幕末、最後の謎 広沢真臣の暗殺事件
松平春嶽の評価。維新の四傑
「余が見る所にては、大久保、木戸、西郷、廣澤、四人なくんば此(この)御一新(維新)は出来まじ」 やはり案外親しい関係者であり且つ殺るには忍びなかったけれどどうしてもやらねばならなかった的様相
故に喉元に執拗に傷を付けた理由というが騒がれるのを防いだのと同時に
首謀者の名を口に出させるのを拒否るためだったとかね、例えば「木戸・・・何故」とか 広沢いないと禁門の変後も長州藩は生き残れなかったでしょ あまり敵側からも憎まれない性格
よって身内の山縣、伊藤が仕掛けてそうな気もする。
木戸、井上だと簡単に疑われるからそれはない。 木戸がやるわけない。
やるなら前原一誠やっとるわ。 >医師の検視によれば、傷は13ヶ所で咽喉には3ヶ所の突き傷があった。
犯人は乗客全員 暗殺されなければ「維新の四天王」の一人として語られ続けた人
早くに亡くなったから忘れ去られてしまった 大久保と江藤然り、なんか同類に対して結構仕掛けるよなと 結局西郷・大久保・木戸等が居なくなって漁夫の利を得たのは二番手以降
がしかしそういうのは中々計算は出来ないからね
そうなれば維新時点での序列がそのまんま新政府に引き継がれる訳だ
だったら意図してその図式を壊して序列を変えるという手法は無くはないよねと ほとんど暗殺の犯人が長州閥内でしか考えられない要因 で、広沢は幕末・明治で何した人なの?
広沢日記で有名なのは知ってるけど、それで明らかになった事実は何があるの? 賞典禄1800石という西郷、大久保、木戸に匹敵する維新四傑の一人なんどけどねw 代表作は第二次征長の和平交渉の長州側代表を木戸の代理で務めたことかな あとは功山寺挙兵後から明治までの長州正義派政権で木戸、山田宇右衛門、前原らと共に指導的役割を果たしたこと 生きていれば「初代」総理なった可能性がという・・・・・あ >>29
>>40
伊藤博文ほど闇が深い人物もいないだろ? 王政復古の大号令から戊辰戦争に至るまでの現場指揮官だった(だから賞典禄で高評価)ってどっかで読んだ記憶あるけどどうなんだろ 広沢と正反対に、維新十傑に選ばれてる前原が、あまり評価が高くないのも謎だな
しかも松陰直弟子系だし 当人が書いたものや広沢宛ての書簡や日記とか残ってるだろうから何やってたかわかるんだろうけど研究する人がおらんのやろな 広沢の研究する人がおらんつうのは歴史学者の怠慢やで