古代ローマを語ろう【ローマ人の物語】34 [無断転載禁止]©2ch.net
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トラヤヌス以降の皇帝って「元老院議員を殺さぬ誓い」があったのに
ハドリアヌスが元老院議員を殺した(可能性が高い)ことについては見逃されてたの? ナチ式敬礼ってほどじゃないけど
集まった群衆に対してピンと伸ばさない程度に手を揚げて、よく集まってくれたみんな
みたいな態度を示す動作をやったら今は怒られるの? >>841
ローマスレなんだから、文明破壊王ガイセリックさんも評価してやれよw >>847
やあみんなーどうもー的な挨拶程度ならドイツ以外では別に何も言われない
著名人は誰でもやってる 「ローマ式敬礼」なんて幻想だとMartin M Winklerなどが切り込んだりしてるけど
もはや浸透しきって既成事実化状態で焼け石に水というのが悲しい
「ローマ軍船の漕ぎ手は奴隷」などよりも遥かに訂正困難な固定観念と化してる 本来これを訂正するべきローマオタク層こそが
「ナチスのあれ実はローマの敬礼なんだよなあ」と率先して広めてるのが悲しいな。
(すんません俺もそうでした今後はちゃんと勉強します) >>849-850
だよなー
前に上がってたマルクス・アウレリウス君のローマ式敬礼の根拠になった像の腕って
>>850の画像クラスだよな >なおアメリカ大陸への先住民の入植は1回ではなく、
>アメリンド、ナデネ、エスキモー・アレウトの3波が存在したと考えられている。
>また紀元前のある時期に地中海、ヨーロッパ方面から北米東部へ入植があったのではないかとする説もあり
>遺伝子もこれを示唆する
ローマ人がアメリカ大陸に渡っていた可能性も!? >>841
個人でなく民族単位ならヴァイキングだな
ヨーロッパ全土どころか、イスラム圏やビザンツ、果てはアメリカ大陸まで到達した ヴァイキングって蛮族の王の名かと思ってた、中坊くらいの頃
キングってつくし 我は北海を統べる鋼鉄の戦士ヴァイ族の王たるもの!ヴァイ・キングである! >>841
オクシデンタルとオリエンタル双方で大暴れした人物なら結構いるか? 将軍時代も含めればトラヤヌス、セウェルス、アウレリアヌスあたりも
中々にスケールでかい暴れっぷりだな 国勢調査をケンススって読む人とチェンススって読む人がいる ヨセフ
ヨシフ
ユースフ
ヨーゼフ
ジョセフ
ジョゼフ
ジュゼッペ
芳生 鐙を使っていた鮮卑系王朝の重騎兵もまだ両腕で槍を構えていたのか >>858
スバンキングとかストリーキングとか三分クッキングとか >>868
こんなの古代ペルシア王朝時代からあるよ アヴァールやランゴバルドの兜はローマ重騎兵の兜に似ている
これはおそらくサルマタイやアラン族に由来するのだろう
4世紀から5世紀のローマ帝国の重騎兵 http://i.imgur.com/Jt9ziZ5.jpg アヴァ―ルの兜は小札板を重ねたものだし
まずそんな亀頭みたいな形してないし全然違う バルカン半島に今のブルガリアよりも狭い範囲にアヴァールとブルガールが定住すれば、
言語と文化もある程度残ったかもしれない
正教会だけど神をテングリとよぶとか >>881
>>868のモンゴル式兜と中国式胸甲ってアヴァールの兵装なんだろ? >>875
蒙古鉢形冑って知らない?日本でも発掘されてるよ >>885
無いよ
全体がドングリみたいな形状で鉄の小札重ねて頭頂でカチッと止めるタイプは
鉄製の胸甲と小札鎧が一体のタイプも すまんな変なの呼び寄せてしまって
この手の負けず嫌いタイプはすぐ意地になるから、迂闊に刺激しないように >>889
上下分離してる上に、画像じゃ判断出来無いけど小札を重ねてる様にも見え無いし止め方も違う 密偵ファルコ読んでるんだが、
いきなり「ウェスパシアヌスの時代になったので公衆便所に行くのに小銭が必要になった」という描写があって萎える
1989年にイギリスで発売された本だけど、当時はオックスフォード大卒のインテリでも古代ローマへの知識がこんなものしかなかったの? >>892
モンゴル式兜、日本で云う蒙古鉢形兜ってそういう様式 >>894
そんな固有名詞勝手に使ってるの日本だけですw >>868
アヴァールの兜はノーズガードがあるから
鼻が高いコーカソイド用の兜だな モンゴロイドだけどやはりかなり鼻が高いよね
鼻が高いからノーズガードが必要だったわけだね アヴァールだって柔然だった頃とは風貌はかなり変わってたはず 柔然だった頃とは風貌がかなり変わっていたから
コーカソイド用の兜を使うようになったのだろう 鼻が低ければノースガードが要らないなんて差別だろ(怒) そりゃ、今は露助と云われている人の祖先で昔モンゴル人とかタタール人て呼ばれてた人も多かったからね >>868
鮮卑(北魏)と柔然は、かつて匈奴の故地で対峙していたからなぁー
柔然=アヴァール説をますます補強する状況証拠だね ハプロ見るとフィン系は結構混ざってるけどモンゴル系はほとんどない
だいたいキプチャクハン国建国当初ですら4000世帯とかその程度だからなモンゴル人 >>901
同じアジアンでもこういう顔に生まれたかったな >>906
さすがにそれは、キプチャクハン国内だけのモンゴル人世帯数でしょ? キプチャクハン国
アルタン・オルド
ゴールデン・ホールド
ヂョチ・ウルス
金帳汗国
欽察汗国
どれがいちばん正しいの? >>909
本拠地でしかその程度しかいないのにルーシの民族構成を変えるほどの人口がいたわけないんだが
実際、今のロシア人でモンゴル人と同じハプロc2を持ってる奴ってまずいなしいな
比率的に見るとスキタイ人やサルマタイ人と同じR1aが最多でこれだけで半数、次にフィン系のハプロが2割、ルーシ族と関連が見らるハプロIが2割で
この3系統だけで9割も占めてる >>855
コロンブス到達から500年以上、メイフラワー号入植から400年近く経ってんだぜ。
満遍なく血が行き渡るに十分な時間・世代数だ。
純血インディアンに見えたところで、白人・黒人の血が混ざっててもおかしくないだろ。
通婚もあれば、双方に、奴隷や略奪婚のような人的資源の奪取、孤児の養育等々があったことは
記録に数多残ってる。
コマンチの酋長のクアナーとか有名だろ、母親は戦闘の混乱に際して連れ去れたイングランド系白人。
白人だって、まあ、どの時点のどこの住民をを純白人とするかで議論がありそうだが、とりあえず、中世の入口で、
ヨーロッパ地塊とその近辺の島、ブリテンとかシチリアとかキプロスとかの住人だった人の子孫を白人としようか。
アメリカ大統領のブッシュ父子だって、純白人の風貌だけれど、ポカホンタスの子孫だぞ。
ついでに、ロシア貴族、イングランド王ジョージ四世を介して、ジンギス汗の子孫でもある。
WASPの名家からしてこんな状況だ。
現代人のサンプルとって遺伝子調べて、ルーツどこら辺とか無意味だな。 >>912
ジョチはジンギスカンの子ではなくてメルキトとの戦争で捕まってる間に妊娠した説があるでよ、
ジョチ裔は違うハプロタイプかもしれんでよ。
ってか、一民族丸々全員同じ父系なんてことはないんだし、モンゴルよりも前に匈奴や突厥の
ような黒海から日本海まで勢力圏を持った集団もあるんだから、血統なんて混ざりまくりだろ。
遊牧民の同盟締結や戦後処理講和には必ず人員の交換が伴ってんだし。 >>912
お馬ちゃんの話。競馬のサラブレッド。
現在、父系は3つに集約されてる。子→父を辿ると、18世紀の頭にいた3つの牡馬に行き当たる。
でも、18世紀の頭に、子孫を残せた牡馬がこの3頭だけでないんよね。数千居た牡馬が種付して子を残している。
牝しか子孫を残せなかった馬はそこで父系は絶えてしまう。
人間のY染色体ハプログループも同じように、或る段で突出して子孫を多く残したり、女の子孫しか残せなかったりで
比率が入れ替わる。前近代の一夫多妻制なら、なおさら。有力者は子孫を沢山のこし、そうでないものは脱落する。
日本のお公家さんだと、平安時代に1182氏が挙げられていたものが、明治維新のときには、ほとんどが藤原氏と
皇別(源、平、安倍、清原)で、他系統は下位の家柄に僅かしか残ってない。(600家中12家、藤原と同系の大中臣は除く) >>915
安倍氏が皇別というのはあやしいな
古すぎるし。
また、清原氏は途中で海氏が養子に入っていたような カエサルって色んな名誉に服してる割にガイウス・ユリウス・カエサルって短い名前なのは何でなの? >>915
>でも、18世紀の頭に、子孫を残せた牡馬がこの3頭だけでないんよね。数千居た牡馬が種付して子を残している。
そんなにいるわけがない
いあゆるメアーラインと言う牝系もやはり元をたどると数種しかいない
もしそんなにサラブレッドが遺伝的多様性に優れた種なら近親交配を原因とする遺伝病がここまで多い馬種にはならなかっただろう
>人間のY染色体ハプログループも同じように、或る段で突出して子孫を多く残したり、女の子孫しか残せなかったりで
>比率が入れ替わる。前近代の一夫多妻制なら、なおさら。有力者は子孫を沢山のこし、そうでないものは脱落する
何時の時代も特権階級は数%しかいないわけでそいつらがいくら頑張ったところで人種の構成を入れ替えるわけがない
ブルガール人もトルコ人も満州族も圧倒的大多数の被支配民に同化されている
いくら理論を弄した所でロシア人にモンゴル人の主流ハプロであるC2は数%も見られないのだから、ほとんど影響はなかったとしか言いようがない
きみが挙げた公家の例は有力者の家系でも容易に転落する、淘汰圧からは免れ得ない傍証にしかならないし
きみの理論が正しければ現代日本人のほとんどは高貴な公家の出という事になるが、現実は苗字の9割は明治の新姓で由緒正しい家系などほとんどいない それとあるハプロタイプが主流になる要因としては支配層だと被支配層だとか関係なく
ある特定の病気や環境に強い変異を起こしていること、牧畜農耕文化を受容できたかどうかが大きい
例えばミトコンドリアのハプロはMとN以外の系統はアフリカ大陸をのぞいてほとんど絶滅している
また欧州や中東の2人に1人は母系をたどるとハプロNから分かれたハプロHに行きつくほど大繁栄してるのだが
これはハプロHが支配者層となって多くの男を独占したわけではなく、最も早く黒海において農耕を営んで安定的に子孫を残せたから マジャール人はアジア系遊牧民であることを誇りにしてるし、語族的にもフィン系で間違いないのだが
Yハプロを見るとスラブ系R1aが最多で26%、ついでケルト系のR1bが19%、次いでディナール系のI2の17%
肝心のフィン系のハプロは3%程度と、ネグロイド系のE3bの7%より少ないという悲惨な結果になってる 東欧のキプチャクハンがイスラム国で
中東のイルハンがキリスト国というねじれ現象
東欧・CISでも、
アゼルバイジャンはイスラム圏で
中東でもレバノンは女性がベール無しで歩き回るキリスト圏だってのは知ってるけど
やっぱり違和感 つうか男女隔離は昔のキリスト教のほうが激しかったから
ルイス・フロイスも日本の女どもと来たら家父長や夫の許しもなく勝手に外に出歩いていると驚愕しているぐらいだし 昔のイスラム圏の人々がどのような恰好をしていたか気になる人は
Lehnert、Landrockでぐぐってみよう >>914
>ジョチはジンギスカンの子ではなくてメルキトとの戦争で捕まってる間に妊娠した説があるでよ、
>ジョチ裔は違うハプロタイプかもしれんでよ。
意味が解らない
個人の遺伝子など猶更一民族の形成には関係ないんだが、それともジョチ・ウルスは全員ジョチのクローンか何か >>925
黒海北岸はジョチに分知された。
モンゴルは一夫多妻。戦争や統治にあたって、遊牧民の常道の人員交換がある。敗者は娘を差し出し、勝者は男を押し付けてくる。
有力はやたら子孫が多くて、ジンギスカン裔とかウジャウジャいるわけよ。 >>926
黒海北岸ってキプチャク族の勢力範囲やん
だから多数派のテュルク系に乗っ取られたんやろ >>893
ウェスパシアヌスの時代に公衆便所が有料化したのは有名だろ。
一体何が問題なのか。 >>925
アホ?全人口の0,000001%に満たない一人の支配者が必死こいて子ども残しまくも民族全体の構成になんら影響はないが
一夫多妻なんてどこの文化圏までそうだし、戦前まで日本の政治家や実業家も多数の妾を抱えていたが、お前の先祖は名前もろくにわからないドン百姓だろ 上の人間はどしどし子孫残すし、
小作人とかの最貧だと子孫は残せない >>928
ウェスパシアヌスが行ったのは公衆トイレ使用の有料化ではない
公衆トイレで集めた尿を売買することへの課税 一人がセックスしまくったら民族構成に影響とか頭おかし過ぎて草 >>931
墓すら発見されてねー奴の遺伝子なんて分かるかよ
ほんと文系ってバカだな 教育実習に行ったとき、エジプト人は全員ツタンカーメンの子孫で、北朝鮮は全員金正日の子孫と思ってる子がいたよ
「じゃあ、お前は小泉か天皇の娘なのかよ」って突っ込んだら頭抱えて悩み始めたけど
最近の子はネットの普及でもっと賢くなっていると信じたい 天皇家の血筋は各宮家、
臣籍に降下した源氏やらを通じて相当の数で広がっているのではないか。
直系子孫の全人口に占める割合は分からんが。
1%か3%なのかもっといるのか。 >>938
ただ血を引いているだけなら日本人の大半がそうなのでは 国民の多くが3世代前の有力者の子孫てことはまあないだろうが
100世代前の有力者ならありえるだろう ただ血を引いているだけなら日本人の大半が関係ないのでは
近代以前では人別帳を見ると百姓は結婚率が9割強を占める一方、武家や公家は長男以外は未婚率が高く
結婚しても子どもを作らない傾向があり、大名家ですら養子で家系を繋いでるのがほとんど
苗字の9割は明治新姓なんだし、何れにしても君たちは先祖代々、ドン百姓だ 某山野も言っていたが日本人は貴種が大好きだ
中高年のおっさんたちに先祖は何やっていたと聞くと大概が士族だとか地主だったとか答える
戦前まで9割が小作人だったというのに先祖は貧農でしたとは誰も言わない不思議な話だ >>941
近世はともかく、古代や中世は有力者の子孫の増えかたのほうが大きいのでは
武士も地方で次々に分家作るしな 貴種は貧乏人になっても貴種だよ
中世の百姓で苗字持ち何てほとんどいないだろ
昔、フランスの人がフランスの歴史は国の歴史で革命以前は自分たちとは関係ないと言っていたのを聞いた
実際、王様も貴族諸侯もゲルマン人同士で通婚していたのだから当然だが
外国の人は異民族統治を受けているため自国史をちょっと冷めた目線で見る傾向がある
一方、日本は上から下まで同一民族なので自国史=国民史と言う意識が根強い
武士も大正デモクラシー運動も実際はごく一部の人がやっていたことに過ぎないのだが、
それとは関係ない生活を送っていた百姓の子孫ですら、それを自分たちの歴史と思っている 君が自分の生まれにすごくコンプレックスを持ってるのはわかった 王家なり権力者が一夫多妻か
そうでないかでかなり話は変わる。
百年で子孫を一万人まで増やした男なら20世紀にもいるぞ。
イブンサウード王とかな。 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。