数・記号の文明史 [転載禁止]©2ch.net
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数字や記号に関する歴史や文化について話すスレです。 数や記号の認識に始まり、その表記や計算法、記録法の発展と 応用分野、社会的影響力の拡大、度量衡の標準化などなど。 数学、論理学、記号論や、自然科学・社会科学への数値化、 質的説明から量的証明への移り変わり。 計測器の発達やメーター・文字盤の発達、 そろばん、算木、計算尺、電卓などの計算機具の発達など、 自由に話してください。 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』 HX4VE 製図の尺度 実物の2倍 2/1 ↓ 2:1(JISがISO準拠に変更) 雌雄記号 占星術の火星と金星 生物学においはリンネが導入 メス 金星 銅、手鏡の形 オス 火星 ボルボ、つんく、鉄、盾と槍の形 ビーナスとマルスはじっさいにいい仲だもんな 不倫がバレて旦那にとっちめられたりしているが 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方 興味がある人はどうぞ 検索してみよう『立木のボボトイテテレ』 P44 どっかの国の通貨記号が、日本の郵便マーク「〒」と同じだったな オーストロネシア語族で1000を表す語はribu系 印欧祖語ではtuHsont- https://en.wiktionary.org/wiki/Reconstruction:Proto-Indo-European/tuHsont- 前文明段階だと1,000の桁までが把握できる数か まあ組み合わせでいくらでも大きい数は表せるけど 英語版のウィキペディアには 古代エジプトにはゼロを表す記号があったと書かれているようだが どうなのかな このスレ生きてたのか!! スレ読み込み直したらいけた これはもったいないことをしたww ゼロを示す文字は、そこそこあったんじゃなかったかなぁ まぁ、位取り記法が無い限り 対比的に「ある」と「ない」を示す文字があったら 無い方の文字はゼロですからねぇ シュメールさんは数字のMAXが1なので ゼロ記法には失敗してる気がします 本の値段などの¥1000Eは、 ゼロを勝手に書き足さないようにする為の手描きの棒線の代り? >>522 どの字がゼロかわからんね、、、 【9月16日 AFP】 3〜4世紀のインドの書物に記された黒い点が、数字の「0(ゼロ)」の最古の使用例であることを、 英オックスフォード大学(University of Oxford)のチームが特定した。 この書物は、1881年に現パキスタン国内に位置する村で発掘されたカバノキの樹皮の巻物で、 発見場所の村の名前にちなみ「バクシャーリー(Bakhshali)写本」と呼ばれている。 1902年からオックスフォード大学のボドリアン図書館(Bodleian Libraries)で保管されてきた。 バクシャーリー写本は、すでにインド最古の数学書であるとされていたものの、 その年代についてはこれまでさまざまな意見が飛び交っていた。 しかし同図書館の科学者チームが放射性炭素年代測定したところ、 制作時期がこれまで考えられていたよりも約500年さかのぼる3〜4世紀であることが判明した。 ゼロの最古の使用例はこれまで、インド・グワリオル(Gwalior)の寺院の壁に残る9世紀の碑銘だとされていた。 ゼロを意味する文字はマヤやバビロニアといった古代文明でも使用されていたが、 現在使われている「0」記号の起源は古代インドで使用されていた点記号だった。(c)AFP >>522 というわけで修正、、、 それぞれ独立に発明されたそうな 66: ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2015/04/19(日) 12:37:28.72 0 古代バビロニアが紀元前4世紀ぐらいに発明したらしい ちなみに、位取りの記法は 古代バビロニアが紀元前2000ぐらい 起源前後の中国 3〜9世紀ぐらいにマヤ文明 3〜4世紀ぐらいでインドらしい Q太郎たちがメシア信仰に陥ってるとのこと、、、 トランプ的には12使徒なんでしょうかww >>552 ウィキペディアせんせによりますと ギリシャではアルキメデスが発見となってますな 10^8ベースのシステムらしい 新大陸はマヤかと思っていたが どうやらオルメカの長期暦が 紀元前4世紀ということみたいですね >>553 スレが立っておりました どう読むんだろうか、、、 Qアノン https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1540959740/1 1 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2018/10/31(水) 13:22:20.54 0 今話題のQアノンを世界史的に語りましょう 質量原器の話がニュースになっているので 暖めていた話ができなくなってつらみ、、、 ローマ馬車の轍が 現在の標準軌の幅に繋がっている という説を検証してみたいと思います 確実にもしそうならば確実に1単位があるはず レベル表現 なれないと難しい マグニチュード 等級(天体) オクターブ(周波数) 西洋以外は皆無? ああしまった、こっちにも天才しておこう 天文・天体・宇宙開発 2 [無断転載禁止]©2ch.net https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1502137052/472 乾象暦 - 呉(223年 - 280年) 景初暦 - 魏・西晋・東晋・劉宋(237年 - 444年)・北魏(398年 - 451年) 中国における日月食予測法の成立過程 https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/10621/24/ronso1220200670.pdf 以下、乾象暦とそれに続く景初暦の食予報について検討するが、 その前に古代中国の「度」について一言説明しておきたい。 現在では角度と時間は全く別の概念であるが、 古代中国では両者は密接に関係付けられており、 太陽が1日に動く角度が「1度」とされていた。(中略) 天体の運動に関して用いられていただけなので、 現代的に言えば角度というよりはむしろ天球上の弧長のイメージに近い。 さて、古代中国の「度」で全周をひとめぐり測ると、 一年の日数と等しくなる。(回帰年ではなく恒星年) したがって、古代中国では全周は360度ではなく約365.25度となり 古代中国の1度は現在の1度よりやや小さいことになる。 本稿では古代中国の「度」を便宜上「中国度」と呼ぶことにする。 >>356 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjca/53/3/53_3_17/_pdf 2)羅針盤の形成年代 1)羅針盤の前身は “ 指南浮針 ” と呼んで,宋代に は盛んに使われていた。 2)浮針は,藺草(いぐさ)の “ なかご ” の白い芯に, 磁針を突き刺したものを使っていた。 3)その頃,既に磁北の偏心もよくわかっていた。 4)指南浮針は,少なくとも 1103 年以前から使われ ていたことは明らか。これは,朱ケ(しゅいく) が使節として高麗に赴いた時の紀行文『萍洲可談』 に明記されているからだ。 5)南宋時代には,浮針と円形方位版(これは紀元 前から風水の道具としてあった。)とを組み合わせ た羅針盤は15分ごとの,48方位を刻む版であった。 6)この時代には,鉄を熱して人工的に磁化する方 法が発明された。 宋代には 4 回にわたって中国全土に及ぶ恒星観測 がなされ,正確な天文測量の基礎が確立された(図 10)。その成果は容易に複写しやすいように,「石刻図」 の形で残されている(図 11)。 意外と新しい仕組みでした、、、 ことば談話室 二六時中? 四六時中? 松本 理恵子(2010/04/15) http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/danwa/2010041000001.html ◇江戸時代の時刻と関係あり では、「四六時中」とは何でしょう。1872(明治5)年に採用された24時間制が関係しているようです。 つまり、4×6=24で「四六時中」。辞書の用例をみると、早くも1876(明治9)年の用例が載っています。 人々の暮らしに合わせて、言葉が変化したということなのでしょう。 今では、もともと「二六時中」だったなんて知らずに「四六時中」を使っている人も多いかもしれません。 ◇三五の歳、十三屋…かけ算や足し算で「しゃれ」 >>562 等48分割はは7.5度 4×4×3 風水羅盤 流派により、三元羅盤(三元盤)と三合羅盤(三合盤)の二種類があるという[1]。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E6%B0%B4%E7%BE%85%E7%9B%A4 中心に磁石の方位磁針が埋め込まれている。外周に向かって地盤・人盤・天盤という三盤から構成されているのが基本である。 地盤は、子・丑・寅と方位を示す二十四方位が刻印されている。 子を北極星の方角に定位させておくのである。磁石の方位を磁北(じほく)と言い、北極星の北を真北(しんぼく)と言う。 東京でおよそ6度、北海道で7度と日本各地の緯度により異なる。 風水はそもそも道教であるために、磁北ではなく真北を用いて測量する。 地盤の子を北極星にあわせる。 易経羅盤(えききょうらばん) 六十四卦の方位に別れ、内側と外側の逆卦が対になって刻印されている。 辰巳の吉方位には「泰」がある。内卦も外卦も同じ泰であり、陽宅から泰の方角は大吉であり、 その方角に住む人から見ても泰の恩恵を与えると言う意味である。 これらの四つの項目が表記された風水羅盤を「将盤」(しょうばん)または総合羅盤と言い、地盤・地盤・天盤を三合羅盤と言う。 最大の羅盤は、50層になる、易経羅盤の64方位が六爻に細分され384方位の吉凶を判断することが可能である。 新1万円札「数字のフォントがダサい」とネット上で批判が殺到! https://www.mag2.com/p/news/394006 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:7bff9ed63942b4cd01610d20b2c06e65) >>256 >>462 二進法はポリネシアの先住民が起源を主張しているらしい、、、 これはいろいろと考えなければいけません http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51910986.html (概要) 12月17日付け: Mangareva - Binary System 最近の研究により、欧米の数学者が二進法を発明した以前(数世紀も前)にポリネシアの先住民が 二進法(コンピュータの計算方式)を発明していたことが分かりました。 Proceedings of the National Academy誌によれば、 小さな離島であるマンガレバ島の先住民は何世紀も前に貿易を行うための計算法を発明していました。 当時、彼らは欧米人よりもはるかに数学的な進歩を遂げていたことが分かりました。 イースター島とタヒチの間に位置し、面積が18平方キロメートルの小さなマンガレバ島には、 現在、2千人の島民が暮らしています。ノルウェーのベルゲン大学の教授と彼の研究チームは、マンガレバ島の島民について研究をしていた際、 彼らが1〜10までの数字を使い20〜80までの数字を使わず、20、40、80という個別の数字を使った二進法で計算していたことを発見しました。 非常に大きな数を数えるときには10の累計で1千万まで数えることができました。 彼らは貿易を行う上でこの計算方式を最も頻繁に使っていました。 書面や表記法を持っていなかった彼らは、暗算しやすい二進法を使うことで貿易が容易にできました。 しかも全てを暗記していたのです。 17世紀の最も有名な数学者の一人であるゴットフリート・ライプニッツが二進法を発明したとされていますが、 現在、二進法は0か1で表すコンピュータ・システムの基礎を表す計算法として知られています。 >>567 VTK ぼるてっくす? なんでしょうか V80 T40 K10 ちなみにこれはインダス文明の 計量単位と裏返しになってますね ふむぅ、、、 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%80%B2%E6%B3%95 命数法 二進命数法とは、2 を底とする命数法である。真の二進命数法では、二の冪数(2n)に対応する数詞があり、数はそれらの和で表される。 自然言語では、このような命数法はパプアニューギニアのメルパ語[1] (Melpa) でのみ知られている[2]。 通常、二進法の数詞を持つとされるものは二つ組で数える体系であり、乗算が含まれないため、真の二進法ではない。 以下にパプアニューギニアの南キワイ語[3] (Southern Kiwai) およびシッサノ語[4] (Sissano) の数詞を示す[2]。 森の大きさ 豚200頭の森(「ドゥームズデイ・ブック」) >>168 >>167 >>178 ここにネイピアとその周辺について わかりやすくまとめてありました ティコさんの中の人まわりに人が集まっていておもしろいですね。 「必要は発明の母」ってやつでしょうか・ ジョン・ネイピアが20年かけた対数表について https://qiita.com/yaju/items/af46fd43bb790b1a2f3a (抜粋) 大航海時代の航海術にはサインやコサインの三角法が必須で、 三角法も有効数字が10桁以上もある精密なものが作られていましたが、 その計算、特にかけ算と割り算が困難を極めたのです。 1590年に、ネイヒ?アの友人がある事情でデンマークに行き、ティコ・ブラーエの天文台を見ました。 そこで三角法の式を利用して積を和に直す方法(積和の公式)が使われていることを知りネイピアに伝えたところ、 彼はこの話に刺激されて対数の研究を始めたそうです。 西洋式は10^7で小数を表現する伝統があるようなのですが これはどこからやってきたんだろう、、、 プトレマイオスさんの桁数は結構少なめだった気がします 重要度の単位 平成→令和の天皇即位 これがNFLスーパーボウルの100倍 ということはスーパーボウルの歴史を超えてきた 寿命から類推するとスーパーボウルが逆転する可能性は薄い >>554 >>572 ペルガのアポロニウスさんが アルキメデスさんの後に 10^4のシステムを利用したとの情報もありますが これはよくわからないですね 手で計算する限り数表などをつくるには10^7程度で十分な気はします 一万が人間的な単位というのは納得できるところなので 10^3システムはフランスの中の人が利用するまで あんまりなかったのかどうなのか、、、 地球単位で考えるのもなあ。宇宙を世界史の分野に入れるとか。 >>572 プトレマイオスさんの中の人は 半径60の円を小数点2桁まで ということは、60^3なので216,000=0.216*10^7 とすると、ほとんど一緒ですねぇ やっぱこのあたりが有効数字なんでしょうか >>158 単位算術はたしかシモンさんの中の人でした、、、 >>206 王朝時代からエジプトの神殿には 「生命の家」(ペル・アンク)という施設が存在した。 ここでは宗教・学術の著作活動や,文書の保管,神殿のレリーフや記念物に刻まれる 碑文の製作活動が行われたと考えられている。 「生命の家」の設置は,王朝時代のみでなく, プトレマイオス朝期にも確認することができる46)。 マネトンが高位の神官地位にあったことからも,Redford は彼がこうした 「生命の家」所蔵の王朝時代からの記録を基に執筆活動を 行っていたと推測している。 度量衡 度は長さ 量は体積 衡は質量 ひとつもかみあっていないじゃないか! 現代的な次元でいくと 時間が抜けてるだけで ちゃんとかみ合ってないような気はします 量と衡はわりとごっちゃになってしまうのと お金と衡もごっちゃになっちゃうので このあたりがしっちゃかめっちゃかになってしまいます 両、ポンド、マルク もとはどれも質量(重量)単位なんだよね 一定の重さの貴金属を用意する。 一定の枚数の貨幣を造る。 重さの単位が貨幣単位にもなる。 >>152 >>158>>165 >>166 インド数学はかなり早い段階で 代数学が発展していて おそらくビエトよりもかなり先行すると思われます 幾何学とはそうそうに切り離されたみたいです five-bar gateにせよ「正」にせよ 基数が5なのは片手の影響か? >>583 代数が独り歩きを始めると、虚数概念が必要になってくると思うんだけど、 その辺、インドはどうなんだろうか。 >>587 いまさら再発見いましたので ちょっくら調査してきます >>587 二次方程式の解の公式による 正負の二つの解を同時に扱ったのはこの方らしいですが 虚数概念に関しては触れられてなさそうですね マハーヴィーラ (数学者) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%A9_ (%E6%95%B0%E5%AD%A6%E8%80%85) マハーヴィーラ(Mahavira、ヒンディー語:??????)は、インドの数学者、ジャイナ教徒。9世紀にかけて活動した。 現カルナータカ州のグルバルガの出身。マイソールで活動し、アリヤバータやブラーマグプタの業績や、ジャイナ教の数学を研究した。 当時のインドの数学者の多くは天文学者でもあったが、マハーヴィーラは数学に専念した。 ジャイナ教は紀元前200年頃から数学研究を発達させ、『スターナアンガ・スートラ』などの文献には、 数論、分数などの算術、幾何、1次から4次までの方程式、順列組合わせが記述されている。 マハーヴィーラはこれらの成果をもとに『ガニタ・サーラ・サングラハ』(Ganita Sara Sangraha)を著し、ジャイナ数学の業績としては最高のものとされた。 >>577 セシャト https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%88 セシャト(Seshat)は、古代エジプトの知恵、知識、記述を司る女神であり、様々な綴りが見られる[6] 。 名前の意味は「代書する女性」で、彼女は書記および記録保管者とみなされ、記述法を発明したとされている。 彼女はまた、会計学、建築学、天文学、占星術、数学、測量を司る女神としても認識されていた。 「本の館の女主人(Mistress of the House of Books)」はセシャトの別名で、彼女の神官たちが図書館を監督し、最重要な知識の冊子が集められ、綴られた文章が保管された。 エジプト第4王朝の王子の1人Wepemneferetが「王立書記の監督官、セシャト神官」であると古代エジプトの石碑(Slab stela)には記されている。 ヘリオポリスは彼女の主要な聖域と位置付けられた。 たいてい彼女はヤシの茎を持ち、そこに時間経過を記録する刻み目をつけて、特にファラオの人生の時間配分(各ファラオの治世期間の長さ)を追跡し続けている様子が描かれる。 また彼女は他の道具を、それはしばしば、土地や建造物を調べるための一定間隔で結び目のある紐、を持っている姿でも描かれている。 >>589 >>467 ここらへん時代が錯そうしちゃってるので どういうことか今度調べてみよう >>583 「ホルスの目」が幾何級数の表現だという説は 深読みしすぎなのか何なのかわからん 「赤いピノキオ怒ってる」? 世界共通の“絵文字”には日本人にしか理解できないものがたくさん https://getnews.jp/archives/2286176 >>576 なんか間違ってそうですね 2.16*10^7 でしたか どっちにしろ>>572 はネイピアが簡易計算法の元にした 三角関数のやつからきてそうなので これにならったとしても良さそうな気はしますね http://www.pi-sliderule.net/sliderule/history/log.html ここだと 対数の発見がイタリアのミハイル・シュチーフェルになってますが おそらく1544年の誤りで、累乗について述べたものにみえます この方は2を底にしたテーブルっぽいです ちなみにヘンリー・ブリッグスの年数も間違っています 他にこの方のウィキペディアの記事の ジョン・ネイピアが対数の底として採用したネイピア数というのも間違っています ケプラー立体に至る流れは 好きなだけあってここが詳しかったです 正多面体クラブ 科学を楽しく面白く!...正多面体は作ってみると面白い。奥が深 〜い。 そしてハマる(^o^) http://polyhedra.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/5-f8f2.html 正多面体が5種類あることは石器時代の人も知っていた >>564 中国の羅針盤は 8方(四方と四隅)×等3分割 ⇒24方向が基本らしい そんで 航海用の羅針盤はこれを更に2等分して ⇒48方位 風水用の羅針盤はこれを更に3等分して ⇒72方位 そんで方位の名前もかなり違っていて 名前の方角が一致するのは12方位だけらしい >>468 インドの利子計算は簡易法でしたが >>571 逆にシモン・ステヴィンによる1582年『利子表』が ヨスト・ビュルギの対数に影響を与えた可能性が示されてますね (抜粋)ビュルギの対数は金利計算の複利の終価の表がもと ここのシモン・ステヴィンさんの記事が詳しいのですが やはりといいますか、とりあえず天才すぎてヤバイです 人と星とともにある数学 第6回 6月 7, 2016 ジョン・ネイピア小数点「・」誕生物語 >>577 ここには単位算術は説明が載ってないですが おそらく1585年『十分の一法』の絡みでしょうね (抜粋) 確かに、この記数表自体は使いやすいものではありません。 しかし、この本の中でステヴィンが主張したことは、十進法の導入、計算規則と単位の統一でした。 本は次の謝辞で始まっています。 天文学者、測量士、絨毯計測士、ワイン計量官、体積を測る専門家一般、造幣長官、そしてすべての商人にシモン・ステヴィンは幸運を祈る。 ステヴィンの目指したことは度量衡革命だったのです。 メートルがフランスによってつくりだされる1800年前後の実に215年前に、ステヴィンは統一という“革命”に着手したということです。 >>216 この方がアラビア式の計算方法のヨーロッパにおける先駆者かもしれない バースのアデラード バースのアデラード(羅: Adelardus Bathensis、英:Adelard of Bath、1080年頃 ? 1152年頃)は12世紀イングランドの自然哲学者で、 自身の著作の他に、占星術、天文学、哲学、数学などの古代ギリシア語で書かれアラビア語に訳された作品やもともとアラビア語で書かれた作品をラテン語へ翻訳したことで知られる。 アデラードが翻訳した著作はそれまで西欧では知られていないものであった。 彼はインドの数体系をはじめてヨーロッパに紹介したことでも知られる。 彼は、フランスの伝統的な学派、南イタリアに残っていたギリシア文化、東方のアラブ人の学問という三つの知的伝統の交差点に立っていたといえる[2]。 >>601 アデラード自身の著作の残りは甥を登場人物として使っていない。 彼は「レグラエ・アバキ」と呼ばれる一種のアバカスを利用して論文を書いた[21]。 その論文にはアラブ人の学問の影響が見いだせないため、ごく初期に描かれたと考えられている[2]。 この論文は、中世に貨幣の計算に使われたチェス盤のテーブル、つまり財務省とアデラードがつながりを持っていたことの証拠だと考えられている[22]。 さらにこのことの証拠はヘンリー1世のパイプ・ロールに見いだされる。 そこには彼が1130年にウィルトシャーのコミュニティーに課された[22]マーダー・ファイン(ある地域のなかで侵入しやすい領域でしばしばおきたノルマン人による殺人に基づいた、 その地域の住民が課される税金)からの償還を受けていることが示されている[23]が、この事実に関する証拠は他にはない。 ラテン世界でよく知られたバースのアデラードの作品はフワーリズミーの『天文表』の翻訳であり、 これがイスラーム圏の代数学に関する著作のラテン語訳のうちで最初に広く読まれた作品となった[2]。 中世において彼は幾何学を再発見して教えたことで知られ、 エウクレイデスの『原論』の最初の完全なラテン語訳を作成してそれを西欧の人々に説明する過程の嚆矢となったことで名声を得た[7]。 ここにも一部載ってましたね、ふうむ >>176 チェスターのロバート チェスターのロバート(Robert of Chester、ラテン語: Robertus Castrensis)は12世紀において 数学、天文学、錬金術、クルアーン(コーラン)等の文献をアラビア語からラテン語に翻訳し紹介した人物。 イギリス人。 ケットンのロバート(英語版)と同一視されることもあり、こちらはRobertus Retinennsis, Robertus Ketenensis, Robert de Ketene, Robert de Retines, Robertus Cataneusなどと表記される。 スペインのトレドに集まった翻訳家でかつナバラ王国のパンペルナ(Pampelune)の助祭長の一人。 1136年、チボリのプラトとともにバルセロナで研究していたと推測される。1141年にスペインにいた証拠がある。 イタリアとギリシアに旅したらしい。後、イギリスに戻る。1143年、クルアーンをラテン語に訳した最初の人物であった。 天文学[編集] アル・バッターニーの天文学をラテン語に翻訳し、いくつかの天文表(astronomical tables)を用意した。 算術(数学) アル・フワーリズミーの著書『約分と消約との学』(ilm al-jabr wa'l muqabalah)820年をラテン語に訳し『Liber algebrae et almucabola』を著した(あるいはバースのアデラードの功績ともいう)。 Al-jabr[1]に由来する「algebra」は今日英語で代数学を意味する語となっている。 またアル・フワーリズミーの別の著作『インドの数の計算法』(Kit?b al-J?m'a wa'l-Tafr?q bi'l-His?b al-Hind?)825年の翻訳『Algoritmi de numero Indorum』は、 直訳すれば「インドの数に関して、アル・フワーリズミー[2]」という意味の書名 錬金術(化学)[編集] 主にジャービル・イブン=ハイヤーンの書をラテン語に翻訳し、ヨーロッパの錬金術と、後の化学の発展のきっかけを作った。 1144年2月11日モリエヌス(Morienus)を『錬金術の構成の書』として翻訳した[3][4]。 これの序文は、ヘルメス・トリスメギストスの伝説を回想したものである。 ジャービルのアラビア語による『Kitab al-Kimya』(化学の書)は錬金術(羅: Alchemia)の語源となった。 チェスターのロバートはイベリア系統で バースのアデラードはシチリア→レヴァント(十字軍の地) フィボナッチはアルジェリア→ピサ(途中でシチリア) そうすると魔法使いの教皇と、どんな感じで絡んでらっしゃるのかしら >>601 彼はおそらく司教のトゥールのヨハネの助言を受けて11世紀末にイングランドを発ちトゥールへ向かったと考えられている。 トゥールのヨハネは1090年にウェルズからバースへ自身の受け持つ司教管区が異動した人物であった。 トゥールで就学していたころのアデラードは匿名の「トゥールの賢者」に刺激され天文学に関心を持ち、学問を深く志すようになった[7]。 アデラードは後にランで教師となるが、1109年にはランを発った[8]。 ランを発った彼は1116年には南イタリアやシチリアを旅した[2]。 そののちにはアデラードは「十字軍の地」、つまり、ギリシア、西アジア、シチリア、スペイン、さらにおそらくはパレスチナなどを広く旅してまわった[9]。 こういった地域に滞在した経験から彼は数学に関心を持ち、タルススやアンティオキアでアラビア語圏の学者たちと交流を持てたのではないかと考えられている[2]。 1126年までにはアデラードは自らがアラブ人の天文学・幾何学に関して得た知識をラテン世界に広めようと考えながら西欧に戻ってきた >>602 チェス盤のテーブルの話は機械があったら調べてみたいですね たぶんポンド、シリング、ペンスの相互変換で外国通貨は関係なさそうですが パイプロールもペル事務所も羊皮紙(皮)を示すとのこと >>604 クレモナのジェラルドは、トレドへおでかけ プトレマイオスの「アルマゲスト」 アル・クワリズミの 「 代数とアルムカバラ」 >>601 >>603 結局のとこ『インドの数の計算法』の簡易板があって おそらくこれが位取りシステムと10進法計算法を紹介したもののようです ただ自由に消せる砂板が必要だったかもしれません アブハサン・アル・ウクリディシによる計算方法が 現在の実際の計算記法に近そうです >>600 そんでもって952年頃の「アル・ウキリディの算数論」が小数記号を最初に用いたのかもしれません >>574 17世紀ぐらいでショートとロングが分離したそうな とすると10^7表記はこれに準じたものかもしれませんね 西洋の命数法 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 1475年 ジャン・アダムが1012(一兆)、1018(百京)を表す言葉としてbymillion, trimillionを用いた。 1484年 フランスの数学者ニコラ・シュケー(英語版)が著書『Triparty en la science des nombres』の中で、 1012(一兆)、1018(百京)、1024(一?)、1030(百穣)、1036(一澗)、1042(百正)、1048(一極)、1054(百恒河沙:万進法による)を それぞれbyllion tryllion, quadrillion, quyllion, sixlion, septyllion, ottyllion, nonyllionと表した。 この本は1870年代に初めて発行されたものであったが、この大部分はエスティエンヌ・ド・ラ・ロッシュ(英語版)の著書『L'arismetique』(1520年)からとったものであった。 1549年 ジャック・ペルチエがmilliard (milliart) を "Million de Millions"(millionのmillion)すなわち1012(一兆)として用いた。 彼はこの用法をフランス人の学者ギヨーム・ビュデ(英語版)(1467-1540年)によるものだとした。 17世紀 6桁(百万)ごとに名前の変わる伝統的な方式(後のlong scale)から、3桁(千)ごとに名前の変わる新しい方式(後のshort scale)が分かれ、 フランスやイタリアでbillionを109(十億)の意味で使う科学者が現れた。それでもthousand millionやmilliard(ペルチエの用語)を用いる方が多数派であった。 こちらの用法がイギリスやドイツその他ヨーロッパ全域で採用され、Chuquetのlong scaleのbillion(一兆)が使われ続けることとなった。 Tokyo42ということらしい 【日本初】世界に広がる「学費無料のIT技術者養成機関」が東京に開設 [チミル★] http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1592815371/ >>578 度 不明 量 かさ=>容積 衡 平衡=>重さのつり合い=>重さ 句点が誤読を防止する 警官が自転車に乗って逃げる泥棒を追いかける 警官が、自転車に乗って逃げる泥棒を追いかける 警官が自転車に乗って、逃げる泥棒を追いかける うるさすぎて素数も数えられなくなりそう、、、 【生物】今年5月、17年周期で大量発生する「素数ゼミ」がアメリカに出現予定 [すらいむ★] https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1611808565/ 新潮新書、佐藤健太郎著「番号は謎」をブックオフで買ってきた。 プペル単位 映画のおもしろさの単位 最小単位であるかに関しては議論が残るそうです >>620 実写版デビルマンはマイナスだから単位には不向きだろうな 麻生「教育なんてさ、小学校までで十分だろ?微分積分、因数分解なんて誰も使ってねえじゃねえか」 微積は高校で理系のみ 因数分解は99*99とか暗算に使用できる ソロバンの達人ならいらないだろうけど >因数分解は99*99とか暗算に使用できる どういう人生なら、そういう計算が日常的に必要になるの? つーか、今時スマホも持ってないとかw で、どういう環境だとそんな暗算が日常で必要になるの? 一般論が全く想定できないなら、君の人生で最後に因数分解を日常で用いたエピを聞かせてよw 俺は624じゃないが普通に考えてるとき計算するけどな 2桁のかけ算ぐらいまでは良くやるわ 割算は難しいので数値はしょるけど というかわざわざいつも電卓持ってるのか? 会議の時とか困るだろ 誰も言ってない謎の電卓を持ち歩くという設定はもちだすのに 普通に二桁掛け算を計算するという状況をたずねても絶対に答えない なんで素直に揚げ足とりに失敗しましたと言えないのかなぁ 仕事しててもゲームしてても サーフィンしても使ってるから いつもなんじゃね? なんで素直に揚げ足とりに失敗しましたと言えないのかなぁ お釣りの計算のチェックができる スマホでお釣りの検算をしていたら キモイ・ケチと思われる 今時現金支払いw お小遣いの少ないオコチャマは大変だね 俺も小学生の頃は一生懸命暗算してたわ 小遣いが万札になった中学生以降は概算しかしないし 今じゃ現金の遣り取りなんかほとんどしないけど 子供は大変だね >>631 あぁ、なるほど 概算するのに2桁のかけ算してるんだが 普通はそうじゃないんだな これは失礼しましたww 概算とは、厳密ではない大まかな数字を使った計算のこと、および、その計算結果のこと。つまり、大体の(ざっくりとした)計算結果のこと。 >麻生「教育なんてさ、小学校までで十分だろ?微分積分、因数分解なんて誰も使ってねえじゃねえか」 麻生は間違ったことを言っていないということだね>>632 ようやく自分が何を間違えているのか理解できたようでなにより ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる