>>354
私は唯心論ではないけれども汎心論はそのままです。

ところで石ころにも意識はある気がしてきました。
この場合の意識は女王的な意識のことです。
ただし「意識」の定義が微妙です。
今まではどちらかというと「意識」は「精神」のあり方のひとつ
というイメージをもっていました。
しかし「精神」ではない「意識」もあったということを思い出したのです。
集団意識とか群集心理とかいうやつのことです。
「その場の空気」みたいな実体のないものを想定しています。
もし素粒子レベルに精神が内在するなら
その集合には人間社会の集団意識にあたるものが成立するだろう、
となると石ころにも例えば「性格」のようなものは
ただしあるとすればうっすらでしょうけれども、あるかもしれない、
あるいは植物は長い時間をかけて動いている、
動かないものという印象は私たちの勝手なもので、
体感的な時間が流れるペースというのはいろいろあり得ますが、
人間よりも早いペースで生きている生物からすれば 人間は
人間にとっての植物のような ほとんど動かないものかもしれない、
石ころには変化しないものというイメージがありますが
じつは棘皮動物と同じくらいにさえ変化するものかもしれません。