ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ2
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ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
貨幣経済 → 物々交換
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 → 重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配
前スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1511407407/ なぜ中世ヨーロッパは厳格なキリスト教を受け入れたのでしょう?
そこにはもちろん、合理的な理由があったのです。
最大の理由は中世の貧しさです。
禁欲のキリスト教は貧しい中世の荘園世界にジャストフィットしました。
それ以前…古代ギリシアやローマの時代は豊かでした。
なぜなら地中海を支配していたからです。
温暖な気候の中、各地域はそれぞれの特産品の生産に特化し、海上貿易が盛んに行われていました。
人々はその経済力で食と性の享楽にふけりました。
しかし、ゲルマン民族の大移動で西ローマ帝国は崩壊。経済秩序が破壊されます。
またイスラム勢力に地中海の制海権を奪われ、貿易も不可能になりました。
ヨーロッパは深い森の中で、小さな村(荘園)単位での自給自足体制を強いられます。
中世とは都市も海も失ってしまった時代。
人々はアルプス以北の寒冷な森に入って行きました。
地力もなく、流通もなく、深い深い森の中にある小さな村での自給自足。
その貧しさに耐えるため、中世は神への強い信仰を必要としたのです。 なぜローマ崩壊後の欧州における文化生活水準が一気に下がったかというと、通常は古代の農村や都市社会は地産地消で
自分たちの必要分はすべて生産できたが、古代ローマではすでに比較優位にもとづく産業の地域分担制が確立されており
高度に発達した流通路を使って庶民でも遠隔地で作られたそれら生活物資を使うことができた
しかしこうした各都市間が互いに依存するシステムは一度交通が遮断されると一挙に石器時代まで戻ってしまうことすらありえる ブライアン ウォード=パーキンズ (著)、南雲 泰輔 (翻訳)
『ローマ帝国の崩壊 文明が終わるということ』(白水社、2014年6月20日)
ローマ帝国末期にゲルマン民族が侵入してきたとき、
ローマ社会や経済に何が起き、人々の暮らしはどう変化したのか。
史学・考古学双方の研究を駆使して描く、激動の時代の実態。
ギボン『ローマ帝国衰亡史』以来長らく、ローマ帝国は衰亡し崩壊したというのが常識だった。
ところが一九七〇年代以降、研究者のあいだでは、それまで主流だった政治・経済面を中心とした研究に対し、宗教や社会に着眼することで、
「衰亡」とみなされてきた時代を独自の価値を持つ「古代末期」という新しいポジティヴな時代と捉え直す動きが起こった。
さらに九〇年代になると、考古学的史料を用いて、ローマ帝国はやはりある時点で「崩壊」したのだという事実をつきつける研究者があらわれた。
著者ウォード=パーキンズもそのひとりであり、本書では、何がどう問題なのかというレベルからわかりやすく解説しつつ、
「ゲルマン民族が侵入してきたとき、経済や社会に何が起き、人びとの暮らしはどう変化したのか」を、文献史料や陶器・家畜の骨・建築物(の跡)などを使い、
史学・考古学双方の研究を駆使して描き出している。ローマ帝国の洗練された生産・流通システムがひとたび崩壊してしまうと、
地域によっては先史時代の水準にまで後退し、回復には数世紀を要したという事実は、かなり衝撃的である。
英国ペンクラブのヘッセル=ティルトマン歴史賞受賞。 神崎 忠昭『ヨーロッパの中世』
近現代に結実する、豊穣なる中世
―― 中世とは真に暗黒の時代だったのか。
「ローマ」「キリスト教」「世俗権」「都市」「国民」「科学」など、ヨーロッパの基底となるキーワードから読み解く。
▼ヨーロッパ史を学び直したい人のために。
中世ヨーロッパは確かに暗黒の時代であった。しかし、近代において飛躍するヨーロッパを育んだ豊かな苗床の時代であったともいえる。
「ローマ」「キリスト教」「世俗権(王権・帝権)「都市」「国民」「科学」などのキーワードから中世ヨーロッパ史を読み解き、近代の「人間」の時代へと誘う。
▼中世を読み解くための6つのキーワード
【ローマ】中世人は模範として仰ぎ見た。政治的にも文化的にも深い刻印を残したが、中世は古代ローマの繁栄を1000年以上も超えられなかった。
【キリスト教】中世人の心を絶対的な規範として律した。人々はそのメッセージを遵守し、理想に殉じたが、時に軽んじ、自らの利益を優先した。
【世俗権】君主個人の能力やカリスマに基づいたが、教会との闘争を経て宗教性を減じ、官僚制と軍を備えた近代国家へと脱皮した。
【都市】西欧の復活にともない、社会全体の成長のエンジンとなった。生活を向上させるだけでなく、新興階層を出現させ、新しい文化を生み出した。
【国民】帝国でもなく宗教でもない、ヨーロッパが生み出した新しい統合の絆である。現在に至るまで世界を支配している。
【科学】近現代におけるヨーロッパの繁栄の源泉となった。技術を手がかりに、理論を実験や観測と結びつけ、新しい合理的な世界観を生み出した。
・・・そして【人間】へ・・・ かんこくがかんじをはいししはんぐるのみにしたのはしっぱいだったな
にほんごにたとえるとすべてかなでひょうきするようなものだしね
はんぐるだけだとよみにくいうえにどうおんいぎごにまったくたいおうできない
こうしてかんじごにゆらいするじこくごをどんどんうしなっていった
ゆえにかんこくじんはにちじょうをはなれたこうどなぎろんや
ちゅうしょうてきなぎろんをするのがむずかしくなった 艱難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ず。
急いで得た富は減る。少しずつたくわえる者はそれを増すことができる。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。
明日のことを思い煩うなかれ。明日のことは明日思い煩え。一日の労苦は一日にて足れり。
いつも与えなさい。そうすれば、人々はあなた方に与えてくれるでしょう。
「眼には眼を、歯には歯を」といえることあるを汝ら聞けり。
されど我は汝らに告ぐ、悪しき者に抵抗うな。人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。
暗いと不平を言うよりも進んで明かりを点けましょう。
狭い門から入れ。滅びに通じる門は広く、その道はなだらかでこれに入るものは多い。
人生は短く、苦しみは絶えない。花のように咲き出ては、しおれ、影のように移ろい、永らえることはない。
己を愛するごとく、汝の隣人を愛せよ。
自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。 『歴史の転換期 2巻 378年 失われた古代帝国の秩序』南川高志編集・加納修・佐川英治・南雲泰輔・藤井律之執筆 2018年6月刊行予定 今度も関係ない中国レスで埋め尽くして荒らすからよろしく 西欧はキリスト教の影響で一夫一妻制になったというが
ギリシャ・ローマ時代から実質的に一夫一妻制なのよね ローマ時代、タブーだったフェラチオ・クンニが、いつからタブーではなくなったのだろうか。 えー
壁画であるじやん
ギリシア文化にあるんだからインテリはやってただろう
あと売春婦も 中世は一夫一妻制ではあるが貴族には愛妾がいたりして
実質的には緩やかな一夫多妻制だった
江戸時代の大奥やオスマン帝国のハレムとみたいなのとは程遠いけど ローマ軍にも脱走兵はいたようだ
アメリカ軍もたびたび脱走兵が出てるな
皇軍にはそんな臆病者はいないが ヨーロッパでは妻も愛人を持つことが普通だったところがアジア圏とは違う
中世の宮廷恋愛物語はすべて貴婦人とその愛人の騎士が主人公 前スレの中国ネタのアスペ野郎晒上げ(その1)
353 世界@名無史さん sage ▼ 2017/12/26(火) 20:24:51.33 0 [0回目]
このオッサン相変わらずwikipdiaの知識を真に受けて適当なこと書いてるな
懐帝は杯持ちと傘持ちはやってたがこれは当時は中々高位の貴族が行う職務であって実際、公の位に取り立てられており中々の厚遇である
それでも匈奴の臣下となったことは屈辱的なことには違いなく晋の遺臣の中にはそれを不服として嘆くものもいたので
謀反の神輿として担がれるがれる前に始末しただけの話
415 世界@名無史さん sage ▼ 2017/12/29(金) 14:33:01.21 0 [0回目]
>.>353
奴僕の服装をさせられたり、杯洗いもさせられたりで、
とても貴人に対する扱いには見えんが・・・
420 世界@名無史さん sage ▼ 2017/12/29(金) 19:25:37.16 0 [0回目]
>.>415
着たのは京師百官と同格の青衣であって奴僕の服ではないし
杯洗いしたなんてのも晋書には書いてない
wikipediaなんて痰壺を真に受けて吹聴すると恥かくから辞めたほうがいいよ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:9368c25c0e1fcb4c3420acd807713d27) 前スレの中国ネタのアスペ野郎晒上げ(その2)
435 世界@名無史さん ▼ 2017/12/31(日) 12:34:04.97 0 [0回目]
>.>420
>wikipediaなんて痰壺を真に受けて吹聴すると恥かくから辞めたほうがいいよ
wikipediaに載っているからって、嘘デマ扱いするおまいも充分に恥晒しだけどな。
1961年に中央公論社が出した『世界の歴史4 唐とインド』の46-47ページではこう書いてあるぞ。
「官庁官府みなことごとく焼けほろび、胡馬の荒れくるう都洛陽から、漢皇帝の都平陽にとらえられていった懐帝は、
この胡族皇帝の出猟に、ほこをもって先駆をさせられ、村々であれが晋皇帝だと人民から愍笑されるような恥をうけたり、
酒宴の席では、さかずき洗いまでさせられて、あげくのはてに、見るに見かねて号泣した臣僚とともに殺されてしまった。
313年永嘉7年である。これが史家が永嘉の喪乱と名づけた洛陽の晋室の悲劇である。」
437 世界@名無史さん sage ▼ 2017/12/31(日) 18:48:09.15 0 [0回目]
>.>435
うるせえよ
スレ違いだから死ね >>18
お前事情は知らんがこのスレチ阿呆に論破されたさらに無能のアホだろ
スレチをわざわざ揚げる上に多分再戦を臨んでるってことはお前が論争に負けたんだろうなw そもそも中世ヨーロッパの民衆がどこまでキリスト教の教義を理解していたか
ベネディクトゥス12世が司教時代に14世紀初頭モンタイユー村で行った尋問記録によると村人はマリアの処女懐妊という基本的な教義すら知らなかったとか
また羊飼いたちは羊小屋で過ごす際にイスラム教徒とも遭遇したりしているのだが特に意識もしていない
村人たちが知っているのは自分がフランスという国に属する事そして国にはフランス王がいること
あとは「名君」として人々の記憶に残ってるかつての領主と近隣の村の存在だけ
スペインまで往来する事のある羊飼い以外は外の世界はほとんど何も知らない
中世盛期になってもまだこんな調子 それは非常にわかりやすい話だよね
難しい教義なんてわかんないだろうしそれでいい >>21
基本的にはその通りだと思うが、モンタイユーってカタリ派の勢力圏だったし
著者が分析したのは異端審問文書だそうだから、ほぼキリスト教ではい連中なら
キリスト教義に無知なのは当然ともいえそうな ローマ時代の知識の大部分はビザンツ帝国やササン朝で保存され、
あとは西欧の教会が多少持ってたくらいかな。 >>21
ウマイヤ朝支配下のイベリア半島やオスマン帝国支配下のバルカン半島では
イスラム教徒キリスト教徒が共存していたけど
イングランド、フランス、神聖ローマ帝国、イタリア都市国家にはイスラム教徒は全くいないイメージだわ
同じキリスト教同士でも新教と旧教が争ったり、魔女狩りやってたくらいだし キリスト教とユダヤ教は同じ啓典の民だから見逃してるだけ
かつてカーバ神殿では多神教で様々な神の像が祀られていたが全て破壊されたし
インドでは寺院や仏像が破壊され仏教が死滅した
タリバンによってバーミヤンの仏像が、イスラム国によって古代メソポタミアの彫像が破壊された 中世ヨーロッパの海はおっかない
北ではヴァイキング、南ではイスラム海賊が大暴れ Vikingってドラマ面白いな
ちゃんとフェミニズムにも忖度してかつそれが良い方向に働いてる
女城主直虎とかしょうもねえわほんと まあヴァイキングは現代フェミ関係なく本当に女戦士な指導者いたからな
男戦士長の墓だと当たり前に思ってたのにDNA調べてみると女だったって発覚したり ローマ皇帝も中世の王侯貴族も割とまともな君主ばかりだな
中にはホリノウスやジョン王みたいな暗君もいるけど、中国皇帝みたいに超絶ヤバいのはあまりいない感じ そうかね
一般的にいって
中国は官僚制で中央の権限が強いので
いざおかしくなったらそういうことをできる権力があるんでしょう クラウディウスがつくネロといえば1日100キロを機動したやつを連想してしまうな
単なるネロなら五代皇帝の方だが 前漢の呂后の醜悪さに比べたらネロの母親アグリッピナがまだまともにみえてしまう不思議 とはいえヘリオガバルスの変態度はなかなかのもんだと思う >>42
あの辺の記述はどこまで信用していいものやら
中華の暴君もだけどね まぁ革命が起こったときの君主は悪くかかれるでFA
神君の血を引く最後の皇帝ネロはずいぶん罵倒されてるが多分過剰
暗殺されるほど元老院に恐怖をあたえたことは事実ではあるんだろうけど
殷のチュウ王はかなり偉大な王様であったぽいんだよね
戦争に強いけど地方の諸侯の利権に手を付けたとかそんなんかもしれん >>43
劉禅「晋は暗君だらけや。それに比べ乱世で在位40年のワイはなかなかやるやろ?
反乱を起こした臣下も魏延くらいやで。魏は司馬氏に乗っ取られて間抜けやな
呉は孫権が老害化、後主も暴君で踏んだり蹴ったりやし」 ユスティニアヌスは一時とはいえローマ帝国の領土の大部分を回復し、
ローマ法大全を編纂して大帝と呼ばれるが、結果的に見れば隠れ暗君。 >>44
キリスト教を弾圧したから教会も盛ってるのよ オスマン帝国がコンスタンティノープルを陥落させた際、
女だけでなく美少年も餌食になったそうだぜ
つかイスラム教って同性愛ダメなんじゃなかったっけ? >>47
ベリサリウスに嫉妬と警戒して失脚させて、代わりに送った宦官のナルサスが軍事チートだったとか
ユスティニアヌスは幸運すぎ >>49
ホモというかバイが多い
ガチホモは少なめ ユスティニアヌスやら東ゴートやらランゴバルドやらに散々荒らされたのに中世初期には既にイタリアって最も豊かな地域に返り咲いてるよね
特に農業に向いてるわけでもなく、鉱産資源が沢山出てくる訳でもない
古代ローマ時代の都市が遺産になったのか? というか周りが糞過ぎて相対的にマシなだけな気もする
ブリタニア ケルト・アングロサクソン諸部族入り乱れての抗争時代、文明レベルは石器時代並み
ガリア フランク族がウホウホ、カールも文盲
イスパニア 西ゴート族がウホウホ、王の暗殺、廃位や内戦がたびたび カール大帝の頃のフランク王国は強いだけで野蛮な感じ
バシレイオス2世の頃のビザンツ帝国は軍事的にも経済的にも文化的にも最高で最強 東ローマ帝国が東地中海の大帝国として復活した9世紀になると、
宮殿や教会・修道院が多数建設され、孤児院や病院のような慈善施設も建てられた。
古代ギリシア文化の復活とそれを受けたビザンティン文化の振興も進み(マケドニア朝ルネサンス)、
コンスタンティノープルは東地中海の政治・経済・文化・宗教の拠点として、
またロシア・ブルガリア・イスラム帝国・イタリア・エジプトなどの各地から多くの商人が訪れる交易都市として繁栄を遂げ、
10世紀末から11世紀初頭の帝国の全盛期には人口30万〜40万人を擁する大都会となった。
当時の西ヨーロッパにはこの10分の1の人口を抱える都市すら存在せず、
コンスタンティノープルはキリスト教世界最大の都市であった。
ちなみに2世紀のローマは100万人以上な。
西洋において再びこの人口に匹敵する都市が現れるのは19世紀になってから。 石器はいまでは酒の杯やビビンバの器あたりか
ローマも大理石の杯はつかってたよな 西欧が文化レベルでビザンツを抜いたのはいつ頃?
十字軍の頃あたり? オカルトに洗脳された子供を間引いたりするのが十字軍時代のヨーロッパなのに? ビザンツ滅亡後も文化としては西方は後進地域と思うぞ
ルネサンスあたりからではないかな 多分だけど第4回十字軍後しばらくしてからの時期かと思う 「コンスタンティノープル征服記」読むと草深い田舎から来たお上りさん状態で面白い スペイン・ポルトガルが征服したのもアフリカやアジアの未開地ばかりであって
この頃はオスマン帝国や明王朝、豊臣政権の日本などまだアジアの方が強い
宣教師たちも日本征服は厳しいと本国に連絡してる イタリア人は文盲じゃないよね?
ドイツとかフランスはもとから野蛮人だったとして
文明人の子孫のイタリア人は何してたの? >>72
そもそも、この時代のポルトガルが占拠したのは城市またはそれすら伴わない港湾であって、しかも現地勢力の
協力を得ていることがほとんど
ただ、未開地なんてことはない
特にインド、東南アジアにおいては
既にイスラム交易圏として発達した状態にあった >>73
北から南から東から、蛮族やら海賊やら再征服やらで一旦荒廃しきりましたとさ ローマ帝国も流石にブラックアフリカまでは進出しなかったな
(カルタゴは象牙海岸まで行ったようだが)
ちなみに帝政初期にアラビア半島に軍を進めたが失敗した なんでヨーロッパの貴族の系図をたどるとだいたい800年が最古になるの?
この時代になにが起きたの? カペー朝はカロリング朝と姻戚関係だったから
フランス王家の血筋でいえば中ピピンまで遡るぞ >>69
江戸の人口は18世紀初頭に100万人を超えた。
なお国勢調査の始まった1801年のヨーロッパの諸都市の人口は
ロンドン 86万4845人(市街化地区内)、パリ 54万6856人( 城壁内)。 世界史がほぼローマ史と中国史なのは、歴史家に恵まれた部分も大きいと思う
ローマ史ならリウィウス、プルタルコス、タキトゥス、スエトニウス、アンミアヌス、そしてプロコピオス
中国史なら司馬遷、班固、陳寿、范曄、そして司馬光
中世ヨーロッパは彼らのような優れた歴史家に恵まれず、ルネサンスのマキャベリやグィッチャルディーニ出現まで待つことになる エステ家とかランゴバルドまで遡れるんじゃなかったか
>>85
世界史ってほぼヨーロッパ史プラスαでしょ
中世ヨーロッパは「都市年代記」を作る慣習があったから識字率が低いわりに地域史の復元は割と容易なんだがな >>86
カペー家まで遡れるブルボン家ユリウスが嘘でも千年はいけるハプスブルク家
中世からの名門ルクセンブルク家、ハプスブルクと一緒になったロートリゲン家
ホーエンシュタウフェン家
女系でデーン王まで遡れるオルデンブルク家やグリュックブルックなど
日本人が嫁いだクーデンホルフ家も東ローマ皇帝まで千年先祖をたどれる名門だったな
普通にクソ多いぞ
大体銀河英雄伝の「千年遡れない家は貴族ではない」みたいな話の元ネタは確かオーストリアハンガリー帝国 名門も所詮遡れば祖先は文妄フガフガゲルマン人というのが笑えるな >>88
カペー家っつうか、フランク貴族であったパリ伯(ネウストリア侯)ロベール家が祖先だろ、フランス王家は
西フランク王国にも二人ほとなってる 東ローマ皇帝の末裔はちらほらいるけど
西ローマ皇帝の末裔とか聞いたことないな
蛮族に抹殺されたか、隠れてしまったのか >>88
あー違う違う。
今から800年遡れる、じゃなくて西暦800年あたりに集中してるのってこと。
ハプスブルクも西暦9世紀でそれ以前はよくわからないんじゃないの。
偽系図とかはなしで。 ハプスブルクは10世紀が元祖か
ブルボンのほうが9世紀だから長いんじゃないの
(偽系図時代は除く)
なんでハプスブルクってヨーロッパ一の名門ヅラしてるの? 人口50万人以上の都道府県庁・政令市所在地 推計人口 2017年6月1日
--総人口----前年同月(率)----都市名---
9,451,214|+93818 ( +1.00% )|東京23区
3,733,975|+ 2759 ( +0.07% )|横浜市
2,709,688|+10052 ( +0.37% )|大阪市
2,311,553|+ 9233 ( +0.40% )|名古屋市
1,962,064|+ 4954 ( +0.25% )|札幌市
1,564,219|+14209 ( +0.92% )|福岡市
1,533,923|- 3542 ( -0.23% )|神戸市
1,501,697|+15206 ( +1.02% )|川崎市(神奈川県)
1,472,746|- 2909 ( -0.20% )|京都市
1,283,547|+11105 ( +0.87% )|さいたま市
1,198,146|+ 2552 ( +0.21% )|広島市
1,085,155|+ 1162 ( +0.11% )|仙台市
*,974,943|+ 1365 ( +0.14% )|千葉市
*,805,198|- 2920 ( -0.36% )|新潟市
*,739,238|- 290 ( -0.04% )|熊本市
*,720,989|+ 354 ( +0.05% )|岡山市
*,699,599|- 2881 ( -0.41% )|静岡市
*,598,030|- 712 ( -0.12% )|鹿児島市(鹿児島県)
*,519,796|+ 746 ( +0.14% )|宇都宮市(栃木県)
*,512,852|- 1134 ( -0.22% )|松山市(愛媛県) ゲルマン諸王も東ローマ皇帝からすれば蛮族の酋長に過ぎない
ま、東ローマ皇帝も出自が得体の知れない人も何人かいるけど 殷は実在が確認されてるけど、それより前の夏は伝説の域 >>88
貴族はただの「臣下族」なんだから、王のために戦って死んでなんぼだろ
薔薇戦争のあと97%が家系断絶したイギリスみたいに王に尽くして死ねよ
1000年続く貴族って藤原みたいなただの寄生貴族のことかよ 劉邦「農家出身です」
豊臣秀吉「農家出身です」
朱元璋「農家出身です」
毛沢東「農家出身です」
ポルポト「農家出身です」 >>102
アジアが多いよね
ヨーロッパだと東ローマ帝国だけ? 中世ヨーロッパは王族・貴族・騎士・平民という感じで身分が完全に固定されてるしな
農民が一揆を起こそうとしても騎士団に鎮圧されるから一発逆転もない >>93
皇帝家だから
>>101
欧州の貴族は、最初から臣下だったわけではない家の方が多いくらい
特にドイツ
英国はノルマンコンクエストで土着の権力層根こそぎにしたから、王への帰属が強く、お前さんの言う臣下的な
イメージになる
ヴィッテルスバッハ家とか、ヴェルフ(ヴェルフェン)家とかハプスブルクのこと同格程度に思ってるだろうし ドイツは貴族じゃなくて「公家」が多いから貴族ではなくて、「王家」のほうに入る
ヴィッテルスバッハ家も公家だろう
だからフランツヨーゼフ2世がヴィッテルスバッハ家(公家)の娘エリザベトと結婚しても
「貴賤結婚」にならないが、
フランツ・フェルディナントがチェコの伯爵令嬢と結婚すると「貴賤結婚」といわれた 王以外にも「公家」と「それ以外の貴族」がいて、
王と公は大差がないけど、王がただの貴族と結婚すると貴賤結婚っていわれるでしょ 秀吉の他には農民から大名になったやつなんかいたっけ チャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚なんていわゆる貴賤結婚だね
なんか日本人は貴賤結婚について誤解しているけど貴族でも「賤」なのです >>108
秀吉の親族の、木下、浅野、加藤、福島、とかそのあたりは
みんな農民から大名だな
本人の実力じゃなくて秀吉のおかげ >>109
英国の場合、貴賤結婚を禁じる規定はなく、むしろカトリックとの婚姻に制限がある あと、家康の下の三河大名でも、ほとんど農民(足軽)だろみたいな家系があるだろ
三笠宮妃の高木百合子の実家とか >>108
近藤勇「大名は無理だったけど、農民から旗本にまで登りつめたで」 中世じゃないけど、今のスウェーデン王家って平民からいきなり王様になったよね
そしてそのスウェーデン王室もその家系である・・・ 劉邦「農家出身です」
朱元璋「農家出身です」
豊臣秀吉「農家出身です」
毛沢東「農家出身です」
ポル・ポト「農家出身です」 ローマ帝国崩壊後のローマ軍人ってどうなったの?
ゲルマンの王侯貴族に騎士として仕えたの? そもそも帝国末期のローマ軍自体がゲルマン傭兵主体なんだけどね ローマ市民権もってるだけで「ローマ軍人」を名乗ってるゲルマン人なんか、
ローマという枠組みがなくなればただのゲルマン人の軍人だ。
生活しなきゃいかんから、旧ローマ属州にできたゲルマン諸王国で働くだろうなあ。 >>115
伊藤博文とか山縣有朋も農民とか足軽出だな
そこから国家元首になった そもそもローマ人ってのはローマ市民権保持者でそういう民族や人種がいたわけじゃないんだが
あくまでそういう法的身分
ローマ人という特権が何の意味も持たなくなれば元のネーションに戻るのは当然 >>96
東ローマの貴族の家系でふるいものってあるのかね >>92
83で千年遡れるって言う話してるのに
単にあんたが読み落としただけやんけ >>95
自称ならイタリア貴族でいくつかいたはず
一応ルドルフのような偽造の証拠もないが根拠も微妙案件 >>97
多分倭王武の5世紀あたりには今の皇室の多分先祖が
この日本列島の半分くらいは支配してたっぽい >>102
全部嘘やんけW
農家(地主)とかやんw >>106
部族公とかプリンツとか部族長と訳さないと
公だけなら誤解を生む >>127
嘘ではないぞ
一応農家だし
一般的な農家というより豪農・富農の部類だがな
秀吉と朱元璋以外 >>130
高祖も農家ではないだろう
地方の教育を受けれてニートできる富裕層 >>128
部族公の家系が、後の帝国等族に直接繋がってるわけじゃねえよ >>115
スターリン「神学校の学生時代に無神論に目覚めました」
ミハエルロマノフ「元家政奴隷です」
イエスキリスト「元大工です」
ムハンマド「元ラクダの行商人です」
ガウタマブッタ「釈迦族の貴族だぞ」 >>103
>>115
ローマ皇帝リキニウスもお忘れなく。
コンスタンティヌス1世と連名で「ミラノ勅令」を発し、
キリスト教がローマの国教となる上で重大な役割を果たした彼は
ダキア人の農夫の息子からローマの正帝にまで出世した人。 部族大公の家系で一番の最後まで残ったのって
ザクセン大公家なのか、上ロートリンゲン家なのか >>133
釈迦って王族は王族でも、ドラヴィダ系だって説があるよね
ドラヴィダの場合、やっぱ差別されていたのかね ザクセン=コーブルク=ゴーダ家みたいな苗字って
どれがメインなの?
格的にザクセン>コーブルク>ゴーダ? ガウタマ・シッダールタってもろアーリヤ系の人名なのにドラヴィダ系とか無理ありすぎだろ
そんなこと言ってるの一部のヒンドゥーナショナリストぐらいだろ >>132
ここでの公は王家並といいたいんだから
何故そうなるという由来がここの公は王族に準じるといわなきゃ駄目でしょ
血統の話ではない
バイエルン公は部族公位であるからこぞ王族に似た格式なんでしょうに >>139
そんな単純な話じゃないし
そもそもバイエルン公はバイエルン大公から形式的にも繋がっているわけでもない
つながってると強いて言えるの、ザクセン公くらいだわ
さらに、部族大公を監視する役目であった伯(宮中伯、辺境伯)も同様の待遇を受け、共に帝国等族となっている
部族大公が源泉って誰の学説だか知らんが、無茶苦茶 ヨーロッパそのものが、千年前から始まった文明ってことだろ >>126
日本列島の半分と、朝鮮半島の南部を支配してた >>140
ええ
血統はともかく形式的には流れをくんでるでしょ
監視する役目ってのも変
方伯あたりならともかく辺境伯は外敵対策で宮中伯は単なる廷臣
ライン宮廷伯は別だけどアレは王の代理人
あと等族の話ではなく王家かそれに準ずる話でっせ >>146
面白いw
願わくば外国の事象であり続けてくれて欲しいものだ >>144
伯はもともとフランク王国が部族大公に対抗するために、いわゆる譜代の家臣団を地方長官に任命したもの
ただ、世襲することによって土着化した
日本の外様大名に対する譜代大名に似ているもの
その反省を踏まえて世襲できない聖職を利用して帝国の高官として利用した
これがのちに皇帝と教皇の聖職叙任権闘争につながる >>149
部族大公に対抗するためではなく支配地域の管理と外敵対策だぞ
それはともかく叙任権闘争とか全く関係ない話
元部族大公の流れを組む称号の権威の話やで。 >>150
すなわち、伯家は部族大公とは形式的にも確実に繋がらないんだよ
しかし、中世中期以降、婚姻などで家格的に公と区別されなくなった、特にライン宮中伯やヘッセン方伯などは
公家とかそういう造語は後世の学術的用語としても使われない あと、後世の公の中には、伯から格上げされた家も多いからね
典型例はオーストリア辺境伯だけれども >>151
そもそも伯が部族大公と繋がってるなんて話ではないでしょ
あと伯が後に権威を持った話でもない
あなた支離滅裂すぎる 仏教では尼さんとかいたけど、キリスト教では女の神父はいないのよね
シスターはいるけど ジハードで死んだら天国で美処女たちとHしまくりという設定のトンデモ宗教
それがイスラム教 よくある現人神を神話化しただけだろ?アステカとかリアルでそれやってるし 豊かになる
努力しなくてもそこそこ楽しく暮らせる
頭も体も弱くなる
まあ、しょうがない プトレマイオス朝、ローマ帝国、イスラム帝国、オスマン帝国、ムハンマド・アリー朝・・・
エジプトって古代より後は外来政権ばっかりだな >>1
水道橋やパンテオンなんかを作る技術者集団がいても、混乱でバラバラになったり
パトロンがいなくなれば腕を振るう機会もなくなるなぁ。
仕方なく農業か牧畜なんかで糊口をしのいでいる間に、技術も失われてしまう
ゲルマン人「ウホッ?学問?建築?芸術?そんなもんどうでもいいから飯寄越せ!」
教会「神さえ信じていればいいのです。余計な本は燃やしますね。あと邪教の者は処刑です」
こいつらじゃ雇い主にならないからな
たとえば建築技術でも50年くらい誰も使用しなければ継承する者がいなくなり断絶する
考古学の発掘から西ローマ帝国滅亡後から数十年後あたりには生活水準がかなり衰退していたことが証明されている ローマが実質的に滅んだのはゴート戦争だろ
あれでSPQRが消滅して完全に中世になった ゴート戦争で3回くらい陥落してたよな
攻囲戦で餓死者大量に出したり計画的な破壊が試みられたり貴族から無理やり奴隷を徴発したり無茶苦茶やったんだよな
ローマ市に限らず半島全体がそんな感じで戦場になればそりゃ衰退するわ 西ローマが文明崩壊してド田舎化してても、東ローマに技術は残らなかったのかね。
やっぱりアレか、教会がケチ付けて風呂も円形劇場も水道橋も上下水道も廃れたとか?
生活習慣も文化娯楽も全部変わったんなら、それってもはやローマじゃないな。
残ったのはローマ法くらいか。 >>172
東ローマはコンスタンティノポリスを中心に、ローマ技術の継承者だった
ただし、キリスト教の影響で彫刻などの美術関係は衰退した 十字軍に占領された時点でコンスタンティノープル放棄して
総力挙げてシチリアか北アフリカに逃げればよかったんだよ
イスラムやオスマンの相手しないでさ
そうすりゃ南ローマ帝国として近代あたりまで残れたかもしれぬよ >>175
シチリアにはノルマン朝が、北アフリカにはイスラム王朝であるムワッヒド朝がいるんだけど
どう戦うんだよ根拠地失って、意味わからんぞ 余力のあるうちに奪えばいいんじゃないの
旧ローマ領なんだし、大義名分もある
オスマントルコとかの相手するよかマシでしょ >>177
ノルマン朝もムワッヒド朝も、当時はかなり強力な勢力なんだが?
余力なんてねえよ 東ローマがそもそも西を捨てた結果だからありっちゃありか? 生き残るにはどうすりゃ良かったんだろうな
コンスタンティノポリスに固執しても包囲されて終わり
どっかに避難場所は無かったのかねぇ >>180
コンスタンティノポリスにいたからあそこまで生き残って、コンスタンティノポリスにいたからあの時点で滅びたわけで
別の場所にあったらもっとずっと早く滅亡していたように思う >>181
交通の要衝押さえてたのでその交易収入で持ちこたえた面もあるので避難は論外だよなぁ
地中海世界であれほど重要な港はそうはない、5本指に入るだろう キリスト教勢力とイスラム教勢力に挟まれてるとかがなければな… >>183
それははさまれたのではなくイスラム世界をとどめるほどの大国が東ローマだっただけでは?
東ローマがなかったら単にキリスト、イスラムの前線が移動しただけかと 十字軍いらないから東西統一時代のローマとイスラムとモンゴルの三つ巴がみてみたかった >>175
かつてヘラクレイオス1世はコンスタンティノープル放棄して
北アフリカに逃げようとした
>>180
コンスタンティノポリスを奪回せずに
ニカイアを首都に小アジアで戦い続けるしかあるまい
彼らは小アジアのギリシャ人で小アジアが本土だった
トルコ人が来るはるか以前にバルカンの大部分は
スラブ化しておりバルカンに逃げても無駄だった 共和政時代のローマ人なら周囲が強大な敵だらけでもなんとかしちゃいそう
根拠はないが、そう思わせる何かがある >>184
フランク王国と東ローマ帝国の2大強国がなければ
中世ヨーロッパはイスラムに征服されていた可能性が高い ローマ帝国が帝政前中期の勢いのまま続いてれば一番よかった
イスラムは敵じゃない、モンゴルといえど苦戦する >>190
逆に、ローマ的な支配力の強い国が小アジアからシリアにかけて存在したら、オスマンは大きくなれずに終わる リアともにはいえないほど下らない、知性が疑われることをいわせてくれ
オスマンコ
雄のマンコだぞ
ああ死んでくるよ、でもオスマンを読むたび脳に浮かぶからしょうがないでしょ 光芒のころは滅満興金とか無意味なこと言って騒いでたものです モンゴルがローマと戦ったらピュロスの勝利になると思う ネロよりコンスタンティヌス1世のソリドゥス金貨が欲しい 大和とアイヌ
漢族と匈奴・モンゴル
ローマとゲルマン
農耕民族と狩猟民族は相容れない >>200
遊牧と狩猟採集の区別がつくようになったら世界史板に戻ってくるといいよ 日本人は農耕民族だから大人しいが外人は狩猟民族だから獰猛だ
という俗説があるんだからローマ人も狩猟民族なんだろ
外人は狩猟民族なんだから世界中で農耕民族は日本人だけ 狩猟民でそれなりに文明化されてたのは明の時代の女真族いがいには何があるだろう?
狩猟民でも交易で富を蓄えたらそれなりにはなるね
アイヌもそれなりかな 外人と言っても野蛮なサクソン人と古代ローマ人は全然違うから一緒にはできまい >>203
リトアニア人とかエストニア人とか
女真族もリトアニアも中世後期に大国化した
女真族もリトアニアも契丹やドイツ騎士団に
圧迫されなければ大国化しなかっただろうな >>205
リトアニアとか、農業文化圏、それも一大生産地じゃねーかよ…… 日本が農耕文化を受容したのは3000年前(板付遺跡)
それも北九州だけのローカル文化でこれが列島全土に普及したのはローマで言えばようやく
ウァルスがトイトブルク森の戦いで戦死したころだ
ラテン人ゲルマン人スラブ人はいづれもクルガン文化の農耕民が紀元前3000年頃に拡散したものだから
日本なんぞよりよっぽど先輩だ
実際欧米の人類学者は日本人は部族社会特有と見られる男子集会所文化を未だに保持してる点など狩猟社会時代の因習を未だに強く残したエスニックグループと考えている >男子集会所文化
なにそれ?
薩摩の郷中教育みたいなやつか? ハドリアヌスといい、ヘリオガバルスといい
ローマ皇帝ってちらほらホモいるよな
中世の王侯貴族ではあんまり聞かないけど >>210
フィリップ二世尊厳王やリチャード獅子心王当たりかね >>215
別に高層ビル建っていることが都市の条件ではないと思うが
それでもこの写真スッカスカじゃね?
奥行きかけらもない 小さな高層ビルが駅周辺に数本立っているだけだな…
衰退国家日本の地方都市はこんなものなのかな?
こりゃ中韓どころかインドの新興小都市にも劣る 215はマルチ、念のため
確か4階か5階建て以上は情操教育上良くないと言うヨーロッパのどっかの大学の研究もあったな ヨーロッパの諸都市は、大都市の中心部はともかく、高くても四、五階建のビルディングで統一されているもんな。 凱旋門から西か
その副都心は正確にはパリ市ですらないだろ
超高層ビル群は機能優先で醜悪、景観を壊し風通しを悪くする >>222
香港はともかく、ニューヨークは高層ビルであることを前提とした都市だからバランスはいいね
パリは、あれは醜悪と言われても仕方ない オスロの高層ビル群は上手く調和していると思うが、他の都市はなあ
都心周辺ならどの屋上からでもランドマークが拝めるのが欧州らしさ
中世盛期以降、都市同士で街並みの美しさを競ってきた歴史があるから、アメリカ的価値観とは合わないわ
造りたいなら小麦畑地帯に一から造れ、だな ローマ帝国崩壊後は欧州の都市は殆ど衰退したな
中世で栄えてたのはコンスタンティノープルくらい 縄文系と弥生系の混血が日本人
もし中国朝鮮と交わらなかったらアイヌ琉球みたいになってた
それはさておき、神武天皇が実在したのか気になる 言語学や遺伝子学的な研究の結果琉球が本土から分岐したのは精々10世紀
たとえば琉球人にはアイヌ人にはない日本人や朝鮮人と共通するハプロO1b2が見られる 白人はラテン系とゲルマン系で混血の度合いが違う
北米とかは白人は白人、黒人は黒人って感じだけど
中南米は白人も黒人もインディオも混血しまくって原型をとどめてない
タキトゥスの「ゲルマン人は他の種族と交わらない」との記述は
ある程度本当だったのかも >>227-228
スレ違いの話題で荒らすなガイジwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww フランスはガロ・ローマ人とフランク族の混血
ドイツ人は民族移動に参加せずゲルマニアに残った連中の子孫 古代エジプト人はどこ行ったの?ローマ化あるいはアラブ化されて跡形もなくなったということか もう自分で答えだしてるじゃん
ローマ化されたあとアラブ化されたんだろ
それとも〇〇化の意味がわかってないのか?ある民族が別の民族の文化を受容して変質することだぞ エジプトはローマ領時代にはエジプト人が多数派のままだった
エジプトはイスラム征服後も十字軍時代まではエジプト人や
キリスト教徒がまだ多数派だった
エジプトでは十字軍時代に反キリスト教感情が強まり
イスラム化アラブ化が奨励されエジプト語(コプト語)話者は
少数派になっていった イシスやオシリスといったエジプト神話の信者⇒異教禁止令で衰退⇒キリスト教化
キリスト(コプト)教⇒イスラム征服後衰退⇒現在は人口の一割
二重に上書きされてんだから「古代エジプト人」が消えたように思うのも無理ないな。
こっそりイシスを拝んでミイラ作ってヒエログリフ読んでたグループっていなかったんかな。 アレクサンドロス来る前にとっくにヒエログリフが廃れて簡略化されたデモティックすらギリシャ文字を改造したコプト文字と入れ替わってんだよなあ 流石にヒエログリフは書きづらいから、割と早い時期に利用されなくなるのは仕方ない コモドゥス、カラカラ、そして止めはホリノウス・・・ 名君の子供が暗君の場合は結構あるけど
逆に暗君の子供が名君だった例はあるのだろうか ローマ時代は庶民でも文字の読み書きが出来たけど
中世は神父以外文盲
文化大革命やキリングフィールド以上の文明の衰退だな かんこくがかんじをはいししはんぐるのみにしたのはしっぱいだったな
にほんごにたとえるとすべてかなでひょうきするようなものだしね
はんぐるだけだとよみにくいうえにどうおんいぎごにまったくたいおうできない
こうしてかんじごにゆらいするじこくごをどんどんうしなっていった
ゆえにかんこくじんはにちじょうをはなれたこうどなぎろんや
ちゅうしょうてきなぎろんをするのがむずかしくなった タタールの軛でモンゴル人の遺伝子を注入され凶暴化した露助 べとなむ も かんじ を はいし した けれど、 せいちょう や あくせんと きごう を たくさん つかう から、 どうおん いぎ ご で まよう こと は ない そうだ。
ちめい や こゆう めいし は かんじ ゆらい が おおい から、すこし のこしても よかった のに とは おもう。
ベトナム語のローマ字表記をもたらした宣教師は、識字率向上=布教はかどる・信者増化を狙ったとのことだが、
中世の教会が寺子屋やらんかったのは本気で布教する気がなかったのか? 衰退でなく環境に適応したと考えたほうがいい
都市型から農村型の自給自足体制に移行したと考えるんだ
聖職者と商人以外は文字を持つ必要もないシンプルさ >>244
宗教改革以前以後では信仰の在り方がかなり違う。
カトリック教会も、「信者は聖書を自分で読んで、自分個人の責任で神と向き合うべき」という思想の影響を受けている。 >>239
ロマノス2世の息子バシレイオス2世とか >>244
ベトナムは栄養価の高い米作地域
寒冷化による収穫減少の欧州中部あたりとは状況が違うだろう >>245
文字があれば庶民は他人の考えを知り考えるだろう
危機的状況で諦めを教える教義にもし疑問を持てばどうなるか?
集落内で割れるだろうな
文字があるから収穫が上がる、改良や発明に繋がると思い至れば話は別だろうがね >>239
どちらも暗君か明君か評価が分かれる人だけど
神聖ローマ皇帝フリードリッヒ3世と、その嫡男マクシミリアン1世
イングランドのジョン王、ヘンリー3世と続いたボンクラの跡を継いだエドワード1世とか >>250
文字があれば収穫云々はそれは活版印刷も必要でしょう >>251
フリードリヒ三世はケチで下手をなんどもこいてるが、仕事はしてるよなぁ
マクシミリアンがいろんな意味でかっこいいのでそれと比較したらあれだが 古代末期から中世前期は食い物の問題が深刻
元々識字は遊民層の特権で、為政者にとっては庶民が下手に知恵をつけたら自尊心保てないわ扱いに困るわで
搾取とメセナで還元したローマの三都は例外だろ >>241
明治政府発表の識字率調査をチェック
貴族武士と庄屋名代と東海道沿いの住民だけは、飢饉でも年貢米を統制価格で供給してたので高いだろうが
全体としては同時代の英仏から見て、第三国として驚異的な程度
その英仏にしても産業革命前後に一気に伸びたので、目糞鼻糞を嗤うだが ローマ時代は下級兵士ですら読み書き出来たようだ
彼らが書いた落書きも残ってる もし日本にナマポ制度がなかったら
強盗やホームレスの数がアメリカ並みになってるな 「働かざる者食うべからず」って聖書の言葉なんだよな >>257
読める人もいた
ていどではあろうけどね
十人隊長クラスなら読めるだろう 軍学書でも文字の読み書きと計算ができるやつを優先的に徴兵しろって書いてあるし少なくなかったろうな
帳簿類や非番日の計算やらで読字計数は要りようだったみたいだ つうかローマでは武官と文官の区別がなくて
行政局の書記も駐屯地から出向してきたローマ兵が兼業してたぐらいだから 武官と文官の区別があるなんて近代国家でないならかなりレアだぞ
ふつーよ 共和制中期までは奴隷か使用人がニ3人はやとう中小企業の親父以上だな
帝政時でもそれなりの家の子かかなりの野心をもつひとでしょうね 庶民の定義って何を基準にするかで、また時代や地域でかなり違うね。
参政権の有無を基準にしたら江戸の町人は奴隷階級と同一視されてしまう。
経済力を基準にしたら現代日本では正社員までが庶民で、派遣やアルバイト、ニートは奴隷階級扱い。
逆に古代ギリシャの「市民」って、日本の感覚だと貴族だよなあ。 帝政期の一般兵は社会的地位低いよ
元老院議員が多い文人から軽蔑されてる 中世の騎士団(フルプレートの重装騎兵)とローマ軍団(ロリカ・セクメンタタ)が
戦ったらどっちが勝つの?
フィールドは平原として 十字軍の頃ならともかく、百年戦争やタンネンベルクの戦いあたりの欧州軍相手なら
流石のローマ軍でもおそらく負ける 百年戦争頃でも全盛期のローマ軍ならギリギリ勝てそう 全盛期ではないけど、ササン朝のカタフラクトに敗れて皇帝が捕虜になってたような記憶が・・・ 騎士(人と馬)と軍団兵が同数なら軍団兵に勝ち目はないよ
まあ軍団兵は最盛期30万人、これだけのフルプレート騎士を揃える国力を持つ欧州の国家は中世には存在しないけどね
下馬騎士と軍団兵の対決でも一対一なら下馬騎士のほうが強いだろう
軍団兵の武装じゃフルプレートの装甲をぶち抜けない 組織力・連携力はローマ軍のほうが上だから戦いようはありそうだが
補助兵含め兵科も充実してるし ビザンツ帝国ではローマ時代の水道が使われ、戦車競技も楽しまれていたようだ 東ローマが後少し存続してマスケット銃を装備しだしたら、ギリ生き残れたかもだね。 最盛期で一番防具が充実してたころの四皇帝・五皇帝内乱をみるかぎり
ローマ軍団兵同士の戦闘ですらお互いに防御力高すぎて泥沼になってる節あるので
さらに防御力が高い中世後期の重装連中相手だとローマ軍団側はやはり苦しいと思う
そのうえ中世後期側のクロスボウはローマの盾や甲冑を余裕で貫通するし
1200年以上も未来の軍隊相手だとさすがのローマ軍もきつい ラノベやRPGじゃあるまいし装備品が多ければ多いほど強いってわけじゃない
ヨーロッパ最強をうたわれたアルモガバルスも短槍、短刀、丸盾もってるだけ
それでオスマン騎兵を常に圧倒してるわけで
そもそもローマ軍はパルティアやパルミラとの戦いを見ても鈍重な重装騎兵にめっぽう強い
いつも通りカルトロップと乱杭ならべて敵が右往左往してる間に投射武器ぶつけて殲滅する戦法とればいい
弓騎兵が使えないとローマ軍を真っ向から相手するのは無理
大体動員兵力も違い過ぎる トラヤヌス帝時代のローマ軍とは1000年後の装備持ってても戦いたくねー
勝てる気がしない 重装備であればあるほど強い理論なら人馬とも全身を鎧で覆った鉄騎を鉄鎖で連結した中国の連環馬とか
鎖帷子の上に小札鎧をつけていたドルジーナのほうがフルプレート騎士なんぞよりよほど強そうだがな
どっちもモンゴル騎兵には手も足も出なかったわけで
ローマ軍相手ならまだモンゴル騎兵やフス派のほうが勝ち目ありそう ローマ軍団に現代の兵装を与えたら、最強かな?
米軍の戦闘ユニット概念で運用したら、面白そう。 フルプレートの騎士とアルモガバルスは直接対決してないだろ
短剣じゃ鎖帷子は貫通してもマクシミリアン装甲は貫けないよ トラヤヌスがやる気になってるときのトラヤヌス指揮の軍には確かに戦いたくないなw
たぶん新技術にも何らかの対策とってかつ執拗に自分が対抗できない手をうってくるw アルフォンソ5世はイタリア戦争にアルモガバルス連れっててるのだから普通に戦ってるだろ
馬から引きずり降ろしてから始末するスタイルなのでいくら鎧着こもうが意味ないがな ウェリテスとアルモガバルスって装備も戦術も似すぎ
なんか関係ありそう >>281
ローマ軍のその戦法はまず相手の投射武器にある程度耐えられることが前提であって
中世以降のクロスボウ持ち出されたら無理 トラヤヌス帝に現代の米軍海兵隊を与えたいな
どんな創造的運用をしてくれるだろうか よくみたら中世の重装騎兵VSローマ軍団か
中世側に下馬騎士や長弓兵・クロスボウ兵が無いのならそりゃローマ側が有利だな クレシー・アジャンクール・ポワティエみたいに投射力ありきで陣地ガン待ちされたら難しいだろうけど
そもそも飛び道具がないのなら割とどうにでもなりそう
フルプレート系の重防御にもローマ側はそれなりに対応するだろう
実際に21年に起きたFlorusの反乱でフルプレートもどき着込んだ剣闘士と戦った際
グラディウスの代わりに土木作業用の斧や槌を持ちだして対応してるし 火縄銃や大筒があれば・・・と思ったが、ローマなら鹵獲したものを改良して量産しそう 荒削りで不恰好だけどなかなかカッコいい
軍では採用しなかったんだろうか >>279
ただコンスタンティノポリスの城壁をマスケット銃持った軽装の歩兵が防衛すれば、相手に大砲あっても中々城壁に取り付けないんじゃないか?
操作も簡単だから数さえ足りれば市民全員がマスケット銃持った歩兵になれるし
まぁ城門の鍵のかけ忘れには注意だけど。 >>283
>どっちもモンゴル騎兵には手も足も出なかったわけで
機動力皆無やし
機動力に優れた蒙古騎兵から見たらボコり放題の的やわ パッと見はバケツ頭とかのせいで中世感あるけど
よく見ると古代式セグメンタタやマニカで不思議な感じ・・・ >>289
バリスタとか石弾使えば城壁ですら砕くのに生身の人間が絶えるとかムリムリ >>296
マスケット銃の操作が簡単?なら何でどこも銃手の育成に苦労したと思ってるんだ?
まぁ仮に市民全員が銃手としての素養と訓練をマスターというファンタジーを乗り越えたとして
市民数十万全員分の銃と弾薬と玉はどっから調達するんだ? 中世のコンスタンティノポリスに数十万の市民はいないだろ。
騎兵や大砲撃ったり剣や弓持たせて防衛つかせるより誰でもできるんじゃないか?
イタリアの都市国家から傭兵雇い入れるよりも貿易で武器庫にマスケット銃と弾薬溜め込む方が簡単だろうし。 >>301
中世の時期による(中世とは800年の幅があるので) 西ローマ滅亡から東ローマ滅亡(或いは百年戦争終結)の1000年が中世じゃなかったっけ? でも西ローマ滅亡後もしばらぬしぶとくローマのシステムは生き残ってるからな イスラム躍進時代にエジプトやシリアを奪われてローマが守勢になってローマ社会が変質して行くことになる コンスタンティヌスのキリスト教公認から帝国自体が一気にローマ的ではなくなっていく 穀倉のエジプトを失って「パンとサーカス」を続けられなくなった >>308
その見方は古い。
ディオクレティアヌス以降、コンスタンティヌス朝を経てヘラクレイオス帝あたりまでは後期ローマ帝国ということで共通項が多い、というのが現代ローマ史研究の最大公約数的見解 >>304
西ゴート王国滅亡からグラナダ陥落までが中世でも良さそう 中世の始まりは西ローマ崩壊でいいけど
終わりは宗教改革あたりでいいと思う 東京四天王 新宿・渋谷・池袋・六本木
大坂四天王 梅田・心斎橋・難波・天王寺
名古屋四天王 名駅・栄・金山・大須
異論は認める 東京
大阪
名古屋
横浜
京都
神戸
札幌
福岡
仙台
広島
の主要10都市以外は田舎 古代の終焉 476年 西ローマ帝国滅亡
中世の終焉 1453年 東ローマ帝国滅亡、百年戦争終結 当時の1万都市が現代の福岡札幌みたいなもんだろ
町の端から端まで歩いて10分、職住近接で週休確保
町壁の外は見渡す限り田園地帯
職人も小作も水分補給代わりにビール飲んで無駄口叩きながら日暮れ前までチンタラ働き、閉門前に戻ってまたビール飲んでいい気持ち
襲撃と飢饉がなければ最高だろ 衛生環境は最悪やけどな
ただ当時の一万都市は福岡なんかよりはるかの重要で
当時の市民は自分達で自分の国の進路を決めるという義務感責任感はあっただろうな ローマ 100万人
長安(唐) 100万人
バグダード 150万人
コンスタンティノープル 40万人
(最盛期、当時の西ヨーロッパにはこの10分の1の人口を抱える都市すら存在せず)
江戸 100万人
ロンドン 86万4845人(市街化地区内、1801年)
パリ 54万6856人(城壁内、1801年)
都内23区 1000万人
イスタンブール 1400万人
重慶 3000万人 >>321
またバカが居る
重慶は1000万都市
重慶の市区人口は897万(2017年統計)
街が市区からはみ出てるぶんがあったとしても都市圏全域でせいぜい1000万〜1200万程度だろう
もし重慶が3000万都市だったらそれだけで重慶市の全人口やないか
北海道より広い広大な重慶市の都市圏部分以外は無人の荒野なのか? 平年並の収穫なら、播種に対する収穫が3倍程度か
借地と農具レンタルで領主と折半、残り半分の3分の2が来年の播種用
農民が口にできるのは収穫の6分の1
領主は数年に一度襲って来る飢饉レベルの不作対策で多くを備蓄
残りを自分たち用と鍛冶屋など農具製作職人、あと防衛費などに振分
そら街のメンテや文化振興にまで余裕が回らないわな >>315
丸の内も日本橋も霞ヶ関も大手町も銀座の無いのになぜ六本木ごときが?
大阪もおかしいな
大阪の中心は船場なのに淀屋橋も北浜も本町も無いしついでに中之島も無い
いずれも都心無視だな 今や都市(圏)ランキングは国の恥を晒してるようなもんだしなあ
増え続けて不快になってるのに更に増え続けるアジアと中南米とアフリカ
いま国際的に人気の高い都市はベッドタウン含めて200万まで
アデレード、オークランド、ダブリン、北欧諸国の首都、アメリカならポートランド >>326
外人観光客数1000万を突破した大阪は? ぶっちゃけスラムでカオスな街並なのに小奇麗で治安がいい
価値観が違うから物珍しさで来ているだけだよ 東京の方がよっぽどスラムでカオスに見えるわ
特に渋谷とかDQNの巣窟で笑えるwwwwwwwwwww 両方に住んでたが
元々渋カジってな、伊達メガネでチノパンチェックシャツの第一ボタン止めなシード系大学生文化だったんだよ
丸山町前のチームジャンパー売ってる店は揃いも揃ってデブのヘインズシャツに野球帽、コイツらが表に出るなんて思いもせなんだ 現代のちょっと前を思い出すだけで、帝国滅亡から暗黒時代への突入を追体験してたんだなーって思う 西ローマ最後はロムルス・アウグストゥルスで
東ローマ最後はコンスタンティヌスで
どっちも国家創業の皇帝の名前が最後に来てるのがかっこいい >>329
東京には明確なスラムはないよ
本当のスラム見りゃ分かるよ >>334
大阪にもねーよwwwwwwwwwwww
そもそも日本に本物のスラムなんて今やねーわwwwww 山谷は汚い町で汚いおっさんがいるがそこまで
西成はまち全体がションベン臭い ローマ帝国にもホームレスいたの?
中世の農村じゃ貧し過ぎて乞食すらいなさそう >>335
西成区の玉出に住んでるけど普通の下町やで 玉出と聞いてヘリオガバルスを思い出した
あの時代で性転換手術を希望したとか時代を先取りし過ぎィ >>338
いたよ
ローマ市では市民でも家賃払えなくて追い出されることがよくあった キリスト教は奴隷や貧民から広まってその後に中流階層にも広まった感じかな
400年後は遂にローマ帝国の国教にさえなった >>345
「パンとサーカス」がくれるのは食い物だけだからな
衣と住は自分でどうにかする必要がある
ローマ市民は遊んで暮らしたって過剰なイメージが広まってるが
結局のところある程度は働かないと路上生活で最後は野垂れ死ぬ 衣食住のうち食だけだし支給される量もそれだけで生きていくには不十分というのがミソ
市民を労働から解放する制度だと誤解されがちだが実態は労働する底辺市民の生活支援制度 果実と麦の違いですな
パンとワインってのは組み合わせ的に分かるが
パンとビールだと兄弟みたいなもんだよな
日本人の好きな焼きそばパンとか餃子チャーハンみたいなもんかや ホモが多かった時代だから逮捕される以前に通りすがりのホモオヤジに犯されそう >>338
って思うじゃん
乞食ギルドとかいうラノベを地で行くような組織が本当にあったんだぜ ローマのホームレスってやはり水道橋の下とかにたむろしてたんだろうか 日本なら150年前まで車全基地支配の古事記内カースト社会なんだが
>>353 >>356
教養のなさとそもそもの知能の低さがわかる名文だ ローマ市の平民は大半が賃貸ぐらしだから
なんらかの収入源ないと屋根の下で暮らせないだろうな >>356
次スレからテンプレに入れたいほどの名文だ 悪文でも何かを読み取るべきだとは思うんだが車全基地支配と古事記内カーストがわからな過ぎて困る。何さ車全基地って…… イタリア語とラテン語って全然似てないな。
現代日本読めれば、源氏物語がそこそこ読めるのとは対照的。 ラテン語と一番似てる現代語は?
イタリア語
おフランス語
ルーマニア語
オック語
スペイン語
カタロニア語
ポルトガル語
エスペラント語
どれ? >>361
たぶん浅草の非人頭である車善七のこと
非人と乞食は別物ではあるが。 中世やルネサンスの初期の宗教画見るとイエスの磔の背景にロマネスクやゴシックの城が描いてあったり、ローマ兵が中世の騎士の格好してる
当時そんなものないだろ!と突っ込みたくなる
ルネサンスが進むにつれて考証が正確になっていくけど絵なんかほとんど残ってないのにどうやって考証したんだろ? >>366
レリーフ等
各凱旋門やトラヤヌスの記念柱とか ルネサンスから19世紀までのローマ題材美術は基本的に彫刻が考証元になってる
ちなみに写実度が高いとされるトラヤヌス記念柱等でもそれなりにデフォルメ入ってるので
19世紀末から本格的に発掘されだした現物装備とは微妙に違ってたりする アーサー王物語も、元ネタは5世紀の話なのにフルアーマーの騎士が出てくる。
当時の絵師が風俗知らないのも無理ないよなあ。
近年はちゃんと5世紀のブリタニアの風俗を考証して作った映画あるから格段の進歩だ。
でもグィネヴィア姫がブーディカ女王みたいな描き方なのは首をかしげる。 5世紀のイングランドやったらアーサー王も原始人の酋長みたいなもんやろ >>366
>>370
山野さんが昔のアマテラスの絵は男で書かれてる場合が多いといってた話思い出した
そもそも記紀が知られてないのでアマテラスが女であるおとさえわかんなかったそうな
昔は情報格差が酷い
アーサー王は二次創作なんでもござれなんでてきとうでええんや! アーサー王が男って知ったのは最近だよ。
まだ違和感があるけど。 カール大帝がアーサー王のモデル説みたいなのもあったな
ドーバー挟んで隣だからそこまで変でもないか? >>371
5世紀のブリタニアはまだローマ帝国の延長線上って感じだが
まだローマ的な都市やヴィラが維持されていた時代 >>376
元ネタは明らかに複数あるので
ペイドン山で勝ったアンブロシウスの話が大元だろうけど
アルトリウスやらなんやら多くの逸話が挿し込めれてるから サルマタイの伝説とかも入ってるからね。ブリテンに駐在していたから。 >>366
それ言ったらイエス・キリストなんて実際はセムハム系の黒髪褐色肌なのに
西洋の絵画や像では金髪碧眼のガチ白人にされてるんだぜ 彡´⌒`ミ
( ´・ω・) カエサルはハゲってわかってるのに残った彫像みんな髪フサフサなのは大問題だと思う >>380
金髪碧眼のキリストってあまりなくないか。
「最後の晩餐」も黒髪 >>381
アウグストゥスの彫像って若い頃のばかりだよな
もしや・・・ アウグストゥスは自分がガチイケメンなのわかっていて
晩年でもあえて一番美男子な若い頃の全盛期のを作らせていたって言われてるな ウェスパシアヌスはしっかりハゲ親父な胸像作らせてたあたり
皮肉めいた性格もただよっていて楽しい
「こんなんでもそのうち神になるからな^^」って言ってそうで カエサルの彫像って、結構額が後退してる方が多い気がするのだが? >>386
彡´⌒`ミ
( ´・ω・) あの程度をはげというのは笑止千万 >>388
近所のケバブ屋さんにいるな。
聖お兄さんはいまはケバブ屋をしてるらしい あまり神々しくないなあ
釜ヶ崎か山谷の浮浪者にしか見えん コンスタンティノープルのアヤソフィアのモザイク画が、一番キリストらしいと勝手に思ってる はい、この中に人民の敵と共謀して労働者の祖国をスパイしてる子が一人います。
先生は悲しいです。今なら怒らないから、目を瞑って手を上げなさい。 >>396みたいなこと言って実際に手を挙げさせて、そのうえで授業を一時間潰して説教しまくる教師が昭和期にはいくらでもいました。 キリストが笑福亭鶴瓶みたいな顔だったらどうだろうか エビス顔の鶴瓶は神になる
鶴光は迫害されるだろうな 鶴光は存在そのものが迫害の対象やな
多神教ローマなら子宝の神になるのに 進歩史観の観点からいうとローマ帝国崩壊→暗黒中世という図式はまずあり得ないのだが
制度的な面でも古代の奴隷制よりも中世の農奴制の方がはるかに進化しているし経済的な生産力においても中世の方が高い
気候の温暖化という要素も若干関係するが じゃーチンポ弛緩ってのがオカルトだったって事で一つ
人口は増大し続けてる訳だから人間増え過ぎたら総生産が増大しても一人当たりじゃ貧しくもなるでしょ? >>394
キリストの顔でなく当時の現地成人のかおなんで。。 >>402
制度が進化という発想がそもそも間違ってるんやで
緻密な制度というのはあるが、適者生存の観点から見て
別に複雑精緻な制度が優れているとは限らない
まぁそもそも制度面でもかなり中世のほうが雑だと思うけど >>394
そもそも現実にいたかどうかも分からない人間の「リアル」の顔がどうしてわかるの? 長年使用されないと扱いを知ってる人がいなくなってロストテクノロジーと化す
中世にメンテもされず、打ち捨てられたローマ水道のように・・・ へーゲル曰くローマ帝国があまりに暗黒時代だったから最強宗教のキリスト教が生まれて広まったらしいけど本当なんだろうか 生きる苦しさをポジティブに解釈するからな
まず苦しい層から広がって、次に富裕層の支持母体として利用され、最終的に為政者が安定して搾取するための道具にされるのが王道
利用するための理屈だね 南仏にもイベリア半島にもあるが
スペインのものは1970年代まで現役の上水道として市街に給水していたし Wikipediaのフランク王国の記事ちょっと前まで教科書を丸写しにしたようなレベルだったのに
今見たらすげぇ充実してるじゃん >>413
読んでみた、面白いな。
分割と再統一の繰り返しか。 ウィキ「イタリア」を見ると、ぜんぜん東ゴート王国滅亡後も、
そんなに暗黒時代じゃない。
余裕で、幸せな楽園である。1100年頃には資本主義を始めたロンバルディア同盟が、
神聖ローマ皇帝をぶちのめしている。 イタリア本土や南フランスは、識字率とか成文法とか都市生活のようなローマ時代の社会システムの残存度合いが一番高かったそうだから 農地の灌漑システムが崩壊して沼地にだらけになり
ローマ時代にはなかったマラリアが大発生というような話も。>イタリア コンスタンティノープルの人口が最盛期で40万人
当時の西欧ではこの10分の1を抱える都市すら存在しなかったとか ゲルマン人はあっさりキリスト教化されたけど
ノルマン人への布教はなかなかすんなりいかなかったようだね
この違いはなんだろう? 西欧というくくりを使い続けるのはどうなんだろうな
せめて南北でわけてみた方がよくないか >>421
10分の1どころか40分の1が精一杯やで
パリでやっと1万や 末期ローマ帝国なんてマイナーなテーマだろ?日本語文献も少ないと思うし、「歴史遊び」としても
ハードルが高いと思うんだが、みんなはどんな本を読んでいるんだい?
ギボンの大作?ピレンヌ?ピーターブラウン?
まあ、オレの無知を晒しても無意味か?
ちなみに、オレは西ローマ帝国崩壊後のガリア残存ローマ人勢力アエギディウス、シャグリウス父子が好き。 おれはテオドリック・ストラボ(すがめ)が好き
岩明均作品に出てきそうな風貌 シアグリウスはワイも好きやな
ほろびゆく帝国で最後の抵抗を試みる将軍
普通に小説ネタになりそうだが邦訳されてるものでそんナンはないんかね >>395
ジョニー・デップはシリア人だそうだ
レバント系は欧米に結構多いが欧米人と判別出来る人と出来ない人がいる
エジプトかアラビア半島まで行かないと完全な中東顔一色にはならない エジプト人も結構ジョニーデップとか南欧系っぽい顔多いけどな
俳優のオマー・シャリフとか
逆にアバン・ジョーギアとかカナダ人なのに典型的なアラブ顔の人もいる >>429
地続きのイタリアは実質的には東ローマ領だよな
元々スティリコとホノリウスも東から西へ派遣されたから
西は東から自立していなかった
ガリア帝国以来ガリアは東に対して自立志向が強かった
ガリアには東から自立出来る軍事基盤があった >>430
シリアあたりはスラブ人が奴隷としてどんどん入っていったらしいから
白人顔も多いのかね
トルコも元はアジア系だけど混血しまくってコーカソイドっぽい顔つきになってる
中には金髪碧眼の白人っぽいのもいる >>433
スラブ人云々以前に、イスラム以前はギリシャ人社会だったし、ペルシア人も優勢だった
アラビア半島とは別の地域だぞシリアは シリアあたりにスラブ人の奴隷?
あのあたりでヨーロッパ系の奴隷と言えばフランク人だろ
千一夜物語に出てくる白人奴隷もほとんどはフランク人
そもそもアルメノイドは地中海人種と近縁で遺伝的には分かれてからそれほど違わない
現代トルコ人はハプロ分析だとモンゴロイド系のハプロT、Q、N、Cすべて合わせても1割以下でほぼコーカソイド そういや東北の蝦夷ってどうなったの?
和人に同化された?それとも北海道に逃げてアイヌになった? 逃げた話は聞かんな
清原のように混血したり、秋田のように地方豪族化しながら倭人になっていったんであろう >>427
シアグリウスの子孫は、メロヴィング朝において、宮廷官僚としてかなり活躍してる。
一族は名門として、キリスト教関連でも司教を出してるし、興味深いね。 >>436
そもそも、蝦夷とは生活文化の違いであって、生活が大和化すれば、蝦夷ではなくなるのだよ 今ではほぼ単一民族である日本人にはなかなか理解できないけど
大陸では生活文化と言語が同じかどうかが同胞の認定基準になってたりするとこが多いな
古代ギリシャ人とかガリア人ゲルマン人アラブ人トルコ人とか 江戸時代まで本州にも蝦夷がいた。
この人たちがアテルイなどの子孫なのか、
北海道のアイヌが本州に渡ってきたのかは
今となってはわからないだろうね。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001344/files/49820_40772.html
>津軽藩の記録によりますと、今から約二百六十年前の、寛文頃に、
まだ領分内に蝦夷として認められたものの居た村が、外が浜に十六ヶ村、その蝦夷の戸数が四十二軒、その名前までが一々わかっているのであります。
その後八十六年を経た宝暦六年に至って、彼らもだんだん日本化して参りまして、
もはやいつまでも蝦夷として区別する必要が無いと認めたものとみえまして、
これを平民の戸籍に編入し、普通の日本人と同一の待遇を与えることになりました。
それを当時の記録には、「この年外が浜の狄えびすシャモとなる」とも、「
外が浜の狄をシャモに仕る」とも書いてあります。シャモとは今も北海道のアイヌ等が、
日本人を呼ぶ名称で、すなわち狄が日本人になったのです。 >>442
アテルイの時代は蝦夷語通訳という公職が
あったくらいなんで少なくともアテルイは
大和文化圏の人では無いと思われる。
ちなみに元慶の乱を平定した小野春風も
幼少時蝦夷の地で育ったため蝦夷語に堪能な、
いわゆるバイリンガルだった。 >蝦夷語通訳
ググったがそんなものは出てこなかったぞ
>ちなみに元慶の乱を平定した小野春風も
>幼少時蝦夷の地で育ったため蝦夷語に堪能な、
>いわゆるバイリンガルだった。
何情報だよ?
まず蝦夷語とやらが出てこないんだが >>444
情報が得られないのはお前が幼稚だから
物部斯波連永野でぐぐれよカスwww >>445
「夷語」なんとかならあったが?wwwwwwwwwwwwwwwwwwww 通訳が要るからといってアテルイがアイヌ語だったとするのはさすがに早計じゃんアゼルバイジャンwwwwwww
物凄く訛った日本語かも知れないし、少なくとも当時は蝦夷はエゾという(樺太アイヌ語での自称enciwと同一という説のある)読みでは知られてないんだよなあ >>449
誰もアテルイがアイヌ語だなんて言ってないが?
むしろ8世紀の東北蝦夷の言語と近世の北海道アイヌ語が一緒だったらむしろ驚きだよなあ。
後さ、普通通訳と言えば、訛りのレベルでは
つかないがそういう例でもあんの?
例えば蝦夷語が津軽弁みたいな訛りの酷い日本語
だったと仮定して↓みたいな表現するかねえ。
もちろん単語の借用なんかは今の日本語でも
よくあるから当時もあったろうけどね
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099237.html
『日本後紀』延暦18年(799)2月21日条には、
陸奥国新田郡(宮城県北部)の百姓(ひゃくせい)が「
久しく賊地に住み、能く夷語を習」ったとある。この賊地は現在の岩手県にあたるから、
宮城県の住民が岩手県に長く住んで「夷語」を
習ったということは、エミシが日本語(和語)とは違った言葉を使用していたことを物語っている。
『藤原保則伝』にも、元慶(がんぎょう)の乱(878)に関
係した小野春風が「能く夷語を暁(さと)る」と記され
ており、『三代実録』元慶5年(881)5月3日条には、
「陸奥蝦夷訳語」という通訳に関する記事がみえる。 >>450
語族が同じで文法が同じでも著しく音韻や語彙が異なれば通訳が必要となる
同じ琉球諸島内でも言葉が通じなかった
http://www7b.biglobe.ne.jp/~whoyou/bunkenshiryo4.htm
「昔大明の洪武年間、与那覇勢頭豊見親といふ人、宮古島の主長たりし時、(中略)船を艤し艮の方を望みて出航す。
諸神擁護して順風意の如く翌日中山に到る。然れども言語通せず只手を振って心中を訟ふるのみ。
中山王察度深くこれを憐れみ、寓居を泊村に賜い居ること三年にして言語初めて通ず。
(中略)当地はもとより八重山島と唇歯の好みあり、是に因りて洪武23年(1390年)庚午、彼の島の酋長等を導きて、
相共に方物を捧げ中山に朝見す云々」(『宮古旧記』) 18cのフランス貴族が南仏を旅して「このあたりの住民はフランス語を解しません」と書いたりもしてるしな
古代〜中世の東北エミシの大部分はエゾやアイヌではないだろう。 >>451
意思疎通が全然通じなければそれは訛りのレベルじゃ
ないね。
いま確かなのは古代東北の蝦夷が喋っていた言語は
朝廷側の人間はわざわざ習ったり幼少時に住んでないと理解できないほど違う。
そして夷語を使える人間は特殊技能として通訳という官職にもつけたってことで、訛りレベルの差異とは考えにくいってこと。
もう一つ、北東北にはアイヌ語系の地名が数多く残存しており、アイヌ語系統の言語を使用する一派がいただろうってことだ。 オック語はフランス語よりもカタルーニャ語に近いからな
綴りと発音の関係も違ってるしフランス語に含めないのは当然 >>452
オック語でぐぐれよカス
もしかしてフランス領内の人間はフランス語しか
喋らないとか思ってんのかよwww ラング・ド・オックはガリア・ナルボンネシス
すなわちアルビジョア戦争とユグノー戦争は
ガリア人対ローマ人の戦争でローマ人が負けた
ユグノーはドイツの亡命してやがてフランスに報復する ユグノーはドイツに亡命してやがてフランスに報復する 琉球語は上古日本語から変化したのではないが日本語族の一種ではある
オック語もまた古フランス語から変化したのではないがロマンス諸語の一種ではある 日本の場合とは逆
オック語が文明側で
フランス語が蛮族側 アテルイ「イランカラプテー!」
田村麻呂「討ちて取りつべし」 >>453
日本語だと方言が違ってもまだ理解しあえるけど
中国語だと方言が違うと意思疎通すら困難なレベルだったりする ラテン語から俗ラテン語へ
そしてロマンス諸語を形成するにいたるのね >>440
ルーマニアは興味深い
ローマ時代の影響が強かったせいか、バルカンであそこだけ今もラテン系 ダキアをローマ帝国は放棄したにも関わらずその後もずっとラテン系の住民がいるのが謎だ >>463
津軽弁と鹿児島弁で意志疎通でかると思うとんのか? >>463
ということは、通訳が必要だった古代蝦夷の言語は
日本語の方言じゃないってことだね。
ま、順当な結論だわな。 >>466
ゴート族やスラブ人、アヴァールとかに結構荒らされたけど
アイデンティティーはローマ人なんだよな >>466
ダキア人は歩兵が主力の農耕民だから人口が多かったのだろう
イリュリア人とトラキア人は乗馬が得意でローマ騎兵の供給源だったから
牧畜民で人口が少なかったのでスラブ人に同化されてしまったようだ スラブ人大量発生の原因が気になるわ
なんか急に湧いてきたよな スキタイ人の末裔だからなスラブ人は
フンと一緒に移動してきたんじゃね? >>427
もしシアグリウスの国がずっと続いてたら、西欧にもビザンツと同程度にローマ文明が継承されて中世の暗黒時代はなかったなんてことはないか そりゃ無理だろう。
あの地域だけで高度な文明なんて保てないよ。 あの当時のソワソンには、貨幣鋳造施設はじめ、ローマの技術施設があったのでクローヴィスに狙われたのは確か。 日本が、アイヌと琉球以外ほぼ単一民族になったのなんて、江戸時代だろう
ちなみにアイヌが民族としてほぼ成立したのは15世紀と割と新しい
それまではオホーツク文化や擦文文化といった別の文化を持つ異民族が支配的だった つまり薩摩のぼっけもんは異民族だった!?
確かにひえもんとりとかおっとい嫁じょ、郷中教育などの数々の特異な文化は蛮族の様であるが >>475
文献は残っただろうけど施設の維持は難しそう まず秀吉の仕置という名の地域の価値観ぶち壊しがあってその後に江戸の幕藩体制で緩やかに統一していった 「嫁盗み」なら全国各地に普遍的にある風習
日本昔話の「ものぐさ太郎」にも主人公が「女捕り」に出かけるちょっと子供には見せられない場面がある
「実録・嫁さらい婿さらい」という実録があるのだが著者の母自身も無理矢理子どもを産まされて結婚したというのだから強烈
「若衆組」これも全国各地にある
平成以前の文化や価値観なんて今の目から見たらどれも野蛮極まりないだろうよ >>482
若衆宿は、南海道を中心として西日本に広がっていた習俗だよ
東日本は家制度が強くて、村落共同体においても家が基本単位だった >>482
世界レベルで見ても各地にあるんだろうな >>481
統一がされずにキリスト教が禁止されなければ下手したら九州人がキリスト教を信仰する別の民族として分離するところだった? ローマも初期の頃はザビーニ族から若い女を掻っ攫って嫁にしてた >>437
蝦夷が、大和朝廷の中央貴族ばりに「清原」「安倍」を名乗るのって
匈奴が「劉」姓を名乗るのと同じくらい違和感があるな。
奥州藤原氏も蝦夷の血統を受け継いでるんだっけ? ゴールデンカムイ知識だがアイヌ民族は他民族との婚姻を禁止してなかったから混血がたくさんいたそうだ
そもそも大和民族も漢民族も紀元前から混血しまくりなんだから気にするだけ無駄よ ゲルマン人とは対照的だな
タキトゥスの記述によると森の中の住んでて多民族との交わりを拒んでいたようだ
中南米がラテン系で混血しまくりな一方(異民族もどんどん吸収したローマ由来かな)
北米が白人は白人、黒人は黒人みたいにはっきり違うのは
アングロサクソン系だしゲルマン由来の傾向なのかも 北米はみかけが明白に違う上、奴隷の子孫とある意味出自が悪い意味ではっきりしてるので
交わらないというのは自然な発想な気がする 北米が婦人を連れない移民だと状況は違ったんだろうけど
弾圧から家族ごとにげたのが先例だし >>483
東北にも若勢組といってあるよ
館合若者共済団、独青団なんて未だに活動してるし
ゲルマンでもヘルール族は少年たちが男子だけの集団を形成して同性愛が奨励される習慣があるなど若衆組とよく似てる
>>490
ゲルマン族でもスエビ族はもとはケルト系でヴァンダル族はスラブ系と言われてるがな アメリカの場合、
ラテン人は男性が単身で南米に乗り込み、現地女性と通婚したから混血ばかりになった。
一方のアングロサクソンは家族で北米に移住したから、人種の純血性が保たれたんじゃね?
もっとも、現代はゲルマン系(北欧・西欧)ほど移民の受け入れに積極的で、
文化の融合や混血が進んでいる。
彼らの多文化共生主義は、元来持っていた純血志向からの反動なのだろうか。 ローマ帝国にも黒人いたようだな
奴隷だけでなく市民もいた >>497
東アジア系もフン以前でもきわめて少ないけどいることはいたらしい(市民ではないだろうが)
ローマやロンディニウムの1〜2世紀の古代墓地で東アジア系の骨が見つかってる >>113
>>115
>>120
士農工商とか言われてるけど、江戸時代は意外と身分制度は厳しくないぞ
百姓や商人の出でも武家の養子に迎えられることもあったしね
富農や豪商だとそこら辺の侍じゃ頭すら上がらなかったというし 以前は教科書にも載っていた士農工商も今は教科書にも載っていない。
・元々士農工商とは中国の古典で民衆、四民を具体的に表す表現として使われたもので、
身分の序列を表したものではなく、文書によっては農士工商もあれば士商工農もあった。
・家内制手工業しかない時代に工なる概念は存在しなかった。ものづくりに従事
していた職人も商人も町に住んでいる者は町人あるいは町方と呼ばれた。
・農という概念も存在しなかった。農村部に住んでいる者は農業従事者だろうが職人
だろうが商人だろうが百姓と呼ばれた。
・武士が支配階級ではあったが、百姓・町人は並列でどちらが上下というものではなかっ
た。
・特に江戸時代後期になると窮乏した旗本・御家人は裕福な商人から借金する代わりに
子弟を養子にすることが珍しくなかった。
・医師はどの身分の者でもなれた。藩の御用医師ともなれば上級武士でなければ乗れなか
った籠に乗ることも許された。
士農工商は日本の特殊な左翼思想がもたらした階級闘争史観の勘違いから生まれた 中世ヨーロッパだと以下のような序列なの?
教皇
皇帝・国王
貴族・神父
騎士
商人・農民・職人
奴隷 >>503
皇帝と教皇に本来は上下はない
教皇権が上だと教皇だけは言い続けていたけどね >>503
それと、下の方はメチャクチャすぎて論評できない 士農工商は別の意味でも疑問に思ってる
一番身分が高かったはずの公家は? 江戸時代の人口比率
公家・神官・僧侶:1.5%
武士:7%
百姓:84%
町人:6%
穢多・非人:1.5% 乞食のギルドがあったとは驚きだな
キリスト教による影響か
ローマ時代にはこんなのなかったしね >>495
イベリア半島人は穴があれば、ともかく入れたがる。
東亜のどっかの半島人と同じ思考。 スペインポルトガル人の性欲は超絶旺盛ってことだろ
こいつらの好色って、ラテンの情熱とか、何かと美化されることが多いけどw
イタリア人も似たようなもんだがな >>511
レイプオブ アナ・フリッツという急死したアイドルの死体を
スペインじゃ霊安室で屍姦するという映画作る位だから。 メキシコ人、中南米人の性欲もものすごいぞ
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人口当たりのポルノ消費量は日韓がずば抜けているようです
https://i.gzn.jp/img/2010/06/07/porn_statistics/b08.png 磔にされた裸のおっさんをご神体とするカルトが
世界最大の宗教とか世の中分からんもんだな 親子や兄弟姉妹の近親婚を至高の善とする宗教の国が世界最大覇権だった時代もあるしな 日本人は「世間」とかいう教義もなければ実体もはっきりとしないあやふやなものを崇めてるよ ちょっとレベル低くないか?がっかりだよ。
テトラルキアを経て西ローマ帝国の首都はローマからミラノさらにラヴェンナへと移っているだろ?
なぜか?
それ以前首都はローマからコンスタンティノープルに移っている。
社会生活あるいは経済あるいは安全保障上なにがあったのか?そこにローマ帝国滅亡の鍵が隠されているのではないか?
謎だ。自称歴史家の諸君、語って欲しい。 ミラノか・・その1500年後、失陥でムッソリーニがドイツに逃げようとしたが叶わなかった因縁の場所だな すまんな。
オレは、サイゼリアでミラノ風ドリアを知ったのがミラノとの出会いだ。 ドゥーチェはせめてスイスに逃げ込めていたら助かったのかな >>526
無理だろ
スイスが入国認めるとは思えん
あの状況の連合国の開戦理由になるようなネタに食いつくわけない 西ゴート → スペイン人
東ゴート → イタリア人
フランク → フランス人
アングロサクソン → イギリス人(イングランド人)
ヴァンダル → ??? キリスト教が腐りきっているんだよ
今でも他の文化の価値観を認めずに変えさせようとするじゃん >>529
キリスト教に限らず一神教だとそうなる
自分たちの宗教以外は邪教という考えだし 575名無しさん@1周年2018/05/27(日) 15:16:45.59ID:bqqM7i0g0
群馬県の大泉町は完全にブラジル人に乗っ取られた 。
犯罪発生率、失業率断トツ県内ワースト1。町の留置所はブラ公で溢れ、収容しきれずに近隣市町村に間借り。
ブラ公の大半がナマポで町民税滞納率4割。騒音、ごみ出しルール無視は日常風景。注意すれば無視どころかもっと騒いだり、逆ギレも。
日本社会に溶け込む気ゼロで来日何年経とうが日本語レベル最低。ブラ公の子供の半数近くは未就学で、日本語はおろか母国語のポルトガル語の読み書きすら出来ない文字通りの文盲。
生まれてから学校教育を一切受けずに本能剥き出しケモノ同然で街に放たれ犯罪を犯す。本当にスラム化寸前。
誇張でもなくこれは現実。
早晩日本中がこうなるよ 移民を入れて得するのは企業だけ
行政は社会保障費を吸い取られるし
一般市民は治安悪化の被害を被る >>534
ゲルマン人の方がマシやろ。
積極的にローマ化しようとしてたし。 他の民族みたいに従順に同化してたら西ローマは崩壊してないぞ
ゲルマンは消化不良に終わって暗黒の中世に突入ってのが事実じゃん >>537
結果論だが、ユスティニアヌスは東ゴート王国を滅ぼすべきではなかった >>538
国力の弱ったローマには、関係ないやろ。 ゲルマン人なんてローマ人に対して人口1%だぞ。それすら、消化出来ない位弱ってたんやで。 よくローマ帝国滅亡の原因にゲルマン人の侵入やキリスト教の浸透が挙げられるけど
それよりももっと本質的に大きな問題があるように思う インフレによる経済衰弱
2世紀後半の大疫病
カラカラ帝の市民権バーゲンセール
3世紀の政治指導層の内紛と混乱
衰退の大きな「原因」はこのあたりだな
これですっかり弱まったところでゲルマン津波受けてアウト
というか弱まったからこそゲルマン抑えられなくなった 神父以外読み書きできないから文化水準もどんどん下がる >>546
トドメを指したのがオスマンであって原因ではありません ローマ衰退の原因は強いて言えばイスラム
イスラムにエジプトを取られたのが痛かった
ローマ内で最も豊かな土地だったエジプトを失ったことで往時の勢力を取り戻す体力は無くなってしまった
エジプトを失う前には、一旦衰えても復興は可能だった
(例:ユスティニアヌス)
そして最後にとどめを刺したのもイスラムのオスマン帝国 彼の後に名君が続いたら大帝国として復活したかもしれんが
暗君オンパレードだからな
セルジューク朝にアナトリアを取られたのが致命傷
そして第4次十字軍の占領で余力もほぼ奪われた >>550
あんたの時代には繁栄はしたけど
旧領回復、地中海再統一には程遠いやん 欧州全土を征服したのはローマ帝国以来だとナポレオンとヒトラーくらい 長期的には指導層の引継ぎが上手くいかなくなったのがやっぱり大きそうだな。
2世紀ごろまでは一般的に暴君と言われてる奴ですらやるべきことはやってるし、
内戦になってもすぐに修復されたけど、3世紀からはそういう指導層の団結・継続性が徐々に弱まる。 >>501
江戸時代の初期と後期でも違うみたい。大庄屋とかは儀礼上、小身武士の上に遇されてたのが「百姓身分が武士より上はおかしい」という名分論で下にされたり。
浅草弾左衛門が最初は町役人より上で座敷に通されてたのが、江戸後期に白洲に落とされてるのとも通じる。
>>552
と言ってもシシリーからシリア、クリミアからキプロスに至る領土はけっこう大帝国だぜ 欧州全土を征服した勢力はまだないぞ
ローマ帝国はブリテン島半分でアルプス以北と東欧が不完全、
ナポレオン帝国は北欧と東欧とブリテン、ナチスドイツはイベリア半島とブリテンが不完全 >>558
「欧州」は文化的概念だから、そういう概念がなかった時代に拡張するのは無意味 >>559
それ言い出したら「欧州」の概念そのものがなかった時代のローマ帝国を持ち出すのがそもそも無意味 フランク王国(カール大帝の治世)とビザンツ帝国って
軍事力ではどっちの方が強かったの?両方ともイスラム勢力の撃退には成功してるけど だいたいロシアが文化的に欧州に入るかどうか、ロシア人じしんが伝統的に迷いを感じてきたわけで。
一応ロシア史専攻の院生で、年単位で留学もしてた経験から言わせてもらうと、やっぱりロシアは東欧も含めたヨーロッパとは異質な社会だと思う。
アジアやアフリカとの比較で初めて理解できるようなことも多い。 ロシアが西欧と違って専制的なのはビザンツやモンゴルの影響と言われるが >>563
少なくともドイツ人はロシアのことを「現代のモンゴル帝国」と思ってる
ヨーロッパの仲間とは思ってない
モンゴル人の仲間と思ってる こじつけかもしれないけど、酒への態度なんかロシア人は極めてアジア的なんだよなあ。
酒の上での失敗を「あれは○○がしたんじゃない、酒がしたんだ」とか言って庇ったり、酒に飲まれて羽目を外す人間を却って人間的だと評価したり、なんてのはロシアではよく見るけど、ロシア国境を西に超えるとまるで通用しない。 エリツィンが酒で失敗を重ねても人気が衰えなかったのも、ロシアならでは。
ロシア人はあれを見て「ああ、あいつは俺達と同じ人間らしい人間なんだ」と感じるようだ。
宴席における一気飲みの半強制なんかもロシアとアジアの共通項かな。 >>568
サウジアラビアはアジアではないのですね >>569
地理的概念ではアジアだけど、文化的にはどうかね?
まあ「東アジア」ってことで読み替えてくれ と言っても中央アジア諸国やトルコなんかはアルコール類にけっこうルーズ 一番ルーズなイスラムはジャワ
ジャワのイスラムは日本の仏教と互角なくらいルーズ >>553
ムッソリーニ「最初は俺のほうがヒトラーより格上だったんだぜ・・・」 欧洲2500年来的风云(版图变迁) Europe Map in 2500 years
https://www.bilibili.com/video/av3747754/ ローマ人「コロッセオ作ったお!街道も常に整備するお!」
漢族「漢字を発明したお!万里の長城作ったお!儒教で礼儀を教えるお!」
ゲルマン人「ヒャッハー略奪だーウホウホウホ」
倭人「団栗拾い、埴輪作り」
イタリア人「今日もナンパ!そして俺はニートww」
中国人「どんどん偽物作るぞ!脱線した新幹線は埋めるお!」
ドイツ人「ベンツの性能は世界一ィィだな!どんどん売れる」
日本人「今年もノーベル賞受賞者出るかな」
ふむ・・・ 古代ローマ人、漢代の漢民族はもう異民族に侵略されて混ざり合って
失われてしまっとるからねぇ イタリア語とかラテン語と似ても似つかないもんなあ
まだスペイン語の方がラテン語の趣が残ってる
やっぱり一番西だからローマ人の人口がそれだけ侵入してきた諸民族を圧倒し続けたのかな? 古代に文明が栄えてたところは早くに資源使いつくして貧乏土人に逆戻りよ 夏「色んな民族を吸収したぞ」
殷「漢字の原型作ったぞ」
周「政治の原型作ったぞ」
秦「皇帝制作ったぞ」
漢「儒教を活用したぞ」
晋「実は書道が得意なんだ」
唐「律令を作ったぞ」
宋「科挙で人材を確保するシステムを構築したぞ」
元「曲を作ったぞ」
明「西遊記、水滸伝、封神演義、三国志演義とか小説書いたぞ」
清「康熙字典を編纂したぞ」
中国「GDPで世界2位になったぞ」 >>583
王朝ごとにグレートリセットしてるのが痛すぎた >>580
どっちもフン族/匈奴が侵略したのもすごいよね >>581
東北弁や九州弁の方が関西弁よりも奈良平安時代の言葉に近いという話に通じるものがあるな イタリア語は、フランス語と同じで地方の差違が大きいからなぁ。
北と南じゃ全然違うし、通じにくい。 北イタリア語はイタリア語という括りにはもはや含まれない
ヴェネツィア語も更に異なる >>589
今の標準イタリア語って、トスカーナ方言(フィレンツェ語)だろ? >>581
似ても似つかない、って、例えばどんな点に感じる? >>580
今でも基層となって残ってるのだし失われたというのはおかしくない?
少なくとも今の日本人と弥生人ぐらいには親縁性があるよ >>544
ローマ軍の主力が重装歩兵から重装騎兵になったのも衰退の原因だな
鐙なしで重装騎兵をやれる人材が限られていた
ライン河を守備していたフランク族兵は同じ西ゲルマンのスエビ族を
撃退出来たけどスエビ族にヴァンダル族とアラン族が加勢すると
ライン河国境を突破されてしまった ヴァンダル、アラン、フン、ゲピド
こいつらどこ行った?子孫は今でいうどこの国の人? 日本みたいにほぼ一国一人種で発展していった国のほうが世界的に見ても稀だからな
どの国も複数の人種が重なり合いながら混血していって現代に繋がっている
ヨーロッパのどの国もそいつらの子孫はいると思うよ 純度の高い文明はメソアメリカだけ、文化レベルならアボリジニか
ポリネシアンはメラネシアンの影響も深いだろうし、サハラ以南の西と南も色々だろうし
日本は南方北方原モンゴロイドと寒冷適応したモンゴロイドのミックスが、たまたま地理的政治的要因で千年以上続いて均質化しただけかと >>596
既に言われてるけども
現代の日本人の人種的な理解は、北方と南方の混血だ
1人種とか幻想 >>549
鐙の普及によりイスラム帝国が実現した
鐙の普及によりアラブ人はイラン人と互角になった
パルミラの重装騎兵はイラン系遊牧民の傭兵だったけど
アッバース朝創建のホラサン軍はアラブ兵が主力だった >>551
テマ制が崩壊したので大帝国として復活する事は不可能
共和制ローマのイタリアでは兵士兼農民が没落して
兵士になったのでローマは大帝国に発展したけど
中世東ローマのアナトリアでは兵士兼農民が没落して
農奴になったので兵士が激減した >>598
それは今時教科書にしか書いてないようなカビの生えた話だぞ
ハプロ的に見ると日本人はアイヌと同じD1b系統と北方モンゴロイドの混合で
かつて想定されてたような長江からの人種移動はほとんどなかったことがわかっている
日本みたいに有史以来に人種形成が成立して地域間のハプロ分布がかなり均一化してるのはレアケース
大陸国家だと地域でまるで違ったり現在進行形で通婚や移動で変動してるのが普通だからな 2000年前イギリス人はどこにいたの?って言われてもうーんってなるよな
フランス人、スペイン人とかも
まだ形成段階でしたとしか >>603
なーに言ってんだか。世界史をもっと勉強しろよ。
国民国家は近代の産物。日本人なんて明治以降しか出てこないだろ。
イギリス人、フランス人、スペイン人、イタリア人、ドイツ人も皆同じ。
今でもその影響は残っている。オレは「コーンウォール人」とかガスコンヌ人、バルセロナ人、
ミラノ人、ザクセン人なんていってるだろ?国家統一の中心になった地域の人々が代表的な人々なんだろうが、
EUとしてまとまれるのも、連合過程の伝統を有しているからだろうな。 スレ違いの事を話すな
遺伝子の話は遺伝子のスレ立ててやれ! 14世紀央に欧州の人口の3分の1超を殺した黒死病(ペスト)は、鼠が媒介したのではなく、
ヒト(の体や衣服に生息する蚤や虱)が媒介したことが分かった。
http://www.bbc.com/news/science-environment-42690577
考えてみりゃ、当時でもヒトの行動半径の方が鼠より大きいんだから当然か。
これで、何世紀にもわたる汚名を晴らせた鼠。 ネズミがいないアイスランドとかにもペストが流入しているし
そもそもヨーロッパのペストは北アフリカや中東で猛威を振っていたペストの余波だし 西暦元年に推定人口500万のエジプトが19世紀初めで400万は不穏過ぎ そりゃ長年ヒャッハーが続けば普通に起こり得るだろw スレ違いの事を話すな
伝染病の話は伝染病のスレ立ててやれ! マサイ族はライオンを狩るんだぜ
アイヌもヒグマを仕留めていたようだ
古代エジプトではナイルワニをペットとして飼育していたとか ネロ、カラカラ、ウラド、スターリン、チャウシェスク カエサル、アウグストゥス、シャルルマーニュ、ナポレオン、ヒトラー ミカエル
マイケル
ミッチェル
ミシェル
ミハイル
ミゲル ウォッカで体や物を消毒する習慣のあるポーランドはペストの被害が少なかったみたいだね。 そうなると酒を禁じているイスラム諸国は
ペストの被害が大きそうだね 【イタリア】620人乗る移民船 イタリア新政権が受け入れ拒否 批判相次ぐ
カダフィの言ってた通りになったな
リビアという絶好の防波堤があったのにそれを潰せばそらそうなる ローマ帝国やヴァンダル王国もベルベル人の侵入には悩まされたいたようだね アフリカも古代はエジプトやカルタゴなどの文明国があったけど
今は土人国家しかないな・・・ つか移民難民って不思議とトルコやサウジとかの同じイスラム圏の国には行かないのな
サウジとかオイルマネーですごく豊かだと聞くし、下手にキリスト教国に行って底辺奴隷になるよかいいと思うが 移民も1世まではいいんだよ
生きるために来てるから奴隷待遇の労働にも耐えてくれる
問題は2世3世から
日本人と同じように贅沢言い始めるし、下手すりゃギャング化する >>626
同じイスラム圏でも宗派が違うと、差別がえげつなくひどくて全く人気ない。そっちのほうがマジな奴隷コース
それより博愛主義的EUの方が移動先として大人気
特に最初の内は家くれるとか、言語習得のための教育コース付きとか手厚かった >>626
トルコにはすでに大量の難民が押し寄せている。
んでヨーロッパの有名アパレルブランドの下請け工場が難民の子どもを最低賃金以下で働かせたりしている。 >>626
湾岸諸国やサウジには出稼ぎ労働者は沢山いて、その待遇は先進国の底辺労働と同じ
これはNHK特集とかでも放映されているし、日本でも結構情報があるはず
考えられることは、難民を受け入れると出稼ぎ労働者と結びついて社会が不安定になる
からではないかと思う
シリアの人も、アサドの世俗独裁は気に食わなくても、サウジのハンバル派はもっと嫌だろうし、
シーア派やクルド人なんかもサウジにはいきたがらないだろう 雪崩込んでくるゲルマン民族にとって、ローマってよっぽど待遇よかったんだろうなあ。
いずれアラリックのローマ劫掠みたいなことがEUで起こるだろうね。
いまのEUにスティリコ将軍はいるだろうか。 スティリコ将軍という事はアメリカかロシアから派遣される軍人だな
テオドシウス1世がフランク族出身のアルボガステス将軍を倒して
代わりに西ローマを統治させる為に派遣したのがスティリコ将軍 むしろ逆で東ローマではフン族のほうが税金が安いから民衆が率先してフン族呼び込んだりしてた
ヨルダネスによると捕虜の待遇もよかったので東ローマ兵もアッティラのシンパになる奴が多かったんだと 西ゴート族がバルカンに逃げ込んだ375年頃には
アッティラはまだ生まれていない
当時のフン族が過酷だったので民族移動になったのでは アッティラに指輪を送ってしまったホノリアは行方不明なんだよな
どうなったんやろ >>635
ディオクレティアヌス以降は皇帝がササン朝を模倣して
奢侈になったのでローマ帝国は重税化していった
コンスタンティヌス1世とマクセンティウスが西で自立していた時は
西の負担は軽減されたけどコンスタンティヌス1世が再統一して
コンスタンティヌス1世が東の皇帝になってしまうと
西は東に一方的に搾取されるようになったので
西は帝国からの離脱指向が強まっていった そんな搾取するほどの富やら生産力が西にあったのかね?
地中海世界は文化でも生産力でも西高東低でしょ >>640
言いたいことと結論が逆や
西低東高だろう、それを言うなら ブリタニアとか北方は貧しいだろうけど
北アフリカなど地中海沿岸は富裕だったのでは ガリア、イスパニア、アフリカも元老院層が出るぐらいには豊かだが交易のうまみがないのが痛いな >>635
フン族はローマとだけ戦えばいいが
ロボットはフン族に加えてゲルマン人やペルシアとも戦わねばならないから。 >>643
西ローマはヴァンダルにアフリカの穀倉地帯を取られたのが痛手 世界三大料理
フランス料理 分かる
中国料理 まあ分かる
トルコ料理 !?・・・ケバブ? >>647
・・・何もわかってない。
フランスて、エスカルゴ。って答えそう・・・。 ローマ帝国が滅んで欧州の文明は一旦リセットされたんだよな
フランスの中世とか食べ物を手で鷲掴みして食べてた
あるイタリア出身の貴族の女がスプーンやフォークを伝えたんだとか >>632
ローマが滅んで元の文化・生活水準に戻るのが1000年後
暗黒の中世は長い スターリン 鋼鉄の人
毛沢東 紅い皇帝
ポルポト キリングフィールド
カダフィ 中東の狂犬
金正日 21世紀の世界の首領 >>646
ガリアとイスパニアとブリタニアがセットで
イタリアはアフリカとセットだったね
ガリアが西ローマならば
イタリアとアフリカは中ローマ 476年 西ローマ帝国滅亡
1453年 東ローマ帝国滅亡
1806年 神聖ローマ帝国滅亡 >>654
1917年 「第三のローマ」滅亡
1922年 ルームカイセリ滅亡 >>652
スターリンのあだ名が鋼鉄の人なんじゃなくて
スターリンという名詞が鋼鉄の人という意味なんだぞ レーニン 信長
スターリン 秀吉
フルシチョフ 家康 信長の苛烈さは有名だけど、統治者としては秀吉の方が独裁的なんだよな 信長は武家社会に経営センスを取り入れて中世を近世に変貌させるだけの大改革ができた優秀な初代で
部下の明智反乱以降は初代のつくった組織をだれが踏襲するかの争いでしか無いから創造ではなくただのパワーゲーム >>658-659
この辺、最近の学説だとほとんど全部否定されてるけどね
むしろ江戸幕府の政治システムの構築は織豊政権(つまてか、これもほとんど豊臣政権のものだが)から引き継がれたものより独自なものの方が圧倒的に多い
ここ日本史板じゃないから細かい話はしないが ローマ皇帝は実力でその地位になったが
中世の王侯貴族は世襲だな
コンスタンティヌスに始まる王権神授説とゲルマンの部族制が由来かね だからローマ皇帝には民衆の代表という性格があるんや
軍と民衆の代表が皇帝で、伝統的特権階級代表が元老院 ゴート戦争でSPQRが消滅してイタリアは完全に中世になった イタリアだけやのうて東のほうでも名ばかりのSPQRになってもうたけどな
「民衆」という役職の役人が皇帝を推戴するという茶番や 軍人皇帝時代から一兵卒から成り上がりの皇帝が多くなったけど
この成り上がり皇帝らはササン朝を手本にして専制君主化して
彼ら自身も元は民衆の一人だったけど民衆に手加減しなかった 専制君主制度(ドミナートゥス)が始まったのはディオクレティアヌス以降
軍人皇帝時代に皇帝の沽券が大暴落したことに対する反動 プロ野球選手とかでも金遣いが荒い人は引退後が悲惨なことになるとか・・・
人間なかなか一旦上がった生活水準を下げられないからね 西ローマ帝国が崩壊して数十年で高度で文明的な生活から先史時代の土人レベルに逆戻りか
当時のローマ人たちはどんな気持ちだったんだろう・・・ 現代人にいきなり江戸時代の生活をしろと言われても厳しいだろうな ポル・ポト
「たとえ親であっても社会の毒と思えば微笑んで殺せ。」
「腐ったリンゴは、箱ごと捨てなくてはならない。」
「知識人は余計な知識が多すぎるし、金持ちは財産に未練があるので「改造」には適さない。
最も改造しやすいのは、捨てるものが何もなく、知識もない、貧乏で純粋な農民や底辺の労働者だ。」
「国を指導する我々以外の知識人層は自国には不要」
「我々は独自の世界を建設している。新しい理想郷を建設するのである。
したがって伝統的な形をとる学校も、病院も要らない。貨幣も要らない。」 「地球にやさしい生活」を標榜する人間は、自分以外のすべてに未開的な生活をさせて悦に入るだろうて 文明崩壊後の人間達にとって、先祖が作った大型建造物や美術品はどう見えたんだろうか
「我々の先祖は魔法使いだった」とか思ってそうだ
技術衰退後のイースター島の住人もモアイは先祖が魔法で作ったと思ってたみたいだし ならエジプト人はピラミッドの事をなんだと思ってたのか? しかしクフ王のピラミッドはヘロドトスの『歴史』にクフ王が建造したと書かれているから、のちの時代にも神的起源に帰することはなかったようだが。
そもそもエジプトはローマ帝国に征服された後もどころかイスラム教化してさえも、地域の文明の中心であり続けたし。 ローマ帝国のリーメス→悪魔の壁
ミュケーナイ文明の城塞→キュクロープスの家 元寇
厳島の戦い
桶狭間の戦い
第二次上田合戦
日露戦争 ベトナム戦争は?
敵味方の国力差でいったら史上最大の戦いなんじゃない? >>683
ベトコン側だってゲリラだけじゃない
北ベトナムが付いてたし、さらにその後ろに中ソも付いてた
その上、西側諸国の反戦派まで味方に付けたんだから実は対した戦力差は無かった
もちろん、ベトコン単独ならとても勝ち目は無いが、強い味方を付けた戦略の勝利 ゲルマン人も森林におけるゲリラ戦でローマ軍を撃退したようだ 生まれた国、人種、親から受け継いだ遺伝子・経済力・家柄で人生の8割が決まるね
後の2割は努力と運 アルミニウスは相手がゲルマニアに不慣れなヴァルスで運が良かった
将軍時代のティベリウスが相手だったら負けてた可能性が高い
それ以前に戦わなかったかもしれんけど ドイツ製は高品質・高性能だけど、故障しやすくメンテに金がかかるのよね
ティーガーしかり、ベンツしかり・・・ フィンランドみたいな小国との戦いでソ連が大苦戦するのを見て
あれなら俺たちでも余裕で勝てるんじゃね?wwとヒトラーが思ったのも無理はない >>690
ローマ史の戦上手で思いつくのは
スキピオ、カエサル、トラヤヌス、セウェルス、コンスタンティヌス、スティリコかな >>689
生まれる場所や親をしっかり選ぶことも自己責任 キリスト教 磔にされたおっさんの裸体がご神体
イスラム教 死んだら美処女とセックスし放題
世界はカルト宗教の信者が過半数なんだよな >>697
おっさんは水面上を歩いたり生まれ変わったり様々な奇跡を起こせるのに
ちんこは勃たないんだぞ >>6
李氏朝鮮は上流階級が文字読めるだけまだマシ
中世ヨーロッパなんで神父以外文盲なんだぜ
庶民だけでなく貴族もな
あのカール大帝ですら文字が読めなかったそうだ 唐の時代にキリスト教が中国に伝わってたのが驚き
ネストリウス派だけど >>701
誰か気になる
つか中国があって良かった
もしなければ中央アジアどころか東アジアまでイスラム化してただろう
インドなんでイスラム勢力によって仏教が死滅させられてるし >>703
イスラムは印度ですでに死に体だった仏教にトドメは刺したがイスラムのせいで仏教が衰退したのではない キリスト教徒とユダヤ教徒は同じ経典の民だから見逃されてるんだっけ? 中央アジアだとシャーマニズム
インドだとヒンドゥー教と共存してるからな
啓典共有してるからとか所詮は方便よ ムガル時代の話
街にヒンドゥー教徒がウジャウジャ居るのを見て憤慨したウラマーが皇帝に抗議するために宮殿に赴いた。
「偶像崇拝者だらけではないですか。
なぜ偶像崇拝をもっと厳しく取り締まらないのですか?」
皇帝は答えた。
「ここインドでは彼らが多数で我らのほうが少数なのだ。
そんな強引なことをやっても上手く行くわけがない」 ゾロアスター教やマニ教みたいに絶滅した宗教もあるのよね マニ教はほぼ絶滅したけど、ゾロアスター教は絶滅してないよ。アメリカにも信者いるし。 中東でもイラクやシリアあたりにキリスト教徒は意外とちらほらいる
ISに教会を襲撃されてたけど ゾロアスター教、ミトラ教、マニ教、キリスト教ネストリウス派、ヤジディ教、ザービア教 処女信仰はマリア崇拝がルーツか?
ギリシャ・ローマ時代は性に寛容だったらしいけど >>697
イスラムの天国は72人の超絶美人の処女と気持ちのいいSEXし放題らしいな
どうやってこんな天国思いついたんだ?
天使がムハンマドにそう告げたんか?w 魔法使いと僧侶ってRPGでは普通にパーティー組んでるけど
本来なら敵同士なんだよな マリア崇拝なんて屁でもないくらい遥か昔からあるよ
有名どころではギリシャ神のアテナやアルテミスやローマ神のウェスタとか
あとローマは確かに性に開放的だったけど
いっぽうで「女は結婚するまで処女のままでいるのが良し」って伝統的価値観もあった キリスト教の影響で一夫一妻制になったというが
ギリシャ・ローマ時代から基本的に奥さんは1人か多くても2人か3人程度だったと思うの たしか女性は不浄な存在(マ○コを指す)ってのが
キリスト教にはあったはず。
だから高い位の聖職者程は、穢れのないショタの方にいく アイドルはウンコしないと思ってた時期がありました
でも秋豚のおかげでいつでも会いに行けて安っぽくなり神性がなくなり、
おまけに彼氏との交際多数で所詮ただのまんこであることが露呈
神は死んだ・・・ >>720
さよう女は不浄
よって不浄と交わった男も不浄の存在になり
その穢れた男は聖職者たる資格を失う
子供と童貞処女は神の所有物である イスラム教は酒と豚肉禁止とか人生損してるよな
ワインもビールも日本酒も飲めないし、トンカツも豚の生姜焼きも食えないなんて・・・ 中東の豚には寄生虫が居て食って死ぬ奴も多かった
それでムハンマドが禁止した >>713
ミトラ教とマニ教は滅んでしまったね・・・南無 >>724
ムハンマドの時代のアラビアではアルコール飲料は
「最近アラビアの外から入ってくるようになったドラッグ」みたいな認識だったらしい。 >>718
法制上は一夫一婦制だけど形骸化してて互いの妻を寝取り寝取られで
乱婚状態になってた
だからアウグストゥスの時代にユリウス結婚法なんてもんが作られたわけ >>703
いや、中国は特に対イスラムで手柄立ててないし
現在進行形の紅い中国が一番頑張ってるレベルだぜ…
遠方故に本格的なイスラム勢力侵入がなく助かったに過ぎない
中国なかったらモンゴル人とかチベット人が超大勢力化して遮るだけでしょう
もし近くにイスラム帝国があったらインド以上にやられていた可能性は十分にある
実際一番西寄りのトルキスタンはイスラム化、漢土のイスラム人口も相当なものだし そもそもマホメットは飲み過ぎないように、くらいの事しか言ってない
アルコールが禁止されるようになったのはマホメットの死後数百年たってから ビールってドイツのイメージだわ
ローマ人は専らワインを飲んでて、ビールは野蛮人の飲み物として格下扱いだったらしい
今でもワインの方が高いしね かつてイベリア半島やオスマン帝国ではキリスト教徒とイスラム教徒が共存していた イエス、ムハンマド、釈迦の子孫っているのだろうか?
孔子はかなりいるけど ローマ以前から続く、ケルト&ゲルマン系の神々を聖人として残したのは、苦心の証だなぁと思う。 >>736
ヨルダンの王家はムハンマドの子孫の血統じゃなかったか
直系ではなく傍系だろうけど 帝国の夢か。つぶれていったね。帝国(帝大)インフラだけは
止めてほしかった。 >>725
自分は「軍隊の統制のために美味い豚肉食うのを禁止した」説を根拠もなく支持する >>734
十字軍国家も
トップがキリスト教徒なだけで被支配層は現地の農民だからな
とくに改宗を強制したりもしていない 根拠もないのにどうやって支持するんだ?
よくわからん理屈だな
豚食のタブーはカナン人やイスラエル人にもあるのでイスラムも在来の習慣を引き継いだだけだろ
そもそもイスラム教では本来戒律に強制力はない(クルアーン2章256節)
それだと社会が成り立たないからこの項は死文化されてるけどな >>730
吐蕃って山奥の僻地なのにどうやってあそこまで強大化したんや? >>742
中東にはキリスト教徒もちらほらいたし、今もいるけど
中世ヨーロッパの英仏独とかムスリム皆無やね
イベリア半島でもレコンキスタで一掃されてしまった
そもそもキリスト教徒同士で宗教戦争や異端審問・魔女狩りやってるくらいだし
異教徒が入り込む隙間はないな イスラム時代のイベリアにもキリスト教徒はたくさん居たのに
レコンキスタ後のイベリアにイスラム教徒が全く居ないのはどういうことだ? 偽装改宗者として沢山いたけど徐々に改宗。
それでも19世紀とかに宗教の自由が保障されると自称イスラム教徒を表明した人間もいた。
日本で隠れキリシタンが明治時代に表に出てくるのと同じ。 モロッコ人とかスペイン人とあんまり顔つきが変わらんような気がする 偽装留学生の中国人が作った偽造テレカを売り捌いていた頃のイラン人は集団でチャーシューメンを頼んでいたが
「禁断の味」と言っていたので確信犯
法の縛りが無けりゃ、まぁそんなもんだ 偽造レテカをうってたかどうかは知らないが、歌舞伎町で露天商をやってたイラン人や
イラン料理店の同じにきいたところでは、飲酒はイランを離れればいいといっていた。
豚肉系はキモチワルイと避ける人と気にしない人にわかれてたきがする。
イスラム法は属人主義のはずだが、イランは意外に世俗的
日本にきてもイスラム風習に熱心なのはパキスタンとかバングラ系に多い印象 >>751
モロッコでも追放されて一部はイベリア半島に戻ってきたw イラン人は、本当にイスラムに関しては適当だよ。酒飲むわ、豚肉食べるわ、ナンパするわで面白すぎる。
イラクとは宗派も言葉、文化も違うので仲悪いって言ってたな。
ちなみにイランにはスキーゲレンデもある。 イスラムが一番緩いのはジャワ
日本の仏教と互角なくらい緩い スキーゲレンデならモロッコにもドバイにもあるな
ドバイのは屋内の人工スキー場だが >>756
酒を飲むのが間違ったイスラムなのかも不明だろ。
酒に酔って礼拝するな
酒を飲んでもいいが酔いすぎるな
酒は駄目だがアルコール消毒とかならいいよ
アルコール消毒も駄目だ イランはWW2の頃からパーレビの脱ア(ラブ)入欧でヒジャブ禁止にも慣れ始めた状況でホメイニ革命
ズボンと土曜半ドン日曜休みに慣れた明治末期日本で佐幕派革命が成功して、チョンマゲ和服姿で天保暦の数勤一休に戻されることを想像したら良いかもな >>725
ユダヤ教が豚肉禁止でしょ。
ユダヤ教の方が禁止食品は多いくらい。
マホメットが独自に禁止したのは酒でしょ。
高温乾燥地帯のアラビア半島で酒飲み過ぎだら、
簡単に脱水症状起こしてしまうから。 そういえばユダヤ教は食い物については最も戒律がうるさい宗教と言われてるな >>757
アルバニアもずいぶん緩いんだそうな
ムスリムを自称しつつ豚串を肴に酒盛りしたり家にイコン飾ったりっていう人が普通にいるんだと
まあそういう大らかさもいいものだな >>765
オスマン帝国時代に形だけイスラムになるだけでジズヤ免除が、
半ば公認でイエスもイスラム教の預言者の一人だから、
改宗後にイコンを飾るのも見逃されてた。
イスラム側としても人間の肖像画飾ってると認識してた。 緩いと言えば昔のアフガンも大分緩い
バーブルナーマだと普通に酒宴してるし男同士の恋愛も当たり前 >>765
正月は神社で参拝して、キリスト教徒でもないのにクリスマスを祝って
坊主を呼んで葬式を行う日本と同じくらい緩いな >>730
実は唐代にキリスト教ネストリウス派(景教)が伝わってるんだけど、
弾圧されて消滅したよ。
清代の雍正帝の頃でもキリスト教の布教の全面禁止が言い渡され、宣教師が来れなくなった。 キリスト教はローマ帝国という強大な敵がいたから300年くらいかけて少しづつ広まった感じだが
イスラム教は天敵もいなかったから短期間で爆発的に広まった >>765
アルバニアは共産時代に無神国宣言して全宗教禁止、モスクも教会も閉鎖したから
その間に宗教の戒律も消滅したんだろう ジハードで死んだら72人の美少女の処女とセックスし放題とか(毎回膜は修復する)
ムハンマドもよく思いつくもんだわw >>772
しかもその容姿は各人の趣味に応じて最も魅力的なのだ姿だそうだ
つまりもし俺がイスラム教徒になって天国に行ったら72人の処女は全員幼女ということだ >>771
もともとオスマン帝国自体が緩い感じの国だったのだけどね
その気風が辺境に残っただけの話
あとアルバニアでは19世紀に入っても首狩り風習があったりかなり土着の弊習も残存していた 死んだ時の年齢で天国に行けるなら、20代でジハードしないと >>775
いやイスラムの天国では男性は32歳(たしか)で固定になる
当時の考えでは男性が最も魅力的になる年齢なんだと
あと72人の相手をする精力を授けられるので、そこは心配ない
イスラムの教義では9歳から結婚相手としてOKなので、幼女スキーにも対応 アステカでは神の名を持つ英雄は生贄に捧げられるまでは女神の名を持つ女性とセックスし放題で女神は中の人が変わるから処女が蘇る
エインヘリャルとかと同じ、英雄の神化にまつわる風習が教義化したものだろう アケメネス朝もアレクサンドロス大王もササン朝もモンゴル帝国も
インドまでは行けなかったな ナポレオンもヒトラーも今WCドイツ代表もモスクワまでは行けなかったな 結婚できる年齢が9歳ってだけで初潮が来るまで性的合意年齢に達したとは
見做されないけどな
そもそも結婚=性的合意年齢ではない
日本でも成人と未成年は結婚できるけど性行為は認められてない 個人差もあるけど人間一度生活水準が上がってしまうとなかなかそれを下げるのは難しいんだよな
引退後のプロ野球選手や芸能人でも現役時代の金遣いの荒さをやめられずに破綻する人もいる カエサルはイエスとは相いれなさそうだけど、ムハンマドとは仲良くできそう >>779
ナポレオンはモスクワを占領したけど撤退せざるをえなかった >>770
>>774
ローマ帝国も宗教には結構寛容だったけど
キリスト教徒は皇帝崇拝を拒んで支配に抗いまくってたから迫害された 今回はスウェーデンがモスクワまで来た
ナポやヒトラーより前に、カール12世がピョートルを滅ぼしていれば
ヨーロッパとアジアの多くの国々にとって大災厄のロシア帝国やソ連も無かっただろうにな
惜しかった。。。 東ローマ結構強くね?
ユスティニアヌスによる大征服
ササン朝とのガチバトル
イスラム海軍をギリシャ火で丸焼き
キエフ大公国の侵攻を重装騎兵と艦隊で撃退
ブルガリア帝国を滅ぼす >>776
精力が授けられるってことは乙武でも手足生えて肉バイブ状態から脱したりするんかなあ? >>771
アルバニアの独裁者ホッジャも、一つだけいいことしたなw
毒を持って毒を制す、か。 イスラム教徒は死んだら天国で72人の美少女の処女とセックスし放題とか(毎回膜は修復する)
ムハンマドもよく思いつくもんだわw ロシアで舗装化が進まないのは冬の凍結でアスファルトがひび割れるから
諦めて石畳にすればいいのに >>794
ロシアに限らず冬季に寒いところは舗装できない。
ウクライナ、フィンランドとかでも同じ
石畳だとコストが掛かる。砂利道が関の山。 旭川民だが、毎年のようにアスファルト直してるのは税金無駄使いじゃなかったのか クマは世界中に生息しているが、野生動物の宝庫であるアフリカにだけはいない。
一時、ヒグマの亜種であるアトラスヒグマというクマが、アフリカ大陸北部アトラス山脈付近に生息していたことある。
現在でも時々、目撃証言があるが、アトラスヒグマは1870年代に絶滅したと信じられている。
ローマ時代にも、アトラスヒグマの数はかなり減少したらしい。
というのもコロセウムでかなりの数の動物たちが見世物の格闘に使われたからだ。
ケニアでは、謎めいたナンディ・ベアというクマがいると言われているが、
アメリカのサスカッチやヒマラヤのイエティのような大型の未確認動物である。 >>800
ナンディ・ベアはカリコテリウムの生き残りだと言われている
カリコテリウムは奇蹄目の草食動物で新大陸のオオナマケモノの
旧大陸版だったと推定されている
おそらくアフリカにクマがいなかったので人類は進化出来たのだろう
クマがいたら猿人やゴリラとかは存在しなかったのでは?
新大陸には巨大なショートフェイスベアとかがいた マサイ族はライオンを狩るんだぜ
アイヌもヒグマを仕留めていたようだ 歴代の皇帝を調べると暗殺されてる人ばかりやん
それでも皇帝になりたいのかね? 中国も皇帝でも意外と結構殺されてるんだよな
完全に皇帝専制になるのは宋代くらいから 専制君主と言われるビザンツ皇帝でも目とか潰されてるから恐い・・・ >>771
いや、もともと社会一般で戒律の解釈が緩かったからこそ、そんな(はっきりいって非現実的な)宣言が出てくる余地があったんでもあって
党や政府の唱える無神論国家宣言に対しても
「ふーんあっそ そんながちがちのつまんない宣言、本気で信じるやついるとは思えないけどさ こっちはこっそり神様にお祈りさせてもらうわ」
って、一般の人たちは冷めた目で思ってたんだろね
でも、もしも、もともとが今の実際くらい緩くなかったなら、今では振り返しが大きくなり過ぎてがちがちの厳律路線になってるはず もしアルバニアが元々イスラムの厳しい社会やったら
共産党も「無神国宣言して全宗教禁止モスク閉鎖」なんかできんかったやろな
そんなことしたらジハード戦士が何するかわからん
共産党かてそんな怖いことようやらんやろ インドではヒンドゥー教だけがカースト制度を肯定しているが
例えばイスラム教とかシーク教とかの他宗教に改宗すれば、カースト制度が適用されなくなるのか? >>774
アルバニア北部は今でもよくわかんない奇習残ってたりするしな
仇討ちとかもあるし >>811
改宗したところで親から同じ仕事継いでる限りは社会的な立場は同じなんとちゃう? 「改宗すればチャラ」という考えから
仏教に改宗した人々はいるらしい。 >>811
ヒンドゥー的にはイスラム教徒というカースト、シーク教徒というカースト、仏教徒というカーストなのだそうだ
そんなふうに考えられてるんじゃそらイスラム教徒はヒンドゥー寺院襲撃もするわ インドの農村部は今も中世かもしれないなぁ
基本的人権の尊重に基づく近代民主主義から
権威主義体制に雪崩をうって移行しつつある
欧米日中は新しい中世に突入しつつあるしね また中世が来たとして、いま現代と呼んでいる時代は何と呼べばいいのだ >>818
> 権威主義体制に雪崩をうって移行しつつある
> 欧米日中は新しい中世に突入しつつあるしね
何のことかわかんない 死刑の場合
無敵の人「上等だぜ!こんな糞みたいな世界とはおさらばよ」
無期懲役の場合
無敵の人「衣食住無料提供ウマ―www」
どっちも効かないんだよな・・・ >>818
インドは封建制ではないし
欧米日中も封建制になりつつあるわけではない
中世≒封建制時代 やぞ 金持ちを権力者とした拝金権威主義と中世的人権意識化でも言うのなら、言いたいことは理解できなくもない 金持ちを権力者とした拝金権威主義こそが議会制民主主義の本質なんだけどね
マルクスの唯物史観によると 金髪でスタイル抜群の白人のお姉さんが歩いててビビった
観光地でもないただの片田舎なのに
この地域の外人といったら工場勤務の東南アジア人ばかりだからまず見ない人種だわ 英会話スクールの先生なら田舎でも白人美人やイケメンいるよ 明確に封建制度があったと確認されているのは欧州と日本だけで古代中国の王朝である周で行われていた封建制は厳密な意味で欧州、日本の封建制度とは異なる いまだにそんなカビの生えたこと言ってる奴いるかな
「職の体系」を封建制というのは無理がある >>697
古代ギリシャの多神教 最高神が姉を妻にしてて見境なしに女を誘拐&レイプ、そのうち女に満足できなくなってショタまで誘拐 >>3
ふむ
毎日新聞 2018年7月10日 11時35分(最終更新 7月10日 11時35分)
https://mainichi.jp/articles/20180710/k00/00e/040/256000c
西日本を中心とした豪雨災害で土砂災害が相次いだ広島県呉市は、
周辺市町とつながる主要道路の大半や鉄道網が寸断され、
中核市の市全体が「孤立状態」となる異常事態に陥っている。
市では10日も真夏日が予想されている。給水や物流が滞っており、
約23万人の市民生活を脅かしている。 日本だと
白人とのハーフはブランド扱いで
東南アジアとかとのハーフは格下扱いみたいな感じだけど
海外でもそういうのあるの? 古代ローマじゃハーフであろうと生粋のゲルマン人であろうと、ローマ帝国に住んでるものはローマ人、という定義にまで至ったものだ。
むしろ人種的な生粋のローマ人というのが実態として存在しなくなっていたというか。
それでは枠組みとしての「ローマ帝国」が壊れたら、実態に即した自己認識になるよなあ。 >明確に封建制度があったと確認されているのは欧州と日本だけ
語源が古代中国の封建なのに、この議論はちょっとへんなかんじ。違うならば、欧州と日本の制度の訳語の方を変えなくては
あとIndian Feudalismでアメ尼検索すると何冊も出てくる 変な感じも何も世界史の授業のとき、両者の違いは習うはずだけど。
真面目に先生の話を聞いてたら誰でも知ってるような話なので、わざわざ定着した語を変える必要はないと思う。 「封建」は周の制度なのに「あれは封建ではない」はないやろ >>839
じゃあお前だけフューデルシステムって言ってろよ インディアンはインド人という意味なのに「アメリカ先住民はインド人ではない」はないやろ
というぐらいアホ >>832
古い議論ではあるが別におかしくはないだろう
西欧封建制の封だって職と似たような性質があるし。 >西欧封建制の封だって職と似たような性質が
デリーサルタナット時代のジャーギールダールは? 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
J54 黒人の国で古代から現代まで独立国だったのはエチオピアくらい 西ヨーロッパと日本の封建制度の違い
前者は大土地所有者の土地私有権をより高位の封建領主が保障する代わりに
軍役などを負担する義務を負う
起源は古代ローマ末期のベネフィキウムに求められ当初は封建領主が聖職者や婦人や下層民を経済的に保護する制度だったが
カロリング朝時代からは配下の軍人に土地を与え軍役を負担するだけの力をつけさせる制度に変貌した
後者は院宮王臣家(在京貴族)らが田堵(富農)を名主や荘司という職に補任する代わりに土地の用益権を一部認める制度
基本的に土地の私有権は貴族に握られており現地領主は京から下向してきた代官(受領、預所)の統制下に置かれ土地を没収されることもしばしば
日本の場合は分権的に見えて実質は中央による地方支配の延長線上
実際に経営にあたってる在地領主の力が強くないという点で西ヨーロッパと異なっている >>847
『富農層が、土地を開墾するなり奪取するなりの行為』が先にあって、
その土地の実力支配を、隣人や直上の勢力の侵害から守るため、
更に上の貴族にいわば「上級所有権」を寄進して、その反対給付として土地の果実収受権を保証してもらうのが、
「職の体系」の基本なんじゃないの?
この反対給付の当事者が、京都の貴族から武家の棟梁に徐々に移動していく。
前近代日本はローマ法の概念を全く知らないから、物権の形にならないだけで、
実際に起きてることは西ヨーロッパとあんまり変わらないような気がするんだけど。 >>847
西欧封建制の封だって、職と同様に古代国家の国家公権が家産化したという側面があるんだぜ?
中央と地方の力関係は地域や時代によりけりで、ノルマン・コンクエスト以降のイングランドみたいな純粋に近い封建制が実現したから中央の力が強い、みたいな例もあるし。 あと、西欧封建制だって、皇帝フリードリヒ1世がハインリヒ獅子公の全封地を没収したように、ときと場合によっては中央が「地頭の改替」を敢えて強行することも可能だったわけで。 日本の封建制が完成したのは近世江戸時代で、戦国時代〜織豊時代に完膚なきまで国衙領と荘園が踏み潰されてるってのがすっぽり抜け落ちてるのすげえな
鎌倉時代の最近の研究に引きづられたか? >>851
>日本の封建制が完成したのは近世江戸時代
これが必ずしも自明じゃないから。
江戸時代が封建制かどうかは講座派と労農派の主要な争点の一つだったし、現代の学界ではそういう論争そのものが無意味なものとして
蒸発しちゃってるから、結局江戸時代が封建制かどうかというテーゼに関しては権威ある見解というのが存在しない。 >>848
>この反対給付の当事者が、京都の貴族から武家の棟梁に徐々に移動していく。
この時点で間違ってる
「武家の棟梁」である征夷大将軍の「職」にしても「将軍宣下」によって天皇から補任されることによってはじめて効力を持つ
守護大名の領地である守護領にしてもその権益を保証してるのは将軍ではなく「領家」と呼ばれる貴族
>>849
そもそも「職」は家産じゃない
家産といのは親から子へというふうに伝えられるものだが「職」は上位の者が下位の者に与える権利であり「家」を媒体としてない
長くなるので詳しくは永原慶二の著作を読んでほしいがこの「家産」という概念が完璧に浸透するのはようやく豊臣政権に入ってからなんだよ
>>850
それはイタリアへの遠征を断るという重大な契約違反を犯したからだろ
「国家は罪を犯した当人の土地家屋を没収することができる」のと「国家はいついかなる理由でも土地家屋を没収することができる」のでは全く違う
後者は私有権の概念が希薄であると言わざる得ない 日本の「職の体系」をヨーロッパに例えると没落してもなおもローマ皇帝とセナトール貴族が権威を持ち
ローマに居ながら「職」の補任権を通して在地領主の土地所有をずっと掣肘し続けてるようなものと思っていい
まず大きな違いとして
ヨーロッパの封建制は封建領主同士の双務的な契約関係で国王も基本的には封建領主の一人だが
日本の「職の体系」は古代の貴族層である「院宮王臣家」と「開発領主」や「田堵」といった
両者の社会階層がまるで違うもの同士の契約なので片務的なものとなっている
ヨーロッパの「寄進」の場合は再び土地が恩地という形で戻って来るが
日本の「寄進地系荘園」は本当に土地の経営権も所有権も寄進先のものになってしまい在地の力が非常に弱い 誰の論文を読めば日欧封建制の共通点や相違の最新論がわかるのでしょうか?教えてください >>854
いや、職はかなり早い段階で家産的性質を帯びてるでしょ。
家産じゃなかったら、地頭職や公文職の譲状とか大量に残ってるのは何なのって話になる。
永原氏は『日本中世の社会と国家』で「職の家産化」、「私的財産視」とはっきり書いてるよ。 そして、家産である以上当然だけど、領家とても地頭の改替を恣に行えた訳ではない。年貢の未進や横領といった重大な罪過がなければできないのは、ハインリヒ獅子公の例と同じ。
荘園領主が在地に対して有する権利を最終的に保障しているのは国家公権であって、領主自身が強制力を持っているわけじゃないから。
在地の抵抗を排除して意図を強制するには国家レベルの判決と執行命令が不可欠であり、そうである以上そうそう気ままに行えるものではなかったんだよ。 >>857
例えば菅原政光が地頭職に補任される際に父の朝政の「譲状」の意向を認めて
藤原頼経が承認するという形でされているけど「職」が私有化されていたのなら何で将軍家の承認を必要とするのって話になる
永原も「職」はあくまで非封建的な公権であって易々と私産と出来る者ではないって言ってたはずだけど
>>858
>在地の抵抗を排除して意図を強制するには国家レベルの判決と執行命令が不可欠であり、そうである以上そうそう気ままに行えるものではなかったんだよ。
不可欠なわけないだろ「進止権」は領家側にあるのだから
「荘園の在地構造と経営」を読めばわかるが実際に在地では「名田」の分割、合併や名主の配置転換が行われていた
これはヨーロッパの封建制の理論で言えばありえないことだろ 東京23区 1000万
横浜 370万
大阪 270万
名古屋 240万
札幌 200万
京都 150万
神戸 150万
福岡 150万
仙台 110万
広島 110万
東京が圧倒的すぎィ 中心都市の人口だけで1000万でku人口密度15000人とかどこの途上国かと思うわ
快適な都市はせいぜい50〜100万の雇用都市圏含めて200万まで
しかも世界最悪クラスの都市景観
街の中心から半径10kmを超えたら開発制限かけろって 日本
首都100に対して
主要都市37,27,24,20、15*3,11*2
韓国
首都100に対して
主要都市35,26,24,15*2、11*3、10、90
英国
首都100に対して
主要都市15、12、8、6*7
ドイツ
首都100に対して
主要都市50、40、30、20,18*3、17
分散しているドイツでも所詮は集中している 都市単体じゃ全くアテにならん
パリは220万でも、切れ目なく5階建の集合住宅が続いて1300万
日本の都市圏だとざっと東京3500、大阪1300、名古屋900、福岡450、札幌280
韓国は総人口の半分が首都圏に集中
ドイツはケルン一帯をどう見るかだが、単体100万は4都市だったか
ベルリン都市圏が500であとは都市圏含めて200前後が10箇所程か
立派に分散している >>862
>英国
>首都100
ロンドン市は人口1万の田舎町やで
そやから「市」の人口なんか都市規模と全く関係ないんや
都市圏で考えなアカンやん
横浜が日本で二番目の大都市やと本気で思うてる?
横浜は日本最大どころか世界最大の巨大都市(の一部分)やで
その中から無理に横浜ぶんだけ取り出して考えるんやったら
横浜は福岡札幌以下・仙台広島以上 古代のローマが100万人
中世のコンスタンティノープルが40万人(全盛期)
ちなみに中世の西欧は4万人の都市すら存在しなかった 長安(唐) 100万人
バグダード 150万人
江戸 100万人 イタリアはゴート戦争で一旦壊滅したけど中世でも何気にそこそこ繁栄してる
ガリア、イスパニアは辛うじて最低限の文明レベルは残った
ブリタニアはローマ軍の撤退後、ケルト部族同士で争ったり、アングロサクソンが侵攻してきたりと
国土が荒廃しまくって一気に土人化 >>780
>>日本でも成人と未成年は結婚できるけど性行為は認められてない
13歳以上なら結婚の有無にかかわらず性行為は合法(「淫行」でない限り) 欧州旅行の機会があれば
ロンドンの大英博物館とパリのルーブル美術館には行っておきたいな 十字軍の時に中東で再発見するんだよな
古代ギリシャ・ローマの知識を・・・ 中世盛期に至るまでヨーロッパ最大の都市ってヴェネチアって言われてるけど人口10万程度
あそこってもともとは干潟だよね飲み水はどうしてたのだろう >>871
バクダッドが当時の先進都市だったからね。 >>873
ヴェネツィアの飲料水は井戸と言われる雨水を貯めて濾過する貯水槽が主たる供給源
なお、中世盛期までの西欧最大の都市はパリ ヌメリアヌス
マンコ・カパック
満州
オマーン国際マラソン >>854
正統性の付与と実効的な支配能力は、さすがに分けて考えないとw
田堵にしても誰にしても、地方で土地を実力支配している「地下の側」からすれば、
その土地に関する自分の権益を守ってくれるなら誰でも良いわけで、
だからこそ、寄進先は時代の趨勢でころころ変わるし、
すでに京都の朝廷にそれだけの実効支配力がないから、上からの整理がされずどんどん重層化する。
鎌倉殿は、この関係を地下から受けながら、いわば「横入り的」に土地に対する上級支配権を侵食していく。
御家人としては、鎌倉殿が土地の支配を実効的に庇護してくれれば良いわけで、
幕府が京都との関係でどうであっても、それは少なくとも直接的にはどうでもいい。
この話は研究レベルでなく、高校日本史だよね。
最終的に秀吉で「横入りが完成する」のだが、完成したところで職の体系は終焉する。
職の体系って、いつのまにそんな「ネオ皇国史観」まがいの鉄板単一ヒエラルキー授権説になったんだ? >>884
>すでに京都の朝廷にそれだけの実効支配力がないから、上からの整理がされずどんどん重層化する。
「実行支配力」がなかったら「職の体系」自体がなりたってないよね
>鎌倉殿は、この関係を地下から受けながら、いわば「横入り的」に土地に対する上級支配権を侵食していく。
侵食してないし御成敗式目にも6条38条にも公領や領家の土地は不可侵であるって定めてあるけど
それどろこか国衙や荘園領主に従わない在地領主を「悪党」とか「凶党」と呼んで討伐してるよね
>この話は研究レベルでなく、高校日本史だよね。
どの教科書にそんなこと書いてあるの?新しい歴史教科書?
>職の体系って、いつのまにそんな「ネオ皇国史観」まがいの鉄板単一ヒエラルキー授権説になったんだ?
皇国史観全盛期の頃は中世があるのは日本だけアジア的停滞があてはまらないのは日本だけとかナイーブに信じされた時代だと思うのだけど
ところが戦後になると上横手雅敬、牧英正らとくに法制史サイドから封建制の基盤である農民の土地所有が完全に欠落していることが指摘されて徹底攻撃を受ける
これを受けて佐藤進一が「家業論」という概念を提唱し日本特有の封建理論があった
つまり日本の封建制はヨーロッパの封建制とは同じものではないということで決着がついたはずだが
これに異議を唱えてる人って未だにいるのか?いるとしたら誰が主張しているのか教えてほしい >>886
そんなに天皇というか朝廷の単一中央権力が強ければ、下地中分なんて話が出てくるわけがなかろ?
朝廷が握る上からの権力ヒエラルキーが実効的であれば、こんなわけのわからんゴリ押しが出てくる余地はない。
あっさり一元的に断罪されて終わりだ。
これができないということは、京都の中央政府による管掌の整序ができていないということ。これが職の体系の核心部分。
つまり、職なるものは、「下からの要求」に応じて状況的・機会的に出されているもので、主導権は「下の側」にある。
だから管掌がカオスになる。
(法源としては室町以降も有効な)貞永式目の国衙領等不可侵条項は、実際の幕府の実務により破られていく。
憲法9条やかつての就職協定(戸別訪問解禁日)みたいなもので、あれはいかにも日本的な一種の言い訳条項だよwww
なお、これと「農民の所有権」なるいかにも前世紀的なマルクス臭いイデオロギーは別物。
このマルクス臭い話も、ほんと有害でね…w この話は大変に重要かつ興味深いもので、「もっぱら下からの要求により権原のようなものが機会的に形作られる」制度が形成されると
「上がない状態での権限の政治体制」とよく似た機能を果たすようになる。
中世の西ヨーロッパ(のうちローマの影響がわりとよく残った地域)では、ローマ法由来の占有訴訟が残骸として辛うじて機能し続けるのだが、
これは上からの権限整序と権力的介入があっては絶対に機能しないもので、
その証拠に、法典自体はよく知ってるはずのビザンツでは機能していない(存在意義がわからない)。 アケメネス朝 アレクサンドロス大王に瞬殺される
ササン朝 イスラム勢力に瞬殺される
ふむ・・・ ブワイフ朝 セルジューク朝に瞬殺される
パフラヴィー朝 イスラム勢力に瞬殺される >>787
蛮族同然の十字軍とベネチアごときに潰される雑魚やぞ
逆によく1453まで持ったなって思う 騎馬民族もちょこちょこ負けてるからそこまで無双してない
匈奴やパルティアだって結構負けてる
モンゴルだって無敗ではないし 遊牧民は突如連合して短期間で大勢力を成立させることがあるから
分裂状態だと定住民にボコられることもある。 遊牧国家の瓦解しやすさと言ったら無いな
寛容とはよく言ったものだ アラブの連中はキリスト教国でいう宗教改革やルネサンスを経験してない
イスラム圏で自己批判して近代化に成功したのはトルコくらいだよ
イランとか親米政権の反動で革命後はガチガチの宗教国家になってしまったしね ドイツも第二帝国であるプロイセンが統一するまでバラバラ
ゲルマニアは色んな部族が入り混じってバラバラ
神聖ローマ帝国も実態は国内に有力な領主が多数いてバラバラ イタリアも東ゴート王国滅亡からカヴールによるイタリア統一までバラバラ フランスも15世紀になっても北と南で言葉も文化も違ってバラバラ。
ブルターニュも違うから、バラバラ。 イギリスは今でもイングランド・スコットランド・ウェールズで文化が結構違うっぽい おフランスの半分の領土のニホンでも、アイヌトーホグムサシヤマトイヅモにハカタンモンにハヤトと盛り沢山
明治でも武家言葉で津軽と薩摩が筆談で「カッペ」「イモ」合戦の真っ最中なんだが ヨーロッパなんかバラバラでなかったことなんか一回も無いやん
カール大帝、ナポレオン、ヒトラー、EUと4回統一されかかったけど毎回統一する前に瓦解や >>899
実はイスラム教におけるプロテスタントっぽいのって、イスラム革命後のイランや、エジプトのイスラム同胞団
じゃないかって気がするのです…… >>905
日本の面積は、フランスのおおよそ7割ですから、流石に半分というのは誤りかと
可住面積なら半分どころか1/4かもしれないけども…… フランス
55万、可住面積39.7万
イギリス
24万、可住面積20.6万
ドイツ
36万、可住面積39.7万
日本
38万 可住面積10.3万
日本
フランスの1/4
イギリスの1/2
ドイツの1/4
狭いが山はたくさんある これだけ科学技術が発達したのに山一つ吹き飛ばして平野に出来ないのは残念だな 欧米だとキリスト教的価値観で自殺はいけないこととされてるせいか
日本より自殺率は低いけど
宗教が禁止されたソ連みたいな国だとどうだったんだろう? ロシアはソ連時代から自殺大国なんだよなぁ…
っていうか現在進行形で日本よりも自殺率高かったはず セロトニン不足だと自殺の傾向が高まる
北欧も確か自殺率が高い
日本で1番自殺率が高いのは秋田
冬はほとんど陽に当たらないからね 日本の自殺率も高い方だが、ソ連やロシアのピーク時やスリランカの自殺率とくらべると
たいしたことないように思えてくる カリフォルニア州にGDP抜かれるイギリスフランスwww >>917
CAにGDP勝ってる国が、世界にいくつあるのかと…… 主なY-DNA
古代ローマ:E1b1b
中世ヨーロッパ(ゲルマン):R1b 鎌倉時代がすごい
天皇 お飾り
将軍 お飾り
執権 お飾り
得宗 実権
どんだけ 得宗も末期はお飾りで御内人が仕切っていたがな。
鎌倉幕府のすごいところは時宗の頃には最高意思決定機関の評定も形骸して
寄合と呼ばれる得宗一家の家族会議で全部決めていたことだからな。 江戸時代なんて老中も奉行もお飾りで、側用人が実力者だからな シルフィウムていう植物を古代ギリシャ人が取り過ぎて絶滅させてしまった、とウキペディアで見つけた
キュレネという古代の都市が生息地みたい! シルフィウムの植物はいったい、どんな植物だったのか興味深いよ アラブ ウマイヤ朝、アッバース朝
イラン アケメネス朝、ササン朝
トルコ セルジューク朝、オスマン帝国 欧州にもライオンはいたようだが、ローマ人が狩り過ぎて絶滅したんだよな
バーバリライオンは生き残ってほしかった 中世の童話だと赤頭巾があるが
あれは姥捨て山的発想でお婆さんは森に捨てられてるんだよな ニンニク、胡椒、生姜、ナツメグ、サフラン、シナモン――。
これらの香辛料は経済力や身分のある者しかじゅうぶんに使用できず。
「胡椒ひと粒は黄金ひと粒」という言葉はあまりにも有名だ。
また当時の甘味料としては蜂蜜と砂糖があったが、森に囲まれたヨーロッパでは蜂蜜のほうがはるかに一般的だった。
砂糖はキプロスやシチリアなどの温暖な地中海地域で栽培される高級品で、砂糖が大衆化されるのはヨーロッパがカリブ海に進出するのを待たなければならなかった。
パンとワインのローマ人に対し、ゲルマン人は肉とビールの民といってもいいかもしれない。
現代の感覚だと肉は穀物より高級で、パンにも困るような貧しい人々が肉を食べていたというのはしっくりこないかもしれないが、これは中世では豚が森に放牧されていたからだ。
現代の家畜は栽培された穀物を飼料としているのでコストが高くつく。
しかし中世の豚は自然の森林が提供してくれるドングリなどを食べて勝手に肥えていったので、越冬でもしない限りコストはほとんどかからなかった。
鶏は卵のため、羊は羊毛のため、山羊や牛馬は乳や労働力のためにも必要とされましたが、豚は純粋に食肉用に利用され、穀物栽培は豚の畜産とは競合しなかったのだ。 >>1
中国史上最もカオスな五胡十六国時代だけど
中世ヨーロッパに比べたらまだヌルゲーやな 元寇が鎌倉時代に起きたのが不幸中の幸い
これが平安時代の麻呂なら負けていた 全盛期のローマ帝国だったからこそマルコマンニ戦争に耐えきれた そういやオスプレイ本のどれかで
マルコマンニ戦争時のゲルマンがローマ製の武器いっぱい使ってたって読んだな 遠いゴットランド島からも刃が帝政ローマ製、
束や鞘がゲルマン風のミックス剣が出土してる。 人のレスを丸ごとコピペして会話してるみたいに並べるの
気持ち悪いからやめて 交易などにより、結構北へローマの武器が流れてるからね。 女真族「ヒャッハー」
↓
章宗「漢文化マンセー!趣味は書画です」
満州族「ヒャッハー」
↓
溥儀「インポだし満州語とか喋れんわ。あとチキンラーメン食いてえ・・・」
蛮族も文明化すると軟弱になる >>936
五胡十六国時代は民族の混在や小国の乱立に関してはカオスだけど
文化や制度的にはむしろ正統に進化したほうじゃね?
北族も中原進出時は無知無学だったとはいえ、漢字を学び漢文化の吸収に努め、
仏教を保護して中国文化に取り込み(例外もあったけど)、また胡族が得意としてきた騎馬戦術も
漢族の戦法としてスタンダードなものにした。
椅子に腰かけ、テーブルの上で食事をとる、読み書きをする、という今当たり前の生活様式も北族が持ち込んだもの。
プライベートでは暴君凶君も多かったかもしれないが、国政としては富国強兵、民族の融和に努め、
均田制、租庸調制、府兵制など、新しい国家体制を整備した。
その結晶が大唐帝国なわけで、中世ヨーロッパの暗黒期とは逆にむしろ文明を進化させている。
個人的には鮮卑や匈奴は有能な民族だったと思う。 徳川家康公遺訓全文
人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし、心に望み起らば困窮したるときを思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え、勝つことばかり知りて、負けることを知らざれば、害その身に至る。
己を責めて人を責めるな、及ばざるは過ぎたるより勝れり。 ドケチだったタヌキおやじの15代目の子孫は絶世のイケメンで道楽者 >>1
そこの右側で採り上げられてる事象は19世紀前半以前の朝鮮半島の内情にもほぼ当てはまる。
それは神父を李王朝に、教会を儒教に置き換えてみればいい。 フランク人にとってはローマ時代は先史で、
フランク王国が古代になるだろう
ルネサンスは中世後期の十字軍が持ち帰った
イスラム文化によって成立したとよく言われるが、十字軍の要塞自体が非常に高度に見える
バイキングの時代が終わり、十字軍の時代に
ようやく欧州はイタリア都市国家を含めて発展期に入ったと言えるかな 十字軍の時代って言っても200年近く幅があるけどね >>949
現在の韓国がウリスト教
現在の北朝鮮がマルクスレーニン主義 表向きには言えないことで
「人種、民族には厳然たる知性の優劣があって、ゲルマン人(北欧、西欧、北米)が最強、次点で東アジア人(日中韓)が優れていて
ラテン人、中東人、黒人はスポーツや音楽以外は劣っている」
みたいなこと言う奴がいるけど、確かに現代のIT技術力とかノーベル賞受賞者数とかみるとその通りにみえるんだけど、
古代の自然科学を発達させたのは地中海人(今のラテン人、中東人)で、
中世の自然科学を発達させたのはイスラム世界だし、その間ゲルマン社会は暗黒期で土人丸出しだった。
人種や民族は関係ないと思うのだが、なぜ現代のイスラムやラテン系は、科学に弱いのだろう? フランス料理、イタリア料理、スペイン料理
飯の美味さならやっぱラテン系だな >>945
戦国時代は
今川・武田・北条みたいな名門の大大名が軒並み滅んで盛者必衰の理に感慨を覚える一方
徳川という三河の土豪が最後に天下を取るというサクセスストーリーがすこ 帝政ロシアって大英帝国に次ぐ大国なんだけどそんなに強いイメージはないんだよな
クリミア戦争では英仏に負けるし、日露戦争では日本に負けるし、WW1では初戦でドイツに大敗してるしね
トルコや清みたいな雑魚相手にオラオラしてただけな感じ >>953
人間の物の見方が宗教(イデオロギー)によって規定されるからだろう
プロテスタント社会は宗教改革によって一度神に疑い神を殺した
それ故宗教の教義と異なる視点で世界をみる事が出来た
それが自然科学的思考につながり近代社会や産業革命への道を拓いた
儒教社会では神より人間関係のほうが重視されるから神の縛りがそんなにキツくない
よって先進国の人間の猿真似がしやすい
カトリック、正教、イスラム、アニミズム社会などは神や精霊との関係が近すぎて、他の見方をすることが困難なんだろう
そんな近代人も、いつ何時新たな宗教(イデオロギー)に被れて物の見方がずれて行くかも知れない
共産主義者、オウム、最近のポリコレ棒振り回す連中などを見るに新たな中世を予感する >>950
>十字軍の要塞自体が非常に高度に見える
第一回十字軍の頃のヨーロッパの要塞とかモット&ベイリーとかいう掘立て小屋レベルなんだが
どう見ても先進的なビザンツのカストロンやイスラムの建築技術の影響だろ イスラム圏はポストローマ期〜中世を通じて先進国だったのに、いつから狂ったのかな。 それシルクロード全盛期やん。技術も文化も金が無きゃ生まれないし維持できないってだけよ >>953
最強はゲルマン人に寄生しているユダヤ人であって、ゲルマンは東アジアより知能指数低いぞ >>960
モンゴル軍にバグダード陥落させられて知恵の館が灰燼に帰したのが致命傷
西ローマ帝国滅亡、ポル・ポトによるキリングフィールド、に次ぐ人類史上の破壊 >>950
第一次十字軍なんて補給が脆すぎて都市を包囲する側なのに餓死者出したりしてるからな
ユダヤ戦争時のローマ軍も各都市への包囲戦をやったけど餓死者が出たとか聞いたことないし
況してや十字軍の兵站の脆弱さがそれから千年後の話とは初めて知る人は驚きだろう 中世の補給は基本的に現地調達によるところが大きい
あと兵力だが、騎士がメインで傭兵がサブ >>963
モンゴルの破壊はバグダード破壊は凄かったようだが、17世紀まではイランもトルコもオマーンもインドもヨーロッパと張り合ってるな
フランスも19世紀のアルジェリア出兵までは
対アルジェリア貿易は赤字だったようだし
19世紀に英仏がアルジェリア、エジプト、チュニジア、アチェーを潰しにかかるまでは
イスラム圏はそこそこ良かったかも >>956
ロシア帝国は図体だけデカいイメージ
眠れる獅子だと思われていた清の上位互換のような気がする
それに対してソ連はアメリカとタイマン脹れていたし、世界の半分を自陣営にしたし、
科学技術も軍事力も世界レベルだった。ただ、民生用技術については、、、 ローマ帝国と漢が戦ったらどっちが勝つか気になる
時代が違うけど前者はトラヤヌス、後者は武帝の治世(お互いの全盛期)
そしてフィールドは大平原と仮定して >>963
バグダードを壊滅させたのに、征服者のモンゴル人がムスリムになってしまったのは、
中原を征服した騎馬民族が漢化するのと似ている。
ゲルマン諸民族はローマを壊すだけ壊して、キリスト教徒にはなったがローマ化しなかったのはかえすがえすも残念。 最終的にカール大帝が西ローマ皇帝に即位したで
ローマ滅亡から何百年もかかってしまったが だが民衆はローマ人の意識を忘れ、フランク人と自覚するようになるんだよな
そしてフランス人へ >>971
寧ろ庶民の中ではローマ人としての意識は中世まで残っていたのでは?
フランクとの連続性を主張したのは王家など上流階級だけでしょう 六世紀には、名前もローマ式じゃなくなったりして帰属意識は掠れてたんじゃないかな。 イタリアだとゴート戦争終結後にローマ人としての意識がなくなっていくんだっけ?
SPQRも消滅したしな >>975
むしろ、イタリアでは根強く意識が残って、それがルネサンスで花開く アッバース朝滅亡時
バグダット大虐殺80万人は、どんな武器を使って殺したんですか?
ブサヨさんは、「鉄砲なしでも80万人殺せるんだ!だから日本兵が南京で30万人殺せるのは当たり前だ!」と喚いてるけど キリスト教自体がカルトだろ
磔にされた裸のおっさんをご神体として崇めるとか
冷静に見ると狂ってるな 大都市に食料を供給していた流通網が寸断されたことによる餓死 >>978
じゃあそれが広まって国教にまでなった古代ローマ帝国も狂ってるなw お前が「コンスタンティヌスの時代は古代じゃなくて中世だ」と思えば中世だし、
「古代でも中世でもない、新たな時代区分に属するんだ」と思えばそうなる
時代区分やそれぞれの範疇なんてそんなもん、他の人が納得して同調してくれるかは別問題 >>975
元老院って解散したとかでなく自然消滅だよな。
隆盛を誇った組織の最期としてはなんか寂しいな。 >>981
ユスティニアヌスですら普通は古代ローマだぞ
最後の最後だけど >神父以外文盲
>糞尿垂れ流し
>テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
>野盗・山賊だらけ
>物々交換
>海賊跋扈
>アーチすら作れなくなった
>雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
>フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
>重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配
それらは一部の語句さえ置き換えれば李朝時代の朝鮮半島にもほぼ当てはまる。 西ローマ滅亡が古代の終わり
東ローマ滅亡が中世の終わり
これが一番わかりやすい 分かりやすいけど実情を反映できてないよね
まあ古代中世近代の3つにぶった切ろうとするのがそもそも無理な訳だが >>986
ちょうど間が1000年だな
東ローマ滅亡と百年戦争集結が同じ年なのも感慨深い
西欧でも東欧でもまさに時代の節目 >>956
大英帝国は二度の世界大戦に勝利したが落ちぶれたな ナポリにあるお店でナポリタンを食べながらナポレオンの肖像画を見てから生きろ アメリカもいつかローマ帝国みたいに滅んでしまうのかな? このスレッドは1000を超えました。
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