古代ローマを語ろう【ローマ人の物語】34 [無断転載禁止]©2ch.net
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ローマ帝国衰亡史(こういう言い方自体がある価値判断を含むので本来適切ではないが)について、これは読んどけみたいな本ありますか?ギボン除く 神崎 忠昭『ヨーロッパの中世』
近現代に結実する、豊穣なる中世
―― 中世とは真に暗黒の時代だったのか。
「ローマ」「キリスト教」「世俗権」「都市」「国民」「科学」など、ヨーロッパの基底となるキーワードから読み解く。
▼ヨーロッパ史を学び直したい人のために。
中世ヨーロッパは確かに暗黒の時代であった。しかし、近代において飛躍するヨーロッパを育んだ豊かな苗床の時代であったともいえる。
「ローマ」「キリスト教」「世俗権(王権・帝権)「都市」「国民」「科学」などのキーワードから中世ヨーロッパ史を読み解き、近代の「人間」の時代へと誘う。
▼中世を読み解くための6つのキーワード
【ローマ】中世人は模範として仰ぎ見た。政治的にも文化的にも深い刻印を残したが、中世は古代ローマの繁栄を1000年以上も超えられなかった。
【キリスト教】中世人の心を絶対的な規範として律した。人々はそのメッセージを遵守し、理想に殉じたが、時に軽んじ、自らの利益を優先した。
【世俗権】君主個人の能力やカリスマに基づいたが、教会との闘争を経て宗教性を減じ、官僚制と軍を備えた近代国家へと脱皮した。
【都市】西欧の復活にともない、社会全体の成長のエンジンとなった。生活を向上させるだけでなく、新興階層を出現させ、新しい文化を生み出した。
【国民】帝国でもなく宗教でもない、ヨーロッパが生み出した新しい統合の絆である。現在に至るまで世界を支配している。
【科学】近現代におけるヨーロッパの繁栄の源泉となった。技術を手がかりに、理論を実験や観測と結びつけ、新しい合理的な世界観を生み出した。
・・・そして【人間】へ・・・ ブライアン ウォード=パーキンズ (著)、南雲 泰輔 (翻訳)
『ローマ帝国の崩壊 文明が終わるということ』(白水社、2014年6月20日)
ローマ帝国末期にゲルマン民族が侵入してきたとき、
ローマ社会や経済に何が起き、人々の暮らしはどう変化したのか。
史学・考古学双方の研究を駆使して描く、激動の時代の実態。
ギボン『ローマ帝国衰亡史』以来長らく、ローマ帝国は衰亡し崩壊したというのが常識だった。
ところが一九七〇年代以降、研究者のあいだでは、それまで主流だった政治・経済面を中心とした研究に対し、宗教や社会に着眼することで、
「衰亡」とみなされてきた時代を独自の価値を持つ「古代末期」という新しいポジティヴな時代と捉え直す動きが起こった。
さらに九〇年代になると、考古学的史料を用いて、ローマ帝国はやはりある時点で「崩壊」したのだという事実をつきつける研究者があらわれた。
著者ウォード=パーキンズもそのひとりであり、本書では、何がどう問題なのかというレベルからわかりやすく解説しつつ、
「ゲルマン民族が侵入してきたとき、経済や社会に何が起き、人びとの暮らしはどう変化したのか」を、文献史料や陶器・家畜の骨・建築物(の跡)などを使い、
史学・考古学双方の研究を駆使して描き出している。ローマ帝国の洗練された生産・流通システムがひとたび崩壊してしまうと、
地域によっては先史時代の水準にまで後退し、回復には数世紀を要したという事実は、かなり衝撃的である。
英国ペンクラブのヘッセル=ティルトマン歴史賞受賞。 ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 →重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配 暗黒時代がホンマに暗黒時代やからな
建物を修復する技術が無いからローマ時代の建物ぶっ壊して
材料にしたり土人みたいなことやっとったらしいし >>242
>>243
ありがとう!パーキンズの本はちょうど今読んでいるが、神崎氏の本は読んでないので、ちょっと読んでみようかと思う。 中国の方は五胡十六国時代を経ても大唐帝国として復活したけど
欧州の方はローマ崩壊からルネサンスまで1000年以上も土人ランド
何が違ったんだろう? 古代ローマの奴隷
中世ヨーロッパの農奴
旧ソ連の労働者
現代日本の社畜
どれが一番ハードモードなの? 五胡十六国といっても史書が書かれ知識階級も残ってるからな。
知識階級が坊主しかいなくなった欧州とは違う。逆に言えば、
知識階級を産み出す社会システムが残ったということか。 隋唐で再統一果たしたとは言え、
民族変わっとる
それで許されるのならフランクでも可だし >>249
思想統制までされてたこと考えるとソ連の労働者だけど
農奴も嫌だなぁ 人種自体はそう変わってない
圧倒的多数の漢人の中に五胡、遼、金、満州族がいて最終的には全て吸収された
フランク王国も東ゴート王国も西ゴート王国も支配者層のゲルマン人はごく一部で
その他は大多数のローマ人
でも東ゴート王国はゴート戦争で滅茶苦茶になって人口激減してSPQRも消滅した
これをもって古代ローマの滅亡とする史家もいる ゲルマン人はみんなトラヤヌス級のマッチョなのよね
そらチビのローマ人もビビるわ ゲルマンって攻める時はめっちゃ強いんだけど
守る時はめっぽう弱いんだよな
マルコマンニしかり、ヴァンダルしかり、ナチスドイツしかり 『十二世紀のルネサンス ヨーロッパの目覚め』(2017/8/10)
チャールズ・ホーマー・ハスキンズ
イタリア・ルネサンス以前、十二世紀の西欧ではすでに知的復興が行われ、活き活きと文化が華開いていた。
ローマ古典の再発見、新しい法学、アラビアの先進知識との遭遇、大学の誕生。
「封建的で陰惨な断絶された時代」という中世の理解は正しいのか
―精緻な写本研究と文献学の成果で西洋史に新たな枠組みを提示し、今も指標とされる不朽の名著。 露鵬は、コーカソイドとモンゴロイドのハイブリッドぽいな ヴィンランドサガでも分かる部分があるが
ちゃんとした本読めば中世ヨーロッパの酷さは誰でもわかるぞ
一番大きいのが支配者の責任感の欠如
税金は山ほど取るが民を守る気がない(5公1教会1種籾1鉄製農具レンタル料2民つまり8公2民)
街や村を野盗・海賊に荒らされても男は殺され女子供がさらわれても領主は城に引きこもってやり過ごすだけで何もしない
民衆は絶望してますます宗教にのめり込むと言う悪循環
教会は科学否定で本を燃やすから文明が退行してローマ時代の施設が壊れても直せないので生活水準は落ちる一方
はっきりいって絶望しかない社会だ
南欧はイスラム海賊による民族浄化レベルの侵攻・略奪が横行していて教皇すら身に危険があった時代。
奴隷買戻しの騎士団の結成もかなり後の時代の話
もともと貧困地帯の北方は野蛮で戦争・内紛まみれ。
中世の後期(と言っても近世に含めても異論が無いような時代)に注目すれば
たしかにルネサンスや大国の出現などのいいところも見つかるが中世の前期を見れば、欧州は明らかに漆黒。
つまり、イタリア→サラセンの海賊に怯える日々
シチリア→既にムスリムに占領
スペイン→キリスト教とムスリムが常に内戦状態
イギリス、フランス→ヴァイキングに怯える日々
ドイツから中欧→油断してると騎馬民族がやってくる 中世中期になったぐらいに繁栄していた地域は他と何が違ったのだろうか?って問題
北イタリア諸都市は繁栄していたよな
南フランスも北イタリアとの交友も盛んで当時は北仏より栄えていた 中世って言っても千年くらいある
千年と言ったらロムルスとトラヤヌスの間よりもまだ百年も長い
7世紀の中世と13世紀の中世を一緒くたに論じるのはやめたほうがいいんでないかい? ビザンツも千年以上あるし初期と後期では全然違う
特に後期はかなりギリシャ化してて古代ローマとは似ても似つかない >>261のコピペ君他の板にも進出してきて迷惑なんだが引き取ってくれよ >>251
隋唐で使われた言語の発音はモンゴル語の影響を強く受けた漢語ベース
北魏後期の華北で胡漢半々位、軍戸なのか平民全般なのか解らんけど
>>261
武士そっくりだな 南欧はイスラム海賊による民族浄化レベルの侵攻・略奪が横行していて教皇すら身に危険があった時代。
奴隷買戻しの騎士団の結成もかなり後の時代の話
もともと貧困地帯の北方は野蛮で戦争・内紛まみれ。
中世の後期(と言っても近世に含めても異論が無いような時代)に注目すれば
たしかにルネサンスや大国の出現などのいいところも見つかるが中世の前期を見れば、欧州は明らかに漆黒。
つまり、イタリア→サラセンの海賊に怯える日々
シチリア→既にムスリムに占領
スペイン→キリスト教とムスリムが常に内戦状態
イギリス、フランス→ヴァイキングに怯える日々
ドイツから中欧→油断してると騎馬民族がやってくる 海賊の活動域
古代・中世前期=地中海・黒海
中世中期=地中海・黒海・北海・北大西洋
近世=大西洋・カリブ海・インド洋・南シナ海
近現代=海賊行為禁止・海軍による取締り
遊牧民(と西洋列強)の侵略
イラク周辺→中央アジア・黒海沿岸〜エジプト
→モンゴル高原〜ユーラシア全体
→遊牧民沈静化と西洋列強による五大陸周縁部侵略
→西洋列強の五大陸内陸部侵略 日本でも大和と出雲とか色々ありそうだけどな、
昔すぎて記録されてないだけで 移民なんてダメなのは、歴史が証明している
ローマ帝国時代にローマ人は奴隷や兵士育成のために、ゲルマン人を受け入れたが
やがてゲルマン人は権利を主張し、ローマ帝国内に侵入し、ローマ帝国は滅んでしまった
三国志の時代の中国の英雄たちは防衛のために、北方の異民族を受け入れた
(献帝を守った白波軍とは匈奴=フン族のこと
匈奴に負けた大月氏はインドに攻め込みクシャーナ朝を設立
柔然も西方に走り、アヴァール人として後のブルガリア人となり
突厥がやがてオスマントルコとなる)、
しかしその後に待っていたのは、五胡十六国時代と呼ばれる中国が異民族に跋扈された時代だったのだ
ゲルマン人や北方異民族によって、古代ギリシア人やローマ人は滅び、古代漢民族も滅んでしまったのだ
今のイタリア人もギリシア人も中国人も元々は乗っ取った異民族の子孫である
今の日本人が現在のヨーロッパ人や中国人よりも、三国志の時代の中国人や古代ローマ人に人間くささや親しみを感じるのはそれは当然なのである
寛容と人の良さが素晴らしい文化と発展を促したのだが、それこそが付け入る隙間を与えたのだ
このように、移民なんて受け入れるのは亡国に自ら進むことと一緒である
奴らは最初は弱者のふりをして、その実、乗っ取りしか考えていない
今、日本に移民を進める人間は本当の日本人ではない、敵国のスパイなのだ!! 地中海と黒海、沿岸各国の文化レベルはどこで差ができてしまったのか
慢心、環境の違い >>268
>奴隷買戻しの騎士団の結成もかなり後の時代の話
ドイツ騎士団とかチュートン騎士団が善意の人助けに基づいて作られたのか?ばかばかしい
むしろ同じキリスト教徒の巡礼者を奴隷として売り飛ばしていたキチガイだろ
>スペイン→キリスト教とムスリムが常に内戦状態
北スペインに残った西ゴート残党以外は平和裏に共存している
12世紀ルネサンスを起こしたトレド翻訳学派もキリスト、イスラム、ユダヤ教徒の宗派を超えた共同チームだしな
>ドイツから中欧→油断してると騎馬民族がやってくる
ドイツ人とかプルーセン人やルテニア人、クマン人から略奪してた側だろうに
さすがヴィンランドサガとかいう漫画(笑)がソースなだけあるな >>275
>今の日本人が現在のヨーロッパ人や中国人よりも、三国志の時代の中国人や古代ローマ人に人間くささや親しみを感じるのはそれは当然なのである
これって、司馬遼太郎や吉川英治、塩野七生の小説が現代日本人に親しみのある書き方してるからだと思うのだが 今の日本人が奴隷制社会の後漢末から西晋の中国や古代ローマに
親しみを感じるのわ当然なのである
三国志にも倭人は良民でも上位者に対して俺等の国の奴婢より卑屈。
って、あるしな! 今の中国とかろくなことしかしてないからな
領海侵犯とかいろいろ
そりゃ三国時代のほうが親しみやすくもなるだろう >>281
吉川英治三国志の原作三国志演技は明朝の成立だから明朝時代に親近感があるということなのだろう
どっちにしろ日本人の多くが親近感を持っているのは三国時代そのものではなく、小説であることには変わりない >>275
ゲルマン兵らはやがてローマ式の訓練戦術を拒否してゲルマン伝統の戦術で
戦うようになったのでローマ重装歩兵は消滅してしまった
イスラム世界ではトルコ人らがマムルークとして厳格な訓練と規律で軍の主力になったけど
セルジューク朝になると奴隷ではなく自由な遊牧民のままトルコ人が移住してきた
セルジューク朝のトルクメンやホラズム朝のカンクリ族らはスルタンに対する忠誠心が弱く
勝手に退却したり勝手に攻撃したり味方どうし争ったり規律が悪くてモンゴル軍に惨敗した
マムルークは都市生活者だったけどトルクメンやカンクリ族ら遊牧民なので牧草地が必要で
イラン人ら先住民の農地を牧草地にしようとしたので農民を守る為にスルタン政府は
マムルークを使って遊牧民らを鎮圧していた
スルタン政府と遊牧民は対立しがちなので十字軍やカラ・キタイとかモンゴルなど
異教徒外敵に対して団結出来なかった どっちにしろ今の蛮族化した中国に親近感をわくのはいないだろうさ
小説とか関係なしに 蛮族は言い過ぎだが、中世民衆ってあんな感じだったんだろうな。 >>286
つまり、そういう効率的な組織運営にマイナスに働く土着主義や民族主義を解体して
言いなりにできる「個人」を作れたことが、ナショナリズム国家の強みってことかな >>286
>ゲルマン兵らはやがてローマ式の訓練戦術を拒否してゲルマン伝統の戦術で
>戦うようになったのでローマ重装歩兵は消滅してしまった
拒否してないし重装歩兵中心の戦術はディオクレティアヌスの頃にはすでに廃れてる
大体、個々の兵士の意思に戦術を変更する力なんてないよね
>セルジューク朝になると奴隷ではなく自由な遊牧民のままトルコ人が移住してきた
西突厥はマー・ワラー・アンナフルまでに進出してるんだが
そもそもセルジューク自体がサーマーン朝に属していたトルコ系遊牧民だろ
> マムルークは都市生活者だったけど
マムルークの経済基盤はイクター制に基づく農村支配でその本質は封建領主です
>スルタン政府と遊牧民は対立しがちなので十字軍やカラ・キタイとかモンゴルなど
>異教徒外敵に対して団結出来なかった
このスルタン政府ってホラズム朝やセルジューク朝のこと言ってるの?
じゃあ間違い
両王朝のスルタンとも遊牧民出身だし軍事力も経済も遊牧による交易に頼っていたから
農民守るために自分で自分の首を掻き切るとか本末転倒です マムルークの経済基盤はイクター制に基づく農村支配でその本質は封建領主なので
イラン人らの農地を牧草地にしようとするトルクメンらと戦った
マムルークは遊牧民ではない 間違い
トゥルクメンのアミールたちも行政イクターを封土として持っているよ
こちらは行政権も与えられているので軍事イクターよりも立場的に強い トゥルクメンの一般兵らは普段は遊牧民として自活する為に牧草地が必要だった
ホラズム時代になるとさらに新参のカンクリ族がトゥルクメンの牧草地を狙い
遊牧民どうしで争うようになった おいおい悔し紛れにいい加減なこと書くな
カンクリ族もチュルクメンだ カンクリ族も一枚岩で団結していたのではない
オトラル太守イナルチュクはカンクリ族だけど
5万の兵でモンゴル軍に防戦していた時に
配下の2万のカンクリ族兵らが勝手にモンゴルに
降伏してモンゴル軍に虐殺されてしまった
トゥルクメンやカンクリ族はさらにちいさい氏族
単位で対立競合していた ローマ人の性生活について教えてください!お願いします! >>287
それが何?ここは古代ローマのスレなんだけど 古代ローマだった地域は結局バラバラになってしまったのに
ほぼ同時期に統一した中国はその後離散集合しつつも一体感を維持し続けた理由って何だろう?
運河のおかげかとも思ったが、ローマにだって地中海があったしなぁ 経済的な要請と全き武力に因る統合の差じゃね
ビザンツ帝国は永らえてるし 中国が山や砂漠、海に囲まれてて、
比較的まとまりある地域なのに対して、
地中海世界は海路が途切れたらバラバラだからなあ 地形の問題も大きいと思う
中国も山あり谷ありだけどローマ・欧州圏はそれ以上に山あり谷あり大森林ありで
かつ巨大な内海のおかげで「地中海世界」の形もぐにゃぐにゃで
ローマ帝国の中原に相当する位置が地中海だしドーナッツ形
いっぽう中国も益州とか地形的に隔絶されたところもあるにせよ
全体的には丸くまとまってる形 中国のほうがどう考えても山あり谷ありだがな
ヨーロッパの山とかあんなもんただの丘だ 日本列島の可住率も低いけど中国も20%ちょっとしか無いんだよな
5割超える欧州北西部と雲泥の差、南欧諸国も低め でも人口密度は日本・中国の方が欧州より高いというね 中国はイギリス、イタリア、ドイツより人口密度低いが
つうか日本の平地面積あたりの人口密度ってもはや都市国家レベルだからな >>304
ど真ん中をアルプス山脈がぶち抜いてるヨーロッパに比べたら
むしろ中国のほうがずっと平らだわ
あ、チベットなどを含まない古代中国の話な >>305>>307>>308
現代中国が表面上の可住率や人口密度が低めになるのは
チベット・ウイグル・内モンゴル・青海省あたりを含んでるカラクリのせいだよ
実際には黒河騰衝線から東半分の古代圏に相当する地域に人口の9割以上が偏っていて
この元来の「中国」の人口密度はイギリスイタリアドイツよりも高い 結局>>301が一番正解に近いのかねぇ
古代ローマは所詮都市国家ローマによる搾取構造でしかなく
始皇帝の築いた法治帝国は中国各地の住民に互恵をもたらした EUはなぜローマ帝国になり得なかったのか
慢心、環境の違い 黒河・騰衝線の東にあたる古代中華圏にも一応、
秦嶺山脈や太行山脈など大きめの山脈あるけどもそれでも長さ数百キロ程度。
地域分断という観点からするとやはり、
2000キロ以上に渡るアルプス・カルパチア帯で
南北に割られていたヨーロッパのほうが『分断』されてるよ。
あと文明本拠のイタリアやギリシャが中原とは異なり半島で、海で分断されていたのも。
ローマが元気な頃は海は有効な移動路になったけど、
ひとたび勢力基盤がくずれると海は逆に大変な障壁になる。 秦帝国は所詮は始皇帝による搾取構造でしかなく
ローマの築いた法治帝国は地中海各地の住民に互恵をもたらした
の間違いだろ
歴代中国の王朝は毛王朝に至るまですべてに言えるのだが市民層が存在せず
古代ローマの属州民に与えられた総督のリコール権や弾劾裁判権も持たず下部構造がなんら上部構造に影響を与えない完全上意下達式
ヨセフスやボリュビオスなど敗戦国の住民からもローマの統治はマンセーされていたが
秦帝国は身内からの評判もたいそう悪い 経済構造か統治手法か地勢かというのではなく全部連結しての結果だと思う
そもそも地勢や気候がまずはその文明・文化の基層を形作り
そこから経済構造や統治手法が形成されていくものだから 中華ファンって批判精神皆無のカルト歴史書ばかり呼んでるから頭がおかしいのかな 地域分断という観点からすると関中盆地とか四方八方を数千メートル級の山脈で
囲まれた陸の孤島なんだが >>317
つってもその局地だけだし
ど真ん中を巨大山脈で全分断されてるヨーロッパ世界や
ドーナツ型で全域がいびつな地中海世界とは比較にならない >>314
古代ローマだった地域が生産力で中国を上回るのは19世紀以降の二百年しかないぞ
近年の研究によれば、その中国の生産力を何千年もインドが上回ってたらしいが >>314
属州民にそんな権限は無い、属州の一部貴族にのみ与えられた特権
漢帝国で云うなら官吏、日本だと庄屋に相当する層
ローマわ情実地縁血縁コネと汚職の世界で
漢帝国(セレス)は厳格な法治国家で役人や庶民が清廉
これローマ人自身が書いた話 古代ローマが潰えてからの西洋は貧しい暗黒時代だったからね仕方ないね >>317
いま話してるは局所の隔絶ではなく、
文明圏そのものを割る巨大な分断地形についてであって、
それは西側のほうがずっと目立つということ。 >>318
河北、河南、山東、安徽と極寒の東北三省除けば
数千メートル級の山脈が8割を占めるとこしかないんだが
>>320
はぁ?
じゃあ何でピラトは更迭されたんだよ
>漢帝国(セレス)は厳格な法治国家で役人や庶民が清廉
お前酷吏伝も呼んだことないの?
郷挙里選とか豪族の豪族層による豪族のための制度でしかなんいんだが 中国が平とか言ってるバカはいつものアスぺ野郎だと思うんだけど
お前はグーグルアースも入れてないの?
国土の86%が標高500mを超える山岳国家だぞ >>324
数千メートル級の山脈が8割?
平均数千メートル級とくれば延長数百km程度の秦嶺山脈太行山脈大別山脈くらいしかないのに?
まさかチベットなどを含む現代中国基準で話してるの? >>325
俺は中国のほうが分断率高いと思う派けど、
ただ、この一連の話を単なる「平らかどうか」という意味でしか
捉えられない人こそ一番のアスペだと思うよ 主題は平らかどうかじゃなくて
山脈の位置や内海の存在がどう文明圏の形に影響を及ぼしたかだよね 中国は始皇帝というより周王朝の影響が大きかったのかなと思う
まがりなりにも八百年間、あの広大な地域の上で重きを成してたわけで
その間に大分文化や言語の均質化が進んだってことじゃないか? それはお前が無知すぎるだけだろ?
華北のほとんどを占めてる黄土高原とか一体標高がどれだけあるかググってみたら? 中国はそもそも広すぎるうえに勝手気ままな閥族やら軍閥が多くてな
あんだけ好き勝手やってるのになぜまとまっている事になっているのかが不思議
それと比べればローマのほうがまだ離合がわかりやすい
というか中国は一見平和に見える時代ですら、ローマの軍人皇帝時代が
延々続いているような印象すら受ける >>330
内モンゴルにまで跨るような地域の話をなんでいま挙げてるの?
何の話してるかわかってる?
まさかそれが欧世界の中央を横断してるアルプス山脈や
地球海世界の中心に鎮座する内海に対応する例だと思ってるわけじゃないよな? そういや大河って実はあんまり文化境界線にはならないよね
ライン河はローマが来るまでゲルマンだらだら流れこんできてたし
ドナウのほうもケルト人がすいすい抜けてるしトラキア系も南北にまたがって広がってたし 黄土高原ってまさに中華文明発祥の地じゃん
傍から聞いてても>>332は苦しすぎ >>334
発祥の地はそうだけど中華文明圏の中心は中原でしょ
君もそうだけど局所じゃなく文明圏全体の話をしてるってのがわかってないよね >>333
大河は平和期には両岸を分断というより統合するからね
戦争になると渡河する相手に攻撃できるので軍事境界線になり得るけど 分断説おしてる人は読ませる気を無くす煽り口調やめるべき。
反論してる人はちゃんとテーマを掴んで正しく反論するべき。 >>326
ウッソだろお前?
地理の資料集とか見てなかったのか?
https://i2.kknews.cc/large/3e4000199158dcaef51
>>335
中原つっても時代によって変遷しすぎなんだが
殷周へと発展した仰韶、龍山文化から戦国時代をリードした三晋、秦漢至るまで本拠地は黄土高原周辺だぞ
一回世界史Aからやり直した方がいいんじゃね? >>338
本当に何の話してるのかわかってないんだな
その地図もどっちかというと俺の言説を支持するものになるんだけども ま、地理的な分断に関しては「中国の方が大きい」が結論でいいんじゃないかな?
地理的な分断は中国の方が大きいのに、文明的な分断は古代ローマだった地域の方が大きい理由は依然として謎だが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています