松菊木戸孝允(桂小五郎)
>>なんで生き残り逃亡が恥になるんや?
もちろん木戸自身は恥と思ってないよ。維新まで生き残ってた志士は、事実皆逃亡してたわけだし
だけど背中から斬られたら罪、という時代でもあったわけで(老中安藤信正や横井小楠の例もある)
政敵に非難される材料は与えたくないだろう、と推測した >>25だけど、
自分は
その場から危険を感じて逃げて、対馬藩邸に匿ってもらった
というのが事実だと思う
ただ、「事前に」という木戸の言い分も(大島は当日藩邸にはいないし)、
「屋根伝いに」と言う乃美の言い分も疑わしいと自分は思ってる 驚異的な危機管理能力じゃないか。
幕末時代に無理をしすぎて寿命には勝てなかったみたいだが ほぼ処刑で決まっていた徳川慶喜が処刑を免れたのだけは木戸孝允の一声 慶喜の寛典論についてはその通り
>>29のにあるように、藩主には寛大に、責任取るのは政治を任されていた臣下に
という考え方は、当時としてはごく普通のこと
だからこそ賛同も得やすい、という計算もあっただろう 逃げの小五郎もそうせい公も昭和になってからの異名なのに、当時からそう呼ばれていた
と解説されることが多いよな
あほか 幕末明治で木戸以上の人物なんて
いないんだから、よくぞ逃げてくれただよ。 江戸川乱歩は木戸と明智光秀をどう思っていたのかコメントしていないよな。 小五郎という変装名もいかしてるし木戸はセンスありすぎる人だよな >>39
小五郎は変装名ではないでしょ
子供の頃からの名前だよ 木戸の顔って脂ぎってて生理的に無理
酒の飲み過ぎと小言好きが顔に出てるし 伊藤に対する小言ならほぼ木戸が正しい。
伊藤は最恵国待遇も知らずに米国と協定を結ぼうとした
軽率な人間。
伊藤は自分が内閣になったときに木戸の側近を使って
組閣してるからな。 顔の話からそらした
いかにも小言好きな顔なのは認めた模様 鬱病気味のイケメンか?
確かにそうかもしれんが他の誰よりも九死に一生を潜り抜けてるだけにええやろ。 九死に一生、は井上馨に負ける
あんなたるんだ肌でイケメンはない 幕末の写真を見ると松前崇広の顔が一番現代的と言うかその辺にいる気のいいにいちゃん顔
秀麗なのは五代友厚 松前崇広はブルーカラーの顔をしているよなあ。まあ武士はもともとはブルーカラーなんだけど。 1868年、戊辰戦争終結後、新政府の体制を巡って対立していた勝海舟と木戸孝允。ある会議で意見が対立した際、勝海舟は木戸孝允に対して「木戸は実に小さい」と発言した。この発言は、木戸孝允の政治家としての力量や政策に対する考え方を批判的に捉えたものと推測される。当時、木戸孝允は身長が低く、体格も小柄であったため、勝海舟は外見的な特徴を揶揄する意味で「小さい」と言った可能性もある。しかし、一方では、木戸孝允側からの視点や、当時の第三者の意見なども考慮する必要がある。木戸孝允は勝海舟の発言を単なる誹謗中傷と捉えず、自身の政治的立場をより強固なものにするために利用しようとしたという見方もある。 木戸孝允より勝海舟の方がよっぽどチビだろ
どう見ても身長の話じゃない 木戸と勝じゃあ近代政治家としての
力量が違いすぎるから。 大村も木戸は嫉妬深いと認めてるから
そこが木戸が器が小さすぎると評されたのかもしれない
だが藩閥政治を否定して世襲大名も廃止させたのは木戸 木戸孝允館の管理人さんが書いた『維新の恋と嵐』って、知ってる?めっちゃ面白いよ! 当時の将軍 徳川慶喜は、処刑されそうだったんだ。でも、木戸孝允の尽力のおかげで、命拾いすることができたんだよ。それだけじゃなく、その後も寛大な処遇を受けることができたんだ。 木戸は江戸時代/明治初期では大男の部類
そもそも、勝なんて参議としはペーペーで木戸と「新政府の体制を巡って対立」出来る立場ではない 木戸が幕臣でも渋沢や福沢や福地みたいな人間を重視したから、
俺みたいな傑物は西郷じゃないとわからないって
言いたかったんだろう。
福沢や渋沢に比べたら勝なんてただの馬鹿だ。 自分が西郷と江戸城の関係で仕事をしたから自分を評価してもらうために西郷を持ち上げて木戸を下げてるだけのセコい男だから勝は >>25
木戸孝允の「対馬藩邸に行った」という発言と、乃美義勝の報告書にある「屋根伝いに逃げた」という記述は、それぞれ矛盾しており、どちらが真実なのか判断が難しいですね。
まず、木戸自身が「その場から逃げた」とは言いづらいという点。当時の政治情勢や自身の立場を考えると、命の危険を感じていた可能性は十分に考えられます。しかし、対馬藩邸へ逃げ込んだという具体的な行動は、裏付けとなる証拠がなく、彼の名誉を傷つける可能性もあるため、発言内容に慎重になる必要があったのかもしれません。
一方、乃美の報告書にある「屋根伝いに逃げた」という記述は、彼の目撃談に基づいている可能性が高いものの、誤報の可能性も否定できません。桂小五郎の暗殺事件直後という混乱した状況下で、正確な情報収集が困難だった可能性や、故意に情報を操作した可能性も考えられます。
結論としては、現時点ではどちらの記述も確証とは言い切れません。歴史的な事件の真相究明には、様々な史料や証言を慎重に分析していくことが重要です。今後は、新たな史料の発掘や研究によって、より真実が明らかにされることを期待しましょう。