数学を初めとした理系の学問と哲学について 10
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>>887
数学をはじめとするということは、数学に終わるしかないということだね >>896
「証明になってない」と言ってるのは>>893だな
つまり彼は証明を要求しているわけだ
だが彼は一方で、「区別すると区別しないは区別できない」と言っているのだよ
じゃあ彼が要求する証明って何だ?って話だな
分かったか
糞も味噌も一緒にして平気な奴は
一生そこにいろよ >>894
俺が求めているのは証明というよりも君が自分の主張を独断論だと認めること
恣意的に前提を置けばいくらでも証明できましたと言うことができる
そうなると独断論でない証明はありえないかもしれないと思うことがある
それでも恣意的でない証明が可能だと思いたい
そこまで言うのなら独断論でない証明がありえることを独断論でない方法で証明してほしい
それができないのなら独断論的主張をまき散らすのをやめてほしい
誰にでもわかるように一言で言えば馬鹿は黙ってろってこと 醜いアヒルの子定理
醜いアヒルの子を含むn匹のアヒルがいるとする。この時、醜いアヒルの子と
普通のアヒルの子の類似性は、任意の二匹の普通のアヒルの子の間の類似性と
同じになるという定理。n匹のアヒルの子を区別するために、K=log(n)個の
二値の特徴量を使う。これらの特徴量を使ってできるルールは、各アヒルに
ついて含む・含まないが独立にありうるが、どのアヒルも含まないルールは
除外するので,全部でN=2^n−1個存在。
これらN個のルールのうち、醜いアヒルの子とある普通のアヒルの子の
どちらも含むようなルールは2^n−2個。一方。任意の二匹の普通の
アヒルの子を同時に含むルールはやはり2^n−2個。 二匹のアヒルの類似性をこれらを共通に真にするルールの数で評価すると、
醜いアヒルの子と普通のアヒルの子は、アヒルの子どうしと同じくらい
類似していることになる。
これは、各特徴量を全て同等に扱っていることにより成立する定理。
すなわち、クラスというものを特徴量で記述する時には、何らかの形で
特徴量に重要性を考えていることになる。この「醜いアヒルの子定理」は、
特徴選択や特徴抽出が識別やパターン認識にとって本質的であることを
示唆している。 >>901
おおそうか
君が求めているのは、なるほど君の言う通りだと俺が認めることなのかね
しかし君の言っていることも独断論なわけだろ
そうすると君は「ある種の独断論に対してはその主張を認めるべきだ」と
そう言いたいことになるけど、それで良いのかね http://www.afpbb.com/articles/-/3103277
「コーヒーカップがドーナツに」、トポロジーが開く未来
位相幾何学(トポロジー)の研究者は、コーヒーカップとドーナツの違いが
分からない。トポロジーは、物質の形を、中核的性質を失うことなく新しい形状に
完全に変形させることを可能にする仕組みを説明する学問だ。ジョークの中の
例えで言えば、コーヒーカップとドーナツは全く同一のものだ。
これらがゴムでできているとすると、一方を曲げたり伸ばしたりすれば、
その本質を変えずに、もう一方の形に変えることができるだろう。
カップの取っ手の部分と、ドーナツの中央には、それぞれ穴が1つある。
これにより、この2つは「位相同形」とみなされる。 スペイン・サラゴサ大学理論物理学部のマヌエル・アソレイ氏は
「ティーカップの取っ手の穴に指を通すことは可能だが、ジャガイモには
指を通すことができない。そのため、これらは2つの異なる位相オブジェクト
のカテゴリーになる」と説明する。
長い間、数学の中だけの存在だった、基本的な形状の奇妙な宇宙を対象と
するこの分野が、物理学の領域に導入されたのはほんの数十年前のことだ。
トポロジーは今日、スーパーコンピューターから超電導体までに及ぶ、
多数の実用化が見込まれる物理学の幅広い分野に急速に拡大している。
物質を「トポロジカル状態」にすることで、エネルギーや情報を現在可能な
レベルよりさらに遠くへ、より高速に運べる日が来ることを、科学者らは
期待している。
「先駆者たちは、トポロジーが物理学と何らかの関連性があるかも
しれないとみていた」とアソレイ氏は言う。 ■頑健性がカギに
「ゴム膜の幾何学」とも呼ばれるトポロジーは、物理学では現在のところ、
理論と実験の領域にとどまっている。だが、トポロジーの原理は
10〜20年以内に、特に量子エレクトロニクスや量子コンピューターの分野で、
実用的および商業的な用途が見いだされることが広く見込まれている。
例えば、消費電力が従来よりはるかに小さい新物質などが、この分野の研究
から生まれることが期待される。
フランス国立科学研究センター(CNRS)の物理学者ダビド・カルパンティエ氏
によると、トポロジカル物質の主要な長所は「変形させる力を受けても、
その丈夫さが保たれることだ」という。「未来の量子コンピューターを
構成するための基盤として研究が進められているのは、まさにこの
トポロジーの頑健性なのだ」
いまだ設計段階の量子コンピューターは、同時に2つ以上の状態をとり得る
素粒子の性質を利用して、超高速の処理速度を実現することが見込まれている。 >>904
>君の言う通りだと俺が認めること
>ある種の独断論に対してはその主張を認めるべき
ではなくて
君が君の主張を独断論だと認めること
ある種の独断論に陥らないよう注意するべき
ということ
君の主張だけでなく俺の主張も間違っている可能性があるから君が俺に屈服しても何にもならない 同相という概念があるよね。
ドーナツとコーヒーカップが位相同型にあるとは、
直観的にはなかなか感じられないことで、数学的説明されてはじめて、
そうなんだー、となる。 位相空間 A, B の間の写像 f: A → B が連続かつ全単射で、その逆写像もまた連続であるとき、
f を同相写像 (homeomorphism)、あるいは単に同相という。同相写像の逆写像は明らかに同相である。
A と B との間に同相写像が存在するとき、A と B は同相、あるいは位相同型であるという。 >カップの取っ手の部分と、ドーナツの中央には、それぞれ穴が1つある。
これは大きな誤りだな。巨視的に見れば、コーヒーカップにもドーナツ
にも穴が1つしかないように見えるが、少し拡大してみれば、ドーナツ
は穴だらけでスカスカだが、コーヒーカップの方がは、物理的に基準と
するレベルを変えなければ、穴は依然として1つだけ。だから、
コーヒーカップに水を入れても漏れないが、ドーナツに水を掛けると
ぐちゃぐちゃになる。 >>908
それからな
私は、「独断論でない証明が可能だ」などと主張したことはない
証明が恣意的な前提による独断論であっても、私はいっこーに構わない
それを認めたところで、三平方の定理に意味がなくなる、なんてことは起こらないわけだ
>>838は「数学もまた独断論」だと言ったのに対し
だからどうだと>>842(私)が言った
『恣意的に前提を置けばいくらでも証明できましたと言うことができる』
そのとおりだが、数学に於いて、君が「これは恣意的だ」と考える前提などあるのかね
教えてくれたまえ
それを言えないのなら、君の主張など絵に書いた餅なんだよ >>908
あとよ
君は自分の主張を独断論だと認めているのかね、いないのかね
認めているなら、独断論に陥らないように君自身が注意するべき、なんだろう?
認めていないのなら、君は「独断論ではない哲学」を手に入れたわけだ、おめでとう
他人のの主張にもその哲学を発揮したらどうだ >>911
そういう物理的な話をしているのでなく、位相がコーヒーカップとドーナツで
同相で同じだと言っているんじゃないの。位相的に見ると、両者の構造が同一
であると言っているだけで、ここでは物理的な組成や性質を問題にしているの
ではない。ここでは、両者の抽象的な性質を問題にしている。 それに、巨視的なレベルで見れば、存在するものはすべて点として表せるだろう、
もしくは、無限小であるような点。惑星もビルも人間もヒマワリもミジンコもね。 あともう一つな
独断論だからといって間違っているとは言えない >>913
>私は、「独断論でない証明が可能だ」などと主張したことはない
証明することにこだわったのは君だよね>894>900
だから独断論でない証明はありえないかもしれないと言った>901
証明によっては何も解決しないよってこと
>証明が恣意的な前提による独断論であっても、私はいっこーに構わない
そもそもの始まりは
「独断論的哲学は何でも有り」と「数学は何でも有りでない」という対立構図>821>822
に対する異議だったのに
>独断論であっても、私はいっこーに構わない
と言われると悲しい気持ちになるね
まあ相手を黙らせるための主張を繰り返しているうちに自身の主張と矛盾することは馬鹿にはよくあることだから
>三平方の定理に意味がなくなる、なんてことは起こらないわけだ
既存の独断論の中に閉じ籠っている限りはね
現在の数学とは異なる新たな叙述の形式が発明されると意味がなくなる
それはちょうど独断論的哲学が別の独断論的哲学に塗り替えられた際に起こることと同じ
>>>838は「数学もまた独断論」だと言ったのに対し
>だからどうだと>>842(私)が言った
形而上学は独断論
数学は独断論でない
という構図が成り立たなくなる>848
と俺が言った
>そのとおりだが、数学に於いて、君が「これは恣意的だ」と考える前提などあるのかね
数学の独断性については>>863が代わりに説明してくれた とある数学者も言っていたが、物理や化学と違って数学の命題は暗記するものではなく理解する物である
公理さえ定めてしまえば全て道で繋がっている、一つの世界が出来上がるのが素晴らしいところ
そして命題の理解と証明とはとても密接な関係にあるのだから証明のための証明に抵抗を感じる数学者は少なくないだろう >>914
認めている>>893>>901
独断論に陥らないように注意している>>908
その上で君が独断論に陥っていたから指摘してあげた
>>917
>独断論だからといって間違っているとは言えない
その通りだが
形而上学は独断論
数学は独断論でない
という構図が成り立たなくなる
という話をしている >>918
バカいえ
>>893が「何の証明にもなっていない」と言ったのが“証明”の話が出てきた最初だろ
何が「悲しい気持ちになるね」だよ(くっせえ)
それと「数学は何でも有りではない」わな
たとえ独断論のレッテルを貼られたとしてもだ
あと、突然に形而上学を言い出したのも>>848だ
>>822の奴は「独断的な言説」と言ってるだけだよな
それを自分に都合良くストローマンかましてる奴がいるわけだ
>>863は、『数学の手続きには独断論的となる自由は全然ない』と言ってるのだよ
よく読め >>920
だから
「独断論に陥らないように注意すべき」
というのが、そもそも独断論なんだよ、ばーか 数学が形而上学同様に独我論というのは少し言い過ぎかなと思う。
では、背理法みたいな感じで、「数学は独我論である」と仮定して論を進めてみよう。
数学が独我論であるならば、数学を使う科学や物理も、科学技術や工学体系も
独我論的なものである。しかし、ロケットは正しく軌道計算のもと計算通り飛翔し、
コンピューターもスマホも自動車も電車もアルゴリズムに基づいて使用でき、
文字コードもそれが正しければ、文字化けせず可読となる。
もし、数学が独我論的で非客観(主観)的なものであるのであれば、前記のような再現性の
ある事態は生起し得ないはずだ。よって、「数学は独我論である」はそれに矛盾するので
この命題は偽となる。
みたいな感じかな。あくまで背理法風なので、そこはよろしく。 >>921
>>>893が「何の証明にもなっていない」と言ったのが“証明”の話が出てきた最初だろ
証明することにこだわったのは君だよね
って言ってるよね
>それと「数学は何でも有りではない」わな
>たとえ独断論のレッテルを貼られたとしてもだ
独断論の意味わかっていますか
論証が厳密性だからといって前提が恣意的でないとは言えない
>突然に形而上学を言い出したのも>>848だ
>>821に「独断論的哲学」とありますが
>>>863は、『数学の手続きには独断論的となる自由は全然ない』と言ってるのだよ
ほんとだね
その点については誤りを認める
ただ
>ある公理を選択してしまえば、そこからは演繹なり、そこから証明される定理があるのみ
このような論理展開こそが独断論なんだよ
>>922
>>920で独断論であることを認めているだろ
その上で注意していると言っているのであって
自分は独断論に陥っていないとは言っていない >>924
独我論と独断論の違いは横に置いておくとしてもう少し哲学の歴史を勉強したほうがいい >>925
証明にこだわっているつもりはない
つまりこういうことだよ
『区別しないと区別するは区別できない』と言っている君が
その口で『証明になっていない』とか良く言えるよなー、と苦笑してるわけだ
なぜなら、3と4が区別できないような下等生物に証明など無理な話だからね
どうして「こだわっている」なんて思ったのかね?
君がそう思いたいだけだろ
あと、君にとっては『独断論的哲学=形而上学』なのかね?
それと、私は、君の主張が独断論であることを批判しているのでは全くない
君自身が「独断論に陥らないように注意する」と言っていることに失笑しているのだよ
なぜなら、「独断論に陥らないように注意するべきである」は独断論なのだから
独断論に陥らないように注意することはそのまま全力で独断論に陥ることになるのだよ
分かってもらえたかね ああ、それと、>>863を君自身が誤読していたことを認めていただいたようなので、
もう一度尋ねるが
数学に於いて、君が「これは恣意的だ」と考える前提を教えてくれたまえ
>このような論理展開こそが独断論なんだよ
よく分からない
論理展開そのものが独断論だ、と
そう言いたいのかね? >>919
物理や化学には理解はいらんのか?
誰がそんなことを言ったんだ? なんか論理パラドクスみたいな話が延々と続いているようだね。
張り紙禁止の張り紙は矛盾しているか否かとか、
選択しないのも、選択だとか、
屁理屈も理屈であるとか、
クレタ人の嘘つきパラドクスとか、
そういう言語や論理のもつ、もつれや矛盾を巡る無限ループかな。 >>931
ラッセルのパラドックス。
自身(の視点)が系外にいる事が前提だから。 >>927
>何をどうやって“証明”してやったら納得できるんだ
と証明することに意気込んどいてこだわっているつもりはないって馬鹿なの?>894
>君にとっては『独断論的哲学=形而上学』なのかね
厳密には独断論的哲学の典型例が形而上学だね
>独断論に陥らないように注意することはそのまま全力で独断論に陥ることになるのだよ
だから自分の主張が独断論だと認めてる>893>901>920
そして自分が正しいと主張したいのではないとも言っている>901
だから
>独断論に陥らないように注意することはそのまま全力で独断論に陥ることになるのだよ
と得意げに言われてもその点については自分で認めているのにこの人は何を言ってんだろこの人馬鹿なのかなくらいにしか思わない
>>928
>数学に於いて、君が「これは恣意的だ」と考える前提を教えてくれたまえ
3が3でなければならない理由も4が4でなければならない理由もどこにもない
3の次が4でなければならない理由もどこにもない
>論理展開そのものが独断論だ、と
>そう言いたいのかね?
どのような前提を選択するかは恣意的であるということは理解できるかな
そのような前提から結論を導き出すまでの過程に瑕疵がないからといってそのような前提を選択したことが恣意的でなかったことにはならないということもわかるかな
そのような前提から結論を導き出すまでの過程に瑕疵がないからといってその結論が唯一絶対の真理ではないということもわかるかな
これらについてはユークリッド幾何学とリーマン幾何学を想定すれば理解できるよね
恣意的に前提を選択しユークリッド幾何学の正しさを証明したところでリーマン幾何学を誤っていると断定するような論理展開が独断論なんだよ
当然ユークリッド幾何学の正しさをもってリーマン幾何学が誤っているとは言えない
恣意的な前提から結論を導き出すことが独断論だということ
独断論の意味を調べればわかるけど >>938
形而上学は多義的に使用されますが
カント以降では
『超越に対して無批判にその実在を認識できるとするような考え方』
のように使用される場合が多いですね
カントがこれを「独断論だ」と批判したので、この意味での形而上学は独断論的であることに
なるのですが、そもそも独断論(的哲学)というのは、
「特定の学説を真理として主張する哲学」のことですね
しかし元祖形而上学たるアリストテレスの形而上学はそれとは全然ちがう感じです
これ言ってみれば「哲学用語辞典」のようなものですね
「元」「因」「要素」などなどが何を意味し得るのかを思考した記述です 貴方が自分の主張を独断論だと認めていることは承知しています
しかし今、それが問題なのではありません
貴方が自分の主張を独断論だと認めながら、「独断論に陥らないように注意している」と言うので
「おかしなことを言う人だな」と言っているわけです
何をどう注意するつもりなのですか?
3が3と呼ばれる理由はない、という意味ならその通りです
(ただし、「3が3である理由はない」という表現は非常に問題があります)
しかし3と4は区別できるし、区別した方がよい、と私は思いますが
貴方はそうは思わないのですか
リーマン幾何学をもって、ユークリッド幾何学が覆されるようなことは無いのです
なぜなら、互いに独立した系であり、『そのことが理解できるから』です
ですから、貴方が>>918で言うように「意味が無くなる」とか、「塗り替えられる」とか
そのような話にはなりませんし、ユークリッド幾何学の正しさを証明することで
リーマン幾何が間違っていると断定するようなことにもなっていません
(そもそも、ユークリッド幾何学の正しさを証明することはできません) 数学の基本は美しさです。独断論ではなく美学なのです。
一部だけをみると、数学はたくさんの熱を放出していて今一つ美しくみえません。
しかし、系としてみると、とても美しい結晶構造です。 >>939
現代はカント以降なんだから間違ってはいないと思うけど?
>>940
>何をどう注意するつもりなのですか
注意していれば事故に遭わないのか?
自分の主張を独断論と認めながら独断論に陥らないように注意するというのはどれだけ注意しても事故に遭ってしまうということ
独断論は前提の時点で始まっている
>貴方はそうは思わないのですか
3と4を区別できるのはその前提となる公理系を受け入れているからに過ぎない>>893
>リーマン幾何学をもって、ユークリッド幾何学が覆されるようなことは無い
だから
当然ユークリッド幾何学の正しさをもってリーマン幾何学が誤っているとは言えない
と言っている>>938
あくまで恣意的な前提から結論を導き出すことの例として述べただけであって>>918とは趣旨が異なる >>942
注意していれば事故に遭わない?
「独断論に陥らないように注意する(べき)」がそもそも独断論なのですから
貴方が実際にやっていることは
「喋っちゃいけない喋っちゃいけないとぶつぶつ喋っている」ような状態に見えるわけです
私なら
「何を主張しても独断論なのだから、独断論を区別すべき」
と言いますけどね
しかしそれは貴方の自由ですね
>3と4を区別できるのは、その前提となる公理系を受け入れているからに過ぎない
無造作にそう言ってしまうこともできるかもしれませんが
公理系などというのが成り立つのは、「対象を区別する」ことを抜きには成立しないでしょう
>>918とは趣旨が異なっても別に構いません
実際に、ユークリッド幾何学の正しさを証明してリーマン幾何学を誤っていると断定するような
論理(貴方によれば“独断論”)が展開されている事実はありませんよ、と
そのことをご理解いただければ十分ですよ 一人で判断することが独断か
みんなで決めたら「〜べき」は独断じゃないね >>943
>それは貴方の自由ですね
もう終わらせたいの?
>公理系などというのが成り立つのは、「対象を区別する」ことを抜きには成立しないでしょう
公理系が設定されることで区別が生まれるんだよ
>展開されている事実はありませんよ
だから例だって言ってるだろって思ったけど「先例」の「例」とも読めるな
「例え話」の「例」だから
これは失礼 >>945
>もう終わらせたいの?
いえいえまさか
いくらでも付き合いますけど、この先、貴方が傷つくことにはなりませんか?
公理系に限りませんが、何かを“設定”しようとしたら
aをXとし、bをYとし、・・・
というように説明が必要でしょう
対象を区別して捉えることなしに、何も説明できないのですよ
区別する作用を度外視して、どうやって公理系を設定するのですか
ためしにやってみてもらえますか
リーマン幾何とユークリッド幾何
「例になっていない」と理解していただいて、ありがとうございます >>946
>貴方が傷つくことにはなりませんか
君が独断論でない証明がありえることを独断論でない方法で証明するか自分の主張を独断論だと認めるまでやめない>>901
>ためしにやってみてもらえますか
公理系とは前提のことだっていうのはわかってるよね?
>aをXとし、bをYとし、・・・
この「とし」ってところがミソ
「とし」ってことは恣意的な意味付け作用が働いている
区別する時点においてすでに前提が設定されている
前提を踏まえて対象を見ているから区別できるということ
幼児向けに単純化すれば見たいように見ているということ
公理系が設定されることで区別が生まれるとはそういうこと
独断論は前提の時点で始まっているとはそういうこと
独断論でしかないけれど >>946
漏らした
>「例になっていない」と理解していただいて、ありがとうございます
例え話のつもりだったんだ
ごめんね >>948
いやいや
私の主張は独断論ですよ
それを否定したことは一度もありません
以前にも言っていますが、「独断論だからどうだと?」
「独断論を区別するべき」だとね
>「とし」ってことは恣意的な意味付け作用が働いている
その前に、aとかXを認識しているのです
漏らした?
例え話も含め、貴方の話は妄想が多いですね こういうやり取り見てると、哲学ってくだらねえなと思うな
ボクチンはこう思うっていう言葉遊びのバトル何が楽しいんだろ 哲学が何の役にたっているのか誰にでも分かるように説明できる人いる? 哲学って自分が役に立ってほしいと思っている人たちの役にたってればそれでいいのかな >>950
>私の主張は独断論ですよ
もっと早く言えよ
自信満々に絡んで来るからこいつの相手していると思索が深まるかなと思ったが同じことを何度も何度も言わされて本当に時間の無駄だった
>「独断論を区別するべき」だとね
よくわからない
独断論と独断論でないものを区別するべきだということなのか(犬と猫とに区別する)独断論の中であれとこれに分けるべきだということなのか(犬の中でチワワと柴犬に区別する)
前者の場合独断論を区別するべきだと言うことが出来るという主張は独断論と独断論でないものの両方が存在することが前提になっているが
君はまだ独断論でない証明がありえることを独断論でない方法で証明していないつまり独断論でないものの存在を主張できる立場にないのに何言ってんだろって感じ
後者の場合唐突過ぎて独断論を何と何に分けるのかよくわからない
>aとかXを認識しているのです
君は区別の基準に無頓着なんだね
ある動物を犬か猫かに区別しようとする時はそれに先立って犬という概念と猫という概念が成立していないといけない
犬とは何か猫とは何かがわかっていないとこれは犬だこれは猫だと判断できない
つまり区別するための基準が成立していないと区別できないということ
しかし犬とは何か猫とは何か何を犬と呼び何を猫と呼ぶかは恣意的であってそこに独断論が成立してしまう
恣意的に前提を置いて区別できましたと言うだけなら誰でもできる
>漏らした?
>>948に書き漏らしたということ
>例え話も含め、貴方の話は妄想が多いですね
例え話が実話なわけないだろ >>958
ディープラーニングだと教師データを一切与えなくても、猫画像とか犬画像に分類できるよ。
つまり、猫や犬という概念がゼロであっても、大量の画像データから猫や犬をクラスに類別できるということ。 >>959
残念ながら俺は人間の話をしているんだ
>ディープラーニングだと教師データを一切与えなくても、猫画像とか犬画像に分類できる
について詳しく教えてほしい
どのようにしてそれが可能になるのかを ↓は、6年前の記事だから、その2012年には出来ている技術。
米Googleは26日(現地時間)、同社の「Google X Labs」が人間の脳をシミュレーションする研究で
大きな成果を挙げたと発表した。コンピューターが猫を認識する能力を自ら獲得することに
成功したという。自動運転車の研究などでも知られる同研究所は、人間の脳の働きを
シミュレーションするために大規模なネットワークを用いる新たの方法を開発。
このシステムにYouTubeの動画を1週間見せつづけたところ、猫がどういうものかを学習し、
猫を認識できるようになったという。
従来の技術でもコンピューターに画像を見分けさせることは可能だが、例えば人間の顔を
コンピューターに自動選別させるには、人間の顔がどういうものかを人間がコンピューターに
教育する必要がある。しかし、今回の研究成果では、コンピューターは猫がどういうもので
あるか人間に教えられること無く、自力で理解した。これは機械学習の「self-taught learning
(自己教示学習)」と呼ばれるものだという。
こうした研究は画像の識別だけでなく様々な分野への応用が期待される。今回の研究では
1万6000個のCPUを接続したが、人間の神経回路は100兆もの接続があるとされる。
したがって「研究はまだ成長の余地がたくさんある」とGoogleの研究者は語っている。 どのようにして
が書いてある記事の方が質問者に親切じゃね? そもそも機械学習の分類の仕組が分かっていないといけないね。だから、分りやすく
「教師あり学習」で説明してみよう。たとえば、画像や動画から、猫の顔を検出する
分類器を実装する例をあげてみよう。
まず機械学習の訓練データで必要になるのは猫顔画像セット(正例・正解データ)と猫顔で
ない画像セット(負例・誤謬データ)を用意する。だから、後者は犬の顔とか、人間の顔、
あるいは建物でも、ドラえもんの顔でも、猫の顔以外のデータなら、何でもいいでしょう。
ただ、訓練にするには他の動物の顔写真が一杯あった方が良さそうだ。そして、
SVM(サポート・ベクター・マシン)などで、正例と負例をより分ける関数を作って、
入力された画像データに対して、ある閾値で猫顔か否かを判別できるような分類器の
アルゴリズムと閾値を実装する。 ただし、機械学習で使う画像認識は、そのままだと膨大な次元数(640×480のカラー画像で約92万)で
表現されるので、そのままだと計算量が膨大になり情報に冗長性が生じるので、上手く学習
出来ない。だから、次元削減などして正規化してあげて、学習しやすくしてあげる。要は猫の顔の
特徴量を抽出できればいいだけのことなので。特徴量は、ベクトルで数学的に表される。
それはたとえば局所的な明暗のパターンを符号化したり、テクスチャの形状違いをベクトルで
表す。ツルツルの顔では猫っぽくないだろう、毛で覆われた顔の方が猫っぽいテクスチャー
だろうという感じで機械学習が進んでいく。
そして、注目画素とその周辺画素の近傍ごとの輝度の違いや大小を見つけたり、それらを
数学的にパターン化していく。たとえば、注目画素より明るい画素は白で1と表現し、暗い画素は
黒で0という感じで近傍画素を計算していき、それをベクトルで特徴量としてとらえていく。
すると、その特徴量のベクトルのパターンで、対象画像がどんな質感のものかがだんだん
分かってくる。そのテクスチャーがツルツル、あるいはザラザラしてたら、これは猫の顔では
ないな、という風になる。 そんな感じで、対象画像を隈なく走査していき、ターゲットである猫顔の特徴量が見られた対象を
未知の画像や動画から検出できた時、それで上手く猫顔を機械学習できたことになる。
これがテンプレートマッチングと呼ばれるもの。あとは、検出精度を上げていけばよく、
機械学習で正解出来なかったもの(誤検出)は、再度、負例として教師データに入れてあげれば、
猫顔分類の学習精度はどんどん向上していく、というプロセスになる。あえて難しい猫っぽい顔
だけど違うという分類困難なデータを訓練データに入れたりして、紛らわしい画像も正しく分類
できるようにしたりする。 ディープラーニングと言えば、NN(ニューラルネットワーク)なので、
ついでにそれにも触れておこう。m次元のベクトルxをn次元の
ベクトルyに写す写像fを推定するのが、ニューラルネットワーク。
入力層のユニットに入れるデータが各xで、それは中間層や各層の
ユニットを経て、出力層で各yとして出力される。これも機械学習と
同じでベクトルで表現されたもの。NNでは、重みづけパラメータに
行列表現も使われる。各ユニットで関数に重みづけのパラメータが
乗じられ、活性化関数δとしてはシグモイド関数がよく使われる。
シグモイド関数は、入力xに対して、出力yが0〜1の値域を取るように
なっている関数で、イメージ的には0か1の値だけを取る階段関数に似ている。 そして、関数、もしくは写像fのモデルに適当なパラメータの初期値を与え、
それを徐々に更新しニューラルネットワークがより適切な各パラメータを
取れるようにする。このパラメータ更新の際に使われるのが
確率的勾配降下法(SGD)や誤差逆伝播法(バックプロパゲーション)などの
アルゴリズムが使われる。学習率αというパラメータや各パラメータの
偏微分などを使って、各データが更新されていく。
誤差逆伝播法は出力層に残った正解との誤差を今度は逆向きに、すなわち
入力層に向かってその誤差を伝播させて、その過程で重み付けパラメータや
バイアスを調整・修正していく手法で、NNでよく使われる学習手法。 NNがこれら一連の処理をしながら、正解データとの誤差や損失関数
を小さくするよう正しく学習し、対象を適切に分類できるようになる。
そこでNNの各層で各パラメータをより適切なものに調整・更新していく。
NNでは交差エントロピー誤差や2乗誤差が使われるけど、これらの誤差を
なるべく小さくして、学習モデル(回帰)や分類器をより精度の良いものに
していくということ。
たとえば、集合AのクラスA={a1,a2,a3,a4,…,an}となるn個の分類項目が
あるとして、あるデータxをNNの入力層に入れて上げると、それがAの
どの項に分類されるかのが正しいかを上記のアルゴリズムをもとに計算し、
最後に出力層でそれが求まるということ。x3のデータなら、a8に分類する
のがいいとなれば、この考え方は写像の単射と同じになる。全部に当たって
いれば全射、各aに一個ずつ各xが分類されたら、それは写像で全単射になる。 >>961
>猫がどういうものかを学習し、猫を認識できるようになった
って書いてるのに
猫や犬という概念がゼロであっても、大量の画像データから猫や犬をクラスに類別できる
と言えるのか?
>>963
教師データなしで分類が可能になるのはどのようにしてかという質問に対してどうして教師データありの場合の話をするの?
教師データなしの場合については説明しないの? 「教師なし学習」は、正解データや正解ラベルなしで、機械学習が自律的に進んでいくもの
だよ。膨大なデータをコンピューターに解析させることで、そこにある一定の構造やパターン、
特徴量、法則、傾向性が見られる対象物を自動的に検出したり、当該カテゴリーとなる属性や
特定の対象物を「教師なし機械学習」の場合は、人間の手を経ずに自律的にその定義まで
行えるということ。
だから、猫とはこういうものだと人間が予め定義しなくても、すなわち、正解データを
教師データとして事前に付与しなくても、コンピューターの側が膨大なデータの中から、
そこに同一の特徴のある対象物、たとえば猫などを自律的に分類していく。そのため、
「教師なし機械学習」では人間が気付かないような未知の分類項目をデータマイニングと
して検出できることもあるだろう。人間の直感や認識からは決して導出できないような
パターンや法則性を膨大なデータから検出出来る。AIのブラックボックス化にも
そうした類似の構造があるだろう。 この教師なし機械学習が自律的に進むためには、報酬がネックとなる。
上手く学習出来た場合は報酬としてポイントを与えるようなアルゴリズムにすれば、
機械学習は自律的にその報酬を最大化するような方向へ学習を進めていくので、
それで精度なり分類器の向上も見込めることになる。得点を最大化する方向で
探索やデータマイニングを進める、という表現でもいいだろうね。 >>971
人間が定義をしていないだけでAIが自ら定義を産み出しその定義を基に分類しているのなら結局区別するための基準が成立していないと区別できないということに変わりないよね >>973
AIが定義を産み出しているわけじゃなくて、単に分類できれば形式的な数学をはじめとしたプログラミング理論は成功したことになるからいいんだよ
コンピュータや数学を形式的に利用している人間にとって成果があればいいわけだからね。区別しているか否かという本質的な区別は後付で
人間が、おぉ猫抽出できたじゃんと満足できるか、なんだよドラえもんまで抽出してるアホ解析じゃねーかと不満に思うかで本質的に区別される >単に分類できれば形式的な数学をはじめとしたプログラミング理論は成功したことになるからいいんだよ
そんなことないよ、成功したと言い張るあなたの自己満足、たんに自己主張を認めさせたい願望だ
>本質的に区別される
それは個人の好き嫌いにすぎない、おまえの思い込み、 そんなことないよと言い張るのは975の好き嫌いにすぎないという自己主張を認めさせたい願望
そのお思い込みは数学的な形式的正解に基づいたすばらしい見解
哲学的には自己肯定への渇望からくる心理的反応の正しい表出 >>974
>AIが定義を産み出しているわけじゃなくて
>>971に
>人間の手を経ずに自律的にその定義まで行える
とあるけど?
>分類できれば形式的な数学をはじめとしたプログラミング理論は成功したことになる
確かにそうだ
だから>>959の一行目を説明できたことになるけどその一行目の説明と二行目とがつながらないよね
一行目の説明について
>人間の手を経ずに自律的にその定義まで行える
としている以上二行目の
>猫や犬という概念がゼロであっても
には絶対につながらないよね >>977
寝起きで早合点してしまったから一部訂正するわ
>分類できれば形式的な数学をはじめとしたプログラミング理論は成功したことになる
確かにプログラミングは成功したことになるけど数学まで成功したことにはなるのか
その点についても説明しろ
そもそも数学の成功って何だよ プログラミングに用いた数式が成立してるということ以外に逆になんかあんのか?w >>979
そういうことか
馬鹿は何考えているのかわからないからもっと笑えることが言いたいのかと思ってしまった 974を書いている人と、その前に一連の機械学習について書いている人=自分は
別人物だからね。数学使わないで直感で認識すると、このように混同し、判別
出来なくなる例だな。少しは勉強し給え。 学習もしないで、能書きばかりで笑える。
無知蒙昧で、議論出来ると思っているの。
質問するだけのクレクレ星人。
自らはなにも学ぼうとしない愚劣なクレーマー。
そのくせ、態度は横柄。 >>982
君があれは自分の書き込みでないと言うことも俺があれは君の書き込みだろと言うこともどちらも証拠を提示できないんだよ
それを踏まえて聞くがここ数日における君の書き込みはどれだい? >>981
ついでに言っとくとどの書き込みを誰が書いたか見分けることと数学との関係について説明してもらえるかな >>987
誰かの頭の悪さを白日のもとに曝したとしてもそれによって自分の頭のよさを主張することはできない
両者の間には因果関係も相関関係もないから
どういう思考過程を経て>>980から>>987に至ったのか説明してほしい
全く新しい論理の発見につながるかもしれない 反論できなくてくやしいのはわかるけどちょっと低レベルだよね >>991
プライドをずたずたにしてごめんね
もうすぐ1000だし次スレでは気を取り直してまた書き込んでね >>958
>自信満々に絡んで来るからこいつの相手していると思索が深まるかなと思ったが同じことを何度も何度も言わされて本当に時間の無駄だった
嘘を言ってはいけませんよ
貴方に限りませんけど、ここには
ストレス発散してるだけのポンコツしかおりませんのでね
>よくわからない
当然後者ですよ(いや、わかるでしょ普通)
貴方は、数学も独断論だし、物理学も独断論だと思っているでしょう
その中で、数学、物理学、哲学、・・・というふうに、ちゃんと区別できているでしょう
>君は区別の基準に無頓着なんだね
そのとき、基準を認識しますよね(より長い、より高い、より熱い、などなど)
で、その前提として基準を構成する要素を認識している
つまりですね、問答無用に「区別できること」が前提なんですよ
なぜなら、認識することは、それをそれ以外と区別することだからです
>例え話が実話なわけないだろ
それならリーマン幾何とか見栄をはらずに(本当はよく知らないのでしょう?)
おとなしくマンガの例でもした方が良かったのではないでしょうか ああ、それから
恣意的についてですけど(ソシュールでも齧りました?)
恣意的というのはですね、必然性が無い、ということなんですよ
つまり基準が無い、ということです
ですから貴方の理解はちょっとおかしいですね
ちなみにですけど
世の中の森羅万象はですね
「分かれる理由はあるけれど、分かれる直接の原因は無い、だが、そして、分かれる」
ということに満ちているのです
分かれることの方が先なんですよ
ですから、貴方の信念はそもそも根拠の無い感情論なのですよ >>848>>851あたりを読めばわかるけど元々は独断論と独断論でないものの区別が成り立たないという話だったのにどうして独断論の中の話になってんの
勘違いしてそうだけど>>893も
>区別しないというのも実際は区別している
とあるとおり区別すること自体が不可能だと言っているのではなくて
>区別しないと区別するは区別できない
と言っているだけ
そこまで言うのなら犬が何か猫が何かを知らずに犬と猫を区別してみろよ
基準を知らなくても区別できるの極端な例は0歳児でもこれは犬だこれは猫だと区別できるかどうかってこと
ついでに言っておくと必然性がないものに区別の基準を設定するから「恣意的」なんだよ
>>893で言ってるだろ
恣意的に意味付けして区別できましたと言うだけなら誰でもできる
って
お前自分のプライド守るためにいちゃもんつけたいだけだろ
相手してもらえることを感謝してほしいレベルでうざいよ
ごめんなさいしないともう相手しないよ レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。