歴史言語学総合 ★3
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アントニヌスだろ。
アントニウスの方はキャンディキャンディのカレシのアンソニーとか、パンが無ければお菓子を食べれのお妃のアントワネットとか。 >>578
ついまは訛った結果で元がつしまだぞ
そのことは上古漢語の復元で明らかにされている 韓国人は、スシマ(ツシマ)ソムって言ってるな、
ソム・・・島の固有語
もしくは、テマド・これは漢字表記の韓国語発音 ソムと言うのは、「島」が語源の由来だろ。
渡海不能の文明レベルの三韓が半島(大陸)から出られるはず無かったし >>582
海から出られなくても島の概念ぐらいあるだろ
日本語のサ行は古くは/c/だったからシマとソムの対応も怪しい
草kusaと꽂kochが対応するとも言われてる なんで?
新羅は、日本語で「しらぎ」、モンゴル語でSolongosだよ。 >>582 >>583
朝鮮語のsēm(ソーム)は15世紀にはsyěm(ショーム)と言っていた
日本書紀の訓註によれば百済語では島をセマと読むとしているので
*syemaという形が再構できる(中期朝鮮語において上声のアクセントを持つ音節はかつて2音節だったものが省略されたものだと考えられている)
>日本語のサ行は古くは/c/だったからシマとソムの対応も怪しい
・四間 sima
・志麻 t͡ɕima
・志末 t͡ɕimwat
・之末 t͡ɕimwat
・之麻 t͡ɕima
・斯麻 sie̯ma
・思麻 sima
万葉集における島(シマ)に使われる漢字でサ行は破擦音と摩擦音の区別なく使われている
なぜ摩擦音だけだったと言えるのか? >>585
意味不明w
大韓起源論はもうウンザリだよ。
偉大なウリナラが、矮小な倭奴から習ったことなんて何一つ無いと思いたいニダという感情論で
意味不明な理屈にもならん減りくっらべて、なにやってんだかなー >>580 古代中国人には、現地人の発音がtusmaみたいに聞こえたのかな
母音の脱落は日本語ではよくあるな >>585
朝鮮語ではその摩擦音と破擦音の対立がある
日本語から朝鮮語に入ったとしたら、クサがkkochになるならシマもceomにならないとおかしい
朝鮮語から日本語に入ったのなら、日本語にはこの対立が無いからkochとseomがどっちもサ行に合流しても不思議は無いよ そもそも今の朝鮮語は三韓時代の言語の直系の末裔なの? >>588
統一新羅以前の古代の朝鮮語にも摩擦音と破擦音があったのかまではわかってねーだろ >>590
そんな時代に朝鮮語なんかあるかいなアホ ところで、いまの韓国の高校の国語の授業に、日本の高校国語の漢文に相当する授業ってあるのかな?
レ点付けて訓読、みたいな >>589
別言語とされることのある済州語含めた朝鮮語の各方言の分岐年代は1200年前の高麗時代だと推定されている
後三国時代の終焉に伴って朝鮮語の直接の祖先となった言語が各地の言語を塗りつぶしていったのだろう >>586
お前みたいな程度の低いレスする奴にもうんざりだぞ >>594
どこでそんなこと聞いた?
廃止なんかしとらんで
やったことといえば朴正煕時代に試験的に3年間漢字教育を停止してみただけや
そのあとはまた漢字教育再開してるしもちろん今もやってる じゃあ、なんで、大韓民国々民総項籍状態なの?
項籍は「字なんて自分の名前が書ければ十分」だったが、韓国人、自分の名前すら書けない。漢字が無いと名前が付けられないのにな >>575
ふと思ったけど中国語特に近現代中国語で「神」って漢字はどういうイメージがあるんだろう?
向こうでgodとかdeusに当たるのは今でも上帝?なら「神」はどうなんだろう >>600
「神」(天のカミ、運命の神)は「祇」(地の神、祖霊の神)と対になったり、同義として並列されたりする
「天神地祇」は対比的にも並列的にも使われる(たぶん太古は対比的で、のち一緒くたに並列的になった)
また日本語と同様に漠然と霊魂や精神を意味することもある
聖書のモリソン訳で道教由来の「上帝」を使ったせいで太平天国の乱が起こった
その反省でモリソンの弟子筋を含む宣教者たちは19世紀後半から「神」を使いだした
その訳語が日本の明治の宣教にも聖書翻訳を通じて影響している模様
いま中華圏のキリスト教で使われているのは「聖父」「父神」「天父」などいろいろらしい
教会の外では、土着宗教的響きのある「老天爺」「老天」などが運命を呪う時や単なる感嘆詞として
俗語的に使われる(我的老天!=Oh, my God!)し、
日本の「お客様は神様です」とそっくりのニュアンスの「顧客是上帝」などで見るように
「上帝」も普通に(たぶん非信者によって)使われている よくリベラルの人が当てつけで言う「ネトウヨは韓国に詳しい」って嘘っぱちだとわかるよな
知韓派がすごく迷惑する >>601 ゲルマンのゴッド、ゴット(など原語でいろいろ)は異教時代はどういう意味合いだったんだろう
オーディンとかフレイヤとかの総称で、特に個神名にこだわらずに使うとき? ロシア語の神/богは、異教時代の神々の名前 дажьбог стрибогなどに構成要素として見えてるね。
「カミとGodは異なる概念だ」なんて言説があるけど、godも本来は多神教の神々を意味する語だったんだろう。 >>594 >>598
北朝鮮は正式に漢字廃止
韓国は事実上漢字廃止 >>603
そうそう
ゴッドの類が普通名詞で、オーディンやフレイヤは固有名詞
キリスト教の神は布教の際に多神教の普通名詞を唯一神に転用してきた
意識的、自覚的に言葉の意味の定義を変えて使う >>604
>カミとGodは異なる概念だ
それは現時点で日本がキリスト教化されていない社会だから
そういう発言は異教側の立場で文化論として両者の違いを論じている
または宗教学などのメタ視点で(中立的に)両者を論じてもそうなる 一神教の神はGod(大文字)で多神教の神はgod(小文字)なのではないか 本当goって単語どうして過去形だけ古語っぽいと思って検索してみたんだが本当に古語由来だった
それは良いとしても英語ではgoの過去形が失われたってどういう意味? よってポケモンGOはポケモンの神という意味なのである >>601
意外とはっきりとは統一されてないんですね勉強になります >>611
本来はgo goed gone という変化だったけど過去形のgoedがgodと近いので避けるようになり代わりにwend went wentという動詞から過去形だけ引っ張って来たわけだ goの過去形がwentであるのはそんな理由じゃないぞ。そもそもgoedなんていう形はなかった。
https://en.wikipedia.org/wiki/Go_(verb)
古英語(千年紀後半の英語)では不定詞gan(ガーン)で過去形はeode(エーオデ)というのがあった
この語根eoの前には印欧祖語からの半母音[j]があったらしく、それはgの口蓋化と同じ発音だった
中英語(二千年紀前半の英語)ではeodeはyede、yode(イェーデ、ヨーデ)と書かれるようになった
13世紀までにイングランド南部でwend(元の意味は「戻る」「向きを変える」など)がgoと同じ意味に変化していたが、
その過去形went以外は使われなくなっていた上に、wentはyedeの機能を吸収してこれに取って代わった
このイングランド南部方言が標準英語となり今に至る
なおスコット語(ゲール語ではなく中英語から分岐した低地スコットランドの言語)では
goとwend-wentとの補充は起こらなかったし、yedeに当たる語形gaedeがある >>601
テングリも、上帝って呼んでもいい気がする >>618
母音の変化だけじゃないんかい?
ゴットランド語で長いeだったのものが、アングロサクソンで長いa、英語成立期に長いo→oの綴りのままオウ
ドイツ語だと、長いeは、eiになって、発音はアイ
北欧諸語だとeのまんま
で、英語の成立前後に分かれたスコットランドだとaのまんまで止まってる >>618
中一の頃の俺に聞かせてやったら
英語の授業がキライなのは直らなかったと思うけど
凄く喜んだにちがいない >>618
eode、yede、yodeのそれぞれのもとの語幹とか現在形は、どんな語形で、元の意味はどんなんなん? それぞれgān(古英語)、gonまたはgoon(中期英語)で、意味はgoと同じみたい
https://en.wiktionary.org/wiki/go#Etymology_1
印欧祖語まで行くと「去る」という意味だったらしい 印欧祖語の段階ですでに「行く」は現在形と過去形が別の語幹を持ち(補充法)、
現在語幹は*g^heh?-で、過去語幹は*h?ey-という別の形だった
古英語ではこれはganとeodeに当たるが、後者の過去語幹は上記の通り別の語幹で代用され残らなかった
https://en.wiktionary.org/wiki/Reconstruction:Proto-Germanic/g%C4%81n%C4%85
のEtymology参照 >>625で書いた「行く」の補充法だが、
現在と過去で2つの語幹を使っていたのはゲルマン語で、
ギリシャ語とインド・イラン語派はもっぱら*g^heh1-、
スラヴ語派とイタリック語派は*h1ey-のほうを使っていた
ロシア語の「(歩いて)行く」идти(不定詞)、иду(私が行く)の語幹и-(i-)、
ラテン語の「行く」ire(不)、eo(私が行く)it(彼が行く)の現在語幹e-, i-などは後者
(仏語などのva-, al-などは俗ラテン語で新興の別の語彙) 簡単な動作、身近な生活に関する物、身体に関するもの、数詞等々の語彙は維持されやすいという比較言語学の大前提が崩れるのう これでもかなり保たれているだろう
数千年単位の話だしね >>626 こういうのが積み重なって語族レベルの違いになったんだろうな
今の知識では証明できないか、永遠に無理だろうけど、実は同じ源を持つ複数の語族ってあるんだろうな
デネ=エニセイは語族の一つ上の大語族と呼んでもいいほどの違いが内部にあるのかな
それとも形態などの放散の度合いは既存の他の語族内と大差ないほど? では、オマルはどうか。
オマルは主に幼児や病人に用いる簡易便器。
オは丁寧語なのでマルがそれを指す。
語源辞典によると、そのマルは、大小便をする意の放る(まる)から来ているという。
しかし、本当にそうか。
ヒンディー語 糞=mal 確かに、国文法学者の偉い先生が、日本語とインド語と同源だというような論文で本を出してたな。
字の数も48で同じだし。 >>631
大野晋の日本語タミル語起源説のことか?
でも、専門の比較言語学の研究者からはトンデモ説と批判食らっている。 >>632
この語彙の問題は、大先生たちのように、日本語そのものと特定の外国語が同源だと考えなくていい。
ある時期にこの語彙が入ってきた、と考えればなんの問題ない。
実際に、漢語の語彙は日本語そのものとは関係なく入ってきている。
このヒンディー語のmal=糞も、何らかのルートで入ってきた語彙だととらえればいいだけ。
比較的新しい時期にもたらされた語彙だろう。 >>633
日本にもたらされたヒンディー語の語彙としては、カバチがある。
日本語の語彙にもカバチがあるが、日本語のカバチは頭の意味。
そして、ヒンディー語では、鎧兜=kaavch(カバチ)。
鎧兜(kavach)が交易でもたらされて、その言葉が頭を指す言葉として定着したのだろう。 >>634
訂正
kaavch→kavach
ちなみに、このヒンディー語のkavach(鎧兜)と英語のcover(覆い)は、同系の言葉だろう。 オカマは
性欲が強い
って意味だっけ
インテリ層を担った僧侶がインドが起源の経文研究してたら
なにかにつけ民衆にも伝わるんではないでしょうか 言語学の人が聞いたこともないような用語を使って解き明かす異語における同意の単語の関係を
繰り返すだけで伝えられる千葉 公慈お坊は凄い >>634
南蛮貿易時代に出張っていた浪人傭兵から伝わった日本語だろ。
祇園精舎に参詣したり、タイランドの親衛隊に召し抱えらたり、アンボイナ事件に関与したりと、ムガル帝国の拡大期には
日本人が盛んに南方へ出向いていってる。
カブトがkavachの語源なんだろ >>638
そうだね。
似すぎているのは、かえって怪しい、と考えるらしい。 >>640
カブト、カブル(被る)、コウベ(頭)は、みな同系だろうね。 >>632
学者連中がストイックな学究の徒でで何事も検証論証第一みたいな幻想持つなよ。
けっこう、やっかみとか嫉妬とか足の引っ張り合いとか派閥抗争とかで、真理の探究を歪めるものだぞ。
大半は大先生にぶら下がって、派閥の中で生きている、小人間だぞ。既にある理論を引用して組み合わせて尤もらしいことを言うだけの、
才覚なんか無くても努力と忍耐だけでなんとかなる性質のものだ。
何年も大勢でとりくんで解からずじまいでいた真実を発見したり、既存の理論を書き換え塗り替えてしまうような理論の構築とか、できない
学者研究者が大半だからな、才覚や運気の必要な画期的な発見とか理論の開発なんかすると、すぐ、叩き潰しに来る。 オマンコ、ゲイシャガール、パンパンガール、ヘンタイ、
ブッカケ、などは白人国家の男性に通じる
この言葉は江戸末期の開国依頼、
蝶々夫人列島の女が白人男性に媚を売った結果、
彼らに覚えられた日本語なのだ。
これ、全部性技の名称だよワラ
お前たちの祖先はこういう奴らだったんだよ
ガーッハッハッハッハ 「名前」もサンスクリットから借用されたムラユ語のナマがさらに日本語に入って、「な」はそこからの逆成で...
いや、なんでもない
でもムラユ語のナマはサンスクリットからの借用らしいな。たぶん本来はフィリピンのngalanやマオリののingoaなどと同源の語を使ってたんだったろうけど
いくらインド化したからって普通「名前」という概念まで借用語に置き換わったりするかな
https://en.wiktionary.org/wiki/nama#Etymology_4 >>650
借用語と固有語で住み分けるパターンもあるから何とも >>642
単発的な類似なら世界中のどの言語同士の間でもこじつけられる
そうじゃなくて、いくつもの単語が法則的な音の対応関係を持たないといけない
さらにどちらの言語の内部においても派生語を生んだり何かの派生であったり、
そういう内的再構によるその単語の位置づけがはっきりしているとなお良い >>653
それがインド語が日本語と同祖という話なんじゃないんかい? 大野晋によるタミル語(大野は「タミール語」と呼んだ)と日本語が同系だという説は
類似を多数羅列しただけで、それでも法則を立てたわけではなかった
(ある程度の規則性は挙げたものの法則に至ったと認知されなかったのは朝鮮語説のときと同じ)
また比較を試みたのはタミル語単独であり、ドラヴィダ語族全体との比較でもなく、
またタミル語をドラヴィダ語族全体の中でどう位置づけるかも言及せず、
タミル語の内的再構も行なっていなかった(当然日本語については潤沢な知識を活用した)
ちなみにドラヴィダ語族全体と日本語との比較は藤原明という人が同時期に行なっているが、
こちらはもっと比較言語学の手続きに則らないものだった。だが議論を通じて比較の手続きを取るように
なったものの、本人の学会での振る舞いに非常に問題があって無視されるようになっていったらしい
またドラヴィダ語族は語彙も多く、語の持つ意味も語形も多彩で、
様々な言語とこじつけることができてしまう言語であるらしく、西アフリカの言語やシュメール語やエラム語とも
同系説を立てる人がそれぞれいるが、それぞれどれかを信じると他が成り立たないという内容
何より比較言語学において重要な議論は19世紀に出尽くしていて、新たな系譜関係自体が望み薄、
というか埋もれた系統を探るという考え自体がとっくに言語学の主流ではなくなっていた デネ・エニセイの同系説なんて21世紀に入ってからのものだけれど 埋もれた系統を探るのに躍起になってアルタイ語族なんてトンデモ説をでっちあげたような時代ではないという事だよ 日本語には、大別すると3ルートからの語彙が多数入っている。
一つは黒潮ルートによる太古の中国南部語。
次はカザフ平原を東西につらなる古シルクロードに乗るヨーロッパ、スラブ語、ウラル語、モンゴル語などだ。
そして最後は、漢語語彙だ。
そうした語彙のうち面白いのが、フィンランド語の語彙。
皆は、ひとさし指を頭の上でクルクル回して、指を全部開いてパーにしたことがあるだろう。
クルクルパーは、頭がおかしいという意味だ。
そこで、これはどうだ。
フィンランド語
hullu pää(フルル・パー)=狂った頭。
hullu=狂った、pää=頭。
これがクルクルパーの元だ。
君たちが子供の頃にやった遊びは、フィンランド語と関連がある言葉なのだ。
ウラル語であるが、満州あたりが東アジアでのプールだった。
そこから日本にもたらされたのだろう。 >>660
支那の言い方でいう、第一列島線よか東側、大陸との反対側の黒潮が、なして「中国南部」とやらの伝播に関与するんさ? >>660
失礼
再掲
フィンランド語
hull paa(フルル・パー)=狂った頭。
hullu=狂った、paa=頭。 >>661
今から1万2000年前に、中国南部から人民たちが拡散を始めた。
台湾やフィリピンへ、また東南アジアへ。
その一派が日本へもやってきた。
同時期の1万2000年前に、南九州へ南方系の人民たちが上陸して、在来の縄文人たちと混合した。
この南九州へ上陸したのがその彼らだ。
Yハプロは、O1aだろう。
台湾の先住民やフィリピンのタガログ語話者たちには、このO1aが高頻度でみられる。 >>657
そう、すごく例外的。
だから疑問視する声もある。
何より時期的にあまりに古く、距離を埋めるものがない。
南島語なら航海技術の発達と相互の往来の事実で証明できる。 >>665
間を埋めるものったって、氷河期には地続きになってたし、今の暖かい時期でも海の幅は60キロくらい、間に島がすくつも有るので、20キロずつ渡って行ける。
20キロの海峡というと、日本の津軽海峡よりちょっと広く、英仏ドーバー海峡よかちょい狭いくらいだ。
分布が連続していないのも、間に、割と最近に急速に広まった語族があるからだろ。エスキモー語族が大体6世紀ころ、テュルク語族が8世紀ころ、モンゴル
語族が13世紀ころ、インドヨーロッパ語族が18世紀以降に、小集団を塗りつぶしながら急速に広まったからな。 言語学界では、オーストロネシア語族が太古に中国南部の人民に源を発していて、台湾、フィリピン、そして南の島々に広がったことは、常識となっている。
何派にもわたって広がり、インドネシアやマレーシアなどまで拡散した。
疑うなら、台湾やフィリピンの歴史の古代編でも覗いてみたまえ。 まあ、クルクルパー(頭おかしい)がフィンランド語のfullu paa(狂った頭)の祖語由来だというのは、ほぼ確実。
中国の8000年前の満州にいたフィン・ウラル語派と呼ばれる言葉を話す人民たちと、現在のフィンランド人たちは同系の種族で、かれらが作った文化を遼河文明と呼ぶ。
この人民たちが4500年前ころから分散しはじめ、その一派が日本列島にやってきたとみられている。
YハプログループはNだ。
その人民たちが、fullu paa(フルル・パー=頭おかしい)という言葉を使っていて、それが日本列島にもたらされて、クルクルパーになったの。
君たちは、クルクルパーかい。 君たちは、学識があって、ヒンディー語と英語などとは印欧語族と呼ばれる同系の語族であることを知っている。
インドからヨーロッパまで大そうな距離があるが、かれらが同語族であることを、学者の研究によって知ることができた。
つまり、距離というものは、あまり意味がないのだね。
であれば、フィンランド語と日本語の語彙が同系であることがあっても不思議ではない。
そのフィンランド語の祖語が満州あたりにいた人民が話していたものであれば、日本とはつい目と鼻の先だから、日本人とフィンランド人が、クルクルパーの語彙を共有していたとしても、まったく変てはないことが分かる。
ひとつ、「遼河文明」を検索して、ちょっと覗いてみてね。 >>669
インドとヨーロッパの間にはペルシャがあるからなー。
紀元前のアテナイとかスパルタとかがヴイヴイ言わせてた時分、ペルシャの、東隣がインドで、西隣がギリシャ小都市群だったろ。
ギリシャ圏のすぐ西にはラテン人、その西にはガリア人、ガリア人の北にはチュートン人、スラブ人というふうに、連続してたし。 >>668
↑
ただの擬態語をどこぞのド田舎のマイナー言語に語源を求める頭クルクルパーのレスがこちらとなります
遼河文明のハプログループNは雲南のイ族や四川の漢族と同系統のもので西方のヨーロッパへ拡散したサブグループとは異なる
回転の擬態語でクルクル系統のものはシナ・チベットにもインド・ヨーロッパにもあるが
fullu(笑)では猶更遠いうえにフルルではなくフッルと呼ぶので意図的に語形をゆがめているこいつはガイジ確定
もう顔中草まみれや
ちなみにフィンランド語のpää(頭)だが
これはウラル祖語では*päŋeと再構されている
原ウラル人の頭はパーなのではなく禿(パゲ)なのだ
https://en.wiktionary.org/wiki/pä;ä つーか検索してもfullu pääなんて文字列どこにも出てこないし
それどころかfulluなんてそもそもフィンランド語存在してねーよ
死ね! >>671
血統(遺伝子)、帰属意識、言語の組み合わせは、結構シャッフルされやすいで >>673
なになに語族なんちゃら語派ほにゃらら語群という風に多くの近縁言語のある大語族の一部を為す言語は世界中の言語の系統樹のなかでも末端にある派生的なものでしかなく
仮に遠く離れた言語のとある単語に同源のものがあったたして、それは派生的な言語の方が真似をしたからでしかない
日本語は日本列島外に同語族が存在せず、そもそもそれ自体で語彙はともかくとして、音韻体系としては非常にバラエティーに富んでおり、それ自体で一つの世界を構成するレベル
ド田舎フィンランドとは無関係、関係があったとしてもそれは縄文人と同根の旧モンゴロイド系アムール土器文化人が一万二千年前に西進してヨーロッパまで行き着いた結果でしかない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています