はきちんとやっていた。 伊藤博文公は
日本に近代議会を築いた功労者じゃないですか! 元老てのは幕末の動乱を
生き抜いてきたサムライ政治家たちだろ。
最後の元老西園寺公が
いなくなってから
誰も軍官僚の暴走を
止められなくなったのは
事実。
江戸時代の侍教育を
見直すべきではないか。 >>526
西園寺も止められていない
山形が死んでから。 >>528
単純な身分制度のサムライだからではなく
使命感の強い「志士」だったんだよ
志に殉じた
元勲たちは真のラストサムライなのだ
まあ最後のほうはややあやしくなってくるが 松陰は英才教育の犠牲者。馬車馬のように左右を見ず、
がむしゃらにつっこんだチンピラ。大昔の全共闘みたいな
ものさ。残党がまだいるね。
必死に受験勉強して東大さへえった。空しい。ちょっと騒いでやれ。
ややや教授も専門馬鹿だから政治っぽいもの、一見進歩っぽいもの
を持ち出し議論を吹っ掛ければ、答えられないさ。んなら大学解体
と大きく出てやれ。ややや教授連のなかにも我々におべっかいう奴
がいるぞ。おもしろい。世の中チョロイ。 >>530元勲たちは真のラストサムライなのだ
まちがいなく、元勲どもはうまく立ち回ったにせサムライなのだ >>532
感情論乙
会津信者君が認めたくない気持ちはわかるけどね 伊藤の何が素晴らしいって高杉が功山寺で決起した際に河瀬と共に真っ先に駆けつけた点だな!
正に漢の中の漢だよ
流石初代総理大臣
山縣は慎重といえば聞こえがいいが、ただ単に日和ってただけのクソ野郎 伊藤博文っていいやつだったんだね。昨日知った。
暗殺された。きっと嫌なやつだったんだろう。くらいの安易なとらえ方してたんだが、全然違ってた。
俺と同程度の人間多いと思う。いかんなあ。 >>536
凄く気さくなんだよな
金銭にも淡泊だし
散歩中に農民とかにも話しかけたりね
伊藤博文は頭がキレるのは勿論だが男気と人柄で位人臣を極めたのさ しかし伊藤博文は、軍務以外で人を殺したことがある唯一の総理大臣だぜ(黒田の妻殺しは噂の域を出ない)。 【暗号文】皇族の暗号(仁和寺宮蝦夷開拓ニ付申立并職務任免ノ御達)★
1 :teda wakou@g .com:2016/07/12(火) 13:04:36.69 ID:HOEH6syn
皇族が残した明治維新に関連する暗号文。(公文書)
あなたには、この謎を解けるか!?
googleで下記を検索すると出てきます。
仁和寺宮蝦夷開拓ニ付申立并職務任免ノ御達 公文書
kimitujyouhou/koubunsyo >>538
しかしそれも渋沢が言っただけやろ?
別に事実でも構わんけど
後は英国公使館焼討ち事件とかな >>538
そら同郷の警察トップがモミ消したからな >>535
洞ヶ峠決め込むわ維新早々汚職するわ(山城屋事件)で山県はカス野郎だな >>538
でも伊藤って戦にはあまり参加してないんだよな
どちらかというと戦が苦手なのかな
長州が巻き起こした禁門から下関戦争までの戦乱には不参加で
戊辰戦争時も兵庫県知事やってたし
でも高杉決起にいの一番に駆けつけたのが
戦争畑を歩んできた山県と違うところ いやまぁ山県は日清戦争では現地に赴いたがクソだったから帰国させられてんじゃん
日露戦争でも満洲軍総司令官になりたがったが児玉に嫌がられてるしよ
対する伊藤は日露開戦には飽くまで反対だがロシア軍が日本列島に攻め込んできた場合は一兵卒として最前線で戦うと明治天皇に奏上して漢気発揮してるからな
役者が違うんだよそもそも 山県にとって戦争は「出世の手段だから、リスクは負いたくない」
伊藤にとって戦争は
「できるだけ避けなければいけない最終手段、しかしやる時は命を懸けてやる」 山縣について色々言われてるけど
昭和の軍事官僚とは天と地との差だぞ 伊藤博文、大隈重信、大久保利通、山縣有朋、井上馨ら幕末から明治維新にかけての日本の政治家は「琉球人は日本人ではない」と言っておきながら、
1871年に宮古島の島民が乗った漁船が台湾に漂着して台湾の先住民族である蛮族に54人が殺害された事件の報復措置として1874年に台湾出兵を決行している。
そのときの明治政府の主張は「琉球人は日本人」。
明治政府が琉球人を日本人と主張して台湾出兵を決行したのは、当時、日本の領土ではなかった琉球を奪い、領土を拡大するという国家としての野望があったからで、
そのため琉球の人々を「日本人」としなければ台湾に対する報復措置の名目が立たなかったのである。
日本の明治政府は政治的な理由で、あるいは都合が良いときだけ「琉球人は日本人」と言って外国に対して嘘をついていた。 この三人を同列に評価するのは無理がある
大久保、木戸が飛車角なら伊藤は金
山県、井上はせいぜい歩 安倍晋三首相はよく「日本を取り戻す」と言うが、安倍首相が言う「日本」には沖縄が入っていないことがよく分かる。
そのことは以下の事実が証明している。
2013年4月の国会答弁で安倍首相は「サンフランシスコ講和条約が発効された1952年4月28日は日本が完全に主権を回復し独立を果たした日。4月28日には主権回復を祝う式典を開催する」と語った。
そのサンフランシスコ講和条約が発効された1952年4月28日に沖縄は主権を回復していないのに、安倍首相ははっきりと「1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効で日本は完全に主権を回復した」と語っている。
安倍首相の答弁が正しいなら沖縄は日本ではないということになる。 >>551
頭の狂ったシナチョンパヨクは、
「米国の独立記念日の1774年7月4日の時点で、13州の国だったのだから
今の50州はおかしい。37州は米国の領土ではない」と言ってるのと同じだなwwww 「日本人の境界」(新曜社刊)
http://www.shin-yo-s...ks/4-7885-0648-3.htm
第1章 琉球処分―「日本人」への編入
「国内に人類」への統合と排除/外国人顧問の提言/「日本人」としての琉球人/歴史をめぐる争い
第2章 沖縄教育と「日本人」化―同化教育の論理
旧慣維持と忠誠心育成/「文明化」と「日本化」/歴史観の改造
第12章 沖縄ナショナリズムの創造―伊波晋猷と沖縄学
沖縄にとっての同化/二重のマイノリティ/防壁としての同祖論/沖縄ナショナリズムと同祖/排除と同化の連鎖/啓蒙知識人として
第18章 境界上の島々―「外国」になった沖縄
「少数民族」としての沖縄人/「琉球総督府」の誕生/「アメリカ人」からの排除/「日本人」であって「日本人」でない存在
皇民化政策のもと、日本人ではない沖縄人を無理やり日本人になるように強制したり、
逆に「沖縄人」というだけで差別をしてきた日本の明治政府の醜さを余すところなく紹介した秀逸本が「日本人の境界」。 >>553
>日本人ではない沖縄人を
沖縄の言葉は日本語の方言で、文法も全く同じで
沖縄県民が日本語の標準語を覚えるのは、ごく簡単
沖縄県民にとってシナ語は完全に外国語で、習得するのに数年掛かる。
沖縄文化は、柳田国男によって東北地方との文化の類似性が
明確に記されているように、日本の古い伝統的な文化や伝統が、
沖縄や東北など、辺境の地でよく残っている。
言語も文化も同じなのだから、完全に同一民族
別民族だとウソつきのシナチョンパヨクに洗脳されて、騙されているだけ。
日本の皇室は海族で、黒潮に乗って、華南から台湾・沖縄・日向・土佐・熊野
とやって来たのだから、むしろ日本の源流が沖縄 「佐藤優 分析 安倍首相が沖縄知事と会わない理由 琉球王国外交文書が里帰りが意味するもの」
https://www.youtube..../watch?v=Mt5M97M1_m8
この動画の6分30秒のところで佐藤優氏が「私の父親は日本人で、母親は沖縄人」と語っている。
日本人の父と沖縄人の母を持つ佐藤優氏のアイデンティティーへのこだわりがよく伝わってきて実に興味深い。 >>555
>母親は沖縄人
日本の習慣として地域性の強い所は「人」を付ける。
「関西人」「東北人」「長州人」「信州人」「会津人」「南部人」など
「関東人」「四国人」「山陰人」「北陸人」とは言わない
>沖縄人の母を持つ佐藤優氏のアイデンティティーへの
シナチョンパヨクが懸命に「日本人とは別人種だ」とウソを言っているだけで
言語も文化も同じ同一民族。沖縄文化は巫女やうたきなど、東北文化と極めて
類似性が高い事は、柳田国男が指摘している。移り変わりの激しい中央では
はるか昔に廃れてしまった日本古来の文化が、東北や沖縄のような辺境では
むしろ残っている。 土木作業員として伊藤博文の家に出入りしていた田村半助の長女喜勢子が伊藤の妾にされた。
26年、その喜勢子が病死する。
だが間もなく伊藤は田村の次女を手に入れた。
30年、その次女つね子も病死する。
だが間もなく伊藤は田村の三女の雪子を手に入れた。
殺してるー
小泉みたいな朝鮮人だ 井上馨は木戸孝允の子分だったのに
いつのまにか大久保利通の子分になって
最終的には伊藤博文と山縣有朋の長州2大派閥の調整役になっている
経済面でも渋沢栄一を腹心とし三井、鴻池、藤田(久原鮎川)、大倉、古河といった三菱以外の財閥を牽引して
日本の産業近代化と経済統制に成功している
人気はないが掘り下げると相当味のある人物だな バリバリの上士出身なのに、親友が農民出身の伊藤だったり
ガチガチの攘夷派だったのが、英国留学で開国派に転向して
攘夷派に殺されかかったりと、人生波乱万丈すぎ 井上馨はヘンな人だよなぁ
変な意味、汚職もダイナミックだしw
あらゆる分野で逸話があるし
お金の話で特に、らしいなーって思ったのが
志士時代、活動資金がなくなって困ってる高杉に頼まれて
わずかな日にちでお金を工面してくるんだけど
そのお金は井上が高杉のオトンに借りてきたもで
それを知らずに喜ぶ高杉っていうオチ この三人には血を引いた子孫が健在なのに木戸には子孫が全くいないという皮肉 伊藤は実の息子がいるのに、実際に家を継いだのは
養子の井上馨の息子
愛人の子供だからっていうのもあるけど
伊藤の家で育てなかったり(ちなみによそで産ませた娘とは同居)
井上には気を遣ってる
上にも書いてる人がいるけど、身分が違うのに
伊藤と井上って終生の本当に信頼できる親友なんだな
普通は政府の高官とか偉くなると意見が合わなくなったりするのに
(西郷と大久保とか)、議論はしても政治的な意見はずっと一致してるんだよね どうも勘違いしてたらしい
井上にも木戸と同じく息子がいないみたいだ
伊藤の養嗣子になったのは井上の甥だったので訂正しておく 井上は娘のみ
伊藤は両方いる
木戸は娘がいたが早世した
山縣は子供の殆どが夭逝という皮肉
実の子孫が現代まで残っているのが伊藤山縣井上 1950年トヨタ自動車が経営危機に陥った時の対応
結束の住友(大阪銀行名古屋支店長・小川邦彦)
「機屋(豊田自動織機)に貸せても、鍛冶屋(トヨタ自動車)には貸せない」
組織の三菱(三菱銀行)
「中日本重工業と競合しているので潰れてしまえ」
人の三井(帝国銀行取締役・三井高長)
「販売強化のために販売会社を分離するなら緊急融資に応じよう」 悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた
朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
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TRCQF 井上馨の娘の母親って誰なのさ
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