森田童子について語りませんかpart10
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>>613
家族月35万で暮らしてて酒飲みに行く金なんてないと書いてる
それで子供が10歳離れてると >>614
金無いのにしては 女遊びは派手だったね 当時すでに >>600
「ヒット速報」という番組を一緒にやっていた
だから松任谷國子とは仲がいい
安井かずみと一緒に行ったディスコで
この人とチークを踊っているところを見られて
安井かずみと別れた
夜の歌より
童子デビュー直前で前田亜土とは接近自粛中 血の夜より
正一に表に出ないようにと二人で言い含めた後
この夜、森谷王子のデビューが決まった。そして、森谷王子の謎が歩き始めた。
昭和四十九年の秋も終わりの頃だった。
となっている。
だからデビュー一年前からなかにし礼と松村慶子で中西美乃生→森田童子の準備していた。
この時既に「ぼくたちの失敗」は完成していて父親にも聞かせたことになっているが、
これは1stの方に入っている「さよならぼくのともだち」の間違いだろう。 >>615
当時って何時の事だい?
学費自分で払ったり
兄の借金を何度も背負ったり
事件を二度起こして肩身狭くなったり
若い頃でも時期によって全然違うぞこの人は >>617
>>618
森田は1973年デビュー
礼のポルノは1977年 新宿ロフトで森田童子だと、
私は昭和50年11月より58年12月新宿ロフトでコンサート活動を続けさせて戴きました。
とチューニングの悪いピアノの話と共にメッセージを寄せているけど
他の場所や名前でどうだったか詳しいところはまだよく分かってない
そもそも新宿ロフトは1976年10月オープンだから森田童子の記憶も間違ってる >>618
だからそう言う読み込みではダメなの
僕を正一 君を礼という読み方しなくては
この歌の本質は掴めない >>624
森田童子と名乗る以前の活動もあるから混同しているじゃないか
新宿オープン以前は西荻か荻窪か下北だったんだろう。
森田童子になってからも一年くらいは。 君と話し疲れて いつか 黙り こんだ
ストーブ代わりの電熱器 赤く燃えていた
ここは(金の話しをし過ぎて疲れた 赤字ばかりで大変だよ)と言う感じで読み込みましょう そうすると、「僕たちの失敗」という唄は父親正一と禮三叔父さんの事を歌っていると理解出来ます 春のこもれ陽の中で 君のやさしさに
うもれていたぼくは 弱虫だったんだヨネ
君と話し疲れて いつか 黙り こんだ
ストーブ代わりの電熱器 赤く燃えていた
地下のジャズ喫茶 変れないぼくたちがいた
悪い夢のように 時がなぜてゆく
ぼくがひとりになった 部屋にきみの好きな
チャーリー・パーカー 見つけたヨ ぼくを忘れたカナ
だめになったぼくを見て 君もびっくりしただろう
あの子はまだ元気かい 昔の話だネ
春のこもれ陽の中で 君のやさしさに
うもれていたぼくは 弱虫だったんだヨネ 1976/1
17 Sat 飛べないアヒル/森田童子
これがロフトの最初の記録みたいだが
https://www.loft-prj.co.jp/loftarchives/nishiogikubo/1976/01/
それから荻窪は少しカラーが違う
キャラメル・ママやジャズが中心
学生運動系なら西荻窪だろう
1975年以前だと公式記録で可能性があるのは新人コンサートの中の一人 森田童子と名乗る前の純粋なアマチュア時代は存在しないんじゃないか。 ステージに立ったのがデビューという意味だったら73年で20歳なんだからあるとは思う
森田童子としては、松村慶子の策略だと思うが色々入ってそう
まず出身、年齢を誤魔化してる辺りから身辺探られないようにしてる
逆サバだぞ年齢 ロフト創業者が73年に一人でふらりとテープを持ってきたと書いてる
http://blog.livedoor.jp/yu_hirano/archives/1920371.html
隣の喫茶店というのは筋交い前の物豆奇じゃないか
75年創業
会った後結婚したと言ってる
関係者への公表時期と違う可能性もあるから傍証としては弱い
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/282780
を読むと何度も話したことがあるような記事だ
ワラシと呼んでいたのは会った時に既に童子だったからじゃないのか
それともワラシだったから童子になったとでも言うのだろうか
はっきりとした証拠はないのだろうね
73年ライブ活動開始は間違ってるという元コアなファンもいるし >>618
昭和49年、1974年もなかにし礼の記憶違いか計算間違いじゃないの?
父親に聞かせたテープはどう考えてもレコーディング済みのものだろ
一年も前から父親にお願いするわけない
この時代一人売り出すのにそんなに時間はかけてない 1974年10月に風吹ジュン事件で中西兄弟らが訴えられる
1975年8月にレコーディングが行われ
10月にデビューシングルが発売されている
昭和四十九年の秋の終わりというと1974年11月だろ
時系列としてはおかしくない
聞かせたテープはデモ録音だろう
風吹ジュンを失って代わりに誰か売り出さなきゃいけない
身内の美乃生で行こう、じゃないのか
それで告訴が示談で片付いたらデビューに向けて準備が始まった 問題はそれ以前に前田美乃生がどんな活動をしてたかだ
平野の証言があるだけで確証がない
おそらく歌っていたとしても森田童子のスタイルとは違っていたんじゃないか 半世紀近くも前の話だから、73年なのか75年なのかなんて記録を調べて見て「ああ、そうだったかな」くらいのモンだよ。 もともと歌う気はなく作家としてやっていけないかと作品を身内に近いプロデューサーに持ち込んで、
「あんたが歌ってみたら」ってことで歌い出したはずなので、
歌い出した時には最初からデビューありきだったはず。
純粋な意味でのアマチュア時代はないはずだな。 >>634
神格化したい奴ほど「デビュー前からから活動していた」設定にしたいんだろうな… 「神話」も何十年も思い込んだらいつの間にか事実になることもありうる。
平野が半世紀近く前のことを意図せずして思い違いしていてもそれほど不思議じゃない。
森田の出自もだけど、デビューの経緯、時系列、その他、これまで知られてなかったことが明らかになってきたことにより
通説というか本人の周辺が喧伝してきた「伝説」がが崩れてきた。 >>641
おお!そうだな
歌手やることになったのは松村慶子と話してからだ
そうするとやっぱり平野悠氏の勘違いの可能性が高いな
童子だからワラシと呼んだのとも整合するし
デビュー後に一人でライブをお願いしに行ったと考えるのが妥当そう >>638
この流れじゃあ1974年秋にデモテープもかなり疑わしいな
事件後はなかにし礼と前田亜土の逮捕あるいは送検もあり得た
中西正一だって連れてきたヤクザと金のつながりがあったわけだから同様
示談や裏からの手回しや関係各所挨拶回りに必死で森田童子どころじゃなかったはず >>645
たしかに1974年11月はちょっと早いかも
風吹ジュン事件がいつ告訴取り下げになったのかわからないからね
すぐに示談が成立してたらありうるだろうけど
小説の場面があったのは普通に考えて1975年に入ってからじゃないか 告訴は9月20日、暴力団員の送検が9月24日
秋の終わりというと東京の紅葉が11月下旬だからその頃だろ
示談が速やかに成立してればあまり不自然じゃないぞ
実際に10月になってから風吹ジュン事件の報道は途絶えてしまうから早めに解決したと思う
もちろん血の歌の内容をそのまま信じるわけにいかないけど、まあその頃だということで >>647
風吹ジュンの活動に支障が出たはずだから
少なくとも前田亜土は謝罪の各社詣で忙しかったはずだけどねえ
送検されなかったからそれでよいってわけにはいかず
絡んだ双方のヤクザ含めて顔を立たせる幕引きに奔走しないと
なかにし礼だって数年前にやらかしたばかりで
その時怒らせたナベプロのバックは「興行界の顔役」だから
何かと難しい状況だったはず
「顔役」はヤクザじゃないけど山口組二代目と杯を交わしていた
当時現役で神戸芸能社やってた三代目より形式上は上の立場で仲が良い >>649
では小説のようなことがあったとしてですが、いつ頃のことでしょうかね
私は1975年の春先ごろじゃないかと思います
レコーディングが8月ですから ナベプロだとか顔役だとかが関係するのはなかにし礼の相愛図の問題なので、前田亜土に直接の関係はない
風吹ジュンの問題に関しては前田やなかにし側が一方的に悪いわけでもなかったし、基本的にはナベプロだとかの他事務所には関係ない
別に挨拶回りに忙殺されたわけでもないだろう それでなかにし礼は森田童子に関わらないことになったってことか 礼のポルノ見てみたら若い頃の内田裕也と顔がそっくりだった 裕也の父 鐵蔵
礼の本名 禮三
礼 終始 裕也の事件をかばうコメントを残している >>648
お前の妄想
アンチなどいない
真実を知りたいだけ 小説「兄弟」の冒頭にパパがあまりにでたらめだから、ママは一人で暮らしたほうがいいって、子供たちが私に買ってくれたものなの。と言う話し言葉がある。三人の子供の次女は童子なのだがやはり稼いだ金で母親を助けてるんだな 因みに小説ではエレベーター無しの上尾のマンションの3階 通夜には母親と長女しか来ていない
そこに、弟の禮三夫婦と長男が駆けつけてきた 小説では兄の次女は大井町で誕生したことになっているのだが、第四章青森では小学校3年に編入した禮三という箇所の後に、母に童子(わらしこ)
の化粧をしてもらい、と言う描写がある
「血の歌」で童子(みのぶ)が誕生する時に弟は産婆を呼びに行っていて年齢的にはちょうど合致するからこんな書き方をしたのではなかろうか
但し、この時は小説ではまだ長女しか誕生していない なかにし礼の書いた小説ではどれも自分の絡んだ都合の悪いことやそこに言及されそうなことは何も書いてない
当然と言えば当然だけど
それと小説としての面白さを優先させるために大枠は事実でも細かいところは削ったり加えたり作ったりしてる
これも当然と言えば当然だけど >>651
当時の芸能界はナベプロ帝国末期で
今もそうだがナベプロが作った音事協という団体が引き抜きを禁じていた
だから他の事務所が関係ないなんて「芸能界的には」とんでもない話
その上当初引き抜きになかにし礼が一枚噛んでいたという報道さえある
何故友人である前田亜土の事務所から移籍させるのか?
この後の森田童子のデビューで二人は協調して仲は悪くないはずだ
現時点で考える材料は何も残ってないに等しいが
ビートたけしのオフィス北野設立と10年後の離脱と同じではないか?
つまり上納するバックのすげ替えが目的ではないか
ちなみに風吹ジュンは1978年頃にはプロジェクト・ハウスという所属に変わってる
引き抜いたガル企画へ一旦移籍させたもののすぐに潰したんじゃないのか
森田童子がライブ活動でロフトやアングラ方式を頼ったのは
こういう背景もあったんじゃないか
ちなみに風吹ジュンの芸能活動は
移籍直後に悠木千帆がTBSに紹介する形で盤石の構えとなってる
小林亜星、悠木千帆、森光子主演のドラマで連続してレギュラーをやる
それまでろくにドラマに出たことなかったのに 風吹ジュンを売り出して逃げられた前田亜土がその直後に自分の奥さんを売り出した。
森田はもともと芸能事務所経営者の娘であり夫も同じ芸能事務所の共同経営者だった。
おそらく叔父のなかにし礼も。
それだけで森田の公式的なバイオグラフィーが覆り、見えてくる風景が一変した。 >>660
風吹ジュンの事件に関しては引き抜こうとしたのはガル企画の方
おまえの言ってることに従えばガル企画が悪いということになる
なんせアドプロとはまだ契約が残っているのにガル企画と二重契約を結んだ(結ぼうとした?)んだから ま、要するに風吹ジュンという今時 70代以上の年寄りしかしらないタレントをめぐる
不祥事を持ち出してきていかにも アドなんとかとか海底なんとかがいわくありげに
かき立てるが 亜土は業界ではなんら実績の無いパラサイト的存在でしかなく森田の
従僕てきな役割で食わせてもらっていたのだろう
森田童子もそれで亜土の存在を知られたくなかったのだろう
おまけに礼という血の繋がりのわからない叔父たる存在もむしろ邪魔だったと
思うよ なんでアンチは礼と童子の関係を否定すると怒り狂うのかね 事実なににね >>665
いやそれがなかにし礼も悪いんだよね
当時の報道によれば
>>194
週刊平凡 1974年10月10日号
『ガル企画』が発足したのは9月9日だが、発足以前にはなかにし礼氏自身も経営者のひとりとして参加予定だったという。それを石丸社長があえて外したのはなかにし氏の評判がかんばしくなかったためといわれる。なかにし氏が、これをおもしろく思うわけがない。 風吹ジュンではないが、アンルイスでも前田亜土となかにし礼は揉めたことがある
あとアンルイスがモデルから歌手デビューするときのボイストレーナーは前田亜土だよ 中西美乃生
昭和28年1月 青森にて誕生
暖をとるものは炬燵だけの家
昭和28年10月 大井町 下神明へ転居
借家 8畳6畳4畳
昭和40年付近 田無
二階建ての小さな一軒家
昭和44年 中野弥生町
禮三の建てた部屋数15の家
その後は家を出て同棲生活 >>666
風吹ジュンは今もドラマでお母さん役とかでバリバリ現役ですよ
おじいちゃんボケてんの? >>673
大井町の下神明と言うのは町名ではなく駅名
豊町の実家という描写があるので正確には豊町で
小学生時代を過ごしている
父親の関係で、小学校を転校している可能性大
また、「血の歌」でアイスキャンディを買った神社は二葉町の天祖神社ではなかろうか こいつらこんだけ語ってんだから
4月に出る本買うんだろうな
買わなきゃおかしいわ 中西兄弟の母親が死亡し、逗子の火葬場で母の骨を拾ったという場面で参列者には兄夫婦と三人の子供たち、、参列したとある
これはみのぶが、23歳位の時であろう ちがうよ 3人の子供たちとは礼の子供たちのことだよ 森田童子
1952年 青森にて出生
1957年北海道 旭川に転居
比較的裕福な家庭に育つも
実父が亡くなったあとはアルバイトなどで
金を稼ぐ
1970年東京 日比谷高校中退
1973年ロフトデビュー
1971〜1972年にかけて大学祭などで
アマとして出演
当時から全国にあったフオーク村運動の主催
者の間では知られていた存在だった。 >>681
デタラメ書くな
実父が死んだのは平成だ 日比谷高校中退なら知ってる奴いるだろうね
1953年青森生まれは確定なんでごめんね なかにし兄は童子の実父では無い
これは森田童子研究家の間では100年前からの常識w >>681こいつはキチガイじーさんだから無視してください 何の知識も情報も持たず、調査能力も想像力もない、ただ迷惑なだけのキチガイ爺い。
無為無力無意味な人生を送ってきたんだろうな。 4月に出る本が中途半端にならない為にもここではギッチリやらせてもらうよ
編集頑張れよ! >>685これもキチガイじーさんです
相手にせず研究を続けましょう 三上もここ見てるだろ
もう森田童子についてかなりのことがわかってきてる
これからも少しずつ判明することがあるだろう
4月の本にはちゃんと反映させなきゃバカにされるぞ 森田童子の生年月日は1953年1月15日で間違いないだろう
ではなぜ1952年とか51年とか言われていたのか
これは想像なんだけど
高校時代に学園闘争があって友人がどうのというギミックに合わせて生年を調整したんじゃないか
当時はまだ生々しいことだったんで本当の歳を公表したら、ちょっと若すぎるんじゃないの?と疑われる恐れがあった >>681
「…だったらいいな」という妄想の経歴なんだろな
当時の日比谷高校なんかレベル高い進学校だし、
実際はコネでレコードデビューなのにライブから出てきた設定とか笑えるわ >>693
当時の芸能界なんて年齢サバ読むのは当たり前だからありうるな。
普通は若く見せるから逆だけど。
経歴、容姿、すべてキャラを作り上げているんだし、年齢だけ事実を書く理由はないものな。 >>694
なかにし礼は九段高校だからあながち嘘とも言えない 死んだ友人の話が嘘か本当かもわからないだから、そもそも高校中退も眉唾だと思ってるよ。 >>697
確かにな
年表も小説を基に作ってもそれが事実とは限らないし
俺らにわかることなんてたかが知れていて、わからないことが山ほどあると思うしな 4月に出る本は親族の同意を得ているとうたったいる訳だからその辺も書いてあるんだよ
本当に楽しみです >>678>>678
たしかに前田夫婦はそっちの方に住んだことがあるという情報もあったな
そうするとそこに祖母もいたんだな >>695
最低でも高校か年齢かどっちか変えないとバレるおそれもあるしな >>695
アイドルと違って逆サバにしたのは、
全共闘世代に寄せて大人の設定にしたのだろう
あとは実像を韜晦するためかな >>695
アイドルと違って逆サバにしたのは、
全共闘世代に寄せて大人の設定にしたのだろう
あとは実像を韜晦するためかな 森田は日比谷高校を中退したあと 東京教育大の中核派の学生A君と恋愛関係になった
その後 闘争の敗北からかなにか知らんがA君は自死を遂げた
森田童子の歌詞に出てくる君は A君や彼の周辺の人物の事を事実と願望と脚色を加味して
作られている。 https://www.nikkan-gendai.com/articles/image/geino/282780/156015
さよならぼくのともだちより地平線
さよならぼくのともだちのアップデートがぼくたちの失敗
僕達の世代のやさしさの肯定
ぼくたちの失敗はファースト出してから作った >>704
キチガイじーさんに告ぐ
面白いけどもうちょっと自粛してくれ
我々は真剣に議論してる
狂ったこと書いてるのはお前だけだ >>706
平野は森田童子の正体を隠蔽する側だから資料としては当てにならない
なかにし礼の小説を含めた文章のほうがまだよほど信頼できると思う >>712
そりゃ、どうかな。
なかにし礼は松村慶子と森田の売り出しにあたって森田の素性を明かさないように約束している。
アーティストのイメージと利益を守るためだが、なかにしは死ぬまでその約束を守った。
つまり売り出した側だから一番の利害関係者だ。
平野の話は思い込みが多い(高齢のせいもあるかも?)だけで、隠す理由はない。
彼の森田との最初の出会いの話はあてにならないし、その他も話半分ではあるが、参考にはなると思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています