【レトロ】70〜81年代の国産オーディオ大好き part2
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
このころのSPって必ずアッテネーターがついてますけどカットしてます?
SB−Mでアッテネーターカットして配線するとバケるって見て
ほかのSPでも簡単にできるもんなんでしょうか
余計な回路を通る上に振動の影響を受けますので音の鮮度ガタ落ちしますよね
イコライジングとか中点で聴いて普通しないですよね セッティングでやるでしょう
いじりたいならAcoustic Research Limited Model 6 とか買えばいいでしょう
中古でしか買えないけどたいして高くない 中身はチェロだしね デノンのpm-380と言ったっけ、2000円で売れてびっくり ケンウッドのエスパスのアンプを現役で使っているのだが、最新の5万クラスのアンプと比較して音質はどうなんだろ。 >>186
求めるものにより、良し悪しが分かれる
まぁ今のD級は、個人的に嫌いだから
あたし自身は、エスパスと言うだろう ヤマハのYP-D10買った
インシュなし以外はけっこうキレイ。
おまけにDL103とAT150Eが付いててラッキー。 >>188
おめ。クォーツロック機でうらやましい。うちのYP-D8は回転が不安定になってもうた。直してくれるところあればいいんだけど。 >>190
すまんがそれのシリーズで名器はSS-G7だろ? G7が名機なら、同じ傾向のG4も名機かどうかしらんが
いいスピーカーなんじゃないかな このスレに該当しないかもしれませんが4・50年前の国産名機SPの値上がりが
ひどくて買えない・・・ 中古価格が10〜20年前の3倍くらいになってる
もうトールボイーイAV用SPしかどこも作らないし、ハイエンドはバカ高いのに
特性ばっかでつまんないのが多いから昔の買いたいんだけどなあ
オクでジャンク同然、保証もないのに中古店より高値で買ってるのは中国人?
ふっるいSPってオーディオ店で商品化しないからかな 安く買えたころに人とおり
そろえてあとは進歩してるDAC買い替えとアンプメンテ出すくらいでくそやすい
買値で上がりにした人はいいなあ 40〜50年となるとなんらかのリストアされてるだろうから人件費と思うしか >>190
G4良いよ
これがウチの場合ペア一万円以下で上物を入手。 G7はミッドが10pしかないのがやなんだよな 15インチでミッドが10pってなあ >>193
国産SPは安いのしか買えない状況なら我慢して使うけど、
高いの買えるなら海外製いっちゃうでしょ? G4はJBL4312Aと甲乙つけがたいって、オーディオマニアのおっちゃんが言ってた。
俺もそう思う。
>>195
俺もリサイクルショップで上物を\11500で入手。KEFのトールボーイも持ってたんだけど
G4のほうが自然な感じがして(70年代の音楽とか特に)早々手放した。
あのKEFはなんだったのか…… あとは真空管アンプにつなげてみたい‼ 国産JBLっぽいのってトリオの202じゃないの?ブルーバッフルだし
こっちのほうが普通は名機っていう世間の認識なのでは? 国産JBLっぽいのってトリオの202じゃないの?ブルーバッフルだし
こっちのほうが普通は名機っていう世間の認識なのでは? ごめん4312AとL100t両方持ってる時期があってL100手に入って
聞いた時音の良さにびびった 同じような構成なのにこんなに違うのかと
わりーけど4312Aはゴミだよ 値段もあるけどスタジオモニターユースと家庭用の違いじゃねぇの?
4312世代の頃はモニター用途をもはや果たしてたのか知らんが
この前店頭で4311Aが床直置きで鳴ってたけどよっぽどウチの4311Bの方が鳴ってた
上流機器の違いもあるしセッティング使いこなしもあるだろうけどね。 >>202-204
なんでそんなに必死なん、死にそうなんか? 206にみたいないうやりとりしかなくなったよねピュア板
人をバカにするレスしかできない無能 間違ったw 重複書き込みは勝手になっただけよくあるこ
訂正:206みたいないうこいうやりとりしかなくなったよねピュア板
くそ安い貧乏人用劣化ボロオーディオなんかに必死になるわけないだろばーか 捨て台詞を訂正するって、よっぽど几帳面な人なんだろうw >>209
語彙が乏しいのに必死になって
言うに事欠いて最後に『ばーか』wwww >>208
お前のほうが人のことバカにしてるだろww 実はスピーカーってこの頃から殆ど進化してないんじゃないかと思う
むしろコストダウンで退化してるんじゃ、とすら思う >>213
小型スピーカーで低音出す方向には進化してね?
能率犠牲にしてるけど。 >>216
まあたかが知れてるから私も AST-A10+AST-S1 を使い続けてるんだけどね。 >>215
でもSPが小さくなると空間表現が改善しない? >>218
それSL6が出てきたあたりで強調されだしたけど、ホントにそうか大いに疑問。 >>193
>このスレに該当しないかもしれませんが4・50年前の国産名機SPの値上がりが
>ひどくて買えない・・・ 中古価格が10〜20年前の3倍くらいになってる
残存数は減る一方だから、高くなって当たり前。
4輪2輪の高騰っぷりは3倍どころじゃないし、オーディオはまだマシな方。 程度のいいLS-202がオクに出てたのに
\12000で落札だったかな >>221
まあ、そんなもんでしょ? JBLやALTECじゃあるまいし かつての所有してたり、買えなかったあこがれの名機がハードオフでジャンク品として無造作に積み重ねられて陳列されている姿は
過ぎ去った年月がいやでも感じられてくるものがあるな・・・ SS-G4に真空管アンプつなげたった
ほんと最高ですわ >>228
ありがとう。
文化遺産だから末永く残してほしい。 >>224
APMにご執心になる前のソニーのスピーカーは良かったなぁ。
APMが悪いってんじゃなく、純粋にAPMだけなら良かったのに、
見た目がAPMなだけ(単なる角形フラット)、という濫造品まで出してたのがあかんかった。 出先の倉庫にビクターの古い金色のアンプが転がってた
「音が出ない」そうなので頼み込んでもらってきました
単なるボリューム接触不良で普通に鳴りましたよ!
臭いし汚いんでお風呂入れたら金色じゃなく銀色でした…70年代あるある(T_T) 安いモノ探してるんですがTrio L-07M L-07MII L-05M ってどうですかね?
SPはマグネパン、Victor SX-500、JBL4425などです HEY GUYS
悪くはねぇよ。モノラルだからスピカの蕎麦に於SP CABLEを短くすれば最良。
COMING SOON。 あれってL-07C専用のケーブルがあって成り立つもんじゃないの?
プリをSP近くに置けない普通のプリの場合、何メートル位RCAケーブル伸ばして良いのだろうか?
SPケーブル伸ばした方が良いかな? 当時の国内大手メーカー製ならRCAケーブルで数メートルは大丈夫だろう
ただし同軸構造でシールドが編組線じゃないヤツは環境によってはノイズ拾いやすい
高いケーブルでも環境ノイズに弱い物(ある意味で粗悪品)もいっぱいある ケーブルを選べば大丈夫ってわけですね
モノアンプゲットしたら是非スピーカーの足元に置いて挑戦してみます
TRIOの三種では結構差があるのかな?
お聞きになった事のある方のお話聞けたらお願いします ( ゚д゚)ハッ!
「オーディオケーブルの長さ」とはケーブルインピーダンスが
接続機器間、スピーカーアンプ間とかに合っているかという事です
10aでも100bでもその長さでインピーダンスが合っていなければ正確な音は出ません
たとえばまともな競技場とかケーブルが数百bありますが子供が踊りだすいい音ですよね
たとえばテキトーな長さのン万円の超高級RCAケーブルより
インピーダンスが合っていればダイソーの方が良い音になるのもあるあるです >>239
うちのSP6Ωなんだがアンプが弱いと音の立ち上がりがふにゃるぐらいしか考えてなかったわ
ケーブルはもう音好みの問題だな 70〜81年代モノなら、最近はハードオフよりも
セカンドストリートの方が多いな 70〜81年代ってたら、カセットデッキは、まだ手押しガッチャンが
いくつかある時代やな
ワシは既にフェザータッチしか持ってなかったが HEY GUYS
こんな暑い日は鉄男長岡センセー御推薦の芸能山城組「恐山」を再生汁!
大音量で再生すると背筋がゾっとするぞwww。
COMING SOON。 さて問題!次の説明に合うのは何?
【良く締まる○千匹○】で使えば使うほどに
締まりが悪くなる・・・
新品当初は月に一回血が流れる!
答は○○○ですが何か? >>242
オーディオで知り合った人の家に行った時
昔の弾き語りのテープ録音が奇麗だったので訪ねてみたら
なんと、
昔のナカミチのデッキにマイク端子が付いてたの見て
結構衝撃的だった
それがまたyoutubeの歌ってみたよりいい音させてんのよ
(歌唱力がいいとは言ってない) 1970〜1980の高さ60cm級のスピーカーがバカ安で゛
出ているけどもう、置く場所が無い
とりあえず置く場所があれば今所有ととっかえひっかえ楽しめるのに スピーカーで一番重要なスペックは寸法だ、って言いますからね。 マジかよ!
味噌ラーメンは、味噌じゃなくて、塩加減らしいな >>252
俺も最初はそう思ってました
1〜2セット買ったらタガが外れたように買ってしまうよ >>254
どのラーメンもそうだよ
カエシの量の微妙な加減 収納のプロとかよくマスコミが取り上げているけど
うちへ来てこのオーディオの山を整理してみて欲しいな
台所とか服を綺麗に並べてるの見てもなんとも思わない >>257
ああいうのは女性特有、なぜなら女性は掃除や片付ける能力が決定的に
欠落してるから。「できる奥様の整理術」なる本は存在して売れても、
「できるオヤジの整理術」なんて本は需要もないし存在すらしない。
単身でも男性よりも女性の部屋の方が汚い、というか不潔、水回りとか特に。
ソースは長年不動産屋に勤めてた俺が見てきた多数の物件。 あーあ、倉庫片づけでコーラルのスピーカーユニット出てきたんだけど、
一緒に作業してた奴がとにかく早くしろのモラハラ基地外で
俺が引き取るって言ったんだけど、目の前でぶん投げて捨てられた
中古相場2万くらいかな
もったいな… TA-F333ESX手に入れたお 自分にはこれで十分だわ コロナ禍で断捨離、高齢者死亡で
結構良いやつオークションに出て来たな あけおめ
ハードオフで大型ブックシェルフ買ってたら部屋の一画がテトリスみたいになっちゃった その通り。音楽制作スタジオでジェネレックやADAMなんかのアクティブモニターSP使われてるが
これらは内蔵DSPでTW、WFの帯域分離をデジタル領域で行い、バイアンプ駆動。
パッシブクロスオーバー回路なんて信号劣化が半端なく大きいし、シングルアンプで高音から低音までのスピーカーユニットを駆動しようとするから巨大な電源部が必要にある。
マルチアンプ化すれば大出力電源は低音用だけで済む。もっと言えばD級アンプマルチアンプなら小電力、省スペース。
ネットワーク回路内蔵パッシブスピーカーは猿でも使えるようにした一般家庭用の物で、
ハイエンド領域に踏み込むならDSPで帯域分割、音場補正をデジタル処理で行いマルチアンプ駆動になる。
信号劣化ネットワーク回路内蔵のSPをクソ重くて電力バカ食いA級アンプでシングルアンプ駆動なんてアフォなことに、団塊世代に無駄金を使わせてきたのがオーディオ業界。 C-222にE-302のパワー部が殊の外良い。
まるでどこかの試聴室で高級オーディオ聴いてるよう。
あくまでC-222をフォノプリとしてE-302のライン入力で接続するのとE-302をセパレートモードのパワーアンプとして接続するのとどっちが良いのだろう。
自分はプリプリになっちゃうから音の純度、ダイレクトさでみるとパワーアンプとして使うほうが良いかなと。 いつの間にか798アンプが4台も揃ってしまった。各社、音が違って楽しい。 時々オクに出てくるMARBLE(SANYU CORPORATION)という昭和のスピーカー、全く情報が無いんだけど
ユニットがどう見てもアイデンぽいんだけどやはりそうなのだろうか?
アイデンのユニットがOEM供給されているメーカーは知っているだけで
クライスラー・OTTO・AIWA・marantz・clarion・EVANS等だけど、
昭和はマーブルのような消えて行って情報もほとんどないガレージメーカーもたくさんあるのかな。 FOSTERも?
古いスピーカー能率が良いからか鳴りっぷりが朗々としているのが多いよね、別に高級機じゃなくでも。 Pioneer SA-910を引っ張り出した
取説はないけど箱完備(使うから戻した)
なにこの名機…!? このコピペ劣化したね
オーディオを分かってない奴が書き足してる 【その1】
「私にとって、飛翔の研究はきっと宿命なのであろう」と言って、幼少の頃、鳶の夢を見た話を彼は手記の中に書いている。
腹這いになった人が両足を揃えて屈伸して翼をはばたかせる絵が有名だが、彼が最後まではばたき飛行機に固執してついに凧型飛行機(現代の飛行機)を思いつかなかった点で彼を責める人がいるが、彼ははばたきの原理自体を理解していなかったようである。
彼のはばたき飛行機は、はばたきによって空気を下へ押さえつけて飛ぼうとするものである。
レオナルドの飛行の原理を図式化すると、落下傘の下へ長い綱を下げて、落下傘の下降速度よりも速い速さでその綱を手操って空へ昇っていこうとするのと同じである。
はばたきによって空気を下に押さえつけるには、翼が下がるときだけ空気を押さえ、翼が上がるときには空気を逃がすようになってなくてはならない。
彼は、小さな弁の集まりのような翼を考えたりしていろいろ工夫しているが、おそらくうまくいかなかったのではないだろうか。
彼はずいぶん鳥を観察しているのだから、鳥は決してそんな飛び方をしてはいないことに気づいてもよかったと思うのだが、彼には翼に働く『揚力』という現象が最後まで掴めなかったようである。 【その2】
鳥がレオナルドの考えたような飛び方をする機会は一回だけある。
それは着地の瞬間で、鳥は一瞬空中に停止し、水平よりもかなり上向きの姿勢になって、翼を水平面内でぱたぱたと振る。
その時、翼の面はおおよそ垂直であるから、この翼の使い方は、お寿司の御飯をあおぐときの団扇の使い方と同じである。
空気を下へ押さえつけるために翼は水平面内でぱたぱたと振られる。上下にはばたかれるのではない。鳥が翼を上下にはばたきながら、しかもレオナルドの想像したような原理で飛ぶ機会は一度もない。
鳥は前進しながら翼をはばたくのであるから、翼は正弦曲線の軌道に沿う運動をする。
その間、翼は常にこの正弦曲線に接する向きに保たれる。従って、はばたきは前進の為の推力だけを生むのである。
鳥の重量を支える『揚力』は、鳥が空気中を前進すること自身によって自動的に得られる。
飛行機と違って翼は固定されてないから、翼の空気に対する相対的な運動の向きは鳥の前進の方向と同じではないし、また、たえず変化する。
『揚力』はいつでも翼の空気に対する相対運動の向きに垂直に働くから、細かく議論すればかなり複雑な説明が必要になるが、大局的には飛行機が『揚力』を得るメカニズムと同じである。 【その3】
つまり、鳥と凧型飛行機との間に原理的な相違はない。推力を生む方法だけが異なるのである。
はばたきによって推進を生む方法は全く合理的で、プロペラに比べて少しも劣るものではない。現に、それがきわめて効率の高い推進法であることは、渡り鳥の長大な飛行距離が示すとおりである。
もちろん機械として見れば往復運動よりも回転運動のほうが優れているが、流体力学的な点に関しては、はばたき式推進法に不都合な点は全くない。
したがって、レオナルドがはばたき飛行機に固執したことは、それ自身では少しも間違いではない。彼がはばたきの機能を正しく理解していなかったのが欠点なのである。
しかし、その点でレオナルドを責めるのは酷であろう。現代の自然科学者でも、はたして何パーセントが鳥の飛行の原理を正しく理解しているであろうか。
物事を正しく見るということは、どんな場合にも、大変むずかしいことなのである。
鳥類の生態観察でひとつの学問分野をひらいたニコ・ティンベルヘンでさえ、飛翔のメカニックについてはレオナルドと同じ誤りをおかしているのである。 【その4】
人間機械論という言葉を、私ども現代人は、人間といえども自然法則の支配下にあるひとつの自然現象にすぎない、というきわめて広い意味に解釈するのが正しい。
もちろん、厳密にいえば、人間を自然現象と見るのはひとつの作業仮説にすぎないが、現実の問題として他に考えようがないのだから、我々はそれを自明のこととして受け取っている。
人間がひとつの自然現象であるというのは、超自然的な影響力の支配下にはないということでもある。いいかえると、物質的な因果関係によって記述し尽くすことができるということにもなる。
物質的な因果関係を追求するためには、まず人体の構造を知らなくてはならない。
生命現象は本質的には化学変化なのであるから、屍体を解剖して内部構造を明らかにするだけでは、試験管の形を見て中の薬品を当てようとするようなもので、生命現象のいちばん大切な部分は解らないわけであるが、まず解剖によって内部構造を明らかにするのがアプローチの第一歩であるのはいうまでもない。
ここからが本題になるのだが、ヨーロッパ人の考え方の大きな特徴のひとつは動物と人間との間に明確な一線を引きたがることである。
ダーウィンの進化論が白人の世界では猛烈な排斥を受けるのだが、日本には殆ど抵抗らしい抵抗を受けること無しに入ってはきている。
それはダーヴィニズムに対抗するはずのカトリシズムが日本にはなかったからだという説明では説明にならない。
ダーヴィニズムを排斥する精神がすなわちカトリシズムを生む精神であり、それが西欧人に特徴的な、人間と動物との間に一線を隔したがる精神なのである。 【その5】
レオナルドの手がけたいくつかの記念碑的作品は、ほとんどが悲劇的な運命をたどっている。
『晩餐』は完膚なきまでに手を入れられてしまったし、『騎馬像』はついに青銅に鋳られる機会を得ず、粘土の原型のまま土に帰ってしまったし、『アンギアーリの戦い』は形をなす前に彼自身が仕事を投げ出してしまっている。
唯一の例外がウフィツィ美術館の『三王礼拝図』で、未完成ではあるが、完好の保存状態で残っていることを私どもはせめてもの慰めとしなければならない。
厳然として圧倒してくるこの絵の威容をなんと表現したらよいであろうか。
私はこの絵に対比させ得るものは法隆寺金堂の壁画以外にないと思っている。
逆に法隆寺金堂の壁画に対比させえるものもレオナルドの『三王礼拝図』以外にはない。
これらふたつの絵に共通するものは「玲瓏透徹にして翳りなし」とでもいった印象であろうか。
世の中には暗くて不明瞭であることによって神秘感をかもし出しているものがいろいろある。東洋の仏画の神秘感はだいたいそれで、法隆寺金堂の壁画はきわめて顕著な例外ということができよう。
法隆寺金堂の壁画にも『三王礼拝図』にも隠微なところは全くない。
すみずみまで明瞭である。しかも、峻烈きわまる高さがあり、すさまじい威圧がある。
若き天才の緊張した精神そのものの顕現とでもいえよう。 【その6】
やや緑を含む鳶色の地塗りの上に濃い紫で下書きの素描をし、ハイライトを白で描き起こしている。鳶色と紫のコントラストがなんともいえず効果的で、絵全体が鳶色に輝いているように見える。
法隆寺金堂の壁画のようだと書いたが、このふたつの絵は線の質に関する限りまるで違う。
法隆寺の壁画の線は太さの変化のない、きわめて図式的、説明的な線である。
『三王礼拝図』の線は筆がかすれるのを物ともせずにぐいぐいと引きまくった実に豪快な線である。妙心寺竜泉庵の長谷川等伯若描きの『枯木猿喉図』、あの線がまさにレオナルドの線である。
レオナルドについては遅筆、逡巡ということがいつも言われるが、実は彼はルネサンスきってのクロッキーの名手であり、形を取ることが素敵にうまい男なのだ。
その頃の画家が大きな絵を描くときには、まず原寸大の完全な下絵を作り、それを板、あるいは壁の上に重ねて、下絵の輪郭に沿って針でちくちく刺していったり、錐の先でぎーっと力を入れてなぞったりして下絵の輪郭を板や壁に移し、後は塗り絵のようにそれぞれの部分をそれぞれの色で塗りつぶして仕上げてゆくのが常法であった。
しかし、レオナルドはごく初期の絵を除いてこの方法を使っていない。彼は原寸大の下絵というものをほとんど作ってないし、『聖アンナ』のように、原寸大の下絵を描いたと思われる場合にも、それを板に移す時にはもういちどフリーハンドで描いている。
『三王礼拝図』の場合は部分の練習はたくさんやってるし、構図の工夫もいろいろしているが、原寸大の下絵はおそらく描かなかったであろうし、描く必要がなかったことは原作を見ればよくわかる。
肖像画では『ジネブラ・ディ・ベンチ』については美しい手の素描が残っているが、『モナ・リザ』については、関係のありそうな素描は一枚も発見されていない。
完全なぶっつけ本番で会ったと私は思う。 【その7】
『三王礼拝図』は、同心円形という構図の基本線だけは決まっていたが、細かい点は決めないままで描き始めている。
影の部分を暗く塗っているうちに、混沌の中からあるイメージが形をなしてくる。するとそれを描き込む、とでもいった要領で細部に描き進んでいるように思える。
既に描き上げた部分も、他の部分をひとまわりしてきたあとで、何度も訂正されたであろう。浮動的な部分をまだ多く残した段階にある絵で、下絵として決して完成しているわけではない。
レオナルドの構図に対する要求が非常に高い水準にあったことは、『晩餐』や『聖アンナ』を見ればわかるとおりであるが、『三王礼拝図』のこれだけ多くの登場人物を『晩餐』の程度の完璧な構図にまとめ上げることは、さすがの彼にとっても容易なわざではなかったであろう。
この絵はいつまで見ていても、人物がいくらでも新しく見えてくる不思議な絵であるが、その大ぜいの人物の組み合わせにはまだまだいたるところに混乱がある。
遠景の奔躍する馬や人の群れなどは画家の遊びのようにさえ思える。 【その8】
此処で、レオナルドに於ける【完成】について触れなければなるまい。
まず確認しておかなければならないのは、レオナルドにとっては、「絵画は色のある素描ではない」ということだ。
レオナルドがほとんどすべての作品を未完成の状態で残したのは、不幸な偶然の積み重なりと素直に解釈するのが正しく、全体に共通する一貫した意味はないと私は考える。
未完成画のひとつひとつがそれぞれ別の理由で未完成に残されたのである。
言い換えれば、レオナルドの未完成作品は製作の途中で終わっている作品であって、あの段階で終わることを始めから意図して作られた作品ではない。
しかし、ひじょうに良い調子が出ているので、あのままでも芸術品としてじゅうぶん鑑賞に耐えるというにすぎない。『モナ・リザ』とてこの範疇にある絵画であることは忘れてはならない。
幾多の美術批評家たちの戯言は無視するとして、レオナルドに於ける完成の一例として、たとえば『モナ・リザ』の【右手(腕ではない)】を私はあげよう。
ここに私はレオナルドのスフマートの神技を見る。
しかし、このアルティザン的な絶技はそれを駆使する芸術家としての彼の精神があってはじめて生かされるのであって、レオナルドにおける完成は断じて職人仕事ではない。 【その9】
ヴェッキオ宮殿の大壁面にはレオナルドの『アンギアーリの戦い』とミケランジェロの『カッシーナの戦い』が対峙するはずであったのは有名な史実である。
もしこの二大壁画が完成していたら、チンクェチェントオ広間はルネサンスの記念碑的大広間となり、空前絶後の壮観を呈する至宝の空間となるはずであった。
そこにはウィンザー城やヴェネツィアのアッカデーミアに現存する素描下絵に片鱗が伺われるような、戦塵を巻き上げて激突する人馬の群れが転々と配置されるはずであった。
ルーベンスの模写に残る軍旗を奪い合う乱闘場面、ブタペスト美術館の怒号する戦士の顔が脳裏に去来する。
これこそ、真にレオナルドの名に値する宇宙的雄作になるはずであった。『アンギアーリの戦い』が完成しなかったことによって、ルネサンスは最大の遺産を失った。まさに人類史な痛恨事と言わなければならない。
『モナ・リザ』の画家レオナルドは東洋的静謐の画家と見なされているが、それは正しくない。疾風・激突・叫喚こそ彼が生涯追及して止まなかったモチーフであった。
前にも述べたように、それまで最も静かな画題であった『晩餐』を彼は激動場面としてとらえている。
スフォルツァの騎馬像も彼は後脚で躍り上がる構図を考えていた。これは技術的な理由で、結局普通の騎馬像型に落ち着くが、彼にしてみれば不本意な妥協であっただろう。
七メートルに余る巨大な騎馬像を後脚だけで支えることがもし構造力学上可能だったならば、彼は当初のままの構図を選んだに違いない(後年、馬の下で腕を伸ばし馬の腹に手をあてる戦士のインスピレーションを得て、この構造力学上の問題は解決する)。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています