>>416
私は見誤っているかもしれませんので問題を整理させていただきます。
「速度」を例にとります。
普通 速度は「時速50キロ」みたいに表現します。
これは一時間あたりに何キロ進むのかということです。
しかし1キロを何分で進むのかという考え方もあるはずです。
「キロ速10分」のような表現もあり得るということです。
これは時速という概念が相対的なものにすぎないということを表しています。
ただ、時速もキロ速も同じことの違った言い方のような気はします。
それらの背後には絶対的な何かがある気がするわけです。
そして私はそれに異を唱えています。それは幻想だということです。
その背後にあるものは、さらにその背後にあるものから見れば
時速のような相対的なものになるだろう、
たとえば「速度」というのは自然固有ではなく人工的な概念であろう、
ただ、そのさらなる背後はどうなっているのか、
そしてさらにさらにと遡っていったとき、最後はどうなるのか
ポイントは絶対的なところに到達するのか否かです。
あるいは「時速と表現している現実」は絶対的な何かかもしれない、
しかしそこまで至る過程は始めから全て相対的に確定してきたのではないだろうか、
というのは予め絶対的なものがある気がしないためです。
あるいは絶対とされたものは何をもって絶対とされたのか
そのような根拠はあり得ないという印象があります。
物理学的な空間が絶対空間によらずに成立できるように
世界も限りなく相対的に成立してきた可能性があるということです。