カール・マルクス 22
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法実証主義ではなく実定法を超える何らかの法があると考えていた方がいいというのは
わからんでもない。 中央大学の学風に惹かれるところがあるのなら良いんじゃないの >>403
戦後の日本共産党はマッカーサーが育てたものだからあいつらに価値なんてものはない 宇野弘蔵でいいんじゃないの。
富塚良三は再生産論を手に取って読んでみたけど
わけがわからなかった。 初学者はマルクスるでも読んでろ
よく整理できてないうちに宇野と富塚を両方読むと頭がパニックになるぞ 宇野と富塚は相容れないから両方とも読むのはまだ早い マルクス主義なんて敵対国に布教して経済崩壊させる学問でしかない
諜報員の為の学問だよ でも世界恐慌の時はソ連は影響を受けずに済んだじゃないか >>441
実定法で治められないその構造が法哲学の課題で、どの勢力が台頭してくるかは法哲学の外だからな。 学んだというより、日本の自称評論家、副島 隆彦の主張で確証バイアスに拍車がかかったって所だろう。 /\
/ \
/利子生み資本
/______\
利潤率\ <総過程>/\
/ \ / \
/ 利潤 \ /商業資本\
剰余価値_平均利潤/______\
本源的蓄積\ /\
蓄積過程 \ 富塚良三 / \
/ 資本 \『経済原論簡約版』 /再生産と流通
/______\ /______\
/\<生産過程>/\ /\<流通過程>/\
/ \ / \ / \ / \
/ 商品 \ / 貨幣 \ / 循環 \ / 回転 \
/______\/______\/______\/______\ http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641162952
経済原論 -- 資本主義経済の構造と動態 簡約版 有斐閣
富塚 良三 (中央大学名誉教授)/著
2007年03月発売 A5判並製カバー付 , 388ページ 定価 3,240円(本体 3,000円) ISBN 978-4-641-16295-2
目次
序 説
第1編 資本の生産過程
第1章 商 品
第2章 貨 幣
第3章 資 本
第4章 資本の蓄積過程
第5章 本源的蓄積
第2編 資本の流通過程
第1章 資本の循環
第2章 資本の回転
第3章 社会的総資本の再生産と流通
第3編 資本の総過程
第1章 剰余価値の利潤への転化
第2章 利潤の平均利潤への転化
第3章 資本蓄積と利潤率の変動
第4章 商業資本と商業利潤
第5章 利子生み資本と信用
簡約版ではラスト2章、3:6土地所有と地代、3:7所得とその源泉、がカットされた
富塚は蓄積と商業資本を重視する 参考:
/\
/ \
/ 利子 \
/______\
/\ <分配論>/\
/ \ /__\
/ 利潤 \ / 地代 \
/______\/______\
/\ /\
/ \ 宇野弘蔵 資本の\
/ 資本 \ 『経済原論』 /再生産過程
/______\ /______\
/\<流通論> /\ /\ <生産論>/\
/ \ / \ / \ / \
/ 商品 \ / 貨幣 \ /資本の \ /資本の \
/______\/______\/_生産過程_\/_流通過程_\
どうせ役に立たない用語をちりばめても時間の無駄
マルクスの良いところは単純な史的唯物論だけでよい >>435
マルクス主義的国家論とは小さな国家論だろ
国家の役割をひとつずつ無くしていけばゼロに近づくというものだ
しかしそうしてるうちに国家の役割が新たに増えてしまったりもするので実際には無くならない 権力の空白を作って、それを長期に維持することができるのですか? 全共闘が何だか知らないくせに「これだから全共闘世代はー、団塊がー」などと言い出すバカ
わざわざ宇野だの広松だのに手を出すバカ
国家の役割をひとつずつ無くしていくとか言い出すバカ 広松て今読んでも面白いの?
面白いなら読んでみたい 廣松は宇野より難しいだろ。
宇野はそんなに難しくない。手を出すのに労苦がそんなに要る方だとは思わん。 ある意味、公務員が救われるかもしれないな。
給料は安定しているが、その勤務実態はかなり大変らしいから。 自然法はいろいろな文脈でいろいろな意味を持つように見えるので掴みどころがない。
法実証主義はまた別の概念で、法と正義との関係を切り離して分析するもののようだね。
法はその社会の支配的な階級が経済的な利害のために社会全体に押し付けたイデオロギーにすぎない。
法を分析する手段はその中にある階級利害関係を読み解くことだとするのがマルクス主義的か。 しかし法の中にはどんな人間社会にもほぼ共通に見られるような種類の法があり、
そうした法は自然的な法だというような自然法解釈もあるようだ。 ちょっと話は戻るけど、
功利主義の代表的な論客の1人であるジョン・スチュアート・ミルが
功利主義とは何かにおいて
功利主義は快楽主義だという批判をさんざん受けてきたことを語っているね。 市民の自宅でのプライベートな行為への介入は、迷惑防止条例違反に抵触。
あまりにも執拗である場合は、偽計(または威力)業務妨害罪、強要罪等に問われる可能性も。 迷惑防止条例に抵触だろ。違反に抵触してどうすんだよ。 >>429
多岐にわたるって、統一思想なくて議論してたの?
あのさぁ、この頃に派手に活動してた全共闘だけど、今の世代に何を残してくれたのですか?
全共闘世代って、当時インテリ左翼ともてはやされて酔いしれていただけじゃあないの? DVDでも観たけど、最終的な反権力組織としての連合赤軍?
あいつら頭おかしいよ?
内部であんなリンチ殺人事件を起こして、結局は自分の妬み嫉妬をコントロールできない
幼稚な人間が集まった悲劇でしょ?
正義という看板を盾にして、自分の鬱憤を晴らしていただけの組織が全共闘だと思う。 運動自体に危うさが忍び込んでいるんだろう。
何が起こるかわからない。 一般市民はそういったインテリ活動家たちの革命的行動や
主張をどう考えていたのですか?
活動家たちは自分達がどんな思想をもって最終的に
国や国民をどうしていきたいのか、説明責任を果たしていましたか?
労働者のための革命と言いながら、大衆を見下し、民意を無視していませんでしたか? 知識人がバカを率いるが、知識人は言動の
責任を問われないリーダーらしい
アホくさw 全共闘はそもそもマルクスに興味が無いだろ
三島由紀夫との対談フィルムを見ればわかる 全共闘は当時先進諸国で起こった1968年革命世代でしょう。
その国が高度経済発展した最終局面で半ば必然的に現れる学生を中心とした反体制運動。
韓国では光州事件。中国の場合はそれが民主派学生運動となって現れている。 この往復書簡にすべてがある
《私はまた、あなたの手紙のなかの「行動の時には」というくだりについて、いくつかの見解を述べておかねばなりません。いか
なる改革も、実力行使(クー・ド・マン)なしには、すなわち、かつては革命と呼ばれていたが、せいぜいのところ動乱でしかない
ものの助けなしには、実際には不可能だという考えを、たぶんあなたはまだ持っておられるようです。私自身この考えを長いあいだ
持ち続けてきたわけですから、この考えを理解していますし、喜んで議論するつもりですが、私はごく最近の研究によってこの見解
を完全に放棄したことを告白しておきます。それはわれわれが成功するために必要なものではないと思います。つまり、革命的
行動を社会改革の手段と見なしてはならないのです。なぜなら、この手段なるものはたんに力や専制への呼びかけ、要するに矛盾に
すぎないからです。だから私は問題をつぎのように立てましょう。すなわち「ある経済組織によって社会から取り上げられた富を、
別の経済組織によって社会に返還すること」です。いいかえれば、われわれは経済学において、あなたがたドイツの社会主義者が
共産主義(コミユノテ)と呼んでいるもの──私はさしあたりそれを自由とか平等とかと呼ぶだけにしておきますが──を作り出す
ことを通じて、所有の理論を所有に対抗させねばならないのです。ところで、私はこの問題を近いうちに解決する方法を知ること
ができると思っています。つまり、私は、所有者にたいして聖バルテルミーの虐殺を行って所有に新しい力を与えるよりもむしろ、
所有をとろ火で焼き上げることを選ぶものです。
(「マルクスへの手紙」一八四六年五月一七日)
https://itunes.apple.com/jp/book/purudon-serekushon/id1038315012?mt=11
プルードン・セレクション
ピエール=ジョゼフプルードン, 阪上孝 & 河野健二 カテゴリ: 哲学/思想 マルクス経済学、マルクス哲学をかじるのも結構だけど、
日本哲学も修めておかないとな。 >>472
全共闘世代に統一された思想があった?
世代として統一された思想があったといえるのは、戦前のファシズムの時代ぐらいだろうな。
世代という言葉で、全共闘に参加していた人たち、と言いたかったのかな?
それでも、全共闘に統一された思想があったと思うのは、やはり勘違いだ。
全共闘というのは、ある目的に対して思想の垣根を越えて共闘していこうという組織体だから。
その目的を、強引に「統一された思想」というなら、学費値上げ反対とか、大学の不正経営解明とか、校舎移転反対とかいうことになるが、それも各大学によってまちまちだ。
全共闘というのは、非思想、非組織で集まった個別の学科、サークルなどの議論の場である、全学共闘会議の略称なんだ。 >>485
西田幾多郎とか和辻哲郎等は西洋哲学を学んだ上で
苦心して独自の哲学を作り上げたと思うが。 >>487
無知を恥じることはない。
しかし、無知は自慢にならないw >>486
西田幾多郎も和辻哲郎も、西洋哲学の一亜流じゃないの? >>489
晩年に向かえば向かうほど日本人としてのアイデンティティに目覚めていったのでは。
特に和辻なんかは。西田も大学に在職していた時よりもずっと後に。 日本国に極秘入国帰国していた重信とかというおばちゃんも、ホント無駄な時間を過ごした人生だよな >>488
現実から目をそらしたら負けだよ
大学生になりたかった? >>490
日本人としてのアイデンティティとはなに?
そして、それは哲学なの? >>492
負け犬さんが、きゃんきゃん吠えるとみっともないよ? 全共闘=極左暴力集団などと知ったかしてる奴が
日大だの医学部講座制だの話に触れてるのをみたことがない。 >>494
なんでお爺ちゃんは大学行かなかったの? >>493
その時々の皇室や武家の政策や思想だろうねえ。
西洋哲学を学んだ上でそれを分析、反省すれば
政策や思想が昇華して哲学になるのかもしれない。 >>495
そういえば「白い巨塔」は面白かったな。
映画しか知らないけどw
東大医学部紛争も、この作品に触発された面があるのか、逆にこの作品が東大でくすぶっていた初期の紛争からヒントを得たのか。 >>498
君は、目の前にある不正と闘うことはないのか?
経営者の背任であれ、ブラック労働であれ、一人でも闘うが、同調者がいれば共闘するんじゃないか?
不正を糺したり、自分の利益を守ることが思想なのか? 労働者というアイデンティティのために
他を捨てるって貧弱な世界観 >>497
それは皇室や武家のアイデンティティではあるかもしれないが、日本人のアイデンティティではないだろ? >>501
労働者というのは、アイデンティティではなく、現実の生活情況な。 >>500
なにが闘争に値する不正かを判断するのは思想だよ
動物の権利擁護のために肉屋を襲撃するのは思想
アホくさ >>503
現実とアイデンティティは排他である必要はない
はい論破 今は「パヨクがー」とか言ってるだけで愛国者や米追従保守を気取れるから
そっちのほうが楽だし >>504
それを思想というなら、最も金儲けという思想にとらわれているのが資本家だということになる。 >>502
読み書きのできない人の多い時代が続いたからそうなっちゃうんだよな。
でも、民衆史に注力した安丸良夫とかの著作を読めばその欠点は補えるかもしれない。 >>505
現実とアイデンティティが排他じゃないから、労働者というアイデンティティや資本家というアイデンティティを持つ人がいるんだが? 「はい論破」なんて言葉を多用する奴がまともな話をしてるのを見たことない 家庭や企業とは別に生まれた
政治闘争集団に思想がないって
アタマがおかしいよね
マルクス思想文献オタクはたまには擁護してやれww >>508
読み書きができなければなおさらのこと、支配層と民衆のアイデンティティは無関係になるだろ?
明治までの一揆や打ち壊しの多発がそれを証明してるんじゃないか? >>507
資本家がそれで顕著な政治闘争始めたら思想だよ
リバタリアンとかそうじゃん
アタマ大丈夫? >509
そうだよ
だからいろんなアイデンティティがある
当たり前w >>512
とは言っても公地公民制のような政策もあったわけだし、
支配層と民衆が一致していた時もあったんじゃないの。
すぐに破綻したけど。 >>514
道具でもって記録として残せるか残せないかでしょう。 話し言葉が他国と通じないんだから
読み書きとは別にアイデンティティは生まれる
統合の度合いはいろいろだがな
例えば近世の一揆などは体制転覆は意図していない
ひとつにはアイデンティティの結びつきがあるから
日本統治下の朝鮮人ならこれは変わる
なぜなら朝鮮人アイデンティティが育っていて
これは日本とはかなりの程度排他的に現れる >>513
税制にしろ、予算配分にしろ、移民制度にしろ、資本家は確かに顕著な政治闘争を続けているな。
経団連は資本家ではなく経営者の集合体だが、資本家の意を受けて、強硬な政治闘争を続けている。
労働者にも、対抗できるだけの政治闘争が必要だ。 白人が日本の寒村に漂流してくるとする
学と関係なく異人だと村民は認識して
騒ぎになる
言葉や風貌、振る舞いが違い
見たことがなくそいつの想像を超えている
これは日本人アイデンティティの一端が
行動として現れる瞬間 >>519
している話が違うから
俺は政治闘争集団で思想がないということは
実際の闘争ができないと言っている
その思想に共鳴するから参加するのだ >>484
垣根を超えた議論をして闘争まで
至ろうとするのはそれ自体思想だよ
また個々人はある程度バラバラでも
特にリーダー集団の思想を調べれば大凡のしかし
確実な思想傾向が現れる
アンケートでもやればな
安保は賛成ですか、とかな >>521
政治闘争というのは経済闘争だよ?
利害が一致すれば、それで共闘ができるし利害が反すれば敵対する。
それを思想というかいわないかは、言葉の定義の問題。 >>522
バカ大学生は高卒お爺ちゃんを擁護すれば? >>524
利害が一致するだけじゃダメ
実際の闘争や実力行使を選びデモとして集団で行動すると
なると社会運動における思想として顕著となる
例えば嫌韓はデモに参加する、つまり自主的に
日常生活とは違う政治思想の表明のために
動くとなるとハッキリした思想となる
これは商店街での地元政治家への陳情なんかと
政治性の質が違う 労働者階級も連帯をするが、それは必ずしもマルクス経済学に動機づけられる必要はないわけで、
労働者階級としての共通するような利害をもっていれば共闘ができるってことだよね? 頭に入れた哲学書の情報が雑学、雑談ネタにしかならない実例は掲示板全体をみてもわかる通り、周知の事実かもしれないけど、野球のルールと一流プレーを熟知して熱弁していても
大谷翔平さんの実力には1ミリも近づかないことなら客観的に自覚できるのに、哲学書や知識を貪った情報をやたらとばら撒いて哲学しているかのように表現することを
自分が哲学できているように錯覚してる人っているしね。
他の書物と比較して、哲学書が哲学的な能力を伸ばすための教科書になるなんてデータもないし、あんまりそういう人とか哲学書に期待しないほうがいいと思う。 政治思想にまでなるとそれは自らの利害がどう社会全体の理念として
正当性を持つのかを体系的に磨き上げる試みになってくるね。
単なる利害のぶつかり合いという問題ではなく正義論になってくる。 自己利害だけじゃなくて他者・異なる立場や階級にある人を顧慮する
ということが政治思想においては重要になってくる。
自分たちの利害を追求することが異なる利害と対立した時にそれをどう顧慮するか。
近代政治思想の多くは「他者を自分と等しく顧慮する」ということでその公正さを主張する。
昔からこの思想は倫理や法の根幹としてあったといえばあったものだけれども。 >>530
その正義論の根拠が利害だってことだよ。
労働者には労働者の利害と正義が、資本家には資本家の利害と正義があるってこと。 >>532
資本主義が構造的に資本家のための社会である以上、その構造を変えることでしか労働者の利益を確保することができない。
これは原則だよ。 マルクスは正義論の試みを軽視したところがあると言われている。
それへの反論もある。
つまり、マルクスは正義というイデオロギーにあまり訴えなかった人。
もっと経済的な・即物的な利害が資本主義社会では政治も時代も動かすんだ
と考えたようなところがある。 >>535
資本主義という思想に基づく法体系を持った社会の基本だよ。
不毛な対立であるとすれば、資本主義思想が不毛ということになるか。 >>536
軽視ではなく、当然の正義だと考えている。
自分が作ったものの価値は自分が受け取るべきだという正義。 マルクスにあってのは、たしかに経済原理、とくに社会的生産性の原理だったところがある。
社会はその経済的生産性に見合った水準の分配的正義を実現することができないという信念がマルクスにあった。
かといってそれを善だと思っていたわけではない。
それは資本主義社会の段階では仕方ない害悪だと考えていた。マルクスは共産社会でのみ正義が実現されると見なしていたようだ。
ロールズやドォオーキンと違い、その段階に至るまでの正義をあまり考えなかった。 >>538
マルクスはそれをゴータ綱領批判で批判している。
それはまだ資本主義がもっている欠陥だというニュアンスで。
生まれたばかりの共産社会ではそれは避けられないが、
労働によって人間が測られるのは決してよいことではないと。 秋深し
隣は何を
した人ぞ
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