フッサールについて語ってくれ [無断転載禁止]©2ch.net
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>>300
>ハイデガーの「存在と時間」は、まさに「存在」一般を究明する試み。
それで良いではないですか
結局ね
存在が当たり前と思っているか、そうは思っていないのか
という問題意識、哲学的態度の差ですよ >>302
あなたにとって「抽象された数」は実在するものなのですか? >>303
実在しないものを存在させようとするから、オカルトだといっている。 >>299
>実在が存在するというのは同義反復。
だとしたら「存在者」は「実在」の言いかえではないよね
「存在者」は存在する、も同義反復?
>「存在」一般は存在しない。
「存在者」のようには存在しない、というだけですよ
>つまり、実在=存在。
それだと結局、「存在者=存在」という
素朴で非哲学的なオチですよ >>304
それも何回も書いた。
実在が根底にある抽象された概念。 >>305
>実在しないものを存在させようとするから、オカルトだといっている。
ある概念が実在するかどうかを、あなたはどうやって判断するのですか >>306
「存在者」は存在するも同義反復。
実在=存在者=存在。
ただし、ハイデガーの「存在者」は、精神や関係などを含まない小さな概念。
素朴であろうと複雑であろうと、オカルトは哲学にならない。 >>308
また繰り返しw
概念とは、実在を根底に置き、実在を抽象したもの。 >>310
抽象が実在するのではなく、実在は抽象することができる。 >>309
>実在=存在者=存在。
それならそれでもいいけど
「実在が根底にある抽象された概念」を考えることは
どうしてオカルトにならないのですかね
「存在」一般は存在者の根底にある抽象された概念
これならオカルトになりませんよね 実在を根底に置いて抽象化することがオカルトではない、というなら
「存在」一般を考えることに何の問題もありませんね >>313-314
「存在」一般を「存在者の根底にある抽象された概念」にしようとして失敗したのがハイデガーだよ。
抽象化することで概念を広げようとすると、存在=世界、みたいに無意味になっていく。
普通は概念を縮小していくときに抽象化する。 >>315
自分で納得できてるんなら、別にいいけどね。 >>316
そうすると
失敗したからオカルトだと
あなたはそう判定するわけですか >>316
>抽象化することで概念を広げようとすると、存在=世界、みたいに無意味になっていく。
存在者と存在を区別しようとしたのだから
それは違うと思いますよ
存在者が存在することが当たり前なのか
存在者は何もせずに無策無為のまま存在なのか
そうではない、と思ったのでしょう
私もそう思いますし 「存在者」つまり「存在するもの」の概念が無機的唯物論に汚染されているのですよ
だから「存在すること」が何らの動きも無い、「ただ在るだけ」となってしまった
しかしそうではないのだ、と
20世紀初頭、その時代Iの空気の中で、哲学においても科学においても、
世界観が激変し、覚醒した人間がいたってことですよ
哲学において壮大に失敗したら
むしろ成功なんじゃないですか そもそも、存在するとは何ごとなのか
少なくともそれは、消滅にさせようとする暴力に対して、抵抗しなければならない
その能力を持つものだけが、その間だけ、存在することを許される
その力が無くなればただちに世界から消えるだけ
人間も、動物も、植物も、太陽から素粒子まで
存在するためには、何らかの形で活動的に自己を保持しなければならない
一切の「存在者」がその概念を獲得したとき
存在一般の概念も静かに消えていくでしょう
もちろん、比喩ですよ
でなきゃオカルトですからね >>318
違うよ。
元々ハイデガーの「存在」概念は抽象化を目指したものではない。
神の存在証明のために設定した概念だよ。 >>319
>存在者と存在を区別
それを無意味だといっている。
>存在者と存在を区別しないと存在者は何もせずに無策無為のまま存在
意味不明だよ。
言葉を連ねれば意味が成立するわけではない。 >>321
>「存在者」つまり「存在するもの」の概念が無機的唯物論に汚染されている
それがオカルトだといってるんだが。
>世界観が激変し、覚醒した人間がいた
ハイデガーが寄与した部分が少しでもあるとすれば、それはナチスだよ。 >>321
>その能力を持つものだけが、その間だけ、存在することを許される
>その力が無くなればただちに世界から消えるだけ
完璧に宗教だな。
誰が許したり消したりするの?
なんの比喩にもなっていない、オカルトそのものだと思うよ。
ところで、この一連の議論は、フッサールとどう関係すると思うの? >>322
>神の存在証明のために設定した概念だよ。
あなたの独断ですよね
>それを無意味だといっている。
あなたにとって無意味なだけで
論理的に無意味というわけではないのですよ
ゆえに、今でも考察されたりするわけでしょう
(まあ、ハイデガー知らんけどね)
>意味不明だよ。
>言葉を連ねれば意味が成立するわけではない。
あなたの引用が捏造だからですよ
まあそれがあなたの精一杯 >>324>>326
ああ、それは私個人の考え
君には理解できない話
>ところで、この一連の議論は、フッサールとどう関係すると思うの?
ハイデガーがどうとか言い出したのは君であって私ではない>>249
もう満足したのか? フッサールの話にするか?
こんなのはどうだ
〜超越論的主観性はオカルトか〜
存在一般がオカルトなら、これはどうなんだろうなー >>327
平行線だから、これ以上の議論は無駄だね。
でも、僕の引用が捏造というのはどれのこと? >>330
>存在者と存在を区別しないと存在者は何もせずに無策無為のまま存在 >>328
僕がハイデガーを持ち出したのは、あくまでもフッサールの両端の一方の弟子として。
あなたが他の人の尻馬に乗ってハイデガーの話を聞きたがってたんじゃない?
ま、どうでもいいけど。 平行線ではなくて
入口が分からない人が絡んでるだけですよ >>331
言葉はあなたの書いたとおりだけど、組み合わせがおかしかった? ハイデガーはどうでもいいけど
存在論的差異は、あたりまえの問題意識だと思ったからね >>333
それを平行線というんだと思うよ?
僕には、あなたがまったく哲学の知識がないように見えるし、あなたは僕がそう見えるんだろう。 >>334
組み合わせは君の任意なのかね
勝手に意味不明に組み合わせた上に、「意味不明。」て
君は幸せものだな >>335
存在論、などというもの自体がオカルトだといってるんだけどね。
オカルトが気に入らなければ、無意味な議論、と言い替えてもいい。 >>336
>僕には、あなたがまったく哲学の知識がないように見えるし
まあ君は、「自然科学系にこれほど無知なのは、よほどの老人だからだろうな。」>>269
とか言っちゃうおマヌケさんだから、そう見えて当然だろ >>338
君は無意味な議論が大好きなんだよ
自覚したまえ
では超越論的主観性の話にしようか
これ、オカルトかね? >>329
ここは、フッサールスレだからねw
超越論的主観性はオカルトだよ? >>342
超越論的主観性はオカルトか
んー
では「意識」はオカルトですか >>340
老人という見立ては外れてた?
どっちにしても、あなたは自然科学系に弱いじゃないw >>344
多分、君よりは強いだろ
エネルギー管理士試験、なめんなよ
君では10年勉強しても受からんよ >>346
エネルギー管理士・・・
実生活上でバカにする気はないけど、学問ではないよ。 >>345
>意識そのものは、実在だよw
なるほど
ところで、『人間が存在者を認識するのは意識に於いてそれがなされる』
これはOKかね >>347
一度、問題を見てください
理系では、問題も解けずに御託並べてる奴はただの負け犬なんですよ >>348
意識をある固定した状態として捉えるなら、意識の活動を認識という。
その認識によって、また意識が形成される。 >>349
バカにはしてないよ。
でも学問じゃない。 >>350
>意識をある固定した状態として捉えるなら、意識の活動を認識という。
>その認識によって、また意識が形成される。
それを踏まえてで良いので、>>348に答えてくださいよ 実際バカにされてるとは思っていないわけなんだよね
勝者の余裕です >>352
>『人間が存在者を認識するのは意識に於いてそれがなされる』
不適切な表現だから、適切な表現に変えたんだけど? >>354
そうですか
超越論的主観性というのは、>>350のようなことですが
しかしオカルトなんですよね >>356
超越論的主観性をもう一度調べてみてね。
全然違うから。 >>357
いやいや違わない
超越論的主観性というのは、意識の活動形態のことだから
君がそれを理解できないからオカルトだと思ってるだけ >>358
超越論的主観性というのは、意識の外に、無限としてのなにものかを設定したうえでの、意識の限界の設定だ。
意識の中で意識の無限を設定し、意識の限界を設定する。
「無機的唯物論」のほうが正しいに決まってるw >>359
ぜんぜんちがいます
「超越論的」の意味は、「意識が外界を認識している」ことを認識している
つまり意識に対して外界は超越しているはずだが、しかし意識はそのことを
自覚することができる、その自覚の主体が超越論的主観性
無限とか、一切関係ありまっせーん >>360
カントを読んだことがないのはわかる。
あなたの書いているのは、ただの主体のありかただ。
それも、言葉の言い替えに過ぎない。
超越論的主観性については、カントを読んでからにしてね。 結局この人はね、自分で勝手につくりあげたモンスター>>359にオカルトのレッテル貼ってるだけなんだよ >>362
あなたがもう少し哲学の本を読んでから、議論しようね。 カントはたまに読むね
しかしカントとフッサールでは「超越論的」の意味が違うよね
カントの場合、超越論的の意味は>>360だよ
純粋理性批判を調べたら彼はこう書いている
対象に関する認識ではなく、対象を認識する『その仕方』についての認識
それを超越論的と呼ぶことにする
つまり、我々は対象を認識していますよ、そしてそのことをまた認識してますよ
だから、これからそれについて考えてみます、と
そういうことだよ >>363
あなたの理解力では読んでも無駄だと思いますよ
そもそも貴方、人間が世界を理解することを何も不思議に思ってないから
だがそれは、間違っているわけではない
哲学という営みが異常なだけだと思う
だから、オカルトだ、という貴方の主張は正解 >>364
カントについてはもう少し読んでみてね。
調べるんじゃなくて、読んだ方がいいと思う。
フッサールの超越は、デカルト。
客観的な存在を主観で受けたものでしか把握しようとしないから、客観と主観との無意味な「無限」となる。 >>365
>人間が世界を理解することを何も不思議に思ってない
「世界」という言葉の曖昧さを別にすれば、そのとおり、なにも不思議なことはない。
人間の主観、個人の資質と環境で「世界」なるものを設定し、空虚な問いを投げかけるのが哲学。
哲学がオカルトに過ぎないという見かたを共有できたのなら、よかった。 貴方は、哲学にも自然科学にも向いてないのだから諦めてください >>368
違うと言いたいのはわかるが、書くのが面倒だから省略しただけw >>369
ひとつ5chの面白い現象を教えてあげる。
といっても、それほど詳しいわけじゃないんだがw
相手の悪口を書きだしたときは、自分の思考を諦めかけているとき。
自分自身でも、そう思う。 多分この人はアンチノミーあたりの記述を勝手に自己解釈して
素朴なファンタジーにしないと理解できないわけです
一事が万事、この調子なんだと思いますよ いやいや
わたしはね、>>249の段階で
「ああ、この人、絡みたいだけのタコだ・・・」と思いましたので >>372
哲学はオカルト、という見かたを共有できたと思ったら、ファンタジー?
もっとも僕は、哲学は素朴であることが一番正しいと思うけど。 超越論を超越に省略するようなセンスだと
そもそも、哲学に向いてないでしょ >>373
ああ、あなたは >>249 も理解できなかったのか・・・
それならたしかに、あなたと哲学についての議論は無理だ。
そもそも、なんでタコを相手に絡んできたの? せっかく穏便にメンツを立ててあげたのに
仕様のない人ですねぇ
>>374
だから貴方は素朴な場所にいたら良いわけですよ >>375
レスのやり取りからわからない?
「超越論的主観性」という、あなたが出してきた概念について説明してるんだよ? >>377
もちろん、僕はいつでも素朴な場所にいる。
言葉の迷宮に迷い込んでオカルトになっても無意味だからね。 >>379
僕は、迷妄性が嫌い。
哲学はその迷妄を助長するものが多い。
それだけだね。
ところであなたはエネ管ということだけど、仕事はしてないの? とりあえず、フッサールの超越論的主観性について説明しておきましょう
意識に於いて認識される対象があるとき、普通はその対象が
「素朴に(自然的に時空間に存在している)○○である」
の認識を伴うわけです。フッサールはこれを「自然的世界の一般定立」と呼ぶのですが
この働きは無反省に行われているので、そこに哲学的な批判を加える必要がある、と
彼は思ったのです
そこで、意識に立ち現れているその内容はそのままに保持し(これを「括弧に入れる」
と表現している)、外部世界がそのように存在すると断定する働きだけを停止する
このような手続きを経て得られた主観を、超越論的主観、と呼ぶわけです
だがこれは、非常に危ういです >>381
今日まで3連休
明日からはほぼ休みなし
よかったですねw 哲学が迷妄を助長するのは、どの哲学者も本意ではないはずなんだよ
ただ、受け取る相手がボンクラだからオカルトに変様してしまうのですよ >>382
それ、エポケーにとどまってる。
フッサールの超越論的主観というのは、そこから先、いわば超自然的に主観が客観にすり替わる。
だから無限。
あなたが非常に危ういということに気が付いたのなら、そこから先へ思考を進めてみたらいいと思う。 >>383
あなたが勤労者でも自営でも無職でもどうでもいいんだけど、これから休みなしで働くなら、僕もあなたに飽きてきたところだからちょうどよかった。
時間があったら、本を読んでね。
>>384
素朴なボンクラでごめんね。
でも、哲学は、その素朴なボンクラに弱点を指摘される言葉の迷宮がほとんどなんだよ。 「無限」に固執しても無駄
なぜなら、貴方の理解では、超越論的主観性は主観と客観の
無意味な無限によってオカルトなんでしょう>>366
哲学はね、肯定的であれ、否定的であれ
やはり哲学者に対しての信頼が無ければ駄目ですよ
オカルトだと思ったら、それまで
ご縁があればまた >>387
何回か書いたけど、僕には「哲学者に対しての信頼」など皆無だよ・・・
哲学者が様々な疑いを持つように、僕は哲学者自体に疑いを持ってる。 久しぶりにフッサールスレ見たよ。
「デカルト的省察」を買って、今度読むつもりだよ。
東洋思想や実存主義をちょっと読んでた。
すっかり頭の悪いおじさんになってしまった。 「デカルト的省察」 フッサール
めちゃくちゃ難しくてさっぱりわけがわからなかった。
判断停止(エポケー)について書かれた哲学書。
ぼくの解釈を書くならば、「物自体は認識できないが、
意識が超越的存在(物自体)に影響を受けていることは、
意識に志向性が発生していることから知るしかない」である フッサールと同時代、いや、それより早いの1911年の西田幾多郎。
「善の研究」西田幾多郎
西田の存在論は朱子学の「理」だ。
西田は、自由意志を否定した。心の中に意志を決定する要素がすべて思い浮かぶことはなく、
不十分な意志の発現の総合として、心に意志は発現する。
善悪を完全に規定した倫理学は存在しない。 智勇仁義は、いちど善とされても、後で悪とされることもある。
また、誰かは善といっても、別の誰かは悪という。
平等が正義でもない。逆に、個人のこだわりを認めることの方が、平等より善であることが多い。
意思は、快不快の単純な多い少ないによっては決まらない。
人の意思は、快不快の単純な算数で決まるほど単純ではない。 問題の所在は
独我論から抜け出そうとしても抜け出せないが
どう考えても抜け出せているようにしか思えない
ということだろ
それをオカルト概念としての間主観性で救済したが
救済できているのか? 間主観性なんて概念もまた
全くもって強引に設えられた
底なし沼の踏み板だからな 志向性がいまいちつかめない
誰か感覚的な例をたくさんあげてー 志向性というのは、ざっくりいえば
辞書を作る能力のことだよ >>393
あのぉ、そんな当たり前のことを発言しても哲学になるの? フッサールの著作を主に読むのではなく、
八重樫徹『フッサールにおける価値と実践』と
エルンスト・W・オルト『フッサール<危機>書の研究』を読みながら
フッサールの著作に当たろうかなと思ったり。 ,.r''-'''""'''ー-、_
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'--,-r'l__,r '´ /;:::::::::::::::::::::::::: 危機書を先に読むと、『厳密な学としての哲学』はそのダイジェスト版なのかな
と思えて来る。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています