>>709
>物質は幻想だとは言っていなかった
それ以前に『単子論』に「物質」とか「精神」とかは出てこなかった気がします(本当か?)。
私の理解ではモナドというのは裸の単子も含めて主体性のあるものであり、
物質か精神かで言えば精神です。
世界に存在するのはモナドだけ、つまりある種の唯心論であり、
のみならず汎心論でもあるんですが、
ただしモナドのあいだにネットワークは無い。
さて、ライプニッツ自身の意識もモナドのひとつということですけど、
彼がどのようにして他者の存在を認識できたのかはナゾです。
これについてはむしろ「御愛嬌」なんだろうと思うことにしています。

せっかくなのでライプニッツの「モナド」と私が想定している「精神」との違いに関する
私の勝手なイメージです。つまり根拠は薄いです。
ライプニッツによると「モナド」は神がつくったもので、たぶん1個でも存在できるものです。
むしろ自分以外のモナドの存在は証明できないくらいです。
それに対して私が想定している「精神」は他との関係の中で生じるものです。
じつは他者の存在は証明できないことに変わりはありませんけど、
精神の内部に現れている表象は外部からの影響によるもので、
外部からの影響をすべて取り除いてしまうと何も残らない、
つまりスクリーンやスピーカーみたいなものは無いという 考え方 です。
これはじつは深い根拠がありませんけど、
私としては「ある気がしない」の一点張りになります。
私としては「存在」は関係の中でしか成立できない気がするのです。
ゆえに印象として「精神」は存在しているということとは微妙に違うかんじがあります
(「モナド」は存在でしょうけれども)。
ちなみに「関係をもつ」にはビフォーとアフターとが必須のようにも思えます。