>>523
意識の外側は無い という考えに基づけば「表現した側」とか「神」なども
意識に何らかのかたちで現れているということでしょうか。
「表現した側」が同時に「表現された側」でもあるとすれば
超球面さんの「自分を踏んでコケるバナナの皮」に通じる気もします。
電子はそのものを直接意識でとらえることができません。
しかし電灯がついたりパソコンが動いたりすることを考慮すれば
そのようなものを想定するのが普通の流れでしょう。
さて、時計さんは電子をどのようなものとして想定していますか?
なんなら答えはシュールレアリスムのような抽象的なものでもかまいません。
電子とは燃える麒麟のようなものだ みたいな

ちなみに「私」という概念が消えたとき
それでも「何か」は残ると考えますか?
「何か」が残るのであれば それについても考えてみたいところです。