アレクサンドロス三世「改めて考えると凄いなって思うなあ。俺はやっぱ」 [無断転載禁止]©2ch.net
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マケドニアじゃなくてイリュリアって名乗った方がいいだろ 一時期「スコピエ共和国」という案もあったようだが、流れたのか 歴史まつりでマケドニアン・ファランクスを再現したら
観光客を集められると思う いま住んでるのは、往古のマケドニアとは全く無関係の民族なんだろ。 フルーツサラダのマチェドニアが古代マケドニア由来だと知ってびっくり 1、朝鮮人
2、アレクサンドロス
3、キュロス
4、ハンニバル
訂正をお願いします アレクサンドロスより前にインドに来たというディオニュソスって誰なんや? アレクサンドロスとナンダ朝が
インドで戦ったらどっちが勝ったんだろうか? そうなの?
ポロスのほうが地方領主みたいなものと
思ったけど ポロス:大国ペルシャを滅ぼした大王の軍隊に善戦
ナンダ王:得体の知れない素浪人チャンドラグプタに倒される
差は明らかだな アレクスはキュロスのパクりみたいなもんで基本的にアケメネス朝の領土を踏襲しただけ
日本でいえば足利義教のパクりのように踏襲感あった家康みたいなもん
家康、アレクスもオリジナル感はない
過小評価してるわけではないけどな ファランクスがすごいって
じゃあ真ん中に兵置かず左右から
挟み撃ちで攻めればいいだろ
指揮官バカじゃねーの? パルメニオンが生きてれば
帝国分裂しなかっただろうな >>462
これは天才的です!!!
ぜったい世界制服できちゃいますね >>462
ファランクスがいくら方向転換が苦手といっても
はるか彼方から人が歩く速さでゆっくり近づくのだから
ぶつかるまでには相手も向きを変えて正対しているだろう
ヘタをうつと挟撃の片翼に相手の全部が向かってきて
挟撃を目論んだ側が数で不利なまま各個撃破されるかもしれない 左右には機動力のある部隊を配置して守ってたと思うけど。 騎馬隊が敵の背後に回ってファランクスと挟み撃ちだよ 大王が上手かったのはファランクスよりもむしろ騎馬隊の運用。 >>1
んん?クリエイティブだったはアリストテレース先生では。 >>463
パルメニオンさんの中の人は
そんなに凄かったんですかね?
もしかして年功的なやつですかね 死後パルメニオンが実権握っただろう
王傀儡にしてでもね 王を傀儡にしてもダメだったんで
ディアドこったんじゃ フィロタス処刑のままパルメニオンを生かし続けるのは危険 小柳ゆきの「あなたのキスを数えましょう」はアレクサンダー戦記で好きになった曲
だけど、あの歌詞やメロディと、アレクサンドロス大王の(脚色されまくりパラレル
ワールド風味ながら)殺戮粛清ヒャッハー覇道を、どう関連づけるのかと小一時間
まあたしかに、何気にギャップ萌えしすぎてハマっちゃうんだけどな 大王の墓はかなり荒らされてるだろう。
ムスリム征服の頃とかまで残ってたら特に。 カリグラだかが墓からマントとか取り出したりしてるからな ムスリム征服の頃まで残ってたらかえってのこりよさそう
キリスト教圏の異教徒の宗教施設の残り具合の悪さは酷いぞ
ローマ時代の神殿の遺構もほとんど中近東にしか残ってないし 墓所はやはりアレクサンドリアが最有力なのだろうか
他に可能性のある場所は? ローマ時代にアレクサンドリアにあるの確認されてるから
それ以外あり得ない
シドンで大王の棺が発見されたとかあったみたいだけど
関係ないとされたはず 英語版wikipediaによればかなり場所は絞り込まれている模様。
https://en.wikipedia.org/wiki/Tomb_of_Alexander_the_Great
クリスタルの棺なんて、見つかれば他と見間違えようもないだろう。 カラカラがギリシャのアンフィポリスに遺体を移した説もあるのか
知らんかった 本当に蜂蜜漬けのままだったら辛追のミイラのような生けるが如き状態で発見される可能性も 去年見つかった棺みたいに、液状化した死体だったらぞっとしないな アレクサンドロスが長生きしてたらバビロンは都としてもっと繁栄してただろうな 東征に出かけたのが父親のフィリッポス二世だったらどうなってたかな? >>492
長生きしてたらアレクサンドロスもオピスに遷都したのでは
その場合セレウキアじゃなくてアレクサンドリアになるだろうけど >>493
東征に出かけたのが父親のフィリッポス二世だったら
ペルシャ帝国全土を征服しなかったかもしれない
ユーフラテス河以西を征服する事で満足して
ダレイオス三世と講和したかもしれない
フィリッポス二世はマケドニア本国を守る為に
東ばかりでなく西も攻めただろうからローマや
カルタゴとも戦ったはず フィリッポス二世はマケドニア本国を守る為に
東ばかりでなく西も攻めただろうからケルトや
ローマとも戦ったはず >>493
とうちゃんは戦勘があんまよくない気がするんで
途中でうっかり死んじゃうんじゃないですかね
きっちり準備して戦うイメージですが フィリッポス二世はメムノン達ギリシャ人傭兵の投降を認めたかもしれない
アレクサンドロスはメムノン達を許さなかったので戦いが長引いた もしメムノンが病死しなかったら
アレクサンドロスはペルシャ征服に失敗したかも ギリシアの神よりエジプトのアモンを重要視してたんかな? そんなことはない
郷に入っては郷に従え、やで
エジプトの土着民にゼウスとか言っても有り難みがないだろうからね >>506
実の父親はエジプトのファラオだからね。 グレコ・バクトリアって地図で見ると意外と版図が広い。
このままギリシャ人の国が現代まで存在し続けれてれば
いろいろと面白かったのに。
https://livedoor.blogimg.jp/mysteryhunter/imgs/d/1/d1ac4b8e.jpg 今のギリシャ人はトルコ人だよ
中国人が匈奴なように >>511
版図が広いと言うがそこ、オアシス都市みたいなの結構含んでるからなぁ
実態は都市が交易路で繋がった都市国家の集合体で
その周囲を領域国家として表示しちゃいけない代物だろう
点と線で表現すべきものだよ エジプト王に即位するためにエジプトの神殿で臭い芝居やったらしい >>515
そんな事を言えば古代国家はたいてい点と線だがw 現在の〇〇スタンがあるあたりは紀元前から
カレーズとよばれる長大な地下水路が作られているから
乾燥地帯=農業ができず人が住めない無人地帯
というわけではないんだよな >>518
たしかカナートのおかげで
ちょうど点と線になるんじゃなかったんでしたっけかw
地底の勾配と地上の勾配はまた別モノなんかな
マニアのタモさんに調査していただきたいところ 1月21日火曜 午後8時30分〜 午後9時00分
カルチャーラジオ 歴史再発見「『移民』で読み解く世界史」(3)
https://www4.nhk.or.jp/P1927/x/2020-01-21/06/68804/3652973/
この放送で、古代ギリシア文明(ヘレニズム文明)は独立した文明ではなく、
オリエント文明の辺境の支文明だと。
そしてアレクサンドロス王の業績はアケメネス帝国に上乗りしたもの、
アケメネス帝国があったからこそのものでそんなに持ち上げるほどのもの
ではない、とw >>517
当然そんなもんでしょ
今の領域国家と古代国家は全く様相が違うってことはちゃんと表示しないとダメでしょ 普通にサトラップ管区が作られてるんだから
まるっきり点と線ではないだろ >>523
ふウム
そうするとサトラップ管区の
管区線は何で決まってたんでしょうかね?
川と まるっきり点と線だぞ
トラキアとオドリュサイ王国とかどこで分かれているか曖昧だったしな
大体徴税からして都市や部族単位だし プトレマイオス地理書を見ると何が境界になってるかは分かる 途中で書き込んじゃいましたが
見えちゃいましたか
そうですか、、、 >>1
一代やったのは、そりゃ凄いけど、東はインドに接し、南はエジプト・アラビア、西はアナトリア全域にエーゲエイに至る
とかいう国は、アケメネス朝ペルシャで先に実現してたしなあ ま、アケメネス領を1〜2割ほど増やしただけだからな >>529
増えてるか?
ペルシャ湾南岸やスーダン方面は縮小しているし、トランスオクシアナとかは丸々失ってるし。
バルカン半島のギリシャ人領域が殆ど手中に入った分はあっても、大幅縮小だろ ホラズムはペルシャから独立していた
エジプトはアレクが攻めてくる直前に
ペルシャが再征服したばかりだった アレキサンダー大王率いるマケドニアが東方でヒャッハーしてた頃、
ローマって何やってたの?
アレキサンダーはイタリア半島やイベリア半島には興味無かったのか? >>534
イタリア半島統一を前にしてピュロス王と戦ってた >>534
ローマ等地中海西側 = クソ田舎
ペルシャ = 怖い敵国にして豊かなエジプト・バビロニアも支配する文明先進地域 ローマもマケドニアに使者送ってヘイコラしてたんだろ なお最終的にはローマによって統一される模様
自慢のファランクスもレギオン相手に大敗 西側でもカルタゴあたりはアレク大王征服予定にしてなかったっけ? まだ古代だからね、地面なんてそんなに欲しくないのよ。
地面があっても人が足らなくて資源として活用できない時分だから。
人そのものを収奪してくるのが古代だよ 封建制の発想もそれだな
アホな制度だなと思ってたけど当初は土地と労働力の交換が釣り合う時代で自然なことだったのか 農業も収奪的農業だったから、一か所に縛られるより
機動力や軍事力や情報が大切だったろう。 >>528
ダレイオス一世=秀吉←本当に凄い
アレキサンダー三世=家康←棚ボタ
当時のイランは内ゲバが酷いから
アレクは運が良かったな
中東一の強国イランは身内に敵が多かった! アルタクセルクセス三世=秀吉
アレキサンダー三世=家康 今のイランにもギリシア人の血を引く民がいたりすんのかな? >>550
紀元前にあれだけ攻め込んできてだから、全員に行き渡ってるだろ。 インド仏教もヘレニズムの影響をうけて絵画や像が作られるようになった
ギリシャの神のパチモン >>550
アフガニスタン国境に近いパキスタンの山岳部に金髪碧眼人種がいて、古代ギリシア
の子孫とかいう噂が立ち、当人たちもその気になったが言語学的には否定されている
むろん遺伝子的には、当時のギリシア兵がズコバコはめまくって現地女性に産ませた
子供が瞬間風速的に一定数発生していたのは間違いないが、彼らも現地文化に吸収
されてしまったらそこでオワコン。仮にギリシア兵が現地に土着しても、嫁とその
一族に吸収されたら終わり。コミュニティと文字記録の継続が無ければ意味がない セレコウス朝イランもプトレマイオス朝エジプトも、残っているのはヘレニズムの
美術遺跡だけ
ギリシア人は都市(基地)生活者だから、現地人が蜂起するとあっさり逃亡
ギリシア語話者の定住農民コミュニティが、飛び地を創ることに成功した例は無い >>555
言語と血統との組み合わせなんて簡単に入れ替わるよ 凄いけど俺の方が凄い 後々まで生き延びられた方が凄い アレクは病気とか怪我で何度も死にかけてるんだよね
最後は毒殺されたとも言われているけど >>555
>むろん遺伝子的には、当時のギリシア兵がズコバコはめまくって現地女性に産ませた
>子供が瞬間風速的に一定数発生していたのは間違いないが、
また憶測で適当ぶっこいてる奴が出てきたな
アレクサンドロス大王がギリシャ人に現地人の妻を娶るように奨励したがギリシャ人の反対にあい実際に結婚したのは2万人
しかもこの2万人は大王の死後に故郷に帰還している 正規の婚姻による出生ですら近代以前はかなりの割合で間引きされるというのに強姦による子供とかまともに養育されるわけないだろ
例外的にあったとしても人口動態に与える影響はごくごくごくごくごく一部 アレクサンドロスの子を殺したカッサンドロスが怖い
殺した当時は批判が出なかったんだろうか 現代でもライダイハンとかあるからな
2000~30000人と数は諸説あるらしいが ライダイハンも野村進が書いているけど多くはベトナム戦争以後に韓国人ビジネスマンと現地妻の間に生まれた子供ってのが実情だけどな
フィリピンのジャピーノと成り立ちは一緒
でこのジャピーノのほうは15万人はいる >>571
その主張するなら年齢調べれば一発じゃないですかね >>569
カッサンドロスはロクサネ母子を殺したけど
ロクサネもスタテイラ姉妹を殺した 誰しも先祖辿れば、強姦に行き当たる
両親とか先祖とか、美化されがちだけど、そこいらにいる奴と変わらない そもそも本当の父親が誰なのかは母親にしかわからない >>565
ペルシャに残ったセレウコスとかエジプトの王様になったプトレマイオスとかと子飼いの兵隊はは帰ってないよ 古代エジプトでは王族どうしの殺し合いなんてほぼ皆無に等しいが
プトレマイオス朝になったとたんに血で血を洗う様相を呈した
文化の違いなのか? >>578
18王朝、ツタンカーメンって大叔父(ケペルケペルウラー、アメンホテプ三世の妃の弟)暗殺簒奪されたんでしょ?
そのケペルケペルウラー王の指名した後継者に反旗を翻して、アメンホテプ三世の娘を娶っていた臣下のホルエヘブが簒奪。
それ以外にもしばしば王統譜から王名の削除とかやってる。そこで血なまぐさい事件があったんじゃないんかい? 当時は多神教だったしアレクサンドロスはエジプトの神話も普通に受け入れた形ですか? 極東で喩えると、拓跋の河汗とか契丹やモンゴルのカーンとかが漢土支配の便宜上中華皇帝号を称していたのと同じ構図か ピラミッドはやはり特別な存在だったはず
内部を調べると黄金がある可能性があるし探索をする気がなかったのか ピラミッドが造営されたのは古王朝期。ギゼのごっついのは第6王朝。
クフ王からクレオパトラ七世女王まで2500年、クレオパトラ七世女王から現代までが2100年。 少なくともプトレマイオス朝初期の諸王は、プトレマイオス三世もしくは四世の
時代にアレクサンドリアのセーマ(墓廟)にアレクサンドロス三世の遺骸とともに
合祀されたとされている デメニギスとかドンゴロスとかハマナスとかギリシャ語と思ってたよ。日本語なのね。 アレクサンドロスの征服領土は広大だけど
本当は点の支配で部分的な感じと考えていいですか? エジプトもバピロニアもペルシャも、まっとうに人の住んでるのは、城市だけ。
川とか街道とかの城市を結ぶネットワークを支配することが領域全体の支配になるので、
川や街道に添って城市を攻略していけば、全域が支配できる。 その農村だって小規模な都市であってそこから農地に出勤し耕作する。 >>597
基本、大陸では、農業って都市の産業なんだけれどねえ。
水と耕せる平地があるところで農業をやると同時に、人が集住し家屋・財産の防衛のために城壁や環濠を持つ都市が形成される。
農牧民は朝農具や家畜を伴って城市を出て農地牧草地へ出勤、夕方、収穫物や餌水をたらふく食べた家畜を伴って城市に帰ってくる。
余力があるときには、農地・牧草地の縄張まで城壁で囲もうとするよ。 城市だと城門があるだろ。
城門を通過する荷物に課税するんだよ。
農民の収穫した穀物も、商人が他都市から持って来たり持ち出そうとしたりする商品も、遊牧民が売りに来る家畜も、
城門を通るときに課税だ。
納税したくないから町の外に住むって?
収穫終わったところで早速山賊に襲われるわな。 テントで暮らして城市に関わり合いを持たなきゃあ、領主の庇護も無ければ、納税も無いわなあ。
街へ行って、羊やら干肉やら皮革やら乳脂やら売ったり、穀物やら茶やら道具やら買ったりしようとすると、
通門税やら関税やら移出税やら納める羽目に。 支配した新しい城市を守るのに守備兵を置くと
自軍の兵は減る
なぜアレクサンドロスは大軍を維持できたのか分かりません ペルシア人に支配を任せたら色々不都合が
あったようでほとんど粛清したよ そりゃ、勝手知ったる地元衆に統治なんかさせたら忽ち反乱するだろ。
抑圧されてた第二勢力第三勢力を支配層に組み入れるとか、別の占領地から連れてきた人に統治をやらせるとか、地元衆の中に不和を起こさせ支配に協力的な比較少数の一方だけを優遇するとか。 中東の地域は人口が少ないのでペルシ帝国の人口は600万人ぐらいですか? ヘロドトスによるとペルシャ戦争時、歩兵だけで170万いたらしいから
600万程度な訳無い ヘロドトスによれば
精鋭のペルシア人槍兵1千
精鋭のペルシア人騎兵1千
ペルシア人歩兵1万
ペルシア人騎兵1万
そしてその後ろを行軍する残余の雑軍を合わせて総勢170万としてある
2万2千のみが純ペルシア兵で、残りの99%は傭兵なのでは 帝国全土から集めたんだろ
しかし、イッソスの戦いとかだとせいぜい五六十万
とからしいからヘロドトスは誇張が過ぎるのかも知れん >>615
不死隊ってショッカーみたいなやつじゃろ? 戦闘部隊以外にも人足や補給線の警備部隊がいるのだろう。
ペルシャは広大な帝国だから帝国の維持には補給の確保が最重要だろうね。 不死隊は死んだら欠員を補充するだけで全然不死じゃない ガウガメラで
不死隊はちゃんと戦ったの?
そこらへんがわからん >>608
いたるところにギリシャ人街ができたイメージなのですが
元兵隊さんだったのでしょうか インドはそうでもなかったのでしょうか?
お金はかなりGETしてたと思いますが ベッソスがペルシア王を称したのってアケメネス家の出身だから? 結局アレクサンドロスはどこで戦争やめるべきだっったのか?フィリップスはどこまでやるつもりだったんだろう
1イッソスの戦いの後ダレイオスと和平結んで小アジア手に入れて終わる
2エジプトも征服
3ペルセポリス炎上させた後引き返す >>629
たぶん小アジアGETしたら
息子を専制君主にして
やっぱり同じ流れになるのでは 当時のペルシアの城の城壁は5Mぐらいの高さですか? ダレイオスの和平案のユーフラテス川の西の領土割譲って現在のシリアやエジプト含めて? ペルシャは政治中枢が移動式天幕で
各地を移動する方式なので
城ではなく都市を守るようになってたのでは 某所がアレなのでこっちにでもメモしておくか
いろいろ考察している人がいるわりには
あれだけはっきり示されてるのにレオンナトスの発言関連の件
誰一人触れてないんだな インドまでついて行った部下が凄いわ
カイバル峠のあたりで既に帰りたくなっていたはず エクバタナ征服したあとマケドニアに帰るべきだったその後の戦争は意味ない >>639
世界の果てまで制服する、少なくとも世界の果てを見届けるのが戦争(遠征)の目的だったはず。 当時のギリシャ人達はナイル河とインダス河が同じ河だと想像していた
だからアレクサンドロス大王はアレクサンドリアを目指して
インダス河の河口を目指したけどそこにアレクサンドリアはなかった
こうしてギリシャ人はナイル河とインダス河が違う事を確認した >>640
だからそれが無意味なんだよ国も征服した領土もほっといて兵士を消耗させてまでやる意味がない
まあ国のためじゃなく自分の名声のために行動してたらしいし本人は満足なんだろうな マケドニアにとってはパルメニオンの方がアレクよりも必要だった >>19
その逆で信長は武田征服時に富士山の周りを馬で早駆けするほど健康だったときいた事もあるけど……… >>199
アレクサンドロス3世があそこまで領土を広げられたのは、
>>338
が言ってる様にアケメネス朝ペルシアが行政資料を整えてたり、王の道と呼ばれるインフラを整えていたのが大きい
だから、中国はさすがに無理だと思うぞ >>646
やはり道路を作ると攻められやすいという欠点ができるんだね
ペルシア帝国が最先端すぎた >>646
その理屈だと各国で競って官道を作っていた戦国諸国も危ういな
それにアレクサンドロスはペルシャやスキタイやソグディアナを落として当時の中国では不可能な万単位の騎兵を
保有していたこと又当時の中国が青銅武器を使っていたのに対してマケドニア軍やペルシャ軍は鉄製武器を使っていたことから
アレクサンドロスの東征軍が雪崩れ込んできたら白起だろうが何だろうが誰も太刀打ちできなかっただろう 道路=攻められやすい は 古代に於いては間違っていないのでは
そもそも、広い道路の建設は兵站用 >>650
楚軍vs秦軍の大戦となった鉅鹿の戦いでは、秦軍の本陣の章邯から前線の王離の陣に食料を輸送する道路を作ったのたが、
項羽が黄河を渡って来てからは項羽がその道路を使う輸送軍団を襲うようになったので王離のもとに食料が届かなくなり形勢逆転して、秦軍は敗れてしまったゆだよな。 >>652
中国とイランの間は飛びバッタも越えられない >>649
戦国時代は車軸の幅が国ごとに異なってて官道は轍ができてて
他国の馬車が入り込んでも轍が邪魔で輸送に使えないので別に問題ない そもそもマケドニア軍は馬車から騎兵の時代にすでに移行しているのだから意味がない アイアンロードとか草原の道は一応あったけど
ペルシア帝国の道路よりも整備されてるかどうか アケメネス朝ペルシアに征服された新バビロニアやメディアはどのくらい道を整備してたんじゃろ ガウガメラでダレイオス3世は部下を見捨てて逃げたわけじゃなく、
御者が倒されたのを王が倒されたと見間違えた部下たちが総崩れになって退却したんだな
それどころか側近が橋を落として時間を稼ごうとしたのを、
それでは味方が逃げられなくなると言って止めたりしてる
アルタクセルクセスは小キュロスにずっと手酷くやられて、
戦場で瀕死でぐったりしてるうちに味方が奮闘して逆転したのに悲しい ダレイオス3世はマケドニア軍の強さをグラニコスで認識して
軍制改革とかもやってたんだよな
御者と見間違えられるくらい近衛と馴染んでなかったことといい
つくづく時間が足りなかった ダレイオス3世は元々アルメニアのサトラップだった
ペルシャ本国民は彼の事をよく知らなかったのだろう 野戦で無敗というと諸葛亮なんかもそうだったが、諸葛亮の目的は中原の奪取とせいぜい中華統一くらいなのに対して、アレキサンダーは世界征服だから発想のスケールが違う。 発想はペルシア帝国の征服だからスケールはダレイオス1世以内だぞ アレキサンダーはティルスを長期包囲して陥落させたあと、
南下しガザの城砦の攻撃にかかった。守将のバティスは勇戦したが
城は陥落し、アレキサンダーはバティスを生きたまま戦車に括り付けて
引きずり回して殺した。
アレキサンダー君はいったん頭に血がのぼるとやることがえげつない。
自己抑制が効かない未熟な部分が多分にあるよね。 インダス川付近で引き返さずあのまま東進していたらチャンドラグプタが統一する直前のマガダ国に勝てたのだろうか? むしろチャンドラグプタが己の野望のために
アレクサンドロス大王をインドに引き入れた
可能性があります 自明と見られてきたことが曖昧になった、と先に述べた。端的な例を挙げよう。前三二六年、インダス川を越えたアレクサンドロスは、ヒュファシス(現ベアス)川に到達したところで将兵の反乱に遭い、反転を決意する。あまりに有名な場面だが、反転はあらかじめ計画されていた可能性が高い。というのも、彼はすでにインダス川の支流で船隊を建造しており、反転後にそれを使ってインダス河口まで下ったのだから。しかも彼の遠征範囲はどこにおいてもペルシア帝国の領域を越えていない。ローマ時代の作家たちにとって、アレクサンドロスは飽くなき欲望に駆られ、世界の果てまで突き進む英雄でなければならなかった。反乱によって帰国を余儀なくされたという場面は、彼ら自身のイメージに合わせて創作されたと思われる。 ポロスは中部インドまで攻め込む力は無かったんかな? 仏像はギリシア文化の影響が大きいから仏教の話を最初からやるならアレクサンドロス大王は欠かせないでしょう ビッグコミック 2021年 4/25 号の「海帝」にイスカンダルの話が載ってた ズルカルナイン伝説のダレイオスとの会話がちょっとじわってる
弟よ!人々を治めるには〜略
ダレイオスが勝手にアレクサンドロス弟にしてるし
裏切られて暗殺されるのにおまゆう感が凄まじい >>564
大王の死因はマラリアのほかに西ナイル熱(ウェストナイル熱)という説がある。
ウィキペディアにも載っているが大王の死に先立って、死んだカラスが大王の
足元に落ちてきたという記述がプルターク英雄伝にあり、西ナイル熱は中間宿主の
カラスも多く殺すことがその根拠になっている。 >>652
モンゴルのクビライ皇帝が、お前はペルシャを攻めてこい、取った分だけ領地にしていいぞ
って、ハンバリク(北京)からフレグ公を遣わしてんじゃん 業務スーパーの「チョコレートクリームスプレッド」はマケドニア産 ダレイオス一世の焼き直しに過ぎないんだよねえ
アケメネス朝の領土と全然変わんないじゃん
政治無能のダレイオス一世だよこれじゃ アレクサンドロスの次はピュロスだな
あれも結構強かった
ハンニバルが褒めるぐらいなんだもん アは歴史書読んでて同性愛者だったって記述読んで衝撃的だったわ
昔はフツーだったんだな
プラトンもソクラテスも 古代ギリシア・ローマは、同性愛文化がフツーだった印象があるね
(関係ないかもしれんけど、映画「君の名前で僕を呼んで」は現代ギリシアにあって父親(両親)が息子の同性愛関係をむしろ奨励し
ラストには父親が息子に対し、実は父親自身も同性愛の感情を抱いたことがあると告白する、なかなか先進的な作品だったけど、
その父親は古代ギリシア・ローマの研究者か何かでありました)
あと、いい話ではないかもだけど、古代ギリシア・ローマは男尊女卑の傾向が強く、男が“男=優れた存在”に恋愛した印象で 【SPQR】 古代ローマを語ろう 58【ROMA】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1672806042/
↑
このスレの>377-378 に古代ギリシア・ローマ時代の男同士の同性愛についての話があり、個人的には説得力を感じた アレクサンドロス以降、ディアドコイ戦争について詳しく書かれた本って何かない? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています