アドラー心理学総合 32【嫌われる勇気】
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>>871
野田さんも仲間内でバチバチに喧嘩するけど共同体感覚が底にあるから大丈夫みたいな話ししてたし
聖人君子みたいなのを生むような心理学ではないだろうな
アドラー心理学は生意気な子供を育てますよ云々書いてるし
こう書いちゃうと嫌われる勇気の勘違いみたいなのされそうだけど
人間に対する許容度が高い >>871
出現するでしょ
横の関係をなんだと思ってるの? >>880
アドラー自身もフロイトやフロイト派やフロイトの考えをボロクソに貶しているので善人を育てる心理学ではないでしょう >>881
>>横の関係をなんだと思ってるの?
質問に質問で返すとか、口げんかの勝ち方系の本でも読んだの?
自分なら、「ガキ大将でも役割だから対等なんだよ。」と回答する。 >>883
横からすまんが質問に質問で返すというよりは、質問に答えてから質問してない?>>881 答えたことになってないんじゃないの?
「横の関係なのにガキ大将がでるか」という問いに、
「出る。」だけでは横の関係について述べてないので。
例えば>>883のように「ガキ大将も役割だから」という横の関係への見解もなしに
質問で返してるから、質問に対して質問で返してる。
それならレス返さない。という人もいるかも知れないから、それでもいいとも思うけどね。 【がき大将】あるいは【横の関係】のクオリア問題的な 横の関係なら、
家族・親戚・友達はもとより、
私達と総理大臣は対等。
私達とオウム死刑囚も対等。
上川法務大臣とオウム死刑囚も対等。
殺す者と殺される者なのに対等。
受け入れられる? アドラー心理学では俗に言う社会的ステータスや地位で人間の価値を測ってないんじゃないか
別にものさしなんかない
上下関係は単なる分業で責任と権利の大きさの違い >>892
放置しておいてもよかったのに。
このスレの住人はその手の話好きそうだし。 かわいそうな動物を減らすために、去勢避妊しましょうっていうけど。
生まれないことで不幸を回避するって考え方は
生き物としてダメだと思うんだ。 努力しなければ幸せになれない
のではなく
幸せは感じるものと岸見先生の本がありますね
つい過去の努力しなかった勇気を出せなかった自分を責めてこれからの未来の不安を覚え
現実の今日はがんばっては居るけど頑張っていればいいというのは社会のなかでは許されないことだし…
今自分でやれてることは他者を変えようとしない
他者の悪口陰口を言わない
ですかね 仕事で
自分は上司に怒られることは確かに怖いが
もっと気持ちを掘り下げて考えてみると
失望させたくないのだという答えに行き着きました
褒められたい訳ではなく仕事が円滑に進めばいい、その為に自分が止めてはいけない
と
何が大事なのかを忘れているから…でしょうかね 昔の話ですが、僕は失望さ「れ」たくない、の方でしたね。
仕事も足を引っ張っていたので、自分が無能だという劣等感が半端なかったです
結局その仕事は辞めて、今は自分の好きな事をやっていますが、これでよかったと思っています 別に深く考えてないしふと疑問に思っただけだけど
好意のある人に告白するとときって
「つきあってください」だと自分を下にする縦の関係な気がする
かといって「つきあいませんか?」だと逆に自分が上からになる?
「つきあってくれませんか?」がアドラー的にはベストなのかな、とか思った >>900
恋愛下手すぎ(笑)
恋愛は駆け引きなんだよ
上になり下になりセックスと一緒だ
アドレナリンは騎乗位も許されないだろうな(笑) >>899
自分はそのどっちも、ですかね
探し物が見つからなかったり、意図を上手く汲み取れず2度聞きしてしまうとスゴく焦ります >>904
決めつけっぽいくてよくない
あと直接的な表現は避けた方がいい
Shall we sex?
がいいだろう レスありがとうございました
深く考えてないとか言いつつも実は今日告白して、結果上手くいきました
アドラーとか別にどうでもよくなったんですが、出た言葉は「くれませんか」の方だったと思います GWは山口メンバーをネットで叩いて過ごしていましたが、
この連休は、被災地の人たちが猛暑のなか片づけをしている様子を冷たいコーヒーを飲みながらテレビで見て楽しく過ごしています。
これでいいのでしょうか? >>910
被災地に何も出来ないなら娯楽として楽しむほうが建設的ではないですか? 被災者の苦しみが第三者の娯楽になることは他者貢献なので世界がハッピーになると思います!! 被災者···苦しんている姿を第三者に提供する←他者貢献
第三者···被災者が苦しんでいる姿を楽しむ←幸福
アドラー的にはなんの問題もないでしょう 流される映像をどう受けとるかはそのヒトの課題だけど
被災者は今の状況を改善していこうと努力しているのであって
被災外の人達は募金やボランティアでもいいし、それらをしなくても自分も防災に備える
それすらしなくても自分が苦しいときにもっと過酷な状況にある人達の事を思う
によってそれぞれの貢献になるのかなぁと
メディアもそれぞれ意思はあるけれどとにかく伝える事が仕事だしな >>914
被災者が苦しむ姿を楽しみたい→テレビを観る→CMを観る→経済活動になる→貢献
被災地被災者を娯楽の対象にすることで生まれる貢献もありますよ 世界平和を考える暇があったら家族サービスするといいよ >>916
何がつまんないですか!?
他者貢献と思って教えて下さい!! >>919
何がつまんないですか!?
他者貢献と思って教えて下さい!! わざと被社会的な価値観を持ち出して煽りたいのだろうなとは思うけど
他人の不幸を楽しむために事件事故災害が流れている
他人の不幸は蜜の味か >>921
煽るつもりはないですよ
より大きな共同体、全体のことを考えたら何もしないよりも被災者を娯楽にして楽しんだほうが利益があるでしょう
楽しむという点で利益がありますし情報を得ることで情報の媒体にも利益が出ます より大きな共同体の一部として考えるならやるべきことをはただ一つだよ
目の前の人と協力的に暮らすこと 被災者の頑張る姿は世間に貢献してるだろうけど
他者の不幸を喜ぶのは競合的な感情だから協力的な態度に変えて
何かやってみようって考えるのがアドラー心理学やな 他者貢献を他者に求めるのも競合的態度やから
常に私が協力的であろうという態度に変えていこうっていうのもアドラー心理学やしな >>888
浅い!浅すぎる。
「待ってました!」とばかりに書き込んだわりには、浅すぎる。
>>887が>>892で釣りだと言って議論をやめさせたのもよくわかる。 >>926
「待ってました!」って
1分も立たないうちにレス返してるからな。まさに、そうだな。 >>923
本来キリスト教で言うところの「隣人愛」ってそういうものらしいよね
世界を平和にしたいならまず隣の人を愛しましょうと
何故か関係の近しい人という意味「だけ」になってしまってるけど >>931
違いますよ
キリスト教の隣人とは隣の人や近い人ではなく他者のことです キリストの隣人愛は自己と他者から解放し万物を意識させるための言葉です 世界平和のためにできることですか?
家に帰って家族を愛してあげてください。
マザーテレサ マザーテレサを尊敬する人は少ないだろうな
死後に裏の顔はどんどん公開されているし マザーテレサを尊敬する人は少ないだろうな
死後に裏の顔がどんどん公開されているし 僕はマザーが取り上げたアッシジの聖フランシスコの祈りが好きです。 神経症持ちで頭痛がひどいです
よく派遣の仕事を休みがちでその都度行きにくい気持ちになります
2日続けて休んでしまい明日行きづらいんですがどのような心構えが必要ですかね? >>940
無断じゃないんでしょ?だったら気にせず行けばいい。 >>942
ですよね
なぜか気にしてしまって…
勇気ですね >>943
ていうかね、あなたが気にしているほど他人はあなたを見ていない。
自分の事を気にしているのは自分だけだ。
だいたいの人間がそんな感じ。 >>944
はい…
アドラーの本何冊か読んでわかっているつもりなんですが、なかなか変わらないでいました。
ありがとうございます >>815
本のタイトルを教えて頂けると助かります。
自分を誉めることは、いいことだとは思うのですが、
嫌われる勇気では「私は強い。」「私はできる。」は
優越コンプレックスに、繋がるとあります。
自分を誉めることは、誉め方とか、注意しなければならない点もあると思いますので、
そのあたりを踏まえた上で実践していけたらと思っておりますので宜しくお願いします。 >>929
このスレには深い議論ができない、浅い話しかできない人しかいないと思っているのかな? うん
だからさ深いとか浅いとかその人の認知の問題だよね
ようは思い込みだよね、決めつけだよね 深い、浅いの問題ではなく考え方の違いと思うんだけどね。
ざっくり書くと、
死刑囚:理由(原因)があって殺した。
法:殺したという理由(原因)があるから死刑に処する。
(原因論に立する。)
死刑囚:目的があって殺した。(と、法は考える)
法:死刑は凶悪犯罪の減少という目的に繋がらなかった。死刑を廃止しても
凶悪犯罪数は変わらなかった。
犯人を死刑にしただけでは遺族の気持ちは癒されない。
死刑の意味がないので廃止。
(目的論的) >>948
それを思いこみ、決めつけと思うことも、あなたの決めつけ。 >>949
そうだよね。
犯人を死刑にすることよりも遺族の心のケアの方がよっぽど癒されると思う。 日本で死刑を廃止したら、凶悪犯罪は増える。
実際、日本で死刑賛成派が多いのは日本人自身も増えると思ってるから。というのもある。
欧州とは違うよ。 死刑という論理的結末を社会的に見届けることで死刑囚は犯罪抑止力として役立っていると考えられるし
法が信頼でき役立ってるものと考えればただ従うで良いと思う
死刑が無くなったら無くなったで集団の全体論的に別の抑止力を生むこともできるとは思うから
死刑の廃止に反対とも思わない 刑務所のストレスの9割は人間関係だって、元受刑者が語ってたけど
課題が分離できてるおまえらならこの人の1割のストレスで済む。 広島から脱走した受刑者も人間関係に疲れたと言ってたっけか
あと半年で出所だったけど 褒めない、とかそんなに注目する必要あるのかな?
ようするに「私には能力がある」「人々は仲間だ」がお互いに育つようなコミュニケーションを意識してやればいいわけで
どう勇気づけるかを考えるような癖がついてくれば自然と支配的な褒める言い回しは減ってくると思う >>819
生きている限り成長していかねばならない
でなければ人間である意味がありませんと徹底して甘えを排除する某ドラマがありました
甘えや寄りかかりで道を拓けるほど人生社会は楽なものではないのでしょうけど
今の自分には苦しい言葉です
あるべき姿にならなければならない、ってのは暗黙の了解ですしね
>>821
>>823
考え方によってはスゴく傲慢な意見でしたね
何かを出来て当たり前という考えもどんだけナメてるんだ?とも捉える事が出来ますし
自分の思考方法を変えていかねばとは思いますが自分だけと戦ってるようではかえって余計な摩擦を生みますしね
取り越し苦労って言葉もありますし
何も気負わず幸せを感じるってこんなにもハードルが高いことなのかと 自分は想像以上に嫌われたくない
悪くみられたくない
実際そんないい人間ではないから逃げて隠れていたい
それらも子供の頃に確立してしまった良くない生き方だろうなという想いには行き当たったています
そうでしか特別になれなかった、仲間に入れなかった
成功体験がなかった
これらも含めて過去の意味付けを決めている今の自分が良くないということですけどね >>962
せっかくアドラースレに来てるなら実践してみては?
自己分析をしないという実践と今自分にできることだけをやる実践を >>959
自己分析をすればするほど自己欺瞞が生まれると思った方が良い
それよりも新たなライフスタイルを経験的に上書きしていくイメージで
自己否定的なら自己受容的に言い換えたり、他者貢献の経験を積んだり
他者を仲間として見る練習をしたり、っていう心の筋トレを重ねていくのがオヌヌメだよっ >>963
>>964
定期荒らしじゃない?その人 >>947
まあ実際妙に上から目線の割に実践できてるとかできてないとか以前の問題で間違ってるレスしてる人も結構いるし
知識の差のバラつきが酷いよこのスレ 上から目線であることを上から目線で批判するってどうなのかなって 上から目線自体はあんまりどうでもいい
間違ってるのにアドバイスしたがりで溢れてるこのスレがどうなのかなと思った 最初の方見てたんだけど
テンプレの共同体感覚が全ての土台は違うだろうと思った
理論は理論だろう
相手から協力的姿勢を引き出してこそ幸せになれるとかいう支配的な振る舞いの推奨も目立つ >>974
テンプレにするかは別としても共同体感覚が土台というのは確か間違っていないと思うよ
全ての人が協力しあえる社会を築く(←到達不可能な理想論だよな)
↓
そのために権力や組織を使って社会を変革するのは良くない(←ファシズム、アナーキズム)
↓
それならば協力的に暮らせる個人を育成することを目指そう(←ここを頑張ろう!)
それを支える理論と方法論を構築したものがアドラー心理学だったと認識しているよ >>974
言葉として仰ることは合ってるかもね
協力的であることを選ぼうというのは思想の部分であり理論は理論
但し、理論と思想の関係性は常に意識して使わないとアドラー心理学とは言えないと思う
例えば、認知論みたいなのはアドラー心理学じゃなくても使うけど
アドラー心理学で言えば全ての人は所属への究極目標に向けて
自分なりのライフスタイルを使ってることと
相互所属を目指す為にその理論を使うことを踏まえて語る必要がある >>975
いや別物
そりゃ同じ心理学内の話なんだから整合性はつくよ
それを支えるって書いちゃってるじゃん
むしろ理論が土台じゃない?
>>976
別に思想を蔑ろにしてる訳じゃない テンプレに共同体感覚に関して追加する話題の件だけど、うまくサラッとまとめて次スレに入れれると良いな。
>◼共同体感覚について
>アドラー心理学のあらゆる技法、基本前提などの理論は共同体感覚という思想が土台となって成立しています。
>アドラー心理学の実践は全て、個人の競合的なライフスタイルを協力的なライフスタイルに代替する事で、すべての人々が所属できるように、自分にできることをしよういう決心を支援するためにあります。
>他者との協力を目標としない操作をしたり、社会の仕組みを変化させたり、個人の自己実現を叶えるためのものではありません。
この「他者との協力を目標としない操作をしたり」の部分を変更する意見として、二つの意見が出てた。
・他者との協力を目標としない一方的な操作をしたり
・合意を得ずに他者に干渉したり
それから今、この思想が土台になっているというのはおかしいのでは?という意見がでてる。 >>974
https://m.youtube.com/watch?v=24d9zbKIRxA
ソースはこれじゃないか?
共同体感覚が土台ってのはどこかで聞いたことある気がして探してみた
この平本って人の信ぴょう性はまた議論の余地ありそうだけど
内容自体はわかりやすくて面白いな >>981
横から見てみたけどなんか凄くわかりやすいゆえにこれで正しいのか不安になる感じw
思想と理論がどっちが土台っていうような今の話題よりもなるほどなと思ったのは、カウンセラーが自分の価値観を無意識のうちに押し付けてしまわないように共同体感覚を押し付けるというところ。 >>978
特に間違ってはいないと思うけど、どうしても土台という表現に違和感を感じる人がいるのであれば変えた方ががいいのかなと思う
1番上の文は、目的論的に表現を言い替えて、
「アドラー心理学のあらゆる理論や技法は、共同体感覚のある個人の育成を通じて、共同体感覚のある社会を築くという目的に向かうために構築されています。」
ではどうだろう?
野田俊作「勇気付けの方法」より抜粋
後半生のアドラーは、育児と学校教育を通じて、共同体感覚のある子どもたちを育てれば、明るい世界がつくれると考えたのです。
ですから。
本書の問題意識は、単に 「いい子を育てる 」ということを超えて、「明るい未来の世界をつくる 」ということに向いています。
最近では、アドラー心理学に関する本がたくさん出版されるようになりましたが、その多くが、アドラーの視点をすっかり忘れて、
「親が望む子どもを育てる方法 」だの「私が望むように人を動かす方法 」だのとして、アドラー心理学を曲解しているようです、そうではなくて、
共同体感覚のある子どもを育てることを通じて、共同体感覚のある社会を築くのが、アドラー心理学の目的だということを、本書では詳しく書いています。 983ですが、今はau回線でスレ立てできないので、夜帰宅してから新スレが立ってなかったら日付変わる頃のタイミングで自分が立てますよ
残りの議論も参考にしながら >>964
自己分析をしない方がいいというのは、自己欺瞞が生まれるからというよりは、どちらかというと社会統合論としてものを考えるからだよ
心の中は観察することができない「予想」に過ぎないから、ある一つのエピソードから感情を手掛かりに人と人の関係性を観察して、仮想目標と対処行動を見つけ出すという分析方法をとる
そうすると競合的か協力的かで判断できるから、誰でも簡単に分析できるし、次にどうすればいいのか具体的な行動にまで落とし込める >>986
きちんと臨床的な診立ての手順を踏めるならそれで良いと思う
>>959はそうではなかった感じじゃない?
別の手段を提案するのは間違ってなさそう 相手と自分の関係性における課題を一人で煎じつめても、それは「投影」であり「認識」ではないと解釈してる >>988
論点が違う気がする
投影という事でも別にいいんじゃないの?
心の内側に問題を見つけに行った場合、不安な事を考えないようにしようとか、いつも明るい気分でいようなんて答えくらいにしかたどり着かない
だからそれができないから悩んでいるんじゃん!!って葛藤のループに陥りやすい
でも社会統合論的に心の中の葛藤を認めず、目的のもとに助け合っていると考えて、
外側との関係性における態度、感情、行動を見て、協力的な所属に代替する方法は見つかりやすいし、具体的だから実行しやすい、行動だから結果を観察できる 課題に対する準備で想像力やプランニングは必要だが、
「分離」にしろ「共同」にしろ状況が許す範囲で話し合って、
相手を「認識」し自分を伝えることが重要
そうしないと独断や押し付けと誤解を生んでしまう ■社会統合論(Social Embeddedness)
人間は社会的動物であることから、人間の行動は、すべて対人関係に影響を及ぼす。
アドラー心理学では、人間が抱える問題について、全体論から人間の内部に矛盾や葛藤、対立を認めないことから、人間が抱える問題は、すべて対人関係上の問題であると考える。
人間は人間社会において生存しているものであって、その意味で社会に組み込まれた社会的存在なのである。
社会的存在であるので、対人関係から葛藤や苦悩に立ち向かうことになるが、個人の中では分裂はしていなくて一体性のある人格として行動している。
すべての行動には対人関係上の目的が存在している。社会に統合するというよりも、最初から社会的存在なのである。
■仮想論(Fictionalism)
アドラー心理学では、全体としての個人は、相対的マイナスから相対的プラスに向かって行動する、と考える。
しかしながら、それは、あたかも相対的マイナスから相対的プラスに向かって行動しているかのようである、ということであって、実際に、相対的にマイナスの状態が存在するとか、相対的にプラスの状態が存在するとかいうことを言っているのではない。
人間は、自分があたかも相対的マイナスの状態にあるように感じているので、それを補償するために、あたかも相対的プラスの状態を目指しているかのように行動するのである。 >>993
おつ
タイトルの嫌われる勇気ももう変えていいかもね
もはやアドラーが日本で1番有名な心理学者になったから 一応、書いとくけど、
アドラー心理学の核は共同体感覚だから、所属ではない。
共同体感覚=所属ではない。
誤解しない方がいい。 >>997
今議論になっている理論と思想の話を踏まえてもう少し深入りすると
「人はみな究極的には所属に向けて行動する」というのは基本前提を総動員した「理論」の話
共同体感覚というのは、「人の所属を妨害せず、みんなが所属できることに向けて行動するのは良い事だ」という「思想」の話
共同体感覚=所属ではない
というのはその通りだと思うけど、共同体感覚は所属の概念から切り離しては語れないと思うな >>997
どの書き込みに向けて言ってる?
そこがまず大事だよね
もうスレ終わるけど このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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