アドラー心理学総合 32【嫌われる勇気】
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アドラーの基本テーマは
人間の行動原理は権力への意思である
権力への意思は共同体感覚で代替できる
だから普通に考えたら成功者からは遠ざかる人の方が多いんじゃないか? >>797
そうやね
個人的には権力に向かう社会通念からドロップアウトする為の心理学だと思ってる まあより社会の役に立とうとした結果社会的成功をおさめちゃった人はいるとして
その人たちがアドラー心理学を実践したわけではなくともアドラー心理学的だと見れるから
アドラー心理学を使うと必ず成功しないと言い切ってしまうとまた違うとは思う >>801
先取りしてラインを明確にしてみただけだからそこは普通にスルーしてもらえると助かる 横関係の人でも褒めることあるし、
操作目的でなくても褒めることはあるよ >>803
そんなことないんだよ
協力的な暮らし方を身につけた子どもは上手に競争を楽しめるようになる 最近というか癖としてどうしても自分を呪う言葉が一人になると口を突いて出てしまいます
環境のせいにはしません、環境は全て自分が作り出したもの、自分が悪なのです
人生を諦めるには長すぎるとは解ってますしそう諦めないですし
そうは言っても絶対に自分を好きになることはないとも思ってます
常日々自分の無能さを思い知り自分には生きる資格がないと最終的にはそこに帰結する
結局人生の責任を取ることから逃げているのだとは思います
甘えまくっているこの考えだからこそ生きる資格がないのだとも
他の人ならば当たり前なのに
アドラーを学んでも常に自分が周りを敵にしてしまっている
自分が自分の人生を生きようとしないから生きている意味があるのか…と >>807
アドラーにはまると究極は自己責任になるから
そう考えるのも仕方ない >>786
自分で自分を褒めるのはいいのでしょうか? >>876
どんな時も、人生には意味がある。
あなたを待っている誰か≠ェいて、あなたを待っている何か≠ェある。
そしてその何か≠竍誰か≠フためにあなたにもできることがある。 >>810
自分を褒めるのは褒める人と褒められる人が同一人物だから操作的になる弊害がないのでどんどん褒めておけ >>809
一見自己責任に思えるかもだけど
むしろ究極は自己責任にはならなくね?
責任をそれぞれが分担して協力してるとするわけだから >>812
それはアドラーの全体論として矛盾してますよ。
褒める自分と褒められる自分がいることになりますから。 >>814
全体論は部分が存在しないという意味ではなく、部分と部分が協働関係にあるという意味です
ちなみに自分を褒める事は>>812の理屈で岩井さんが大いに推奨してます
岩井さんはアドラー心理学の本流ではないと思うので異論は認めますけど 多くの人々が、あらゆる物質に中毒になっています。
中でも最も重症な中毒症は「思考中毒」です。
なぜなら、人々は中毒になっていることにさえ気がついていないからです。
お酒や煙草、食べることをやめられないのと同じように、考えることがやめられないのです。 考えることを完全にやめるという意味ではありません。そうではなく、条件付けられた思考、止まない頭の中のおしゃべりの奴隷になることから自由になることです。 >>807
ある一定の水準に達したら好きになれるとお考えなのかな
まあそう考えて足りないところを探してしまうのも仕方ないのかも知れない
オススメなのは、演技でも良いから毎日自分を許したり褒めたり感謝したりの言葉をかけたり
自分で自分の頭を撫でたり心の中の弱い自分を抱きしめる様に自分を抱えこんでみてほしい
最初は違和感あるかもだけど、そうする自分を自然と受け入れられるようになってきたら
だんだんと他者貢献による貢献感も増してくるんじゃないかと思うよ >>807
自分には生きる資格がない
なんて自分で決めることでもない
神様に委ねる性質のものでしょ 資格はあっても権利は剥奪される場合があるということでは?
法を犯せば法で守られる権利を剥奪される様に 少し質問です
自分について最近気付いたのですが、自分は自立していないのかと思って悩んでいます
まず方向音痴で、あまり来ないような道だとすぐに迷います。
これも「誰かに頼る」という目的があるからと考えています
髪の毛をよく触るクセもあります。
なにも手入れをしていないときは触らないのですが
ワックスなどでセットした後の毛束になっている部分などを触ってしまいます。
これも髪の毛を触ることで「誰かに守られている安心感を得たい」という目的があるのかなと思いました。
最近はこのクセが本当に嫌で、でも気付いたら触っています。
たまに爪を弄るクセもあります。
共通しているのは気になったら無意識でやってしまってるくらいになっているということです。
これはアドラーとは違いますが軽度の強迫性障害?というやつなのかなとも思っています。
長くなって申し訳ございません、まとめると
1.今の自分は自立していないのではないか?そうであれば自立したい
2.無意識でやってしまっている癖についてのアドラー心理学的なご意見を聞きたい
です、宜しくお願い致します。 >>826
>1.今の自分は自立していないのではないか?そうであれば自立したい
アドラーで言う自立とは、共同体感覚で生きることだと思うので
とりあえず自立しているかどうかは気にしないことを含めて自分を勇気付けを行い、
共同体感覚を育成していくのが良いのではないかと思います
ちなみに、近年の心理学界隈では自立とは依存の対象を特定の範囲から
多方向に広げることだと定義されつつあるそうなので、
自己執着から共同体感覚に変革させるということでつじつまが合うと思います
>2.無意識でやってしまっている癖についてのアドラー心理学的なご意見を聞きたい
>まず方向音痴で、あまり来ないような道だとすぐに迷います。
私も方向音痴ですが、Googleナビに頼って頑張っています
基本的に、得意不得意の範囲のことなんじゃないかな?と思ってますが
頭の中でMapを描ける人への憧れはちょっとありますね
つまり、気にしなくても相互協力的に生きることで解決できるのでは?と思います
>髪の毛をよく触るクセもあります。
>たまに爪を弄るクセもあります。
癖があるのは全体論的なメリットがあるからで、自分にとって望ましい方法で
目的を達成する様な方法を作るのが良いと思います
「誰かに守られている安心感を得たい」は究極そうなのかも知れないですが、
セットした髪の毛を触ることで「人から良く見られたい」とか
「欠点を露呈させないでいたい」という願望もあり得るんじゃないかと思いました
そしてそれは別に悪いことではない様に感じます
まあ、それを直すとすれば共同体感覚によって代替え的に叶えられることになりそうですが、
髪型をセットしないで人前(信頼できる人)に出る癖を付けると自己受容や、
他者信頼への刺激にもなるかも知れません >>827
すいません言うの忘れていましたが、僕は以前に相談させていただいた音楽やっているものですw
1.自立というのは一般的に使われる意味でのもののつもりで書きました。
2にも繋がる話なのですが、「誰かに甘えてしまっている」現状が問題があるなと認識していまして。
というのも、音楽の専門的な話になって恐縮ですが、演奏をするときに例えばリズムを他の演奏者に任せてしまうのです。
これは僕の師匠曰く「他のプレイヤーにおんぶだっこしてもらっている状態」で
本当に良いアンサンブルをするためには、まず自分が一人でも完結するように自立していないといけない、と言われました。
それを踏まえると、日々の行動からも他人任せというか他人に甘えてしまっていることが多かったのかなと思ったのです。
そういう意識を改善することで自分の音楽にプラスになるのでは、と考えて今悩んでいます。
申し訳ないです、この前提がないとダメでしたね(^_^; >>828
お久しぶりですw
リズムを取るのが自分の課題であるのに関わらず、他者に依存している現状から脱却したいわけですね
あくまでアドラー心理学として考えていくと、まあ恐らく、
リズム取りは一人で完結するものではなく、メンバー共通の共同の目標ということだと思いますが、
その役割分担の一旦を担えていない現状からレベルアップすることで
アンサンブルの中で貢献したい、という話になるのだと思います
解決についても単純に自分一人でもリズム取りができている状態を目指して
演奏の練習をするのが良いのでは?とも思いましたが
>>826->>827の内容を踏まえると、「欠点や失敗の露呈に対する自己受容、他者信頼」が
テーマになりそうだと感じました
先ずは完璧なリズム取りのできない、不完全な自分を受け入れつつ、
アンサンブルの中で最初はリズムを乱すかも知れない可能性について
みんなと合意を取るなどの方策によって今後の練習による習熟が増すのではないかと感じました >>829
お久しぶりです、いつもためになる意見をありがとうございます。
>解決についても単純に自分一人でもリズム取りができている状態を目指して
演奏の練習をするのが良いのでは?とも思いましたが
もちろんそう思いますし、練習もしているのですが
全体論?の考えから、普段の行いを変えていくことにも意味があるのかなと思い>>826のようなことを考えました
欠点や失敗の露呈に対する自己受容、他者信頼、は確かにその通りですね。
僕のまだまだ至らない点であることは自覚しています。
>みんなと合意を取るなどの方策によって今後の練習による習熟が増すのではないかと感じました
言い方によったらそれはいいわけというかものすごく格好の悪いことになるかもしれないですね。
「自分は上手く出来ない、下手ですけど」と前置きした状態で一緒に演奏してもらう。
ある意味保険をかけていると思われる危険性もあるのでは?と思います。なまじ僕も一応趣味の枠を越えて活動しているものなので尚更です。
ですが、今僕が書いたことは多分にアドラー的ではありませんねw
もっと良いやり方ももちろんあるのだと思います 嫌われる勇気のドーン形式で付け加えると、音楽家としてリズム取りに問題があるという欠点から目を背ける為に
他人に甘えて自立できていないという言葉を利用していると考えることができます
そうではなく、自分の課題となる仕事にそのまま向き合うために、
自分の欠点をそのまま受け入れ、立ち向かう姿勢が必要になるのではないかと思います
その欠点を受け入れて立ち向かうためには、師匠や他のメンバーから許されないという認知を変えて
自分の欠点克服の為にみんなは協力してくれるというライフスタイルに変容することが効果的だと考えます
さらにこの他者信頼、自己受容を育てるためには、共同体感覚の育成が重要になるので
アンサンブルの中で自分のリズム取りの課題に取り組むという合意を得ることに加えて
自分がどのようにリズム以外の項目で役立っているのか認識して自分を勇気付けるのも効果的だと思います >言い方によったらそれはいいわけというかものすごく格好の悪いことになるかもしれないですね。
ここは趣味の枠を超えた音楽家として猶更難しい問題なのかも知れないですね
個人的には、自分の欠点や、それに対してどう取り組んでいるのかをそのまま伝えることで
プロとして課題に対して甘えのない状態で且つ、協力関係を結ぶことができると感じているので、
一度勇気を出してみんなにそこに取り組みたいという自己開示(謝罪を付けてもいいかもしれません)を行ってみるのがお勧めに感じています
あえて現実的な基本を申し上げると、練習中は失敗しながら克服することに利用し、
本番は完成度、クオリティを高めることに全力で貢献するという流れになると思います >>831
なるほど!
自分はちゃんと考えていると思っていたことが実は自己欺瞞だったのですね
これは言われなければ気付きませんでした。
ありがとうございます!
ライフスタイルを変えるべく努力します!
全て腑に落ちました。 >>832
>一度勇気を出してみんなにそこに取り組みたいという自己開示(謝罪を付けてもいいかもしれません)を行ってみる
これというのは「僕はリズムが甘いので、みなさん協力してください」みたいなことを言うということですか?
「どうせ僕なんかリズム悪いし…」じゃあダメですよね。
「僕はリズムが悪いです!でも頑張ります!」はどうなんだろ
色々な言い方がありますね(^_^;
すみません、最後の2行少しよくわかりませんでした。
利用するというのは「他者の協力」を利用するということですk? >>834
> 「僕はリズムが悪いです!でも頑張ります!」はどうなんだろ
これ良いと思いました
「リズムの良くない箇所に気付いたらどんどん指摘してください」とかも有りかも?と思います
> 利用するというのは「他者の協力」を利用するということですk?
単純に練習時間を利用する、という意味で書きました >>835
そうですか!
実は最近も気付かないうちにこれと同じ事をやっていたみたいで
自分よりも年下の自分よりも優れたプレイヤーに、ダメなところを指摘してもらって、改善策も教えてもらったりしました。
もちろんそれは中々精神的にダメージがありましたがw
結果的には以前よりも改善出来てきたように思います
>単純に練習時間を利用する、という意味で書きました
ありがとうございます意味がわかりました(^_^) >>836
> 実は最近も気付かないうちにこれと同じ事をやっていたみたいで
そのご経験は今回の対応にうまく役立ちそうな感じですね!
こちらこそありがとうございました
お話を伺っていて、自分にも当てはまる部分があるなと我が身を振り返る良い機会にもなりました
またやってみてどうだったのかシェアいただけると嬉しいです(^^) >>833
努力はやめなさい
努力しなくても出来ることをしなさい >>838
努力しなくてもできることをするのはやめなさい
変わらないための努力を全力でしていることに気づきなさい
変わらないための努力をやめれば人は必然的に変わることを知りなさい >>837
シェア、もちろんです!
今回思ったのが、自分が目的だと捉えていたことが実は自己欺瞞の考えだったというパターンもあるということですね
というかそういう解釈もできる、ということですね >>839
努力しなくても変化を起こせることに気づきなさい
苦しい思いをしなくても楽になれることに気づきなさい >>840
シンプルに考えてみることで本当に問題がシンプルになるっていう考え方は
確かにアドラーっぽいと感じました
複雑に考えてる時ほど自己欺瞞が隠されてる場合も多いしこの考え方は役立ちそうですね
結果のシェア、楽しみに待ってます♪ >>838
それはあなたの考え?
アドラーはどんな時も人の行動は劣等感補填のための努力である
というのが基本前提だよね? 努力の行動だろうが努力じゃない行動だろうが、自分がワクワク楽しめる何かから始めてみるのは意外にオススメかな 努力は行うことの喜びや楽しみを奪います
努力は現在を未来のための犠牲にします
努力は今の自分を受け入れられない人がすることです やる前は億劫で自己犠牲の努力だと感じる内容でも
やってみると意外に楽しくて自律神経を整えたり毎日が楽しくなる様な行動もあるから
一概には言えないと思ったりするけどね〜 >>849
認知論〜結果論的にそうなるよねって話しね 例えば野球の練習、素振りや守備練習は完全に努力だけど、
上手くなっていく感覚は実に楽しいものだしね〜 >>836・>>837
ビートルズと、ピート・ベストの話を参考にしろ >>851
練習を楽しむ人もいます
目的のために苦労して練習をする人もいます つまりは、楽しくなければやってはいけないなんて理論はどこにもないわけで
アドラーは目の前の楽しい欲求を叶えることよりも、理性的に建設的な生き方を選ぶ勇気を推奨したとも言える >>855
そもそも楽しくなければやってはいけないという理論がありません >>850
あなたは時間がズレています
私は行っているときの話をしているのに対してあなたは行う前の話をしています >>855
そもそも楽しいことをしなければならないという理論がありません まあ努力云々は語弊があるが、言わんとすることはなんとなく分かるわ 苦しまなければ対価を得ることはできないっていう認知の人とか
そういったブラック企業的なコモンセンスも存在するしね 極論かもだけど>>847は一理あると思ってしまった 未来のために行動をしてはいけません
今のために行動をしましょう
今の積み重ねが未来の目標に繋がり今の質の高さが未来の質の高さに繋がります >>863
そら売れてる本のコピペだからそうだろうな >>860
苫米地じゃないよエックハルトトールのコピペだよ >>865
なんて本?
嫌われる勇気にこんな文章あったっけか アドラー的な教育をしたらガキ大将とかはいなくなるのかな? アドラー心理学はガキ大将心理学と言われているみたいな内容をどこかで読んだことある気がする
うろ覚え アドラー自身がガキ大将だったときいたことがあるが、
くる病やら声帯の痙攣やら、肺炎にかかったりあまり、体は強くなかった
ようなので本当にガキ大将だったかは疑問。
友達との関係が横の関係ならガキ大将は出現するのか?
子供なりのルールを作って民主的に行うにしても仕切る子は出てくるだろうけど。 それも聞いたことあるけどそこじゃなくて、ロジャースとかの心理療法と比較してアドラーはみたいな感じ 因みにおれが子供の時に同級生で権力を持っていた奴は、ガキ大将ぽくなく
ケンカも強くなく、勉強もできるわけでもなかったが、
ただ、人を無視したり、仲間外れにする能力が高くて、皆からゴマをすられていた。
やはり、所属なんだと思う。
ひょっとしたら、アドラーも同じタイプだったのかも知れない。 >>874
どんな意味か良くわからないけど気に障ったならすまなかった >>797
野田さんの本で金儲けの話あったよな
金儲けしたいけどなかなかうまくいかない→実はクリスチャンで金儲けに罪悪感を抱いていた→金儲けを共同体への協力行為と見做すみたいな方向に変えていきましたよみたいな >>871
野田さんも仲間内でバチバチに喧嘩するけど共同体感覚が底にあるから大丈夫みたいな話ししてたし
聖人君子みたいなのを生むような心理学ではないだろうな
アドラー心理学は生意気な子供を育てますよ云々書いてるし
こう書いちゃうと嫌われる勇気の勘違いみたいなのされそうだけど
人間に対する許容度が高い >>871
出現するでしょ
横の関係をなんだと思ってるの? >>880
アドラー自身もフロイトやフロイト派やフロイトの考えをボロクソに貶しているので善人を育てる心理学ではないでしょう >>881
>>横の関係をなんだと思ってるの?
質問に質問で返すとか、口げんかの勝ち方系の本でも読んだの?
自分なら、「ガキ大将でも役割だから対等なんだよ。」と回答する。 >>883
横からすまんが質問に質問で返すというよりは、質問に答えてから質問してない?>>881 答えたことになってないんじゃないの?
「横の関係なのにガキ大将がでるか」という問いに、
「出る。」だけでは横の関係について述べてないので。
例えば>>883のように「ガキ大将も役割だから」という横の関係への見解もなしに
質問で返してるから、質問に対して質問で返してる。
それならレス返さない。という人もいるかも知れないから、それでもいいとも思うけどね。 【がき大将】あるいは【横の関係】のクオリア問題的な 横の関係なら、
家族・親戚・友達はもとより、
私達と総理大臣は対等。
私達とオウム死刑囚も対等。
上川法務大臣とオウム死刑囚も対等。
殺す者と殺される者なのに対等。
受け入れられる? アドラー心理学では俗に言う社会的ステータスや地位で人間の価値を測ってないんじゃないか
別にものさしなんかない
上下関係は単なる分業で責任と権利の大きさの違い >>892
放置しておいてもよかったのに。
このスレの住人はその手の話好きそうだし。 かわいそうな動物を減らすために、去勢避妊しましょうっていうけど。
生まれないことで不幸を回避するって考え方は
生き物としてダメだと思うんだ。 努力しなければ幸せになれない
のではなく
幸せは感じるものと岸見先生の本がありますね
つい過去の努力しなかった勇気を出せなかった自分を責めてこれからの未来の不安を覚え
現実の今日はがんばっては居るけど頑張っていればいいというのは社会のなかでは許されないことだし…
今自分でやれてることは他者を変えようとしない
他者の悪口陰口を言わない
ですかね 仕事で
自分は上司に怒られることは確かに怖いが
もっと気持ちを掘り下げて考えてみると
失望させたくないのだという答えに行き着きました
褒められたい訳ではなく仕事が円滑に進めばいい、その為に自分が止めてはいけない
と
何が大事なのかを忘れているから…でしょうかね 昔の話ですが、僕は失望さ「れ」たくない、の方でしたね。
仕事も足を引っ張っていたので、自分が無能だという劣等感が半端なかったです
結局その仕事は辞めて、今は自分の好きな事をやっていますが、これでよかったと思っています 別に深く考えてないしふと疑問に思っただけだけど
好意のある人に告白するとときって
「つきあってください」だと自分を下にする縦の関係な気がする
かといって「つきあいませんか?」だと逆に自分が上からになる?
「つきあってくれませんか?」がアドラー的にはベストなのかな、とか思った >>900
恋愛下手すぎ(笑)
恋愛は駆け引きなんだよ
上になり下になりセックスと一緒だ
アドレナリンは騎乗位も許されないだろうな(笑) >>899
自分はそのどっちも、ですかね
探し物が見つからなかったり、意図を上手く汲み取れず2度聞きしてしまうとスゴく焦ります >>904
決めつけっぽいくてよくない
あと直接的な表現は避けた方がいい
Shall we sex?
がいいだろう レスありがとうございました
深く考えてないとか言いつつも実は今日告白して、結果上手くいきました
アドラーとか別にどうでもよくなったんですが、出た言葉は「くれませんか」の方だったと思います GWは山口メンバーをネットで叩いて過ごしていましたが、
この連休は、被災地の人たちが猛暑のなか片づけをしている様子を冷たいコーヒーを飲みながらテレビで見て楽しく過ごしています。
これでいいのでしょうか? >>910
被災地に何も出来ないなら娯楽として楽しむほうが建設的ではないですか? 被災者の苦しみが第三者の娯楽になることは他者貢献なので世界がハッピーになると思います!! 被災者···苦しんている姿を第三者に提供する←他者貢献
第三者···被災者が苦しんでいる姿を楽しむ←幸福
アドラー的にはなんの問題もないでしょう 流される映像をどう受けとるかはそのヒトの課題だけど
被災者は今の状況を改善していこうと努力しているのであって
被災外の人達は募金やボランティアでもいいし、それらをしなくても自分も防災に備える
それすらしなくても自分が苦しいときにもっと過酷な状況にある人達の事を思う
によってそれぞれの貢献になるのかなぁと
メディアもそれぞれ意思はあるけれどとにかく伝える事が仕事だしな >>914
被災者が苦しむ姿を楽しみたい→テレビを観る→CMを観る→経済活動になる→貢献
被災地被災者を娯楽の対象にすることで生まれる貢献もありますよ 世界平和を考える暇があったら家族サービスするといいよ >>916
何がつまんないですか!?
他者貢献と思って教えて下さい!! >>919
何がつまんないですか!?
他者貢献と思って教えて下さい!! わざと被社会的な価値観を持ち出して煽りたいのだろうなとは思うけど
他人の不幸を楽しむために事件事故災害が流れている
他人の不幸は蜜の味か >>921
煽るつもりはないですよ
より大きな共同体、全体のことを考えたら何もしないよりも被災者を娯楽にして楽しんだほうが利益があるでしょう
楽しむという点で利益がありますし情報を得ることで情報の媒体にも利益が出ます より大きな共同体の一部として考えるならやるべきことをはただ一つだよ
目の前の人と協力的に暮らすこと 被災者の頑張る姿は世間に貢献してるだろうけど
他者の不幸を喜ぶのは競合的な感情だから協力的な態度に変えて
何かやってみようって考えるのがアドラー心理学やな 他者貢献を他者に求めるのも競合的態度やから
常に私が協力的であろうという態度に変えていこうっていうのもアドラー心理学やしな >>888
浅い!浅すぎる。
「待ってました!」とばかりに書き込んだわりには、浅すぎる。
>>887が>>892で釣りだと言って議論をやめさせたのもよくわかる。 >>926
「待ってました!」って
1分も立たないうちにレス返してるからな。まさに、そうだな。 >>923
本来キリスト教で言うところの「隣人愛」ってそういうものらしいよね
世界を平和にしたいならまず隣の人を愛しましょうと
何故か関係の近しい人という意味「だけ」になってしまってるけど >>931
違いますよ
キリスト教の隣人とは隣の人や近い人ではなく他者のことです キリストの隣人愛は自己と他者から解放し万物を意識させるための言葉です 世界平和のためにできることですか?
家に帰って家族を愛してあげてください。
マザーテレサ マザーテレサを尊敬する人は少ないだろうな
死後に裏の顔はどんどん公開されているし マザーテレサを尊敬する人は少ないだろうな
死後に裏の顔がどんどん公開されているし 僕はマザーが取り上げたアッシジの聖フランシスコの祈りが好きです。 神経症持ちで頭痛がひどいです
よく派遣の仕事を休みがちでその都度行きにくい気持ちになります
2日続けて休んでしまい明日行きづらいんですがどのような心構えが必要ですかね? >>940
無断じゃないんでしょ?だったら気にせず行けばいい。 >>942
ですよね
なぜか気にしてしまって…
勇気ですね >>943
ていうかね、あなたが気にしているほど他人はあなたを見ていない。
自分の事を気にしているのは自分だけだ。
だいたいの人間がそんな感じ。 >>944
はい…
アドラーの本何冊か読んでわかっているつもりなんですが、なかなか変わらないでいました。
ありがとうございます >>815
本のタイトルを教えて頂けると助かります。
自分を誉めることは、いいことだとは思うのですが、
嫌われる勇気では「私は強い。」「私はできる。」は
優越コンプレックスに、繋がるとあります。
自分を誉めることは、誉め方とか、注意しなければならない点もあると思いますので、
そのあたりを踏まえた上で実践していけたらと思っておりますので宜しくお願いします。 >>929
このスレには深い議論ができない、浅い話しかできない人しかいないと思っているのかな? うん
だからさ深いとか浅いとかその人の認知の問題だよね
ようは思い込みだよね、決めつけだよね 深い、浅いの問題ではなく考え方の違いと思うんだけどね。
ざっくり書くと、
死刑囚:理由(原因)があって殺した。
法:殺したという理由(原因)があるから死刑に処する。
(原因論に立する。)
死刑囚:目的があって殺した。(と、法は考える)
法:死刑は凶悪犯罪の減少という目的に繋がらなかった。死刑を廃止しても
凶悪犯罪数は変わらなかった。
犯人を死刑にしただけでは遺族の気持ちは癒されない。
死刑の意味がないので廃止。
(目的論的) >>948
それを思いこみ、決めつけと思うことも、あなたの決めつけ。 >>949
そうだよね。
犯人を死刑にすることよりも遺族の心のケアの方がよっぽど癒されると思う。 日本で死刑を廃止したら、凶悪犯罪は増える。
実際、日本で死刑賛成派が多いのは日本人自身も増えると思ってるから。というのもある。
欧州とは違うよ。 死刑という論理的結末を社会的に見届けることで死刑囚は犯罪抑止力として役立っていると考えられるし
法が信頼でき役立ってるものと考えればただ従うで良いと思う
死刑が無くなったら無くなったで集団の全体論的に別の抑止力を生むこともできるとは思うから
死刑の廃止に反対とも思わない 刑務所のストレスの9割は人間関係だって、元受刑者が語ってたけど
課題が分離できてるおまえらならこの人の1割のストレスで済む。 広島から脱走した受刑者も人間関係に疲れたと言ってたっけか
あと半年で出所だったけど 褒めない、とかそんなに注目する必要あるのかな?
ようするに「私には能力がある」「人々は仲間だ」がお互いに育つようなコミュニケーションを意識してやればいいわけで
どう勇気づけるかを考えるような癖がついてくれば自然と支配的な褒める言い回しは減ってくると思う >>819
生きている限り成長していかねばならない
でなければ人間である意味がありませんと徹底して甘えを排除する某ドラマがありました
甘えや寄りかかりで道を拓けるほど人生社会は楽なものではないのでしょうけど
今の自分には苦しい言葉です
あるべき姿にならなければならない、ってのは暗黙の了解ですしね
>>821
>>823
考え方によってはスゴく傲慢な意見でしたね
何かを出来て当たり前という考えもどんだけナメてるんだ?とも捉える事が出来ますし
自分の思考方法を変えていかねばとは思いますが自分だけと戦ってるようではかえって余計な摩擦を生みますしね
取り越し苦労って言葉もありますし
何も気負わず幸せを感じるってこんなにもハードルが高いことなのかと 自分は想像以上に嫌われたくない
悪くみられたくない
実際そんないい人間ではないから逃げて隠れていたい
それらも子供の頃に確立してしまった良くない生き方だろうなという想いには行き当たったています
そうでしか特別になれなかった、仲間に入れなかった
成功体験がなかった
これらも含めて過去の意味付けを決めている今の自分が良くないということですけどね >>962
せっかくアドラースレに来てるなら実践してみては?
自己分析をしないという実践と今自分にできることだけをやる実践を >>959
自己分析をすればするほど自己欺瞞が生まれると思った方が良い
それよりも新たなライフスタイルを経験的に上書きしていくイメージで
自己否定的なら自己受容的に言い換えたり、他者貢献の経験を積んだり
他者を仲間として見る練習をしたり、っていう心の筋トレを重ねていくのがオヌヌメだよっ >>963
>>964
定期荒らしじゃない?その人 >>947
まあ実際妙に上から目線の割に実践できてるとかできてないとか以前の問題で間違ってるレスしてる人も結構いるし
知識の差のバラつきが酷いよこのスレ 上から目線であることを上から目線で批判するってどうなのかなって 上から目線自体はあんまりどうでもいい
間違ってるのにアドバイスしたがりで溢れてるこのスレがどうなのかなと思った 最初の方見てたんだけど
テンプレの共同体感覚が全ての土台は違うだろうと思った
理論は理論だろう
相手から協力的姿勢を引き出してこそ幸せになれるとかいう支配的な振る舞いの推奨も目立つ >>974
テンプレにするかは別としても共同体感覚が土台というのは確か間違っていないと思うよ
全ての人が協力しあえる社会を築く(←到達不可能な理想論だよな)
↓
そのために権力や組織を使って社会を変革するのは良くない(←ファシズム、アナーキズム)
↓
それならば協力的に暮らせる個人を育成することを目指そう(←ここを頑張ろう!)
それを支える理論と方法論を構築したものがアドラー心理学だったと認識しているよ >>974
言葉として仰ることは合ってるかもね
協力的であることを選ぼうというのは思想の部分であり理論は理論
但し、理論と思想の関係性は常に意識して使わないとアドラー心理学とは言えないと思う
例えば、認知論みたいなのはアドラー心理学じゃなくても使うけど
アドラー心理学で言えば全ての人は所属への究極目標に向けて
自分なりのライフスタイルを使ってることと
相互所属を目指す為にその理論を使うことを踏まえて語る必要がある >>975
いや別物
そりゃ同じ心理学内の話なんだから整合性はつくよ
それを支えるって書いちゃってるじゃん
むしろ理論が土台じゃない?
>>976
別に思想を蔑ろにしてる訳じゃない テンプレに共同体感覚に関して追加する話題の件だけど、うまくサラッとまとめて次スレに入れれると良いな。
>◼共同体感覚について
>アドラー心理学のあらゆる技法、基本前提などの理論は共同体感覚という思想が土台となって成立しています。
>アドラー心理学の実践は全て、個人の競合的なライフスタイルを協力的なライフスタイルに代替する事で、すべての人々が所属できるように、自分にできることをしよういう決心を支援するためにあります。
>他者との協力を目標としない操作をしたり、社会の仕組みを変化させたり、個人の自己実現を叶えるためのものではありません。
この「他者との協力を目標としない操作をしたり」の部分を変更する意見として、二つの意見が出てた。
・他者との協力を目標としない一方的な操作をしたり
・合意を得ずに他者に干渉したり
それから今、この思想が土台になっているというのはおかしいのでは?という意見がでてる。 >>974
https://m.youtube.com/watch?v=24d9zbKIRxA
ソースはこれじゃないか?
共同体感覚が土台ってのはどこかで聞いたことある気がして探してみた
この平本って人の信ぴょう性はまた議論の余地ありそうだけど
内容自体はわかりやすくて面白いな >>981
横から見てみたけどなんか凄くわかりやすいゆえにこれで正しいのか不安になる感じw
思想と理論がどっちが土台っていうような今の話題よりもなるほどなと思ったのは、カウンセラーが自分の価値観を無意識のうちに押し付けてしまわないように共同体感覚を押し付けるというところ。 >>978
特に間違ってはいないと思うけど、どうしても土台という表現に違和感を感じる人がいるのであれば変えた方ががいいのかなと思う
1番上の文は、目的論的に表現を言い替えて、
「アドラー心理学のあらゆる理論や技法は、共同体感覚のある個人の育成を通じて、共同体感覚のある社会を築くという目的に向かうために構築されています。」
ではどうだろう?
野田俊作「勇気付けの方法」より抜粋
後半生のアドラーは、育児と学校教育を通じて、共同体感覚のある子どもたちを育てれば、明るい世界がつくれると考えたのです。
ですから。
本書の問題意識は、単に 「いい子を育てる 」ということを超えて、「明るい未来の世界をつくる 」ということに向いています。
最近では、アドラー心理学に関する本がたくさん出版されるようになりましたが、その多くが、アドラーの視点をすっかり忘れて、
「親が望む子どもを育てる方法 」だの「私が望むように人を動かす方法 」だのとして、アドラー心理学を曲解しているようです、そうではなくて、
共同体感覚のある子どもを育てることを通じて、共同体感覚のある社会を築くのが、アドラー心理学の目的だということを、本書では詳しく書いています。 983ですが、今はau回線でスレ立てできないので、夜帰宅してから新スレが立ってなかったら日付変わる頃のタイミングで自分が立てますよ
残りの議論も参考にしながら >>964
自己分析をしない方がいいというのは、自己欺瞞が生まれるからというよりは、どちらかというと社会統合論としてものを考えるからだよ
心の中は観察することができない「予想」に過ぎないから、ある一つのエピソードから感情を手掛かりに人と人の関係性を観察して、仮想目標と対処行動を見つけ出すという分析方法をとる
そうすると競合的か協力的かで判断できるから、誰でも簡単に分析できるし、次にどうすればいいのか具体的な行動にまで落とし込める >>986
きちんと臨床的な診立ての手順を踏めるならそれで良いと思う
>>959はそうではなかった感じじゃない?
別の手段を提案するのは間違ってなさそう 相手と自分の関係性における課題を一人で煎じつめても、それは「投影」であり「認識」ではないと解釈してる >>988
論点が違う気がする
投影という事でも別にいいんじゃないの?
心の内側に問題を見つけに行った場合、不安な事を考えないようにしようとか、いつも明るい気分でいようなんて答えくらいにしかたどり着かない
だからそれができないから悩んでいるんじゃん!!って葛藤のループに陥りやすい
でも社会統合論的に心の中の葛藤を認めず、目的のもとに助け合っていると考えて、
外側との関係性における態度、感情、行動を見て、協力的な所属に代替する方法は見つかりやすいし、具体的だから実行しやすい、行動だから結果を観察できる 課題に対する準備で想像力やプランニングは必要だが、
「分離」にしろ「共同」にしろ状況が許す範囲で話し合って、
相手を「認識」し自分を伝えることが重要
そうしないと独断や押し付けと誤解を生んでしまう ■社会統合論(Social Embeddedness)
人間は社会的動物であることから、人間の行動は、すべて対人関係に影響を及ぼす。
アドラー心理学では、人間が抱える問題について、全体論から人間の内部に矛盾や葛藤、対立を認めないことから、人間が抱える問題は、すべて対人関係上の問題であると考える。
人間は人間社会において生存しているものであって、その意味で社会に組み込まれた社会的存在なのである。
社会的存在であるので、対人関係から葛藤や苦悩に立ち向かうことになるが、個人の中では分裂はしていなくて一体性のある人格として行動している。
すべての行動には対人関係上の目的が存在している。社会に統合するというよりも、最初から社会的存在なのである。
■仮想論(Fictionalism)
アドラー心理学では、全体としての個人は、相対的マイナスから相対的プラスに向かって行動する、と考える。
しかしながら、それは、あたかも相対的マイナスから相対的プラスに向かって行動しているかのようである、ということであって、実際に、相対的にマイナスの状態が存在するとか、相対的にプラスの状態が存在するとかいうことを言っているのではない。
人間は、自分があたかも相対的マイナスの状態にあるように感じているので、それを補償するために、あたかも相対的プラスの状態を目指しているかのように行動するのである。 >>993
おつ
タイトルの嫌われる勇気ももう変えていいかもね
もはやアドラーが日本で1番有名な心理学者になったから 一応、書いとくけど、
アドラー心理学の核は共同体感覚だから、所属ではない。
共同体感覚=所属ではない。
誤解しない方がいい。 >>997
今議論になっている理論と思想の話を踏まえてもう少し深入りすると
「人はみな究極的には所属に向けて行動する」というのは基本前提を総動員した「理論」の話
共同体感覚というのは、「人の所属を妨害せず、みんなが所属できることに向けて行動するのは良い事だ」という「思想」の話
共同体感覚=所属ではない
というのはその通りだと思うけど、共同体感覚は所属の概念から切り離しては語れないと思うな >>997
どの書き込みに向けて言ってる?
そこがまず大事だよね
もうスレ終わるけど このスレッドは1000を超えました。
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