唐宋変革期 2
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>>833
和蕃公主が送られたのは東匈奴が漢の属国となった際のことなんだが 匈奴が強かったのは冒頓単于まででそれ以降は漢に負けてばかりか属国化してるかどちらかだから
強いイメージはまるでないな
三国志の時代になるともはや騎兵ユニットみたいな扱いになってるし まあでも西晋を滅ぼしたのは匈奴出身の劉氏だし匈奴が弱かったから鮮卑が出てきて五胡十六国時代、隋唐と続くんだから中国史における意義は大きい >>845
非文明人のお前は教科書すら読んだことないの? 劉姓名乗ったり国名を最初は漢にしてることからわかると思うが
匈奴の意識としては簒奪者の晋を打倒して漢を復興させたつもりなんだぜ >>854
老上単于の代でも漢との和親条約を破って侵寇・略奪を続けてたので、 漢の皇帝を困惑させた 井上靖の西域物を読めば歴代王朝がどれだけ北方異民族に手を焼いていたかが感じられる
中島敦の李陵の頃は武帝なんだけど子供心に大変そうだなと思った たしかに、同じ時期に西方では、遊牧民のパルティアが
ペルシャ帝国に取って代わっていたことを考えれば、
漢代における匈奴の衰退ぶりは物足りない。
やはり、漢の頃までは、シナ中原の黄河文明が東アジアで突出した存在だったということだろう。
周囲の諸民族が刺激を受けて文明化していくのは、もっと後の話になる。 しかし、後漢の時代になると、烏丸や鮮卑の侵攻に苦しんだのではなかったか? 烏丸や鮮卑も一旦、曹魏に滅ぼされて護烏桓校尉や護鮮卑校尉といった漢人総督の統治下にはいったことがあった
氐・羌もそう
五胡の乱は後漢末の強制連行によって連れてこられた遊牧民たちが漢人の圧制に対して起こした反乱であって
ゲルマン人のように自ら意思で侵入したわけではない >>865
今の中国も女真族王朝の属領だった地域で樹立された国であって、
ゲルマン人のように自らの意思で侵入したわけではない 今の中国は延安で創設された中華ソビエト共和国がオリジンだろ いちいち今の中国の話にしたがる基地外って、こいつだろ→>>559 >>865
歴史上に五胡の乱なんて存在しないからな
西晋が八王の乱で実質滅亡して五胡が侵入流入し十六国時代突入 北魏や隋唐の頃になると、やっと鮮卑の脅威から解放されることになる。
北魏や隋唐そのものが鮮卑の王朝なんだから、当たり前なんだが。
とりあえず、もう脅かされることはなくなった。
やがて、鮮卑の移民の子孫たちが、新たな漢人となっていく。
しかし、さらなる脅威が出現する。突厥だ。
新しい漢人たちを支配したのは、突厥沙陀族の皇帝たち。
今度は、突厥が新たな中国を創ってゆく。
絶え間ない、北からの民族移動。
玉突きのように、先住民が南へと押し出されていく。
それこそが、中国史のダイナミズム。
古代黄河文明の先住民は、とっくに姿を消していた。 匈奴突厥みたいなモンゴルが本拠地の民族は漢土へ定着して無いんだよね
鮮卑も契丹も女真も蒙古も満州の出 >>872
蒙古はモンゴルちげーのか?
ジンギスカンの本拠地のカラコルムなんてモンゴル中のモンゴルじゃないか? >>871
古代黄河文明築いた先住民は、どうなったの?
南下してインドシナ半島やタイ、ミャンマーに行ったの?
それとも絶滅? 第一次王朝に続いて第二次王朝でも殺人か
ホント中世だな無知無能無教養の腐敗した日本人政府 >>878
モンゴル族は元々わ興安嶺周辺に棲んでた民族、モンゴルじゃ無いよ
しかしなあ、政府の不正を告発すると総理大臣に殺害されるとか残忍な土人国家だな
法治主義で文明的な中国共産党政府が羨ましいね >>875
山西省にある周代の倗国墓地と現代の山西省の漢族のハプロ構成にはほとんど変化がない
鮮卑は遊牧民なのでその人口も少なく多くても漢族の十数分の一程度だったと思われる 倗国墓地の面白い所はそれほど身分の高くないと思われる者の墓から
Q系統のハプロが見つかっているところだよ
北匈奴の単于庭と見られるバルコル県東黒溝遺跡から見つかったハプロ系統もQで
庶民層はわりと古くから匈奴のオリジンとなった集団と交流があったのかもしれない 旧来の漢民族が絶滅したのになんでその後の唐は超先進国になってるんだか
漢民族絶滅説唱えたヤツはバカじゃないの? >>880
>山西省にある周代の倗国墓地と現代の山西省の漢族のハプロ構成にはほとんど変化がない
周代の山西省っていったら、まったくの北方異民族の世界じゃないか。 >>884
漢民族が絶滅してから、唐の繁栄まで400年も経ってるんだが。
先住民の遺産を吸収するには、十分な歳月だろ。 中国北部の漢族のハプロでも最多を占めるO2ーM122は
紀元前2500年前の夏の首都と見られる陶寺遺跡からも見つかっており中国のハプロ集団の中でも最古参の部類に入る >>886
西周代には封建国の一つである劆国が置かれているけど
倗国墓地ってのはその時代の頃の遺跡 >>887
北朝も主産業は農業だし
唐初にも山東貴族がゴロゴロ残ってたよ 山西省は、今でも言語が大きく異なる。
1989年の天安門大虐殺のとき、中国共産党は、山西省の軍隊を北京に呼んで、学生たちを虐殺させた。
「山西省の兵隊なら、言葉も通じないし、北京人に対する同胞意識がないから平気で虐殺できる」
というのが、その理由。 20世紀の終わり頃でさえ、そんな調子なんだから、ましてや2500年前なんか異国もいいとこ。 津軽や東京や鹿児島も言葉が大きく異なるけど民族が違うかというとそんなことはない
実際問題、夏の時代の住人と現代の華北の漢族のハプロはほとんど同じなのだから
現代漢族は夏人の直系子孫と見て間違いない 北京から山東一帯には祖籍が山西省洪洞県大槐樹村となっている人が非常に多い
これは何故かというと永楽帝の頃に行われた「燕王掃北」によって華北の人口は激減し
唯一被害を免れた山西省から移民が募られたのだが、大槐樹村というのはその集合地点の名である
そのため今でも華北人の間では洪洞県大槐樹村は特別な意味を持っている >>884
秦、北魏、隋、唐、蒙古
というように、西方・北方の異民族に支配されてる時分の方が発展している。 >>887
日本人なんか唐に留学させてもらったりしてるのに、追い付くまでに千年はかかってるよ >>897
日本はモンゴルに2連勝
支那はモンゴルに完全制圧 >>890
北朝から続いた山東貴族の名門が、唐末にほぼ絶滅したというのが、このスレの主題のひとつ 唐朝貴族の中でも家格第一の名門とされたのは、山東の崔氏。
その歴史は、三国志のマイナーキャラ・崔琰に始まる。
崔浩は、北魏の宰相になった。道教を信仰し、仏教を弾圧した。
漢人至上主義だったためか、「鮮卑を野蛮人あつかいして
侮辱した」という理由で、北魏の皇帝から死を賜った。 >>884
唐はインド・ペルシャなどの西域から文化を受け入れたからな 劉備の師として知られる盧植の子孫もまた、唐で名門貴族となった。
崔琰と盧植は仲良しで、盧植を推挙して世に出したのは崔琰。
唐朝三百年において、崔琰の子孫の清河崔氏は12人の宰相を出し、
盧植の子孫の范陽蘆氏は8人の宰相を出した。 >>902
それはある。
楽器なんか、ほとんどペルシャ式に変わった。
明治時代に、日本が西洋から受けた影響にも匹敵するものがある。 この2家に次ぐ家格としては、滎陽鄭氏というのがいた。
こちらは、春秋時代の鄭国に起源をもつという古い家柄。
ほかに古い家柄としては、「趙の名将・李牧の子孫」という、趙郡李氏もいた。
このように、唐の門閥貴族には、春秋戦国時代にまで遡る家柄があった。
そんな連中が唐末の粛清で一掃されたのだから、大事件。
古代黄河文明からの伝統が、ここで完全に終息した。 清河崔氏・范陽蘆氏・滎陽鄭氏に、李家と同郷の名門である太原王氏を加えて、唐朝の「四姓」と称する。
日本でいえば「源平藤橘」に相当する、名門の中の名門。
もっとも、日本の場合、源氏・平氏・橘氏は、いずれも皇室(王家)から枝分かれしてきた家系。
唐の山東貴族は、皇帝の李家よりもずっと古い歴史と伝統を誇っていた。
そこが大きく異なる。 >>902
インドから入ったのって仏教建築の一部位でそれも唐末五代で切れてるし
ペルシャの楽器も琵琶が流行したけどそん位でしょ >>907
唐の皇帝は製糖技術を学ばせるためインドに職人を派遣した んで唐太宗は、自家が第4等だと知って激怒し、強引に第1等の家格に書き換えさせた。 >>908
そんなミクロな例出されてもな
まさか日本が中国から受けた影響とくらべたりしてないよな >>910
ミクロじゃないだろボケ
それとゼロの概念もインド人が最初に唐に広めた インドはモヘンジョダロ見ても文化先進地域だけど学者受けしなかったんだろうな
哲学者とかの日本語文献が余り無い >>894
夏は山西省じゃないだろ。河南省のごく一部。
そりゃそうと、
殷周以来の漢族固有の文明は、漢という得体の知れない呪術王朝に結実して、そこで頭打ちになった。
漢の儒教の中身は、ほぼ占いと呪術で占領されてる。
オリエントでいえば、あの「占星術の母国」新バビロニアとよく似た体質の国。
でも、漢の文化をそのまま継承保存した民族は周辺にないので、漢の正体は意外に知られていない。
五胡十六国以降、それが全部書き換えられてしまう。
仏教の影響はかなり大きく、南遷した六朝ですら、漢の呪術体制とは全然違う文化体質になった。
その総仕上げが、ほぼトルコ帝国といっていい隋唐帝国。
非常に合理的で風通しの良い巨大帝国は、怪しい占いに埋没した漢とは全然違う。
皇帝が個人的に水銀を飲んで死ぬことはあっても、陰陽五行の怪しい占いで政治が全部ひっくり返ることはない。 >>899
宋はモンゴルに滅ぼされた負け犬王朝だぞ 日本が戦ったのは元じゃなくて投降した宋高麗兵でしかも台風があってのことだし
上都まで陥落させた紅巾軍や洪武帝や永楽帝みたいにモンゴルに攻め入ってウリャンハイ三衛からハーンに推戴されたことなんてないしな 「怪力乱神を語らず」の儒教の基本原則も知らんのか
四書五経は古事記や日本書紀たいな人が鳥になったり、鳥が人になったりするお伽噺とは違うんだぞ 台風は地形戦略の一貫だし無くてもどう見ても落とせないでしょ
二度に渡る遠征軍なんだからその運営もフビライの責任 >>916
神様や幽霊を追放したら、森羅万象の説明が陰陽五行という名のオカルトに侵され、謎の占い帝国になったでござるw
陰陽五行は神様ではなく「自然法則」だとされたから、儒教とは相性が良かった。
でもしょせん怪しい疑似科学なので、すべての政策を陰陽五行で説明して思考する謎の魔術王国に堕落してしまう。
むしろ、神様の名の下に恣意性を閉じ込めたほうが、合理的な社会を築くことが出来る。 唐からアッバース朝には絹や紙や陶磁器、絵画と言ったものが伝わったり相互に影響を与え合う関係だった
倭国は唐側から文物を受容するだけで文化的には一方的に教わる側
「交流」と呼べるものはなかった 陰陽五行説なら清朝に入っても現役だが
そもそも五行説は万物を火土金水の五素に分類する学説で呪術とは何の関係もない 中国の歴史や文化に対して並々ならぬコンプレックスを持ってる人いるよね
新バビロニアも漢も何も知らないのにイメージで語ってるのがよくわかる 民会による高度な自治、奴隷の虐待を禁じた人権主義、土地の共同所有といった社会主義、世界最古の体系的な数学体系であるバビロニア数学
そのバビロニアが呪術王国ねぇ・・・ >>915
宋がモンゴルに滅ぼされた負け犬王朝だってちゃんと理解してるのか? 元末に逆に滅ぼし返してるけどな
高麗もナハチュの大軍をゴビ砂漠まで追い払ったりしてる
日本はモンゴル騎兵軍団と戦ったことないだろ 陰陽思想も元来はすべての存在はプラスとマイナスに分類でき相互に均等を保っているという
順然たる科学思想だったのだが日本では土着の御霊信仰と混ざって陰陽師とかいう魔法使いになっちゃった >>924
元末に宋なんて存在しないんですけどw
無理して負け犬王朝を美化すんなよ 古代の自然科学なんて呪術そのものだろ。
学問と関係の無い職人の技術の方がよっぽど現代に通じるくらいだ。
科学革命以降ですら学問自身では正しい方向に進歩できずに実地の技術の後追いになることが少なくない。 >>908>>911
製糖技術は既に有った、蔗糖を作る為の植物と技法を導入する為の派遣
0の概念は九章算術に既に有る >>913
オマエわ何時も無知のクセに知ったかぶる
鮮卑わモンゴル系でトルコ系じゃ無い
漢前期は道教が流行して居て儒教はそれ程じゃ無い
儒教が村の長老の観念論の寄せ集めだとしても占いや呪いわ出て来無い
杉山並みに愚劣な無教養だな >>929
九章算術に書かれてるゼロがどんな漢数字なのか説明してみ 「老子」には「永遠」「無限大」とあと無限小と思わしき概念は出てくる
しかしゼロはない そういえば、大学の時、経済学の教授が、諸子百家にはマルクスやケインズ、福祉国家、新自由主義といった現代の社会思想と同じ主張をしていた賢人がいたと言ってたのを思い出した。
これ本当ですか?
だとしたら、西欧の社会科学って何だったんですか? 中華に周回遅れってこと? ケインズ云々は多分農閑期に労役課して対価払う政策の拡大解釈だろうけど
マルクスと福祉国家わ思い付かんは、漢は65歳か70歳越えると年金は有ったけど >>934
それをいうなら、西洋哲学の思想のプロトタイプは、すべて古代ギリシャで出尽くしている。
中世・近世・近現代と、形を変えて繰り返し登場するだけで、人間の考えることには基本的に大差ない。 中国思想は、君主論や処世訓がメインで、哲学といえるような要素に乏しい。 宗教としての儒教は、「先祖供養」を中心教義としている。
古代中国の招魂シャーマニズムが、形を変えてそうなった。
日本の仏教系と称する新興宗教には、先祖供養をするところが多い。
それは儒教からの影響。
「供養」という表現は仏教っぽいけど、先祖を祀るという行為は儒教そのもので、
仏教にはもともとそういう発想がない。 >>921
たしかに中国にも高度な文化があったが、中東や欧州の文化を知った人は、
たいてい、そちらに傾倒して中国を軽視するようになる。
13世紀のモンゴル人や、19世紀の日本人がいい例。 墨家や老荘なんかは今でも通用するだろうけどどちらかと言うと世捨て的
儒家も当初はそうだね
古代ギリシャやローマ、インダス文明とかはオーパーツで後の歴史との連続性が薄い
再発見とかはあるけど しかし、陰陽五行ネタを煽りながら投下したら、見事なリトマス試験紙となって草生えるw
古代中華崇拝の認知バイアスで、レベルの低いクソ疑似科学に真正科学の萌芽の幻想を見る無能どもが、
釣れに釣れてどうにもならんわいw
疑似科学としたって、あんなもんはレベルが低い。ギリシャ哲学の対応物ほうがよほどマシだ。
魏志倭人伝を頭から信用して、東に何km南に宮殿だの言ってる馬鹿郷土史家だとか、
朱子学に科学的合理主義を見て、カルト化した儒者をホルホルする阿呆だとか、
みんな出処は同じなんだよね。未だに抜け切らない中華崇拝。 唐では、密教や道教が流行した。
国を挙げて加持祈祷に狂奔した、なんとも迷信深い時代だった。
それに対して、新儒教による啓蒙運動が始まるのは、宋代。
とくに、南宋で大きな潮流となった。
新儒教の宋学も、太極図とかが陰陽道っぽくて、現代人から見るとかなり怪しいのだが、それ以前の思想と比べれば、科学的合理主義の域に達している。
少なくとも、同じ時期の日本や欧州と比べれば、大幅に迷信からの脱却が進んだのは確か。 隋唐で24年間も学問してから日本に帰国した、僧旻はこういう人
>舒明天皇9年(637年)に流星が現れた時には天狗の吠え声と主張し、舒明天皇11年(639年=jに彗星が現れbス時には飢饉を覧\告するなど、緒ヒ瑞思想に詳しbゥった。
=я蜑サ6年(650粕N)に白戸国司bゥら白い雉が献緒繧ウれると、そbフ祥瑞を説明しbスことにより、粕定ウと改元されbス。
これが、唐の標準的な知識人だったと考えられる。 隋唐で24年間も学問してから日本に帰国した、僧旻はこういう人
>舒明天皇9年(637年)に流星が現れた時には天狗の吠え声と主張し、舒明天皇11年(639年)に彗星が現れた時には飢饉を予告するなど、祥瑞思想に詳しかった。
>白戸国司から白い雉が献上されると、その祥瑞を説明したことにより、白雉と改元された。
これが、唐の標準的な知識人だったと考えられる。 宋の時代、「天」をめぐる考え方に大きな変化が現れた。
それまでの天は人格的であり意志を持って人に賞罰を下すとされたが、
宋代以降、天は意志をもたない自然的なものであり、
天と人とを貫く法則にただ理があるとされた。
このような天観の変化により、『易経』を中心として新しい宇宙生成論が展開された。 人格神としての「天」から、意思を持たない自然的な存在としての「天」へ。
欧州でいえば17世紀オランダのスピノザ哲学を思わせる、大きな思想革命だ。
このように、宋代には、千年前の世の中とは思えないほどの啓蒙思想が台頭した。
同じ時期の欧州人が魔女狩りに狂奔してたことや、日本人が怨霊の祟りを恐れて
ガクブルだったことを考えれば、非常に先進的だった。 仏教僧に預言者や天候を操る能力があると考えていたのは
日本特有の思想だと山川の「詳説日本史研究」に書いてあるけどな
受験生レベルの知識 このスレももうすぐ終わりなので、まとめ
唐と宋で、何が変わった(と考えられている)か
1.門閥貴族の時代が終わり、科挙に合格すれば誰でも士大夫階級になれる時代になった。
2.貨幣経済が発達し、商売に成功すれば誰でも金持ちになれる時代になった。
3.加持祈祷に熱狂する密教ブームが終わり、合理的な新儒教の啓蒙思想が台頭した。
4.群雄割拠の武断支配が終わり、科挙官僚が全国に赴任する文官統治システムができた。
5.五代十国の分裂期に各地が独自の発展を遂げた。
とりあえず、「宋の驚くべき近代性」としてよく挙げられる要素は、おもに上の5つだろう。
ちょっと、宋に対する評価が高すぎる気もするのだが・・・。 儒教の近代ヨーロッパ思想やフランス革命への影響ってのは教科書的には避けて通れない課題だよね
厳密に言うと宋学と科挙だけど
http://www.gws.ne.jp/home/hideo/_thHRQ5V.html
大航海時代以降、アジアに関する詳しい情報がヨーロッパにもたらされると、特に18世紀フランスの知識人たちの間では、
東方の大国である中国に対する関心が高まった。
以下に示すように、中国の思想や社会制度に対する彼らの評価は、称賛もあり批判もあり、様々だった。彼らは中国を鏡として
自国の問題点を認識したのであり、中国評価は彼らの社会思想と深く結びついている。
儒教は実に称賛に価する。儒教には迷信もないし、愚劣な伝説もない。また道理や自然を侮辱する教理もない。(略)四千年来、
中国の識者は、最も単純な信仰を最善のものと考えてきた。(ヴォルテール)
ヨーロッパ諸国の政府においては一つの階級が存在していて、彼らこそが、生まれながらに、自身の道徳的資質とは無関係に優越した地位をもっているのだ。
(略)ヨーロッパでは、凡庸な宰相、無知な役人、無能な将軍がこのような制度のおかげで多く存在しているが、中国ではこのような制度は決して生まれなかった。
この国には世襲的貴族身分が全く存在しない。(レーナル)共和国においては徳が必要であり、君主国においては名誉が必要であるように、専制政体の国においては「恐怖」が必要である。(略)中国は専制国家であり、その原理は恐怖である。(モンテスキュー) >>949
貨幣に関しては単に商業がが盛んになったことだけでなく紙幣が登場したことが大きいと思う。
もっともこれも何の裏付けもない銅銭をありがたがる東アジアの伝統と無関係ではないはずで、
割り引いて考える必要はあると思うけどさ。
(おそらくビットコインが中国で流行しているのもこの伝統が背景にある) レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。