【権力の】伊藤博文・山縣有朋・井上馨【亡者】
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山縣自身は同郷の長州閥より島津久光、大久保利通、西郷隆盛と気質が通じ合ってたみたい。 幕末期に日本の方向を示した重要人物が楠木正成
そして当時最も高い視座を持っていた人物が大久保なのは間違いない
西郷のアイドルは正成だったのだが足利尊氏みたいな人で草
大村益次郎に思いっきり足利尊氏呼ばわりされてた笑
当時は罵倒語なんだろうけどそれくらいカリスマ性があったということ >>676
そりゃ長州人は陰では足軽扱いしていたからな。 板垣退助の言葉を借りるなら
大久保、木戸、岩倉がなくても西郷隆盛だけでも倒幕は可能であった。
なにしろ西郷隆盛だけで江戸城無血開城に戦術最強の庄内藩を抑え込んでしまった。
もし木戸や大久保が対幕の交渉役ならば無用な反発を買って全面衝突に突入してたのではないかと >>675
どことなく西郷と山県は秀吉と三成の関係に似てる。
司馬遼太郎曰く、
権力を神聖装飾化させることに夢中だったのが石田三成と山県有朋。
人気なさすぎですもんね二人とも 明治新政府の高官の中で最も地味だった大木喬任。
目立たなかったから足を引っ張られることもなかった。 板垣退助と勝海舟の二人は幕末最強の脇役
この両者が人物評では最高位に評価するのが西郷隆盛 西郷が汚い役引き受けたのがでかい
がよく考えたらもっと汚い役だったのは大久保だな 田中角栄が幹事長時代が最盛期だったのと同じことよ。 幕末にまっさきに死ぬはずだった海江田信義が
日露戦争の後まで生存して畳の上で死んだ。 脳筋バカの海江田信義も黒田清隆も薩摩藩士特有の親分肌で人望が厚く新政府内でも嫌われることはなかったのであろう
これが大村、井上、山県の長州人は頭の回転が速いが怜悧だから大衆から嫌われやすいのよ 大久保利通でさえ笑顔になると薩摩人特有の愛嬌があったそうだ
もし大久保が長州人ならば井上薫や山県有朋よりも蛇蝎のごとく嫌われていたに違いない >>688
黒田は酒癖悪過ぎて煙たがられてたけどな 幕末の元勲が日露戦争後にいなくなってから太平洋戦争までの過程がクソ過ぎた
それだけ見ても三人はまともだよ そのすぐ下の世代が早くに消えちゃったからね。
川上操六、児玉源太郎、桂太郎は死に、山本権兵衛は失脚。 巨大組織は三代目に滅びる呪縛から抜け出せなかったな 黒田→酒乱
伊地知→狂人
海江田→大村を暗殺
で明治政府内で嫌われてた >>695
> 伊地知→狂人
ではないが軍事的才能はなかった。 >>695
大村が大阪で暗殺された時海江田は東京にいたから無理だろ 海江田も黒田も大久保に手厚く保護されてたじゃないか
一般的に薩摩人は長州人に比べて嫌われにくい
暗殺された大久保の葬儀にも数千人も集まったのに山県は千代の富士のごとく誰も来ないに等しい
三島通庸も福島県令でメチャクチャやってても薩摩藩士ということで得をしてる
逆に井上や山県は長州人ということで無駄に嫌われて損をしてる 井上薫なんて汚職事件以外に弾圧なんてしたことないのに巨悪の権化の扱いされてるからな
ただし勝海州が井上薫は伊藤博文より胆力が勝って格上だと評価していたが
まあ山岡鉄舟みたいな古武士風味からは「おまえごときはふんどし担ぎだろうと」嫌われるタイプなのは仕方ないか 勝の人物評なんて当てにならない
ホラ吹きだからな
司馬みたいなもん >>697
大村が襲撃されたのは京都。
そのときは海江田も京都勤務ではなかったかな? 日頃から「大村を殺したい」と言ってたし実行犯たちと繋がりがあったんだからもうこれだけでクロやろ
実行を命じていなかったとしてもこれ↑だけで思想的なバックボーンになってるからクロや 花神の影響で見事に脳筋バカにされてる海江田信義だが
真実は大久保利通が評価するほどの行政手腕が高かったみたいだ
むしろ大村益次郎こそがペーパー試験で100点満点取れるだけのKYだったんだろう 大村は偉人だけどアスペと分析される障害持ちだったよう >>683
勝海舟が大河ドラマの主人公になってるなら
板垣退助が主役の大河ドラマも見てみたいものだ
ある意味では最も現代的でスマートが土佐藩士だからな >>708
いかに天才でも絶対に関わりたくない人間はどの時代にもいるもんだ。
薩摩藩士の愛嬌は無敵なり。 結局最後はサツマイモ揚げで〆る大久保おじさんウザス
「大久保」とさらに「薩摩」をあぼーんワード指定推奨
荒らすなキチガイ 氷塊と恐れられた大久保利通ですら笑うと薩摩藩士特有の愛嬌がひどくあったと外国人公使に評されている
男は愛嬌なんだろうな結局は
やたら細かい事にうるさい大村益次郎は女性的だと見た >>710
主役ではないが「獅子の時代」では出番多め。 鍋島直正、江藤新平、板垣退助。
大河ドラマ化されてないの幕末最後の英雄。 今日までの土肥は最高の裏方藩なんだよな
もちろん主役は薩長で。
坂本龍馬も裏方に徹していたし。 残るは鍋島直正、江藤新平、大隈重信の佐賀グループしかない 板垣は知名度は勿論主人公としても十分に魅力的でドラマティックな人生なんだけどな
軍事的才能卓抜ながら維新後は自由民権運動の闘士として藩閥政府と丁々発止議論したり、
後藤と共に日本人初のルイヴィトンの顧客になるとか色々かっこいい
ガチの征韓主戦派だから腐れNHKが忖度してんのか? 最強硬派の西郷が何度もドラマ化されてるからそれはない
むしろ板垣は一代華族論を唱えるぐらい世襲議員を徹底批判して自由民権運動に積極すぎたから
世襲議員が多すぎる現在の政治家連中が嫌ってるんじゃないか? 板垣死すとも… の時に死んだもんだと大半の人は思ってるよ
自由党もパッとせず大隈みたいに再登板もないまま
尻すぼみに消えていったイメージ >>716
江藤新平は「翔ぶが如く」では出番多かった。
最大の見せ場である晒し首シーンもあった。 与党も野党も関係なく世襲だらけの永田町の議員達が『一代華族論』を書いた板垣退助を好きになるわけがない >>707
その勝海舟を徹底批判してたのが福沢諭吉。
両者とも西郷を維新至上に置いてるのだけは一致してるが。 尊皇思想の権化にして無私無欲で公平、
自由を重んじ国民の為に藩閥政府と戦い続けた板垣こそ真の愛国者
理想的日本人 全然自由民権じゃないけどな
ただの暴れたクズが自由民権
あ、地方でやってた本物の自由民権の方たちは素晴らしかった 板垣退助百円札が1953年から1974年まで発行されてた不思議
そこまで大物でもないのにね
戦後ということで政治的な意図があったんだろうな 21年間も、ですよ
それにしては今はすっかり忘れ去られてるな 板垣はそのまま陸軍軍人に徹していれば
元帥になれただろうに 元帥なんて大したもんじゃないだろ
お札になった元帥いる? 最期には西郷と板垣は西郷と大久保より蜜月になってしもうた >>733
薩長がいやがったのと土佐の人材が払底していたから参議にされた。
板垣を陸軍か海軍に入れると大将にしなければならなかった。 てか総理になってはいないとはいえ井上が侯爵なのに元老ですらない桂が公爵っておかしくねぇか?
日露戦争の功績とか安倍ちゃんに抜かれるまで憲政史上最長の総理だけどさ >>737
井上が公爵にならなかった理由はなんだろ? 勝海舟は井上薫の力量は伊藤博文より上だと讃えてたのにな 桂は元勲優遇の詔勅は受けている
ゆえに元老にカウントする説と、しない説に分かれている >>740
何の詔勅も受けてない西郷従道は元老扱いなんだよなぁ 黒田は西郷兄と大久保亡き後薩摩閥の最大の大物で総理経験もある元老だったのに伯爵どまりだったのも謎 >>743
ヒント:歿年
他の元老に比べると早死してる
後20年ぐらい長生きして日露戦争で何か目立った功績があれば陞爵や大勲位菊花章頸飾もあったかな 井上薫は今でも嫌われ者だけど俺は近代日本最強の2ではないかと思うから大好きだ 井上も木戸も薩摩に生まれていたなら大久保利通みたいに超世の英傑扱いされてたのに 政争に敗れ下野したために「民衆の味方」を気取って逆襲に出ただけの板垣。
大隈もその同類。(現代なら小沢一郎) 大西郷の嫡男寅太郎は逆賊となった父のせいで幼少期から非常に貧乏していてそれは父が大赦で赦され侯爵を授かってからも続いたという
従兄の七光りで立身出世を遂げ元帥公爵元老にまでなれた大山も同じく兄の七光りで元帥侯爵元老にまでなれた従道も巨万の富がありながら従兄(兄)の遺した家族に資金援助をしなかった
>>711
これが「無敵」の「薩摩藩士の愛嬌」というやつかな 従道がもっと長生きしてたらどうなってたか
帝国国防方針とか >>751
> 従兄の七光りで立身出世を遂げ元帥公爵元老にまでなれた大山も同じく兄の七光りで
元帥侯爵元老にまでなれた従道も巨万の富がありながら従兄(兄)の遺した家族に資金援助をしなかった
西郷夫人が援助の申し出を拒否したんじゃなかったっけ? 自民党を二度も下野させた小沢一郎は50年に1人しか出てこないような大物政治家だろうが 個人的には田中角栄と小沢一郎だけは明治初期の大物達とも引けを取らないと思ってるんですよ 薩摩藩は嫌われにくいが
長州藩は毛嫌いされてるのう >>756
さすがに西郷、大久保のバケモノに比べたら小沢も田中も劣るが
長州の伊藤博文ぐらいなら拮抗できそうだなw >>728
地方の方が猟銃持ち出して300人規模での戦闘までやる選挙戦やたんやけどな
それで治安維持ができんということで選挙の時に警官が多数動員されたり有力な地方議員がテロ行為せんか見張る役人を派遣してたんやで 明治大正の自由運動というのは江戸の村一揆みたいなもんよ
昭和の成田空港闘争でも面影は消えていない
平和デモは平成以降からだろ? 土佐藩からは板垣も後藤も佐々木も維新の十傑に入ってないんだよなー 元老・元勲、どう違うのだ?
枢密院は機能してたのか?
だとしても「元帥府」はいかに?
「元帥府は絶大な権限があった」という記述をみたことあるが、近代史に元帥府なぞ出て来るかあ?
元帥はいても3名程度で、しかも老体。そんな死にぞこないが集まって何になるのやら・・
あと、軍事参議官というのもわからん。こっちこそミカドの軍事顧問ですか。 >>763
> あと、軍事参議官というのもわからん。
「統帥権の番人」と言われている。 日本軍の場合は、元帥は階級ではなく陸海軍大将に与えられた(名誉)称号
だから、元帥になると大将でなくなるわけではなくて元帥陸軍大将/元帥海軍大将となる
階級としての陸軍元帥は西郷一人のみ
海軍元帥は存在しない 元帥府に列せられた陸軍大将は西郷を除いて18人、海軍大将は13人だから3名程度ということはない
元老と間違えてるのかな 元勲と元老の違い
元勲は王政復古に功績のあった人の中でも特に抜群の働きをした人
維新の三傑や十傑や長薩肥土の主だった志士たちがこれ
明治天皇が板垣を「元勲」と呼んだように三傑や十傑に含まれない人も相当する
元老は元勲の中で天皇直々の元勲優遇の詔勅を受けた人など天皇を輔弼する特別な資格を持った少数の人々
正式な役職ではなく暗黙の了解で決まったのに近い 付言すると、元々元勲は三傑+広沢ぐらいまでを指したが、時代が下るにつれ拡大解釈され人数が増えた感は否めない >>768
元老は
伊藤
井上
山縣
黒田
大山
西郷従
松方
の7人が確定
西園寺と桂太郎を加えて9人とする場合も多い
近年では山田顯義は早世しなかったら元老になっていたであろうという説も出ている
正直、カウントの仕方は学者によって異なる 板垣退助は正面切って『一代華族論』で世襲貴族を批判してのけたから
逆にそれが現代の世襲議員からも敬遠されているのだ
なにしろ現代でも自民党だけでなく共産党まで世襲議員に支配されてる国だからなw
しかも現代より世襲貴族が多い明治期に世襲を徹底批判した板垣退助は本物の闘志としか言いようがない >>766
アホwwww
同時に存命の元帥がその数か? 31人もいるんだから同時に存命している元帥が3名ということはあるまい
いちいちカウントしてないがもっといるだろ
元帥府が存在したのは1898年から1945年までのたった47年間だからな
アホはお前だ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています