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明清帝国 二
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0120世界@名無史さん
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2019/01/29(火) 12:33:48.300
朝鮮の両班の官服は、明の科挙官僚そのもの

清はシナ本土では胡服弁髪を強制したが、朝鮮では明様式を続けさせた
0121世界@名無史さん
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2019/01/29(火) 12:36:13.230
明から清への王朝交代では、社会変動は他の王朝交代に比べて小さかったが、シナ人の外見の変化は最も大きい

胡服弁髪は、マンガに出てくるシナ人のトレードマーク

時代劇も、清だとすぐ分かる

唐と宋なんか、簡単には見分けつかない
0122世界@名無史さん
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2019/01/29(火) 13:56:37.450
>>100
ブルボン王朝の絶対王政は、明清の制度の影響を受けている
フランス啓蒙主義思想家は、中国の長所短所を指摘してフランス絶対王政の参考にしたが、
ルイ14世個人にも影響を与えていたと思われるが、プライドが高いフランス人は
そういうことをあまりいわないようだが
0123世界@名無史さん
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2019/01/29(火) 17:10:24.410
>>115
周は封建制の元祖やん
0124世界@名無史さん
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2019/01/29(火) 18:19:18.590
儒教は実に称賛に価する。儒教には迷信もないし、愚劣な伝説もない。また道理や自然を侮辱する教理もない。
(略)四千年来、中国の識者は、最も単純な信仰を最善のものと考えてきた。(ヴォルテール)

ヨーロッパ諸国の政府においては一つの階級が存在していて、彼らこそが、生まれながらに、自身の道徳的資質とは無関係に優越した地位をもっているのだ。
(略)ヨーロッパでは、凡庸な宰相、無知な役人、無能な将軍がこのような制度のおかげで多く存在しているが、
中国ではこのような制度は決して生まれなかった。この国には世襲的貴族身分が全く存在しない。(レーナル)

共和国においては徳が必要であり、君主国においては名誉が必要であるように、専制政体の国においては「恐怖」が必要である。
(略)中国は専制国家であり、その原理は恐怖である。(モンテスキュー)
0125世界@名無史さん
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2019/01/29(火) 18:21:58.500
18世紀のヨーロッパは貴族政治だった

貴族階級が没落し、高等文官試験に合格した平民の集団が仕切る清は、彼らにとっては、驚くほど近代的な体制だった
0126世界@名無史さん
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2019/01/29(火) 18:24:49.400
もちろん、中国にも名家とか、良い血筋はあった。
だが、それでも貴族ではなく、あくまでも平民だった。
凡庸な人物が何代か続いて科挙の合格者が出ないと、その家は没落した。

・・・ここまではその通りなのだが、忘れてはならないのは、清には支配階級たる満州貴族がいたこと。
0127世界@名無史さん
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2019/01/29(火) 18:59:03.050
科挙官僚には、皇帝の家産奴隷みたいな面もあった

しかし、高級官僚なら三代は食っていけるほど蓄財できた

そんな財産も、何代か科挙の不合格が続けば、食い潰して没落する羽目になった
0129世界@名無史さん
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2019/01/29(火) 23:56:19.340
>>102
しかし、今の中国共産党に体現されているあのプロパガンダ手法・洗脳手法は、どこが起源なんだろうねえ。
あの粘っこくて気持ち悪い、価値論の根元部分を操作して刷り込んでいく独特の手法。
価値観レベルで追い込んでいって、自発的に隷従するところまで持っていく。
決してコミンテルン程度の歴史の浅いものではない気がする。

すでに康煕帝の李氏朝鮮に対する扱い方が、今の中国共産党の手法とそっくり。、
だから清が起源なのかな?とも思うが、満州族固有とも思えない。
もしかすると明なのかね。
0130世界@名無史さん
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2019/01/30(水) 00:16:57.620
>>122
ルイ・ブルボン王朝は、官僚制など中国のいいところを取り入れたところはあったが、
一緒に 発展→加熱し過ぎの最盛期→農民反乱→滅亡 という東洋専制国家リズムも取り入れちゃった感ある

フランス革命は農民反乱リズムまで取り入れちゃった感

現在の中国はシンガポール的強権手法で発展しているが、結局いつものリズムから
抜け出せない感強い

今統一してから70年目、明で言えば永楽帝の治世の終わりくらい。

科挙制度は本来その時代のもっとも経済力(教育投資力)と知的能力のある人材の社会階層を支配層に
取り入れ、経済階層と政治体制が分裂して社会不安にならないように機能する制度のはずだが、
中国は、古来歴史に学び、過去事例をよくわかっているのになぜか毎回繰り返す

だから今回も、明型ならそろそろグダグダになり、清型ならあと100年成長加熱し続けピークアウト、
150年後に農民反乱、200年後に滅亡する予感がどうしてもしてしまう
0131世界@名無史さん
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2019/01/30(水) 02:11:19.030
>>130
その官僚制度が癒着からの制度疲労で毎回、国をぶっ壊してきたのが歴史なのだが
0132世界@名無史さん
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2019/01/30(水) 07:48:42.530
>>130
そうだな

「人民反乱で王朝滅亡」なんていう、中国史ではいつものことだが、西洋史では前例のないことが起きるようになってしまった
0133世界@名無史さん
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2019/01/30(水) 07:51:33.980
清は、19世紀初頭に白蓮教徒の乱が起きて急速に衰退した
0134世界@名無史さん
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2019/01/30(水) 07:54:05.510
>>128
貨幣経済の爆発的な発展が起きたのは明
0136世界@名無史さん
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2019/01/30(水) 11:17:10.780
>>133
逆でしょ
乾隆年間は全盛期でもあるけどその末年は衰退期でもあった
特に寵臣ヘシェンによる長期かつ巨額の横領は国家財政を大いに弱らせた
結果、本来は簡単に抑え込めるはずだった白蓮教徒に長く反乱させたままになった
白蓮教徒の乱が起きて急速に衰退したのではなく
既に衰退していたものが乱によって見えるようになっただけに過ぎない

また衰退の端緒は既に康熙年間に八旗軍の弱体化という形で顕在化しつつあったし
この八旗の脆弱化は康熙、雍正、乾隆の清朝絶頂期にも度々問題視されて
皇帝から満洲人への武芸の奨励という形で解決を試みられたが改善の兆しすらなかった
0137世界@名無史さん
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2019/01/30(水) 11:31:23.720
長い平和が続くと、軍隊は弱くなる

こればっかりは仕方ない
0138世界@名無史さん
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2019/01/30(水) 11:51:24.240
>>137
清は結構平和な期間が少ない

康熙帝はガルダン・ハーンやその後継者たちのジュンガル帝国と長く争ったし
雍正帝、乾隆帝もそれを引き継いで戦争はしていた
清朝の面白いところは戦争を繰り返しているのに、満洲人が文弱化して軍隊が弱体化して行ったこと
0139世界@名無史さん
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2019/01/30(水) 12:22:59.130
西洋伝来の鉄砲の威力で、ようやく異民族を屈服させた
0140世界@名無史さん
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2019/01/30(水) 16:48:24.020
>>130
>>136
人口ボーナスとグローバリズムの恩恵を受け
表面的な数字が最高潮に達した00年代(江沢民末〜胡錦濤)に持続可能な成長への転換・改革を怠り
政軍官民を腐敗させた中共国も順調に歴代中華帝国と同じ道を辿ってるな

いかなる賢君、賢臣でもこのリズムは覆せない
0141世界@名無史さん
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2019/01/30(水) 21:11:51.960
2019年現在の人民共和国は、大清で例えるとすでに乾隆帝後半の雰囲気だよね。
白蓮の乱のちょっと手前ぐらい。
内部は既にgdgdなのだが、対外的にはMAX、いやまだまだ伸びてるように見える。

唐も明もそうだけど、中華王朝は崩れ始めてからが、とにかくしぶとい。
崩壊しそうな状態で100年、下手すりゃダラダラ200年持つ。
0142世界@名無史さん
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2019/01/30(水) 21:21:35.860
明の場合、ちょい斜陽になりかけたのが土木の変あたり? で少しずつグダってきて、正徳帝の時は
はっきりと衰退期に。(経済は発展しとるが。) しかし、滅亡まで120年位ある。唐も清もそう。
100余年つーと、元なんかそれだけで全生涯だ。
0143世界@名無史さん
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2019/01/30(水) 21:54:37.360
>>141
王朝が崩壊するときの災厄は想像を絶するものがあるからな

できるだけ先延ばししたいのが人情
0144世界@名無史さん
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2019/01/31(木) 08:45:38.380
農民反乱で動いてきた歴史もいっても、農民の政治的な意識が高いわけではない

よほど追い込まれない限り、立ち上がることはない
0145世界@名無史さん
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2019/01/31(木) 08:49:23.260
いまの中国農民は、以前より良い暮らしをしている
0146世界@名無史さん
垢版 |
2019/01/31(木) 09:55:47.070
天安門事件で人民が虐殺されても中共が滅びなかったのは相手が農民で無く都市のインテリだったからなんだろうな
どこの国でもインテリは嫌われてる
0147世界@名無史さん
垢版 |
2019/01/31(木) 20:24:59.350
明の朱元璋と、中共の毛沢東

インテリ大虐殺は過去に2度も起きている
0148世界@名無史さん
垢版 |
2019/01/31(木) 20:25:24.940
秦の始皇帝も入れれば3度
0149世界@名無史さん
垢版 |
2019/01/31(木) 20:40:14.360
明がダメになったのは、天啓帝の時代だな。
明の皇帝は残虐か変人かのどちらかばかりで、
天啓帝は残虐ではなかったが日曜大工仕事が大好きで政治を顧みなかった。
ために宦官の魏忠賢にさんざん好き勝手やられた。
汚職で国家財政をくすね、対抗する官僚には罪をでっちあげて拷問で殺す。

天啓帝が事故死して弟が崇禎帝として即位する。
彼はまず魏忠賢とその一族を誅殺し、前代に乱れきった世を立て直すため、経費削減として駅伝制を廃止する。
これで地方の若者が職にあぶれ、反乱が勃発。その一人が李自成だった。
さて崇禎帝はまじめだったが家臣を信用することができず、些細なことで次々と罷免、処刑した。
あげくは北の女真族に対峙していた名将の袁崇煥を濡れ衣で処刑してしまい…

こうして内憂外患で明は滅びましたとさ
0150世界@名無史さん
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2019/01/31(木) 22:09:44.700
魏忠賢は本当に有名だな

時代劇の悪役としては定番だ
0151世界@名無史さん
垢版 |
2019/01/31(木) 22:12:17.510
天啓帝より遥かに有名

「天啓」というわりには愚かだった
0152世界@名無史さん
垢版 |
2019/01/31(木) 23:22:33.950
永楽帝のモンゴル・ベトナム遠征と鄭和艦隊遠征と大規模な北京宮殿建設事業は、
国力消耗したと思うんだが

永楽帝がもうちょっと抑えておけば明の最盛期は15世紀後半くらいに持ち越せたのではないだろうか
0153世界@名無史さん
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2019/02/01(金) 00:28:01.060
>>152
ifを語るので正しいとか正しくないとかはどうにでもなるんだろうけど
永楽帝の対外政策は悪いことじゃないと思うんだよな

明は結局陸のシルクロードはモンゴルに取られっぱなしで
海のシルクロードは抑えなきゃいけないからモンゴル系の軍人使って
海上ルート抑えに掛かったってのは間違ってないはず

問題点としてはその海のルートを抑えた場合、陸のモンゴルをきっちり駆逐して
水陸両方のルートを確保しないといけなかったのにそれに失敗した事で
あっと言う間に逼塞した政権になってしまったという事

ただこれはたまたま大航海時代の後にスペイン銀が世界中に広まったことで有耶無耶になってしまったけど
0154世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/01(金) 02:20:11.500
明清以降になると中国本土は狭すぎ
北米(太平洋・大西洋付)とオージーくらい追加しないとgdgdは避けられない
0155世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/01(金) 07:33:52.060
モンゴル帝国は、海洋に対しても極めて積極的だったからな

世界最大の海軍を保有していた南宋から受け継いだ伝統だ

それは、明の永楽帝まででストップした
0156世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/01(金) 07:36:03.020
モンゴル帝国は、天津から北京まで巨大な運河を掘削し、なんと北京に海港を作ってしまった

このため、北京は陸でも海でも交易の中心となり、空前の繁栄期を迎えた

それに比べて、明清の海禁政策はあまりにスケールが小さかった
0157世界@名無史さん
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2019/02/01(金) 17:49:06.420
>>138
清の軍制は柔軟に変化する。
八旗や緑営の無力さは絶望的だったが、
勇営で太平天国を破り、
自強運動での軍の近代化もある程度成功したので、
ヤクブ・ベクの乱、捻軍、
ミャオ族、パンゼーの乱などを鎮圧できた。
特にヤクブ・ベク政権を英国、
ロシア、オスマンが支援してたのを
武力鎮圧できたのは大きい。
新疆を失われずに済んだ。

ただ海戦は弱いかな。
清仏戦争で海で敗戦を重ねてしまうし、
東洋一の北洋艦隊は日清戦争で壊滅。

日清戦争後、
完全に西洋式の新軍を編成したが、
袁世凱が台頭してしまう。
0158世界@名無史さん
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2019/02/01(金) 21:48:21.490
>>154
北米とオージーを得て、
資源を利用できたのが英国。
清との差がここで出てしまう。
ケネス・ポメランツの「大分岐」では
清と英国の経済水準がほぼ同じだったのが
その後の人口増加による資源枯渇の
限界にどう対応できたかで差が出た
とする。
英国は良質な炭田に近かったのと
新大陸から資源を持って来れた。
0159世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/01(金) 22:24:50.350
土地が足りねェ…燃料が足りねェ…鉄が足りねェ…食料が足りねェ…図体がデカすぎてどっかの傘下に入れねェ…

大航海時代するしかないチャイナ、しかし海ではアングロサクソンに勝てないアル
0160世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/02(土) 02:41:39.170
中国は、アメリカと並んで、地球上でも最良の地を占めている

それでも足りないとは、話にならない
0161世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/02(土) 02:48:56.260
これというのも、明清の人口爆発が元凶だ
0164世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/02(土) 08:06:00.520
山東省の人は子女が東北三省の人と
結婚しようとすると反対する。
東北三省を見下しているからだ。
なぜなら山東省で落ちぶれた人たちが東北三省に移住して行ったので、
強い偏見がある。
清は永らく故地の東北三省への
漢民族の移住を禁止してたが、
禁令が解かれたら、
一気に山東省の余り者が
東北三省へ流れて行った。
0165世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/02(土) 09:38:54.410
山東省だけで人口1億

独立すれば、かなりの大国だ
0166世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/02(土) 09:41:48.300
文献で確認しうる、比較的まとまった統計資料によれば、漢代以降二千年の長きにわたって、
中国人口は、その領土の大小もあるが、大抵4000万から7000万の間で徘徊していたといえる。この状況は清代において全く変化する。

  康熙帝即位の年、つまり1662年にはすでに9000万を突破、その後その増加傾向は止むところを知らず、康煕二十四年(1685年)には1億の大台にのる
(一説には乾隆年間になって初めて1億を越えたともいわれる)。
その後乾隆二十四年(1759年)には2億、乾隆五十二年(1787年)には3億、とそれぞれ突破する。
0167世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/02(土) 09:44:47.190
「人口爆発は明代に始まった」とよく言われるが、明代はまだ「限界突破して増え始めた」といったところであり、人口爆発が本格化するのは、なんといっても康熙帝からの三賢帝時代だ。

「限界突破」とはどういうことかというと、前漢以来、中国の人口は荒っぽい増減を繰り返しつつも、だいたい「六千万人」が天井となっており、ある意味では安定していた。

それを突破したのが、明の後期ということになる。
0168世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/02(土) 09:58:54.850
人口爆発は18世紀と習った俺は逆に「明代から」つー話はこのスレが初耳だった。
0169世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/02(土) 10:29:13.500
まあ、「唐宋変革期の変化の大半が、じつは唐の後期から始まっていた」っていうのと同じで、清で起きた大きな社会変動は、さかのぼると明代から始まってたってことでしょうな
0170世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/02(土) 10:31:31.930
中国の特徴は、だいたい明清の頃には出来上がっていた。

人口爆発も、砂漠化も清で起きた

中国人が拝金主義で金銭への執着が強くなったのも、最近の高度経済成長のせいと考えている人が多いが、そうではなく明清から続く傾向
0171世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/02(土) 10:34:29.100
中国は世界の先陣を切ってキャッシュレス経済に突入し、いまも貨幣経済の最先端にいる
0172世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/02(土) 12:16:13.740
じゃあ、世界が没落する時は中国が一番最初だということだな。 実際にその兆候出てるし。
0173世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/02(土) 12:54:16.770
中国が没落すると影響が必ず世界中に及ぶから、それは間違ってないな
iPhoneですら中国で製造してるから、機械類、衣服を初めとしてモノが大量に手に入らなくなる
その上難民まで出るようなら世界の前に日本が終わる
0174世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/02(土) 13:12:03.770
>>173
大丈夫だ

すでに工場は中国から逃げ出している

iPhoneなんか無くても困りゃせん
0175世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/02(土) 17:54:38.830
ガラケーの俺様が来ましたよ
0176世界@名無史さん
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2019/02/02(土) 18:48:36.050
>>170
まあ21世紀中国人のアレな面についてはバブル経済や一人っ子政策等の影響は確かに強いだろうけど

伝統中国を引き継いでる、むしろ伝統中国人の方がもっと酷かったところは多々あるでしょうね
天文学的賄賂や横領なんて伝統中国のお家芸だったわけだし
0177世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/02(土) 21:32:55.710
明代における経済的な変化は、次の三点にまとめられる。

第一に、農業産業の補助であった手工業が独立した産業となり、生産量も大規模になった。
第二に、伝統的な農業の経営方法とサービスの対象が集約型、経営型になった。
第三に、中国封建社会独自の生産成長が出現した。

ここで、着目すべきはこの時期の人々の消費内容の重点が物質面から精神面に変わったことである。
例えば、現代でも人気がある中国の古典劇の崑曲は元末明初に顧堅によって創始され、明の嘉靖年間、
魏良輔という音楽家によって改良されて、軽やかで甘美な清唱になり、明末清初に隆盛にいたった。
0178世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/02(土) 21:33:38.230
しかしながら、経済の急速な発展に伴い、さまざまな問題も出てきた。その中で、最も著しい問題は「奢侈」という問題である。

明代中期の1436年(正統年間)、江南地域でこの問題が浮かび上がり、明中後期の嘉靖(嘉靖元年1522年)年間以降、奢侈の風気が強まった。
万歴(万歴元年1573)以後徐々に他の地域にも広まった。つまり、江南地域は他の地域より60、70年ほど早かったのである。
0179世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/02(土) 21:35:25.240
「衣」は明初期に素朴だったが、明中後期になると、経済の飛躍的な発展にともない、江南地域の人々は高級な衣料品を求め始めた。
夏は薄絹、紗、絽など高級的な絹織物を愛用し、冬は狐、貂などの高価な毛皮を着ていた。
綿、麻などは全く眼中になかった。材料の上品さだけではなく、衣服のスタイルもよくなった。
「時世装」、つまり流行ファションという言葉も出現した。

「食」の奢侈傾向は宴会に現れた。明初期には食材にこだわらず、種類も量も少なかった。
しかし、明中後期になると、ツバメの巣、フカヒレなどもよく食卓に上った。
主人や客は演劇を見ながら、珍味をあじわい、美食を乗せる器にもこだわった。
0180世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/02(土) 21:36:50.870
明中後期の奢侈の特徴は三点にまとめられる。
まず、奢侈の範囲は以前の時代より広かった。
以前には高級官吏、貴族、大金持ちなどの上層社会の人々に限られていたが、明中期以降は中下層の市民にも浸透した。
奢侈の風気は町から郊外に侵入し、身分がある家庭から一般的な市民へ、そして農民にまで広まった。
次に、明中期以降、奢侈品は一般的な日常生活用品になった。
例えば、明初期にぜいたく品であった綿ネル、葛布、眼鏡、磁器などは明後期に至って誰でも買える商品になった。
理由はいうまでもなく、価格が安くなったからである。
商品経済の発展により、手工業製品、贅沢品などの需用が急増し、手工業者が増える一方で、工房も多くなった。
最後に、奢侈は身分の格差を縮めた。庶民は官僚、命婦、士大夫の服飾をまね、娼妓までも轎と画舫に乗るようになった。
0181世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/02(土) 21:42:42.680
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/ginnan/ginnan27html/77bun2-sin.html というサイトからのコピペだけど、
どうやら、嘉靖・万暦年間以降の明の江南は、世界に先駆けて大衆消費社会に突入していたようだ。

もしも現代のような経済統計があったなら、急速な経済成長だったと言えるだろう。
0182世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/02(土) 23:36:32.650
強力な皇帝専制の官僚国家

高度経済成長による大衆消費社会の到来

明は、まさに現代の中国を見るようだ
0183世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/03(日) 11:33:59.650
エロ小説として有名な「金瓶梅」は登場人物の衣服の着こなしや食事の献立内容が細かすぎて
ウンザリするくらい。
だからこそ、小説が書かれた明代の風俗を知るには格好の史料だ
0184世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/03(日) 15:24:11.110
まあ、明末は日本銀とアメリカ銀が流入して、良いインフレとしての「東洋の価格革命」が起きてるからね。

明の貨幣経済は、実は日本銅が支えてきたのだが、銅は使い勝手がわるく、経済の足を引っ張っていた。
日本人は高品位の銅地金を持ち込んで、相対的低品位の銅貨を持ち帰る。
明の当局としては「濡れ手に粟アル。こいつら馬鹿アルね?」としか思えないウハウハ状態だが、
日本人が銅銭を持ち帰ってしまうので、社会全体としてはデフレ圧力になる。

銀の普及で、この銅銭依存問題が解決され、しかもちょうど新大陸銀の流入と日本銀の技術革新が重なってインフレになった。
0185世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/03(日) 16:02:20.020
徳川吉宗は明の刑法である明律を愛読していた。
それも若い時からの明律オタク。
和歌や漢詩を好まず、
明律ばかりを読んでた変人。
その成果が公事方御定書と言える。
0186世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/03(日) 17:18:52.680
よくわからないけど
明律が人気で、清律ではない。
荻生徂徠の著作も「明律国字解」。
0187世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/03(日) 19:41:17.180
まあアルカイックな中国古典なんぞより
現実に運用されている刑法の方がおもしろいってのはわりと普通な気がする
0188世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/03(日) 23:09:58.270
江戸時代後期、九州豊後中津藩の勘定方で漢学者でもある藩士・福沢百助が
清の乾隆帝時代の法令を記した漢籍『上諭条例』を手に入れた。
ちょうどその日、彼の妻が次男坊を出産した。

そんなわけで、次男坊には「諭吉」と命名された。
0189世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/05(火) 06:40:33.450
自ら去勢し、宦官に志願するものが出てきたのです。

この自宮ブームが頂点に達したのが明代(1368 - 1644)でした。
皇帝サイドでは、幾度も禁令を出してはいたのですが、効果が出ないどころかかえって希望者が増える始末。
家族を失って途方に暮れた、家が貧しい、博打で大負けした、そんな理由で「自宮(自ら去勢)」に及ぶものが続出したのです。
0190世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/05(火) 06:41:50.910
それにしたって、包丁で指をチョンと切るだけでも痛いのが人というもの。
ヤケになったからって大事なあの部分を自分で切るなんてそんなバカな、と現代人なら思うところでしょう。

これには理由があります。
中国で官僚になるためにはあの有名な科挙に合格しなければいけません。この科挙は人類史に残る超難関試験。
才能があっても試験官との相性が悪いばかりに落ち続ける人もいたりしますし、ある程度のお金持ちでなければ試験勉強すらできません。

では貧しい庶民には宮廷での出世ルートはまったくないか?というと、そうではありません。

宮廷に潜り込む究極の裏口——自宮して宦官になる道がありました。
科挙、従軍、官吏、そして宦官が庶民の出世ルートになったのです。
0191世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/05(火) 06:43:08.690
また宦官になると、国が徴発して行う労役が免除されたため、それを目的として自宮する者もいました。

その数、明代で実に十万人とか!?

欠員補充もそれだけ多くなりました。さらに権力を握った宦官たちは皇帝並かそれ以上の贅沢にふけり、親族までもその恩恵にあずかります。宦官になればあんな贅沢ができる、と真似する者は当然出てくるわけです。

そうはいっても大事なものを切り取ったら、性的な欲求が満たせなくなるのでは、と思うところではあります。
いや、これがむしろ逆なのです。
明代の宦官は宮女と疑似結婚することができました。プラトニックラブで結ばれたカップルもいますが、欠落したものを別の手段で補う者もいたわけです。
0192世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/05(火) 07:29:05.970
明は、中国の中国らしさが頂点に達した時代

中国を知りたければ、明に学ぶべし
0193世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/05(火) 17:09:40.780
近代に至って中国知識人にも日本人にも見限られた中国らしさの基盤を作った助走期間
唐(半ば以降)〜宋も忘れちゃ駄目アルヨ
0194世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/05(火) 19:13:21.180
田中芳樹は漢民族マンセー

だから国力的には弱体化していた宋や暗君ぞろいの明をマンセーして
パクスモンゴリカの元や賢君ぞろいの清を絶対みとめない。

夷狄の王朝なんか絶対認めないから。

だが鮮卑族の北魏は率先して漢化してるから認めている
0195世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/05(火) 19:50:10.850
宦官にとっては皇帝が愚かであればあるほど、また政務から遠ざければ遠ざけるほど、権力に近づくことができますから、様々な手段を使います。

わざと皇帝が遊んでいるところに政務を持ち込んだり、ハーレムのような美女だらけのいかがわしい施設を作ってそこに皇帝を入り浸りにさせたり、健康によいと騙してあやしい薬を飲ませ中毒にしてしまったり。
明朝の皇帝は、趣味にかまけて政務丸投げ、引きこもり、遊び過ぎて早死に、あやしい宗教にハマる、薬物中毒、薬物を飲んだ途端に頓死など、尋常ではないレベルの暗君揃いです。

しかし、それもこれも幼少期から宦官たちがよってたかって甘やかし、駄目にしてしまったわけですから当然の結果とも言えるでしょう。
0196世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/05(火) 19:56:19.090
習近平が、理想の指導者像と考えているのは毛沢東。そして毛沢東の愛読書は『明史』だった。

「漢民族にとって、清は北方からの侵略者であって、最後の王朝といえば明になります。
明の初代で、貧農の子として生まれた洪武帝も、その息子の永楽帝も『字を知らなかった』と毛沢東は述べています。
習近平は青年期に過酷な境遇で、教育を受ける機会をほぼ逸しました。
大国の指導者に求められる国家像として、清朝以前の、中華帝国の残像を描いているのではないでしょうか」
0197世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/05(火) 20:01:51.830
そういえば、清朝が倒れた折に
孫文だか袁世凱が、明の太祖朱元璋陛下の陵に
漢族の世が復興したことを報告したらしいな
0198世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/06(水) 17:51:02.280
>>196
ほぼ一貫して現代化された法家みたいな政治してる今上皇帝は、デジタル・レーニンもといデジタル法家主義者という感じかと、もちろん毛は中共の高祖なので当然理想化するし彼の使える言動は使いまくるけどね。
意外と明清を引用するから古典中国よりも現代中国社会の参考になる近世中華帝国を意識している可能性はある。

漢族ナショナリズムの発揚と民族間の緊張は江胡時代から盛ん(むしろ先代のおかげで収拾がつかなくなったと言える)
0199世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/06(水) 18:17:29.240
>>196
洪武帝と永楽帝が「字を知らなかった」ってすごいな
そりゃ忙しくても読書ばかりしてた毛沢東から見たら文盲に近いのかもしれんが
0200世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/06(水) 23:41:50.760
>>196
そりゃ嘘だ。洪武帝は寺で小僧をしていたから字の読み書きは出来た。
だから、頭に焼印を押されたあとがあってかつ髪が薄かったので禿の字と
紅巾軍(白蓮教)にいた過去を連想される光の字を書くのを弾圧した。
特定の文字を弾圧するのは読めて意味が分かってこそ。
永楽帝も賢妻の馬皇后が母親で幼いころから早朝から学者を招いて勉強し、
記憶力と感が抜群に良く諸皇子の中で有能だったということだから、これも嘘。
0201世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/06(水) 23:50:38.330
>>196
漢族にとって明が最後の民族王朝だろうが、政治は清の方が遥かにまともで、少数民族に対する配慮もあった。
イ族に対して夷の文字を当てるのを禁じたし、チベット族や姜族に対しても高度の自治を認めてた。
明を手本にするなら、内モンゴル、チベット、ウィグルは独立させるべき。
0202世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/07(木) 02:16:04.220
明よりは清に近いでしょうね、中共は

近年の民族政策や宗教政策の厳格化は漢民族・漢文化の限界をある意味正しく認識したからという気がする
改革開放という時代(特に90年代以降)は大陸を民族意識でまとめようとしたけど、その政策はイスラムや西洋化には通用せず失敗した
0203世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/09(土) 20:29:41.000
>>202
中共の領土は清から引き継いだが、
滅満興漢と言った時点でモンゴル族は
「どうぞ勝手に俺らは独立」とやろうとしたが、
孫文が邪魔した。モンゴルは戦闘力あったが、
人口が少な過ぎた。
チベットとウイグルはモンゴル程の戦闘力もなく、
同じく漢族に人口で圧倒されてた。
0204世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/09(土) 22:07:10.340
>>185
スレタイからは脱線してしまうが、
もし吉宗が触れたのが、明律ではなく、(当時もオランダから輸入できる)ローマ法の教科書だったら、
日本どころか東アジアの近代は大きく変わっていただろうにね。
そんな趣味を持っていたのなら、本当に惜しい。

17世紀前半といえば、ヨーロッパ大陸法はまだローマ法を法源として使っていたが、
すでに解釈学にはルネサンス以来の十分な蓄積があり、キリスト教臭い要素は払拭されていた。
オランダ人が、何でも良いので当時の法学教科書を持ち込んで、
通詞に概略を翻訳させたものを吉宗が聞いたとすれば、確実に興味を持って研究を解禁したに違いない。
0205世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/10(日) 16:04:09.850
西周そっくりの封建制を実践していると言ってホルホルしてた国でそれはあり得ない
0206世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/10(日) 17:53:03.400
確かに蘭学等は言語と既得権と地球半周の壁を乗り越えるほど魅力のあるものだったが
徳川将軍家にとって不都合な思想も多いからなぁ…
0207世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/11(月) 14:20:34.460
>>192
>明は、中国の中国らしさが頂点に達した時代

それ宋や
胡風文化がほぼ一掃されたし仏教も弱小勢力になって
外来文化の影響が最も小さかった時代やで
0208世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/11(月) 16:08:53.390
>>204
吉宗が蘭学に興味を持ってたのは有名で、蘭学がどっと入ってきたのは、吉宗が禁書令を緩めたおかげ

まあ、「蘭学を奨励して広めた」とまでは言いすぎなのだが
0209世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/11(月) 16:17:37.410
とくに医学がな

薬草の処方くらいしか中身がない漢方医学とは、レベルが違いすぎた

こればっかりは生命がかかってるだけに、好きとか嫌いとか言ってられない
0210世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/11(月) 16:29:14.290
吉宗だったら、当時の西欧の法学教科書つまり「ローマ法大全の注釈解説」にも興味を示しそうなんだよな。
そこには、条文の有無以外は、今の民法の教科書と同じく、民事訴訟の先例と細かい解釈論が書かれている。
「たかが出入筋ネタ」に、ここまで複雑な議論があることに興味を惹かれると思うんだ。
別にキリスト臭がするわけでもないし、こっちも解禁リストに含めそうなんだよね。

新井白石なら100%無理だが、徳川吉宗ならやってくれそうな気がするw

最初はもちろん刑事的な為政者の取締発想で読むと思うんだけど、
そのうち、ベースを流れる民事上の権利の発想に気づくはず。
統治の発想が明治を待たずに根本的に変わりそう。
0211世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/11(月) 20:37:47.710
>>209
当時の西洋医学は治療能力では漢方より遥かに劣ってたで
西洋医学の治療能力が大きく向上したのは種痘の発見以後や
0212世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/11(月) 23:02:34.870
>>211
厳密には「西洋内科学」は、まだまだ漢方医学に劣っていた。
これが西洋医学を総合力で追い抜くのは、実質的には19世紀後半以降の
生物学、生理学の基礎科学の発展を待たなければならない。

実際、明治期に西洋に赴いた留学生からも、
「感冒などの感染症に伴う発熱に対して氷風呂で全身冷却する」
という迷信的治療を現地医から強要され、肺炎を起こして死亡するものが出ている。

しかし、「西洋外科学」は、ルネサンス期の美術解剖学の発展に刺激を受けた
医解剖学の爆発的な発展で、漢方医学を大きく凌駕する地平に達していた。
杉田玄白ら蘭学者が江戸時代に注目したのも、この「西洋外科学」。
0213世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/11(月) 23:09:26.640
水銀とウンコ飲ましてた漢方が西洋医学に勝るとかないわ
17世紀にはレーウェンフックは顕微鏡を使って病原菌の存在を証明しているけど
中国医学だと何でも「気」の問題で解決だからな
0214世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/11(月) 23:15:41.790
>>213
レーウェンフックが発見したのは微生物まで。
つまり、医学の応用には直接結びつかない基礎科学どまり。
病原体の科学的発見とその証明は、1876年のロベルト・コッホによる、
炭疽菌の病原性証明の研究まで待たなければならない。

つまり、細菌学に基づく感染症研究の誕生と発展も、19世紀後半以降の現象。
日本はちょうどこの医学を中心とする西洋自然科学の爆発的発展に乗り遅れずに勢いに乗ることができた。

ちなみに、前近代の漢方医学は純然たる迷信と、優れた経験則の集積の両方の玉石混交で、
後者に限ってみればかなり高度なレベルに達していた。
0215世界@名無史さん
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2019/02/11(月) 23:29:10.520
>>212
訂正
×「これが西洋医学を総合力で追い抜くのは、実質的には19世紀後半以降の」
〇「これが漢方医学を総合力で追い抜くのは、実質的には19世紀後半以降の」
0216世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/11(月) 23:38:36.600
医学の応用に結び付かないとかそりゃねえわ
天然痘の予防接種とか病原菌の概念なしには絶対に思いつかないものなのに
また例えば1856年にクロード・ベルナールが犬に大量のオリーブオイルを食わせて膵炎が脂質の大量摂取によって起こる事
膵臓の炎症が膵炎の原因となることを証明したり動物モデルを使用した医療実験も行われている
こういった実証的な手法も五行説だとか言うカルト頼みの東洋医学にはないんだわ
0217世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/11(月) 23:51:59.220
>>216
それが、種痘技術の発見時には、おぼろげに「病原体」概念が浮かんできた段階で、
「病原微生物」という概念にはまだまだ至っていなかったんだな。
どちらかというと、当時はまだカルト的な「瘴気」学説が根強かったりした。

むしろ、コッホはプロの医学研究社じゃなくて一介の町医者だったからこそ
病原微生物の感染増殖による感染症の発症、という
当時としてはある意味異端の革新的学説に到達したわけだし、

同時代のパスツールにしてからが、医学とは無縁の結晶化学の研究者だったからこそ
カイコの病原体発見(ただし当初は彼は発見した粒子を病原微生物としては認識していなかった)したり、
ワインの発酵における低温加熱殺菌技術を開発できたと言われているんだ。

まぁ、19世紀半ばの科学的医学の本格的スタートの前提として、
17世紀ごろからの物理学、数学、化学、生物学といった
基礎科学の地道な進歩が背景にあった事は認める。

でも、まだ実践的な内科学に関しては、日本の江戸時代にはまだまだ幼稚なレベルだった。
0218世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/12(火) 00:02:12.790
ちなみに、種痘のジェンナーも、大学教育すら受けていない徒弟制度で育った一介の町医者な。

顕微鏡を発明して微生物の存在を発見したレーウェンフックにしてからが、本業商人の
アマチュア科学研究家だった。

西欧でも伝統的な大学教育の方が、むしろ古代からの迷信的理論の強い影響下にあったんだよ。

それを切り崩していくのが、ルネサンス期のレオナルド・ダ・ヴィンチのような工房の親方連中だったり、
17世紀以降にオランダや英国、フランスの市民社会の中で育ってきたアマチュア科学研究家連中だったりするんだ。
0219世界@名無史さん
垢版 |
2019/02/12(火) 00:40:25.340
>>213-214
外科は西洋医学が圧倒、内科は西洋にしろ漢方にしろ玉石混交であまり差はない
ってところだろうな
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