古代ローマを語ろう【ローマ人の物語】39
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>>661
そもそものスッラに対する立ち位置を無視すればね 離婚を拒否して逃げたカエサルをプロスクリプティオに
もう一度載せなかったのかスッラは? ポンペイウスは良い意味でも悪い意味でもお坊ちゃんっぽいからな
スッラやカエサル、アウグストゥスみたいなしたたかさが足りない
国のトップを任せるのには不安が残る 誰かこれ読んだ?
概ねのローマの版図・地域名・皇帝名(軍人皇帝時代以降は主要人物のみ)が頭に入ってる程度で読めるか教えてほしい
https://muraji-zare.blog.so-net.ne.jp/2019-02-11 そういえばブリテン島南部を征服出来た外来勢力は
ローマとノルマン朝だけなんだよね。
当時ブリテン島は有力な勢力が無かったから征服出来たのかも知れないが 領主が取って代わっただけのノルマン朝を「征服」と呼んで良いならば
ステュアート朝なんかも立派にブリテン島南部を「征服」したことにならないか? 「イングランドの外」という意味だったら、ヘンリー7世が糾合したウェールズ系の勢力も、
イングランドを軍事制圧していると言える。
あと、名誉革命だってイングランド議会との政治工作による合意があったとはいえ、
オランダ軍による上陸作戦でブリテン島を制圧している。 >>668
ノルマン朝は、地方領主も入れ替わっている。
1075年アングロ・サクソン系の最大の反乱が起きて鎮圧され
ノルマン貴族の男とアングロ・サクソン貴族の女の組合せですり替わっている。
アングロ・サクソン貴族の男が残ったケースは少ない。
土地評価額ベースにおいて
1086年でウィリアム1世がイングランドの17%、上位20人の俗人と12の聖職者が26%を支配。
合計43%を保有。このなかでアングロ・サクソン系はゼロだとしている(エドマンド・キング『中世のイギリス』) でもイギリス人ってノルマン系のYハプロIってほとんどいないよね
まぁ貴族だけで圧倒的多数の庶民には関係ないか >>672
貴族層でも、ノルマンフレンチ系の古くからの家門が、薔薇戦争で壊滅しているけどね。
今の貴族層はそれ以降に台頭した新しい家門が多いみたい。 >>672
英語は支配者の言語と庶民の言語と二重構造になってると言われてる。
豚を飼う庶民はpigと呼び、肉として消費する貴族はporkと呼んだから単語が違うと。 >>675
だから支配層は大陸から来たという話だよ。 ローマ・アングロサクソン・ノルマンと支配者は変わったが
ブリテンの庶民はケルト系のまんまという話が どこでもだいたいそうじゃない?
下層民まで入れ替わった例はむしろ少ない いや、ブリテンの場合、アングロサクソンはかなり広範に庶民ごと入れ替わったはず >>678
エジプトなんか下層階級までアラブ人やん
太陽神ラーを信仰してヒエログリフで読み書きしてるエジプト人なんか一人もおらんで >>679
ブリテンで支配層だけではなく庶民層まで大挙して渡ってきたのは、
新石器時代農耕民の上に入ってきたケルト系、ケルト社会の上に入ってきたアングロサクソン、
アングロサクソンの上に入ってきたデーン人、の3層だろうね。
ノルマンコンクェストの時のノルマンフレンチ、名誉革命のときのオランダ系は
支配者層だけ。 >>680
遺伝的にエヂプト人の過半が黒人だけどな エジプト人の大多数は土着の褐色系地中海人で黒人ではないぞ
Y-Eを黒人遺伝子と勘違いしてるだろ 遺伝子学的には少なくともラムセス3世の頃から現代に至るまでエジプト人のハプロはE1b1bが主流
つまり今のエジプト人はアラブ化した古代エジプト人
というか「アラブ人」の意味わかってるか?アラブ語族に属する人々の総称だぞ
日本は有史以来一つの民族一つの人種一つの言語一つの国家という世界でも稀な閉鎖的な歴史を辿って来たから
民族と語族と人種は別物だと理解できてない人が多い >>681
ローマによってブリタニアに送られたサルマタイは数が足りないかい? >>685
エリート騎兵だけで、庶民の農民牧民層を覆うほどじゃないだろ。 普通に考えて住民構成を入れ替えるほどアウクシリア入れたら財政がパンクするだろ
サルマタイ人のハプロタイプはスキタイ人と同じR1aとされているけど
イングランド人はほとんどR1bだからな ブリテンはアングロサクソン等が流入したとはいえそれでも「入れ替わり」は少数かと
今でも遺伝的にはイベリア半島の連中に一番近かったりするし
入れ替わったんじゃなく原住民が支配民文化に徐々に同化した系統が多数を占めてるはず >>688
実のところ、「島のケルト」は「大陸のケルト」とは互いにかなり異質だったんじゃないかって話もあるしね。
面白いことに、ゲルマン系のドイツ人はキノコ狩りを非常に愛しているけど、
ゲルマン系のはずのイングランドのアングロサクソン人は
キノコに対する関心が薄く、栽培マッシュルーム以外ほとんど食べようともしない。 Yハプログループについていえば支配民族が土着の民族を遺伝子的に駆逐するというとき
民族が総移住するというより現地妻を作るみたいなやり方が想定される
母系のミトコンドリア遺伝子は最初に定住した土着の遺伝子が多く残ることが知られている >>690
ラテンアメリカでのメスティソの成立において、先住民系のY染色体ハプロイドがほぼ駆逐されているっていう現象だね。 >>690
あと、新石器時代に起きたY染色体のボトルネック現象の原因究明のシミュレーションで導かれた結果にも近いかな。 >>693
例えば、旧石器時代のプロト縄文人みたいな集団が環日本海分布していたと仮定すると、
まず朝鮮半島で新石器時代にプロト縄文人系のY染色体が新来集団によって駆逐。
一方、日本列島では外来遺伝子の影響を受けずに縄文人が成立。
その後、紀元前10世紀以来の非朝鮮系の渡来系弥生人の渡来によって縄文系のY染色体が
部分的に駆逐されて弥生人が成立。
こういうモデルが考えられないだろうか。 それだと縄文時代に主流を占めていたmtハプロN9bが絶滅して半島系と完全に入れ替わったことの説明がつかない
また遼寧から広東、台湾、沖縄、本土、半島はYハプロは様々なのにmtハプロはD4系が過半数を占めるという異様な均一性を示しているんだが
これもどうやって説明するのか >>695
環日本海領域のY染色体ハプロタイプが非常に高い多様性を示していることに関しては、
最近の鳥取県青谷上寺地遺跡における弥生人の集団虐殺遺体の遺伝子解析結果と符合するように思える。
この弥生時代後期の遺体の大多数が縄文系と混血していない純渡来系で、
しかも東アジア大陸の多様な地域からの混成集団だったらしい。
もしかすると、周が殷を滅ぼして以降の大陸の混乱というのは文献記録で示されている以上に深刻で、
多様な地域からの男性戦士集団が大陸をあちこち大移動した挙句に朝鮮半島で女性を調達し、
大挙して日本に渡ってきた、という事なのかもしれない。
だとすると、現代日本人に15〜20%伝わっているとされる縄文系ゲノムはいったいどういうルートで生き延びたのか。 >>689
支配層だからキノコ狩りなんてしないってだけだろ 最近の遺伝子学では大雑把に言えば
ネアンデルタール混血なし→黒人
ネアンデルタール混血あり→白人
ネアンデルタールとデニソワ混血あり→黄人
まあここ100年でかなり撹拌されたがな
古代エジプト人は多分ネアンデルタールと混血後に
アフリカに戻った一派 エジプト人はギリシャ・ローマのあたりで地中海人(ラテン?)の血が混じったイメージ ヨーロッパだとD4のように在来のミトコンドリアハプロを駆逐して伸長したと思われるグループとして
H1が挙げられる
黒海大洪水によってヨーロッパ全土からアフリカまで拡散したとされるのだが例えば北アフリカでは
このH1ハプロが分布する地域ではアフリカ系に一般的なL系が全く見られずほぼこのH1一色の世界になっている
またバルト系やフィン人はYハプロでは北方人種とアジア系のYハプロNが共存しているのだがミトコンドリアは
H1とU6がほとんどをしめアジア由来のハプロは数%にみたない
とくにこのH1が進出した地域は多様性が著しく損なわれることから何か他集団に対してやってたとしか思えない >>702
黒海の増水による居住地や農地の壊滅という過酷な体験を背景にして、
非常に精神的にすさんだ武装難民集団として各地を襲ってジェノサイドに及んだという事かな。
そういえば、北米先住民なんかで敵対部族の優れた戦士を戦争時に捕虜にしてからいったん奴隷とし、
一定の試用期間を経てから部族の正式な構成員、戦士集団へと加えるという習慣を読んだことがある記憶がある。
そういう他集団由来の戦士の自集団への組み込みが襲撃とジェノサイドの後にあったとすれば、
在来集団のmtハプロイドの消滅とY染色体ハプロイドの生き残りが同時に起きた事を説明できるかもしれない。 移動し続けてる限りは補給(略奪)に困らんからな。総ナメされたのか。 >>701
プトレマイオス朝でギリシャ系の血が混じったのは支配階級のみじゃないか?
おかげで近親婚を繰り返すほか無かったようだし 新約聖書がコイネーで書かれたのは、東地中海の民衆が広く使っていたからでしょ。
言語は支配者層が代わるだけじゃ広がらない。
民衆レベルで相当入り込んでるはず。 >>706
プトレマイオス朝の存在時期と新約聖書が書かれたとされる時期を年表で確かめることをオススメする 日本人は外界と隔絶された島に住んでて外部との交流がほとんどないから
語族=人種と思ってる人多いけど大陸国家では言語だけかわるということはよくあること
フランス語を日常言語としてる人の8割は今や黒人だし >>708のように、「語族と人種は一致しない」みたいな表現も変だと思う。
全体に、族っていう語末のせいで、インドヨーロッパ語族をマサイ族とかホピ族とかと同じように民族名だと思ってしまうんだろう。
つまり、インドヨーロッパ語+族という語構成だと。実際にはインドヨーロッパ+語族という語構成なのに。
そのうえ、インドヨーロッパ語族の分布が広まるさまを、「インドヨーロッパ語族が南下」なんて表現するものだから、ますます民族名だと誤解される。
マサイ族の構成員は人間だが、インドヨーロッパ語族の構成員は人間ではなくて言語。インドヨーロッパ語族の人間なんて初めから一人もいるはずがないんだよ。 >>709
というか、
>>708
は「語族」を単なる「言語」程度の意味で使ってるんじゃないの カメルーン人とか印欧語族化しつつあるアフリカ人種の典型だな
若い世代はフランス語か英語かしゃべれず
政治対立もフランス語圏VS英語圏でアイデンティティーの拠り所も出身部族よりもそっちのほうが強く出てるし 『古代ローマ 軍団の装備と戦法』 https://www.amazon.co.jp/dp/477531646X/ref=cm_sw_r_cp_apa_i_sqXICbZ892HPB
>編成や陣形・戦術・兵站、重装歩兵や重装騎兵などの各兵種、
>装備品の解説に加えて、ローマ兵の精神性、
>さらには平時における仕事内容や余暇の過ごし方、
>食事のメニューなどの日常生活の解説にも
>紙幅が咲かれている。
>帝国最盛期でも待遇が悪く、
>強請など兵士による民間人への不法行為が頻発していたという。
雑誌『歴史群像』での紹介文なんだけど、読んでみたいわ〜
古代ローマの兵士には、
年金制度もあって好待遇だってイメージがあったから、
最盛期でも酷い扱いをされていたって話は特に気になる 一般人が豊かすぎて相対的に見るとイマイチだったのかな >>714
確かに「パンとサーカス」で好待遇な市民生活を思えば、
遠方への派遣もありうる兵役は、
たとえ高給もらえてもキツいものがあるな とはいえそもそも地方の正規軍団に入隊するのって
食い扶持と安定した給料求めてくる属州の貧困市民がメインだから
ローマ市・イタリア半島住みの市民層からすれば確かに待遇悪いとは言えるけど
属州だと過酷な軍団生活であってもわりとマシな方だったりもする
その本だと他の庶民層との比較がほとんどされていないけど
ロバート・クナップの「古代ローマの庶民たち」ではもっと詳しく語られていてお勧め 25年間勤めればローマ市民になれるんじゃなかったっけ? 「古代ローマ 軍団の装備と戦法」は現状の日本語で読める書籍としては
トップクラスにローマ軍の情報を細かくまとめてるからローマニアには必読レベル
でもどんな書籍にも言えるけど曖昧な部分もあるから他の併読もまた必須
これも補助部隊の装備が正規軍団とほとんど変わらないと一括りにしてたり
厳密には軍団とほとんど装備同じのもいれば
全く別の先住文化の軍装の部隊もいたりで補助部隊はほんと千差万別だったみたい
(わりと最近出たオスプレイのRoman Army Unitsシリーズがわかりやすい) >>718
正規軍団の入隊条件がローマ市民権もちなので入る連中はもともと市民
あるいは軍団兵の庶子などに非公式で黙認されてたやり方だけど入隊時に市民権もらう
兵役つとめて市民権もらえるのは補助部隊 兵卒軍人の待遇悪いっちゃ悪いけど
民間でも富裕層や上級市民以外は基本的にみんな待遇悪い
もっとも生活支援制度が手厚いローマ市ですら貧乏にあえぐ市民大勢いた そもそも、共和政時代に武装自弁の市民従軍義務制度から
武装を軍団でそろえてくれる志願兵制度に変わったのも、
農地を失って貧困層に転落する市民が増えたからだもんなぁ。 【世界教師】 私はマ@トレーヤ、近々、私の顔をテレビで見るだろう、大恐慌に備えよ、貧しき者たちよ
https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1552617511/l50
自分さえ充実していればいい、無関心エゴイストさんたちは、新時代には居場所がないよ〜 >>713
これ隊列中の兵個人単位の動き方とかも図付きで解説してて面白かった
このへんもっと深く掘りさげた戦術・戦闘メインの別冊出してほしい クソ過酷だし拘束キツイけど安定した衣食住・民間からの収奪ウマ味・運がよければ立身出世の軍隊か
平和で気ままだけど一生うだつが上がらず衣食住も不安定なその日暮らし生活かの選択 クソ過酷でもなければ拘束もきつくないんだよな
ブリタニアの最前線にあるヴィドランダ要塞から出土した木簡でも兵員の半数が常駐していなかったり
わりと適当なので他の地域は推してしるべし 記録でのウィンドランダ駐屯地が定数より少ないのは
ほとんどが様々な任務で周辺地域に人員派遣されてるからであって
適当じゃなくちゃんと管理されてるぞ >>717
旧日本軍と一緒だな
都会者の兵隊は飯が不味いと不満タラタラだったが、
山村で稗飯が常食だった兵隊は、麦三米七の軍隊飯でも
大変な贅沢だと目を見張ったとか 過酷さは時期にもよるんじゃないかな
ウィンドランダの文書群は安定した時期のものだったけど
エジプト東部砂漠での文書群は断続的な襲撃に晒されている時期のもので
各詰め所に何度も警告発せられたり遭遇戦が頻発して
戦死者もぼんぼん出て報告されてたりでかなり緊張感ある 「古代ローマ軍団大百科」だと属州アエギュプトゥスって属州の中でも最も平穏なとこみたいな書かれ方してた記憶があるが
ここも軍営地を勝手に抜け出す兵士が多くて問題視されてたらしい >>730
地中海側の北部は安定してたけど
紅海からの交易ルートある南部は襲撃が日常茶飯事だったっぽい
少し前の「軍事史学」のローマ特集で90〜130年当りのその地域での
緊迫感ある詰め所間の報告・伝令文書がけっこうな量紹介された 個人的に一番酷いと思うのは属国とかに監視等で派遣されていたら
その国が叛乱やらでローマと開戦してある日いきなり敵地ど真ん中状態になって
虐殺処刑されるパターンかな 第一次戦後のダキアやアルメニアとかであったケース 旧暦だが3月15日はカエサルの暗殺された日
三・一五事件と呼ぶべきか エジプトのミュオス・ホルモス道の警備についてた部隊の文書面白いぞ。
20人程度が詰める小さな砦が連なる区画で警備していて、
盗賊まがいな遊牧民とも日々激しく衝突してたという、
歴史書には残らない小規模戦ながら、それゆえに頻度も多いようで、
兵たちの生々しい危険地帯勤務の様子が垣間見えて。
ほぼ同時期のウィンドランダ文書が軍隊勤務の平時を垣間見せる陽なら、
こちらは陰となるような、戦闘のガチ現場視点の実務文書として貴重な記録。 >>733
>ある日いきなり敵地ど真ん中状態になって
>虐殺処刑されるパターン
現代戦だけど、ブラックホークダウンって映画で、
アメリカ兵の乗ってたヘリが撃墜されて、
なんとか不時着した場所で大勢のアフリカ人に囲まれ、
ヘリ内部にわずか3人で籠城してる時の絶望感はキツかったなあ
一人だけは捕虜として生かされたけど、
殺されたうちの一人は死体を集団に引きずり回されたりして、
現地人のアメリカへの敵意が凄かった
しかもあれは実話を元にした映画らしいんだよな WOWOWでここ最近グラディエーターを吹き替え・字幕と続けて放送してたが、
冒頭の蛮族との戦闘で、
毛皮着た奴が殺したローマ側の使者の首をぶん投げて叫ぶんだよな
(その前に使者の身体だけの死体を馬に乗せて帰してる)
言葉も通じない、
文化も全然違う集団と対面してる怖さってのがよくわかったわ
もっとも、ローマ軍のほうは投石機やバリスタまで用意してる完璧な布陣で、
その後に蛮族軍を粉砕してしまうわけだがw >>721
現代日本や米国ですら極貧生活者が少なからず存在してるんだから
古代ローマにそういう層が存在しないワケがないよな 「古代ローマの街角に立ったとしたら、現代で最も近い印象を
受ける場所はおそらくインドだろう」と何かで読んだた OECD諸国中極貧生活者率最悪の国が日本国でワースト2を米英が争ってるんじゃが 元TOKIOの山口達也とか、過去の写真とか映像とか全部消されてるぞ
昔SMAPを脱退した森且行もやられたしジャニーズ恐るべし
グループショットからもフォトショップで本人だけ削除とか
スターリンの粛清レベル >>741
その3国って労働時間もダントツで長いよな
過労死する労働者がいる一方で極貧生活を強いられる者もいる
おかしいでしょ >>743
三国ともに個人の不幸は自己責任という意識が強い。
あと、アングロサクソン社会は中世末期に既に伝統的地縁血縁共同体が崩壊している。
日本は昭和後期から平成を通じて絶賛伝統共同体の崩壊過程。
人生に躓いた時の安全装置が社会に欠けすぎてる。 古代では世界的にも投げ槍はよく使われた武器だってことなのかな?
日本では戦国時代でも一般で知られている以上に、
投石が有効な攻撃手段だったというけど、
狩猟文化は弱かったからか、
投げ槍を使われたって話は旧石器時代ぐらいしか聞かない
でも、集団戦だと、
普通の槍で槍衾を作ったほうが明らかに効果的だから、
使い捨て的な投げ槍の効果ってのはどんなもんなんだろう 物理的には防具貫通だろうけど、心理効果も大きいんじゃね。
小銃弾撃ち込まれるのと、迫撃砲弾撃ち込まれるのでは動揺度が違う。 投槍って騎兵に対しての威力が何気に凄まじいっぽいな
もともと大型動物を狩るための道具だったから当然なんだろうけども ローマのは投槍ジャンルの中でもなかなか異質だとか
内戦でのローマ軍団兵同士の戦闘や
パルティアやアルメニアのガチガチ重装騎兵との経験から
共和制末期から鉄防具も貫通できるように
射程距離を犠牲にしてでも重く強力になっていったようで もともとピルムはガリア人の大盾に対抗するためにエトルリア人が考案したもので
相手の防具を無力化するのが主な用途だな 鐙が普及する以前は騎兵の多くが槍を投げていた
馬を走らせて加速させて槍を遠くへ投げた
イラン系遊牧民やマケドニア貴族とかは
鐙無しでも長槍を構えて突撃していた 曲刀とか関羽が持ってるような偃月刀とかは踏ん張る必要がないから
馬上でも使いやすい
日本みたいに馬上槍がない地域もあるよね >>754
平安〜鎌倉期の長刀は騎兵の兵器じゃなかった? >>754
近代の騎兵が使ったサーベルも曲刀だもんね
合理的に考えると直剣より向いているってことなんだろう >>749
なるほど
大きなものが飛んでくるってのは目にしてれば確かにきついものがあるね
>>750
確かに矢なんかよりは、
しっかり当たらなくても馬が怯えそう 刀剣は切ることを追求すると反りをつけたほうが良い。普通に振っても包丁を使う時に
引き切るような感じになるから効率よく切れる。キリスト教圏の剣が直剣なのは十字架に
見立てる都合による。直剣は切るのには向かないので突いて使う。切ることに特化すると
より曲がってた方が良いけど日本刀は突いても使えるようにソコソコの反りに留めている。 >>757
馬は鳥が嫌いで怯えるとか
モンゴル高原には馬を襲う鳥がおるんやろか もともと馬は臆病
よく戦争に連れ出すように躾けたとな思う
馬も戦さは嫌だったろうなー ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています