コロンブスのアメリカ発見
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アメリカ大陸はなぜコロンブスが発見したと言われているのか?
そのずっと前にアメリカ大陸の先住民たちが発見していたのではないのか?
アメリカ大陸の先住民たちは人間の歴史とは無関係なのか?
白人だけが人間なのか? >>58
伝記に騙されるなよw
野口英世だって、医師免許取得のために友人から借りた金を遊び歩いて使い果たしたり、梅毒の人体実験のため梅毒にかかってない孤児に梅毒菌を植え付けたりした、最低の人間だったんだぞ!! コロンブスはキリスト教徒にとって、その世界観と領土を拡大した英雄に違いはない。
だから、カトリックのクローデルはキリスト教の栄光のために戯曲にした。ちなみに、異教徒の神々は泥人形にすぎないといっている。 >>53
イサベル女王は原住民を奴隷とすることに強くはんたいしていました。遺言状には「インディオを愛情深く扱うように」と書かれていたそうです。
但し、ユダヤ人やイスラムに対して異端審問をしては容赦ない取り締まりをしたのも事実です。 コロンブスが発見したのは西インド諸島
大陸を発見したのはアメリゴかカボット >>63
コロンブスの第三回航海でベネズエラに上陸したのは1498年の夏
同じ年にカボットが北アメリカに上陸しているがコロンブスとどちらが早いかは分からない
2人とも新大陸ではなくアジアの一部に上陸したと思っていたのは一緒
カボット 世界史の窓
https://www.y-history.net/appendix/wh0901-029.html >>58
この本にはコロンブスは英雄でありインディオには概ね友好的だったが部下が勝手なことをして本国での評判が悪くなり不幸な末路を辿って不遇のうちに死んだと書いてあった。
https://i.imgur.com/weFsCp3.jpg コロンブスの理解者として知られるイザベラ女王(晩年は航路は開いたものの統治において残酷なコロンブスは用済みとしていたという話もあるが)は、
幼少の頃より口数が少なくかつ眩いばかりの美しい金髪に深い青緑のいかにも聡明そうな眼差しを持ちカステラ女王としてのカリスマ性を具えていたという。
他国からの結婚申し込みも相次いだが、王位継承者であった実弟が病気で夭折したこともあり、一度も見たことがない隣国アルゴンの王フェルナンドと結婚し、スペインを統一、
グラナダからイスラム勢力を追い出してレコンキスタを終了させてから、かねてより自己を王室に売り出していたコロンブスの願いを叶え、大西洋周りの日本やインド行き航路を見出すことへのスポンサー兼新規獲得地の統治者になることになる。
アルハンブラ宮殿のイザベラの肖像
https://i.imgur.com/25Y7zsF.jpg >>62
残念ながら植民地支配の中心になっていったのはイザベラ女王ではなくコロンブスのような人達
イザベラ女王やラスカサスのような人達は欧米ではずっとマイナーだった
未だに本音の部分では欧米でコロンブスのような侵略志向派とイザベラ女王のような人権尊重派は
対立している ただし、今は侵略志向派も表向きはキリスト教ではなく人権と民主主義を尊重するが故に軍事行動をやるのだと主張するからややこしい 大航海時代みたいな大っぴらな侵略は出来なくなったからキリスト教さえ掲げれば何でも
許された当時よりも策略は緻密にやる必要がある クリストファ・コロンブス
http://ktymtskz.my.coocan.jp/S/kouro/sea3.htm
コロンブスは、この島を土人がグアナハニ島というのを聞いたが、あらためてサン・サルヴァドル(救世主)島と名づけ、東洋のつまりインド辺りのどこかに着いたものと固く信じた。
そこでここの土民たちをインド人、つまりインディアンと呼ぶようになってしまったのである。
土民たちは林の陰からスペイン人たちをうかがっていたが、赤い布やガラス玉を見せると、こわごわ集まってくるようになった。
コロンブスは武力を使わずにおだやかに接するように、みなに命令をだしておいたので、一同はガラス玉の首飾りや、小さな鈴のようなものをあたえてやった。
土民たちは喜んで、オウムや投げ槍を持ってきてスペイン人たちによこした。
どの男も女も、生まれたままの裸で、体にはいろいろな色をぬっている。
体格はよく、顔だちはかなりととのっている。
髪の毛は馬の毛のようにあらく、前髪をまゆのところまでたらし、後ろはひとつかみほどの毛を長く背中までたらしている。
頭にオウムなどの羽飾りをしている者もいる。
おどろいたことに、スペイン人の一人が剣をぬいてみせたところ、土民はその刃をにぎったので、手を切ってしまった。
鉄や刃物を知らないのだ。土民の娘に黄色い首飾りをしている者がいた。
ビンソンがガラス玉ととりかえてもらうと、それが黄金なので、スペインへの最初の貢物(みつぎもの)とした。
その土地でゆっくり休んで調べてみると、土民たちは気だてがやさしいし、果物もふんだんにあるよい土地だが、彼らの生活は貧しく、またここが島だということもわかった。
もっとほかに土地はないかと聞くと、インディアンたちはみな南西の方を指さした。 大工にも人権はある。乗組員にも人権はある。
大工はこの地球に生まれた限りなく重い命を持つ無上の人間!!
乗組員はこの地球に生まれた限りなく重い命を持つ無上の人間!!
その命の重さたるや山より重し。その心根たるや海より深し。
その命、人権をないがしろにする権利は何人にもない!!!人類の歴史を記述する者よ、恥を知れ!!!!!!! コロンブスは今のキューバやハイチやベネズエラに着陸して原住民とコンタクトを取ったわけだけど
インドやジパングの人々が伝え聞いてたものよりもずっと未開で貧しい身なりをしていたことに疑問を持たなかったのだろうか?
一応中米ではアステカの文明に影響された人々、ベネズエラではインカ文明に影響された人々に遭遇し、それらこ人々は身なりは布製品を纏うなどしていたろうだが、それでもインドや中国や日本の人達の身なりよりはずっと素朴だったと思われる。
東方見聞録にはアジタ人の身なりについて何と書いてあったのだろうか?
ちなみにバスコダガマがインドに到着して現地カリカットの宮廷の人達に持参してきたものを見せたらあめりに貧相なので笑われたという逸話があります。 とは言っても所詮はアジア方面ってわからないことだらけだし
それに、正直大陸の有名な地域ならともかく、離島の連中とか当時のアジアじゃ大差ない気もするけどね >>31
>船の乗組員はたくさんいたのに、その中で本当にコロンブスが最初に発見したのか?
>他の乗組員に人権はないのか?
コロンブス発見はインディアンを無視してて気に入らないが
船員Xが発見したとされたのならば人権があるからOKか… ガタイが良く装飾やメイクがしっかりしてる人らを裸同然とは言え貧相とは呼ばないでしょ
少なくとも長い旅路じゃなくてもボロ切れ纏ってる自分らヨーロッパ圏平民よりはしっかりしてる 〈武力による侵略、ガマの第二次インド航海〉
ポルトガル王マヌエル(1469-1521年)は、カリカッタの商館がサムリに襲撃された報復に大艦隊を派遣することに決めた。
ガマを『インドの提督』に任命して、その指揮下に15隻を先発させ、5隻の後発を出帆させた。
カリカッタでのガマの攻撃は凄まじく、言葉では言えない蛮行があったという。
コチンとカナールに商館を築き、艦隊の一部を残したのち、香辛料をたくさん積んで帰国した。
ポルトガル王マヌエルはインドを統治をより強くするために、有能な総督を送り出した。
アルファンソ・デ・アルプケルケとフランシスコ・アルメイダである。
この二人によって海洋帝国ポルトガルの基礎が作られたのである。
1503年、アルファンソ・デ・アルプケルケはコチンに向かい城塞を築いた。
宿敵サムリも城塞との戦いで戦死した。
回教徒の船も追い散らかしたのである。
またアルメイダも、1505年アフリカのソファラ、キルワ、モンパサを攻撃して要塞を築いた。
http://www2u.biglobe.ne.jp/KA-ZU/porutogaru_2.html
GDPではポルトガルを遥かに上回っていたインド(や東アフリカのイスラム国)でさえポルトガルの武力には抵抗出来なかったところがあるから
新大陸の石器時代、よくてアステカやインカの青銅器時代の原住民がスペイン人にやられてしまうのは如何ともし難い。 >>72
いや、船員Xと言ってる時点で人権を無視しているw
本当にその乗組員の人権を絶大に認めているなら、伝記くらい出版するべき。 >>77
乗員名簿が残っているなら、すぐわかるだろうw
スペイン王室がスポンサーになっていたから名簿を提出していただろう。その名簿が残っているかもしれない。 トリアナさんの中の人が昼間に発見したところ
起源を主張したコロンブス提督にご褒美ごとパクられました
人権無視なんでしょうかww >>75 ローマ帝国とだったら文明段階の地域は互角にやりあえたかな
もっとさかのぼってホメロスの時代のギリシャでようやく互角? 人の人権とは何か?
どんな人間にだって人権はある。どんな人間にだってだ。
昔と違って、いまの発明発見をひとりでやることはない。大学とかの研究チームがみんなでやるもの。
発明発見者に代表者ひとりの名前を与えることはやめよう。一番頑張ったのは、その中の無名の下っ端職員かもしれぬぞ!!!
今度から歴史の記述はそうせよ!!! >>80
オスマン帝国、サファヴィー朝、ムガル帝国は火器を充実させてたからスペインポルトガルも手出しは出来なかった。
レパントの海戦でスペインはオスマンを破ったけどその後も地中海の制海権はオスマン側にあったし。 >>79
検索したらロドリゴ・デ・トリアナが未明とか午前二時に発見なんで昼間ではないぽい >>83
ありがとうございます
前日に発見と起源を主張したとありましたので
さすがにそれは無理だろうと思っておりましたが
4時間ほど先行を主張したみたいですね
ショックでほんとに改宗しちゃったのかどうなのか >>84
前日ってのが謎なんですよね。
今の基準だとそうかも知れないがって。
でも前日なら10月11日ってことにならない?みたいな。
でもそれは現在スルーされて10月12日ってことになってるようだし。
それじゃコロンブスの主張は無視されてるん?みたいな。
当時深夜が日付変更基準になってたのとか。
日付変更基準いつなん?みたいな コロンブスの一般的認識は
コロンブスはアメリカ大陸を発見しました。めでたしめでたし。
くらいのものだろうしな ドミニカ共和国が最初だったとは。
イスパニョーラ島=インディアスだと思ったのか? >>70
アジタ人って何だ?
東方見聞録には、「ジパング諸島の偶像教徒は、自分たちの仲間でない人間を捕虜にした場合、もしその捕虜が身代金を支払えなければ、彼らはその友人・親戚のすべてに『どうかおいで下さい。
わが家でいっしょに会食しましょう』と招待状を発し、かの捕虜を殺して――むろんそれを料理してであるが――皆でその肉を会食する。
彼等は人肉がどの肉にもましてうまいと考えているのである。」と書いてある。 >>87
>ドミニカ共和国が最初だったとは。
最初に発見したとされるのはサンサルバドル島。
バハマ諸島のどれかとされるがその候補地はいくつかあるという。
>イスパニョーラ島=インディアスだと思ったのか?
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/mail/bn_308.html
>黄金の国「ジパング」(日本)を目指していたコロンブスは,島の北部「シバオ地方」に上陸し,
>ついに「ジパング」にたどり着いたと勘違いをしました。
外務省ホームページなんだあ コロンブスが梅毒をもって帰りユーラシアに梅毒が流行ったという。
また、新世界では西洋人がもちこんだ天然痘が猛威を奮ったともいう。
両者それぞれ地元では免疫ができてたということか。
コロナも免疫ができた者が生き残ることになるのか… 免疫ができなかった者は、南北アメリカ大陸の原住民のように… スペインの今の状況をみると
まぁ、しょうがないと思ってしまうのは
心が汚れてるんだろうか、、、 コロンブス以前は旧世界に梅毒無く、新世界に天然痘無しって世界だったんだな。
それが今やグローバルな世界でカタイで発生した病気がアメリカ大陸にまでまたたく間に渡るという >>20
アメリカ先住民も、アメリカに来る前は、旧大陸にいたの。
だから、旧大陸の事は、彼らにとっては「既知」だよ。
旧大陸から一度も出たことのなかった人間にとってだけが、新大陸の「発見」ね。 1521年、マゼランは、フィリピンを「発見」した。
ムスリム商人は、呂宋国と交易していたし、ヒンズー教も伝わってたし、もっと前にトンド王国もあったんだけどね。
もっとも、地球が球体であることは、とっくに理解されていたから、コロンブスは、自分が既にインドに到達したと思っていた。
コロンブスは、アメリカを「発見」したが、インドは誤認で、本当のインドを彼は知らなかった。コロンブスにとって、インドは、未だ未発見。 >>80
軍事力の違いというより、南米は宗教のハッタリかましでやられた。
これがもし、三国志の時代の孔明軍とかだったら、スペインがどんなに強力な武器を持っていようが、数万単位の大群にあっという間にすり潰される。 >>94
流石にレス乞食が過ぎるで
先祖が旧大陸に居たからって彼ら自身が旧大陸の事を知っている訳でもなし
それどころかベーリング陸橋を歩いて渡って来たから仮に祖先から代々語り継いでいても大陸が別であるという事を知らん >>95
インドといってもインディアス、ラス・インディアスであってインド国ではないがインドインドいうとインド国を目指したとする誤解があるなどといわれる。
コロンブス自身カタイ(中国)、ジパング(日本)に着いたと思ったようだ ニュース系板にコロンブス像倒されてるとかスレあちこちたってるな 北極海は冬は凍りついてるから、
スカンジナビア半島辺りから、カナダのケベック州辺りまで、
実はかなり近くて、歩いて行けてしまうんだな。
ホッキョクグマなんか普通に行き来してる事を考えると、
北極圏で狩猟してる人らが対岸に行ってしまうことは、あったかもしれん。 現在通用している世界史はすべて西ヨーロッパを世界の中心として語られているから
日本は極東であり、イランやイラクは中東と呼ばれる
西ヨーロッパにとっての大航海時代というのは、征服され滅亡した文明側からすれば大侵略時代であり、人類史上最大の大虐殺、大陵辱時代であることを忘れてはならない フィリピンのセブ島には、「マゼランの十字架」がある。
一方で、マクタン島には「ラプラプの銅像」もある。
フィリピン人の「マゼランへの思い」は、かなり複雑だ。
神は、マゼランの中にある、ひとかけらの「善性」を通じて、キリストの愛の教えを伝えようとお思いになった。マゼランはセブ島の人らに説教した。
だが、時折見せるマゼランの「高慢な態度」。
純朴な多くの部族がキリスト教に改宗したが、マクタン島のムスリムだったラプラプらだけは、絶対に改宗をしようとはしなかった。
彼はマゼランに、「ここを立ち去れ。」と言った。
マゼランは怒って、ラプラプを騙して殺そうとした。
彼は、神の「愛」に対する背教者であり、「イスカリオテのユダ」である。
ラプラプは敢然とマゼランを相手に戦い、ついに討ち果たしたり!
その後、どんどんスペイン人がやってきて、過酷な支配を行った。
されど、フィリピン人は、「我らは、支配者のスペイン人以上に、敬虔なキリスト者であれ!」との矜持を常に持っていた。我々は「慈愛の民」なのだから!
さればこそフィリピン人は、異郷の地で、自分らに弓を引いてきて亡くなった、「哀れなマゼラン」をも許した。
だから、サントニーニョ教会に、「マゼランの十字架」は今もあるのだ。
他方で、頑としてスペイン人の支配を受け入れなかった、ラプラプの末裔としての、ムスリム等のフィリピン人。
彼らはミンダナオ島など、フィリピンの各地で、300年間スペイン人を相手に戦い続け、ついぞスペインには支配をさせなかった。
クリスチャンのフィリピン人も、そうでないフィリピン人も、
誇りと尊厳に満ち溢れた、「強さと慈愛の中に生きる人々」である。
「神よ、どうかマゼランの罪をお許しください!」
「お医者さんを早く!」「お母さん、僕が死んでも泣かないで!」
それが、彼の最期の言葉でした。
【フィリピン歌謡】マゼラン ヨヨイ・ビリヤミー:作
https://youtu.be/ZUl3Yyxyjy8
https://youtu.be/oSFqkuMvtRM マゼラン ヨヨイ・ビリヤミー
1521年3月16日。
フィリピンがマゼランに「発見」された時のこと。
彼らは、大洋を跨いで日夜航海をしていて、
やがて、小さなリマサワ島を見つけた。
マゼランは、正午にリマサワ島に上陸し、
人々は、彼を浜辺でとても歓迎した。
マゼランらがした話を、人々は理解しなかった。
何故なら、彼らはスペイン語を話すイスパニア人と、
ワライワライ語を話すワライ人だったので。
マゼランが、セブの市中に上陸した時、
セブの領主であったフマポン王(ラジャ・フマポン)は彼に会い、
彼らはみんな、とても喜んでいた。
全ての人々が、洗礼を受けて、キリスト教会を建てた。
そして、これが、私達のカトリックの生活の始まりなのである。
次に、マゼランがマクタン島を訪れた。
住んでいる人々皆を、キリスト教に教化するために。
だが、(ムスリム教徒だった)ラプラプは浜辺で彼に会うと、
「ここを立ち去れ。」とマゼランを追い返した。 するとマゼランは、頭に血が上ってたいそう怒り狂い、
彼の手下に、(夜闇に紛れて)偽装して騙し討ちをするように命じた。
しかし、彼の試みは失敗した。
「マクタン島を横奪することはできなかった。」
「何故なら、ラプラプはとても強いから。」
それから、夜が明けつつある暁の中、戦いが始まった。
「剣鉈や槍」と、「鉄砲や大砲」との戦い。
首に一撃を食らって受傷したマゼランは、
よろめき倒れて、大声で泣きに泣いた。
「ああ、お母さんお母さん、僕は病んでしまった。」
「お医者さんをすぐに早く呼んで!」
「お医者さん、お医者さん、僕は死ぬだろうけど、」
「母さんに、僕が死んでも泣かないで、と伝えて。」
「お母さん、僕が死んでも泣かないで!」
「お母さん、僕が死んでも泣かないで!」
紳士淑女の皆さん、それが、マクタン島でのマゼランの最期だったのです。
昔々、古い故事のお話です。
【フィリピン歌謡】マゼラン ヨヨイ・ビリヤミー:作
https://youtu.be/ZUl3Yyxyjy8
https://youtu.be/oSFqkuMvtRM >10月12日、彼らはアメリカ大陸沖のカリブ海に浮かぶバハマのサン・サルバドル島へと到達した。
>その後、コロンブス一行はキューバ本島とイスパニョーラ島を発見。
>歓迎した先住民族たちから金品を略奪して虐殺したのちに出航し、スペインへと帰国した。
とウィキにあったが最初の航海で金品を略奪し虐殺ってほどだっけ アメリカの警官黒人殺し事件以来コロンブスもアウト感に。
コロンブスをともかく否定したら自分らも出てかなきゃならないんじゃないのってほどだがそこは理屈こねそうだが。
これって後に馬鹿げたことをしたとか反省することになるんじゃないか。
魔女狩りとか文化大革命とか廃仏毀釈みたいなというか コロンブスが最初の航海から戻り「東洋の島」を発見したと伝えた相手は
スポンサーであるスペイン王ではなく、そのライバルであるポルトガル王であったと
最近知ったが意外な話ですな。 いやインドと勘違いして珍プレーだろ
これに乗じてアメリゴさんが新大陸を主張し始めたんだよ
コロンブスが頭良ければアメリカは今ごろコロンビアだったはずだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています