ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ2
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ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
貨幣経済 → 物々交換
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 → 重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配
前スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1511407407/ なぜ中世ヨーロッパは厳格なキリスト教を受け入れたのでしょう?
そこにはもちろん、合理的な理由があったのです。
最大の理由は中世の貧しさです。
禁欲のキリスト教は貧しい中世の荘園世界にジャストフィットしました。
それ以前…古代ギリシアやローマの時代は豊かでした。
なぜなら地中海を支配していたからです。
温暖な気候の中、各地域はそれぞれの特産品の生産に特化し、海上貿易が盛んに行われていました。
人々はその経済力で食と性の享楽にふけりました。
しかし、ゲルマン民族の大移動で西ローマ帝国は崩壊。経済秩序が破壊されます。
またイスラム勢力に地中海の制海権を奪われ、貿易も不可能になりました。
ヨーロッパは深い森の中で、小さな村(荘園)単位での自給自足体制を強いられます。
中世とは都市も海も失ってしまった時代。
人々はアルプス以北の寒冷な森に入って行きました。
地力もなく、流通もなく、深い深い森の中にある小さな村での自給自足。
その貧しさに耐えるため、中世は神への強い信仰を必要としたのです。 なぜローマ崩壊後の欧州における文化生活水準が一気に下がったかというと、通常は古代の農村や都市社会は地産地消で
自分たちの必要分はすべて生産できたが、古代ローマではすでに比較優位にもとづく産業の地域分担制が確立されており
高度に発達した流通路を使って庶民でも遠隔地で作られたそれら生活物資を使うことができた
しかしこうした各都市間が互いに依存するシステムは一度交通が遮断されると一挙に石器時代まで戻ってしまうことすらありえる ブライアン ウォード=パーキンズ (著)、南雲 泰輔 (翻訳)
『ローマ帝国の崩壊 文明が終わるということ』(白水社、2014年6月20日)
ローマ帝国末期にゲルマン民族が侵入してきたとき、
ローマ社会や経済に何が起き、人々の暮らしはどう変化したのか。
史学・考古学双方の研究を駆使して描く、激動の時代の実態。
ギボン『ローマ帝国衰亡史』以来長らく、ローマ帝国は衰亡し崩壊したというのが常識だった。
ところが一九七〇年代以降、研究者のあいだでは、それまで主流だった政治・経済面を中心とした研究に対し、宗教や社会に着眼することで、
「衰亡」とみなされてきた時代を独自の価値を持つ「古代末期」という新しいポジティヴな時代と捉え直す動きが起こった。
さらに九〇年代になると、考古学的史料を用いて、ローマ帝国はやはりある時点で「崩壊」したのだという事実をつきつける研究者があらわれた。
著者ウォード=パーキンズもそのひとりであり、本書では、何がどう問題なのかというレベルからわかりやすく解説しつつ、
「ゲルマン民族が侵入してきたとき、経済や社会に何が起き、人びとの暮らしはどう変化したのか」を、文献史料や陶器・家畜の骨・建築物(の跡)などを使い、
史学・考古学双方の研究を駆使して描き出している。ローマ帝国の洗練された生産・流通システムがひとたび崩壊してしまうと、
地域によっては先史時代の水準にまで後退し、回復には数世紀を要したという事実は、かなり衝撃的である。
英国ペンクラブのヘッセル=ティルトマン歴史賞受賞。 神崎 忠昭『ヨーロッパの中世』
近現代に結実する、豊穣なる中世
―― 中世とは真に暗黒の時代だったのか。
「ローマ」「キリスト教」「世俗権」「都市」「国民」「科学」など、ヨーロッパの基底となるキーワードから読み解く。
▼ヨーロッパ史を学び直したい人のために。
中世ヨーロッパは確かに暗黒の時代であった。しかし、近代において飛躍するヨーロッパを育んだ豊かな苗床の時代であったともいえる。
「ローマ」「キリスト教」「世俗権(王権・帝権)「都市」「国民」「科学」などのキーワードから中世ヨーロッパ史を読み解き、近代の「人間」の時代へと誘う。
▼中世を読み解くための6つのキーワード
【ローマ】中世人は模範として仰ぎ見た。政治的にも文化的にも深い刻印を残したが、中世は古代ローマの繁栄を1000年以上も超えられなかった。
【キリスト教】中世人の心を絶対的な規範として律した。人々はそのメッセージを遵守し、理想に殉じたが、時に軽んじ、自らの利益を優先した。
【世俗権】君主個人の能力やカリスマに基づいたが、教会との闘争を経て宗教性を減じ、官僚制と軍を備えた近代国家へと脱皮した。
【都市】西欧の復活にともない、社会全体の成長のエンジンとなった。生活を向上させるだけでなく、新興階層を出現させ、新しい文化を生み出した。
【国民】帝国でもなく宗教でもない、ヨーロッパが生み出した新しい統合の絆である。現在に至るまで世界を支配している。
【科学】近現代におけるヨーロッパの繁栄の源泉となった。技術を手がかりに、理論を実験や観測と結びつけ、新しい合理的な世界観を生み出した。
・・・そして【人間】へ・・・ かんこくがかんじをはいししはんぐるのみにしたのはしっぱいだったな
にほんごにたとえるとすべてかなでひょうきするようなものだしね
はんぐるだけだとよみにくいうえにどうおんいぎごにまったくたいおうできない
こうしてかんじごにゆらいするじこくごをどんどんうしなっていった
ゆえにかんこくじんはにちじょうをはなれたこうどなぎろんや
ちゅうしょうてきなぎろんをするのがむずかしくなった 艱難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ず。
急いで得た富は減る。少しずつたくわえる者はそれを増すことができる。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。
明日のことを思い煩うなかれ。明日のことは明日思い煩え。一日の労苦は一日にて足れり。
いつも与えなさい。そうすれば、人々はあなた方に与えてくれるでしょう。
「眼には眼を、歯には歯を」といえることあるを汝ら聞けり。
されど我は汝らに告ぐ、悪しき者に抵抗うな。人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。
暗いと不平を言うよりも進んで明かりを点けましょう。
狭い門から入れ。滅びに通じる門は広く、その道はなだらかでこれに入るものは多い。
人生は短く、苦しみは絶えない。花のように咲き出ては、しおれ、影のように移ろい、永らえることはない。
己を愛するごとく、汝の隣人を愛せよ。
自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。 『歴史の転換期 2巻 378年 失われた古代帝国の秩序』南川高志編集・加納修・佐川英治・南雲泰輔・藤井律之執筆 2018年6月刊行予定 今度も関係ない中国レスで埋め尽くして荒らすからよろしく 西欧はキリスト教の影響で一夫一妻制になったというが
ギリシャ・ローマ時代から実質的に一夫一妻制なのよね ローマ時代、タブーだったフェラチオ・クンニが、いつからタブーではなくなったのだろうか。 えー
壁画であるじやん
ギリシア文化にあるんだからインテリはやってただろう
あと売春婦も 中世は一夫一妻制ではあるが貴族には愛妾がいたりして
実質的には緩やかな一夫多妻制だった
江戸時代の大奥やオスマン帝国のハレムとみたいなのとは程遠いけど ローマ軍にも脱走兵はいたようだ
アメリカ軍もたびたび脱走兵が出てるな
皇軍にはそんな臆病者はいないが ヨーロッパでは妻も愛人を持つことが普通だったところがアジア圏とは違う
中世の宮廷恋愛物語はすべて貴婦人とその愛人の騎士が主人公 前スレの中国ネタのアスペ野郎晒上げ(その1)
353 世界@名無史さん sage ▼ 2017/12/26(火) 20:24:51.33 0 [0回目]
このオッサン相変わらずwikipdiaの知識を真に受けて適当なこと書いてるな
懐帝は杯持ちと傘持ちはやってたがこれは当時は中々高位の貴族が行う職務であって実際、公の位に取り立てられており中々の厚遇である
それでも匈奴の臣下となったことは屈辱的なことには違いなく晋の遺臣の中にはそれを不服として嘆くものもいたので
謀反の神輿として担がれるがれる前に始末しただけの話
415 世界@名無史さん sage ▼ 2017/12/29(金) 14:33:01.21 0 [0回目]
>.>353
奴僕の服装をさせられたり、杯洗いもさせられたりで、
とても貴人に対する扱いには見えんが・・・
420 世界@名無史さん sage ▼ 2017/12/29(金) 19:25:37.16 0 [0回目]
>.>415
着たのは京師百官と同格の青衣であって奴僕の服ではないし
杯洗いしたなんてのも晋書には書いてない
wikipediaなんて痰壺を真に受けて吹聴すると恥かくから辞めたほうがいいよ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:9368c25c0e1fcb4c3420acd807713d27) 前スレの中国ネタのアスペ野郎晒上げ(その2)
435 世界@名無史さん ▼ 2017/12/31(日) 12:34:04.97 0 [0回目]
>.>420
>wikipediaなんて痰壺を真に受けて吹聴すると恥かくから辞めたほうがいいよ
wikipediaに載っているからって、嘘デマ扱いするおまいも充分に恥晒しだけどな。
1961年に中央公論社が出した『世界の歴史4 唐とインド』の46-47ページではこう書いてあるぞ。
「官庁官府みなことごとく焼けほろび、胡馬の荒れくるう都洛陽から、漢皇帝の都平陽にとらえられていった懐帝は、
この胡族皇帝の出猟に、ほこをもって先駆をさせられ、村々であれが晋皇帝だと人民から愍笑されるような恥をうけたり、
酒宴の席では、さかずき洗いまでさせられて、あげくのはてに、見るに見かねて号泣した臣僚とともに殺されてしまった。
313年永嘉7年である。これが史家が永嘉の喪乱と名づけた洛陽の晋室の悲劇である。」
437 世界@名無史さん sage ▼ 2017/12/31(日) 18:48:09.15 0 [0回目]
>.>435
うるせえよ
スレ違いだから死ね >>18
お前事情は知らんがこのスレチ阿呆に論破されたさらに無能のアホだろ
スレチをわざわざ揚げる上に多分再戦を臨んでるってことはお前が論争に負けたんだろうなw そもそも中世ヨーロッパの民衆がどこまでキリスト教の教義を理解していたか
ベネディクトゥス12世が司教時代に14世紀初頭モンタイユー村で行った尋問記録によると村人はマリアの処女懐妊という基本的な教義すら知らなかったとか
また羊飼いたちは羊小屋で過ごす際にイスラム教徒とも遭遇したりしているのだが特に意識もしていない
村人たちが知っているのは自分がフランスという国に属する事そして国にはフランス王がいること
あとは「名君」として人々の記憶に残ってるかつての領主と近隣の村の存在だけ
スペインまで往来する事のある羊飼い以外は外の世界はほとんど何も知らない
中世盛期になってもまだこんな調子 それは非常にわかりやすい話だよね
難しい教義なんてわかんないだろうしそれでいい >>21
基本的にはその通りだと思うが、モンタイユーってカタリ派の勢力圏だったし
著者が分析したのは異端審問文書だそうだから、ほぼキリスト教ではい連中なら
キリスト教義に無知なのは当然ともいえそうな ローマ時代の知識の大部分はビザンツ帝国やササン朝で保存され、
あとは西欧の教会が多少持ってたくらいかな。 >>21
ウマイヤ朝支配下のイベリア半島やオスマン帝国支配下のバルカン半島では
イスラム教徒キリスト教徒が共存していたけど
イングランド、フランス、神聖ローマ帝国、イタリア都市国家にはイスラム教徒は全くいないイメージだわ
同じキリスト教同士でも新教と旧教が争ったり、魔女狩りやってたくらいだし キリスト教とユダヤ教は同じ啓典の民だから見逃してるだけ
かつてカーバ神殿では多神教で様々な神の像が祀られていたが全て破壊されたし
インドでは寺院や仏像が破壊され仏教が死滅した
タリバンによってバーミヤンの仏像が、イスラム国によって古代メソポタミアの彫像が破壊された 中世ヨーロッパの海はおっかない
北ではヴァイキング、南ではイスラム海賊が大暴れ Vikingってドラマ面白いな
ちゃんとフェミニズムにも忖度してかつそれが良い方向に働いてる
女城主直虎とかしょうもねえわほんと まあヴァイキングは現代フェミ関係なく本当に女戦士な指導者いたからな
男戦士長の墓だと当たり前に思ってたのにDNA調べてみると女だったって発覚したり ローマ皇帝も中世の王侯貴族も割とまともな君主ばかりだな
中にはホリノウスやジョン王みたいな暗君もいるけど、中国皇帝みたいに超絶ヤバいのはあまりいない感じ そうかね
一般的にいって
中国は官僚制で中央の権限が強いので
いざおかしくなったらそういうことをできる権力があるんでしょう クラウディウスがつくネロといえば1日100キロを機動したやつを連想してしまうな
単なるネロなら五代皇帝の方だが 前漢の呂后の醜悪さに比べたらネロの母親アグリッピナがまだまともにみえてしまう不思議 とはいえヘリオガバルスの変態度はなかなかのもんだと思う >>42
あの辺の記述はどこまで信用していいものやら
中華の暴君もだけどね まぁ革命が起こったときの君主は悪くかかれるでFA
神君の血を引く最後の皇帝ネロはずいぶん罵倒されてるが多分過剰
暗殺されるほど元老院に恐怖をあたえたことは事実ではあるんだろうけど
殷のチュウ王はかなり偉大な王様であったぽいんだよね
戦争に強いけど地方の諸侯の利権に手を付けたとかそんなんかもしれん >>43
劉禅「晋は暗君だらけや。それに比べ乱世で在位40年のワイはなかなかやるやろ?
反乱を起こした臣下も魏延くらいやで。魏は司馬氏に乗っ取られて間抜けやな
呉は孫権が老害化、後主も暴君で踏んだり蹴ったりやし」 ユスティニアヌスは一時とはいえローマ帝国の領土の大部分を回復し、
ローマ法大全を編纂して大帝と呼ばれるが、結果的に見れば隠れ暗君。 >>44
キリスト教を弾圧したから教会も盛ってるのよ オスマン帝国がコンスタンティノープルを陥落させた際、
女だけでなく美少年も餌食になったそうだぜ
つかイスラム教って同性愛ダメなんじゃなかったっけ? >>47
ベリサリウスに嫉妬と警戒して失脚させて、代わりに送った宦官のナルサスが軍事チートだったとか
ユスティニアヌスは幸運すぎ >>49
ホモというかバイが多い
ガチホモは少なめ ユスティニアヌスやら東ゴートやらランゴバルドやらに散々荒らされたのに中世初期には既にイタリアって最も豊かな地域に返り咲いてるよね
特に農業に向いてるわけでもなく、鉱産資源が沢山出てくる訳でもない
古代ローマ時代の都市が遺産になったのか? というか周りが糞過ぎて相対的にマシなだけな気もする
ブリタニア ケルト・アングロサクソン諸部族入り乱れての抗争時代、文明レベルは石器時代並み
ガリア フランク族がウホウホ、カールも文盲
イスパニア 西ゴート族がウホウホ、王の暗殺、廃位や内戦がたびたび カール大帝の頃のフランク王国は強いだけで野蛮な感じ
バシレイオス2世の頃のビザンツ帝国は軍事的にも経済的にも文化的にも最高で最強 東ローマ帝国が東地中海の大帝国として復活した9世紀になると、
宮殿や教会・修道院が多数建設され、孤児院や病院のような慈善施設も建てられた。
古代ギリシア文化の復活とそれを受けたビザンティン文化の振興も進み(マケドニア朝ルネサンス)、
コンスタンティノープルは東地中海の政治・経済・文化・宗教の拠点として、
またロシア・ブルガリア・イスラム帝国・イタリア・エジプトなどの各地から多くの商人が訪れる交易都市として繁栄を遂げ、
10世紀末から11世紀初頭の帝国の全盛期には人口30万〜40万人を擁する大都会となった。
当時の西ヨーロッパにはこの10分の1の人口を抱える都市すら存在せず、
コンスタンティノープルはキリスト教世界最大の都市であった。
ちなみに2世紀のローマは100万人以上な。
西洋において再びこの人口に匹敵する都市が現れるのは19世紀になってから。 石器はいまでは酒の杯やビビンバの器あたりか
ローマも大理石の杯はつかってたよな 西欧が文化レベルでビザンツを抜いたのはいつ頃?
十字軍の頃あたり? オカルトに洗脳された子供を間引いたりするのが十字軍時代のヨーロッパなのに? ビザンツ滅亡後も文化としては西方は後進地域と思うぞ
ルネサンスあたりからではないかな 多分だけど第4回十字軍後しばらくしてからの時期かと思う 「コンスタンティノープル征服記」読むと草深い田舎から来たお上りさん状態で面白い スペイン・ポルトガルが征服したのもアフリカやアジアの未開地ばかりであって
この頃はオスマン帝国や明王朝、豊臣政権の日本などまだアジアの方が強い
宣教師たちも日本征服は厳しいと本国に連絡してる イタリア人は文盲じゃないよね?
ドイツとかフランスはもとから野蛮人だったとして
文明人の子孫のイタリア人は何してたの? >>72
そもそも、この時代のポルトガルが占拠したのは城市またはそれすら伴わない港湾であって、しかも現地勢力の
協力を得ていることがほとんど
ただ、未開地なんてことはない
特にインド、東南アジアにおいては
既にイスラム交易圏として発達した状態にあった >>73
北から南から東から、蛮族やら海賊やら再征服やらで一旦荒廃しきりましたとさ ローマ帝国も流石にブラックアフリカまでは進出しなかったな
(カルタゴは象牙海岸まで行ったようだが)
ちなみに帝政初期にアラビア半島に軍を進めたが失敗した なんでヨーロッパの貴族の系図をたどるとだいたい800年が最古になるの?
この時代になにが起きたの? カペー朝はカロリング朝と姻戚関係だったから
フランス王家の血筋でいえば中ピピンまで遡るぞ >>69
江戸の人口は18世紀初頭に100万人を超えた。
なお国勢調査の始まった1801年のヨーロッパの諸都市の人口は
ロンドン 86万4845人(市街化地区内)、パリ 54万6856人( 城壁内)。 世界史がほぼローマ史と中国史なのは、歴史家に恵まれた部分も大きいと思う
ローマ史ならリウィウス、プルタルコス、タキトゥス、スエトニウス、アンミアヌス、そしてプロコピオス
中国史なら司馬遷、班固、陳寿、范曄、そして司馬光
中世ヨーロッパは彼らのような優れた歴史家に恵まれず、ルネサンスのマキャベリやグィッチャルディーニ出現まで待つことになる エステ家とかランゴバルドまで遡れるんじゃなかったか
>>85
世界史ってほぼヨーロッパ史プラスαでしょ
中世ヨーロッパは「都市年代記」を作る慣習があったから識字率が低いわりに地域史の復元は割と容易なんだがな >>86
カペー家まで遡れるブルボン家ユリウスが嘘でも千年はいけるハプスブルク家
中世からの名門ルクセンブルク家、ハプスブルクと一緒になったロートリゲン家
ホーエンシュタウフェン家
女系でデーン王まで遡れるオルデンブルク家やグリュックブルックなど
日本人が嫁いだクーデンホルフ家も東ローマ皇帝まで千年先祖をたどれる名門だったな
普通にクソ多いぞ
大体銀河英雄伝の「千年遡れない家は貴族ではない」みたいな話の元ネタは確かオーストリアハンガリー帝国 名門も所詮遡れば祖先は文妄フガフガゲルマン人というのが笑えるな >>88
カペー家っつうか、フランク貴族であったパリ伯(ネウストリア侯)ロベール家が祖先だろ、フランス王家は
西フランク王国にも二人ほとなってる 東ローマ皇帝の末裔はちらほらいるけど
西ローマ皇帝の末裔とか聞いたことないな
蛮族に抹殺されたか、隠れてしまったのか >>88
あー違う違う。
今から800年遡れる、じゃなくて西暦800年あたりに集中してるのってこと。
ハプスブルクも西暦9世紀でそれ以前はよくわからないんじゃないの。
偽系図とかはなしで。 ハプスブルクは10世紀が元祖か
ブルボンのほうが9世紀だから長いんじゃないの
(偽系図時代は除く)
なんでハプスブルクってヨーロッパ一の名門ヅラしてるの? 人口50万人以上の都道府県庁・政令市所在地 推計人口 2017年6月1日
--総人口----前年同月(率)----都市名---
9,451,214|+93818 ( +1.00% )|東京23区
3,733,975|+ 2759 ( +0.07% )|横浜市
2,709,688|+10052 ( +0.37% )|大阪市
2,311,553|+ 9233 ( +0.40% )|名古屋市
1,962,064|+ 4954 ( +0.25% )|札幌市
1,564,219|+14209 ( +0.92% )|福岡市
1,533,923|- 3542 ( -0.23% )|神戸市
1,501,697|+15206 ( +1.02% )|川崎市(神奈川県)
1,472,746|- 2909 ( -0.20% )|京都市
1,283,547|+11105 ( +0.87% )|さいたま市
1,198,146|+ 2552 ( +0.21% )|広島市
1,085,155|+ 1162 ( +0.11% )|仙台市
*,974,943|+ 1365 ( +0.14% )|千葉市
*,805,198|- 2920 ( -0.36% )|新潟市
*,739,238|- 290 ( -0.04% )|熊本市
*,720,989|+ 354 ( +0.05% )|岡山市
*,699,599|- 2881 ( -0.41% )|静岡市
*,598,030|- 712 ( -0.12% )|鹿児島市(鹿児島県)
*,519,796|+ 746 ( +0.14% )|宇都宮市(栃木県)
*,512,852|- 1134 ( -0.22% )|松山市(愛媛県) ゲルマン諸王も東ローマ皇帝からすれば蛮族の酋長に過ぎない
ま、東ローマ皇帝も出自が得体の知れない人も何人かいるけど 殷は実在が確認されてるけど、それより前の夏は伝説の域 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています