>>142
私としても、常々7氏が主張しておられるように、
ある種の二元論なり多元論なりは必然だと思います。
ただそれは認識論レベルであって、存在論的には一元的に集約するべきだと、
というのも世界が多重構造を持っているのが不自然に感じられるためです。
互いに還元できない異なる実態が何故同じ世界に存在するのかよくわからないし、
その様に成立させるメカニズムもよくわからない、
そもそも普通の人が考えるようないわゆる物質は科学的に否定されているわけだし
観測されている物質とされるもののふるまいも理解を越えています、
従来とは違う世界モデルを模索することはむしろ自然な気がするところですけど
(むしろ認識を改めつつの唯物論ならアリだと思います)、、
あるいは人間というのはそんなに簡単には行かないものなのかもしれません。

しかしそうは言っても実際に存在しているであろう「何か」という概念も
認識上は別の何かとの対比で成立できている気がします。
で、私の結論的にはそれは「無」だと考えます。
たとえばその様相については「物質」とか「精神」とかの概念が必要になり
その対比の中で語るべきものだったとしても、
それ以前にそれは「存在」であり、そしてそれは「非存在」との関わりで成立するのだろう
という流れです。
馴れ合いとか言われそうな展開でしたが、目下の率直なところです。