>>536
能動と受動の問題は、私が懐疑的としている因果率とも関わってきます。

私が因果率に懐疑的な理由はとりあえずふたつあります。
原因は厳密には確定できないといううこと、
ある現象が次に起こる現象をひとつに収束させるメカニズムがある気がしないということ、
ただし二つ目は最も基本的な状況においてのことです。
次に起こることというのは無限の可能性があります。
最小の世界には制約する要素がない気がするのです。
しかし複雑な状況があるところでは次に起こることが絞られてくる、
ひとつしかないことさえあるでしょう。
しかし結果は統計的なものでしかあり得ないというのが私の印象です。

さて、因果率が虚構となったとき、能動とか受動とかをどうとらえるべきなのか、
能動というのは自らが原因になるということですが、
例えば意思が原因になるということはどのようなことなのか、
私は一方で生物の能動性を主張し、一方で自由意思は無いと主張しています。
さて、このことには今さっき気付いたと言って過言ではありません。
運命や如何に。