>>20
>「ルール」を守ったものですか?それとも「ルール」を改変したものですか?
私としては、ここではルールは守ってやっていくつもりです。
しかしそのルールが絶対なのかという問題提起はしていきたいと思っています。

「1+1=5」でいうと、これはanonymouse さんの表現でしたが、
彼は「理性と狂気は紙一重」みたいな表現もしていたこともありました。
私に言わせれば「理性は狂気のひとつ」なんですが、
つまり私の理解では「1+1=5」は狂気です。
テーブルの上にリンゴがひとつ有って、そこにもうひとつリンゴを足すと
全部で五つになるということ、
そしてこれは誰かにとってはリアルの可能性があるはずです。
そういう人はキチ○イ病院行きになるわけですけれども
そこでやっぱり一応何故「1+1=2」なのかという疑問を持ちます、
これは何故そのような表現が正常とされるのかという意味ですが、
私の考えではそれは、リンゴがひとつあるところにもうひとつリンゴを足すと
リンゴはふたつになるから、ではなくて、共通理解が成立したから、であろうと。
たぶん「1+1=2」以外で共通理解が得られる可能性は極めて低いだろう
けれども、もっとも重要な要素は「整合性」ではなくて「共有可能性」、
となると整合しないことが共有されることもある、
あるいは構造的には「1+1=2」を選択するのも「1+1=5」を選択するのも同じこと、
「1+1=5」が狂気なら「1+1=2」も構造的には狂気ということになります。
私たちにまともに考えられる保証は無いということです。