>>612
私の基本は 扉が閉まっている冷蔵庫の中の牛乳は存在していない です。
牛乳というのはつまりあの白くて臭い液体のことで、
白さや臭さは意識の中にだけ生じるものであり、
仮に扉を開けて牛乳を見ていたとしても
それは意識の中に有るのであって冷蔵庫の中にあるわけではない、
扉が閉まっている冷蔵庫の中には何かがあるかもしれない、
しかしそれはいわゆる牛乳ではない、
同様に背後には(意識に現れていないのであれば)何も存在しないし
その理屈では他者の意識も存在しない。
冷蔵庫の扉が閉まっているとき中の電気は消えていて
扉を開けたときに電気が点くように、
物体は認識されて初めて存在できる
というか存在は認識されて初めて実現されるというかんじでしょうか。

いずれにしても私としては「他者の意識は存在しない」では終われません。
あるいは物体と意識とは違う気もする。
汎心論では牛乳にも意識はあることになるけれども
ここではひとまずその問題は置くとして、
とりあえず他者は不可解な行動をとるのが目につきます。
例えば交差点では赤信号だと止まったりします。
止まる確率が高いとするべきでしょうか。
とにかくそこで私は彼らも色を見ていると仮定します。
他の可能性は ありそうなものとしては 思い浮かばないのです。