誰も自らが正気であることを証明出来ない、というのは批評空間から逃れているからだろう。自分で自身の正気を証明出来なくても人々によりそれを確かめられる。

それ故に、同意のあるルールと無いルールを同じだと言うことは出来ない。また、他者の正気を否定する相対主義者の発言の正気はどのような根拠に支えられるか。

この自己矛盾から逃れることが、いよいよハードプロブレムになってきた、と言うことなら、指摘はするが、この自己矛盾は追求はしない。