西ローマ帝国を語ろう [転載禁止]©2ch.net
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ギボンにもイスラム教成立までの繋ぎ扱い
資料が少ない
華のあるビザンツ帝国のほうが面白い
と苦難だらけの西ローマ帝国を語ろう!
Wikipediaから一覧
395年 - 423年 ホノリウス(西ローマ初代・テオドシウス朝第2代)
423年 - 455年 ウァレンティニアヌス3世(テオドシウス朝最後)
455年 - 455年 ペトロニウス・マクシムス(テオドシウス朝断絶後の初代)
475年 - 476年 ロムルス・アウグストゥルス(最後)
474年 - 480年 ユリウス・ネポス(事実上最後) 西ローマ帝国を語るのなら364年のヴァレンティニアヌス帝からではないんか? 何気にこの時代ゲルマン人主体の国が北アフリカまで建国されてたっていうことは注目していいところだと思う
バルト海からサハラ砂漠まで、他の民族を取り入れてはいたが、1つの民族がこれほど長い距離を移動して国を立てたのは、遊牧民でもない集団ではかなりまれなことかもしれない。 アリウス派とニカイア派のどちらが主流になるか争いまくってた時代か >>6
無人地帯を移動するのと、色んな人間ひしめく文明地帯を移動するのとでは訳が違うと思うんだ…
それとアメリカの場合は北から南まで千年以上かかってるし、到達したのが同じ集団かは定かではない
そんなわけで西ローマ時代のゲルマン人の征服はなかなか珍しいことなのではないかな?
多分ローマのインフラと征服した土地の人間が大きく関わっていたと思われるけど、加えてゲルマン世界とローマ世界がどれ程関わっていたのかも詳しく知りたい アレクサンダー大王もインドまで約10年近くで到達しているから移動時間はお馬さんの速さじゃないの? イスラムの征服までは北アフリカもヨーロッパの一部みたいなものか
あるいは地中海世界から北アフリカが離脱してヨーロッパが成立したか 西ローマ帝国を語ろうぬむの戦い にスレタイを何故しなかった? ヴァンダル王国だけヨーロッパの飛び地として
アフリカに残っていたらオモシロかったろうに
カトリックを信仰するベルベル人の国家
(王はゲルマン+ベルベル) もともとはアリウス派らしいけど、
西ヨーロッパの国々と手を組むためにはカトリック改宗は仕方ない 「コンスタンティノスの寄進状」とか見ると、
中世ヨーロッパでは
西ローマって完全に忘れ去られてたんじゃあるまいな >>3
ソワソン管区とか聞くと何か風雲急を告げる感じがするよな? この時代の食事も気になるなあ
戦争するわけだがら一日1万カロリー程度取らないと腹減ってしょうがないが
ローマ人は滅多に肉を食べず基本菜食主義だったわけで菜食主義でよく戦争出来るな >>16
いや、偽書だろうとそれが信じられてたってことでしょ
どうも中世の西欧人の認識だと、
皇帝と教皇が帝国を二分割したみたいな感じだったみたいね >>17
肉はそんなにカロリーに溢れた食材じゃねぇからな
ローマ軍はオートミールとか玉葱が支給されてるから
カロリーと必要な栄養素はそれでなんとかなった
足りないものも多いが 西ローマ帝国は早いうちからゲルマン民族の侵攻にあいローマ人との同化が進んでいったからな
ローマ教皇(ローマカトリック教会)がゲルマン民族でも数少ないアタナシウスの説を採用したフランク人と提携した時点で西の皇帝は不用となった
その後の西ローマの皇帝権(フランク皇帝→神聖ローマ皇帝)はローマ教皇とカトリックを守護する用心棒に過ぎないのです メロヴィング朝って全くローマの国境を越えてないのか ザクセン戦争ってカエサル以来800年ぶりに
「ヨーロッパ」のフロンティアが東に拡大した大事件かもしれん 西も東もローマ帝国に就いて語りたいのなら、
京都大学学術出版会より刊行されている傑作
『西洋古典学事典』を、
しっかりと読むことだ。
それに尽きるぞ。
よいな。 >>17
食料は敗北した部族に提出さしたり地元の友好部族の市場から買ったりで
色々だから常に同じもの食ってたわけじゃないけどな >>3
なんで塩婆に無視されたんだろうね?
オドアケル支配のイタリアは延々とやったのに。 >>27
しまったシアグリウスはガリアだったか
俺はオドアケルの王国と間違っていたわw
シアグリウスは塩野さんの範疇ではなく佐藤賢一先生の範疇でしょうね 塩婆はカエサルとオクタブィアヌスのローマが好きでそれ以外はどうでもいい感じ…の印象しかない ローマ人によるローマらしさが残るローマが好きなんだよ
要はカエサルが設計しアウグストゥスが立てたローマ帝国だな
そういう意味でローマらしさが残ってないローマ帝国は後継国ではあっても正真正銘のローマじゃないのよ
政治体制はいくら変わってもローマらしさは失って欲しくなかったんじゃないか そもそもカエサルがそれ以前のローマ人らしくない
帝政は本来ありうべきローマらしさではない カエサル以前のローマはイタリア本国と属州がしっかりつながっておらず
イタリア本国以外はいざとなれば放棄出来そうな状態だった
カエサルとアウグスツスによって肥沃な属州の間の気候の厳しい土地も
属州化されてローマの領土が一体化された
ライン河とドナウ河とユーフラテス河を天然の堀として
全領土を防衛するようになった 昔ほどローマらしいローマだと考えるなら
初期の王制時代こそがローマだということになる
だがその頃は小国で、半島内ですら決してトップの国ではなかった ローマらしいローマと言えば
やはり共和制時代だろうね 共和制でも
小国だった時代のローマではなく
ポエニ戦争以後の大国になったローマだな ポエニ戦争以後の大国になったローマは
地中海式農業が可能な土地を征服していった
各地の属州は島のように点在していた
カエサルとアウグストゥスが地中海式農業が
出来ない土地も征服して領土を繋ぎ合せた いや結局飛び地的領土ってのは当時の技術レベルの限界だぞ 飛び地じゃいざというときに使者が自由に行き来できるという保証は無いし
中央の支配を無視して現地が好き放題することも容易だ 飛び地的領土では反乱が起きた場合に各地に大軍を派兵していた
アウグストゥス以後は国境の大河川ぞいに兵力を配置して外敵に備えたけど
これは既に支配していた属州で反乱が起き難い事が前提となる 8 名前:世界@名無史さん
京都大学学術出版会が出している
『西洋古典学事典』のI-PAD版が大変
役に立ちます。
有益この上ないツールですので、買わないと損をしますよ。
とくに古代ギリシャ・ローマに関心のある方々にとりては必携ですぞ。 なぜ中世ヨーロッパは厳格なキリスト教を受け入れたのでしょう?
そこにはもちろん、合理的な理由があったのです。
最大の理由は中世の貧しさです。
禁欲のキリスト教は貧しい中世の荘園世界にジャストフィットしました。
それ以前…古代ギリシアやローマの時代は豊かでした。
なぜなら地中海を支配していたからです。
温暖な気候の中、各地域はそれぞれの特産品の生産に特化し、海上貿易が盛んに行われていました。
人々はその経済力で食と性の享楽にふけりました。
しかし、ゲルマン民族の大移動で西ローマ帝国は崩壊。経済秩序が破壊されます。
またイスラム勢力に地中海の制海権を奪われ、貿易も不可能になりました。
ヨーロッパは深い森の中で、小さな村(荘園)単位での自給自足体制を強いられます。
中世とは都市も海も失ってしまった時代。
人々はアルプス以北の寒冷な森に入って行きました。
地力もなく、流通もなく、深い深い森の中にある小さな村での自給自足。
その貧しさに耐えるため、中世は神への強い信仰を必要としたのです。 ムッソリーニ近代の西ローマ皇帝
ベルルスコーニ現代の西ローマ皇帝
なのだポン スティリコ(ゲルマンとのハーフ)のおかげで帝国が維持されてたのに
ホノリウスがスティリコを殺害した所為で衰亡が確実になった
異民族を嫌うトランプそっくり テオドシウス1世がマグヌス・マクシムスやアルボガステスを倒した時に
西ローマ軍は東ローマ軍により大損害を被っていた
スティリコは東ローマ軍の一部を率いて西ローマ防衛を任されたけど
戦力が不足したので東ローマと兵の奪い合いをせざるえなくなった
多く兵を輩出するバルカン北部を西ローマが東ローマから奪おうとしたので
東ローマは西ゴート族をバルカンから追い出せて一石二鳥という事で
西ゴート族を西ローマにけしかけた テオドシウス1世がマグヌス・マクシムスやアルボガステスを倒した時に
西ローマ軍は東ローマ軍により大損害を被っていた
スティリコは東ローマ軍の一部を率いて西ローマ防衛を任されたけど
戦力が不足したので東ローマと兵の奪い合いをせざるえなくなった
多くの兵を輩出するバルカン北部をスティリコが東ローマから奪おうとしたので
東ローマは西ゴート族をバルカンから追い出せて一石二鳥になるという事で
西ゴート族を西ローマにけしかけた >>49
実質、ロシア連邦国は、プーチン朝モスクワ帝国みたいなイメージだと思う。
プーチン大統領はアッティラ大王の生まれ変わりじゃないかな? >>49>>50
実際、自他ともにそう思ってるのは間違いないw
【5月18日 AFP】ロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領の支持団体は17日、
ローマ皇帝の衣装をまとった威厳あるプーチン大統領の胸像を公開した。
http://www.afpbb.com/articles/-/3048913 おまけw
800-814 カール
これは当時のローマ教皇がフランク国王カールに西ローマ帝国皇帝
の称号を与えたんだっけ。 >>49-50
先代皇帝のインパクトが強すぎると後継者も大変だよね・・・ 移民なんてダメなのは、歴史が証明している
ローマ帝国時代にローマ人は奴隷や兵士育成のために、ゲルマン人を受け入れたが
やがてゲルマン人は権利を主張し、ローマ帝国内に侵入し、ローマ帝国は滅んでしまった
三国志の時代の中国の英雄たちは防衛のために、北方の異民族を受け入れた
(献帝を守った白波軍とは匈奴=フン族のこと後にハンガリーに侵入
柔然は後にブルガール人としてブルガリアに定住
突厥が後にオスマントルコとなる)、
しかしその後に待っていたのは、五胡十六国時代と呼ばれる中国が異民族に跋扈された時代だったのだ
ゲルマン人や北方異民族によって、古代ギリシア人やローマ人は滅び、古代漢民族も滅んでしまったのだ
今のイタリア人もギリシア人も中国人も元々は乗っ取った異民族の子孫である
今の日本人が現在のヨーロッパ人や中国人よりも、三国志の時代の中国人や古代ローマ人に親しみを感じるのはそれは当然なのである
寛容と人の良さが素晴らしい文化と発展を促したのだが、それこそが付け入る隙間を与えたのだ
このように、移民なんて受け入れるのは亡国に自ら進むことと一緒である
今、日本に移民を進める人間は本当の日本人ではない、敵国のスパイなのだ!! 移民がダメなら日本には誰も住んでませんよ
人類の故郷はスーダンかエチオピアかあのあたりなので
全世界移民ですが 匈奴がフンになった説は有名だが、柔然がブルガリアってあまり知られていない? >>49
ロシア帝国は東ローマに仮託してるけどその政権成立過程は
モンゴル帝国後継国家のジョチ・ウルス内部での権力闘争によるもので
実態はモンゴル皇帝だよ 西ローマ帝国崩壊後の北斗の拳っぷり
ゲルマン人の侵入で都市・経済秩序・流通網が破壊されまくった上に
ローマカトリックによる科学軽視で文明もどんどん衰退
日本に大量の中国人・ムスリム・アフリカ人が押し寄せて国内が滅茶苦茶にされ
カルト宗教団体が天下を取った場合を想像してもらえば分かりやすいと思う 漢帝国の最後は三国志で有名だが、
(西)ローマ帝国の最後も劇的なんだけど、あまり小説がない
戯曲のエツィオくらいしかない
アドリアノープル戦のヴァレンス敗死から
スティリコやアラリック、ホノリウスなんて三国志に当てはめできるし
三国志の時期の異民族は大人しかったが、
ローマ末期はアッティラが出てくる
女だってガッラ=プラチディアとか濃いのがいる
アエティウスやオドアケルやアンブロシウスも濃いし
ユリウス=ネポスやビザンチン皇帝のゼノなんて名前からして中2心をくすぐる
三国志並みに人間はいるんだよ イギリス ロシア オランダ ドイツ フランス スペイン ポルトガル イタリア オーストリア などの欧米列強はかつて西ローマ帝国の領土たった! 西暦410年には西ゴート族のローマ略奪と、ホノリウス帝による
ブリテン放棄があったけど、これって前者が後者に影響してるの? >>69
ドイツの西側、ロシアの南の一部はローマ領だったことあるよ
それだったら「イギリスちゃうやん!」」って言わなきゃ
ブリテン島は南側だけがローマ領だったし 西ローマ帝国は 日本史で例えると南北朝時代に例えられている。ホノリウス帝は後醍醐天皇でスティリコは楠木正成に例えられているよ 最後の西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルスには
フン族の血が流れていた可能性がある
と知って驚いた 蛮族の侵入が帝国の衰退の原因の一つではあるけど、帝国を最後まで守ろうとして
戦い抜いた、スティリコやアエティウスも半分蛮族というのも皮肉なもの
帝国が彼らを受け入れるだけの度量と柔軟さを維持できていたなら、
帝国は変質しながらも生き延びることができたのではないかと思う 蛮族を皇帝にすればよかっただけじゃん
カール大帝まで時間かかりすぎ
テオドリックを改宗して皇帝にして一緒に頑張ればよかった >>77
そういや中国では蛮族が皇帝になり、
北半分ならあっという間に統一されてたな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています