【栄光の】ビザンツ帝国総合スレ11【東ローマ】
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一千年に及ぶ繁栄・衰退を誇ったビザンツ帝国史について語りましょう。
基本はsage進行。バルバロイによる荒し、煽りは適当に無視して下さい。
現代トルコ・ギリシャの話はできるだけ他所でやってください。
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【栄光の】トレビゾンド帝国総合スレ【東ローマ】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1284293895/ >>494
ロマノス4世はセルジューク本国のイランへ遠征しようとした
マンジケルトの戦いは防衛戦ではなくイラン遠征の前哨戦だった
イラン遠征の為に城攻め用の人夫を数多く連れていたので
これが足手まといになり敗北の一因となったとされる >>495
ということはですよ、マケドニア朝の最盛期(ニキフォロス2世、ヨアニス1世、ヴァシリオス2世等)にそれをできていたならば、
オスマントルコを凌ぎ、アケメネス朝ペルシア帝国に匹敵する巨大帝国が誕生していたのでは? >>496
東ローマにとってはメソポタミアはどうでもいい地域で歴史的に必然的に
イタリアを目指す宿命がある >>496
マケドニア朝の最盛期にはブルガリアやキエフ大公国などスラブ諸国が脅威だった
ブルガリアを征服しキエフ大公国が分裂しないと遠隔地へ遠征する余裕がない >>498
ブルガリアを征服した後も国庫は財宝であふれかえっていたらしいから
それ使ってイタリア征服なら簡単だっただろうに
何せ南イタリアに拠点あるのだし、北部イタリアも目と鼻の先 金だけで何とかなるのかな
良質な兵士を提供したアナトリアの小作農が、連年の遠征で没落してたんでしょ >>499
バシレイオス2世が延命すればイタリアに遠征したはず
イタリア征服に成功した場合は戦力が分散するだろうから
マンジケルトの戦い以前にブリガリアとかが再独立したかも
ブルガリアが再独立してバルカンが危険になった場合
東ローマは仲間割れせずに小アジアを死守したかもしれない
すなわち東ローマは滅亡を免れてたかもしれない >>500
アナトリアの小作農ではなく自作農が没落した
共和政ローマ 兵士兼農民→兵士
中世東ローマ 兵士兼農民→農民 ロマノス4世が率いた軍は多くが傭兵だった
トルコ系ペチェネッグ人の弓騎兵や
フランク人とノルマン人騎士が花形だった
十字軍は既にスタートしていた 要するに東ローマは古代ローマのように強くなかったから
大量の奴隷を入手する事が出来なかったわけだな
コムネノス家とか貴族が奴隷制の大農場を経営していたのならば
没落自作農が職業軍人になって東ローマは古代ローマのように
大帝国に拡大出来ただろう
東ローマでは没落自作農は小作農になり兵役を免除された >>504
コムネノス家はマヌエル1世が国力に見合わないローマ帝国の復興をあげて
イタリア制服しようとしてベネツィアやジェノバを敵対勢力にしてしまったから
致命的なことになった。もしも守勢に徹していたならそのままの状態で現在でも
続いていたかもしれないし、モンゴル帝国に危険視されて滅ぼされていたかもしれない
セルジュークにコンスタンティノープル城壁落とすなんぞ無理だがモンゴルなら
可能だからだ >>505
マヌエル1世がユスティニアヌス1世ではなくバシレイオス2世を手本に
していたのならば東ローマは生き延びたかも
コンスタンティノープル城壁は石造なのでモンゴル軍に耐える事が可能
イランやイラクの城壁は日干し煉瓦製で見かけによらず脆かった
ロシアと東欧諸国は木の城壁だけどウィーンとかが石の城壁なので
モンゴル軍は無理をせずに帰還した >>506
南イタリアだけならともかくローマ占領はそれくらい難しいのかな
ユスティニアヌスは確かに成功しているがローマという都市はそれで一度死んだとも
言えるくらい致命的打撃を受けているし >>507
中世東ローマはギリシャ人が多数派の国だからイタリアに強い愛着がなかった
マンジケルトの戦いでもロマノス4世はアルメニア人が多いカッパドキア出身なので
アルメニアを異教徒の支配から取り戻そうとしたけどギリシャ人らの戦意は低く
不利になるとすぐに逃げ出した >>508
いくら軍の資質で劣っても数では倍以上だったんだから勝たないとな
もしバシレイオス2世がマンツィケルトの戦いしたら多分勝ってるわ >>509
東ローマ軍の後衛を指揮していた副帝アンドロニコス・ドゥーカスは
先帝の弟である父ヨハネス・ドゥーカスこそが皇帝になるべきだったと
ロマノス4世の即位に不満であったのでこの機会にわざと退却したとされる
東ローマ軍の後衛が退却せずに突撃したのならばアルプ・アスラーン軍は
逆包囲され壊滅しただろう
当時セルジューク本国ではホラズム総督とかが反乱を起こしていたので
アルプ・アスラーン軍に援軍の可能性は低かった 東ローマはやっぱりキリスト教国で啓蒙思想もなかったから特に何も生み出せなかった
ローマ帝国の精神的後継者は政教分離を徹底したベネツィアなんだろうなあ
啓蒙思想がキリスト教を抑え込んで初めて人類は産業革命を起こしてローマを超えることが
できた >東ローマ軍の後衛が退却せずに突撃したのならば
このIFを東ローマに適用するなら、
>セルジューク本国ではホラズム総督とかが反乱を起こしていた
に対しても、反乱が無いIFを適用すべきだろう
両方のIFを適用すれば、結局のとこマンジケルトの結果は変わらないであろう >>512
変わらないなら変わらないでマヌエル1世がローマ帝国の復興を言い出さなければ
コムネノソス朝はそのまま続いた可能性はある アルプ・アルスラーンはファーティマ朝を倒してエジプトを征服しようとした
新たな牧草地が欲しい遊牧トルクメンはエジプト遠征に乗り気でなかったので
アルプ・アルスラーンは側面援護を兼ねてトルクメンらにアナトリア遠征を許し
自らはマムルークを率いてエジプトへ向かいシリアに侵入した
ところがロマノス4世にトルクメンが敗退し
さらにセルジューク本国で謀反が起きたので
アルプ・アルスラーンはエジプト遠征を断念してシリアから退却した
そしてロマノス4世と講和して急いで本国に戻ろうとしたけど
ロマノス4世が講和を拒否したのでマンジケルトの会戦となった アルプ・アルスラーンはマンジケルトの会戦後に本国へ戻ると
西方領土拡大から本国重視に方針転換して中央アジアを制圧した
アルプ・アルスラーンは本国の兵力が減るのでトルクメンが移住
しないようにアナトリアを東ローマ領のままにしようとした
セルジューク朝では遊牧トルクメンが牧草地を求めて
イランの農地を牧草地化しようとして問題になっていた
セルジューク朝のイラン人宰相ニザム・アルムルクは
アルプ・アルスラーンの死後トルクメンをアナトリアへ移住させた
アルプ・アルスラーンは互いに対立するトルクメンとイラン人の
双方にとって邪魔な存在だったようだ アルプ・アルスラーンはユーフラテス河を国境としてアルメニアを
セルジューク領としてロマノス4世と講和しようとした
これにニケフォロス・ブリュエンニオスらギリシャ人諸将は
賛同したけどロマノス4世は拒否してマンジケルトに進軍した
ロマノス4世がアルメニアを東ローマ領にしてアルメニア人を
ギリシャ正教徒に改宗させようとしたのでアルメニア正教徒の
アルメニア人はセルジューク軍に参加してロマノス4世に抵抗した
ロマノス4世もギリシャ人とアルメニア人にとって邪魔な存在だった
1072年にアルプ・アルスラーンもロマノス4世も自国人に殺された ロマノス4世死後アナトリアのアンカラでノルマン人傭兵が
反乱を起こしてガラテア公国と称して自立しようとした
副帝アンドロニコスは父とともにこれを鎮圧しようとして敗北した
東ローマはノルマン人傭兵の鎮圧をセルジューク軍に依頼すると
セルジューク軍は傭兵だけでなくアンカラの住民も残らず追い払った もし11世紀にセルジューク朝相手にうまくやれて、アナトリアのテュルク化を防げたとしてだ
どうせ13世紀にはモンゴルの波がやってくるわけで、ルーム・セルジューク朝みたいな緩衝材なしに対峙してしまう
従属国で済むんなら史実より良い状態で14世紀を迎えられるかもしれんが、下手うったら200年早く滅亡コースだからな >>519
アナトリアにトルクメンが移住して本国の戦力が流失したので
セルジュークはカラ・キタイに負けたりするようになった
同様にアフガンのゴール朝もインドを征服すると本国から戦力が
流失してアフガンはホラズムに征服されてしまった
セルジュークの後継者ホラズムは流失したトルクメンに代わる戦力を
同じく遊牧民のカンクリ族で補い大国化したけど新参のカンクリ族と
従来から兵との対立でモンゴル軍に対して団結出来なかった 新たな遊牧地を求めてたのはトルクメン自身だからなあ
アナトリアにいけなくなったら、ほかに行ってたんじゃね?
いずれにしても、こういう歴史IFをしだすとキリがないし詮無いな トルクメンとかはモンゴル軍に比べて規律が悪いから数が多くても勝てないだろうね
モンゴル軍はとにかく戦利品の略奪は戦闘終了後で違反者は厳罰に処せられた
他の多く国は遊牧民も農耕民も戦利品はだいたい早い者勝ちだった
いち早く戦利品を手に入れて満足した兵が勝手に帰ってしまう事が多かった 要するにニザーム・アルムルクがイランのトルコ化を阻止したわけだよな
もしトルクメンをアナトリアへ追い出さなかったのならばイラン全土が
アゼルバイジャンやトルクメニスタンのようにトルコ化したのだろうな
これはかつて東ローマがゴート族を西ローマ領に移住させた事に似ているな
もしゴート族がバルカンに定住し続けたら後のブルガリアのようになったはず >>519
もし11世紀にセルジューク朝相手にうまくやれて
アナトリア全土が東ローマ領のままならば当然
ロマノス4世の出身地カッパドキアも健在となるけど
カッパドキアはヘラクレイオス1世やニケフォロス2世も
輩出した尚武の気風の地だけど住民の多くがギリシャ化
していなくてアルメニア人が多かった地方だから
いつまでも東ローマ領であるとは限らなかった 中国の史書にコンスタンティノープルに大きな水時計があったと
記されてるんだが、詳細分かる記録ある? http://www.afpbb.com/articles/-/3217445
トルコ大統領、アヤソフィア博物館のモスクへの改名を示唆
2019年3月25日 23:09 発信地:アンカラ/トルコ [ トルコ 中東・北アフリカ ] ビザンツの魅力ってあまりにも戦争が弱いのに1000年も続いたしぶとさだよな イスタンブールのモザイク博物館に展示されてる大宮殿のものと推測されるモザイク画は血生臭い絵が多かったな。
猛獣が獲物に噛みついている絵など。
尚武の気風ということなのかな? 東ローマ帝国は
なりふり構わず現在まで存続して欲しかった
一都市国家でもよかった 国は滅ぶしかなかっただろうが皇帝がイタリアに亡命していれば皇帝兼イタリア貴族として存続したかも
逃げるよりは戦って死ぬことを選んだわけだが コンスタンティノス11世が逃げ延びてパレオロゴス家が存続したとしてもコンスタンティノープルが無ければただの一貴族程度でしかないのでは? 異教徒に国を滅ぼされたローマ皇帝なんてキリスト教世界じゃ最高のステータスじゃん ビザンツの戦争の弱さは一流だけど皇帝で一番戦争が上手かったのは誰?
将軍はベリサリウスだけど
バシレイオス2世か? バシレイオス2世はブルガリアに負けたりしていて、戦術面では最高点はつけにくいかな。
ロマノスあたりは? ササン朝に完勝したヘラクレイオスとか挙げたいけどこの人も後年はムスリムに完敗してたり無条件で強いって人はいないよねこの国 ヘラクレイオスは前半生もけっこう負けてて、ムラのある人だから最強論議には上がらないんじゃないか。
小説の主人公にはピッタリだけどね。 >>541
ササン朝が突厥に中央アジア方面で負けまくって国力落としていた時期だからね。 ウマイヤ朝を追い返したレオーン3世あたりはどうだろう? 時期と人によるが、
そんなに強かったらエジプトは奪回してたろうな。 弱くはないな、よくまあムスリムの本拠地近くで長いこと粘ったよ
惜しくも滅んだが彼らの侵食はペルシャだろうがインドだろうが中華だろうが止めれないからしゃーない あれ作った人も凄いな
どれくらいの年月かかったんだろう
築城時には侵略者から防げてたのかとか こないだコンスタンティノープルに行ったら城壁がピカピカに再生されてた。 エジプトでのギリシャ正教とコプト正教会の勢力は30倍違う
他は全てはイスラームに改宗した
帝国政府はエジプト人の衆望を完全に失っていた以上もはや「奪回」のレベルでは不可能だった 皇帝直属親衛隊のヴァラング隊ってカッコいいな
面白い本とかあるかね >>554
ヴァリャーギ親衛隊の軍装とか大雑把なのでいいなら
多分大きめの図書館なら置いてあるはずなんで借りてな
ビザンティン帝国の軍隊―886‐1118 ローマ帝国の継承者
(オスプレイ・メンアットアームズ・シリーズ) 単行本 - 2001/11
新紀元社 >>555
あとこれは読みやすいとはいわないが
ヴァリャーギ親衛隊の事を詳しく書いてある
現時点では日本で唯一?かも
これも図書館で探すのが良いかと
ヴァリャーギ ビザンツの北欧人親衛隊 単行本 - 2008/7
出版社: 国際語学社 (2008/07) http://www.youtube.com/watch?v=PRr44d-3gsg
Varangians - Elite Bodyguards of the Byzantine Emperors
Kings and Generals
2019/06/13 に公開 欧米でもマイナーそうだなあ。
ちなみに映画化するならどの時代がよかろうか。 >>561
ヘラクレイオス1世の時代のヤルムークの戦いを映画化したのが、
Youtubeにあるよ。でも、軍装が共和制から帝政初期のレギオンの
まんまで、スパルタクスの反乱時と区別がつかない。
あの装備なら駱駝騎兵と弓兵で構成されたウマイヤ朝軍にいかにも負けそう。 >>563
蛮族に近いくらいの傭兵ならローマの略奪したドイツ傭兵部隊の
ランツクネヒトじゃないかな。 >>564
ほんと?ありがとう
今通信制限中なのとにわかだから時代背景やら人物やらちょっと知識下調べしてみてから月頭にでも見てみるよ
サンクス >>567
2つとも元の原題タイトル(や英語タイトル)とかで検索すれば
他にも動画が出てくると思います
その作品の制作国の言語だと多いかもしれません
ドイツ作品の方・・・ユスティニアヌスがあのアメリカの名優オーソン・ウェルズw 古代ギリシャは「東ローマ帝国」「オスマントルコ帝国」と名前を変えて続いてる
トルコ皇帝は実質的にギリシャ人だし、官僚も軍人もギリシャ人のキリスト教徒だ 漁ってみたら別スレに元ネタがあった。(以下改行の関係で文だけコピペ)
>>ギリシャは優れた文明がある国なのに何でこんな嫌われてるの?
>>嫌われてはいない
バカにされてるのと、面倒見るのは勘弁と思われてるだけ
>>古代には優れていたけれど中世以降は後進国
>>偉大な文明の発祥地として尊敬されてる
>>近代ギリシャは古代ギリシャとは別物だから
>>日本かて奈良時代の日本と現代の日本は全然違うやん
風景も街も人々の服装も都も違うし、現代人と奈良時代人とは言葉も通じん
でも日本は日本や
>>歴史が連綿と続いている日本と比較することがおかしい
ギリシャは存在自体が消えて19世紀まで出でこないし
>>「東ローマ帝国」「オスマントルコ帝国」と名前を変えて続いてるじゃん
トルコ皇帝は実質的にギリシャ人だし、官僚も軍人もギリシャ人のキリスト教徒だ
>>は?
>>こじつけトンデモ説すぎて草
ほとんど騎馬民族征服説並み
さすがにネタだろうけど >>567
>ギリシャ人のはずなのにイタリア語やドイツ語w
ユスティニアヌス朝初期の頃はまだ東ローマの公用語はラテン語
また東ローマ軍の将兵には数多くのゲルマン人兵士がいた
ユスティニアヌス朝の時にバルカン北部がスラブ化して
東ローマからラテン語話者とゲルマン兵が消滅していった
ユスティニアヌス朝最後のマウリキウス帝はカッパドキア出身で
この頃になると東ローマはすっかりキリシャ人の国になっていた ギリシャ人は「西洋文明発祥の地」とかって威張ってるけど、はっきり言って現代のギリシャって古代ギリシャとは全然関係ないよね。
そのくせプライドだけは高くて周辺諸国ともめごとばかり起こすし、ロクなことしてない。失礼、言い過ぎました… 21 風吹けば名無し 2019/07/10(水) 02:09:17.06 ID:tenMxdKn0
バシレイオス2世「この帝国も形になってきたな!」
コンスタンティノス8世「んほぉ~この戦車競走たまんねぇ〜」
コンスタンティノス8世「ボードゲームするだけで抜けるわぁ…」
市民「うわぁ来たよ…」(東ローマ名物無能皇帝)
アンドロニコス1世コムネノス「改革の進行はどうだい?」シコシコ
宦官「現在ここまで進んでいます」
アンドロニコス1世コムネノス「え?市民や貴族が反乱?…ふんふん…」(処刑)
貴族「次の皇帝は誰?」
市民「イサキオス2世さんですね」
貴族(そっかぁ…)
イサキオス2世「この第3回十字軍なんか違うんだよね…王道すぎるというか…ひねりがないよねぇ…」
教皇、アレクシオス3世「うわぁ…」(そうですか…)(帝位奪取)
アレクシオス4世「そうだ!この第4回十字軍に途中でハンガリー攻撃させてコンスタンティノポリスをカッコよく陥落させようよ!」
イサキオス2世「皇帝は俺とアレクシオス4世ちゃんね!これは面白くなるぞ!」 >>575
じゃあ最初から言うんじゃねえぞ?この知恵遅れが。世の中を蔑むのもいい加減にしろよな? >>488
そこまで求めるのは無理ゲー。
バシレイオス2世に広域的な商業を解するだけのアタマはなかった。
禁欲的で質素を重んじたせいで、経済的には停滞した、とまで言われている。
ピサやジェノヴァを手に入れたところで、持て余すのが関の山。 >>581
仮にバシレイオス2世に広域商業、経済を理解できるアタマがあったら、是が非でもノミスマ金貨の改鋳に踏み切ったと思う。
つまり通貨供給量の増加によるデフレ対策と域内経済振興と出目(でめ)収入。
「中世のドル」とまでいわれたノミスマでそれをやるなら効果は絶大だっただろ。
しかし結果的にバシレイオスが活躍した11世紀初頭までノミスマ金貨の純度は変わっていない。
金の供給量は変わっていないのだから、通貨供給は増加しなかった、と考えるべき。
金貨の純度が劇的に低下するのは12世紀末、ミュリオケファロンの敗戦後。
東ローマにとって苦し紛れの出目収入策だったが、地中海域内で一気にインフレが進行。
商業国家であるジェノヴァやヴェネツィアで投資が進み、後の台頭につながった。
ただ、これをバシレイオスに求めるのは酷に過ぎる。
貨幣価値は貴金属の含有量ではなく、発行体の信用力によって決まることを喝破したのは、7世紀も後、江戸時代日本の天才勘定奉行荻原重秀だった。 あっ、間違えた。
ミュリオケファロンの敗戦後は11世紀末だった。 >ミュリオケファロン
この単語、いつも「桶」とか、マヌエルが右手でOKしてるとことか連想しちゃう 中世みたいな
供給能力低い時代に
デフレなんてあったの?
常にもの、サービス不足のインフレ状態だと
思うんだけど >>585
供給能力は低かったが、需要も低かった。
もっと低かったのは貨幣の供給能力。
むしろデフレ状態の方が多かったよ。 >>582
>発行体の信用力によって決まること
これって中国の紙幣や16世紀フランドルの為替等で既に判明していたことじゃ? >>587
中国のこうしゃ(変換できねーw)は明らかに違う。
フランドルの為替はノーチェックやった。
ご指摘dくす! >>588
>中国のこうしゃ(変換できねーw)は明らかに違う
そうかな? 発行した紙幣の期限を決めて回収するように調整していたのは
政府の信用力を認知していたからだと思うのだが
まあ、中国の紙幣は貨幣は、毎回増刷し過ぎたり界もだんだん期限が長くなり最終的に無期限化したりしてたわけだけど
中国紙幣は為替が起源だけど、これはそれまで度々あった鉄銭や布巾など、銅銀金が不足していて貨幣供給不足の
場合に別素材を貨幣として流通させたもので、その場合必ず貨幣安定論として戦国時代からある子母相権論が出てくる >>589
>発行した紙幣の期限を決めて回収するように調整していたのは
>政府の信用力を認知していたからだと思うのだが
受取り拒否は死罪!
こんなこと決める時点で信用力とかもはや関係無し。
貨幣の3条件(支払決済手段、価値尺度、価値保蔵)のうち後2者を満たしていない。
つまり死刑にさえならなければ誰も受け取りたくないし、誰も価値基準としないってこと。 確かに江戸幕府でも享保時代に貨幣改鋳を荻原重秀より確信的に、より徹底してやった大岡忠相は、旧貨幣の供出を拒否った4豪商の手代(現代風に言えば部課長級かな?)を問答無用で伝馬町の牢にブチ込んだが、別に誰も殺していない。
そもそも主人(代表取締役)でもなく番頭(役員級)でもなく、手代なんぞ遣わす時点で、豪商側の方が幕府(軍事政権)を舐めてたわけだが。 >>590
>受取り拒否は死罪!
これ出典は?偽造したり、価値を毀損するようなことをした場合の話じゃないの?
雑学系の本ではなく、中国経済史の本では見たことがない
自分が知らないだけかも知れないので、まともな出典を教えてほしい
なお、自分が書いている信用の話は、元の話だけではなく、宋金代の話も含む(というか、
最初の紙幣なので、主に宋金のつもりの話で書いていた) なんだwikipediaか、、、まあ一般書とはいえ出典はわかったから、こんど確認してみるわ
仮に元の交鈔がそうだとしても、宋金とは違うという話だよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています