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西ローマ帝国を語ろう [転載禁止]©2ch.net
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0001世界@名無史さん
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2015/08/28(金) 10:31:39.750
ギボンにもイスラム教成立までの繋ぎ扱い
資料が少ない
華のあるビザンツ帝国のほうが面白い
と苦難だらけの西ローマ帝国を語ろう!


Wikipediaから一覧

395年 - 423年 ホノリウス(西ローマ初代・テオドシウス朝第2代)
423年 - 455年 ウァレンティニアヌス3世(テオドシウス朝最後)
455年 - 455年 ペトロニウス・マクシムス(テオドシウス朝断絶後の初代)
475年 - 476年 ロムルス・アウグストゥルス(最後)
474年 - 480年 ユリウス・ネポス(事実上最後)
0020世界@名無史さん
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2015/09/01(火) 12:38:09.950
西ローマ帝国は早いうちからゲルマン民族の侵攻にあいローマ人との同化が進んでいったからな
ローマ教皇(ローマカトリック教会)がゲルマン民族でも数少ないアタナシウスの説を採用したフランク人と提携した時点で西の皇帝は不用となった
その後の西ローマの皇帝権(フランク皇帝→神聖ローマ皇帝)はローマ教皇とカトリックを守護する用心棒に過ぎないのです
0021世界@名無史さん
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2015/09/01(火) 20:15:23.87O
メロヴィング朝って全くローマの国境を越えてないのか
0022世界@名無史さん
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2015/09/01(火) 21:27:38.140
ザクセン戦争ってカエサル以来800年ぶりに
「ヨーロッパ」のフロンティアが東に拡大した大事件かもしれん
0023世界@名無史さん
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2015/09/02(水) 09:24:29.42O
>>22
次が北方十字軍
0024世界@名無史さん
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2015/09/02(水) 16:30:38.070
西も東もローマ帝国に就いて語りたいのなら、

京都大学学術出版会より刊行されている傑作

『西洋古典学事典』を、

しっかりと読むことだ。

それに尽きるぞ。

よいな。
0026世界@名無史さん
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2015/09/03(木) 21:39:29.620
>>17
食料は敗北した部族に提出さしたり地元の友好部族の市場から買ったりで
色々だから常に同じもの食ってたわけじゃないけどな
0027世界@名無史さん
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2015/09/08(火) 21:28:13.060
>>3
なんで塩婆に無視されたんだろうね?
オドアケル支配のイタリアは延々とやったのに。
0028世界@名無史さん
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2015/09/08(火) 22:11:55.910
>>27
しまったシアグリウスはガリアだったか
俺はオドアケルの王国と間違っていたわw
シアグリウスは塩野さんの範疇ではなく佐藤賢一先生の範疇でしょうね
0029世界@名無史さん
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2015/09/15(火) 23:45:02.960
塩婆はカエサルとオクタブィアヌスのローマが好きでそれ以外はどうでもいい感じ…の印象しかない
0030世界@名無史さん
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2015/09/16(水) 01:46:55.030
ローマ人によるローマらしさが残るローマが好きなんだよ
要はカエサルが設計しアウグストゥスが立てたローマ帝国だな
そういう意味でローマらしさが残ってないローマ帝国は後継国ではあっても正真正銘のローマじゃないのよ
政治体制はいくら変わってもローマらしさは失って欲しくなかったんじゃないか
0031世界@名無史さん
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2015/09/16(水) 13:11:24.690
そもそもカエサルがそれ以前のローマ人らしくない

帝政は本来ありうべきローマらしさではない
0032世界@名無史さん
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2015/09/17(木) 07:53:29.350
カエサル以前のローマはイタリア本国と属州がしっかりつながっておらず
イタリア本国以外はいざとなれば放棄出来そうな状態だった
カエサルとアウグスツスによって肥沃な属州の間の気候の厳しい土地も
属州化されてローマの領土が一体化された
ライン河とドナウ河とユーフラテス河を天然の堀として
全領土を防衛するようになった
0033世界@名無史さん
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2015/09/17(木) 20:30:08.870
昔ほどローマらしいローマだと考えるなら
初期の王制時代こそがローマだということになる

だがその頃は小国で、半島内ですら決してトップの国ではなかった
0035世界@名無史さん
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2015/09/17(木) 23:33:00.920
共和制でも
小国だった時代のローマではなく
ポエニ戦争以後の大国になったローマだな
0036世界@名無史さん
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2015/09/18(金) 08:11:34.040
ポエニ戦争以後の大国になったローマは
地中海式農業が可能な土地を征服していった
各地の属州は島のように点在していた

カエサルとアウグストゥスが地中海式農業が
出来ない土地も征服して領土を繋ぎ合せた
0037世界@名無史さん
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2015/09/18(金) 21:25:05.380
いや結局飛び地的領土ってのは当時の技術レベルの限界だぞ
0038世界@名無史さん
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2015/09/19(土) 00:18:19.220
飛び地じゃいざというときに使者が自由に行き来できるという保証は無いし
中央の支配を無視して現地が好き放題することも容易だ
0039世界@名無史さん
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2015/09/19(土) 02:14:12.100
飛び地的領土では反乱が起きた場合に各地に大軍を派兵していた

アウグストゥス以後は国境の大河川ぞいに兵力を配置して外敵に備えたけど
これは既に支配していた属州で反乱が起き難い事が前提となる
0040世界@名無史さん
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2015/09/23(水) 12:58:28.770
8 名前:世界@名無史さん

京都大学学術出版会が出している
『西洋古典学事典』のI-PAD版が大変
役に立ちます。

有益この上ないツールですので、買わないと損をしますよ。


とくに古代ギリシャ・ローマに関心のある方々にとりては必携ですぞ。
0041世界@名無史さん
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2016/01/02(土) 22:14:31.120
なぜ中世ヨーロッパは厳格なキリスト教を受け入れたのでしょう?
そこにはもちろん、合理的な理由があったのです。

最大の理由は中世の貧しさです。
禁欲のキリスト教は貧しい中世の荘園世界にジャストフィットしました。
それ以前…古代ギリシアやローマの時代は豊かでした。
なぜなら地中海を支配していたからです。
温暖な気候の中、各地域はそれぞれの特産品の生産に特化し、海上貿易が盛んに行われていました。
人々はその経済力で食と性の享楽にふけりました。

しかし、ゲルマン民族の大移動で西ローマ帝国は崩壊。経済秩序が破壊されます。
またイスラム勢力に地中海の制海権を奪われ、貿易も不可能になりました。
ヨーロッパは深い森の中で、小さな村(荘園)単位での自給自足体制を強いられます。

中世とは都市も海も失ってしまった時代。
人々はアルプス以北の寒冷な森に入って行きました。
地力もなく、流通もなく、深い深い森の中にある小さな村での自給自足。

その貧しさに耐えるため、中世は神への強い信仰を必要としたのです。
0045世界@名無史さん
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2016/11/04(金) 16:44:59.170
ムッソリーニ近代の西ローマ皇帝
ベルルスコーニ現代の西ローマ皇帝
なのだポン
0046世界@名無史さん
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2016/11/05(土) 21:35:11.710
スティリコ(ゲルマンとのハーフ)のおかげで帝国が維持されてたのに
ホノリウスがスティリコを殺害した所為で衰亡が確実になった
異民族を嫌うトランプそっくり
0047世界@名無史さん
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2016/11/05(土) 22:35:47.630
テオドシウス1世がマグヌス・マクシムスやアルボガステスを倒した時に
西ローマ軍は東ローマ軍により大損害を被っていた
スティリコは東ローマ軍の一部を率いて西ローマ防衛を任されたけど
戦力が不足したので東ローマと兵の奪い合いをせざるえなくなった
多く兵を輩出するバルカン北部を西ローマが東ローマから奪おうとしたので
東ローマは西ゴート族をバルカンから追い出せて一石二鳥という事で
西ゴート族を西ローマにけしかけた
0048世界@名無史さん
垢版 |
2016/11/05(土) 22:40:14.360
テオドシウス1世がマグヌス・マクシムスやアルボガステスを倒した時に
西ローマ軍は東ローマ軍により大損害を被っていた
スティリコは東ローマ軍の一部を率いて西ローマ防衛を任されたけど
戦力が不足したので東ローマと兵の奪い合いをせざるえなくなった
多くの兵を輩出するバルカン北部をスティリコが東ローマから奪おうとしたので
東ローマは西ゴート族をバルカンから追い出せて一石二鳥になるという事で
西ゴート族を西ローマにけしかけた
0050世界@名無史さん
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2016/11/06(日) 16:59:02.840
>>49
実質、ロシア連邦国は、プーチン朝モスクワ帝国みたいなイメージだと思う。
プーチン大統領はアッティラ大王の生まれ変わりじゃないかな?
0051世界@名無史さん
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2016/11/06(日) 18:14:39.580
>>49>>50
実際、自他ともにそう思ってるのは間違いないw

【5月18日 AFP】ロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領の支持団体は17日、
ローマ皇帝の衣装をまとった威厳あるプーチン大統領の胸像を公開した。
http://www.afpbb.com/articles/-/3048913
0052スレチだけど
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2016/11/08(火) 11:16:03.300
おまけw
800-814 カール

これは当時のローマ教皇がフランク国王カールに西ローマ帝国皇帝
の称号を与えたんだっけ。
0057世界@名無史さん
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2017/04/30(日) 01:20:52.350
移民なんてダメなのは、歴史が証明している
ローマ帝国時代にローマ人は奴隷や兵士育成のために、ゲルマン人を受け入れたが
やがてゲルマン人は権利を主張し、ローマ帝国内に侵入し、ローマ帝国は滅んでしまった

三国志の時代の中国の英雄たちは防衛のために、北方の異民族を受け入れた
(献帝を守った白波軍とは匈奴=フン族のこと後にハンガリーに侵入
柔然は後にブルガール人としてブルガリアに定住
突厥が後にオスマントルコとなる)、
しかしその後に待っていたのは、五胡十六国時代と呼ばれる中国が異民族に跋扈された時代だったのだ
ゲルマン人や北方異民族によって、古代ギリシア人やローマ人は滅び、古代漢民族も滅んでしまったのだ
今のイタリア人もギリシア人も中国人も元々は乗っ取った異民族の子孫である

今の日本人が現在のヨーロッパ人や中国人よりも、三国志の時代の中国人や古代ローマ人に親しみを感じるのはそれは当然なのである
寛容と人の良さが素晴らしい文化と発展を促したのだが、それこそが付け入る隙間を与えたのだ

このように、移民なんて受け入れるのは亡国に自ら進むことと一緒である
今、日本に移民を進める人間は本当の日本人ではない、敵国のスパイなのだ!!
0058世界@名無史さん
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2017/04/30(日) 01:26:37.070
移民がダメなら日本には誰も住んでませんよ
人類の故郷はスーダンかエチオピアかあのあたりなので
全世界移民ですが
0059世界@名無史さん
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2017/04/30(日) 01:44:38.250
朝鮮戦争移民問題が解決したら受け入れよう
0060世界@名無史さん
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2017/05/01(月) 13:52:53.740
匈奴がフンになった説は有名だが、柔然がブルガリアってあまり知られていない?
0061世界@名無史さん
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2017/05/02(火) 12:15:29.390
>>49
ロシア帝国は東ローマに仮託してるけどその政権成立過程は
モンゴル帝国後継国家のジョチ・ウルス内部での権力闘争によるもので
実態はモンゴル皇帝だよ
0063世界@名無史さん
垢版 |
2017/06/03(土) 08:19:20.360
西ローマ帝国崩壊後の北斗の拳っぷり
ゲルマン人の侵入で都市・経済秩序・流通網が破壊されまくった上に
ローマカトリックによる科学軽視で文明もどんどん衰退

日本に大量の中国人・ムスリム・アフリカ人が押し寄せて国内が滅茶苦茶にされ
カルト宗教団体が天下を取った場合を想像してもらえば分かりやすいと思う
0064世界@名無史さん
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2017/07/27(木) 00:07:33.560
漢帝国の最後は三国志で有名だが、
(西)ローマ帝国の最後も劇的なんだけど、あまり小説がない
戯曲のエツィオくらいしかない

アドリアノープル戦のヴァレンス敗死から
スティリコやアラリック、ホノリウスなんて三国志に当てはめできるし
三国志の時期の異民族は大人しかったが、
ローマ末期はアッティラが出てくる
女だってガッラ=プラチディアとか濃いのがいる
アエティウスやオドアケルやアンブロシウスも濃いし
ユリウス=ネポスやビザンチン皇帝のゼノなんて名前からして中2心をくすぐる
三国志並みに人間はいるんだよ
0067世界@名無史さん
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2017/08/11(金) 21:17:43.810
イギリス ロシア オランダ ドイツ フランス スペイン ポルトガル イタリア オーストリア などの欧米列強はかつて西ローマ帝国の領土たった!
0068世界@名無史さん
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2017/08/15(火) 19:32:40.370
西暦410年には西ゴート族のローマ略奪と、ホノリウス帝による
ブリテン放棄があったけど、これって前者が後者に影響してるの?
0069世界@名無史さん
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2017/08/15(火) 19:36:53.610
>>67
ドイツとロシアは違うだろ
0070世界@名無史さん
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2017/08/15(火) 19:38:52.580
>>60
柔然がブルガリア? マジで?
0073世界@名無史さん
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2017/08/19(土) 23:26:18.980
>>69
ドイツの西側、ロシアの南の一部はローマ領だったことあるよ

それだったら「イギリスちゃうやん!」」って言わなきゃ
ブリテン島は南側だけがローマ領だったし
0074世界@名無史さん
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2017/08/24(木) 00:59:41.990
西ローマ帝国は 日本史で例えると南北朝時代に例えられている。ホノリウス帝は後醍醐天皇でスティリコは楠木正成に例えられているよ
0075世界@名無史さん
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2017/09/04(月) 19:18:11.750
最後の西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルスには
フン族の血が流れていた可能性がある
と知って驚いた
0076世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/04(月) 21:17:23.800
蛮族の侵入が帝国の衰退の原因の一つではあるけど、帝国を最後まで守ろうとして
戦い抜いた、スティリコやアエティウスも半分蛮族というのも皮肉なもの
帝国が彼らを受け入れるだけの度量と柔軟さを維持できていたなら、
帝国は変質しながらも生き延びることができたのではないかと思う
0077世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/04(月) 22:25:06.500
蛮族を皇帝にすればよかっただけじゃん
カール大帝まで時間かかりすぎ
テオドリックを改宗して皇帝にして一緒に頑張ればよかった
0078世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/04(月) 23:24:49.780
>>77
そういや中国では蛮族が皇帝になり、
北半分ならあっという間に統一されてたな
0079世界@名無史さん
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2017/09/05(火) 00:49:18.700
>>74
アッティラは木曾義仲に、レオ一世は後白河法皇に例えられている?w
0080世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/05(火) 23:22:56.680
ロムルス・アウグストゥルスが、実は冒頓単于の末裔だったら胸が熱い
どころか、ロマンティックが止まらないな!
(ここではフン=匈奴説をとる)
0081世界@名無史さん
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2017/09/06(水) 12:13:32.910
西ヨーロッパの原点のわりには存在感無さすぎ
他のゲルマン系国家も、
フランク王国とイングランド王国以外は
後世の国家と繋がりが無いのが痛い
0082世界@名無史さん
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2017/09/07(木) 22:13:47.440
>>81
オドアケルはゼノン帝になん癖付けられて滅ぼされた。オドアケルの一族もろとも殺害された。ゼノン帝は酷い奴だぜ
0083世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/08(金) 05:52:29.970
ローマ皇帝の妹と結婚した西ゴートのアタウルフも
うまくやれば西ローマの皇帝として歴史に名前を残せたはず
0084世界@名無史さん
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2017/09/08(金) 06:36:11.350
>>78
あっという間は言いすぎ
0085世界@名無史さん
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2017/09/08(金) 07:44:52.410
ロムルスの老後を深く知りたい。退位後、寺院作ったまでは分かってるけど…
0086世界@名無史さん
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2017/09/08(金) 15:57:28.160
オドアケルは権力基盤が弱いからしょうがないけど
ゴート族なら皇帝位やってもよかったと思う
魅力的な族長が多いし
やっぱりアリウス派なのがダメだったんだろーな
0087世界@名無史さん
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2017/09/08(金) 18:53:03.570
>>84
西晋が滅亡してから60年後には統一されてるから結構あっという間ともいえる
0088世界@名無史さん
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2017/09/08(金) 18:58:01.240
スペインの起源である、アストゥリアスとかは
「血統的にはバスクでも、西ゴートの理念を受け継いでいる」と主張しているが
実際にはつながりはなかった模様
0089世界@名無史さん
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2017/09/08(金) 22:37:34.420
ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ

識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 →重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配
0090世界@名無史さん
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2017/09/08(金) 22:44:53.180
ローマ時代のことは神話みたいな扱いだったのか、
無明時代としてあまり興味もなかったのか
0091世界@名無史さん
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2017/09/08(金) 22:54:13.170
西ローマ滅亡からカロリング朝成立までが真の無明時代
0092世界@名無史さん
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2017/09/08(金) 23:26:38.120
>>89
目立たないけど中世に起源をもつ技術革新って結構多かったりする
例えば重量鋤とか三圃制とか、そういう農業技術の発展によりアルプスの北側では
農業生産性が大幅に向上しているし
0093世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/09(土) 00:45:42.770
ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ

識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 →重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配

平均身長がローマ時代に戻るのは、千年あとのルネサンス以降
(その時代の墓のお骨から分かる)
0094世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/09(土) 00:50:42.470
食糧事情や流通も含めていろいろダメ過ぎるからな
外敵にはボコボコにされるし
0095世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/09(土) 04:15:17.290
コンスタンティヌス帝の長男、クリスプスに妻と息子がいたらしい。
その後の足取りは不明らしいけど、一ローマ市民として暮らしてたんだろうな。
てか そうであってほしい!
0096世界@名無史さん
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2017/09/09(土) 11:30:44.070
メロヴィング朝時代は識字率もまだ高かったし、役人もローマ貴族ばかりなんで、それほど暗黒でもないだろ。

王権が弱かったせいで、ローマ時代そのままの政治システムを使ってたし。
0097世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/10(日) 01:50:21.460
平均身長はイタリアなのかしらんが
イギリスに関しては11世紀の方がルネサンスより高いな
0098世界@名無史さん
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2017/09/10(日) 02:06:16.790
だいたい暗黒ってのは
まず農業革命で北ヨーロッパが開発が進む、ヨーロッパ中のどんな土田舎地域までも水車が導入される
ゴシック建築はローマのアーチ式構造をより楕円で上に伸びるように複雑な構造にした尖塔アーチ式
中のリブ・ヴォールトによって重力をのがす方法が発見され、巨大建造物にも大きな窓をつけることが可能になった
機械時計にとって重要な脱進機もだいたい13世紀には発見されたとされてる
でこれが後の機械構造の原型になってる
それと近世は人口増加にインフラが間に合わず中世より庶民の生活は苦しかったとされてる
都市人口が急激に伸びたから環境が一気に悪化した
それに比べると中世の人間はほとんど田舎に住んでたから大半の人間は衛生状態がよい
そもそもローマ時代の西ヨーロッパはイタリアと地中海沿岸以外は未開だろぶっちゃけ
0099世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/10(日) 02:08:41.110
だいたい暗黒ってのはヴァイキングの侵入がおさまるまでだな
0101世界@名無史さん
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2017/09/10(日) 19:30:10.890
>>98
>そもそもローマ時代の西ヨーロッパはイタリアと地中海沿岸以外は未開だろぶっちゃけ

農村部にまで普及していた陶器や瓦が普及していたんだがな
特にブリタニアでは衰退著しく青銅器どころか石器時代に戻ってるありさま
0102世界@名無史さん
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2017/09/10(日) 23:03:15.310
いくつも植民都市あったのに未開はないわ
インフラだって手抜きしてないし
0103世界@名無史さん
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2017/09/11(月) 00:01:17.360
つーか、ブリタニアでも六世紀まで、場所によっては都市のインフラが保たれてるんだけど…
0104世界@名無史さん
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2017/09/11(月) 00:35:47.180
ガリアやブリタニアは都市部にローマ貴族がいて周囲の未開の住民を支配してたんだろ
ローマ人が撤退したら残るのは未開の部族だけだから衰退するのは当たり前
ようするにまだ地域社会として成熟してない
それが達成されるのは中世の中期以降だな
0105世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/11(月) 00:47:55.380
西ヨーロッパの内陸部の部族社会が解体されるのは中世中期以降な
ローマ時代はローマ貴族が軍事力で現地の部族を支配してたって段階
文明化は内部までは十分普及してない
イギリスの植民地が白人が住んでる地域だけ文明の香りがあって内陸部は全然ってのと似たようなもん
そこまで極端でないにしても現地住民の文明化がしっかりしてればローマ人が去ったところでインフラも維持できただろ
0106世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/11(月) 01:04:29.630
インフラ維持するだけの金が無いからどっちにしろ無理だと思う
0107世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/11(月) 01:26:11.860
ていうか3世紀の時点で帝国の混乱ですでに水道のメンテナンスうまくいかなくなったみたいだな
イタリアだと一部の水道が近世まで細々と利用されたようだ
0108世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/11(月) 21:21:53.370
ヨーロッパは硬水が多いから、抛っておくと炭酸カルシウムが析出して
水道が詰まってしまう。そして社会が安定していないとインフラの定期的な
メンテは無理なんだな。
0109世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/12(火) 00:21:18.190
>>89
それも極論じゃないのか?w
少なくともローマでも後期から末期は酷い様相を呈していたと思うけど
0111世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/12(火) 17:40:04.190
ローマ時代は神時代ってわけでもないよ
ほんとうに桃源郷って時代はわずか
0112世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/12(火) 20:27:44.310
いろんなとこにその繰り返しそのコピペ貼ってるマルチポストくんだから相手にするな
0113世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/13(水) 06:31:25.580
>桃源郷
明けても暮れても戦争やってる国にその譬えもどうなんだw
0114世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/13(水) 08:53:42.960
桃源郷ってのは、時代の流れから隔離された僻地のことだろ
0115世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/13(水) 09:02:48.160
「桃がどこから流れてくるのか、たどっていったら、たどり着きました」というような、川の上流の山奥

世界の都ローマとは、まったく正反対
0116世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/13(水) 13:46:07.630
西ローマ末日はどういった食事をしていたんだろ
全盛期のローマは一応名目上は草食主義だったらしいが肉好きも無論いるだろう
死にかけのローマで肉を食べ蛮族に勝ち軍の正装であるスカート?をズボンに改めようと
いう考えはなかったのだろうか
0119世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/20(水) 21:33:07.470
要はオドアケルによる西ローマ帝国滅亡というのは、
帝国西部におけるローマの統治・行政機構、および秩序の衰退・崩壊過程でのひとつの現象に過ぎない
その一応のトップである(西)ローマ皇帝にゲルマンの王が変わっただけで、
衰退し力を失いつつあったと言ってもそれまでのローマの行政機構が廃止されたわけじゃない
元老院も執政官も存続する

しかしここでまた大事件が起こる
東ローマに認められてたはずの東ゴート王権だが、なんだかんだあって対立し東ローマ皇帝ユスティニアヌスの再征服を受けることになる
この再征服=ゴート戦争でイタリアは壊滅的な被害を受ける
ローマ市も戦争中に東ゴートによる大規模な略奪・破壊をまたもや受けることになる

ローマ最盛期の人口は100万を数えたと言われる
西ゴートの略奪後、東ゴートがイタリア統治していた時代は20万に満たないくらいかと推測されてる模様
で、ユスティニアヌスの再征服、ゴート戦争後には数百人しかいなくなっていたという記録がある
西ローマ滅亡後も存続していた元老院もゴート戦争後には当時の教皇が「元老院はどこにあるのだ?」と嘆かせるに至る
(のだが、そんな状況となっても元老院はもうちょっとだけ続く)
0120世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/20(水) 21:36:46.750
ローマ教皇=ローマ司教は最初から大きな権威を持っていたわけではない
が、帝政時代から徐々に特別な権威を得ていった

しかしローマ教皇はこの時期にはまだ東ローマ皇帝の主権下にあった
ゴート戦争後、東ローマはやはりラヴェンナに総督府を置く
東ローマがテマ制となるのはもう少し後の時代になるが、
イタリアにおいてラヴェンナ総督府は旧元老院など文官層の財産(土地)を奪い、
駐屯軍の屯田用の土地とした。
と、従来されてきたが近年はそれはそれほど大きな規模ではなかったと見られている。
いずれにせよこの時代に元老院を代表とする旧支配層が没落する。
ついでにローマ水道もこの時代に機能を停止する。

このラヴェンナ総督府と連携して、
教皇(庁)がイタリアの行政を担っていたとみられる。
その後さらに今度はランゴバルド族がイタリアに侵入する
ローマ教皇は軍事力を持っておらず、総督府には一応軍事力があったはずだが無力であり、
ランゴバルド王国が成立する
しかしラヴェンナからローマ市を結ぶ一帯は教皇がうまく立ち回ったせいか、ランゴバルド王国の支配地とはならなかった。
これが後の教皇領となる(ラヴェンナは後にランゴバルドに服属する)

ランゴバルド王国の支配下で旧ローマ帝国以来の行政組織、伝統はここで絶たれたとされる。
(東ゴートは一応それらを再興しようとしていた)

この点、ランゴバルドはローマ化しなかったと言われるが、一方でローマ人に融和的でもあり、
ランゴバルド族はいつしかそのアイデンティティを失い「イタリア人」に混ざる。

ランゴバルドはゲルマン民族はだいたいそうだがあまり統一的でなく分裂しがちで、
一応は王国ではあってもその中身は諸侯が分立していた。
地方に諸侯が分離して支配している様相はまさしく中世であり、イタリアの中世はランゴバルドから始まるとされる。
後にフランクによってランゴバルド王国は滅亡するが、ランゴバルド諸侯はその後も存続したのも少なくなく、
フェラーラやモデナなどの君主エステ家も元はランゴバルド。
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