ポスト現代思想、ポスト・ポスト構造主義2
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『現代思想 2018年2月号 特集=保守とリベラル ―ねじれる対立軸』
【討議T】
転倒する保守とリベラル――その空虚さをいかに超えるか / 宇野重規×大澤真幸
【エッセイ】
不正義との戦い / 北原みのり
こちらもつきまとうべきなのか / 武田砂鉄
【若者は〈保守化〉しているのか】
若者の保守化という錯視 / 中西新太郎
日本型リベラルとは何であり、何でないのか――「革新」との連続と断絶 / 北田暁大
【〈ねじれ〉はどこで生まれたか】
ねじれつつからみ合う二つの流れ――保守とリベラル / 杉田敦
捻れる平和主義――保守の戦後、革新の戦前 / 酒井哲哉
対立構造の変容と政党政治の機能不全 / 中北浩爾
【欠落する正義】
フェミニズムとリベラリズムの不幸な再婚?――日本軍性奴隷制問題をめぐる反動に抗し / 岡野八代
【保守とリベラル、それぞれの現在】
核と人権をめぐる保守とリベラル / 森政稔
「改革の政治」とは何か――保守政治の「守旧保守」から「改革保守」への自己脱却 / 大井赤亥
【イメージの戦い】
フェミニズムの姉妹、保守とリベラルのキマイラ――軍事強硬主義的女性保守政治家の支持獲得構造とイメージ機能 / 海妻径子
隠されたディスクール/セレブリティの理想/小さな差異のナルシシズム / 樫村愛子
現代日本における「リベラル」イメージの変容――「リベラル嫌い」に関する研究ノート /明戸隆浩
研究手帖
「1968年」の記録と記憶 / 相川陽一 ヘーゲル的に発展する歴史が終わったというのだから、
ねじれてくるぐらいがデフォルトのようにも思う 『京都学派』 菅原潤 (2018/2/13)
目次
プロロ ーグなぜ今 、京都学派なのか ☆
第一章それは東大から始まった ─ ─フェノロサから綱島梁川まで
コラム 1九鬼周造
第二章京都学派の成立 ─ ─西田幾多郎と田辺元
1対照的な二人の哲学者 ─ ─西田と波多野精一
2西田哲学の変遷
3京都学派の成立 ─ ─田辺元による西田批判とその影響
コラム 2和辻哲郎
第三章京都学派の展開 ─ ─京大四天王の活躍と三木清
1西谷啓治と高山岩男 ─ ─京大四天王の代表者
2三木清と昭和研究会
3二つの座談会 ─ ─ 「世界史的立場と日本 」と 「近代の超克 」
4戦時中の西田と田辺
コラム 3左派の哲学者たち
第四章戦後の京都学派と新京都学派 ─ ─三宅剛一と上山春平
1 「包弁証法 」と三宅剛一
2新京都学派と上山春平
コラム 4広松渉
エピロ ーグ自文化礼賛を超えて ─ ─京都学派のポテンシャル
1唐木順三と 「型の喪失 」
2上山春平と柄谷行人 ─ ─ポスト京都学派に向けて
読書案内
あとがき >>45
ポスト京都学派的なものも、既に出てきているね。
・清水高志 『実在への殺到』(2017)
・千葉雅也 「此性をもつ無 メイヤスーから九鬼周造へ」(2017)
・中沢新一 「レンマの贈与」(2017)、「レンマ的算術の基礎」(2017)
・鈴木貞美 『「近代の超克」その戦前・戦中・戦後』(2015) >>46
中沢は中村雄二郎から山内のレンマ論を勧められたという話。 レンマ論(西洋論理学と東洋論理学の接合)は、
20〜21世紀を通して、依然、中心的な課題なのだと思う。
清水は、宙吊りになっていたポスト構造主義的外部にレンマ論を接続し、
ポスト・ポスト構造主義的論理空間を描いてみせた。
千葉は、理論や体系とは距離を置いたところに、新しい対象を見つけようとしている。
これらと並行しているのが東のロシア学。 ・『ゲンロン6 ロシア現代思想T』 (2017/9/22)
“ロシアとはなにか、ヨーロッパとはなにか、
そして近代の外部が(そこにはむろん日本も含まれる)
近代を欲望するときなにが起こるのか”
日本の近代〜現代〜ポスト・ポストモダニズムと重ねて見るロシア。
「ロシアにおけるドゥルーズ、デリダ」など。
ロシア学の新しい形。
・『ゲンロン7 ロシア現代思想II』 (2017/12/15)
特集監修:乗松亨平
[鼎談]接続、切断、誤配 國分功一郎+千葉雅也+東浩紀
ほか ロシア哲学・思想史関連
『ゲンロン6・7 ロシア現代思想I・II』 東浩紀 (2017)
『20世紀ロシア思想史 : 宗教・革命・言語』 桑野隆 (2017)
『ロシアあるいは対立の亡霊 : 「第二世界」のポストモダン』 乗松亨平 (2015)
『ロシア精神史への旅 : 野口和重ロシア史論集』 野口和重 (2009)
『ロシアの源流 : 中心なき森と草原から第三のローマへ』 三浦清美 (2003)
『ロシアとヨーロッパ−ロシアにおける精神潮流の研究 1・2・3』 T.G.マサリク (2002-2005)
『ロシア学を学ぶ人のために』 藤本和貴夫 (1996)
『ロシア精神史 哲学と社会思想の流れ』 セルゲイ・レヴィーツキイ (1994)
『ロシア思想史』 森宏一 (1990)
『ロシア思想史 : メシアニズムの系譜』 高野雅之 (1989)
『ロシア精神の源 : よみがえる「聖なるロシア」』高橋保行 (1989)
『ロシア・ソヴィエト哲学史』 ルネ・ザパタ (1997)
『ロシア的人間』 井筒俊彦 井筒によれば、ロシアには「原初の混沌(カオス)」があるという。(「ロシア的人間」)
それから、「存在の窮極の太古の源に彼等は直接つながっている」とも。(「露西亜文学」) “おお夜の海よ、お前は何と美しいことか!
ここは燦々と輝き、かしこは暗く濃藍色、
月光を身に浴びて、海は生きもののように
歩み、呼吸し、きらめいている。
涯て知らぬ自由のひろがりの上に
閃々と光り、たゆたい、遠雷のごとくどよみ轟く
縹渺たる月光を全身に浴びた海よ、
人気ない夜の世界に、お前はなんと素晴らしいことか。
巨大なるうねりよ、海のうねりよ
お前はそんなにして誰の祭日を祝つているのか。
浪は轟き輝きつつ寄せて来る。
目ざとい星達が空にまたたいている。
この動揺のさなかに、この煌燿(きらめき)のさなかに、
夢みるごとく茫然と私は立ちつくす。
ああ如何に心地よいことであろうか
この魅惑の中に魂を沈め盡すことができたなら”
― チュチェフ 「無題」 1865年作 (井筒俊彦「ロシア的人間」9章) ハイデガーをやった先にロシアをやるというのも正しい 郵便的(デリダ)→存在論的(ハイデガー)→原初的(ロシア) とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
05I43 『享楽社会論 現代ラカン派の展開』 (2018/03/10)
松本卓也
まえがき
1 ラカン派にとって現代とはなにか?
2 本書の構成
第T部 理論
第一章 現代ラカン派の見取り図
――ジャック=アラン・ミレールの議論を中心に
1 近代精神医学から精神分析へ
2 象徴界の衰退と〈父〉の複数化
3 臨床形態の問いなおし――普通精神病と自閉症
4 セクシュアリティの変化――「露出」と「依存症」
5 症状からサントームへ
6 無意識から遠く離れて――無意識と話存在
7 脚立――昇華の新しいパラダイム
8 男性側の式から女性側の式へ
第二章 4(+1)つのディスクールについて
――マルクスから資本主義のディスクールへ
1 ディスクールとはなにか?
2 剰余価値と剰余享楽
3 剰余享楽の袋小路――「六八年五月」と対峙するラカン
4 四つのディスクール
5 資本主義のディスクール
6 現代の「うつ」と資本主義のディスクール 第三章 性別化の式について
――キルケゴールはいかにして男性側の式のリミットを超えたのか?
1 キルケゴールの愛は宮廷愛だったのか?
2 〈物〉とシニフィアン、そして不安
3 ふたたび『アンコール』へ
4 『愛のわざ』のラカン的読解
5 例外を空想するのではなく、例外になること
第U部 臨床
第四章 DSMは何を排除したのか?
――ラカン派精神分析と科学
1 「意図せざる結果」
2 DSMによる神経症の消滅
3 主体を排除するものとしての「科学」
4 現代精神医学の彼岸
第五章 現代の病としての「うつ」
――「現勢神経症」と資本主義のディスクール
1 デプレッションとメランコリーをめぐる精神医学史
2 フロイトにおけるデプレッションとメランコリー
3 神経衰弱/現勢神経症の復権
4 欲動の処理不全と「資本主義のディスクール」
5 デプレッションの神学??ラカンのデプレッション論
6 デプレッションの表象文化論?
7 現勢神経症の復権に向けて 第六章 「恥の死滅」としての現代
――羞恥の構造を読む
1 「恥」と眼差し
2 視線と羞恥の構造
3 対人恐怖
4 窃視症
5 露出症
6 眼差しのラカン的存在論――存在論は「恥在論」である
7 現代における「恥の死滅」
第七章 自閉症をめぐるフランス的問題
1 時代遅れの精神分析?
2 「壁」についての反応と「精神分析禁止法案」
3 ラカン派の自閉症研究
第V部 政治
第八章 レイシズム2・0?
――現代ラカン派の集団心理学1
1 ヘイトスピーチのめざめ
2 二つのレイシズム論
3 フロイトの症状
4 「集団心理学」を再考する
5 レイシズムにおける〈父〉と享楽の病理
6 精神分析はレイシズムに対して何ができるのか 第九章 享楽の政治
――現代ラカン派の集団心理学2
1 「享楽の政治」について
2 「法は法である」――象徴界のフラットな使用に潜む享楽
3 集団的同一化における享楽の動員
4 〈父の名〉の秩序から「鉄の秩序」へ
第一○章 ラカン的政治のために
1 否認の主体とシニシズム的空想
2 シニシズムを横断する
3 大文字の「否」から肯定性へ
4 ラカンと政治理論
5 大学のディスクールから分析家のディスクールへ
あとがき
参考文献 ラカンの哲学 哲学の実践としての精神分析 (講談社選書メチエ)
荒谷 大輔 (著)
出版社: 講談社 (2018/3/11) 千葉雅也 × 東浩紀
ゲンロンカフェ@VOLVO STUDIO AOYAMA#5モノに魂は宿るか──実在論の最前線
http://genron-cafe.jp/event/20180325/
特別配信 2018/03/25 [Sun] 19:00 〜 21:30(開場18:30) 『現代詩手帖』 2018年3月号
◎【特集】詩と哲学――新たなヴィジョンへ
◎対談 星野太+佐藤雄一
◎論考 細見和之、山内功一郎、小笠原鳥類
◎作品 野村喜和夫、千葉雅也
ほか グレアム・ハーマンの最近
・「オブジェクトへの道」
『現代思想 2018年1月号 特集=現代思想の総展望2018』
・「大陸系実在論の未来――ハイデガーの四方界」
『現代思想 2018年2月臨時増刊号 特集=ハイデガー-黒ノート・存在と時間・技術への問い-』
・「現象学のホラーについて――ラヴクラフトとフッサール」
『ユリイカ 2018年2月号 特集=クトゥルー神話の世界 -ラヴクラフト、TRGP、恐怖の哲学-』 “四方界こそハイデガーの最高の発見” ― ハーマン
クライン管にも例えられるハイデガーの存在論と、
ハーマンの四方界分析を組み合わせると、
立体マンダラのような話になる。 マルクス・ガブリエル 『なぜ世界は存在しないのか』 (2018/1/13) 『宗教哲学入門』 量義治、講談社学術文庫 (2008)
井筒がやっていた様なこと。
仏教、キリスト教、イスラム教から宗教批判まで、
統一された哲学用語で相対化して通観する一冊。 >>37
欧州人ならハックとは言わないで“ピュシス(=自然神)と言うのかな。 強いて言うなら、アレーテイア(真理)では。
アレテイアは認識の問題であり、その先にある真理。 宗教は神を求めるものであったのが、
いつからか、その中心で真理を求めるようになった。 美しいことだな。神を求めるまでがね。きっと手に入らないだろう。 “わたしは、哲学の唯一の任務とは怪奇実在論(weird realism)であると提案したい。
哲学は実在論的でなければならない。
というのも、その使命は世界そのものの構造を解き明かすことにあるからだ。
“カントが示すアクセス不可能な本体的(ヌーメナル)世界と、
ラヴクラフトが描く怪物たちの謎めいた透明性は、
完全に一致するように思われる。”
“ところが新の実在論は、事物があらゆる関係から切り離されているのだと考えることを要求する。
そこで唯一の解決策として、実在論の風景を、
具体的な対象と現象から切り替えることになってしまうのだ。
その結果、実体を欠いたアトラクターや位相不変量(topological invariant)といった、
さまざまな潜在的存在者が登場することになる。”
“[潜在的なものの哲学による]こうした一歩が見逃してしまうのは、
具体的な対象(実在的であれ現象的であれ)が有する忌まわしい怪奇さである。”
― グレアム・ハーマン「現象学のホラーについて――ラヴクラフトとフッサール」 井上円了(1853-1919)の妖怪学と近い。
> 円了は『妖怪学』『妖怪学講義』などでそれぞれの妖怪についての考察を深め、
> 当時の科学では解明できない妖怪を「真怪」、
> 自然現象によって実際に発生する妖怪を「仮怪」、
> 誤認や恐怖感など心理的要因によって生まれてくる妖怪を「誤怪」、
> 人が人為的に引き起こした妖怪を「偽怪」と分類し、
> 例えば仮怪を研究することは自然科学を解明することであると考え、
> 妖怪研究は人類の科学の発展に寄与するものという考えに至った。 ハーマンは色物に見られがちだが、
中世イスラム哲学の機会原因論から、
スコラ学〜ハイデガーまでの伝統を踏まえている。 >>65
ポストモダン→思弁的実在論の動向について、
本を読んでいるだけでは知り得ない話をしていたから面白かったね。
初心者にも分かりやすいし、
何冊か読むより、これを観た方が早いだろう。 ポストモダンの相対主義が実在論化されつつあることの懸念とか ・『人新世の哲学: 思弁的実在論以後の「人間の条件」』篠原雅武 (2018/1/22)
一万年に及んだ完新世が終わり、新たな時代が始まっている。
環境、物質、人間ならざるものたちとの共存とは何か。
メイヤスー、ハーマン、デランダ、モートン、チャクラバルティ、アーレントなどを手掛かりに探る壮大な試み。
・『現代思想 2017年12月号 人新世 ―地質年代が示す人類と地球の未来―』 (2017/11/27)
さまざまな場所で議論を巻き起こしている「人新世」。その可能性の中心に迫る。
ノーベル化学賞受賞者P・クルッツェンが提唱した「人新世」とは、
人間の活動による環境の変動によって新たな地質学的時代が始まったという仮説である。
地球という惑星のなかで人間はいかなる位置を占めているのか。
そして環境システムの全地球的・不可逆的転換という超巨視的なスケールの変化に
私たちはいかに向きあうことができるのか。
目次*
【論考/エッセイ】
中村桂子/水口憲哉/有賀暢迪/大村敬一/
奥野克巳/北野圭介+飯田麻結+依田富子/桑田学/斎藤幸平/
篠原雅武/林竜馬/原島大輔/C・イェンセン/
D・ハラウェイ/T・モートン/A・マルム+A・ホアンボー/B・ラトゥール… クリステヴァがブルガリア諜報機関に協力していた諜報員だったという疑惑
があるけど、それを言ったら、米国のクワインも元諜報員だし、英国の
ダメットも元諜報員で、常識として知られていることだけれど、郵便局の
職員とかじゃないのだから、一度諜報員になったら生涯諜報員でしょ。
ブルガリアはソ連が崩壊し、西側につくことになって体制転換したから、
(元)諜報員であったという疑惑が持ち上がるわけで、そもそも体制の転換が
ない西側諸国の諜報員やその協力者に関しては、「元」ということが
問題にならない。 で、諜報機関が同盟国に対してもスパイ行為を行うのが当たり前であることは、
近年の報道で大々的に暴露されたとおり。 私は、諜報員やその協力者でない人間の方が例外ではないかと思っている。
これは別に私が自己弁護しなければならない理由があって、そう言っている
わけではない。大抵の人間は、人付き合いがあり、それなりに組織に参加して
いるので、諜報機関には組織のメンバーとして、または協力者として利用する
価値があるが、私のように人付き合いもなく、組織にも属さず、ハッキング
のような特殊な技能があるわけでもない人間は、勝手に振る舞うので、
諜報機関の活動のためには邪魔でしかない。 が、無限と有限の世界なんてロマンチスト過ぎるから反省していたようですね。 ナルシストにも満たないオフサイド。ワンタッチ以下のほうが。 スパイク性のボレーも退屈な差異と反復ボケでしょうね。 無能であることには、少なくとも人に利用されにくいという利点がある 荒野といわば、許されざる者とか?荒らす企図がおかしい。 クリントヌ ウエスト チタン。治安治水下水が下界のノリより。 山家集とか金槐和歌集を手にいるる意味はないけどね。所詮集だものね。 学術って統失レベルで言ったら板トップだな
コーヒーも相当酷いが、まだ本人の発言だけを見れば
一応それなりの統一性がある
だがこの学術とかいうのはそれすらない
かなりの重症 まぁ、日常レベルでもこういう手合はちょくちょく見かけるからネットなら特段珍しくもないがな >>77
おもしろそう
まずはラヴクラフトから読んでみるか 術策 をふるう 法術とかね、隠してるわけ、
それでね、男は古典の綴り、詩学、字韻 とかが大事でしょ。
ま、重症なのは女性かな?三重苦も四日市とか、時代によって
変遷がありますよ。重役出勤、役員報酬のほうが言いわけじゃ?
症状 より賞金、ジイド贋金づくりじゃないけれど。 哄笑とか 企図が立てられないとか、わかるでしょ?
戦死の文学部哲学科的空間時間意識とか、
祖国のために、一国セリつぶしたジャンヌであれ、
カイエ のヴェイユであれ、死後だからタイプを希少に打てるわけじゃないか? 厄年でも日本じゃいられない
。でも、空の便も神戸はレアチーズよりいいしね
人事も、総合的判断も待ちだな。 震災復興も敷居が高いけど、外貨獲得には
賃金請求権というのがある。一番★ね。 エイジアンオールスターやら、ワンスター のスターマン性もいいけどさ。
クツだって、動物とか生物のためには、必要だろうね。
職工人気質の、階級が、マルクスを葬り去ったことも度々あるわな。 ダン・ブラウン
『オリジン』 (2018/2/28)
スペインが舞台で、AIと人類の起源がテーマ。「我々はどこから来たのか、どこへ行くのか」。 >>79
> 中世イスラム哲学の機会原因論
これはガザーリー。
>>126にも出てくる。
日本人にはピンとこないところ。 ジョルジョ・アガンベン
『バートルビー 偶然性について』 (2005)
ドゥルーズと偶然性。キリスト教神学とイスラム神学。1993年の本。 >>65
千葉雅也×東浩紀
「神は偶然にやって来る ― 思弁的実在論の展開について」 『ゲンロン2』 (2016)
メイヤスー『有限性の後で』の解説としては、一番丁寧で詳しかった。
さて、メイヤスーは保守か?革新か? 中沢新一×東浩紀
「原発事故のあと、哲学は可能か」 『新潮 2014年9月号』
"「アジア」の脱構築へ"。言語起源論から、アジア環太平洋哲学の未来像まで。 その時代にあって、程々に不便で不満でありつつ、程々の満足もある
ポストモダンの幻想を諦め気味のシラケ目線でありつつも、同時に希望も抱ける社会構造こそが幸せな時代でもある
要はバランスが重要ってことだな >>131
いや、違う
俺にはアデランスが重要
バランスなどよりも
お前達よ 糞つまらんバランス取りにはなるな 《おさらい》
・カンタン・メイヤスー 『有限性の後で:偶然性の必然性についての試論』 (2016/1/23)
・グレアム・ハーマン 『四方対象:オブジェクト指向存在論入門』 (2017/9/26)
・マルクス・ガブリエル 『なぜ世界は存在しないのか』 (2018/1/13)
これぐらいは読んでおくのがいい。 >>133
『有限性の後で』は、ドゥルーズ/デリダ/ハイデガーの様なジャーゴンがないから誰でも読み始められる。
最優先。 >>133
『四方対象』は新しい実在論や存在論の傾向をうまく整理している。
下敷きにしたハイデガーの「四方界」は、哲学史の重要な分岐点になった。
詳しくはハイデガースレでも。
マルティン・ハイデガー5
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1468060350/431- >>133
《マルクス・ガブリエルの新実在論》
アスリートさんがソレントにいて、ヴェズーヴィオ山を見ているちょうどそのときに、
わたしたち(この話をしているわたしと、それを読んでいるあなた)はナポリにいて、
同じヴェズーヴィオ山を見ているとします。
その時、存在しているものは以下。
(1)ヴェズーヴィオ山
(2)ソレントから見られているヴェズーヴィオ山(アストリートさんの視点)
(3)ナポリから見られているヴェズーヴィオ山(あなたの視点)
(4)ナポリから見られているヴェズーヴィオ山(わたしの視点)
形而上学の場合
・(1)のみが存在する
構築主義の場合
・(2)、(3)、(4)のみが存在する
・(1)は存在しないか不可知
新実在論の場合
・(1)も(2)も(3)も(4)も存在する
・(1)は不可知でない
〜『なぜ世界は存在しないのか』(2018)p13-17 >>137
半世紀もくすぶっていた難問に挑んだ「天才哲学者」驚きの論考
「実在論ブーム」を読み解く
千葉 雅也
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54371
> ガブリエルは、自然科学こそが唯一実在にアクセス可能だという(広く支持されている)立場に否を突きつける。
> そうした科学主義は、特定の「意味の場」を特権化しているからだ。
> 非科学的な実在性もあるし、ファンタジー的な実在性もある… >>138
相変わらず(?)、言葉に振り回されてるんだねw 「自然科学こそが唯一実在にアクセス可能だという立場」が「広く支持されている」かどうかは
大いに疑問の余地があるな。例えば経済学は「実在にアクセス」した研究分野なのであろうか。 >>140
実在という言葉の概念を問題にしているのに、実在を前提とした議論をするという、循環論法なんじゃない? 実在論の規制緩和だね。
「月の裏面に棲んでいる一角獣でさえ存在する」というのだから。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています