古代ローマを語ろう【ローマ人の物語】34 [無断転載禁止]©2ch.net
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オドアケルはローマを滅ぼさず自分が西ローマ皇帝になれば良かったのに 鎖帷子と小札鎧を重ね着してたハスカールですら全然相手にならなかったのに
あんなガラパゴス鉄塊ごときつけたところで太刀打ちできるわけないが 鎖帷子と小札鎧を重ね着してたハスカールですら全然相手にならなかったのに
あんなガラパゴス鉄塊ごときつけたところで太刀打ちできるわけないが 信長が義昭を追放した後、代わりの傀儡将軍を立てなかったのと一緒。
もう権威が失墜して、傀儡としての価値すらなかったんだよ。 ローマ帝国滅亡後の暗黒の中世って
今でいうと中国人が大量に入ってきて文明が崩壊して生活水準が江戸時代レベルまで退行
というイメージ >>14
暗黒の中世という歴史観それ自体が近代ヨーロッパの産物
古代末期史観でぐぐったら面白いかもよ ピーター・ブラウンとか古ッ
最近ではもっと早くそれも著しいレベルで衰退がはじまったってのが一般的
「ローマ帝国の崩壊 文明が終わるということ」読めば? 軍人皇帝時代とガリア帝国の辺りで既にかなり経済退潮よな 識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 →重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配 >>8
宋の一般兵の鎧兜とかガッチガチだけどモンゴルに負けてるしな
そんなもん何て事も無い >>17
395年の東西分裂まではなんとか保ったけど
分裂後の西側の生活水準は蛮族の割拠で先史時代に逆戻り
東は遺産を食いつぶす形になったが1000年続いた >>18
全く古代末期は地獄だな
この時代生き抜けた奴はバイタリティ凄そう アラリックらゴート族が永遠の都ローマから略奪した金銀財宝の数々は今何処へ・・・ 近代に入るまで一市民が志願して兵隊になれば軍団の兵営で無料の医療が受けられたってのは確かに驚愕かもしれんよな。 ごめん間違えた。
近代に入るまで古代ローマの軍団以外で ローマ時代にはすでに鉄板を青銅金具でつないだプレートアーマーのご先祖様が登場していましたが、
高価につくこと、製法が伝わらなくなったことのおそらく両方から、鎖帷子(チェーンメイル)が騎士鎧の主流になります。 東ローマで積極的にセグメンタタ使った様子はないし古代末期のローマ軍はゲルマン人が主力だし、コスパも考えて鎖帷子が主流になったんじゃないか?
高価で手間のかかる装備でも東ローマのカタクラフトみたいにコスパに見合えばずっと使ってるわけだし ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 →重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配
平均身長がローマ時代に戻るのは、千年あとのルネサンス以降
(その時代の墓のお骨から分かる) >>29
ローマのカタフラクトの甲冑はパルティアの模倣だったようだけど
この板金の輪を繋げた鎧は腕に装着すると動かしにくいようだから
既にアルメニアとササン朝では腕の防具は鎖帷子になっていた
パルティアでは槍騎兵と弓騎兵を完全に分業していたようだけど
アルメニアとササン朝ではカタフラクトが弓騎兵もやれそうだね
パルティア&アルメニアのカタフラクト
http://www.peopleofar.com/wp-content/uploads/armenian-and-parthian-cataphracts.jpg
ササン朝のカタフラクト
https://i.pinimg.com/originals/95/3e/d3/953ed3dadc35e865e6b59a15db59d4b7.jpg
4世紀から5世紀のローマ帝国のカタフラクト http://i.imgur.com/Jt9ziZ5.jpg ローマのすごいのは西半分を失って東だけになっても、こういう新しい物を取り入れて且つそれを一般市民の志願兵にじゃ君は明日から馬乗って鎧着てねって
仕立てあげていった事だよな。
装備も訓練も半端なく金を注いでるわけで生まれつき貴族が自前でやってたわけじゃないってとこがすごいよな。 ローマ軍の主力が騎兵になったのはガッリエヌス帝の改革による
父ウァレリアヌス帝がササン朝に敗れて既存のローマ軍が壊滅して
ガッリエヌス帝のドナウ戦線には騎兵が豊富だったからだろうな
ガッリエヌス帝は自らが取り立てたイリュリア人の将軍らに殺され
帝位を奪われた ローマ領内で鐙無しで槍を両腕で構えてカタフラクトをやる事に適していたのは
バルカンのイリュリア人やトラキア人らだけだったようだ
軍事力をバルカンに依存するようになったのでバルカンにゴート族が移住すると
ローマは他の領土が無傷なのにたちまち弱体化して崩壊し始めた
ゴート族やアヴァール族の影響で鐙が普及し始めると農民でもカタフラクトを
やれるようになったのでアナトリアのテマの農民らがカタフラクトになって
東ローマは生き延びる事が出来た
もし鐙が普及しなければバルカンがスラブ化した時点で
東ローマはササン朝に滅ぼされていたはず >>16
うおこんな本出てたのか
恥ずかしながら知らなかったぜ…ありがとう フルプレートの騎士にフルプレートの馬という重騎兵を見てると
すごく重そうで馬が可哀想に思えてしまう
モンゴルの軽騎兵とか革鎧だからすごく軽そうだわ 革鎧って結構重いんじゃね金属よりマシかもしれんけど どうして西ローマ帝国はラヴェンナなんて中途半端な場所に首都を設定したの?
ミラノほど前線に近くないしもうローマのままでよくないか? 自分もそれ疑問だったな
そもそもローマじゃなくメディオラーヌムに置いてた時点からよく分からん
それほど西ローマの歴代皇帝がローマの元老院を嫌ってたとか? ポストローマ期が一番面白い時代の気がしてきた。上でも書かれてるように暗黒時代って考えは、もう古いみたいね。 大英博物館はイギリスが世界中から分捕った文化財が展示してある >>41
でも>>31の状態になったのは紛れもない事実 西洋史における中世は一般的に476年の西ローマ帝国滅亡から1453年の東ローマ帝国滅亡まで。
ちなみに1453年には英仏百年戦争も終結している。 ラヴェンナとかミラノにおいてたのって戦略上、あるいは経済上の理由だったようなイメージがあるんだけど違うの? 皇帝の居場所がそこだったってわけで西ローマの防衛上とかではなくないか?
ラヴェンナにあった機能なんてアルルやティベリウスの別荘地くらいなもんで元老院自体はローマにいたんじゃね? てか三十年戦争も普通に中世だよな
豊臣幕府も中世区分なんだし シアグリウスの一族も外交官として活躍したメロヴィング朝は、まだ良い時代だと思う…。 ドイツも日本も小領主乱立のまま中央集権産業革命になったんだから、ずっと中世のまんま近世中央集権的国家として海外進出していく英仏に遅れる事100年近世なしで近代に突入してる気がするけど? 将軍の命令は絶対
気に入らない大名は改易
大久保忠隣、福島正則 江戸幕府が中央集権的な国家体制なら、そのまま近代化すればいいだけで税制一つとっても国家予算なるもんがないだろ。
それぞれの領主がそれぞれの領地から税を取る
これのどこが中央集権体制なんだ 江戸時代が中央集権体制だったとは思わないが
ああも容易く中央集権体制に変化できたことから
中央集権体制の前提は既に整っていたというべきじゃないか? 単に外圧があったから争ってる場合じゃなかっただけの話
中央集権がにっちもさっちも進んでいなかったのに唐からの外圧のおかげで中大兄皇子一代で
豪族の寄り合いから律令国家に一瞬で移行した時と同じ構図 ドイツやトルコや中国やイタリアの体たらくを知らないのかな?
知ってて言ってたとしてもかなりの阿呆だが 戊辰戦争は死者5000人で期間も1年で終結
これはフランス革命の死者100万、アメリカ南北戦争同じく死者100万、
普墺戦争の死傷者41万などと比べると異例の被害の少なさで終結している
西南戦争も西郷と一部の離反で明確な目標もなく新政府を揺るがすようなものではないし >>58
それ全然反論になってないけど
日本は島国でほぼ単一民族であったということのほうがデカいだろという意味なら一理あるけど >>56
清に限らず中国の歴代王朝って
外敵が攻めてきてるのに相変わらず政争・内乱に明け暮れているようなケースが多くて
ヤバいと気付いた頃には既に詰んでたという例は枚挙にいとまがない 幕藩体制が中央集権だったら世の中がひっくり返るわ。
徳川将軍がいくら高圧的だからってそれは領地達の中の大領主でしかない。
各藩の領主達がそれぞれ自分で税金取りながら軍隊も自前で持ってる中でそれを英仏と同じ近世と呼ぶのは無理あり過ぎる。
日本は近世を経ず中世から近代へ突入したくに。 >>39
ラヴェンナは周囲が湿地で安全だったからでしょう
ヴェネチアと同じような水の都 ×ヤバいと気付いた頃には既に詰んでた
○@矢場いと思う処か内紛に明け暮れ反乱起こされ滅亡、分裂
○A矢場いと思う事も無く勝手に滅亡した後、女真族が征服 近世=中央集権とかは西ヨーロッパにしか当てはまらないモデル何んで
江戸幕府が政体だけ見て中世だとか近世だとか意味がない >>62
それじゃ日本が劣っているようじゃないか!
ゆるせない。室町時代から近世だ! いや部民制時代こそが中世でしょ
すると天智朝は近世、班田制は共産主義社会だ 日本が劣ってるように思うとか感情を満たす為にしか物事を考えられないとか大丈夫か?
英仏は近世という時代を経たから自ら近代を生み出した。近世が近代を生み出したんだよ。
明治維新の本質はここにある。
これを当時の人はこれをきちんと把握してたからこそ英仏にどうやって追いつけばいいか答えを出して実行できた。
単なる時代区分だけ当ててみて幕末江戸幕府が国家が危機にありと全国に宣言したところで、どれだけの農民が市民兵になれた?
なぜなれないかきちんと当時の人はわかってたわけだよ。
なぜ日本は近代化に成功したかを冷静に考えると当時の人は近代に必要な近世という段階を日本は踏んでない
それをきちんと踏まえれたから成功したとしか言いようがない。
日本に近世があったなら、明治維新なんてやらなくてもほっといたって近代化したさ
徴兵して銃を持たせれば農民が愛国心に燃え戦ったよ。
勝手にナポレオン法典の様な考えも持ってたさ。
アジア諸国はこの近世を経てない事を把握できなかったからこそ近代化に失敗したんだよ。 ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑
攘夷運動の最大の担い手は農民、あるいは半農の下級武士であることを知らない蒙昧君の作文 それ全然反論になってないけど
明治維新の攘夷、下級士族の役割を評価しすぎると進歩史観的には反動革命とされマイナス評価になるので
ここはパトロンになった商人に焦点を当てることで、ヨーロッパと同じく日本もブルジョア革命の段階に発展していたとするのが反論としてはベター >>69
徴兵して武器を持たせて戦わせる程度の事わ
武田家も北条家も何なら秦や六国がやってる
その辺は単に軍事的政治的な要請だから中世近世関係無いでしょ そうじゃなくて、そいつらに「俺は国民だ俺は市民だ。俺たちは国のために戦ってる。」という
国民意識があったということ。
徴兵して武器もたせりゃいいってわけじゃえよ >>73
だから、武田家にも北条家にも秦にも御公儀の一大事の為に戦う意識が有った
というか所属集団への強い帰属意識に基づく皆兵制なんて
原始的な部族に普遍的に見られる制度だし その辺の国家帰属意識も国学の浸透と共にちゃんと準備されてたんだよなぁ まぁとにかく江戸時代が英仏と同じ近世だったなら明治維新など必要もなく近代化していたという事だ。
なぜ維新で近代化を目指そうとしたか?
それは近世が抜けているから維新というものが必要だったという事だ。
当時の清国人や朝鮮人にはどうにもこうにも分からなかった事で現代日本人にもわからない人がいるらしい。 >>76
フランス革命もクロムウェルも知らない人? >>72みたいな清国人朝鮮人が当時山ほどいたから事の本質を見ずに、ただ外国から買った武器を持たせれば農民が騎兵の突撃に勝てると勘違いしたんだな。
それが近代化だと。
当時こんな日本人に溢れていたらまさに明治維新は失敗しただろう。 >>74
>だから、武田家にも北条家にも秦にも御公儀の一大事の為に戦う意識が有った
ないよ
春秋戦国時代の客卿なんて国民国家時代にありえないだろ
石破が韓国のほうが優遇してくれそうなんで次は韓国の国防大臣やりますなんてなったら成り立たないわな
家の子郎党とかいう広域暴力団みたいな構造とっていた戦国大名とか論外
>というか所属集団への強い帰属意識に基づく皆兵制なんて
>原始的な部族に普遍的に見られる制度だし
全然理解できてないな
例えば部族制度の残っているリビア軍では兵士が上官が他部族だからいうこと聞かないなんてことが起こってる
忠誠心があればいんじゃない
家ではなく血縁ではなく民族でもなく「国家」に忠誠を誓って初めて国民軍と言える >>79
有った
実際、小田原征伐に際し北条は公儀の為にという大義名分で総動員掛けて百姓を動員した。
ブルボン王朝でもハプスブルク王朝でも外国人客卿は幾らでも居たし
戦国後期に成ると百姓に対する大名家の役割が大きく成り
公としての役目や所属意識が増した
民族に忠誠を誓うのが国民国家の本質、言ってる事が矛盾してる
徴兵制なんてのわ構成員全体が強い帰属意識を持ってれば成立するのであって
原始的な部族は大半が皆兵制、徴兵制で寧ろ傭兵制や選抜制の方が珍しい なんかこう自分の信じてる史観を熱く語っちゃってる人が居るけど普通にボロが出て突っ込まれてるし恥ずかしいよな 民族に忠誠を誓う事が国民国家の本質って中国か朝鮮の学校で習うのか?
このスレでそんな事書いてる奴いるか? 徳川幕府は借金溜まり捲りで産業化に使う金なんて無かったからな
薩摩藩も長州藩もあの当時財政裕福な藩だし 「民族に忠誠を誓う事が国民国家の本質」というのは大いなる間違い
だが「国家」なんてのも曖昧なもので、極論後北条氏が豊臣政権からの独立を墨守し、「北条国」が現代に至るまで存続しうることだってあり得た
そうしたら>>80の挙げた事例は国民意識の萌芽と呼ばれただろう
現にスイスやリヒテンシュタインのような(ほぼ)ドイツ民族の国が独立を保っている 世界帝国
アメリカ
欧州の地域大国
イギリス・フランス・ドイツ・ロシア
極東の地域大国
日本・中国
中東の地域大国
トルコ・イラン・サウジアラビア >>85
ロシアのGDPはイタリア以下
中東の地域大国にイランを挙げておいて、ほぼ同等の人口・GDPを持つエジプトを挙げない理由がない 古代文明発祥の地でかなり栄えたエジプトだが
ペルシャに占領されて以降外来政権ばかりでパッとせんね
マケドニア、プトレマイオス朝、ローマ帝国、ビザンツ帝国、ウマイヤ朝他、オスマン帝国、イギリス領・・・
ムハンマド・アリー朝は革命でぶった押されるし、民主化を目指したアラブの春も失敗 プトレマイオス朝時代や、少なくともファーティマ朝・アイユーブ朝期のエジプトはパッとしただろ プトレマイオス1世 マケドニア人
サラディン クルド人
結局エジプトからは英雄は出ないのね・・・ ムザッファル・クトゥズはサラディンを超える英雄じゃね? クレオパトラとアントニウスの子孫はその後ローマで暮らしたようだ カエサルってヤリチンだけど
子供はユリアとカエサリオンしかいないのね >>80
>実際、小田原征伐に際し北条は公儀の為にという大義名分で総動員掛けて百姓を動員した。
全然理解できてない
例えば大道寺家が清水家の郎党や百姓を公儀のために動員できる?できないよね
>ブルボン王朝でもハプスブルク王朝でも外国人客卿は幾らでも居たし
ブルボン王朝は国民国家じゃないがな
>民族に忠誠を誓うのが国民国家の本質、言ってる事が矛盾してる
矛盾してると思うのは理解できてないから
日系アメリカ人の米兵は日本民族じゃなくてアメリカ政府に忠誠を誓って戦ってるだろ
>徴兵制なんてのわ構成員全体が強い帰属意識を持ってれば成立するのであって
モンゴル軍に徴兵された征服地の連中はモンゴルに帰属意識もって戦ってたの?
そんなわけないわな 戦国大名ごときが国民国家とか何の冗談だよ
現代に残ってたらアフガンのトライバルエリアかガーナの部族王みたいなにしかならんだろ 主権国家と国民国家の違いがわからない。
政経と世界史の授業のとき先生の話を、まともに聞いてなかったアホの子はここ見ような。
http://www.koubourico.natsu.gs/_tGoOLPb.html 「俺たちは日本人」のような考えは明治以降だと思ってた
それ以前は長州人・土佐人・薩摩人はいたけど日本人はいなかったみたいなやつ
例外は幕末の勝海舟先生ぐらいで
歴史小説の影響かもしれんけど >>103
人口がどうしたの?北条国とやらの人口が100000000000000あろうが国民主権の概念もクソもない国を国民国家と言いません。 >>105
それでいいんでないかな
結局その人物の頭の中の個人的な世界感覚が
その人の政治的な立ち回りに如実に現れてくる
中国共産党みたいに、国内政治での生き残りのために
世界情勢をひっかき回すスタイルはもはや国際人とは言えないように
日本全体をひとつの集団として諒解する視座は江戸以前では困難、というか
それ以上の視座が必要な集団はごく少数だった
幕藩間の軋轢を渡っていくだけで困難も達成感もあっただろうしね >>100
全く喩えに成って無い
公儀たる北条家が家臣の陪臣や地下の百姓を動員した
その2つの王朝は近世区分、近代の要件は産業化
日系米国人は米国政府に拉致監禁されたよな
秦や六国、特に秦兵わ都市や宗族への帰属意識が強かった六国に比べ
国全体に対して帰属意識を持ち精強さで鳴らした
>>107
戦国期にわ既に明や李朝に対しての本朝(日本人)という意識が有った ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています