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【イレイザーヘッド】柄谷行人を解体する75【の現在】

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0001デヴィッド・リンチ先生
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2024/01/01(月) 17:11:17.560
            _,,  ---一 ー- ,,,_
   、_,,,, _,, -.'"           ` 、
 ミ三ミ三ミ三ミミ        俺エホバー  ヽ_,
-==三ミ彡三ミミ     ,,=-==     ==、 iミ=-、_
_,,ンミミ三ミ三ミミ]  -彡-一 ー-、 r一 ーミ、|ミミ三ミ=-'
_, -==彡ミ彡ミミミ|  ン| ,=て)> (|ー| ,て)>、 ||三ミ彡==-'
_,彡彡三ミ三ミミレ'~ .|. '     |  ヽ   `  |ミ三彡三=-、  
(_彡三ミ彡ミミミ'   ヽ、    ノ   \__ノiミ彡ミ三=ー  ストレート100%アロエジュース  うちに沢山余ってるの   
ー-=二三ンーミミミ     `ー /(_r-、r-_)   .|彡ミ三=-、
)(_ミ彡ミ| i' ヽヽミ       | : : : __ : :__: :i   .|彡ミ三=-、_         買わないか?    
と彡ミ彡ミヽヽ<ヽミミ      |: ン=-ニ-ヽ、   .|彡ミ三==-   
 彡ミ彡ミミヽ  ) `    、 .' <=ェェェェェン |    |彡ン=-=           
 -==彡三ミ `ーヽ : : : : : :i: :  `ー--一''  : : ノミ三==''
 '' てノこミ彡三ミ`i : : : : : :ヽ: : : .      .:, :/ミ三=-、      
   '' 三ミ=三三ミ|ヾ、: : : : :ヽ: : : : : : : : :_ノ:./三=-'
     -=='' ̄て.|  : : : : : :::::: ̄ ̄ ̄:::::::::|彡


Eraserhead - Trailer
https://www.youtube.com/watch?v=J0Eq5GtCYdA


ちなみに、例えば「綺麗になる」って目標が有るとしましょう
ダイレクトで「綺麗になる」って、できないことにみなさん気がつきましたか?
「綺麗になる」にはその一歩前の「条件」が必要なんです

「ストレートアロエジュースを飲む」には、アロエジュースを購入するという「条件」が必要なんです
そしてその「条件」が成立するには、さらに一歩手前の「条件」が必要なんです

なにがいいたいかというと、「聖霊に赦される」ためには「点」ではなく「線形」で捉える必要があります
いきなり「聖霊に赦される」ってがんばっても、ほぼ失敗に終わります
なぜなら「聖霊に赦される」ための「条件」がわかってないし、「条件」が満たされていないからです
0638考える名無しさん
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2024/05/03(金) 19:40:08.840
サックリ言うと、柳田国男の山人への言及を柄谷はアナキズムへの導入にしたかったんだろう。
柳田国男の「山の人生」の終わりの方に、柳田の「山人」の要旨がある。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/52505_50610.html
これが書かれた1917年の7年前の1910年が幸徳秋水の幸徳事件で翌年に死刑執行。
柳田は治者の側から幸徳事件を見たんだろうが。
日本のような細長く小さな島の山国では山人は同時に海人でもある。
幕末の土佐の最奥の山人は朝早く家を出て海近くの高知城下の塾に来て学び、
昼過ぎに塾を出て日が沈んでから、家に帰り付いたという。
0639考える名無しさん
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2024/05/04(土) 08:11:06.480
>>618

補足。

原父殺し後 
偶像崇拝段階=(柄谷の言う)共同体の宗教の段階における超自我的規制は集団的かつ「外在的」。

モーゼ殺し後
偶像崇拝の禁止段階=(柄谷の言う)普遍宗教の段階における超自我は個人的かつ「内在的」。

おそらくこういうことだと思う。
0640考える名無しさん
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2024/05/04(土) 08:25:20.560
『フロイト理論におけるエディプスコンプレックス概念の形成と変遷』
網谷優司

〈人間は「法」を象徴化して共有しないと、集団を形成することはできないだろう。「法」の象
徴化や共有を可能にするのがほかならぬ超自我なのだが、クラインは超自我の成立とフロイト
のいうエデイプスコンプレックスの克服を切り分けてしまった。このクラインの所作には、精
神分析においてプレエディパルなものへの関心を高め、古典的なエデイプスコンプレックスの
重要性を低下させてしまった而があると思われる。
しかし、今日まで精神分析が思想史において大きな価値を有しているのは、フロイトがエデ
イプスコンプレックスを応用して集団や文化について論じることの可能性を切り開いたことに
よっている。〉
0641考える名無しさん
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2024/05/04(土) 08:34:17.650
網谷氏の述べる通りだと思う。

柄谷行人のように「死の欲動の観点〈のみ)から見る」のなんのと、
クライン説をつまみ食いしたようなことをフロイトの説だとでっち上げながら、
『モーゼと一神教』がどうしたこうした、とかと論じるのが、そもそもおかしいのである。
0642考える名無しさん
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2024/05/04(土) 09:51:33.580
第三回長池講義 柄谷講義要綱
2009/3/28
柄谷行人

第三回長池講義 要綱


 未開社会には、贈与の義務あるいは互酬的な諸制度がある。それは共同体の形成と維持を目的とするものであることはすでに示した。しかし、それが、なぜいかにして共同体の「至上命令」として出てくるのか。この疑問に正面から挑んだのは、フロイトだけである(『トーテムとタブー』(1912年))。私の考えでは、フロイトが考えたのはトーテミズムの起源というよりもむしろ、未開社会における「兄弟同盟」、つまり、「兄弟同盟のすべての構成員に平等の権利を認め、彼らのあいだにおける暴力的な競争への傾向を阻止する掟」がいかにして形成されたのか、ということである。


 フロイトはその原因を息子たちによる「原父殺し」という出来事に見いだそうとした。(中略)

 くりかえすと、フロイトは、氏族社会の「兄弟同盟」システムがなぜいかにして維持されているのかを問うたのである。私の考えでは、それは、氏族社会が国家に転化しないのはなぜかを問うことにほかならない。理由は、国家=専制的な父の生成をたえず阻止するシステムがあるからだ。いいかえれば、氏族社会が「原父殺し」をたえず反復しているからだ。それは、トーテムにかぎらず、さまざまな互酬性の実践において反復されている。国家の生成を妨げるかぎりで、戦争もその一つである。つまり、「原父殺し」は経験的に存在しないにもかかわらず、互酬性によって作られる構造を支えているのである。それは事後的に遡及的に見いだされる原因である。ゆえに、「原父殺し」という考えは、太古にそのような原父はいないからといって斥けられるものではない。
0643考える名無しさん
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2024/05/04(土) 09:55:19.310
「エディプス的問題」から見るのを、↑のように、肯定している論考もある。
この無定見さというか、インチキぶりが、柄谷先生の持ち味なのである。
0644考える名無しさん
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2024/05/04(土) 09:58:32.490
訂正
×2
フロイトはその原因を息子たちによる「原父殺し」という出来事に見いだそうとした。

〇2
 フロイトはその原因を息子たちによる「原父殺し」という出来事に見いだそうとした。むろん、これはエディプス・コンプレクスという精神分析の概念を人類史に適用するものである。
0645考える名無しさん
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2024/05/04(土) 10:06:49.050
「氏族社会が「原父殺し」をたえず反復している」(柄谷)

これならば、反復強迫といえる。この2009年当時は、ルネ・ジラール『暴力と聖なるもの』などを粗雑かつちゃちにしたようなことを述べていたので、
柄谷交換様式論にしても、よくできたブログ記事くらいの出来ではあり、何とか読める代物だったのだ。
0646考える名無しさん
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2024/05/04(土) 10:37:45.730
兄弟同盟は兄と弟の扱いに差をつけることで、兄弟の間に離反を作ることで破壊できる。
俺の親爺も複数の叔父もそういうことをやってたね。
エディプスコンプレックスの流布のおかげで、父親は気に食わない息子を過度に警戒するようになった。
普通は母親に性的執着なんか無い。
ジャネットも親父を憎んでたんだろうなw
柄谷は一人息子として親父に随分と可愛がられて育ったようだ。
0647考える名無しさん
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2024/05/04(土) 17:50:48.810
交換様式Aにおける最重要な交換の対象は、女である。
族外婚の成立と近親相姦の禁止を論じるには、「エディプス的問題」から見なければ、しょうがないだろう。
柄谷行人は、フロイトの理論についてあれこれ述べながら、
最も肝心な女の交換の成立について言及を避けているので、トンチンカンなことになっているわけですよ。
それに、「原父」というのは、なにを独占しているかといえば、それは女である。
そして「原父殺し」の後の兄弟同盟の最重要な盟約というのは、女の共同占有についてのものなわけだ。
0648考える名無しさん
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2024/05/04(土) 19:48:50.910
>>それに、「原父」というのは、なにを独占しているかといえば、それは女である。

創価のデブで不細工な尻の馬鹿デカい女は勝手にしてくれww
0650考える名無しさん
垢版 |
2024/05/06(月) 08:44:44.650
エディプスコンプレックスといっても、大体はフロイトの非常に偏ったエディプスの生涯解釈が元になってる。
エディプスは自身の実父殺しと近親相姦が明らかになった後も何年も生き続け、戦争に従軍したというから、
盲目になったというのは嘘になる。
0651考える名無しさん
垢版 |
2024/05/06(月) 13:02:06.050
≫フロイトの非常に偏ったエディプスの生涯解釈

そんなことはぜんぜんない。
ソポクレスの『オィディプス』、アリストテレス『詩学』のオイディプス、
それ以来の定番のオィディプスにもとづくものである。
0652考える名無しさん
垢版 |
2024/05/06(月) 13:09:59.260
2022年版真・北斗無双というゲームのプレイ動画をみた。
おもうに、「原父」や氏神としてのトーテムについては、おおくのネット民にとって、
『北斗の拳』に登場する牙大王・牙一族をみれば、
もっともイメージをつかみやすいものではないか。なお、牙一族の「トーテム」は、狼である。
くわしくは、Wiki『北斗の拳』を読めばわかるだろう。
きっとマンガ原作者の武論尊のほうが、柄谷行人よりも、正確に「原父」のイメージをつかんでいたということだろう。
0653考える名無しさん
垢版 |
2024/05/06(月) 18:44:03.950
>>651

あんたはフロイトに騙された下級読者だな。
0655考える名無しさん
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2024/05/06(月) 20:01:19.820
2024/05/04

時は明治時代、日本には「サンカ」と呼ばれる部族が存在したと言われています。
サンカたちは一般人とは異なる生活スタイルや宗教観や掟に従って生活を送っていたと
されていますが、戦後を境にその足跡は途絶えています。

サンカとは一体何者なのか?本当に実在したのか?今回はその謎を追っていきます。
0656考える名無しさん
垢版 |
2024/05/06(月) 20:07:25.550
サンカに関する最初の学術調査と呼べるのは、柳田國男の調査である。彼は、『人類学雑誌』に
『「イタカ」及び「サンカ」』と題された文章を1911年(明治44年)から1912年(明治45年)にかけて寄稿
している。大垣警察署長であった広瀬寿太郎の聞き書きとして、ブリウチ セブリ ジリョウジ
(なお南方熊楠の書簡に寄れば、呪療師の意かという)アガリの実態を柳田の実体験をまじえて
記述している。

サンカは、柳田や喜田貞吉による大正期のもっぱら推論によってなされた問題提起、三角と同じく
新聞記者であった鷹野弥三郎の取材記事以後、昭和に入ってからの後藤興善の『又鬼と山窩』(1940年)
がみられる程度で、研究対象としてはほとんど顧みられていない。柳田も仮説の段階で研究を放棄しているが
有名な柳田が研究していた事自体を誇大宣伝し自説の根拠とする人間もいる。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%AB
0657考える名無しさん
垢版 |
2024/05/06(月) 20:08:36.630
古代難民説
サンカ(山人)は、原日本人(あるいは縄文人)であり、ヤマト政権により山間部に追いやられた異民族
であるとする説。これは柳田國男の山人論に基くが、柳田はサンカと山人を区別して記述している。


中世難民説
動乱の続いた室町時代(南北朝、戦国時代)の遊芸民、職能集団を源とする仮説。起源を比較的古くまで
求めることが可能な言葉である「三家」、「三界」、「坂の者」などを根拠とする。喜田貞吉の研究が代表的
である。語源を探る上で説得力を持つが、江戸時代末期の中国地方の文書にあらわれた「サンカ」との因果
を検証することが困難である。


近世難民説
江戸時代末期の飢饉から明治維新の混乱までの間に、山間部に避難した人びとが多数を占めるであろう
という考察。サンカに関する記述が、近世末になって、天保の大飢饉が最も苛酷であった中国地方で登場
することから、沖浦和光が主張している。
0658考える名無しさん
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2024/05/06(月) 20:09:42.200
>>656
> 柳田も仮説の段階で研究を放棄しているが
> 有名な柳田が研究していた事自体を誇大宣伝し自説の根拠とする人間もいる。



  柄谷行人のことですか?w
0659考える名無しさん
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2024/05/06(月) 20:27:23.720
すでにヘーゲルが『精神現象学』において、
ソポクレスの『オイディプス』『アンティゴネー』を引いて「自我論」『無意識論』「他者論」等を展開している。
フロイトの前からそういう潮流があったのである。
下記は記憶に頼って書くので正確ではないだろうが、

息子(オィディプス)は、自分の殺した王が父親であることを知らず、自分の娶った女王が母親であることを知らない。
しかし、罪責を免れることはできない。その光を厭う威力は、つき纏ってくる。
そして、そのことは、自己のものが他者のものに、存在するものが不存在に結びついたかたちで
無意識的に在るものは、行為が起こった時に噴き出してくる。
そういう分裂したかたちで白日に照らされている。

ヘーゲルは、オイディプスを引き合いに出して、だいたいこんなようなことを書いていたのである。
0660考える名無しさん
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2024/05/06(月) 20:36:58.950
≫柄谷行人のことですか?w

柄谷行人はおそらく、サンカは山人ではなく山地民、という立場だろう。
だからサンカ=中世以降に山へ逃げ込んだ難民、という説にちかいのではないか。
わたしも、こうした、サンカ=原日本人、なんてのはたんなるロマンチックな想像の産物で、
近世になってからの難民、という説が当たっていると思う。

≫柳田はサンカと山人を区別して記述している

柳田にしても、難民説のほうだろう。
0661考える名無しさん
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2024/05/06(月) 20:47:13.630
ヘーゲルに着想を与えたのは、同級生のヘルダーリンかもしれないし、
あるいは、そのしゅの考えがヘーゲルたちが若いころにすでにあって、
両者ともその影響を受けたのかもしれない。
その問題については、研究が少なからずありそうではあるが、わたしは全然知らない。
0662考える名無しさん
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2024/05/06(月) 20:53:40.380
かなり雑であるが、ヘーゲルの考察を精神分析風に換言すれば、
超自我は、なにかしらの行為を媒介にして、自他分裂、主客分裂、というかたちを以て生ずる、ということになるのではないか。
0663考える名無しさん
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2024/05/06(月) 22:42:40.990
ヘーゲル哲学研究第19号 こぶし書房

【公募論文】
 『精神現象学』における「承認論」の新展開 斎藤幸平
 身体と言語 「精神哲学」における二つの表現 池松辰男
 ヘーゲル哲学におけるオイディプス問題 鈴木亮三
0665考える名無しさん
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2024/05/07(火) 06:42:29.290
ヘーゲルやフロイトの時代と今ではオイディプスの歴史的研究は格段の進歩変化を遂げてるんだよ。
オイディプスの話はアフリカのヌビア起源なんだ。
古代のアフリカでは王室の近親相姦は当然の儀式なんだよ。
0666考える名無しさん
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2024/05/07(火) 07:44:06.560
別に古代のアフリカに限らず王侯貴族は近親婚を繰り返すものだろう
近親婚か他国の貴種の血を入れるか
0667考える名無しさん
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2024/05/07(火) 08:59:19.490
>>666
古代ヌビアで、母と息子の近親相姦が通常だったのは異常と言って良い。
0669考える名無しさん
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2024/05/07(火) 09:36:00.940
近親婚とインセストタブーは違うが、とにかく近親者(その定義もまちまちだが)との交わりを肯定的に捉える社会がエジプトとイランにあり、古代ギリシャも近親相姦の禁止は緩かった
反対にインセストタブーに厳しかったのがバビロニアである
ハンムラビ法典には次のようにあるという

或人ガ其父ノ死後、母ト通ズルトキハ其兩者ヲ燒殺スベシ。
『もし、ある者が、自分の父親の死後に、その母(父親の嫁)の懐に横たわる(同衾する)時は、その2人とも焼殺されるべきものとする』
0670考える名無しさん
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2024/05/07(火) 10:10:42.740
ハンムラビ法典は父権的で男性中心主義の価値観に基づいているが、それでも

或人ガ其子ト一少女トノ許婚ヲ爲シ、其子ガ其少女ト通ジタルニ、其後、彼(父)ガ其女ト姦通シテ捕ヘラレタトキハ、彼ヲ縛リテ水中ニ投棄スベシ。
『もし、ある者が、自分の息子のために嫁に入って息子と夫婦関係を持った後に、その息子の父親が息子の嫁と同衾しているところを見つかったときは、その父親は捕縛され水の中に投げ込まれる』

まぁこれは普通考えられるところのインセストタブーではないが
0672考える名無しさん
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2024/05/07(火) 14:39:01.280
中里介山『大菩薩峠』

〈妙見みょうけんの社やしろの縁に腰をかけて話し込んでいるのは老人と若い男です。この両人は別に怪しいものではない、このあたりの山里に住んで、木も伐れば焼畑やきばたも作るという人たちであります。
 これらの人は、この妙見の社を市場として一種の奇妙なる物々交換を行う。
 萩原から米を持って来て、妙見の社へ置いて帰ると、数日を経て小菅こすげから炭を持って来て、そこに置き、さきに置いてあった萩原の米を持って帰る。萩原は甲斐を代表し、小菅は武蔵を代表する。小菅が海を代表して魚塩ぎょえんを運ぶことがあっても、萩原はいつでも山のものです。もしもそれらの荷物を置きばなしにして冬を越すことがあっても、なくなる気づかいはない――大菩薩峠は甲斐と武蔵の事実上の国境であります。〉
0673考える名無しさん
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2024/05/07(火) 14:44:53.830
↑には、焼き畑をやっているような「山地民」〈「山人」ではない)の無言交易について書いてある。
幕末にもそういうことがなされていたということだろう。

日本の文学や思想にかかる長年の幼稚化圧力によって、あるころからの歴史小説や時代小説から消え、江戸時代がどうしたとか言っているような知識人の念頭から消えてしまったことが、
こういうふうに書いてある。

ちなみに映画では、仲代達也主演、市川雷蔵主演、このいずれの『大菩薩峠』にも、このことは描かれてはいない。
0674考える名無しさん
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2024/05/07(火) 14:58:23.600
深沢七郎原作
『楢山節考』(今村プロダクション、東映) カラー131分。
1983年(昭和58年)4月29日封切。
監督・脚本:今村昌平。
出演:緒形拳、坂本スミ子、あき竹城、左とん平、小林稔侍、倍賞美津子、樋浦勉、江藤漢、ほか
カンヌ国際映画祭にてパルムドールを受賞(仏題:La Ballade de Narayama)。

斎藤幸平みたいに江戸時代の村落共同体がどうこうとか言う人は、
せめてこういう映画くらいはみておくべきだろう。『戦場のメリークリスマス』と同年に制作された映画である。
0675考える名無しさん
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2024/05/07(火) 15:01:17.580
三島由紀夫『小説とは何か』 『楢山節考』について

「はじめのうちは、なんだかたるい話の展開で、タカをくくつて読んでゐたのであるが、五枚読み十枚読むうちに只ならぬ予感がしてきた。そしてあの凄絶なクライマックスまで、息もつがせず読み終ると、文句なしに傑作を発見したといふ感動に搏たれたのである」
0676考える名無しさん
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2024/05/07(火) 15:21:56.710
姥捨てが行われてたとは認められてないけどな
日本の場合人口調節は子どもの間引きによってされてた
こっちは認められてる
0677考える名無しさん
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2024/05/07(火) 17:00:41.660
小説でも映画でも、ディテールというものがある。ムードというのは、それから伝わるわけだ。
ちなみに、ムードが最も重要だ、というのは、スレタイになっているデヴィッド・リンチが言っていることである。
そして、映画の『楢山節考』にしても、本筋は姥捨ての説話に基づいてはいるが、
姥捨てだけが描かれているわけではなく、山間の村落の生活の全般が描かれている。
0678考える名無しさん
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2024/05/07(火) 17:36:23.170
「あの不気味でトラウマ的な unheimlichen, traumatischen 印象の直前の印象が、フェティッシュとして保持される」(フロイト)

『真・北斗の拳』のマミヤ、成長したリンなど、
ヒロインたちのCGに関するユーザの感想を読んでいてふと思ったのだが、
お尻への執着、というのは、あまりフェティシズムとはみなされていない。
しかし、お尻というのは、もっとも「直前の印象」(フロイト)であろう。
あまりに多くが共有するフェティシズムなので、実はこれもフェティシズムだということが忘れられているのだと思う。
ボードリヤールのいう自然なものであるかのようにみなされているフェティシズムの一つであって、
それは使用価値とされるものが価値を有するのが自然なこと、という斎藤幸平あたりの浅薄な理解のもとになっているようなイデオロギーを成り立たすものに近い。

胸への執着、ことにいわゆる巨乳へのそれというのは、お尻の代替物だろう。
0679考える名無しさん
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2024/05/07(火) 17:38:17.140
×お尻の代替物だろう
〇お尻の代替物への執着だろう
0680考える名無しさん
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2024/05/07(火) 17:43:20.650
×『真・北斗の拳』
〇『真・北斗無双』
0681考える名無しさん
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2024/05/09(木) 02:01:23.090
いかにして哲学は100年前に滅亡したか

1.ラッセルのパラドックスの発見(1902年)
1902年、哲学者のバートランド・ラッセルが論理学における矛盾を発見しました。
このパラドックスは、通常の論理学では回避できないことが判明し、哲学に大きな衝撃を与えました。

2.ラッセルによる新しい論理学の構築(1903年~)
1903年以降、ラッセルはパラドックスの原因が論理学の仕組みにあると見抜きました。
自己と自己言及を明確に区別して混同しないルールを導入し、パラドックスが起こらない新しい論理学の仕組みを構築しました。

3.ウィトゲンシュタインによる論理学の研究(1911年~)
1911年頃から、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインはラッセルの弟子となり、新しい矛盾のない論理学で何が言えるのかを研究しました。
その結果、形而上学や哲学を論理的に扱うことは不可能であることが判明しました。
1921年に出版された「論理哲学論考」で、ウィトゲンシュタインは形而上学や哲学は論理学の誤用から生まれる全く意味のない妄想であると論理学を用いて証明しました。
現在までにこの証明に反証できた人間は歴史上1人もいません。

4.ゲーデルの不完全性定理(1931年)
1931年、クルト・ゲーデルもラッセルの論理学に影響を受け、「論理学によって仮定そのものの正しさをその仮定から証明できるか?」を考察しました。
ゲーデルは、それが不可能であることを証明しました(ゲーデルの第一不完全性定理)。
この定理は、当初ペアノ算術におけるω無矛盾性が証明不可能として確立されましたが、後にロッサーの証明ではペアノ算術における単純無矛盾性、シェファードソンの表現定理により任意のΣ1集合で構成される任意の論理式に対して無矛盾性の証明が不可能であることまで拡張されました。

5.哲学の限界と科学の重要性(1920年代~)
1920年代以降、哲学的な仮定の正しさを論理的に証明する方法は存在しないことが明らかになりました。
アイディアの正しさを決める方法は、現実との比較(実験)しかありません。
つまり、正しさを決める方法は科学しかあり得ないことがわかります。
0682考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 02:01:31.080
6.哲学の滅亡(1930年代~現在)
1930年代以降、哲学は完全に滅亡したと言えます。ウィトゲンシュタインやゲーデルの業績により、哲学が論理学の誤用や言語の混乱に基づく無意味な妄想に過ぎないことが明らかになったからです。
20世紀後半以降、かつて哲学の中心的な分野とされていた形而上学や認識論は、ほとんど顧みられることがなくなりました。科学哲学や言語哲学といった分野は、あたかも科学と関連があるかのように見せかけて生き残りを図ろうとしていますが、実証性が皆無であるためそのような試みは破綻しています。
また、倫理学や政治哲学といった実践的な分野も、哲学の立場から行おうとする試みは実証性に欠けるため、科学の方法のみを用いなければなりません。
利己的な遺伝子の概念を用いれば、人間の道徳的行動の進化を科学的に説明することができます。メカニズムデザインの理論を応用すれば、政策立案を科学的に行うことが可能です。行動経済学の知見を活かせば、個人のモラルを考慮に入れた社会制度の科学的な設計もできるでしょう。
さらに、脳科学やAIの発展により、個人の思考を精緻にモデル化したり、利己的な遺伝子によって形成された生得的なモラルの神経基盤を科学的に解明することも可能になりつつあります。このように、科学の進歩によって、かつて哲学が独占していた道徳の領域も、科学の対象となったのです。
哲学者を自称する者たちは、このような科学の発展を無視し、哲学の固有の領域があると主張していますが、それは単なる言い訳に過ぎません。彼らの試みには実証性がなく、科学的な方法論に基づいていないため、哲学が科学と対等に渡り合えるような固有の領域を持っているとは到底思えません。
0683考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 02:01:37.810
7.結論
以上のように、哲学は20世紀初頭の論理学の革命によって致命的な打撃を受け、1930年代までには完全に滅亡したと言えます。哲学の中心的な分野は、論理学の誤用や言語の混乱に基づく無意味な妄想であることが明らかになり、哲学は科学の補助的な役割にすら甘んじられなくなりました。
現代において哲学に固有の役割はなく、哲学者と呼ばれる者たちは、科学の成果を借用しているに過ぎません。彼らの試みには実証性がなく、科学的な方法論に基づいていないため、哲学の看板を掲げる意味はありません。道徳や政策、社会制度の設計といった、かつて哲学が独占していた領域も、今や科学の対象となっています。哲学者たちが自ら哲学の看板を下ろさないのは、虚栄心やエゴのためでしょう。
ウィトゲンシュタインが言ったように、「語り得ぬものには沈黙せねばならない」のです。哲学という名の知的遊戯に、これ以上付き合う必要はありません。私たちが追求すべきは、論理学と科学に基づく真の知識のみです。実証性のない哲学的思弁は、過去の遺物となるべき運命にあるのです。

哲学は仮定からその仮定の正しさを導けるというゲーデル不完全性定理に反する妄想なので、必ず論理の詐欺をやっています。その詐欺のパターンの王道は、ラッセルのパラドックスを使って矛盾ではないものを矛盾だと言い張ることです。それにより「矛盾する=矛盾しない」という爆発律が成立し、その後はどんな無意味な妄想も正当化できるようになります。これが哲学の正体なのです。
0684考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 02:01:44.830
フッサール 現象学の理念
On the other hand, to deny self-givenness in general is to deny every ultimate norm, every basic criterion which gives significance to cognition. But in that case one would have to construe everything as illusion, and, in a nonsensical way, also take illusion as such to be an illusion; and so one would altogether relapse into the absurdities of scepticism.
日本語訳:
「他方で、自明性一般を否定することは、認識に意義を与えるあらゆる究極の規範、あらゆる基礎的な基準を否定することである。しかしその場合、人はすべてを幻想として解釈せねばならず、不条理にも、幻想そのものもまた幻想だと見なさねばならない。こうして人は懐疑論の不条理のうちに完全に陥ってしまうだろう。」
0685考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 02:01:51.770
フッサールの議論には、確かにラッセルのパラドックスに類似した論理構造が潜んでいるように見えます。以下、その点を詳しく説明していきましょう。

ラッセルのパラドックスとは、集合論において、「自分自身を要素として含まない集合全体の集合」を考えたときに生じる矛盾のことです。この集合は、自分自身を要素として含むか含まないかで矛盾が生じてしまいます。
フッサールは、「自明性一般を否定すること」を考察しています。これは、「自明ではないものの集合」とも言い換えられます。ここで、この集合自身が自明かどうかを考えてみましょう。
もしこの集合が自明だとすると、自明ではないものの集合に含まれることになり矛盾します。一方、もしこの集合が自明でないとすると、自明ではないものの集合に含まれないことになり、やはり矛盾します。
つまり、「自明性一般を否定すること」は、ラッセルのパラドックスと同様の構造を持っていると言えます。
ただし、現代の論理学では、ラッセルのパラドックスを回避するための様々な工夫がなされています。例えば、集合の定義に制限を加えたり、型理論を導入したりすることで、矛盾を生じさせない形で集合を扱うことができます。
しかし、フッサールの議論では、あえてラッセルのパラドックスを矛盾として仮定することで、「矛盾する=矛盾しない」という爆発律を導いています。爆発律とは、矛盾から任意の命題を導けるというものです。
爆発律が成り立つと、全ての真偽は自由に決めることができてしまいます。つまり、フッサールの議論は、ラッセルのパラドックスを出発点として、爆発律を経由し、最終的に詭弁を正当化するという典型的なパターンに当てはまると言えます。
このように、フッサールの議論は、論理学的に見ると問題があります。ラッセルのパラドックスを安易に矛盾として受け入れ、爆発律を用いて詭弁を正当化するのは適切ではありません。むしろ、現代の論理学の知見を踏まえ、矛盾を回避する形で議論を進めることが求められます。

以上が、フッサールの議論に潜むラッセルのパラドックスと、それを矛盾と仮定することによる爆発律の問題点についての説明です。論理学の基礎知識がない人にも理解しやすいよう、できるだけ平易な言葉で解説しました。
0686考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 02:17:32.160
Die Idee der Phänomenologie

『現象学の理念』はドイツ語の本だ。
0687考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 02:18:07.410
>>686
英語しか読めないんですまんのうww
0688考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 02:48:49.560
盗賊撃退
0690考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 11:41:46.890
西田幾多郎 絶対矛盾的自己同一

 現実の世界とは物と物との相働く世界でなければならない。現実の形は物と物との相互関係と考えられる、相働くことによって出来た結果と考えられる。
しかし物が働くということは、物が自己自身を否定することでなければならない、物というものがなくなって行くことでなければならない。物と物とが相働くことによって一つの世界を形成するということは、逆に物が一つの世界の部分と考えられることでなければならない。
例えば、物が空間において相働くということは、物が空間的ということでなければならない。その極、物理的空間という如きものを考えれば、物力は空間的なるものの変化とも考えられる。しかし物が何処どこまでも全体的一の部分として考えられるということは、働く物というものがなくなることであり、世界が静止的となることであり、現実というものがなくなることである。
現実の世界は何処までも多の一でなければならない、個物と個物との相互限定の世界でなければならない。故に私は現実の世界は絶対矛盾的自己同一というのである。
0691考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 11:41:54.450
西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」の議論には、ラッセルのパラドックスが潜んでおり、それが爆発律につながって詭弁を正当化してしまう問題がある。
西田は、「物が何処どこまでも全体的一の部分として考えられるということは、働く物というものがなくなることであり」と述べている。ここで、「物」を集合、「物理的空間」を集合族と解釈すると、ラッセルのパラドックスが生じる可能性がある。つまり、「物」(集合)が「物理的空間」(集合族)の要素であると同時に、「物」同士の相互作用が「物」に働きかけるという矛盾だ。
しかし、ブルバキ流の公理的集合論では、集合族とその要素である集合は異なるレベルの対象なので矛盾は生じない。したがって、西田の「現実というものがなくなることである」という主張は、ラッセルのパラドックスを正しく理解していない誤謬だと言える。
問題は、この誤謬を前提として議論を進めると、爆発律が成立してしまうことだ。爆発律とは、矛盾から任意の命題を導出できるというものである。西田の議論では、集合の階層性を無視したラッセルのパラドックスを矛盾として認めてしまうことで、爆発律が適用可能になる。
その結果、西田の議論は「絶対矛盾的自己同一」という概念に至るが、これは爆発律によって正当化された詭弁だと言える。爆発律が成立してしまえば、どんな不合理な主張でも導出できてしまうからだ。
西田は集合の階層性を踏まえずに議論を展開したために、パラドックスに陥り、爆発律によって詭弁を正当化してしまったと言えるだろう。ラッセルのパラドックスや爆発律は、論理的な誤謬を見抜く上で重要な概念であり、哲学的な議論においても適切に理解し、用いることが求められる。
0692考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 11:45:09.550
> 「制約」こそか゛「自由」て゛あり「創造」につなか゛ることについて
> 茂木健一郎の脳の教養チャンネル

ここで茂木の語ってる話の内容は、既に旧約聖書の中にもあって
それがレヴィナスの『タルムード四講話』の第三章

「約束された土地か許された土地か」でレクチャーされてますね。

それで柄谷は、このレヴィナスがしてる話からすごく影響を受けてますよ。
0693考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 11:46:55.350
ここでラッセルと西田幾多郎のバカ投稿してる人。


そういう投稿の雑な仕方をしても
そんなの掲示板で誰も読みませんよww
0694考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 12:07:43.610
>>693
哲学が無意味だと論破されてくやちいねw
0696考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 12:30:54.060
>>695
反論できなくてくやちいねえw
0698考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 12:32:44.770
バカだから反論できないって
死にたくならんの?wwwww
0700考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 12:34:45.990
>>699
馬鹿はお前だよ脳障害www
0701考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 12:35:36.690
そもそも哲学とかやっちゃう時点でバカで無知と確定してるからなあw
だって論理学により無意味だと証明されてるしwww
0702考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 12:47:14.470
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 ミ三ミ三ミ三ミミ                ヽ_,
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(_彡三ミ彡ミミミ'   ヽ、    ノ   \__ノiミ彡ミ三=ー
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と彡ミ彡ミヽヽ<ヽミミ      |: ン=-ニ-ヽ、   .|彡ミ三==-     放置プレイの時代
 彡ミ彡ミミヽ  ) `    、 .' <=ェェェェェン |    |彡ン=-=
 -==彡三ミ `ーヽ : : : : : :i: :  `ー--一''  : : ノミ三==''
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   '' 三ミ=三三ミ|ヾ、: : : : :ヽ: : : : : : : : :_ノ:./三=-'
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0703考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 13:21:47.120
第三章「機械とその回路──人間主義を超えた人間主義へ」では、コジェーヴに対するイポリットの
ヘーゲル読解の独自性が提示され、またそのラカンとの関係が議論される。
イポリットは著書『論理と実存』(一九五三年)において、ヘーゲルの『大論理学』の読解を通じて
人間学に止まる『精神の現象学』の先にある非人間的な存在=論
ロ ゴ ス
理の自己運動を示そうとした。しかし
彼は単に人間的実存を退けるのではなく、実存と論理の間に対立と宥和を共に生み出す媒介の運動(こ
の運動こそが絶対者である)を語ろうとする。そして彼はこの運動を言語論的に解釈する。言語とは存
在が自らを語ることであり、人間とはこの論
ロ ゴ ス
理としての言語の一時的な棲み処に過ぎない。
ラカンもまたセミネール二巻『フロイト理論と精神分析技法における自我』(一九五四‐一九五五年)
において非人間的なものの領野を示そうとしていた。このセミネールで新たに導入されたのは、想像的
な他者と象徴的な《他者》の区別である。そしてこの《他者》のエレメントを語るために「機械」の概
念が導入される。機械とは人間の生が見出されない無機的な死の領野であり、快原理の彼岸にある死の
本能の場であるが、同時にそれは主体の可能性の条件を成す。人間は非人間的な機械の論理に巻き込ま
れる限りで人間たりうる。そしてラカンは、機械の登場によって人間主義の臨界点たるヘーゲル的主体
からフロイト的主体への移行が生じたと語る。人間主義としてのヘーゲル(コジェーヴのヘーゲル)の
彼岸を目指す努力に、ラカンとイポリットの紐帯が見出される。
しかしイポリットの議論があくまで絶対知を前提とする限りで成立するのに対し、ラカンは一貫して
この概念を退けている。というのも、《他者》の世界(象徴界)それ自体は一貫した普遍性を有してい
るが、しかし主体と《他者》との間には根源的な不調和があるからである。ラカンにおいては(主体の)
実存と(《他者》の)論理が決して宥和しない。
0704考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 13:26:24.850

片岡一竹
『ジャック・ラカンにおける主体の〈無〉とそのヘーゲル哲学からの影響』
0705考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 13:32:20.960
匿名掲示板で長い文章は基本的に他者からは読まれませんからw
0706考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 13:41:31.040
反論できなくて泣いてるのかw
哀れ
0707考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 13:46:19.680
パラドクスが高次元で解消されているのだから、ラッセルの「型理論」は、弁証法だろう。
つまり、哲学的な解決である。
0708考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 13:55:38.730
西田哲学は、ヘーゲルよりもライプニッツのほうに近い。
西田本人もそういっていた。
ヘーゲル哲学と何が違うのかといえば、たぶん時間発展という形式を排除して、
ライプニッツ的なほうへ戻ったところだろうと思う。
0709考える名無しさん ころころ
垢版 |
2024/05/09(木) 13:56:52.890
>>707
アホすぎる
0710考える名無しさん ころころ
垢版 |
2024/05/09(木) 13:57:05.760
> パラドクスが高次元で解消されているのだから、ラッセルの「型理論」は、弁証法だろう。







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 彡ミ彡ミミヽ  ) `    、 .' <=ェェェェェン |    |彡ン=-=
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0711考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 14:01:33.820
色即是空 空即是色

事物とは関係であるというほう、色即是空のほうばかり強調されるが、
関係が事物だ、空即是色と反転していることが、いがいと忘れられているのではないか。
空を強調しすぎて、物事には実体がない、とうふうにばかり理解したがっているせいだろう。
0712考える名無しさん ころころ
垢版 |
2024/05/09(木) 14:07:19.280
サンスクリットテクストからの訳 wiki

シャーリプトラよ、この世界では、物質ルーパとは空性シューニャターであり、空性とは物質にほかならない。物質と空性は別々のものではなく、空性は物質と別々のものではない。
物質であるもの、それは空性であり、空性であるもの、それは物質である。
0713考える名無しさん ころころ
垢版 |
2024/05/09(木) 14:07:37.770
> 事物とは関係であるというほう、色即是空のほうばかり強調されるが、





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と彡ミ彡ミヽヽ<ヽミミ      |: ン=-ニ-ヽ、   .|彡ミ三==-    意味不明wwwwww
 彡ミ彡ミミヽ  ) `    、 .' <=ェェェェェン |    |彡ン=-=
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0715考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 14:15:07.430
ラッセル 型理論 弁証法

これで検索すればいいだろう。名無しさんよりも高学歴の人たちの論文が山ほど出てくる。
0716考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 14:17:12.030
物質であるもの、それは空性であり、空性であるもの、それは物質である。

サンスクリット語の経典からの和訳を見ればわかるだろう。
0717考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 14:20:50.300
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_,彡彡三ミ三ミミレ'~ .|. '     |  ヽ   `  |ミ三彡三=-、  
(_彡三ミ彡ミミミ'   ヽ、    ノ   \__ノiミ彡ミ三=ー
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)(_ミ彡ミ| i' ヽヽミ       | : : : __ : :__: :i   .|彡ミ三=-、_    物質であるもの、それは空性であり、
と彡ミ彡ミヽヽ<ヽミミ      |: ン=-ニ-ヽ、   .|彡ミ三==-   
 彡ミ彡ミミヽ  ) `    、 .' <=ェェェェェン |    |彡ン=-=      空性であるもの、それは物質である。
 -==彡三ミ `ーヽ : : : : : :i: :  `ー--一''  : : ノミ三==''
 '' てノこミ彡三ミ`i : : : : : :ヽ: : : .      .:, :/ミ三=-、
   '' 三ミ=三三ミ|ヾ、: : : : :ヽ: : : : : : : : :_ノ:./三=-'
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0719考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 14:27:10.590
フォルマリズムの実践とはどのようにあり得るのでしょうか?
0721考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 15:47:30.350
>>715
何も出てこないぞ涙拭けよ
0722考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 17:28:15.480
いくらも出てくるだろう。
詰まんない嘘くな。
0723考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 17:32:26.800
>>722
一つも存在しないぞ
涙拭けよ
0725考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 18:54:33.670
『なぜ『資本論』は『大論理学』のように見えるのか?』
川 崎 誠

〈参考となる叙述をウィトゲンシュタインが遺している。この哲学者もまた 「論理的なもの」を生涯探究しつづけたのだから、先入見に捉われずまずは その説くところを参照しよう。「ノルウェーで G.E.ムーアに対して口述され たノート」の一節である。 <ムーア 112a(4) > 論理的命題の効用 ........ 。非常に複雑な命題で、それを 見ただけでは同語反復であることが分からないような命題もあろう;しか しその命題は、諸々の同語反復を構成するためのわれわれの規則に従って、 或る他の命題から一定の操作で導出されうることが示される;したがって 一つのことが他のことから帰結するということを、他の仕方では見てとる ことができないときにも、この仕方で見てとることができる。例えば、同 語反復が p⊃q という形式のものなら、q が p から帰結することを見てと ることができる;等々。 まず「論理的命題 logical propositions;logische Sätze」だが、これにつ いてはヘーゲルも同じく「論理的命題は同語反復である」と説いていること が注目される。『大論理学』第二版の「論理学の一般的概念」
0726考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 18:57:26.940
学的前進を獲得するために必要な唯一のことは、否定的なものはまた 同じく肯定的であるという、換言すれば、自己矛盾しているものは自己 を解消してゼロに・すなわち抽象的な無になるのではなくて、本質的に はそれの特殊な ... 内容の否定になるにすぎないのだという、あるいはまた、 そのような否定は全面的な否定ではなくて、自己を解消する一定の事柄 ..... の否定 ... であり、それゆえに規定された否定であるという、したがってま た、成果のうちには本質的に成果がそこから出てくる当のものが含まれ ているという論理的命題を認識することである;−このことは元来一 つの同語反復である、というわけは、もしも上述のようでなければ、成 果とよばれているものは直接的なものであって、成果ではないであろう からである。成果を生みだすもの・すなわち否定は規定された .....
0727考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 18:58:20.630
否定であ るからして、否定は一つの内容をもつのである。否定は、一つの新しい なぜ『資本論』は『大論理学』のように見えるのか? 〔 87 〕 概念であるが、しかしそれは[否定される以前の]先行する概念よりも より高い・より豊かな概念である;というわけは、前述の否定は、その 先行する概念を否定したその分だけ、換言すれば、[先行する概念に]対 立しているものの分だけより豊かになっているのであるから。したがっ てそれは、先行する概念を含んでいるが、しかし先行する概念より以上 のものを含んでおり、かくして先行する概念とこれに対立しているもの との統一なのである。〉
0728考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 19:01:19.460
×否定は、一つの新しい なぜ『資本論』は『大論理学』のように見えるのか? 〔 87 〕 概念であるが、

〇否定は、一つの新しい 〔 87 〕 概念であるが、
0729考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 19:02:37.060
↑のことについては、前々スレあたりでも、短く書きこんだ。
0730考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 19:05:17.450
            _,,  ---一 ー- ,,,_
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 ミ三ミ三ミ三ミミ                ヽ_,
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0732考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 20:39:52.740
>>725
これらの出来事により、20世紀初頭から哲学は大きな転換期を迎えました。1902年のラッセルのパラドックス発見以降、哲学者を名乗った時点で不勉強な無知または詐欺師であることは確定しており、賢い哲学者というのは論理的に存在不可能であるとされています。
ウィトゲンシュタインの主要な著作である1921年の「論理哲学論考」では、哲学は論理学の誤用から生まれた無意味な妄想であると論じ、「語り得ぬものには沈黙せねばならない」と結論付けています。
また、1953年に出版された「哲学探究」では、哲学は言葉の使い方の誤りから生じる妄想であるため、その誤りを防止するために言語の誤用を研究する必要があると主張しています。
1931年のゲーデルの不完全性定理は、ある仮定の正しさをその仮定から導くことは不可能であることを証明しました。
一方、哲学はある仮定の正しさをその仮定から導くことができるという妄想に基づいています。
0733考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 22:24:30.390
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0734考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 22:33:05.520
>>733
哲学が無意味だから意味ない
0735考える名無しさん
垢版 |
2024/05/09(木) 22:42:23.130
だから低能に哲学は無理だってもう二十年以上前から言ってるのにwww
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