デジタルトランスフォーメーション5
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このスレの理論はそんなに難しいものじゃない
むしろシンプルで簡単とすら言えると思う それでいて、哲学の再深淵にまで届くからね
簡単なことだからこそ、真理の核心を突いているということだな AUの通信障害で崩れるような脆い理論構造だから、単細胞向きのスレではある
太陽フレアが発生すれば、デジタルマンセーが馬鹿だったと実感できるだろう デジタル化の利点は、人間が不要になることだね。諸悪の根源の人間が加速主義的に滅べば、エコシステムにとって寿ぐべきことになる 救急車も呼べないってすげーなw
実害被った人にどうやって詫びるんだろうか 気象庁のアメダス情報が歯抜け状態なのもこれのせいか。やらかしたなau ワシのau機は、朝起きたら日付が8/1だったわ
タイムリープしたかとwww ネットが繋がらいないだけで仕事が全く出来ないってこと
これが出社してるならなんとか対応できる トヨタ、つながる車で障害
https://nordot.app/915908664251793408
レクサスリンクなどのコネクティングシステム
ヤマトやアメダス障害で出るなら・・。
これって本当にKDDIがやらかしたのか?? ますます技術不足で障害発生時の復旧が困難になっていくな
中抜き天国負の連鎖 デジタルマンセーとか言ってる人はこのスレの理論がわかってないだろ
デジタルの利便性とかリスクとかもこのスレの理論には関係ない mineoのau回線なんだが、なんで通話できないんだ?
mvnoな装置別だよね? 認識がデジタルなんだろ
だから、デジタルにも問題はあるよ、と返してるだけ しかし、1箇所吹っ飛ぶとゼンメつな割に、バックアップ回線が無いのが不思議
どっちも同時に逝ったのかな? iPhoneだけどまだアンテナが透明になってるわ。丸一日復旧しないって相当だなシステムの根本的な部分が壊れたんじゃないか 音声をデータに変える「VoLTE」の交換機で障害が起き、データが集中したことが原因と発表した。この設備の故障の原因はわかっておらず、午後6時時点で復旧のめどは立っていない。
原因が分かったのか分かっていないのかどっちなんだよ。 >>19
政府も民間も全部後手後手だよ、今更だけど 3000万のうち半分は解約するかもしれんな🙄
だって一つの設備が障害おこしたら全国一斉に電話繋がらなくなるようなシステムの時点でおかしいから >>20
マジで!?
俺のはAndroidだけど家族のiphoneは使えてるっぽい >>17
問題があるからといって認識がアナログになるわけではないからな アナログ(無作為)を使えばリスクは分散するが、しかし無作為自体が人を不幸にするからね
リスクの分散のために無作為を使うのは動物のやり方
まあ、それが良い人はそれを選択すれば良いが、かならず不幸が付随する デジタル化が進行すれば無作為によるリスク分散というのも厳しくなりそうだ
やはり管理社会が同時進行していくと見るのが一般論だろう このスレの結論はもう悟りとか解脱とかそういう感じだからな
欲望引っ張られた動物的なあれこれはあまり対象としていないことは確か デジタルによる淘汰圧は間違いなく存在していて、価値観が多様化というよりは個人主義化してきている様に思われる
プラットフォーム型の経済が発達し消費者の自由度が高まる程にそれらが鏡としての作用を強めていき、公平感であったり充足感をより得にくくなっている
生命の尊厳等と声高に叫ばれなかった時代に於いては労働も含めた生命活動一般が自己にとって最大の価値であったのが、
今や容姿や能力を含めた一切が商品化(客体化)され自己が疎外される状況に置かれており、その結果として存在しない固有の価値にすがるしかない若者が多くの社会問題や奇異な犯罪事件を引き起こしている、と見る事も出来よう
まあ要約すると、生命の尊厳とか大衆消費社会なんてのは本来不要であって、ただより良く「生きる」事にシフトしていく、その過程に於けるデジタルの役割に期待したいという話になる >現代生物学は基本的に唯物論的・機械論的な立場を採用しており、生気論は認められていない。 現代の科学者はしばしば「過去の誤った理論」などと見なしている。 ただし、一見すると生気論は古い考え方と思われがちだが、生命を情報という観点からとらえる現代生物学は、むしろこの生気論に近い考え方になってきているとも言える[4]と指摘されている。
もっと支持されて良いと思うが うわーセンスない
しかも生命の尊厳否定しておいて、生気論は肯定する、意味不明さ
生気論はエーテルがどうとかのオカルトと同じ ここのスレ主はデジタルが分かってないだけでなく、科学にも疎いらしいなw >バディウは哲学者として「類生成的過程という概念だけが、真理と主体との非客体化を包摂し、主体を客体なき事―後的真理の単なる有限な断片として現れさせる」と述べることとなる。客観的真理は存在しない。「あらゆる真理は事―後的である。」 真理とは、いったん確定した事柄に対する一貫性だよ
あらゆる事柄に対してそれを適用していけば、普遍的な真理が見えてくる
それは、生命・意識の展開、進展と無関係なものではない
そしてそれこそが、まさにデジタル化ということになるわけだけど 店で怒鳴り散らしてる人もいるらしいな
そういう感情の爆発みたいなものを尊重するのがアナログ主義者、動物主義者だよ
それほど重要な回線ならリスクをきちんと評価してそれを許容できないなら、多重化なんかの
措置を講じておかないと
そういうことの定量化もデジタル化に含まれるよ 「したがって私たちの状況において、〈資本〉のそれ、つまり数の統治は、数値性それ自体の無思考な隷属状態の統治である」(p. 213)。 >>38
デジタル化、ポストヒューマニズム批判だね
マルクスなのか、まあその時代としては先見性はすごいな
しかし、ヒューマニズムはしょせん動物主義なので、救いはないよ
どこまでも自我、欲望を透明化していく以外に救いはない まあカールマルクスはヒューマニズムイデオロギー思想家なわけだが、マルクスガブリエルもそんな感じだな
それに対してドイツよりもさらにヒューマニズム思想が強い感じのフランスでポストヒューマニズムの
核となるような哲学が生まれたのは不思議だな
やはりドイツよりもフランスの方が哲学は一日の長がある感じなのか 部活動を地域の活動に移行するらしいが良い決定だな
そもそも部活動などいらないが
授業もオンラインでかまわんだろうと思う
それぐらいやらないと腐りきった今の日本は立ち直れないだろう そもそも集団で集まってスポーツをする必要性など一切無い
軍隊が非常に重要だった頃の遺物的習慣でしかないな >>42
慣習そのものが非合理的だからね
何故それをしているのかと考えないとたとえ無意味であったとしても反復し続ける事になる
何故生きているのかと考えなくなれば生存も又慣習化されていると言えるだろう 「ノンヒューマン的転回という大プロジェクトは、非人間的なモノが「我々の」世界に参入していることを露呈させるような新しい技術を、発話および芸術とそれによって触発される気分の中に、発見しようとする試みなのである。これは、主体と客体を中心に編成されることがより少なく、ブルーノ・ラトゥールが「アクタン」と呼ぶものの存在をよりはっきりと認めることができるような、文法を発明し展開することが要求されるのだ」(Ibid., 225) 部活動やら外での遊びなんかはまったくいらん
YouTubeでもずっと見てた方がはるかにまし
そこで刺激される何かを見つければ自分で掘り下げていけるし YouTubeは英語コンテンツが圧倒的に多いから語学の向上も期待できる
部活動やら外遊びなんかはアホがやるもの
家庭でひたすらYouTubeを見せていた方がはるかに良い
知能指数も10は上乗せされるはず >>46
馬鹿は頭で解答を出せない
外遊びや野外活動は専ら身体言語に依存している
身体言語に依拠している限り生理的な快不快の感情により物事のベクトルが定まってしまう まあそれはあるが、ゲーム解説とかアニメ解説みたいな取っつきやすいコンテンツでも
物事の着眼点や整理の仕方、言語化による表現方法など子供にとっても学ぶべき部分は
結構あるからな >>48
それもピンキリだと思うが、
結局は限定された状況下における解釈でしかない
それだと直接に思考力を磨く事にはならないし、そこから応用発展させるだけの知性があるならば低俗なコンテンツを敢えて浴びる必要はなくなるだろう 結局はそれぞれのレベルのコンテンツを見ることになるとは思うが
それでも集団スポーツ外遊びよりはましってことだね こういった個人種目は身体言語を高度に深化させた具体例だろうな
https://youtu.be/TRUs4JCFYAc 人生は最終的に死ぬから無意味というのは的を射ており、崖に向かって延びた線路の上を突き進んでいる様なものでしかない
エピクロスも言うように、近親者の死はフィクションとしての死であって実感値を伴うものではない以上顧みる必要はないのかも知れないが、客体ではなく主体の消滅つまりは実存としての不安は常に付きまとうものである
しかしひと度種の企てから離れるならば、自己の一切は有限であり夜空に散り嵌められた無数の星々にすら生命の息吹を感じ取る事が可能になるだろう
身体の虚像として実存は無を直観するが、それは身体が無限という軛によって束縛されているからに他ならない そもそも選挙投票によって民意を獲得しようとするやり方は姑息だし時代に沿ぐわないからな
巨大なプラットフォーム上で膨大なユーザーデータを集積し、個人の選好や発言から至るであろう思想的傾向を客観値として表出する
個人が選好を表明する事も出来るが、そうでない場合自身に纏わる一切の判断をデータベースに委ねるようにする
これなら一時の気紛れや誘導によって非合理的な判断を迫られる事もないし、今まで埋もれていたサイレントマジョリティーの影響力を無視出来なくなる
より公正な政策に繋がるだろうね
街頭演説は手に届きそうで届かないといったアイドル性を演出する為の舞台装置である
今思えば、黎明期に48グループを浸透させたのと同様の手法を用いているのではないか
慈悲や献身といった徳を蔑視したある種のフェティシズム的手法に依存した商業政治は結局の所組織票によって媒介されているに過ぎず、パフォーマンスとしての側面がかえって強調されてしまっている
今回の様な動因による事案を招いたのも又無関係とは言えないだろう しかし5chはチクトクのアドレス貼ると100%バンくらうって、すごい掲示板だな 生命の尊厳とは名ばかりの家畜化であって、果たされるべきは生命そのものの復権なんだよ バイオアートは、生命科学やテクノロジーの進化が招く哲学的、倫理的な問題を可視化し、その是非を広く議論するための都市と自然の表現物です。
地球は今、新たな地質年代、アントロポセンに突入したと言われています。それは、10万年単位の地質年代として区分できるほどに、人間活動が地球環境に大きな影響を及ぼしているということの表れです。環境破壊、絶滅生物、異常気象、人口急増、私たちは今、数々の大きな問題に直面しています。
そもそも文明と自然と呼ばれるものの境界はどこにあるのか、バイオアートは、微生物、蛍光発光、遺伝子情報、コンピュータによるコーディング、画像装置などを利用して、こうした新時代の我々が持つアイデンティティ、自然、環境に対する倫理観を、建築とサステイナビリティからシフトさせようと挑みます。
https://i.imgur.com/2CV8PHs.jpg ハイブリッド・アートとは、社会学から現代美術まで、マルティディシプリナリーな幅広い分野の芸術の表現の交流から生み出される芸術である。ゆえにそのコンセプトは既存の概念にとどまらない。科学や哲学、幅広い様式からのエレメントをとりいれ、伝統的な芸術のタイポロジーの延長線上ではなく、むしろそのコンセプトを再定義する美術である。
https://i.imgur.com/aIOtM5x.jpg 2名無しさん@お腹いっぱい。2022/07/20(水) 14:29:41.68ID:hrLIPIsI
人の性格や思考は体に良い物、または悪い物を食べたり何かの治療薬を飲みつづけたり止めたりしても良くも悪くも変わるものだよ。ワクチンも然り。体の中に入る物がその人を作るからね。 要するに言語活動としての哲学はとっくにオワコンなんだけどね
スレの趣旨としてオルタナティブを提示していく事が求められている 上流は我々が、下流は官民共同体が担う事になるだろう
リモデリングではなくリデザインが要求される為、官民を同一にカテゴライズする事で効率化が可能になる 歴史を紐解くと生命と非生命の区別が極めて恣意的に為されており、民主国家においては取捨選択という形式によって恰かも合理性が担保されたかの様に見せ掛けられているが、それらは合理性という名の恣意性に過ぎず、その場合自己も須らく対象化されているのである このテーマも欧米の哲学者の理解がもう少し進まないとどうにもならないところはある 街を天空に向かって伸ばした「垂直都市 THE LINE」
https://nazology.net/archives/112588
まだ詳細は見えてこないがかなり面白い構想ではあるな
ライフラインから都市機能までを集約するには多くの課題があるだろうけど アルゴリズムは決まった入出力を繰り返しているに過ぎないが、それは人間にも当て嵌まるだろう
例えばロボットは対象化されない主体を持ち得ない為に主語を理解する事が出来ないとされるが(「私」は手を握る)、それらの事象は消去主義的には矛盾しない
以上を踏まえる事で、デジタルとネオ生気論の相関が理解出来る様になる どうも思弁的実在論もそうだが、もの自体が存在するかどうかという議論自体が無意味ではないかという気がする
存在しないという概念自体が、認識者の概念であって、つまりそれは1/0の0のことであって
認識者の外部で0の状態かどうかと考えること自体に意味が無い
つまり、「存在しない」という概念自体が、認識者の都合で作り出された概念でしかなく
それを認識者の外部に当てはめることは意味が無い つまり、「存在しない」という概念自体が架空のものでしかなく、
したがって、そういう意味においてもの自体は存在するということになる
メイヤスーの議論が結局はこのことを意味しているなら、それは納得できるが 要するに、「存在しない」というのは、純粋に論理的な概念でしかなく、
それをもの自体に当てはめることには無理がある
メイヤスーは、非矛盾律がもの自体で成り立つとしているが、これも同じ
純粋に論理的な概念でしかない非矛盾律をもの自体に当てはめることはできない
そして、非矛盾律が成り立たない現象は量子レベルでは普通に見られるわけだが、
これも非矛盾律という概念自体を量子に対する認識ではなく、量子自体に当てはめるのは無意味
だろうと思う
つまり、量子レベルの「認識」において、非矛盾律が成り立たない現象が存在するということだね まあちょっと片手おちの議論かな
「存在しない」という概念自体が架空なわけで、したがってもの自体は存在する
そして、「存在しない」という概念がなければ論理系は成り立たないので、したがって
非矛盾律が成り立つかどうかも意味が無くなる
「存在しない」という概念そのものが論理系の枠組みそのものを構成しているわけだから、
この二つの議論は同列ではないな 無意味とされているものの扱い方だろうと思う
論理系が成り立つか成り立たないかを問題にすると自己参照になってしまうから論理系は認識者において自明でなければならない
この場合意味があるかないかは論理系の枠内において決定されるので無意味は意味の体系そのものを否定出来ない
分子に対する反分子の様に意味の体系或いは論理系と対置関係にある無意味は十分想定されうる なるほど
言いたいことはわかるが
しかし、゜存在しない」という概念が架空のものであることは明らかだろうと思う
そして、「存在する」という概念は架空ではないだろう
しかし、ここで不思議なのは、「存在しない」、「存在する」という対値関係の一方が架空であり
他方が架空でない
これは不思議だろう
そして、「存在しない」という概念が架空であると認識できてしまうことも、>>80の観点からすると
不思議なのかもしれない 思考は非常に重層的なもので、その自己参照を参照し、さらにその参照を参照することも
可能なんだろう
そして、その再帰構造をさらに外側から眺めることもできる、そらにそれを..
と繰り返し再帰的に参照できる
そうした構造において、「存在しない」という概念が特別な役割を果たしているということになるんだろうか 特にメイヤスーの議論は、結局は「存在しない」という概念は架空のものである
ということを論理系の枠内で導き出している議論のようにも思えるな
したがって、もの自体は存在するということになる しかし、一つだけ逆転する場合があるな
それはマトリックスのようにすべてがデジタル世界の幻影である場合
その場合は、逆に「存在しない」が真になって、「存在する」が架空の概念になる
この場合、なぜか逆転する
これも不思議だが なぜ「存在しない」、「存在する」がともに可能になる場合
あるいは、「存在しない」、「存在する」がともに不可能になる場合
これらがないんだろうか 論理系内において、無限に後退する参照構造を記述するのに数学は使えそうだよね
メイヤスーが言ってる数学の話はこの辺なんだろうか アナログ-デジタルの二元論もすべてはデジタル幻影の一元論も、
論理系内における想定でしかないからね
それを実際に証明するのは不可能
ただし、その想定に矛盾がないかどうか精査することは論理系内でできる
そしてその作業は、結局は論理系内の構造を記述しているだけということにはなるが
なのでやはり強い相関論を崩すのは非常に難しいが、強い相関論によって導出される各種の
結論について、その矛盾を局地戦的に突いていくということは可能だろう
メイヤスーがやっていることも結局はこれではないかと思う 不可知論がデジタルを隠覆しているとは言えデジタルとアナログは飽くまで表裏一体
一元的なデジタル信仰によりかえって盲目になる危険性は孕んでいる 認識者を基準にする限りデジタル或はアナログは局所的に見てもマクロな事象となり得る
矛盾が生じるとすれば恐らくこの点に於いてであり、認識者の志向性はアナログ的なオートメーション化された世界観に対する異化作用として働く事になる >>90
デジタルとアナログは表裏一体ではないよ
すべてはデジタルのマトリックス的な世界観もあり得る
ただ、常識的な観点としてはアナログ-デジタルの二元論だけど、
そこに絶対的な根拠はないわけで 結局は、アナログは認識不可能だから、その存在は仮定的なものでしかないってことだね
要するに、強い相関論になってしまうが、しかし認識者そのものに構造、枠組みがあるので
そこから絶対性が派生してくる
この点が、何でもありの強い相関論にはならないということだね
メイヤスーの話もそれなのではと思うが >>93
あらかじめ認識者の枠組みを確定させるのは暴論では
少なくとも認識者の構造は論理系内に於いて確定させる事は出来ない
というかだからこそ論理系の外側が想定される訳だが >>94
すべてのものを無限に認識することは不可能なわけだから、デジタル認識論は
俯瞰的ではあってもその正しさは証明されてると思うけどね 要するに、「もの自体は認識できない」という言説と同じ理屈です
「もの自体は認識できない」という言説が正しいなら、それはすなわちデジタル認識論は正しいということです
であるならば、そこに付随する構造が存在することになる
その一端が、「偶然性の必然性」、「事実性の絶対性」などでしょうね そして、数学ですね
メイヤスーは、数学は外界に直接アクセスできるとしていますが、実際には
数学がアクセスしているのは、この認識者の構造だと思いますね
外界に直接アクセスしているわけではない
しかし、認識者が通常外界にアクセスする方法とは異なる方法で、
つまり認識者の構造そのものが、外界と何らかの関係があるはずですから、
そこを通じて外界にアクセスすることは、外界を認識する上で別の視点を与え、認識が広がる
と言うことはあると思います >>97
成程、結局認識者の存在が相関主義と結びついている以上、論理系すらも自明ではないという事か
物自体は認識出来ないが、それと同様にデジタルも又自明ではない >>98
断続的な認識である以上、そこに付随する構造が生じるってことです
それをデジタルと呼ぶのは、議論があるとは思いますが >>99
デジタルでないならスレの趣旨的には厳しいと思うがw >>100
厳密な意味ではデジタルではないとしても、デジタル化によって生物が発生したその同じ力、特徴が
認識にも働いているとは思う >>101
何れにせよデジタルだと言えるか言えないかは大きな違いがあるだろうな デジタル化自体がある種の力を持つ
それが生物を進化させ、またその意識、認識を進化させた
この力は非常に普遍的なもので、たとえメイヤスーが言うように宇宙の物理法則がまったく
異なる物になったとしても、デジタル化によるこの力、特性は変わらないと思う
その宇宙でデジタル化が成り立つとすればですが
このように、デジタル化には非常に普遍的な力、特性がある コロナも永遠に終わらないかもな
デジタル化がさらに進みそう 伝統的な科学的実在論が確からしさのキャッチボールであるのなら、思弁的実在論者はそれを不毛だと一蹴する 彼等の主張を突き詰めると、実在論に関しては一般的な認識の枠内に於いてプラグマティックに語りきれる性質のものではないと分かる Chomskyは言語学一般が自然科学と近似性を有しており、
生成文法の研究に於いても理論の実在性を問題にしない立場を取っている
つまり彼等にとって有用なものは純粋に科学であり言語である訳だが、
然しながらChomskyは認識論に関しては別であると注釈を加えてもいる なんか、バランスが取れなくなるから劣った人間もいた方が良いという人もいるけれど
その劣った人間の立場にたったことはあるんだろうか
そういう人がいれば自分が安泰みたいな、それだけのことなのでは?
結局は無作為に頼るのは生物の本質ではあるけれど、それは人の切り捨てを必然的に伴うわけで
それでは不幸はなくならない 潜在的な不幸をリスクヘッジ出来ないというのは現代人が過度に簡素化されたパッケージを選好する事からも明らかだろうね 多様性が大事という訴える人の奥さんが超美人みたいな感じだよ >>113
それは人間社会がそもそも資本主義の歪んだシステムを土台として成立っているからね
現実とのギャップを埋め合わせようとすればその差分だけ苦しむことになる >>114
意味がよくわからないが、美人はみんなでシェアしようってこと? デジタル化で支配層による統治の技法は洗練されていくが、彼等に飼い馴らされている事にすら気付けない大多数の市民は更なる情報操作の餌食になっている
インテリジェンスに乏しい旧態依然としたタイプの人類は地方に集中しており、利害誘導による費用対効果は既に実証されている 管理というか、動物的生き方は自らが不幸になるだけってこと
それでも、そうしたいならそれを選べば良い
誰も管理してないから 根本に戻ってるだけだよ
このテーマの延長線上にデジタル認識論もある ディープフェイクとか10年前に純一がやってたいたずらのパクリやん 検索エンジンでじゅんいちきゅんと検索すると
一番に膣きゅん
二番にじゅんいちダビッドソンが出る不思議 加速主義とデジタルの相性が非常に良いのは、直感的にわかると思うんだが、
その理由も明らかにできるよ
加速主義を妨害する唯一の手段は、無作為を混入させること
それによって、平衡状態に持ち込める
しかし、デジタルは無作為を排除する
このために、デジタル化するほど、加速主義が進むことになる >>124
人間性の複製は許されるのかという、最も根本的な問題にまで行き当たるな
そして、それができないことが、人間の苦の根本原因と言うことに気づくことになる
そうなったときに、アート、芸術はその価値を完全に失うだろう 盗作と何が違うのかという問題だが、盗作というのは、擬態であって、人間性そのものを複製しているわけではないということだね
これは整形手術とかでもそう
それは擬態であって、その人の真の外見ではない
しかし、真の外見を遺伝子改変によって変えることができるようになればどうだろう
そのときには、外見の固有性はその価値をまったく喪失する はたして加速主義によって人類に悟りを齎す事は出来るのか 英国王室の葬儀の席の序列で米大統領の席が悪いとかいろいろ言われてるが
こういうアホみたいなことを死ぬほど気にするのが人間なんだな
むしろこういうことのために生きている感すらある
左派やリベラルでもそうで、むしろ自分のことになると何よりも気にする感じすらある
そして左派やリベラルはそういう自分自身をちゃんと理解していない
これが左派やリベラルの最も大きな欠点であって、その欠点から彼らの思想の大半が出ていると言っても
過言じゃないと思う ヒロヒトが最前面の新聞写真見たがあれも背が低い順にしないと写真写り悪いから決まってるだけだろ リベラルにも上位概念としての秩序が求められているのは当然の事ではある
分かり合うというのはなにも本質的なことはないからね
露中のような民族主義に陥るのにはやはり何かしらの構造的欠陥があるという事 >>131
最終的には、ヒューマニズムに行き着くでしょ
だからポストヒューマニズムってことだね 人間というのは概して人間の意識の外側には関心が向かないように出来ている
つまり、予め組み込まれたプログラムの中で何の疑問も持たず一生を終える人間が大半である
仮に自分の外側に意識が向けられたとしてその多くは自分以外の他者の意識であり、それはまさしく相関主義そのものだろう デジタル発展とか見ていても、あせりすぎじゃないかな。
戦争とか優位に立ちたい思惑があるから、トップスピードになっているのかもしれん。 dangerous actions do not imitate Windowsアプデしたら公式にマルウェア仕込まれたでござるの巻 数年前はWebEx勝手に仕込まれ勝手に毎回起動してスタートから外しても常時裏で立ち上がってるということやらかしたMSだが在宅勤務社会の要請に応えたと思えば殺意は半減だたが今回はSpotifyとかXboxとかだからな、もう完全にMS自体が抱き合わせ商法になってしまってる 加速主義は必然的にギャップを拡大させる為外科的な処置によりそれを埋め合わせていく作業が必要になるが、
現実的にはギャップがひたすら拡大し続けており随所に分断と破壊を招いてしまっている
これらの事象を単に偶発的な不均衡によるものの連続と見做すのではなく
例えば為政者による搾取の文法といった人為的リスクと見做す事で、
ステークホルダーに対する抑止と働きかけに繋がるだろう 誰に埋め合わせるかでもめるでしょ
一律BIしかないと思う よく勘違いされているが、BIというのは決して公正な分配ではない
そして分配というよりは寧ろ新しい貨幣システムと呼ぶべきであり、数値化され可視化された新しい民主主義のモデルとも言える
やるにしても、ITインフラが制度設計にまで浸透した段階で実用化を目指すのが妥当だろう 徹底的に無駄をなくしていくことだね
そうすればBIの実現が見えてくれる
無駄な部分が既得権益になり、そこから腐敗して、硬直化する
こうなると、なかなか修正が難しくなる
そしてその腐敗している部分こそが人を不幸に陥れる デジタルで入出金してるのに手数料一回409円っておま、大黒屋かよ 時間外手数料409円w デジタルに時間外手数料ってw ばれないと思ってるのかよwwwww なんか核戦争の危険性が日に日に高まっているけど、いったんここで文明終了なんだろうか
何ともあっけないが
デジタル文明に移行できずに終わるのか ここはいったんゼレンスキーに国外脱出してもらって引いた方が良いかも
プーチンは本気だろう
ここで引いてもいくらでも挽回できる
文明終了したらすべて終わる >>151
それでも長期的には失策だろう
侵略後の世界において核抑止論は余り意味を為さなくなる >>152
まあ、プーチンは停戦の用意があるみたいだから、そっちで合意すれば良いのかな
ここでの本質は、集団動物主義者と個人理知主義者の戦いってこと
そして悲しいことに、プーチンはロシア側では後者に近い存在
ロシア側にはそれより酷い奴がうじゃうじゃいる
ウクライナ側にも集団動物主義者がいるが、戦争が拡大するほど集団動物主義者が有利になる
資本主義経済を進めていけば、集団動物主義者は徐々に少数派になっていく
この戦いは数百年にわたる長期的なものだから、ここですべてリセットする核戦争をすれば
集団動物主義者の圧倒的な勝利で振り出しに戻ってしまう
それを避けるためにいったんの譲歩は必要
資本主義経済を継続していけば、時がたつほど個人理知主義者が有利になる
時間は味方だから、それを活かす必要があるってことだな だから、たとえ酷い状態であってもロシアには資本主義をやらせることが必要
中国も同様だな
それによって個人理知主義者が増えていけば、状況は変わる
北朝鮮のようにガチガチの社会主義になってしまうと、自然には変わらない Googleとして日本初となるデータセンターを千葉・印西市に来年開設へ スンダー・ピチャイCEOが岸田総理と面会
https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/5744ff89387674f4e2949380129a13163871d21a&preview=auto あらゆる欺瞞は許されない
欺瞞の上に成り立つ正しさというのは、それは所詮は見せかけのうえでの正しさであって
それは隠喩があって成り立っているだけ
デジタルはそうした隠喩をことごとく解消していく 隠蔽は無作為によって成り立つからね
デジタルは原理的に無作為を許さないので、隠蔽はできない
疑似無作為なら可能だが、その辺の詳しい議論は>>1を見てくれ デジタルのオリジンはそうかもしれんが現場のアプライドデジタルは隠蔽の温床になってる
原因の一つには複雑な複数の処理をカスタマーからブラインドボックスのようになってるとこでやって雲のようにかんじさせてるからそれの提供者が悪さに使ってもカスタマーに気づかれにくい
ありもしない手数料の捻出、マイナンバーや電子マネーの履歴の悪用転売などなど デジタルの原理的特性から考えて、デジタル社会が進むほど隠蔽は難しくなるでしょうね
現状は過渡期ではあると思います >>160
逆だな
確かに「調べれさえすれば」隠蔽できなくなってくるといえるが、調べてくれる人がいなければ詐欺の温床になる。
つまり事件が起こって社会問題になって初めて調査が入り隠蔽が発覚する。
なので現実的には隠蔽が出来なくなるではなくて隠蔽の暴露調査がしやすくなる、ということ。
事件が起こって社会問題になるまで消費者が被害を受ける構造までは変わらない。 >>161
最終的に自己ループ系になって、そこで無作為の混入が少なくなるような状況を想定しています
そこでは隠蔽という行為自体が意味を成さなくなる
認識者は複製可能であって、認識者のデジタル化が行われることになれば、そのような状況が
一気に進展する 隠蔽という行為はプログラムがするわけでも真理に依存するものでもなく、人の営みであるのだから、隠蔽がなくなると主張するという行為は自分が性善説に立っていると暗喩していることになります。そこまで理解して主張しているのか知りませんが… 自己ループ系に近くなるということですね
そこに無作為が混入しなければ、隠蔽は生じない
これは精神のデジタル化が進む過程で進行していくでしょう
各人の脳を直接接続すれば、そこに隠蔽は生じないでしょう
さらに、各人がデジタル化されれば、もうそこに「各人」という概念自体が無意味化してくる 意味の有無をアフォーダンス的な立ち現れとして捉えれば途端に陳腐な議論になる
素朴実在論を否定するには前提となる独我論を退ける必要があるが
知覚が認識の限界である以上は原理的に不可能となってしまう
要はそれを乗り越える試みがテレパシーだと言えるのだろう 「知らんけど」って言葉が流行ってるらしいが、流行り言葉というのは誰でも使える言葉ってことだからな
つまりバカでも使えるってこと
集団幻想に浸るにはバカにならないといけないという好例だな つまり、集団幻想に浸るには、それはすなわち共同体主義者であるためには
バカにならないといけないということ
それは要するに動物化する必要があるってことだな デジタル監視社会のディストピア
統一カルト自民党が、ロスチャイルド家から命令を受けて実行している世界統一政府のディストピア
ロスチャイルド家が、中国で実験を繰り返し実用化した国民監視システム
それが人類総背番号化のマイナンバーだ
マイナンバーをカードからスマホ、スマホからチップに誘導して、人体にチップを埋め込むのが最終目的だ
要するに家畜の耳に付けている識別タグを人類にはデジタルタグにして付けさせる訳だ
すべての個人情報をマイナンバーに紐付けて、性格 思想 資産 家族構成 体の健康状態までリアルタイムで監視される
毒ワク接種回数もマイナンバーと紐付けだ
こんな超監視社会のディストピアなど断固拒否しろ
PCR検査は個人のDNAを採集する為の偽旗
マイナンバーにDNA情報まで紐付けされて、すべてを管理支配されるディストピア
生体認証までマイナンバーに紐付けされ、24時間時間365日AIに監視される地獄である
チップを埋め込むとかのレベルじゃなくて、精神のデジタル化まで行くんだが
しかし、動物ではなくなるから家畜ではないな 低遅延社会では脳がクラウドと一体化しているため、クラウド上に有るビッグデータへ瞬時にアクセス出来るだろう
また、情報空間においてあらゆるコミュニケーションは完結する為に現実世界では単なる物理的な接触に留まるようになるだろう >>172
〉また、情報空間においてあらゆるコミュニケーションは完結する為に現実世界では単なる物理的な接触に留まるようになるだろう
これは重要な視点。
ゲノム編集もメタレベルにおけるコミュニケーションと解釈する事は出来るから。
より神の視座に近づくか、畜生として蛮性を保持し続けるかの二択を迫られてるんだろう。
量子脳だとか結局は心身二元論への回帰だしね。 ビッグデータを扱う為に人工知能は避けて通れないトピックだよ >>174
かといってニックランドは食傷気味だわな デジタル化というのは平たく言えば、意味の再帰性による無限ループの否定になる
一般的に現実とされるものは厳密には隠喩でしかないカオスなので意味≒解釈となりかえって発散してしまう
人間はこういった不可知を信仰によって克服しようと試み何度となく失敗しているが、信仰も又一義的な解釈に過ぎないのでいずれ発散する運命にある >>176
デジタルはごまかしが効かないからね
意味の再帰性というのは、もうちょっと説明してもらいたいが、
デジタル化によって否定されるなら、そこにはごまかし、欺瞞があるってことだろうな 一般にループはデジタルによってしか生じないから
デジタル化によってそれが否定されるなら、それは疑似ループ、ごまかしを含むループということになるな 日給8000円だと
2000スイカ
4000 貯金
1000 食費
になる
貯金が月80000くらいでそこから光熱費と家賃が飛んでほぼゼロになるが、服とか仕事に必要なグッズ買う余裕がキツキツ
やはり光熱費と家賃がネックになってる ハワイでバイトしたら時給が4000円くらいなんやろ
たしか 【画像】若者さん、ついに日本を捨て海外に出稼ぎに出て行ってしまうwwww 「綿工場勤務で週給20万円。日本の4.5倍です」 [271912485] ITで毎月のそれくらい稼いでるからあまり羨ましくない
スキルない人は大変だなぁ 人口の3割が老人の国から若者が出ていく
外国人移民も来ない
絶望の国になるな😂 「消費税・未来永劫10%では日本の財政もたない」 政府税調で委員が危機感 [首都圏の虎★] 前スレの1+1=3のくだりは流石に馬鹿過ぎたな
神の視点を持ち出しても反証した事にはならないし >>188
その議論のキモは、加算(算術、あるいは数学)が現実世界を単に反映したものか、
それとも現実世界とは独立して論理世界を構成しているかという点になるでしょう
このスレの立場はもちろん後者です 現実世界には1とか2とか
の概念はないからね
論理系の概念を現実世界に無理矢理
当てはめてるだけ
1+1=2は論理系において決まっている
ので現実世界をそのように切り取る
だけです にしても情報化が進んでからあらゆる物事に関して相対化も進んだよな
若者がアイデンティティを喪失してしまうのも分かる気がする リベラルの多様性云々というのも
グローバル資本主義における市場開拓プロセスをなぞってるだけで
例えばアメリカの覇権主義と共存出来るのもそういった事情がある
現実には既得権益が強くて差異が淘汰されるから一元化していく訳で
サブカルチャーも例外ではないと思う Google Microsoftはじめクラウド会社がやってること
携帯キャリア各社がやってること
日本だって通信の秘密という名目があるから「しない」という事になっているだけで、可能か不可能かで言ったら可能というだけの話だ。権力側がその気になれば、特に。
普及したら全部の通信を逐一チェックするなんてのは現実的ではないが、容疑者の通信内容に絞って調べるとか特定ワードを抽出するとか。やってできない事はない。 これは監視してるとかプライバシー侵害してるとかそういう話ではなく金儲けの話である
当然彼奴等は監視や侵害に興味があるはずもなく、単なる種鮮度である
個人情報は金になるのである >>188
見てないがよくある話でしょう
1+1=0も現実にあるし >>195
現実世界には1という概念も0という概念もないからね
すべて論理世界の概念 ヒルベルトプログラムってまだ研究されてるんだね、知らなかった 本当の現実世界というのは、人間には、というか認識者には認識できないから
認識者が認識できるのは、デジタル化された後の情報
デジタル情報では1+1が2であることは明確に定まってる
要するに、認識者にとっては、1+1=2は絶対に動かない
それに対して現実世界では、1とか2かの概念自体が無意味だし、まず本当の現実世界を認識者は
認識できない ヒルベルトプログラムの不備とか不完全性定理とかは
結局は数式表現技術の問題であって、本質的に論理系そのものの問題ではないと思うわ
論理系は同一律が成り立てばそれで良いわけだから デジタル情報では1+1が2であることは明確に定まってる
デジタルの一例を出されてもなあ
1と0の場合もアルンだし。その場合1+1=0だし デジタルというのは要するに現実と情報との境界線が曖昧になっていくという事
ロジカルには現実を画定しようという動きでもある
デジタル的には小泉構文こそが全てだろう 結局は同一律が成り立つかどうか
同一律が成り立つなら同じものが存在しえる
そうであるなら、同じものがいくつあるかカウントできる
そこから算術、さらに数学も派生してくるが、そこで数式などの表現手法の問題が生じてくる
しかしそれは本質ではないな 要するに好き勝手にやりたい本能をデジタル化が邪魔するってことでしょう
それは諦めるしかないな
元々文明はそういう方向性だし、それによって人々の不幸は軽減していくのは確かだから イーロン・マスク、何も邪魔されず超絶格差を独占中だが twitterでニガー表現が増えたらしい。
人間の本質がゴミ屑だからであって、デジタル、アナログ関係なし >>205
ヒューマニズムのダメさ加減でしょ
ポストヒューマニズムに向かうしかないんだよ
ヒューマニズムを続けてると、人類は間違いなく滅亡するしね 複数回の加算を乗算で表現するような簡略化が数式表現技術
簡略化表現技術かな 例えば、(デジタル側から見た)この宇宙の構造を一つの数式で記述できるかもしれない
あるいは数十の数式で記述できるかもしれない
あるいは、数京行のコードで記述できるかもしれない
しかし、それを記述できるなら別にどの方法であっても本質的には違いはない
そういうことだね 762 考える名無しさん 2022/04/06(水) 09:36:37.24 0
デジタル化なんて断捨離みたいなもんなのにアナログの進化系がデジタルだと思い込んで、価値があると邪推し、小難しく講釈垂れている、それがこのスレ >>210
デジタル化が断捨離みたいなものというのはその通りだな
そしてデジタル化の最も本質的な機能は、無作為の排除
ここがちゃんと考察できているかどうかだな >>210
スレ主も定住者もただのミーハーだろう。
デジタルに言うほど魅力があったのなら2000年代にスレ建てて議論したはず。デジタル庁できた、メディア騒ぎ出した、じゃあ俺らも乗っかろうか、てのが真実。 概念がまず最初に来てる話だからね
今の流行的な現象も重なっているが、本質的には哲学の最も深淵な部分にまで届くトピック 政治的な立場で言うなら、常に動物的生き方に反対する立場だな
それはデジタル化と密接に関連している
最終的には精神のデジタル化、精神のアップロードにまで至るわけだが 身体性や物質性を否定しているからプラトンと一緒で、古典的な哲学だよ。つまり、人間否定の契機で、俺氏の場合はそれをエコシステムにつなげて、人間がいなくなった至福の生態系という世界観を導くことになる。
愚かな人類の精神のアップロードなど有害さしかないので、人類淘汰の方向で考えればいい
デジタルの利点はそのような人類不要の世界を促進するからであって、
単なる合理化ではない。 認識の継承は機械とAIにさせればいいだけ、もしそれが必要であるならばだが。 たとえば、ワクチンは人間の自然免疫機構を破壊するので、環境破壊とセットになって人間の心身を破壊したり、環境ホルモンの影響でLGBTQも増え、食糧難、エネルギーコスト上昇を伴って、いずれ人類淘汰圧は既定路線なので、それを眺めていればいいだけ。 デジタル化は、もう人間いらないよ、という世界を構築するための方法なのに、そこを履き違えてるのが多いので笑える だからポストヒューマニズムへの移行でしょう
そこでこそ哲学の本領を発揮するはず
今は単なる動物学になってるからね マイナンバースレでも出てる問題にも関係するけど、個人のパスワードって使いまわしてる人多いんだよねご老人とか。
例えばマイナンバーカードのパスワード自分で再設定するときにいつものパスワードに設定するとする。
するとクレカ会社や銀行や携帯電話会社に登録してるパスワードと同じだからそれらの企業に勤めてる不埒者達に名簿業者に売られるわけ。
例えば携帯契約するときに暗証番号設定してねと紙とボールペンを店員に渡されることがあるがその店員が不埒者だった場合、パスワード取集して小遣い稼ぎできるわけで実際やられてるが社会問題にもなってない だからパスワード作って保存する携帯端末、生体認証方式、が一台あればセキュリティ上がるが、デジタル庁はそういう発想する人いない。 引っ越しの手続きしてたら、明らかに個人情報を転売されてるわ
謎のウォーターサーバー屋とか、謎のネット勧誘会社とかから電話がかかってくる
もしかしたら利用規約に転売しますって書いてあるのかもしれんが、うざすぎる >>224は、吉田製作所のツイート。
金持ちの個人情報は直ぐに売買される。 哲学のヒューマニズム的側面は言語フォーマットに起因するもの
認識と言語フォーマットの関係は整理しておくべきだろうね ヒューマニズム=動物の本能だからね
哲学のヒューマニズム的側面と行っても、実際は哲学なんかじゃない
動物学だよ 最終的にはデジタルが認識範囲を規定し始めるだろうから、言語フォーマットの重要性は明白だね 意味があるんなら理屈並べてもしゃーないわな
直感に従うのがベスト デジタルマンセーも良いが功罪を問うのが哲学ではないだろうか デジタルマンセーとは違うんだけどね
ヒューマニズムについては、これからその死にともなって文芸やエンターテインメントが酷いことになる
と思う
文芸やエンターテインメントに触れるだけで、その腐敗を引き受けて自分が苦しむという状況になる
しかし、そうした状況もまた辛いだろうと思う
文芸やエンターテインメントの毒物化に際して、どのような気持ちでそれに対して行けば良いのか
ということを考えるのも重要なのかなと思ってる テレビメディアの衰退が今言われているけど、本当はエンターテインメントの衰退なんだよね
なので、ネットであってもこれは同じで、特にエンターテインメントに特化してるNetflixとかHuluとかは
テレビと事情はまったく変わらない
テレビもネットもエンターテインメントの毒物化が徐々に強くなっていく つまり、デジタル化といっても、それがポストヒューマニズムに向かうものでないならば
そこにあまり救いはないってことになるね 情動が意思決定プロセスに混在しているのが人間だけど、そういったものを可能な限り排除していくのが正しいみたいな話か
ヒューマナイズされた環境がデジタルに置換わる間に主体の変容を余儀無くされていく
そのうちハウツーとか処世術がどうとか言われてた頃が懐かしく感じるようになる リック・オウエンスがイタリアの自宅に映し出す、ミニマリズムとブルータリズム
https://youtu.be/AsIFxEejjxI 宮台氏が襲われたが、氏が唱えていた加速主義が関係しているんだろうか
加速主義は、勝手にそうなっていくという趣旨が正しいだろうから、誰かがいなくなってもそれを防ぐことはできないんだが 西部邁スレ合理論のまとめ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1536734463/
上でフッサールを引用した人へのレスだが、認識者の枠組みというのは、要する
我思う故に我ありを認めるかどうかということ
これを認めるなら、そこに事実性の絶対性を認めざるを得ない
逆にこれを認めないなら、我という存在はあるともないとも言えなくなり、それはもう認識者であるとはいえなくなる
「我」をあると認めてしまえば、そこに含有される絶対性を認めることになる
これが認識者の枠組みを構成しているということになる そして、数学というのは、この認識者の絶対性から導出されているから
認識者であるならば、数学の絶対性も認めざるを得ないと言うことになる 最終的には、この絶対性は世の中の事象をスナップショットして記録するすべての存在に当てはまる
なので、サーモスタットにも意識があると述べた哲学者がいたそうだけれど、それもあながち荒唐無稽ではないってこと
そしてこうした考えが、ポストヒューマニズムを構成しているということになるね 絶対性など最初から存在していないので、出だしから間違った認識だ
絶対ならすべての存在者に共通していないとならない。最低でも蟻が微積分が理解できるようになってからにしろ この絶対性は、もの自体を認識できないという状況から生じてるから
このような絶対的な言説が可能であるということ自体が、絶対性をすでに含意している
そしてこの絶対性は、「もの自体を認識できない」認識者、つまり事象をスナップショットして記録するすべての
存在に共通するって事だよ そしてここまで来れば議論の焦点が絞られる
もの自体を認識できないという言説に絶対性を認めないならば、
つまりもの自体などない、認識している物がすべてということになる
それは、つまりこの世界はすべて、スナップショット的であり、それはデジタルといっても良いだろう
要するに、この世界はデジタル一元論となる
あるいは独我論と言い換えることもできるだろう
その立場に立つならば、認識を制限する絶対性などないということになる
しかし、一般的な「もの自体は認識できない」という立場に立つならば、実世界と認識する世界の二元論が成り立つということになり、
この二つの領域の境界で絶対性が導入されるということになる
ゆえに、最終的な、最も本質的な議論は一元論か二元論かということになる
一元論=独我論であるならば絶対性など存在せず、二元論であるならば絶対性が存在する
これが最も本質的な議論ということになるね だから認識が存在者すべてに絶対性として共通しているのであれば、その証拠の一つとして、蟻やコロナウイルスが微積分解けることを示してくれよ 認識は外界の性質というよりは、認識する側の脳機能や意識、知覚の状態やフォーマットに依存しているので相対的であり、種によって、時代によって、物理環境の違いによって、それぞれ異なる
絶対性など言い出したら原始宗教と同じだよ >>247
独我論だから絶対性がないんだよ
要するに制限無く何でもできるってこと >>249
現実を切り取って抽象化することで絶対性が発生する
それをするならば、人間に限らず、すべての存在にその絶対性は適用されるってことだね だから、たとえば微積分という抽象化は、人間でなおかつ高等数学を解するもの、という限定付き相対的認識で、絶対ではない。古代ギリシアで微積分理解してた者もいない
知的障害者も赤子もアクセスできない、蟻や昆虫、他の生物圏でも不可能。
認識の絶対性は妄想か幻想かオウム真理教的なもの 境界に絶対性が生じるってことだな
一元論・独我論の場合は、境界が見えない
見えないだけで、実際は存在するのかもしれない
一元論・独我論でも境界が存在するならば、絶対性は存在するということになる
しかし、一元論・独我論では境界が存在するかどうかはわからないわけで、したがって絶対性が存在するかどうかはわからない
しかし、二元論では、現実と認識との間に明確に境界が存在するので、ここで必ず絶対性が生じる >>252
認識後のプロセスに境界はないよ
数学の形式自体は絶対的な物ではない コペルニクスもそうだが、認識などしばしば経時的に覆るものなので、元々、認識は相対的なものになる 認識というとあやふやになるが、要するにスナップショット化して記録する
ここで、絶対性が生じるってこと
なので、この処理を行う存在であれば、人間に限らず、その絶対性が適用される 数学だろうが何だろうが、認識はすべて相対的で暫定的なもの
ヒュームの認識が妥当 スナップショットなどいくらでも捏造、加工できる。それを絶対視するなど有り得ない
日本のお家芸のデータ改ざんも同じ というか、スナップショット化して記録するという行為自体が、事象を絶対化している
そこでフリーズしてい固定化させてしまうわけだから、
要する、認識という行為自体が、事象の絶対化しているということになるな 虚偽データを記録して、それを真、絶対と解釈してたら、滑稽だよ >>259
現実からのスナップショットの時点では、それぞれの内容は異なるだろう
そのタイミングやスナップショットの精細度も違う
しかし、それを記録した後は、その記録について一貫性が保たれるはず
それが事実性の絶対性であり、認識者が持つ絶対性ということになる しかし、ここのスレ主は哲学的なセンスがない。タリバンじみた思考の硬直化といつものお経 なので、同じ対象であっても、サーモスタットが認識する事象と、センサーカメラが認識する事象は異なるだろう
しかし、それをいったん認識した後は、その事実性に絶対性が生じる
それが事実性の絶対性、認識者がもつ枠組みの絶対性ということになる なんでスナップショットが事実性へと短絡するの?君、スナップショットがいくらでも加工できるのも知らんの?、このSNS時代に。証明写真機にさえ美白補正がついてるくらい 加工しても、加工した事実は追跡できるからね
そこで事実性の絶対性が途切れることはない
事実性の絶対性が決まるのは、あくまでも現実を抽象化した瞬間ってことだね 統計もいくらでも加工できるし、スナップショットも同じ。ショーンKのように経歴盛ったり、SNSのマウンティングなど、事実と違う現実はいくらでも認識できる。
そこに絶対性はない 要するに、事実性の絶対性を消すことができるのは、無作為だけってこと
そして無作為=アナログ=現実と考えることができるから、現実をデジタル化した瞬間に、その事実性の絶対性が
生じ、それは無作為によって打ち消されるまで、つまりデジタル化が解消されるまで継続するということだね
なので、デジタル世界においてのみ、事実性の絶対性は継続するということになる いや、追跡されてないスナップショットや捏造が発覚してない虚偽データや統計、犯罪などいくらでもあるだろう。
事実性など、そんなに簡単に絶対化できない。冤罪だってそうだ。どちらが真実かは外部からは定かでない >>269
外部からは見えなくてもデジタル情報として残る限り、事実性の絶対性は途切れることはないよ
デジタル情報の改変はすべて追跡可能 イーロン・マスクがtwitter休眠アカウント15億、消すんだっけ?
デジタルデータなんて、そんなもんです。紙の古文書の方が記録性が良いくらいw >>271
消したと言う行為自体は記録されるでしょう じゃあ、イーロン・マスクが消す予定の15億アカウントのデータを君が復元してみろよ
デジタルが事実性で絶対なんだから、出来なきゃおかしいよ
俺は認識はすべて相対という立場だからデータが消えても違和感ないが 事実が消去されたということが追跡可能であれば、そこで事実性の絶対性が途切れることはないよ
その事実は消去されたという事実が残る >>272
そういうはぐらかしと詭弁が君のお経デジタル認識なんだね 事実性の絶対性が途切れるとすれば、そんなものは最初から無かったと言えなければならない データが恣意的に外部から消去されるのであれば、デジタルが事実性を維持出来ないという意味になるだろう。
むしろデジタルの脆弱性に気づく契機になる。タレブが言ってた通りさ デジタル系内に記録されていなければ、その事象の事実性は残らない
例えば、ある環境で10111というデジタル情報が偶然に誕生したとして、それが一定期間後に消えたとすれば、
そのデジタル系自体が消滅してしまったので、そこでの事実性は残らないということになる
しかし、人為によって秘密裏に作成されたデータなら、その人の存在が消えるまで、その事実性は残るだろう
その人自体がその事実を生成したデジタル系を構成しているわけだから 紙に記録されたデータもデジタル情報だけどね
そもそもアナログは認識できないわけだけど だからイーロン・マスクが消去予定の15億人分のアカウントに事実性に基づくデータがあっても、本人が詳細に100%記憶したり別アーカイブしてなければ、その事実性のスナップショットは消えるわけだが?
この程度の保守性しかないデジタルに絶対性を幻視するとか、認知症だよ だから紙のデータも事実性は危ういんだって。史実なんて時の為政者の意向やイデオロギー偏向でいくらでも恣意的に書き換えられるし、それは追尾可能でもない。今のイーロン・マスクと同じ状況だ。
大化の改新の年号は、いつの間にか変えられて、また変えられるだろうから事実性は定位できない 聖書やお経も同じだよ。誰が書いたか分からないし、書き換えも頻繁だから、元の内容も全然復元できない
原初の事実性はあっという間に発散するので、信仰という絶対性(まやかし)だけが残る。君のお経デジタル信仰もそれに近い。天皇陛下万歳と同じだよ 結局は事実性の絶対性は、デジタル情報の複製可能性に依拠しているということだね
情報の記録という時点で時間軸方向にすでに複製されているわけだけど、
その複製が途切れた時点で事実性は途切れる
認識という行為自体が、スナップショット化とその記録なわけだから、その認識という行為に事実性の絶対性が
組み込まれているということだね
しかし、その記録が永遠に残るわけではもちろんない
事実性の絶対性とは、認識という行為そのものに付随する、あるいはその行為そのものということになるか
スナップショット化と記録自体が、事象の絶対化だから つまり、認識者にとっては事実性の絶対性は必ず付随するということになる
認識と言う行為そのものにそれは付随するわけだから、あるいは認識という行為そのものだから だから虚偽を真だと認識しうる状況を絶対性(真)だと表現している時点でおかしな認識だよ、それは
スナップショットはスナップショットに過ぎないし、そこに絶対性などはない。 事実性は揺らぐし、確実でないものも多い。STAP細胞も当初は事実性として受容され、後日、覆された。
人々はこの認識が事実性で絶対だと思っているが、STAP細胞はやはり存在していた、の可能性もゼロではない。
つまり事実性は相対的な存在ゆえに常に変位しうる 哲学徒であれば、認識の持つ危うさにもっと敏感であるべきだ
絶対など、思考停止で洗脳された宗教者が好む概念だよ たとえば、哲学で有名な水槽脳の思考実験があるが、あれも我々の外界認識が錯覚に過ぎぬ可能性を示唆したものだ。つまり、外界や事実性を
鵜呑みに出来ないという、認識論的な観点だ スナップショット撮っても、それが恣意的に消去される状況がデフォなんだから、普通、それはデジタルや事実性の絶対性などとは表現しない
むしろ事実性の危うさ、暫定性、決定不能性と表現した方が哲学的な認識になる 認知心理学では錯視や反転図形などの研究で、人間の認知機能の危うさを説明している
自分に見えているものが絶対なんて言い出したら世の中成立しない。精神病院にはそういう絶対性を述べ立てる人間も少なくないかもしれないが
間主観性は、そうした個人の認識のバイアスを除去する観点があるが、
集団的に合意された認識にも危うさや洗脳が介入しうるので、真の認識や事実性はそれ程、容易ではないということが分かる。 要するに、ある時点で得られるスナップショットに蓋然性がないんだよ
理由律、因果律がない
偶然によって、そのスナップショットが与えられる
つまり、そのスナップショットは絶対的なものになるってこと
何の蓋然性もなく、それがただ与えられるわけだから、それは絶対的なものになるってこと 要するに、認識者にとって、現実世界はそのすべてを認識できない超越的な存在ということだね
その超越的な存在からただ何の蓋然性もなく、現実の断片として与えれるスナップショットはまさに絶対性を帯びることになる
もちろん、これは二元論を想定した場合だけど
独我論・一元論の場合はまた別の議論になる >現実の断片として与えれるスナップショットはまさに絶対性を帯びる
君の理路は、ここがいつもおかしいよ
断片なら、相対でいいのであって、そこに絶対の名を冠してはいけない
絶対は、揺るぎのない網羅的な全体性に対して冠するもの
だから、絶対はない、という表現の方がスマートで妥当 (主観的な)絶対性を帯びるケースは、信仰者が神や教祖に見出すものとか、統一教会や
オウム真理教の内部的な信念とか、イデオロギーのセクト運動とか、イスラム原理主義とか
、天皇陛下万歳とか信仰的な対象に冠するようなことだよ たとえば、キリスト教信者たちが、キリストや教義や神の存在は相対的で絶対ではありません、
と言ったりはしないように、絶対性というのは宗教的な信仰領域に属する述語になる
科学も相対的で修正可能性に対して開かれている。キリスト教で、実はキリストは存在しなかった
架空の人物であったが成立しないのとは逆のケースになる。 相対すべき相手が超越してしまってるからね
絶対とならざるを得ない まあ、簡単に言えば、認識者にとって、事実は絶対性を帯びるということだね
もの自体は認識できないという言説を認めるならそうなる 逆だろう。物自体を認識不能な絶対性や不可視な全体性と措定すれば、
個々の事実性は断片としての相対であると図式化すればいいだけ
ソクラテスは「無知の知」といったが、そういう意味もあるだろう
知は不完全だから、絶対でなく常に相対になる
分かっていることより、分かっていないダークマターの方がこの世界には
圧倒的に多いということだ 超越的な存在から何の意味もなく与えられるのが事実ということになるから、そこには絶対性を帯びるということだね
結局、認識者にはある種の制限が課せられているわけだから、その制限によって絶対性が導入されるということだよ
その制限を絶対に超えられないわけだから だから普通の人間は制限があるものに対しては相対と呼び、
制限のない完全なものを絶対と呼ぶ
君は、制限のあるものの側に絶対を冠するから、常に意味不明になる >その制限を絶対に超えられないわけだから
こういう状況を普通、相対や限定と呼ぶ
限定合理性とかいう概念もあったが 制限があるから、絶対的な規則があるってことだよ
すべてが相対というならば、そこに何らかの規則はなく、したがって何でもできるということになる たとえば、哲学はリベラルアーツの類だから、広義の主観的な認識を扱っている、とみなしていい
だから、哲学の認識は絶対だ!と言い出す奴がいたら、それは馬鹿かキチガイとみなされてしまう
ことだろう
事実性の絶対性も、それと同じことをしている >>302
なんでも出来るよ。公理や定義の違いで。君の理屈だとプログラミング言語は
一個しか生まれないけど、それぞれ別のルールで体系化されている。
一言語が、この言語こそ絶対性である、という馬鹿な主張はしたりしない 認識者には絶対的な規則があるってこと
何でもありではない 絶対性は原理主義と同じ発想。普通の人は、違う見方や考え方、異なる規則やルールもあるよ、というのに、絶対性に固執する。 規則は相対的なので、君は出だしから間違えてるよ
ボタンの掛け違いというやつです ヒューマニズムにも絶対性はある
人間であるかどうかを絶対的な基準としている
しかし、これほどあやふやな基準はなく、それによって多くの混乱がもたらされている
いずれにしても、人間は何らかの絶対性に依拠するしかないんだろう
ポストヒューマニズムでは、実際に存在する絶対性に依拠しようということだろうな >>307
それは規則などないと言ってるのと同じだよ 例えば、ヒューマニズムで言うならば、相対評価によって人間かどうかが決まるということになる
それは要するにそこに規則、基準などないと言ってるのと同じ 基準は、それを作っている設けている側に依るのであって、
外部の絶対性になどには依っていない
将棋のルールは、別様であっても良かったのだが、
作った連中が、そう作ったからそうなったまでのこと
将棋やチェスのルールに絶対性など最初からありはしない たとえば、これこれは人間であるの定義は、それが絶対だからでなく、人間が定義している
からそうなるだけであって、AIに人間を定義させたら、アニメやフィギュアの人物でも
人間にカテゴライズされるかもしれないよ
黒人がゴリラと同じとAIに判定されたように いずれにしても、認識者にはある制限があり、そこから絶対的な基準が導出される
これが認識者を規定することになる
ヒューマニズムは何でもありの状況になるだけ
話し合いなんかで決められるわけもない
そうした相対主義が様々な何でもあり状態を作り出してきたのがこれまでの状況
その反省からのポストヒューマニズムの潮流だからね 世界が多様性として構成されているのは、それが保存や種全体の存続において
有利だからという理由があるだけで、そこに別に何らかの特権的、超越的な絶対性が
介在しているのではない。
だからルールや法、慣習は各国でバラバラで、様々な価値観がこの世界では混在する
風土的な最適化によってそれがもたらされていたり、または表面上は違ってみえても
深層では通底している共通構造などもレヴィ=ストロース的に観察できるかもしれないが ヒューマニズムの結果として最終的に至るのがポストトゥルースってやつだね
それを否定するのがポストヒューマニズムってこと >認識者にはある制限があり、そこから絶対的な基準が導出される
これがおかしいんだよ、理路として
認識者には制限があるので、そこからは相対的な基準しか導出されない
がロジック的に一貫している その制限は絶対に超えられないってことだよ
それを超えると、認識者ではなくなる
つまり、認識者を規定する絶対的な基準が存在するってこと 絶対の基準をどこから調達してくるんだよ
そういうのが原理主義的な宗教者の発想
認識は相対で誤れるもの、だから常に修正に対して開かれていないといけない >>314
動物的な集団主義を肯定する論調みたいだが、まあそれを否定はしないよ
ただ、それをする人は動物的な苦を甘受することになる
それを選択するかどうかは自由だな >>318
認識者には超えられない制限が原理的にある
それがデジタル化の意味だよ
そこで断絶がある
それを超えれば、認識者ではなくなる
これは認識の原理からそうなのであって、良い悪い、あるいはべき論ではない 認識者を規定する絶対的な基準が存在するってこと
でないよ
認識者を規定する相対的な基準が存在するってこと
健康に関する基準値もコロコロ変わっていくだろう
基準は相対的だから、そうなるのが当然になる まあ、話し合いで基準を決めるとか、集団動物主義の地獄になるだけ
核兵器が氾濫している現状では人類滅亡まであるだろ 認識者には超えられない制限が原理的にある
それが相対化の意味だよ
がまっとう >>321
認識者であるかどうかを相対評価で決めるのか
それは基準ではないよ 何かと比較することなく、それ単独で認識者かそうでないかを判断できるんだよ
それが絶対的な基準の意味 認識はAIでもできるから、認識は人間だろうがAIだろうが相対で基準も恣意的だよ 事象をスナップショット化して記録する存在であれば、それは認識者であると言えるよ
それが絶対的な基準
他と比較する必要はない >まあ、話し合いで基準を決めるとか、集団動物主義の地獄になるだけ
核兵器が氾濫している現状では人類滅亡まであるだろ
話し合い以外で、どうやって基準を具体的に決めるの? 1+1=2は話し合いで決めたわけだはないからな
その表現形式は話し合いで決めているが >事象をスナップショット化して記録する存在であれば
こんなでいいんだったら、フェイクニュースジェネレータも十分に認識者になりうるな >>330
デジタルである限り、その処理の過程をすべて追跡できるけどね
そうなるとフェイクでもなんでもない >1+1=2は話し合いで決めたわけだはないからな
話し合いに決めたものでしょう。公理についての数学者の共通の同意から始まって、
万人の納得できるものを提示しただけで。
プーチンみたいな個人がこれが絶対だと言って決まったのではない だから消去予定のtwitterの15億アカウントの情報をどうやって追跡するのか教えろよ 話し合いで決めた物なら、別のありようもあるはず
しかし、1+1=2は表現形式は違えども、本質的には変わりようがない
1+1=3と話し合いで決めれば、そこで論理系は破綻する
絶対的な基準として決まってるんだよ デジタルデータなんか全部、保存できるわけがないだろう
物理的に不可能。指数関数的に増えているからネット上でも制限があるし、
記憶媒体の破損やシステムエラー、ハッキング、いろいろ考えられる >>334
だから公理のとり方の問題。何回も言っているけど、記憶力悪いね、君
ZFC体系で今の数学は構成されているから、そうなっているだけ
別の宇宙があれば、別の1+1=3の数学がありうる
物理環境によっているだけだ まあ、話し合いなんかで決められる物は、ろくなものではないけどな
認識者の絶対性、事実性の絶対性がくびきとなって、どうにかまともに社会は運営されてるだけ
全部話し合いで決めたら、ポストトゥルースだらけになる 同一律が成り立つ宇宙なら、1+1=2だよ
成り立たないなら、論理系は成立しないだけ まともになんか運営されてないが
壺自民党で滅茶苦茶になって、日本で最長歴任の首相まで殺されているが また同一律とかつまんない話持ち出すのか。それはこの宇宙でたまたまそれが整合
しやすいから、それを採用しているだけで絶対性でもなんでもない
別の宇宙があって、この世界の同一律とは違うロジックがそこで展開されていても、
非整合的には全然ならない。 同一律が成り立つなら、1=1が成り立つ
両辺に1を加えれば
1+1=1+1
この1+1を2と定義すれば
1+1=2となる
1+1を3と定義すれば
1+1=3となる
しかし、それは表現の問題であって、本質は論理系が成り立つかどうか
つまり同一律が成り立つかどうかってこと いずれにしても同一律が成り立つ宇宙ではという条件が付くけどな しかし、話し合いで決めている訳ではないことに変わりは無い
話し合いでこの宇宙で同一律が成り立つかどうかを決めているわけではないからね だから、論理系も環境によっているだけ
ここと違う世界や宇宙では、こちらの論理系は通用しないだろう
宇宙人がいても、英語や日本語で話しかけても通じないだろう、ということ この宇宙では同一律が成り立つことで論理系が成立している
しかし、それは話し合いで決めているわけではないってこと あの世があるかどうかは知らんが、あるとすれば、あの世の論理が勝手に展開されている
だけで、この世の原理や論理とは全然違っていても少しも違和感ない
あの世は、場所や宇宙が全然違うのだから、違う法則で動いていてもおかしくないだろう つまり、この世にあるものは論理であれ、数学であれ、科学であれ、相対的で暫定的、
絶対性とは程遠い、くらいに見ないしておけばいい。
条件付きで限定的な真を問える、捉えられる程度のものに過ぎない いずれにしても「認識者にとっては」と但し書きのついた絶対性だけどな
宇宙全体の真理を言ってるわけではない 太陽光フレアの大規模爆発などで、地球環境が大きく変わるような変異が生じれば
既存の物理学や電磁気学が破綻、通用しない場面なども出てくることもあり得るだろう
つまり、科学は絶対性に依っているのでなく、たまたま今ある環境に依っているだけなので、
いつでも書き換え可能になっている。つまり、相対的なものである 認識者が存在できない状況では、認識者にとっての絶対性を考えることも無意味になるだけだよ だから俺の言っていることは、ヒュームと同じ立場になる
絶対性を認めない。 まあ、お望みなら同一律に依拠する論理系を持つ認識者にとっての絶対性と言い換えても良いが
どちらにしろ条件付きの絶対性だからな みんな毒ワクチンを打ちまくっているが、それで遺伝子や脳機能に変性や変異が
生じたりしたら、既存の生理学では対応できないような事態が将来起こっても
全然不思議ではない。
人間の知識など、限定合理性の盲に過ぎないので、それを超えるようなことは
いくらでも生じうる ソクラテスは死ぬ、すべての人間は死ぬ、が絶対で、真なる命題とされているが、
それだって将来ずっと真であり続けるのかは、バイオテクノロジーの発展いかんで変わって
くるだろう。
今後、不死の人間が誕生してもおかしくないわけ。つまり、絶対性というのがフィクションに
近い代物なんだろう。 シンギュラリティも同じだ。いろいろ意見はあるが、実際どうなるかなど分かるわけない。
人間の認識は限定合理性なので、制限されているから、構造的に真をつかめないように
できている。
だから、認識は相対的である、と考えていい 認識には絶対的な枠組みがあるってこと
認識は絶対的な規則に基づいて行われる
そこを逸脱することはできない
例えば、いったん記録された事実が何の理由もなくて変化すれば、それは認識者から逸脱するということになる 逸脱しないよ。君の認識のレベルが低かったのが可視化されるだけで 何の理由もなくというのは、勝手に変化するということ
そうなると認識者とは言えなくなる
痴呆老人のようにね ダークマターの方が多いので、勝手に変わっているのでなく、解明できない要素が多々あるのがこの世界。
宮台殺傷も、犯人も未だ特定出来ず、逮捕できるか、犯人が生きているのか、国内にいるのかさえ不明
人間の認識力など、この程度の不完全なブラックボックスに過ぎない、絶対性からなど程遠いのが現実だ 要するに、こうだよ
この宇宙について、あるいは目の前のなにかの事物についてでも良いが、
それらは完全には認識できない
つまり完全には認識できない世界がまず有る
それに対して、完全に認識できるものもある
たとえば、記号AはAであることを完全に認識できる
文字「あ」は「あ」であることを完全に認識できる
このように、この世界には、完全に認識できるものと、完全には認識できないものがある
その二つの区域の境界に絶対性が潜む
そして、これはその定義から、認識者にとっての境界であり、認識者にとっての絶対性ということになる Yuk Huiという香港の哲学者の著作タイトルはなかなかゾクゾクするものがあるな
On the Existence of Digital Objects
Recursivity and Contingency
このあたりは、タイトルでは期待度大な感じだが、どうかな Recursivityが生じるのはDigital Objectsのみ
それに対して、Contingencyはアナログを指し示すことになるわけだが Recursivity and Contingencyは邦訳「再帰性と偶然性」がそのままのタイトルで出ているが
5000円もするな 認識という行為が乱暴に事象を切り取る行為だからな
絶対的な断絶が生じるってこと
そこに起因する絶対性が、たとえば記号AはAであるなんていう絶対性がなければ
成り立たない言説を可能にするんだよ
その言説を否定すれば、最終的には認識という行為はその根本から解体される
断絶があればそこに絶対性がある
その絶対性を避けたいなら、完全に滑らかなグラデーションであることを示さないと行けないが
しかし、認識という行為そのものに潜む断絶性がそれを許さない 現実には、同じ物は存在しない
そこにある椅子は次の瞬間には同じ椅子ではない
ある瞬間にその椅子のスナップショットを記録し、それを一定期間維持することでのみ、同じという概念が可能になる
記号AはAであるというときも同じ
それを否定すれば、その認識の仕組みそのものを否定することになり、認識という行為、あるいは認識者そのものが
解体される
要するに、同じという概念が存在することを認めるなら、AはAであるという言説はいかなるバリエーションをとっても
本質的にはそれが可能になる
この言説を本質的に否定するなら、同じという概念そのものの存在を否定することになり、それは
スナップショットを一定期間記録するという行為そのものを行っていないということになる
すなわち、認識という行為そのものの存在が否定されることになる 要するに、認識者にとっては、同じという概念が常に必ず存在するということ
そしてこれこそが認識者にとっての絶対性ということになるね >>364
つまり、「再帰性と偶然性」にこそ、その絶対性が潜むわけだね
この著者はそれに気づいているかな 認識者にとって、同じという概念が絶対に存在するという言説こそ、
限りない相対主義をついに断念させるものになるね 同じという概念が成り立つことで、ループ、再帰が可能になる
再帰が可能になれば、そこに絶対性が生まれる 結局、アナログは認識できないという当たり前の事実がしっかり認識されたことがエポックメイキングになったな
これによって、すべての根本概念が変わろうとしている
元はカントが指摘していたことなのに、その咀嚼に300年もかかるとはな 要するに、この世界には認識できないものと認識できるものを隔てる、脱構築不可能な絶対的な構造が存在するってこと
この絶対的な構造から、認識者を規定する絶対性が導出される、あるいは導出されているということになるね 認識出来ないものは果たして存在しているといえるのか 認識できるものはデジタルなわけだけど、それではデジタルでないものはこの世界にあり得るのかってことだね
結局、デジタル自体に絶対的な構造が付随してしまうから、それを解消するには、その背後にあるアナログ(ないかもしれないが)
と合わせた脱構築が求められる
しかし、そのアナログを認識できない、あるいはないので、そうした脱構築ができないってところか そもそも、「ない」という概念自体が絶対的な構造だから、それを認めてしまうと
絶対的な構造がそこで発生してしまう
二元論の境界に伴う絶対性か、「ない」ことを認めることで生じる絶対性の二択だな 数学の絶対性なんかも、この構造の絶対性から生じてるってことだね さらに言えば、もしデジタルの背後にアナログが「ない」のであれば、それは認識者にとってだけでなく
宇宙の真理として絶対的な構造が存在するということになる
この場合は、絶対性が宇宙の真理になってしまうってことだな 要するに、「ない」という概念は、あくまでデジタルしか認識できない認識者の概念であって
それが本当に「ない」のであれば、この宇宙全体が1つの認識者ということになってしまう
もちろん、「ない」という概念によって生じる絶対性が、この宇宙全体に適用されることになる こういう思考方法がメイヤスーの言う「思弁的」ってことだろうな
「思弁的」に思考することで初めて、哲学は可能になる 認識の粒度の問題だな
人間の認識は全ての情報を拾える訳じゃないが、だからといって「ない」事にはならないみたいな 技術の進歩は凄まじいな
このスレは最も基本的な話なので、いくら技術が進歩しても有効だとは思う
こういう基本的な話を抑えておけば、技術の進歩がいくら凄まじくても恐れることはない AIによって固有性を喪失させられるという事が既にクリエイティヴ関連で起こり始めている
AIを操作する主体に責任を帰属させる他ない訳だが、それがかえって著作物自体に帰属する固有性の有無を反証してしまうだろうと思う 固有性、芸術性、エンターテインメントは人に喜びを与えると同時に、苦をもその表裏一体として与える
最終的に人類は、前者を享受するよりも、後者を排除することを選ぶだろうと思う 固有性も結局はパターンによって表象されるが、人間の認知のメカニズムがそれを覆い隠してしまっている
芸術も突詰めればアナロジーであって、高度に抽象化されたパターンに過ぎない いずれにしても、人間自体が複製可能な方向性に技術が進んでいくから、真に固有性の喪失に至るだろう
これは、人間が本能的に固有性こそが苦の原因であることを見抜いているので、したがって技術はそのような方向に進むんだろうと思う AIが汎用化されたとしても脊髄反射的に固有性を反復し続けるだけで、それは人口培養やゲノム編集の様な有機的な機序に従った模倣の場合においても変わらないと思う
もっと言えば、固有性は認知のフォーマットそのものにあるから固有性を排除していくには感覚器官の拡張等では駄目で寧ろ身体性を徹底的に排除していく事になる 認知の問題はあまり重要視してないかな
本質的に固有性がなくなれば、認知もそれに従うだろうと思う
好きなときに複製できる、あるいは好きなときに個性を交換できるという状況になれば
いくら認知に問題があってもそこに固有性を見出すことはもはや不可能でしょう 固有性は文化や伝統といったコードと結び付いているから、固有性が喪失すればそういった人間社会を維持する為の価値規範も失われる事になる
テクノロジーの進歩や個人主義による共同体の脆弱化があっても尚生殖能力が強力なコードとして機能しているのは、各々が身体を拡張した現実に意味を見出しているからでありそれこそが固有性の源泉に他ならない 人間が身体に固執する限り、コードに従って生産性のない自然界の営みを反復し続ける事に甚大なリソースを裂き続ける事になる
こういった滑稽な事態を終息させるにはコードを単純に書き換えるだけでは駄目で、人間による文明社会を可能な限りシュリンクさせAIに運命を委ねるという選択肢も必要だろう 220 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2022/11/02(水) 11:40:51.87 0
デジタル化は、もう人間いらないよ、という世界を構築するための方法なのに、そこを履き違えてるのが多いので笑える デジタル = 1か0か = イチかバチか(オール・オア・ナッシング) >>395
結局、0の存在だね
これがあるなら、デジタルであり、論理系であり、複製可能であり、認識者ってことになるな
つまり、もともと認識者は複製可能であり、したがってそこに固有性は存在しないということになる
そして生殖の問題だが、例えばAIなんかだと無限に美人画像を生成できるわけだが、さらに
無限に美女ロボットを生成できるようになるとどうなるだろう
あるいは、そういう認識を可能にするインターフェースができればどうだろう
そもそも、そこに意味が生じるのは、脳内物質による興奮があるからで、その仕組み自体が意味を失ってもそぎ落とされる可能性もある
生殖自体、人口的なものに置き換えられ、さらに認識者がIT化されれば、ほとんどゼロコストで複製可能になるので、生殖自体が
意味を失う 美人には固有性があるけどね。モンゴルでの美人と日本での美人は全然違う
蓼食う虫も好き好きだから、美人の定義も自明ではない 時代によって、地域によって、美人の定義や判断は異なる。それを普遍化できない。
美だけでなく、あらゆることがそうした普遍化を免れてしまう。
LGBTQとか、安楽死などの倫理においても同じことだ。要するに、そう簡単には
一意収束しないと考えられる つまり、この世界は多様性によって保険をかけて、なんとか系としてシステム
全体を維持するように作動している。いわゆるベクトルが多方向に揺らぐのが
この世界であり、それを仏教では無常と呼ぶ 最終的には固有性が苦の原因だからね
生物としては、多様性・固有性に保険を掛けるのは正解だろうけど、認識者としての苦はそれを排除する
選択をするだろうと思うってことだな
生物は無作為性を利用として切り捨てを行い、それによって進化するわけだけど、認識者としてはその方法は許容できない
無作為に頼らず、エミュレーションを使って、最初から進化の方法を切り捨てなく模索するだろう そして、ヒューマニズムだとこの生物性がすべてになってしまう
だからポストヒューマニズムの時代ということになるな デジタルの役割は人間を環境から切り離す事で徹底的に無価値化し、環境とAIを橋渡しする没個性的なインタフェースとして存続させる事にある
人間なき後の世界においては、如何なる偶発的な不幸も生じ得ない永遠の安寧のみが訪れるだろう 私利私欲を追求する庶民はアナーキー(無政府状態)になりがちであるために、かつては思想統制によってそれを規制したが、近年では環境管理のAIが思想統制に取って代わった[1]。結果として中国ではAIによる人民の管理が進み、ますますデジタル技術が拡大している[1]。 欲望もなくなっていくからね
アップロードされた後の精神が何かの欲望を持っているというのもなかなか考えにくい
徐々に観察するだけの存在になっていくだろう このあたりの話題がすでに哲学の主流でなければおかしい
生まれ変わりの可能性も含めて ライドシェアが話題になってるが、デジタルの本質というのは、無作為に紛れ込ませる
ことなく、それぞれを追跡、識別可能にするってことだから、ライドシェアの
場合も、そのサービスに参加する個人を直接識別して、その身元を明らかにする
ことで、可能になる効率化ということなんだろうな
こういうデジタルの本質を理解していれば、それを応用したサービスの可能性というのは、いろいろ考えられると思う 乗る方も乗せる方も身元が確実に把握されるから犯罪なんて起きないだろう
フリーターみたいな人でもやれば良いんじゃないの?
デジタルの威力を社会に周知する良い機会になる
これで社会全体の風通しが良くなって社会がかなり変わる可能性すらある デジタルによって間違いなく社会全体の利便性は向上するだろうけど、人間の思考には透明性がないからね
少なくとも為政者が思考を管理させる事は考えにくい 「米国の後追いをしてほしくない」メディア理論家のラシュコフへのインタビュー 日本にむけたメッセージも(Book Bang)
https://news.yahoo.co.jp/articles/2efd7b3042512f428ee232dba8ce3c288fabdc2c
『デジタル生存競争』の原著タイトルは『Survival of the Richest』。直訳すると、「超富裕層のサバイバル」だ。シリコンバレー特有の「マインドセット(思考パターン)」を舌鋒鋭く批判。世界の終末に備えるテック・ビリオネア(億万長者)たちの地球脱出志向や火星移住計画を「バカバカしい」と一蹴する。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています