カール・マルクス 22
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>>519
している話が違うから
俺は政治闘争集団で思想がないということは
実際の闘争ができないと言っている
その思想に共鳴するから参加するのだ >>484
垣根を超えた議論をして闘争まで
至ろうとするのはそれ自体思想だよ
また個々人はある程度バラバラでも
特にリーダー集団の思想を調べれば大凡のしかし
確実な思想傾向が現れる
アンケートでもやればな
安保は賛成ですか、とかな >>521
政治闘争というのは経済闘争だよ?
利害が一致すれば、それで共闘ができるし利害が反すれば敵対する。
それを思想というかいわないかは、言葉の定義の問題。 >>522
バカ大学生は高卒お爺ちゃんを擁護すれば? >>524
利害が一致するだけじゃダメ
実際の闘争や実力行使を選びデモとして集団で行動すると
なると社会運動における思想として顕著となる
例えば嫌韓はデモに参加する、つまり自主的に
日常生活とは違う政治思想の表明のために
動くとなるとハッキリした思想となる
これは商店街での地元政治家への陳情なんかと
政治性の質が違う 労働者階級も連帯をするが、それは必ずしもマルクス経済学に動機づけられる必要はないわけで、
労働者階級としての共通するような利害をもっていれば共闘ができるってことだよね? 頭に入れた哲学書の情報が雑学、雑談ネタにしかならない実例は掲示板全体をみてもわかる通り、周知の事実かもしれないけど、野球のルールと一流プレーを熟知して熱弁していても
大谷翔平さんの実力には1ミリも近づかないことなら客観的に自覚できるのに、哲学書や知識を貪った情報をやたらとばら撒いて哲学しているかのように表現することを
自分が哲学できているように錯覚してる人っているしね。
他の書物と比較して、哲学書が哲学的な能力を伸ばすための教科書になるなんてデータもないし、あんまりそういう人とか哲学書に期待しないほうがいいと思う。 政治思想にまでなるとそれは自らの利害がどう社会全体の理念として
正当性を持つのかを体系的に磨き上げる試みになってくるね。
単なる利害のぶつかり合いという問題ではなく正義論になってくる。 自己利害だけじゃなくて他者・異なる立場や階級にある人を顧慮する
ということが政治思想においては重要になってくる。
自分たちの利害を追求することが異なる利害と対立した時にそれをどう顧慮するか。
近代政治思想の多くは「他者を自分と等しく顧慮する」ということでその公正さを主張する。
昔からこの思想は倫理や法の根幹としてあったといえばあったものだけれども。 >>530
その正義論の根拠が利害だってことだよ。
労働者には労働者の利害と正義が、資本家には資本家の利害と正義があるってこと。 >>532
資本主義が構造的に資本家のための社会である以上、その構造を変えることでしか労働者の利益を確保することができない。
これは原則だよ。 マルクスは正義論の試みを軽視したところがあると言われている。
それへの反論もある。
つまり、マルクスは正義というイデオロギーにあまり訴えなかった人。
もっと経済的な・即物的な利害が資本主義社会では政治も時代も動かすんだ
と考えたようなところがある。 >>535
資本主義という思想に基づく法体系を持った社会の基本だよ。
不毛な対立であるとすれば、資本主義思想が不毛ということになるか。 >>536
軽視ではなく、当然の正義だと考えている。
自分が作ったものの価値は自分が受け取るべきだという正義。 マルクスにあってのは、たしかに経済原理、とくに社会的生産性の原理だったところがある。
社会はその経済的生産性に見合った水準の分配的正義を実現することができないという信念がマルクスにあった。
かといってそれを善だと思っていたわけではない。
それは資本主義社会の段階では仕方ない害悪だと考えていた。マルクスは共産社会でのみ正義が実現されると見なしていたようだ。
ロールズやドォオーキンと違い、その段階に至るまでの正義をあまり考えなかった。 >>538
マルクスはそれをゴータ綱領批判で批判している。
それはまだ資本主義がもっている欠陥だというニュアンスで。
生まれたばかりの共産社会ではそれは避けられないが、
労働によって人間が測られるのは決してよいことではないと。 秋深し
隣は何を
した人ぞ
宇野弘蔵 仙台の留置場で詠む マルクスにあったのは経済原理、とくに社会的生産力の原理だったところがある。
社会はその経済的生産力に見合った水準の分配的正義を実現することしかできないという信念がマルクスにあった。
かといってそれをマルクスが善だと思っていたわけではない。
それは資本主義社会の段階では仕方ない欠点だと考えていた。
マルクスは共産社会でのみ正義が実現されると見なしていたようだ。
ロールズやドォオーキンと違い、その段階に至るまでの正義をあまり考えなかった。 ゴータ綱領は、人間はその労働力に応じて顧慮されるべいだという
従来の社会主義の理念を掲げている。
それに対してマルクスは批判を加えて、
労働力に応じて人間が顧慮されるのは望ましいことじゃないという
自らの考えを表明している。共産社会ではそれは克服されていくべきものだと。 労働力に応じて個人が顧慮されるのはまだ資本主義の名残だと
マルクスは考えていたようだ。
社会主義の理念をマルクスは否定したわけじゃないが、
共産社会はそれを越えていくものだとマルクスは考えていたように読める。 マルクスはおそらくはロールズ、とくにドウォーキンの政治哲学を批判しただろうということ。
ゴータ綱領はその政治哲学に貫かれている。いわゆるリベラリズムの正義論。
マルクスはこれをブルジョアイデオロギーの一種であり、
資本主義という経済段階での分配的正義の限界内での政治哲学だと見限っていたように見える。 >>545
技術革新によって人々が労働力によらず分配を受けられるように徐々になってゆくから。
共産社会というのはそれを実現する段階の社会だとマルクスは考えていたように読める。
そのときこそ個人の自由というものが始まる。
労働力によって人間が競争させられたり測られたりしなくなったとき、初めて自由が始まる。
それがマルクスの考えであり、彼が漠然と思い描いていた共産社会像だったようだ。 マルクスとヒトラーが決定的に違うのはそこ。
ヒトラーは労働力として国家社会主義に貢献しない連中はガスで安楽死させてしまえって考え。
マルクスは違う。 柄谷行人『トランスクリティーク』で、ロールズ『正義論』フランス語版序文が言及されていましたが(定本478頁)、
現在入手困難なので主要箇所を引用します。講談社のシリーズ(現代思想の冒険者たち)でも引用されていた部分ですが、
こちらも既に入手困難のようです。
以下、ロールズ、『正義論』フランス語版序文より
「この場合、はじめから少数者にではなく市民全員の手に生産手段が委ねられ、それによって市民が社会生活の
ためにじゅうぶんな協力体制を組めるように、諸制度を整備しなければならなくなる。強調されるべきは、ある期間
を通じて資本および資源の所有が偏りなく分散され、しかもそうした所有の分散が、相続と譲渡に関する法律、
機会の公正な均等を求める法律(それに基づいて教育や育成のための諸方策が認可される)、さらに政治的自由の
公正な価値を守るための諸制度に関する法律によって、実現されるということである。」
川本隆史・米谷園江訳「みすず」No.385より(1993.4)、原典ロールズ『正義論』フランス語版(1987)
こうした考え方はマルクスよりガンジーに近い。協同組合の理念的基礎でもある。
「生産を各地で分散して行って初めて、分配は平等に行えるようになります。つまり、生産と同時に分配が行われる
ようにならない限り意味がありません。自分たちの商品を売るために外部の市場を開拓しようと思っている限り、
分配が平等に行われることはありえません。」
『ガンジー自立の思想』田畑健他訳地湧社88頁より
現在のベーシックインカムについての議論にはこうした洞察が欠けている。 ヒトラーの考え方は実はリベラリズムの理念から出てくる側面がある。
マルクスはそれを資本主義の欠点だと考えていた。
個人が労働市場で売られて労働によって測られている資本制の欠点だと。
共産社会の初期の段階ではそれは残ってしまうとしても、
それはしだいに克服されていくことだとマルクスは考えていたんだよ。 その個人的な政治分析と社会思想は哲学じゃなくて
政治経済板の政治思想で弁を振るう内容だよね?
あちらへの移動を考えてみてはいかが 社会主義とか共産主義とか言われる思想・政治哲学・社会分析モデルは山ほどあるけど、
そのオーソドックスなタイプが>>550のようなガンジー的社会主義・共産主義。
マルクスとエンゲルスはこういう種類の社会主義や共産主義とはまた一味違う。 私は職人的な仕事をしてる。世襲だ。教育機関にて
学ぶと同時に父にも学んだ。仕事は好きだ。後悔はしていない。
恵まれた運命と環境かもしれない。マルクスの話とか
労働者の為の活動の話とか拝聴していると、良いことも
たくさんあると思うんだけど、根本的に仕事に対するスタンス
というか、「労働観」が私とはあまりにもかけ離れているような
気がする。漠然としたものだけど。国や民族、あるいは個人個人の労働観の
違いって奴も無視してはいけないと思う。「労働者」と一括りには
出来ない。労働者としてのマルクスがどんな労働観をもって労働してきたかは
恥ずかしながら知らないけど... ネット上では、マルクスはしばしば労働至上主義者と見なされている。
ttp://cityscape.air-nifty.com/cityscape_blog/2005/12/1_6e47.html
ttps://blog.goo.ne.jp/keiojiro/e/428468e5d147c36b62b2444f1945cd34
ttps://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20100519/214502/
でもそのマルクス像は違うんじゃないかと思うんだよねえ。 マルクスは文学的で情緒的・人生論的・倫理的な「労働観」は語ってないよ。
自然に働きかけて生産物を作り、それを我が物とし、その過程で自らも発展
させていく「労働」については語ってるが。
マルクスにとって労働者とは、その労働をする人であると同時に、
資本主義社会では生産手段をもたず労働力を売るしかない人たち。
その人たちが置かれた現状をありのままに語ってるだけ >>555
プロレタリアートは会社に雇われて会社の命令に服して
そのとおりに働いている人達だからね。お立場がかなり違う。
そういう人達が社会の大多数になる社会が資本主義だけど、
それ以外の人達がいないというわけじゃない。 マルクスとエンゲルスが若いころに先行する共産主義運動(義人同盟)に加わった。
運動のメンバーたちの多くは職人さんたちだったようだね。
ただし、親方の下に弟子入りして徒弟制度の下で下働きさせられるような身分の職人さん。 >>559
つまりいずれ独立して親方「親方階級」になる
人たちか >>557さんのほうが正確な説明だった。労働者と労働者階級を分ける必要があるね。
マルクスとエンゲルスが論じているのは労働者「階級」のほう。 >>560
ヨーロッパではギルドというものに属したようだね。
詳しくは知らないけど、すべての職人さんが親方になれるわけではないのでは?
なになに組の中で一生働くということもあるんじゃないの?
労働者階級は労働者とイコールじゃないので、
そうした家庭に生まれた小学生も児童労働していなくても労働者階級そのもの。
そういう経済環境的境遇にあるということを指しているだけ。 マルクス主義者に最も基本的な質問をしよう
1.階級などというものは本当に存在するのか?
2.搾取などというものは本当に存在するのか?
3.もはや労働価値説を採用することはできなくなったわけだが、労働価値説を前提とせずにマルクス経済学は成立するのか?
新古典派経済学とマルクス経済学を分かつ最も基本的かつ根本的な3点について答えてもらおう >もはや労働価値説を採用することはできなくなった
この前提がおかしい てか、馬鹿なのに偉そうな口調がムカつくので答えてやらない。
と思ったけど、
「本当に存在するのか? 」と聞かれたら「存在する」と答える。
意識から独立した客観的な実在ってことだ。
唯物論と観念論の話になるからお前には理解できないだろうけど。 .階級などというものが存在しないとするなら、お前は頭の中で思うだけで今から資本家の大金持ちになれる。
労働が価値の担い手でないのなら、誰も生産活動しないで柄谷みたいに交換だけしてれば腹いっぱい食えることにだろう 1.現代マルクス主義者はそんなものは存在しないと考える
2.現代マルクス主義者はそんなものは存在しないと考える
3.現代マルクス主義者は労働価値説を前提としない新しいマルクス経済学を構築中である
詳細は自分で調べろ 実在するのは有体物だけとしかイメージできない馬鹿。
波は有体物ではない。だが実在する。
西洋茜からアリザリンが抽出できることが発見されたからアリザリンが西洋茜の中に存在するのでのはない。
人類がその存在を知る前からアリザリンは実在したのだ。
そういうことだ。 もちろん古典的なマルクス主義者の方もいらっしゃるが経済学界ではもはや少数派でその多くはマルクスファンの非専門家と言うべき方々だろう それアナマルのこと?アナマルは経済学板でやれよ、専用スレあるし 階級とは曖昧な言葉だ
親の金や人脈に依存して再生産される疑似身分制のことなのか
単なる集団の概念的な分類なのか
後者であればカントの議論でいう観測者次第でいくらでも種類は増える ロバートキヨサキはこう言っている
コインには表と裏と縁がある。知性のある人は縁に立って両面を見通す
バックミンスターフラーはこれを「単一系の中身は複数」という一般原理で説明している
マルクス主義者は片面からしか事実を捉えられないから結局は負ける
討論しても物を知らなさすぎて話にならない
知ってることが専門分野しかないからそれ以外はまるっきりバカに近い
俺なんかはソ連でも共産主義者でも社会主義でもマルクス主義者でも理解できるし
トロツキストも新左翼も構造主義もポストモダンも行動科学も分かる
アインランドとハイエクとオーストリア学派とロバートキヨサキと小室直樹と副島隆彦と
ガイカワサキとマイケルEバーガーとフランシスフクヤマと鴨頭嘉人とニーチェを読もう 階級って曖昧じゃないよ。あなたの頭が曖昧なだけ。
階級は生産手段を持ってるか否かで分けてる。
単なる「集団」「階層」とはこの点で異なる。 >>540
現実社会の正義は、理想社会ではその正義の根拠が消えているからね。
現実と理想を混同してはいけない。 >>548
技術革新、生産性の向上が共産主義社会の根拠ではなく、政治革命、生産手段の私的所有の廃止という人為的な政治手法によって、共産主義社会が実現する。
当然のことながら、マルクスはそれを熟知していた。
現実対応に追われて夢を忘れた政治活動家に対しては、残念な思いを抱いていたのは確かだが。 >>550
>協同組合の理念的基礎
理念的にという意味では、『資本論』にもそういう話が出てくる。 >>555
マルクスはジャーナリストという知的労働にかかわったことはある。
だが、労働者であったかどうかなどということは、思想にとってはどうでもいいことだ。
小さな自分の労働観を否定して、大きな労働観としての、労働者の概念を鼎立できるかどうかが問題なのだ。 >>567
あまりおバカなこと、シタリ顔で言わないでね ( ^)o(^ ) >>578
ところが、一部の個人の理想や利益を共同化してしまうことがある。
それが国家だ。 理想社会は労働という概念がないだろうね
労働者もいない >>581
それはマルクス主義のことを言っているのかな? >>574
知財は生産手段。
漫画家は金持ちでも貧乏でも個人事業主、プチブル。
ただし、マルクスの階級概念では、芸術は階級を構成しないと考えられている。 >>585
世界国家でしか不可能なのがマルクス主義の
人為的政策
だから問題ない >>587
地球国家教育を世界で行い、
それが現実社会になって
マルクス主義概念が
政治的手段の候補になる
空想だしね
哲学的に劣勢な雑談だ・・・ 生産手段私有を禁止するという強力な政策を
実行できるのは高度に集権化された政府が必要
それから禁止してもその外に移住する集団が
現れたらダメだから地球全体を単一の統治が
覆う必要がある
外部に逃げられないようにする
隠れて生産手段私有できる村作ることを
やる奴いたら権力で潰さないといけない
無論この世界全体は宇宙人に対して地球国家
として振る舞うほかない
バカでもわかることで
つまらんスペキュレイティブフィクション >>590
生産手段私有を認めるという強力な政策を
実行できるのは高度に集権化された政府が必要
それから禁止してもその外に移住する集団が
現れたらダメだから地球全体を単一の統治が
覆う必要がある
外部に逃げられないようにする
隠れて生産手段私有を禁止できる村作ることを
やる奴いたら権力で潰さないといけない
無論この世界全体は宇宙人に対して地球国家
として振る舞うほかない
こう書いても同じだなw >>592
それは言葉遊び
私有は私有の禁止を前提としない今ある現実
禁止は私有の現状を前提とした観念性の強い統制 >>593
それが資本主義脳なんだよ。
私有概念は、それほど古いものじゃない。
日本の江戸時代までの農民などは、自分で耕作してる土地すら、お上からの預かり物に過ぎなかった。
世界的にも、支配者貴族以外は私有という概念がないのが普通。 >>594
横から失敬。
「それほど古いものではない」事が何故それを
否定する根拠になるのですか? >>595
君は拗れたネトウヨ精神を解した方がいいよ >>596
資本主義社会だから、生産手段の私的所有があるのが当然という感じ方になっている。
生産手段の私的所有もまた、地域と時代の法によって成り立つ、相対的な概念であることを指摘している。 >>597
ネトウヨ?
マルクス主義に否定的だとネトウヨなのですか?ネトウヨの範囲ってそこまで広いのですか? >>599
そうだよ?
別に広くはないけど、ネトウヨの根幹が、共産主義の否定。 >>596
根拠なんていらないんだよ
拗れた精神がネトウヨに責任転嫁
すればいいだけの話 >>601>>603
的を射られて責任転嫁に逃げるネトウヨ君w ネトウヨで片付いた話は終了ということで
引き続きどうぞ >>592
自国だけで共産主義的な所、割りとあるじゃないですか? >>607
国民が共産主義的な国なんじゃないですかね >>594
概念の歴史はどうでもいい
今の話
禁止したら自由主義社会ではなくなる >>600
ネトウヨの根幹は嫌韓意識と民族差別
共産主義は元からロクに念頭にない
だからネトウヨは日本会議批判もブラック企業批判も
ありうるがしかしそれもコアじゃない >>610
自由主義というのは、生産手段の私的所有を前提とした搾取の自由に過ぎない。
搾取が正当化される社会は、変わらねばならない。 >>611
ネトウヨは共産主義を敵とする。
共産主義は弱者の味方だから。
ネトウヨは、自分を支配層で、弱者を壊滅させる存在だと自任しているw >>607
小狡いマルクス主義者は
歴史上失敗すると「あれは邪教だった」と
いいだすからそういう議論を認めない
日本共産党は政党活動で日本の共産主義国化を
目指しているがそれは別枠らしいが
小狡い連中はとんでもない理想状態をハードルに
するからいつも無敵w
マルクスの書いたものを正確に読めば
必ずそれは人類史的に正しいという認識 >>612
そういう話はしていない
現代世界で完全禁止の実現には
大きな権力が必要という話
イデオロギーでモノが見えなくなってる >>613
それはお爺ちゃんの妄想
ネトウヨのコアは嫌韓で
自分らが彼らによって攻撃されて
何かを奪われているという思い込み
その点はお爺ちゃんと似てる そもそも冷戦後に大きな共産主義の脅威は
ないからネトウヨもたいして気にしていない
とっくに主要なプレイヤーではなくなっている
彼らの関心事は
朝鮮人が自分の社会を壊しているという世界観
だからキリスト教大企業もも韓国がらみならダメ >>615
一方で、その資本主義の現代社会を作るために、大きな権力によるどれほどの戦乱があったのか、ということぐらいは思い起こしておくべきだ。
資本主義というイデオロギーでモノが見えなくならないように。 >>594
そんなこと論証されていない
商業が発展すれば自然と仕事に必要な
道具が大規模になり自然と他人を使役する
ようになり、どの社会でも一定の
奴婢的身分は生まれる
そういう人間が生産に加わろうが子守だろうが同じこと >>618
それは医療が戦争のせいで発展して君の今の
身体が恩恵を受けているということと同じで、
件の文脈からズレているからどうでもいいい
たとえばアメリカで銃全面禁止の政治転換は
今想像できる以上の動員や政治的エネルギーが必要
そして地球規模の生産手段の私有禁止は地球規模の権力のなせる技ってだけ
バカでもわかる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています