意識のハードプロブレムの答え3
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1の考え。
主体とは空白。
空白とはあらゆる考えが浮かんでは消える場。
全ての存在は主体にある。
他者の意識は存在すれば、それは主体の意識においてである。
それゆえに、他者の意識は存在しない。
私は独りである。
意識のハードプロブレムの答え2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1588097998/ >>950
食い違っているのは「悟り」という言葉の意味なんでしょうけど
ところで何の話でしたっけ? >>939
> 何故2匹目のサルが意識を獲得できたのか、
言語ですかねえ…
無意識でも言語が生まれるものか、ちょっとわかりかねますが、
まず言葉ありきといいますから、その影響はあるとおもいます
最初の自意識を持った人が、すべての言語を発明したとはなかなか考えづらいですが、
モノに意味を与え得る最初の人間だったでしょうから、
もしかしたら言語を生み出せる人間だったかもしれません
ただ、もともと無意識で生み出された言語があった可能性もあります
わたしの想像力ではその程度しかわかりません >>953
オウムが邪教だったかどうかはともかくなんですが
先日youtubeでオウムが出演していた朝まで生テレビを見る機会がありまして、
その中で大変印象に残ったのが大島渚氏の発言です。
その番組はもちろん事件の犯人がオウムと確定する前のものですが
出演しているオウム側の青年に対し、
ちなみにこの人たちはその時点では大変優秀で誠実な印象を持つわけですけど、
「最初の志は素晴らしいものであっても
最後は連合赤軍のようになることもあるから気を付けなさい」
というものでした。卓見です。
多分いろいろな要素が絡み合ってしまったのだろうと思います。 >>955
私はオウムは邪教であり信者は愚かだと思います。
空中浮遊をするとかそういうことを言っていたように思います。 >>956
じつは私は空中浮揚の可能性はあると考えています。
あれは多分静電気ではないかと思います。
体を擦って静電気を少しずつため込むのです。
ポイントはそれを信じてやりきる根性です。
火渡りとか水中ナントカとか、そういったものには得てして
科学的なからくりがあって、あとは根性のようです。
ピラミッドとかマチュピチュとかも最後は根性だと思います。
なお、私はオウムの一連を養護しているわけではありませんので
そのあたりはお願いします。
是々非々という視点はキープしたいというはなしです。 >>957
了解しました。私も不必要に彼らを責め立てたくはありません。
まあ、私は空中浮遊は無いとは思いますが。:) 私はオウム事件の教訓は
すべての人間に加害者になり得る可能性がある
ということだと考えています。
ウイグルを見て見ぬふりをすることさえ
加害者への加担かもしれません >>959
そうかもしれません。倫理というものはどれだけ大切かということだと思います。
異国の悪事は無視するというのも倫理ですよね。できることがあればいいのですが。 >>951
まず「危惧した理由」についてですが、
栗本慎一郎の影響を受けた私としては
どちらかというと潜在意識の方に何かある気がしています。
たとえば、多分多くの生物は子孫を残そうと考えて生殖行動をするのではなく、
衝動に駆られてわけもわからずやっているのだろうと思います。
本能的に行動すると、結果的に子孫繁栄につながる、
このプロセスは何らかのシステムによる必然のように考えます。
あるいは偶然それができたものが生き残ったということではない気がします。
それではそこにどのようなメカニズムがあるのか、
ようするに潜在意識的なものが関わっているのだろうとは思いますが、
なかなかリアリティを持てないというのが目下の私の状況です。
何かご参考になりましたら幸いです。 じつは昨夜考えたのは意識の発生が
人類以前にさかのぼり得るのではないかとういうはなしです。
ただしこの場合の「意識」とは、
何かを意識する能力、あるいは自覚する能力のことで、
ヒトの意識はそのバリエーションのひとつという
でこすけさんお得意の与太話です。
意識というと言葉と密接な関係がありそうですが、
私が思うには、言葉と感情とは同じ構造を持ったものです。
言葉というのはもちろん声に意味を与えたものですが、
感情というのは顔がポっとしたり胸がキュンとしたりするような
身体感覚に意味を与えたもののような気がします。
意識の中では実際に発音されていない声が聞こえるようにして
実際には寒いわけではないのに背筋がゾッとしたりします。
つまり動物たちが感情を持っているとすれば
それは意識的なものの萌芽ではなかろうかという空想です。
意識の萌芽はご指摘のとおり、
私ではないものの残った部分に意味を与えることと考えておくのが
階層論の流れからも妥当のような気がします。
それにしても一匹目はある日突然気づける気がするのですが、
二匹目についてがよくわかりません。
いずれにしても偶然ということはないはずです。 >>961
それが精神のしくみだとわたしは考えます
無意識でも行動できるシステムです
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1540727475/415-426
↑このあたりを参照してください
> 決定論と自由意志
> この2つの違いは何か?
> 決定論によるものと、自由意志によるものと、
> 最終的な到達点は同じ答えになる可能性は大いにあります
> しかし、意思決定までの時間的猶予、これが人間が理性的でいられる時間である、ということ、
> 宗教によって人間が理性的でいられる時間を稼ぎ、
> その間に、科学が発達し、科学的根拠によりさらに人間が理性的でいられる時間が長くなった、ということならば、
> 本能に従って反射的に生きている動物と、人間とでは大きな違いがあるといえます
> 言い方を変えれば、本能によってのみ生きている人間と、現在の人間とでは、
> その理性的でいられる時間が大きく違う、ということになります
> 決定論と自由意志の違いは時間的、時限的なものといえるでしょう
> その差異を認識しなければいけません
> 理性的でいられるのが当たり前、つまり無意識になる、ということは、
> それだけ人間の精神構造の束縛から遠ざかっている、といえるでしょう >>963
いろいろなことを考えてしまいます。
只今意識のハードプロブレムが吹っ飛んでおります。 静電気で体が浮くほどエネルギー密度があるなら、その電子密度で
人の体は焼かれ黒墨だろ思考が短絡すぎる。 オウムが邪教とかそれは見る立場、みる側での話だ、
教祖が偉大すぎで、その配下の思考が短絡していれば、
>アベ「やれ」→配下勝手な思い込みで何でもやる
この原理は893などの組長が否定しない→「やれ」という伝達と大差ない。
ってことになるぐらいわかれよ。
すくなくとも上祐が流す動画の宗教的やオカルト的な緻密さ因果の説明
本質の説明など他の宗教の信者とは桁違い。
教祖が上を支配するそれで無能だってことだ。 >「神」という概念とほとんど変わらない影響力があっただろうと思われるからです
神は人知ではないそれらだ、影響力とは自ら生まれる
畏怖やら敬意からくる感謝の念でしかない。
似非信仰者がもつ概念からくる影響力と、信者が下す影響力の差ぐらい
前提におけよ。
人の力であるものすら神の知のように言うやつもいるが、自己愛の精神疾患
でないことを1mmも否定できない。 >悟りを開いたという誤解は邪心そのものですから。
誤解ではない、自認知だ、他者からの錯覚扱いであっても自認知に誤解などない。
そして本人にとって邪心ではなく真実だ、邪心いうのは他者からの評価であり
私が貴方を邪心定義すれば貴方は邪心である確定だと言っているにすぎない。 >>924
絶対的根拠がどうやって説明されるかをまず自分で何も考えない浅い知恵と自覚したら?
例えば学問の数学の話になるが、
数学的証明の絶対的根拠は、どんな方法や未来に進んでそれを覆すことは不可能という
話で数学的証明の絶対性は揺るがない。
それすら知らないんだろう。
数学が絶対性をもてるのはその抽象性からであり、数学が扱うのは常に幻想の方程式
つまり自己完結し矛盾のない幻想を否定することはでいないんだよ。
それを否定するのはオカルトやら似非非論理&似非科学の無能者だけ。 >>907
そのとおり、見かけの全ての話はプログラムできる、
できないのは自らのプログラムを正しく機能させながら、そのプログラムに逆らうこと。
作成者の意図ではなく、プログラムの動作だという点だな。
閉じた世界での論理など収束論にすぎず、かならず世界が意図した原理にしたがった
解が生じる、それを決定論という。
閉じていない世界、世界に限りや時間の限界がなく、
世界の法則がどんどん変わゆく無限的異世界ならば、
その関係性から生じる決定性が世界の外と内を分け隔てる、
世界の外から世界の法則に従わない何かが起因するかぎり、
世界の原理、法則では説明がつかない外側の影響により決定論的法則は崩壊する。
決定論も論故に論から抜け出せず論とは存在認知からくるゆえに存在が不明は
無に評価するしかないからこそ決定論は非決定論を認めない。 >主体の意識の外側は無だと考えます。
典型的な思考短絡である、
理解できないことは無である、これは我が思うが故に我ありと何の違いもない。
客観的に見るととか言い出す奴も多いが、不明とすら存在を認知できないものを
理解できないなら、外側を理解できない、故にない。
自分の狭い範囲意外は記憶にないから、そんなものは無い、これこそ
思考短絡の病気と何の違いも無い。
想像力や創造力は人や知能の高い生物がもつ高次の認知力だが、
短絡思考では低級な動物と大差ないってことだ。
理解できない、理解が困難、とりあへず無にしておこう、
これはゆとり世代が教えられた教育そのものだ。 >>889考える名無しさん2020/06/12(金) 00:41:14.080
>客観的対象物と主体の五官が実在し相互が関わらなければ主観の感覚は最終的に生起しない
貴方は五感までしか扱えていない、
人は錯覚して幻想をし妄想ができる能力があるが、非論理と切り捨てて
論理ではないものは全て嘘だという考えにのろわれている。 >>813
>妄想である以上は無意味ですね
間抜けだろ、妄想が人の文明を生み出した、無意味なわけがない。
創作活動こそ人類の英知であって、それらを否定しているのは機械的な
連想記憶でしかない、意味と無意味で割り切るのは、理解できるか理解できないかの
無能さを説明するものだ。
理解できないものを切り捨て無と判断するとき、教えられた答えのある解のみが
答えであり、それ以外を解とできなくなる。
ピーマンの黒鉛筆で書いた絵をみて、パプリカと答えると間違いだという思考だ。
無意味とか言う自己の無能さを呪え。 >>760
盲目の人の話しで有名な「ヘレンケラー」が、水に初めて名前があることを
理解したときの話でも読んできたほうがいいぞ。 >>709
>あなたもややこしいですが、何人いるのかもよく解りません。:)
わからない物に反応している貴方は、もっとわからない行動だと自覚したほうがいい。 >>616
その場合は認識は適当ではなく錯覚だ、
錯覚も認識の1つだが、それまで認知できない非実像を認知するのに
客観線とか主観性とか詭弁たれているだけ。 >>611
関係論でしか理解せず、過程や仕組みでの認知は嘘という人には
感情音なので結論などない。 >>583
>他人があなたと会話できるのは脳があるからという話でした
その人は脳があるからという説明をした、それは脳との関係(縁)であり、
暗記で連想する対応にすぎない、決して因果(前後やら時間やらの過程や仕組み)で
説明しているわけではない。
つまり教科書などで暗記した具体例を、反射的に述べているだけだ。 >>968
それは一般論で、あのような事件を起こさなければ邪心とは言いません。
>>971
たとえ神を想像したとしても、その意識の外側は無であると考えます。:)
>>974
子供の頃に読みました。:)
>>975
それはありません。 >>934
存在しないなら殺す必要はないんだから逆も危惧しないとだめ 次スレッド立てました。
意識のハードプロブレムの答え4
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1592006999/
順序を混乱させないため、このスレッドから使って下さい。
よろしくお願いします。 >>962
それら人間がもつ繊細なクオリアは動物はないんじゃないか
野生動物のほうが、純粋に化学反応(アドレナリンなどのホルモン物質ね)
の量が数値的にプラスorマイナス、人間が本能と理解している
闘争か逃走かという感覚的な原動力すらなしに、
自然力学的に反射を生じさせて結果論的に動かされている。
それでこそ、動く物=動物だからね。
動物も経験値を積むから、それなりにリアリティのクオリアは獲得するだろうけど
人間ほどじゃないというだけ。 主観主義者はそういう意味では意識がかなり単純なんだろう
主観で収束して次々に観点が変わるだけの世界
唯心論者なら客観的に他者の心理を意識するだけ幾分ましってところか 「主観で収束して次々に観点が変わる世界 」とは何でしょうか? >>985は>>984です。
追記すると、主観主義においても他者の心のモデルは存在します。 >>986
他者の心のモデルは、主体の経験から喩えるなら彫刻のように作られたモデルです。 還元主義的に捉えた主観意識しか存在しないのが主観主義者の立場でしょう >>965
恐縮です
すいませんが私も一応それほど真剣に考えているわけではありません。
私があそこであえて時計さんにつまらない反論をしてみたのは
もう少し別の意図があったためです。
その意図についてはご本人にお考えいただきたいためここには書きません。
ただ、空中浮揚については言い出したのがオウムではないようですし、
静電気ではないにしても可能性がまったく無いわけではない気がしています。
>>982
私が>>962で言いたかったことはたぶん
「何かを意識する能力」というのは
ヒトが生物史の中で初めて獲得したのではなく
それ以前から少しずつ発達させてきたのではないか、
ということだったと思います。
確かにヒトだけはその能力を爆発的に発達させたかもしれませんね。
やはり言葉と関わりがあるのだろうと考えます。
意識のハードプロブレム的には
どこまでさかのぼれるのかが問題になるはずです。
それにしても>>962は案の定たいしたことなかった気がしてます。 二匹目の「意識を獲得したサル」について
とりあえず私としてはヒントになりそうな材料として
ふたつあげることができます。
もうじきこのスレッドも終わることですし、
我ながらアホな話ですがいきおいで投下させていただきます。
ひとつ目はヒトの文化の獲得に類似性があるのではなかろうかという
例によって当てずぽうな予測です。
私がサルを引き合いに出したのは
直立二足歩行の起源を考えていたからです。
これも二匹目のサルが問題になると思います。
一匹目が直立二足歩行のメリットを発見しても
二匹目にそれを理解できなければ意味がありません。
もちろんサルには難しいことは理解できないでしょうから
きっと簡単な何かがきっかけです。
そこで私は快感が契機になったのではないかと考えます。
快感は脳幹と呼ばれる脊椎動物には必ず備わっている部位で感じるらしいので
サルでも歩く快感は感じたのではないかと察します。
えてして技術を習得しそれを駆使するのは気持ちのいいものです。
もちろん一匹目が何故立ち上がったのかはある意味偶然でしょうし
とにかく記録がない以上、永久のナゾです。
このことは二匹目が意識をもった理由にも
つながる気がするのですが、
いまいちピンときません。
しかし一応ヒントにはなる気がしているところです。 もう一つのヒントとしてとりあえず思いついたのがじつはピラミッドです。
エジプトのピラミッドとマヤのピラミッドが似ているのは何故なのか、
大西洋上にアトランティスがあったということではない気がします。
たしかナショナルジオグラフィックだったと思いますが、
その番組でもこの問題を取り上げていて、
さっさと結論を言ってしまえばようするに偶然とのことです。
四角錐を石で積み上げていけばあの角度が物理学的な限界であり
たまたま動機が同じだったから結果も同じになったというのが結論でした。
しかしそうは言っても完全に隔絶された環境で似たようなことを考えたとなると
何か意味有りげな気がするものです。
しかも長い人類史の中でほぼ同時期となれば
何らかの因果関係を想定したくなるのは人情というものではないでしょうか。
もちろんふたつの文明が直接関わったということではなくて、
同じような意識がはぐぐまれたそのメカニズムのことです。
じつはピラミッドのはなしは進化論にもつながる気がします。
進化は個体ごとで起こっているのではなく、種を単位にして起こっています。
これに関しては絶対に偶然のわけはありません。
何らかの未知のメカニズムがあることを想定してもいい気がするのですが
いかがでしょうか。 主観世界/客観世界、その両方に意識を設定していたが、どうもおかしい。
主観世界にも客観世界にも外部はなく、内部しかない。
(なぜなのかは、マルガブや集合論や位相空間論や場の量子論を参考にw)
客観世界は存在するかもしれないが、主観世界そのものは存在しない。
主観側からみているので主観側の意識を考えていたが、
どうやら意識があるのは、主観世界と客観世界の境界内部である。
やっと、主観世界と客観世界を貼り合わせたところにあるタイヒミュラー空間がみえてきた。
そこには三途の川が流れているので扱い方が難しい。
サンズの川とは、巨乳か顔か、である。
この境界内部を、とりあえず、意識世界とするならば、そこには主観も客観も「無い」。
主観や客観という「顔」をしっかり認識することができない世界である。
「不確定性」といってもよいだろう。 とりあえず、この「意識空間」(タイヒミュラー空間としての空間)を考える。
そこでは主観と客観の間に不確定性があり、両方同時に不確定性0で観測?することはできない。
主観主義/客観主義が、どちらも成り立たない。
いわば、量子状態である。
古典的な存在論や認識論や唯物論や、もちろん実在とか実存とか、どれにも還元できない。
(それぞれの立場での解釈は可能であるが、完全ではない) 宇宙際タイヒミュラー理論もABC予想の証明も、その提唱者以外に
それを理解できる人がいなければ、何も提示されなかったのと同じ
ことになってしまうのではないでしょうか? 提唱者の意図は理解できなくても個々人の能力に見合った解釈がなされれば
哲学的には提示された意味はあったってことでいいんじゃないの やはり、タイヒミュラー空間としてしまうと、誤解されてしまう。
まあ、そのへんも意図しているわけだがね。
元祖タイヒミュラー理論でもモジュライ空間でも宇宙際のやつでもない。
想定する(存在するかどうかもわからない)主観世界と客観世界を「貼り合わせる」「つなぐ」
あるいは「変換」する空間であり、変換オペレーターの集合を想定している。
一種のAIであって、人工意識なわけ。
まあ、この人工意識がABC理論を扱うなら宇宙際タイヒミュラーと等価にならねばならないだろうし、
モジュライ空間を扱うなら、元祖のタイヒミュラー理論のように振る舞わねばならないだろう。
現在をAIを単なる分類器とみなすならば、(異なる)世界を貼り合わせるAI。
(という構想) 張り合わせるAIなんてはりぼてじゃあ起動しなさそうだけど大丈夫なのか? >>970
> できないのは自らのプログラムを正しく機能させながら、そのプログラムに逆らうこと。
> 作成者の意図ではなく、プログラムの動作だという点だな。
自意識下で発生する、精神と理性との乖離について、
プログラムで表現するならそのような表現が的確だと思います
おそらく言語による思考というのは、
本能に逆らえる(本来的なプログラムとは別の)プログラムを走らせるようなイメージです 『パンセ』ってぶ厚いじゃないですか
二度見してしまいました このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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