☆的を「得る」とか「役不足」を誤用する馬鹿 24☆
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『的を得るとか役不足を誤用する馬鹿は、IP抜いて素性暴いて晒し者にしてもいいと思う。
それと、「食指」じゃなくて「触手」が伸びるとか言ってる奴は、
人間じゃなくて火星人か何かだろうから、地球防衛のために捕まえて
処刑してもいいと思う。』
って、↓のスレで土曜の深夜から日曜の夕方にかけて284連投したキ〇ガイが言ってました
前スレ
★的を「得る」とか「役不足」を誤用する馬鹿 23★ [無断転載禁止](c)2ch.net
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/kobun/1530392412/ >>63
俺はあくまでも自分や周りの人間がちゃんと使っていたという意見を言ったまでで
それも自分で生きてきて言葉を使って来て経験上確信している
個人の話ではなく親世代や同世代の他の人間も同様だったな
それを個人や地方限定だと言うならそのソースも出してくれよ
個人の話を撫で斬りにしようというなら一般論を持ってるんだろう?
それを出してくれればいい
>凡そネツト上に上がつてゐる情報限定での話では無いのかね。
実際に辞書の編纂者が調査した結果の話であって辞書にも展開されている
報道もされていたが知らないんだな
ただ単に信じられないでは会話にならんのだよ
自ら調査してより優れた正しい情報があることを示してくれればいい
より信頼性の高い情報が出せればの話だが ★★★車窓風景に関する限り、日本の圧勝のよ▲うです★★★
http://jbb▲s.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/3729/1072067188/100-106
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> 現行仮名遣いに反する旧仮名遣いに固執するくせに、正しい言い回しはー〇〇とか主張してさ。
> おたくの仮名遣い自体が、現代には通用しない
現行仮名遣いとやらが假名遣の本來の定義とは破格であると云ふ事實を認めないとね。
現行仮名遣いは文法及び語法竝に語幹・語根其の者を完全に無視した表記體型。
國語本來の表記では無い。
> 2ちゃんでどんな仮名遣いをしようと自由と言うなら、得るだの射るだのもどうでもいいだろう
其は「假名遣」なの歟(嗤)。 >>68
だからさ固より「的を得る」つて普通に文章として成立してゐないから(嗤)。 的の何を得るのではなく、
的そのものを得るんですよ。
的というのは、物事の中心・核心というのが語源。
よって、「論の要領を得る」ことを「論の的を得る」と言うのです。
ちなみに、「得る」とは。「わがものとする(取得・把握・理解)する」という意味です。 >>73
<文章>という語の意味さえご存じない?
<文章>とは、複数の<文>を連ねて、まとまった思想を表現したもの。
つまり<文>が複数並んでいるものが<文章>
「的を得る」は、文章どころか、文の一要素に過ぎない。
国文法の最低限の知識もなくて偉そうですね。 >>76
得るとは英語で言えばgetですよ
英語でもI GOT IT!で わかった!という意味になる。
要領を得る
時宜を得る
的(この場合の意味はポイント)を得る…
「得る」を含む表現は多数ある。皆、何の疑問もなく使ってる。
何故的を得るだけが目のカタキにされるんですかねえ 豈に珍百景をば見るや!!!
単語、文節、文、文章、って小学校で習うよね?
ここ小学生対象なん? 文章と文、文節、語、句の区別もつかないひとがこの掲示板を牛耳ってるのかな。 421 名無し象は鼻がウナギだ! 2018/11/01 12:53:24
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181101-00027084-otonans-soci
明治大学の人らしいが
未だに「敷居の高い高級店」は昔から誤用じゃなかった事を知らない情弱が語彙力本を書いている
相変わらず総合レベルの低い国語学業界
だから「これだから文系は」って言われるんだよね
辞書とか大まかな資料を調べただけの人が、付け焼き刃の知識で学者面をしている
422 名無し象は鼻がウナギだ! 2018/11/01 15:11:09
これも間違いだな
虫眼鏡でよく精査して「合格」という評価を貰う、という意味だが相手は上役に限らない
色々と条件が厳しい通やオタク、理想が高い人など
審査が厳しい相手には何でも使うのが普通
国語学者は放っておくとすぐ用法に変な制限をつけるな
↓↓↓↓↓↓
(9)お眼鏡にかなう編
A氏:君の企画はとても良かった
B氏:「お眼鏡」にかなって光栄です
「お眼鏡にかなう」とは、目上の人に評価されるという意味。元々は、お眼鏡=拡大鏡で是非を判断したことから派生した言葉です。「お目にかなう」は誤用です。
423 名無し象は鼻がウナギだ! 2018/11/01 15:21:16
付け加えると目で見て審査して合格の判断を下す、という意味で「お目にかなう」という表現があるならそれはそれで別に問題ないはず
似た言葉があるとどっちか誤用にしたがる病気はいい加減なんとかした方がいい
どうせ間違いだと判断した理由は「お目にかなうは辞書に載ってない」とかいう小学生レベルの屁理屈なんだろうけど
この明治大学サービス創新研究所研究員 尾藤克之って人も「辞書に書いていない言葉は間違い」系のカンチガイ君みたいだな
425 名無し象は鼻がウナギだ! 2018/11/01 17:07:30
語彙分析から言えばむしろ「目にかなう」が元の表現で「眼鏡にかなう」が審査の厳しさを強調して後から出来たバリエーションまである 427 名無し象は鼻がウナギだ! 2018/11/01 19:26:37
檄(げき)を飛ばすの語源になった「檄文」の歴史を調べると、使用目的の一つに「友軍の激励」も入ってるんでこれも誤り
簡単に言うと辞書に書いてある「檄を飛ばす」の解説が短くて適当すぎる
あと「喝」には叱る為(相手の悪い心を打ち払う為)に大声を出す意味があるんで張本さんのは喝でいいです
↓
(7)檄(げき)を飛ばす編
A氏:最近の営業は気合いが入ってない!
B氏:「檄を飛ばし」ますか
「檄を飛ばす」は激励するという意味はありません。広く世間に知らしめることを意味します。文脈なら「活」が理想です。なお、某番組で張本さんの「喝!」は誤用です。
428 名無し象は鼻がウナギだ! 2018/11/01 19:59:58
潮時は見てわかる通り元々海事用語で「潮の流れが変わる時」の事。
いい方に流れが変わって「チャーンス!」って時も悪い方に流れが変わって「そろそろ逃げるか…」って時も両方潮時なので勘違いしないように。
昔から、そして今でも「潮時だから帰るか」って言っている漁師さんもいるでしょう。
辞書に書いてある事しか知らないなんて、社会人として恥ずかしいですよ?
↓
(2)潮時編
A氏:事業の成果が出ない。万策尽きたな
B氏:「潮時」かもしれませんね
「潮時」は限界が迫っている時に使いがちです。本来は「一番いい時期」を指す言葉。この文脈で使用するなら「手詰まり」「万事休す」の方がベターです。
429 名無し象は鼻がウナギだ! 2018/11/02 02:38:35
>10月15日に「即効!成果が上がる文章の技術」(明日香出版社)を上梓しました。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181101-00027084-otonans-soci
はい産廃確定 37 名無しは無慈悲な夜の女王 2018/11/03 14:04:49
1月に「高そうな店で敷居が高いっていう使い方は辞書に載りました、解散解散」って言われたんだけど?
38 名無しは無慈悲な夜の女王 2018/11/03 15:15:30
否定された古い情報でも、資料の調べ方も知らないレベルの低い人の間では語り継がれ、伝えられていく
自分の間違いを認めたくない学者が、無学な人々の間で訂正されずに生き残った間違った説をわざわざ探して集め
「あの説はまだ信じている人がいる、あの説はまだ死んでいない」と妄想する事もある
こうなってくるともう言語学や語学学習とは関係ない世界になってくる
もちろんファンタジーでもホラーでもないが…
しいて分類するならオカルト
相対性理論は間違っていたとか地球は平らだったとかそっち系の仲間
39 名無しは無慈悲な夜の女王 2018/11/03 15:43:52
>(6)敷居が高い編
>A氏:昨日、社長と赤坂の料亭に行ってきたよ
>B氏:赤坂ですか。僕には「敷居が高い」です
>
>「敷居が高い」を、レベルが高くて分不相応な場合に用いるのは間違いです。後ろめたいことがあって「もう一度行くには抵抗がある」ことを表します。
【悲報】誤用警察さん、擬似科学の仲間入り >>79
「的を射る」は慣用句。
慣用句である以上は其の意味する所を離れて、其の單文自體にも意味があり、純粹に文章として成立してゐなければならぬ。
だからこそ其の例乃至は轉として慣用句が機能する。
「的を得る」自體に何の意味も無ければ、慣用句として機能しえない。
「的を得る」とは慣用句の意味を離れて、文章として一體に何を意味してゐるの歟さつぱり判らない。 的を射るが慣用表現と広く受け入れられるようになったのは、実は平成20年代に入ってから。
三省堂国語辞典が、「的を射る」を始めて取り上げるまで、
「的を射る」は、弓道の表現でしかなく、「物事の要点を得る(理解する)」という意味でつかわれることはなかった。
三省堂国語辞典が「的を射る」をこの意味で取り上げた後も、平成20年頃までは汎用されることはなかった。
戦前から「要領を得る」の意味で汎用されていたのは「的を得る」のほう。 >>87
ならば普通に「當を得る」で宜いだらう。
「當を」を「的を」に云ひ替へる意味は全く無い。 >>88
いまどきの人は「的を得る」なんて言わないよ。
「的を得る」なんて言ってたのは大正生まれくらいまでじゃないかな。
三省堂が「的を得る」は「的を射る」の誤用だと言いだした頃及びそれからしばらくは、
まだ戦前世代、戦中世代を中心に普通に「的を得る」という表現が一般的に使われていた。
「的を射る」がこの意味でつかわれることはなかった。
「的を射る」はあくまで「射撃する」と言う意味であるため、三省堂が「的を射る」が正しいと書いた後も数十年にわたってこの意味で「的を射る」を使う人はほぼ皆無だった。
平成10年代に、団塊の世代など戦後世代がテレビ局の重鎮を占めるようになって以来、「正鵠を得る」の意味で「的を射る」と言うのが正しいと喧伝するようになり、ここ数年は、恥じらいもなく「的を射る」と使い始める者が出始めた。
でも学校や予備校の国語の授業では、さすがに「的を射る」はこの意味では教えることはない。「的を射る」はあくまで弓矢や銃などを使って行われる高位だから。 >>88
おいおい新字バカAKI
昔から普通だったのは「的を」だから普通に「的を得る」でいいだろう
同義語や似た意味の言い回しが何個あってもいいので、 「的を」を「當を」に言い換える意味は全くない
いをひ、えをへに変えたくらいじゃ歴史的仮名遣いの真似すら出来てないぞ >>85
ぶっちゃけ的を得るや的を射るが慣用句だという証拠すらない >>87
俺がずっと主張してきたことだ、ほんとあちこちの板で、的を得ると違和感を感じる、は間違いではないと言ってきた、孤独な戦いだったけど、
ここにきて、同じ意見の人が少なからず現れてほんと喜ばしい。 慣用句は慣用されて成立するもんだからな
証拠も糞もない >>91
AKIはいつから正字正假名を真似するようになったの? 勉強しよう!国語の先生必見!植民地支配で言葉奪ふのは何故なのか。「我が國語を愛し學ぶ國民の會」 設立趣意書
https://www.youtube.com/watch?v=I_dhnLZ37Cc&t
素リしい。 艸(くさかんむり)は本來四劃。
三劃の(艹)は艸の略字、草書體である。 話題そらしにかかってるということは、要は敗北宣言?
草冠の画数とか、この板なら誰でも知ってることなんだけどね >>92
慣用句だったと訴えている人がいるのかな?褌以外に。 予備校講師をしていますが、確かに、to the pointを「的を射る」と訳すことは生徒たちを前にしてはできませんね。
ここ数年、民放のバラエティー番組などで何度も「的を射る」が正しいという解説を見ることがあるし、最近ではネット辞書などでも「的を射た」というのをたまに見るけど、さすがにこの意味で「的を射る」はあまりにもおかしいと感じるので、
授業ではto the pointは「当を得て(いる)、要領を得たもので(ある)、適切で(ある)」と言ってきた。 ちなみに、「的を得ている」の「的」というのは弓や銃の対象、つまり「的中」「射的」の的ではなく
「的確」「的然」「的的」などの的で、「明白なさま、間違いのないさま」という意味。
漢文訓読で「的ラカ(あきらか)」
この意味の「的」は「射る(撃ちあてる)」より「得る(把握する・理解する)」ほうが自然。
それでもここ10年ほどマスコミがうるさく「的は射るものだ」と言っていて、
感受性豊かな思春期の子供たちも見て真に受けているので、
授業では無駄な議論を避けるため、「的を得る」とも「的を射る」ともいわず、
「当を得る」「要領を得る」「適切である」という表現を使うようにしています。 国を保てなくなり頼むから併合してやったのに、
恩を仇で返すバカチョン民族。
従軍慰安婦問題?
そんな問題はない!
親が金に困り娘を売った。
娘は知らなかった。
それだけだ。
恨むならチョンなんかに生まれた運命を恨め。
恩を仇で返すバカチョン民族。
世界の三大嫌われ民族
チョン公
ユダ公
露助
東洋のユダ公=チョン公。
在日、巣へ帰れ、失せろ、消えろ。
在日は、羞恥心がないから、日本人の蔑む仕事をやる。
そういう仕事は、金になる。
アイデンティティがないから、金しか頼るものがない。
白丁←検索のこと。 >>93
俺らはずっといたよ
マスゴミとかの声がデカくて敵が優勢に見えただけで、アンケート見れば日本人の半分は何十年も的を得る誤用説を無視してる
つーかみんな同意してないから長い事「議論の途中」だったわけで
証拠もないのにもう誤用だと決まったような話をしてた連中が頭悪過ぎなだけ 「的を射るの間違いで的を得るが生まれた」という証拠も何もないし、
同義語や類義語がいくつあっても構わない事を考えれば、的を射るの存在って的を得るが正しいか間違ってるかに全然関係ないんだけど
なぜ並べて関連付けようと思ったんだろ? >>107
「説明らしきちょっとした文章」をつけると馬鹿が信じやすくなる
よく考えれば「的を得ると似た言葉がある」「その言葉は意味が通じる正しい言葉である」という事は
「的を得るは間違った言葉である」という証明にはなっていないんだけどね
俺の言う事が理解できない奴は高校まで戻って証明という言葉の意味と必要な手順を学びなおせ >「説明らしきちょっとした文章」をつけると馬鹿が信じやすくなる
↑
それは馬鹿AKIがよくやる手。 的を得るを使ってたのが大正生まれまでとか言ってる奴は頭大丈夫か?
「じゃないかな」から始まって長々と続けるってどんだけおざなりな理論展開だよ >>109
前々から思ってたんだけど、何故かこの板は数学能力に極端に劣る人間が多い気がする
数学の証明にはある程度筋道を立てた文章力が必要なように
国語での理論展開にも証明、条件、集団等最低限の数学力は必要なんだが
同義語が存在する言語において
「意味Aを持つ単語A'が正用であるとき、同様の意味Aを持つ単語A''は誤用である」
が成立しないことなんて、中学生でも分からなけりゃいけないのにな 一番謎なのは「的は射るもの」などという無茶苦茶な決めつけがまるで正論のように扱われていたこと
何故か鵜呑みにして盲信してた奴が一時期わんさか居たが
言い出した奴の顔が見てみたいわ、どんなアホ面してるのか 言い出したのはおそらくコイツ↓でしょう。
31名無氏物語2018/07/14(土) 00:05:22.15ID:oLwhMyit
>>30
「的を射る」とは「的確に要點と捉ふ」と云ふ意味である。
此處で云ふ「捉ふ」とは「得る」「理解する」「悟る」と云ふ「受動」を意味しない。
35名無氏物語2018/07/14(土) 00:25:00.46ID:oLwhMyit
>>34
「的を射る」と「的を得る」とは同じ意味にはならぬ。
而して「的を得る」は文章としても成立しない。
「得る」とは「我が物とする」と云ふ意味だが、「的を射る」にそんな意は何處にも存在しない。 2ちゃん的にはおおいにあり得るが(その旧仮名君が広めた)、
日本全体でいうと、やっぱり辞書編集者たちだろうな。
三省堂だっけ、
「的を得るが間違い、というのは誤りでした。」と発表したのは。
最初に的を得るが間違いといい出したのは、このあたりの辞書編集者たちだろうな
だいたい一般大衆は、辞書というものを完璧に正しいものと思い込んでる。
新聞なども、枕言葉(枕詞)のように、「広辞苑によると」と書いて、物事の定義付けをしようとしている。 毎度毎度書き換えられてるのにね。
英和辞典なんて、ジーニアスでさえ、版ごとに品詞の扱いまで変えることが多々ある。 >>94
一応「慣用されてる内に特殊な比喩的意味でしか使われなくなった固定的な語句の組み合わせ」みたいな感じの定義があるのよ
ただこの定義、割とガバガバなんで専門家でも話半分にしか考えてない
本物の国語学者が書いた本だとタイトルが「慣用句・ことわざ・言い回し辞典」とかになってて
前書きで「ある言葉が慣用句か諺か、あるいは単に修辞なのかは判断基準が曖昧なのでこの本では分類していない」みたいな断り書きがあったりする 例えば「尻に火がつく」は事態が差し迫って追い詰められた状態になる、という慣用句として辞書に載っているが
火事になったときに服のお尻の所に火がついたら「尻に火がついた」って言っちゃいかんのか?って言ったらそんな事はないし
後ろから何かに追い立てられたように急ぐことを「尻に火がついたように」と形容するのも、ちゃんと比喩として成り立ってるし誤用扱いされてるのを見た事がない
あと「固定的な語句の組み合わせ」だからって「尻」を「ケツ」や「臀部」に替えたら意味が分からなくなるというものでもない
ぶっちゃけ「背中」や「後頭部」とかにかえても同じ意味の新作比喩表現が出来るんじゃないかってくらいどうでもいい
下手をすると、Wikipediaとかで調べた慣用句の定義を厳密に適用すると
日本語に慣用句はほとんどないかもしれないw
でも専門家気取りの勘違いしたシロウトの誤用警察さんはこういう事言っちゃうんだよね…
「『尻に火がつく』は慣用句だから『尻』を『ケツ』や『臀部』に変えると意味が通じない!誤用!」 >>112
この板というか文学部の教授レベルで
自分の専門分野で未証明の仮設を検証もせずに頭っから信じてる奴がいるからね
そういう事だから「文系は理系と比べてバカ」みたいなイメージが出来ちゃうんだと思うよ >>119
そもそも別の単語に言い換えても成立する慣用句なんてかなりあるんだよなあ、例えば
口を出す > 口を挟む
宙に浮く > 宙に迷う
目に付く > 目に留まる
汗をかく > 汗を流す
顔から火が出る > 面から火が出る
全て慣用句辞典に載っている言葉
通じないような単語に言い換えるなよ、ってだけで
同義の慣用句があっていけないことには全くならない
何故なら実際に慣用句の同義語は存在するから
∴「的を射る」と「的を得る」が仮に慣用句であったとして
慣用句の同義語として両者存在することに、慣用句の如何なるルールにも違反はしていないんだよね そりゃあ当を得るでいいし、要領を得るでもいい。
でも「的を射る」は本来この意味では使われない。 「当を得る」と「的を得る」は言葉としてのニュアンスが違う
「当を得る」は「正しいこと」に主眼があるけど
「的を得る」は「上手い」「凄い」のような間投詞的な含みが多分にある
英語に例えるなら「当を得る」は"correct"で「的を得る」は"marvelous"
「当を得る」の用例として「彼の当を得た発言には感心した」というのがあったけど
「的を得る」なら「彼が的を得た発言をした」だけで感心したことまで暗に表すことができ
いちいち文言をくどくする必要がなくなる
こういった違いは辞書を捲ってるだけでは分かり難い >>125
> 「的を得る」なら「彼が的を得た発言をした」だけで感心したことまで暗に表すことができ
其だつたら其を「得る」と表現するのはをかしい。
「得る」は手に入る。自分の者にす”の意。
對者の發言を評するに「得る」と云ふのは固より適切では無い。 あのね、お前の感性に従って言葉があるわけでなく、長い間の人間の生活や共有の意識・感性の中で今の日本語がある。
いちいちお前がどう思うかはどうでもいい。 >「得る」は手に入る。自分の者にす”の意。
え?
「的(物事の核心、要点)を得る(自分のものにする)」だから
つまり「完全に把握してる」って意味で合ってるじゃん
むしろ何が違うんだ? まと というのは、適宜 のような意味で、える というと、
につかわしい みたいな意味かな。 >>132
> まと というのは、適宜 のような意味で、
的とは核心、要點と云ふ意味。
適宜とは合つてゐる縡。適してゐると云ふ意味。
雙方共に意味は違ふ。 >>131
其では詞の使ひ方としてをかしいだらう。
「當を得る」の「得る」とは自分自身の縡なの歟(嗤)。 そもそも「当を得る」という表現は単なる俗語に過ぎず、もともと日本語にあった表現ではない。
明治期に外国かぶれの若者たちの間で流行した英・漢文直訳型の「洒落た言い回し」であって、昭和に入ってから定着したものの、明治末期にはまだ「新しい洒落た言い回し」でしかなく、「最近の若者は言葉を勝手にもてあそぶ」と眉をひそめられるようなものだった。 ちなみにハイレベルな外国語翻訳では、この手の「翻訳調」は控えるのが原則。
「実に当(要)を得ている」は「実に核心をついたものである」「的確そのものだ」などとするのが正解。 >>135
> そもそも「当を得る」という表現は単なる俗語に過ぎず、もともと日本語にあった表現ではない。
>
あのね
じゃおたくは元々日本語にあった言葉だけで書き込みしなさいよ
まず漢字ひらがなカタカナは使えないよ
中国から来たものだからね
やまと言葉だけでは書き込みもできない
百歩譲って文字は使うとしても、元々日本語にあるという観点から言えば、殆どの熟語も無理
清少納言みたいな文章書いてりゃいいよ
それか万葉仮名とかさ 訂正
○まず漢字は使えないよ。そして漢字をもとにした平仮名カタカナだってアウトだろ、おたく的には。 日本においては、漢字やカタカナ、ひらがなが、
もともと日本語で使われてきた「和語」を表記するために利用されてきたものなのでは? 「的」は、「(弓矢、銃の)標的」と言う意味のほかに、「物事の核心、要点、要」「明確である様子、正しい様子」という意味があります。
少なくとも「標的」も「核心、要点、要」も、「目指すべき(守るべき)もの」というところからきているのでしょう。
「得(う)」は「手に入れる」のほかに、「把握する(理解する)」「〜することができる(成功する)」と言う意味もある。
「掌握するを得たり」というと、「掌握することに成功した(掌握することができた)」
「已むを得ず」というのは「抑える(止める)ことができず」
など。
<的を得る>は「要点(要)」を「把握する」と受け止めるのが自然でしょうね。
ということで「当を得る」「核心を突く」「当を得る」これらには>>125さんの言うようなニュアンスの違いは全くありません。
「当を得た表現」「的を得た表現」の場合は、どちらも「見事な(上手な)表現」と言う意味になり、
「その回答は実に当を得たものだった」「その回答は実に的を得たものだった」
の場合はどちらも、「その回答は実に的確な(正しい)ものだった」 的確、という言葉がすでに、的を確かに(捉える)という意味だしなあ >的とは核心、要點と云ふ意味。
そうであれば、「要点を得る」と言うように「的を得る」も成り立つはずなのに、
何故このように↓言い張るのですか?
>「的を得る」は成句としても他動の意味としても文章として端から成立してゐないのである。
>「的」と「得る」との閧ノ語彙としての關聯性は何一存在しない。
>ID:SzcDThu2の莫迦は此の基本的の縡が何一判つてゐない(嗤) >>141
それは違います。的確の「的」は名詞の「要点・要」ではなく形容詞で、日本語では形容動詞「的ラカ(あきらか)」
的確の「確」は他動詞ではなく形容詞。日本語の形容動詞「確カ(たしか)」 それは中国語の熟語としての話?
そんな熟語をいちいち中国語の本来の意味や品詞に立ち戻って解釈とか、今、関係ないだろ
皆自分の知識をここで披露したいんだろうけど、言葉はコミュニケーションの道具であるということを忘れるな
本来の意味とかいって、遡るのもいいけど、いったいどこまで遡ったら真実がわかるんだ?
そのうち、漢字の成り立ちにまで溯って蘊蓄を垂れそうな勢い。 >>144
中国語じゃなく、日本語の二字熟語としての意味ですよ。
日本語の「あきらかなり(的らかなり)」と、日本語の「たしかなり(確かなり)」を組み合わせた、日本語の二字熟語です。 役不足とはG1レヴェルのオシャレにないとか、ファッションしていて色気はダメ
というころじゃないの? >>142
> そうであれば、「要点を得る」と言うように「的を得る」も成り立つはずなのに、
「得る」のは「要點」では無く「要領」である。 要領=要点
要領を得る=要点を得る
さすがに情けない >>134
「得る」には「把握する」の意味もあるじゃないか 「要領」に「得る」が適用されて
「要点」に「得る」が適用されてはいけない理由が全く思い当たらない
というか「要領」の意味が「物事の主要な部分。要点。」となっているんだけど >>151
「的を射る」(要點を捉へる)と云ふ辭は一體誰が誰に對して用ゐる辭なんだい(嗤)。 「的」に「物事の要点、核心」の意味があることは知ってるよね?
「物事の要点、核心を把握する」
どこにどう問題があるのか説明よろしく >>153
的を把握するとは何う云ふ意味なんだい。
固より文章になつてゐないだらうに(嗤)。 >>157
では「的を得る」とは自分が自分に對して用ゐる辭なのかい(嗤)。 >>158
誰が誰に用いるかということで「的を得る」という言葉に何の影響があるんだい? >>161
おい/\「得る」とは何う云ふ意味なんだい(嗤)。 >>164
「得る」は手に入る。自分の者にすの意。 >>165
「把握する」の意味もある
というか質問に対して質問で返すということは会話の手順を理解していないね君 >>167
三省堂国語辞典はさう云ふ見解を述べてはゐないが(嗤)。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています