>>812
最近私は「被写体にあたるもの」という微妙な表現をしていますが、
私はそれが客観的に存在するものだとは考えていません。
そこで度々繰り返したピクミンの話になります。
ピクミンは実在しないどころかセル画ですらない、
もとはたぶんコンピューター言語か何かによる情報だと思います。
同様に、私たちが体験しているクオリアのもとは、
情報処理システムとしてのネットワークによって単純なものから複雑なものへと進化した
何らかの情報だろうと私は考えます。
ちなみにその情報は どこにキープされているのかというと
たぶん 個々の深層にあるのではないかと見ています。
マザーコンピューターのようなものがあって
そこから個々に配信みたいなことはある気がしません。
しかしその情報は 言わば「見えざる手」によってコントロールされているのであり
個々で書き変えられるものではない
(「見えざる手」によってエントロピーが増大するごとく均質化する)、
つまり世界像が共有されているのは結果だ ということになると思います。